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 翌日は晴れていた。休憩所の二階からは広々とした砂漠の彼方が見渡せた。遠くにゆらゆらと何かの影が揺れている。きっとあれが、ティールさん達が教えてくれた『蜃気楼』か・・・。
 
「カイン、早いとこ食事をすませて出発しよう。」
 
 窓の景色から視線を部屋の中に移し、カインに声をかけた。
 
「お前はどうだ?気分のほうは。」
 
 カインはまだ心配顔でいる。
 
「大丈夫。何とかなるよ。」
 
「しかし・・・妙な夢だな。真っ暗だったのか?」
 
「そう・・・。あんな夢を見たのは初めてだよ。今まで見ていた夢では、いつだってちゃんと景色は見渡せたんだ。なのに・・・。」
 
 昨夜の夢を思いだし、私は思わず身震いした。
 
「殺せ・・・か・・・。気味の悪い話だが・・・とにかくお前が大丈夫だって言うなら信じるよ。ただし、無理はするな。きつくなったら必ず言えよ。」
 
「ありがとう。でもカイン、君だってきつい時は言ってよね。お互い様なんだから。君だけ黙っているなんてなしだよ。」
 
「わかったよ。それじゃ行くか。」
 
 ディレンさんはもういなかった。私達より早く出かけたらしい。一階のフロアにはきのうの狩り装束の青年がいる。
 
「おはようございます。」
 
「ああ、きのうの方達ですか。おはようございます。カナの村に向かわれるんでしたよね。この大陸は東に向かうにつれて気候が厳しくなりますから、気をつけて行ってくださいね。」
 
「ありがとうございます。あなたは・・・もしかしてここに足止めをされているんですか?もしそうならお送りしますけど・・・。」
 
「いえ、僕はもう少し馬を探しながら歩いてみます。大丈夫ですよ。僕は今までずっとこうして一人で狩りをしているんですから。それに、家はすぐそこなんです。この休憩所から、そうですね・・・北西に一日歩けば辿り着けますからね。」
 
「そうですか。でも無理はしないでくださいね。」
 
「ありがとうございます。それじゃお気をつけて。」
 
 青年は笑顔で手を振りながら休憩所を出ていった。何となく心配ではあったが、もしかしたら心配してもらうのは私達のほうかも知れない。少なくともあの青年はずっとこの南大陸で狩りをしている。それに対して私達は昨日ここに着いたばかりだ。
 
「人の心配している場合じゃなさそうだな・・・。」
 
 私の心を見透かしたかのようにカインがつぶやいた。
 
「そうだね・・・。自分の心配したほうが良さそうだ・・・。出かけようか。」
 
「そうだな。行くか。」
 
 ティールさんが持たせてくれた地図を広げ、カインと私は砂漠への一歩を踏み出した。
 
 とにかく暑い。私達はセルーネさんに聞いた砂漠の旅の注意事項を思い出し、休憩所を出る前にたっぷりと水を飲み、頭にはターバンを巻き、さらにマントを着込んでいた。なのにまったくと言っていいほど汗をかかなかった。ティールさんやセルーネさんの言ったとおりだ。ここは空気が乾燥している。このマントは一休みの時にも重宝した。厚手の布で出来ているために陽射しを遮ってくれる。そしてこの色のおかげで、フードをかぶって腰を下ろしても、あまり人がいるようには見えない。砂漠のモンスター達は手強かったが、3日間の訓練のおかげで何とか乗りきっていくことが出来た。カインも私も、先輩達がどれほど真剣に私達を鍛え上げてくれたかが身にしみた。そして、何としても早く任務を遂行して、北大陸に帰ろう、私達を待っていてくれる仲間達のいる、あの場所に戻ろう。お互い口には出さずとも、そう思いながら進んでいった。
 
 慣れない砂地を一日中歩き続け、やがて最初のオアシスにたどり着いた。涼しい風が吹きすぎ、砂漠の暑さを忘れさせてくれる。不思議なことにオアシスに入るとモンスターは寄ってこない。どうやら風水術で結界が張られているらしい。
 
「結界?」
 
 カインが怪訝そうに尋ねる。
 
「そう。結界だよ。かなり強力な奴。モンスターが嫌うような呪文でこのオアシスの四方を囲んでいるんだ。」
 
「へぇ。それが破られるってことはないのかな。」
 
「これだけの術を破ることが出来るっていうのは・・・かなりの使い手でないと無理だね。」
 
「たとえばお前なら?」
 
「まず歯が立たないよ。」
 
「なるほどな。でも逆に言えばこのオアシスは安全だってことだな。」
 
「そう言うことになるね。」
 
 私達はキャンプが出来そうな場所を探して、少しオアシスの中を歩いてみることにした。このオアシスはそれほど広くない。しばらく歩くと人の声が聞こえてきた。どうやら私達の他にもここでキャンプをはっている人達がいるらしい。
 
「こんなに危険な場所にでも旅人ってのはいるんだな。また昼間みたいな商人の一団かな。」
 
「そうかもね。夜中になったら盗賊に変身したりしないといいんだけどな。」
 
「ははは、そうだな。少し牽制しておくか。」
 
 私達はキャンプの一団に近づいていった。
 
「こんばんは。旅の方ですか?」
 
「そうだよ、あんた達は?」
 
 焚き火を囲んで座っていた青年が立ち上がり、愛想よく答えてくれた。
 
「私達は王国剣士です。昨日北大陸から着いたばかりなんです。」
 
「王国剣士?するとまた王国剣士がこっちに来ることになったのかい?」
 
「いえ、少しカナの村に用事がありまして・・・。」
 
 私は昨日休憩所で言ったことと同じ事を言った。こんな危険なところに来るにしてはあまりうまい理由とも思えなかったが、青年は私達の用向きにはあまり興味がないらしい。
 
「ふぅん。それじゃ俺達と逆だな。」
 
「逆?」
 
「俺達はカナの村から来たんだ。今までずっと南大陸の東のほうをまわっていたんだけどね、カナを経由してハースの湖に向かう予定だったんだ。あそこから船で北大陸に帰るつもりでね。ところがカナの村に着いてみたら、ハースからの船は当分出ないから、陸路を行ったほうがいいって言うじゃないか。それでここまでみんなで歩いてきたわけさ。」
 
「誰が言ったんですか?」
 
「カナの村の人達だよ。誰かまでは知らないよ。でも当分船は出ないってさ。もう半年くらい前かららしいよ。」
 
「半年か・・・。」
 
 確かハース城からの連絡が途絶えたのもそのあたりだ。
 
「でも陸路を行くなんて危ないんじゃないですか。」
 
「大丈夫だよ。これでもみんな一通りは剣が使えるんだ。」
 
「剣を?あなた達が?」
 
「おや、意外かい?」
 
 穏やかな青年の瞳に、少しだけ挑戦的な光がよぎった。
 
「あ、いえ・・・。そんなことはないですけど・・・。」
 
 焚き火を囲んでいる一団の中には、着飾った女性も何人かいる。いったい彼らはどういう人達なのだろう。
 
「俺は意外だと思ったよ。」
 
 カインが突然口を開いた。
 
「でも勘違いしないでくれ。あんた達をばかにしてるってことじゃないんだ。あんた達は特別武装しているわけでもなさそうだし、見た目だけではとても剣が使えそうには見えないんだよ。いったいあんた達はどういう仕事をしているんだ?」
 
 青年はニッと笑って頷いた。
 
「なるほど、そう言うことか。確かに俺達はがちがちに武装して歩いたりしないよ。そんなことをしたら客が逃げちまうからな。」
 
「客って・・・。」
 
「俺達は大道芸人なのさ。俺はアラム、この一座の一員だ。もう一年近く前になるかなぁ、こっちに来たのは。」
 
「どうやって来たんだ?その頃はもうロコの橋は封鎖されていたはずじゃないか。」
 
 カインの声が少し険しくなった。
 
「ハース城に向かう船に頼み込んで乗せてもらったんだよ。船の上でタダで興行することと、船の掃除をすることを条件にね。」
 
「そんなことで・・・。」
 
 私達はあきれてため息をついた。これではロコの橋を封鎖した意味がない。東の港からハース城に向かう船を動かしているのは、フロリア様の「手の者」のはずだ。彼らがいったいどんな人達なのか知らないが、どうやら規則を守ることをあまり重要に考えていないらしい人達であることは確かだ。彼らはもしかしたら、お金をちらつかせれば誰でも船に乗せてしまうのだろうか。
 
「ははは、あんた達にしてみればとんでもないことなんだろうけど、俺達にはありがたかったね。昔は北大陸だけでもそれなりに収入はあったんだけど、3年前か・・・もう少し前かなぁ・・・城下町の語り部や吟遊詩人がこぞって聖戦の歌や語りばかり始めた頃から、何となく興行を開きにくくなっちまってね。なんとか南大陸に渡る手だてはないものかと考えていたところだったんだ。」
 
「・・・3年前から・・・?」
 
「ああ、そうだよ。元々語り部はエルバール王国やサクリフィアの伝承をたくさん知っていて、あちこちでそれを少しずつ披露しながら生活していたんだ。それなのにあれ以来、語り部の話すことと言えば聖戦のことばかりさ。吟遊詩人だってそうだよ。昔吟遊詩人の歌う歌は楽しい歌が多かったんだ。観客に若い人達が多い時は、たまに悲恋物語なんかも歌って聞かせたけどね。でも今や、吟遊詩人達もみんなして聖戦の歌ばかりだ。しかもまた聖戦が起こるかも知れないとか、聖戦竜が復活するとか、縁起でもない内容ばかり歌ってる。」
 
「あんた達の一座にいる吟遊詩人はどうなんだ?」
 
「そんな風潮に嫌気がさして俺達はこっちに来たんだ。うちの吟遊詩人達はみんな昔ながらの楽しい歌を歌ってるよ。結構人気があるんだぜ。」
 
 ちょうどその時手拍子が聞こえてきた。私達が話をしている後ろで、一人の吟遊詩人が立ち上がり歌を歌いながら踊り始めた。楽しい歌に合わせて動くたびに衣装につけた小さな鈴が鳴り響き、確かに見ているだけで気持ちが明るくなってきそうだ。歌っている吟遊詩人自身もかわいらしい顔立ちをしている。一曲終わるのを待ってアラムが再び話し始めた。
 
「楽しい曲だろう?それでなくても最近は暗い話が多いんだから、せめて俺達がいる場所くらい明るく盛り上げないとね。」
 
「南大陸はどのあたりまでまわったんだ?」
 
「そうだなぁ・・・。ここはけっこう広いんだよ。東側から南の端のほうの集落はだいたいまわったよ。本当は一度北に戻って、少し休んでからまたこっちに来ようかなと思ったけど、この調子だと船はあてに出来ないから、このまま西部に興行に行こうかって話してたところなんだ。」
 
「西部?あちらにも村があるんですか?」
 
「村ってほどじゃないよ。小さな集落があちこちに点在している程度だ。ハース鉱山からも遠いし、あっちは東部の村よりもずっと貧しい集落が多いんだよ。だから興行と言っても金はあてに出来ないからね。ほとんどボランティアのようなものかな。せめて俺達の興行を見て楽しいひとときを過ごしてくれればってね。」
 
 その時アラムの背後から声がかかった。
 
「おい、お前の番だぞ。」
 
「わかった!」
 
 アラムは素早く振り返って返事をすると、また私達に顔を向けた。
 
「あんた達もここで一緒に食事しないか?」
 
「いや、でも悪いよ。」
 
「遠慮することはないよ。ついでに俺達の芸を見て感想を聞かせてくれよ。」
 
 言うなり彼は飛び上がり、後ろに向かって宙返りをして見せた。
 
「俺の芸はいわゆる軽業さ。地面で飛ぶだけじゃない、屋根くらいの高さのところに張った綱の上でだって宙返りしてみせるぜ。」
 
 食事だけならと念を押して、私達は一座の焚き火のまわりに座った。みんな気のいい人達ばかりで、話も楽しかった。次々に披露される彼らの芸はとても多彩で、素晴らしいものばかりだった。一つの芸が終わるごとに感想を聞かれたが、カインも私も『楽しかった』とか『素晴らしかった』と言うのが精一杯で、とても批評がましいことなど言えなかった。あまり遅くならないうちにもう少しオアシスの中を見て回りたかった私達は、さっきとは別の吟遊詩人が歌い終わるのを待って立ち上がった。
 
「そろそろ俺達は失礼するよ。」
 
 せめてものお礼にと、私達は今夜自分達が食べるはずだった分の食料を彼らに差しだしたが、彼らは笑って受け取らなかった。
 
「ここで会ったのも何かの縁さ。気にしないでくれよ。」
 
「ありがとう、楽しかったよ。」
 
「あんた達ここは初めてだったよな。」
 
「そうだよ。だからもう少し中を見て回りたいんだ。」
 
「そうか。それじゃ、このオアシスの南側の端っこにある池の水は飲むなよ。」
 
「え・・・?まさか毒が入っているとか・・・?」
 
「ははは。そんなんじゃないよ。あの池は行水用なのさ。みんなあの池で砂や垢を落とすんだ。飲んだりしたら腹をこわすよ。その他の湧き水はどこでも飲めるよ。砂漠の真ん中とは思えないくらい冷たくてうまい水ばかりだ。あんたらもせっかくだから池で砂を落としといたほうがいいよ。この先のオアシスには行水用の池なんてないからな。」
 
「ここは水場がたくさんあるんだな。」
 
「そうだな、ここはこの辺りのオアシス群の中でも一番だと思うよ。」
 
「いろいろありがとう。あんた達が無事に旅を続けられるよう祈ってるよ。」
 
「俺達こそ。今夜は久しぶりに仲間以外の人と知り合えてうれしかったよ。」
 
 彼らと別れて、私達はアラムに言われたように行水用の池に来ていた。ランプをつけようかとも思ったが、この先何があるかわからないので油を温存することにして、木の枝を集めてたいまつをつくり火をつけた。二本も作れば辺りはだいぶ明るい。それでも用心して、一人ずつ交替で行水をすることにした。先に入れよと言うカインの好意に甘えて私が先に水に入った。体だけでなく髪の中まで入り込んだ砂を落とすと、やっとさっぱりした。こんなところで水浴びが出来るとは思わなかったので、何となくうれしくなった。
 
「ははは。こんなことでうれしくなれるなんて、以前なら考えられないかもな。」
 
 体についた水滴をタオルで拭う私の隣で、カインが笑いながら服を脱ぎ始めた。
 
「ほんとだね。でも今は得した気分だよ。この先のオアシスにもこんな場所があるといいけど、アラムの話を聞く限り期待出来ないみたいだね。」
 
「そうだなぁ・・・。まあカナに着けば、何とかなるかも知れないよ。」
 
「・・・なるといいね・・・。」
 
「・・・そうだな・・・。」
 
 キリーさんやディレンさんの話を聞く限り、カナの村の人達が私達に好意的であるとは考えにくい。
 
「ま、ここで考えていても仕方ないさ。」
 
 カインはざぶんと頭から水に飛び込んだ。
 
「そうだね。それじゃ、君がそこから上がったら、私達もキャンプ場所を決めよう。」
 
 やがて身支度を整えた私達は、少し歩いてオアシスの東の端にキャンプ場所を決めた。焚き火のそばに腰を下ろし、しばらく二人とも黙っていたが、カインがちいさな声で話しだした。
 
「なあクロービス、さっきの連中どう思う?」
 
「・・・何となく目つきが鋭かったな・・・。」
 
「お前から見てどうだ?やっぱり盗賊団かな。」
 
「うーん・・・それも考えにくいんだよね。盗賊の隠れみのにするためだけに、あれほど素晴らしい芸を身につけられるものかな。」
 
「そうなんだよな・・・。」
 
「邪悪な感じはしなかったけど・・・。私の勘じゃあてにならないからな。」
 
「いや、そんなことはないよ。それに俺も何となくあの連中が悪党には思えなくてな・・・。」
 
「とりあえず気をつけておくことにしよう。交替で不寝番していれば、怪しい動きがあったりしたらすぐにわかるよ。」
 
「そうだな、それじゃこの話はもうやめよう。」
 
「そうだね。」
 
 ほんの少しカインは黙っていたが、何か言いたいのに言えないでいるような、そんな印象を受けた。
 
「・・・なあクロービス・・・。」
 
「何・・・?」
 
「・・・この間のエミーのことなんだけど・・・。こっちに来てから話すって言っていたじゃないか。まあ・・・無理にとは言わないけどさ・・・。」
 
 カインの声が少し遠慮がちに聞こえた。
 
「気にしててくれたの?」
 
「当たり前じゃないか。言っておくがな、興味本位じゃないからな。」
 
「わかってるよ。そんなこと思わないって。」
 
 私はエミーとの会話をカインに話した。そして別れ際に聞こえた声のことも話した。
 
「・・・なるほどな。また声か・・・。」
 
「うん・・・。すごく切なそうに『死なないで』って・・・。」
 
「やっぱりエミーの声だろうな・・・。」
 
「そうとしか思えない・・・。」
 
 また背中がぞくりとした。
 
「俺が今何考えているかわかるか?」
 
 カインに聞かれ、耳を澄ませてみたが何も聞こえない。最も耳を澄ませてみたところで意味はない。聞こえる時はいつも頭の奥に直接響いてくる。
 
「・・・全然わからない。」
 
「うーん・・・。つまり・・・よっぽど強く考えていることしか聞こえないってことかな・・・。」
 
「強くか・・・。」
 
「うん。ライザーさんのことにしてもエミーにしても、あの人達がその時一番強く思っていたことなんじゃないかって思うんだよな・・・。」
 
「・・・そうかも知れないね・・・。そういえば、昨日言いそびれたけど、休憩所で悲鳴を聞いた時、その直前に頭の中に声が聞こえたんだ。『助けて!誰か!』って・・・。」
 
「それは当然あのバンドスさん達の声なんだろうな。」
 
「だろうね。それに・・・。」
 
「まだあるのか・・・?」
 
「うん・・・。きのう休憩所の二階でディレンさんと話していた間中、ずっと胸が痛かったんだ・・・。あれも・・・やっぱり同じ現象の一つなのかな・・・。」
 
「胸が・・・?」
 
「うん・・・。二階に上がって話し始めてから少しずつ胸の奥が痛くなってきて・・・。ディレンさんが部屋を出て行ってからおさまったんだ。声は聞こえなかったけどね。」
 
「そうか・・・そうかも知れないな。ディレンさんだってつらかったんだろうし・・・。」
 
「そう思う?」
 
 私の問いにカインは少しばつの悪そうな顔をした。
 
「そりゃ思うよ・・・。ただ、あの時はフロリア様のことでついカッとなって・・・。それもわかったのか・・・?」
 
「あの時、君が怒っているのはすごく感じたけど、あれは誰だってわかるよ。」
 
「それもそうか・・・。」
 
 しばしの沈黙のあと、カインが独り言のようにつぶやいた。
 
「きっと・・・みんなつらかったんだよな・・・。」
 
「みんな・・・?」
 
「そうさ。お前の心に聞こえた声の主達がさ・・・。つらいことを口に出せずに、心の中でしか叫ぶことが出来なかったんだよ、きっと・・・。」
 
 まるでカインにもそんな経験があるかのような口調だった。
 
「そうかも知れないね・・・。でも何で私にだけ聞こえるんだろう。」
 
「お前は呪文を使うじゃないか。呪文の使い手は精神的なものに敏感だって言うからな。」
 
「そんなの私だけじゃないよ。ティールさんだってライザーさんだって使うよ。あの二人は『虹の癒し手』まで唱えられるんだ。私より遙かに力はあるよ。でもあの二人に人の心が判るなんて言う話聞いたこともないよ。・・・黙っているのかどうかまではわからないけど・・・。」
 
「・・・わからないことばかりだな・・・。」
 
 カインが焚き火のそばにごろりと寝ころんだ。
 
「そうだね・・・。」
 
 私もため息をついた。
 
「なあ・・・お前、エミーのこと後悔していないのか・・・?」
 
「後悔・・・?」
 
「彼女の申し出を受けとけばよかったなんて、思わないのかなってことさ。」
 
「そんなこと出来ないよ。彼女のこと何とも思っていないのに。」
 
「でも嫌いじゃないんだろ?」
 
「好きだよ。でもそれは、あくまでも友達として、だよ。あんな風に気持ちを打ち明けられても、やっぱり彼女を女の子としてみることは出来なかったんだ。だったらこの先だって同じことじゃないか。」
 
「そうか・・・。」
 
「どうしてそんなこと言うの?」
 
「・・・お前には幸せになってほしいからさ。普通に恋をして普通に結婚して子供を作って・・・。俺には一生縁のない生活だからな。」
 
 そんなことないよと、喉元まで出かかった言葉を、やっとのことでのみこんだ。形ばかりの慰めなんて何の役にも立たない。カインの決心が揺るがない限り、彼にそんな日々が訪れることは決してない。そしてカインの決心は多分一生揺るがない・・・。
 
「私だって当分そんなこと考えられないよ。まだ剣士団に入って一年にもならないんだからね。そう言うことを考えるなら、もう少し実績を積んで給料が上がってからじゃないとね。」
 
「ははは、確かにな。今の給料じゃ生活なんてしていけないからな。」
 
「装備品だってなかなか新しいものは買えなかったしね。今着ている鎧だって、こんな所まで来ることになったから剣士団長がプレゼントしてくれたけど、もしも今回のことがなくて、あのまま北大陸にいたら、ナイト輝石の装備なんてまだまだ手が届かなかっただろうな。」
 
「俺達が着ているナイトメイルっていくらだっけ?」
 
「前にタルシスさんに聞いた時は、900Gだって言ってたよ。君の持っているのと同じナイトブレードが870G。鉄鉱石でコーティングしたものは、してないものと同じ値段だって言ってたから、私達が着ているのも同じだと思う。」
 
「・・・めまいがするような値段だな・・・。」
 
 カインが寝ころんだままため息をつく。
 
「でもヘルメットと盾を使う人はもっと大変だよ。ヘルメットが820Gで、盾が720Gだってさ。」
 
「だからナイト輝石製の装備をひと揃い揃えた人があれほど喜ぶわけか。」
 
 私達がクロンファンラへ向かう少し前、ティールさん達と同期の剣士が、とうとうナイト輝石の装備を揃えられたと大喜びをしていたことを思い出した。地道にお金を貯めて、やっと買えたらしい。「聖戦竜でも何でも来い!」と大笑いしていたっけ・・・。まさか本当に来るなんてあの時は思わなかったけれど・・・。
 
「そろそろ寝るか。明日も早いしな。」
 
 カインが起きあがった。
 
「そうだね。」
 
「・・・お前はまた変な夢見るのかな・・・。」
 
「・・・どうかな・・・。昨日たまたま見ただけの、ただの夢かも知れないよ。」
 
「・・・だといいな・・・。」
 
 その日は本当に夢を見なかった。不寝番をカインと交代するために焚き火のそばに行くと、カインは不安そうな顔で私に振り向いた。
 
「どうだ・・・?見たのか・・・?」
 
「それがね、全然。」
 
 カインはほっとしたように微笑んだ。
 
「そうか・・・。やっぱりただの夢だったのかな。」
 
 でも自分の口から出たその言葉を、カイン自身が信じていないように見えた。そして何より、私自身がそう思っていなかった。今日見なくても明日は見るかも知れない。でも口には出せなかった。
 
「かも知れないよ。それより、あの一座のいる方はどう?」
 
「静かなもんさ。もっとも、忍び足で仕事に出かけたりしていたら気づかないかも知れないけどな。」
 
「ははは。確かにね。とにかく君はもうは寝てよ。あとは私がいるから。」
 
「そうだな、お休み。」
 
「お休み。」
 
 カインが寝たあと、どこかで動物のものらしい鳴き声が聞こえた。多分オアシスの外だろう。中に入ってくる気配はない。一人で焚き火を見つめていると、どうしても思考はあの不気味な夢へと飛んでいく。
 
『私を殺して』
 
 あの声は確かにそう言っていた。そしてあの強烈な思念・・・。吐き気・・・。全てがセントハースのものらしき思念を受け取った時と酷似している。だが・・・あの思念を送っているものは一体何者なのか。どうしてセントハースは、そして謎の闇からの声は、私にあれほどの強烈な思念を送ってくるのだろうか・・・。
 
 翌朝早く、私達はオアシスを出る準備をしていた。そこにアラムがやってきた。
 
「ここにいたのか。俺達はもう発つよ。あんた達も元気でな。無事に用事を済ませて北大陸に帰り着けることを祈ってるよ。」
 
「あんた達もな、西部地方でも頑張ってくれよ。」
 
「ありがとう、じゃな。」
 
 アラムは笑顔で去っていった。
 
「結局あの連中が本物の大道芸人かどうかはわからなかったな。」
 
「ゆうべは何事もなかったみたいだからいいじゃないか。私達もそろそろ出かけようよ。」
 
「そうだな、行くか。」
 
 オアシスを出た途端にモンスターに出くわした。出てくるのを待っていたのだろうか。気味が悪いほどに頭がいい。飛びかかってくるモンスターを、かわし、剣で威嚇し、それでもだめなら斬りつける以外にない。戦いながらふいにセスタンさんの言葉を思いだし、胸が痛んだ。モンスター達が逃げていったあと、カインがちいさな声でつぶやいた。
 
「これしか方法はないんだよな・・・。」
 
「せめて致命的な怪我だけは負わせたくないね。」
 
「・・・お前もセスタンさんの言ったこと思い出したのか・・・。」
 
「あの人があんなに感情をむき出しにしたのなんて初めてだったものね。忘れられるわけないよ。」
 
「そうだな・・・。でもどうしようもないよな・・・。」
 
「ここで死ぬわけにはいかないからね。」
 
「・・・よし!行こう!先は長いんだ。」
 
 こうして私達は歩き続けた。最初の何日かはうまい具合にオアシスにたどり着けた。だが、4日目の夕方、私達はあるはずのオアシスまでたどり着くことが出来なかった。この日の朝、前のオアシスを出発してすぐ、私達は砂嵐に巻き込まれた。こんな嵐のことは聞いてはいたので、私達は教えられたとおりの防護策をとっては見たが、それでも嵐が過ぎ去り起きあがった時には、既に自分達の足跡は消え、行く手では今の嵐で新たに積み上げられた砂が道を消していた。それでも前に進まなければならない。太陽の位置を確認しながら、もしかしたらもう役に立たなくなったかも知れない地図を広げ、とにかく歩き続けた。が・・・やがて陽は西の空に沈み始め、それと同時に夜の冷気が降りてきた。砂漠は昼と夜の寒暖の差が激しい。夜は星を目印に歩くことも可能ではあったが、闇の中から獲物を狙うモンスターもいると聞いていたので、とりあえず私達はキャンプをはることにした。
 
「参ったな・・・。砂嵐のおかげで予定が狂っちまった。」
 
「仕方ないよ・・・。こういう予定外のことも起こりうるっては言われてたし。」
 
「今日の不寝番は気が抜けないな。」
 
「そうだね。」
 
 オアシスで眠る時、私はあの不気味な夢を見ないで眠ることが出来た。不思議だった。あの夢はやはり単なる夢で、私が今まで見ていたような夢とは別のものなのだろうか・・・。ふとそんなことを思ったこともあったが、そうではないと言うことは何となくわかっていた。それでもゆっくりと眠れるのはありがたかったが、今夜はそうはいかないような気がした。
 いつモンスターに襲われても対応出来るように、食事はすぐに食べられる干し肉とパンで済ませた。まずはカインが不寝番に立ち、私は鎧を着たまま、枕元には剣と弦を張ったままの弓、そして矢筒をいつでも取れるように準備して寝袋に潜り込んだ。
 そして・・・やはりあの夢は訪れた・・・。
 
 闇の中で、誰かが囁いている・・・。
 
 −−殺・・・し・・・・て・・・・
 −−わ・・・た・・し・・・・を・・・・・・・
 −−殺・・・し・・・・て・・・・
 
 私は飛び起きた。冷や汗をびっしょりとかき、手まで震えている。背筋がゾクゾクして、また吐き気が襲ってきていた。少し吐いてしまえば楽になるかも知れない。寝袋から這い出し、吐ける場所を探そうとした私の耳に、剣の音が響いてきた。カインがモンスターと戦っている。私はすぐに矢筒を背負って剣と弓を持つと、吐き気をこらえながら焚き火のそばに走った。
 そのモンスターは砂の中から顔を出している。今までこんなのは見たことがなかった。南大陸に来てすぐの休憩所で、地面の中に巣を作っているモンスターもいるとディレンさんから聞いたことを思い出し、私は月明かりを頼りにモンスターの喉元あたりの砂を舞い上げるべく風水術『飛花落葉』を唱えた。私の気配に気づいたカインはとっさに後ろに下がり、そのおかげでカインを舞い上がる砂に巻き込まずにすんだ。むき出しになったモンスターの急所を狙ってカインが剣技を仕掛ける。さすがに南大陸のモンスターはしぶといが、どうも先ほどの私の呪文で傷ついているらしい。もう一息で追い払えるかも知れない。私は矢を放った。
 奇声を上げながらモンスターは地中に沈んでいく。とりあえず撃退出来たらしいと確認した途端、二人とも座り込んでしまった。そしていつの間にか吐き気が薄らいでいる自分に気づいた。
 
「危なかったな・・・。助かったよ。ありがとう、クロービス。」
 
 カインは息を切らせている。
 
「うん・・・。間に合ってよかった。・・・君が後ろに下がってくれたから砂に巻き込まずにすんだよ。ごめん、声をかけてからにすればよかったんだけど・・・。」
 
「いや・・・。へたに声をかけたら、あいつが防御態勢をとるかも知れなかったからな。しかし・・・本当にこの辺りのモンスターは、いっちょ前に頭いいよな・・・。」
 
「そうだね・・・。」
 
「そういや、お前何で起きたんだ?今の騒ぎでちょうど交替の時間くらいにはなったけど、お前が起きたのもっと早かったよな?」
 
「うん・・・。夢見ちゃって・・・。」
 
「またあの夢か?殺せって言う・・・。」
 
「そう・・・。でも気持ち悪くなって吐こうと思って、外に出たところに君の剣の音が聞こえてきたからね、戦っているうちに吐き気はどっかに行っちゃったよ。」
 
「そうか・・・。それならいいんだけど・・・。なあ、お前確か風水の呪文書持ってたよな?」
 
「持ってるよ。」
 
「その中に結界を張れるような呪文はないのか?」
 
「そうか・・・。そう言えば気づかなかったな。見てみないとわからないけど・・・。」
 
「最も・・・あっても唱えられないんじゃ意味はないけど・・・。でもお前ほどの風水の使い手なら、あのオアシスほどではなくても、ある程度の結界なら張れるんじゃないか?そうすればもう少しお前もゆっくり眠れるかも知れないし。」
 
「そうだね、待ってて。見てみる。」
 
 私は荷物袋から呪文書を取り出した。めくってみると、最後のほうに結界の呪文が載っていた。呪文書というものは、最初のほうに書かれている呪文は初心者でも唱えやすく、あとのページになるほど難しくなる。自分の力量に合った呪文のページまでしか見たことがなかった私は、こんなところに役に立つ呪文が載っているなどとは考えもしなかった。カインに言われなければいつまでも気づかずにいるところだった。
 自分の注意力のたりなさにため息をつきながらページをめくっていくと、結界の呪文は何ページかに渡って書かれていることがわかった。初めのほうのページには初歩的な、後ろのほうには高度な呪文が載っている。最も後ろのほうの呪文は、私には読むことすら出来なかった。初歩の呪文のほうはすらすらと読める。この分なら唱えることも可能だろう。よく見ると、呪文は4種類あり、『モンスターの属性』によって違うと書いてある。属性という言葉は、前に父から聞いたことがある。モンスターの耐性のようなものらしい。火の呪文に耐性のあるモンスターなら水の呪文で、水の呪文に耐性のあるモンスターなら火の呪文でダメージを与えることが出来る。とすると、風の呪文に耐性のあるモンスターなら、地の呪文でダメージを与えられるはずだが、地の呪文など私は聞いたことがない。故郷を出てくる時にも、ブロムおじさんが教えてくれた基本元素の呪文は、『火』『水』『雷』の三つだけだった。呪文書にも載っていない。水の呪文に属する『飛花落葉』は、水の効果に風の効果が加わっている。この呪文が風にも水にも属するのなら、もしかしたら、火の呪文か雷の呪文が地の呪文に属しているのかも知れない。一つの属性の呪文だけが全くないなんてことは考えにくい。父なら当然知っていたのだろうが、父が元気な時私はそこまで教えてもらえるほど、風水術は上達していなかった。ブロムおじさんだって知っているはずだが、ここにはいない。自分で何とかするしか道はない。私は自分の勘を信じることにした。
 
 さっきのモンスターは『飛花落葉』でダメージを与えられた。砂をしめらせてはじき飛ばすだけのつもりだったが、思いがけず呪文自体が効いたらしい。とすれば・・・砂漠に棲むモンスターは地属性のものが多いのか・・・。空から飛来するようなものはおそらくは風属性のものもいるのだろうが、まずは足許からはい上がってくる連中を何とかしなければ・・・。私は思いきって地属性のモンスターに効く呪文で、今いる場所の四方に結界を張った。
 
「これでうまく行けばいいんだけど・・・。結界張ったのなんて初めてだから・・・。効かなかったらごめん。」
 
「いいよ。効かなくて元々だと思っていようぜ。うまく行けば少しは安心して眠れるかもな。」
 
「そうだね。それじゃカインは寝てよ。私が見てるよ。」
 
「ああ。何かあったらすぐに起こせよ。それじゃお休み。」
 
「お休み。大丈夫だよ。」
 
 結界の効果があったのか、それともただの偶然なのか、そのあとはもうモンスターは現れなかった。やがて東の空が明るくなってきた。カインが起き出してくる。
 
「少し早めに発とう。出来れば今日は次のオアシスを見つけたいからな。」
 
「そうだね。」
 
 すぐに移動できるように朝の食事も簡単に済ませ、私達は立ち上がった。太陽が昇ればまた暑くなる。その前に少しでも距離を稼いでおきたい。再び地図を見ながら太陽を見上げ、慎重に進路を決めて歩き始めた。前の日にオアシスにたどり着けなかったことで、水の蓄えが少ない。出来るだけ消耗しないよう、無駄に動かないよう、モンスターとの戦いでも可能な限り相手を引きつけてこちらが動かずにすむようにしながら、私達はひたすらに歩き続けた。
 その日の夕方、何とかオアシスにたどり着くことが出来た。二人ともすっかり疲れ果て、もう一歩も歩きたくなかったが、それでもちゃんとキャンプを張れる場所を探し、テントを張って一息つくまでとにかく動き続けなければならなかった。
 
「はぁ・・・やっと人心地がついたな・・・。」
 
 大きくため息をつきながらカインがつぶやく。
 
「そうだね・・・。水も飲めたし、食事も何とかなったし・・・。ここも結界が張ってあるからモンスターは寄ってこないみたいだし。」
 
「お前も少しはゆっくり眠れるかな。」
 
「だといいけどね。それより、このオアシスは地図の中ではどのあたりなのかな。昨日予定が狂っちゃったから、場所をちゃんと確認しておかないと。」
 
「うーん・・・。昨日のオアシスがここで・・・こっちに向かって出て・・・昨日キャンプを張ったところからこっちの方角に出たから・・・。」
 
 カインは眉間にしわを寄せて考え込んでいる。
 
「・・・迷ったかもな・・・。」
 
「やっぱり・・・?」
 
 予想していたこととは言え、私は大きくため息をついた。
 
「まったくなぁ・・・。砂漠の中では道なんてあってないようなものだからな。とにかくカナは東の方向だ。それを頼りに歩くしかないだろうな。」
 
「そうだね・・・。3年前までは、みんなこうしてカナの村まで行っていたんだね。」
 
「そうだよな・・・。大変だったんだな・・・。でも泣き言は言えないよな。みんなあれだけ心配して、いろいろ教え込んでくれたんだから。」
 
「うん・・・。カナまであとどのくらいかかるのかな。」
 
「スムーズに行けば4日くらいって言われてたけど、もう今日で5日過ぎちまったしな。食い物はどうだ?持ちそうか?」
 
「少し食べる量減らせば何とかなると思う。最も、それはもう昨日迷った時からやってるから。そうだね・・・持ってあと3日くらいかな。あんまり食べる量減らすとこっちがバテちゃうからなぁ。食べ物残して倒れたらバカみたいだし。」
 
「そうだよな・・・。それと、もし食い物に不自由することになっても水だけは確保しないとな。」
 
「うん。この後、確実にオアシスを見つけていけば、何とかなると思う。それに・・・もしも4日でカナにつけるはずだったなら、もしかしたらかなり近づいているのかも知れないよ。とにかく東を目指して歩いてみよう。」
 
「そうだな・・・。さてと、寝るか。俺が先に立つからな。お前は・・・変な夢見ないといいな・・・。」
 
「そう願いたいけどね。」
 
 本当に夢を見ないで眠れるならありがたい。私は寝袋に潜り込んだ。確かに・・・あの夢は見なかったが、代わりにフロリア様の夢を見た。
 
−煌々と照る月・・・
−小さなフロリア様の横顔・・・
−長い階段・・・
−闇を引き裂く悲鳴・・・
 
「クロービス!!」
 
 カインに思いきり揺さぶられ目を覚ました。
 
「・・・ああ・・交替の時間か・・・。」
 
「そうだけど・・・やっぱり見たのか?」
 
「あの夢は見なかったよ。でも・・・フロリア様の夢を見た・・・。」
 
「フロリア様の・・・。そうか・・。そんな夢なら代わってやりたいくらいだが・・・。その夢には・・・一体何の意味があるんだろうな・・・。」
 
 カインは少し寂しそうにそう言うと、
 
「それじゃ俺は寝させてもらうよ。お休み。」
 
するりと寝袋に潜り込んで顔まで隠してしまった。
 
「お休み・・・。」
 
 カインの胸の内の切なさが伝わってきて、やりきれない思いで私は焚き火のそばに行き、腰を下ろした。空には満月がかかっている。以前は月の満ち欠けにはそれほど関係なくあの夢を見ていたが、最近フロリア様の夢を見るのはいつも満月か、それに近い時だった。
 王国に出てきて・・・剣士団に入って、いつの間にかこんなところまで来たというのに、父の遺した楽譜のことも、小さな頃からいつも見ている夢のことも、何一つ解ってはいない。なのに新たな謎ばかりが増えていく。今回のこの仕事を無事に終えることが出来たら・・・何か解決の糸口は見つかるのだろうか・・・。
 そしてカインはどうするのだろう。この仕事を終えて、フロリア様に昔のことでお礼を言うことが出来たら・・・そのあとは?そのあとどうするかなどカインは話したことはない。もしかしたらカイン自身も考えていないのかも知れない。もっとも・・・だからといってこれ以上カインとフロリア様との距離が縮まるとは思えない。フロリア様はこの国の女王であり・・・カインは一介の王国剣士だ・・・。
 ではオシニスさんはどうなのだろう。あの人は、もしもフロリア様の舵取りが王国の滅亡に向かうようなら、王国をとると言った。それがどういうことを意味するのかくらいはわかる。きっとオシニスさんはその結論を出すまでに悩み抜いたに違いない。ではカインは・・・。オシニスさんが心配していたように迷わずフロリア様についていってしまうのだろうか・・・。
 
 オシニスさんの言っていた『カインの純粋さが怖い』という言葉の意味が何となくわかったような気がした。オシニスさんは現実を常に見つめている。手に入れたくても入らない、決して届かないものよりも、この王国に暮らす人々を守るという、実際に手の届くことを選んだ。でもカインは違う。届かなくても、手になど入らなくても、ひたすらにフロリア様だけを想い続けて、見つめ続けて・・・。そして一生を捧げ尽くす覚悟でいる・・・。
 
 たとえばフロリア様が結婚されたら?可能性がないわけではない。独身の女王陛下の跡を継ぐ『お世継ぎ』がいずれは必要になるはずだ。そのために然るべき家柄の男性との縁組みだってあるかも知れない。そうなったら・・・カインは・・・一体どうするのだろう・・・。
 
 次の日の朝、私達は東に向かって歩きはじめた。今いるオアシスの位置が、地図上のどこに当たるのかよくわからない。とにかく東を目指して歩いていくしかなかった。この日も何とかオアシスにはたどり着けたものの、カナの村を捜し出すことはできなかった。私達は地図を広げて、今までいくつのオアシスにたどり着いたかを数え始めた。いくら一日でたどり着ける場所にあると言っても、それほど大量にオアシスがあるとも思えない。数を把握することで、ある程度自分達のいる場所がつかめるかも知れない。南大陸について、最初の一晩を休憩所で過ごしているから、もう既に6日間費やしていることになる。時間がかかりすぎているような気がした。カインも少し焦り始めている。
 
「・・・数だけなら・・・この場所がカナの村の前にある最後の休憩所か・・・。砂嵐の時にルートをはずれたからな。本来なら寄らなくてすむはずの場所にまで、寄っちまったというわけか。」
 
「でもそれなら、明日こそはカナに辿り着けるはずだね。」
 
「そうだな・・・。」
 
 この日も私はフロリア様の夢を見て、カインに起こされることになった。カインの中で、私を心配してくれる気持ちと、私の見ている夢を気にしている複雑な気持ちが入り交じって、私の心に流れ込んでくる。そして一人不寝番に立てば、昨日と同じ様々な想いが頭の中を駆けめぐる。どうしてこれほど心がざわつくのか、自分でもよくわからない・・・。
 
 そして次の日・・・朝早くから歩き始めてやがて陽が西の空にかかろうかという頃、前方にひときわ大きなオアシスのようなものが見えた。蜃気楼ではなさそうだ。
 
「あれが・・・カナの村かな。」
 
「ただのオアシスではなさそうだから・・・多分そうだな。」
 
「行こう。本物のカナの村だったらガウディさんにも会えるかも知れない。」
 
「よし、もう一息だ。」
 
 やがて村の入口についた。

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