←前ページへ



 
 ・・・誰かが見ている・・・。誰だ・・・。
 ・・・空から・・・この町を・・・窺っている・・・。
 ・・・誰かが語りかけてくる・・・。でも聞こえない・・・。
 ・・・思念は感じ取れるのに・・・言葉になって聞こえて・・・こない・・・。
 
「クロービス!!」
 
 カインの叫び声で目を覚ました。飛び起きるとカインはもう起きて身支度を整えている。
 
「どうしたの?」
 
「早く起きろ!この街の上空に、何かが旋回しているんだ!生き物だと思うが、とにかくものすごくでかいんだよ・・!!」
 
 私は急いで服を着て鎧をつけると、剣を掴んでカインと共に外へ飛び出した。外は嵐のような風が吹いている。昼間はあんなにいい天気だったのに。空を見上げると、まだ見えるはずの星空が見えない。空を覆うほどの巨大な生き物が舞っている・・・。
 
「と、とにかく・・・万一のことがあったら、俺達が街の人をま、守らないと!!」
 
 普段滅多に動揺したりしないカインだが、今回ばかりは青くなって声も震えている。
 
「な、な、何だ・・あ、あれは・・・!?で、でかい・・!い、生きもの・・なのか!?」
 
 宿屋の主人も出てきて青ざめている。
 
「な、な・・ま、まさか・・!!あ、あの姿は・・あの姿は・・!!」
 
 昼間の吟遊詩人シャーリーが、宿屋の主人の後ろで震えながら空を見て叫んでいた。
 
「こっちに来る!!バ、バカな!!ここを狙っているのか!?クロービス、行くぞ!!」
 
 カインが叫び、私達は剣を抜いた。
 
「だ、だめです!剣士様!早く逃げてください!あれは・・・あれは・・・!!」
 
 シャーリーの声は恐怖に満ちている。暗くて顔色まではわからないが、きっと真っ青になっているに違いない。
 
「おい!シャーリー!あんたはこっちに来てろ!王国剣士に任せるんだ!!」
 
 宿屋の主人はシャーリーの腕を引っ張りながら、町の奥へと行きかけた。
 
「シャーリー、親父さんの言うとおりだ!君は早く安全な場所に逃げろ!!俺達が何とかするから!!」
 
「で、でも・・・!」
 
 シャーリーはなおも空に向かって怯えた視線を送る。あの生き物がなんなのか、知っているのだろうか。宿屋の主人はシャーリーの言葉に構わず、彼女の腕を引っ張りながら、走っていく。
 
「剣士様!!あの生き物は・・・聖戦竜です!!」
 
 宿屋の主人の腕を振り払い、シャーリーが立ち止まって叫んだ。
 
「な、何だと!?」
 
 カインも私もぎょっとして、思わず自分の耳を疑った。
 
「・・サクリフィア聖戦の・・大地の竜・・!!セントハースです!!」
 
 シャーリーの叫びに呼応するかのように、セントハースと呼ばれた巨大なドラゴンは町の広場に降り立った。広場には幸い人はいなかったが、町の人々が何事かと家を出てきている。
 
「親父さん、みんなをここと反対側に避難させてくれ!」
 
 カインが宿屋の主人に向かって叫んだ。
 
「おう!任せろ!!おーい、みんなここから逃げるぞ。俺について来い!!」
 
 宿屋の主人は再びシャーリーの腕を引っ張りながら、広場のまわりに出てきた人達に向かって声をかけた。その時、ドラゴンのひときわ高い咆哮が辺りに響き渡った。その途端、逃げようとしていた人々はてんでバラバラになり、悲鳴を上げたり震えながら広場のあたりを右往左往し始めた。これが『ドラゴンフィア』なのか・・・。城下町の語り部が話してくれた・・・。幸いにも宿屋の主人には効かなかったらしい。同じように効かなかった人達が、うろつきまわる人々を何とかなだめて、町の奥へと逃げていく。ここでくい止めなければ、住民ごとこの街を壊滅されかねない。
 
「クロービス、行くぞ!!」
 
 カインはまっすぐにセントハースに突っ込んでいく。敵の急所を鋭く突き上げる剣技『一念突』。セントハースは苦しそうに悲鳴を上げている。だが、まだそれほどこたえてはいないらしい。私は地上に降ろされた翼めがけて思いきり斬りつけた。風水ならもう少しダメージを与えられるかも知れないが、今はまだ暗く、狙いをつけにくい。へたに外して辺りの家を燃やしたりしたら大変なことになる。不思議なことに、私の剣のダメージはかなり効いているらしい。それでもこの巨体だ。そう簡単に倒せるはずがない。その時、セントハースが私達のほうを向いた。そしてかっと口を開くと、いきなりものすごい炎を吐いた。カインはあやうく後ろに飛んで難を逃れたが、私はその時カインよりもセントハースの近くにいた。慌てて飛んだが間に合わない。炎が足許を焼き尽くす。
 
「うわぁぁぁ!!」
 
 あまりの熱さに私は叫び声を上げた。が・・・よく見るとなぜか足は焦げていない。ブーツもそれほど熱くなっていない。
 
「あ、あれ?」
 
 もしや、炎を見て熱くなったような気がしただけなのかと思ったが、私が立っていた場所は地面が黒く焦げて、ぶすぶすと音をたてている。やはり本物の炎だ。あんなものをまともにくらったら命はない。
 
「ちっくしょう・・・!もう少し大きなダメージを与えられるといいんだが・・・。クロービス、風水は駄目か!?」
 
「もう少し明るくならないと狙いが定まらないよ!半端に当ててかえって怒らせたりすると厄介だし!!」
 
「そうか・・・。くそっ!!どうすりゃいいんだ!!」
 
 カインはセントハースの巨体を見上げながら忌々しそうに舌打ちをすると、また前に出て何度か一念突や、剣技『奔馬』を仕掛けるが、効いてはいるもののやはり大きなダメージは与えられない。
 ドラゴンの弱点・・・。体のほうは鱗が硬い。こんなところにいくら斬りつけても、向こうよりこっちがへばるのが先だ。とすれば、あとは・・・。
 
 私はドラゴンの顔を見上げた。金色に輝く瞳。ドラゴンだって生き物だ。瞳なら・・・きっと体よりは柔らかい。だがここからでは届かない。慌てて出てきた私は剣しか装備してこなかった。弓があれば、高いところでもある程度の狙いはつけられるのに・・・。そう思った瞬間、ある考えがひらめいた。チャンスは一度。失敗すれば、いや、たとえ成功しても私の命はないかも知れない。だがここでこのままセントハースと向かい合っていても、結果は同じだ。しかも町の人々を巻き込むという最悪の事態に陥りかねない。
 胸の鼓動が少しずつ早くなっていく。歓迎会の日、自分が跳ね上げた剣が頭上に落ちてきた時に感じたよりも、もっと確実な死への恐怖・・・。でもこれしかない!足が震える。これでは走れない。何とか震えを止めようとしたが、自分の意志とは関係なくがたがたと震えている。私は自分の剣を左腕に押しつけた。服が切れてその下の皮膚から血が滲む。その痛みに意識を集中することで無理やり足の震えを止めた。そして深呼吸すると、私は前方にいるカインの背中に照準を合わせた。
 
「カイン!!」
 
「何だ!?」
 
「そこから動かないで!!」
 
「な、何!?」
 
 カインが振り向きかける。
 
「いいから!そのまま立っていて!!」
 
 セントハースの頭がゆっくりとこちらに向いてくる。もう少し・・・もう少しだけ頭が下がったら・・・。私はカインの背中めがけて助走をつけた。そして思いきり地面を蹴って、さらにカインの肩を足場にして空高く飛び上がった。
 
(届いた!!)
 
 眼前には、金色に燃え立つセントハースの瞳があった。
 
「クロービス!!」
 
 カインの絶叫を聞きながら、私は剣を両手に持ち、剣先をまっすぐ前に向けると、セントハースの瞳めがけて落ちていった。
 
 ドスッ!!
 
 鈍い音と共に突然私の体が止まった。私の剣は根元までセントハースの瞳に深々と突き刺さっている。セントハースは苦しみもがき、あたりに雄叫びが響き渡る。だがその声にはもう『ドラゴンフィア』の効果はない。首を必死に振り回して私を落とそうとしている。だがここで武器を離すわけにはいかない。うまくここから降りることが出来ても、丸腰では殺されるのを待つだけだ。地上では、カインがセントハースの翼や体に狂ったように斬りつけている。
 
「この野郎!!クロービスを離しやがれ!!こんちくしょう!!」
 
 カインの剣技が炸裂するたび、セントハースは体をよじる。そしてそのたびに瞳に突き刺さった剣が動く。セントハースはかなり苦しそうだ。
 その時、いつの間にか白み始めていた東の空から朝日が昇り始めた。その光を浴びてか、セントハースの瞳がひときわ大きく輝き、あまりの眩しさに思わず私は目をつぶった。
 その瞬間、私の剣はセントハースの瞳からするりと抜けた。そのまま私は空中に放り出され、風にもてあそばれる木の葉のように地上に向かって落ちていった。
 
 落ちる瞬間首を上げたことで、後頭部を打ちつけることは免れたが、背中と腰を思いきり地面に叩きつけられ、私はそのまま動くことが出来なかった。痛みのあまり霞む視界の端に、ゆっくりと翼を広げて舞い上がるセントハースの姿が映った。
 
(逃げていく・・・。勝ったのか・・・。)
 
 その時、また夢と同じ思念が流れ込んできた。でもやはり声は聞こえない。何かを言いたいように思えるのに、何も伝わらない。ただ、強い思念がまるで激流のように私の心の中に流れ込んでくる。
 
「モンスターが逃げていくわ!!」
 
「や、やった・・・、追い払ったぞ・・!!」
 
「でも・・・信じられない・・!いったいなぜあのようなモンスターが・・!?」
 
 いつの間にか町の人達が戻ってきて、口々に叫んでいる。
 
「クロービス!!大丈夫か!?このバカ野郎!!無茶しやがって!!」
 
 カインが駆け寄ってきた。泣いている。カインの気功でとりあえず息をするのは楽になったが、まだ動くことも話すことも出来なかった。その時、
 
「カイン、クロービス、大丈夫か!?」
 
そう叫びながら町に飛び込んできたのは、オシニスさんとライザーさんだった。二人とも立ち止まった途端肩で息をして、しばらくは喋れないほどだった。それほど急いでここまで走ってきたのだろう。
 
「俺達がキャンプしていたところまで、ものすごい声が聞こえたんだ。こっちのほうからだと思って急いで戻ってきたんだが・・・あのバカでかいのは・・・ドラゴンなのか・・・!?」
 
 やっと一息ついてオシニスさんが尋ねる。
 
「あれは聖戦竜の一匹『地竜セントハース』ですわ。」
 
 シャーリーの声にオシニスさん達はぎょっとして振り向いた。
 
「せ・・・聖戦竜!?」
 
「ま、まさか・・・そんな・・・!!本当にあれは聖戦竜なのか・・・・!?」
 
 二人ともかなり動揺している。彼らが取り乱したところなどは今まで見たことがないが、『聖戦竜』と聞いてさすがに青ざめている。
 
「そうです。間違いありませんわ。」
 
 言葉はしっかりとしているものの、シャーリーの顔は蒼白で、両腕で自分の体を抱きしめるようにして身を震わせていた。
 
「それを・・・お前ら二人で追い払ったのか!?」
 
「クロービスが・・・俺の肩を足場にして飛び上がって・・・セントハースの顔に突っ込んでいったんです!俺は・・・こいつが死んだりしたらどうしようってそればっかりで・・・なにも出来なかった・・・。ライザーさん、こいつ背中と腰を打ったみたいで動けないし喋れないんです。早く回復してやってください。俺の気功じゃ限界がある・・・!!」
 
 カインは涙声で叫んでいる。ライザーさんの治療術のおかげで、私はとりあえず動くことと話すことが出来るようになった。慌てて起きあがって礼を言おうとしたが、その途端ぐらりと視界が揺れて、ものすごい吐き気が襲ってきた。こんなところで吐くわけにいかない。私は必死でこらえていたが、
 
「クロービス、吐きたいならここで吐いたほうがいい。」
 
ライザーさんが背中をさすってくれた。
 
「い、いえ・・・でも・・・。」
 
 口を開いた瞬間、私の胃袋の中身は猛烈に自己主張を始め、我先にと口から出てきてしまった。そしてそのまま気が遠くなり、気がついたのは宿屋のベッドの上だった。
 
「気がついたみたいだな。」
 
 私の顔を覗き込んだオシニスさんがほっとしたようにつぶやいた。
 
「まだ少しつらそうだね。」
 
 ライザーさんが私の額に手を当て、回復の呪文を唱えてくれた。その手の温かさを感じた途端、涙が流れた。あの時、本当に死ぬかと思った。たとえ死んでもこの町を守らなければならないと思った。でも今こうして生きている。人の手の温かさを感じることが出来る。それが何よりも嬉しくて、涙が止まらなかった。ライザーさんは私の枕元にあったタオルを絞りなおして、ちょうど目まで隠れるように額にあててくれた。
 
「ライザーさん、制服乾きましたよ。」
 
 そこへ歌うように言いながらエリーゼが入ってきた。
 
「制服?」
 
 思わず私は聞き返した。
 
「そうよ。あなたが吐いて汚しちゃったから。だからあなたの分も洗ってきたわよ。きれいになったわ。それとクロービス、あなたの制服の袖が切れていたから、そこも繕っておいたわよ。二人とも本当にありがとう。ドラゴンがこちらに急降下してきた時は、もう駄目かと思ったもの。あなた達のおかげで、この町は救われたわ。」
 
 着ているものを触ってみると、私は制服を着ていなかった。荷物の中に入っていた予備のズボンとシャツを着ているらしい。そう言えばさっき、私はライザーさんのズボンの上に吐いてしまったことを思い出した。あの時襲ってきた猛烈な吐き気。私の心の中に流れ込んできたあの思念のせいなのだろうか。何かを訴えているような気がするのに、言葉にならない。理解出来ない。でも・・・まるで心臓を鷲掴みにされたような強い思念・・・。
 
 私はタオルを目にあてたまま、
 
「すみませんでした。また助けていただいたんですね・・・。」
 
ちいさな声で礼を言った。
 
「僕達は何もしてないよ。ここに着いた時にはセントハースは逃げていくところだった。君達が二人で追い払ったんだよ。」
 
「クロービスがセントハースの瞳に剣を刺して、それで追い払えたんです。俺は・・・何にも出来なくて・・・。」
 
 カインは悔しそうに唇を噛んで、まだ泣いている。人前でなんて滅多に涙を見せないのに。私のために人目もはばからず泣いてくれている。
 
「私がセントハースに振り回されている間、ずっと攻撃してたじゃないか。聞こえてたよ。君の攻撃はかなり効いていたはずだよ。セントハースはすごく苦しそうだったもの。・・・あの時は何も考えていなかったんだ。ただ、同じ死ぬんだったら差し違えて死んだ方が、この町だけは何とか守れるかも知れないって思って・・・。この間訓練場で思いがけず高く飛びすぎたこと思い出して、もっと思いっきり高く飛べば、セントハースの顔に届く。眼になら手痛い一撃を与えられるかも知れないと思ってさ・・・。」
 
 話しながらまた涙が滲む。私は額のタオルをとって顔を擦った。
 
「そうか・・・。お前俺の後ろでそんなこと考えてたのか・・・。でも・・・お前何で腕なんて切ったんだ?」
 
「震えが・・・止まらなかったんだ・・・。君の肩を借りてセントハースに突っ込もうと思ったのはいいけど・・・死ぬかも知れないって思ったら怖くて足が震えて・・・だから震えを止めようと思って・・・。」
 
 私はタオルを目に当てたままだったが、みんなの息を呑む音が聞こえ、部屋の中が静まりかえった。
 
「君達は・・・もう立派な王国剣士なんだね・・・。」
 
 ライザーさんがぽつりとつぶやいた。
 
「そうだな・・・。もうお前らは新米剣士なんかじゃない。一人前の王国剣士だ。」
 
 オシニスさんも小さな声でつぶやきながら微笑んでいる。
 
「うわあ、きれいな金色。」
 
 大きな声を上げたエリーゼのほうを向くと、私の剣がむき出しのまま置かれていた。
 
「あ、エリーゼ、危ないから触るなよ。クロービス、お前の剣を少し見せてもらってたんだ。あんまりすごい色になってたからな。」
 
 オシニスさんが立ち上がり、私の剣を高くかざして見せた。今までプラチナのような色合いだった刀身は、今は金色に光り輝いている。あの光のせいなのだろうか。
 
「・・・朝日が昇った時に、セントーハースの瞳が急に輝きだして・・・その瞬間剣が抜けてそのまま落ちたんですけど・・・でもなんで急に抜けたのかな・・・。」
 
「お前が抜いたんじゃなかったのか?」
 
 カインが意外そうに尋ねる。
 
「ちがうよ。もう剣の根元まで突き刺さっていたから、どう頑張っても抜けなかったんだ。」
 
「あれ?何か刀身に書いてある・・・。こんなの前からあったのか?」
 
 オシニスさんは、刀身に顔を近づけ、しげしげと見つめた。
 
「いえ・・・。何も書いてなかったはずだけど・・・。」
 
 私はゆっくりと起きあがってみた。もうめまいはしない。吐き気もおさまっている。
 
「無理するなよ。ほら、見てみろよ。ここに何か書いてあるぞ。」
 
 私は自分の剣を手に取って見た。確かに何か書いてある。読めないがどこかで見た文字だ。ふと、私は自分の指にあれからずっとはまっている、モルダナさんから預かった指輪を思い出した。指輪を外し、剣の刀身の文字と見比べる。使われている文字は違うようだが、やはり同じ系統の『ルーン文字』らしい。
 
「あれ?その指輪、今はお前が持っているのか・・・。」
 
 オシニスさんが私の手許に目をとめた。
 
「はい。必要にならなくなるまで預かっていてくれと言われたんですけど、さっきセントハースのブレスを避けられたのは、もしかしたらこれのおかげかも知れないです・・・。」
 
「ブレスって・・・あのドラゴンの息がそのまま炎になるってやつか・・・。」
 
「はい。」
 
「そうか・・・。おいライザー、俺達は認識を改めなくちゃならないようだな。」
 
「そうだね。僕もドラゴンのブレスなんておとぎ話の世界だと思っていたよ・・・。でももうそんなことは言っていられないね・・・。」
 
「まったくだ・・・。そんなものがほんとにあるんだな・・・。なあクロービス、そのブレスを避けられたのは、確かにその指輪のおかげかも知れないぞ。その指輪には不思議な力があるんだ。おいライザー、お前がこの指輪モルダナさんに返したのいつだっけ?」
 
「もう一年くらい前だよ。」
 
「え?この指輪、ライザーさんが・・・?」
 
「そうだ。俺とライザーの研修は『モルダナさんに手紙を届ける』事だったのさ。」
 
 オシニスさんはにやりと笑ってみせた。
 
「へぇ、その時の盗賊役は誰だったんですか?」
 
 カインは何気なく訊いたのだが、その途端二人は顔を見合わせて黙り込んでしまった。
 
「あ、あれ?俺なんか悪いこと聞いちゃったのかな・・・?」
 
 カインは慌てて二人の顔を交互に見ている。
 
「あ、いや、もう剣士団にいない人なんだ。その話はいいよ。とにかくその指輪は、1年前まではライザーが持ってたのさ。その時も結構不思議なことがあったからな。」
 
 何となく不自然な感じがしたが、それよりもこの指輪をライザーさんが持っていたと言うことや、彼らも私達と同じ研修を受けていたことを初めて聞いて、カインと私は驚いていた。
 
「確かこの文字は『ルーン文字』って言ってたっけ。古代サクリフィアから伝わるものらしいけど・・・。でも何でそれと同じ文字が私の剣に刻まれているんだろう。しかも今までなかったのに・・・。」
 
「今回刻まれたのじゃなくて、元々書いてあったものが姿を表した、と言うことも考えられるんじゃないかな。」
 
 首を傾げながらつぶやいた私に、ずっと黙って考え込んでいたライザーさんが口を開いた。
 
「元々あった?」
 
「そう。君の剣は素晴らしい逸品だとタルシスさんが言っていたよ。セントハースと戦ってその瞳を差し貫いたことで、何かの封印が解けたのかも知れない。君はセントハースの瞳が輝いたと言ったけど、もしかしたら輝いたのは剣のほうかも知れないよ。・・・最も全部、僕の推測だけどね。」
 
 封印・・・。本当のところは判らないが、私の剣は確かに何か不思議な力を発しているように見える。私は剣を鞘に収めた。
 
「さてと、俺達はこれから予定を変更して王宮に戻る。今日のことを報告しないとな。お前達はもう少し休んでから戻れ。今無理すると戻り足でへばるぞ。」
 
「はい。お世話になりました。」
 
「エリーゼ、僕の制服をもらえる?」
 
 エリーゼは私の剣の輝きに見とれて、ずっとライザーさんと私の制服を抱えたままだった。
 
「あ、あら、ごめんなさい。私ったら持ってきたのに渡しもしないで・・・。」
 
 エリーゼは赤くなりながら二組の制服を見比べている。
 
「あら・・・?どっちがどっちかしら・・・。」
 
「ズボンは股下が長い方、上着は丈の長い方がライザーのさ。」
 
 オシニスさんはくすくすと笑いながら、あたふたと制服を広げたり畳んだりしているエリーゼを見ている。
 
「足の長さは絶対にライザーさんのほうが長いよな。」
 
 カインがにやにやしながら私を突っつく。
 
「そ、そりゃ、身長からして違うんだから・・・仕方ないよ。いいじゃないか、そんな事わざわざ言わなくても。」
 
 別にライザーさんと足の長さなど競う気はなかったが、それでもそうはっきり言われるとなんだか情けない。
 
「君達だってあっという間に追いつくよ。」
 
 ライザーさんも私達を見ながらくすくすと笑っている。
 
「あれ?でもライザーさん制服着てますよね?」
 
 カインが今初めて気づいたようにライザーさんを見た。
 
「そりゃ遠出する時には予備の制服くらい持ってくるよ。・・・カイン、君、制服は一着しか持ってきてないのか?」
 
「あ、はい、着てるのだけで・・・。」
 
 頭をかいてみせるカインの言葉でみんな笑い出した。その時、開いたままだった部屋の入口に吟遊詩人シャーリーが来ていた。
 
「失礼してよろしいでしょうか・・・。」
 
「ああ、お前か。・・・確かシャーリーだったな。さっきのドラゴンは本当にセントハースだったんだな?間違いないのか?」
 
 オシニスさんが念を押す。ドラゴンが北大陸に現れたと言うだけでとんでもないことだが、それが『聖戦竜』と言うことになれば、また話は変わってくる。本当に聖戦が起きるかも知れない。そうなれば剣士団も、ただ聖戦がくるのを手をこまねいて見ているわけにはいかない。
 
「間違いありませんわ。あの姿はサクリフィア聖戦の言い伝えにある、セントハースの姿と同じでしたもの・・・。」
 
「そうか・・・。聖戦の噂も単なる噂だけでは済みそうにないって事なのか・・・。」
 
「でもおかしいですわね。」
 
「おかしい?何がだ?」
 
 オシニスさんが怪訝そうにシャーリーを見つめる。
 
「セントハースが本気を出していたとは思えなかったからです。一体、この町まで何をしに来たというのか・・・。」
 
「本気ではなかったと?どういう事だ?」
 
「直接対峙したお二人はおわかりでしょうけど、ドラゴンの武器の一つにブレスがあります。吐いた息がそのまま炎となり、すべてを焼き尽くす・・・。古代サクリフィアを焼き尽くしたと言い伝えられるのは、まさにその『ブレス』なのです。さっきセントハースは、そのブレスをたった一度しか使いませんでした。しかもごく弱いものです。その気になれば、上空からブレスを連発することで、この街を瞬く間に住民ごと灰にすることも可能だったはずなのです。」
 
「そうか・・・。確かにそれほどの破壊力があるのなら、わざわざ降りてきて地上で戦う必要などなかったわけか・・・。しかも狙ったように広場に降り立って。」
 
「そうです。それに破壊を目的として地上に降りるなら、家々の屋根にでも突っ込んだ方がはるかに効果はありますものね・・・。ですから、何となく妙な感じがして・・・。これだけで済めばいいのですけれど・・・。」
 
 不安そうに眉根を寄せるシャーリーを見て、エリーゼが青ざめて震えだした。
 
「シャーリーさん、そんな怖いこと言わないで。また・・・またあんな恐ろしいドラゴンが襲ってくるの?」
 
「エリーゼ、ごめんなさい。あなたを怖がらせるつもりはないのだけれど・・・。でも不安なの。何かが起こりそうで・・・。」
 
「そんな・・・そんなのいやよ!!」
 
 涙をぽろぽろとこぼしながら、エリーゼは突然隣にいたカインに抱きついた。
 
「うわ!!エ、エリーゼ・・・!!おい・・・!」
 
 カインは赤くなって慌てていたが、心細そうに涙を流しながら震えているエリーゼを見て、無下に引き離せないと思ったのか、なだめるようにエリーゼの肩を叩きながら小さい声で言い聞かせている。
 
「大丈夫だよ。きっと・・・大丈夫だ・・・。」
 
 こんな時、きっとオシニスさんは真っ先にからかうのだろうが、今はそれどころではなかった。本当に聖戦が起こるかも知れないのだ。シャーリーの不安が杞憂に終わればいいのだが・・・。
 
「おい、シャーリー、お前はなぜそんなに聖戦竜に詳しいんだ?」
 
 オシニスさんは疑わしそうにシャーリーを睨んでいる。シャーリーはその視線に怯えたように後ずさった。
 
「わ、わたくしは・・・聖戦についていろいろと調べたことがありますので・・・。」
 
「調べた?何で?」
 
「あ・・・あの・・・わたくしは吟遊詩人です。聖戦の歌を詠うことがよくあります。でもご存じのように、吟遊詩人なんていくらでもいますもの・・・。少しでも迫力のある歌や真実味のある歌を歌っていかないと、人気などすぐになくなってしまいますわ。ですから、その・・・聖戦のことをいろいろと調べて、詳しく知ることで、歌に生かせたらと・・・。」
 
 話しながらシャーリーはオシニスさんを見ようとしない。視線を落ち着かなげに泳がせながら、怯えたように震えている。オシニスさんはそんなシャーリーからずっと目を離さずにいたが、小さくため息をつくと、頷いた。
 
「なるほどな。わかった。よし、ライザー、そろそろ戻ろう。これから急げば明日の夕方には王宮に着ける。もう陽が高い。ぐずぐずしていられないぞ。」
 
 オシニスさんがシャーリーの言葉に本当に納得したわけでないらしいことはわかった。だが、ここでシャーリーを尋問してみたところで、聖戦竜のことについてこれ以上詳しい情報が得られるとは思えない。それよりもまずは王宮に報告するのが先だ。オシニスさんが追求を諦めたのを見て、シャーリーがほっとしたようにため息をついている。この吟遊詩人はいったい何者なのだろう。整った顔立ちには、芸人らしからぬ気品がある。多くの吟遊詩人と同じように着飾っているが、たとえ普通の服を着ていても、この美貌なら人目をひくに違いない。先ほどのシャーリーの話は一応筋が通っているが、でも人気を保ち続けるためというなら、むしろ歌や踊りに力を注いだほうがはるかに効果があるようにも思える。そもそもシャーリーは、聖戦のことをどうやって調べたのだろう。誰かに聞いたのだろうか。だとしたら誰に・・・。何か知られたくないことでもあるのだろうか。
 
「ちょっと待ってくれ。」
 
 ライザーさんは私のほうに歩み寄ると、私の額に手を当てた。
 
「気分はどう?さっきよりも楽にはなったかな・・・?」
 
「はい。大丈夫です。」
 
 大きな声を出したつもりだったのに、実際に口から出た声は自分で聞いても弱々しいものだった。
 
「あまり大丈夫でもないみたいだね。君達はもう一日休んで、明日の朝早くここを発つほうがいいよ。実際に戦った君達の証言も必要だけど、クロービスがこの状態では無理出来ないよ。」
 
「わかりました。俺がこいつをちゃんと休ませますから。」
 
 カインがライザーさんに向かって頷いた。
 
「そうだね。カイン、頼んだよ。ではオシニス、行こう。一刻も早くこのことを剣士団長に知らせないとね。」
 
「そうだな。よし、行くぞ。」
 
 そしてオシニスさん達は王宮へ戻っていった。私達はその日の午前中を宿屋で過ごし、午後から少し体力回復にと町の中を歩くことにした。部屋を出ると、宿屋の親父さんが私達に気づき、声をかけてきた。
 
「剣士さん、あんたらには本当に感謝しているよ。」
 
「いや、親父さんが冷静に街の人を避難させてくれたからだよ。あのおかげで俺達は安心して戦えたんだ。」
 
「そう言ってくれると嬉しいね。あんた達はいつでも大歓迎だ。これからちょくちょく寄ってくれよ。」
 
「ありがとう。とりあえず明日の朝早く発つ予定だから、町の中に被害がなかったかどうか見てきます。」
 
 私達は宿屋の外に出てみた。思ったほど混乱はしておらず、宿屋の親父さんがうまくみんなをまとめてくれていたらしいことが判った。だが、一人だけ、道の真ん中で青ざめている青年がいる。
 
「あ、あわわわ・・・あ、あんな巨大なモンスターが襲ってくるなんて・・・。いったいなぜなんだ!?あ、あなた達が追い払ってくれなかったら・・・この町は・・この町は今頃消えてなくなっていたかも知れない・・・。あ、ありがとう、ありがとうございます。」
 
 そう言うと青年は泣き出した。まだパニック状態らしい。無理もない。私達だって今まであんな大きな生物自体見たことがない。訓練を積んだわけでもない一般の人達が見れば、どれほど恐ろしいことか・・・。青年をなだめて、また私達は通りを歩き出した。
 
「け、剣士さん、本当にありがとう。セントハースを、聖戦竜を追い払うなんてすごいじゃないか。さすが王国剣士だな。だが・・・もしかしたら・・・セントハースの襲来は、聖戦の前触れなのかもしれない・・。だとすれば、エルバールは古代サクリフィアと同様に滅ぼされてしまう。ああ、フロリア様は一体どうなさるおつもりなんだろう・・・?」
 
「さっき王宮へ報告しに行きましたから、これからフロリア様が決定を下されると思います。安心してください。聖戦が来ようと、町のみなさんは剣士団が守りますから。」
 
 店屋の軒先で青い顔で話しかけてきた男性にそう言っては見たものの、果たしてこれからどうなるのか、私達にもまったく予測はつかない。
 カインと私は、翌日の朝早くクロンファンラを出た。ここに来る前に迷い込んだ泉の水の力を借りながら、夜を徹して歩き続け、そして次の日の昼を過ぎた頃、王宮にたどり着いた。

第18章へ続く

小説TOPへ 第11章〜第20章のページへ