←前ページへ



 
「カイン、悪いけど、ちょっとだけここで水遣りしてから行くよ。」
 
「ああ、俺も手伝うよ。バケツがもう一つあるじゃないか。」
 
「ありがとう。」
 
 二人で花に水をかけながら、カインが尋ねた。
 
「ユノ殿は最近ここには来ないのか?」
 
「どうなのかな・・・。少なくとも、あの騒ぎのあと何度かここには来たけど、私は会っていないよ。」
 
「ふぅん・・・。お前の話じゃ、あの人はここでよく水撒きしたりしていたんだろ?」
 
「そうだよ。」
 
「この間ロゼが言ってたじゃないか。フロリア様が元気ないって。ユノ殿がここに来ないことと、何か関係があるのかな。」
 
「どうかな・・・。でもフロリア様の元気がなくても、護衛剣士の仕事なんて変わりはないと思うけどな。」
 
「まあ、それはそうなんだけどな・・・。」
 
 カインの心配は、ユノよりもフロリア様にある。護衛剣士が休憩時間も取れなくなるほど忙しいというのは、確かにあまり歓迎したくない状況だ。だが、フロリア様に万一のことでもあれば、その話が剣士団に伝わらないはずはない。
 
「フロリア様が自室にこもりがちだから、ユノも出て来れないんだよ、きっと。」
 
 ほんの少し感じた不安な気持ちを押し殺すように、私は意識して明るい声で言った。そんな話をしているうちに水をかけ終わり、私達はバケツを元の場所に戻すと、旅支度のために部屋へと戻った。
 
 クロンファンラまではかなりある。向こうに向かう剣士達は、クロンファンラを拠点にして一ヶ月近く歩き回ることがほとんどだった。だがその分食料などの備えは、それほどたくさん持たなくて済む。私達は、いつもより少し少なめの荷物を背負って、南へと出掛けていった。南地方の境界を越え、東へと続く道に踏み出す。
 
「ここから先は、俺達にとっては未知の領域だ・・・。気を引き締めていこうぜ。」
 
「うん、どんなのが出てきても慌てないようにしないとね。」
 
「そうだな。」
 
 さすがに西部のモンスター達よりは手強いのが次々出てきた。手強いと言っても、ものすごく大きいとか、力が強いと言うより、明らかに知能が高い。ほとんどが何匹かの群で現れ、しかも一度に押し寄せてくるのではなく、半分くらいの数で相手に襲いかかり、それが倒されるとまた出てくると言った具合で、慣れた西部への道中よりも、かなりの緊張を強いられた。3日目の昼頃、食事をとって休んでいた時、視界の端に何かがこちらに向かって飛んでくるのを感じて思わず剣を振り抜いた。
 
「キーッ!!」
 
 耳障りな叫び声を上げてどさりと落ちたその物体は、モンスターだった。よろよろと逃げていく。初めて見るモンスターだ。姿形はサソリに似ている。故郷の島を出る時、あの海底洞窟で見かけたモンスター「スコピオロード」というやつにそっくりだ。だが色が違う。てらてらと光る飴色の胴体は、スコピオロードよりもはるかに大きい。しっぽの先にはひと目でそれとわかる毒針がついている。あんなもので刺されたらひとたまりもない。カインは既に立ち上がって剣を抜いていた。私に斬られたモンスターが逃げた方向には、何匹も同じモンスター達がいた。
 
「サソリみたいだな・・・。見るからにやばそうな連中だ・・・。」
 
「風水試してみようか。」
 
 私はサソリの群に向かって風水術『百雷』を唱えた。稲妻が地面に炸裂し、土煙が舞い上がる。サソリたちの半分は稲妻に感電し、後退を始めたが、前のほうにいた何匹かはこちらに一斉に向かってきた。
 
「こんな地べた這ってるような奴らじゃ、地疾り剣も効かないな!」
 
 カインは飛びかかってきた一匹のしっぽを切り落としながら叫んだ。私は矢を放ったが、このモンスターの体は固いらしく、矢ははじき返された。私は前から向かってきた一匹を剣で切り裂きながら、返す刀で右にいたモンスターのしっぽを切り落とした。地べたを這って移動する彼らの攻撃手段は、しっぽしかないらしい。鞭のようにしなるしっぽで相手を叩いたり、その先の毒針で刺す。それを切り落としてしまえば、もう攻撃する気は失せるらしかった。少しずつ数が減っていく。だが安心は出来ない。見えない場所に隠れている可能性も充分にある。そう考えた瞬間、背後の草むらに気配を感じ、私は辺りをつけて風水術『炎樹』を唱えた。炎が上がった場所にはやはり何匹かのモンスターが隠れていた。
 
「いったい何匹いるんだよまったく!」
 
 カインは怒鳴りながら一匹、また一匹とモンスターを蹴散らしていく。その時、
 
「クロービス!足許にいるぞ!飛び上がれ!!」
 
その声で私はとっさに飛び上がった。私のいた場所に、足許に隠れていたサソリモンスターが現れ、私はすんでのところで刺されるのを免れた。
 
「カイン!奔馬で右側から南に追い込め!クロービスは左だ!」
 
 声の主を確かめるより体のほうが早く反応し、カインは剣技『奔馬』で右側から、私はフットワークを駆使し左側から、モンスター達を南に向かって追いつめていった。そして北側に逃げようとするモンスター達の前に立ちはだかったのは、先ほどから私達に指示を出してくれていた、オシニスさんとライザーさんだった。私達は4人で、一箇所に追い込まれたモンスター達のしっぽを次々と切り落とした。あとほんの2、3匹と言うところで、モンスター達は一匹残らず逃げていった。あたりにモンスターの気配がなくなったのを確かめて、みんな剣を鞘に戻した。カインと私はやっとほっとして大きなため息をついた。
 
「お前ら、今日からこっちか?」
 
「はい、ありがとうございました。また助けていただいて・・・すみませんでした・・・。」
 
 カインも私も肩で息をして、声を出すのもやっとだったが、それでもまたこの二人に助けられてしまって、この先の道のりにいささか不安を感じていた。
 
「いや、善戦だったぞ。実を言うと、しばらく見ていたんだ。お前らだけで撃退出来そうかなと思ったんだが、クロービスの足許に忍んできた奴をライザーが見つけてな、それで思わず声をかけてしまったというわけさ。」
 
「足許にいたのに気づかないなんて・・・もっと訓練しなくちゃだめですね。」
 
 後ろに隠れていた群を見つけられたのに、じぶんの足許にいたモンスターに気づかなかったとは・・・。私は悔しかった。
 
「君達はこっち方面は初めてじゃないか。それであれだけ立ち回れれば上出来だよ。」
 
「でもライザーさんが気づいてくれなかったら、今頃私は刺されて死んでいたかも知れません。ありがとうございました。」
 
「まあそれはそうかもな。あいつらは『デスニードル』と呼ばれているモンスターだ。あのしっぽの先にある毒は、この間盗賊の首領が使った即効性の毒の元なのさ。」
 
『デスニードル』・・・『死の針』か・・・。ダガーに塗られた程度の毒だったからあの時私は助かったのだ。もしも直接針で刺されていたら・・・。
 
 私は思わず身震いした。オシニスさんは私の肩をポンと叩くと、
 
「まあそう落ち込むな。結果として無事だったんだからいいじゃないか。それより、今回はどのあたりまで行くんだ?」
 
「クロンファンラまでいく予定です。町のまわりを巡回しろって。」
 
 カインが答える。
 
「へえ、ついにお前達も東部巡回か。まあ順当だろうな。」
 
「でも・・・まだ入って一年にもならないし・・・また今みたいなことがあったりしたらと思うと、少し不安です・・・。」
 
 つい本音がこぼれ出た。
 
「ははは。自信を持てよ。前にも言ったよな?自惚れるのは論外だが、今自分がどの程度の実力なのかくらいは、ちゃんと把握しておけってな。」
 
「オシニスさん達はどこまでなんですか?」
 
 カインが尋ねる。
 
「俺達は今回ロコの橋までさ。」
 
「ロコの橋って・・・それじゃ何でこっちに・・・。俺達よりも確か一週間くらい早く出たはずですよね?」
 
「実を言うとね、何日か前にこの辺りで盗賊に出くわしてね、西部まで追いかけていったんだ。数はそんなにいなかったし、根城を突きとめられれば壊滅させることも出来るかと思ってね。最も行ってみたら、けっこう数がいたから、夜中に奇襲をかけたりして何とか追い散らすのに今までかかったんだ。」
 
「何人くらいいたんですか?」
 
「そうだなぁ・・・。けっこう大所帯だったから・・・30人くらいかな。」
 
 ライザーさんはさらりと答える。
 
「あ、あの・・・それを二人で?」
 
「そうだよ。二人しかいないからね。君達がこっち方面に来るとわかっていたら、手伝ってもらえたのに、残念だな。」
 
 私達も以前初任務で西部に出かけた時、盗賊の根城を二つほど壊滅させた。でも二つともせいぜい10人か15人くらいの小規模なものだったし、こちらは4人だった。カインと私が以前南地方に迷い込んだ時囲まれた盗賊の数がだいたい20人前後・・・。それよりもはるかに多い数の盗賊を、たった二人で・・・。
 
 彼ら二人と私達二人の違いは一体何なのだろう。実力・・・この違いは明白だ。そして私達より遙かに多くの場数を踏んでいること・・・。確かに大きな違いだが、それだけなのだろうか。何よりもこの二人は落ち着いている。今まで彼らが取り乱したところなど見たことがない。どんな時にも冷静に状況判断をし、余裕を持って対処している。
 
(余裕なのかな・・・。)
 
 彼らにあって私達にないもの・・・。
 
「おい、クロービス、何深刻な顔してるんだよ?」
 
 カインが怪訝そうに私の顔を覗き込んだ。私は思いきって今考えていたことを口に出した。オシニスさん達は黙って聞いていたが、ふいに大きな声で二人とも笑い出した。
 
「あのなぁ・・・お前俺達を何だと思ってるんだよ?俺達はおとぎ話に出てくる勇者じゃねぇぞ?俺もライザーも、焦りもするし慌てもするよ。それに、何度も死に損なっているしな。だからライザーは治療術の勉強は今も欠かさないし、俺も気功の訓練は毎日しているんだ。」
 
「そう言うことだよ。君達はまだまだこれからなんだ。しばらく東部巡回を経験して、いずれロコの橋近辺の警備につけるようになる頃には、君達だって余裕も出来るし、どんな敵が現れても取り乱したりすることはなくなると思うよ。」
 
「だといいんですけど・・・。」
 
「あのな、クロービス、お前の悪い癖だ。自分の実力をもっと正当に評価出来るようになれ。王国剣士にとって、謙遜なんぞ美徳でも何でもないぞ。」
 
 オシニスさんの声に少し厳しさがこもった。
 
「はい・・・。」
 
「まあいきなり考え方を変えるって言うのは難しいよ。それより、大分時間をくってしまったから、少し急ごう。君達はクロンファンラの町も初めてだね?」
 
「はい。」
 
「それじゃ、一緒に行こうか。」
 
「そうだな。どうせ俺達も補給したいし。一緒に行くか?」
 
「いいんですか?二組で一緒に行動しても?」
 
 二人の申し出はありがたいが、このまま一緒に行動して問題はないのだろうか。
 
「最後までくっついているわけじゃなし、たまたま方向が同じになって一緒に行動する事だってあるぞ。久しぶりにお前達と歩いてみるか。さっきの戦闘を見る限り、この間ほどは苦労しなくてすみそうだしな。」
 
 オシニスさんはにやりと笑った。
 そして私達は、本当に何ヶ月ぶりかで4人で歩き始めた。以前と違うことと言えば、カインと私がオシニスさん達のカバーをほとんど必要としなかったことくらいだろう。初めて見るモンスターもかなりいたが、それでも私達二人は浮き足立つなどと言うことはもうなかった。
 そのうち妙なことに気づいた。いつの間にかあたりにモンスターの気配がなくなった。さらさらと気持ちいい風がながれて、森の奥への道が開けている。
 
「カイン・・・もしかしてこの道・・・。」
 
「・・・俺も今そう思った・・・。もしかしてあそこに通じているのかな・・・。」
 
 顔を見合わせる私達に、オシニスさん達は不思議そうに
 
「この道を知ってるのか?俺はこんなところ初めてだぞ。ライザー、お前はわかるか?この道。」
 
「いや、僕も来たことはないけど・・・クロービス、もしかして君達が以前話していた、不思議な泉のある場所のことを言ってるのか?」
 
「はい・・・。多分・・・。」
 
「・・・行ってみるか。モンスターは現れないようだしな。」
 
 オシニスさんの言葉で私達は奥へと進んでいった。やがてキラキラと光る泉が見えてくる。
 
「やっぱりここみたいだな。」
 
 カインがつぶやく。
 
「そうだね。まわりの景色も同じだ。」
 
「ここがねぇ・・・。」
 
 オシニスさんは不思議そうにあたりを見渡している。カインは泉に近づくと水をすくって一口飲んだ。
 
「やっぱりそうだ。この味だ。」
 
 一人で頷いている。私達はみんなで水を飲み、皮袋に水を汲んでその場をあとにした。体が軽い。すっかり疲れが取れている。そして歩いてしばらくするとやはり景色は変わり、道は見えなくなっていた。
 
「不思議なこともあるもんだね・・・。君達と一緒だったから行けたのかな。」
 
 ライザーさんが振り向いてつぶやいた。
 
「かもな。俺達は初めてだ。あんなところに行ったの。」
 
「剣士団長は昔何度か行ったことがあるみたいです。」
 
「へぇ、さすが歴戦の勇士だな。」
 
 オシニスさんが感心したように言う。そのまま私達は歩き続け、モンスターや盗賊達をなぎ払い、やがて陽が西に傾くころ、クロンファンラの町に着いた。
 
「大きな町だろう?お前達はこのままここで泊まっていったらいいんじゃないか?」
 
「オシニスさん達は泊まらないんですか?」
 
 カインの問いに
 
「僕達はここで補給だけしてすぐに発つよ。」
 
ライザーさんが答える。
 
「まずは宿屋だな。エリーゼに挨拶くらいはしておくか。」
 
「エリーゼ?」
 
「ここの宿屋の看板娘さ。前に言ったことがあっただろ?」
 
「あ、剣士団の人気者の?」
 
 私は、以前南地方に迷い込んだ時に、オシニスさんから聞かされた話を思い出していた。
 
「そう。ここに来ればいつもお世話になるからね。君達も紹介しておこう。」
 
「ここには常駐剣士はいないんですか?」
 
「いないぞ。ここにはいつも誰かしら王国剣士が泊まっているからな。町のまわりも常に巡回してるし。今日お前達が来なければ俺達が泊まろうかと思ってたけど、おかげで早くロコの橋まで行けそうだな。」
 
 私達は宿屋に向かった。この街は本当に広い。町の入口を入ってすぐに大きな広場がある。ここは町の人達の憩いの場なのだろう。その広場を囲むようにして、商店が建ち並ぶ。そしてその奥に宿屋があり、さらに一本裏通りに行くと、その先には王立図書館があるということだった。
 
 王立図書館・・・。エミーがいずれ司書になりたいと望んでいる場所。蔵書の数が王宮の図書室とは桁違いだとパティが言っていた。いったいどんな本があるのだろう。ここに来たのは任務だが、少しくらいなら本を読む時間があるかも知れない。そんなにたくさんの本があるのだから、きっとめずらしい本もいっぱいあるだろう。私の頭はすっかり図書館の本のことで一杯になってしまった。
 
「おい、クロービスこっちだぞ。」
 
 いきなり腕を掴まれて私は我に返った。
 
「なんだよお前。ニタニタしながら宿屋の前素通りしようとして。」
 
 カインが怪訝そうに私の顔を覗き込んでいる。
 
「あ、ご、ごめん。ちょっと考え事してた。」
 
「いらっしゃいませぇぇぇ!!」
 
 宿屋の扉を開けると、元気な女の子の声が響き渡る。
 
「こんにちは。エリーゼ。」
 
「よっ!エリーゼ元気だったか?」
 
「わぁ、ライザーさん、オシニスさん、いらっしゃいませ。ご無沙汰してますねぇ。もっと頻繁に寄ってくださればいいのに。」
 
 にこにこと愛想よく話しかけてくる看板娘は、なるほどかわいらしい。栗色の髪を赤いリボンで束ね、透き通った緑の瞳はぱっちりとしている。オレンジ色のドレスに白いエプロンを掛けている。オシニスさん達の後ろにいる私達に気づくと、
 
「あら、新人さんね?と言ってももう入団して3年過ぎる方達なのよね。初めまして。私はエリーゼ。この宿屋の娘です。あなた達のお名前を教えてくださいな。」
 
そう言って丁寧に頭を下げてくれた。
 
「エリーゼ、こいつらはまだ入って一年にもならないくらいだよ。でももう南の警備に入って何ヶ月か過ぎているんだ。剣士団期待の新星だぜ。赤っ毛がカイン、黒髪がクロービスだ。他にもあと二人いるんだがな。そのうちそいつらも来ることになるだろう。」
 
 オシニスさんの言葉にエリーゼは驚いて、
 
「えぇ!?入って一年足らず?すごーい。カインさんとクロービスさんね。よし、憶えたわ!二人ともよろしくね。」
 
「よろしく。あの・・・さん付けはよしてくれよ。」
 
「よろしくお願いします。私も、さん付けはいいから普通に呼んでくれていいよ。」
 
「あらそう?最も二人ともまだ若そうだものね。」
 
「俺はまだ22だよ、こいつは20歳だぜ。だから気を使わないでくれよ。」
 
「あら、二人とも私より若いじゃないのぉ!それじゃ普通に呼ばせていただくわ。」
 
「え?俺より年上か?」
 
 カインは目を丸くした。どう見ても私と同じか、少し若いくらいにしか見えない。
 
「へへ。そう。私は23だもの。とうの立った看板娘よ。」
 
 そう言いながら笑ってみせるその表情も、やはり若くてかわいらしく見える。私達が宿屋で話をしている間に、オシニスさん達は町の中を一巡りして必要なものを買いそろえてきた。
 
「それじゃ俺達はそろそろ行くよ。お前達は明日この街の付近を一通り歩いて見ろ。」
 
「わかりました。お世話になりました。」
 
 そしてオシニスさん達はロコの橋に向かって町を出ていった。
 
「さてと、少し町の中見てくるかな。エリーゼ、また来るよ。」
 
「はい。一番いい部屋を用意しておくわ。」
 
 その時奥から宿屋の主人らしい人が顔を出した。
 
「おお、剣士さんか。新人だな?ここの宿代は俺のおごりだ。どうぞ休んでいっておくれよ!」
 
「ありがとうございます。ここに来たのは初めてなので、少し町の中を見てからまた来ます。」
 
「おう!待ってるぜ!」
 
 親父さんも愛想がいい。その時エリーゼが私の隣に来て、
 
「お父さんはあんなこと言ってるけど・・・本当はね、王国剣士さん達の宿泊代は、あとで王宮から補助が出るのよ。だから本当に遠慮せずに泊まっていってね。」
 
「いいのか?そんなことばらしちゃって。」
 
 カインはすっかりエリーゼと打ち解け、にやにやしながら突っついている。
 
「いいのいいの。」
 
 エリーゼはにっこりと笑った。そう言えば以前誰かが、いつもここに来ると必要以上に泊まってしまうと言っていたっけ。彼もエリーゼのファンなのだろう。
 私達は通りに出た。大勢の人達が行き交い、本当に賑やかだ。この街では王国剣士は信頼度が高いらしく、みんなにこやかに挨拶してくれる。
 
「そういや、この町にはハディの家族がいるんだよな。」
 
 カインが辺りを見回しながらつぶやいた。
 
「そうだね。住宅街のほうなんだろうな。行ってみる?」
 
「いや・・・。やめておこう。いくら制服を着ていたって、知らない顔がいきなり行ってあなたの息子さんの友達ですって、何か怪しいじゃないか。」
 
「それもそうか。それじゃ、ハディ達と一緒に来ることがあったら、その時に案内してもらおう。」
 
「そうだな。」
 
「こんにちは。あなた方はこの街へいらっしゃるのは初めてですね?」
 
 道の向こうからやって来た少し年かさの青年が、にこにこと声をかけてきた。
 
「はい。今日初めて来ました。カイン・クロービス組です。よろしくお願いします。」
 
「こちらこそ。あなた方王国剣士がいつも気にかけていてくださるから、こんな南地方のど真ん中にあってなお、これだけの賑わいを見せているのですよ、この街は。」
 
「そう言っていただけると嬉しいです。」
 
 つまり彼らは、この街で何が起ろうと私達王国剣士が手を差しのべてくれると、信じて疑わないのだ。
 
「でも心配事がないわけではないですね。最近あたりのモンスター達が、攻撃的かつ強くなっているような気がします。今まで見たことのない南大陸にしかいないようなモンスターまで、北大陸に来ていると聞きます・・・。この街は、南大陸のハース鉱山から様々な物資が送られてくる、いわばエルバールとハースをつなぐ中継点の役割も担っているのです。ところがロコの橋が封鎖されて以来、物資の運搬は減り続け、最近ではほとんど届かなくなってしまった。城下町では聖戦の噂でもちきりだそうですが、そんな恐ろしいものが本当に来るのでしょうかねぇ・・・。」
 
 青年はため息をついている。
 
「何があっても私達が守ります。だから安心してください。」
 
 私の言葉に青年はほっとしたように
 
「そうですよね。すみません。あなたがたにこんな愚痴をこぼしたりして。よろしくお願いしますよ。」
 
そう言うと私達から離れていった。
 
「責任重大だな。」
 
 カインがつぶやく。
 
「おおー!!王国剣士殿ではないか!!」
 
 いきなり後ろから肩を叩かれて、私は思わず転びそうになった。
 
「おお、いやすまんすまん。この街が今あるのは君達のおかげだ。鉱山の発展で仕事が増えて、人々の暮らしがうるおった。わしも若いころはハース鉱山で働いたものじゃ。おかげで今は悠々自適じゃよ。そしてその生活を君達が守ってくれる。いやぁ、ありがたやありがたや。」
 
 父と同じくらいの年配の男性が、言うだけ言ってさっさと離れて行ってしまった。
 
「カイン、ちょっと図書館行っていいかな?」
 
「図書館?まあ・・・いいけど・・・。俺は苦手だ。本て奴は。」
 
 カインは頭をかいている。
 
「本は読んだことないの?」
 
「一冊だけあるぞ。『剣技大全』てやつ。剣技の基本がいろいろ載ってるんだ。そういや、あれどこにやったかな。基本程度ならお前も読んどいて損はないと思ったから、とっておいたはずなんだけどな。あとで探しておいてやるよ。」
 
「ありがとう。とにかく行こう。」
 
 図書館の建物は町の端にあり、静かだった。扉を開けると古びた本の匂いが漂ってくる。中に入ると、真正面に司書のカウンターがある。
 
「あの・・・。少し読ませていただいていいですか?」
 
「はいどうぞ。貸し出しの場合はこちらにお持ちくださいね。」
 
 司書の女性は愛想よく答えてくれる。私は早速図書館の中を歩き始めた。退屈そうではあったがカインも後からついてくる。なるほど、確かにここに収蔵されている本の数は、王宮にある図書室の比ではない。入口から入ってすぐのフロアにはカインの背よりもずっと高い書架がずらりと並び、その奥には『書庫』と書かれた扉がある。私はそこに入ってもいいのかどうか司書の女性に尋ねた。
 
「構いませんよ。あの部屋は、このフロアに収蔵しきれない本の保管場所なのです。ただ、ここのように机などはありませんから、読みたい本がありましたら、このフロアまでお持ちいただいて、こちらでお読みください。」
 
 私は書庫の扉を開けた。そしてそこに並んだ書架を見て、思わずため息をついた。書架と書架の間には、人がやっとすれ違える程度の隙間しかない。そしてその大きな書架の中にはぎっしりと本が詰め込まれている。ここでこの本を片っ端から読んでいけたら、どんなに嬉しいだろう。一瞬だけ本気でそんなことを考えた。興味のない人には単なる古本の山なのだろうが、私にとっては宝の山のようなものだ。そして、エミーがなぜあんなに一生懸命、ここの司書になりたがっているのか、何となくわかるような気がした。
 
「いやぁ・・・すごいなぁ・・・。これだけ本があるなら、剣に関する本だってありそうだな。よし、俺はちょっとそのあたりを見てくる。」
 
 カインはそう言うと、私から離れ、書架の向こうに歩いていった。端から順に歩きながら見ていくと、やがて一冊の本が目にとまった。背表紙には『エルバールの旅』と書かれている。
 
 
 どうやらこれは、旅行者のための本らしい。その本の隣に、見覚えのある背表紙を見つけて手に取って見た。タイトルは『エルバールの歴史』。王宮の図書室にもあった本だ。以前エミーがこの国の歴史を知るなら一番いいと薦めてくれた本だった。中身は読んだことがあるが、何となく最初のページを開いてみた。
 
 
 フロリア様が即位されてもう19年近くになる・・・。国の命運を背負うというのはどれほどの重圧か・・・。元気をなくされても無理はないかも知れない。
 私は本棚に本を戻した。また歩き始めた私の目に『神話』の二文字が映った。私は小さな頃から神話が好きだった。でも私が知っている神話と言えば、父やイノージェンの母さんが話してくれたおとぎ話ばかりだ。この本は子供向けではないらしい。いったいどんな話が書かれているのだろう。『サクリフィア神話の研究』と書かれている。他の本よりも古そうに見えたが、どうやらそれほど昔のものではないらしい。表紙が色あせて紙もあちこち破れたところを補修してあるが、それはたくさんの人達がこの本を手に取って読んだかららしかった。
 
 

『サクリフィア神話の研究』全文へ(画像の文字が読みにくい方用)

「へえ・・・。そんな神話があるんだな。」
 
 いつの間にか私の肩越しにカインが覗き込んでいた。
 
「でも魔法なんてあるのかな。風水も治療術も人によっては魔法みたいなものだって言うけど、実際には全然違うしね。」
 
「そうだな。それに、人の心を操る魔法なんてあったら怖いよな。」
 
 おとぎ話とはかけ離れた内容の本だ。単なる『お話』なのだろうが、何となく不安になるような話だ。まだ続きがあるようだったが、私は本を閉じて書架に戻した。
 
「剣に関する本は見つかったの?」
 
 カインはため息をついて首を横に振った。
 
「いや・・・あることはあるんだろうけど、探すだけで疲れそうだからやめた。」
 
「なるほどね・・・。それじゃもう出ようか。仕事で来たんだから、ここでのんびりってわけにはいかないよね。」
 
「そうだな。それに、今回この辺りをまわって成果を上げることが出来れば、またいつでも来れるようになるさ。」
 
「そうだね、それじゃ戻ろう。」
 
 私は書庫から出て、司書の女性に礼を言った。
 
「どういたしまして。読みたい本があったら、いつでも来てくださいね。」
 
 にっこりと微笑んでくれる司書の女性はまだ若い。ユノくらいだろうか。エミーがここに座れるのは、いったいいつのことになるのだろう。
 
「あ、あの・・・ちょっとお聞きしたいんですけど・・・。」
 
「はい、何か?」
 
 司書の女性は不思議そうに私を見ている。
 
「あの・・・こちらの司書になるって言うのは・・・難しいんでしょうか?」
 
「そうですねぇ。試験自体はそんなに難しくないんです。でも競争率は高いんですよ。」
 
「採用人数は少ないってことですか?」
 
「今はそうですね。私はここに来て5年になります。ロコの橋が封鎖される前までは、もっとたくさんの司書がいたんですけど、今ここは私ともうひとりが交替で仕事をしています。」
 
「どうして今は二人なんですか?」
 
「以前はね、移動図書館というのがあったんですよ。北大陸だと、ローランとか、あと、今はなくなってしまいましたが海沿いにあった村などに馬車に積んだ本を持っていくんです。ロコの橋が封鎖される前までは、南大陸にも行ってましたから、司書は何人もいたんです。でも今は北大陸だけですから、二人でも何とかなるんですよね。それに今は、ローランへの移動図書館は王宮から出ていますからね。」
 
「ここから王宮の図書室への転勤とかもあるんですか?」
 
「それはあります。でもどうなんでしょうね。最近はモンスターが多くなっていて、道がかなり危険になっていますから、異動は滅多にないと思います。・・・どなたか司書を志していられる方でも?」
 
「え、ええ・・・友人が・・・。」
 
「そうですか・・・。ここは定員は決まっているし、採用も不定期ですしね。でも私達だって一生ここにいるわけではありませんから、いずれチャンスはあると思います。それまでに出来るだけ見聞を広めて、知識を身につけておくのが一番だと思います。」
 
「ありがとうございます。すみませんでした、忙しいのに。」
 
「いいえ、またいらしてくださいね。」
 
 今聞いた話を、あとでエミーに教えてあげよう・・・。いや、パティにそれとなく言うだけにしておいたほうがいいのかも知れない・・・。
 
 外に出るとなにやら音楽が聞こえてくる。吟遊詩人が来て歌を披露しているらしい。聞いていると、サクリフィアの聖戦の歌らしい。イノージェンの母さんからよく聞いていた物語だ。だが途中から話が変わってくる。
 
−−その雄叫びは心を惑わし・・・・−−
−−その炎はすべてを焼き尽くす・・・・−−
−−後に残るのは焼けた大地・・・・−−
−−死の静寂・・・・・・・・・・・−−
 
 そこで歌は終わる。この物語に勇者は出てこない。誰もドラゴンを退治してくれない・・・。でも素晴らしい歌声だ。私は思わず拍手していた。吟遊詩人は私のほうを向くと、
 
「ありがとうございます。」
 
柔らかに微笑んで私のほうに歩み寄ってきた。
 
「新任の王国剣士様でございますね・・・。わたくしは、時々この町で興行させていただいております吟遊詩人、シャーリーと申す者にございます。お見知り置きのほどを・・・。」
 
 シャーリーは優雅にお辞儀をすると、また人の輪の中に戻っていった。
 
「でも寂しい歌だな・・・。きれいな声だったけど。」
 
 カインがつぶやいた。
 
「おとぎ話と違うから、誰もドラゴンは退治してくれないって事だね・・・。」
 
「そうだな・・・。」
 
 私達は宿屋に戻り、食事を取って寝床に潜り込んだ。初めての町であちこち歩き回ったので、疲れていた。そのまま眠りに落ち、やがて夜明け前・・・

次ページへ→