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「大丈夫だよ。ちゃんと覚悟を決めて聞くよ。昨夜の父さんの話も、聞かせてもらえてほんとによかったと思っているんだ。昨日も言ったけど、父さんが昔のこと話す時って、いつもつらそうに見えたんだ。・・・今だってそうだよ。父さんは気づいてないかも知れないけど、話す前はいつもより険しい顔してるし、話し終わってからはいつも悲しそうな顔してる。でもね、それでも話してくれるって言うんだもの。いい加減な気持ちでなんて聞けないよ。」
 
 一瞬、自分の顔を鏡で見てみたくなった。そんなに険しい顔をしていたのだろうか。
 
「そうか・・・。では父さんもそのつもりで話をするよ。嘘も誇張もしない。話せることは全部話す。そりゃ父さんだって、あの頃のみんなとの会話の一つ一つを、全部憶えているわけではないし、他の人のことは話すわけにいかないこともあるけど・・・。でも、父さん自身のことは出来るかぎり話して聞かせたい。・・・カインのこともね・・・。」
 
「そのカインて言う人は・・・もういないんだよね。」
 
「・・・いないよ。でもその名前はお前に引き継がれているんだ。もちろん、お前はお前だ。あの時亡くなったカインの代わりなんかじゃない。でも、父さん達が・・・その人の名前を、無事に生まれてきてくれたわが子の名前にしたいと思うほど、父さん達にとっては大事な人だったんだ・・・。」
 
「・・・そうか・・・。昨日の父さんの話からすると、その人は剣士団長と同じようなタイプの剣士だったみたいだね。」
 
「そうだね。」
 
「強かったんだよね?」
 
「強かったよ。」
 
「僕もそんなに強くなりたいな・・・。せめて名前負けしないようにならなくちゃね。」
 
 カインが嬉しそうに微笑むのを見て、何だか私も嬉しくなった。この屈託のない笑顔に、妻と私はいつも救われてきた。私達が授かった、たった一人の子供がこのカインという男の子だったことを、天に感謝したい気持ちだった。
 
「ねえ父さん、それじゃ、南大陸で何があったのか・・・それも話してくれるの?」
 
「判ることなら全部話すよ。さっきも言ったように、隠すつもりはない。」
 
「それじゃ、シャロンの父さんのことも?」
 
「その人のことについては、この間話したことと同じ話になると思うよ。ただ、前後の話を聞けば、もしかしたら何かわかることがあるのかも知れないけど・・・でもそれについてはあまり期待しないでくれたほうがいいかも知れないな。父さん達だってその人に直に会ったわけじゃないからね。」
 
「そっか・・・。それもそうだね・・・。」
 
 カインの隣で、フローラが小さくため息をついたような気がした。
 
「フローラ、君はどうする?無理に聞かなくてもいいんだよ。いや、君は聞かないほうがいいかも知れないな・・・。」
 
 これから私が話すことは・・・出来れば、一般人であるフローラの耳には入れたくない話だ。でもきっとこの娘はカインのそばを離れないような気がする。
 
「私は・・・いないほうがいいんでしょうか・・・?」
 
 フローラは不安げな視線を私に向けた。
 
「父さん、フローラにもここにいてほしいんだけど・・・だめなのかな・・・。」
 
「だめって言うんじゃないけど・・・知らないほうが幸せなこともあるよ。」
 
「そんなに・・・つらい話なの・・・?」
 
 カインはいたわるような瞳で私を見つめた。その視線に少し戸惑いながらも、私はカインを見つめ返して頷いた。
 
「つらいと言えば・・・つらい話だよ・・・。でもそれだけじゃない。」
 
「・・・どういうこと・・・?」
 
 カインの声が少しだけこわばっている。
 
「この話が外に漏れるようなことがあれば・・・エルバール王国の基盤を揺るがしかねないからだ・・・。」
 
「ま、まさか!?だって20年も前の話だよね!?どうしてそんな昔のことが・・・今の王国の基盤を揺るがすなんて・・・そんなことが・・・。」
 
「だから今まで・・・父さんも母さんも、この話をお前にするべきかどうか迷っていたんだ・・・。聞かせてしまえば、お前にも重荷を負わせることになる・・・。もう一度聞くよ。それでも父さんの昔話を聞きたいか?」
 
 カインは驚きと不安の入り交じった瞳で少しの間私を見ていたが、やがて私から視線を外し、小さくため息をつくと、
 
「・・・つまり父さん達は・・・そんな大変な出来事を体験してきたってことか・・・。」
 
独り言のようにつぶやいた。
 
「そういうことだ。だからカイン、それでもこの話を聞くというなら、誰にも口外しないと言う約束もしてもらわなければならないよ。」
 
 私はカインを見つめた。カインの顔にはまだ不安があったが、それでも決心したように唇をひき結ぶと、力強く頷いた。
 
「聞かせてよ。今の父さんの言葉で、ますます聞きたくなった。でも興味本位じゃないよ。僕はちゃんと聞かなくちゃならない、そんな気がするんだ。もちろん、ここで聞いたことを誰にも言ったりしないよ。」
 
「そうか・・・。わかった。フローラ、君はどうする?今聞いたように、私がこれから話そうとしていることは、大変なことだ。聞かなかったほうが幸せかも知れないと思うようなね。無理にとは言わないよ。正直なところ、私は君にそんな重荷を背負わせたくはない。」
 
「いいえ!」
 
 叫ぶようにフローラが返事をした。
 
「聞かせてください。カイン一人が重荷を負うなんて・・・私はいやです!つらいことなら、二人で分かち合えば半分になるって、昔母が話してくれました。だから、私もここにいさせてください。ここで聞いたことは・・・誰にも言いません・・・。」
 
 そう言えば昔、城下町を出る前、最後にセディンさんの店に寄った日のことだ。結婚して故郷に帰るのだと告げた私達に、おかみさんがそんな話をしてくれた。
 
『幸せは二人なら二倍に、つらいことなら二人で分かち合えば半分になるのよ。そう思っていれば、何も怖いことなんてないのよ・・・。』
 
 おかみさんの笑顔が浮かんだ。あの笑顔にもう二度と会えないのだと思うとまた胸が痛んだ。
 
「そうか・・・。そうだね、わかったよ。その言葉を信じるよ。」
 
 私は深呼吸して眼を閉じた。これから私が話そうとしていること・・・。本当に話してしまっていいものなのか、未だに迷いが残る・・・。でも・・・それでも話さなければならない。思い出せる限り細かく思い出して、間違いのないように伝えなければならない・・・。
 
 私は覚悟を決めた。









 聖戦の噂が広がりつつあった頃、カインと私は城下町の警備に出ていた。以前もっと町の中にも目を向けようと話し合ってはいたが、謹慎になったり、謹慎が解けたと思ったら南に行ってしまったりで、なかなか城下町の中を歩く機会がなかった。商業地区では相変わらず人通りは多かったし、荷馬車が何度も通り過ぎていった。以前と変わらないようにも思えたが、やはり活気はなくなっていた。住宅地区に行っても、いつもなら道端で大声で井戸端会議をしているおかみさん達でさえ、ちいさな声でひそひそと話している。そばを通り過ぎる時に聞こえてくるのは決まって「聖戦が本当に来るのかしらねぇ・・・。」というため息混じりの言葉だった。
 
「何でこんなに聖戦の噂が広まっているのかな・・・。」
 
 カインが不機嫌につぶやく。
 
「いい噂より悪い噂のほうが広まりやすいって言うからね。でも誰かが噂を流しているってことは考えられるかもね。」
 
「そうなんだよ。広まり方が不自然なくらい早いんだよな。確かに噂の出所は気になるな・・・。」
 
 言いながらカインが突然咳き込んだ。
 
「どうしたの?」
 
「あ、いや、どうしたのかな。何だか喉が痛いな・・・。」
 
「風邪ひいたのかな。そろそろ戻ろう。もう夕方だよ。夜勤の人達が出てくる時間になるよ。」
 
「大丈夫だよ。でも確かに少し肌寒くなってきたな。戻るか。」
 
 この日の夜、寝床に入るまで、カインは何度か咳き込んだりくしゃみをしていた。心配で何度か薬を勧めたが、カインは『自分は風邪なんかひいたことがない』と胸を張り、どうしても薬を飲もうとしなかった。元気が服を着て歩いているようなカインのことだ。明日になればきっとよくなっているだろう。そう自分に言い聞かせて私は眼を閉じた。そしてこの日は、また不思議な夢を見た。
 
 一面の大海原の上で木の葉のように揺れる船。
 どうやら嵐らしい。
 船の中に誰が乗っているのかまでは見えない。
 
 −−い、いかん!!−−
 
 突然の叫び声。
 
 −−う、うおおお!!か、舵が、舵がきかない・・・!!−−
 
 船は少しずつ波の間に呑まれていく・・・。
 
 −−ああ・・・もう一度お前に会いたかった・・・−−
 
 −−さよなら・・・さよなら、クロービス・・・!−−
 
 誰かが叫んでいる・・・。
 誰だ・・・。私の名前を呼ぶあの声は・・・。
 
 私は飛び起きた。汗をびっしょりとかいている。もう朝になっていた。一体何の夢だろう・・・。誰の夢だったんだろう・・・。船が沈んでいった・・・。その船から誰かが私の名を呼んでいた・・・。そしてさよならと・・・。
 私は思わず身震いした。不安が胸を締めつける。何かよくないことの前兆なのだろうか・・・。私は不吉な夢を振り払うように思いきり頭を振った。そして隣のベッドが静かなことに気づいた。いつもなら、私が飛び起きればカインも飛び起きる。だが今朝はまだ起きない。めずらしいこともあるものだと、私はカインのベッドに行き、声をかけた。
 
「カイン、朝だよ。起きなよ。」
 
 カインは返事をしない。
 
「カイン!」
 
 もう一度呼んで肩に手をかけた。その肩が異様に熱い。
 
「カイン、どうしたの!?」
 
「う・・・あ・・ああ、朝か。おはよう・・・。」
 
 やっとこちらを向いたカインの顔は真っ青だ。声もしわがれている。
 
「すまん。もう起きなくちゃな・・・。」
 
 そう言ってベッドに起きあがろうとした瞬間、どさりとまた倒れた。
 
「カイン!!」
 
 カインの額に手を当てると、すごい熱だ。
 
「熱があるじゃないか!今日は休まなくちゃ駄目だよ。ちゃんと届けは出しておくから。」
 
「いや・・・いいよ。俺は出る。このくらいのことで休むわけには・・・。」
 
 もう一度カインは起きあがろうとするが、やはり体に力が入らないらしい。
 
「そんな体では仕事にならないよ。今日は一日寝ててよ。私は一人で訓練でもしてるから。」
 
「すまん・・・情けないなまったく。自分の健康管理も出来ないなんて・・・。わかった。治るまで・・・しばらく休むよ・・・。」
 
「それじゃ届け出してくるからね。」
 
「悪いな・・・。」
 
 初めて聞くカインの弱々しい声。やはり昨日のうちに無理にでも薬を飲ませておけばよかった。熱が出る前だったらそれでよくなったかも知れない。
 本当はすぐにでも医務室に連れて行きたかった。王宮には設備の整った立派な医務室があり、腕のいい医師が何人か常駐している。当然フロリア様の健康管理のためなのだが、王宮にいる人間なら、誰が行っても快く診てくれるし、相談に乗ってもくれる。実際私も、ここの医師達から薬草の知識をいくつか伝授してもらったことがあった。だが医務室に行こうと言っても、きっとカインは絶対に腰を上げないだろう。私は解熱効果のある薬草を荷物から取りだし、食堂に行こうと部屋を出た。
 
「あれ?クロービス、さっき剣士団長が君達を呼びに来てたみたいだったけど、いくら呼んでも起きないから、どこかに行ってしまったよ。」
 
 廊下で出会ったキャラハンさんが声をかけてくる。
 
「剣士団長が?」
 
「そうだよ。君達に用事があったんじゃないのかな?そう言えばカインがいないね。どうしたんだい?」
 
「カインが熱を出したんです。多分風邪だと思うんだけど。」
 
「へぇ?カインが風邪!?そりゃめずらしいこともあるもんだねぇ。よし、ハリーに知らせてこよう!」
 
 そう言うとキャラハンさんはさっさと行ってしまった。心なしか楽しげに見えた。カインが風邪をひくというのは、そんなにめずらしいことなのだろうか。食堂について、私はカウンターで声をかけた。
 
「おや、めずらしいね、あんたが一人だなんて。カインはどうしたんだい?」
 
「風邪ひいたみたいで熱出したんだ。だから風邪にいいような食事あったらお願いしたいんだけど。あと、この薬草煎じさせて。」
 
「あらまあ、あの元気な子でも風邪ひくんだねぇ。任せときな。風邪なんてあっという間に治っちまうような、とびっきりの食事こさえてあげるよ。」
 
 私は厨房の隅の小さなかまどで薬草を煎じると、出来上がった薬と二人分の食事を持ってもう一度部屋に戻った。一人で食堂で食べるのは何となく味気ない。
 
「カイン、食事持ってきたよ。風邪ひき用のね。」
 
 私は出来るだけ元気に言うと、部屋のテーブルに食事と薬を置いた。
 
「あ・・ああ・・・ありがとう。でも食欲ないな・・・。」
 
「ないならないでいいけど、それだけ治るのが遅くなるよ。いつまでもベッドでくすぶっていたいって言うんなら、構わないけどね。」
 
「・・・お前らしくもない言いぐさだな・・・。わかったよ。起きるよ。」
 
 カインは少しふらついていたが、それでも体を起こし、テーブルについた。実際に出ている熱よりも、『自分が風邪で寝込む』という事態にショックを受けているらしいカインを奮い立たせたくて嫌みな言い方をしたが、カインにはお見通しだったらしい。
 
「せっかく食堂のおばさんが風邪ひき用にって作ってくれたんだから、量もそんなにないはずだよ。全部食べてね。それからこの薬飲んで。」
 
 私は煎じてきた薬湯を指さした。
 
「薬か・・・。」
 
 カインは見ただけで苦手そうな顔をする。
 
「一日分まとめて煎じたからね。3回に分けて飲むんだよ。」
 
「・・・医者の息子には叶わないな・・・。わかったよ。飲むよ。」
 
 カインは渋々返事をすると、食べ始めた。ゆっくりではあったものの全部食べ終えると、いかにも苦そうな顔で朝の分の薬を飲み干した。
 
「それじゃ、あとは昼の分と夜の分だね。忘れたふりして飲まなかったりしないでよ。」
 
「判ってるよ。何だよ、お前どこかに行くのか?一人で出かけたりするなよ。」
 
「そんなんじゃないよ。さっきキャラハンさんに聞いたんだ。剣士団長が私達に用事があったみたいなんだけど、なかなか起きないからってどこかに出掛けちゃったんだってさ。ちょっと探して、用事を聞いてくるよ。」
 
「団長が?それじゃこんなことしていられないよ。俺も行く。」
 
「駄目だってば!そんな体で出ていったってどうせ途中で動けなくなるよ!」
 
「大丈夫だよ!ほら・・・。」
 
 拳を上げて元気をアピールしようとしたカインは、そのままふらふらと床に座り込んでしまった。
 
「ほーら!とにかく何の話かわからないんだから、私が行ってくるよ。ちゃんと寝てないといつまでも治らないからね!!」
 
「わかったよ・・・ごめんな、クロービス。」
 
 カインはやっと諦めたのかベッドに戻り、横になった。
 
「じゃ行ってくるよ。誰かに君のこと頼んでいくからね。」
 
「いいよ、みっともない。一人で寝てれば治るさ。それより、気をつけて行けよ。」
 
「うん、ありがとう。行ってくるよ。」
 
 私はからになった二人分の食器を抱えて食堂に戻った。食器を返して出ようとしたところにちょうどオシニスさんとライザーさんが入って来た。
 
「あれ?お前一人か?カインはどうした?」
 
「それが・・・風邪ひいちゃって、熱があるから部屋で寝てるんです。」
 
「へえ・・・。あいつでも風邪ひくんだなあ。ばかじゃなかったんだな。」
 
 オシニスさんはそう言って大笑いしている。
 
「乱暴なことを言うなよ、まったく・・・。」
 
 ライザーさんがあきれたようにオシニスさんの肩を突っつく。そして私のほうを向くと、
 
「君はどこかに行くの?今さら言うまでもないだろうけど、一人では仕事に出掛けられないよ。」
 
「はい。私達が起きる前に剣士団長が見えたらしいんですけど、起きなかったんでどこかに出掛けちゃったらしいんです。だから探して用件を聞こうと思って。」
 
「団長ならさっき会ったぞ。何となく元気がなさそうだったな。俺達に今日の予定聞いて、今日からしばらくは執政館の日勤だって言ったら、一人で頷いて玄関から出ていったっけ。多分城下町の方に行ったんじゃないのかな。何で俺達の予定まで聞いていったかはわからないけどな。」
 
「そうですか・・・。」
 
 この二人の予定まで聞いていったとは、剣士団長の用事というのは一体何なのだろう。私は食堂を出て、ランドさんのところでカインの休暇届を出し、その足で城下町の剣士団詰所に向かった。団長が一人で城下町を歩き回るというのは考えにくい。おそらくは詰所にいるはずだ。商業地区の詰所には、警備の剣士が二人いただけだった。住宅地区のほうにいるかも知れない。私は足を速めた。朝起きてからカインの食事や薬の心配をしているうちに、かなりの時間が過ぎている。団長が怒っていなければいいが・・・。詰所に着いて扉を開ける。
 
「おはようございます。」
 
「おはようって時間でもないぞ。やっと来たな。」
 
 出迎えてくれたのはティールさんだった。詰所の中ではセルーネさんと剣士団長が向かい合って話し込んでいる。
 
「今後の南大陸のモンスターの動向次第では、エルバール存亡の危機になるかもしれん。南大陸のカナの村周辺では、もう相当危ないらしい・・・。」
 
「いずれ我々王国剣士も、南大陸に遠征に行かなければならない時が来ると言うことですね・・。」
 
 沈痛な面持ちの団長の声。それを受けて腕組みしたまま黙り込むセルーネさん。空気が張りつめている。が、剣士団長は私のほうを向くと、
 
「おお、やっと起きたのか。ずいぶんとゆっくりだな。カインはどうした?」
 
いつもの柔らかな微笑みで出迎えてくれた。
 
「あ、あの、遅くなりまして申し訳ありませんでした。カインは熱を出して寝ています。それで、食事や薬の世話してたら今になってしまって・・・。」
 
「カインが熱を出した!?」
 
 セルーネさんとティールさんが同時に叫んだ。
 
「はっはっは。鬼のカクランか。あいつでも風邪ひくんだな。」
 
 ティールさんはオシニスさんと似たようなことを言って笑っている。カインが風邪をひくというのは、それほどまでにめずらしいことに思えるらしい。
 
「まったく乱暴な言いぐさだな。」
 
 セルーネさんはこれまたライザーさんと似たようなことを言って、ティールさんを睨んでみせる。どちらかと言えば、ティールさんが今言ったような言葉を、セルーネさんが言いそうに思っていた私は、この二人の意外な一面を見たような気がした。
 
「クロービス、カインが風邪をひいているなら、しばらくは仕事は出来んな。」
 
 剣士団長は立ち上がり、ゆっくりと私に歩み寄った。
 
「・・・そうですね。きちんと直してもらわないと、こじれると大変ですから。」
 
「そうだな。そうすると、お前は当分暇だということだよな?」
 
「い、いえ・・・暇というわけでは・・・。一人でも訓練は出来ますし・・・。」
 
 剣士団長がなにを言おうとしているのかよくわからなかったが、暇かと聞かれてハイと答えるわけにはいかない。剣士団長はくすりと笑うと、
 
「ああ、なるほどな・・・。実はちょっと用事があるんだ。俺につきあってくれ。何日か留守にすることになるから、旅支度をしてこい。俺はここで待っているからな。」
 
「は、はい。あ、それじゃさっきオシニスさん達の予定を聞いたのは・・・。」
 
「ああ、あの二人に会ったのか。お前らが起きないからあいつらに頼もうかと思っていたが、執政館の日勤では外すわけにはいかないからな。さあ、早く行ってこい。」
 
 どこへ行くのかくらいは聞こうと思ったが、有無を言わせぬ剣士団長の口調に押され、私は返事をするとすぐさま王宮にとって返した。
 
 ロビーに入ると、執政館の入口にオシニスさん達が立っている。勤務中ではあるが、この二人にカインのことを頼んでいこうと私は近づいた。
 
「剣士団長の話は何だったんだ?」
 
 オシニスさんはそのままの姿勢で私に声をかけてくれる。
 
「はい、勤務中にすみません。団長のお供で何日か宿舎を空けることになったので、カインのことよろしくお願いします。」
 
「そうか。それじゃ、カインのことは引き受けるよ。安心していっておいで。」
 
 隣でライザーさんが微笑んでくれた。
 
「心配するな。何とかなるよ。」
 
 オシニスさんも笑っている。
 
「はい、お願いします。」
 
 勤務中にいつまでも喋ってはいられない。私はすぐにその場を離れると、ランドさんのところに戻り今度は外泊の届けを出した。
 
「へえ、団長のお供でねぇ。まあがんばって来いよ。」
 
 ランドさんはそう言うと、私の肩を叩いてくれた。私はそのまま部屋に戻った。カインは眠っていたようだが、私の気配で目を覚ましたらしい。
 
「団長の話は何だったんだ?」
 
「よく判らないけど、どこかに行くのに随行しろってことらしいよ。何日かかかるみたいで、旅支度してこいって言われたんだ。」
 
「どこかって、どこだ?」
 
「さぁ。」
 
「さぁ、ってお前ものんきな奴だな。何日も宿舎を空けるってのに、どこに行くかくらい聞いてこなかったのか?」
 
 熱でぼうっとしながらも、カインはあきれたように私を見ている。
 
「うん・・・。何となく聞けない雰囲気だったんだ。ティールさん達もいたし。」
 
「ふぅん・・・。仕方ないか。とにかく、気をつけて行って来いよ。」
 
「ありがとう。行ってくるよ。」
 
 私はカインの額に手を当てて熱を確かめた。朝よりは下がったようだが、おそらくこれは薬の効果だ。また夜になれば上がるだろう。心配ではあったが、これから何日か出掛けなければならない。私は旅支度をすませて荷物を担ぐと、薬草を多めに持って部屋を出た。そのまま食堂に行き、おばさんに煎じ薬を作ってもらうように頼んでおくことにした。カインの食事はオシニスさん達が見てくれるから、と言っても実際に見てくれるのはきっとライザーさんだろうが、薬はその時に飲ませてもらわなければならない。おばさんは快く承諾してくれた。
 食堂を出ようとすると、ハディとリーザが入ってきた。
 
「あら、一人でそんなかっこでどこ行くの?カインはどうしたの?」
 
「風邪ひいちゃったんだ。すごい熱で寝込んでいるから、一応オシニスさん達に頼んではあるけど、君達も時々見てやってよ。私はこれから剣士団長と出かけなくちゃならないから。」
 
「男性剣士用宿舎に入れっての?いやねえ。あそこって異様な匂いがするんだもの。」
 
 リーザは眉をひそめ、本当にいやそうに言う。
 
「そんな言い方はないだろ?わかったよ。俺が気をつけておくよ。オシニスさん達だって今日から執政館みたいだし、日勤ではなかなか動きがとれないだろうからな。でも剣士団長と出かけるって、どこに行くんだ?」
 
「わからないけど、とにかくついて来いってさ。何日かかかるみたいだよ。だからカインのことよろしくね。」
 
「行き先も言わずについて来いってかぁ?剣士団長にしてはいやに強引だな。まあいいか、気をつけて行って来いよ。」
 
「ありがとう。」
 
 私はその場を離れ、急いで詰所に戻った。
 
「おお、来たな。よし、すぐ出発するぞ。」
 
 剣士団長は立ち上がった。その後ろ姿をセルーネさんが心配そうに見つめている。
 
「・・お気をつけて。」
 
 不安そうな顔。今までに見たことがないセルーネさんの・・・。
 以前城下町で、剣士団長とセルーネさんが一緒にいるところを見かけたことがあった。この二人がどういう関係かということくらいは想像がついたが、それにしてもこれほど不安そうな瞳で見つめるほど、今回の旅は危険なのだろうか・・・。そんなことを考えながら歩いていると、不意に団長が話し始めた。
 
「長い間、探していた男の手掛かりが、最近になってあってな・・・。なぜだか知らんが、城下町付近にまで来ていたらしい。それを元に追跡していったところ、だいたいの居場所がつかめたというわけなんだが・・。」
 
 長い間探していた・・・。それはどんな人物で、どんな理由で団長は探しているのだろう。聞いてみようかとも思ったが、暗い表情でその話をする団長の横顔を見て、口に出すことが出来なかった。やがて西門についた。剣士団長は、門を出て門番の剣士達に声が聞こえないところまで来ると、立ち止まった。
 
「実はな、今回の旅は俺の私用だ。だから本当は一人で出かけようと思っていたんだ。だがセルーネ達が心配してな、それで誰かに同行してもらうことにしたというわけだ。カインが風邪をひいたのは偶然だったが、お前が一緒に来てくれてよかったのかもな。オシニスかライザーが俺と一緒に出かけたりしたら、みんな何事が起こったかと気をもんだかもしれん。私事につきあわせてしまって悪いな。」
 
 剣士団長はそう言うと私の肩をポンと叩いた。
 
「いえ、そんなことはないです。私でお役に立てれば・・・。」
 
「今のお前は、充分すぎるくらいに役に立つよ。さてと、ここから北に向かうぞ。」
 
「はい。」
 
 北へ・・・。あの極北の地に何者かが潜んでいるのだろうか。それとも漁り火の岬か・・・。だが、出掛けたのが既に昼近くだったこともあり、極北の地に入る前にキャンプを余儀なくされた私達は、街道から少しはずれたところにある、北地方警備の時にいつも使うキャンプ場所に落ち着いた。何日かかかると言われて、一応調理用具は持ってきていたので、私は食事の支度を始めた。二人分ならすぐに出来る。
 
「お前は器用だな・・・。カインと二人だとこの手の仕事はいつもお前か?」
 
 剣士団長は感心したように食事をほおばっている。
 
「そうですね。それぞれ得意分野は受け持とうってことで。」
 
「なるほどな・・・。ではお前の得意分野は料理だとして、カインは何だ?」
 
「え、えーと・・・。」
 
 私は思わず言葉に詰まった。剣士団長はそんな私を見て、おかしそうに笑った。
 
「はっはっは。そう考え込むな。カインのことだ、力仕事は引き受けているんだろう。」
 
「あ、は、はい、そうですね・・・。」
 
 カインは私よりも力がある。それに、テントを張ったり、焚き火用の薪を集めてきたりするのは、カインのほうが私よりもはるかに手際がいい。
 そのまましばし会話がとぎれた。この時、私はふと、ユノのことを思い出した。なぜかは判らない。だが、以前カインが、ユノを剣士団長が特別扱いしているフシがあるというようなことを言っていたのを思いだし、何となく聞いてみたくなった。
 
「あの・・・ユノ・・・は、どうして入ってすぐにフロリア様の護衛になったんですか?」
 
「ん?何だいきなり?」
 
「いえ・・・。乙夜の塔の警備は3年以上の剣士しか出来ないと聞いていたのですが、彼女は入って2年足らずでもうフロリア様の護衛についたと聞いたので・・・。」
 
「そのことか・・・。確かにユノが剣士団の中で少し浮いた存在になってしまったのは、それが原因かもしれん・・・。その点ではあいつには悪いことをしたな・・・。だが、ユノは入ってすぐにその実力の片鱗を見せつけた。腕のほうは申し分なかった。だから3年過ぎればフロリア様の身辺警護にはうってつけかもしれんと思っていた・・・。ところが、その前にフロリア様の専任護衛剣士が剣士団を辞めてしまってな。それでその後がまに彼女を据えたというわけだ。」
 
「前の方はどうして辞めたんですか?」
 
「前の護衛剣士は・・・キャスリーンと言ったんだが、今はティールの女房だ。」
 
「え!?」
 
 思いがけない話に私は声をあげた。
 
「ティールさんて、結婚してたんですね・・・。」
 
「何だ、知らなかったのか。」
 
「は、はい・・・。」
 
「もっともそんなことをべらべら喋る奴ではないからな。まあそういうわけだ。フロリア様の護衛剣士は相応の腕が要求される。そして時には私室にまで入ることもある。こればっかりは女性でなければならんからな。」
 
「そうですね・・・。それじゃ、フロリア様に専任の護衛剣士がついたのは、そのキャスリーンさんからなんですか?」
 
「そうだな。それまではフロリア様の私室の前に夜勤の剣士が立っていたんだ。そして侍女達もある程度の武装をしていた時期もあった。」
 
「そうですか・・・。キャスリーンさんというのは、どなたと同期なんですか?」
 
「あいつは・・・確かセスタンやポーラと同じだな。」
 
「それじゃ、セルーネさんは、フロリア様の護衛についたことはなかったんですか?セルーネさんは女性剣士の第1号だって聞きました。その時にセルーネさんを護衛剣士にするという話はなかったんですか?」
 
「いやにしつこいな。何か不審なことでもあるのか?」
 
「あ、い、いえ・・・。ただ、疑問が解明されないままだと何となく気分が悪くて・・・。」
 
 私は慌てて首を振った。次から次へと湧き上がってくる疑問を、そのまま口に出していただけだったのだが、確かにしつこかったかも知れない。剣士団長が気を悪くするかと焦ったが、団長は私を見ながらくすくすと笑っている。
 
「なるほど。お前は好奇心が強いな。まあいい、隠すことでもない。確かにセルーネが入ってきた時、そう言う話も出たよ。だがな、護衛剣士というのは、常にフロリア様のお側近くについてまわりに気を配っていなければならない。だがほとんどの場合剣を振るう機会などない。セルーネが朝から晩までじっとしていられると思うか?」
 
「・・・無理のような気もしますね・・・。」
 
 思わず言ってしまってから慌てて口を押さえた。
 
「す、すみません・・・。」
 
「はっはっは。正直だな。つまりそういうことだ。俺もそう思ったから、護衛剣士の話は出さずにおいた。入団当初のあいつにそんな話をして見ろ。大暴れされただろうな。」
 
 剣士団長はもう一度楽しそうに笑った。
 
「あいつには、外で思いきり腕を振るってもらうのが一番だ。閉じこめておけるような奴じゃないさ・・・。」
 
 その声の中に、剣士団長のセルーネさんへの思いがこもっているような気がして、私は思わず微笑んでいた。
 
「・・・しかしクロービス、お前はユノを『殿』付けでは呼ばんのだな。」
 
 剣士団長はにやにやしながら私を見た。
 
「はい・・・。あの、以前中庭で会った時に、殿付けをやめろと言われまして・・・。」
 
「中庭で?」
 
「はい。あのあたりに咲いている花に水をあげてました・・・。」
 
「ほぉ。ユノがか?」
 
「はい。」
 
「なるほどな。あの娘にそんな一面があったとは・・・。」
 
 剣士団長は感慨深げに頷いている。この話だけを聞けば、誰でもそう思うのかも知れない。だが・・・ユノと初めて出会った時の、あの凍るような冷たい瞳を思い出すと、今でも背中がぞくりとするほどだ。剣士団長は、あの冷たい瞳に気づかないのだろうか。それとも、気にもとめないか・・・。剣士団長ほどの人ならば、後者のほうかも知れない。
 ユノは入団当初からあんな風だったのだろうか。もしもキャスリーンさんという人がティールさんと結婚せず、ユノも他の剣士達と同じように誰かとコンビを組んで仕事をしていたとしたら、そうしたらもっと他の剣士達とも打ち解けて、あんな瞳で仲間を見つめたりすることなどなかったかもしれない。私達に稽古をつけてくれた時のように穏やかな瞳で、みんなと接していたかも知れない・・・。
 
 次の日に早めに出掛けることにしてその日はすぐに眠った。不思議と夢は見なかった。北に向かっているせいなのだろうか。故郷の近くに・・・。
 
 翌朝早くから歩き始めたが、極北の地はどうも天候があまりよくない。この分では海のほうも荒れているのかも知れない。結局、私が故郷を出てきた時に泊まった山小屋に、避難するような形でその日も泊まることになった。
 
 私は不安になっていた。私達が今辿っている道筋は、あの日ブロムおじさんと私が辿った道を逆に歩いている。極北の地がどの程度広いのか、はっきりとは判らないが、このあたりには他に集落がないことは確かだ。まさか剣士団長の言う『探していた男』は、懐かしい故郷に住む誰かのことなのだろうか。どんな用事で探しているのかは判らないが、王国剣士団の団長が長いこと探し続けているのだから、何かの犯罪者と言うことか・・・。では私がそこに行くことで、その誰かを告発することになってしまうのだろうか・・・。そんなことはしたくない。いつも私達親子を気にかけてくれていたあの優しい人達を、裏切るようなことは何としても避けたい。だが、だからといってここで帰りますと言うわけにもいかない。どうすればいいんだろう・・・。
 
 そんな私の思いをよそに、次の日は朝からきれいに晴れ上がっていた。
 
「よし、この分なら今日こそは辿り着けそうだな。」
 
 剣士団長は、あまり晴れやかとは言いかねる表情で、それでも元気よく小屋を出た。やがて私達が辿り着いたのは、あの海底洞窟への入口だった。
 
「ふむ・・ここだな。」
 
 だが洞窟の入口は、外から見ただけではあんなに中が広いとはとても思えない。剣士団長はまるで、そこに誰かの住まいでもあるかのような足取りで中に入っていった。その途端、
 
「まさか、こんな洞窟があるとは!!おい、クロービス、来て見ろ!!」
 
そう叫びながら私を手招いている。私はこの洞窟の存在を知っていたことを告げるべきか黙っているべきか、ここまで来てもまだ迷っていた。だがこの先にあるのは、懐かしい故郷しかない。
 
「俺もこの北大陸は隅々まで知っているつもりだったが・・・。まだまだだな。こんなところにこれほど大規模な洞窟があるとは、まったく予想していなかったよ。しかし広い・・・。するとあの男がいるのはこの先なのか・・・。」
 
 剣士団長は歩きながら感心したようにつぶやいている。洞窟に入ってから、相変わらずコウモリやサソリモンスターが出てきたが、剣士団長の剣の前ではまるでその辺の小動物のようにしか思えない。私ももうこのあたりのモンスターなら、一刀のもとに追い払うことが出来た。
 洞窟は少しずつ深く暗くなっていく。私は、以前ここを通った時からずっと持っているランプを、荷物袋の奥から取りだした。
 
「剣士団長、足下が暗いですから、今明かりをつけます。」
 
 私はそう言って、ランプに灯をともした。
 
「おお、用意がいいな。助かるよ。少し休もうか。」

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