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「そうだ。うーん・・・よし、今日からカイン・クロービス組の謹慎が終わるまでの間、オシニス達に言われたことを考えながら訓練をして見ろ。それでお前の実力がつけばお前の勝ち。つかなかったら俺の勝ちだ。お前が勝ったら、何でも好きな武器か防具をプレゼントするぞ。最もナイト輝石製のものは無理だがな。」
 
「それって逆じゃないですか?俺の実力がつかなかったら俺の勝ちって言うなら話はわかるけど・・・。」
 
「実力がつかないほうがいいってことか?」
 
 タルシスさんの笑みが消え、鋭い視線がハディに向けられた。
 
「そんな!違います!判りましたよ。乗ればいいんでしょう?」
 
 ハディは渋々頷いた。その途端タルシスさんに笑顔が戻った。
 
「そう言うことだ。これからって言うと・・・3週間あるかないかってところか・・・。ま、うまくやれば充分実力をつけられる時間だな。」
 
 タルシスさんは満足そうに頷いている。
 
「ハディ、絶対に勝ってよね。せっかく組んだコンビ解消なんて、私は嫌よ。」
 
 リーザが目を輝かせた。
 
「・・・そうだよな・・・。そんなみっともないことないもんな・・・。よし、絶対こいつらの謹慎が終わるまでに強くなってやる!だからリーザ、俺の欠点に気づいたなら、ちゃんと教えてくれよ。確かに今までの俺なら、ライザーさんの言うようにお前が教えてくれたとしても素直に聞いたとは思えないけど・・・。でもこれからはちゃんと聞くよ。」
 
「判った・・・。気づいたことは全部言うわ。だからちゃんと聞いてね。」
 
「判ったよ。」
 
「話は決まったようだな・・・。ま、強くなるったって、それでオシニス達を負かそうなんて考えるなら、この賭けは俺が勝ったようなものだがな。」
 
 タルシスさんは相変わらずにやにやしている。
 
「でもそれじゃ、どこで実力がついたかなんてわかるんですか!?」
 
 ハディがタルシスさんに詰め寄った。
 
「そうだな・・・。さっきの話によると、お前はクロービスには勝ったことがないんだな?」
 
「・・・はい・・・。」
 
 悔しさを顔中に滲ませてハディが答えた。
 
「よし、それじゃこいつらの謹慎最終日にクロービスと立合いをして、こいつを負かせるかどうかだ。」
 
「クロービスを?」
 
 私以外の全員が叫んだ。私自身はぽかんとして、ただタルシスさんを見つめていた。
 
「そうだな・・・。負かすのは無理かも知れないから互角に戦えるかどうかってところだな。それで認めてやるよ。」
 
 このタルシスさんの言葉は、火に油を注ぐようなものだった。賭けの条件が私に勝つことと言われただけで頭にきていたらしいのに、それが無理だからと言われたのだから。
 
「ば、ばかにしないでください!絶対にこいつに勝って見せますから!!」
 
 そう言い残して、ハディは鍜治場を出ていった。リーザがあとを追う。
 
「さて、クロービス、お前もこれでうかうかしていられないな。ハディが自分の欠点を認めて、それを克服すべく訓練を始めたのなら、奴はお前にとってかなりの強敵になるぞ。それに、もしお前がハディを見事負かしたら、お前に好きなものをやるよ。お前の場合は、互角ではダメだ。ちゃんと勝てよ。」
 
 いつの間にか私までが賭けに参加したことになってしまっている。そして私にとっては実に分の悪い賭けだ。いや、こんなもの賭けとすら言えないんじゃないかとさえ思えたが、さすがに口には出せなかった。それにここまで言われては引き下がるわけには行かない。ハディが強くなったから負けましたなんて言い訳にもならない。
 タルシスさんはここまで予想してこんな話を持ち出したのだろう。そしてハディが頑張ればリーザが、私が頑張ればカインが、それぞれつられて必死に訓練するだろうと、見越しているのかも知れない。
 
「わかりました。お世話になりました。カイン、行こう。今日は朝からオシニスさん達が相手してくれるんだったよね。」
 
「ああ、そうだな。それじゃ、タルシスさん、お世話になりました。」
 
「がんばれよ。」
 
 タルシスさんは『してやったり』と言った顔でにやにやしている。
 
 カインと私は訓練場に戻った。戻る途中、あの中庭でまたユノを見かけた。ちらりと見るとユノもこちらを見ている。一応会釈はしたが、ユノのほうは黙ったまま、また向こうを向いてしまった。遠かったので瞳の冷たさは見ないで済んだ。だが、花を見る時のような優しい瞳を持ちながら、なぜ私にはあれほどまでに冷たい視線を向けるのだろう。
 
 訓練場に行くと、オシニスさん達とハディ達が話している。さっきのタルシスさんとの賭けの話でもしているのだろう。私達が近づくとオシニスさんがにやにやしながら待っていた。
 
「タルシスさんにずいぶんとおもしろいことを言われたそうだな。」
 
 カインと私は、ハディ達が鍜治場を出たあとタルシスさんから言われたことも、オシニスさん達に話した。
 
「はっはっは。確かにお前にとっては分が悪いな。で、お前としてはどうなんだ?受けるのか?」
 
「受けるも何も有無を言わせずって感じで・・・。でもとにかく頑張るしかないですから・・・。」
 
「へぇ。どうやら覚悟は出来ているようだな。それじゃ、今日は手分けしよう。カイン、今日はお前に気功を教えてやるよ。クロービスはライザーに相手してもらえ。」
 
 カインはオシニスさんについて訓練場のベンチに腰掛けた。その隣ではハディとリーザがそれぞれ素振りをしていたが、やがて現れたセスタンさんとポーラさんに声を掛けられ、私達の隣で稽古を始めた。
 
「それじゃ、始めようか。」
 
 ライザーさんに促され、私は訓練場の真ん中に立った。いつも隣にいるカインがいないことが、自分が今いる場所を妙に広く感じさせていた。
 
「一人だと広いだろ?」
 
 ライザーさんが微笑んで私を見る。
 
「そうですね・・・。」
 
「大勢に囲まれれば離ればなれになって戦う時もあるからね。たまには一人で訓練することも必要だよ。それじゃ始めよう。行くぞ!」
 
「はい!」
 
 まっすぐにライザーさんに斬り込む。また思いきりはじき返される。無意識に後ろに下がらないように、いつも前を見ていようとするとすかさず脇に斬り込んでくる。何度かお互いの剣をはじき返しているうちに、ライザーさんが少しだけバランスを崩した。が、その体勢のまま私の足許に水平に斬り込んできた。足払いを食わせられたらまともに転んでしまう。私はとっさに地面を蹴って、ライザーさんの肩に手を掛け、思いきり高く飛び上がった。だが・・・むやみに高く飛びすぎたらしい。というより、私は自分がこれほど高く飛び上がれるとは思っても見なかった。私は天井から下がっているランプに激突してランプと一緒に床に落ちてしまった。自分の武器で怪我をすることは避けられたが、ランプが壊れて飛び散り、そこいら中に散乱してしまった。へたに動けない。
 ライザーさんはあまりのことに、ぽかんとして眺めている。オシニスさんが駆け寄って私を見ると、
 
「今まで壁に激突する奴はいくらでもいたが・・・。」
 
それっきりあとの言葉が続かないらしい。
 
「ランプにぶつかっていっしょに落ちてきたってのは・・・初めてだね・・・。」
 
 ライザーさんが後を受ける。
 
 そして皆一斉に笑い出してしまった。
 そのあとが大変だった。ランプの破片を集めてきれいに掃除して、さらにガラスの破片が残っていないかどうか丁寧にチェックする。幸いにもランプの油は漏れなかったが、結局この日は夕方まで訓練どころではなくなってしまった。
 
「いやぁ、今日はエライ目にあった。」
 
 夕食の席でオシニスさんがため息混じりにつぶやいた。
 
「すみませんでした。」
 
 私はひたすら小さくなって、謝り続けていた。
 
「いやぁびっくりしたよなあ。いきなりガシャーンて音がしたから、何かが壊れたのかと思って振り返ったら、お前がランプと一緒に落っこちてくるところだったんだからなあ。」
 
 カインは先ほどの光景を思い出したのか、言いながら笑い出した。
 
「クロービス、飛び上がって攻撃を避けるなら、どのくらい飛び上がれば確実に避けられるかまで計算しないとね。さっきの僕の攻撃を避けるだけなら、あれほど高く飛ぶ必要はなかったよ。」
 
 ライザーさんはくすくすと笑っていたが、声には厳しさがこもっている。無駄な動きは敵の思うつぼだ。
 
「はい・・・。あの、でも、私は自分があんなに高く飛び上がれると思ってなかったんです。それで・・・。」
 
「それだけお前に脚力がついたって事なのさ。お前ってホントのんきだな。自惚れるのは論外だが、自分がいまどの程度の実力なのかくらいはちゃんと把握しておけ。」
 
 オシニスさんも笑いながら私を見ている。
 
「はい・・・。そこまで考えないとダメなんですね・・・。」
 
「そうだね。それと、これはもっと前に言うべきだったんだけど、歓迎会の日にハディの剣を跳ね上げただろ?あういう時もね、どのくらい高く跳ね上げるか、どのあたりに落とすかまで考えないとね。でないとあんな風に自分の頭の上に落としてしまうようになるんだよ。」
 
「そ、そんなことまでコントロール出来るんですか?」
 
 今度はカインが驚いて口を挟む。
 
「そりゃそうだ。誰だって頭の上に剣を落とされたら死ぬんだぞ。命が惜しいならやるしかないのさ。」
 
 オシニスさんもにやにやしている。そこへ食事を持ったランドさんが現れた。
 
「クロービス、なかなかの活躍だったそうだな。」
 
 ランドさんはため息をつきながら私を見た。
 
「あ、あの・・・。すみませんでした。ランプは・・・弁償ですか?」
 
「出来るならしてほしいくらいだが、あれは特注品だ。お前の給料1年分でも追いつかん。剣士団長が苦笑いしていたよ。まったくお前達は金のかかる新人だなあ・・・。」
 
「まあそう言うなよ。こいつらなりに頑張ってるんだから。」
 
 オシニスさんは笑いながらもランドさんをとりなしてくれた。
 
「まあ、ランプの一つや二つくらいのことですめばいいんだがな。さっき剣士団長のところで小耳に挟んだんだが、南大陸の事態が深刻らしい。かなりモンスターが狂暴化しているそうだ。モンスター達は、おとなしくロコの橋の通行許可証なんて申請するわけじゃないからな。今まで北大陸のロコの橋付近にいたような奴らよりももっと狂暴な奴らが、海を泳いで渡ってくる可能性もあるわけだ。そんなことになれば、北大陸の治安も今までのようにはいかないだろう。」
 
 ランドさんの言葉で、みんなの間に緊張が走る。私達の隣のテーブルで食事をしていた、ハディとリーザも聞き耳を立てている。
 
「いよいよ遠征かな・・・。」
 
 オシニスさんのつぶやくような一言。
 
「どうなるかは判らないがな。とにかく、カイン、クロービス、ハディにリーザ、お前達ももっと頑張ってくれよ。3年と言わずに実力さえ伴えば、どんどん重要箇所の警備にも就けるわけだからな。」
 
 カーナ達も入って2年で南地方の警備を始めた。それならば私達にだってそのチャンスは充分にある。ランドさんのこの言葉は私達を大いに勇気づけることになった。
 
 そしてその後、カインはオシニスさんから気功と剣技を、私はライザーさんから細身の体格を生かした動きや、敵の撹乱の仕方などを教わっていった。身軽さと素早さが身上の盗賊達をして『疾風』と言わしめるほどのライザーさんの身のこなしは、見事としか言いようがなく、私は少しでも彼の動きについていこうと必死で訓練を重ねていった。
 一方、ハディとリーザは同じような組み合わせの、セスタンさんとポーラさんに相手をしてもらうことが多くなった。傍で見ている分には、ハディは確実に強くなっているように見えた。リーザもその動きと槍さばきに、一層の磨きがかかっているように思えた。タルシスさんの言うように、ハディが自分の欠点を克服していけば、今までのような調子で彼に勝つことは出来ないだろう。別に『好きな武器防具』が欲しいわけではなかったが、一度は勝てた相手に負けるなどと言う情けないことにはなりたくない。
 
 そしてやっと、待ちに待った謹慎最終日がやってきた。明日からはまた元通り外に出られる。今日を過ぎれば、今までのように中で訓練ばかりしているわけには行かないだろう。カインと私は謹慎が解けるうれしさが半分と、こんな風に訓練三昧の日々をもう送れなくなることを残念に思う気持ちが半分ずつで、少し複雑な思いのまま訓練場に向かった。
 この時オシニスさん達は乙夜の塔の夜勤あけだったのでまだ来ていない。カインと私は二人で向かい合い、体慣らしのつもりでしばらく打ち合いをしていた。そこにひょっこりタルシスさんが顔を出した。
 
「よ!どうだ調子は?ハディには勝てそうか?」
 
 タルシスさんは相変わらずにやにやしている。
 
「それは何とも言えませんけど・・・でもまだハディ達は来ていないですからね。あの二人は私達みたいに謹慎してるわけじゃないから、出掛けたかも知れないし・・・。」
 
「そうだな。すると勝負は夜か。こりゃ楽しみだ。」
 
 タルシスさんはにこにこしている。そこにオシニスさん達が入ってきた。
 
「お、早いな。」
 
 私達に向かってオシニスさんはそう言うと、隣で腕を組んでにやついているタルシスさんに目をとめた。
 
「あれ?タルシスさんめずらしいですね。ここに来るなんて。」
 
「おお、お前達か。いや、今日はクロービスとハディの立合いがあるからな。様子を見に来たのさ。」
 
「ああ、あの賭けの話ですか。」
 
 オシニスさんもにやりとする。
 
「そうだ。まあ、ハディ達は今は外に出ているんだろうから、勝負は夜だな。」
 
 タルシスさんはそう言うと、訓練場を出ていった。
 
「始めるぞ。」
 
 オシニスさんが剣を抜く。
 
「でも夜勤明けで大丈夫なんですか?」
 
 カインが心配そうにオシニスさん達を見る。
 
「大丈夫だよ。昨夜はセスタンさん達と組んだからね。休憩時間にちゃんと休むことが出来た。」
 
 ライザーさんがくすっと笑いながら、私達を横目で見た。つまりこの間のようにハリーさん達でないから心配ないと言うことか・・・。
 その時、一瞬訓練場のざわめきが消えた。入口を見るとそこに立っていたのはユノだった。ユノはまっすぐにオシニスさんの前に歩み寄ると、
 
「腕ならしをしたいのだが、この二人を貸してくれないか?」
 
 そう言って私達のほうをちらりと見た。オシニスさんはきょとんとしていたが、
 
「あ、ああ・・・。それは構わないが、別に俺達が相手してもいいぞ。こいつらがいくら二人でも、君には少し手応えがないんじゃないのか?」
 
意外そうにユノを見つめている。
 
「気遣いは無用だ。これから私は剣士団長に相手をしていただくことになっている。君たちが相手では私だって疲れてしまう。心配するな。手は抜いてやる。君たちのかわいい弟分を叩きのめして恨まれたくはないからな。」
 
 ユノはそう言うと、あの皮肉めいた微笑みを浮かべてオシニスさんを見た。
 
「剣士団長に?そうか・・・。ユノ、フロリア様のほうは大丈夫なのか?」
 
 オシニスさんはこの間の私と同じような質問をした。
 
「君までそんなことを言うのか?フロリア様は今、執政館におられる。少しの間私がいないだけでフロリア様の身が危険になるほど、執政館警備の剣士達は頼りないのか?」
 
「いや・・・。そう言うわけではないが・・・。わかった、俺達は見てるよ。カイン、クロービス、そう言うわけだからユノの相手をしてやれ。ユノは手を抜いてやると言ったが、お前達は全力でぶつかっていけ。多分それでも今のお前達には勝ち目はないだろうがな。」
 
「はい。」
 
 返事はしたものの何となく複雑な思いだった。つまりユノは、私達が相手ならこちらがいくら全力でぶつかっていっても、疲れない程度の腕ならしができると言っているのだ。カインも何となくおもしろくなさそうではある。だが、ユノの腕は折り紙付きだ。オシニスさんの言う通り、今の私達では勝ち目はないかもしれないが、普段乙夜の塔に常駐している彼女に相手をしてもらえるというのは滅多にないチャンスだ。
 
 私達は向かい合った。
 その時妙なことに気づいた。ユノの瞳。あの冷たさが消えている。木々や花を見るときのような優しさはかけらもなかったが、それでもあの冷たさが消えただけでもユノの顔の印象はまったくかわる。だがなぜだろう。その瞬間、私の肩口をユノの槍の穂先がかすめていった。
 
「クロービス!ぼんやりするな!」
 
 カインの声で我に返った。いまはとにかくユノとの立合いのことだけ考えなければ。
 
 二人でいくら必死に攻撃をかけても簡単にかわされてしまう。とても一人で二人を相手にしているとは思えない。突き刺し攻撃が主だと聞かされていた槍に、これほど多彩な攻撃方法があるとは思いも寄らなかった。私達は、攻撃こそほとんど出来なかったものの、何とか防戦だけはすることが出来た。つまりユノが手を抜いていたからだろうが・・・。
 
「それまで!」
 
 突然訓練場に響き渡った声で、私達は後ろに下がり構えを解いた。見ると剣士団長が立っていた。
 
「お前達、大分腕を上げたようだな。」
 
 剣士団長はにやりと笑いながら私達を見た。
 
「でも・・・これはユノ殿が手を抜いてくれたからで・・・。」
 
 カインが悔しそうにつぶやく。
 
「それはそうだ。フロリア様の護衛剣士が、本気を出してお前達ごときに後れを取っているようでは困るからな。さて、ユノ、体は温まったか?」
 
 剣士団長の言葉にユノは
 
「はい。ちょうどいい運動になりました。」
 
 息ひとつ乱さず涼しい顔で言ってのける。カインと私は思わず顔を見合わせ、同時にため息をついた。
 
「はっはっは。ではカイン、クロービス、ご苦労だった。そこでしばらく見ていろ。他人の立合いを見るのも勉強だからな。」
 
 剣士団長はそう言ってユノと向かい合った。凄まじい気迫が伝わってくる。
 
「ではユノ、行くぞ!」
 
「はい!」
 
 ユノの動きは、先ほどとは比べものにならないくらい速い。長い槍を振り回しているとは思えないほどだ。さっきの立合いの時この勢いで攻められたら、きっとあっという間に勝敗は決まっていただろう。だが今の相手は剣士団長だ。『エルバールの武神』と異名を取る歴戦の勇士。団長の剣は容赦なくユノを追い込んでいく。ユノは何度もバランスを崩し、時には転んだり壁まで飛ばされたりしながら、それでも絶対に槍を手放さず、果敢に攻め込んでいく。だがやがてユノの足許がふらついてきた。
 
「この辺でやめておこう。」
 
 剣士団長がユノの槍を受け止めながら言った。
 
「・・・はい。ありがとうございました。」
 
 ユノの体にはおそらく無数の打ち身が出来ているだろう。つらそうに肩で息をしている。
 
「クロービス、お前ユノを回復してやれ。ユノ、お前は完全に回復してから持ち場に戻れ。無理はしないように。」
 
「は、はい。」
 
「わかりました。」
 
 剣士団長はそう言い残して、訓練場を出ていった。私はユノに近づき、声をかけた。
 
「あの・・・どこか特別痛いところはないですか?」
 
「いや・・・。」
 
 そう答えたもののユノの腕には血が滲んでいる。
 
「少し袖をまくってください。切り傷は服の上からだと、ちゃんと治らないですから。」
 
 私はユノの腕についた切り傷を治して、さらに背中にまわって肩に手を掛けて治療術を唱えた。
 
「少しでも痛いところがあるなら言ってくださいね。本当は、治療術で回復したすぐあとに動き回るのもあんまりよくないんだけど・・・。」
 
「そこまで君に心配してもらう必要はない。執政館に何事もなければ動き回る必要はないからな。」
 
「それじゃ何かあったら?」
 
「さっきのオシニスみたいなことを言うな、君も。それほど執政館勤務の剣士は役に立たないのか?」
 
「いえ、そんなんじゃないけど・・・。可能性としてはゼロではないと思って・・・。まだ痛むところはありますか?」
 
「可能性か・・・。なるほど、確かにそうだな・・・。いや、もうない。どこも痛まない。助かった。礼を言う。」
 
「あなたが治療術を使えないとは思いませんでした・・・。」
 
 ユノが治療術を使えないと言うことが少し意外だった。彼女は一人でフロリア様を護衛しているのだから、当然使えなくてはならないだろうと思っていたのだ。
 
「私が自分の任務を遂行出来れば、フロリア様に回復していただくことが出来る。フロリア様は呪文の使い手としては、第一級の腕をお持ちだ。だが、私が自分の任務を遂行出来なかった場合、一人でおめおめと生き残れるはずがなかろう。」
 
 失敗すれば死・・・。国王専任護衛剣士というのは、私達よりも遥かに死と隣り合わせの生活なのかも知れない。その重圧が彼女の瞳を冷たく曇らせているのだろうか・・・。
 フロリア様の呪文が素晴らしいものだと言うことは、カインも私もよく知っている。漁り火の岬へ向かう途中、あっという間にモンスター達の戦意を喪失させた、あの手際は見事だった。
 
 やがてユノは立ち上がった。そして私の後ろにいるオシニスさん達に近づき、
 
「カインとクロービスの剣はどうやら君たちの直伝らしいな。だが、まだまだ無駄な動きが多すぎる。最小限の動きで最大の効果を上げることが出来るようにならなければ、この二人は君達の亜流で終わってしまうぞ。最も一ヶ月でここまでになったのだから、たいしたものだと言えば言えないこともないがな。」
 
「あ、ああ、わかった。ありがとう、ユノ。さすがだな。たった一度の立合いでそこまで見抜くとはな。」
 
 オニシスさんの言葉に、ユノはまたあの皮肉めいた笑みを浮かべながら、
 
「そのくらいのことがわからなくて、この仕事は務まらん。」
 
それだけを言うと、訓練場から出ていった。
 
 私は何となく落ち着かなかった。この一ヶ月の間に、何度か中庭でユノと顔を合わせることがあったが、いつも冷たい瞳でちらりと私を見るだけだった。花に水をやっている時に会えば手伝うことはあったが、別に彼女と私の間に共通の話題など何もない。ただ黙って水をかけて黙って立ち去る。それだけだった。だから、逆になぜ彼女があれほど冷たい目で私を見ているのか理解出来なかったが、さっきここでオシニスさん達と話していたユノの瞳を見て、あの冷たい瞳は別に私だけに向けられているのではないらしいことはわかった。では先ほどの立合いの前に見せたあの瞳は何なのだろう。彼女に冷たい瞳で見られることには、多少なりとも慣れていた。だが確かに、さっきはその冷たさが消えていた・・・。
 
「おい、行くぞ。」
 
 カインに肩を掴まれて我に返ると、まわりの剣士達はみんな訓練場を出ていこうとしている。
 
「どこに?」
 
「どこって・・・。飯だよ。」
 
「あれ?もうお昼?」
 
「そうだよ。お前大丈夫か?さっきの戦闘中からこっちぼんやりしてばかりいて。疲れてるんじゃないのか?」
 
 カインが心配そうに私の顔を覗き込む。
 
「いや、大丈夫だよ。行こう。」
 
 私達は訓練場をあとにして食堂に向かった。あれほど動き回って腹は減っているはずなのに、何となく食が進まない。隣ではカインがいつもよりも大盛りの一回目を平らげ、おかわりに取りかかろうとするところだ。
 
「あれ?」
 
 私達の向かい側で食べていたオシニスさんが不意に顔をあげた。
 
「どうした?」
 
 隣のライザーさんが不思議そうにオシニスさんを見る。
 
「いや・・・さっきユノが言っていた・・・『君までそんなことを』っていうのはどういう意味なんだろうと思って・・・。」
 
「さっき君がフロリア様のことを聞いた時の話か?」
 
 ライザーさんは憶えていたらしい。
 
「ああ、そうだ。『君まで』っていうのは、その前に誰かが似たようなことをユノに言ったからなんだろうけど、さっきユノが訓練場に入ってきてから俺と話すまで、他の誰とも喋ってなかったはずだなと思ってな。」
 
「それは・・・もしかしたら・・・。」
 
 思い当たることがあって、私は思わず口を開いた。
 
「何だ?クロービス、お前何か知ってるのか?」
 
 オシニスさんは、不思議そうに私を見た。
 
「あ、あの・・・もしかしたら、私が前に似たようなことを聞いたせいかも知れないです・・・。」
 
「お前が?何言ったんだ?」
 
 私は中庭でユノに出会って話をしたことをオシニスさんに話した。
 
「なるほどな。そういうことか。解ったらすっきりした。だが意外だな。ユノにそんな一面があったことも意外だが、お前がユノと親しくしているってのはもっと意外だ。」
 
 オシニスさんは首を傾げながら食事を続ける。
 
「親しくないです。ただ、『殿』付けをやめろと言われただけで・・・。」
 
「正直言うと僕も意外だな。彼女はどちらかというと、自分からまわりを遠ざけているようなところがある。それなのに君にそんな風に言うなんて、ちょっと不思議な感じがするね。」
 
 ライザーさんまで首を傾げている。
 
「それに・・・。さっきなんでお前達と立合いさせろなんて言ったのかな・・・。別に俺達が相手したって、体慣らしだって言うならそれなりに合わせられるし。どうも俺には、お前達の腕を見てアドバイスしてくれるために、わざわざ相手をさせたとしか思えないんだよ。」
 
「まさか!」
 
 オシニスさんの思いかげない言葉にカインが顔をあげる。
 
「実を言うと僕もさっきちらっとそう思ったんだよ。でもまさかと思ったから口に出さなかったけどね。」
 
 ライザーさんも同じことを感じていた・・・。なぜだろう。ユノはなぜ私達のことなど気にかけていたのだろう。私は黙って食事をしていた。でもなんだか味がしない。頭の奥がずきずきと痛む。私は食事を途中でやめて、食器を返そうと立ち上がった。

「あれ?もう終わりか?何だよ、ほとんど残してるじゃないか?」
 
 カインが心配そうに視線を私に向けた。
 
 大丈夫だと言おうと私はカインのほうを見たが、私が声を出す前にカインがぎょっとして言葉を続けた。
 
「お、おい・・・?お前どうしたんだよ・・・?真っ青だぞ・・・・?」
 
 私は『心配ないよ』と言う意味を込めてカインに向かって微笑んでみせた。いや、微笑んでみせたつもりだった。が、その瞬間私の視界はぐるりと一回転し、それっきり目の前が真っ暗になった。
 
 目が覚めたのは自分の部屋のベッドの上だった。誰かがここまで運んでくれたのだろうか。頭が痛い。今はどのくらいの時間だろう?
 部屋を見回すと誰もいない。カインはあれからまた訓練に戻ったのだろうか。私は自分の額に手を当てて治療術の呪文を唱えた。頭痛はすっととれた。やはり疲れていたのだろうか。謹慎になってからというもの、ほとんど毎日私は訓練場にいた。洗濯などの雑用も訓練の合間にやっていたし、訓練場にいない時には、大抵中庭か図書室にいた。考えてみればこの一ヶ月、ほとんどゆっくりと体を休ませるということがなかったことになる。でもカインも同じように過ごしてきたはずなのに、どうしてカインはあんなに元気いっぱいなのだろう。どれほど疲れても、たっぷり食べて一晩眠れば、疲れはまったく残らないらしい。
 
(やっぱり体格の違いなのかな・・・。)
 
 カインよりも私の体格は明らかに細身だ。自分としては頑張って体力造りをしてきたつもりだったが、まだまだ足りないと言うことか。私は歓迎会の時のセルーネさんの言葉を思い出した。
 
『お前はまだ成長途上だな。』
 
 私より二歳年上のカインよりある程度劣るのは、仕方ないことなのだろうか・・・。
 ここまで考えて、私は大きく溜め息をついた。そんなことを今考えても仕方がない。これからのことを考えなくては。今日はハディと立ち会いの予定だった。もう体力は回復している。食事も取れそうだ。とりあえずさっき食べられなかった分くらいは食べておこうと、私は部屋を出て食堂へ向かった。
 食堂の中には、日勤の剣士達が仕事を終えて、食事のためにぽつりぽつりと入ってくるところだった。
 
「あら、クロービス、もう大丈夫なのかい?」
 
 食堂のおばさんは心配そうに声をかけてくれる。
 
「うん、もう大丈夫。心配かけてすみませんでした。」
 
「そりゃよかったねぇ。カインがあんたのこと一生懸命背負っていったんだよ。」
 
「カインが・・・?」
 
「そうだよ。オシニスやライザーのほうが、力があるから連れて行ってくれるっていうのに。カインがね、こいつは俺の相方だからって。あんた達は仲がいいんだねぇ。単なるコンビってだけじゃなくて、親友同士って感じだねぇ。」
 
 おばさんはそう言って目を細めている。
 
「親友同士に見える?」
 
「ああ、見えるよ。」
 
 私は嬉しくなった。
 
「ありがとう。とにかく食べなくちゃ。食事頼んでいいかな?」
 
「はいはい。たくさん食べて欲しいとこだけど、いきなり詰め込むのはよくないよ。」
 
 おばさんはそう言うと、いつもより少し少なめの食事を用意してくれた。
 食事を終えて、私は訓練場に向かった。中にはいるとカインが私に気づき駆け寄ってきた。
 
「おい、大丈夫なのか?まだ歩き回らない方がいいんじゃないか。お前さっき真っ青だったんだぞ。」
 
「ごめん。心配かけちゃったね。部屋まで運んでくれたんだね。ありがとう。ゆっくり休んだからもう大丈夫だよ。それに今日は謹慎最終日だから、ハディと立合いする約束してたし。」
 
「お前軽いから、たいしたことなかったよ。そんなことは気にするな。とにかく無理するなよ。やめといた方がいいぞ。オシニスさん達だって心配してたんだから。」
 
「大丈夫なのか?クロービス。」
 
 カインの後ろからハディが声をかけてきた。
 
「大丈夫だよ。タルシスさんと約束したからね。君と立合いしないとね。」
 
「でも体調の悪いお前とやり合って勝てたって俺は納得しないぞ。どうせなら100%の実力を出しあいたいからな。無理そうならいいよ。どうせタルシスさんが勝手に言いだしたことだし、これから先いくらでもチャンスはあるだろうからな。」
 
「大丈夫だよ。」
 
 私はもう一度言った。ハディの言う通り、別に今日でなくてもチャンスはいくらでもある。でも私は、なぜか今日でなくてはいけないような気がした。実際体力は回復していたし、頭痛も取れた。治療術一回分くらいなら精神疲労の方は気にするほどのことはない。
 
「・・・そうか・・。本当にいいんだな?俺は手加減なんてしないぞ?」
 
 ハディが念を押す。
 
「うん。大丈夫だよ。カインに立会人になってもらって始めようか。」
 
「それには及ばんぞ。」
 
 後ろからの声に振り返ると、何と剣士団長が立っていた。
 
「俺が審判を務めよう。タルシスから話は聞いている。ハディはクロービスと互角に戦えるか、クロービスはハディに勝てるか、こういう事だそうだな。」
 
 剣士団長はにやりと笑った。話が矛盾していることくらい、剣士団長は百も承知のはずだ。
 
「は、はい・・・。では、お願いします。」
 
 剣士団長がわざわざ審判を・・・?もしかしたら、団長は私達が謹慎の間にどの程度の実力を身につけたのか、確かめるつもりなのだろうか。
 
「では位置につけ。」
 
 団長が現れたことで、皆何事かと集まってきた。私は深呼吸して位置についた。もう頭痛もしない。体の疲れも取れている。大丈夫だ。この一ヶ月、いろんな人達が私に惜しげもなく自分の技術を教えてくれた。その人達から教わったことを、私が果たしてどの程度自分のものに出来たのか、それが今試される。
 向かい合うハディは、以前のようにむやみに殺気をまき散らせてはいない。まっすぐに私を見据えている。彼はどのくらい強くなったのだろうか。いや、たとえどれほど強くなっていたとしても、負けるわけにはいかない。
 
「始め!」
 
 私は迷わずにハディに向かって斬り込んだ。ハディも突進してくる。何度かお互いの剣をはじき返しながら、目を凝らして隙を窺う。だが、以前のように脇や足元ががら空きと言うことがない。すごい進歩だ。お互い、なかなか相手にダメージを与えることが出来ずに、時間ばかりが過ぎていく。このままでは長期戦になる。そうなれば私が不利になってくる。
 
「前よりも強くなったな。」
 
 向かい合ったままハディがにやりと笑う。
 
「君もすごいよ。」
 
 私も言葉を返した。
 
「だがそろそろ決めさせてもらうぜ!」
 
 そう言うとハディはまた私に向かって突進してきた。消耗戦に持ち込んで自分に有利に進めようと言う気はないらしい。ハディらしいと言えば言えるが、そのあたりは少し甘いかも知れない。ハディはまっすぐに私に向かってくると胴をめがけて剣を振り下ろした。
 私はとっさに剣先を避けて、右によけながらハディの肩に手をかけて飛び上がると、彼の後ろにくるりと降り立った。今度はむやみに高く飛ばずに済んだ。驚いたハディが振り向いて体制を整える前に、私は思いきりハディの胸当てに向かって斬りつけた。その剣先がちょうど彼の小手に当たり、剣がたたき落とされた。
 
「それまで!」
 
 剣士団長の声。悔しそうに唇を噛むハディ。だが以前のように口をへの字に曲げてそっぽをむいたりはしない。
 
「なるほど。こういうことか。」
 
 剣士団長は納得したように頷いている。
 
「お前達の実力は確かに互角だ。だが、身の軽さの分だけクロービスのほうに分があった。大したものだな。たった一ヶ月でこれほど腕を上げるとはな・・・。」
 
 その言葉を聞きながら足許が少しふらついた。やはりあまり体調はよくないらしい。
 
「大丈夫か?」
 
 ハディは心配そうに私の腕を掴んで支えてくれた。
 
「ありがとう。」
 
 その時私の肩に誰かが手をかけた。その瞬間ふぅっと体が軽くなり、もうめまいもふらつきもしない。振り向くとカインだった。
 
「オシニスさんに教わった気功を使ってみたんだけど・・・効いたか?」
 
 カインは不安そうに私を見つめる。
 
「効いたよ。すごく楽になった。ありがとう、カイン。」
 
「そうか。よかった。もっと使いこなせるように頑張るよ。そうすればお前ばかり呪文で消耗することもないしな。」
 
 カインは嬉しそうに笑った。剣士団長は、私達の会話を黙って聞いていたが、
 
「カイン・クロービス組!明日から謹慎を解く。明日の朝、ハディ・リーザ組と共に俺の部屋に来い。新たな任務を申しつける。」
 
 そう言うと、にやりと笑って訓練場を出ていった。
 
「任務?」
 
 私達は顔を見合わせた。
 
「いよいよ私達も何か仕事を任されるのね。楽しみだわ。」
 
 リーザがうきうきとしたように言う。やはり剣士団長がここに来たのは、私達の腕を見るためだった。
 
「ねえ、一度私達4人でやらない?クロービスとハディは今やり合ったばかりだけど、大丈夫そうならね。」
 
 リーザの提案に私達は、今度は二人ずつ向かい合った。この組み合わせで立合いをするのが実は初めてだと、今気がついた。いつもハディと私とか、私対ハディとリーザとか、そんな組み合わせばかりだった。先ほどの立合いでハディが強くなっているのはわかったが、リーザの槍さばきにも磨きがかかっている。ポーラさんの直伝か。むやみにハディのカバーに入らず、自分の戦闘をしっかりとしている。そしてハディの隙はかなり少なくなっている。このままいけば本当にずっと強くなるはずだ。私もうかうかしてはいられない。今回はたまたま一ヶ月間訓練三昧の日々を過ごせたが、明日以降仕事をこなしながらではなかなかうまくいかないかも知れない。でもみんなその中で時間をやりくりして自分の腕を磨いている。
 
「おーい、そろそろやめとけ。もう遅いぞ。」
 
 セスタンさんの声で私達は打ち合いをやめた。
 
「いやぁ、お前ら強くなったな。たいしたもんだよ、ほんとに。」
 
 セスタンさんはため息をつきながら私達を眺めている。
 
「セスタンさん達のおかげです。いつも相手していただいてたから。ほんとにありがとうございました。」
 
 リーザが丁寧に頭を下げた。
 
「いくら俺達が教えたって、お前達に憶える気がなけりゃこんなにうまくはいかないのさ。これからもがんばれよ。」
 
 セスタンさんはにこにこしながら訓練場を出ていき、私達もそれぞれの部屋に戻った。

第15章へ続く

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