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「こんにちは。」
 
「はい、いらっしゃいませ。」
 
 奥から出てきたのはおかみさんだった。
 
「あら・・・あなた確か・・・ずっと前にうちにいらっしゃいませんでした?」
 
 おかみさんは私の顔を憶えていてくれたらしい。
 
「はい。一ヶ月ほど前、仕事を探していて・・・。」
 
「ああ!!そうそう、そうよね!?あなたが出ていったあとね、うちの人がいきなり大きな声で『あ、そうだ!!今の人ならいいかもしれない!!』って叫んで、あなたを追いかけていったのよ。ちょっと待っててね。」
 
 おかみさんはそう言うと店の奥に戻っていった。ところが、そのままなかなか出てこない。その時、店のカウンターの奥からちょこんと顔を出した女の子がいた。
 
「こんにちは。いらっしゃいませ、けんしさん。」
 
 驚くほどはっきりと喋る子だ。
 
「こんにちは。君はだあれ?」
 
 私は体をかがめて話しかけた。
 
「わたしはシャロンよ。いまのはわたしのかあさんなの。」
 
 セディンさんの娘さんらしい。
 
「いくつなの?」
 
「8さいよ。でももうすこしで9さいになるの。ひとつおとなになるのよ。」
 
 色の白い大きな瞳の女の子。見事な赤っ毛だが、大きくなれば金髪になるかもしれない。そこにドタドタと足音がして、奥の扉がバタンと開いた。
 
「おお、あんたか。いやぁ、おめでとう!王国剣士になったんだな。いやよかったよかった。あの時あんたの後を全力で追っかけた甲斐もあるというもんだ。」
 
 セディンさんは満面の笑みを浮かべて私達を歓迎してくれた。
 
「あの時はありがとうございました。ほんとはもっと早く来たかったんだけど・・・。実は今日初めて給料をもらったから、何か買おうと思って・・・それで今になっちゃって。」
 
 私の言葉にセディンさんは、
 
「そんな・・・そんなに気にかけてくれていたのかい・・・。ありがとう。めいっぱいサービスするよ。あんたの頼みなら、手に入る限りのものをなんでも取り寄せてやるよ。」
 
 そう言って涙ぐんだ。
 私は、家を出る時に持ってきた薬草が少し減ってきたのでそれを充填し、他に何があるかいろいろと聞いてみた。さしあたり遠出の予定はなかったので、そろそろくたびれてきたシャツや下着の代わり、それにそのうち使うこともあろうかと、水を入れる革袋をいくつか買った。
 
「毎度ありがとう。どうだ。お茶でも飲んでいってくれないか?」
 
 セディンさんの誘いに少しだけならと、私達は店先にお茶を出してもらってご馳走になった。その時、奥からおかみさんがやっと出てきた。赤ん坊を抱いている。
 
「さっきはごめんなさいね。待たせてしまって。この子がちょっと熱があったものだから・・・。」
 
「いえ・・・かわいい赤ちゃんですね。女の子ですか?」
 
「そうよ。ねぇ、フローラ、ほら王国剣士さんよ。」
 
 おかみさんはそう言って、赤ん坊の顔を私達に向けてくれた。何も知らずにきょとんと私達を見つめる無垢な瞳。この赤ん坊が20年の後、自分の息子の恋人として再び目の前に現れることなど、この時の私には思いも及ばないことだった。
 
「かわいいだろう?この名前はね、フロリア様みたいに美人になってくれないかと思ってね。俺がつけたんだよ。なあ、シャロン、フローラが美人になるといいな。」
 
 そう言ってセディンさんはシャロンを膝に抱き上げた。
 
「とうさん、わたしはきれいにならないの?」
 
「ははは。お前はもうきれいだよ。だからフローラもお前みたいになるといいな。」
 
「あら、フロリアさまじゃないの?」
 
「ん?うーん・・・よし、フロリア様とお前みたいになるようにだ。」
 
 セディンさんは大声で笑った。シャロンは利発な娘だった。ちょっとした言葉の矛盾をちゃんと指摘する。
 
「ご馳走さまでした。また来ます。」
 
「おお、毎度ありがとう。」
 
 私達はセディンさんの店を出た。
 
「へぇ、あの人がお前に王国剣士募集のことをねぇ・・・。それじゃそれまでは、お前は王国剣士になろうと思っていなかったと言うことか?」
 
「思っているもいないも、王国剣士の試験があることも、それをいつでも誰でも受けられるなんてことも、全然知らなかったんだ。私の故郷の島で王国剣士についての話題なんて、口にする人はいなかったからね。門番の剣士達も町の中を歩いている剣士達も、みんな礼儀正しいし、歩く姿は颯爽としているし、少なくとも、王国に出てきたばかりの田舎者がなれるような職業だなんて思っていなかったよ。」
 
「なるほどな・・・。採用試験には、遠くの離島からも受けに来る人はいるけど、でもまあ確かに、お前の住んでいた島ではそんな話が出るはずはないよな・・・。それで考えている最中に『通りすがりの旅人』になったわけか。」
 
「そういうこと。」
 
「ふぅん・・・。ところでさ、今日はもう少し南の境界近くまで行ってみないか?」
 
「南へ?大丈夫かな・・・。」
 
「境界までならそう遠くはないし、今の俺たちなら行けると思うんだよな。」
 
「そうか・・・。少し腕試しのつもりで行ってみようか。」
 
「よし、決まりだ。」
 
 そして南門へ向かおうとした時、視界の端に何となく見知った顔を見たような気がして、私は思わず足を止めた。
 
「何だよ?どうかしたのか?」
 
 カインが怪訝そうに私を見る。
 
「いや・・・誰かいたなと思って。」
 
「どこに?」
 
 私は商業地区の大通りから、一本裏手の道を覗き込んだ。その通りには、洋服を売っている店や、アクセサリーの店などが建ち並び、割と女性向けのような通りだった。その通りの先を歩く二人の人影・・・。
 
「あの二人・・・もしかして・・・。」
 
 一人は背が高い。男性だろう。あの髪の毛・・・。金髪・・・。
 
「・・・おい、クロービス、俺にはあの人影が剣士団長に見えるんだが・・・俺の目がおかしくなったのかな・・・。」
 
 私の後ろから通りを覗き込んだカインが、狐につままれたような顔で囁く。
 
「・・・私もそう思った・・・。鎧着てないけど・・・。今日は非番なのかな。」
 
「・・・まあそうだろうな・・・。でも隣にいたのが・・・。いや、俺の見間違いだろう。」
 
「・・・多分見間違ってないと思う。」
 
「お前もそう思ったのか・・・?」
 
「うん・・・。」
 
 隣にいたのは・・・女性だった・・・。いや、実際には別にスカートをはいていたわけではない。どちらかというと男性のような身なりをしていた。でもカインと私には女性だとわかった。私達がよく見知っている女性の横顔だったからだ・・・。
 
「やっぱセルーネさんだったか・・・。」
 
「・・・みたいだね。」
 
「あの二人・・・そう言う関係だったのか・・・。」
 
「そうなんだろうね。」
 
「・・・へぇ・・・何かすごい意外なんだけど。」
 
「うんすごく・・・。でも私達が意外だと思ったって、実際にそうなら別にいいんだろうけど。さっきのセルーネさんの顔、あんな優しい表情見たことない・・・。」
 
「・・・そうだよな。いつもにやにやしてるか怖いかどっちかだもんな・・・。まあいいか。さてと、行こう。」
 
 思いがけない事実に少し興奮しながら、私達は商業地区から南門を目指して歩き始めた。
 
 南門を抜けてしばらくは、いつもの警備の範囲内だ。いつものようにちょこちょこと出てくるモンスター達を薙ぎ払いながら、私達は少しずつ南に向かっていった。やがて境界に近づくにつれて、獰猛なモンスターが多くなってきた。すぐに戻るつもりでいたので、矢もそれほど持っていなかった私は、すぐに射尽くしてしまった。剣を振るいながら風水もめいっぱい使っていくと、だんだん消耗が早くなる。だが治療術を使えるだけの余力は残しておかなければならない。そのうち、見覚えのない場所に来ていることに気づいた。
 
「まずい・・・迷ったかな・・・。」
 
 カインが不安そうにつぶやいた。
 
「でも・・・何となくさわやかな場所だよね・・・。」
 
「まあ・・・そうだけど・・・。」
 
 初めて来た場所だった。涼しい風が吹いている。道は木立に隠れてずっと続いているようだ。そしてそちらの方角からさわやかな香りが漂ってくる。
 
「奥に何かあるよ。」
 
「行ってみるか。」
 
 私達は木立に向かって歩きだした。長い細い道が延々と続く。不思議なことにモンスターの気配がない。
 
「なんだここは・・・?」
 
 カインがますます不安そうにつぶやく。すると突然目の前が拓けた。キラキラと輝いていたそれは、美しい泉だった。
 
「こんなところにこんなものが・・・。」
 
 私達は驚いてただ見つめていたが、陽の光を映して輝く泉の水面を見ているうちに、喉が渇いてきた。
 
「ちょっと飲んでみようか。」
 
 泉に近づこうとする私にカインは
 
「ま、待てよ。何か悪いもんでも入っていたりしたら・・・。」
 
不安そうに私の腕を引っ張る。私は、以前『我が故郷亭』で出会った冒険者の話をカインにして聞かせた。
 
「ここがその泉だって言うのか?」
 
「だと思うよ。ここはすごいさわやかだし、さっきまでたくさんいたはずのモンスターが、ここに来るまでの間一匹も出てこないもの。何か不思議な力があるような気がするな。」
 
「よし、それじゃまず俺が飲む。やばくなったらお前の治療術で何とかしてくれ。」
 
 カインはそう言うと泉に近づき、その水を一口飲んだ。そのまま動かない・・・。
 
「カイン?どうしたの?」
 
 顔を覗き込もうとする私にカインは突然振り向くと、
 
「うまい!!」
 
そう叫んだ。
 
「おいクロービス、お前も飲んで見ろよ。無茶苦茶うまいぞ、この水。」
 
 私も泉のほとりにひざまづいて、水をすくって飲んでみた。
 
「ほんとだ・・・。すごくおいしい・・・。」
 
 冷たいだけではない、何か・・・とてもさわやかな香りがして、カインと私は何度も水をすくい、口に運んだ。
 
「これ持っていけないかな。」
 
 カインが名残惜しそうに泉を見つめる。
 
「それなら革袋持ってるよ。」
 
 私はさっきセディンさんの店で買った革袋をとりだした。二人で革袋に水を汲んでいるうちに、不思議なことに気づいた。体が軽くなっている。南に近いところに生息するモンスター達とやり合って、かなり消耗していたはずなのにすっかり疲れがとれていた。そしてもっと驚いたことには、あちこちに出来ていた擦り傷や切り傷もきれいに消えている。
 
「あれ?お前治療術使ったのか?」
 
 カインも不思議そうに消えた傷のあたりを見ている。
 
「使ってないよ。この水を飲んだから消えたとしか思えない・・・。」
 
 私達は顔を見合わせた。
 
「・・・不思議なことってのはまだまだこの世界にたくさんあるんだな・・・。」
 
 カインがぽつりとつぶやいた。私達はまた元来た道を戻った。しばらく歩いて振り返ると、さっきとは風景が変わっている。
 
「あれ?道が・・・ない!」
 
 私は思わず叫んだ。
 
「え!?それじゃあの場所へは・・・。」
 
「どうかな・・・もう行けないかもしれないね・・・。」
 
「・・・うーん、もったいないけど・・・仕方ないのかもな。あんな場所に誰でもほいほい行けたりしたら、あっという間に泉の水が涸れちまうしな。」
 
「そうだね・・・。」
 
 私達はまた歩き出した。その時、道の右側から何かが飛んできて私の背中に当たった。
 
「痛っ!!」
 
 足下には錆びた短剣が落ちている。
 
「なんだ?モンスターか!?」
 
 カインがとっさに身構えた。
 
「モンスターとはご挨拶だな。」
 
 道の脇にある草むらから出てきたのは、黒い忍び装束に身を包んだ男達だった。
 
「盗賊か・・・。」
 
 そうつぶやいたカインに、中の一人がいきなり襲いかかるが、カインは難なくかわし、利き腕に思い切り斬りつけた。
 
「ぎゃぁ!!」
 
 盗賊は叫んで痛みに転がりまわった。
 
「やるじゃねぇか。こうでなくっちゃ楽しめねぇよなぁ。」
 
 野卑な笑い声をたてながら、盗賊達はにじり寄ってきた。ここは狭い。やり合うなら広い場所に出た方がいい。幸い道の先には草原が広がっている。私達は顔を見合わせると、迷わず道の先に走り出した。
 
「おおっ!!俺たちから逃げるつもりらしいぞ、こいつら!」
 
 盗賊達は躍起になって追いかけてくる。だが広い場所に出ると、なんと別の一団がいた。どうやら仲間らしい。
 
「まったく楽しませてくれるよなあ。見ればまだガキじゃねぇか。お子様はこんなところに来るもんじゃねぇぜ。ここは俺たちが縄張りにしようと決めた場所だ。おとなしく金目の物を置いていくなら、腕の一本くらいですませてやってもいいがなぁ。ひっひっひ。」
 
 首領らしい男がへらへらと不気味に笑いながら私達を見ている。
 
「まいったな・・・。さっきの奴の手応えからしてそれほどの腕とは思えないが、数が多すぎる・・・。」
 
 カインが小さな声で私に耳打ちをする。
 
「あぁ?なんだぁ!?こいつらよく見たら剣士団の制服着てやがるぜ。剣士団の制服なんてもうずっと見てないからな。気づかなかったなぁ。」
 
 別な盗賊が意外そうに声を上げると、他の盗賊達が一斉に笑い出した。
 
「おいおい、王国剣士団て言うのは、いつから子供の遊び場になっちまったんだ?」
 
 カインは怒りに体を震わせている。が、この人数相手では勝てるかどうか微妙なところだ。おまけに殺すわけには行かない。うまく手傷を負わせる程度ですませられるかどうか・・・。
 膠着状態に陥っていたその時、背後で草を踏む音が聞こえた。
 
「ちくしょう!新手か!?」
 
 カインが舌打ちをする。足音は近づいてくると、
 
「なんだよ。こんなところに固まっていやがったか。あちこち歩く手間が省けたな。」
 
「えらく大所帯だねぇ。なんでこんなにたくさんいるんだろう。」
 
 この声は・・・!!
 
 声の主達は私達に気づいたらしい。スタスタと歩み寄り、
 
「で、なんでここにお前らがいるんだ?」
 
 オシニスさんとライザーさんだった。
 
「オシニス、その質問はあとにしないか。とにかくここを切り抜けることが先決だ。」
 
「それもそうだな。しかし多いなあ。おまけにこいつらの装束は見たことないぞ。このあたりの盗賊どもとはちょっと違うみたいだな。」
 
 私達の隣でのんきに会話を続けるオシニスさん達に、すっかり無視された格好の盗賊達は気を悪くしたらしい。
 
「おい!!ごちゃごちゃ抜かしやがって!!今度はなんだ!?ガキンチョ二人の次は、ちったぁ使えそうな奴が出てくるのかと思ったら、やんちゃ坊主みてぇな野郎にナヨナヨしたやさおとこか。けっ!王国剣士団てぇのはこの程度かよ。ひっひっひ。」
 
「・・・『やんちゃ坊主』ってのは俺のことかな・・・。」
 
「そうだろうね。『ナヨナヨしたやさおとこ』っていうのは・・・やっぱり僕のことか・・・。」
 
「まぁ、そうだろうな。俺は『やさおとこ』と言われたことはないぞ。」
 
「僕だって『やんちゃ坊主』と言われたことはないさ。」
 
 ライザーさんはため息をついた。
 
「ライザー、どっちに行く?」
 
「君が先でいいよ。」
 
「よし、俺は右だ。」
 
「では僕は左へ。」
 
 カインと私は剣を構えたまま二人の会話を聞いていた。とても大勢の盗賊達を前にしての会話とは思えない。余程の自信があるのか・・・。私など、剣を持つ手のひらが汗でべったりしているくらいなのに。
 
(おい、クロービス・・・。)
 
 オシニスさんが小さな声で私に話しかける。
 
(はい・・・。)
 
(あいつらを脅かせるような風水はないか・・・?)
 
(ありますけど・・・。)
 
(傷はつけなくていい・・・。あいつらを真ん中から分断しろ・・・。呪文を唱えたらお前はライザーの後に続け。カインは俺と来い・・・。)
 
(はい・・・。)
 
 カインも小声で返事をする。私は盗賊達の真ん中の上空を狙って風水術『百雷』を唱えた。稲妻がひらめき、ばりばりと音をたてて盗賊達の足許に炸裂する。盗賊達は慌てふためき、右と左にきれいに別れて逃げまどう。
 その瞬間、
 
「行くぞ!!」
 
 同時に飛び出したオシニスさん達のあとを追って私達も駆け出した。二人は右と左から先陣を切って盗賊達の中に斬り込んでいく。盗賊達は、一人ずつ戦えばカインと私でも充分倒せる程度の相手だ。オシニスさん達の敵ではない。だが殺さないで仕留めるというのは実はとても難しい。相手が人間ならなおさらだ。カインと私は、オシニスさんとライザーさんがなぎ倒していった盗賊達が起きあがって追撃しようとするのをくい止めながら、必死でそれぞれのあとを追っていた。訓練場で二人の立合を見ていた時、ライザーさんを怖いと思ったが、今自分の前で剣を振るう彼はまるで鬼神のようで、もっと恐ろしかった。
 ライザーさんの剣さばきは見事なものだった。右の盗賊の肩に斬りつけ、返す刀で左側の盗賊の足許を薙ぎ払う。右手で、左手で、時には両手で、剣は彼の手の中で、まるで生き物のように動き回る。この速さでは、両手に剣を持っているようなものだ。戦いのさなかだというのに、私は思わずその剣の動きに見とれてしまいそうだった。
 やがて盗賊達は一人残らず倒れ込み震え上がり、すっかり戦意を喪失している。
 
「さっさと失せればこのくらいにしておいてやるぞ。どうだ?」
 
 オシニスさんが盗賊の首領らしい男に剣先を突きつけながら顔を覗き込む。カインと私は、もうすっかり疲れ果てて、その場に立ったまま剣を構えることも忘れ、肩で息をしていた。
 
「・・・畜生!引け!!」
 
 盗賊の首領はそう叫んで逃げようとした。が、振り向きざまヒュンと投げた何かが私の肩に命中した。
 
「うぁっ!!」
 
 焼けつくような痛みが走る。この痛みは・・・!それは刃先に毒を塗り込めたダガーだった。
 
「クロービス!!」
 
 視界が歪み倒れ込んだ私を、カインが支えてくれた。
 
「この野郎!!」
 
 叫んだオシニスさんよりも速くライザーさんが飛びだし、盗賊の首領に斬りつける。首領の忍び装束は真ん中から切り裂かれ、胸板にもうっすらと傷が付いた。
 
「ひいっ!!」
 
 大した傷ではないはずだが、あまりにも素早く切り裂かれた自分の服を見て首領は青くなっている。ライザーさんはなおも首領の鼻先に剣先を突きつけながら叫んだ。
 
「我々は王国剣士団だ!このエルバール王国に害悪をなすものは何人たりとも許さん!!早々に立ち去らねば、今度こそ容赦はせんぞ!!」
 
 その言葉を聞きながら意識が遠くなる。目の前がどんどん霞んでいき、やがて真っ白になった。この状態では自分で呪文を唱えることが出来ない。自分の体の中に毒が回っていくのがわかる。カインが口元に持ってきてくれた解毒剤をやっとの事で飲み下したものの、あまり効いた気がしない。どうやらこの毒は即効性らしかった。
 
「おい!!クロービス、しっかりしろ!!」
 
 カインの声もどこか遠くからの声に聞こえる。その時、何かが聞こえた・・・。
 これは・・・呪文・・・?
 毒の・・・中和の・・・呪文・・・。
 
 そしてそのまま、私の意識は闇に吸い込まれていった・・・。
 
 
 目を覚ました時、あたりはもう夕暮れだった。陽はすでに西の空に沈み、藍色の闇があたりを覆い尽くそうとしていた。南地方の暑さも朝と夕だけは和らいで、涼しい風が吹きすぎていく。よく見ると、自分が今いる場所がテントの中であることに気づいた。これはどこのテントだろう・・・。私はなんでここにいるんだろう・・・。そしてやがて、私は昼間の出来事を思い出した。調子に乗って南に来すぎて、不思議な泉にたどり着き、そのあと盗賊に出会って・・・。
 
 そうだ。私は盗賊の首領が投げた即効性の毒を塗ったダガーにあたったのだ・・・。
 
 その時、
 
「目が覚めた?」
 
そう言って私の顔をのぞき込んだのはライザーさんだった。
 
「は、はい・・・。」
 
 私は焦って飛び起きようとしたが、ふらついて起きあがれない。
 
「まだ起きない方がいい。」
 
 ライザーさんはそう言うと、私の額に手を当てて治療術の呪文を唱えてくれた。少し体が軽くなる。
 
「危なかったね。あんな毒を使う盗賊がこのあたりにもいるとは思わなかったな。」
 
「ライザーさんが毒を中和してくれたんですね。」
 
「うん。間に合ってよかったよ。この毒は即効性だ。解毒剤では間に合わない。」
 
 そこへカインが顔を出した。
 
「クロービス!!目が覚めたんだな。」
 
 カインは少しだけ赤い眼をしていた。
 
「・・・よかった・・・。心配していたんだ。おい、さっきの水飲んでみろよ。効くと思うぞ。」
 
 カインはそう言って、先ほどの泉の水を私に差しだした。水を一口飲むと、ふわりと体が軽くなる。二、三度水を飲むと、すっかり気分が良くなった。
 
「やっぱり不思議だな、この水は。」
 
 カインはしきりに感心している。
 
「この水は・・・どこで?」
 
 不思議そうに見つめるライザーさんと、私が水を飲んでいる間に顔を出したオシニスさんに、カインは不思議な泉のことを話して聞かせた。
 
「へぇ・・・そんなところがあるんだな・・・。俺たちは見たことないな。なぁ、ライザー?」
 
「そうだね。僕も見たことはない。でも行ってみたいものだね。」
 
「そうだな・・・。さてと、飯の支度をするか。」
 
「・・・僕がやるよ。」
 
「・・・そ、そうか・・・それじゃ頼む。」
 
 食事の支度となると、オシニスさんは実に消極的になった。
 
「あ、手伝います。」
 
「大丈夫か?」
 
 カインがまだ心配顔で尋ねる。
 
「大丈夫だよ。すっかりよくなった。」
 
「水のおかげだね。」
 
 ライザーさんが微笑む。
 
「いえ、ライザーさんのおかげです。それとオシニスさんとカインも・・・。すみませんでした。ご迷惑かけて・・・。」
 
 私はみんなに向かって頭を下げた。
 
「それじゃ食事の支度を手伝ってもらおうかな。」
 
 ライザーさんの声で私達は立ち上がり、火を熾した場所に移動した。ライザーさんは器用に食事の支度を進めていく。私も、昔家でやっていたように野菜の皮をむいたりして手伝っていた。
 
「しかし・・・お前ら器用だよな・・・。よく出来るな、そんな風に。」
 
 オシニスさんがつぶやく。
 
「俺も苦手です、こういうの・・・。」
 
 カインも苦笑いしながら頭をかく。
 
「慣れているからね。教えてくれる人がいたし。」
 
 ライザーさんが手を休めずに言う。
 
「え?まさかそれもクロービスの親父さんから?」
 
 オシニスさんの言葉にライザーさんは、
 
「まさか。サミル先生が教えてくれたのは、剣と治療術の基本くらいだよ。これは他の人さ。」
 
 そう言って優しく微笑む。
 
(きっとイノージェンの母さんから教わったんだろうな。)
 
 ふと私はそう思ったが、口には出さずにおいた。
 
「お前は誰に教わったんだ?」
 
 オシニスさんは今度は私のほうを向いた。
 
「父からです。男所帯だったし、父には仕事があったから何でも出来ないわけにはいかなくて。でも最初は失敗ばかりでしたよ。ナベを空だきして穴を開けたり、ふきこぼして慌ててふたを取ろうとしてやけどしたり・・・。」
 
「そう言う失敗を重ねて成長するんだよ。」
 
「そうだな・・・。」
 
 ライザーさんの言葉にオシニスさんが頷いたころ、食事の支度が出来上がった。焚き火を囲んで外で食べる食事は格別だった。一通り食べ終え、後かたづけがおわると、オシニスさんがギロリと私達を睨みながら切り出した。
 
「さてと、昼間の質問の答を聞かせてもらおうか。」
 
 カインと私はぎくりとして顔を見合わせた。
 
「何でお前達はこんなところまで来たんだ?いくら自由警備とは言っても、何日か宿舎を留守にするなら、届け出が必要なことくらいわかっているよな。ちゃんとしてきたのか?」
 
「・・・・・・。」
 
 カインと私は黙って下を向いた。
 
「まったく・・・そんなことだろうと思ったよ・・・。だいたいお前らが南地方に行くなんて言ったら、ランドのやつにぶん殴られるのがオチだからな。多分今頃、宿舎では騒ぎになっているぞ。こうなると自由警備ってものも考えものだな・・・。」
 
 オシニスさんはあきれたように頭をかいている。空にはもう月が昇っている。私達が戻らないことでみんな心配しているかもしれない。
 
「・・・まあいいか。今頃言ってみても遅いしな。毒にやられるってのは計算外だったし。」
 
 オシニスさんはそう言ってごろんと草の上に寝ころぶと、ふふっと笑った。
 
「しかし・・・ライザーの啖呵を聞いたのは久しぶりだな。クロービスがやられてよっぽど頭に来たんだな、お前。」
 
 ライザーさんは黙って照れくさそうに微笑んでいる。
 
「俺も・・・びっくりしました。」
 
 カインもぽつりと言う。
 
「正直に言わせてもらうと、ライザーさんはいつもにこにこしてたから、訓練場では怖かったけど、あんな風に怒鳴りつけたりすると思わなかったです・・・。」
 
 黙ってはいたが、私も同意見だった。私のために・・・いつも穏やかなライザーさんがあれほど怒ってくれた・・・。うれしさで涙が滲みそうになる。
 それにしても、あの大勢の盗賊達を前にしてオシニスさん達の落ち着き払った態度を見て、私は今さらながら彼らと自分達のレベルの違いを見せつけられた思いがした。この人達は怖いと思うことがないのだろうか・・・。
 
「あの・・・。オシニスさん達は・・・あんなに大勢に囲まれて怖くなかったんですか?」
 
「ば、ばか!!そんなわけないだろう!」
 
 カインが慌てて私をたしなめる。が、笑われるかと思いきや、
 
「怖い・・・か・・・。」
 
 ライザーさんが微笑んだままぽつりとつぶやき、
 
「そうだね・・・。怖いと言えば怖いし、怖くないと言えば怖くない、そんなところだね。」
 
少し考え込むようにそう言って腕を組んだ。カインも私も、今ひとつ言葉の意味をはかりかねて、きょとんとしたまま彼の顔を見つめていた。
 
「あれだけの数の盗賊に囲まれて恐怖を感じないというなら、そいつは人間として大事な何かが欠けていると俺は思う。恐怖は、それを克服できるだけの精神力と剣の腕を身につけて乗り越えていくものだ。そう言う意味では俺はあの状況でも怖いとは思わん。だが感じなくなると言うことではないと思うぞ。誰だって死ぬのは怖いからな。」
 
 空を見上げながらオシニスさんが言葉を続ける。誰だって怖い・・・。でもみんなそれを乗り越えている。私もいつかそんな風になれるのだろうか・・・。カインも私も、盗賊達の数の多さに呑まれてしまい、ただ剣を構えて威嚇するくらいしか出来なかった。
 
「あの・・・すみませんでした。いつもいつも助けていただくばかりで・・・。」
 
 私は申し訳なさでいっぱいになって、二人に向かって頭を下げた。
 
「そんなことはないよ。君の風水術のおかげであの作戦がうまくいったんだし。二人ともよくついてきたよ。おかげでいつもよりも早くけりをつけられたしね。」
 
「そうだな。今日のはお前らの手柄でもあると思うぞ。あれだけ大勢いる時には、いくら腕に自信があっても闇雲に突っ込んでいったらやられるのがオチだ。だからクロービスに風水で撹乱してもらって、二つに分けたのさ。しかしクロービス、お前の風水はすごいな。狙いを定めた場所に確実に命中するんだから。実を言うと、だいたいあのあたりにヒットしてくれればいいかなと言う程度のつもりで頼んだんだよ。それにカイン、お前の剣技もなかなかだな。キレはあるんだからあとは鋭さと素早さが身につけば、怖いもの無しになれるくらいだぞ。」
 
この二人の言葉は、カインと私には何より嬉しい言葉だった。
 
「しかし・・・気になるのはあいつらの正体だ。このあたりでは見かけない装束を着ていた。」
 
「そうだね・・・。僕たちの顔も知らないところをみると、このあたりに来るのは初めてなのかな。」
 
「ナヨナヨしたやさおとこだもんなあ。」
 
 オシニスさんがにやにやしながらライザーさんの顔を窺う。
 
「それはやめてくれよ。君だってやんちゃ坊主じゃないか。あれはおもしろかったよ。思わず吹き出しそうだった。」
 
 ライザーさんもにやりとしながらオシニスさんを見る。
 
「ちぇっ。まったく・・・レイナックじいさんみたいなこと言いやがってあいつら・・・。」
 
 オシニスさんが苦笑いをする。
 そう言えばあの盗賊達は、剣士団の制服もずっと見ていないと言っていた。カインと私は、オシニスさん達が来る前に盗賊達が言っていたことを憶えている限り話して聞かせた。
 
「剣士団の制服なんてずっと見てない、そう言ったんだね?」
 
「はい。」
 
 ライザーさんの問いにカインと私は同時に返事をした。
 
「まさかとは思うが・・・あいつら南大陸から来たのか・・・・?」
 
 オシニスさんが眉根を寄せてつぶやく。
 
「しかし・・・南大陸のほうが実入りは多そうだと思うけどな。あっちにはハース鉱山があるし。」
 
「そうだよな・・・。向こうで縄張り争いでもあったのかな・・・。」
 
「可能性はありそうだけど・・・何か引っかかる。」
 
「そうだな・・・。」
 
 真剣な眼差しで議論する二人。
 
「あの・・・どうして南大陸には剣士団がいないんですか?」
 
 仮入団の日にカインの話を聞いて感じた疑問を、私はここで思い切って尋ねた。入団して5年の彼らなら、何か知っているかと思ったからだ。
 
「・・・・。」
 
 だが私の質問に、不意に二人とも黙り込んでしまった。
 
「俺もおかしいと思っていたんです。何で危険な南大陸には剣士団を派遣しないのか。危険な場所にこそ剣士団が必要じゃないですか。」
 
 カインが意気込んでたたみかける。
 
「・・・上の・・・決定だ・・・。」
 
 オシニスさんの沈痛な声。
 
「上?上って剣士団長ですか?それならフロリア様に直接許可を・・・!」
 
「カイン、やめなよ!オシニスさん達だってそんなこと言われても困るじゃないか!フロリア様に直に進言出来る訳じゃないんだから!」
 
 大抵のことなら、オシニスさんもライザーさんも私達に話してくれた。その二人がこれほどつらそうに黙り込むと言うことは、きっと何か余程の事情があって、それはあまり口にしてはいけないことなのだろう。彼らの表情を見てこれ以上詰め寄る気になれなかった私は、思いがけず大きな声でカインを押しとどめた。カインは私の大声に一瞬きょとんとしていたが、
 
「あ、ああ・・・。わかったよ。そんなに大声出さなくても・・・。お前が言いだしたんだぞ。何で南に剣士団がいないのかって。あ、オシニスさん、ライザーさん、すみませんでした。出過ぎたこと言っちゃって・・・。」
 
 そう言って頭を下げた。
 
「そ、そうだけど・・・。ここでオシニスさん達を責めても仕方ないじゃないか・・・。」
 
「まあそれはそうだけど・・・。でも納得行かないな!」
 
 カインは腕組みをして首を傾げている。
 
「いや・・・気にするな。さて、そろそろ寝るか。不寝番の組み合わせはさっきと同じで行こう。俺とカイン、ライザーとクロービスだ。俺たちが先にやるよ。クロービスはもう少し休んでおけ。夜中に交替するからな。」
 
「わかった。クロービス、行こう。」
 
 ライザーさんに促され、私達はテントの中に戻った。寝袋は二つしかないので、それぞれに潜り込む。
 
「それじゃお休み。ゆっくり休むといいよ。僕が起こしてあげるから。」
 
「はい、ありがとうございます。お休みなさい。」
 
 いくらあの不思議な水のおかげで体力を回復できたとはいえ、毒を受けたあとすぐに動き回ったことでかなり疲れていた私は、あっという間に眠りの中に引き込まれていった・・・。

第13章へ続く

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