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第13章 苦い思い出−2−

 
 へとへとに疲れて眠ったはずなのに、眠りとともに夢は訪れるのだった・・・。
 
 どこかの・・・港・・・?
 いや、港と言うほどの大きさではない。船着き場と言うところか・・・。
 見覚えのある場所・・・。どこだろう・・・。
 船が出ようとするところらしい・・・。
 
 年配の男女が船に乗り込む。夫婦らしい。
 そのあとに一緒に乗ろうとする男の子・・・。
 男の子が立ち止まる。誰かが後ろからしがみついている・・・。
 あれは女の子・・・?泣いている・・・。
 女の子を母親らしい女性が引き離す・・・。
 女の子は今度は、男の子の上着の裾をつかんだまま離さない・・・。
 
 男の子がその手を優しくはずし、握りしめる。
 
「いつか・・・必ず戻ってくるよ。君のところへ・・・。約束するよ。だから泣かないで・・・。」
 
「ほんとに?帰ってくるのね?きっとよ!私待ってるわ。絶対待ってるから、必ず帰ってきてね。ライザー・・・!」
 
 ライザー・・・さん・・・?ではこの女の子は・・・。
 突然夢の光景がゆらりと揺れた。そして月が現れ、私はまたいつもの少女の夢の中に引きずり込まれていった。
 
 −クロービス・・・
 
 −クロービス・・・!
 
 誰かの呼ぶ声・・・。
 
「クロービス!!起きろ!!」
 
 その声で目を開けた。心配そうに私の顔をのぞき込む3つの顔。まだぼんやりとしている。体中に冷や汗。そして顔は涙で濡れていた。
 
「どうしたんだ・・・。まだ疲れがとれていないのかもしれないな・・・。不寝番は僕が一人でやるから、君は寝ていた方がいいよ。」
 
 ライザーさんが心配そうに言ってくれた。
 
「いえ、大丈夫です。私も行きます。」
 
 私は寝袋から這い出すと立ち上がった。どうせまた眠ったところで同じ夢を見るだけだ。
 
「どうしたんだよ・・・。すごいうなされ方だったぞ・・・。」
 
 オシニスさんも呆然としたように私を見つめている。
 
「・・・また何か見たのか?」
 
 カインが不安そうに尋ねた。
 
「うん・・・。」
 
 カインは空を見上げ、
 
「今日も満月か・・・。これと関係あるのかな・・・。」
 
そうつぶやいた。
 
「でも・・・満月じゃない日も見る時あるから・・・わからないよ・・・。」
 
「何見たんだよ・・・?泣いてるぞ、お前。」
 
 カインが私の顔をのぞき込んだ。
 
「ん・・・別に・・・。」
 
 私は慌てて顔を擦って涙を拭った。
 
「そうか・・・。大丈夫なんだな?」
 
「うん・・・。大丈夫だよ。」
 
「わかった・・・。」
 
 不安そうではあったが、カインは私の肩に手をかけて微笑んで見せてくれた。
 
「悪い夢でも見たのか?」
 
 オシニスさんが心配そうに私に声をかける。
 
「・・・いえ、大丈夫です。いつものことなんで・・・。」
 
「いつもあんなにうなされるのか・・・?」
 
「・・・・・・。」
 
 黙っているカインと私の顔を交互に見て、
 
「まあいいか。ライザー、後は任せた。俺達は寝る。」
 
そう言うとオシニスさんはカインを促して寝袋に潜り込んだ。よけいな詮索をしない、その気遣いが嬉しかった。
 

 空高く昇った月は、あたりを白い柔らかな光で満たしている。静かな夜だ。涼しい風が頬をなでていく。一ヶ月前、フロリア様を連れて漁り火の岬に向かった日の出来事を、ふと思い出した。あの時もこんな夜だった。私は焚き火のところまで来て黙って座り、ライザーさんと向かい合った。
 
 さっきの夢・・・。
 船に乗ろうとしていた男の子がライザーさんだったなら、あの女の子はイノージェンか・・・。小さな子供だったはずなのに、別れのつらさや悲しさは・・・キリキリと胸を締めつけられるほどだった。二人はあんな思いで別れたのか・・・。見覚えのある場所なわけだ・・・。あの船着き場は、私の故郷の島だ・・・。
 
 私が剣士団に入ったばかりの日、ライザーさんはその時のことを話してくれた。そして私もその場にいたはずだと教えてくれた。では今の夢は、私の記憶が呼び覚まされたと言うことなのか・・・。でもそれだけならば、あんな悲しい心の中までわかるはずがない・・・。ではこの夢もまた、私が時折見る『奇妙な夢』の一つなのだろうか・・・。夢を通して、ライザーさんの身に起きた出来事を、追体験していたのだろうか・・・。
 
「クロービス。」
 
「は、はい。」
 
 突然声をかけられ、今しがた考えていたことが知れてしまったような気がして私はどきりとした。そんなことがあるはずはないのに・・・。
 
「ここは危険な南地方だ。剣は絶対に手元から離さないようにね。この辺りのモンスターは火のそばまでは寄ってこないから大丈夫だと思うけど・・・油断は禁物だよ。」
 
「・・・はい・・・。」
 
 そしてまたライザーさんは黙ったまま焚き火の火を見つめている。
 
「・・・何も聞かないんですね・・・。」
 
 私の言葉に少しだけ顔をあげて、ライザーさんは優しく微笑んだ。
 
「人は・・・誰でも色々なことをその内側に抱え込んでいるものだ・・・。それを無遠慮に暴き立てるようなことが、いいことだとは思わないからね・・・。」
 
 その笑顔にほっとして、同時にさっきの夢でライザーさんの心の中を、無断で覗いてしまったような気がして、そのことを話さずにはいられなかった。
 
「・・・さっきライザーさんの夢を見ていたんです・・・。」
 
「僕の・・・?」
 
 ライザーさんは不思議そうに私を見つめた。
 
「はい・・・。ライザーさんが島を出る時のこと・・・。船に乗ろうとして・・・イノージェンが服の裾を引っ張っていて離さなかった・・・。」
 
 ライザーさんの顔に一瞬驚きの表情が宿る。が、すぐにまた元の優しい顔に戻った。
 
「そうか・・・。思い出したのか・・・。」
 
「そうかも知れないけど・・・でも違うような気がします・・・。ただ単に忘れていたことを思いだしただけなら、別れ際のあれほど切ない気持ちまで、伝わってきたりしなかったような気がするんです・・・。」
 
「・・・・・。」
 
「すみません、勝手なこと言って・・・。」
 
 私の話を黙って聞いていたライザーさんは、やがてぽつりと
 
「・・・不思議だね・・・。」
 
そうつぶやいた。
 
「・・・そうですね・・・。私は・・・小さいころから不思議な夢を見るんです。父はそれが・・・他人の夢や強い願いが、私の夢の中に投影されているのだろうと教えてくれました。誰かの身に起きた出来事を、夢を通して追体験しているのかも知れないと・・・。でもそれ以上はわからなくて・・・それが辛かったみたいです・・・。」
 
「・・・強い願いか・・・。」
 
 しばしの沈黙のあと、ライザーさんは独り言のようにつぶやくと、また焚き火の火に視線を戻した。その瞳が、炎を映してゆらゆらと揺れる。揺れる瞳は、彼の心の中で揺れるイノージェンへの想いなのだろうか・・・。
 私はこの時ふと、いつも見ているあの不思議な夢のことを、口に出してみたくなった。
 
「でも・・・夢の中身が、全部わかるわけじゃないんです・・・。小さなころから・・・いつも見ていた、乙夜の塔のバルコニーの夢・・・フロリア様が月を見ている夢・・・。まるでずっと一緒にいるみたいに思えるほど頻繁に見るのに・・・なぜそんな夢を見るのか・・・未だにわからないままなんです・・・。」
 
「乙夜の塔?」
 
 顔をあげて聞き返したライザーさんだが、私の後ろに視線を移したまま口をつぐんだ。振り向くとカインが立っていた。
 
「・・・それは何の話だ・・・?」
 
「カイン・・・。」
 
 夢の内容をカインに話したことはなかった。あの日乙夜の塔で、自分の見た夢の世界とそっくり同じ場所にたどり着いた驚き・・・。そのあと、カインの胸の内を知り、何とはなしに今まで言いそびれてきたことだった。
 
「何の話だ・・・?俺はそんな話は聞いたことがない・・・。」
 
「それは・・・。」
 
 言い淀む私に、カインは、あの日と同じつらそうな視線を向ける。その時、カインの背後の暗がりから、手がぬっと伸びてカインの肩を掴んだ。
 
「落ち着け、カイン。」
 
 そこにはオシニスさんが立っていた。
 
「オシニス、寝てなかったのか?」
 
「ああ、さっきのクロービスのうなされ方が気になってな・・・。ウトウトしたんだが、途中でカインが起き出したから、俺も何となくここに来てしまった。」
 
「明日きつくなるぞ。」
 
「なんとかなるさ。一日くらい寝なくてもな。」
 
「・・・そうか・・・そうだな・・・。」
 
 そのあとライザーさんもオシニスさんも黙ったままだ。カインは私のとなりに座り、火を見つめたままつぶやく。
 
「お前がいつもうなされていたのは・・・フロリア様の夢でなのか・・・。」
 
「そうだよ・・・。あの夢を見ると、いつもうなされて・・・目覚めが悪いんだ・・・。どうしてなのかは判らないけど・・・。」
 
「・・・なぜだ・・・。なぜお前がフロリア様の夢を見るんだ・・・・。」
 
「それも・・・判らない・・・。」
 
「お前の見ている夢だろう!?判らないなんてことがあるか!!」
 
「夢なんてコントロールできないよ!見たくて見てるわけじゃないんだ!!」
 
 あんな夢を見なくてすむのならその方がいいに決まっている。私は思わず大きな声を出していた。カインは一瞬驚いて私の顔を見たが、すぐに目を逸らして焚き火に視線を戻した。
 
「・・・すまん・・・怒鳴ったりして・・・。それはいつからなんだ・・・?」
 
「・・・小さいころからだよ。憶えているのは多分・・・7〜8歳くらいかな。」
 
 もしかしたらもっと昔から見ていたのかも知れなかったが、はっきりとした記憶はそのあたりからしかない。
 
「そんなに昔から・・・。お前はフロリア様と面識があったのか・・・?」
 
「まさか・・・。会ったのは王国に出てきて初めてだよ。でも・・・夢の中ではずっと前から・・・いつも一緒にいたみたいなんだ・・・。」
 
「やめろ!!」
 
 カインの悲痛な叫び声。
 
「・・・夢なんて・・・何の意味もない・・・。」
 
 そう言って唇を噛むカインの横顔を、オシニスさんが見つめている。やがて視線を逸らすと、
 
「フロリア様の夢・・・か・・・。」
 
誰に言うともなくぽつりとつぶやいた。そして膝の上に頬杖をついて、月明かりに照らされた景色を眺めている。そんなオシニスさんを、ライザーさんはいたわるような瞳で見つめていた。この時、彼らの間でかわされた視線の意味を、私が知ったのはずっと後のことだった。
 
「お前の親父さんはその夢のことを知っていたんだろうな・・・。親父さんからは何も聞いてないのか?」
 
 カインが尋ねる。
 
「・・・内容は話したことがあるからね・・・。それでいろいろ調べてくれたけど・・・でもどうしてそんな夢を見るのかまでは・・・わからなかったと思う。」
 
「息子のことでもか・・・?」
 
「頭の中のことまでなんてわかるはずないよ。」
 
「確かにな・・・。もしかしたら、お前の親父さんはフロリア様を知っていたのかな・・・。それでお前の夢に出てきたとか・・・。」
 
「まさか・・・。私の父は王宮になんて縁がないはずだよ。」
 
「黙っていれば判らないじゃないか。」
 
「それじゃ、仮に父がフロリア様を知っていたことを黙っていたとして、その理由は?」
 
 父のことに話が及んでから、自分でも、少し口調がきつくなっていることに気づいていた。
 
「俺だってそんなことは判らないよ。何か人に言えないようなことがあったのかも知れないしな。」
 
「君は私の父のことなんて何も知らないんじゃないか!そんな言い方されたくないよ!」
 
 とうとう私はカインに向かって怒鳴るように叫んだ。私は自分の父親について、よく知っているつもりだった。だが、父が亡くなってから、いろいろと謎めいた部分があったことを知った。私は自分が思っていたほど、父のことを知らなかった。それを言い当てられたようで、悔しかったのかも知れない。その時、ずっと黙って私達の話を聞いていたライザーさんが口を開いた。
 
「サミル先生は素晴らしい人だったよ。」
 
 カインは少し驚いたように顔をあげ、ライザーさんに視線を移した。
 
「そうか・・・。ライザーさんはこいつの親父さんを知ってるんでしたよね・・・。」
 
「よく知っているよ。君達の話に口を挟むつもりはなかったけど、サミル先生のことをそんな言い方してほしくないからね。・・・サミル先生があの時あの島に来なかったら、今の僕はなかったかも知れない、いや、なかっただろうな・・・。」
 
「・・・そうだな・・・。そして今のお前がいなければ、俺たちはもちろん知り合うことさえなかった訳か。」
 
 オシニスさんが口を挟む。
 
「そうだね。」
 
「そして俺はかけがえのない親友と出会えずじまいになっていたかも知れない・・・。そう言うことだな。」
 
「そうだね・・・。」
 
 かけがえのない親友・・・オシニスさんに言われて、ライザーさんは迷わず答える。入団して5年の間に、この二人の間には揺るぎない絆が出来上がっているのだろう。カインと私もそんな風になれたらどんなにか・・・。だが私は夢のことさえカインに言えずにいた。
 
「・・・カイン、ごめん・・・。私が悪いんだ。ちゃんと言えばよかったのに・・・。」
 
「・・・・・。」
 
 カインは黙ったままだ。
 
「クロービス、お前はあんまり一人で抱え込みすぎだ。カイン、お前ももう少しよく考えろ。お前達はまだ知り合って1ヶ月程度なんだぞ。心の内を何でもかんでもすべてなんて、話せなくて当たり前だと思うがな。」
 
「はい・・・。」
 
 カインは力無く答える。オシニスさん達はカインの心の内を知らない。
 
「コンビを組んだからって、最初から自分のことをべらべら喋りまくる奴のほうが不気味だと思うけどな、俺は。」
 
 そう言うと、オシニスさんはあくびをしてごろんと横になった。
 
「おれはここで寝る。さすがに眠くなってきた。」
 
「それはいいが、寝ぼけて焚き火を蹴飛ばさないでくれ。」
 
 ライザーさんがくすりと笑いながらオシニスさんを見る。
 
「蹴飛ばす前に起こしてくれ。」
 
 言いながら、オシニスさんはもう目を閉じていた。
 
「無茶言うな。」
 
 ライザーさんが微笑んでいる。
 
「俺も少し頭を冷やすよ。」
 
 カインはそう言うと、テントの中に戻っていった。焚き火のまわりに静けさが戻る・・・。
 
 カインのフロリア様への想い・・・。私はカインに夢のことをもっと早く言うべきだったのだろうか・・・。では言ったとしてどうなっていたのだろう・・・。きっと・・・何も変わらなかったのかも知れない・・・。私がよけいな気を回してしまったために、カインを傷つけてしまった。
 
「・・・クロービス・・・あまり一人で気に病まない方がいいよ。こんな行き違いはこれからきっとしょっちゅうだよ。」
 
 ライザーさんが気遣ってくれる。
 
「ライザーさん達もそうだったんですか・・・?」
 
「そうだよ。もっと派手に喧嘩もしたしね。」
 
 そう言ってまたくすっと笑う。今の二人を見る限り喧嘩をするなんて考えられないが、他人同士なのだから当たり前と言えば当たり前なのか・・・。
 
「殴り合いもやったよな。」
 
 寝ころんだままオシニスさんが突然話し出した。
 
「そうだね。しかも食堂のど真ん中で。あとでセルーネさんと副団長にゲンコツくらったっけ。そして半年間食堂の掃除当番させられたな。」
 
 私は二人の殴り合いを想像しようとしたが出来なかった。オシニスさんはともかく、ライザーさんがどんな顔で殴り合いをするのか、今ひとつピンとこない。でも、セルーネさんがゲンコツをくらわせるというのは実にぴったりくる。きっと城壁の外で出会った時のように怒ったのだろう。思わず私は笑ってしまった。
 
「・・・笑ったな・・・?」
 
 オシニスさんが寝ころんだままの姿勢で、私の背中を突っつく。
 
「す、すみません・・・。でも平手じゃなくてゲンコツなんて、セルーネさんらしいなと・・・。」
 
「それか。ははは、確かにな。食堂のど真ん中でテーブル3つと椅子10脚ひっくり返して壊したからな。弁償させられなかっただけでもめっけもんだ。」
 
「・・・どうやったらそんなに壊れるんですか?」
 
「お互いプレートメイルを着ていたからさ。殴られて吹っ飛んでぶつかるたびに、テーブルも椅子もぐちゃぐちゃだ。」
 
「みんな僕が殴り合いをするなんて思わなかったって言ってたな。」
 
 ライザーーさんが楽しそうにつぶやく。
 
「そうだな。俺はわかるけどって言われたしな。」
 
 オシニスさんが今度は起きあがった。
 
「クロービス、お前らは貴重な経験をしたぞ。入団1ヶ月やそこいらで、ライザーの本性を知ったんだからな。」
 
「引っかかる言い方だな。それじゃまるで、僕にとんでもない裏表があるみたいじゃないか。」
 
「ナヨナヨしたやさおとこでないことは確かだぞ。」
 
 その言葉に二人とも笑い出した。
 
「しかし、あの喧嘩の原因は何だったんだろうな。俺は憶えていないな。」
 
「そういえば・・・なんだったっけ?」
 
 今度は二人で首を傾げている。
 
「なあ、クロービス。過ぎてしまえばそんなものだ。喧嘩なんてしなくてすむならその方がいいに決まっているが、したからって別に俺たちの関係は変わらない。お前達だっていつかそんな風になれるさ。まずは焦らないことが一番だ。」
 
「・・・はい・・・。」
 
 やがて東の空が白む。結局オシニスさんは眠らなかった。ライザーさんと私は朝食の準備を始め、それが出来上がるころやっとカインが起き出してきた。
 
「おはよう、カイン。」
 
 私は努めて明るく挨拶をしたが、カインは黙ったままだ。オシニスさん達のところへ来て小さい声で挨拶しただけで、黙々と食事をしている。
 
「さぁて、少しクロンファンラに寄るか。食料を調達しないとな。」
 
 オシニスさんがあくびをしながらライザーさんに話しかける。
 
「そうだね・・・。もうしばらくはこのあたりを歩かなくちゃならないからね。」
 
 私達が飛び入りしたために、食料が予定より減ってしまったらしい。
 
「クロンファンラって言うのはどっちの方角なんですか?」
 
 まだ行ったことがない場所。どんな場所なのだろう。
 
「ここからだと・・・東のほうだな。ずっと東に行って少し南寄りの道にでると、その先がクロンファンラだ。なかなか活気がある町だぞ。あそこの宿屋の娘は剣士団の人気者だ。男ばかりじゃない、女性剣士達も結構仲がいいらしい。」
 
「・・・行ってみたいですね・・・いつか・・。」
 
「お前達が届け出をしてここにいるなら連れていってもいいんだが、今日は出来るだけ早く帰れ。みんな心配しているぞ。」
 
「はい。すみませんでした。」
 
 頭を下げかけてふと思い立ち、私は昨日の泉の水を一袋、荷物から出してオシニスさんに差し出した。
 
「これ・・・二つ汲んだから、使ってください・・・。私達の不注意でご迷惑かけてしまって・・・すみませんでした。カイン、いいよね?」
 
 私はカインの方を向いて顔をのぞき込んだが、カインは黙ったまま頷いただけだった。
 
「いいのかい?二度と行けない場所かも知れないのに。」
 
 ライザーさんが心配そうに私を見た。
 
「いいんです。水はそんなにおけないと思うし。」
 
「昨日汲んだわりにはえらく冷たいぞ。この水。」
 
 オシニスさんが皮袋の口を少し開けて中を覗いている。
 
「じゃ、ありがたくいただくよ。荷物をまとめたら南地方の境界まで送ってあげよう。」
 
「よし、いくか。」
 
 オシニスさんの声を合図に、私達は立ち上がった。
 
 荷物らしい荷物もない私達と違って、オシニスさん達はテントや食料、調理用具に寝袋と、かなりの荷物を背負っている。その格好のまま、行く手に現れるモンスター達を難なくなぎ倒していく。このくらいの腕前がなければ、南地方の警備など出来はしないのだろう。前から襲ってくるモンスターだけでなく、後ろや左右から出てくる敵がいても少しも慌てず、まるでそこにいるのがわかっていたように余裕でさばいていく。そんな様子を見ていると、この二人には背中にも眼があるんじゃなかろうかと、真剣に疑いたくなるほどだった。カインと私は身軽だったにもかかわらず、このあたりのモンスター一匹を相手にして悪戦苦闘する始末だ。
 やがて陽が高く昇り、それがほんの少し西側に傾くころ、私達はやっと南の境界に着いた。こんなにかかるとは思わなかった。昨日は確かにもっと早い時間に泉を見つけたはずだ。あの泉への入口はいったいどこにあるのか。もしや時間の影響を受けないのだろうかなどと、突飛なことを考えた。
 
「ここまで来ればあとは大したモンスターもでないし、何とか帰れるだろう。」
 
「ありがとうございました。」
 
 カインと私は何度も二人に頭を下げた。
 
「あ、忘れるところだったな。」
 
 オシニスさんは私達の前に一歩進み出ると、いきなりゲンコツで思いっきり頭を叩いた。またしても目の前を星が飛んだ。
 
「この前言ったよな?今度こんな無鉄砲なことしたらゲンコツじゃすまないってな。」
 
 オシニスさんはにやりと笑った。
 
「もう一発くらい殴りたいところだが、多分王宮に戻ればもっとすごいのが待ってるだろうから、俺はこの辺でやめとくよ。お前達に関する俺たちの報告は戻り次第するからと言っておいてくれ。」
 
「それじゃ、王宮まで出来るだけ早く戻るようにね。」
 
 ライザーさんが念を押す。二人に別れを告げて、私達は王宮に向かって歩き出した。しばらく歩くと、カインがつぶやいた。
 
「あの二人でも殴り合いしたりしたんだな・・・。」
 
「聞いてたの?」
 
「・・・眠れなかったからな。」
 
「そうか・・・。」
 
「クロービス・・・ごめん・・・。」
 
「・・・・・・。」
 
「俺、焦ってたのかな・・・。お前と初めて会った時から何となくウマがあって、こいつとなら俺もいい仕事が出来るかも知れないって思ってて・・・正式にコンビを組むことが決まってすごく嬉しかったんだ。フロリア様のことだって、お前には俺の気持ち全部ばれちゃってるから、俺のことを何でも知っている分、当然お前も俺に全部話してくれるものって思い込んでた・・・。なのに昨夜、お前が見てた夢がフロリア様の夢だなんて初めて聞いたから、どうしてお前がフロリア様の夢なんて見るんだって、何て言うのかな、何か悔しいような悲しいような・・・そしてそれを俺には言ってくれなかったのに、どうしてライザーさんには話すんだって・・・。」
 
「それは・・・。」
 
「でもよく考えれば当たり前だよな・・・。ライザーさんはお前のことを昔から知っていて、お前の親父さんのことも信じてくれているんだものな・・・。ライザーさんは、お前にとってはきっと・・・心の拠り所なんだろうな・・・。」
 
「うん・・・。王国に出てきた時は、自分が天涯孤独なんだって思っていたのに、ライザーさんと会えて、父のことを信じてくれるって言う言葉を聞いて、すごく嬉しかったんだ・・・。あの言葉を聞いて、王国剣士としてやっていけるって思ったんだ・・・・。」
 
「そうだよな・・・。なのに俺は・・・。」
 
 カインは一度言葉を切り、悔しそうに眉根を寄せた。
 
「・・・昨夜、お前が思いがけず大きな声を出したのを聞いて、お前の知らない一面を見たような気がしたんだ。そして、お前のことを俺はまだよく知らないんだって改めて思ってさ。まだ知り合って一ヶ月だものな、俺達。なのになかなか素直に謝れなくて・・・。」
 
「この間、無神経にカインのこと問いつめちゃったから・・・夢のこと言いそびれちゃったんだ。そのあともなかなか言う機会がなくて・・・。よけいな気を使ったばかりにカインを傷つけちゃったんだね。私のほうこそ悪かったよ。」
 
 カインは少しの間私の顔をじっと見つめていた。
 
「お前はやっぱり素直だな・・・。昨夜、俺はお前の親父さんのことまであんな言い方したのに・・・。」
 
「正直言うと、悔しかったよ。でも君の言ったことも、あたっているかも知れない。私は、自分が思っているよりも、父のことをよく知らなかったのかも知れない・・・。」
 
 カインの瞳に、涙が滲んだ。
 
「クロービス・・・ごめん!俺・・・ひどいこと言った。フロリア様のことで頭に血が上って、お前の親父さんのことまで侮辱した・・・。ごめんな・・・。」
 
 カインは制服の袖で涙をゴシゴシと拭いながら、一生懸命頭を下げている。
 
「いいよ。仕方ないよ。君は私以上に私の父のことなんて知らないんだから。」
 
「許して・・・くれるのか・・・?」
 
「うん。この話はこれで終わりにしよう。」
 
 カインはほっとしたように微笑んだ。
 
「ありがとう・・・。昨夜オシニスさんが、喧嘩なんてしなくてすむならその方がいいって言ってたけど、それは確かにそうなんだけど、俺達の場合は今回喧嘩してよかったのかもな。おかげで素直になれたような気がするよ。」
 
「そうだね・・・。これからは・・・出来るだけ隠し事はなしにしようよ。」
 
「そうだな。いきなり何でもって決めつけちゃうと、またもめそうだからな。」
 
「そうだね。これからもよろしくね。カイン。」
 
「俺のほうこそよろしくな。」
 
 私達は改めて握手をした。思えばこの時から、カインと私は本当の意味でコンビを組んだのかも知れない。そして・・・お互いを友人として認め合ったのかも知れない。
 
「さてと、早いとこ王宮に戻ろう。さっきオシニスさんが気になること言ってたしな。」
 
「ゲンコツよりすごいって言うあれ?」
 
「うん。何か嫌な予感がするなぁ・・・。」
 
 カインは不安そうに考え込んでいる。が、私はそのことよりも、今日ここに来るまでにかなりの時間を要したことのほうが気にかかっていた。
 
「でも昨日の泉ってどこにあったんだろうね。昨日私が倒れてからそんなに移動したの?」
 
「いや、お前をあんまり動かせなかったから、盗賊達がいた場所より少し南に行ったくらいのところだ。」
 
「そうか・・・。でも今日ここに来るまでにかなり時間がかかったよね。」
 
「そういえばそうだな・・・。」
 
 二人で首を傾げながら歩いていると、どこかから剣の音が響いてきた。
 
「誰かが戦っているのか?クロービス、行くぞ!!」
 
 カインの声で私達は走り出した。やがて前方にモンスターと戦う二人連れを発見した。が、よく見ると制服を着ている。王国剣士だ。
 
「あれ?ハリーさん達だ。なんだ、加勢は必要ないな。」
 
 カインの言う通り、ハリーさん達はモンスターを相手に軽やかな立ち回りを見せている。セルーネさんに怒鳴られて縮み上がっている彼らとは別人のようだ。やがてモンスター達は逃げていった。私達はその見事な手並みに、思わず拍手をしながら近づいていった。
 
「ハリーさん、キャラハンさん、さすがですね。」
 
 カインが声をかけた。が、ハリーさん達は振り向いた途端
 
「ひいっ!!」
 
と声を上げてその場に突っ伏した。そしてがたがたと震えながら
 
「頼む!!迷わず神様のところに行ってくれぇ!!」
 
そう言って私達に向かって手を合わせている。
 
「はぁ?何言ってんですか?俺たちですよ。カインとクロービスですよ。」
 
 言いながらカインが一歩前に進み出る。するとハリーさんが恐る恐る顔をあげ、
 
「ああっ、キャラハン、見ろ!こいつら足があるぞ!!」
 
その声にキャラハンさんも顔をあげると、
 
「ああっ、ほんとだ!!ってことは・・・君達生きてたのかぁ!!」
 
そう叫んで二人ともがばっと立ち上がり、私達に突進してきてひしと抱きついた。
 
「よかったぁ!!心配してたんだよぉ。夜になっても帰ってこないから、まさかモンスターにやられたかもって、みんなで昨夜から探してたんだぁ!!!」
 
 二人とも涙を流している。そこに、すっとんきょうな声が響き渡った。
 
「きゃあぁぁぁ!!いたわ!!いたわよ!!カインとクロービスよおぉぉぉ!!」
 
 カーナだった。
 
「ああ!!ほんとだ。いたいた!!みなさぁん、いたわよぉ!!」
 
 これはステラの声。
 
「なに!!いたか!?どこだ!?おお、いたぞ、いたぞぉ!!」
 
 セスタンさんの声。その声に応えて駆け寄ってくるのはリーザとハディだった。
 
「ばっかやろう!!心配かけやがって!!」
 
 ハディは言うなりカインと私の頬をゲンコツで殴った。痛いという間もなくリーザの槍の柄が、私達の頭をゴンゴンと通り過ぎる。
 
「心配したんだからね!!どこいってたのよ!!」
 
 よく見るとリーザもハディも涙ぐんでいる。
 たくさんの王国剣士達にこづかれたり殴られたりしながら、私達が城下町の南門に辿り着いたのは、もう夕闇があたりに色濃く漂い始めたころだった。
 
「カイン・クロービス組、ただいま戻りました。」
 
 私達は剣士団長の部屋に入った。その瞬間だっと駆けてきた誰かが私達の肩に抱きつき、小さな声でつぶやいた。
 
「よかった・・・。無事だったんだな・・・。」
 
 カインと私の間に顔を埋めていたその人物が、ランドさんだと言うことに声で気づいた。
 
「ご心配かけて・・・すみませんでした・・・。」
 
 ランドさんは顔を伏せたまま小さく頷くと、私達から離れて部屋の奥に戻った。袖で涙を拭っている。部屋の中には、剣士団長の他に、副団長、ティールさんとセルーネさんが待っていた。セルーネさんは鬼のような形相で私達を出迎えた。だがよく見ると目元が真っ赤だ。
 
「・・・座れ・・・。」
 
 剣士団長の低い声に促され、私達は椅子に座った。
 
「どこへ行っていた?」
 
 剣士団長にギロリと睨まれ、背中を流れる冷や汗が凍りつくんじゃないかと思うくらい背筋が寒くなった。
 
「申し訳ありませんでした!!」
 
 私達は揃って頭を下げ、ちょっとのつもりで南に行きすぎたこと。盗賊に囲まれて動けなくなり、オシニスさん達に助けられたこと。その後私が毒にやられて帰ることが出来なくなったことを正直に話した。そしてあの不思議な泉のことも、笑われるかとは思ったが全て話した。ただ、焚き火を囲んでの私達の会話や、帰り道のカインとの話だけは話さなかった。
 
「不思議な泉か・・・。あそこに行ったのか・・・。」
 
 思いがけない剣士団長の言葉に、私達は驚いた。
 
「ご存知なんですね?」
 
「ああ、昔何度か辿り着いたことがあるが・・・。」
 
 さすがに歴戦の勇士だ。何度かとは・・・。私など、あと行けることがあるのかどうかさえわからないと言うのに。
 
「向こうでオシニス達に会ったのは運がよかったな。でなければ、真剣にお前達の死体探しの旅に出掛けなければならんところだったかも知れん・・・。」
 
 副団長がぽつりとつぶやく。
 
「はい・・・。申し訳ありませんでした。」
 
 もう謝るしかない。みんな私達を心配してくれていたのだ。
 
「しかし・・・気になるな。その盗賊ども。」
 
 口を開いたのはティールさんだ。
 
「確かにな。本当に南からこっちに遠征してきたとなると・・・向こうはモンスターの被害が深刻で旅人も通らなくなったと言うことか・・・。」
 
 副団長も腕組みをして考え込む。
 
「その件はオシニス・ライザー組の帰還を待って報告を聞くとしよう。もしかしたらあの二人はその後も出会っているかも知れないからな。」
 
 剣士団長の提案にみんな頷いた。
 
「さて、カイン・クロービス組。」
 
「は、はい!!」
 
 剣士団長は私達のほうに向き直り、まっすぐに私達を見据えた。あまりの迫力に足が震える。
 
「お前達に向こう一ヶ月間の謹慎を言い渡す!!外出禁止だ!王宮から一歩でも出ることまかりならん!!いいな!?」
 
「は、はい。申し訳ありませんでした!!」
 
「・・・まったく・・・お前達が戻らないと知った時は、みんな一斉に探しに出掛けようとしたんだぞ。おかげで王宮が空っぽになるところだった。」
 
 剣士団長はそう言うとくすりと笑った。その時セルーネさんが立ち上がった。
 
「剣士団長、この二人はもういいですか?」
 
「ああ、いいぞ。」
 
 剣士団長は心なしか『仕方ないな』と言った表情をしている。
 
「よし、カイン、クロービス、訓練場に来い。今すぐにだ!!ティール、つきあえ!では失礼します!!」
 
 そう言うとセルーネさんはさっさと団長室を出ていった。

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