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やっぱりそうか・・・。
「わかった。ありがとう。君は今まで病室にいたのかい?」
「はい、薬を作っていたところです。目は覚めましたが、まだ話は出来ません。かなり衰弱しているので、お見舞いに来られる場合は、お身内の方だけにしてほしいとのことです。」
若い助手は屈託がなく、ニコニコしている。
「伝えてくれてありがとう。こちらにいらっしゃる皆さんはリロイ卿の身内の方達なんだ。これから少しだけ、お見舞いに行きますと伝えてくれるかい?」
「わかりました。」
助手は笑顔で頷き、また階段を降りて行った。
「それじゃラッセル卿、行ってくるといいよ。私は昼間ここから動けないからね。ただし何も話してはいけない。家督相続の話も何も一切話をしないでほしい。顔を見せて、声をかける程度に留めておいてほしいんだ。」
「はい、もちろん何も言いません。もっとも・・・言いたいことはたくさんあるんですけどね。」
ラッセル卿が笑った。
「それは取っておくといいよ。あとで元気になったら思い切りぶちまければいいさ。」
「わたくしも言いたいことが山のようにありますわ。でもお兄様が何も言わないのにわたくしだけ文句を言うわけにはいきませんから、我慢します。」
チルダさんが言った。確かに2人とも、言いたいことは山ほどあるだろう。でもそれは、リロイ卿が元気になったら、思う存分ぶつけてもらえばいい。
(多分リーザだって、言いたいことはたくさんあるよな・・・。)
ラッセル卿夫妻とチルダさん夫妻は、リロイ卿のお見舞いをして、その後それぞれ家に戻るとのことだ。午後からはラッセル卿の取り調べがあるらしいが、それも今日で一段落らしい。あとは家に戻り、少し休んでから領地の状況を確認したいということだった。チルダさんもロゼル卿と『そろそろ領地からの定期連絡が来る頃ですわね』と言う話をしている。ラッセル卿も今回新男爵として立ったが、それ以前から領地運営を担っている。チルダさん達もそうだ。ランサル子爵家の領地が、今投資の対象として注目されるほど、かなり活性化しているらしい。どちらの家も本当ならすごく忙しいんだろう。
「ハディ、君の仕事は?」
廊下に残ったのはハディと私だけになった。私の問いにハディはばつの悪そうな顔をしている。
「そのうちオシニスさんが首根っこを捕まえに来るんじゃない?」
「はぁ・・・せめて目を覚ますまでそばにいたいんだけどな・・・。」
「それならそれでちゃんと休暇を取ればいいじゃないか。」
「取りたいと言ったら却下されたのさ。今のお前がそばにいても、リーザの助けにはならないって。」
なるほど、当たっているだけに言い返すことも出来ず、それでも仕事が手に着かなくてここに来ていると言うことか・・・。
ハディが焦っているのがわかる。リーザのそばにいないと、リーザが永遠に離れていってしまいそうな、そんな不安があるのじゃないだろうか。リーザは今までずっとハディと距離を置いていた。それが少し前にやっとお互いのことをもう一度考えようと言う話になったばかりだ。ところがハディは結婚を考えているとはっきりしているのに、リーザのほうは何も決まっていないという。そのあとイノージェンのことやリロイ卿の暴挙が発覚したりはしているが、リーザはそう言った家の問題にかこつけて、ハディとのことについて結論を出すことを、先伸ばしにしているような気がする。
(多分・・・リーザ自身の考えが定まってないんだろうな・・・。)
とは言え、それもまた私の推測だ。"多分"や"おそらく"なんて曖昧な話をハディに言うわけにはいかない。ハディは観念したようにひときわ大きなため息をつき、もう一度休暇を申請してみると言って立ち去った。どうしても居座ると言わないでくれて正直助かった。
(今回のリーザの暴挙については、一応の仮説を立てて説明は出来たけど・・・。)
とにかくあとは本人との面談だ。直接会話をすることでもう少し踏み込んだ診察が出来るし、私の仮説についても検証が出来る。リーザと話して、もしも私の仮説があまりにも的外れだったら、リーザにもラッセル卿達にも謝らなければならない。大事なのはリーザの心の傷を少しでも癒やすことだ。ただ、リーザには治療を受けてもらわなければならないが、本人が嫌がる領域にまで踏み込んでいいものか、私はまだ迷っている。リーザは友人で、患者として見ることに心のどこかで抵抗している自分がいる。でももうそんなことを言ってはいられない。とにかく、私がどこまで踏み込んでいいのか、リーザに聞いた方がいいのかも知れない。私が友人としてではなく医師としてリーザの心を分析してもいいものかどうか・・・。
(正直ハディがいてくれれば本当はありがたいんだけど、今はなあ・・・。ハディの頭の中はリーザと結婚出来るかどうかだけしかないみたいだし・・・。)
2人の関係は、私が見るところそれ以前の問題だ。さっきの話で危機感は持ったようだが、さてそれをどこまでわかっているものか・・・。今度は私がため息をついたところで病室の扉が開いた。
「終わったわよ。あら、ハディは?」
「オシニスさんのところに行ったよ。もう一度休暇を願い出てみるって。」
私は病室の中に入り、ハディから聞いた話をした。
「あらまあ、それはよくないわね。でも、リーザが目覚めた時にハディがいたとしても、感動の対面になるかどうかはなんとも言えないわね。」
部屋の中ではセーラが汚れ物を籠に詰めていた。これから洗い場に持っていくらしい。さっき持って来た手提げ籠はチェストの上に置かれている。
「それじゃ私は洗濯をしてきますね。」
「お願いするわ。でも無理しないでね。」
「ローランではいつもこのくらいやってますから、大丈夫です。」
セーラは笑顔で大きな籠を抱え、部屋を出て行った。
「最近アスランの世話がなくなったから、働けるのが嬉しいって言ってたわよ。手際もいいし、看護婦としても優秀になれると思うけど、医師会の看護婦の地位を考えると、ここで学べることはそんなになさそうね。」
「そうだなあ。医師を目指すというのなら、医師会では医学院を卒業するのが主流みたいだしね。看護婦の仕事をしながら勉強したいと言っても、結局は看護婦として使われてそのままってことになりそうだね。そんなことになるなら、やっぱりうちで働いてもらったほうがいいのかな。デンゼル先生のところでは忙しすぎてちゃんと勉強をさせてあげることが出来ないって言う話だったしね。」
「でもオーリスとライロフの気持ちが変わらないとしたら、うちの診療所にいきなり新人医師と医師志望者2人が増えることになるわよ。ライロフだって冬には試験を受けるって言う話だし、そこで合格出来るとしたら、若い医師2人と医師志望者1人ってことになりそうよね。」
「そうなんだよね。ライロフの知識はオーリスと同程度だと思うしね。でも本格的にうちで勉強をするのに、無給ってわけには行かないし、かと言ってそんなにいい給料を出せるかとなると・・・。」
医師会でどの程度の給料が出ているのかわからないが、同程度まで出せるとは思えない。
「お金の問題はうちではどうしようもないもの、医師会とデンゼル先生にも協力していただきましょ。」
「それがいいね。観光に来るならともかく、仕事でとなるといろいろと面倒な手続きが必要になるかも知れないしね。」
そう言う意味でも、籍がどこにあるのか、給料はどこから出るのか、その辺りはきちんと話し合いをしなければならない。
「それよ!一度観光に来てもらったほうがいいかも知れないわよ。どんなところかを見てもらうために。」
「そうか。そのほうがいいかも知れないね。」
観光で来るなら特に手続きの何のという面倒なことはない。長い期間は無理だろうが、気軽に私達の仕事を見学してもらうことも出来る。それに今この時期に来るというなら一番いい季節だが、長期にわたって島で勉強したいというのなら、寒い冬も体験してもらわなければならない。
「ん・・・・。」
リーザの声が聞こえた。顔を覗き込むと、目を開けている。
「リーザ、私がわかるかい?」
「・・・クロー・・・ビス・・・よね・・・。」
「そうよ。私は?」
妻がリーザの顔を覗き込んだ。
「ウィロー・・・?え、ここどこなの?」
リーザは目だけで辺りを見回し、起きようとした。
「まだ寝てていいよ。ここは医師会の病室。君は家督相続の席で倒れて、ここに運ばれたんだよ。」
「家督・・・。」
ぼんやりと呟いたリーザの瞳から、涙が溢れた。
「私・・・取り返しのつかないことを・・・。」
自分の行動は憶えているらしい。だが今はその話をする時ではない。
「取り返しがつかないなんて事はないよ。それより、どこか痛いところはない?気持ち悪いとか、そういうことは?」
「お腹が少し痛いわ・・・。気持ち悪くはないけど・・・。ねえ、起きていい?」
「いいよ。辛かったら言って。」
ウィローが背中に手を当てて起きる手助けをした。
「クロービス。」
「ん?」
「あなたはあの場にいたのよね。」
あの場というのは家督相続の手続きが行われた部屋のことだろう。
「いたよ。君の弟さんがドーンズ先生にもらって飲んでいた、「ハーブティ」の影響のことで、見守るためにね。」
フロリア様からリーザを見守ってくれるようにと依頼されたことは、何としても隠し通さなければならない。フロリア様自身の口からその話が語られるまでは。
「・・・・・・・・・・。」
リーザはまた涙を流した。
「私・・・家督相続の場で自分が何をしたか、憶えているのよ・・・。なんであんなことをしたのかわからない。でもあの時はそれが当たり前だと思っていた。どうして・・・。」
お母さんの事は、まだ思い出せないらしい。ただ自分が何をしたのか、何を言ったのかはすべて憶えているようだ。
「それに・・・あなたの顔を見て、何だか知らない人を見るような気持ちだったわ。あなたのことを知っているって頭では理解しているのに、どうして・・・。」
リーザにとって私は顔見知りだが、ヴェータ夫人にとっては全く見知らぬ顔だ。本来のリーザの意識が封印されたような状態だったのだから、その違和感は理解出来る。ただ、その話をするのはもう少し落ち着いてからの方が良さそうだ。
「今無理に考えようとしなくていいよ。ゆっくりと、少しずつでいいからね。まずは君の内臓の状態を診察させてもらうよ。」
私はリーザの肩に手をかけて、リーザの体の中に意識を飛ばした。寝ているうちにでも診察が出来なくはないのだが、やはり本人が起きている時の方が、どこかおかしい時にはすぐにわかりやすい。
「うーん・・・。」
さすがにしっかりと鍛えてあるようだ。あれだけどす黒い『気』を発していたというのに、内臓にそれほど致命的な損傷はない。だが全体的にかなり弱っている。しばらくは薬と病人食で療養してもらうのが良さそうだ。
「しばらく入院か・・・。仕方ないわ。それに頭がずっとぼんやりしているの。だからなぜこんなことになったのか、よくわからないのよ。でもそれはそのままにしていてはよくないわよね・・・。」
「そうだね。その解明のための診察も必要なんだけど、体の方も何とかしないとね。」
「そうね・・・。ねえクロービス、ハディは?」
「今は仕事じゃないかな。会いたいなら連れてくるけど。」
あれきり来ないところを見ると、休暇は却下されて仕事に戻ったと言うことだろう。
「そう・・・。」
それきりリーザは黙り込んだ。リーザがどう思っていようと、彼の誠意だけは伝えておかなければならない。
「実は今朝早くから来ていたんだけど、仕事をさぼっていたらしくてね。オシニスさんに『今お前がリーザのそばにいてもリーザの助けにならない』って言われて、休暇が取れなかったらしいよ。それでも君の目が覚めるまでいるって言い張っていたんだけど、ちゃんと休みをもらって来るって言って団長室に向かったみたいなんだ。でもそれっきり来ないから、休暇は却下されて仕事に戻ったってとこかなあ。」
「バカねぇ・・・。仕事をさぼったりしたら・・・。」
そのあと何か言いかけたが、リーザの声は震えて言葉にならなかった。瞳から涙が流れ落ちる。
「ハディにも・・・ひどいことを言ったわ・・・。どうしてあんなこと・・・。ハディを巻き込みたくなかったから遠ざけたのに・・・。傷ついてほしくなかったから・・・なのにどうして私は・・・。」
馬の骨と言ったことは憶えているようだ。まずは記憶の確認をしよう。
「リーザ、目が覚めたばかりで申し訳ないんだけど、君がどこまで憶えているか確認したいんだ。」
「わかった・・・。自分がしたことから逃げたくないわ。」
リーザは妻がそっ差し出してくれたハンカチで涙を拭った。
「それじゃ少し遡るんだけど、イノージェンの異議申し立ての日にね・・・。」
私はリーザがイノージェンの異議申し立ての日、ハディと話したところ、つまり私がリーザから離れたあとから誰とどういう話をしたか、憶えている限りでいいので話してくれと頼んだ。辛いことは詳しくなくてもいいからと言ったが、リーザはその時からのことをしっかりと憶えていて、話してくれた。
「あなたからラッセルのことを聞いて、私は目の前が真っ暗になった気持ちだったわ。父様があんな状態で、ラッセルまで罪に問われることになれば、ガーランド男爵家は誰も跡を継げなくて断絶してしまうかも知れない・・・。その時に聞こえたハディの声が、とても頼もしかったの。だから思わず、家がなくなってしまったらどうしようって言ったと思う・・・。でもハディが『俺が守ってやる』と言った時、我に返ったような気がしたの。ハディに頼れば、彼は私のためにどんなことでもしてくれる、それはわかっていたの。ハディがずっと私のことを好きでいてくれたことも、私と結婚したいってずっと思ってくれていることも。でも・・・だからこそ、彼を巻き込めないと思った・・・。なのにあなたとハディが家督相続の資料作成室に現れた時、なんで彼がここにいるのかわからなかった・・・。」
「その話については捕捉しておくよ。」
私はラッセル卿がドーンズ先生に渡されて飲んでいた「ハーブティ」が、ただの鎮静剤にお茶らしい香り付けをしただけのものであったことを話した。そしてその中に含まれている成分にどんな効能があるのか、はっきりとわかってないことも。異議申し立てが終わってラッセル卿が意識を失った時は、そこまでの詳しい事情を説明している時間がなかったので、この話を聞いたリーザはとても驚いていた。
「効能なのか毒なのかもはっきりとわからないんだ。ハインツ先生が調べてくれているけど、なかなか難しいんだよ。それでね・・・。」
医師会から、ラッセル卿に医師会で治療を受けてくれるように言ったが、ラッセル卿は自分の罪を償うのが先だと取り合ってくれない。あの頃ラッセル卿は生きることを諦めていたような、そんな感じだった。そこで医師会から、ラッセル卿の見守りのために私に出向いてくれないかと話が来たこと、顔見知りのほうがいいだろうと言うことで私に話が来たのだが、それを聞きつけたハディが、何が何でも同席すると言ってきかなかった。オシニスさんも渋々だったが、実際に行ってみれば、心配なのはラッセル卿よりリーザの方だった・・・。
フロリア様のことは言うわけにはいかないが、話の辻褄は合わせてある。オシニスさんやハディに聞いても同じ話をしてくれるはずだ。
「そんなことが・・・・。クロービス、ありがとう。ラッセルは今は元気なのよね。」
「まだしばらく医師会に通ってもらうことになってるけどね。でも大分元気になったよ。新男爵となったことで、責任感も今までより強くなったみたいだし、それもいい方向に働いたと思う。かなり前向きになってくれたんじゃないかな。病気に限らないけど、前向きになることでよくなることは多いよ。」
「・・・よかった・・・。でもラッセルにもチルダにも・・・私、ひどいことを言ったわ・・・。」
−−≪ごめんなさい・・・。謝らなきゃ・・・。≫−−
リーザの心は、ラッセル卿達への謝罪の気持ちで一杯だ。
−−≪ごめんなさい・・・。ごめんなさい・・・。≫−−
ずっと同じ言葉が聞こえてくる。普通にここにいるだけでここまで聞こえてくるのだから、リーザは相当強く、弟妹達へ謝罪をしたいと思っているのだろう。だがそのためにはリーザの行動の理由をリーザ自身が思い出さなければならない。その上で謝罪をしなければ、ラッセル卿達と本当の意味で和解することは難しいと思う。
リーザが順を追って話してくれたことを考え合わせると、ラッセル卿夫妻やハディから聞いた家での様子とも合致する。だが、所々話が途切れる。その途切れた部分に、おそらくヴェータ夫人の日記などを見て精神を支配されてしまった可能性があるのだが・・・。
「リーザ、あちこち話がかみ合わないところがあるって、自分でわかる?」
リーザが少し戸惑った様子を見せた。
「そ、そう・・・。ええ、わかるわ。そこだけぼんやりしているの。誰に対しても怒りが先に立って、うちのメイド達にも料理を投げつけたり・・・。でも何であんなに腹が立ったのか・・・。」
「そのぼんやりしたところは、思い出せない?」
「つまり、そこが大事って言うことなのね。」
「無理強いはしたくないけど、出来れば思いだしてほしいんだ。そのぼんやりしている部分を思い出せれば、君の行動の理由も説明がつくと思うよ。ゆっくりでいい。異議申し立ての後、家に戻って、その辺りからのことを思い出してみて。」
リーザは頷き、考え始めた。
「ええと・・・異議申し立てのあと・・・家に帰って・・・。」
リーザの頭の中に現れる光景が目の前に展開されているかのように見える。それだけ強く考え、思い出そうとしているのだろう。自分の部屋に戻ったらしいリーザの視線が、廊下の方に流れる。そして思い立ったかのように動き出し、部屋を出て別な部屋の扉を開けた・・・。
「私・・・母様の部屋に入ったような気がする・・・。誰かを頼りたくて・・・でもハディに頼れないから、母様の部屋で・・・。」
リーザの視線が机に向いた。そして引き出しを開ける。中にあった革製の表紙がついた、落ち着いた色合いの本・・・。それを開いて・・・。
「母様が亡くなった時、日記を見たわ・・・。母様がどういう人だったか、わかったような気がした・・・。だから今回のことで何か・・・。こんな時どうすればいいか、ヒントがあればと思って、もう一度日記を読みに行った時・・・。」
−−リーザ・・・。−−
「声が・・・聞こえたの。母様の声が・・・。『リーザ、困っているの?』って・・・。」
亡くなった人間の声が聞こえる。それは間違いなくリーザの心が作り出した、いわば内なる声だろう。昔私が『彷徨の迷い路』で聞いた声のように。でもそれは、本人にとっては間違いなく聞こえた声なのだ。今それを否定してはいけない。
「それから?」
「困ってるって言ったわ。父様はひどいことをしていたし、ラッセルはバカなことをしてしまった・・・。どうしようって・・・。そしたら・・・。」
その『声』は、『だから男なんて信じてはいけない。私が助言してあげるから、私の言うとおりになさい』と言ったそうだ。その声と話している時点でリーザは既に冷静ではなかったと言うことになるが、誰も当てに出来ない状況ではその声が救いになったかもしれない・・・。
「私の言うとおりになさい、何も考えずに私に従いなさい、そんな言葉が聞こえてきて、すぅっと意識が遠くなったの・・・。そして気づいたときには、怒りに支配されていたと思う・・・。私が家を継ぐことは出来ないかと、自分で言ったのも憶えてる。男なんて当てにならない、家は女が守らなければってそんなことも言ったと思う・・・。そんなことが出来るはずがないのに、あの時はそれが一番正しいことだと信じていたわ。そして・・・。」
リーザは顔を覆って泣き出した。そのあとは、誰に対しても威圧的な態度をとっていた。少しでも気に入らないことがあるとものを投げ、メイドに当たり散らし、ラッセル卿が医師会に行っている間も腹が立って仕方なかったという。
「こんなことを言ってはダメだって、思っているのに口から勝手に言葉が出てきてしまう。そのうち、自分が言っていることが正しいことのように思えてきて・・・。」
リーザは涙を拭った。それでも涙は後から後から流れ出てリーザの頬を濡らしていく。
「ハディにも・・・ひどいことを言ったわ・・・。母様が言っていた言葉・・・。聞いた時にはどうしようもなく腹が立ったのに、私はその言葉を躊躇なくハディにぶつけてしまったの・・・。」
「話したことは全部憶えているんだね?」
「憶えているわ。そして・・・チルダにひっぱたかれたこともね・・・。相続権を放棄してまで剣士団に入ったのに、私はあの時、自分が家を継ぐんだと思い込んでいた。まるで・・・ガーランド男爵家の嫡子として勉強をしていた頃みたいに。」
リーザはすうっと深呼吸して、涙を拭った。
「私・・・まるで母様に操られているみたいだった・・・。そんなことがあるはずがないのに・・・。母様はもういない。自由になれたと思っていたのに・・・どうして!?」
「・・・・・・・・・。」
自由になれた?どういうことだろう・・・。
「自由って・・・どういうことなの?」
妻が尋ねた。リーザは顔を上げ、少し自嘲的な笑みを浮かべた。
「私はね・・・ずっと母様の操り人形だったの。母様が望むいい子を演じて、母様の言うとおりの毎日を送っていた。でも小さな頃はそれが当たり前だと思っていたから、疑問なんて感じたことはなかったんだけどね・・・。」
「あなたは、お母様のことが好きだったんじゃないの?」
妻の言葉に、リーザは少し俯いてため息をついた。
「そうね・・・。好きだったこともあったわ・・・。母様の言葉はすべて正しい。母様の言うとおりにしていれば、幸せな人生が歩めると思っていた頃の話よ・・・。でも私は・・・母様の正体に気づいてしまった・・・。」
『私が助言してあげるから、私の言うとおりになさい。』
『母様の言うとおりにしていればいいのよ。あなたは何も考えなくていいの。』
ヴェータ夫人は、いつも幼いリーザにそう言い続けて、リーザを・・・
(服従させていたって事か・・・。)
ヴェータ夫人が気づいていたとは思いたくないが、それは言うなれば洗脳だ。自分の言葉がすべて正しいと教え込み、言うとおりにした時にはおそらく笑顔で褒めたのだろう。リーザはますますそれが正しいと思い込み、次第に自分で考えようとしなくなる・・・。
正体に気づいたと言うことは、リーザはヴェータ夫人の思惑に気づいてしまったと言うことだろうか。尋ねようかとも思ったが、リーザは次の言葉を準備しているかのように、目を閉じている。黙って聞いていた方が良さそうだ。
しばらくしてリーザがぽつりと言った。
「母様はね・・・かなりの野心家だったのよ。」
「野心家?」
「どういうこと?」
私達がほぼ同時に聞き返した。
リーザが小さい頃、母親は優しかった。弟と妹が生まれ、一番幸せだった頃の記憶は確かにリーザの中にある。だが・・・。
「母様は伯爵家の令嬢よ。それなのに男爵家に嫁いだことに対して、どうも伯母達の家がなんやかやと言っていたそうなのよ。」
ヴェータ夫人の3人の姉達は、末の妹が男爵家といういわば「低位の爵位」の家に嫁ぐことに対して、大分残念がっていたらしい。父親に抗議をしたりもしたそうだが、その頃の侯爵家や伯爵家には、年齢的に釣り合う相手がなかなか見つからないという話を聞いて、その姉達は納得したと言う話だ。だが、その嫁ぎ先の伯爵家や侯爵家では、男爵家に嫁ぐなど何を考えているのだという、どちらかというとバカにしたような言い方をされたのだという。
「おじい様としても考えた上での結論だったのだけど、伯母様達の嫁ぎ先からは、もっと家格の釣り合いが取れた相手との結婚を勧めてきたそうよ。ただそれが、母よりも20も年上の侯爵の後妻だの、15も年上でそれまで独身だった伯爵家の三男坊だの、家格が釣り合ったとしても、飛んでもない縁談ばかりだったそうなのよ。」
「それはまたひどいなあ。」
結婚さえすればいいというものではないと思うが、身分にこだわる人達にとってはそれが当たり前なのだろう。私達のような一般庶民にとっては、バカバカしいことこの上ないとしか思えないのだが。
(でも・・・さっきより随分と落ち着いてきたな・・・。)
ラッセル卿やハディへの謝罪の声は聞こえなくなった。このまま話を聞こう。こう言う時、誰かが話を聞いてくれるというのはとても嬉しいものなのだ。
「そんな縁談を勧めてきた人達にとってはね、家格が釣り合えばあとのことはどうでもいいのよ。それでその嫁ぎ先との交流が出来ればよかったの。つまりは母を利用しようとしたのよね。」
ヴェータ夫人は怒った。そしてヴェータ夫人の実家であるオーソン伯爵家の当時の当主、ジェラルド卿と言うらしいが、その人もかなり腹を立てたのだという。
「母は・・・ガーランド男爵家に嫁いで必ずこの家を盛り立ててみせる、そう心に決めて嫁いできたの。だから領地運営については、家督相続の前からかなり興味を持っていたし、子供が生まれてからは立派な跡継ぎに育てると、子供達への教育も熱心だった。私は小さな頃からこの家の跡取りはあなただと言われて、それを受け入れていたわ。母の中では、私が跡取り、ラッセルには有望な事業をいくつか持たせて独立させる、チルダは別な男爵家か子爵家に嫁がせる、そう言う図式が出来上がっていたみたい。だから私に対しては領地運営に関する勉強はいろいろと教えてくれた。小さい頃はそれでもよかったわ。母の言うことに疑問を差し挟む余地はなかったの。だけど・・・。」
母親との認識のずれにリーザが気づいたのは、社交界デビューのあとだったという。社交界デビューをするのは14〜5歳くらいが普通で、ライネス様の父王陛下の時代までは王宮で大規模な舞踏会を催し、その年にデビューする貴族の子女達が一堂に会したそうだ。だがライネス様は即位するとすぐに舞踏場を閉鎖し、別な施設に改築してしまった。社交界デビューは大々的に行わなくても、それぞれの家でパーティーを開く程度でいいのではないかと決めたのだそうだ。それはフロリア様の代になってからも引き継がれ、貴族達はそれぞれの家で舞踏会を催し、他の貴族達を招待するという形を取った。
「うちでもその決めごとに従って、パーティーを開いたわ。招待された同世代の人達とはすぐに仲良くなれた。でも、母はそれが気に入らなかったみたいでね、私の仲良くなった人達との交流を禁じたの。」
「どうしてそんな・・・。」
妻が顔をしかめた。
「つまり、交流するなら我が家にとって利益になる家とお付き合いなさいってことよ。いずれ結婚するときのためにも、今から『いい家』とお付き合いをしておくほうがいいって事ね。」
リーザがため息をついた。
「どうやら母が仲良くしてほしかった家の人達は、私とはあまりそりが合わなかったのよ。話していてもつまらなかったしね。でも母がそれを許さなかった・・・。その頃から・・・母の束縛が息苦しくなったわ。でも逆らえないの。どんなことでも『はい』と返事して、母の言うとおりの子供を演じてしまう。母は別に怒鳴ったりするわけではなかったから、ラッセルもチルダも多分知らないわ。あの子達にとっては、その頃はとても優しいお母様だったでしょうね・・・。。」
どうもリーザとヴェータ夫人の関係は、私が考えていたようなものとは違っていたらしい。そんな息苦しさを感じていた時、リロイ卿が別れたはずの恋人とその娘にお金を送り続けていたことが発覚した・・・。
「しばらくは、関係修復をお互いが考えていたと思う。でもその恋人への送金を、父はどうしてもやめると言ってくれなかった。それどころか、極寒の地で苦労している2人に対してあまりにも冷たいとまで言ってしまったのよ。さすがに言いすぎたと思ったらしいけど、それで母は自分の部屋に籠もるようになってしまったの。」
ヴェータ夫人が意地を張って関係修復をしなかったと言うことではなかったらしい。それにしても何ともひどい話ばかりだ。
「その頃から母の私達に対する束縛は目に見えてひどくなっていったわ。私達を自分の部屋に呼んではグチグチと父の悪口を言って、ラッセルをひどく罵って、私とチルダには『身持ちの堅い真面目な殿方』との結婚をするよう何度も何度も同じ言葉を繰り返す・・・。私やチルダがそんなことを言うのはやめてくださいと言っても聞く耳を持たなかった。特に私に対しては、嫡子としてこの家を盛り立てて、自分を安心させてくれと何度も何度も言われたの。もう頭がおかしくなりそうだったのよ。何度か呼ばれて母の部屋から戻る途中、『もういやだ、もううんざり』そう言ったと思う。それをチルダは聞いていたのね・・・。あの子はとても聡い子よ。だから、家はラッセルかチルダが継げばいいのにと思ったわ。私がいなくなれば両親はそうするしかなくなるってね・・・。」
チルダさんが例えば結婚したとしても、ラッセル卿がいる。弟は物静かで真面目な人間だ。自分がいなくなれば、きっと彼が跡取りになる。冷静に考えれば独りよがりな考えだが、リーザがそこまで追い詰められていたのだと思うと、気の毒になる。
「そう考えたんだけど、家を出ますなんて言ったところで両親とも許してくれるはずがないし、第一どうやって暮らしていけばいいのかもわからない。そんな時よ。ユノ殿を見たのは・・・。」
ユノに憧れて、リーザは槍術を習いたいと父親に頼んだ。母親では絶対反対されると思ったからだ。父親のリロイ卿はそれでリーザの気が晴れるならと、槍術の先生を呼んでくれて、その日からリーザは槍の稽古を口実に、母親の呼び出しには応じなくなった。その頃チルダさんは結婚し、家を出て行った。そしてリーザも家を飛び出すようにして剣士団の扉を叩き、残されたラッセル卿は、リロイ卿に『領地運営を一緒にやってくれないか』と頼まれ、ヴェータ夫人の呼び出しには誰も応じなくなった。そのころからヴェータ夫人の精神状態は少しずつ不安定になっていったらしい。
「採用試験を受けに行った時、ランドさんに言われたわ。貴族の嫡子が剣士団に入団する時は、家督相続の権利を放棄するかどうか決めなければならないって・・・。」
放棄しなくても門戸は開かれているらしいのだが、いずれやめていくとわかっていると、危険な地域への任務などはなかなか任せられないということらしい。死んでしまうようなことがないとは言いきれない。そうなった時にその家の跡取りが途絶えてしまうようなことになれば、責任問題になってしまうからだ。
「だから門戸は開かれているけど、実際には貴族の嫡子が試験を受けに来たら、説得して諦めてもらうって言うのが普通の対応だったらしいわ。相続を放棄しない限りはね。」
リーザは迷った。実のところそこまで考えていなかったからだ。だが家を継ぐ気はもうなくなっていた。ならば家督相続の権利を放棄してしまえば、もう家のことで悩む必要はなくなる。
「そう考えて、もしも試験に合格出来たなら、家督相続の権利を放棄しますって言ったのよ。」
そしてリーザは無事合格し、家督相続の権利を放棄するという誓約書にサインした。これにはさすがにリロイ卿も驚いたらしいが、槍術を学びたいとリーザが言い出した時から、こう言うことになるかも知れないと思ってはいたらしい。それに、女の子ならば好きな人が出来て他家へ嫁ぐと言うこともありうる。
「だから、ラッセルを家督相続候補者として一緒に領地運営しようというのは、その頃から考えていたらしいの。でも母は違ったわ・・・。」
ヴェータ夫人とは家を出る時にも相当派手に喧嘩したらしいが、リーザが家督相続の権利を放棄するという話を聞いた時には怒り狂い、手当たり次第にものを投げつけ、使用人に暴力を振るい、一時は手のつけられない状態だったようだ。
「ハディと初めて会った時は随分とバカにされたけど、腕でねじ伏せてやったわ。誰にも頼らず自分の力で。あの時私は、やっと自由な人生を生きていける、そう思っていたのよ・・・。」
だが剣士団で日々を過ごしていると、ふとした時に母親の影を感じたそうだ。そして町の警備をしていれば視線を感じる。それは多分、ヴェータ夫人が命じて密偵に娘の行動を監視させていたのだろうと言うことだった。
「多分だけど、母はおじい様に泣きついたのだと思う。おじい様にとって母のことは、悔やんでも悔やみきれない事だったんじゃないかと思うわ。ガーランド男爵家に嫁がせさえしなければ、もっと幸せな人生を送れたかもしれないのにって・・・。」
オーソン伯爵家は裕福だ。おそらく当時の伯爵は、自分のせいで不遇の人生を送ることになってしまった娘の頼みならば、大抵のことは聞き入れただろう。ヴェータ夫人はオーソン伯爵家から密偵を何人か借り受け、町の中に潜ませてリーザを監視していたらしい。表向きは『危険な仕事に就いた娘が心配だから』と言うことにして。
「その視線に気づくと、いつも母に言われていた言葉が頭の中に聞こえるの。『リーザ、それは違う、こうしなさい。母様の言うとおりになさい。それが正しいことなのよ。』ってね。」
ヴェータ夫人にとって、リーザは自分に都合のいい人形のような存在だったのだろう。自分の思うとおりにしつけて、家を継がせる。それでガーランド男爵家が繁栄すれば、爵位など関係なく自分が正しいと姉達が嫁いだ家に胸を張れる・・・。そんなところだろうか・・・。
「母の声には有無を言わせない響きがあったわ。でも家を出て、もう母の束縛からは抜けられたと思っていたのに、いつまで経っても母の声が聞こえる自分に嫌気が差して・・・。」
そんな時はいつも母親の悪口を言うことで、自分はもう母親との縁は切れているのだと自分に言い聞かせていた。それでうまく行っていると思っていた。ハディのことも、母親が絶対許してくれないような男性だが、自分が好きになったのだからそれが一番大事だと思った。
「それなのに・・・。今回のことは、今に至るまで母の影から抜け出すことの出来なかった私の弱さが招いたことよ。誰も彼をも罵って当たり散らして、ハディにまであんなひどい言葉をぶつけて・・・。私は・・・私はこれからどうすればいいの・・・。」
リーザとヴェータ夫人の関係がここまでこじれていたとは思わなかった。こうなると、リーザが母親の影から抜け出すためには、多分1人では難しい・・・。
「リーザ、君はこれからどうしたい?」
リーザが顔を上げた。
「私は・・・母の影から抜け出したい・・・。でもどうすればいいのかわからないの・・・。」
「リーザ、君は何でも抱え込んで1人で頑張ろうとする癖がついてるね。家督相続の時は仕方なかっただろう。頼ることの出来る相手が誰もいなかった。でも今は違うよ。君がお母さんの影から抜け出すために、私もウィローも、それにハディだって君を助けることが出来る。君1人で戦わなくていいんだ。私達にも、協力させてくれないかな。」
「クロービス、ウィロー、ありがとう・・・。でもいいの?私・・・イノージェンさんのお母様のことをひどく侮辱したわ・・・。」
「あの時はどうだった?お母さんの影に支配されていたとは思えなかったけど。」
「あの時は確かにそうよ。でもね、イノージェンさんと会う直前になって、なぜかあんな考えが頭に浮かんだの・・・。おそらくだけど・・・母がいつだったか言ってたのよ。自分には何の落ち度もないのにどうしてあの人は愛してくれないのって・・・。」
「それが君の心に残っていたんだね。」
「気の毒だとは思ってたから・・・。でもあんなことをイノージェンさんに言うつもりなんて全然なかったのに・・・。」
リーザの目からまた涙が流れる。
「クロービス、あなたにとってはお母さん代わりのような人だったのよね。その人を侮辱したこと、いまさらだけど謝るわ。本当にごめんなさい・・・。」
リーザが頭を下げて、肌掛けの上に涙がぽとぽとと落ちた。
「正直言うと腹は立ったよ。だけどね、イノージェン本人はけろっとしていたんだ。そのくらいのことは言われるかもしれないって。なのに私が1人で怒るって言うのも変な話だしね。」
「イノージェンさんは・・・器の大きい人ね。」
「見た目は繊細そうなんだけど、豪快よね。」
妻が笑った。
「私・・・いろんな人に謝りたい。でも何よりも母の影から抜け出したい。母の影から抜け出して、自分を取り戻してからじゃないと・・・。だけど・・・そんなに簡単にいかないわよね・・・。どうすればいいんだろう・・・。」
「謝罪は先にしておいたほうがいいと思うよ。みんな君を心配してるんだしね。君がお母さんの影から抜け出すためには、ラッセル卿にもチルダさんにも、手伝ってもらった方がいいんじゃないかな。もちろん私達も手伝うよ。」
「クロービス、ウィロー、手伝ってくれるの?」
「いつでも手伝うよ。私は友達としても医師としても君の状態をほっとくなんて出来ない。」
「私はお友達として、あなたの助けになるわ。あなたの弟さんも妹さんも、きっと手を貸してくれるわよ。」
妻が笑顔で言った。
「そうなら嬉しい・・・。でも・・・ハディはどうかな・・・。会って謝りたいけど、許してくれるかしら・・・。」
「それを決めるのはハディだよ。ここであれこれ考えてみても仕方ない。それじゃここからは少し、私の話を聞いてくれるかい?」
今回この部屋でリーザが誰にも知られないように療養出来ているのは、王族専用の通路を使わせてくれたフロリア様、レイナック殿、そしてドゥルーガー会長のおかげだと言うこと、リーザを最初に診察してくれたのもドゥルーガー会長であることを伝え、会長と、リーザの上司であるオシニスさんには報告しなければならないこと、その時どこまで伝えていいのか、それを聞きたいと尋ねた。
「私・・・いろんな人達に助けられているのね・・・。全部話してくれてかまわないわ。多分、あれとこれは話さないでなんて言っていたら、いつまでも今の状態から抜け出せないと思う・・・。」
リーザは目を閉じ、そして顔を上げて目を開けた。
「クロービス、誰に何を言われても、乗り越えなくちゃならないと思う。だから、みんな話してくれていいわ。」
「無理はしなくていいんだよ。でも君がそう言うなら、ドゥルーガー会長とオシニスさんには今君から聞いたことを話してみるよ。2人とも信頼できる人だからね。他に話してはいけないと判断したことについては、胸に納めてくれると思うよ。」
「・・・・・・・・・・・。」
リーザからは迷いが感じられる。
「何かまだ気になることがある?どんなことでも聞くよ。」
リーザは不安でいっぱいの顔で私を見た。
「・・・ハディのことよ・・・。」
「ハディ?どんなこと?あ、もしかしてハディが許してくれないんじゃないかって?」
リーザが首を振った。
「いいえ・・・もしもそう言ってくれるならまだいいの。ひどいことを言われたから許さないって言われたなら、私は彼が許してくれるまでどんなことでもするつもりよ。だけど・・・ハディが私を大事に思ってくれているのはよくわかってるの。だから怖いのよ。ハディが、本当は腹が立っているのに、私のためにって、その怒りを無理に抑え込んで私を許すって言うんじゃないかって・・・。私のために、自分の気持ちを抑え込んでしまうんじゃないかって・・・。そのほうがすごく辛いの。それが不安で・・・。」
確かにハディはリーザのためならどんなことでもするつもりでいる。自分だけが我慢すればいい、そんな考えでリーザを許すと言ったとしても、リーザだってそのくらいのことは気づくだろう。だが・・・。
「それじゃリーザ、立場が逆だったらどうする?」
「逆って・・・。」
「ハディが何かやらかしたとして、君に許してくれって言ったら、君は腹が立っているから許さないって言う?」
「そ・・・そんなこと言えないわ!あ・・・。」
「ハディだって同じだと思うよ。君のことを許さないなんて言えない、腹が立っていても許すよって言ってしまうと思う。ハディには許さないでほしいけど自分なら許してしまうってのは、矛盾してるよね。これでは平行線じゃないか。いつまでもわかり合えない。」
「だ、だけど・・・。」
「自分が相手のためと思ってすることが、必ずしも相手に喜ばれない、或いは受け入れられないって言うのは、いつだってあるものだよ。ただ君達の場合、もう少し話し合ったほうがいいと思うから、この話を、ハディにしてみる?」
リーザはしばらく考えていたが・・・。
「そうね。きちんと話し合いをしたほうがいいって思うけど・・・怒ったりしないかな・・・。」
リーザはすべてにおいて自信をなくしているようだ。もう少し冷静になってからでないと、ハディと直接話すのは難しいかも知れない。それを察したのか、妻がリーザの肩にそっと手をかけた。
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