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「・・・そうね・・・。ハディとしても、リーザの顔を見てしまったら、ひどいことを言われたから許さないって言えないと思う。リーザのためという名目で、自分の気持ちを抑え込んだりごまかしたり、そんなことをしないでくれるように、くらいは話してみてもいいんじゃない?でも、それはお互い様だって事は、あなたも心に留めておくべきだわ。リーザ、ここはクロービスに任せましょう。あなた達がちゃんと向き合って本音で話し合えるように、ある程度のお膳立てをしてもらった方がいいと思うわよ。」
 
 妻が言った。
 
「そのくらいのことなら出来ると思うよ。それじゃハディと話が出来るまでに、もう少し体力をつけておかないとね。お腹空いてるんじゃない?」
 
「そうね・・・。確かにお腹は空いてるわ。どんな時でもお腹は空くのよね・・・。」
 
「それが健康な証拠なんだよ。今は内臓全体が弱っているから病人食になるけど、ウィロー、何か食事がもらえないか聞いてきてもらっていいかな。」
 
「そうね。調理場に行ってみるわ。リーザ、少し待っててね。」
 
「ありがとう・・・。」
 
 妻が病室を出て行った。
 
「ねえクロービス、ここって医師会の病棟よね。何階なの?何だか部屋全体がすごく豪華なんだけど。」
 
「最上階だよ。」
 
「え!?それって・・・。」
 
 リーザは驚いて辺りを見回した。
 
「豪華なわけだわ・・・。ここは・・・かなり高位の貴族や王族が使うような部屋よ・・・。私ここにいていいの?」
 
「ここに案内してくれたのはドゥルーガー会長だよ。だから大丈夫だと思うよ。」
 
「で、でも・・・。」
 
 私はガーランド男爵家の家督相続についてよくない噂が立っていること、そこに資料作成の時から家督相続の時に至るまでのリーザの行動が問題視され、御前会議に報告されていることを話した。今の状況でリーザを一般病棟に入院させてしまうと、何者が入り込んでリーザの周囲を嗅ぎまわり、いい加減な噂を流すかわからないので、誰も入れないこの階に部屋を用意してくれたのだと。そしてリーザをここまで運ぶために、人目につかないよう王族専用の通路を使わせてもらった。それはオシニスさんからレイナック殿を通じてドゥルーガー会長に話を通してもらったことも。この話はきちんとリーザが知っておくべきだ。
 
「そう・・・だったの・・・。本当に・・・なんであんなバカなことをしたのかしら・・・。」
 
 リーザが涙をこぼした。
 
「君のその時の状態を考えれば仕方ないよ。」
 
 その時扉がノックされた。
 
「クロービス、入っていい?」
 
 妻の声だ。
 
「いいよ。どうぞ。」
 
 扉が開くと、いい匂いが漂ってきた。
 
「調理場であり合わせの食事を作ってきたわ。お昼の準備が終わったところだったのよ。食材が少しあまってるって聞いたから、ちょうどよかった、なんて喜ばれちゃった。」
 
「それはタイミングがよかったね。リーザ、食べられる?」
 
「食べるわ。早く元気にならなくちゃ。」
 
 妻がテーブルを用意してくれて、ベッドの上で食べられるようにしてくれた。
 
「でもずいぶん早かったね。」
 
 1人分の食事を用意するのだからもう少しかかると思っていた。
 
「あまっていたのがスープストックと野菜が少しだったの。いつもなら分量通りにきっちり作るんだけど、たまにあまってしまうことがあるらしいのよ。だから野菜を全部みじん切りにして、スープと煮て味を調えるだけで出来たのよ。今日の夜からは1人分用意してくれるって言う話だったから、その時は取りに行ってくるわ。ちゃんと病人食にしてくれるように頼んどいたから。」
 
「へぇ、それは運もよかったってことになるのかな。」
 
「ふふふ、多分ね。ねえクロービス、リーザが目覚めたこと、ドゥルーガー会長とオシニスさんには伝えておかないとまずいわよね。」
 
「そうだね。これから報告に行くよ。」
 
「それじゃお願いするわ。まずはリーザ、食事をしましょう。ゆっくり食べてね。」
 
「ありがとう。」
 
 リーザはスープを一口飲んで『おいしい』と言った。
 
「食べきれなかったら残しても大丈夫よ。」
 
「そんなもったいないこと出来ないわよ。これなら全部食べられるわ。」
 
 リーザが笑顔になって食べ始めたので、私はベッドのそばから離れて今リーザと話をしたことを持って来たノートにまとめ始めた。まずはドゥルーガー会長に報告と相談をし、次に剣士団長室だ。
 
「それじゃリーザ、しばらく薬も飲んでもらわなくちゃならないから、私は医師会で相談してくるよ。」
 
「ええ、よろしくね。それじゃ行ってらっしゃい。ねえリーザ、クロービスがいなくなったら女同士、いろいろと話しましょうよ。」
 
 妻の言葉にリーザが笑った。
 
「何だか邪魔者みたいだなあ。」
 
「拗ねないの。さあ、行ってらっしゃい。」
 
 妻が笑いながら、私に早く部屋を出てくれとでも言うように手を振った。私が部屋を出れば、あとは女同士の会話が始まるだろう。きっともう少し突っ込んだ話が聞けると思う。リロイ卿が目覚めたことも、妻が話してくれるだろう。
 
 
「あのくらいなら・・・滋養強壮の薬と胃の薬を・・・濃度は少し考えないとな・・・。」
 
 薬のことは何とかなりそうだ。ハインツ先生にも相談してみよう。
 
 
 ドゥルーガー会長の部屋に着き、扉をノックした。『どうぞ』と返事があったので中に入ると、ドゥルーガー会長とハインツ先生、その他初めて見る顔の医師らしい人が2人いる。
 
「あ、お取り込み中でしたか。出直しましょうか?」
 
「いや、大丈夫だ。入ってくれるかね。いい機会だから紹介しよう。医師会の主任医師を務めるエルダ医師とゼクトス医師だ。」
 
 私は名を名乗り、医師会に世話になっていることで2人にもお礼を言った。もっともこの2人からはあまりいい感情が感じ取れないのだが。
 
「初めまして。エルダと申します。医師会では主に色についての研究をしておりますの。」
 
「色ですか。というと、病室の壁やカーテンの色を変えることで患者が落ち着けるようにするとか、そういうことですか?」
 
−−あら、田舎者だと思っていたけど知っているのね。−−
 
 エルダ医師の心の声がそのまま聞こえてくる。
 
「ええ、そういうことですわ。先生の診療所でもそう言った試みはなされていますの?」
 
 エルダ医師がにっこりと笑った。
 
(すごいなあ。心で悪態をついているとは思えない笑顔だ。)
 
 エルダ医師の笑顔はとても感じのいいものだ。これも一つの才能かも知れない。
 
「うちには入院施設はないんです。患者はそれぞれの家で療養するので、往診の時や食事指導の時に患者の部屋を見せてもらって、カーテンなどを変えたほうがいい場合は助言するという程度ですね。」
 
「あらまあそうでしたの。」
 
 この声には何となく侮蔑の籠もった響きがあった。単に田舎者としてバカにされているのか、何か気に入らないことがあるのかわからないが、私の方には何一つ敵意を向けられる謂われはないので、平常心で対応するしかなさそうだ。
 
「私はゼクトスです。医師会では薬草学と香りの研究をしております。」
 
「香りと言いますと、病室に患者の好む香を焚いて、安眠出来るようにするとか、そういうことですか。」
 
−−ふん、田舎者のくせによく知ってるじゃないか。だがのほほんとした奴だな。なんでハインツはこんなのに遠慮して、主席医師になろうとしないんだよ。バカじゃねぇか。−−
 
 ゼクトス医師の敵愾心は、どうやらハインツ先生に関わることらしい。なるほど私がハインツ先生の主席医師就任を邪魔していると考えている訳か・・・。ここもまた平常心で乗り切るしかなさそうだ。
 
「さすが麻酔薬の開発者はいろいろと知識が豊富ですな。香りもバカに出来ませんからね。心の安定にもとても役に立ちます。」
 
 香りについても色についても考えたことがある。好きな色のカーテンなどで彩られた病室で療養するのはいいことだと言うことも知っている。香りについては薬草研究の延長線で、香水に使われるようないい香りの草を見つけたことがあるからだ。だが香りとは両刃の剣で、安眠出来たりもするが、患者にとって嫌なことを思い出させることもある。慎重にならなければならないものなのだ。もっともそんなことをここで言う気はない。相手が私に敵意を持っていようといまいと、別にわざわざ怒らせる必要はない。
 
(平常心、平常心・・・。)
 
 医師会を頼ってから、ここまでの敵意を向けられたのはゴード先生以来だろうか。これが当たり前だと思えば、特に腹は立たない。快く協力してくれる人達もたくさんいるのだから、私は恵まれている方なのだと思う。
 
「では私達は失礼します。」
 
 行く分呆れたようなため息をついて、ハインツ先生が言った。エルダ医師とゼクトス医師はハインツ先生も含めて、主任医師として何かの打ち合わせをしていたらしいのだが、ちょうど終わって腰を上げたところで私が来たらしい。
 
 
「・・・不快な思いをさせて申し訳ない。」
 
 扉が閉まり、足音が遠ざかった頃、ドゥルーガー会長が頭を下げた。
 
「気にしていませんよ。ハインツ先生以外の主任医師の方達と、今まで顔を合わせることがなかったというのは、あちらが会いたくないんだろうなと、何となく思ってましたから。」
 
「・・・まあそういうことだ。この先もあの2人は貴公に関わろうとはしないだろう。」
 
 私が医師会を頼って動くことについて、邪魔をされないのなら何も言うことはない。2人とも私より少し上くらいだろうか。いい年の大人がそんな子供じみたことはしないだろう、そう願いたいものだ。
 
「しかし・・・ふふふ、貴公が色と香りと聞いて首を傾げなかったものだから、それもまたあの2人には気に入らなかったらしいな。」
 
「島では普通にやっていることですからね。ただそれを研究テーマにしている先生方がいらっしゃるとは知りませんでした。」
 
「あの2人も、元々は薬品や薬草などの研究をしていたのだが、色や香りが患者の容態に及ぼす影響について興味を持ったらしくてね、最初の頃こそ馬鹿にする者も多くいたが、今では研究テーマの一つとしての地位を築いている。」
 
「色も香りもバカに出来ませんからね。そう言うテーマに取り組んでおられる方がいらっしゃるのは心強いですね。まあ、知識を持ち寄っての交歓は出来そうにありませんが。」
 
「あの2人はハインツに傾倒しておる。早く主席医師になってほしいのに、ちっとも腰を上げないものだからやきもきしているのだ。しかも貴公がこちらに来てから、何かと貴公のことをよく言うものだから、2人とも怒っているらしい。あ、もちろん貴公には何の責任もないことだから、気にしないでくれ。」
 
「気にしませんよ。私としても、こちらに来てからハインツ先生にいろいろとお世話になって、あの方こそ主席医師となるべき方だと思ってますからね。」
 
「そう言ってもらえるとありがたい。あやつが腰を上げようとしないのはあやつ自身の問題だ。貴公のことは、単に逃げの口実にしているに過ぎぬと私は考えておる。」
 
「クリフの手術についてある程度謎が解ければ、また違うのかも知れませんね・・・。」
 
「うむ・・・。だがそれは捜査の進展を待つしかないからな・・・。」
 
 そこまで言って、ドゥルーガー会長はハッと顔を上げた。
 
「そう言えば、貴公の用向きもまだ聞いてなかったな。こちらの事情で手間を取らせて申し訳なかった。今日は何用かね。」
 
 私はここに来た用事を話し、相談に乗ってもらえないかと話した。
 
「おお、目が覚めたか。それは何よりだ。記憶障害などはどうやらなかったようだが・・・。それ以上に厄介な状況に陥っているようだな・・・。」
 
「ええ、私もここまで親子関係がこじれているとは思っていませんでした。」
 
「しかしそうなると、治療には時間がかかるやも知れぬな。それに、こう言った治療には親しい人達の助けが必要だ。ハディ殿についてはリーザ嬢の気持ち次第だが、ラッセル卿とランサル子爵夫人に、出来れば話をして協力してほしいところだが・・・。」
 
「リーザはラッセル卿達にも全部話すつもりでいると思います。ただその理由が、治療の協力と言うより、どうも贖罪のほうが目的のようなんですよね。その辺りはラッセル卿と似たような考え方みたいで・・・。」
 
 そしてその考え方は、間違いなくリロイ卿譲りのものだろう。ヴェータ夫人の考え方も受け継いでいるはずなので、リロイ卿ほど極端ではなさそうだが・・・。
 
「血は争えぬということか・・・。だがラッセル卿は家族のために前向きになることが出来た。ならばリーザ嬢が前向きになるためには家族の力ももちろんだが、やはりハディ殿の力が必要になると思うのだが・・・。」
 
「このあと剣士団長室に報告に行きます。その時にハディについて少し聞いてみようと思います。本人と話が出来そうならちゃんと話をして、協力してもらうことは出来ると思います。ただあまり前のめりになられると、リーザが気にしてしまうでしょうから、ハディがちゃんと自分を抑えて対応してくれるかどうかですね。」
 
「ふむ、そうだな。話を聞く限りあまり重篤な状態ではないようだが、母君の影から抜け出すにはかなり時間がかかろう。ガーランド男爵家には、リーザ嬢の目が覚めた事だけは伝えても問題ないかね。」
 
「ええ、ただ、見舞いに来られるのであれば、明後日以降にしてほしいとお伝えいただけますか。今日と明日はリーザの話を聞きたいですし、剣士団長に報告すれば、リーザの処分についての話も出るでしょうから、落ち着くまで時間がほしいところです。」
 
「うむ、あいわかった。そのように取り計らおう。」
 
「こちらの都合ばかりですみません。」
 
「貴公が謝ることではない。すべては患者のためだ。フロリア様がリーザ嬢のことをえらく心配しておられるから、目が覚めたという知らせは喜ばれるだろう。まあ・・・いささか頭の痛い問題もあるのだが・・・。」
 
 ドゥルーガー会長はそこまで言って少しの間思案していたが・・・。
 
「貴公の耳にも入れておこう。リーザ嬢が入院しているあの部屋のことだ。」
 
「リーザが驚いていましたよ。かなり部屋代が高いのではないかと。」
 
「その通りだ。医師会としても、あの部屋はフロリア様以外の王族や高位の貴族が入院する時のための部屋なのだ。」
 
「・・・ということは、フロリア様の場合は専用の部屋があると言うことですか?」
 
「いや、フロリア様の場合は、万に一つも入院などと言うことが知られでもしたら大変なことになるからな。フロリア様には乙夜の塔においでいただき、こちらから秘密裏に診療に伺うことになっておる。」
 
「なるほど・・・。」
 
 フロリア様の体調がすぐれなかった時も、そのことが絶対に漏れぬよう、レイナック殿がかなり気を使っていた。エリスティ公などに知られでもしたら大騒ぎになってしまう。
 
「あの部屋は、エリスティ公も利用される部屋だ。もっともあのお方は元気なお姿をアピールなさりたいだろうから、まず入院などどんなに具合が悪くても言いだしはせんだろう。だがそこまで想定して作られておる。家具調度、カーテン、シーツ、すべてにおいて極上のものが使われておるのだ。そのような部屋の利用料を、すべて無料にしてくれと言われてなあ・・・。こちらとしても困っておるのだ。」
 
「ただでさえ稼働率が低い部屋でしょうからね。利用料くらいもらってもいいのではないかと思うのですが・・・。」
 
「あの部屋は今のところ、特に使用予定があるわけではない。だから使ってもらうほうがいいのは確かだ。入院費用のほうは剣士団持ちだから問題ないのだが、部屋の使用料はまた別の話だ。さすがにそこまで剣士団には請求できぬ。だから本来ならば、入院した本人かその家族に請求するのだが、フロリア様がどうしても無料にしてくれと仰せられて、こちらの話を聞いてくださらぬ・・・。」
 
 ドゥルーガー会長がため息をついた。あの部屋の利用料となれば一日どのくらいになるだろう。私達には想像もつかない金額だと思う。
 
「フロリア様がリーザ嬢をどれほど大事に思っておられるか、それはよくわかる。だがフロリア様は以前から、好意を示すのが・・・その、あまりお上手ではない。私も聞いた話だが、前剣士団長代行殿がこちらに戻られた時、家を用意したらしい。貴公も知っているとおり、前団長代行殿は一時期剣士団から不当に除名されていた。その償いとして家の他に支度金や生活用品や、あれもこれもと準備するようレイナック様に指示されたらしいのだが、レイナック様はそれを何とか押しとどめたということだ。支度金を多めに渡すと言うことで、何とか納得していただいたと言う話だ。」
 
 それはわかるような気がする。フロリア様としては、ガウディさんにはどう償っても償いきれない負い目があると考えているだろう。除名についてもそうだが、グラディスさんのことでも。だからといってそんなにあれもこれもと言われたのでは、ガウディさんもポーラさんも困ってしまっただろう。
 
「ガウディさんはグラディスさんから『あいつはカタブツ過ぎるんだ』と聞いていましたが、実際に会った時、なるほどと思いましたよ。ガウディさんは非常に真面目で公正な方です。フロリア様が示される好意には、大分困ったでしょうね。」
 
「うむ、奥方が取りなして、今回限りと言うことで受け取ったそうだが、フロリア様ほどの地位におられれば、好意を示すと言うことは褒美を与えることであり、相手が遠慮するなどと言うことは考えもしないのが普通だ。レイナック様もその辺りをお教えするのが難しいとこぼしておられたぞ。」
 
 祭り見物の時に私が差し上げた焼き菓子についても、フロリア様は大分悩まれたらしい。
 
(だからといってこれから庶民の暮らしを体験してみるというわけにも行かないしなあ・・・。)
 
 こればかりはまわりが少しずつお教えする以外に方法はなさそうだ。
 
「フロリア様は聡明なお方ですから、きっと理解してくださったでしょうね。病室の件はリーザとガーランド男爵家の方々にも話してもいいのではないかと思います。」
 
「そうだな・・・。ガーランド男爵家の方々が来られた時に話をしてみよう。」
 
 
 薬についてはハインツ先生に相談してくれと言うことになった。心療医学のほうでは、毎日リーザと話をするのがいいのではないかと言うことだ。この手の治療は時間がかかる。こう言った症状の患者を診た事がないわけではないが、この心療医学という分野が未だに研究がそれほど進んでいない現状では、私も手探りで治療を進めることになるし、ドゥルーガー会長が助言出来ることも限られると言うことだ。だいたいこの分野については、治療に薬は役に立たない。そして明確に『こうすれば治る』という治療法も存在しないのだ。
 
(催眠療法というのもあることはあるけど・・・会長がそのことを言わないと言うことは、おそらく催眠術を施せる医師はいないんだろうな・・・。)
 
 いるとすればシェルノさん・・・だがシェルノさんは相変わらずあの塔にいるのだろう。あとは・・・。
 
(クイント書記官か・・・。)
 
 だが何があっても頼める相手ではない。それに、リーザはもう意識が戻り、自分の中に居座っている母親の影と戦う覚悟を決めている。
 
(私がしっかりしなくちゃな・・・。)
 
 ドゥルーガー会長と話しているうちに、リーザに対して友人だから、患者だからと言うこだわりのようなものはきれいに消えていた。私はリーザに医師として、友人として、出来ることをする、それだけだ。
 
 この後剣士団長室に報告しに行くことを伝えると、先ほど出たあの部屋の利用料について、後で剣士団長とも相談したいので、それだけ伝えてくれるようにと頼まれた。そのまま私は会長室をあとにして団長室に向かうことにした。夕方にはまだ早いので、本来ならばハディは訓練場にいるはずだが、さてどうだろう。
 
 
 採用カウンターの前を通ったが、珍しくランドさんがいない。カウンターの中にいる、留守番を任されているらしい剣士に尋ねると、今は団長室で打ち合わせをしているらしい。私はロビーにいた別な剣士に頼み、団長室に入ってもいいかどうか聞いてもらうことにした。
 
「クロービス先生、団長が来てくれてかまわないとのことでした。どうぞ。」
 
「ありがとう。」
 
 改めて扉をノックすると、『開いてるぞ』とオシニスさんの声があり、中に入った。
 
「失礼します。打ち合わせ中にすみません。」
 
「気にするな。リーザのことも話していたからな。それで、リーザのほうはどうだ?」
 
「さっき目が覚めましたよ。少しですが食事もしました。体のほうは弱ってはいますが、それほど深刻な状態ではありません。そういえばリロイ卿のことは聞いてますか?」
 
「ああ、医師会から報告が来たよ。それでここに来たと言うことは、話は聞かせてもらえるのか?」
 
「ええ、ところでハディは今仕事ですか?」
 
「呼んでくるか?」
 
「いえ、今はまだ来てほしくないので。」
 
「ということは、リーザはハディに会いたくないって事か?」
 
「そういうわけではないんです。ただ、それよりも厄介と言いますか、大変なことになっていたので、まずは私の報告を聞いてください。」
 
 私はまず前置きとして、リーザの状況について本人に許可をもらったので、すべてここで話すと言った。ハディのことはそのあとにしたいと。そして、リーザが目覚めてから話をしてみたが、自分が言ったことも取った行動もすべて憶えている、しかし"なぜ"という点で自分でもわからないと言う話をしていた事も言った。
 
「そこで、あの異議申し立ての日の事から始めて、時間の流れに合わせていろいろと思い出してもらう事にしました。辛いようなら無理はしないで欲しいと言いましたが、リーザ自身が自分の行動にかなりショックを受けていて、ラッセル卿やチルダさん達に、そしてハディにも謝りたいと言ったんですよ。ただそのためには記憶が曖昧な部分をきちんと思い出したいと言うことでしたので、思い出しながら話してもらったんですが・・・。」
 
 
 そしてわかったのは、リーザとヴェータ夫人の異様な親子関係だった。ずっと苦しんでいたのに、誰にもそのことを言わず、1人で解決しようとしていたが結局うまく行かなかった。そのことが今回の騒動の元になっている・・・。
 
 
「うーん・・・。」
 
「これはまた・・・。」
 
 オシニスさんもランドさんも、唸ったきりしばらく黙っていた。
 
「ここでイノージェンに会った時も、イノージェンの母さんのことであそこまで言うつもりはなかったと言ってました。どうやらお母さんの影響は、リーザ自身も意識していない心の奥底に潜んでいるようです。そして母親が咎めそうな行動を自分が取った時に、知らないうちにそれを修正しようとして妙な言動をしてしまうようですね。」
 
「それで、お袋さんの影響から抜け出す手立てはあるのか?」
 
 オシニスさんが尋ねた。
 
「精神的なものですから、薬は役に立たないし、確実に治るための治療法が存在するわけではありません。ただ家族や親しい人達の助けで少しずつ影響から抜け出るしかないと思います。」
 
「つまり時間が必要だって事だな。」
 
「そういうことです。でも今までもフロリア様の護衛として仕事は問題なくこなしているはずなので、今後王国剣士としての仕事に支障が出ると言うことはないと思いますよ。」
 
「そうか・・・。だがこの間話したとおり、リーザはフロリア様の護衛剣士から外された。元々権力にこだわる大臣達は、男爵家の出のリーザが長年護衛剣士をしていることについて面白くなかったからな。ここぞとばかりに今回のリーザの行動について騒ぎ立てている。」
 
「でもそれを言ったらユノは貴族の出ではないですよね。」
 
「ユノの場合は、何と言ってもベルスタイン公爵家の領地の出だ。しかも島の自治を担う村長の娘だからな。下手なことを言えば自分達の首を絞めるとわかっていたんだろう。実に静かだったぞ。」
 
「なるほど・・・。」
 
 それでも『リーザが低位の貴族の家の出身』と言うだけなら何も言いようがなかったのだが、リロイ卿の暴挙と横領の事実が明るみに出て、ここぞとばかりに騒ぎ立てたらしい。だが王国剣士は剣の腕とその人となり、それが問題なければ誰にも何も言われることはない。その点についてはレイナック殿の一喝で黙らせたらしい。
 
「リーザ自身については問題はなかった。だが今回の騒ぎでフロリア様もじいさんも何もしないってわけには行かなくなったんだ。それでまあ、リーザの処分については本人に伝えなくちゃならないんだが、そう言う話は出来そうか?」
 
 オシニスさんは何となく『気が進まない』という表情をしている。まあそうだろう。誰だってこう言うことは気が進まないはずだ。
 
「それは問題ないと思います。リーザは自分がどういうことをしたのか、きちんと受け止めています。それに、おそらくですが、よくない話ばかりではないんですよね?」
 
 ランドさんがブハッと吹き出した。
 
「お前も鼻が効くなあ。確かにそんなに悪い話ばかりじゃないよ。」
 
 言いながらランドさんはまだ笑っている。
 
「まあその通りだ。おいランド、笑いすぎだ。こいつだって今では一人前以上の医者なんだぞ?」
 
「ははは、悪い悪い。だが処分されるという話をしているだけなのに、そこまで確信に満ちているのはすごいなと思ったのさ。」
 
「リーザについては、フロリア様が一方的な処分は許さないでしょう。あ、そう言えばドゥルーガー会長が、リーザが入院している部屋の利用料について、あとで話をさせてくれと言うことでしたよ。」
 
「なるほどな。その話を聞いたのか。」
 
「ええ、だから処分はされるけど、かえってリーザにとってはいいこともあるのじゃないかなと思ったんですよ。」
 
「それじゃ明日にでも病室に行くと伝えてくれるか。そうだなあ・・・。午前中のほうがいいか。」
 
「わかりました。伝えておきます。」
 
「ガーランド男爵家の見舞いが来るなら午後でもいいんだが、どうだ?」
 
「医師会の方からリーザが目覚めたことは伝えてもらうことになってますが、見舞いは明後日以降にしてくれと頼んでおきました。明日はリーザの話をもう少し聞きたいですし、もしかしたら剣士団の処分の話も来るかも知れないと思いましたからね。」
 
「そうか。それじゃ明日の午前中で問題ないな。」
 
「ええ、それで伝えます。あと病室の利用料についてなんですが、少し提案がありまして。ランドさんもいらっしゃるし、話をさせていただいてもいいですか?」
 
「それかぁ・・・頭が痛いんだよなあ。」
 
 ランドさんがため息をついた。
 
「フロリア様は無料でと仰せられたそうですね。」
 
「一般病棟なら部屋の利用料と言っても微々たるもんだ。シーツ等の洗濯、たまに布団を干したりするくらいだからな。そのくらいならいつもこっちで負担するんだが、リーザが今入院している部屋となるとわけが違う。」
 
「王族やよほどの高位貴族くらいしか使わないような部屋だそうですね。そんなすごい部屋を無料でと言われたら、医師会だって困るでしょうし、何よりリーザ本人が困惑すると思いますよ。だからってフロリア様が無料でと仰せられたら、強硬に反対もしにくいでしょうし。」
 
「そういうことだ。で、お前が言う提案とはどんなことだ?」
 
「まあ提案と言うほどのことでもないんですが、割引という形にして、半分、或いは7割程度の金額をガーランド男爵家とリーザで支払うのがいいんじゃないかと思いまして。」
 
「割引か・・・。やっぱりそれがいいよなあ・・・。」
 
 ランドさんが腕組みをして、うーんと唸った。もちろん考えてはいただろうが、何だか難しい顔をしている。
 
「どうやらあの部屋の利用料はかなり高額なようですね。」
 
「ああ、なんせ王族が入院出来るように作られた部屋だからな。」
 
「リーザが1日2日で退院できるならともかく、今のところ一週間は入院してもらう予定なんですよ。リーザとガーランド男爵家で折半すれば支払えないことはないかもしれませんが、フロリア様が無料でと仰せられている以上、払うと言っても却下される可能性のほうが高そうですよね。」
 
「そうなんだ。金額の問題よりも、そっちの方が頭の痛い問題なんだよな。」
 
 オシニスさんもランドさんも、それで難しい顔をしているらしい。
 
「フロリア様がリーザに好意を示したいというお気持ちは理解できますが、それではリーザが困ってしまいますよ。そのお金が税金だとすれば当然ながら大臣達の横槍が入るでしょうし、税金ではなくフロリア様の個人資産から出すと言うことになれば、不公平だと言われるでしょう。レイナック殿は何もおっしゃらないんでしょうか。」
 
「そう言う話は、じいさんはしていないかも知れないな。」
 
「うーん・・・レイナック殿はフロリア様には甘いですよね。」
 
「・・・お前もそう思うか?」
 
 ランドさんが同意を求めるような目で私を見た。
 
「甘々だよ。まったく、じいさんはフロリア様を諫める立場だってのに・・・。」
 
 オシニスさんもため息をついている。
 
「なあオシニス、やっぱり割引ってことで話をしてみないか。」
 
 ランドさんが言った。
 
「そうだな。やっぱり何とかその方向で話をしてみよう。」
 
 オシニスさんが難しそうな顔のままうなずいた。
 
「割引についての提案はされなかったんですか?」
 
 全額払えなければいくらかでも・・・というのは誰でも考えつくことだと思うのだが・・・。
 
「フロリア様には割引という考えがないらしいな。無論買い物をする時に値引きの交渉をするってのをご存じないわけじゃない。フロリア様はリーザに何かしてあげたいという考えだから、ゼロか百かなんだよ。割り引いていくらか払ってもらうなんて考えはないんだ。」
 
「だがオシニス、ここはクロービスの提案に乗ろうぜ。その金がどこから出ようと、まるっきりただで利用させるってのは不公平だと、次回の御前会議辺りで出てくるはずだ。今回の件ではセルーネさんもローランド卿もいい顔をしていない。フロリア様はこの国の君主だが、昔のように国王の鶴の一声で何でも決められるような時代じゃないんだ。大臣達にそっぽを向かれたら、国政の運営が滞っちまう可能性だってあるんだからな。」
 
「そうだな。よし、それで行こう。ランド、全額、3割引、半額、その辺りで金額を出してくれ。ガーランド男爵家とリーザに話をしてみるから。」
 
「わかった。リーザの方にはお前から話してくれよ。」
 
「それじゃ明日の午前中に行った時、リーザにはそれとなく話しておく。ラッセル卿は・・・あ、そう言えば明日も医師会には来るんだったか。」
 
「ええ、ベルウッド先生のところで問診と投薬がありますから、それではそのあと、こちらに来てもらえるように頼んでおきましょうか。」
 
「ああ、それで頼む。明日の早い時間なら、リーザと話す前にガーランド男爵家の意向も聞けるだろう。」
 
「いつも朝の早い時間に来るようですから、そのあとにここに来てもらうように伝えてもらいましょう。リーザの病室にはそれから来てもらえれば。」
 
「わかった。それで行こう。ランド、そっちは頼む。」
 
「ああ、任せろ。」
 
「それではよろしくお願いします。さてここまで話が決まったので、ハディのことなんですが、少しいいですか?」
 
「ああ、そうだなあ・・・。奴は最近全く仕事に身が入ってない。お前がリーザのことで話をしてくれれば、多少は元気になるかもなあ。」
 
「直接話しても問題はないですよね?」
 
「あいつとリーザの全くのプライベートなことだからな。ま、こっちには話せることだけでいいから報告してくれと言っといてくれ。」
 
「わかりました。」
 
 剣士団長室を出て、訓練場に向かった。
 
「・・・ゼロか百かなんて極端な考え方もよくないよな・・・。あとはオシニスさんとレイナック殿に頑張ってもらおう。」
 
 フロリア様は好意を示すのがうまくないというのはまさしくその通りだろう。それにずっと護衛をしてくれていたリーザのこととなれば、あれもこれもと考えすぎてしまっているのだと思う。
 
「出来ればもう少し、庶民の感覚を身につけていただきたいもんだけどなあ・・・。」
 
 あの部屋の利用料がいくらなのか、おそらくリーザは知っているだろう。それをただにするからと言われても、かえって居心地がよくないし、気を使って早く退院したいと言われてもこちらが困る。
 
 
 訓練場についた。
 
「仕事中に抜けてくれってのも気が引けるけど、まあ仕方ないか。」
 
 呟きながら扉を開けた瞬間
 
「痛てぇ!!!」
 
「ああ!すみません!」
 
 叫び声が同時に聞こえた。

第112章へ続く

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