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第111章 歪んだ愛情

 
(あんなにじっとり見られてもなあ・・・。)
 
 ハディが私にもっといてほしいと思っていたのは明白だが、私としても妻を待たせるわけにはいかない。それに、明日からのリーザの看病では、妻の力が重要になってくる。
 
「まあ仕方ないか。ハディも少しオシニスさんに言い聞かせてもらった方がいいと思うなあ。」
 
 子供じゃないのだから言い聞かせるというのも妙な話だが、さっきのハディにはその言葉が一番しっくり来るような気がする。
 
 
 医師会の調理場に向かうと、扉の前にはまだ誰もいない。そのまま待ってみることにした。もうそろそろ終わる頃合いだろう。
 
「では失礼します。」
 
 しばらくして扉が開き、妻が中に一礼して出てきた。
 
「お疲れさま。」
 
「あら、待ってたの?大分待たせちゃった?」
 
「そんなことないよ。少しだけね。」
 
「ならいいけど・・・ねえ、今日も宿で食事よね。」
 
「そのほうがいいと思うよ。昼間の話より、もう少し踏み込んだ話もしたいからね。」
 
 私達はそのままロビーを通って外に出た。人混みは変わらずだが、やはり以前より人の流れが落ち着いている印象だ。
 
「お、お帰り。珍しくフロアの席が空いてるんだが、ここで食べるかい?部屋の方がよければ持っていくよ。」
 
 ラドが私達を見つけて声をかけてくれた。
 
「ねえ、久しぶりにここで食べない?今日はまだ乾杯の人達は来ていないみたいだし。」
 
「そうだね。それじゃ、カウンターで食べたいな。」
 
「了解。席は用意しておくから、荷物を置いてきてもいいよ。」
 
 私達は部屋に戻り、いつも使っている背負い袋を置いた。
 
「カウンターで食べるのも久しぶりね。」
 
「そうだね。どうせ食べているうちは話も出来ないし、それなら賑やかなところで食べよう。」
 
 2人でフロアに降りるとカウンターに席が用意されていた。飲み物と食事を頼み、のんびり待つことにした。
 
「部屋で食事は落ち着いていいけど、やっぱりせっかく旅行に来たんだから、こう言う賑やかなところで食べるのもいいわよね。」
 
「そうだね。仕事ばかりしてるけど、私達は旅行者なんだから、もっと楽しまないとね。」
 
 妻が笑い出した。
 
「そうなのよね。旅行に来てるのをたまに忘れそうになるわ。」
 
 そのあとしばらく他愛のない話をしているところに、ビールが置かれ、食事が置かれた。
 
「ビールのおかわりはいつでも言ってくれよ。あと、ワインやスピリットもある。その他だとジンとかウィスキーとか、あとはカクテルだな。そんな難しいのは出来ないが、言ってくれれば出来るだけ希望に添えるようにするよ。」
 
「ありがとう。」
 
 ここのビールはおいしいのだが、ビールとはけっこう腹にたまるものだ。最初の一杯のあとは、簡単なカクテルやワインを頼み、のんびりと食事を終えた。
 
「ねぇ、お風呂はどうしよう。お酒がおいしくてつい飲み過ぎちゃったけど、さすがに入らないってのは無理だわ。」
 
「明日宿でゴロゴロしていられるならいいけど、そういうわけには行かないからね。ただし長風呂はしないこと。軽く汗を流す程度にして、いつまでものんびり浸かったりしないようにね。」
 
 部屋に戻って風呂場に向かった。酒を飲んだ後に風呂に入るのはよくないと、いつも患者に言っているのに、自分達が酒を飲んだあと風呂に入るのは気が引けるが、明日は重要な仕事がある。身だしなみをきちんとするのは最低限の礼儀だ。
 
 
「ふぅ・・・さっぱりしたわ。おかげで酔いが覚めたわよ。ねえ、話を聞かせてくれる?」
 
「それがね、あまりいい状況じゃないんだ・・・。」
 
 体を洗って汗を流す程度に留めておいたせいか、眠気もない。私は今日起きた事をすべて、そしてリーザに下されるであろう処分についても全部話した。状況を把握しておいてもらわないことには、明日からリーザの看病をしてもらうにも支障が出る可能性がある。
 
「・・・ハディは変わらないわねぇ・・・。リーザはずっと彼との考え方の違いで頭を悩ませているって言うのに。」
 
 妻は知っていたらしい。リーザは妻には相談していたんだろう。
 
「多分だけど、そう言う突っ込んだ話をリーザはしていないと思うよ。」
 
 以前、リーザが自分の後継者について考えてくれとオシニスさんのところに来た時、言っていた言葉を話して聞かせた。
 
『もう一度きちんと向かい合って、やり直せるとお互いが思ったら結婚しようって・・・だからまだ、何も決めてないんです。』
 
「ハディに聞いたら、ハディははっきりと結婚しようって言ったみたいだよ。」
 
「もう一度向かい合う気になったのは、お互い進歩と言えなくもないけど・・・。」
 
 妻が「やれやれ」と言いたげに頭を振り、ため息をついた。
 
 ハディは自分の考えをまっすぐにリーザにぶつける。だがそれだけだ。相手がどう思っているかを考えていない。そしてリーザは黙ったまま、自分の中でだけ頭を悩ませている・・・。
 
「あの2人とずっと昔、立合した時のことを思い出したよ。今の状況はその時とそっくりだ。2人とも、あの頃から全然変わってないんだなあ・・・。」
 
「へぇ、何があったの?」
 
「前に島にいる時カインに話して聞かせた、昔の失敗談だよ。」
 
 あの時はそれほど詳しく話したわけではなかったので、その時ハディとリーザのコンビが、コンビとしてうまく行ってなかった原因の話をした。ハディは自分の考えだけで攻撃することばかりに気を取られ、リーザはハディの隙を埋めようとしていたが、振り回されるばかりだったこと。ハディはコンビを組んでいるはずのリーザのことを何も考えていなかったし、リーザはハディの弱点に気づいていたのに黙ったまま自分の中で抱え込んでしまったことだ。
 
「なるほどねぇ・・・。2人ともお互いに好意を持つ遙か以前からそう言う問題を抱えていたって事ね。」
 
「そう。そしてそれ以来、リーザはハディの弱点や欠点を見つけるたびに声をかけてくれるようになった。一方ハディはお父さんから言われた『自分のやり方』を見つけられずに悶々としていたそうだよ。だからいつも自分のことを見ていてくれるリーザに惹かれたのかも知れないね。」
 
「うーん・・・2人ともその頃からあんまり変わってないみたいね。リーザが目覚めて元気になったら、少しハディと話し合ってみた方がいいんじゃないかと思ってたけど、それ以前にそれぞれ自分のことを顧みる機会があった方がいいような気がしてきたわ。」
 
「そうなんだよね。今だって同じだと思うんだよ。ハディは今、リーザと結婚出来るかどうかしか考えていない。まっすぐに気持ちをぶつけるってのは悪いことではないけど、リーザの気持ちを考えていないんだ。そしてリーザは自分の気持ちに自信が持てていない。だから迷っているし、答えを先延ばしにしているんだと思う。」
 
 そしてそれをハディに伝えようとしていない・・・。
 
「2人の問題なのに、お互い自分の一方的な気持ちをぶつけているだけって事ね。」
 
「私にはそう見えるね。だから今の状態で話し合いをしたところで平行線になるだけだと思う。しかし困ったなあ。ハディとのことはリーザにとって全く個人的なことなんだけど、そのことと今回のリーザの暴走には密接な関係があるんだよね。」
 
 そもそもリーザが、ガーランド男爵家の家督相続にハディを巻き込まないために『代わりに頼れる誰か』を探そうとしたことから、この問題は始まっていると思う。
 
「切り離して考えるのは難しいんじゃない?」
 
「そうなんだけどね。どこまで踏み込んでいいものか・・・。」
 
「あなたはリーザを友達だと思ってるからそう考えるけど、これが患者さんなら、そんなことを言っていられる状況じゃないじゃない?」
 
「それはそうだけどね・・・。」
 
 友達として、相手が望まないところまで踏み込みたくはない、その考えが先に立ってしまい、足踏みしてしまう。でもそれではリーザの診察は出来ない。今さらドゥルーガー会長にお願いしますというわけにも行かないだろう。あの時はたまたま会長が話を聞いてくれたが、あの方は毎日忙しい身だ。
 
「・・・まずは話してみるか・・・。」
 
 思わずため息が出た。
 
「最初からリーザの心に土足で踏み込むようなことをするわけじゃないんだもの。弱気になりすぎよ。慎重に考えて、まずは仮説を組み立てることを考えればいいと思うわよ。」
 
 自分がかなり後ろ向きになっていることには気づいていた。今回のことを乗り越えられなければ、私は前に進めない。医師としても、そしてリーザとハディの友人としても。
 
(これでは診察どころの話じゃないな・・・。)
 
「はあ・・・まずはリーザの家族に話をすることを考えよう。それまでに目が覚めてくれればいいんだけど、そう都合よくは行かないだろうな。」
 
「でも目は覚めそうなんでしょ?」
 
「多分ね。でもぱっと目が覚めてそれで解決っては行かないと思う。」
 
「みんなに合わす顔がないとか言いそうよね。」
 
「それはあるだろうね・・・。」
 
 
 この日は早めに休むことにした。明日のことは気になるが、まず私が落ち着いて、きちんと考えをまとめられるようにしておかなければならない。それに、ハディや妻と話して、少しわかったこともある。あとは明日の朝、ラッセル卿とチルダさんに話を聞くことが出来れば、私の考えが的を射ているのかどうか、ある程度わかりそうだ。
 
 
 翌日、ラッセル卿達と約束した時間はそんなに早くないので、食事をしてお茶を飲んで、落ち着いてから宿を出た。もっとも外の騒ぎは相変わらずで、せっかく落ち着いた気持ちも吹っ飛びそうではあったが。
 
 
「ふぁ〜、やっと着いたわぁ。」
 
「もう少し早く出てもよかったかなあ。ここまで来るのにこんなにかかるとは・・・。」
 
 宿から王宮までの道は、今では通い慣れた道になっている。しかし今日は何だかやたらと人が多くて、思ったより時間がかかってしまった。夜の人混みは以前より少なくなっているが、昼間は変わらずだ。いや、もしかしたら以前より増えているかも知れない。
 
「余裕を持って出てよかったわ。まだ時間はあるわよね。すぐに医師会に行きましょう。」
 
 ロビーはそろそろ混み始めている。王宮見物の人達が入ってきているからだ。
 
「そのうちごった返すんだろうね。早く行こうか。」
 
 私達は医師会の最上階へと移動した。何度も階段を上るのはなかなか大変だが、息が切れるほどではなかった。
 
「昨日はフロリア様の専用通路を使わせてもらったからだけど、医師会の1階から上るのは大変だね。それにこのフロアに来るまでの階段も他と繋がってないし、確かにここなら、興味本位で入り込む連中の心配はしなくて良さそうだね。」
 
「息が切れなくてよかったわ。そんなに体がなまっていたなら、また訓練場を借りなくちゃならないわね。」
 
「そのうち借りようか。」
 
「それもいいわね。」
 
 リーザの病室へとやってきた。中ではハディがもう来ていて、夜勤の医師と看護婦が引継のために待っていてくれた。
 
「変わりはありませんか。」
 
「ええ、もうそろそろ目が覚める頃合いかも知れませんね。ただ、時々うなされるようなので、精神的にかなり参っていると思われます。」
 
 医師はうなされた時の時間を記録しておいてくれた。はっきりした言葉は発しておらず、叫び声を上げたりしていただけらしい。
 
「ありがとうございます。お疲れさまでした。」
 
 医師と看護婦が帰るのを待って、ハディに声をかけた。
 
「早いね。もう来ていたの?」
 
「ああ、今朝早くだよ。気にはなったがな、夜通し顔を見ていてもろくな考えが浮かばないから、昨夜は宿舎の空いてる部屋を借りて寝たよ。今朝来てみたら、『気』は大分強くなっているみたいだな。」
 
「うなされるくらいだから、記憶は戻ったと思っていいね。あとは起きてから内臓の診察だな。」
 
「周りがあれだけやられてたんだから、本人だけ無事ってのは考えにくいよな。」
 
「君はどう?どこか痛いところはない?」
 
「俺は大丈夫だよ。飯も食えるし特に痛いところもない。」
 
「何かあったら、どんな些細なことでも教えてよ。我慢は絶対にしないこと。」
 
「わかってるよ。我慢していいことないもんな。」
 
「そういうこと。」
 
 
「失礼します。」
 
 扉がノックされた。どうぞと言うと、ラッセル卿夫妻とランサル子爵夫妻だった。
 
「おはようございます。早かったでしょうか。」
 
 ラッセル卿はすまなそうな顔をしている。
 
「おはようございます。大丈夫だよ。ラッセル卿、君の方の診察は?」
 
「今そちらに行ってきました。終わってこちらに向かう途中で、ちょうどチルダ達と会ったので一緒に来たんです。」
 
「腕の痺れのほうは?」
 
「今は大丈夫です。」
 
「それじゃもしも痺れが出るようなら、すぐに言ってくれるかい?家に戻ってから出るようなら、すぐに医師会に来るようにね。」
 
「わかりました。」
 
 ラッセル卿がうなずいたのを確認して、私は全員を椅子とテーブルのある場所に促した。フロリア様専用の通路を使って来るような病室だ。テーブルと椅子も豪華で品のいいものが置かれている。
 
「それじゃ皆さんこちらに座ってください。少しお聞きしたいことがありますので。」
 
 ここで私は振り向いてハディに声をかけた。
 
「ハディ、君も聞いていてよ。あとリーザが目を開けたら教えてね。」
 
「ああ、耳はそっちに、目はリーザに、だな。」
 
「難しいかも知れないけどね。よろしくね。」
 
「ふん、訓練担当官をなめんなよ。そのくらい難なくこなしてみせるさ。」
 
「そりゃ頼もしいね。」
 
「クロービス、私はリーザの着替えがあるかどうか見ておくわ。ここはけっこういい病室みたいだし、一般病棟の患者さん達とは、違う着替えがあるみたいよ。」
 
 妻が言った。妻は話を聞きながら、看護婦としてリーザの身の回りの世話をするつもりでいる。
 
「セーラがあとから来ると思うから、来てから着替えさせてくれるかな。その時にはみんな外に出るから。」
 
「わかった。」
 
 妻はそう言いながら、この部屋に置かれているチェストの中を物色し始めている。
 
「・・・おいクロービス、俺もか?」
 
 ハディが振り向いた。
 
「当たり前だよ。リーザは貴族の独身女性なんだからね。君が一番居ちゃ行けないんじゃないか。あと、迂闊なことは言わないこと。」
 
「・・・わかったよ。」
 
 今の言葉だって充分迂闊だ。ここにいるリーザの家族はハディとリーザの仲を知っているが、だとしても、そういうことを普段から言っていると、聞かれてはまずい相手の前でも言ってしまう危険性がある。それではハディの立場もリーザの立場も悪くなってしまう。案の定ハディは顔のど真ん中に「納得行かない」と書いてあるような表情をしている。ハディとしてはリーザの婚約者としての立場を主張したいのかも知れないが、実際にはそう言った事実はない。なのに深い仲であることを匂わせるような発言は、リーザに対して失礼だと思う。一般庶民だって男性が勝手に婚約者の立場を主張したりしたら、女性のほうは怒るんじゃないだろうか。相手が貴族ならなおさらだ。そういうことを公にしていいのは、リーザがハディとの結婚を承諾して正式に婚約してからの話だ。でもリーザのほうは、多分今でも迷ったままなんじゃないかと思う。
 
(ドゥルーガー会長はリーザの婚約者としていてもらえばって言ってくれたけど、それはちょっと考えないとなあ。)
 
 婚約まで考えたと言っているのはハディだけだ。リーザの気持ちは確認出来ていない。実際に婚約をしていると言うことと、一方が考えていると言うだけでは天と地ほどの差がある。でも今は黙っていてはくれるようだし、これ以上気にしないでおこう。
 
(あんまりくどくど言うのも気の毒だしなあ・・・。)
 
 ラッセル卿夫妻とチルダさん夫妻が椅子に座ったのを確認して、まず私は家督相続の場にいた間、そして今に至るまで、体調が悪くなってないか、食欲が落ちたり便秘をしたり下痢をしたり、または食べたものを吐いてしまったりという事がなかったかどうかを尋ねた。内臓と一口に言っても、こう言う場合一番最初に影響が出るのは胃だ。次に腸。具合が悪いことを本人が一番自覚出来る臓器なので、こう言った症状を尋ねるのが一番わかりやすい。
 
「私はいつも医師会で薬湯をいただいてましたので、特に調子の悪いことはありませんでしたが、妻の体調が悪かったようです。家督相続の手続きが始まってしばらくは、食も進まず、家に帰るとすぐに横になっていました。」
 
 ラッセル卿が言った。あの薬湯には滋養強壮などの成分も少し入れてあるので、それがいい方向に働いたらしい。
 
「あの時は何だかとても気分が悪くて・・・でもあの部屋を出ると随分と楽になってましたわ。それに、何日目か憶えていませんけど、あの部屋の中にいてもそんなに気分が悪くならなくなりましたの。」
 
 リンガー夫人は大分影響を受けていたようだ。あれだけのどす黒い『気』にあてられていたのでは、そうなるのが当たり前だ。気分が悪くならなくなったのは、レイナック殿の呪文のおかげだろう。今は全く何でもないらしい。それはロゼル卿とチルダさんも同じらしく、やはり食欲が落ち、家に帰るとどっと疲れが出た。だがある日を境に食欲が戻り、それ以降は特に何事もないと言うことだ。
 
「そうですか。それはよかったです。もしも何か気になることがあれば、すぐに教えてください。」
 
 4人がうなずいたのを確認して、私は今度はリーザについて尋ねた。小さな頃のことはラッセル卿とチルダさんに、最近のことはリンガー夫人とロゼル卿にも。
 
「・・・わかりました。リーザはまだ目覚めませんが、おそらく今日明日には目が覚めると思います。そこで、こんなことになってしまったのはなぜなのか、本人に聞き取りが出来ない状況ではあくまでも仮説の域を出ませんが、説明させてください。」
 
「よろしくお願いします。」
 
 ほぼ全員が同時に言った。
 
「まず最初に申し上げておきます。いろいろと、皆さんにとっても耳に痛い話が出てくるかも知れません。でももう終わったことですので、そのことを思い悩むよりこれからのことを考えましょう。では、今回リーザがこんなことになってしまった原因の一つに、異議申し立ての時のラッセル卿の行動が関係していることは確かにあると思います。」
 
 ラッセル卿がぐっと唇を噛みしめた。
 
「しかし、問題はその後のリーザの行動です。私はラッセル卿が気を失ったあと、担架で医師会に運んでくれるよう指示を出し、青ざめているリーザに前日の夜、ガーランド男爵家の私兵によるイノージェン襲撃の件を伝えました。そしてちょうど来てくれたハディにリーザを任せて、ラッセル卿を医師会に運ぶべく外に出ました。あの時、リーザはおそらく、今度こそガーランド男爵家が取りつぶされてしまうかも知れないと言う恐怖に駆られたのではないかと思います。」
 
 実際、リーザは心の中でそう嘆いていたのだが、それが聞こえましたというわけにも行かないので、私の想像と言うことにしておいた。
 
「姉は・・・きっとそう思ったと思います。姉は家督相続の権利がなくても、我が家の嫡子です。家を思う気持ちは人一倍だと思います。」
 
 ラッセル卿が流れ出た涙を拭った。
 
−−本当に・・・私はなんてバカなことを・・・。−−
 
 ラッセル卿の後悔が伝わってくる。
 
「ハディ、君がリーザと話したことを、言える範囲でいいから教えてくれる?」
 
 振り向いてハディに言った。ハディはずっとリーザの様子を見ている。
 
「別に隠すことなんかないさ。リーザは今回のことで、もしもラッセルが罪に問われた場合跡取りがいなくなる。そうなったら家が取りつぶされるかも知れないと泣いていたんだ。親父さんも飛んでもないことをしでかしていたし、家督を継ぐはずのラッセルまで万一牢に入れられるようなことになったとしても、自分はもう家に戻ることは出来ないから、どうすればいいんだろうってな。だから俺は、お前は必ず俺が守ってやるから心配するなって、宥めてたよ。でもクロービス、お前の考えだと、俺がそんなことを言ったのが逆効果だったんじゃないかってことだよな。」
 
「リーザは君を頼りにしていたと思うよ。だから家のことを話したんだと思う。でもね、リーザが君の後ろにいておとなしく守られているような性格じゃないことは、君の方がよく知ってるんじゃない?ましてや今回の話はガーランド男爵家の家督に関わることだ。君がリーザを守ろうとしても限界がある。それでも無理に首を突っ込もうとすれば、今度は君が悪い噂の的になる。ではどうすればいいのか。他に頼れる誰かはいないか。必死で考えたと思う。」
 
「・・・・・・・・・。」
 
 ハディがむすっとした顔でため息をついた。
 
「それが・・・母だったと言うことですか?」
 
 ラッセル卿が尋ねた。
 
「そういうことなんだと思う。ではなぜお母さんだったのか。それを知るために君に聞きたいんだけど、君達のお母さんが亡くなった時、それと今回の異議申し立てでリーザが家に帰った時、お母さんの部屋で捜し物をしていたりしなかった?」
 
「捜し物・・・ですか・・・。」
 
 考え込んだラッセル卿の隣で、リンガー夫人がハッと顔を上げた。
 
「先生、わたくし憶えていますわ。最近のことですけれど、お義母様の部屋からお義姉様が出てくるところを、何度か見ております。どうしてかと思いましたけど、お義姉様は普段フロリア様のお住まいである乙夜の塔に護衛として住んでおられますから、家に戻られた時にお義母様の部屋で過ごされることがあってもおかしくはないと思っていました。」
 
「そう言えば、母が亡くなった時は葬儀のあと母の部屋の遺品整理をしましたから、私達も一緒にいましたが、姉が母の日記やいろいろなものを見る機会はあったと思います。」
 
「お母さんの遺品はそのまま部屋に置いていたのかい?」
 
 ラッセル卿がうなずいた。
 
「亡くなる最後の頃は、もうずっと錯乱状態でした。そして亡くなる間際まで、父と父の昔の恋人を呪う言葉を呪文のように繰り返しながら亡くなりました。遺品整理と言っても形見の品をそれぞれ私達がもらって、あとはしばらくそのままにしておこうと言うことになったんです。使用人達も怯えていましたから、下手に整理してしまうのはよくないかと思いまして・・・。」
 
 ヴェータ・ガーランド前男爵夫人が亡くなった時は、ガーランド男爵家に特に問題は起きていなかった。前男爵夫妻の不仲以外では。だが今回の異議申し立てのあとは状況がまるで違った。家督相続の件もあってそのままリーザは家にいたから、母親の遺品の中に何か今回の危機を切り抜けるためのヒントはないか、必死で探しただろう。
 
「そうですわね・・・異議申し立てが終わった日の夜は、家に戻ってすぐに部屋に籠もりきりになって出てこられませんでしたの。夫の事でふさぎ込んでいらっしゃるのだろうと思ったので、わたくしもそっとしておこうと、使用人達にもお食事の声かけ以外には義姉を煩わせないようにと話しておきました。」
 
「そんなことがあったのか・・・。」
 
「そんなに落ち込まないで。あなたはその頃医師会の病室にいたのだし、仕方ないわ。それにそのことについてはあなたには責任のないことですもの。」
 
 リンガー夫人がラッセル卿を宥めるように言った。
 
「でも意識を失うほどあの「ハーブティ」を大量に飲んだのは、私の心の弱さからだ。君にまで苦労をかけてしまった・・・。」
 
「そんなこと言わないで。わたくし達は夫婦なんですから助け合うのは当たり前よ。それで先生、そのことと今回の義姉の行動には関係があると言うことですの?」
 
 リンガー夫人は見た目はとても優しそうなのだが、なかなかしっかりした女性のようだ。夫を慰め、鼓舞しつつ、私の話の腰を折らないように気遣っている。これからはガーランド男爵家の、やり手の女主人として辣腕を振るうのではないだろうか。
 
「私はそう考えています。おそらくですが、リーザはお母さんの日記などから、今回の危機を切り抜けるためのヒントをもらおうとしたんじゃないかと思うんですよ。」
 
「お義母様の?」
 
「母の日記ですか・・・。しかし、姉はなぜ母の日記にヒントがあると・・・。」
 
 ラッセル卿が尋ねた。
 
「リーザは元々ガーランド男爵家の嫡子として、爵位を継いで領地運営をするつもりでいたんじゃないかな。その頃からご両親に領地運営について教わっていたんじゃないかと思ったんだけど、違うかい?」
 
「そうですね。両親の仲が悪くなる前は、姉が家を継いで、私には有望な事業をいくつか譲渡するから、それで独立してはどうかと言われていました。もっともその頃私はまだ子供でしたから、両親の言葉をあまりよく理解していなかったんですが・・・。」
 
「リーザが頼れる相手と言えば、ハディ以外だとご両親か君だっただろう。結婚してランサル子爵家を継いだチルダさんを頼ることは出来ないだろうしね。」
 
「そうですね。相続についての話し合いとなると、姉はいつも妹に言ってました。あなたは家を出たのだから余計な口出しをするなと。でもそれは、ランサル子爵家を切り盛りしていかなければならないチルダに、うちのことでまで手を煩わせてはいけないという考えだったのではないかと私は思ってます。」
 
「わたくしも、そうなんじゃないかと思いました。言われた時は辛かったですが・・・。それがお姉様の本心じゃないと信じてましたから。」
 
 チルダさんが言った言葉に、ラッセル卿は悲しげに微笑んだ。
 
「そして私も、お前に随分ひどいことを言ったね。チルダ、本当にすまなかった。お前だって我が家の一員だ。結婚して家を出たとしてもその事実は変わらないというのに、私はずっと、大事なことを見失っていたような気がする・・・。」
 
 ラッセル卿がチルダさんに向いて頭を下げた。
 
「お兄様、わたくしは気にしておりませんわ。あの頃、お兄様もお姉様もどれほど大変だったのか、わたくしも子爵家のお義父様、お義母様について、夫と2人領地運営をお手伝いしていましたわかるつもりでした。うまく行かないことがあればイライラするし、誰かにひどいことを言ってしまうことがあるかも知れません。」
 
 リーザが頼れるはずの家族は、前男爵は意識不明で入院していたし、ラッセル卿までもドーンズ先生の悪だくみに嵌ってしまった・・・。あとはもう、ヴェータ夫人しか思いつかなかったのかも知れない。
 
「リーザは自分がガーランド男爵家の嫡子だという誇りはあっただろう。今回のことは自分が何とかしなければならないと、思い詰めていたんじゃないかと思う。だからお母さんの日記に何かヒントがないか、自分がこんな時どういう行動を取るべきか、心のよりどころにしたかったんじゃないのかな。」
 
「で、でも・・・姉は母を嫌っていました。それなのになぜ・・・。」
 
 ラッセル卿が納得出来なそうに言った。無理もない。家を出る時にはおそらく相当派手にやり合っただろう。母親が勘当してやる、なんて言うほどに。
 
「ラッセル卿、もう大分前だけど、剣士団長室でリーザとイノージェンが会った時ね、君はあとから来たけど、その時にリーザが、君達の父親が結婚後も昔の恋人と会っていたのじゃないか、だからお母さんは愛されなかったんじゃないかと言っていたよ。やっぱりお母さんのことは、リーザは大好きだったんじゃないのかな。だからお母さんがお父さんに愛されなかった理由を探そうとした。お父さんが恋人とずっと会っていたから、だからお母さんが愛されなかったんだとね。ただその理屈だと、イノージェンのかあさんと君達のお父さんが不義密通をしていたと言うことになってしまうから、あれはさすがに私も腹が立ったんだけどね。」
 
 腹は立ったものの、あの場では私が怒るわけにも行かなかったから、黙っていたが・・・。
 
「ええ、クロービスさんの仰るとおりですわ!いくら何でもイノージェンさんのお母様に不義密通の疑いをかけるようなことを言うなんて、それはお姉様が間違っています!」
 
 チルダさんが怒ったように言った。ラッセル卿とリンガー夫人は少し驚いたようにチルダさんを見ている。
 
「お前がそんな大きな声を出すなんて驚いたな・・・。でも・・・ははは、昨日お前が姉上をひっぱたいたのを見て、お前が小さな頃からとてもお転婆だったことを思い出したよ。」
 
 ラッセル卿が穏やかに笑った。
 
「ええ、でも小さな頃は、お母様もわたくしのお転婆を温かく見守ってくださいました。なのにお父様との仲違いのあとは何をするにもだめ、だめ、だめ、ばかりで、すごく気詰まりだったんです。」
 
「お前にも感謝しているよ。イノージェンさんから受け取った父上の手紙とお金を、私はすべて処分してしまおうと考えていた。剣士団長殿もクロービスさんもたくさんの人が見て存在がはっきりしているものを、すべて消してしまえばイノージェンさんの存在もなかったことに出来るような、そんなバカなことを本気で考えていたんだ。まったく・・・自分の愚かさが身に染みるよ。」
 
 その手紙とお金は、チルダさんの機転で王国剣士に渡された。それらをすべて処分してしまっていたら、ラッセル卿の罪はもっと重くなっただろう。
 
「でもあなた、それはドーンズ先生からいただいてたあの「ハーブティ」の過剰摂取によるものでしょう?本当のあなたはとても優しくて、思いやりのある人ですわ。あまり自信をなくさないで。」
 
 リンガー夫人に励まされ、ラッセル卿はうなずいた。
 
「そうだな。これからはガーランド男爵家のすべてを私達が切り盛りしていかなければならない。自信をなくしている暇なんてないね。君のことも頼りにしているよ。」
 
「ふふふ、もちろんですわ。それで先ほどクロービス先生が仰った話に戻りますけど、義姉が本当にそんな酷いことを言ったのですか?」
 
 リンガー夫人は信じられない、といった表情をしている。
 
「リーザもそこまで言いたくはなかったんだと私は思ってます。でもヴェータ夫人がリロイ卿になぜ愛されなかったのか、リーザはずっと考えていたようなんです。それでそんなことを口にしてしまったんでしょう。私にとっては母親代わりのような人でしたから、腹は立ったんですけどね、リーザの様子を見ていたら何も言えませんでした。」
 
「クロービスさんにも辛い思いをさせてしまったんですね。申し訳ありません。姉に変わって謝罪します。」
 
 ラッセル卿が頭を下げた。
 
「私のことはいいよ。イノージェンもそのくらいのことは言われるかもしれないと思っていたらしくて、けろっとしてたしね。腹は立ったと思うけど。」
 
 ラッセル卿が小さくため息をついた。
 
「確かに姉は・・・母が優しかった頃を一番よく知っています。どれほど酷い喧嘩をしても、やっぱり母のことは嫌いになれなかったんだと思います・・・。」
 
「そうだね。リーザと知り合ってから私も、多分ハディもだと思うけど、お母さんの悪口しか聞いたことがなかったんだよ。あの頃はそこまでお母さんを嫌ってるんだなと思ったけど、本当は、嫌おうとしても嫌いになりきれず、悪口を言うことで自分は母親のことを嫌っているんだと自分に言い聞かせていたのかも知れないね。」
 
 そして、ここからは全くの推測だと断りを入れた上で、なぜリーザがまるで母親に取り憑かれたかのような行動を取るようになってしまったのか、そこについて説明した。ラッセル卿が言うように、リーザはガーランド男爵家の嫡子だ。にもかかわらず家を飛び出し、家督相続の権利を放棄するという誓約書まで書いて、剣士団に入団した。そのことで、リーザはガーランド男爵家に、両親に、ラッセル卿に、チルダさんに、自分1人では背負いきれないほどの負い目を感じていたんじゃないのだろうか。その負い目がリーザを「ガーランド男爵家の嫡子」という立ち位置に縛り付けたのではないか。
 
「家のために自分は何が出来るか、いや、何をしなければならないか。それはいつだってリーザの頭から離れなかったんじゃないかと思うよ。でもその頃は、男爵家は安泰だったよね。経済状況が少しずつ悪くなっていったらしいけど、跡取りとなる君が領地運営に携わっていたし、結婚して子供も生まれて、何の問題もなかった。だけど、君達の父親が婚外子であるイノージェンを相続人に加えたいと言いだし、すべての歯車が狂いだした・・・。」
 
「・・・経済状況がよくないことを、私はずっと自分の才覚のなさだと思っていましたけど、父が横領していたなんて全然気づきませんでした。でもそのことでずっと私が悩んでいたのに、父があの日、イノージェンさんを相続人に加えたいと言いだして・・・。」
 
 領地運営の状況がよくないと何度言っても、父親が聞く耳を持たなかったのは、自分が横領しているせいだとわかっていたからなんだと思うと、腹立たしいやら情けないやらで、怒りの持って行き場がなくなってしまった。そしてそれをすべてイノージェンにぶつけるような形で、殺害計画を立てたり、監視をつけたりしていたのだと今では気づいたそうだ。
 
「全く情けない話ですが・・・。起きた事を嘆いても仕方ありませんからね。せめてこれからは、家も領地も、そこで働く人達も、私達が守っていきます。必ず・・・。」
 
 ラッセル卿からは強い決意を感じ取ることが出来る。きっと彼はいい領主になるだろうし、リンガー夫人と家族達との絆もいっそう深まったことだろう。ラッセル卿はもう心配要らないようだ。
 
「リーザはきっとお母さんの日記を読んだんじゃないかと思う。そして自分が考えていた以上に自分に寄せる期待が大きかったことを知ったかも知れない。すべてを捨てる形で家を出てしまったことで、お母さんをどれほど失望させたか、そう考えたらとても辛かったんじゃないかと思うよ。そしてお母さんに償いたいと思ったかもしれない。普通ならそこで自分を責めたりするのだろうけど、リーザはかなりの気功の使い手だ。その罪の意識が無意識に自分の『気』を暴走させて自分の中にお母さんの幻影を作り出し、その幻影に操られるように行動してしまったのではないか、そういうことなんじゃないかと私は考えたんだよ。」
 
「我が家を、助けるために、ですよね。」
 
 ラッセル卿が呟くように言った。
 
「リーザの行動原理はいつだって家のため、だったと思うよ。でもこれからは君がガーランド男爵家の当主だ。ガーランド男爵家の嫡子という立ち位置は君の嫡子が担うことになる。リーザにはこれから、自分のことをもっと考えてもらわなくちゃならないんだけど・・・。」
 
 だがリーザ本人の考えはどうだろう。ガーランド男爵家の嫡子という立場に縛り付けられていたとしても、いつの間にかそれが心の拠りどころになっていたのかも知れないと、私は考えている。それがいきなりなくなったとしたら・・・。
 
「なあクロービス、そうしたら、リーザは俺とのことを考えてくれるのかなあ。」
 
 ハディが言った。声に不安が滲んでいる。リーザは家を出て剣士団にいても、貴族社会で生きてきた習慣や考え方が染みついている。話を聞きながら、ハディは今改めてリーザとの間に広がる溝を感じたのかも知れない。でもそれは、もっと前に感じて、ハディにもよく考えてもらわなければならなかったことだ。自分の気持ちをぶつけるだけでなく、リーザの気持ちをもっと思いやってほしいものだが・・・。
 
「それはリーザに聞いてみないとね。それに今私が話したのはあくまでも仮説。リーザの目が覚めて落ち着いたら、ちゃんと対話しての診察をしなくちゃならないよ。もしかしたら私が今話したことが、全くの的外れなのかも知れないんだ。とにかく急がないで、リーザを見守ってあげてよ。」
 
「失礼します。」
 
 扉がノックされた。この声はセーラか。
 
「どうぞ。」
 
 私の声に応えて入ってきたのは、やはりセーラだった。
 
「おはようございます。ドゥルーガー会長から、こちらでのお仕事を手伝って欲しいと言われたのですが。」
 
 セーラは手に籠を持っている。中には清拭用のタオルや消毒液などが入っているらしい。
 
「待っていたよ。よろしくね。それじゃウィロー、セーラに説明してあげて。準備が出来たら私達は部屋の外に出るから。」
 
「了解。それじゃセーラ、よろしくね。こちらで仕事の説明をするわ。」
 
 妻に促され、セーラは部屋の奥に行った。妻がチェストの中を見ながら話をしている。
 
「私が今言えるのはここまでです。でもこれは、私が今までの情報を集めて考えられる仮説の域を出ません。今も言いましたが、全くの的外れなのかも知れないんです。リーザが目覚めたらきちんと話をして、検証する必要があります。それともう一つ、今回のことは誰が悪いと言う話ではありません。誰もが家のために出来るだけのことをしようと動いていたのに、結果としてそれがうまく行かなかった、そういうことだと思います。ですからここにいらっしゃる皆さんには、このことであまり気に病むことのないようにしてください。」
 
 私はそう締めくくった。これ以上のことを話すことが出来るとしたら、それはリーザと話をしてからだ。
 
「クロービス、こちらの準備が出来たわ。これからリーザの体を拭いて着替えをさせます。皆さん外に出てください。」
 
 妻の声で全員立ち上がった。ハディだけが未練たらしくぐずぐずとしている。私はハディの腕を掴み、無言で引っ張った。ハディのため息が聞こえ、そのまま私についてきた。
 
「終わったら教えて。」
 
「はーい。」
 
 妻の返事を待って扉を閉めた。
 
「それでは私達は・・・。」
 
 ラッセル卿が言いかけた時、階段を上がる足音が聞こえ、医師会の助手が2階に上がってきた。ここの階には今入院患者はいない。つまりその助手の用向きはこの病室に、或いはこの場にいる誰かにあるということだ。まさか・・・。
 
「あ、クロービス先生、タネス先生からの伝言です。リロイ・ガーランド卿が目覚めたと伝えてくれとのことです。」
 

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