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「ライザーさぁぁん!!カーナがたった今戻りましたぁ!!」
 
 ライザーさんは顔をひきつらせ、既に逃げ腰になっている。
 
「あ、お、お帰り、カーナ。・・・ご苦労様・・・。」
 
「おいカーナ、俺には挨拶なしか?」
 
 オシニスさんがにやにやしながら声をかける。
 
「あーらぁ、そんなことないわよぉ。オシニスさんただいまぁ!!」
 
「カーナ、俺もいるんだけどな。」
 
 カインもにやにやしている。
 
「あらカイン、ただいま。私がいなくて寂しかった?」
 
「別に。」
 
 素っ気ないカインの答えに、
 
「あら失礼ね。お世辞でも『寂しかった』くらい言うものよ。」
 
そしてやっとライザーさんから離れるといきなり私の方を向き、
 
「ただいまぁ・・・!あ、あら?あなた誰?」
 
勢いに押されて後ずさりする私を見てきょとんとしている。
 
「あ、あの・・・クロービスです。昨日入団したばかりで・・・。えーと、カーナさんよろしくお願いします。」
 
「へぇ・・・!!私はカーナ。さん付けも敬語もなしよ。堅苦しいのは苦手なの。入団して3年よ。歳は22歳。スリーサイズはねぇ・・・。」
 
「あ、いえ、いいです。聞かなくても。」
 
「あらひどい。思ったことをそのまま口に出してると女の子にモテないわよ。」
 
 カーナはそう言って私を睨むと、
 
「でもいいの。私にはライザーさんがいるわぁ!」
 
 言いながら振り向きざま、ライザーさんにむかって投げキッスをする。ライザーさんはもうすっかり疲れた顔をしている。早いところこの場から逃げたほうが良さそうだ。その時、カーナの襟首をむんずとつかむ手があった。
 
「はい、そこまで。あんたのキンキン声は聞いているだけで疲れるのよ。さあ食事よ。あたしが持ってきてあげたんだからね。」
 
 カーナの相方、ステラだった。
 
「初めまして、クロービス。あたしはステラ。カーナの相方よ。歳はカーナより一つ下だけど、同期入団なの。カーナのやつ、うるさくてごめんね。」
 
「いえ・・・よろしくお願いします。」
 
「ちょっとステラぁ、そんな言い方はひどいじゃないのぉ?」
 
 カーナがステラを睨む。
 
「いいのよ。ほんとのことでしょ。それよりやっと城下町に帰ってきたんだから、またお店覗きに行こうよ。新しい服も買いたいしね。」
 
「そうねぇ。明日から少し休みだからそれもいいわねぇ。私かわいいイヤリングが欲しいなぁ。」
 
 カーナは私達のことなどすっかり忘れたように、ステラが確保した席へと去っていった。ステラは私達を振り返ると、声を出さずに口を動かしている。
 
(イ・マ・ノ・ウ・チ・ニ・・・・・)
 
 そして食堂の扉を指さした。私達はステラに向かって手を挙げて合図をして、急いで食堂を出た。
 
「何か・・・すごい勢いだね。あの人・・・。」
 
 ロビーに出て、私はやっと、ほっとしてつぶやいた。
 
「あいつはいつもあんな調子だよ。ライザーに惚れてるのさ。なのにこいつはつれなくてねぇ。たまにはひしと抱きしめ返してやればいいのになあ。」
 
 オシニスさんがにやにやしながら、ライザーさんを横目で見ている。
 
「オシニス・・・僕は今冗談を聞く気分じゃない・・・。ああ、疲れた・・・。カーナはいい子だけど、いつもあの調子でね。とにかくよかった。ステラがフォローしてくれて。」
 
 ライザーさんはげっそりとした表情でため息をついている。
 
「でもあんな風だけどあの二人だって腕は立つからな。二人ともお前と同じような細身の剣の使い手だ。あとで一度手合せしてもらうといいかもな。」
 
カインがそう言って私の肩を叩く。
 
「そうだね。とにかく頑張らないと・・・。正直なところ私は、自分の剣の腕がどの程度のものなのかよくわからないんだ。」
 
「そういや、お前は親父さんに剣を教えてもらったんだっけな。」
 
「うん・・・あの島で他に剣を使う人なんていなかったからね。」
 
「グレイとラスティは?一緒に教えてもらってたんじゃないのかい?」
 
 ライザーさんが不思議そうに尋ねる。
 
「いえ・・・。小さいころは教えてもらってたけど、あの二人は私と違って山歩きもしなかったから護身用程度でいいって言って、大きくなってからは全然・・・。」
 
「そうか・・・。」
 
 そんな話をしているうちに、王宮を出て住宅地区に来ていた。やがて教会の尖塔が見えてきたころ、前を歩くオシニスさんが話しだした。
 
「しかし・・・昨夜の夜勤は妙だったな。」
 
「え?」
 
 カインと私はほとんど同時に聞き返した。
 
「いや・・・昨夜はハリー達と一緒に乙夜の塔の入口の警備をしてたんだが・・・。あいつら例によってふらふらしてたもんだから、一時期入口の前が空っぽな状態になってたんだよな。」
 
 カインと私は内心ぎくりとしていた。ライザーさんとオシニスさんは私達の前を歩いているのだから、顔を見られる心配はないと思っても、なんだか内心の動揺を気づかれそうで、お互い顔を見合わせることもできなかった。オシニスさんはそんな私達のことには気づかないように話を続ける。
 
「それがおかしいんだよな。どう見ても入口を出入りした足跡みたいなものがあったんだ。でも誰も人影なんて見てないし・・・。中も外も調べたけど何もなかったし・・・。まあ無事にすんだことが悪くはないんだが、なんとなくひっかかってな。」
 
「実際塔の中では何も変わったことはなかったしね。」
 
 ライザーさんも不思議そうにつぶやく。あの時見張りに立っていたのがもしこの二人だったら、私達は間違いなく首根っこを掴まれていただろう。いまさらながら我が身の悪運の強さに感謝したい気持ちだった。
 ちょうどその時教会の前に着いた。ライザーさんが先に立って扉を開ける。
 
「こんにちは。」
 
 中にいたのはこの間のシスター。
 
「まあ、ライザー。いらっしゃい。久しぶりね。今神父様をお呼びするわ。待っていてね。あら、お友達も一緒ね。どうぞ入って。」
 
 にこやかに出迎えてくれた。そして私に気づき、
 
「あら、この間いらした方ね。まあ、あなたは王国剣士になられたのね。」
 
「はい・・・。この間はお世話になりました。」
 
「いいえ、あなたのピアノ、すてきだったわ。神父様も感心してらしたのよ。今お呼びするからお待ちになっていてね。」
 
 そう言うと奥の扉に消えていった。
 
「ピアノ?お前ピアノなんて弾けるのか?」
 
 オシニスさんが驚いたように私を見つめる。
 
「・・・はい。父に教えてもらって・・・。」
 
「へぇ・・・。あれ?ライザー、お前も確か弾けたよな?」
 
「少しだけだよ。クロービスの父上に手ほどきをうけてね。」
 
「そうか・・・そういやクロービスの親父さんはお前の恩人だって言ってたっけな。」
 
 神父様が奥の扉から現れた。
 
「ライザー、いらっしゃい。久しぶりですね。」
 
「ご無沙汰しています。神父様。」
 
 ライザーさんが挨拶をする。神父様は私のほうに目線を移し、
 
「あなたはこの間の方ですね。お名前を聞いていませんでしたが・・・。」
 
 そう言ってにっこりと微笑む。優しい笑顔。何となくライザーさんの笑顔に似ている。ライザーさんはここで育ったと言っていた。やはり育ててくれた人には似てくるものなのか。
 
「クロービスと申します。この間はお世話になりました。」
 
「いえ・・・私のほうこそ立ち入ったことまで聞いてしまいましたからね。ああ、立ち話もなんですね。みなさんこちらへどうぞ。」
 
 神父様はそう言うと、私達を奥の扉の近くにあるテーブルへと案内してくれた。オシニスさんとカインも挨拶をし、ライザーさんが私の身元引受人のことを神父様に頼んでくれた。
 
「・・・わかりました。あなたはライザーの恩人とも言うべき方の息子さんでしたか。身元引受人の件、引き受けましょう。ただし、本当に遺体を引き取ったりしなくてもいいようにしてくださいね。」
 
「はい。ありがとうございます。」
 
「神父様、ありがとうございます。」
 
 ライザーさんも神父様に頭を下げてくれた。
 
「ところでクロービス、お前ここのピアノで何か弾いて聞かせてくれよ。」
 
 オシニスさんが、部屋の隅に置かれているピアノに目をとめた。
 
「あ、クロービス、それなら昨日言ってた親父さんからもらった楽譜・・・・。」
 
 言いかけてカインは口をつぐんだ。
 
「楽譜?なんだそりゃ?」
 
 オシニスさんが不思議そうに尋ねる。
 
「あ、あの・・・。」
 
 カインは焦って口を押さえている。
 
「・・・いいよ、カイン。オシニスさんにも話すから。」
 
 どうせあの曲の出自もなにも私は知らない。オシニスさんになら、このことを話しても差し支えないように思えた。
 
「ふぅん・・・へんな話だな、確かに。」
 
 一通り私の説明を聞いたあと、オシニスさんがつぶやいた。
 
「今弾けるのか?」
 
「楽譜はないけど弾けると思います。」
 
 楽譜は宿舎の荷物の中だが、もう私は譜面をすっかり暗譜していた。そんなにたびたび弾いていたわけでもなければ、楽譜をじっくり読んだことがあるわけでもなかったが、不思議と譜面は私の頭の中に焼き付いている。
 
「お前らは聞いたことがあるのか?その曲。」
 
 オシニスさんはライザーさんとカインに視線を移した。
 
「いえ、聞いたことはないです。」
 
「僕も聞いたことはないよ。」
 
「そうか。なあクロービス、一度弾いて聞かせてくれよ。神父様、いいですかね?」
 
「私は構いません。もう一度聞きたいと思っていたところです。」
 
 神父様は穏やかに答える。
 私はピアノの前に座り、ゆっくりと『Lost Memory』を弾き始めた。
 最後まで弾き終わりテーブルに戻ると、カインが驚いた顔をしている。昨夜乙夜の塔で、フロリア様の部屋の前で聞いた曲だと気づいたのだろう。オシニスさんとライザーさんも驚いた顔をしている。昨夜のピアノの音を、この二人も当然聞いていたはずだ。
 カインは私が戻るのを待ちかねて、
 
「お、おい、クロービス、これ昨夜の・・・。」
 
「あ・・・ばか、それは・・・。」
 
 言っちゃダメだと言うより早く、オシニスさんとライザーさんが同時に顔をあげた。
 
「昨夜の?」
 
「あ、ばか・・・?」
 
 二人とも鋭い視線をカインと私に向ける。
 
「・・・おい・・・お前ら、何か隠してないか?」
 
 オシニスさんにギロリと睨まれた私達は、もはや蛇に見込まれたカエル同然だった。私達は結局、乙夜の塔に夜中に忍び込んだことを白状させられてしまった。
 
「・・・お前らだったのか、あれは・・・。」
 
 あきれたようにオシニスさんがため息をつく。
 
「しかし・・・人影を見つけて盗賊と間違えて、入口に誰もいなかったからお前らだけで中に入った。これはまあ理解できるとして、その人影は結局なんだったんだ?」
 
「それは・・・」
 
 カインと私は口ごもった。
 
「・・・なんだったんだ?」
 
 オシニスさんがもう一度聞いた。声が少し大きくなる。
 
「あ、あの・・・フロリア様・・・だったんです・・・。」
 
 カインは小さな声で答えた。
 
「フロリア様?なんでまたそんなところに・・・・。」
 
「さぁ・・・。わ、わかりません。」
 
 カインはどもりながら、冷や汗を流している。
 
「その人影がフロリア様だとわかった時点で戻ってきたのかい?」
 
 ライザーさんの言葉に、カインはほっとしたように、
 
「は、はい。そうです。」
 
と答えたが、
 
「・・・嘘をつけ。」
 
オシニスさんは私達から目を離さず睨み続けている。
 
「ハリー達が入口を空けたのはそんなに長い時間帯じゃない。あいつらは今ひとつ集中力がないが、それでもさぼりっぱなしで平気でいるほど無責任じゃないんだ。俺達と交替する直前の時間に入口にいなかったのは俺もわかる。お前らが塔に入り込んだのはおそらくその時間帯だ。だがそのあとは俺達の番だった。俺達はもちろん時間まで持ち場を離れたりしない。そしてハリー達がまたふらふらしていたのは、そのあと俺達から交替してしばらくしてからだ。それもほんの少しの時間だ。つまり、フロリア様の姿を確認してすぐに戻ってきたのなら、お前らは必ず俺達と鉢合わせするはずなんだ。」
 
 それでも黙っている私達に、オシニスさんは業を煮やしたように
 
「・・・仕方ないな。剣士団長に報告して直接フロリア様に聞いてもらうしかないか。なあ、ライザー、夜勤の俺達は無事で済まないとは思うが、何事か起こっていたりしたら大変だ。王女の身の安全が第一だからな。」
 
「そうだね。それしか方法はないか・・・。」
 
ライザーさんもため息をついて困ったように頭を抱えている。
 
「うーん・・・夜勤の最中に不審者の侵入を許したとなると、どの程度の処分になるのかなあ・・・。」
 
 オシニスさんが肩を落としながらライザーさんの方を向く。
 
「そうだねぇ・・・。いくら入り込んだのが王国剣士とは言え、本来塔に入ることを許されていないはずの者達だし・・それを見逃したんだから・・・。減給くらいではすまないだろうから・・・謹慎なら3ヶ月から半年かな・・・。最悪南大陸への長期遠征だったりして・・・。でも仕方ないよ。これは僕たちの責任だ。オシニス、剣士団長に報告に行こう。」
 
 そう言って二人は立ち上がりかけた。
 
「あ、あ、あの・・・それは・・・。」
 
 私達のせいでオシニスさんとライザーさんが処分される。私は焦って、思わず立ち上がりかけたオシニスさんの制服の袖を引っ張った。
 
「喋る気になったか?」
 
 にやりと笑うオシニスさん。どうやら私達はまんまと罠にはまったらしい。悪運もここで尽きたと言うことか・・・。
 そして私達は、フロリア様の頼みを聞いて夜中に漁り火の岬まで行ったことを二人にうち明けた。が、その目的や話したこと、さらに途中でモンスターに襲われたことは伏せて置いた。突っ込んで聞かれるかとヒヤヒヤしたが、
 
「な、な、な、な、・・・・・。」
 
二人とも口を開けたまま、オシニスさんは「な」の次の言葉がとうとう出てこずじまいだった。おそらく、なんてことを、と言いたかったのだろう。
 
「・・・俺はもう怒る気にもならん・・・。大胆にもほどがある・・・・。」
 
「まったくだ・・・。なんて無茶なことを・・・。」
 
 二人ともテーブルに突っ伏して、しばらくは黙ったままだった。いくら本人からの頼みとは言え、夜の夜中に新米二人が伴についただけで、国王陛下たるフロリア様を漁り火の岬まで連れ出したという事実だけで、充分オシニスさん達は驚き、呆れかえっていた。カインと私はすっかりしょげかえり、ひたすら下を向いているしかなかった。
 
 その時神父様が口を挟んだ。
 
「フロリア様は今はどうされていますか?」
 
「は、はい。今朝謁見した時にはお元気だったと思います。」
 
 カインが慌てて答える。
 
「そうですか。フロリア様はきっと久しぶりに外に出られて、お元気になられたことでしょう。彼らの大胆な行動も、無駄ではなかったのではありませんか?」
 
 神父様はにこにこしている。
 
「それはそうかもしれませんが・・・。」
 
 ライザーさんは顔をあげるとそう言いかけて、また大きくため息をつくと頭を抱えてしまった。
 
「すみませんでした・・・・。」
 
 私は蚊の鳴くような声で二人に謝った。オシニスさんは突っ伏したままの姿勢で、
 
「おい、ライザー、次の夜勤からは塔のまわりの警備強化だな。こんな無鉄砲な奴らがまた出てこられたりしたらたまらんぞ、まったく。」
 
そうつぶやいている。
 
「そうだね。あの裏口は盲点だったな・・・。しっかり見回りしないと、本当に賊が入り込んだりもしかねないな・・・。」
 
 ライザーさんも頭を抱えたまま答える。そしてオシニスさんは、いきなりがばっと体を起こし立ち上がると、カインと私の後ろに来て私達の頭を思いっきりゲンコツで殴った。
 
「いたっ!」
 
「あいてっ!!」
 
「今度こんな無鉄砲なことしてみろ!こんなもんじゃすまないからな!!」
 
 目の前に星が飛ぶのをみるのは久しぶりだった。昔、父と剣の稽古をしていて、木刀で思いきり殴られたとき以来かもしれない。
 
「それじゃ、剣士団長に報告って言うのは・・・。」
 
 カインがほっとしたようにオシニスさんを振り向く。
 
「・・・とりあえずフロリア様はご無事だし、言う必要はないだろう。」
 
「よかった・・・。」
 
「カイン、クロービス、へたにこんなことが外部に漏れたりしたら、僕たちだけが処分されればいいと言う問題ではないんだ。剣士団の不始末は、そのまま剣士団長の政治的影響力に響くんだよ。剣士団長の政治的力が弱くなれば、剣士団の動きも制限されてくる。結果的にエルバール王国自体の防御力を弱めることになる可能性もあるんだ。それは覚えておいてくれ。」
 
 ライザーさんの厳しい言葉。
 
「すみません・・・。」
 
 私達はもう一度二人に頭を下げた。
 
「話は決まったようですね。」
 
 神父様が微笑んでいる。
 
「はい。神父様、お騒がせして申し訳ありませんでした。この件は・・・ご内密に願います。」
 
 ライザーさんが頭を下げた。
 
「・・・しかし・・・さっきクロービスが弾いてた曲だが、俺は何度か乙夜の塔で聞いたぞ。フロリア様が弾いてらっしゃるのかと思うんだが。もっともあそこには王女付きの侍女もいっぱいいるし、誰が弾いているかまでは判らないけどな。・・・まあユノでないことは確かだろうが・・・。」
 
 やっと落ち着きを取り戻したオシニスさんが口を開いた。
 
「僕も聞いた。夜中にたまにだけど。でもユノでないことは確かだって言うのは失礼じゃないか。ユノかもしれないよ。」
 
 ライザーさんがにやにやしながらオシニスさんを横目で見る。
 
「でも不思議な曲だな・・・。何となく懐かしい気分になるような・・・。」
 
「そうだね・・・。僕も小さい頃のこと・・・何となく思い出したよ。今まですっかり忘れていたようなことまで・・・。」
 
「誰が作ったのかも全然わからないのか?」
 
 オシニスさんが私に振り向き尋ねた。
 
「はい。作曲者の名前も何も書いてなくて。だからどうしてこの曲が乙夜の塔で聞こえてきたのか・・・。」
 
「そうか・・・。まあ・・・知るべきものならいずれ知る時が来るさ。」
 
 オシニスさんは昨夜のカインと同じことを言う。
 
「とにかくお前らは当分乙夜の塔には近づくな。俺はこれ以上肝を冷やすのはごめんだ。」
 
 そう言ってオシニスさんはまたため息をついた。
 
「それじゃ、もう帰ろうか。思いがけず長居をしすぎたようだ。では神父様、そろそろ失礼します。」
 
 ライザーさんの声を合図に私達は教会をあとにした。外に出るとオシニスさんは大きく伸びをして、
 
「さてと、俺は今日は寝る。こんなに疲れたことはないよまったく。」
 
「僕も寝よう。今日は疲れのダブルパンチだ・・・。」
 
 二人ともげっそりとしている。カインも私も身の置き所がなく、ただ黙っていた。
 
「それじゃ俺たちはこのまま王宮に戻るよ。今日は非番だからな。お前達、城壁の外に出るのはいいが、調子に乗って遠くまでは行くな。」
 
「・・・はい・・・。すみませんでした。あ、あと、ライザーさん、今日はありがとうございました。おかげで神父様に身元引受人になっていただけて・・・。」
 
「いや、そんなことはたいしたことじゃないよ。でもくれぐれも無理はしないようにね。」
 
「はい・・・。」
 
 そしてオシニスさん達は王宮への道を帰っていった。この時のカインと私にとって、彼らの背中は途方もなく広く大きく見えた。入団5年・・・25歳という若さで既に剣士団の中核を担い、南地方の盗賊達からは『疾風迅雷』と恐れられている二人・・・。あの背中をいずれ追い越すことが出来るのだろうか・・・。
 
 彼らの姿が見えなくなるのを待って、私はカインに声をかけた。
 
「・・・途中でモンスターに襲われたこと言わなくてよかったね・・・。」
 
「・・・んなこと言ったらゲンコツくらいじゃすまなかったと思う・・・。」
 
 そして私達はお互い顔を見合わせ、大きくため息をついた。
 
「しかしまずかったなあ・・。俺がよけいなこと言ったから・・・ごめんな、クロービス。」
 
 カインが頭をかきながら私を見た。
 
「私のほうこそ、カインの言葉を聞かなかった振りすればよかったのに・・・。」
 
「とりあえず何とかなったと言うことで、もう考えないようにしよう。さてと、少し門の外に出てみるか?」
 
 カインの提案に、私達は南門から城壁の外に出た。城壁の外に広がる草原では、風がさらさらと吹きすぎていく。今日も天気はいい。太陽がさんさんと降り注いでいる。
 
「気持ちいいね、外は。」
 
「ああ、そうだな・・・。」
 
 カインも微笑んで風を感じている。
 
「カインがいつも剣の修行をしてたって言うのはどのあたりなの?」
 
「最初は、城壁のすぐ近くだったんだけどな。少しずつ遠くまで行くようにはなった。でもさすがに、南地方の境界までは行かなかったけどな。あのあたりのモンスターは一人じゃ手に余る。俺もまだまださ。」
 
「それじゃ二人でいけるようになるといいね。」
 
「・・・そうだな。まずは訓練だな。」
 
「よし、がんばらないと。」
 
「ははは、その意気だ。早いとこオシニス・ライザー組を吹っ飛ばせるくらいになりたいよな。」
 
「そうだね。でも道は遠そうだなあ・・・。」
 
「だからいいのさ。すぐに手が届いてしまったんじゃ張り合いがないじゃないか。」
 
「そうか・・・それもそうだね。ねぇカイン、ずっと聞こうと思ってて忘れてたんだけど。」
 
「なんだ?」
 
「オシニスさん達が着ている鎧と持っている剣、あれ何で出来てるの?他の人もあの色の鎧身につけてるけど。」
 
「ああ、あれがナイト輝石だ。」
 
「へえ。あれがそうなのか。」
 
「そうだ。ナイト輝石は原石だと真っ黒だ。だから夜を意味するナイトの名前があるんだが、精製すると深い藍色になるんだ。この間ちらっとユノ殿がいたろ?彼女が着ていた鎧の色がそれさ。」
 
「でもオシニスさん達の鎧は青みがかっていたよ。」
 
「あれは特殊なコーティングだ。コーティングをすることで表面に傷が付きにくくなったり、強化されたりするんだ。ファッションの意味合いもあるらしいがな。別に何色でもいいのかも知れないけど、剣士団の中では、あの色の鎧が一番多いな。」
 
「そうだね。」
 
「かわったところではセルーネさんの真っ赤な奴だな。」
 
 極北の地で出会った時に着ていた鎧のことだろう。
 
「赤もあるんだね。」
 
「あの場合は、雪原で目立つようにってことらしいけどな。北地方専用なんじゃないのかな。」
 
「・・・ナイト輝石の武器防具ってどのくらいするのかな・・・。」
 
「俺もはっきりとは判らないが・・・目ん玉が飛び出るくらい高いことは確かだな。それに城下町では売ってすらいないしな。もっとも王宮のタルシスさんのところにはあることはある。だが今の俺達には無縁のものだ。入団して3年になると、南地方の警備なんかも行くようになるから、それまでには買っておかなくちゃならないけどな。あのあたりのモンスターは手強いからな。」
 
「お金を貯めるのが大変そうだね。」
 
「給料だけじゃ絶対無理だ。でもモンスターを倒したりして手に入る物は自分の物にしても構わないからな。だからみんなそれほど金には困らないのさ。もっともそれで豪遊するような人は剣士団にはいないよ。みんな自分の必要な物を買ったり、たまに息抜きで遊びに出掛けていく以外は、教会の孤児院に寄付したりしているみたいだぞ。ま、独身の団員は結婚資金に貯めておいたりもするそうだけどな。」
 
「なるほどね。カインは・・・?」
 
「俺に結婚資金なんて無縁だよ。でもお前は貯めておけよ。俺とは違うんだからな。」
 
「私だって・・・今のところ縁がないよ・・・。」
 
「でもいずれは考えなくちゃならないんじゃないか?・・・ま、お前の問題だから、俺がとやかく言うことじゃないけどな・・・。」
 
 言いながらカインはくすっと笑った。
 
「そのことはいいよ・・・。予定もないし・・・。それより、早速タルシスさんのところに行って見ようよ。ランドさんも言ってたじゃないか。一度くらい挨拶しておけって。」
 
「そうだな・・・。俺は入った時に一度挨拶には行ったけど、お前と正式にコンビを組むことになったんだから、もう一度きちんと挨拶しておくか。よし、行こう。」
 
 私達は、また城下町への門をくぐり、王宮へ向かって歩き出した。
 
 鍜治場の場所はすぐにわかった。王宮本館のすぐ裏手に位置している。かなり大きい建物で、中からは鎚を打つ音が聞こえてきていた。
 
「失礼します。」
 
 扉を開けると鎚音は止んだ。
 
「おお。おや、確か・・・一ヶ月前に入団したカインだな。隣は見ない顔だな。するとお前がカインとコンビを組むことになったというクロービスか?」
 
 どうやらタルシスさんは、私のことも既に聞いて知っているらしい。
 
「はい。よろしくお願いします。」
 
「俺はタルシスだ。聞いてるぞ。やっとカインに釣り合う新人が入ってきたってな。」
 
 タルシスさんはにやりと笑った。カインに釣り合う・・・。本当に私達コンビは釣り合っているのだろうか。私は今ひとつ自分の実力というものがわからない。
 
「釣り合っているといいんですけど・・・。」
 
 口を出る言葉もつい弱気になる。
 
「なんだ。ずいぶんと弱気だな。もう少し自信を持てよ。ランドがその腕を認めたって事なんだからな。俺はいつもここから動かないが、入れ替わり立ち替わりやってくる連中がいろいろと聞かせてくれるから、剣士団のことならなんでもお見通しなのさ。ところで修理か?」
 
「いえ・・・。ここではナイト輝石製の武器とかも置いてあるって聞いたから、見せていただけたらと思って。」
 
「へえ、買うつもりか?」
 
「いえ・・・。お金はないけど・・・。」
 
「ははは。後学のためにって奴だな。待っててくれ。」
 
 タルシスさんはそう言うと、奥に行って何点か鎧と剣を出してきてくれた。
 
「ほらこれだ。よーく見ておけ。お前達があと何年かしたら、これがないと仕事にならんからな。」
 
 ナイト輝石製の剣の刀身は本当に夜のような色だった。だが黒ではない。青でもない。こんな色をした闇に囚われたらどこまでも吸い込まれていってしまいそうな、そんな色だった。そして鎧は、以前見たユノの鎧と同じ深い藍色。こちらも近くで見ると吸い込まれそうだ。
 
「他に表面をコーティングしたやつもあるぞ。普通に鉄鉱石を使ってコーティングすると青みがかった光が出る。ほとんどの連中が持っているのがそれだ。あとはいろんな金属を混ぜ合わせて赤くしたり黄色くしたりも出来ないことはないが、今のところセルーネが雪原用に赤い鎧を持っているくらいで、黄色い奴ってのは作ったことも見たこともないな。あんまり見たくもないがな。ああ、それからちょっと特別なのが剣士団長の金色の奴だ。他の奴が着たらただの成金趣味にしか見えんが、団長は実にうまく着こなしている。さすが歴戦の勇士だな。」
 
「剣士団長の鎧はかっこいいけど・・・黄色い鎧は勘弁してほしいなあ・・・。」
 
 カインがつぶやく。
 
「ははは。まあ出来なくはないと言うだけのことだ。ところでお前達の武器を見せてくれ。俺も後学のためにな。」
 
 タルシスさんに言われるままに、カインと私は自分達の剣を彼に見せた。
 
「カインの剣は剣士団で主流を占めているアイアンソードか。ナイト輝石製に次ぐ硬さだ。少し修理した方がいいな。待っていろ。すぐ済むから。」
 
 タルシスさんはそう言うと、カインの剣の刀身を打ち直してきれいにしてくれた。驚くほどの手際の良さで、カインの剣はあっという間にぴかぴかに生まれ変わった。
 
「うわぁ・・・。特別刃こぼれもしてないからほっといたけど、すごい、こんなにきれいになるんですね。」
 
 カインはすっかり感心して新品のようになった自分の剣を見つめている。
 
「剣の修理したのは初めてなのか?」
 
「は、はい・・・。」
 
「いかんなぁ・・・。もっと自分の武器に気を配れ。戦闘に於いては、武器は自分の命綱だぞ。」
 
「はい・・・す、すみません・・・。」
 
 カインは頭をかきながら小さくなっている。
 
「よし、次はお前のだ。」
 
 タルシスさんはそんなカインには構わず、私の剣を鞘から抜いたが、
 
「おお・・・。これはすごいな・・・。」
 
刀身を見つめて感心たようにため息を漏らした。
 
「クロービス、お前、この剣で剣技の試験を受けたんだよな?それに、研修ではオシニスとも剣を交えたはずだし、歓迎会ではハディともやり合ったと聞いたぞ?」
 
「は、はい・・・。」
 
 タルシスさんにはすべてお見通しということか。
 
「ランドにオシニス・・・それにハディだっていろいろ問題はあるが、剣の腕はなかなかのものだ。それだけの使い手とやり合ったというのに、この剣はほとんど刃こぼれしていない。それにこの金属は鉄だけではない・・・。なのに何という強靱さだ・・・。」
 
 そう言ってしばらくしげしげと眺めていたが、やがてほんの少しの傷などをきれいに治してくれた。
 
「クロービスだったな。実に見事な剣だ。お前は体格も細身だから、このくらいの軽い剣がちょうどいいだろう。これを手放すな。一生ものかもしれんぞ。」
 
「は、はい。ありがとうございます。」
 
 父の形見の剣がそれほど素晴らしい品だとは。父がどこでこの剣を手に入れたのか、それはわからない。だが、もし私が剣の道を選べば、この剣が私の命綱となることまで考えて、父はこれを選んでくれたのだろうか。
 タルシスさんに礼を言って、私達は鍜治場をあとにした。
 
「はぁ・・・。ナイト輝石製かぁ・・・。いいなあ・・・。」
 
 カインがため息をつく。
 
「私達には夢のまた夢だね。」
 
「そうだなあ・・・。とにかく今日からがんばって仕事しないとな。まあモンスターが落とす金目当てってのは情けないけど、せめてナイト輝石製の剣くらいは早めに欲しいしなぁ。」
 
 カインはすっかり、あの剣の美しさと切れ味に心を奪われているらしい。
 
「そうだね。まあ私の剣はナイト輝石製ほどではないにしても、かなりいいものだったみたいだから、当分買い換える必要はないみたいだけどね。」
 
「そうだな。お前の親父さんは、息子のためにいい物遺してくれたんだな。」
 
「うん・・・。」
 
 不意に父の笑顔が浮かんだ。今までずっと父の死顔しか思い出せなかったのに、元気で楽しそうに笑っていた時の顔が頭の中に浮かんでいる。私の心が、父の死から立ち直りつつあると言うことなのだろうか・・・。
 
「お前の弓は確かにたいしたもんだと思うけど、接近戦では剣しかないからな。もう少し使えるようになったほうがいいと思うぞ。」
 
「そうだね。せめて君には追いつきたいからね。もっとがんばらないと。」
 
「そうだよな。お互いをもっと鍛えあわないとな。」
 
「昨日のオシニスさんとライザーさんの立合いだって、かなりお互いと戦い慣れてるって感じだったものね。」
 
「ああ。あれは凄まじい迫力だった・・・。」
 
 そんな話をしながら、鍜治場から中庭のほうに歩いてきたころ、ふと何かを感じて私は足を止めた。
 
「どうした?クロービス。」
 
カインが怪訝そうに私の顔を覗き込む。
 
「ん・・・。何か甘い香りがしない?」
 
「甘い香り?」
 
カインは鼻をくんくんさせている。
 
「あ、ほんとだ。」
 
 私達は、香りのする方向に歩いていった。そこは広々とした庭だった。草原のように草がさわさわと揺れている。香りの正体は、この庭に立つ木だった。この木の名前は確か・・・金木犀・・・。小さなオレンジ色の花がたくさん咲いている。そんなに匂いの強い花ではない。でも、風に乗ってかすかに柔らかな香りがあたりに漂っている。この庭は特別手入れされているわけではなさそうだが、様々な花が咲いている。どれも草花としか呼ばれないような小さなものばかりだが・・・。
 その中の小さな花に目がとまる。それは・・・故郷を発つあの日、庭に見つけたのと同じ小さな花『シオン』。北の果てにある故郷と違って、このあたりにはまだ暑さが残っている。それでも花の時期は同じなのだろうか・・・。もしかしたらここでは咲き始めで、向こうでは終わりに近いかも知れない。短い秋を過ぎると、やがて故郷は雪で埋まる。
 
 シオンの花言葉・・・。あなたを忘れない・・・。
 
 置いてきた懐かしい故郷・・・。
 私の家はどうなっているのだろう。
 花壇の花は咲いているのだろうか。
 ピアノは埃をかぶっていないだろうか。
 そして島の人々はどうしているのだろう。
 ブロムおじさんは今もあの家にいるのだろうか。
 ダンさんとドリスさんは喧嘩をしたりしていないだろうか。
 グレイとラスティは相変わらず二人でぶらぶらしているのだろうか。
 
 そして・・・イノージェンは、元気でいるのだろうか・・・。
 
 シオンの花が涙で滲む。
 
「・・・クロービス、どうしたんだ?」
 
「あ、ごめん。ちょっとね・・・。色々思い出しちゃったんだ。ほら、この花。この花が家を出る時にも庭に咲いてたから・・・だから・・・。」
 
 また声が詰まる。私が指さした花をカインはしばらく見つめていたが、
 
「小さいけど・・・きれいな花だな・・・。」
 
 ぽつりとそうつぶやいた。その横顔が何となく寂しそうで、私達はしばらくの間、ただ、黙ってそこに立ちつくしていた・・・。
 

第12章へ続く

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