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第11章 不殺の誓い

 
 家に入る前に私は、顔が腫れていないかどうか確認した。出来るだけ元気を装って玄関のドアを開けた。
 
「ただいま。」
 
「おかえりなさい。」
 
 奥から出てきた妻は、心配そうに私の顔を覗き込んでいるが黙っている。
 
「・・・少し話をしないか。」
 
 カイン達には聞かれたくない。私はいつもいるリビングを避けて、自分達の部屋で話すことにした。ここなら邪魔されずに話が出来る。私は、ライザーさんの家を訪ねてからの会話の一部始終、さらに岬での彼との会話も全て妻に話して聞かせた。妻は私の言葉に一つずつ頷きながら、最後まで黙ったままだった。そして私の言葉が途切れてから、さらに少しの沈黙の後、やっと口を開いた。
 
「・・・そう・・・。それじゃもう決めたのね・・・。」
 
「・・・うん・・・決めたよ・・・。もう、逃げるのはやめにしたい・・・。」
 
 妻は顔をあげた。私をまっすぐに見つめている。私も視線を返した。妻の瞳の奥に、不安と怯えが一瞬だけ覗き、すぐに消えた。
 
「・・・そうね・・・。それがきっと・・・一番いいのかも知れないわね。」
 
 それは私への返事と言うより、妻が自分自身に言い聞かせているようにも聞こえた。
 
「・・・いつ行くの?カインと一緒に?」
 
「いや・・・。カイン達には一足先に帰ってもらおう。一緒に行ったんじゃ、なんだか親が心配して付き添って行くみたいでみっともないじゃないか。」
 
「それもそうね。帰郷するたびに親がついて歩く王国剣士なんて、聞いたことがないわよね。」
 
 そう言うと妻はくすくすと笑いだした。
 
「カインはいつもあの調子だし、もう少ししっかりしてもらわないと・・・。」
 
「あら、でも昨日は結構しっかりしたように見えたんじゃない?」
 
「問題は長続きするかどうかだよ。」
 
「そうよね。ほんと、いつもあんな風なら心配いらないんだけど・・・でもいつもしっかりしてるカインて・・・想像出来ないわ。」
 
「それもそうだ。」
 
 私達は顔を見合わせて笑い出した。
 
「そうだなぁ・・・。カイン達が帰ってから、次の日か・・・そのあたりに行けばいいかな。遅くなるとまた混みそうだしね。」
 
「そうね・・・。それじゃ行ってらっしゃい。留守は心配しなくていいから・・・。」
 
「行ってらっしゃいって・・・君も一緒だよ。私が一人で行くわけがないじゃないか。」
 
「私も?」
 
 妻は意外そうに顔をあげた。
 
「当たり前だよ。・・・どうして?一緒に来てくれないの?」
 
 あの頃歩いた道をもう一度辿る・・・。このことが妻と私にとってどれほどつらいことか・・・。それはわかりすぎるほどにわかっていたが、それでも、私は妻が快く承諾してくれるものと思っていた。しかし、案に相違して妻は黙ったまま考え込んでいる。
 
「どうしたの?」
 
 思っても見なかった反応に少し戸惑いながら、私は妻の顔をのぞき込んだ。妻はびくっとしたように顔をあげると
 
「あ・・え、ええ、ごめんなさい。あの・・・診療所を空っぽにする訳には行かないかな・・・って思ったの。」
 
 どこか要領を得ない返事に違和感を覚えたものの、言われれば確かにその通りだ。
 
「ブロムおじさんに頼んでおこう。そんなに長い間留守にするわけじゃないから。おじさんには私から事情を話しておくよ。それじゃだめかな。」
 
「あ、そ、そうね・・・ええ、わかったわ。私も一緒に行くわ。」
 
 妙にぎこちない返事だった。何かまだ心配事があるのだろうか。それとも・・・。
 
「ウィロー、君はやっぱりまだ・・・お父さんのことで・・・。」
 
 ふと頭をかすめた疑問を、私はそのまま口に出した。
 オシニスさん達がハース城で埋葬した遺体の中には、恐らくデールさんの遺体も含まれていたはずだ。デールさんを実際に殺した人間が誰であれ、それを命じたのはあの男しかいない。そしてその背後にいるのは・・・。
 
 妻はしばらく黙っていたが、やがてぽつりとつぶやいた。
 
「わからないわ・・・。でも、もう昔のことよ。それより・・・。」
 
 言いかけて妻は口をつぐみ、眼を閉じると、何かを振り切ろうとするかのように思いきり頭を振った。
 
「それより・・・何?」
 
「いえ、なんでもないわ。私も一緒に行くわ。」
 
 妻の言いかけた言葉が気にはなったが、本人に話すつもりがなければ聞き出すのは無理だ。いずれ話してくれることもあると思い、それ以上は聞かなかった。
 
「ありがとう、ウィロー。」
 
「ううん、いいのよ。ごめんなさい、一人で行ってなんて言ってしまって・・・。ねえそれより、ブロムさん一人で大丈夫かしら?」
 
「そうだね・・・。確かに心配だな。一応ダンさんやドリスさんに頼んでいくよ。」
 
「うーん・・・よけいに心配な気がしない?」
 
「う、うん、それはそうなんだけど・・・。」
 
「でも仕方ないわね。ライザーさん達もいないんじゃ。」
 
「そうだね。ダンさんがブロムおじさんと喧嘩さえしないでくれれば、何とかなりそうな気もするけどね。」
 
「そうなのよねぇ・・・。」
 
 ダンさんもドリスさんもいい人達だが、へたに留守を頼んだりすると張り切りすぎて、かえって話がこじれそうな可能性は充分にあった。特にブロムおじさんは思ったことをズバズバ言うので、うまくかわすドリスさんはともかく、ダンさんとはよく喧嘩になった。
 
「あとは・・・グレイにも留守にすることを話しておけば・・・手の空いた時にでも覗いてくれるんじゃないかな・・・。」
 
「そうね・・・。それなら少しは安心かな・・・。」
 
 幼馴染みのグレイは、私がこの島に戻ってきてしばらくした頃に一度島を出ていった。自分の両親のことを調べたかったらしい。だが結局判らなかったらしく、何年か過ぎてから、エルバール王国で知りあったという奥さんと子供を連れてこの島に戻って来ていた。そして今はこの島の村長になっている。私が若いころにこの島にいた長老は既に亡く、その後川向こうにある別な集落の老人が長老を務めていたが、やはりこの島で一番大きいこの集落に代表者がいるのがいいだろうと言うことで、長くこの島にいるグレイに白羽の矢が立った。本人は『長老』と言うほどの歳でもないことからしばらくは辞退していたが、みんなに熱心に説得されて『村長』という肩書きで今はこの島を束ねている。
 
「とにかく、まずはおじさんに話してみないとね。それからまた考えるよ。」
 
「それもそうね。お昼まではまだ間があるけど、診療室に行くの?」
 
「そうだね・・・。患者さんはいるの?」
 
「さっきまでサンドラさんが来てたけど、もう帰ったかもしれないわ。」
 
「そうか・・・。あのね、ウィロー・・・。」
 
「なに?」
 
「この間は・・・ごめん。」
 
「・・・・・。」
 
「つらかったのは・・・私だけじゃないって、わかってたつもりだったんだ。なのに、一人で取り乱して・・・。」
 
 妻は何も言わず私に歩み寄ると、頭を私の肩にもたせかけた。
 
「・・・ねぇ、私達・・・何があっても乗り越えていけるわよね?」
 
「・・・行けるよ。今度こそ・・・忘れるんじゃなくて、振り払うんじゃなくて、正面から向き合って受け入れて・・・乗り越えていこうよ・・・。私達二人で。」
 
 言いながら涙が滲む。私は妻の体をしっかりと抱きしめた。
 
「そうよね・・・。二人で・・・乗り越えていくのよね・・・。」
 
 妻の涙が私の服の肩をぬらす。
 
「だから、一緒に行こう。」
 
「うん・・・行くわ・・・。あなたと一緒に・・・。」
 
「ありがとう・・・。」
 
 妻がはっきりと王国行きを決心してくれたことを感じ取って、私は一安心した。あとはしばらく留守にすることをブロムおじさんに伝えなければならない。
 
「それじゃ、今のうちにおじさんに話をしてくるよ。」
 
「そうね。」
 
 診療室に入るとおじさん以外誰もいない。
 
「おじさん、遅くなってごめん。」
 
「おお、クロービス。さっきまでサンドラばあさんがいたぞ。どうも背骨が歪んでいるらしくてな。手の先が少し痺れるらしいんだ。」
 
「手が?日常生活には支障があるの?」
 
「いや、今のところそれほどではなさそうだ。だがほっとけばすぐにそうなるだろう。とりあえず背骨の歪みは直しておいた。もっとも生活習慣から変えていかないと、またすぐに歪んでしまうんだが。痺れ止めをくれと言ったので少しだけ渡してやったよ。薬で抑えてしまうと、良くなっているのか悪くなっているのかわからないからな。明日また来るように伝えておいたから、その時に詳しく話を聞いてやってくれ。」
 
「わかった。ありがとう、おじさん。」
 
「まったく・・・あのばあさんはいくら言っても無理をやめようとしないんだからな・・・。イノージェンも、ちゃんと一人前の助産婦としてやっていけるだけになってるんだから、早いとこ引退でもすればいいのにな・・・。」
 
「でもきっと心配なんだよ。」
 
「その気持ちが解らない訳じゃないさ。だがお産があれば、ウィローだって余程のことがない限り手伝えるじゃないか。あんまり年寄りが出しゃばると、若い者が育たなくなってしまう。」
 
 ブロムおじさんは、なおもぶつぶつと口の中で何か言い続けている。サンドラさんとおじさんは、顔を合わせれば言いたい放題しあっているが、本当はお互い気が合うんじゃないだろうか。今の言葉も、医者として以上にサンドラさんを気遣っての言葉だとしか思えない。それでもおじさんは眉間にしわを寄せ、怒った顔をして見せながら文句を言っている。私は何だかおかしくなってしまった。
 
「何だ?何がおかしいんだ?」
 
 おじさんが私の顔を怪訝そうに見つめている。私は慌てて顔の笑みを消した。
 
「なんでもないよ。」
 
「・・・今日の午後からは予定は入っているのか?」
 
「今日は誰もいないはずだよ。」
 
「そうか、ではまた少し薬草学の本でも読んでおくかな。」
 
「おじさん・・・ちょっと話があるんだけどいいかな。」
 
「ん?何だ?」
 
「カインのことなんだけど・・・一度仕事ぶりでも見に行こうかと思ってね。」
 
「おお、なるほどな。それじゃカインの休暇が終わったら一緒に行くのか?」
 
「いや、カインは先に帰らせて、それから準備をするよ。親が付き添って行くみたいでみっともないから。それに一度くらい祭り見物してみるのもいいかと思ってね。」
 
「そうか。それじゃウィローも連れて行くんだろう?ゆっくりしてこいよ。」
 
「ありがとう。それからね・・・。」
 
「私のことなら心配いらんよ。自分のことくらいは何とかなるからな。」
 
「うん、それは心配していないよ。そうじゃなくて、その・・・こんな事を言うとおじさんは笑うかもしれないんだけど・・・。」
 
 私は3ヶ月ほど前に見た夢の話と、オシニスさんからの手紙のことをすべて話した。おじさんは終始無言で、渋い顔をして聞いていた。
 
「なるほどな・・・また夢の話か・・・。」
 
「ただの夢ならそれに越したことはないんだけどね・・・。」
 
「でもお前はただの夢とは思っていないんだろう?」
 
「・・・・・。」
 
「なぁ、クロービス、昔、サミルさんが最後に長く家を空けた時、お前のことを心配して来てみたら、お前が眠っていてひどくうなされていたことがあったんだ。憶えているか?」
 
「・・・憶えてるよ。」
 
「あのとき、私はお前に『夢なんて何の意味もない』と言ったと思う。」
 
「そうだね。」
 
「お前がいつも夢を見てうなされていることはサミルさんから聞いて知っていた。よく同じ夢を見ているらしいこともな。その夢には何か意味があるのじゃないかと、サミルさんが私に言っていたことがある。サミルさんの話を聞いて、私もお前の見ている夢がただの夢ではないのかもしれないと考えていた。だが、あれほどまでにうなされて、起きてからまで夢の内容を話しながら青ざめているお前を見かねて、ついあんな風に言ってしまったんだ。」
 
「そうだったのか・・・。」
 
「お前がこの島に戻ってきてからは、ほとんどその手の夢は見なかったんだろう?」
 
「うん、あんな夢を見たのは久しぶりだよ。」
 
「・・・そうか・・。ではお前はその剣士団の団長に会いに行くんだな?」
 
「そのつもりだよ。」
 
「しかし・・・いまさらお前が行ってみたところで、どうなるものでもないかもしれないぞ。」
 
「そうかもしれない・・・。でも、それでも私は・・・行かなければならない・・・そんな気がするんだ。」
 
「・・・フロリア様のために・・・か?」
 
「うん・・・。いや、そうじゃなくて、自分のためかもしれない・・・。」
 
「お前の?」
 
「・・・3ヶ月前にあの夢を見てから・・・私の頭の中には20年前の出来事ばかりが甦ってくるんだ・・・。それも思い出したくないようなつらいことばかり・・・。」
 
 そこまで言って私は唇を噛んだ。自分が人を殺したなどと、おじさんに言うことはとても出来なかった。
 
「カインにせがまれて、少しずつ昔のことを話すごとに、あの頃の悲しみや苦しみが・・・少しずつ心の中にたまっていくんだ・・・。そうしたらいつの間にか・・・心だけが昔に飛んでしまったみたいで、ここにいるのにここにいないようで・・・。この島で過ごした20年間は一体何だったんだろう、まるで無意味なものだったんじゃないだろうかなんて・・・。」
 
「バカを言うな!お前はここに戻ってきてから、サミルさんの研究を引き継ぎ見事完成させたじゃないか。この島が世捨て人の島などと言う不名誉な名前を付けられることがなくなったのは、お前の功績だ!結婚して子供も生まれ、その息子は立派に成長して王国剣士としてがんばっている。それのどこがいったい無意味だと言うんだ!」
 
 ブロムおじさんは怒りを隠そうともせず大声を上げた。その怒りが、私を思ってのことだと痛いほどにわかって、思わず涙が出そうになった。
 
「うん・・・わかるよ。おじさんの言ってること。でもこのままでは、私は自分の過去に押しつぶされてしまう・・・。この夢がただの夢かどうかはわからないし、オシニスさんの手紙のことと関係あるのかどうかもわからない。でも私はこのままではいられないんだ・・・。」
 
 おじさんは黙って聞いていたが、やがて小さなため息をつくと、
 
「一ヶ月でも二ヶ月でも行ってきて構わんぞ。こっちのことは心配いらんからな。」
 
 そう言うと私の肩をぎゅっと掴んだ。その手が少しだけ震えていた。
 
「ありがとう。」
 
「だが一つだけ約束してくれ。」
 
「何?」
 
「お前の帰る場所はこの島だ。ここでみんながお前を待っている。それだけは忘れないでくれ。」
 
「わかってるよ。必ずここに戻ってくるよ。」
 
 おじさんは嬉しそうに微笑んだ。
 
 この日の夜、カインはさっさと寝てしまった。次の日の朝、私が剣の相手をする約束をしていたからだ。カインは楽しみにしているらしい。フローラはしばらく妻の手伝いをして台所の片づけなどをしていたが、こちらも早めに部屋に戻った。
 妻と私は二人だけになり、黙ってお茶を飲んでいた。しばらく沈黙が続いたが、それを最初に破ったのは妻のほうだった。
 
「・・・王国剣士団て・・・今でも『不殺の誓い』を立てるのね・・・。」
 
「そうだね。昔よりも・・・誓いが守れそうだしね・・・。」
 
「昨日あなたがしてくれた話・・・あのあとあなたは、フロリア様の前でその誓いを立てたのよね・・・。」
 
「そうだね・・・。」
 
「本当に心から誓えたの?全然疑問に思わなかったの?」
 
「・・・どうしてそんなことを聞くの?」
 
「昔・・・あなた達と旅するようになったばかりの頃、私が『不殺なんて言ってたらこっちが殺られてしまう』って言ったの憶えてる?」
 
「憶えてるよ。カインが困ったような顔してたっけ・・・。」
 
「あなたやカインが『不殺の誓い』を立てる時って、何の疑問も持たなかったのかなって・・・何となく思ったことがあったのよ。でも、結局・・・その誓いをあなたは破ることになってしまって・・・そして私はただ一方的にあなたを責めてしまった・・・。だから、どうしてもそのことは聞けなかったの・・・。それに・・・あのあとはもう、そんな話をするような雰囲気じゃなかったしね・・・。」
 
「そうか・・・。」
 
「だから、オシニスさんの手紙を読むまで、私自身そのことは忘れていたわ。でも・・・私も、いろいろと思い出さなくちゃならないんだなって思ったのよ・・・。オシニスさんに会いに行くのなら、全部話す覚悟で行かないとね・・・。あなただってそう思っているんでしょう?」
 
「・・・・・・。」
 
 何もかも・・・話さなくてはならない・・・。確かにそうかも知れない・・・。この期に及んでなお、嘘をつき通すことなど出来はしないし、そんなつもりならば王国まで出向く意味がない。妻は私の返事を少しの間待っていたようだったが、私の沈黙を肯定と受け取ったらしく、また話を続けた。
 
「それに・・・もしかしたら・・・フロリア様にもお会い出来るかも知れない・・・。そしたらあなたが見た夢の正体がなんなのか、きっとわかる・・・。」
 
「・・・だといいけど・・・。」
 
 そう言いながら、実際のところ私はフロリア様に会うのは気が進まなかった。オシニスさんと話すだけで解決するならその方がいい・・・。でもきっとそうはいかない・・・。妻は私の曖昧な返事を聞いて怪訝そうな瞳で私を見つめていたが、その理由を説明する気にはなれなかった。
 
「だから、ずっと疑問だったことや記憶が曖昧なことで、あなたと私が話すことでわかることがあるなら・・・今のうちに解決しておきたいなと思って・・・。」
 
「不殺の誓いか・・・。」
 
 その誓いをたてたのは、もう遠い昔のことだ・・・。
 
「正直に言うとね・・・私は誓いの最中で黙り込んでしまったんだ。」
 
「どうして・・・?」
 
「疑問がなかったわけじゃなかったからね。」
 
「たとえばどんな?」
 
「そうだね・・・。私が剣士団の試験を受ける前の話はしたよね?」
 
「ええ、城壁の外でセルーネさん達に会った時のことね?」
 
「うん。それから・・・。」
 
 昔話をしようとしているのに、カインの死顔はもう現れなかった。そして代わりに笑顔が浮かぶ。なぜだろう・・・。私が逃げることをやめたから?だから君は笑っているのか・・・。それでは・・・私は君のその笑顔に応えなければならない・・・。
 
 −−・・・逃げても何も変わらない・・・−−
 
 頭の奥で声が響いた。









「クロービス!!起きろ!!」
 
 カインの怒鳴り声で私は目を覚ました。
 
「お前、今日はフロリア様の謁見の日だぞ。ほら、早く早く!!」
 
 私は慌てて飛び起きると、急いで着替えをすませた。普段は滅多に見ない鏡の前で、髪を整えて服の乱れをチェックする。部屋の扉を勢いよく開けて飛び出そうとした私は、何かにぶつかってしりもちをついた。
 
「おお、起きたようだな。」
 
 顔をあげると、そこに立っていたのは剣士団長だった。
 
「わわ!!す、すみません!おはようございます!」
 
 慌てて立ち上がり挨拶をする。剣士団長はにやりと笑うと、
 
「私の後についてこい。カイン、お前も一緒だ。」
 
そう言うと先にたって歩き出した。
 
「は、はい。」
 
 カインと私は慌てて剣士団長のあとを追った。王宮本館の奥から執政館へと歩いていく。見たこともないふかふかの赤絨毯が足下に敷き詰められ、足音一つ聞こえない。柱は磨き上げられ、天井には美しい絵が描かれている。やがてひときわ美しい彫刻が施された荘厳な扉の前に着くと、剣士団長は一息ついて私達に振り返った。
 
「こちらが、フロリア様のいつもおいでになる執務室だ。粗相のないようにな。」
 
「は、はい。」
 
 緊張した。思いがけず昨日の夜フロリア様と出会ってはいるものの、今は事情が違う。剣士団長は扉をノックした。中から現れたのはユノだった。
 
「フロリア様がお待ちです。どうぞ。」
 
 ユノはそう言うと、一礼して剣士団長を中に招じ入れた。そしてカインと私の方を向き、
 
「君たちも入れ。」
 
無表情で促した。私はおそるおそる中に足を踏み入れた。2度目とは言え、カインもかなり緊張している。中は広い。ここにも絨毯が敷き詰められ、煌びやかな家具調度品が並べられている。入口からまっすぐに伸びた足許の紅い絨毯の先には、黄金で縁取られた背もたれのついた玉座があり、そこには昨夜と変わらない、にこやかな微笑みをたたえたフロリア様が座っていた。カインと私は剣士団長の後に続き、玉座に向かって進んでいった。剣士団長はフロリア様のはるか手前で膝を折った。カインと私も慌てて剣士団長に習ってひざまづき、頭を下げた。
 
「おはようございます、フロリア様。本日は昨日王国剣士団に正式入団が決定いたしました者を連れて参りました。・・・クロービス、私の隣へ。」
 
「・・・はい。」
 
 振り向いた剣士団長に促され、私は転んだりしないようにとゆっくりと立ち上がり、剣士団長の隣に再びひざまづいた。
 
「昨日報告いたしました、クロービスでございます。後ろに控えておりますカインとコンビを組ませることにいたしました。さあ、クロービス、フロリア様にご挨拶を。」
 
 私は顔をあげた。昨夜風になびいていた蜂蜜色の艶やかな髪は、今は美しく結い上げられ、額の上にはプラチナのティアラがのっている。うっすらと紅をさしているせいか、肌はよりいっそう白く透きとおり、身につけているブルーのドレスによく映えていた。
 
「・・・ク、クロービスと申します。このたび・・・王国剣士団に正式に入団することになりました。よ・・・よろしくお願いいたします。」
 
 私はどもりながらやっとそれだけ言うと、下を向いてしまった。光の中で見るフロリア様はあまりに神々しくて、それ以上正視していることが出来なかった。
 
「フロリアです。あなたのような素晴らしい若者が剣士団への門を叩いてくれたことを嬉しく思います。これからの活躍に期待していますよ。」
 
「・・・ありがとうございます。」
 
 お礼の言葉も言うのがやっとだった。
 
「ではクロービス、お前にはフロリア様の御前で不殺の誓いを立ててもらう。私が誓いの言葉を言ってみせるから、お前はそのあとをついて言うがいい。そしてそのあとにお前の名前を言うのだ。」
 
「はい。」
 
 剣士団長の言葉に、私は頷いた。
 
「『私は王国剣士団の一員として、この大地に生きとし生けるもの全ての生命を慈しみ、決してそれを奪うことなく、王国剣士としての使命を全うすることをここに誓います。』」
 
 私は剣を捧げ、敬礼の姿勢をとり、剣士団長の言葉を復唱し始めた。
 
「私は王国剣士団の一員として、この大地に生きとし生けるもの全ての生命を慈しみ、決してそれを・・奪うこと・・・なく・・・。」
 
 ふと『我が故郷亭』のラドの顔が浮かんだ。両親をモンスターに殺され、孤児となったラド。そして私が助けた母子連れ。私があの時もう少し気づくのが遅かったら、あの子供は蜂の毒で死んでしまっただろう・・・。そしてローランへの道で私はお化けウサギに組み伏せられ、あやうく喉を引き裂かれるところだった・・・。
 
「・・・クロービス、どうした?」
 
 いつの間にか途中で黙ってしまった私を、剣士団長が訝しげに覗き込んでいる。
 
「・・・どうしました?クロービス。」
 
 フロリア様も心配そうに声をかけてくれる。
 
「・・・私も・・・生き物を殺すのはいやです・・・。でも、モンスターのほうは、そんなことお構いなしなんです・・・。今までにたくさんの人達がモンスターの手にかかって殺されている・・・。それでも私達は、彼らの命を守らなければならないんですね・・・。」
 
 私は思わず本音を口にした。そして、前の日の夜フロリア様が言った言葉を思いだした。
 
『どんなに凶悪なモンスターと言えども、殺したくはありません・・・。』
 
 確かに高潔な考えだが、それで自分が殺されてはどうしようもない。ブロムおじさんもそんなことを言っていた・・・。
 
「クロービス!!何を言い出すんだ!?」
 
 剣士団長は思いがけない私の言葉に、ぎょっとして私を睨んでいる。背後でカインが息を呑む音が聞こえた。
 
「・・・いいのです、パーシバル。」
 
 剣士団長を制して、フロリア様が私に向き直った。
 
「クロービス・・・。確かにそうですね。わたくし達がいくら彼らの命を守ろうとしたところで、彼らにはそれが理解できません。出会ってしまえば、彼らは無我夢中で攻撃を仕掛けてきます。敵であるわたくし達の息の根を止めるために・・・。でも、彼らの命も私達の命も、その重さに一片の違いもありません。そしてわたくし達人間には知恵があります。闇雲に命を奪わずとも、共にこの大地に生きるものとして共存していく道がきっとあるはずです。そしてその道を、今は探しているところなのです。道が見つかる前に、お互いの間に悲しい歴史は作りたくない・・・。甘いと思われるかもしれませんが、それがわたくしの本当の気持ちです。でもクロービス、あなたが誓いを立てたくないのなら、それはそれで構いません。あなたは正規の手続きを経て王国剣士団の一員となりました。誓いを立てなくとも、あなたが立派に自分の責務を果たしてくれるであろうことをわたくしは信じています。」
 
「フロリア様!!何をおっしゃいます!『王国剣士団は不殺を信条とする』すべての剣士がここで誓いを立てております!ここで例外を作っては、一枚岩と言われた剣士団の結束にひびが入る可能性もあるのです!!」
 
 剣士団長が慌ててフロリア様に詰め寄る。フロリア様は答えない。ただ黙って私の言葉を待っている。モンスターとの共存の道・・・。そんなものがあるのだろうか。
 しばらく沈黙が続いたあと、私は顔をあげた。フロリア様と視線が合った。祈るように私を見つめる淡いブルーの瞳は、曇り一つなく澄みきっている。
 
(フロリア様を信じてみよう・・・。)
 
 そう決心して、私はもう一度深く頭を下げた。
 
「・・・若輩者が僭越なことを申し上げました・・・。お許しいただけますなら、改めてここで誓いをたてたいと思います。」
 
「・・・ありがとう、クロービス。」
 
 安堵したようなフロリア様の声。
 
「・・・それを奪うことなく、王国剣士としての使命を全うすることを、ここに誓います・・・。」
 
 私は改めて誓いの言葉を復唱し、一瞬間をおいて自分の名前を言った。隣で聞いていた剣士団長が小さくため息をついた。ほっとしているのだろう。
 
「・・・失礼いたします。」
 
 私達は、フロリア様の部屋を出た。その後執政館を出て王宮のロビーに出た時、
 
「クロービス、私の部屋に来い。カイン、お前は部屋に戻っていろ。」
 
剣士団長が低い声で私に告げた。
 
(いきなりクビだったりして・・・。)
 
 そんな不安を抱えたまま、心配そうに見送るカインを残して、私は一人で剣士団長の部屋に行った。団長は、私が部屋に入ったのを確かめると、素早く部屋の扉をぴったりと閉めた。そしてくるりと私に向き直った。
 
「さて、クロービス、お前の本音を聞かせてくれ。」
 
「本音・・・ですか?私はクビになるんじゃ・・・?」
 
「ばかを言うな。フロリア様がお前を王国剣士として認めたのだ。俺が勝手にクビを切れる筋合いはない。ただ、俺はお前の考えている本当のことが知りたいだけだ。なぜさっき、いきなりあんなことを言いだしたのかをな。」
 
 私は、『我が故郷亭』のラドのことや、モンスターから助けた母子連れのことなどを話した。そして誓いを立てている最中に疑問が湧き上がってきたことも隠さず伝えた。
 
「・・・なるほどな。それでお前は納得出来たのか?さっきのフロリア様の説明で。」
 
「・・・正直に言いますと、全面的に納得出来たわけではありません。でも・・・」
 
「でも・・・何だ?」
 
 言い淀む私に剣士団長がたたみかける。
 
「・・・フロリア様を信じてみようと思いました。あの方の澄んだ瞳を見て、その理想の実現に私が少しでも役に立てるのならと・・・。」
 
「・・・そうか、わかった。さっきフロリア様の前で俺が言ったように、王国剣士団の結束は一枚岩でなければならんのだ。考え方は無論、人それぞれだ。それを曲げろと言うつもりはないが、王国剣士として活動する以上は、ある程度歩み寄ってもらわなければならんからな。」
 
 そのとき、妙な音が聞こえた。その音は・・・私の腹の鳴る音だった・・・。カインに起こされて、慌てて部屋を出ようとしたところで剣士団長に出会って、そのままフロリア様のところへ行ってしまったので、私は朝から何も食べていなかった。
 剣士団長はくすっと笑うと、
 
「もう昼近いな。行っていいぞ。それと、今日からしばらくお前達は自由警備だ。だがあまり遠くまでは行くな。」
 
 そう言うと、背中を向けて窓の外を見つめている。その背中がなぜか寂しげに見えたのは・・・気のせいだろうか・・・。
 
 私は剣士団長の部屋を出た。食堂に行くと、青ざめた顔のカインがいた。ライザーさんとオシニスさんもいる。
 
「お、おい、剣士団長の話はなんだったんだ?」
 
 カインの声は心なしか震えているように聞こえた。心配そうに私を見つめる6つの瞳の前で、私は剣士団長との会話を話して聞かせた。
 
「ふぅん・・・お前って、度胸があるんだかバカなんだかよくわからないやつだな。」
 
 オシニスさんがにやりとしながらつぶやく。
 
「それは褒めているのか?」
 
 ライザーさんがくすくすと笑いながらオシニスさんに尋ねる。
 
「うーん・・・どうかな。だってそんなの黙ってりゃわからんじゃないか。わざわざ喋って剣士団長を慌てさせるなんて、気の利いた奴ならしないと思うぞ。でもまあ、よかったよ。カインの奴、青くなってお前を待っていたんだからな。」
 
「ご心配かけてすみませんでした。カイン、ごめん・・・。」
 
「いや・・・とにかくよかったよ。お咎めなしってことで。しかしフロリア様も心が広いよな。お前がいなくなったりしたらどうしようって、それだけが心配だったんだ・・・。」
 
 カインは本当にほっとしたように私の肩を叩いた。その時また私の腹の虫が鳴った。
 
「あ、そうだ。今日何も食べてないんだっけ。」
 
 私の言葉にみんな一斉に吹き出した。
 
「ぶわっはっはっは!!クロービス、やっぱりお前は大物だよ!!」
 
 そう言うとオシニスさんは笑いをこらえきれないと言った顔で、私の肩を何度もばんばんと叩いた。腹を抱えて笑っている3人を残して、私は食堂のおばさんに食事を頼みに行った。
 
「あら、クロービス。あんた今日の朝、食べに来なかったよね。若い者が食事を抜いたりしたら駄目よ。」
 
 そう言うとおばさんは、いつもより盛りのいい食事を乗せたトレイを私の前に置いてくれた。遅い朝の食事と少し早い昼の食事を終えて、やっと私は人心地がついた。その時ちょうどお昼の時間になり、今度はカインやオシニスさん達が食べ始めた。私は自分の制服の袖や裾が長いことを思い出し、食堂のおばさんに針と糸を貸してくれるように頼んだ。
 
「あんたが自分でやるのかい?」
 
 おばさんは驚いたように私を見た。
 
「はい。家にいる時はいつも自分の服の繕いとかも自分でやってたから。」
 
「ふぅん・・・偉いねぇ。はい、針と糸。制服の袖はね、まずカフスの内側をはずして・・・」
 
 おばさんは丈の詰め方を丁寧に教えてくれた。礼を言って席に戻ると、みんなまだ食べている最中だ。カインは例によっておかわりをしたらしい。
 
「カイン、私は部屋で制服の袖を詰めてくるよ。」
 
「ああ、わかった。」
 
 カインが答える。
 
「お前、自分でやるのか?」
 
 オシニスさんが驚いている。
 
「はい。家ではいつもやっていましたから。」
 
「へぇ・・・ライザーみたいな奴だな。」
 
 その言葉にライザーさんは顔をあげると、
 
「君も覚えるといいよ。なかなか便利だよ。」
 
からかうようにオシニスさんを見た。
 
「いや・・・おれはいい。お前に頼んだほうが楽だからな。」
 
「・・・僕も君に教えるより自分でやったほうが楽だけどね・・・。」
 
 そのやりとりにカインと私のほうが吹き出してしまった。それを潮に食堂を出ようと立ち上がった時、ライザーさんに呼び止められた。
 
「クロービス、君達は今日から自由警備のはずだから、あとで君を教会の神父様に紹介するよ。午後から出掛けられるかな?」
 
「あ、はい。よろしくお願いします。」
 
「神父様?」
 
 食事をほおばったまま、カインが不思議そうに顔をあげた。
 
「うん、私の身元引受人をお願いしようと思って。」
 
「・・・そうか。俺も行っていいか?」
 
「私は構わないけど・・・。」
 
 ライザーさんをちらりとみると、
 
「いいよ。カインも一緒においで。」
 
快く承諾してくれた。
 
「俺も行くか。一人でいても仕方ないしな。」
 
 オシニスさんが言いだして、結局4人で出掛けることになってしまった。
 私は部屋に戻り、食堂のおばさんに聞いたようにして制服の袖やズボンの裾を詰めた。思ったより早くできたので急いで食堂に戻ると、みんなもう食後のコーヒーを飲んでいる。カインが私に気づき、3人は立ち上がった。食堂を出ようとしたところにバタバタと足音が聞こえ、やがて食堂の扉がバーンと派手に開いた。
 
「たっだいまぁぁぁぁぁぁぁ!!!」
 
 ものすごく大きい女の子の声。
 
(え?何で女の子の声?)
 
 私は驚いて、目の前で開いた食堂の扉を見つめていた。
 
「カーナ・ステラ組、ただいま南地方警備から帰還いたしましたぁぁぁぁぁぁ!!」
 
 叫んだ女の子は確かに剣士団の制服を着ている。そして私達のほうを見ると、だっと駆け寄ってきて、いきなりライザーさんに抱きついた。
 

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