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「失礼いたします!」
 
 ランサル家の使用人が部屋に入ってきた。服装と風貌からしてこの家の執事だろうか。
 
「どうした、セルバス?」
 
 ロゼル卿が立ち上がり、その使用人に歩み寄った。執事らしいセルバスさんは小さな声でロゼル卿に何事か耳打ちした。
 
「リンガー義姉上が?」
 
 そう聞こえた時、チルダさんが立ち上がった。
 
「ロゼル、リンガーお義姉様がどうなさったの?」
 
 リンガーお義姉様というのはラッセル卿の夫人だろうか。
 
「ああ・・・その・・・今屋敷の前にいらっしゃっているらしい・・・。」
 
「まあ・・・どうなさったのかしら。あの、皆さん、少しお待ちください。どうぞ、お茶を楽しんでくださいね。すぐに戻りますから。」
 
 ロゼル卿とチルダさんはそう言い置いて、慌ただしく部屋を出て行った。リンガー夫人という人がどういう人なのかはわからないが、今イノージェンに会わせるべきではないと判断したのだろう。代わりに使用人が何人かやってきて、お茶の道具とかなり減っていたデザートが載った皿を交換してくれた。
 
「申し訳ございません。今しばらくお待ちくださいませ。」
 
 使用人達は丁寧に挨拶をして部屋を出て行った。ポットのお湯は熱々になり、取り替えられたデザートの皿にはまた新しいお菓子がたくさん載っている。
 
「それじゃいただきましょうよ。ラッセル卿の奥様がいらっしゃったのなら、もしかしてさっき言っていた話かもね。」
 
 イノージェンが言った。
 
 さっきの話というのは、ガーランド男爵が強制的に隠居させられるという話だろう。チルダさん達は知らなかったようだが、リンガー夫人が家に戻ったか、それとも男爵家の執事がリンガー夫人の実家に知らせに行ったかして話を聞いたのだと思う。男爵は意識不明、頼りになるべき夫は入院中、しかも異議申し立ての前に派手な喧嘩をして殴られている。夫と顔を合わせるよりはと、リンガー夫人は義妹の元にやってきたのかも知れない。
 
(リーザは多分まだ引継で王宮にいるだろうから、オシニスさん辺りから聞いたかも知れないな・・・。あれ?でも・・・。)
 
「まさかと思うけど、リンガー夫人はまだラッセル卿のところに行ってないのかな。」
 
「そう言えば・・・。」
 
 その話は妻にした記憶があるので、妻もハッとしたらしい。ラッセル卿が医師会の病室に運び込まれた時、翌日に夫人と一緒にランサル子爵が病室に行くと言う話をしていたはずだ。だからここに来た時も特に確認しなかった。ベルウッド先生がついているので、ラッセル卿の状態については説明してくれるだろうとも考えていた。これは確認をしておかなければならない。
 
 
 しばらく過ぎて、ロゼル卿とチルダさんが戻ってきた。
 
「ラッセル卿の奥様はどうなさったの?」
 
 イノージェンが尋ねた。
 
「今帰りました。子供達はまだご実家に置いてきているという話なんですが、大変なことが起きてしまって・・・。」
 
 チルダさんは疲れたようにソファに座った。イノージェンが2人分のお茶を淹れてロゼル卿とチルダさんの前に置いた。
 
「あ、あら、申し訳ありません。こちらがおもてなしする側ですのに・・・。」
 
 チルダさんはそう言いながらもお茶を一口飲んで、ほっとした笑顔になった。
 
「おいしい・・・。」
 
「うん、うまいですね。チルダ、これはイノージェンさんにお茶の淹れ方を教わったほうがいいかな。」
 
 ロゼル卿もうまそうにお茶を飲んでいる。
 
「ふふふ、そうね。同じお茶なのにこんな優しい味になるなんて・・・。」
 
 2人の褒め言葉を、イノージェンは恥ずかしそうに聞いている。チルダさんはゆっくりとお茶を飲み干して、お茶のカップをソーサーの上に置いた。
 
「さっき話していたことが現実になってしまいました。父が強制的に隠居させられることが決まったそうです。こんな形で家督相続をすることになるなんてって・・・義姉は不安に駆られてうちまで来たようです。兄はまだ入院中ですし、当の父は未だに目が覚めていないようですし。姉は異議申し立てのあとしばらくの間家に戻ると言っていたのですが、何と言ってもフロリア様の護衛剣士ですから、ある程度長く仕事を休む場合は引継が大変らしくて、多分戻るのは明日になるんじゃないかって。」
 
「それは大変ですね・・・。ということは、本格的に相続の手続きが始まるんですね。」
 
「ええ、そういうことになります。」
 
 私の問いにチルダさんが答えた。
 
「ロゼル卿、ラッセル卿の病室でお会いした時のことなんですが・・・。」
 
 あの時、翌日改めてラッセル卿の家族と一緒に診療所に来るという話をしていたはずだがどうなったのかと尋ねてみた。
 
「あの件ですか・・・。実はリンガー義姉上はまだガーランド家に戻っていないんですよ。私としても義兄の状態を医師会の先生にきちんと聞いておくべきだと考えたので、改めて連絡したんですがねぇ・・・。」
 
 夫と会いたくないの一点張りで、病室どころかガーランド家にも行こうとしなかったらしい。
 
「ところが、今回の騒動で義父が強制的に隠居させられることになりまして、ガーランド家の執事がリンガー義姉上のところに知らせに行ったようです。それで慌ててうちに来たようですね。」
 
「そうでしたか・・・。」
 
 リンガー夫人としては、喧嘩の怒りや気まずさで意地を張っていたのだろうが、もうそんなことを言ってられなくなった。とは言えどうすべきか悩んでここに相談に来たと言うことか。リーザとラッセル卿はともかく、リンガー夫人はチルダさんと良好な関係を築いているらしい。
 
「イノージェンさん、異議申し立てが間に合って本当によかったです。」
 
 チルダさんがイノージェンに向かって言った。心からほっとしている、そんな感じの声だった。だがそう言うチルダさんの顔はもう疲れている。これからリーザとラッセル卿の冷たい視線に耐えなければならないことに、今からうんざりしているのだろうと思う。
 
「気になることはたくさんあるんですけど、でも仕方ないですね。それに今回は、異議申し立ての時の兄の所業も問題になっているらしいので、ガーランド家ではなく、財務資料一切を王宮に持ち込んで相続額の算出が行われるとのことでした。明日の朝早く、行政局の職員がガーランド家に来るそうです。その時に相続人が全員揃ってないと行けないのですが、姉と兄は間に合いようがないので、わたくしだけでも家にいてほしいと頼まれたんです。」
 
 リンガー夫人はラッセル卿と一緒に領地運営を担っていたという話だから、書類の在処や内容については知っているのだと思うが、あくまでも夫が主で自分は従と思っていたのに、いきなりこんなことになってしまって、気持ちの整理が追いつかないのかも知れない。
 
「ねぇチルダさん、異議申し立ての時にはあんな言い方をしたけど、私だってガーランド男爵家の皆さんを憎んでいるわけではないの。私はもうガーランド家とは縁が切れたけど、それでも相続の手続きがうまく行くことを祈ってるわ。」
 
 イノージェンが言った。元々イノージェンはガーランド男爵家の誰も恨んでもいないし憎んでもいない。ただ、手紙やお金を送らないでほしい、財産なんていらない、そして子供達のことも放っておいてほしい、それだけなのだ。
 
「ありがとうイノージェンさん。本当はもう少しお話ししたかったけど、これから実家に行くための準備をしなければならなくなりました。今日のお茶会はここでお開きにしたいと思いますけど・・・。」
 
 チルダさんが俯いて少し言い淀み、そして顔を上げた。
 
「イノージェンさん、まだ城下町にはいらっしゃいますよね。」
 
「ええ、夫と合流出来ていないから、まだいるわ。」
 
「旦那さんというのは、確か剣士団長様の相方だったという・・・。」
 
「ええそうよ。お姉さんから聞いたの?」
 
「ええ、すごい剣の使い手だったと言う話は聞いたことがあります。海鳴りの祠で別れたけど、元気にしているといいな、なんて言っていたことがあるんです。」
 
 イノージェンがライザーさんと結婚したという話は誰から聞いたのか気になったが、まあそれはどこからでも誰からでも聞く可能性はあるだろう。今回男爵がイノージェンに会わせてくれと言い出す前までは、兄弟3人の仲は良好だったらしいので、リーザから聞いたかもしれない。
 
「ではイノージェンさん、クロービスさん、ウィローさん、またご招待申し上げたく思います。その時にはぜひお越しください。」
 
「ええ、もちろんです。今日はおいしい物をたくさんいただいて、ごちそうさまでした。またお会いしましょう。」
 
 イノージェンが礼を言った。
 
「お茶もお茶菓子も本当においしかったです。それに。」
 
 妻がいたずらっぽく片目を瞑ってテーブルの真ん中に置かれている3段になった金属の枠を指さした。
 
「こんなに楽しい物、チルダさんが考案されたなんてすごいですわ。次回はこれに載せるのにちょうど良さそうなレシピを考えてきます。」
 
「あ、それはいいわね。ねえウィロー、これ、妊婦さんのサロンで出してもいいんじゃない?」
 
「あ、それはいいわね。」
 
 目を輝かせる2人を見て、チルダさんが首をかしげた。
 
「あの、妊婦さんというのは・・・。」
 
「あ、あのね、私は島で助産婦をしているの。」
 
 イノージェンが説明した。島で助産婦をしていること、こちらに来てからは病人食のレシピを作る手伝いをしていること、そして将来的には島の妊婦さん達のために食事を作る場所を作りたいのだと言う話も。
 
「それは素晴らしいですね。ああ、わたくしもそう言うお手伝いが出来たらどんなにいいでしょう。」
 
「出来るならお手伝いをお願いしたいわ。このお茶菓子のスタンドにも名前を付けて、レシピもいろいろ考えて。これからしばらくは相続の手続きでお忙しいと思うけど、また連絡をするわ。その時には詳しい話が出来るといいわね。」
 
「はい!ぜひ! 」
 
「私からもお願いします。そう言うお話ならぜひ参加させてください。」
 
 ロゼル卿も乗り気のようだ。最後に私が招待の礼を言い、ランサル子爵家をあとにした。帰りも子爵家の馬車で王宮の前まで送ってもらった。
 
「どうする?このままオシニスさんのところに行ってみようか?」
 
 もうそろそろ夕方になるところだが、夕食にはまだ少し早い。先ほどのお茶会で食べたサンドイッチなどがまだ腹の中にある気がする。
 
「でも団長さんいらっしゃるかしら。」
 
「まず行ってみよう。いなければまたランドさんに伝言を頼んでこよう。」
 
「そうね。さっきのチルダさんの話では、明日の朝早くからガーランド家の資料を王宮に運ぶって言う作業が始まるらしいから、さっきの話はその前にして置いた方がよさそうよね。」
 
 3人で剣士団の採用カウンターに向かう。ランドさんに尋ねると、オシニスさんはしばらく前に戻ってきて、団長室の資料の中から必要な物を引っ張り出す作業を始めたらしい。
 
「行けば手伝わされると思うが、用事があるなら今のほうがいいと思うぞ。」
 
「ははは、手伝いくらいいつでもしますよ。それじゃ行ってみます。」
 
 私達は剣士団長室の扉をノックした。
 
「オシニスさん、いらっしゃいますか。」
 
 扉が開き、いささか疲れた顔のオシニスさんが顔を出した。そして私達の顔を見てにやりと笑った。
 
「やっと人手が来たな。手伝ってもらうぞ。」
 
「今ランドさんに聞きました。何でも言ってください。」
 
 団長室の中は、執務用の机、いつも話をする時に出してくるテーブル、椅子、床、とにかく置ける場所には資料が置かれ、足の踏み場もない。
 
「随分派手にぶちまけましたね。」
 
「ぶちまけたとは失礼な。これでも注意して置いていったんだぞ。数が多くてこうなっただけだ。」
 
 オシニスさんは何故か胸を張っている。
 
「そういうことにしておきましょう。少し話があって伺ったんですが、作業しながらでよければ話しますけどどうします?」
 
「それはありがたいがなんの話だ?」
 
「ランサル子爵家の件ですよ。今子爵家から戻ってきたところなんです。」
 
 私の言葉を聞いて、オシニスさんが『え!?』と驚いた。
 
「返事をするって話を午前中にしてた気がするんだが・・・もう行ってきたと言うことか?」
 
「ええ、イノージェンがチルダさんと会いますと言う返事を書いて、ロビーにいた使用人の方に渡したら、では今日の午後という話になったそうですよ。」
 
「そうなんです。急でびっくりしたけど、早いほうがいいと思ったので行きますって言ってしまったんですよね。」
 
「なるほどそういうことでしたか。うーん・・・どうするかな。」
 
 オシニスさんは部屋中に『置かれた』資料をぐるりと見渡してしばらく唸っていたが・・・。
 
「では先に話を聞かせてください。手を動かしながらだとあちこち聞き逃しそうですからね。」
 
 そう言って、人数分の椅子から載せられていた資料をどけた。どけたと言ってもその資料は床に置かれた資料の上にどさりとのせられただけだ。うっかり躓いて崩さないように注意するしかなさそうだ。
 
「座ってくれ。お茶くらい出したいところだが、資料の上にこぼすといろいろ面倒になりそうだから、すまんがこのままで話を聞かせてくれないか。」
 
「わかりました。イノージェン、まずは君から、チルダさんと話したことをオシニスさんに話してよ。捕捉した方がいいこととかあれば私達も話をするから。」
 
「ええ、そのほうがいいわね。団長さん、それでは聞いてください。」
 
「はい、お願いします。」
 
 
 イノージェンは、ランサル子爵家に招かれた時のことから順番に話していった。話の流れでロゼル卿とチルダさんのなれ初めを聞くことになってしまったことや、2人がカインに聞いた情報を元に猫の集会を見ることが出来た、などという下りでは、オシニスさんも思わず笑ったほどだ。
 
「まったく、どうしてるかなと思って様子を見に行ってみれば、ラッセル卿とチルダさんを囲んでちゃっかりお茶会をしているんだから、俺達も呆れちまったもんだよ。」
 
「ははは、ラッセル卿とチルダさんには何度か助けられましたからね。」
 
 だが話がイノージェンの存在を男爵夫人が知った話を聞いた辺りからは、オシニスさんの表情が曇る。
 
 そして最後まで聞いた時にはため息をついていた。
 
「ここまで話したことは全て、ロゼル卿もチルダさんも、団長さんとレイナック様に話しても問題ないと了承してくださっています。もう少し話をしたかったと思うんですが、ラッセル卿の奥様がいらっしゃったところで話が中断して、あとはまたの機会と言うことになってしまいました。」
 
「そうですか・・・。イノージェンさん、ここまで話してくださってありがとうございました。」
 
 オシニスさんが頭を下げた。
 
「実はさっきラッセル卿に会ってきたんですよ。そこで明日のことを伝えたんですが・・・。」
 
 
 オシニスさんは、明日からガーランド男爵家の財産目録を作るために、領地運営や事業に関する資料などを全て王宮に持ち込んで調べることになると伝えたらしい。
 
『そうですか・・・。そのほうがいいかも知れません。』
 
 ラッセル卿の声にはあきらめのようなものが感じられたという。
 
『しかしそうなると、ガーランド家の財務資料などを全て王宮に持ってくることになるんだが、それでいいのか?君が以前から手がけている事業や、男爵の管理している金関係の資料なども全てだぞ?』
 
『いいんです。実を言いますと、うちの領地運営はほとんど私達夫婦がやってるんですが、金の流れについては父を通さないとわかりません。あくまでも当主は父ですから。ずっと考えていたんです。私達の元に渡される財務資料は、領地から上がってきたものそのままなのかと。』
 
『・・・・・・・。』
 
『だからこれは全てを知ることが出来る機会です。もしも父が元気なまま家督相続が行われた場合、もしかしたら私は父が亡くなるまで金の流れについてきちんと知ることが出来ないかもしれないのです。』
 
『そうか・・・。』
 
 ラッセル卿は少し悲しげに微笑んだそうだ。
 
『ずっと長いことぎりぎりの状態でいると、どうしても心が荒んできます。妹には悪いことをしました・・・。いらいらしていたとは言え、酷い言葉ばかりぶつけてしまって・・・。』
 
 ラッセル卿としては、今回の出来事をきっかけに、ガーランド男爵家の財務状態が全て明らかになることを願っているのだという。自分と妹が町の中でリーザの仕事を見学に行っていた頃、その頃ガーランド家というのはかなり裕福で、使用人も大勢いたし着ている服も上等な物ばかり、食事は毎回食べきれないほどの豪華な食事が出ていた。なのに、自分が父親と共に領地運営に携わるようになった頃から、少しずつ陰りが見えてきた。でもその理由がどうしてもわからないらしい。
 
『財産の全貌や金の流れが明らかになるまでには、明日からしばらくかかるでしょう。その間に、私がしでかしたいろいろなことの調査も行ってください。どんなことでも包み隠さず話します。そうでもしないと、また以前のように兄弟がわだかまりなく話が出来るようになることはないような気がするんです。』
 
 
「ラッセル卿は正気に戻ったようですね。よかったです。」
 
 ほっとした。薬の影響は抜けたらしい。
 
「ああ。そう言えばその話をして病室を出たところでハインツ先生に会ったんだ。「ハーブティ」の分析結果が出たから、あとで訪ねてくれと言っていたぞ。」
 
「そうですか。でもオシニスさんは内容について教えてもらえなかったんですか?」
 
「簡単には聞いたが、病室の前だったからそんなに詳しい話は聞けなかったな。ただ、中身についてはほとんどが鎮静剤の成分だが、その他に混ぜられていたハーブと薬について、お前の意見を聞きたいと言うことらしい。」
 
「そうですか・・・。では後で行ってみます。それと、ドーンズ先生の供述書は新しいものが届いたんでしょうか。」
 
「届いているがまだ薬の話については確認しているところだ。その「ハーブティ」とやらについても何かしら言ってるかもしれないから、見つかり次第知らせるよ。」
 
「お願いします。」
 
(混ぜられていたのはハーブと薬か・・・。問題になるとしたら、その薬のほうだろうな・・・。)
 
 ハインツ先生が私に意見を聞きたいと言うことは、どう判断すべきか迷っていると言うことだろう。まったく、ドーンズ先生は碌でもないことばかりしてくれる。しかもその薬の内容によっては、ラッセル卿の継続観察をしなければならなくなるかも知れない。
 
「ラッセル卿はもう大丈夫だろう。おそらくランサル子爵夫人とちゃんと仲直りが出来ると思う。一番心配なのはリーザかも知れないと言っていたぞ。」
 
「そうですね。あとはラッセル卿の体調に異変が出ないことを祈るしかありません。」
 
「・・・出る可能性があるってことか?」
 
「可能性はあるかもしれないしないかもしれません。ハーブはともかく薬が混ぜられていたというのが気になります。内容を聞いてみないことにはなんとも言えませんね。」
 
「そうか・・・。せっかく以前のように穏やかになったんだから、あとはもう何事も起きてほしくないんだがな。ま、自分がやったことはちゃんと悪いことだという認識もあるし、何でも話すと言うことだから、あとは出来るだけ罪が軽くなるよう祈るしかないな。」
 
 減刑の嘆願が出来るならしたいところだが、前日の襲撃の指示についてはともかく、異議申し立ての場で襲われたのは私ではなくイノージェンだ。この話はもう少しはっきりしてから、もう一度状況を聞いたほうがいいと思う。今のところは黙っていよう。
 
「リーザはまだ王宮にいるんですね。」
 
「ああ、今は引継中だ。今日の夜は後継候補の女性剣士と一緒にフロリア様の護衛に入ることになっている。実家に戻るのは明日の朝だ。」
 
「ラッセル卿はリーザのほうが心配だと言っていたそうですね。」
 
「そうだ。そしてランサル子爵夫人もリーザのほうを心配しているようだな。」
 
「リーザがお母さんに対してかなり同情的だと言ってました。反発は当然あったのでしょうけど、それ以上にリーザはお母さんの気持ちを思いやっていたのだと思います。ただ、それが行きすぎているんじゃないかと思うんですよね。」
 
「そうだなあ・・・。それでも一度はイノージェンさんときちんと話をしようとして会ったわけだし、男爵に会わせようとも考えたんだから、その時に会わせて、イノージェンさんがはっきりと相続人の件を拒否していれば、こんな事態にはならなかったんじゃないかと思うよ。今更言っても仕方ないんだが。」
 
 あの時リーザは、自分とチルダさんは男爵に会わせようとしたのにラッセル卿が頑なに拒否していたと言っていたが、おそらくイノージェンの存在を肯定的に考えているチルダさんにはそこまで相談していないだろう。ただ、会わせたほうがいいかも知れないと言えば、チルダさんは反対はしなかっただろうけど。
 
 今回の話は、今日のうちにオシニスさんがレイナック殿に話をすると言うことだった。そして私達は、床にずらりと並べられた資料の整理と、その中にあるはずのガーランド家の財務資料の控えを探す手伝いをしばらくの間することになった。
 
「財務資料なんて、そんなものを私達がさわっていいんですか?」
 
「封はしてある。ここに出した資料は全部分厚い封筒の中に入ってるものばかりだ。その封筒をまとめて綴ってある。この部屋に置かれている物だけだから、封が開いていたりするものはないか、時々見ているからな。そしてその分厚い封筒の表側に名前が書いてある。財務資料を提出するのは年に一回なんだが、何か大きな変更があった場合、その都度提出しなければならない。行政局の資料にはいつ提出されたかという記録はあるんだ。それは写しをもらってきたんだが、実際の資料と突合するとなると、そう簡単な話ではないってわけさ。」
 
「なるほど、うっかり中身を見てしまう危険性がないのであれば、手伝います。」
 
 しばらく3人で、資料探しを手伝った。オシニスさんが見せてくれた資料の日付に基づいて探したが、とにかく膨大な量だ。なるほど、現物との突合が簡単ではないという意味がとてもよくわかった。
 
「ふう・・・思ったより早く見つかったな・・・。」
 
 とにかく床一面に資料が置かれているので、見つかった資料がその中に埋もれてしまわないよう、調べ終わった資料は団長室の奥にある資料室に戻していくしかなかった。それは主にオシニスさんと私が行い、妻とイノージェンは資料を探していく方を受け持ってくれた。2人が『これは見つかった方!』と言って、オシニスさんの机の上に置いていく。そして『こっちはここからここまで終わってるから!』と指示してもらい、それをオシニスさんと私が資料室に戻すと言うことを繰り返して、必要な資料は全部揃った。
 
 この資料を探していたのは、団長室に置かれているものを探すのが一番手っ取り早いことだろう。行政局の資料室となるとものすごい広さとものすごい量の資料がずらりと並んでいる。そしてその中でも古くなった物は、文書館へと運ばれる。
 
「夜中までかかるかと思いましたけど、案外早かったですね。」
 
「ああ、でもそろそろメシの時間だな。いつもなら乙夜の塔の侍女が呼びに来るんだが、今日はこの資料探しがあったから俺とじいさんは外してもらってるんだ。食堂で食うか。クロービス、何ならお礼に奢るぞ。」
 
「うーん、もしかしたらライラとイルサが待ってるかも知れないんですが・・・。」
 
「・・・・・・・。」
 
 オシニスさんはしばらく私の顔を見ていたが・・・。
 
「あの2人がいいなら、まとめて奢るぞ。」
 
「だってさ、イノージェン、ウィロー、どうする?」
 
 振り向くと2人が笑い転げていた。
 
「そ・・・それって全員に奢ってくださいって言うことと同じじゃない。・・・あははははは。」
 
 2人ともこらえきれないようにまた笑い出した。
 
 
 急いでライラとイルサを呼びに行き、6人で剣士団宿舎の食堂にやってきた。いつも日勤の剣士達が夕食をとる時間より少し遅かったらしく、食堂の中はそれほど混んでいない。団長が現れたことでぎょっとする剣士達がいるのはいつものこと、みんなでトレイを持って食事をもらいに行った。
 
「うわぁ!おいしい!」
 
 イノージェンは上機嫌だ。イルサとライラもここで食べたのは初めてらしく、おいしいおいしいと食べている。
 
「へぇ、意外だな。イルサもライラもここで食事をしたことがなかったのか。」
 
 オシニスさんはきょとんとしている。ここは王国剣士団の宿舎の中にあるので、一般人がここで食事をするには誰か王国剣士の同伴が必要になるはずだ。
 
「ああ、確かにそうだな。宿舎の中に知らない奴がうろうろしてたら問題だしな。」
 
「本当は届け出が必要なはずですよね。私がいた頃と変わっていなければですが。」
 
「そこは変わってないよ。だが知り合いなら大丈夫と言っても、よほど身元がしっかりしている奴でないと中には入れないぞ。」
 
「まあそうでしょうね。」
 
 
『気軽に友達を連れてきて見学させるとか考えるなよ。何かあったら大事なんだからな。』
 
 
 そんなことを言われた記憶がある。
 
 
 おいしい食事をいただいて、私達は東翼の宿泊所に戻ってきた。本当は宿屋に戻る予定だったのだが、異議申し立ての件やラッセル卿のことなどがいろいろと心配だったのと、まだきちんとドゥルーガー会長とハインツ先生に話をしていないので、今日までここに泊まることにしたのだ。
 
(明日はちゃんと話をして、宿に戻ろう。クリフのほうは順調なんだし・・・。)
 
 心配なのはガーランド男爵だが、ハインツ先生がついていれば大丈夫だろう。あと心配なのはリーザか・・・。でもこればかりは私達にもどうしようもない。その心配をしているのは妻も同じらしい。
 
「リーザに会いたいけど、私達が会うのはまだまずいのかしらねぇ。」
 
「異議申し立ては終わったからもう会っても問題ないだろうけど、明日の朝には実家に戻るそうだからどうだろうなあ。ガーランド家の財務資料一切合切を王宮に持ち込むことになるそうだから、まあまた戻ってくるだろうけどね。ただ、そんな資料が置かれたところに私達がのこのこ行くわけにも行かないし、果たしてリーザが歓迎してくれるかどうかってことだよね。」
 
「・・・・・・・・・。」
 
 妻はため息をついてベッドに腰掛けた。
 
「ここに泊まるのも最後だし、お風呂でのんびりして寝ようよ。気になるのは私も同じだけど、私達が首を突っ込める話じゃないと思うよ。」
 
 ことは貴族の家督相続だ。イノージェンが当事者の1人だったならなんとかして立ち会わせてもらおうと考えたかもしれないが、私達のその役目は異議申し立ての場で終わっている。
 
「そうね・・・。お風呂に行きましょうか。」
 
 ガーランド家の家督相続は、あの家の問題だ。私達に出来るのは、ラッセル卿がオシニスさんに話していたように、また3人兄弟が以前のように仲良く交流出来るようになるよう、祈ることくらいだ・・・。
 
 
 翌日、私は朝のうちに医師会を訪ね、今日から宿に戻ることにしたと伝えた。クリフの経過は順調そのもので、何の問題もないという話も聞けた。そして私が最初に医師会に関わるきっかけとなったアスランの怪我だが、そちらもリハビリは順調だと言うことだった。この話は前日にオシニスさんから話を聞いているので知ってはいたが、ドゥルーガー会長の口から話が聞けてよかった。
 
「ゴードの話では、今が一番大事だと言うことだった。もう少し地道にリハビリを進めていけば、剣を振ることも出来るようになるだろうと。王国剣士としてはそこからが出発点になるのだろうがな。」
 
「そうですね。でも今まで頑張ってきたのなら、きっと大丈夫だと思います。」
 
「そうだな。彼は若い。まだまだこれからの可能性がある。ではクロービス殿、本日から宿に戻られることは承知したが、またいつでも医師会を訪ねてくれぬか。」
 
「はい。そう言えばハインツ先生がガーランド家のラッセル卿が飲んでいた「ハーブティ」の分析を終えられたようですので、今日はこれからその話を聞きに行こうと思います。」
 
「おお、あの「ハーブティ」か。ハインツが頭を抱えておったぞ。クロービス殿、アキジオンという植物は無論知っておるだろう。」
 
「ええ、知っていますが、最近発見された植物ですよね。咳止めなどの薬効は確認されていますが、薬草と言うにはまだまだこれから研究していかなければならないものですが・・・。」
 
「そのアキジオンが、その「ハーブティ」の中に入っていたらしい。」
 
「え!?」
 
 アキジオンと言う植物が新種として発表されたのは2年ほど前だ。名前の由来は、花の形状がシオンという花に似ていることと、秋に咲く花であると言うことから来ている。春にもシオンという花が咲くが、そちらはハルジオンと呼ばれていて、古くから知られている植物だ。ハルジオンのほうはむくみをとる、糖尿病の改善などの薬効があり、食用にもなるすぐれた植物だが、見た目はよく似ていても、アキジオンの方はわからないことがまだまだ多い。少量なら咳止めにはなるが、多すぎると気道を狭めることがある。
 
(以前はハルジオンの狂い咲きだと思われていたしなあ・・・。)
 
 発見したのは植物学者だ。ハルジオンの狂い咲きだと思っていたが、どうもよく見ると花の形や葉っぱの形が微妙に違う。そこで、医師会に薬効成分について調べてくれと持ち込んだところ、なんとハルジオンとは全く違う分析結果が出た。まず食用にはならない。むくみを取るなどの成分は入っていない。これは新種かと、そこから研究が始まった。北の島は寒いが、人里ならシオンの花は咲く。うちの集落は島の中でも比較的暖かいのでハルジオンのほうは栽培をしている。だがアキジオンについては、ライザーさんに頼んで庭の隅で育てている程度だ。そしてきちんと囲いをして、ライザーさんとイノージェン以外の人が、たとえば子供などが摘んでしまったりしないように気をつけている。収穫出来たアキジオンは、私とブロムおじさんで研究に使用している。だがそれでもまだまだわからないことが多く、毒とも薬とも判断出来ない状態だ。
 
 
 私は会長室を出て、クリフの病室にやってきた。ちょうど家族が面会に来ていたらしく、サラさんとエリクに久しぶりに会った。2人に何度も頭を下げられ、いささか居心地の悪い思いもしたが、クリフの回復が順調なことは確かだ。執刀医として私は胸を張っていなければならない。
 
「クロービス先生、少しいいですか?」
 
 ハインツ先生に声をかけられ、2人でハインツ先生の部屋にやってきた。今日は助手達がいない。
 
「祭りで休みを取っているんですよ。いろいろあってなかなか休みの許可を出してやれませんでしたからね。そしたら全員で休まれてしまいました。」
 
 ハインツ先生が苦笑した。一度許可を出したのにやっぱりダメだとは言えないので、今日は一日何でも自分でやらなければならないと覚悟したらしい。
 
「ドゥルーガー会長から少し伺いました。まだ安全かどうかはっきりしない植物が使われていたようですね。」
 
「そうなんですよ。これをご覧ください。」
 
 ハインツ先生が差し出したのは、あの「ハーブティ」の成分分析表だ。一番多いのはあの鎮静剤だが、そのあとにアキジオンの名前がある。そしてあと2つほど違う植物が混ざっているが、それは至って無難なハーブだ。香りと味を調える目的なのかもしれない。
 
「しかしまた妙なものを・・・。」
 
 そうとしか言いようがない。
 
「全くです。鎮静剤をこれだけ高濃度で配合してあるなら、他に薬物など混ぜたらどんな副作用が出るかわかったものじゃないというのに、よりによって未だ正体がわからないような物を入れるなんて・・・。」
 
 ハインツ先生は呆れているようだ。ドーンズ先生はいったい何を考えてこの植物を「ハーブティ」に混ぜたりしたのだろう・・・。
 
「咳止めの効能だって少量ならばと言う制限がつきます。配合割合がかなり少なめではあるものの、ラッセル卿はお茶だと思って飲んでいましたから、結果としてけっこうな量のアキジオンを摂取していることになりますね。」
 
「そうなんですよ・・・。これは出来ればご家族の方にきちんと説明して、しばらく通院していただくのがいいんですが・・・剣士団長殿から少し伺いましたが、明日からガーランド男爵家の家督相続手続きが始まるそうですね。ラッセル卿もご自宅に一度帰られるという話でしたので、明日の朝退院することになりましたよ。」
 
「そうですか・・・。オシニスさんにはその話は?」
 
「分析結果の件でクロービス先生にお会いしたいという言伝をした時に少し話しました。ただラッセル卿のご家族がいらっしゃらなくて、話が出来ないというのが現状なんです。」
 
 リンガー夫人は今日はガーランド家に戻っているのだろう。そしてランサル子爵夫妻も今日のうちにガーランド家に行くはずだ。明日の朝はラッセル卿もリーザもガーランド家に戻り、相続人が全員揃ったところで相続のための資料を王宮に持ち出すことになるのか・・・。
 
(体のいい家宅捜索だよな・・・。)
 
 つまりはガーランド男爵家の不透明な財務状態を、王宮で全て調べて明らかにすると言うことだ。ガーランド男爵はイノージェンを相続人に加えるために一芝居打った。その結果として自分が隠居することは覚悟していただろうが、行政局がこういう手段に出ると考えなかったのだろうか。ラッセル卿は受け入れているようだが、まるで不正をしたかのような扱いについて、本当に納得しているのだろうか。
 
(まあ・・・男爵については不正をしていたと思われる節があるからなあ・・・。)
 
 ラッセル卿がどこまで気づいているかはわからないが。
 
 ラッセル卿のチルダさんに対する感情は、どうやら家を守るために犠牲になってもらおうという、いささか虫のいい考えだが、彼は正気を取り戻し、これから先は彼本来の冷静さと穏やかさで家を切り盛りしていくだろう。そして異議申し立ての場で自分が何をしたか、その前日に私兵を使って何をしようとしたか、全ての罪をきちんと償う覚悟が出来ているようだ。だがリーザとチルダさんのほうにはまだ問題が残っている。イノージェンとその母さんを恨みながら亡くなった母親に同情したリーザと、父親の昔の恋人に対して冷静になるよう呼びかけたチルダさんの間に生まれた確執は、消えたとは言いがたい。
 
(同情しているというか・・・囚われている感じはするな・・・。)
 
 母親の気持ちと自分の気持ちを混同してしまっているようなところは、あるかも知れない・・・。それに囚われて、またチルダさんに酷いことを言ったりしないといいのだが・・・。
 
(ラッセル卿はもう大丈夫だろうから、彼がかばってくれるかな・・。)
 
 リーザが家に戻るのは、相続人だからと言うのはもちろんだが、何とか家を建て直したいと考えているからだろう。もちろんラッセル卿もチルダさんもそれは同じはずだ。だが・・・男爵本人がおそらく隠していた金の流れが全て明らかになった時、3人はどうするのだろう。
 
 ラッセル卿とチルダさんは、何とか冷静に受け止めることが出来るような気がする。でもリーザは・・・。
 
 母親の実家からお金が送られていたこと、そしてそれをあろうことか父親がイノージェンを相続人に加えるための工作の報酬として、ドーンズ先生に渡していたことが知られたら・・・。
 
(いや、そうなると男爵本人が夫人の実家から訴えられる可能性があるか・・・。)
 
 伯爵家からガーランド家に渡されていたお金は、別に隠し金ではなく合法な金銭の授受だ。嫁いだ娘の生活費の足しにとお金を送り続ける実家というものはたくさんあると言う話を聞いたことがある。ただ、そのお金が夫人ではなく男爵の手元に届いていたことがいささか解せない。その他にも領地からの財務資料を改竄してかなりのお金を抜き取り、ドーンズ先生に支払うための財源にしていたと言うこともある。
 
 こんな事実が明るみに出たら・・・。リーザは耐えられるのだろうか。ハディはそばで助言をしてくれるだろうけど、今のリーザにハディの声が届くかどうかはわからない。
 
 
「となると、ラッセル卿に会えるよう、剣士団長に話を通しておいたほうがいいですね。」
 
 リーザのことは今考えても仕方ない。まずはラッセル卿のことだ。薬の詳しい内容と合わせて、ハインツ先生が説明をしてくれるのが一番いい。
 
「ええ、せっかく王宮に夫人と一緒にいらっしゃるなら、話を聞いていただくいい機会です。しばらくは毎日いらっしゃるようですから、今日のうちに話をして、そのあとは一日一度は時間を作って医師会の診療所に来ていただくことに出来ればいいんですが・・・。」
 
「まずは解毒を考えなければなりませんね。まあもちん穏便な方でいいでしょうけど。」
 
 穏便な方とは解毒出来る薬湯を服用することだ。穏便でない方というのは、先日ラッセル卿の解毒をしたときのように、無理矢理水を飲ませて口の中に指を突っ込んで吐かせる方法だが、今はもうそれでは意味がない。
 
「そうですねぇ。体の中にたまっていると思われる毒を排出する薬は私の方でも考えておきます。団長殿への話はお願い出来ますか。」
 
「わかりました。今日は朝から執政館へ行くという話でしたので、ラッセル卿に話をしてもらえるよう、受付のランドさんに話しておきますよ。」
 
 今日からガーランド男爵家の家督相続のための、財産目録を作る作業が始まる。昨日見つかった資料はオシニスさんが執政館まで運ぶと言っていた。ガーランド家の財務資料を並べるために、面談用に区切られた行政局の一角を借りることになっているらしいのだが、あまり人の目に触れないよう、執政館の奥にある通路から運び込むらしい。そして今日、この時間ならガーランド家にはもう行政局の職員が行って財務資料を運び出しているところだろう。
 
 私は医師会を出た。剣士団の採用カウンターに向かうと、ランドさんがいない。代わりに若い剣士が居心地悪そうに座っている。声をかけると、どうやら行政局での作業の準備のために、駆り出されているらしい。私はロビーで待たせてもらえるよう頼み、ロビーの隅にあるテーブルの椅子に座った。ランドさんでもオシニスさんでも、どちらか先に来た方に頼んでおけば話は届くだろう。
 
「コーヒーはいかがですか?」
 
 声に顔を上げると、若い女性剣士がコーヒーポットとカップを持って立っていた。
 
「ありがとう。気を使わせてしまってすまないね。」
 
「いえいえ、先生はカインのお父様なんですよね。私は同期なんです。」
 
 その女性剣士はラミリアと名乗った。アスランのことで心を痛めていたが、彼がまた元のように王国剣士として復帰出来る可能性が出てきたことで、喜んでいるという話だ。今日は非番なので、ロビーに置かれているコーヒーとお茶の当番らしい。淹れてもらったコーヒーはうまい。無論セーラズカフェのコーヒーとは違うが、これはなかなかの腕前ではないだろうか。
 
 
「ラミリア〜。終わった?」
 
 宿舎のほうから女性剣士が降りてきてラミリアに声をかけた。ラミリアが私のことを説明して、フラッセと言うその女性剣士からも挨拶された。これから2人で買い物に行くのだという。
 
 コーヒーを飲みながら待っていると、今度はロビーからの階段のほうから『はぁ・・・まずは一休みするか・・・。』と、実に疲れた声が聞こえた。オシニスさんが戻ってきたらしい。採用カウンターの前で話し声がしたあと、ロビーにオシニスさんが顔を出した。
 
「おう、どうした?」
 
「待っていたんですよ。少しお話がありまして。おいしいコーヒーをいただきながらでしたので、苦にはなりませんでしたけどね。」
 
「へぇ、俺も飲んでみるか。今日の当番は誰なんだろうな。」
 
「ラミリアという女性剣士でしたよ。カインの同期だそうで、少し話しました。今は買い物に出掛けたようですけど。」
 
「お、うまいな。前にリースが淹れたのもうまかったが、ラミリアも適性ありか。」
 
 オシニスさんは独り言をつぶやきつつ、うまそうにコーヒーを飲んだ。
 
「さてと、それじゃ部屋に戻るから話はそこで聞かせてくれ。」
 
「わかりました。」
 
 
 剣士団長室に戻り、ラッセル卿の薬の件と、家族への説明について話した。
 
「ドーンズは何だってまたそんな変なものを使おうとしたんだ・・・。」
 
「こちらでもそれを知りたいですよ。牢獄から新しい供述書が届いたら出来るだけ早く薬関連の供述について教えてください。」
 
「わかった。ガーランド男爵家の相続人はまだ家にいる。リーザとラッセル卿が朝早く家に戻ったはずだから、行政局の職員が持ち出す資料と一緒に、こちらに来るだろう。昨日の話ではリンガー夫人は家に戻ったようだし、ランサル子爵夫妻も行っているようだから、全部で5人だな。来たら話をするよ。」
 
「お願いします。ハディは今回の話には加われないんですか?」
 
「うーん・・・本人は希望していたようなんだが、奴はまだガーランド家とは他人だからなあ。立会人になるという手もあるが、立会人はもう俺がいるし、何人もというのは混乱を招くから、行政局の方ではいい顔をしていないんだ。何より、リーザが望んでいないらしいぞ。」
 
「リーザが?」
 
「ああ・・・異議申し立てのあとはハディがずっとリーザについていたし、リーザもハディを頼っていたようだったんだがな。何だかリーザがおかしいと、ハディも心配している。フロリア様もリーザの『気』が澱んでいると心配されていたよ・・・。」
 
「ウィローも心配しています。でも私達が首を突っ込める話ではないですから、無事に家督相続が終わることを祈るしかないんですが、ラッセル卿のこともありますし、すんなりとはいかなそうですね。」
 
「そうだなあ。財産目録の作成は行政局でやるが、こっちはこっちでラッセル卿の取り調べをしなくちゃならん。その内容によっては、前に言ったような、最悪の事態になる可能性もあるんだ。全く頭が痛いよ・・・。」
 
 オシニスさんがため息をついた。
 
「でもお前達にはいろいろと協力してもらったし、じいさんとノイマン局長に許可をもらって、流せる情報は流すよ。それとさっきのラッセル卿の話だけどな、今ランドが行政局の部屋で王宮にある資料の整理を手伝っているんだ。あとで俺が交代することになってるんだが、その頃にはガーランド男爵家の相続人も顔を揃えるだろう。その時に話すよ。ハインツ先生のところに行けばいいんだな?」
 
「ええ、外来で声をかけてもらえれば、呼びに来るように話が通ってますから。」
 
 ラッセル卿夫妻に、必ず医師会に顔を出してもらえるよう念を押して、私は剣士団長室を出た。リーザのことは心配だが、これ以上出来ることは何もない。ただハディをも拒絶しているようなのが気になる。
 
「少なくとも・・・異議申し立ての日までは普通だったんだから・・・。」
 
 何かあったとすれば、そのあとか・・・。
 
『もう・・・ダメかもしない・・・。今度こそ取りつぶされてしまうかも・・・。』
 
 リーザは父親と弟に絶望したのだろうか。父親はイノージェンを相続人に加えるために、とんでもない大芝居を打とうとした。しかも協力者であるドーンズ先生に報酬を払うために、長い間男爵夫人の実家から送られて来る援助金を着服していた節がある。ただしそれはまだリーザが知らないことだ。そこまで知ってしまったら、リーザは、いや、リーザだけでなく、子供達は全員父親を軽蔑するかも知れない。
 
 そしてラッセル卿は、薬のせいもあるとは言え、イノージェンを暗殺しようと企んでいた。別な私兵にも見張らせて、『ガーランド家を乗っ取られる前に殺せ』と指示していたと思われる。そしてラッセル卿本人も、異議申し立ての場でイノージェンに暴力を振るおうとした。首を絞めようとしたと言うことは、あの時点ではラッセル卿はイノージェンに明確な殺意をもっていたことになる。
 
 こんな事態になれば、リーザが『自分が家を守らなければ』と考えることは十分考えられる。父親と弟、ガーランド男爵家の男性2人に絶望したら、リーザは余計に母親の気持ちを思いやり、それに囚われてしまうかも知れない。
 
 男爵の病室では、自分が家を継ぐ気はないと言ってはいたが・・・。今のリーザは冷静ではないと思う。フロリア様もリーザの『気』が澱んでいると言っていたくらいだから、かなり精神的に参ってると思っていい。でも今ハディを遠ざけるのは、間違っている。
 
 そのことにリーザが気づいてくれればいいのだけれど・・・。
 

第107章へ続く

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