さてどうしたものかと考えた。まずはそのハディに会ってみたほうがいいのかもしれない。私は訓練場に足を向けた。中からは威勢のいいかけ声が聞こえてくる。
「もっと相手の懐に潜り込め!」
「相方を頼らず自分の身は自分で守れ!」
「馬鹿野郎!自分の立ち位置をもっと見極めろ!」
たくさんの王国剣士達が訓練をしている中で、ハディが見回りながら声をかけている。昔は訓練担当の剣士などいなかったから、こんな風に声をかけてくれる誰かがいるというのは心強いものだ。
(武器ごとに師範代の制度なんかもあったけど、結局剣士団再建の時にそう言った制度をいったん全てなしにしようって話になってたもんなあ・・・。)
剣士団の再建が決まったのは私がまだこちらにいるうちだったのだが、それ以前から師範代の制度については疑問視されていた。訓練を専門に請け負うわけでもなし、肩書きだけで意味がないと言う声はずっと前から聞こえてきていた。
『全く・・・ユノのほうが俺より強いってのに、なんで俺が師範代なんだか、こんな制度なら意味がないよな。』
そんな話をしていたのは、グラディスさんだった。
『でも誰もいないってわけにもいかないじゃないですか。それに、ユノが副団長より強いというわけではないと思いますよ。立合をすれば必ずユノが勝つってわけではないんですし。』
そう答えたのは誰だっただろうか。
『まあそれはそうなんだがなあ。まあ強さはともかく、師範代なんぞいなくたって誰も困りゃしないじゃないか。別に資格が必要なわけじゃなし、訓練を請け負ったり試験を担当するってわけでもない。』
グラディスさんのまわりにいた古株の剣士達は、みんなうなずいていたっけ・・・。
「ハディ。」
遠い日の思い出を頭から追い出して、私はハディに声をかけた。
「おお、クロービスか。どうした?」
ハディが振り向き、ついさっきまでの厳つい表情から笑顔に変わった。
「忙しそうだね。」
「そうでもないさ。訓練はそれぞれの剣士が自主的にやってるものだしな。俺はたまに間を歩いて、声をかけるだけさ。あ、ちょっと待ってくれ。」
ハディが訓練場の隅で訓練している剣士のところに歩いて行った。何か話していたが、その剣士が壁際のベンチに腰を下ろしたところで、また戻ってきた。
「あいつは入ったばかりなんだ。まだ相方がいないから、ここで訓練しているんだよ。」
「相手をしていたのは先輩なんだね。」
「ああ、その辺りは昔と変わらないよ。ここに来れば、誰でも相手してくれる。ただ奴はどうも頑張りすぎの傾向があるんだ。ぶっ倒れる前にペース配分を教えてるのさ。」
ペース配分はいつだって大事だ。実戦でも訓練でも。
「うん、ペース配分は大事だ。」
私がしみじみと言ったので、ハディが笑い出してしまった。
「お前が言うと説得力があるな。」
「痛い目に遭ったからね。」
「ははは、ところで、俺に何か用事だったのか?」
「ここでは何だから、話が出来る場所に行かない?」
「そうだな。俺も休憩するか。」
訓練場から剣士団のロビーに戻ってきた。
「あれ、人があまりいないね。」
さっきオシニスさんを待っていた時には、もう少しここで談笑する剣士達がいたものだが。
「そろそろお茶の時間だから、食堂のほうに行ってるのかもな。」
「ああそうか。でも人がいない方がいいな。少し話を聞いてよ。」
「・・・ああ。」
ハディは私の話がなんなのか、何となくわかったようだ。
「リーザのことだな。」
「そうだよ。今頃はもう行政局に相続人全員が集まって、目録作りが始まってるらしいね。私達は異議申し立ての裁定が下った時点でガーランド男爵家の相続については全く関わりがなくなったからね。でもリーザの話はさっきチラッとオシニスさんに聞いたんだけど、何というか、大分頑なになっているみたいだから、君なら何か知ってるかなと思ったんだよ。ウィローも心配しているけど、異議申し立ての時にイノージェンの付添人だった私達に、リーザが心を開いてくれるのかがなんとも言えないからね。」
ハディはしばらく考えていたが・・・。
「まあその考えは当たってるな。今のリーザは誰の言葉も聞こうとしない。もしかしたらあいつは、王国剣士を辞めてガーランド男爵家を継ぐ気なんじゃないかと思うくらいだよ。」
「でも独身じゃ継げないじゃないか。」
「絶対にダメってわけじゃないよ。グレンフォード伯爵家の例もあるしな。」
「そう言えばあの伯爵は独身だったね。ウィローに結婚の申し込みをしていたから憶えてるよ。」
「そしてセルーネさんが家督を継ぐことになった時には、ベルスタイン家にも結婚の申し込みを出してるんだぜ?」
「え?」
すっかり驚いてしまった。手当たり次第じゃないか。
「ま、セルーネさんとしても、ウィローに結婚の申し込みをしていたことは知ってるし、いくら何でもあの男となんて結婚したくないと言って、一番最初に断りの手紙を出したらしいけどな。」
「よくそんな話知ってるね。」
「グレンフォード伯爵ってのは演劇学校に出資してるだろ?ベルスタイン公爵家にも出資の話が前から来ていたらしいんだよな。でもセルーネさんとしては、1回限りの寄付ならともかく出資となると慎重にならざるを得ない。それでその話は延び延びになっているみたいなんだ。だから目的はセルーネさんとの結婚と言うより、顔つなぎをしておいて公爵家から金を引き出すことだったんじゃないかって、セルーネさんがいつだったか忌々しそうに言っていたことがあったのさ。」
「なるほどね。でもあの伯爵はどうして独身で爵位を継いだんだろう。」
「俺もよくは知らないが、婚約者に逃げられたとか言う話が最有力だな。あの家が断絶しても、サイラス子爵家ってのが先代伯爵の弟が作った子爵家らしいから、血が絶えなければいいってことなのかもな。まあそんなわけで、独身でも爵位は継げる。ただそのあとがないってだけさ。だがガーランド男爵家の場合、既に家督相続出来る息子がいる。子供もいて、実際に領地運営をずっと担ってきたのがラッセル・ガーランド夫妻なわけだ。その夫妻を押しのけてあとを継ぐには、それなりの理由が必要になる。」
「ラッセル卿のやったことは聞いた?」
ハディは残念そうに首を振って、ため息をついた。
「ああ、聞いたよ。だがそれはまだ取り調べの最中だ。それなのにリーザが家督を継ぐ気でいるとしたら、何で急にって思うんだよな。」
私はガーランド男爵の病室での、リーザとラッセル卿の会話を話した。
「・・・多分その時はリーザだって家を継ぐ気はなかっただろうな。それに、口では取りつぶしになるとか言っていても、本当にそうなるとは思っていなかっただろう。親父さんが今回の件で罪に問われたとしても、弟夫婦がいるんだからってな。その時の話は多分、ラッセルに対するリーザの脅しだろうな。勝手なことをするなって言う。」
ハディはリーザのことを本当によくわかってる。やっぱりハディに話を聞きに来てよかった。
「まあ・・・何事もなかったら、確かに男爵が罪に問われて強制的に隠居させられたとしても、ラッセル卿があとを継いで男爵になるって言うだけの話だしね。」
ガーランド男爵としても、跡継ぎがいるからこそあんなとんでもない大芝居を打てたんだろう。ドーンズ先生があの「ハーブティ」をラッセル卿に渡したことは知っていたのか知らなかったのか・・・。
(もっとも用法用量をきちんと守っていたなら、あんなことにはならなかっただろうしな・・・。)
「そうなんだ。ところが今回の一件で、ラッセルが時期男爵として不適格じゃないかって言われる可能性が出てきた。その話をしていた時に、リーザが妙なことを言ったんだよな。」
「妙なこと?」
「ああ・・・『あんな男の好きにはさせない。私が守るわ』ってな。」
「・・・・・・・・・。」
「何というか・・・まるでお袋さんに対して言ってるみたいに見えたよ・・・。」
その後聞き返しても、何も言ってないとしか言わなかったらしい。
「お母さんとはわかり合えないままだったらしいけど、やっぱり親子の情って言うのはあるのかな・・・。」
「その辺りがよくわからないんだよ。昔から、口を開けばお袋さんを批判する言葉しか言わなかったのに、イノージェンさんと話し合いをした時に、お袋さんが男爵に愛されなかった理由を必死で探すような、あんなことを言ったのは、俺としては驚いたんだ。」
「私もこの間は驚いたよ。昔はお母さんのことをよく言っていたことなんてなかったからね。」
「そうなんだよな。朝から晩まで、誰に対しても自分の夫とその昔の恋人親子に対する悪口雑言を並べ立てていたみたいだ。使用人に対しても同じだったらしい。お袋さんの毒気に当てられて、辞めていった使用人も多いんだよ。」
「何だか呪いみたいだな・・・。」
長い時間をかけて、男爵夫人が家族に、使用人にまでかけた呪い・・・。何があっても元恋人とその娘のことばかりで自分達を蔑ろにする夫に、自分の死後一矢報いるつもりでかけた呪いのようだ・・・。リーザはその呪いに絡め取られてしまったのだろうか・・・。
「さっきリーザが誰の言葉も聞こうとしないって言ったけど、それは君も含めてってこと?」
ハディが渋い顔でうなずいた。
「異議申し立ての日はまだ俺といろいろ話をしていたんだが、次の日からは俺と目を合わせなくなった。で、さっき言った妙なことに繋がるのさ。それ以来俺と顔も合わせようとしなくなったよ。」
「そうか・・・。君に聞けば何かしらいい話が聞けるかなと思ったけど、かえって心配になったなあ・・・。」
「なんて言うかなあ、自分で自分を追い込んでいるというか、自分に暗示をかけちまっているのかもな。」
「・・・その妙な話についてはそんな感じがするね。ただ、ことは家督相続だし、ラッセル卿が何かしらの罪を問われるとしても、いきなりリーザが家督を継ぎますと言って認めてもらえるかって問題もあるよね。」
「もしもリーザがそんなことを言い出したとしても、多分すんなりとはいかないだろうな。いや、認められない公算のほうが大きいと思うぞ。」
「リーザがガーランド男爵家の嫡子でも?」
「嫡子だからさ。そもそもあいつは入団する時に、家督相続を放棄しますっていう誓約書を書いてるんだぜ。」
「・・・そうなの?」
「ああ・・・。貴族の嫡子が家を継がずに王国剣士団に入るってのは、なかなか難しいらしいよ。セルーネさんみたいに2番目以降で、もう家督相続者が決まっている場合は問題にならないんだがな。嫡子の場合はいずれ家督を継ぐために辞めるのか、家督相続は放棄して王国剣士としてやっていくか、誓約書を出さなくちゃならないんだ。」
「そんな話初めて聞いたよ。」
「俺もだ。あいつが入団してきた時は、そんな話一言もしてなかったし、第一貴族の嫡子が王国剣士団に入るなんて滅多にないからな。多分パーシバルさんは知っていたはずだし、ガウディさんもオシニスさんも、当然ランドさんも知ってるんだろうけど、俺達みたいに採用に関わらない剣士は多分みんな知らないと思う。」
「でもそういうのがあるって言うのは納得出来るね。最初から何年くらいで辞めますと言う人と、ずっとここで仕事をしますって言う人では、まわりの期待度も違うよね。」
「そうだよなあ。リーザは2度とガーランド男爵家の門をくぐらない位の決意でここに来たって話だから、当然ながら家は継がず王国剣士としてやっていきますという誓約書を書いたらしい。」
「だったら確かに今になってあとを継ぎますなんて言っても、認められない可能性はあるよね。領地運営と掛け持ちで出来るほど生やさしい仕事ではないし。」
領地の規模の大小はあれ、セルーネさんほどの人でも『掛け持ち出来るかと頑張ったが甘かった』と言っていたほどだ。
「何と言ってもこの国で一番大事なお方の護衛だからな。ただその護衛も今は若手に引継を始めたところだし、奴はそれでお役御免にしてもらうつもりでいるのかもな。」
「でもそれって君との結婚が理由だったはずだよね。」
ハディは私に向かって大げさに肩をすくめて見せた。
「引継の話が出た時は、あいつもそのつもりだっただろうがなあ。」
「君と結婚して男爵家のあとを継ぐつもりだとか?」
「そんなことを考えているなら、当事者の1人である俺に何も言わないってのはおかしいじゃないか。」
「それもそうか・・・。」
ハディが大きなため息をついた。今のは特別大きかったが、話し始めた時からハディはずっとため息のつき通しだ。どちらかというと、ため息の合間にしゃべってるというのが正しいかも知れない。
「ま、リーザが正気なら、そんなことを言い出すとは思えないけどな。一度放棄した相続権を、簡単に取り戻せるはずがないからな。それこそレイナック殿辺りの怒りを買っちまいそうだよ。」
「レイナック殿は怒るだろうなあ。でもリーザのほうも、正気かどうかも疑わしいんじゃない?」
ハディの顔がこわばる。
「嫌なこと言うなよ・・・。」
「君と話しもしないってのがね、病気とまでは行かなくても、正気を疑うには十分な理由だよ。」
一番頼れる人物を遠ざけるなんて、普通じゃないのは確かだ。
「でもここでこんな話をしていても、実際のところどうなのかってのは、やっぱり聞いてみないとわからないよな。」
「聞いてみるとなると、誰に聞くかってことだよね。多分オシニスさんなら知ってるんじゃないかな。」
「・・・また手強い相手だな・・・。」
少なくとも、オシニスさんは仕事上で知り得たことをそう簡単に誰かに話したりはしない。どうしてもと言う必要があるならば別だが。
「誰が手強いって?」
いきなり聞こえた声に、ハディが椅子に座ったまま飛び上がりそうなほど驚いた。いや、実際に椅子から少し体が浮いたような気がする。
「聞こえてましたか。」
「ああ、俺が手強いってところからな。」
とぼけようとしたがどうやらそれは無理そうだ。
「ハディ、訓練場のほうはどうだ?」
「今日はそんなにたくさん人がいるわけではないんで、いる連中に任せてきました。今のところ、やたらとんがっている奴はいないですからね。」
「そうだな。そんなに見張っているほど心配な奴はいないか・・・。」
「この間入った新人の頑張りすぎが心配な程度ですね。」
「ああ、あいつか。ま、1回や2回はぶっ倒れないと、なかなか理解出来ないもんだからな。それじゃちょっと俺の部屋に来てくれないか。クロービス、お前もだ。」
「私もですか・・・。」
「ああ、ちょいと困った事態が起きてな。」
何なのかわからないが、オシニスさんは本当に困った顔をしている。私達は剣士団長室に入った。
「椅子は適当に出して座ってくれ。」
オシニスさんはそう言いながら例によってお茶を淹れ始めた。
「あ、おいしいですね。」
以前より格段においしくなっている。
「ふふん、頑張ったからな。さてと、それじゃちょっと話を聞いてくれないか。」
「話ってのはガーランド男爵家に関することですか?」
ハディが尋ねた。
「そうだ。今になって妙な話が舞い込んできてな。」
「妙な話?」
「ああ、妙な話さ。」
「ではオシニスさん、その話を聞く前に、今朝私がお願いした話はしてくれましたか?」
「あ、そうだそうだ。ちゃんと話したぞ。で、取り調べについては今日は初日だし、証拠隠滅の恐れもないと言うことになったので、先に行ってもらった。すぐに戻ってきたんだが、ドーンズ先生のことは信用していたのにこんなことをされるなんてって、奥方が怒ってたよ。」
「すぐに戻ってきたんですか?」
「ああ、ハインツ先生にいくつか質問されたみたいだが、すぐに取り調べの部屋に行っちまったから話は聞けなかったよ。もしも何かあればハインツ先生からお前に話が来るんじゃないか?」
「そうですね・・・。話の腰を折ってすみません。さっきの続きをお願いします。」
「いや、頼まれごとなんだから俺のほうから言うべきだったよな。それじゃ続きを聞いてくれ。」
そう言ってオシニスさんが話してくれたのは、なるほど確かに妙な話だった。
今日からガーランド男爵家の財産目録を作るべく、財務資料の一切を王宮に持ち込んでいる。そこにはリーザとラッセル卿夫妻、ランサル子爵夫妻が顔を揃えている。行政局の職員は手際よく資料を見ながら分類し、計算し、この調子で行けば、早ければ明後日までにはガーランド男爵家の財産の全貌がわかるだろう。ただ、金の流れも追いかけなければならないので、その辺りで少し時間がかかるかも知れないそうだ。その間にラッセル卿については取り調べがある。オシニスさんとしては、まずはラッセル卿の異議申し立てでの暴挙について調査するという名目で別室に移動してもらおうとしたらしいのだが、ラッセル卿本人が、自分が何をしたか、リーザにもリンガー夫人にも、そして妹夫妻であるランサル子爵夫妻にも話してくれてかまわないと言い出したのだそうだ。そこでオシニスさんが、前日の私兵によるイノージェン暗殺の嫌疑、翌日の別な私兵によるイノージェンへの執拗な監視についても全員の前で話した。話を知っているはずのリーザはその話を聞く前から青ざめていたが、リンガー夫人とチルダさんは卒倒しそうなほどに衝撃を受けたらしい。
『姉上、リンガー、チルダ、ロゼル卿、私はとんでもないことをした。許されることではないが、まずは剣士団の取り調べに行ってこなければならない。チルダ、今まで辛く当たってすまなかった。リンガー、君にも酷いことをした。すまなかった。ちゃんとした謝罪は後日改めてさせてくれ。では行ってくるよ。』
そのまま部屋を出ようとするラッセル卿に、リンガー夫人が泣きながら抱きつき、喧嘩した時のことを詫びていたそうだ。
「それでまあ・・・ラッセル卿には別室に移動してもらって、イノージェンさんへの襲撃未遂の時に担当したコンビに取り調べを任せることになったんだが・・・。」
ラッセル卿が部屋を出たあと、リーザがオシニスさんに『ちょっとした相談』があると言ったので、部屋に残った家族に聞こえない場所まで移動して、オシニスさんは話を聞くことにした。
『私が家を継ぐことは出来ませんか。』
オシニスさんは、ある程度その言葉を予想していたらしい。だがこの話にハディと私は驚いた。まさか本当にそんなことを言い出していたなんて・・・。
「嘘だろおい!リーザの奴本当におかしくなっちまったのか・・・。」
ハディが頭を抱えてしまった。
「だがお前らだって奴がそんなことを言い出すかもしれないと、ある程度の予測はついていたんじゃないか?」
ハディはまたまた大きなため息をついた。
「最近のあいつの動向を考えると、そんなことを考えているんじゃないか、なんて話を、さっきクロービスと話していたところですよ・・・。でもまさか本当に・・・。」
ハディは呆然としている。
「でもオシニスさん、リーザが継ぐと言っても、そう簡単な話じゃないですよね。」
「もちろんそうだ。クロービス、お前貴族の子弟が剣士団に入る時の手続きは知ってたか?」
「さっきハディに聞きました。全然知りませんでしたよ、そんな話。」
「まあそうだろうな。今だってちゃんと知っているのは俺とハリー、相方のキャラハン、採用担当のランド、それに入団して10年以上になる剣士達の中でも、リックとエルガートのように俺の後継候補になっているような連中くらいだ。もっとも別に秘匿事項ってわけではないから、貴族の子弟が入団した時に、そんな話が出ることもあるだろう。だがそもそも貴族の子弟が剣士団に入るなんてことは滅多にないんだ。あったとしても家督相続には関わらない2番目3番目の子弟ばかりだしな。セルーネさんだって、3番目の娘だったから特に問題にならなかった。だがこれが嫡子となるとそうはいかん。入団時の誓約書というのは、形式上のものってわけじゃない。そこにサインをすればその人物は剣士団に入ることが出来る、しかしその代わり、本来受け継ぐことが出来るはずの家督相続に関わる全ての財産の相続権を失うんだ。もちろん相続人の1人としての権利は残るがな。」
「ということは、考え方としては嫡子が入れ替わる、みたいな話ですか?」
「そういうことになるのかな。リーザはガーランド男爵家の子供の1人として、ランサル子爵夫人と同等の権利を持つことになり、代わってラッセル卿が家督相続候補者となるわけだからな。」
「相続放棄の書類にサインをすると言うことは、それだけ重いことなんですね。」
「そうだ。それを曲げて家督を継ぐと言うことは、王国剣士を辞めると言うことになる。どれだけ優秀な人物だとしても、法的に掛け持ちは出来ない。そしてリーザが家を継げばラッセル卿は廃嫡だ。今まで夫人と2人で領地運営を頑張ってきたってのに、突然廃嫡なんて言われて、納得できるはずがないだろう?それをするには、よほどのことがなければならない。だがな、ラッセル卿の取り調べは始まったばかりなんだ。彼の罪がはっきりするのはそのあと、そしてその後裁判を経て服すべき刑が確定する。まあいくら頑張っても無罪にはならないだろうが、執行猶予がつく可能性は高いんだ。なのにそう言った手続きをすっ飛ばしていきなり彼を廃嫡にするのはまず無理な話だし、ましてやリーザがあとを継ぐというのは、道理に合わないんだよ。ところがリーザは自分が継げば家を守れるの一点張りだ。」
『それに家督を継ぐなら結婚することになるぞ。ハディにはちゃんと話を通しているのか。』
オシニスさんはそう聞いたのだが・・・
『男なんて当てになりません。碌でもないのばかりです。うちは女が守らなければ・・・。』
『だがお前が継いだとして、結婚しなければそこでガーランド家は断絶するんだぞ。』
そう言った瞬間リーザが顔を上げてオシニスさんを見たのだが・・・。
「正直言ってぞっとした。あの時のリーザの目には・・・狂気が宿っていた・・・。」
オシニスさんがそう言うのだから、相当恐ろしいものが見えたのだろう。ハディは私の隣で真っ青な顔で聞いている。
「それともう一つ、フロリア様はリーザの『気』が澱んでいると仰せだったが、俺にはリーザの『気』に奇妙なゆがみが見えた。」
「ゆがみ、ですか・・・。」
「ああ、ゆがみだ。通常『気』ってものはその人物の体を覆うように流れている。ところがリーザの背中に、妙にゆがんだ部分があったんだ。『気』の流れは本人の精神状態に左右される。男なんて碌でもないと言う言葉から考えるに、リーザはお袋さんの境遇に気持ちを持って行かれているみたいな気がしたよ。」
「言い方を変えれば、お袋さんに取り憑かれてるってことになりますね・・・。」
ハディがつぶやくように言った。
「取り憑かれてるという言い方が妥当かどうかはなんとも言えんが、お袋さんの意に沿おうとしているようには見えたな・・・。」
「でも、計画性はゼロという気がするんですが。」
リーザが本気なのかどうかもはっきりとわからない。
「俺としては、リーザが本気で家を継ごうとしているとは思えませんね。クロービスの言うとおり、計画性はないし、場当たり的というか・・・。」
ハディの声には呆れたような響きが籠もっている。
「そうだなあ・・・。俺もそう思うよ。だが今のリーザは本気のつもりなんじゃないか。」
「全く・・・その場当たり的な考え方で、誰でもいいから適当な男を見繕って結婚する気じゃないだろうな・・・。」
ハディがまたしても大きなため息をついた。
「君とリーザのことはどうなっているの?」
先日結婚を考えるという話を聞いてからだいぶ経っているが、その後の話はまだ聞いていない。
「約束していたわけじゃないからな。婚約もまだしてないし。」
「・・・つまりあれから話は全然進んでないの?」
ハディがうなずいた。そしてまたため息が出た。
「俺達はこの先一緒になることを考えてはいるが、昔みたいに意地を張らないようにしようと言っただけさ。こんなことになるなら、さっさと婚約しちまえばよかったよ。」
「でもまさか、今更リーザがハディ以外の男性と結婚するなんて考えられないよ。それに、もしかしたら自分は繋ぎの家督相続で、あとでラッセル卿に引き継いでもらうつもりだとか?」
「今回の場合、それは無理だろうな。」
オシニスさんが言った。
「直系の子供同士での家督の譲り合いということなら出来なくはないが、それは円満に家督相続が行われる場合だ。今ガーランド男爵家でそんなことをしようとすれば、ラッセル卿が罪を逃れるための偽装工作だと思われかねない、そもそもそう簡単に許可が下りるようなことじゃないからな・・・。」
「それもそうですね・・・。」
ラッセル卿の取り調べが行われている間は、家督相続の話は進まない。行政局としてはその間に目録作りを終わらせる算段らしい。進まないと言うことは、ガーランド男爵家はまだ存続すると言うことだ。リーザは何をそんなに焦っているのだろう・・・。
「もしかしたら・・・親父さんの目が覚める前に相続について決着させたいのかもな・・・。」
ハディがつぶやいた。
なるほどその可能性はある。男爵に薬を飲ませるために、時間になると気功で起こしに行くという話は医師会で聞いた。毎日行くことで、男爵が当分目覚めないことを確認しているのだろうか。
「イノージェンがガーランド家と縁を切ったなんて知ったら、何をするかわからないよね。」
男爵が目覚めた場合、その危険性が一番大きい。もっとも・・・目覚めたあとにそのくらいの元気があればの話だが・・・。
「そうだなあ・・・。ドーンズに相当高額の報酬を払って仮病の片棒を担がせていたってのは聞いたが、もう少し男爵家の子供についても考えてほしいよな。ラッセルは領地からの上がりをどうにかこうにかやりくりして男爵家を運営してるってのにな。」
ハディはかなり心配しているらしい。もっともそうだろう。ハディとしてはラッセル卿もチルダさんも、もう身内みたいなものなんだから。
「・・・オシニスさん。」
「ん?」
「・・・ドーンズ先生に払っていたお金の件は、ハディには・・・。」
オシニスさんは少しだけ戸惑ったような顔を見せた。
「・・・その話はまだしていないな・・・。」
ハディは眉間にしわを寄せて、私を見た。
「どういうことだ?お前、何か知ってるのか?」
「話の流れで知ってしまったってことなんだけどね。」
「・・・・・・・・・。」
ハディは睨むように私を見ている。それを聞きたい、でも聞いてしまっていいのかわからない。そんな顔をしている。私だって別に積極的に調べて得た情報ってわけじゃない。そもそもそれが誰の家であれ、貴族の家の台所事情なんて知らなくていいならそれに越したことはないものだ。
「オシニスさん、それは・・・俺が聞いてはまずいですか・・・?」
ハディがオシニスさんに尋ねた。とても申し訳なさそうだ。言外に『話してはまずいんだろうな・・・。』と言う声が聞こえてくるような気がする。
「うーん・・・よくはないんだが、お前の耳にはいずれ入る話だろうな・・・。」
オシニスさんもどうしたものかと思案顔だ。私が勝手に話せることではないので、ここはオシニスさんの判断に従おう。だがこの話は、私よりもハディが知っているべきことじゃないんだろうか。
(この話を聞いた時は・・・男爵本人が伯爵家からの援助について知っていたのかという疑問を持ったけど、知らないはずがないというか、もしかしたら夫人に送られてくるお金を意図的に隠していた可能性もある・・・いや、隠していたんだろうな。)
そして、自分の元恋人と娘のために使ったのだとしたら、これはもう酷い裏切りだ。それに、そのやり方も横領に当たるんじゃないだろうか・・・。
「俺から聞いたことは、黙っていてくれよ・・・。」
オシニスさんはため息とともに口を開いた。リーザのお母さん、亡くなった男爵夫人の実家であるオーソン伯爵家が、格下の男爵家に嫁ぐ娘を心配して持参金とは別にお金を送り続けていたこと、それ自体は合法で、オーソン伯爵家ではきちんと行政局に届け出もしていたらしい。ところが、亡くなった男爵夫人がお金を受け取っていたかというと、どうもその辺りがはっきりしない。20年前、私がまだ駆け出しの王国剣士だった頃にはガーランド男爵家の羽振りの良さは有名だったので、当時はオーソン伯爵家の考えたとおり、ご令嬢は男爵夫人としての体面を保ち、伯爵家にいた頃と遜色のない贅沢な暮らしが出来ていたと思われる。だが時が移るにつれて、ガーランド男爵家の羽振りの良さは影を潜めていった。それでもオーソン伯爵家ではお金を送り続けていたのだが、やがて男爵夫人の父親が一線を退き、男爵夫人の兄が家督を継いだ。そしてさらにその息子が家督を継いだころ、男爵夫人が亡くなったらしい。それを機にオーソン伯爵家ではガーランド男爵家への送金を停止したと言うことだった。
「行政局にもその届け出はしてある。そしてオーソン伯爵家からガーランド男爵家へも、送金を停止する旨の書面を出している。オーソン伯爵家というのはなかなかきちんとした家のようだ。こういった手続きを無視したりすることなく、きちんと届け出ている。ところがガーランド男爵家はというと、その金がどこに入っているのかはっきりしない。オーソン伯爵家だって娘に金を送っていることは話していたはずだし、少なくとも嫁いだ当初からしばらくの間はそれなりにいい暮らしをしていたんだから、金の話を男爵夫人が知らないはずはないんだ。もっともその件も今回の男爵の横領疑惑から出てきた話だからな。調査はこれからさ。」
「それを勝手に使ってたってのはやっぱり罪になるんですか?」
ハディが尋ねた。
「その金はな、本来ならば男爵夫人の個人資産になる金なんだ。ただし男爵夫人が了承して領地運営や男爵家の体面のために使われたなら、特にどうと言うことはない。だがその場合、男爵家の収入として計上しなくちゃならん。それをきちんとしていたのかってことさ。」
お金の流れは毎年行政局に届け出しなければならない。そこでまずは届けられた書類の中を調べていたのだが、途中からぷっつりと届け出が途絶えているらしい。
(この間探していた資料はそのことだったのか・・・。)
オシニスさんと私が剣士団長室の資料を運び出し、妻とイノージェンが手伝ってくれてやっと揃ったという資料のことだろう。あの時は大変だったなあ・・・。
「つまり・・・リーザの親父さんはその金を自分の元恋人と娘のために使ってたってことですか?」
ハディが青ざめた。
「いや、前にも言ったと思うが、イノージェンさんの母親に送られていた金は、総額を見ても男爵の個人資産から出た金だろう。オーソン伯爵家から送られてきていた金が使われたとすれば、仮病を装うために協力を依頼したドーンズへの支払いだろうな。全額かどうかはわからないし、日付はもう少しきちんと調べる必要があるがな。」
「そんな・・・。」
ハディがまた頭を抱えてしまった。
「なんなんだよあの人は・・・。そりゃ昔の恋人との間に子供がいたとなれば気になるのはわかるよ。だけど・・・それじゃリーザは・・・ラッセルは・・・チルダは・・・。どうでもいいってのかよ!」
ハディの手が震えている・・・。
「・・・まあその・・・お前としては悔しいだろうが、これが現実なんだ。こういう事情が明らかになってきたから、ガーランド男爵家の相続手続きのために資料をまとめるのは、男爵家ではなく王宮でやることになったのさ。」
オシニスさんは言いにくそうだった。
「・・・今回のことは体のいい家宅捜索じゃないかって・・・納得行かなかったんです。でも・・・そんなことがあったんじゃあ、当たり前ですよね・・・。」
ハディも私と同じことを考えていたらしい。
「そうだな・・・。だがラッセル卿が異議申し立ての日にあんなことをしなければ、当代の男爵が強制隠居になるだけで、ラッセル卿があとを継げば丸く収まる話だった。男爵の横領疑惑でガーランド男爵家の相続人にとっては辛い話を聞かされることになっただろうが、金の流れをきちんとした形に戻して、家督を継いだラッセル卿夫妻が改めて領地を切り盛りしていくことですんだ話なんだ。ところが今回の騒動で、リーザが自分が継ぐと言いだした。それがはいそうですかと認められるはずがないことくらい、リーザ本人が一番よくわかっているだろう。で、ひとまずその話は置いておくように言ったんだ。そもそも俺にそんなことを言われても許可を出せるような立場にないし、本気でそういうことを考えているなら、また別の機会に申し立てが必要になる。だがその頃には男爵だって目を覚ますだろう。そう簡単にいくことじゃないし、時間もかかる。頭を冷やしてよく考えろと言ったわけさ。」
「あいつが急いでいるとしたら、親父さんが目を覚ます前に片を付けようとしているってことだと思います。まさか親父さんに手を出したりしないといいが・・・。」
ハディが不吉な予感を口にする。
「それをやっちまったら、リーザは家督相続どころか王国剣士としてもやっていけなくなっちまう。さすがにそこまでおかしくなってはいないと思いたいがなあ。」
「もしもリーザが本気で家督を継ぎたいというのなら、この間のイノージェンのように申し立てが必要になるわけですね。」
私の問いにオシニスさんがうなずいた。
「そういうことだ。まずは異議申し立てでラッセル卿から家督相続権を自分に戻すための手続きが必要になる。」
「でも異議申し立てをすれば認められるってわけでもないですよね。」
「もちろんだ。そこまでするためにはそれ相応の理由が必要になる。いい加減な理由で申し立てをしたところで、まず申し立て自体が許可されない。それに、もしもその申し立てが出来たとして、フロリア様から認められればラッセル卿は廃嫡だ。兄妹の仲には決定的な亀裂が入るだろう。そんな形で無理矢理家督を継いだとしても、その後の領地運営がうまく行くとは思えないんだがな。しかも、そこまでして家督を継ぐなら結婚して跡取りを産まなくちゃならない。いくら男は当てにならないと言っても、男がいなければ子供は作れないんだから、どれほど気に入らなくても誰かしらと結婚しなければならないんだ。ところがその一番の候補者には一言もないってことだったよな?」
オシニスさんはハディに向かって言った。
「全くありませんよ。さっきそれでクロービスにも愚痴を聞いてもらってたんですからね・・・。」
オシニスさんはうーんと唸った。
「俺もお前の考えに同意だ。リーザが本気だとは思えない。いきなり家督を継ぐなんて、何の考えもなく思いつきで言ったとしか思えないんだよなあ・・・。」
「それで、オシニスさんは私達に何をしてほしいんです?」
「え?」
きょとんとして私を見たのはハディだ。オシニスさんは『バレたか』と言いたげに、ニッと笑ったままの顔を私に向けている。
「今私達が聞いた話は明らかにガーランド男爵家の相続に関する内部事情ですよね。それでもハディは当事者の1人と考えてもおかしくはないでしょう。でも私は違いますよ。いくらリーザとは友人だと言っても、家督相続の話に首を突っ込むのは筋違いというものです。異議申し立ての件は、あくまでもイノージェン側の付添人だっただけですから、それが終わって裁定が下った今では、私もウィローももうガーランド家の家督相続自体とは無関係のはずですよね。それなのにそこまで話してくれると言うことは、私達に何かしてほしいからって言うことじゃないんですか?」
オシニスさんが笑い出した。
「お前も察しがよくなったなあ。まあ、つまりはそういうことだ。実はさっきまでフロリア様に呼び出されていてな。じいさんとノイマン局長も一緒だったんだよ。」
「フロリア様が・・・何か・・・。」
ハディが不安げに尋ねた。
「ああ、フロリア様がリーザのことを心配されてな・・・。」
『立会人でございますか・・・。しかしそれは剣士団長殿が担ってくださっているのですし、私もおります。それにクロービス殿と言えば、異議申し立ての時に婚外子であるイノージェン殿の付添人だった方ではありませんか。異議申し立ては、もう裁定が下っています。今になってまた関わってくれと言うのは・・・。しかも今回は反対の立場、ご本人も戸惑われるのでは・・・。』
フロリア様の話は、ガーランド男爵家の家督相続の手続きが行われる時に、ハディと私を立会人として参加させてほしいというものだった。やはりノイマン行政局長はいい顔をしなかったらしい。
『わかっています。もちろんあなたとオシニスが不適格だとか不足だと言うことではありません。でも、昨日リーザが新しくわたくしの護衛につく女性剣士達と話していた時、リーザの『気』が澱んで、どす黒く変化していました。あれは・・・かなり精神状態がよくないことを示しています。異議申し立てが終わった日から、リーザの『気』がどんどん澱んで行くのがわかりました。人間の『気』は、負の感情の高まりで澱んでいくものです。あのままではリーザは自分から発せられるあの黒い『気』に取り込まれ、押しつぶされてしまいます。ノイマン、あなたとオシニスはあくまでも中立の立場として家督相続の手続きを行う場に立つことになります。ですが・・・ガーランド男爵家の立場に立って、彼らを見守ってくれる、そして時にはしっかりと支えてくれる存在が必要ではないかと思うのです。ランサル子爵はその役目を果たしてくれると思いますが、彼にとってリーザは義理の姉ですから、敬うべき目上の相手です。彼は今回、妻であるチルダを守るだけで精一杯でしょう。それに本来ならばその役目は父親である当代のガーランド男爵の務めです。しかし彼にはそれだけの器がありません。過去を追い求めるばかりで未来を見ようとしない男爵がもしも目を覚ませば、そして婚外子が男爵家と縁を切ったことを知れば、何をするかわかりません。まだ男爵家の全ての権限は彼にあるのですから。』
『しかし・・・。』
ノイマン行政局長はなかなかうんと言わなかったらしいのだが・・・。
「うーん・・・俺としてもノイマン行政局長に睨まれるのは避けたいなあ。あの人は頑固なところはありますが、基本、穏やかでいい人ですからね。」
ハディが困った顔で腕を組み、唸った。
「まあそうだな。その意見には俺も同意だ。だが話が変わったのは、俺がリーザから聞いた話をしたからさ。」
「家督を継ぐって言う話ですか?」
「ああ。その話を聞いた時のじいさんの剣幕は凄まじかったぞ。」
「そりゃ怒るでしょうねぇ。」
誓約書を書いて、王国剣士としての使命を全うすると誓ったはずなのに、今になって家督を継ぐという。無論、セルーネさんのようにやむを得ない事情がある場合は別だ。だが既にラッセル卿という家督相続予定者がいるのに、彼を押しのけて家督を継ぐと宣言すると言うことは、フロリア様への、王国剣士団への裏切りにも等しい。しかもリーザはその後王国剣士としてどうしたいのか、それを明言しなかったらしい。
「じいさんだって長いことフロリア様を守ってきてくれたリーザのことは、信頼していたんだ。結婚したとしても、この先も護衛として、フロリア様のよき友人として、王国剣士としての務めを全うしてもらおうとな。あんまりじいさんが怒るもんだから、ノイマン行政局長もやっと首を縦に振ったのさ。そこで俺がお前達に頼みに行くために戻ってきたら、都合よく一緒にいてくれたと、こういうことだ。」
「俺は引き受けます。ちゃんと許可をもらって立会人になれるのなら、願ったりだ。」
ハディはほっとしたように言った。
「そうか。クロービスはどうだ?」
「引き受けることに異存はないんですが、何で私なのかがよくわからないんですよね。私はリーザと友人であると言うだけだし、第一異議申し立ての時はイノージェンの側にいたんですから。」
「まあそう言う反応をするだろうなとは思ったよ。」
「・・・どういうことです?」
ますますわからない。
「だいたいガーランド男爵家の家督相続の手続きが行われる場に、ハディがいたとしても文句を言うのは今のリーザくらいでしょう。ですが私がいたらそれこそ、こいつは何でここにいるんだと、ラッセル卿もチルダさんも変に思いますよ。もちろんランサル子爵もね。」
「お前をフロリア様が指名したのは、お前にしか出来ないことをしてもらうためだ。だからお前がその場にいる理由付けなんていくらでも考えてやるさ。」
「私にしか出来ないこと・・・?」
「お前、以前フロリア様がふさぎ込んでおられた時に、ドゥルーガー会長から頼まれて所謂『心の病』について診察したことがあったろう?」
オシニスさんの言葉に、真顔になったのはハディだ。
「団長、まさかクロービスにリーザを診てもらおうという・・・。」
オシニスさんがうなずく。
「そういうことだ。」
「心の病・・・ですか・・・。」
確かに今のリーザは病んでいるとしか思えない節がある。しかもそれが、体のどこかが悪いという話ではなく、母親が死ぬまで言い続けていた呪いのような言葉に囚われてしまっているようにしか思えない。
「つまり・・・それを見極めろと言うことですか・・・。」
「フロリア様の時は、そこまでひどい状態ではなかったらしいな。」
「大分疲れておいでのようでしたから、それで精神的に参ってしまわれたのでしょう。心配するほどのことではなかったけど、注意はしておいたほうがいいと思うと、レイナック殿からドゥルーガー会長に伝言していただきましたからね。」
その頼まれごとも、レイナック殿を通じてだったので、そのままレイナック殿に返事をしておいた。その後フロリア様が体調を崩された時は、どうやら1人で全てを頑張ろうと思い込みすぎて、ろくな食事も摂らず仕事をこなそうとしたことが原因だったとわかった。そしてその後の『治療』でフロリア様はとても元気になられた・・・。
「リーザの場合も、疲れているってことなのかな・・・。」
ハディがつぶやくように言った。
「疲れているとしても、今のリーザはおかしい。そうとしか言いようがないんだ。そう言う意味では病気なんじゃないかと思うが、俺達では皆目見当がつかん。では誰でもいいから医者を連れてくればいいかと言っても、たとえばガーランド男爵家の家督相続の場に、ドゥルーガー会長やハインツ先生がいたとしたら、それこそ何でここにこの人がいるんだと変に思われる。だから比較的変に思われにくい、思われないだけの理由付けが出来そうな、お前に頼みたいとこういうことさ。」
「なるほど・・・。」
医者として仕事をしろと言われてしまうと、実に断りにくい。それに、確かにそこにいるのがドゥルーガー会長でもハインツ先生でも、他の医師であってもそれは変に思われるだろうし、警戒もされるだろう。
「でもオシニスさん、予め言っておきますが、心の病なるものは、近年研究されるようになってきた、まだまだ新しい分野なんです。私にだってわかることはそう多くない。それは理解してください。」
「それでも俺達よりは詳しいだろう。」
「それはそうだと思いますけど・・・。ではオシニスさん、私がその場に同席するとして、その理由はどうするんです?」
「そうだなあ・・・。」
オシニスさんはしばらく考えていたが・・・。
「なあ、お前、ランサル子爵家で話を聞いただろう?」
「ええ、聞きましたけど・・・。」
「ランサル子爵家って、チルダの家じゃないか。どういうことだ、クロービス。」
驚いて尋ねるハディに、オシニスさんが簡単にチルダさんから私が頼まれごとをした話をしてくれた。
「へぇ・・・なるほどねぇ。しかしチルダは本当にしっかりしたよなあ。俺達が昔町中で会った頃は、ちょっと頼りないくらいだったのにな。」
「ハディはもう、ラッセル卿もチルダさんも本当の兄弟姉妹みたいに呼ぶんだね。」
「ああ、そう呼んでくれと頼まれたんだ。」
リーザの母親はともかく、男爵もラッセル卿もチルダさんも、ハディを受け入れている。大分頼りにしているみたいだ。これならばハディは立会人としての役目をしっかりと果たせるだろう。オシニスさんが中立だとしても、ハディがいればリーザの暴走は止めてくれるだろう。ラッセル卿にもチルダさんにも慕われているのなら、多少強く出ても異議を唱える人物はいないと思う。ランサル子爵だってチルダさんが信頼しているハディに対してよくない感情は持たないだろうし・・・。
「でもオシニスさん、私が医師として臨席するというのは公にしていいことなんですか?」
「そんな話をしたらリーザの奴がへそを曲げるだろうなあ。」
ハディが唸るように言った。
「俺もそう思う。」
オシニスさんがうなずく。
「フロリア様のお考えはどうなんです?」
「どうしても隠しておけないのなら話してくれてかまわない、自分のせいにしてくれていいからとは仰せなんだが、それもなあ・・・。」
「それは避けたいですねぇ。それに私とウィローがイノージェンと一緒にランサル家に行った話はリーザにもラッセル卿にもまだ話していないんですよ。それを理由に私が家督相続の場にいたら、チルダさんの立場が悪くなってしまうのではないですか。」
「そうなんだよなあ・・・。」
オシニスさんは困り果てているといった感じで、つまりは私がその場に臨席することについて、私達に何かいい知恵はないものかと当てにしていたらしい。
(フロリア様もレイナック殿もうまい理由が思いつかなかったと言うことか・・・。)
これはかなりの難題かも知れない。
「実際にハディと私が臨席することになるのは明日辺りですか?」
「いや、最初はすぐに目録が作れるだろうと思っていたんだが、案外時間がかかりそうなんだ。だから早くても明後日、場合によってはもっとかかると思う。」
「あの家の財産てそんなにあるとは思わないんだけど、なんでまたそんなにかかるんですか?」
ハディが尋ねた。ガーランド男爵家の財政事情については、ハディはある程度わかっているらしい。
「財務資料を計算するだけなら簡単らしいんだが、金の流れがおかしいらしい。入ってくる金と出て行く金が合わないと行政局の職員がノイマン局長に報告したらしいんだ。」
「え、それはオーソン伯爵家の話とは別の話ですか?」
「そうだ。オーソン伯爵家にはじいさんの主導で事情を聞きに行くことになっているよ。オーソン伯爵家では男爵夫人の父君である先々代の伯爵も健在だ。きちんと決まりを守って届け出をしているはずの送金について、途中からその行方がわからなくなっているなんてことを聞いたら、オーソン伯爵家でも怒るかも知れんがな。」
「そりゃ真実を知ったら怒りますよね・・・。」
ハディが言った。
「そうなんだよな。まあじいさんのことだから、もしもオーソン伯爵家が怒ってガーランド男爵を訴えるとか言う話になったとしても、少し待てと宥めてはくれるだろう。だがそっちの金の流れを追いかけているうちに、領地の運営の問題もありそうだということになった。だからガーランド男爵家の相続人達が監視されているんだよ。特にラッセル卿がその協力者ではないかという話も浮上している。」
「ま、まさかそんな!だったらラッセルがあんなに苦労しているわけないじゃないですか!」
ハディが叫んだ。
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