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 廊下に出るといい匂いがする。病棟に入院している患者達の食事が運ばれているようだ。食事を運ぶ看護婦の数はいつも足りていないと言う話を以前マレック先生から聞いたが、なるほど2階3階まで運ぶためには、ある程度の時間がかかるのだろう。
 
(人手を増やしてもらうにも、なかなか難しいって言ってたな・・・。)
 
 予算の問題があるのは仕方ないが、食事時だけ人手を増やすなどの柔軟な策は取れないのだろうか・・・。
 
「まあ・・・今私が考えても仕方ないか・・・。」
 
 医師会のシステムに私が口を出すわけにもいかない。
 
「とりあえず・・・やっぱりクリフの病室に行くか・・・そう言えば研究棟のあの部屋はそのままだったな。」
 
 手術の前まではオーリスとライロフが使っていたが、その後どうなっているのかあまり気にしていなかった。あの部屋はまだ私が借りていることになっているのだから、ちゃんと責任を持たなければならない。一度研究棟に向かおうかと2階からの階段を降りて、1階の廊下に出たところでロビー側の廊下から誰かが走ってくる。
 
「父さん!」
 
「あれ、カインじゃないか。どうしたんだ?」
 
 息子の顔を見るのも久しぶりだ。
 
「団長に頼まれたんだよ。今でよければ話が聞けるから、団長室に来てくれないかって。」
 
 なるほど、息子はオシニスさんの使いだったようだ。
 
「それじゃ、もう少ししたら伺いますと言っておいてくれるか?イノージェンとライラとイルサも一緒に行かなくちゃならないからね。」
 
「わかった。多分1人では来ないから、多少時間がかかってもいいぞって言ってたよ。」
 
「そうか。カイン、今フローラはどうしてる?ずっと忙しくて全然セディンさんの見舞いにも行けてないんだけど、あの薬のことはどうなってるか何か聞いてるか?」
 
「そう言えば、おじさんの状態がよくなったってフローラが言ってた。それに、最近その薬を、シャロンがおじさんの薬に混ぜてないみたいだって。」
 
「最近て言うとどのくらいだ?」
 
「うーん、ここ一週間くらいかな。シャロンがね、そろそろ薬がなくなるからもらってこなくちゃって言ってたらしいんだよ。でもいつも来てくれる薬屋さんの在庫が切れたらしくて、少しお待ちくださいって言われたんだって。」
 
「なるほどね。それなら、このままその薬が入らなければ、セディンさんは健康を取り戻していくだろうな。」
 
「そううまく行くといいけど、フローラは心配してるよ。シャロンはあれをいい薬だと思ってるから、すごく不安がってるみたい。」
 
「そうだろうな・・・。」
 
 それでシャロンがその薬を手に入れるために何か行動を起こすようなことになれば、シャロンはますます相手の罠にはまり、セディンさんの命も危うくなるかも知れない・・・。
 
「カイン、セディンさんのことはね、何かあればとにかくデイランド先生に話を聞いてもらって対処するようにって、フローラに言っておいてくれるかい?もしも往診してもらえるなら、一度今の状態を見てもらうといいんだけどな。」
 
「そうだね。フローラもそう言ってる。それじゃ前みたいにシャロンにおじさんが用事を頼んで、その間に診てもらうようにすればいいのかな。」
 
「それが一番いいんだけどね。うまく行かなそうなら無理はしないようにね。」
 
 シャロンがフローラに不信感を持ってしまうと、セディンさんのことをフローラに任せて出掛けようとはしなくなるだろう。
 
『いい薬』
 
 それが実はセディンさんの体を蝕む麻薬だなんて・・・もしもシャロンが知ってしまったら・・・。そちらも心配になる。
 
「カイン、それじゃオシニスさんに伝えてくれるか?これからみんなに声をかけてすぐ行くと。」
 
「はぁい!じゃ伝えておくよ!」
 
 息子は来た時と同じように駆けていった。
 
「医師会の廊下を走るなと言うべきだったな・・・。」
 
 シャロンがもらっているあの薬の出所は、おそらくローハン薬局だろう。そして処方箋を書いていたのはドーンズ先生だ。それも今回のことでやっとわかったことだ。あとは、もう一度ローハン薬局に行って話をするしかないのだろうか。だとすれば、既に私の顔は知られているだろうから、1人では難しい。さてどうしたものか・・・。
 
「あれ?ここ一週間・・・?」
 
ドーンズ先生が牢獄に連れて行かれたのは4日ほど前だ。ということは、その薬の入手についてもドーンズ先生が手配することになっていたのだろうか。そろそろ薬を注文する頃合いに捕らえられたことで薬の入手が出来なくなったので、在庫がなくなってしまった・・・?だとしたら辻褄は合う。
 
(麻薬は薬局の店主では仕入れ出来ないからな・・・。あの店主がどう思ってるかはわからないが・・・。)
 
 クイント書記官がどう思っているのかを知りたいところだ。このまま仕入れが出来なくなってしまえば、セディンさんの体調は回復するだろうけど、不安に駆られたシャロンが薬の催促をその薬屋、つまりクイント書記官にしたとしたら、彼はどう答えるのだろうか・・・。
 
「まあ・・・まずはイノージェン達を迎えに行くか。」
 
 私は研究棟に行く予定を変更し、マレック先生の部屋へと向かった。あの薬のことはあとでもう一度冷静に考えてみよう。マレック先生の部屋で妻とイノージェンに声をかけ、東翼の宿泊所に回ってライラとイルサにも声をかけた。そして5人で剣士団の採用カウンターへとやってきた。
 
「お、伝言を聞いたのか?」
 
 ランドさんが声をかけてくれた。
 
「ええ、今ならいらっしゃるそうですので。」
 
「ああ、待ってるから行ってやれよ。」
 
 
「失礼します。」
 
 剣士団長室の扉をノックすると、すぐに扉が開いた。
 
「入れよ。」
 
 促されて中に入ると・・・。
 
「あれ、レイナック殿、いらっしゃったんですか?」
 
 オシニスさんの隣にレイナック殿が座っている。
 
「ああ、どうせ俺がお前達からここで聞いた話をじいさんに報告しなくちゃならないからな。一緒に聞いてもらった方が手間が省けるかと思ったんだが、イノージェンさん、もしもこのじいさんの同席がいやなら、はっきり言ってくれてかまいませんよ。」
 
 イノージェンはくすりと笑って
 
「いいえ、お話を聞いていただけるなら、私の方はかまいません。」
 
 そう言った。
 
「ほれ見ろ。イノージェン殿は優しい御仁だ。わしを追い出したりはせんだろうと言うたろうが。」
 
 レイナック殿が得意げに笑った。
 
「ふん、エラそうに。まあいいや。イノージェンさんが了承してくれるなら俺はかまわん。よし、お茶を淹れるから椅子を出して適当に座ってくれ。」
 
 オシニスさんはまたいそいそとお茶を淹れ始め、私達が椅子を並べて座った頃には暖かいお茶の香りが部屋中に漂っていた。
 
「オシニスさん、カインに伝言を頼んだのは偶然ですか?」
 
「ああ、さっきランドからお前の話を聞いて、誰かを行かせようと思っていたら、カインが来たんだ。アスランの見舞いに行きたいって言うから、午前中の早い時間、少しだけならいいぞって言っておいたのを思い出してな、お前の頼みを聞いたんだから俺の頼みも聞けということで、使いに行ってもらったのさ。」
 
「そうでしたか。アスランのリハビリは順調なんですか?」
 
「そうだなあ。早く剣を振りたくてうずうずしてるらしいが、あと少し辛抱しろって言われてるらしい。多分あと一ヶ月位すれば、素振りくらいは出来るようになるかもな。奴がそのために無理をしなければらしいが。」
 
「無理してしまうと、全てではなくてもリハビリが後戻りしてしまいますからね。辛抱するというのも大事ですよ。」
 
「そうだな。俺達の方も、元気づけるつもりで煽っちまったりしないように、気をつけなくちゃならないな、なんて思っていたところさ。」
 
「そうですね。確実によくなっていってほしいですからね。」
 
 クリフの手術が何事もなく終わっていれば、セーラにアスランの様子が聞けるかな、などと考えていたのだが、それどころではなくなってしまった。今話を聞けてほっとした。
 
「それじゃ、お茶をいただきながら、先に今日現在のガーランド男爵とラッセル卿の状態について説明させていただきます。多分この話は皆さんが気になるでしょうからね。」
 
 私は男爵の様子、治療の状況、ラッセル卿の様子について話した。
 
「・・・ラッセル卿は正気に戻ったと言うことか・・・。」
 
 オシニスさんが言った。
 
「そうですね。昨日医師会に運び込んだ時点で胃の中のものを全て吐き出させましたから、薬の悪い影響はもう抜けたと思います。自分が何をしたかは全て覚えているらしいので、ガーランド男爵家の今後については、相当悲観的になっているんじゃないかって気はしましたけどね。」
 
「お前が話したのはドーンズが薬を「ハーブティ」だと嘘をついていたことだけか?」
 
「そうです。それ以外の話は私が言うべきことじゃないですからね。それに、ベルウッド先生という医師会の先生がいらっしゃいましたから。」
 
「ということは、ラッセル卿とはきちんと話が出来るかな。」
 
「おそらくは。」
 
「よし、それじゃここから先は俺の仕事だ。ではイノージェンさんの話を伺いましょう。さっきランドから少し聞きましたが、チルダ・ランサル子爵夫人からあなたに頼みごとがあるという話でしたね。」
 
「はい、クロービスが聞いてきてくれた話なんですけど・・・。」
 
 イノージェンはチルダさんが自分に会いたいと言っていたこと、その理由は、本当はイノージェンの話を聞いた時に会って話をすべきだとリーザとラッセル卿に言ったのだが、もう家を出た人間だからと言う理由で話を聞いてもらえなかったこと、それでも今回、イノージェンの母親であるエレシアさんに不義の疑いをかけるようなことをリーザが言ったと聞いて、そのお詫びも兼ねて、ぜひ話をしてみたいと言っていたことなどを話した。
 
 
「というわけなんです。ねえクロービス、私何か勘違いしてることとかないわよね。」
 
「ないよ。君が言った話と同じ話を、チルダさんに頼まれたんだ。」
 
「ねえクロービス、今のラッセル卿なら、チルダさんとちゃんと話し合いが出来るわよね。
 
 妻が言った。
 
「出来るとしても、さすがに今からでは遅いんじゃないかな。一度口から出た言葉をなかったことになんて出来ないんだからね。」
 
「それもそうね・・・。でも今からでも、ラッセル卿にはチルダさんにきちんと謝ってほしいわ。」
 
「ラッセル卿もだけど、リーザもだよ。2人がちゃんと自分の言ったことがどういうことだったかを理解して、チルダさんに謝罪しなければ意味がないからね。」
 
 頭に血が上った状態だったのかもしれないが、チルダさんがどれほど傷ついたかを、あの2人にはきちんと理解してほしいものだが・・・。
 
「それで・・・団長さん、どうでしょう。私が今後チルダさんと関わることで、ガーランド家の相続についてよくない影響が出るとか言うことはないですよね?」
 
「それはありませんよ。」
 
 イノージェンの問いにオシニスさんの答えはきっぱりとしていた。
 
「昨日の異議申し立てが決着したことで、イノージェンさんはもうガーランド家とは一切関わりのない他人同士になりました。この先イノージェンさんがガーランド家の人々と交流してもしなくても、それはイノージェンさんの自由です。ただガーランド家の家督相続については昨日の騒ぎと言い、その前の騒ぎと言い、いろいろと問題のあることが多いので、差し支えなければですが、もしもイノージェンさんがランサル子爵夫人に会うという選択をするのであれば、話し合いの内容は、こちらにも教えていただけると助かります。それから、家督相続に関しての話が何か出るようなら、それがどういう内容でも教えていただけませんか。これは必ずという話ではありませんが、こちらからのお願いです。なあじいさん、それでいいよな?」
 
 オシニスさんがレイナック殿を見た。
 
「うむ、本来ならばイノージェン殿がガーランド家の誰とどんな交流をしようとも、こちらが口を出せる筋合いはない。だがあの家の家督相続はいろいろと問題があり、こちらとしても情報は出来るだけ多くほしいのが本音だ。ランサル子爵夫人は既に家を出ているし、ランサル子爵家の女主人としてある程度の財産はあるはずだが、問題になるのはそれを理由に、家督相続の時に正当な相続額をもらえないという不利益を被る危険性があるということだ。ラッセル卿が正気に戻ったとしても、ガーランド男爵は未だ目覚めず、申し立てのことも何も知らぬままだ。まだまだ情報が不足しておるというのが現実なのだよ。イノージェン殿、話せることだけでいいので、我らにも情報を教えてくれぬだろうか。」
 
 なるほどそう言う危険性もあると言うことか。リーザとラッセル卿が自分の欲のために財産分与を嫌がることはないと思うが、父親のガーランド男爵が不正に隠していたお金についての話が表に出れば、男爵家立て直しのために外に出た妹の取り分を出し渋ることは考えられそうだ。
 
「ねえオシニスさん、ドーンズ先生が男爵様から受け取っていたお金を、返してもらうことは出来ないんですか?」
 
 妻が尋ねた。
 
「それは難しいだろうなあ。」
 
 オシニスさんが首を捻った。
 
「男爵がドーンズに支払っていた金の出所がはっきりして、それが不正な流用だったということが確実になれば、その金は返さなくちゃならないんだが、それを返すのはドーンズではなく不正に金を流用した男爵だ。男爵が返す金がないから契約料を返せとドーンズに言うことは出来るだろうが、その契約をした時点でそれだけの金を支払うことを男爵が同意しているんだから、返せと言うためにはきちんとした理由がなくちゃならない。ドーンズが契約の内容を履行していないというのが一番一般的な話だが、そのあたりは今後調査してみないとなんとも言えないんだ。そもそもこちらでは、どんな契約が交わされているのかもまだ把握出来ていないしな。」
 
「難しいんですね。」
 
「そういうことだよ。ただなあ・・・その契約自体が違法なものだった場合、当然ながら男爵もドーンズも罪に問われる。その場合ドーンズは金を返さなくちゃならなくなるが、男爵の不正流用についても徹底的に調べられるだろうから、金が戻ってきて終わりってわけには行かないだろうな。」
 
 
 みんなの話を聞きながら、イノージェンはずっと考えていたようだったが・・・。
 
「ねえクロービス、私ね、チルダさんにお会いしてみようと思うの。チルダさんだけが私を受け入れようと考えていてくれたのは知らなかったし、少しお話ししてみたいわ。もしも困っていらっしゃるなら、私にも出来ることがあるかも知れないし。」
 
「わかったよ。それじゃランサル子爵家に連絡してみようか。」
 
 と言っても、私が行ってくるしかなさそうだ。イノージェンに手紙を書いてもらい、それを持って午後からランサル家に行くことにした。
 
「なあクロービス、今回の件、リーザとラッセル卿には言わない方がいいと思うんだがどうだ?」
 
 オシニスさんが言った。
 
「そうしていただけるほうがいいと思いますが、イノージェン、どうかな?」
 
「そうねぇ・・・。最初だけは黙っていていただいたほうがいいかも知れないわね。そのあとの話によっては言ったほうがいいのかもしれないけど・・・。秘密にしておくことがいいことなのかどうかはわからないわ。でもあのお2人がこのことを知ったら、絶対に賛成はしてくれないと思うのよ。だから最初だけは横槍を入れられずにお会いしたいわ。」
 
「そのほうがいいかも知れませんよ。ラッセル卿がどう思うかはわからないが、リーザの方はかなり神経質になってるみたいだし。」
 
「これからいろいろな調査が始まるからですか?」
 
「ああ。しばらく仕事を休んで、家に戻ると言っていたよ。今は後任予定の女性剣士達と打ち合わせをしている。」
 
「女性剣士達と言うことは、後任予定の剣士達は複数なんですね。」
 
「ああ、今後は交代で何人かの女性剣士達がフロリア様の護衛になる予定なんだ。まあ、今までのフロリア様の護衛はみんな相方がいない人ばかりだったからな。キャスリーンさんは相方が病気で退団して、そのあと亡くなってしまったという話だし、ユノも相方が決まらずにいる間に護衛剣士になってしまったし、リーザもハディとのコンビを解消して護衛剣士になったからな。でもこれからはそうはいかないから、コンビで動く女性剣士を交代でフロリア様の護衛にするという案が出てるんだよ。だからフロリア様は積極的に護衛候補の女性剣士達と交流したいと仰せられたんだ。昨日も異議申し立ての時はハディがいたが、そのあとは女性剣士に交代したからな。」
 
 リーザが後任を考えてくれと言う話をした時にたまたま私もその場にいたが、それはハディとの結婚のためだと言っていた。今回のことでその結婚話が後戻りしないといいのだが・・・。
 
「あれ、そういえば・・・。」
 
 私は昨日ラッセル卿の病室で、ランサル子爵から聞いた話を思い出した。
 
「・・・ラッセル卿の家族が実家に?」
 
「そうなんです。ランサル子爵がそちらにも連絡を入れてくださったんですが、昨日は結局どなたもいらっしゃいませんでしたよ。今日はどうなのかわかりません。昨夜は子爵ご夫妻もラッセル卿の状態を聞くのに一緒にいらっしゃる予定だったんですけどね。」
 
「しかし実家に帰ったというのはどういうわけなのか、聞いておらぬか、クロービスよ。」
 
 レイナック殿が言った。
 
「聞いてますけど、ここだけの話にしてください。異議申し立ての前日に、ラッセル卿は夫人と大げんかをしたらしいんです。その理由まではわかりません。それでラッセル卿が夫人を殴ってしまったらしくて、それで夫人は怒って子供達とご実家に帰られたらしいですね。」
 
「なんとまあ・・・そんなことが・・・。」
 
「それもまた、ドーンズ先生が「ハーブティ」と称してラッセル卿に渡した薬のせいですよ。昨日吐かせた量を見ても、相当大量に飲んでいたようですし、ガーランド男爵からイノージェンにも財産分与をするという話を聞いて以降、その「ハーブティ」の量は一気に増えていったようです。あの薬は少量ならば気持ちを落ち着かせてくれる薬ですが、常用していい薬ではありません。あの薬を大量に飲んだせいで、ラッセル卿はずっといらいらし通しだったでしょう。誰かに何か言われても、怒鳴り返したりすることの方が多くなっていたと思いますよ。夫人との喧嘩も、元々は些細なことだったのではないかと思います。」
 
 ランサル子爵がガーランド男爵家のメイドに話を聞いてくれたが、詳しいことまでは聞き出せなかったと言っていたことも付け加えた。
 
「そういうことか・・・。それで昨日のラッセル卿の行動にも合点がいったよ。」
 
 オシニスさんがため息をついた。
 
「今朝の様子なら、ちゃんと話が出来るはずです。それと前の日の夜中のことについてはどうなってるんですか?」
 
「あの男は今のところ牢獄にいるよ。ただ話を聞けば聞くほど気の毒になったって、審問官が言ってたんだ。理由はどうあれ人1人を殺そうとして宿泊所に向かったのは事実だから、無罪放免とはならないだろうけど情状酌量の余地は充分にあるだろうな。」
 
「実際に被害に遭いそうになったのはイノージェンではなく私達ですからね。減刑嘆願などが出来るのなら、いつでも牢獄に出向きますよ。」
 
「そうしてくれると助かるよ。大分反省しているようだし、それでもガーランド家に仕えたいと泣いているそうだ。薬のせいとは言え、ラッセル卿は酷いことをしたもんだな・・・。」
 
「何もかも全てが薬のせいってわけでもないでしょうしね。」
 
「・・・・・・・・。」
 
 オシニスさんは答えない。
 
「どういうこと?薬のせいでおかしくなっていたからそんな命令を出したんじゃないの?」
 
 イルサが尋ねた。
 
「どんなに薬の影響が大きかったとしても、操られていたってわけじゃないからね。彼は自分の意思でイノージェン殺害を企てたんだよ。今なら正気に戻っただろうから、とんでもないことをしようとしたと後悔しているだろうけど。正気じゃないと言っても、思い留まることが絶対に出来なかったわけじゃない。そこは罪として追求される可能性があるだろうな。」
 
「実際の被害は宿泊所の羽毛布団と毛布だけなんだけどなあ。」
 
 ライラが言った言葉に思わずみんな笑い出してしまった。
 
「それは確かにそうだね。あの羽毛布団と毛布は繕わないと使えないだろうな。」
 
「羽毛布団と毛布だけか。確かにそうだ。あの私兵は誰1人傷つけてはいないな。そのあたりは審問官が判定するだろう。そんなに重い罪にはならないだろうが、減刑嘆願が出来るようになったら声をかけるよ。その時はよろしく頼む。」
 
「わかりました。」
 
 
 その時扉がノックされた。
 
「オシニス、ちょっといいか。」
 
 ランドさんの声だ。
 
「ああいいぞ。入ってこいよ。」
 
 ランドさんが入ってきた。
 
「なんだ?いつもちょっと来いって連絡してくるじいさんはここにいるしな。」
 
「いや、お前にじゃないよ。クロービスに伝言だ。ランサル子爵家からのな。」
 
 そう言って、ランドさんは私に封筒を渡した。
 
「今ランサル家の使用人が来て、これをお前に渡してくれとさ。子爵夫人の手紙だそうだ。先日の頼み事についてと伝えてくれとのことだ。」
 
「わかりました。ありがとうございます。」
 
「こいつがここにいるってわかってたわけじゃないよな?」
 
 オシニスさんがランドさんに尋ねた。
 
「クロービスへの連絡先がわからないのでここに来たと言う話だったぞ。彼は時々ここに顔を出しますから預かりますと言ったんだ。剣士団の採用カウンターなら、間違いなく渡してもらえると考えたんだろう。」
 
「なるほど、そういうことか。」
 
「東翼の宿泊所には行ってなかったんでしょうか。」
 
 あそこの管理人も信頼出来る人だ。
 
「あそこに泊まってることまでは知らないんじゃないか?前の晩の騒ぎはもしかしたらチルダさんは知らないのかも知れないぞ。」
 
「そうですか・・・。」
 
 異議申し立てのあと、私はリーザにその話をしたのだが、意識を失ってしまったラッセル卿はともかく、リーザはチルダさんに相談しようと思わなかったんだろうか。
 
「じゃ、確かに渡したぞ。」
 
「はい、お手数おかけしました。」
 
 ランドさんは剣士団長室を出ていった。
 
「それじゃ、ここで封を開けてみます。」
 
 私はペーパーナイフを借りて封筒の封蝋を外し、中から手紙を取りだした。
 
 
 クロービス様
 
 先日は無理なお願いをお受けいただき、ありがとうございました。
 
 今日から我が家の使用人を、午前中だけ王宮のロビーに待たせておきます。イノージェンさんの返事がいただけましたら、その使用人にお知らせください。
 もしもイノージェンさんがわたくしとお会いいただけると言うことでしたら、クロービスさんご夫妻もご一緒に我が家にご招待申し上げたく思います。
 
 よろしくお願いいたします。
 
              チルダ・ランサル
 
 
「ということは、今日の午前中のうちなら、その使用人の人に伝言を頼めば伝わるってことか。イノージェン、どうする?お昼までにはまだ時間があるし、部屋に戻って手紙を書く?」
 
「そうね。いつまでも待たせておくのも気の毒だし、いつ頃伺います。て言う手紙だけだからすぐに書けるわ。団長さん、レイナック様、お話を聞いていただきありがとうございました。先ほどのお話の内容ですが、まずはチルダさんに許可をいただいてからお話しするということにしていただけるなら、私の方としては異存はありません。」
 
「もちろんです。こちらとしてもこそこそと情報を集めるようなことはしたくないですからね。じいさん、それでいいな?」
 
「無論だわい。ランサル子爵夫人だけでもイノージェン殿とわかり合えるかも知れぬのに、こちらが余計な頼み事をするわけにはいかん。イノージェン殿、子爵夫人の許可がとれたらでかまいませんからな。」
 
「はい、ありがとうございます。」
 
 イノージェンと子供達はすぐに宿泊所に戻って手紙を書くと言った。私は一度ロビーに行ってどの人がランサル子爵家の使用人なのかを確認してからにしようと話し合い、一緒にロビーまで行くことにした。
 
「また戻ってきます。少し待っていただいていいですか?」
 
「ああ、こっちは気にしないで行ってこいよ。」
 
 みんな立ち上がったが、ライラとイルサがそのまま動かない。
 
「どうした?」
 
 オシニスさんが尋ねた。
 
「団長さん、レイナック様、母のこと、いろいろと取り計らってくださって、ありがとうございました。」
 
 ライラが言って、2人揃って頭を下げた。
 
「そんなことは気にせずともよいのだぞ。こちらも仕事だからな。」
 
 レイナック殿が嬉しそうに目を細めて2人を見ている。
 
「いえ、いきなり異議申し立ての話になったのに、すぐに申し立てが出来るようにお二人が動いてくださったおかげで、母はガーランド家と縁を切ることが出来ました。本当に感謝しているんです。」
 
 イルサが言った。
 
「フロリア様の予定がたまたま取れたからな。でなければ一週間後になっていた可能性はあるんだよ。だからそんなに気にすることないぞ。」
 
 オシニスさんもさり気なさを装っているが、いい笑顔で2人の話を聞いている。
 
「フロリア様にもお礼を申し上げたいんですが、なかなか執政館に伺うのは難しいので、申し訳ないんですが、お二人からお伝えいただいていいですか?」
 
「確かに請け負うたぞ。お前達も自分達の仕事を精一杯頑張ってくれ。それがフロリア様を助けることになるのだからな。」
 
「はい、ありがとうこございます。」
 
 イルサとライラは笑顔で外に出ようとした。
 
「あらあら、先を越されてしまったわね。」
 
 イノージェンがライラとイルサの後ろから前に進み出て、オシニスさんとレイナック殿に頭を下げた。
 
「子供達に先を越されてしまいましたけど、私もとても感謝しています。お仕事とは言え、お二人がすぐに動いてくださったのがとても嬉しかったんです。本当にありがとうございました。」
 
「うむ、今後はガーランド家のことは気にせず、心穏やかに過ごせることを願っておりますぞ。」
 
 レイナック殿は本当に嬉しそうだった。そしてオシニスさんも。突然始まったイノージェンとガーランド男爵家の騒動だが、これですっきりと終わったと思っていいだろう。ガーランド家の家督相続や、イノージェンとチルダさんとの交流については、また別の問題だ。
 
 5人でロビーにやってきた。祭り見物のあとに王宮見物をしたいと考える人はたくさんいるので、いつもロビーは混んでいる。さてどの人がランサル子爵家の使用人なのか・・・。
 
「あ、あの人かな?」
 
 人混みを避けるようにしてロビーの隅に立っているのは、昨日チルダさんに声をかけてきた男性だ。男性もこちらに気づいたらしく、壁伝いに小走りにやってきた。
 
「ランサル子爵家の方ですね?」
 
「はい、わたくしはランサル子爵家の使用人にございます。もしや昨日奥様と一緒にいらっしゃった、クロービス先生でございますか?」
 
「ええ、そうです。チルダさんがお会いしたいと仰っているのがこちらの女性です。」
 
 私はイノージェンを紹介した。
 
「お初にお目にかかります。ランサル子爵家の使用人でございます。奥様へのお返事がいただけるまで、午前中だけこちらに控えておりますので、ご用の際はお声かけくださいませ。」
 
「わざわざありがとうございます。これからチルダさんへのお返事を書いてきます。すぐに持って来ますので、少しだけお待ちくださいね。」
 
 イノージェンの言葉に、ランサル子爵家の使用人は深々と頭を下げた。
 
「あの人名前を教えてくれなかったわね。」
 
 イノージェンが言った。
 
「貴族の家にはそれぞれしきたりや決まり事があるからね。使用人として一歩控えて名乗らないという家もあるらしいよ。」
 
 貴族の家の使用人はその家ごとの決まり事に則って行動する。私も名乗ってくれてもいいのになと思うが、余計なことは言わないほうがいいかも知れない。
 
「それじゃあとは僕らが母さんについてるよ。」
 
「変な人が来ても撃退してやるから大丈夫よ。先生達は団長さんのところに戻って。」
 
 ライラとイルサがそう言ったので、私達は剣士団長室に戻ることにした。
 
「私達も招待してもらえるのはよかったわね。イノージェン1人で行かせるのは不安だったし。」
 
「そうだね。1人でと言われたら何とか同行させてもらえるよう頼もうかと思ってたけど、向こうからそう言ってくれて助かったよ。」
 
「私もチルダさんとお話ししてみたいわ。最初からこちらに敵意を持っていると思い込んでいたけど、ちゃんと話してわかり合う努力はすべきなのよね。」
 
「私もそれは痛感してるよ。思い込みは危険だな。」
 
 それに、今のところ一番わかり合えないかも知れないのは、リーザの方かも知れない。リーザはガーランド家の存続のために動くつもりだろう。だが具体的にどうするつもりなのか。そこが気にかかる・・・。
 
 
 剣士団長室に戻り、私達はオシニスさんとレイナック殿と改めて話をすることにした。
 
「へえ、それじゃすぐわかったんだな。よかったよ。」
 
「しかしものすごい人ですね。どこから集まってくるんだろうって不思議なくらいですよ。イルサが馬車の予約が取れないとか、ハース鉱山の鉱夫が人手が足りなくなるくらい休みでいなくなってしまうとか聞けば、あの人混みも納得ってことなのかも知れませんけどね。」
 
「そうだなあ。馬車の予約はこちらが頑張ってなんとかなるものじゃないからな。俺の方からもクロンファンラ図書館の館長に連絡しておくか。」
 
「そうした方がよいかも知れぬな。あの館長は優秀な人物なのだがいささか頭が固い。初めて祭りの時期に城下町に来た者は、司書に限らず休みの終わりにきちんと帰れない者も多いからのぉ。」
 
 確かにこんな凄まじい人混みは、体験してみないとぴんとこないだろう。
 
「オシニスさん、レイナック殿、私達に聞きたいことがあるというお話でしたよね。イノージェンの話を先にしていただいたので、お二人が私達に聞きたいことで知っていることがあればなんでも話しますよ。」
 
「そう言ってくれてありがたいよ。そうだな・・・。サビーネの件については今のところあの女の素性を洗い出しているところだから、そっちがわかったらまた聞きたいことがあるかも知れない。あとは・・・それじゃまず異議申し立て前日の話を聞かせてもらうか。」
 
「わかりました。さっきはイノージェンも子供達もいたので、あまり詳しい話は出来ませんでしたからね。」
 
 私は異議申し立ての前の晩、東翼の喫茶室で食事をしている時から視線を感じていたこと、イノージェンに何かあったら取り返しがつかないので、念のためのつもりで部屋を入れ替えたこと、そして懸念したとおりに襲撃者は現れ、イノージェンが寝ていたはずのベッドにダガーを突き立てたこと、その後その襲撃者を捕まえて、話を聞いたことなどを話した。しかし、その襲撃者と、喫茶室で感じた視線の気配はどうも別物らしかった。
 
「ダカンか・・・。あの男はガーランド男爵家の私兵の中でも忠義に篤いことで有名らしいぞ。だが、牢獄では今回の襲撃の指示を受けたところから、ずっと『何故こんなことをしなければならないのか』を自分に問いながら動いていたと言っていたそうだ。だからあの時お前達が危険を察知して自分の襲撃を邪魔してくれて、心から感謝していると言っていたそうだよ。」
 
「私達もよかったと思いましたよ。ダカンさんという人は、ちょっと話をしただけでもいい人だなと思いましたからね。」
 
「ま、さっきライラが言っていたとおり、実際の被害はせいぜい羽毛布団と毛布だけだが、命令とは言え、人1人殺そうとして彼が起こした行動については見過ごすことは出来ない。いずれ牢獄からも何か言ってくるだろう。減刑嘆願についてはまた改めて連絡するよ。それと、ランドから聞いたが、今朝の話だな。ガーランド家の別な私兵がお前達を見張っていたらしいと言う。」
 
「私達と言うより、イノージェンでしょうね。ラッセル卿はダカンさんにイノージェン暗殺を指示するのとは別に、イノージェンを常に見張れという指示をその私兵に出していたようです。ところがその人は、異議申し立てが終わったことも、イノージェンがガーランド男爵家と縁が切れたことも知らなかったようです。」
 
「なるほどな。もしかしたら、ラッセル卿はイノージェンさんが男爵家を乗っ取ろうとしていると思い込んでいたから、異議申し立てのあとにでも殺せる時は殺せと指示しておいたのかも知れないな。」
 
「そうならなくてよかったです。異議申し立ての結果を知らないままもしもイノージェンが襲われていたら、ラッセル卿だって無事では済まないでしょうからね。」
 
「まあ、そのことがなくても無事に済むかどうかはなんとも言えない状況だがな。」
 
「そうですか・・・。」
 
「それと、ここまで関わらせちまったから教えておくよ。ガーランド男爵だが、本人の思惑通り、強制的に隠居してもらうことになりそうだ。だが問題なのはそのあとだ。本来ならラッセル卿の家督相続には何の問題もない。子供も大きくなっているしな。そしてイノージェンさんの件が決着したことで、相続についても子供達3人が自分の取り分をそれぞれもらって、あとはラッセル卿夫妻が次期男爵となればそれで終わるはずだった。」
 
「・・・はずだったと言うことは、それで終わらなかったと言うことですか?」
 
「それが今回ラッセル卿がしでかしたことに関係してるのさ。婚外子のイノージェンさんを暗殺しようと私兵に指示を出し、フロリア様の御前でイノージェンさんに暴力を振るおうとした、それは次期男爵としてふさわしい人物の取るべき行動なのかってことだよ。」
 
「ではラッセル卿が爵位を継ぐことが出来なくなる可能性があるってことですね?」
 
「まあそういうことになる。無論まだ決定じゃない。決定するための情報が不足している状態だ。」
 
「でもそんなことになったらガーランド家はどうなるんでしょう。チルダさんはもうランサル子爵夫人として家を出てますし、リーザが継がないとなると男爵家を継ぐ人がいないじゃないですか。」
 
 男爵の病室で以前リーザが言っていた。自分は継ぐ気はないと。
 
「つまりそれって、男爵家の取りつぶしっていうことですか?」
 
 妻が心配そうに尋ねた。
 
「取りつぶしと言うわけじゃない。それにラッセル卿の息子はまだ独身だが、そろそろ結婚を考えてもいい年頃だ。まだ若いが娘もいる。直系の子供がいる限り男爵家が断絶することはない。家督相続出来る子息が病弱で、その子供があとを継ぐという事例もないわけじゃないからな。だがそれは、何事もない場合だ。」
 
「その何事というのが、ラッセル卿の件ですか。」
 
「そして現当主である男爵の仮病騒ぎだ。」
 
 現当主が婚外子を強制的に相続人とするために、仮病を使った。その子息は次期男爵として十分な資格を持ちながら、その婚外子を排斥しようと暗殺を指示したり、あろうことかフロリア様の御前でその婚外子に暴力を振るおうとした。
 
(確かに・・・これは問題視されない方が不思議なくらいだな・・・。)
 
 さらに現男爵の横領疑惑もある。いや、もう疑惑ではなく確定と言ってもいい話だ。
 
「あとを継ぐことが出来る直系の子供はいるが、現当主と次期当主がしでかしたことはどう始末を付けるのかと言うことだ。お咎めなしとはいかないし、ではラッセル卿の子息を次期男爵として、彼が相続したあとに責任を取らせるというのはどう考えても筋が違う。実際にことを起こした男爵やラッセル卿に責任を取らせるのが当たり前なんだが、そうなると、最悪、爵位剥奪はあり得るだろうな。」
 
「でもそんなことになったら領地はどうなるんでしょう。」
 
「領地は全て王宮直轄になる。その後新しく出来た貴族の家の領地になることはあるだろうな。ただし、領地はなくなっても男爵家で運営していた事業のほうはそのまま残るから、以後はそちらで頑張って暮らしていくことになるだろう。貴族ではない、一般人のガーランド家としてな。」
 
「では取りつぶしとなるとどうなるんですか?」
 
「その場合は事業も全て取り上げられ、屋敷も追い出される。どこかで住む場所と仕事を探して、一般庶民と同じように暮らしていくしかないだろうな。まあ多分・・・そんなことになればランサル子爵家では手を差し伸べるだろう。ラッセル卿やリーザがその差し伸べられた手を握り返すかどうかはわからんがな。」
 
「クロービスよ、安心せい。まだ決定ではないのだからな。それに我らとてそんなことになってほしくはないと思うておる。オシニスよ、ラッセル卿と話が出来る状態になっているなら、まずはラッセル卿からの聞き取り調査だな。医師会に話を通しておいてくれ。わしも一緒に聞きたいからな。」
 
「ああ、それじゃあとで行ってくるよ。」
 
 私が行きましょうかと言いそうになったがやめておいてよかったようだ。これは正式な剣士団の取り調べのための手続きなのだから、私がひとっ走り、と言うわけには行かないことだと思う。
 
「ドーンズ先生の讒言と「ハーブティ」と偽って提供されていた薬については酌量していただけるんですよね。」
 
「それはするさ。ドーンズの話も元を辿れば男爵の、言うなれば悪だくみのようなものだ。その点ではラッセル卿にも被害者としての側面がないこともない。だがさっきお前も言っただろう?ラッセル卿は操られていたわけではないと。どの行動についても思い留まることが出来るチャンスはあったはずなんだ。それを考えれば、薬の件もドーンズの讒言も、果たしてどの程度酌量出来るかについてはなんとも言えないな。」
 
「・・・そうですね・・・。」
 
 今頃ラッセル卿は後悔しているだろうけど・・・。
 
「まあ最終的な決着は、男爵本人が人の話を聞いて理解出来るところまで回復してからの話になる。だからどのくらいで回復するのか、或いは回復の見込みが低いのか、まるっきりないのか、その辺りも含めて、一度ドゥルーガー会長に聞きに行かなくちゃならないのさ。ラッセル卿のこともあるし、午後から行ってみるかな。」
 
 
 いろいろと教えてもらったことに礼を言って、私達は剣士団長室を出た。ガーランド男爵家の今後について、私達が出来ることは今のところなさそうだ。サビーネ看護婦のことについても、彼女の素性についての調査が終わったら、もう一度声をかけるという話になったのだが、それがいつになるかはなんとも言えないという。今回の調査もティールさんのところの調査会社で動いているという話だから、そんなにかからずに判明するとは思うけどな、オシニスさんはそんなことを言っていた。一度東翼の宿泊所に戻ってイノージェンにさっきの話について聞いてみよう。あの使用人の男性にはもう手紙を渡しただろうか。ロビーに出てさっき彼がいた壁際を伺ったが、もうそこにはいなかった。
 
「もう返事を持ってランサル家に帰ったのかしらね。」
 
「だと思うよ。さっきからけっこう時間が過ぎてるし。」
 
「もうお昼近いのよね。いったん宿泊所に戻りましょうか。」
 
「そうだね。イノージェン達の予定が特にないなら、お昼はまた外で食べようか。」
 
 だが東翼の宿泊所に戻った私達に、驚くような話が待っていた。
 
 
「え!?今日の午後!?」
 
「そうなのよ。さっきあの使用人さんに手紙を渡しに行ったんだけど、特に用事がなければ今日の午後お茶の時間にいかがですかって言われたの。あなた達の都合もあるからどうしようかと思ったんだけど、早いほうがいいかなって思って・・・。」
 
 伺いますと返事をしてしまったと言うことらしい。イノージェンとしても、チルダさんの話がなんなのかは気になるのだろうし、それに、リーザは今のところ引継中、ラッセル卿はまだ入院している。男爵は目覚める気配がない。と考えると、どこからも横槍を入れられる心配なく、チルダさんと話が出来ると考えたのかも知れない。
 
(いや、それにチルダさんのほうも急いでいるんだろうな・・・。)
 
 もしも今日返事がもらえなければ明日以降もあの使用人の男性はロビーで待つことになっただろう。そして返事をもらえたらすぐにでも私達を招待出来るよう、その日の午後にいかがですかと言うことになっていたのだろうと思う。リーザやラッセル卿にこの話が漏れて、余計なことをするなと怒鳴り込まれる前に・・・。
 
「そうか・・・。うーん・・・私は特に用事がないからいいんだけど、ウィロー、君はどう?」
 
「用事なんて私だってないわよ。やっと普通の旅行者に戻れそうだものね。」
 
「まあそれもそうだね。それじゃ今日の午後、一緒に行くよ。」
 
 私としてもチルダさんの話は気になる。クリフの経過は順調だし、ガーランド男爵家のことについては今のところ出来ることがない。今日がちょうどいいのかも知れない。お茶の時間の少し前に、馬車で迎えに行かせますと言うことなので、お昼は外に出て食べることにした。
 
「今日はパレードがあるわけじゃないのに混んでるなあ。これじゃセーラズカフェも満員かも知れない。」
 
 外に出て、ライラが残念そうに言った。
 
「それじゃ今日は工房通り近くのオープンカフェで食べない?」
 
 イルサの提案で、私達は工房通り近くにあるオープンカフェの1つにやってきた。この辺りのカフェは建物の中にも椅子とテーブルがあるが、実は外のほうが多い。そしてどの店で買ってもどのテーブルでも食べることが出来る。
 
「この辺りのカフェって随分昔からあるって聞いたことがあるわ。ねえ、先生も王国剣士だった頃この辺で食事をしたりしたの?」
 
「何度もあるよ。町の中を警備中はここが一番手軽な値段で食べられる場所だったからね。王宮に戻れば食堂の食事は無料で食べられるけど、外で食べる食事はおいしいし、この辺りから先は王宮からはけっこう離れているから、行き帰りの時間がもったいないってのも、この辺りで食べてた理由かな。」
 
 城下町周辺の気候は穏やかだが、突然の天候急変と言うこともある。もっともテーブルにはそれぞれ大きな日除けがついているので、大嵐でも来ない限り食事がびしょ濡れなんてことはほとんどなかった。背中が濡れないように慌ててマントを着込んだりしたくらいだ。
 
「この辺りを警備してるとね、よくラッセル卿とチルダさんに会ってたんだよ。2人ともリーザの仕事と仕事仲間に興味津々で、強引にお茶に誘われてみんなでお茶会状態だったこともあったなあ。」
 
 そして先輩に見つかって叱られそうになると、ラッセル卿とチルダさんが先に謝ってくれたことも話した。
 
「へぇ、そんなことがあったのね。話題としてはちょうどいいかもしれないから、覚えておこうっと。」
 
 イノージェンが言った。午後のお茶会は、イノージェンなりに楽しみにしているらしい。私達も身構えず、友人達に会いに行くつもりで、気楽に行った方がいいんだと思う。
 
 
 食事を終えて王宮に戻った。お茶の時間にはまだ間がある。イルサとライラは元々今日の予定はなかったらしいので、本を読んだり調べ物をしたり、午後からはのんびりしているからと言っている。だが出掛ける気にはなれないらしい。妻とイノージェンはまたマレック先生のところに話を聞きに行くそうだ。チェリルにも話を聞きたいらしいのだが、今はまだ忙しい時間帯だ。お茶の時間になったらロビーに集まることにして、私は改めて研究棟に行ってみることにした。
 
 
 部屋の前に行くと、話し声が聞こえてくる。オーリスとライロフらしい。私はノックをして声をかけ、扉を開けた。
 
「あ、先生、お疲れさまです。すみません勝手に入って。」
 
「いやいいよ。ここで仕事をしたらと言ったのは私だし。まだ私が借りている状態だからね。」
 
 部屋の中は整然としている。2人が使っている机の上に置かれている薬草学などの本が少し雑然としている程度だ。きれいに使ってくれているらしい。
 
「ハインツ先生は、ここはクロービス先生の部屋だと仰ってましたよ。」
 
 オーリスが言った。
 
「元々はそのつもりでドゥルーガー会長が用意してくださったらしいんだけどね。私は島を離れる気はないし、ここの主席医師の件も断ったし、ここを私の部屋として使うことはないんだけどね。」
 
 誰か使いたいという人がいればいいのだが、ここを使いたいという人はなかなかいないのではないかという気がする。
 
(会長が私の部屋として用意したと公言してしまったみたいだしなあ。)
 
 そう言われてから、私が使わないのなら自分が使いたいと言える人はなかなかいないような気がする。今回の旅行が終わって一度島に帰ったら、改めて整体を教えるためにここに来ることはあるかも知れないが、果たしてこの部屋を使うかどうかはなんとも言えない。今回のように突然手術を頼まれるなどと言うことがあれば使う必要は出てくるかも知れないが、そういったことは、出来る限りなしにしてほしいものだ・・・。
 
「クリフの薬はどうだい?何か困ったこととかないかい?」
 
「はい、今日からは病室に詰めていなくても、薬の時間だけ作りに行って、飲ませて問題ないようならあとは次の薬の時間までは自由に歩けるようになったんです。」
 
「そうか。今日も経過は順調なんだね。」
 
「ハインツ先生が、クロービス先生が来ないなって仰ってましたよ。」
 
「主治医はハインツ先生だしね。昨日も経過が順調なようだから、特に顔を出すこともないかなと思ったんだよ。それにまあ、いろいろと忙しかったからね。」
 
「ハインツ先生もそう仰ってました。それで僕達も朝と昼、昼と夜の間はここで勉強しようと話し合って、この部屋をお借りしていたんです。」
 
 私がここにいる間だけでもオーリスとライロフが使いたいというので、それは了承した。クリフの手術以降、2人は薬草学に興味を持ったらしい。それでこの部屋の本を使っていろいろと調べ物をしているらしい。それにライロフはここで試験のための勉強もしているようだ。
 
 せっかく意欲的に勉強しているのに、この部屋から追い出すというわけにも行かない。まあしばらくは城下町を出られそうにないので、このまま2人に使ってもらって、ドゥルーガー会長にだけ話を通しておこう。私は研究棟の部屋を出た。いつまでもいたのではオーリス達に気を使わせてしまう。これから出掛けることを考えると、やはりあと行っておきたいのは、クリフの部屋だ。クリフの経過が順調なら、今日は宿に帰る事が出来るかも知れない。
 
「失礼します。」
 
 クリフの部屋をノックして開けると、やはり空気は穏やかだ。つまりクリフの経過は順調だと言うことだ。
 
「あ、先生、お疲れさまです。」
 
 いつもの看護婦達が出迎えてくれた。ハインツ先生はゴード先生と共に薬草を取りに薬草庫に行ったらしい。
 
「足りない薬草があるとか仰ってましたわ。オーリスとライロフからその話をお聞きになって、ゴード先生と一緒に薬草庫に向かわれましたのよ。」
 
 薬を作っているテーブルの上に置かれた薬草籠を見ると、確かに薬草が2つほど、ほとんどない。
 
(薬草庫に入るのにも、ハインツ先生は神経を使っているんだろうな・・・。)
 
 薬草庫から勝手に薬草を持ち出した何者かの正体は未だわかっていない。オーリス達を信用していないと言うことではなく、確実に信頼出来るゴード先生と一緒に行ったのだろう。
 
(だが・・・誰だかわからないということは、オーリスかライロフではないと言い切ることも出来ない・・・。)
 
 疑うのは私の役目ではないが、やはり気にかかる。いったい誰が・・・。
 
(いや、今は考えないでおこう。)
 
 気持ちを切り替えてロビーに向かった。まだお茶の時間には早いが、ランサル子爵家の馬車はもう着いているかも知れない。

第106章へ続く

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