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 イノージェンとウィローは子供達を迎えに行った。2人とも今日は図書室にいるそうだ。イルサは友達の手伝い、ライラは調べ物をしているらしいのだが、時々執政館に行ったり、あちこち動いていると言う話だ。昼時には戻って待っていることになっているのだと言う。
 
(子供達には、夜でも話してくれるだろう・・・。明日は全面的に任せるしかないからなあ・・・。)
 
 明日の私の仕事は、クリフの手術、それを成功に導くこと。だがハインツ先生に自信を取り戻して貰うための道筋は見えない。一緒に考えてくれるはずだったゴード先生は、今のところ自分のことで手一杯のようだ。
 
(そもそも二度目の手術がうまくいかなかったという、その理由がはっきりしないんだよなあ。)
 
 なぜうまくいかなかったのか。病巣を取り切れなかったとは聞いたが、その時の詳しい状況までは聞けていない。今回の手術の話が出た時、ハインツ先生はメスについての問題点も指摘していたが、だからといって全ては道具のせいというわけではなさそうだった。ただ、同じ道具、同じ執刀医でもう一度手術をしても結果は同じだろうと言っていた・・・。
 
 では、具体的にどううまく行かなかったのか。
 
 ハインツ先生の腕が問題だとは思えない。私と言う存在がなければ、とっくに主席医師の座に座っていてもおかしくないほどの医師だ。麻酔薬の件で私を主席医師にと言う話は、ドゥルーガー会長よりもどちらかというとフロリア様とレイナック殿が話を進めていたのじゃないか。私を城下町に呼ぶために。
 
(そして・・・私の存在を理由にして、ハインツ先生は主席医師の椅子に座ることを拒否しているってわけだものな・・・。)
 
 第一最初の手術は成功していたのだ。二度目の手術は思わぬところに病巣が転移していたから行われたと聞く。その転移場所が厄介な場所だというのは、私も記録を見たり話を聞いたりして理解しているつもりだ。
 
「となると・・・やはりその時の状況がわからないとなんとも言えないな。」
 
 でも二度目の手術が失敗していたというわけではないことはわかる。ここはやはり、ハインツ先生に話を聞いたほうがいいのだが、さてどうしたものか・・・。
 
「そうだなあ・・・。今までの手術や治療の経過記録をもう一度見てみるか。」
 
 私は東翼の喫茶室に向かった。ちょうどフロアの隅の席が空いている。食事を頼み、今までの経過のメモを見ながらもう少し対策をすることにした。
 
(うーん・・・聞いた話と特段変わったことは書いてないなあ・・・。)
 
 以前貰った経過報告書には、ハインツ先生に聞いた話と同じ話が載っているだけだ。
 
「今日の夕方からは手術の準備・・・あ。」
 
 本当なら今日は一日クリフの状態を見ておくために病室にいて、夕方からは手術室で明日の準備をすることになっていた。午前中はつぶれてしまったし、午後もデンゼル先生に教えて貰ったあとは剣士団長室に行かなければならないが、夕方からの手術の準備は外すことは出来ない。
 
「そうか。その時にハインツ先生と一緒に準備するから・・・話が聞けるな。」
 
 手術室で準備をしながらなら、前回どうだったかという話が出来そうだ。
 
「よし、それで行こう。あとは・・・。」
 
 ゴード先生のことか・・・。
 
「いや、いっそデンゼル先生にマッサージについて教えてもらえる時に、強引に引っ張っていくか・・・。」
 
 彼は挑発に引っかかりやすい。うまく乗せればなんとかなりそうだ。出来ればそんな手は使いたくないのだが、これから明日までは予定がびっしり詰まっている。彼の心に寄り添ってやれる時間はない。
 
 
 食事を終え、昼休みが終わる頃合いを見計らって、私はクリフの病室に戻った。いつもいる看護婦に聞くと、ハインツ先生とゴード先生は午後からは来るはずだと言うことだった。クリフは眠っている。そろそろ目を覚ます頃だろうと言うことだ。
 
「おお、クロービス、早いの。」
 
 デンゼル先生が入ってきた。私はみんなまだ昼から戻ってきていないので、もう少し待ってくださいと頼んだ。
 
「ああ、そりゃかまわん。別に時間が決まった授業ってわけでもないしな。ほぉ、この若者が患者か。随分血色がいいのぉ。大分体力はついたようじゃな。」
 
 一時期は死を待つばかりで、痛みを少しでも和らげるために麻薬の投与も視野に入れていたこと、その後両親の願いでもう一度手術をしてほしいと言うことになり、視点を変えてマッサージを試してみたのだと言った。ローハン薬局の件は伏せてある。
 
「ふうむ、それで最初はうまくいっていたのに、最近になって病巣の痛みとは違う痛みが出たと言うことか・・・。」
 
「はい。それでその痛みの正体を探るべく、マレック先生にお願いしてデンゼル先生に手紙を出していただいたんです。」
 
 そしてデンゼル先生は昨日の今日で急ぎ駆けつけてくれ、打ち合わせではその痛みの正体を暴いてくれた。
 
「さっき言うた通りじゃよ。マッサージによって病巣からくる痛みを抑えて食事が取れるようになり、体力をつけられたのは何より大きな事じゃて。マッサージによって引き起こされたこの痛みを、軽視すべきではないが囚われてもいかん。さっきの若いのは、何でもない、気にするようなことじゃないとでも言ってほしかったのかのぉ。」
 
 おそらくはそういうことだろう。デンゼル先生が『こんなのは気にしなくていいぞ』とでも言えば、ゴード先生は『あの痛みは気にしなくていいものだ』と安心したのかもしれないが、それは正しいことではないし、確実に起きている事象なのに信じたくないからと言って、目をつぶってはならないのだ。
 
「何でもないなら何でもないと言うが、実際には放置していいものではない。だがそれも患者の年齢や病気の内容など状況によって変わる。ま、もう一度ちゃんと説明出来る機会があるといいのだがなあ。」
 
 そこに扉がノックされ、ハインツ先生とゴード先生が入ってきた。イヤミを言ったり馬鹿にしたりして挑発しなくてすんで、ほっとした。
 
「デンゼル先生、クロービス先生、お待たせしました。」
 
「おお、気にしなくていいぞ。あとはクロービスの奥方だな。」
 
「外に食事に出たので、もう少しかかるかもしれません。」
 
「大丈夫でしょう。患者もまだ寝ているようですし。」
 
 ハインツ先生がクリフのベッドを覗き込んでいる。
 
「そろそろ目を覚ますと思いますわ。」
 
 ベッドの脇に座っている看護婦が、枕元の時計を見ながら言った。
 
「しかし立派な時計じゃな。今時の時計は大分正確になったようじゃわい。」
 
「ええ、これで睡眠時間を計って、記録として残してあるんです。ですからクリフがだいたいいつ頃目を覚ますかも、ある程度把握出来てますのよ。」
 
「ふぅむ・・・これからはそう言う記録も大事になるじゃろうなあ。」
 
「こういうものがありますと、私達看護婦も効率的に動けるようになるとは思いますわ。」
 
「なるほど、うちの診療所でも考えてみるか・・・。」
 
 デンゼル先生の考え方はとても柔軟だ。新しいことも古いことも、今一番必要なのは何なのか、まずはそれを考えて導入するかどうか検討する。これは私も見習わなければならない。もっともさっきのマレック先生とのやりとりのように、自分が理解出来ないとなると突然頑固になるようだが・・・。
 
 その時足音が聞こえ、病室の扉がノックされた。
 
「失礼します。遅くなりました。」
 
 妻の声がして、扉が開いた。息を切らせている。
 
「そんなに急がなくても大丈夫だよ。これからだからね。」
 
「はぁ、よかった。今日はパレードの日だったのよ。人混みがすごくて危うくここと反対方向に流されるところだったわ。仕方ないからみんなでパレードの列に入って、王宮の近くに来た時にさっと離れたの。そこからまたここに戻ってくるまでが大変だったわ。」
 
「それは大変でしたねぇ。あのパレードというものは、凄まじいエネルギーですから。」
 
 ハインツ先生が笑った。
 
「さてそれでは始めてもいいかの。」
 
「はい、よろしくお願いします。」
 
 ゴード先生のほうを伺ったが、それほど苛立っているようには見えない。落ち着いて考えれば、ここでデンゼル先生の教えを受けておくほうが、絶対にプラスになる。デンゼル先生には、私やゴード先生よりも遙かに豊富な経験と、それに裏打ちされた確かな技術があるのだ。
 
「患者が寝ているようだから、まずは理論の説明を・・・。」
 
 デンゼル先生が言いかけた時、『う・・・』と声がした。
 
「あらクリフ、お目覚め?」
 
 枕元で看護婦が声をかけると、「はい・・・あれ?」
 
 病室にいるたくさんの人の気配に気づいたのか、クリフがこちらを見た。
 
「みなさんは・・・。」
 
「おお、目が覚めたか。それではまず自己紹介じゃな。」
 
 デンゼル先生はそう言って、クリフに自己紹介をした。クリフは看護婦の助けを借りて体を起こし、『よろしくお願いします』と言ってデンゼル先生と握手を交わした。
 
「ほぉ、手助けが必要とは言え、きちんと体を起こしておけるようになっておるとは。これならば明日の手術もうまく行きそうじゃの。」
 
「マッサージの治療を受ける前は、顔を横に向けるのも一苦労でした。それがここまで回復して、それだけでも僕は嬉しくて仕方ないんです。」
 
「そうかそうか。患者自身が前向きなのは何よりいいことじゃのぉ。さて、クリフと言ったか、今はどこか痛いところはないか?」
 
「そうですね・・・だいたい起きた時にはこの辺りが・・・。」
 
 クリフの説明をデンゼル先生は真剣に聞いている。
 
「うーむなるほどな。で、ここが痛い時にはその痛い部分をマッサージしていたわけか・・・。」
 
「まずは痛みを取り除くべきだと判断したんです。もっといい方法があるなら、ぜひ教えてください。」
 
 妻がベッドのそばに行き、デンゼル先生に尋ねた。
 
「いや、今朝の打ち合わせでも言うたが、痛む部分を直接マッサージして痛みを取り除いたこと自体は間違ってはおらん。ただ患者が若い場合はともかく、広くたくさんの患者向けのやり方ではないという事じゃな。だが、そうじゃの・・・。ここが痛いと言う時に、ここを直接ではなく、こっちの方をマッサージしても、ほぼ同じような結果は得られると思う。どうやら今患者は実に安定した状態らしいから、あとでマッサージが必要な時にでも試してみてくれ。」
 
「ありがとうございます。」
 
 妻は持っていたノートにデンゼル先生の言葉を書き込み、礼を言った。
 
「デンゼル先生、もう少しお聞きしたいんですが・・・。」
 
「おお、何でも聞いてくれ。しかしお前さん方がマッサージや整体についてここまで詳しく勉強しとったとはのぉ。ローランに来た時に聞いておれば、もっといろいろと話が出来たんじゃがなあ。」
 
 あの時はルノーの治療が最優先だったし、あのノートを託されたあとだったので、マッサージについてそこまで詳しい話を聞く時間がなかった、というより、正直言って頭の中になかった。城下町でいきなりこんな状況になるなんて思いもしなかったのだ。
 
「まだしばらくはかかりそうですが、帰りもローランによる予定です。その時にまたお話を聞かせてください。」
 
「そうじゃな。時にセーラはどうしとる?兄貴のほうはどの程度回復したのかのぉ。」
 
「あとで病室に案内しますよ。」
 
「なんと、まだ入院中か。」
 
「充分回復はしてるんですが・・・。」
 
 アスランがリハビリをしている間、仲間達の事を気にしなくていいようにと、ゴード先生が計らってくれたことを話した。
 
「おお、なるほどな。ゴードじゃったな。細かいところまで気が利くんじゃなあ。アスランも妹のセーラも生まれた時から知っておる。世話になっておるようじゃ、礼を言うぞ。」
 
 突然デンゼル先生に頭を下げられて、ゴード先生が戸惑った顔をした。
 
「いやその・・・患者を気遣うのは当然ですから・・・。」
 
 この部屋に入ってから、ゴード先生はずっとむすっとした顔を崩さなかったのだが、さすがに決まりの悪そうな顔でデンゼル先生から顔を背けた。表情の通り、とても戸惑っているのはわかる。もやもやとした感情をもてあましているらしい。
 
「その気遣いが出来るのはいい事じゃ。さてウィロー、話が逸れてしまってすまなかったな。何を聞きたいんじゃ?」
 
「はい、実はですね・・・。」
 
 妻がデンゼル先生に質問を始めた。ゴード先生の方はどうやら心配は要らないようだ。さっきの打ち合わせの時にデンゼル先生にくってかかったことで、『振り上げた拳の落とし処』をどうすべきか迷っていたのだろうと思う。だいたいデンゼル先生のほうは、さっきの事なんて特に何とも思っていない。気にしていたのはゴード先生の頑なさだ。だが彼が患者に対してきちんと気遣いの出来る医師だと言うことがわかって、安心しているようだ。これなら明日の手術はうまく行きそうな、そんな気がしてきた。
 
 妻がいろいろと質問を続け、そのたびにデンゼル先生がここにいる医師達に向かっていろいろと話してくれた。しばらく過ぎて、クリフが横になり、デンゼル先生が実際にマッサージを披露して見せてくれた。そんなに力を入れているわけじゃない。見ていたところ、なんとなくブロムおじさんのマッサージの仕方に近いんじゃないかと思った。
 
(おじさんがここで講義してくれればいいけど・・・それは無理な話だよな・・・。)
 
 一度追放されてしまった医師が、舞い戻って講義をするなんてことは、まず出来ないだろう。その分私と妻が、おじさんの技術をしっかりと継いでいかなければならない。もっともっと、積極的におじさんから学んでいかなければならない。
 
(もっと前からそうしなくちゃならなかったのにな・・・。)
 
 今頃になって気づくなんて、情けないことこの上ない・・・。
 
 
「さてと、だいたいこんなもんじゃな。あとわしはまだここにいるから、質問があれば受け付けるぞ。」
 
 デンゼル先生のマッサージ講義はここまででお開きとなった。私はハインツ先生に少し席を外すことを伝え、デンゼル先生に挨拶をして部屋を出た。
 
 
 採用カウンターにはランドさんがいる。オシニスさんが在室かどうか尋ねたところ、今ならいると言うことだったので、私は団長室の扉をノックした。
 
「おう、開いてるぞ。」
 
 その声に扉を開けて中に入った。
 
「随分急いで来たみたいだな。まあ座れよ。」
 
 言われて初めて、自分の息が切れていることに気づいた。
 
「そんなに急がなくても大丈夫だよ。イノージェンさんが申し立てをするための時間はちゃんと用意されているからな。」
 
「すみません。どうにも気が急いて・・・。」
 
「ま、気持ちはわかるよ。まずはお茶でも飲んでくれ。」
 
 オシニスさんがお茶を淹れて私の前に置いてくれた。
 
「男爵のほうはどうだ?」
 
「すみません、午後からは行ってないのでわからないです。今はデンゼル先生のマッサージの講義が終わってすぐにここに来たんです。」
 
「そうか。まあ目が覚めてないのは確かだろうから、まずはお前に俺の情報を公開するか。」
 
 オシニスさんはそう言うと、机の上に置かれていた紙の束を取り、テーブルの上に置いた。
 
「まったく、ドーンズって奴はとんでもない奴だったよ。」
 
「・・・どういうことですか?」
 
「まず、男爵本人からの依頼で強い薬の投与を始めたのは、1年ほど前らしい。それまでは男爵が病気で弱っている振りをしてイノージェンさんに会わせてくれと言っていたのが、なかなか実現しないもんだから本当に病気に見えるように強い薬を飲ませてくれと頼まれた。だがそんなことが露見すれば自分もただでは済まない。そこで、口止め料としてかなりの額をもらっていたらしい。しかも毎月な。」
 
「・・・しかし今ガーランド家の領地運営を担っているのはラッセル卿でしょう。それでなくても財政状況が芳しくないというのに、そんなに多額のお金を毎月支払っていたのでは・・・。」
 
「なあ、お前がこっちにいた頃の話だが、リーザの家は大きくて、かなり贅沢な暮らしをしているような話を聞いたことはないか?食いものが上等だとか着ているものは全部絹だとか。」
 
「ありますよ。ガーランド家と言えば貴族達の家があるお屋敷群の中で、かなり派手で目を惹く大きな家でしたよね。リーザがそんな話をされるのを嫌がったのでそれほど話題にしたことはなかったですが、お金はたくさんあって、随分と裕福・・・え?それだと今の話と合わないような・・・。」
 
 20年の時は決して短いものではない。当時は隆盛を極めた家もいつの間にか没落していた、なんてことはこちらに来てから時々聞いた。だがまさかリーザの家まで・・・?
 
「当時はガーランド男爵家と言えば、でかい屋敷に贅沢な暮らしで有名だったよな。だがどうやらその暮らしは、男爵夫人の実家である伯爵家からの援助で実現していたらしい。男爵本人はあの通りの、まあいわゆる夢想家だ。領地運営の才覚はなく、家族を顧みずに昔の別れた恋人のことばかり追い求めている。そんな男に娘を嫁がせた父親はかなり嘆いていたらしい。それにあの頃伯爵家はもう代替わりしていたから、当主は男爵夫人の兄貴だな。彼も妹の不遇がどうにも不憫でならなかったんだろう。せめて何不自由ない暮らしが出来るように、援助していたという話のようだな。」
 
 その援助は、ガーランド男爵家の領地運営がその妹の子供であるラッセル卿に引き継がれてからもずっと続いていたのだが、伯爵家もまた代替わりして男爵夫人の兄上は隠居した、その後男爵夫人が亡くなり、それを機に打ち切られたということらしい。
 
「男爵はそのことをご存じなのですか?」
 
「その辺りは男爵に聞くしかないが、知らなかったとは思えないな。いくらラッセル卿が実際の領地運営を担っていると言っても、まだ彼は家督相続予定者でしかない。男爵家の全ての金は、現当主に送られてくるはずだ。前回ここで話し合いをした時にイノージェンさんが見せてくれた手紙と金については、金額的にも男爵個人の金で賄える程度のものだったので問題にならなかったが、ドーンズに渡していた金はかなりの高額だ。どう考えても男爵家の領地から上がってくる金、つまり王宮に報告義務のある金だと思う。それを私的に流用していたかもしれないとなると、話は変わってくる。それに、知っていたかどうかはともかく、伯爵家としては、男爵家として体面を保ち、妹とその家族が不自由なく暮らせるようにという願いを込めて援助していたのに、当主がその金をあろうことか結婚前にもうけた婚外子を相続人として迎えるために使ってしまっていたなんて、伯爵家も援助の甲斐がなかったことだろうな。」
 
 オシニスさんは呆れているようだ。気持ちはわかる。私だってさっきから話を聞いていて、あまりにも情けないガーランド男爵の振る舞いに、呆れているところだ。
 
「しかし・・・ドーンズ先生は知っていたかもしれませんね。」
 
「どうやらそうらしい。奴は親父の代からガーランド男爵家に出入りしていた。医師としては親子共々腕が良かったんだろう。かなり信頼されていたらしいから、それを利用して相当深くガーランド家に食い込んでいたらしいぞ。」
 
「オシニスさん、その報告書の中で、ドーンズ先生が男爵に薬を投与していた部分だけでいいんですが、見せていただくことは出来ないですか?」
 
 私としてはまずそれが知りたい。今後の治療に直接影響を及ぼす情報だ。
 
「ああ、そうだな。うーん・・・よし、ここのページだ。下の方はうっかり読んじまっても見なかったことにしてくれ。」
 
 オシニスさんは紙の束の中から該当するページを探し出し、他のページが見えないようにして私に差し出してくれた。だが男爵の薬についての記述はそのページの半分ほどで、下の方はその他の取り調べに関するものらしい。
 
「大丈夫ですよ。関係のある部分だけ読ませていただきます。」
 
 そこに書かれていたのは、男爵にどんな薬をどのくらい投与していったかが書かれていた。最初は多めの便秘薬をたまに投与するくらいで、下痢や腹痛を起こさせたりする程度、いやもちろんそれだってかなり体に悪いのだが、そこまで強い薬は投与していなかったらしい。だが男爵のほうが、もっと病気に見えるようにと要求をエスカレートさせていったとある。これは男爵にも事情を聞かなければならない案件だろうが、それは私の、と言うより医師の役目ではない。
 
「うーん・・・本当に男爵からの要求があったのかについてはちゃんと調査する必要がありそうですが、そこは私が考えることではないですね。ただこの報告書では、あんまり詳しい投薬の記録が書かれていないので、その辺りを聞き取りしてくれるように頼むことは出来ませんか?」
 
「それは可能だろう。ドーンズとしても、洗いざらい話して出来るだけ審問官の心証を良くしたいだろうしな。」
 
「それではお願いします。ただこの件に関しては、ドゥルーガー会長を通してレイナック殿に調査内容の開示をお願いしたほうがいいかもしれませんね。」
 
「そうだな。こちらとしてもそのほうが情報を流しやすくなると思う。」
 
「では会長に話してみます。ところで、先ほどの『とんでもない』という話はどういうことなんですか?」
 
「・・・ローハン薬局の劇薬だ。」
 
「え!?まさかあの薬はドーンズ先生が・・・!?」
 
 オシニスさんは忌々しそうにうなずいた。
 
「もっとも奴も『フードを被った男』にうまい話を持ちかけられたってことのようだがな。ドーンズの父親というのは、絵に描いたような善良な医師だったらしい。だから医師の家とは言っても暮らし向きはそれほど裕福ではなく、食べていくのに困らないという程度だった。ドーンズが成長して医師として働き始めた頃は父親の助手をしていたらしいんだが、その父親のやり方に不満を持っていたらしい。やりようによってはいくらでも金を稼げるのにってことだな。」
 
「しかしその『やりようによっては』という考え方は危険ですよ。もちろんお金を取らないことばかりが正しいとは言いません。高額な薬もありますし、施術によってはかなり高度な技術を要するものもあります。しかしお金が主眼に置かれると、全てのことが金額で算出されてしまいますから・・・。」
 
「ま、それで親父さんとはたびたび衝突していたらしいよ。しかしその親父さんも年を取って引退し、息子にあとを継がせた。さあそうなればドーンズとしてはやっと自分の考えで診療所を運営出来ることになったというわけだ。」
 
「しかし先代の先生のやり方とあまりかけ離れたことをいきなりやり出したら、患者さん達が戸惑ってしまうのでは・・・。」
 
「そうだろうな。そこでドーンズは、まずはかかりつけ医として出入りしているガーランド家に目をつけたわけさ。」
 
「・・・何をしたんですか?」
 
「ガーランド家の誰かが病気になった時、別な患者の対応が忙しいので遅れると言うことを、何度かやってみせた。もちろん風邪とかの、多少医者が遅れても問題にならない程度の病気の時だけだけどな。そして『かかりつけ医として一番に対応する事が出来るように契約をしてくれれば、他の患者を断ることが出来るようになる。』と言う話を、ガーランド男爵に持ちかけたらしいよ。」
 
「酷い話ですね・・・。」
 
 つまり、下世話な言い方をすればガーランド家は『カモにされた』ということなのだろう。あの男爵だって才覚があろうとなかろうと領地運営に携わっているのだから、ドーンズ先生の肚の中くらいは想像が付くと思うのだが・・・。リーザはこの辺りの経緯を知っているのだろうか。
 
「セルーネさんとこみたいに、診療所を丸ごと家の中に作るようなことは、他の家では出来ないことだからなあ。」
 
 ベルスタイン公爵家では屋敷の中に診療所を作り、そこに医師と看護婦、助産婦まで働いているという話だ。公爵家の人間でも使用人でも、誰でもその診療所にかかることが出来、しかも無料だという。この診療所があるおかげで、公爵家の人々は言うまでもなく、使用人達も安心して働くことが出来るので、評判はいいらしい。だがその診療所の運営費もかかる医療費も全て公爵家持ちだ。他の家ではそこまでの財力はないから、近隣の診療所をかかりつけ医として何かあればそこに相談するという形を取っているのだが、病人が出れば誰かが医師を呼びに行くことになるので、普通の家庭と変わりない。
 
「もっともその契約を持ちかけた最初の頃は、それほど多額の契約料をふっかけたわけではなかったらしい。そんなことをして断られたのでは元も子もないからな。ところがしばらく過ぎたある日、男爵の方から『婚外子の娘を財産相続人に加えたいから、協力してくれ』と持ちかけられたという話だ。」
 
 それを機に、男爵の仮病の手助けをする見返りとして、多額のお金がドーンズ先生に支払われるようになったと言うことらしい。『フードを被った男』がドーンズ先生の診療所に現れたのは、その頃のことだったそうだ。
 
「つまり、ドーンズ先生が男爵からの見返りについて話さなかったのは、ガーランド家の領地から上がってくるお金を男爵が横領していることを知っていたからなんですね・・・。」
 
 そして男爵夫人の実家である伯爵家からの援助金も、全てではないにしてもドーンズ先生への支払に充てられていたということか・・・。
 
「だろうな。それを知っていながら金を受け取っていたことが知られれば、自分も同罪になる危険性もあるが、さすがに牢獄での尋問を受けて黙り続けることが出来なくなったと言うことだろう。それと、ローハン薬局の件もな。」
 
『フードを被った男』
 
 もちろんクイント書記官だろう。ローハン薬局で勧めている『いい薬』の処方箋は、ドーンズ先生によるものだったと言うことか・・・。
 
「と言うことは、あの薬局に置かれていた劇薬の薬草は、ドーンズ先生が管理していたと言うことですか?」
 
「今回もらってきた報告書にはまだそこまで書かれていないな。取り調べはまだ続くみたいだから、明日辺りはもう少し詳しい報告書が届くと思う。ただちゃんとした医師で診療所も構えているんだから、あんなところにこっそりと薬草を保管させる意味はないような気はするんだよな。」
 
「それもそうですね・・・。」
 
 うちの診療所にも劇薬はいろいろと置いてある。診療所の中にある薬草庫の奥の方に保管してあるので患者から見える場所ではないが、特に隠すような話でもない。
 
(となると・・・あの薬草は、もしかしたらクイント書記官が管理しているものか・・・。)
 
「だがドーンズが関わっていたのが処方箋の件だけかどうかはわからんからな。余罪がいろいろ出てくる可能性はあるだろうな。」
 
「それに、レグスさんは何とか被害に遭わずにすみましたが、多額のお金を支払って怪しい薬を買っている人達はいると言うことですね・・・。」
 
「ああ、しかしドーンズは処方箋を書いてはいるが、誰がその薬を買っているかまでは知らないらしい。」
 
「それだけでも違法ですよ。処方箋というのは、必ず診察してその患者に合わせた薬を出すために書くんですから。」
 
 そして、その先はクイント書記官のしっぽを掴まないことには、調べることが出来ないと言うことか・・・。
 
「しかし彼は随分とタイミング良く現れてますね。やはりガーランド家も見張られていたと言うことでしょうか。」
 
「奴がこの町に現れて以降、貴族の没落や代替わりによる弱体化など、そう言った情報を得るたびに、探りを入れて後々利用出来るかどうかを調べていたのかもな。ガーランド家もその中の一つとして、周辺を探っていただろう事は想像出来る。」
 
 サクリフィアの密偵だった人達が移り住んだ島・・・。その密偵の情報収集のやり方を使って、クイント書記官は何をしようとしているのだろう。彼のしていることが『あのお方』を王位に就けるための策謀だとしたら、それは間接的にベルスタイン公爵家に対する反逆にもなるような気がするのだが・・・。
 
(まあ・・・相手が王家ではないから反逆という考え方はちょっと違うのかもしれないけど、感覚としては変わらないよなあ・・・。)
 
「しかし思いもかけないところであの薬屋の話に繋がったのはありがたいよ。今まではそっちの話も手詰まりだったからな。」
 
(もしかしたら、セディンさんが飲んでいるあの薬も、ドーンズ先生が処方箋を書いているのかな・・・。)
 
 ガーランド男爵家の話とは関係ないだろうが、麻薬絡みの処方箋を書かせるための医師を、そう何人も抱えているとは考えにくい。数が多ければ仲間割れで秘密が漏れる危険性だって高まるはずだ。
 
(だとすると・・・シャロンがもらっている薬も、もう手に入らなくなる可能性があると言うことか・・・。)
 
 手に入らなくなってくれれば、あんな薬をもうセディンさんに飲ませなくてすむのでいいのだが、何も知らないシャロンは動揺するだろう。それでなくても、いい薬と安価で品質のいい薬草と引き替えに、恐ろしい陰謀に巻き込まれているかもしれないのに・・・。
 
「しかしドーンズ先生は、そこまでして儲けたお金を、何に使っているんでしょうね。」
 
 毎月ガーランド家から入る多額のお金、『いい薬』の処方箋を書いて手に入るお金、それを彼は何に使っているのか。それともただ貯めておくだけなのか・・・。
 
「それはこの間家宅捜索で押収した帳簿類を調べていけばわかるだろう。かなり膨大な量になるから、じいさんにも手伝ってもらうことにしたんだ。ただしその金の流れは今回の件とはまた別の話だから、時間がかかっても地道にやるしかないだろうな。」
 
「それも大変ですね・・・。」
 
「ま、悪だくみは『あのお方』の専売特許ってわけじゃないからな。どこにでも碌でもない企みを考えて実行に移そうとする奴らはいる。偶然とは言えそいつのしっぽを掴むことが出来そうだから、それはそれでよしとしよう。・・・いや、別にいい話ってわけじゃないけどな・・・。」
 
「そうですね・・・。そちらは私に何か出来ることはなさそうですが、せめてイノージェンの、呪いのようなガーランド家との関わりはここで断ち切ってあげたいです。」
 
「呪いか・・・。まったくそうだな。男爵の執着とラッセル卿がイノージェンさんに向ける憎しみは、なるで呪いみたいなもんだ・・・。」
 
 たとえば今回の申し立てでイノージェンがガーランド家の一員となることをきっぱりと拒否したとしても、男爵はおそらく生きてる限りお金をイノージェンに送り続けるかもしれないのだが、その辺りはどうなのか聞いてみた。
 
「そうだなあ。今回の申し立てが受理されれば、そう言った類いの手紙を今後男爵がイノージェンさんに出すことは禁じられる。だが男爵が素直に言うことをきくかどうかって事だな。あとは・・・そうだな、ガーランド家から発送される手紙などは、本来家の執事がまとめて送り先をチェックするんだが、その辺で食い止めてもらうしかないのかもな。」
 
「つまり、禁じるという命令を出すことは出来ても、男爵が無視して出そうと思えば出せなくもないと言うことですね。」
 
「そういうことだ。だが実際に禁じられたあと、イノージェンさんのところに手紙が届くようなことがあれば、今後は男爵家ではなく王宮に送ってもらうようになるだろう。罰則はあるからな。」
 
 王宮に手紙が送り返されれば罰則の対象となる。そんなに重い罪になるわけではないとしても、そうなれば社交界の物笑いの種になってしまう。そんなことにはなってほしくないものだが、こればかりはガーランド男爵本人にきちんと考えてもらうしかなさそうだ。とにかく今は、イノージェンが法的にガーランド家とスッパリと縁を切る事が出来るよう、最善を尽くそう。
 
「とにかく、これでイノージェンさんが申し立てをするための準備はある程度整った。あとは明日、書類の書き方を教えて、おそらくその時にイルサもライラも来るだろうから、2人にも聞いてもらって書類を作ってもらうよ。申請書の内容と、実際の申し立ての内容が食い違うとまずいから、その辺りはお前達と打ち合わせしてもらうように言っておく。」
 
「もしかして日程はかなり早いんですか?」
 
 ドーンズ先生の所業に気を取られ、今回剣士団長室を訪れた一番の目的である申し立ての日程を聞くことをすっかり忘れていた。
 
「そうだ。明後日の午後に実際の申し立てが出来ることになった。」
 
「うわ、本当に早いんですね。」
 
「男爵が目を覚ます前にってことで出来るだけ早い日程を組んでくれとじいさんに言ったら、だったらクロービスとウィローの体があく明後日でいいだろうと言われたんだ。それを過ぎるとあと一週間くらいはフロリア様の日程がどうにもならなくてな。」
 
「それじゃ申請書は、明日のうちに作って出さないと行けないですね。」
 
「そうなんだ。だから、そうだなあ・・・。明日の手術がうまく行って、クリフの容態が安定するようならここに来てくれないか。もしもあんまり容態が芳しくない場合は誰かに連絡をくれるように頼んでくれるとありがたい。その時の状況によってだが、うまく行けば申請書の作成もお前達と一緒に出来るかもしれないぞ。」
 
「わかりました。何が何でも成功させなくちゃならないですね。」
 
 こんなに早く話が進むとは思わなかった。だが急がなければならないことも確かだ。出来るなら申請書も申し立ての内容もちゃんと私達が一緒に考えてあげたい。私の仕事はとにかく明日の手術を成功させること、イノージェンと一緒に申し立ての原稿を考えてあげること、そして実際の申し立ての時に付添人として同行することだ。
 
(リーザと妹さんはともかく・・・ラッセル卿は何をやらかすかわからない危うさがあるからな・・・。)
 
『せめて母様がもう少し愛情をそそいでくれていたら』
 
 リーザが言っていた言葉を思い出す。男だと言うだけで母親の愛を得られなかったとは何とも気の毒だが、だからって他の誰かを傷つけていいことにはならない。申し立ての内容を聞けばイノージェンの真意はわかるはずだから、せめて和解が出来るくらいに柔軟になってくれるといいのだが・・・。
 
(法的に縁が切れたとしても、血の繋がりまではなくせない・・・。今後交流することは出来なくても、せめて憎み合って別れるようなことにだけにはなってほしくないな・・・。)
 
「それじゃ私はイノージェンが戻ったら日程だけ知らせておきます。」
 
「どこかに行ってるのか?」
 
「子供達と祭り見物ですよ。さっきのことがあってどうしようかって迷ってたみたいなので、楽しめる時は楽しんだ方がいいと言ったんです。イノージェンが落ち込んだりする必要はないはずですからね。」
 
「そうだな。それじゃ何かわからないことがあったら、いつでも来てくれていいよ。書類は用意してあるから、いつでも書き方は教えられる。」
 
「わかりました。よろしくお願いします。あ、そうだ。さっきの報告書の話なんですけど、リーザに話を聞くなら呼んできますよ。男爵の様子を見に行きますから。」
 
 オシニスさんは少し考えていたが・・・。
 
「そうだな・・・。少し話を聞きたいから来てくれと言ってくれるか?」
 
 オシニスさんはあまり気が進まなそうだった。
 
「それと、私が今聞かせていただいた話は、イノージェンの話は別としても、ドゥルーガー会長に話して問題ないですよね。」
 
「それはかまわん。でないと医師会がじいさんに事情を聞くことは出来ないだろうからな。」
 
「わかりました。」
 
 私は団長室を出た。自分で言っては見たものの、リーザを呼んでくるのは私も気が進まない。でも後回しにしないほうがいいような気がしたのだ。まっすぐガーランド男爵の病室に向かい、クロムとフィリスに誰も訪ねてこなかったか聞いてみた。
 
「今はどなたもいらっしゃっていませんよ。」
 
「君達は夕方までかい?」
 
「はい。僕らは夕方までで別の組と交代します。本当は執政館の勤務だったんですが、ここの警備が増えたのでローテーションが変わってしまったんです。」
 
 フィリスが答えた。急な変更はいつものことと2人は笑っていたが、それでなくても祭りの警備に人手を取られているこの状況では、王国剣士達の負担が心配になる。私は無理をしないようにと2人に声をかけて、病室の中に入った。
 
「あ、先生、デンゼル先生の講義は終わりですか?」
 
 タネス先生は薬を入れる器を洗っていたところだった。
 
「終わりましたよ。私はちょっと用事があって剣士団長室に行っていたところなんですが、男爵閣下の様子はいかがです?」
 
 タネス先生は眉間にしわを寄せてうーんと唸った。
 
「あまり良くないですねぇ・・・。まったく・・・なんでこんな無茶をなさったのか・・・。」
 
 昼の薬はリーザが気功で少しだけ起こし、何とか口に流し込む形で飲ませたらしい。呪文で言えば気付けのようなものだ。
 
「起こせば起きてくれるけど、支えがないとすぐにくたっと倒れてしまうし、話しかけても反応なしよ。いったいどれだけたくさんの薬を飲んだのかしら・・・。」
 
 リーザもため息をついている。
 
「リーザ、オシニスさんが何か話があるって言ってたよ。団長室に来てくれって。少しなら私がここにいられるから、今行ってくるといいよ。」
 
「・・・あんまりいい話じゃなさそうだけど、後回しには出来ないわね。それじゃ少し父様をお願い。」
 
 リーザは重い足取りのまま部屋を出て行った。
 
 
 しばらく男爵の様子を見ていようと思ったのだが、そこにハインツ先生が顔を出した。
 
「おやクロービス先生、こちらでしたか。」
 
「さっき来たところですよ。ドゥルーガー会長は今どちらですか?」
 
「今は会長室だと思います。男爵様の件で、レイナック様に少し話を聞きに行こうかと仰ってましたからね。」
 
 ドゥルーガー会長も、男爵を一入院患者として扱っていいものかどうか、決めかねているのだろう。私は会長室に剣士団長の伝言を伝えに行くとハインツ先生に話し、リーザが団長室に呼ばれているから少しここにいてもらえないかと頼んだ。
 
「大丈夫ですよ。どっちみち夕方からは手術の準備もありますから、私がこのままここで先生をお待ちします。」
 
「わかりました。ではちょっと行ってきます。」
 
 全く忙しい。ちっともクリフのそばにいられない。
 
 
 会長室についてノックしたところ、開いているから入ってくれと返事があった。
 
「失礼します。」
 
「おお、クロービス殿、こちらから探しに行こうと思っていたところだ。」
 
「ガーランド男爵の件ですね?」
 
「うむ・・・。どうしたものかと思ってな。剣士団長殿と話をしてこられたようだが、状況がどうなっているのかはわかるかね?」
 
「はい、実は・・・。」
 
 私は今朝の出来事をもう一度きちんと説明し、さらに先ほどオシニスさんから聞いてきた話を全て話した。そして、ドーンズ先生が男爵に何をしたか、きちんとした調書を入手しないと、患者の治療にも支障があるのではないかと考え、ドゥルーガー会長からレイナック殿に、調査についてわかったことをこちらに知らせてもらえるように頼んでもらえないかと頼むつもりでここに来たことも。
 
「うーむ・・・しかし何という愚かなことをされたのだ男爵は・・・。」
 
「全くバカなことだと私も思いますよ・・・。」
 
「ではクロービス殿、さっそく私がレイナック殿に宛てた書状を届けさせよう。もう少し詳しい投薬の記録がないと、こちらでもどんな薬を飲ませるべきか判断がつかぬからな。」
 
 ドゥルーガー会長がレイナック殿に当てた書状は、医師会の助手に届けさせることになった。
 
「あとは一刻も早く詳しい記録が届くことを祈るのみだな・・・。言っても詮無いが、明日は手術だというのに、何とも間の悪いことだ・・・。」
 
 デンゼル先生の来訪とベルスタイン公爵家からの薬草の寄贈はいい知らせだったが、そのあとにこんな酷いことが起きるとは思っていなかった・・・。
 
(言っても仕方ないな・・・。今出来る最善を尽くすことにしよう・・・。)
 
 そろそろ夕方になる。イノージェンは戻ってくるだろうか。来ない場合は妻に伝言を頼むしかない。私の方はハインツ先生と手術の準備をしなければならない。
 
 
 ガーランド男爵の病室に戻ると、扉の前に王国剣士が2人来ている。夜勤の組との引継をしているらしい。2人とも顔には見覚えがあるが名前は聞いたことがない。クロムとフィリスはこの2人は自分達と同期で腕には信頼を置いていいからと言って、引継後に帰って行った。
 
「急な仕事が増えてしまってすまないね。よろしく頼むよ。」
 
「はい、お任せください。」
 
 私は病室の中に入った。ハインツ先生がタネス先生に薬の調合について指示をしているところだった。リーザはまだ戻っていない。そこに扉がノックされ、今し方引き継いだばかりの王国剣士が顔を出した。
 
「先生方、夜勤の先生が引継に来られたそうですが、入っていただいていいでしょうか。」
 
「ああ、入ってもらってくれ。」
 
 ハインツ先生が応え、医師が2人ほど中に入ってきた。手には薬を入れたかごを持っている。
 
「今夜はここで患者の様子を見てくれと会長に言われてきたのですが・・・。」
 
 2人とも少し戸惑っているようだ。ハインツ先生が2人に事情を説明し、とにかく目を離せない状況なので、明日の朝までよろしく頼むと言った。
 
「ではタネス、君もご苦労だった。もうあがっていいよ。ではクロービス先生、明日の準備をしに行きますか。」
 
「はい、ではよろしくお願いします。」
 
「こちらこそよろしくお願いします。」
 
 手術室に向かうべく2人で病室を出たのだが、私はイノージェンへの伝言を妻に頼んでおきたいとハインツ先生に頼み、クリフの病室に顔を出した。
 
「あらどうしたのクロービス。」
 
 不思議そうに尋ねる妻を廊下に呼び出し、オシニスさんと話した申し立ての日程について話した。
 
(随分と急ねぇ・・・。でも次は一週間後なんて冗談じゃないわね。)
 
(フロリア様の予定が合わないらしいよ。こうなったら絶対にその日に終わらせてしまったほうがいいと思って・・・。)
 
(そうね。それじゃもう少ししたら私はあがるから、宿泊所に行ってイノージェン達を待つわ。ライラとイルサも一緒だろうから、2人にも話が出来ると思う。)
 
(そうだね。頼むよ。)
 
 妻が今回の件をライラとイルサに話すのを手伝ってくれれば、イノージェンも冷静に話が出来るだろう。これで、今日私がしなければならないことは明日の手術の準備だけだ。
 
「すみません、お待たせしてしまって。」
 
「かまいませんよ。では行きましょうか。」
 
 私はハインツ先生と2人、手術室に向かって歩き出した。
 

第103章へ続く

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