『勘違いしないでくれ。その若者に問題があるというのではない。むしろ私の不手際で家族をなくしたようなものだ。その件については大変申し訳なく思っているし、十分な保証をしたい。だがなユジン、此度の病が元で家族を失った領民は大勢いるのだ。私は親を失った子供達と子供を失った親達が一緒に住む孤児院のようなものを作ろうと考えている。子を失った親達はそこで子供達の面倒を見てもらおうとな。この若者は子供の世話をするにはいささか若すぎる気はするが、力仕事などの雑用は出来るだろう。そう言う場所で働いてもらうというなら喜んで賛成するが、この若者だけを我が家で雇うというのは、他の領民達に示しがつかんと思うのだが。』
「私は、海に入ろうとしているドラロスを見つけた時、どうしても生きてほしかった。もう誰にも死んでほしくない、その一心だった。だが父の冷静で穏やかな、そして全く反論の余地のない諭しに、何と言っていいかわからず黙り込んでしまったのだ。全く情けない限りだったよ。」
ユジン卿は言葉が見つからず、悔しさで体を震わせながら黙り込んでしまった。その時、当時の執事さんが進み出て、助け船を出してくれたのだという。
『旦那様、仰るとおりではございますが、若様がハスクロード家の人間として、次期伯爵として約束なされたのです。ここで反故にしてしまっては、若様のと申しますより、ハスクロード家としての威信に関わりましょう。』
『うむ・・・それはそうなのだが・・・。では何か、いい案はないか。こんな時お前はいつも突破口を見つけてくれる。どうだね?』
父君が心なしかほっとしたようにそう言ったのを聞いて、隣の部屋でこっそりそのやりとりを聞いていたファルミア様は思わず笑い出しそうになったそうだ。
「ふふふ・・・お父様は初めからドラロスを雇うつもりでいたのですよ。だけどたくさんの人が亡くなって、困っている領民がドラロスだけではないというのも事実です。ドラロスの前の執事はそういう時必ずと言っていいほどうまくいく折衷案を考え出してくれたのです。父はそれを期待していたのでしょう。」
「・・・実を言うとな、お前が隣の部屋にいたというのを知った時、なぜさっさと出てきて口添えをしてくれなかったのかと腹立たしかったものだよ。」
ユジン卿の言葉にファルミア様が笑い出した。
「だって事は領地の運営に関わることですもの。そんなところにわたくしが顔を出して何か言ったりしたら、お母様が黙っていませんでしたわ。」
「う、うむ・・・確かにそれはそうだな・・・。」
(厳しいけど優しい、そんな人だったんだろうな。)
先ほどのファルミア様の話を聞く限り古風な女性だったようだが、多分、当時の貴族の女性はそう言う人が多かったんだろう。
その後当時の執事が出してくれた折衷案はこうだった。
まずは孤児院を建てることを告知し、そこで働いてくれる人を募集する。次にドラロスさんと同じくハスクロード家で下男として働いてくれる人を募集する。
『この若者だけを雇おうとすれば不公平だと言うことになりましょう。ですがどのみち他にも人手は必要です。同時期にきちんと募集をかけて相当の人数を雇うのですから、何を言われても気にすることはないと思われますがいかがですか。』
それで話は決まり、ドラロスさんはハスクロード家にやってくることになったと言うことだが、引っ越しのために家を片付けているとき、近所に住む友人が訪ねてきた。ドラロスさんと同じく、今回のたちの悪い風邪で家族を亡くした人だったそうだ。
『うまくやったなドラロス。』
その友人はイヤミたっぷりに言ったそうだ。
『どういう意味だ?』
『言葉通りさ。海に入るふりまでするとはね、領主様の若様はすっかりお前の演技にだまされたってわけだな。』
『そ、そんなことがあるはずがないじゃないか。俺はあの時本気で死のうと・・・。』
『ふん、今になれば何とでも言えるさ。家族になってくれるとか言われたそうだが、どうせ口だけさ。目の前で死なれるのは後味が悪いから、若様だってお前をうまく丸め込んだつもりだったんだろうさ。あちらは領主様、貴族様だ。お前みたいな使用人、いくらでも代わりはいるんだ。ちょいと何かやらかせば、すぐにでもお払い箱さ。』
その『友人』は、言うだけ言ってさっさと出て行った。あとで聞いた話では、ハスクロード家の下男の募集にも、孤児院の仕事の募集にも、その友人は不採用になったらしい。
「・・・元々は気のいい奴ですが、あいつも家族を失ってすっかり人が変わってしまった・・・。不採用になったのがよほど悔しかったのでしょう。気にしなければいいだけの話ですが、私は・・・彼が言ったように『いずれ私もお払い箱になるかもしれない』そんな不安が少しずつ大きくなっていきました・・・。」
そんなことはないと、その時言われても今言われても、ユジン卿もこの家の人達もそう返すのだろう。だが一度ドラロスさんの心に芽生えた不信感は、日を追うごとに大きくなっていったそうだ。特にドラロスさんがこの家に来て、初めて会ったリュミス夫人と子供達、ユジン卿の妹君として紹介されたファルミア様も美しく教養豊かで、こんなに素晴らしい家族に囲まれて毎日を暮らしているユジン卿が、本当に自分を家族としてそばに置いてくれるのか、不安で不安で仕方ない毎日だった。
『本当にお払い箱になったらどうしよう。』
恐怖とも言える感情にドラロスさんがおののいていた頃、ファルミア様のお輿入れが決まった。それと同時に自分が正式に『次期執事』となることも決まった。ファルミア様の花嫁支度を調えるため、先代の執事と一緒に家具調度やドレスの手配などもすることになった。
『これはチャンスだ!』
ドラロスさんはそう考え、いろいろと調べ物をして先々代の伯爵夫妻、そして当時の執事と話し合い、『質素ではあるがどこの家にも負けない』ファルミア様の花嫁支度を調えたのだった。
「ドラロスの手腕は見事でした。嫁ぐために家を出る時、ドラロスは満面の笑みでわたくしを送り出してくれました。両親も兄夫婦も笑顔で、あの時のわたくしは誇らしい気持ちでいっぱいだったのです。」
「そうだな・・・。私達もそうだった。ライネス様は誠実な方だ。父も母も、もちろん私達夫婦も、この婚姻がお前を幸せにしてくれると、信じていた。」
だが・・・
「お兄様、ドラロス、ここからは、わたくしが輿入れしてからお父様の看病で戻ってくるまでの出来事です。先ほどは使用人達の前でしたから、最低限の話しか聞くことが出来ませんでした。わたくしが知らない間に起きた出来事を全部、教えていただけますか?」
ドラロスさんを包む『気』の流れがぶるぶると震えている。
「・・・それは・・・私から説明させていただけませんでしょうか・・・。確かにさっきは他のみんなもいたので何もかもというわけには行きませんでした。ですがここでは・・・全てお話しします。」
「あなたが話してくれるのね?では聞かせて。お兄様、ドラロスの話をお聞きになって、抜けている話などがあれば教えてください。」
「わかった。ドラロス、まずはお前から話してくれ。」
ドラロスさんがうなずいて話し始めた。
「ファルミア様のお輿入れの時は、本当に晴れがましい気持ちで一杯でした。自分の居場所がこの家に出来たと、安心もしていました。ところが、しばらくするとまた不安になり始めたのです・・・。そこで私は、旦那様・・・ユジン様が喜びそうな剣の話などを調べて話すようになりました。ユジン様はいつでもにこにこと聞いてくださって、私はそれだけでうれしかったはずなのに・・・。」
ユジン卿の笑顔に影が見え始めたのは、伯爵として家督相続を済ませたあと作物の出来がよくなく、民の暮らし向きが少しずつ悪くなり、税収にも影響が出始めた頃だった。
「あのころのことか・・・。畑の土を変えたり、覆いを掛けて寒さから守ったり、いろいろなことをしてみたのだが、年を追うごとに作物の出来は悪くなっていった・・・。元々ここの土地はそれほど肥えているわけではない。だからある程度の不作は覚悟していたのだが、あの頃は漁のほうも不漁が続いていたんだ。確かにその頃は、ドラロス、お前に限らず、妻の言うことも、子供達との会話も、何もかも煩わしく感じてしまっていたな・・・。私が家督を継いだとたんにどうして・・・と・・・。」
ユジン卿が悲しげに言った。
ユジン卿が日ごとに無口になっていくのを、ドラロスさんは違う意味に受け取ってしまった。自分がここにいるせいかもしれない、自分の存在が疎ましくなったのではないかと。
『ユジン様の気を引けるものはないだろうか』
自分がこの家にとどまるためには、当主となったユジン卿に自分が役に立つと思ってもらわなければならない。そこでドラロスさんはこの家に『元々あった』はずの剣について調べ始めた。そしてわかったことを折に触れてユジン卿に話をした。そしてユジン卿のほうも、その頃頭の中は領地のことで一杯だったのだが、剣の話を聞いている間だけは何も考えずにいることが出来た。そしてそれが少しずつ、剣の話を聞くというより、剣の話題に逃げ込むようになっていったのだという。
「ただのおとぎ話でも、楽しい話を聞いているのはうれしかった・・・。私は逃げたのだ。自分を取り巻く様々なつらい出来事から。ドラロスの話を聞いているのだと自分に言い訳をして、自分が為さなければならない様々なことから、目を背けるようになっていった・・・。」
「私は・・・私は・・・旦那様・・・ユジン様が少しでも笑顔になってくださればと、そう考えていただけのはずでしたのに、ほんの少し躓いただけで足がお悪いのではと車椅子を勧めたり、ご気分がすぐれないのならと奥様やリアン様の訪問を、嘘をついて追い返したり、知らず知らずのうちに、ユジン様を部屋に閉じ込めておくようなことをしてしまいました。今朝、執事の職を解任されて、ユジン様のお世話だけをするよう仰せつかったときも、職を解かれるなど本来ならば不名誉であるはずなのに、私は喜んだのです。これでユジン様を独り占め出来ると、私はいつまでもここにいられると・・・。」
ここまで話して、ドラロスさんは顔を覆って泣き出した。それでか・・・。まるで喜んでいるようだと思った心の叫びは・・・。
「・・・ドラロス、お前が悪いわけではない。私もお前からの耳にいい話ばかり聞いて、妻や子供達にも全く注意を払わなくなった。そのうち、剣さえあれば我が家は再興出来ると思い込み、そして先代のライネス王陛下をも、何と役立たずな王だと、1人憎しみを募らせていった。ここは王妃の実家だというのに、誹謗中傷され、新伯爵は能無しだと陰口をたたかれているのに何もしてくれないのかと。ファルミアが戻ってきたときも、慣れない王宮での暮らしに対して優しい言葉をかけるどころか、冷たい言葉を浴びせることしか出来なかった。これではいけない、ここから抜け出さなければと思う一方で、ドラロスがしてくれる気分のよくなる話を聞いているうちに、何もかもどうでもいいと・・・ただこの部屋にこもっていれば時はただ過ぎていくと・・・。愚かしいことを・・・。」
「しかしそれでは、領地運営にも支障が出たのではありませんか?」
"マーケスさん"が尋ねた。
「そこについては私が説明しますわ。」
答えたのはリュミス夫人だった。
「領主が引き籠もろうと領地運営は待ってはくれません。私が当時の先代伯爵にお願いして、お手伝いをさせていただきましたの。お義母様はよい顔をされませんでしたが、流行病が元で創設された孤児院の運営もありましたし、作物のほうも不作なら不作なりに王宮への連絡などもありましたから、誰かしらは動かなければならなかったのです。」
「わたくしがこちらに戻ってきてからは、わたくしもお義姉様のお手伝いをしましたよ。王宮で覚えた仕事が自分の家で役に立つとは思いませんでしたけどね。」
ファルミア様が言った。
「うーん・・・。」
腕を組んで考え込んでいた"マーケスさん"だったが、急に立ち上がり、ドラロスさんの肩を叩いた。
「なあドラロスさん、あんた、風水術か治療術は使ったことがあるか?」
「は?」
きょとんとしてドラロスさんが顔を上げた。
「い、いえ、私はそのような物は全く使えません。」
慌てて首を横に振るドラロスさんだが、"マーケスさん"には何か考えがあるらしい。
「じゃ、今から言う言葉を復唱出来るかやってみてくれ。」
そう言って"マーケスさん"が口にした「言葉」は、なんと治療術の初歩『自然の恩恵』の呪文だった。
「"マーケス"、それは・・・。」
ファルミア様が尋ねた時、ドラロスさんがその『呪文』を唱えだした。そして・・・。
「やっぱりな・・・。今はここにけが人がいないからだが、あんたの今の呪文を誰かの怪我した場所に手を当てて唱えれば、きれいに治っていると思うよ。」
「ま、まさかそんなことはございませんでしょう。私は呪文なんて習ったこともございません。」
慌ててドラロスさんが否定したが、ファルミア様も驚いていた。
「ドラロス、今の詠唱、とても正確できれいな発音でしたよ。本当に今"マーケス"から聞いたのが最初なの?」
「一度聞いただけで、正確できれいな発音で唱えられるってのは、高い呪文の適性があるってことですよ。さすがに風水術はここで試せないが、ドラロスさん、呪文の適性があるって言うことは、あんたは『気』を操れるってことだ。」
「『気』ですか・・・。」
ドラロスさんはまだぽかんとしている。だが"マーケスさん"がこんな話を持ち出した理由に気づいたのは、ユジン卿とファルミア様だった。そして私も、今の質問の意味に気づいた。
「まさか・・・。」
信じられない、そう言いたげな顔でユジン卿とファルミア様が"マーケスさん"を見た。
「ドラロスさん、あんたがユジン卿に足が悪いのなんのと言っている間、あんたは自分でも気づかないうちにユジン卿を『気』で絡め取っていたってことなんだよ。」
「ま・・・まさかそんな・・・!?」
ドラロスさんは真っ青になり、椅子から崩れ落ちるように床に座り込んでしまった。
「では"マーケスさん"、ユジン卿がなかなか『抜け出せなかった』というのは、精神的なものだけではなく、『気』が働いていたからだと言うことですか?」
"マーケスさん"が『厄介だ』と言っていたのはこのことだったのか。
「おそらくは、だがな。そしてドラロスさんは自分が呪文を使えることすら気づいていなかったというわけだ。ま、それが普通だよな。普段の暮らしの中で呪文が必要になるような事態なんてないもんなあ。」
『自覚はしていないが理解はしている』
さっき"マーケスさん"から聞いた話も、ここで理解出来た。
「"マーケスさん"、もう少し詳しく教えていただけませんか?」
今回の話は、エミーが私への思いを1人募らせて『気』をふくれあがらせたあの時の出来事と似ている。もっともそうは言えないので、あくまでも『剣士団の仲間に以前聞いた話』として、ドラロスさんが自分で増幅させた『気』の塊に押しつぶされずに済んだのはどうしてなのかと聞いてみた。普通ならあの時のエミーのように、『気』の塊を抱え込んでしまう。そうなれば私にもウィローにもそれははっきりと見えたはずなのだが、それらしい『気』は全く見えなかった。見えたのはあの怯えたような『気』・・・。それはどちらかと言えば、ユジン卿の暴挙に対する不安とおびえだと思っていた。そしてユジン卿にも、『気』で絡め取られているような様子は全くわからなかった。
「うーん、そうだなあ。確かにこういう場合はクロービスが聞いた話と同じように、ドラロスさんかユジン卿が『気』の塊に潰される危険性がある。だがそうならなかったのはおそらく、ユジン卿の体質だろう。」
「私の体質?」
今度はユジン卿が驚いて"マーケスさん"を見た。
「ユジン卿、あなたはハスクロード家の直系です。呪文は使われないようですが、『気』を取り込むことの出来る体質なんじゃないかと思いますよ。おそらくですが、これからでも呪文を覚えることが出来るほどの、適性はあると思います。」
「『気』を取り込むなんてそんな体質の人がいるんですか!?」
思わず尋ねた。"マーケスさん"は私を見てニッと笑ってうなずいた。
「俺がその話を聞いた時、お前さんと全く同じ事を聞いたよ。『そんな体質の人間がいるのか』とね。」
「どこで聞かれたんですか?」
「王宮の神官殿さ。あれは多分・・・レイナック様の直弟子の1人だったかな。リッツ高神官て知らないか?」
「知ってます。何度かお話を伺ったことがありますね。」
リッツ高神官というのはレイナック殿と同じような、とても穏やかな人物だ。歳は確か50代になったくらいだと聞いたことがある。レイナック殿が見出して王宮の神殿で修行させたという話で、治療術の腕も確かだ。気の早い人達は、レイナック殿が亡くなったら次の最高神官はリッツ高神官ではないかと噂したりもしている。レイナック殿はまだ60代だ。まだまだ先の話だと思うのだが・・・。
「あの人がそんな話をしてくれたんだ。『気』を取り込んで体の中で消滅させることが出来る体質なんて、世界中探してもそんなに数はいないだろうって言ってたなあ。」
「では"マーケス殿"、私がその体質だと言うことか?」
「そうなんじゃないかと思います。呪文の適性を見てもらったりしたことはないんですか?」
ユジン卿はしばらく考え込んでいたが・・・
「ないな。私はこの家の跡取りとして、小さい頃から父と一緒に領地運営のための勉強はしていたが、呪文などの適性は調べたことがなかったよ。ファルミアが不思議な力を持っていることがわかってからは、両親はファルミアに呪文の適性があるかどうかを見てもらったり、そのための勉強をさせたりしていたから、誰も私が呪文を使えるかどうかなんて気にしなかったと思う。」
「なるほど・・・。確かに、領主の仕事に呪文の詠唱なんてありませんからね。」
"マーケスさん"が言った。
「今回のことは偶然が重なったと言うことだと思いますよ。ドラロスさんは自分が『気』を操っているという自覚がなかったし、その『気』をユジン卿が自覚なしに取り込んでしまっていたんでしょう。ただ、長い間『気』を取り込み続けていたユジン卿のほうは、領地のことなどでも精神的にダメージを受けてしまっていたことで、厭世的になってしまったのかもしれませんね。」
"マーケスさん"の言葉に、ユジン卿がうなだれた。
「そういうことか・・・。本当に・・・使用人達にも家族にも、申し訳ないことをしてしまった・・・。」
「旦那様!それも全て私の責任でございます!私が・・・愚かなことを考えなければ・・・。」
「お兄様、ドラロス、今ここで誰が悪いかなんて言い合ってみても始まらないわ。これからどうするかを考えましょう。」
ファルミア様が言った。ここから先はハスクロード家の人達の問題だ。私とウィローに、出来ることは何もない。
「そろそろ失礼します。話も聞かせていただきましたし、今日の宿も取らなければならないですから。」
そう言って立ち上がったが、慌てたように私達を制したのはリュミス夫人だ。
「とんでもない。このままお客様を帰すわけには行きませんわ。今日はどうか泊まっていってくださいな。」
「い、いやそれはさすがにご迷惑では・・・。」
「あら迷惑だなんてとんでもないわ。クロービス、ウィロー、それに"マーケス"も、どうか今日は泊まっていってください。」
ファルミア様も言ってくれたので、今日は泊まらせてもらうことになった。
「あ、俺もいいんですか?突然来たのに申し訳ないですね。」
"マーケスさん"は口ではそう言っているが、なんだか最初から泊まるつもりで来たような気がした。
「今回のことは、皆さんが協力してくださったおかげです。本当にありがとうございました。」
リアン卿が頭を下げた。
「リアン卿、今回のことはこれで終わりじゃないよ。これからが一番大変なんだ。お前さんなら、さっきの話し合いの中で、腹を立てていた使用人がいたことにも気づいたんじゃないか?」
「え、先生、どうしてそのことを・・・。」
「さっきクロービス達に謝りに来た使用人の中に、何となく腹立たしげにユジン卿を見ていた人がいたみたいだからな。」
その怒りを、私も感じた。だがそれは私が言うべきことではないと思って黙っていたのだ。さすが"マーケスさん"だ。下手に他人が口を出せば余計なお世話になってしまう可能性もあるが、この人は話の流れに少しずつ助言することで、今回の問題解決の糸口をこの家の人達に示した。
「その辺りは、誠意を持って私が対応すべきだろう。元を辿れば私の至らなさのせい、だから彼らが望むようにしてやりたいと思っている。だがそれは、今日明日になんとかなる話ではない。地道に時間をかけて行くしかないだろうからな。」
ユジン卿が言った。
「では皆様、お部屋にご案内いたします。」
メイドのサーラさんに案内されて、私達は今日泊まる部屋に入った。隣は"マーケスさん"らしい。
「うわ、これは・・・。」
「うわあ、広いわねぇ。」
泊まらせてもらうのだから個別に一部屋ずつにしてくださいとも言えないな、などと考えていたのだが、そんなことを言わなくてよかった。この部屋はものすごく広い。しかも部屋は中程で仕切られ、それぞれの場所にひとつずつベッドやテーブルなどが設えられている。なんとシャワーを浴びられるスペースまであるのだ。
「広さの基準が違うね・・・。」
「ほんと、こんな豪華な部屋に泊まらせてもらっていいのかしら。」
やはり私達は一般庶民だなあと思う。こんな豪華な部屋は落ち着かない。とは言っても、豪華な部屋は落ち着かないから町で宿をとるとは言えそうにない。
「とにかく荷物を置いて、鎧ははずそうか。」
「そうね。鎧なんて身につけないで過ごすのが当たり前なのよね。」
「そうだね。」
家の中はどこも清浄な空気で満たされている。特に結界などがあるわけではないようだが、ここに入ってこられるモンスターなどいないだろう。ただ、2人とも武器だけは身につけておこうと話し合った。私の剣はこの家に元々あったものだ。盗まれる心配はしなくていいだろうが、見せてくれと言われる可能性はあるかもしれない。そしてウィローの武器は一応見た目は扇なので、身につけていてもそれほど違和感がない。
「クロービス様、ウィロー様、入ってもよろしいでしょうか。」
扉がノックされ、サーラさんの声がした。どうぞと応えると扉が開き、サーラさんがたくさんのお菓子とお茶の用意を乗せたワゴンを押して入ってきた。
「そろそろお茶の時間でございます。こちらはここに置いておきますので、ご自由にお召し上がりください。本来ならば当主がお茶会にご招待するところなのでございますが、先ほどの件でまだ話し合いの最中でございます。どうかこちらでお茶をお召し上がりくださいませ。」
「ありがとうございます。お構いなくとお伝えください。」
「かしこまりました。」
サーラさんは一礼して、部屋を出て行った。
「いい方向に行くといいけど、こればかりはなんとも言えないわね。」
お茶を淹れながら、ウィローが言った。
「そうなんだよね・・・。ユジン卿のなさりように腹を立てていた人達は、今回のことをそう簡単に受け入れてくれるかどうか・・・。」
2人でそんな話をしながらお茶を飲み、おいしいお菓子を食べていると、やはり眠くなってくる。
「・・・少しだけ眠らせてもらおうか。」
「そうね・・・。なんだか眠くなっちゃったわ。」
ここでは常に気を張っている必要はない。休める時に休んでおくべきだ。そう考え、ふかふかのベッドで、2人とも少し眠った。目覚めた時にはまだ外は明るく、それほど時間が経っていなかったのに、疲れがすっかり取れている。
「不思議だなあ・・・。このベッド、何か安眠出来るような仕掛けがあるのかな。」
「まさか、そんなのないんじゃない?でも確かに疲れが取れてるわね。」
「そうだなあ・・・。サクリフィアの村からファイアストームの背中に乗ってここまで来て・・・。」
「・・・・・・・。」
何か・・・忘れているような・・・。
「あ、そうだ!ファイアストームに連絡しないと!」
時間がかかるようなら念話で連絡をくれと言われていたのを、すっかり忘れていた。私は今朝ファルミア様に向かって念話を使った時のように、ファイアストームがいるはずの方角に向かって、今日はこの家に泊めてもらうことになったという内容の話を飛ばしてみた。
≪確かに承りましてございます・・・。では明日の朝、同じ場所でお会いしましょう・・・。≫
それほど大きくはないが、ファイアストームの声がはっきりと聞き取れた。どうやら成功したようだ。
「よかったわあ、思い出して。ほんと、きれいに忘れてたわよねぇ。」
ウィローが笑い出した。
「明日戻ったら、謝っておかないとなあ。大分待たせてしまったよ。」
「そうね。職務にはとても忠実な竜みたいだし。ねえ、さっきファイアストームから降りた場所は人気のない場所だったけど、ここまで来るのにそんなにかかっていないわよね。このお屋敷から町までは遠いのかな。」
ウィローが言った。
「うーん・・・どうなんだろう。」
「少し買い物をしたいわ。傷薬や包帯もほしいし、携帯食料もけっこう食べちゃったわよ。」
「それじゃ聞いてみようか。」
私達は改めて鎧を身につけて荷物を背負い、部屋を出た。
「お、どこかに行くのか?」
隣の部屋の扉が開いて、マーケスさんが出てきたところだった。
「町に買い物に出たいんですが、どっちの方角に行けばいいのかわかりますか?」
「町かあ、俺も行くかな。ここの町ならある程度はわかるぜ。よければ案内するが、どうだ?」
「それじゃお願いします。」
私達は3人で町に出ることをロビーにいた使用人に伝え、ハスクロード家の屋敷を出た。
「しかしすごいお屋敷ですよね。これでたいして裕福でもないと言われるなんて、とんでもない話ですよ。」
私は振り返り、屋敷を見上げた。
「貴族ってのは我々一般庶民とは感覚が違うからな。だがまあ、この屋敷に限っては、建てたのは何と言ってもファルシオン最後の王の王妃だから、あの当時はそれが普通だったんじゃないか。」
「・・・え?」
「・・・ま、まさかその時に魔法で建てたって言う・・・。」
「ああそうだよ。魔法で建てたから、今でもきれいなままなんだ。」
「この家の皆さん、そのことは・・・。」
「ファルミアは知ってると思うぞ。他の人達はどうかなあ。ま、ご先祖が建てた屋敷って事で大事に維持管理はしているみたいだから、誰が建てたのかなんてそんなに気にしていないんじゃないのか?」
「それもそうですね・・・。」
でもそれが事実なら、この屋敷は建ててからいったいどれくらい過ぎているのだろう。そう言えば、城下町の水道設備は建国以来変わっていないという話を聞いたことがある。北大陸の北部にある岩山から水を引いて、町の中にポンプなどの設備を作り、王宮ではその水を湧かして風呂に供給しているとか。
(あれも現代では説明のつかない技術だって話だったな・・・。)
そう考えれば、その手段はともかく、こうして建っている屋敷自体は他の建物と何ら変わりない。誰が建てたかなんて誰も気にしないというのも道理か・・・。
「ほら、町が見えてきたぜ。」
こうして歩いてみると、屋敷から町まではそんなに離れていない。船着き場が見えてきた。いや、ここはもう『港』だ。大きな船が何隻も停泊している。町の中ではたくさんの人々が行き交い、サクリフィアの町よりも賑やかなんじゃないだろうか。
「実を言うともっと小規模な町を想像していたんですが・・・ずいぶん賑わってますね。」
裕福でないとか、曰く付きだとか、ハスクロード家にまつわる噂はいろいろあるらしい。だから領地ももう少し静かな場所を想像していた。でもこれだけの賑わいならば、税収だってそんなに悪くないんじゃないだろうか。
「そうねぇ。ここならいろいろなものが買えそうだわ。"マーケスさん"、雑貨屋とか宿酒場の場所はわかりますか?」
「ああ、わかるぞ。それじゃまずは雑貨屋だな。」
"マーケスさん"に雑貨屋に案内してもらい、私達は買い物を済ませた。次は宿酒場だ。食料の調達は今日のうちにしておかないと、明日の朝早く出掛けることが出来ない。
「よぉ!親父さん久しぶりだな。」
宿酒場に着いて中に入り、カウンターの中にいたマスターらしき男性に"マーケスさん"は声をかけた。
「おお、"マーケス"の旦那じゃねぇか!久しぶりだな!元気だったか!?」
「ああ。しかしこの店は変わってないねぇ。相変わらずの繁盛ぶりじゃないか。」
「最近は観光で来る客が増えたんだよな。ただ、何でも城下町が妙なことになってるとかで、しばらくこっちで様子を見るとか言ってた客がけっこういたぜ。」
「ああ、そうだなあ。貴族の所領にはまだ影響は出てないようだが、王家の直轄地は大変みたいだぜ。」
「なるほどな。ここの領主様はいい人だから、俺達は特に心配なく暮らしていられるがなあ。」
領主の評判はいいようだが、このマスターが言っているのはさてユジン卿なのかリアン卿なのか。雑貨屋でも『領主様は』としか言ってなかったような気がする。宿酒場で食材を買い、3人でハスクロード家の屋敷に戻るべく歩き出した。
「なんだかすっきりしない顔をしてるな。」
"マーケスさん"が私の顔をのぞき込んだ。
「・・・町の皆さんが『領主様』としか言わないのが気になって・・・。」
「あ、私も変な感じがしたわ。リアン卿とユジン卿のどっちなのかなって。」
「答えは『どっちでもいい』じゃないかな。」
"マーケスさん"が言った。
「どっちでも・・・ですか・・・。」
「ハスクロード家の領地運営はそれだけ評価されてるのさ。暮らしが悪くならなけりゃ、領民にとっては誰が当主だろうとそんなに気にしていないんだよ。気にしてるのは当の領主だけだ。リアン卿の自信のなさが、今回の問題でもよくない影響を及ぼしている。もっと堂々としていないと、使用人になめられるだけだ。ドラロスさんが時々ユジン卿を『旦那様』というのも、ユジン卿のほうが旦那様らしいからなんじゃないのかな。」
「なるほど・・・。ハスクロード家は領民の皆さんにとって、間違いなくいい領主様なんですね。」
「そういうことさ。あとは当の領主様本人の問題だから、周りはどうにも出来ないよ。手を貸せるのはリアン卿の奥さんと両親、それにファルミアだけだ。」
屋敷に戻った頃にはもう暗くなっていた。私達は部屋に戻り、買ってきたものを整理して持つ係を決めた。
「売ってる物もいいものばかりだし、こういうところはある程度は領主様の采配よね。どうして未だにハスクロード家は裕福じゃないだの曰く付きだのと言われるのかしら。」
ウィローが納得行かなそうに言った。
「曰く付きって言うのは、やっぱりファルシオンの末裔だという話からなんだろうけど、裕福じゃないというのは、もしかしたらここの領地の税率が他より低いからなのかな。」
「税率?」
ウィローが首をかしげた。
「私もあんまり詳しくはないけど、貴族の所領って言うのは、領民から税金を取ってその中の決まった額を王宮に納めて、残りは自分達の収入になるんだ。作物の出来などによって王宮からの税率は多少変わるけど、豊作だからってそんなに高くなるわけじゃないんだ。でも領主が自分達の懐を潤すために、豊作の時は税率を上げてたくさんのお金が入るようにすれば、当然その領主の懐は温かくなるよね。そういうことをしないで、王宮に納める税金を賄って、自分達の暮らしが困らない程度の収入を得られればいいという考え方をする領主もいるってことさ。ハスクロード家は後者なんだと思う。」
まだ入ってそんなにたたない頃、とある貴族の領地から『税が高くて困っている』という陳情書が王宮に寄せられたという話を聞いたことがあるのだ。その時先輩達から教えてもらった話だ。
『そりゃどかんと税率を上げてガバガバ懐に入れたい貴族もいるだろうが、領民はいい迷惑だよな。王宮から是正勧告を出してそれで変わればいいが、変わらなかったりすると、場合によっては俺達の出番になるのさ。』
『出番て・・・まさか実力行使ですか?』
『領主を締め上げるとか?』
そう聞いたのはカインとハディだ。彼ららしい考え方だなあと思ったものだ。
『それは最終手段だな。領主はほとんど城下町にいるから、まずは領主に調査を願い出るんだ。領主としても、下手に拒否して強制捜査なんぞされたくはないから、一応承諾はする。あとは行政局の役人が現地で調査をするから、俺達はその人達を護衛して現地まで行くのさ。』
手続きにはなかなか複雑なものがあるらしく、しかもそう言った仕事が出来るようになるのも入団して3年過ぎた団員だけなので、私達には縁のない話だった。
(そう言えば、リーザはあの時黙って話を聞いていたなあ。)
貴族の領地での揉め事となれば、他人事ではなかったのかもしれない。
「失礼いたします。お食事の用意が調いましたので、ご案内いたします。」
扉がノックされてサーラさんの声がした。私達は部屋を出て、食堂に案内された。
(うわぁ・・・。)
昼食とは全然違う、豪華な食事が並んでいる。そして夜はリアン卿の子供達もいた。一番上の子が13歳で、次に10歳、6歳だと言うことだ。6歳の子は女の子で、とてもかわいらしい。
おいしい食事をいただきながら、話は弾んだ。先ほどの『話し合い』の結果はわからないが、ユジン卿もリアン卿も穏やかな笑顔でいる。リアン卿の子供達は、『おじい様が同席している』ことに驚いたらしい。末っ子の女の子は、なかなか馴染めないでいるようだ。
(これからなんだろうな・・・。)
今後優しく接していれば、すぐ馴染むだろう。
食事のあと、私達と"マーケスさん"は、ファルミア様の部屋に呼ばれた。
「クロービス、今日は本当にありがとう。あなたのおかげでこの家が抱えている問題が、少しだけ前進したと思います。」
ファルミア様に頭を下げられ、私達はすっかり恐縮してしまった。
「私は何もしていませんよ。この剣にしたって特にこちらの家の問題を解決しようとしていたわけではないようですし。」
「まったく、せめて意思の疎通が図れるようにだけでもして置いてくれたらなあ。」
"マーケスさん"が言った。
「言うことをきくかどうかはともかく、意思の疎通だけでも出来るようにするという話にはならなかったんですか?」
「神様ってのはくそ真面目なんだよ。意思の疎通が図れると言うだけで、剣がこちらの意図を忖度するんじゃないかって、それが心配だったらしい。言うことを聞くなとでも言っておけばいいのにな。」
私の問いに、"マーケスさん"が呆れたように言った。
「ふふふ、剣の意図はともかく、わたくし達はやっと前に進めます。あなたがここに来てくれたからよ。」
「いやその・・・こちらに伺ったのは飛竜エル・バールからここを訪ねるといいと言われたからでして・・・。」
何とも複雑な気分だ。こんなに感謝されているが、私自身が自分の意思でここまで来たというわけではない。クリスタルミアの最奥で、次に行くべき場所をエル・バールに尋ねたのがきっかけだ。
「いいのですよ。エル・バールだってここまで見通してあなたをここに導いたわけではないでしょうからね。」
ファルミア様はそう言って立ち上がり、部屋の中の棚に置かれた何かを取って私の前に差し出した。
「はい、これを受け取ってください。」
「これは・・・。」
それは新しく書かれた『LostMemory』の楽譜だった。
「あなたのお父様が持っていた楽譜は、あなたがフロリアに渡してくれると言うことでしたから、これはあなたに持っていてもらうための楽譜です。明日の朝あなた達がここを出たら、次に会うことが出来るかどうかはわかりません。この楽譜を見て、たまにわたくし達を思い出してくれたら嬉しいわ。」
世間では『死んだこと』になっているファルミア様に会うことが出来たのは、精霊の長達と飛竜エル・バールの計らいだ。確かにここを出たら、二度と会えないかもしれない。
「ありがとうございます。大事にします。」
「楽譜がいただけてよかったわね。」
ウィローが言った。ファルミア様の部屋を出たあと、私達は風呂に案内してもらった。もっともさすがに風呂はひとつなので、ウィローが先に、私が後に入ったのだが、その風呂もかなり広かった。そして今はすっかりさっぱりして部屋でのんびりしているというわけだ。
「うん。これはずっと大事にしないとね。でもすごいなあ・・・。」
楽譜はとても美しく書かれていて、インクを消して直したあとや修正のあとが何もない。
「うわあ、ほんとすごいわね。そんなに長い曲ではないとしても、全く間違わずに最後まで書けるなんて・・・。」
「才能に溢れている人ほど、こういう細かいところにも手を抜かないんだねきっと。」
昼間少し寝たのでそれほど眠いわけじゃない。私は翌日訪ねる場所をどこにするかウィローに聞いてみた。
「夢見る人の塔に行くんじゃなかったの?」
「うん、そのつもりだったんだけど、城下町に寄って、カインのことを『我が故郷亭』のマスターと、昔住んでいた家の隣の家に話をしに行った方がいいのかなと思って。」
カインの遺髪は荷物に入っている。これしか渡せるものがないが、受け取ってくれるかどうかはなんとも言えない。
「うーん・・・私としては、まずはシェルノさんのところに行きたいわ。フロリア様の異変の原因をまず調べて、次に城下町とローラン辺りで情報を集めて、それと・・・海鳴りの祠にも行きたい。みんながどうしてるか気になるし・・・。」
「そうか・・・。その方がいいかな。」
シェルノさんのところでフロリア様の異変に関する手がかりを得ることが出来れば、そのあとの情報収集についてもある程度目的を持って動くことが出来る。
「カインのことを伝えなきゃって言う気持ちは私もわかるけど・・・でも今はとにかく、フロリア様の異変の原因について調べなきゃ。せっかくファルミア様があそこまで詳しくいろいろと話してくださったんだしね。それに、ファイアストームに乗せてもらえるのだっていつまでもってわけにも行かないんじゃない?」
「それもそうか・・・。ある程度効率よく動くことも考えなくちゃならないね。やっぱり予定通りにシェルノさんのところに行こうか。」
「それがいいと思うわ。そろそろ寝ましょうか。いろいろあって疲れたわ。」
朝この屋敷にやってきた時には、こんな濃い1日を過ごすことになるとは思わなかった。
「そうだね、お休み。」
同じ部屋に寝るというのに、ちっとも同じ部屋にいる気がしないくらい、この部屋は広い。おかげでウィローの寝息を近くに感じてどきどきしたりすることもなく、久しぶりにゆっくりと眠ることが出来た。
翌日は、まだ日が昇る前に身支度をして部屋を出た。玄関に向かおうとした時、隣の部屋の扉が開いた。
「お、早いな。おはよう。もう出掛けるのか?」
「"マーケスさん"、おはようございます。今日行く予定の場所はここから遠いですからね。早めに出ようと思って。」
「それじゃ見送らせてもらうよ。俺はもう少しここにいる予定だからな。」
「今回のことを見届けるんですか?」
「ああ、まあな。気にはなるしな。」
3人で玄関にやってくると、そこにはなんと、ハスクロード家の人々が勢揃いしていた。
「皆さん・・・。」
ファルミア様は前日の夜に『明日は見送りますよ。日の出前にはここを発つのでしょう?』そう言われていたので来てくれるだろうとは思っていたが、まさかユジン卿夫妻とリアン卿の子供達までもいるとは思わなかった。子供達はあくびをしている。いつもならまだ寝ている時間なのだろう。
「おはようございます。お二人とも、今回のことはお世話になりました。家族全員で見送らせていただきたいと思いまして・・・。」
リアン卿の話の途中で、後ろから「ふわぁ〜〜〜」と大きな声がした。リアン卿の一番下の女の子が大きなあくびをしたのだ。
「おかあさまぁ・・・ねむい〜〜。」
「はいはい、もう少し我慢してね。」
そう言うティリア夫人も眠そうだ。
(感謝の意を表してくれているってことなんだろうけど・・・何も家族にまで無理させなくてもなあ・・・。)
とは言え、リアン卿の好意自体は嬉しいものなので、余計なことを言うわけにも行かない。ここはさっさとこの家を出て、子供達と夫人を寝かせることを考えた方が良さそうだ。
「それでは皆さん、お世話になりました。」
「また機会がありましたらお寄りください。ありがとうございました。」
ハスクロード家の人々に見送られて、私達は外に出た。
「それじゃ、元気でな。」
"マーケスさん"が指しだした手を握り返した。
「はい、あなたもお元気で。皆さんにもよろしくお伝えください。」
「ああ、伝えておくよ。」
「"マーケスさん"、お世話になりました。お元気で。」
ウィローも挨拶をした。その時・・・
「クロービス!」
屋敷からファルミア様が出てきた。
「ファルミア様、どうされました?」
「これを渡そうと思ったの。」
白い封筒に入った手紙だ。
「これは、昨日届いた城下町の諜報員からの定時報告の内容なの。それを簡単にまとめたものだけど、今の城下町と王宮の様子がある程度わかると思います。昨日は話す機会がなかったから、移動中にでも読んでちょうだい。」
「ありがとうございます。助かります。」
今の城下町と王宮の様子・・・。気にしていただけに、何より嬉しい贈り物だった。
「さっきはごめんなさいね。リアンが張り切りすぎて『家族全員でお見送りをしよう』なんて言い出したものだから、子供達まで巻き込んで・・・。」
「お気持ちはありがたく受け取っておきます。でも小さな子には早起きは難しかったようですね。」
「そうなのよ。かわいそうなことをしたわ。ふふふ・・・今頃ティリアがリアンに怒っているかもね。」
リアン卿の好意はとてもありがたいと思ってます、そう伝えてくれるようファルミア様に頼んで、私達は昨日の朝ファイアストームと別れた場所に戻ってきた。
≪お帰りなされませ。すぐに出発なさいますか?≫
ファイアストームはいつものように姿を隠して話しかけてきた。
「よぉ、ファイアストーム、元気そうだな!」
ここまで一緒に来た"マーケスさん"が声をかけた。
≪おお、これはこれはアクア様、ご一緒でございましたか。アクア様も乗られるのでございますか?≫
「いや、俺はまだ少しここに滞在するよ。クロービス達を見送りに来たんだ。」
≪そうでございましたか。ではお二人とも乗られませ。ここは人の目につくこともある場所ですので、出来ればすぐに出立しとうございます。≫
「わかりました。では"マーケスさん"、ハスクロード家のこと、よろしくお願いします。」
「ああ、出来るだけのことはするよ。お前さん達は、こちらを気にせず自分達の旅を続けてくれ。」
私達はサクリフィアの時と同じようにファイアストームの翼に乗り、そのまま彼の背中に乗った。
≪では参ります!≫
その声と共に、ファイアストームは大空高く舞い上がった。
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