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「やあ!リアン卿、元気にしていたか?」
 
 門番に案内されてやってきた"マーケス先生"は、リアン卿の顔を見るなり笑顔で手を振った。
 
「はい!ご無沙汰しております。先生はお元気そうですね。」
 
 リアン卿はうれしそうだ。
 
「ああ、年は取ったけどな。そしてそこにいるのはクロービスじゃないか。ずいぶんと久しぶりだが、俺のことは覚えているか?」
 
「ええ、"覚えて"いますよ。ずいぶんとご無沙汰していますが、今までどうしていらっしゃったんですか?」
 
「ああ、武者修行であちこちさ。こんなところでお前さんと再会できるとはなあ。剣士団があんなことになっちまったから、どうしているのか心配していたんだよ。みんな元気にしてるのか?」
 
「元気にしていると思いますが、旅の空ではなかなか便りを交わすのも難しくて・・・。"マーケスさん"は何かご存じではないですか?」
 
「俺も城下町を少し離れているんだ。なんだか居心地が悪くなっちまったからな。お前さんもそのクチか?」
 
「・・・そんなところです。」
 
 この会話はこの場にいる人達に聞かせるためのものだろう。できる限り無難な答えを返しておこう。
 
「やっぱりそうか・・・。なんとも雰囲気が暗いんだよな。それであちこち歩いているうちに、リアン卿はどうしてるかなと思って訪ねてみたんだが、なんだか面白そうなことになっているみたいじゃないか?」
 
 なんとも白々しい会話だが仕方ない。"マーケスさん"はクリスタルミアで私と立合をした時より、少し年配の雰囲気を出している。あの時の姿でリアン卿に剣の指南をしていたのなら、再会するまでの年月、年をとっていなければおかしい。その辺りはぬかりなく変身しているらしい。
 
(だいぶ前と言ってしまったからかな。ウィローに話しかけてこないのは、たぶん『知らない人』を演出してるって事か・・・。)
 
 と言うことは、私は"マーケスさん"に、ウィローを紹介しなければならないと言うことなのか・・・。
 
 そんなことを考えていると、背後にいるファルミア様に声をかけた"マーケスさん"がなにやらぼそぼそと聞いている風だったが・・・。
 
「クロービス。"マーケス"が、あなたの隣にいる美しいお嬢さんを紹介してくれですって。」
 
 やはりそういう流れのつもりでいたらしい。まあ『辻褄を合わせる』ためにはそうするしかないようだが・・・。なんだか急ごしらえの素人芝居に参加させられている気分だ・・・。
 
「"マーケスさん"、こちらは・・・。」
 
 私はウィローを紹介し、簡単に今までの経緯を説明した。ウィローはにこやかに挨拶していたが、笑いたいのをやっとの事でこらえているようにも見える。
 
「ほぉ、デール卿の娘さんがこんな美人とはな。俺は"マーケス"、武者修行でいろいろ歩いたり、傭兵みたいなこともやったりしているよ。クロービスみたいな奥手な奴にこんな美人を捕まえることが出来たとは驚きだが、仲良くしてやってくれよ。」
 
「はい、よろしくお願いします。」
 
 頭を下げながら、ウィローが緩みそうになった口元に力を入れたのが見えた。やっぱり笑いをこらえているらしい。
 
「しかしデール卿がそんなことになってたとは・・・そんな話は城下町じゃ全く聞かなかったな。」
 
「たぶん・・・隠されているのだと思います。表向きは、私達がハース鉱山にモンスターを引き入れて占領させたことになってますからね・・・。」
 
 そこで私達は命を落とし、剣士団の悪い評判だけが城下町の中に噂として広がる、それが今のフロリア様が考えた筋書きだ。だが私達は生きて戻ってきた。その時のために私達の「悪漢ぶり」を吹き込んで刺客とするつもりだった王国軍の兵士達は、その企みに気づいて南大陸へと渡る決意をした・・・。彼らはあのあと、無事に南大陸に渡れたのだろうか。
 
「うーむ・・・フロリア様がどうお考えなのか気になるなあ・・・。」
 
 "マーケスさん"は少し考え込む仕草をしたが・・・
 
「ま、今ここで俺達が頭を抱えても仕方ないか。それより、リアン卿、クロービスと立合するとかさっき門番に聞いたんだが、そろそろ始められるのか?」
 
「はい!」
 
 リアン卿は楽しそうだ。今朝この家を訪ねてから、リアン卿はいつも厳しい表情だったが、今は笑顔だ。"マーケス先生"との交流はきっとこの人にとってとても楽しい思い出なのだろう。
 
「私も大丈夫です。」
 
 私は庭の中程、おそらくは元々訓練の場として使われているのだろう広い場所で、リアン卿と向かい合った。そこだけ地面が現れている。整地はされているようだが、最近は使われていないのか少し表面に砂が溜まっている。普段なら使うたびにきれいに掃いておくものだと思うが・・・。
 
(ユジン卿があの状態では、なかなかのんびりと剣の稽古というわけにも行かなかったのかな・・・。)
 
 その辺りも、リアン卿が私に対して端から勝てるはずがないとあきらめている要因の一つかもしれない。この中庭には他にも同じような場所がある。そちらはどうやらこの家の私兵達の訓練場らしい。毎日使っている場所の方がここより状態はいいのだろうが、今からあちらでやりませんかとも言いにくい。設えられたテントの中ではユジン卿とリュミス夫人の話が続いている。当初から明るくにこやかに話すリュミス夫人に対し、ぶっきらぼうだったユジン卿の返事が、少しずつ柔らかくなってきているようだ。
 
「うーん、久しぶりにリアン卿に会えたら俺も立ち合わせてほしかったが、今回は見ているだけにするか。それじゃ俺が合図をするよ。リアン卿、ここで俺と稽古をしていた時のように、思いっきり剣を振るってみてくれ。言っておくがクロービスは強いぞ。だがそれはクロービスが自分で努力して身につけた力だ。それはリアン卿も同じだろう。」
 
 "マーケスさん"が言った。
 
「・・・はい!」
 
 リアン卿は一瞬狼狽えたような表情をしたが、すぐに笑顔で返事をした。彼の心の中にあったであろう『選ばれし者に叶うはずがない』というあきらめのような気持ちを、"マーケスさん"は見抜いたのだ。そしておそらくだが、私に対しても、リアン卿との立合に手心など加える必要はない、全力でぶつかって問題ないと知らせてくれたのではないだろうか。
 
(これで心置きなく戦えるか・・・。)
 
 勝つか負けるか、なんとも言えないが、無様に負けるような負け方はしないようにしなければならない。そして、出来るならば勝ちたいものだ。
 
(剣についての話はなにもしなかったな・・・。私の剣については一切知らないことにするつもりって事か・・・。)
 
 もっとも"マーケスさん"はあくまでも一般人だ。リアン卿の剣術指南としてここに来ていた間にハスクロード家に伝わる剣の話は聞いているだろうけど、その剣を私が持っているなんて話は知らないのが当たり前だ。
 
「クロービス頑張ってね!応援してるわよ!」
 
 ウィローが笑顔で叫んだ。
 
「あらあら、剣士殿は恋人の応援付きですか。今日はあいにくリアンの家族は実家に帰っているし、リアンの方は私達が応援しましょうか、ねえあなた?」
 
 はしゃぐように言ったのはリュミス夫人だ。青ざめて震えているドラロスさんを横に座らせたまま、リュミス夫人は笑顔でユジン卿に話しかけつづけていた。ちらりと見ると、ユジン卿は、少しだけ笑顔になっている。そんな両親を安堵したように見つめていたリアン卿は、私に向き直った。
 
「剣士殿、ではそろそろ始めましょう。」
 
「はい。望むところです。」
 
「よーし、それでは始めよう。」
 
 うれしそうに"マーケスさん"が私達の間に立った。
 
「ここでリアン卿と訓練していた時は、先に相手の剣を落とすか、反撃できない体制に追い込まれるか、それで勝敗を決めていたんだ。今回もそれでいいか?剣士団みたいに降伏するか逃げ出すかって話になるといつまでも終わらないからな。」
 
「なるほど。リアン卿も"マーケスさん"も、降伏も逃げ出しもしそうにないですからね。」
 
「はっはっは!まあそういうことだ。」
 
 "マーケスさん"が大声で笑った。
 
「私の方はかまいません。ただ、リアン卿、僭越ながら申し上げます。この場所は砂で滑りやすそうなので、そこだけは気をつけましょう。」
 
「・・・そうですね。滑って転んだりしたら情けない。」
 
 リアン卿は一瞬はっとしたがすぐに笑顔になってそう言った。この場所が最近きちんと手入れされていないことには気づいているだろう。そしてそれは、自分が剣の稽古をしていないからだということにも。
 
「すっ転んだりしたら負けだぜ?そこは気をつけてくれよ。さて、始めよう。行くぞ!」
 
「はい!」
 
 リアン卿と私はほぼ同時に返事をした。
 
「よし、始め!」
 
 "マーケスさん"のかけ声でお互い相手に突進した。リアン卿の大剣が振り下ろされる瞬間ひらりとよける。速いが見えないほどではない。私も肩めがけて剣を振り下ろす。すんでの所で躱される。大剣でこれだけ素早く動くというのは並大抵の訓練では出来ないと思う。"マーケスさん"の剣も素早かった。リアン卿は彼の教えをしっかりと身につけていると考えていいだろう。
 
(スピードで言うと、オシニスさんくらいかな・・・。)
 
 ライザーさんならもっと速い。彼の剣は相当必死で見ようとしないと見えない。そしてそちらに気をとられているとオシニスさんから手痛い一撃を食らう。今回は一対一なのでそういった心配はないが、気になるのはリアン卿の心の澱みだろうか・・。
 
 さっき"マーケスさん"に言われて、多少は前向きになったと思っていたのだが・・・。
 
(なんとなく集中し切れていない感じがするなあ・・・。)
 
 その原因の一つは、立合場所の近くに張られたテントの中で交わされている、リアン卿のご両親、ユジン卿とリュミス夫人の会話だろう。リアン卿の注意が時折そちらに流れるのを感じる。
 
(いっそ険悪なほうが、かえってこちらに集中できるのかもしれないな。)
 
「ほら!私達の息子が善戦していますわ!あなたの教え方がよかったのでしょうね!」
 
 明るく話しかけるリュミス夫人に対し、ユジン卿の態度が少しずつ柔らかくなっていく。
 
「ふん・・・それを言うなら"マーケス殿"の教え方がよかったのだろう。自分で言うのも何だが、私の腕などたいしたことはない・・・。」
 
 口ではそう言っていても、ユジン卿は少し照れたように笑っている。そして・・・
 
 夫婦の間に流れる空気が穏やかになって行くにつれ、それと反比例するかのように、ドラロスさんは青ざめ、言葉にならない叫びが彼の心に渦巻いている・・・。リアン卿は、少しだけとは言え、ファルミア様のような力があるということだから、おそらく感じているのだろう。両親の間に流れる穏やかな空気と、恐怖に震えるドラロスさんの心を・・・。
 
−−旦那様が・・・旦那様が・・・−−
 
−−私は・・・私はこれからどうすれば・・・−−
 
 ドラロスさんの心の叫びまで聞こえてくる。リアン卿がそこまで聞いているかどうかはわからないが、ついさっきドラロスさんの執事の職を解任したリアン卿としては、彼の心の動揺を多少なりとも感じているだけでも、心穏やかではいられないだろう。
 
(でも・・・なんだかドラロスさんは執事を解任されたことを歓迎しているような気がしたけどなあ・・・。)
 
 執事という職がどういうものか、そのくらいのことは知っている。その職を解任されるというのは、本来不名誉であるはずじゃないのか・・・。
 
−−やった!これで・・・!−−
 
 なのにあのうれしそうな心の叫び・・・。まるでなにか・・・ほしかったものを手に入れて喜んでいるように聞こえたのはなぜだろう・・・。
 
 その時、ほんのわずかな風切音を私の耳が捉え、とっさに私はその音の反対側に避けた。
 
「あら!残念!」
 
 その声の主はリュミス夫人だ。
 
「素早いですね。さすが王国剣士だ。」
 
 リアン卿は母君の声援に少し戸惑いながらも悔しげに顔をゆがめて、たった今私に当て損ねた剣を構え直した。
 
(考えてる場合じゃないな・・・。それにそれは私が考えることじゃない。)
 
 今は立合の最中だ。私のすべきことは、この立合にすべてをぶつけること。そしてそれはリアン卿も同じのはずだ。リアン卿は強い。さすがに"マーケスさん"が教えていただけのことはある。今の攻撃だって、当たっていたらおそらく肩がしびれていただろう。これだけの攻撃を繰り出せるのだ。リアン卿が素晴らしい使い手であることは間違いない。だがリアン卿自身は自分の腕をどう考えているのだろう。私に立合を申込んだ時も、端から自分が負けると思い込んでいるような口ぶりだった。
 
(他の誰かと本気で手合わせできる機会があれば、自分の腕を客観的に判断できると思うんだけど・・・。せめて父親であるユジン卿が、ずっとリアン卿の相手をしてくれていたら・・・。)
 
 貴族の子息はたいていの場合、父親から剣を教わる。さっきのリュミス夫人とのやりとりを聞く限りでも、ユジン卿がリアン卿に剣の手ほどきをしていたのは間違いなさそうだが、やがてユジン卿は剣の幻想に取り憑かれ、しかも普段の移動を車椅子でするようになってしまった・・・。
 
 さっきあの応接室で対峙した時には、とても足が悪いようには見えなかった。その理由にドラロスさんが絡んでいるのじゃないかと、リアン卿は疑っているのかもしれない。だからテントの中のやりとりが気になるのだろう。
 
(とにかく今はこちらに注意を向けてもらおう。真剣を使っての立合だというのに、上の空ではけがをする危険性もある。)
 
 もちろん私もだ。
 
(よし!)
 
 私は心の中で気合いを入れ、リアン卿にぶつかっていった。余計なことは考えない。私に今出来ることをしっかりとやっていこう。
 
 気持ちを切り替えたからなのか、ここからの時間は本当に楽しいものだった。なにも考えず、ただ剣を交える。立合や訓練の良さは、頭を空っぽにしてただひたすらに剣を振るえる点だ。リアン卿がだんだんとスピードを上げてくる。立合を始めた時の、なんとなく集中し切れてないような迷いのある動きとは全然違う。彼もまた、頭を空っぽにすることが出来たのかもしれない。こうしていると、リアン卿の剣の動きがよく見える。狙って繰り出した一撃のあと、ほんのわずか隙が出来る。大剣は扱いが難しい。それを一分の隙もなく操ることが出来る剣士は本当に数少ない。
 
 その隙めがけて胴を狙う。リアン卿ははっとして避けたがバランスを崩した!
 
(ここだ!)
 
 私は迷わずリアン卿の小手に一撃をたたき込んだ。
 
「ぐぅっ!」
 
 リアン卿は間髪を入れず繰り出されたこの一撃を避けようとして避けきれず、体勢も立て直しきれずに膝をついた。
 
「それまで!」
 
 "マーケスさん"の声が中庭に響き渡った。
 
「ふぅ・・・やはり叶いませんでしたか・・・。」
 
 リアン卿は残念そうに言った。でも彼の手にはまだ剣が握られている。これが両手持ちの大剣ではなく、私と同じような片手剣だったら、膝をついたところからでもすぐに下がって間合いをとれたかもしれない。
 
(ぎりぎりの勝利ってところか・・・。)
 
「お疲れ様でした。ちっとも勝った気がしませんよ。この大剣をあれだけ軽々と振り回すなんて、剣士団の先輩達の中にも何人いるか・・・。」
 
 これは私の正直な気持ちだ。
 
 "マーケスさん"は黙って私達に近づき、足で地面を少しなぞるような仕草をした。地面には砂がたまり、さっきリアン卿がバランスを崩したのは、この砂のせいだったのだ。
 
「リアン卿、お前さんが何で負けたか、わかるな?」
 
 リアン卿は悔しげに顔をゆがめ、うなずいた。
 
「・・・さっき剣士殿には、私が負けた方が父を説得しやすいなどと言うようなことを申し上げました。しかし・・・剣を交えているうちに、必死で攻撃をかけているのにちっとも当たらず、悔しくて悔しくて・・・せめて一太刀、いや、なんとか勝てないものかと思うようになりました・・・。でも・・・鍛錬の差、心構えの差は、私がもっと精進しなければ埋められないものですね・・・。」
 
 足下の砂のことは一言も言わず、リアン卿はそう言って溜息をついた。潔い人だ。
 
「お前さんとクロービスの実力には、ほとんど差がないと俺は思うよ。まあ、動きを見るに最近はあんまり鍛錬していないようではあったけどな。でも今回の結果は、お前さんの心構えの差のほうだろうな。」
 
「・・・・・・・・。」
 
 リアン卿は黙っている。
 
「この足下の砂が、それを物語っているよ。領主としての仕事があるから、そうそう剣ばかり振り回しているわけにも行かないんだろうけど、どうやらそれ以外の方に気を取られていたようだな。」
 
「"マーケス殿"、それは私の責任だ。」
 
 聞こえた声に振り向くと、何とそこにはユジン卿が立っている。今朝方私達を殺そうとした時の狂気はもう感じられない。穏やかで、優しげな人物だ。しかも普通に歩いている。
 
「・・・どうやら、抜け出られたようですね。」
 
 "マーケスさん"が言った。どういうことなんだろう。
 
「ああ・・・やはりあなたは気づいておられたのだな・・・。」
 
「ええ、なんとなくですが。」
 
「父上、どういうことです?」
 
 ユジン卿は"マーケスさん"とリアン卿に笑顔でうなずき、私達に振り向いた。
 
「剣士殿、お嬢さん、今朝のことは大変申し訳なかった。この通りだ。」
 
 ユジン卿が私達に向かって頭を下げた。
 
「私達のことはお気になさらないでください。それより剣の稲妻をまともに浴びてしまわれて、どこか痛いところとかはないんですか?」
 
「それが不思議なことに全くなんともないのだよ。死んでいてもおかしくないほどの衝撃だったはずなのだが。」
 
 やはり剣の意図は警告であって相手を傷つけることではないと言うことか。それとも、剣が誰かを傷つければ非難されるのも責任を追及されるのも私だと言うことをわかっているのか・・・。
 
「お兄様・・・。」
 
 ユジン卿がファルミア様に振り向いた。
 
「ファルミア・・・お前にも苦労をかけた・・・。お前の夫を悪し様に罵ったことも覚えている・・・。今まですまなかったな・・・。」
 
「そんなことはお気になさらないでください。でもどうして・・・。」
 
 ファルミア様はすっかり驚いている。
 
「おそらくは、だが、剣士殿の剣が鍵なのかもしれんな・・・。」
 
「私の剣がですか?」
 
 今朝ユジン卿に会った時、自分達が全く歓迎されていないことはわかったが、それはユジン卿本人の意思だとずっと思っていた。特に奇妙な気の流れもなかったし、誰かに操られていたとは思えない。ファルミア様の話によれば、先々代の伯爵が病に伏せってファルミア様がここに戻られた時、すでにユジン卿は冷徹な人物に変わってしまっていたということだ。だが今私達の目の前に立っている人物は、とてもそんな冷たい人物には見えない。疲れてはいるが、とても穏やかで誠実な人に見える。今朝私達を本気で殺そうとしていたとはとても思えない・・・。
 
「へえ、クロービス、お前さんの剣はなにかすごいものなのか?拵えは確かに立派だが、普通の片手剣だよな?」
 
"マーケスさん"は素知らぬ顔で聞いてくる。
 
「"マーケス殿"、こちらの剣士殿が持っているのは、遠い昔、我が家から失われたあの剣なのだよ。」
 
「え?」
 
 "マーケスさん"はきょとんとして見せた。でもファルミア様と私達以外の誰もが、"マーケスさんの演技"には気づいていない。
 
「でも・・・今の時代、誰も見たことがないという話でしたよね。それこそおとぎ話の域を出ない・・・。」
 
「ふふふ・・・そうだな・・・。実は今朝、私は剣士殿の剣を力ずくで奪おうとして、すさまじい稲妻を浴びた。あの時は激昂してしまったが、その後不思議なことが起きた・・・。頭の中のもやが少しずつ晴れるような、不思議な感覚だ・・・。そしてここに来て久しぶりに妻と語り合ううちに・・・私の心が穏やかになっていくのがわかった・・・。」
 
「剣が・・・父上を助けてくれたのでしょうか・・・。」
 
 リアン卿の目からは、涙があふれていた。
 
「リアン・・・お前にも苦労をかけた。寂しい思いもずいぶんさせてしまった・・・。すべては私の弱さ、至らなさのせいだ。すまなかったな・・・。」
 
 ユジン卿はリアン卿の肩にそっと手をかけた。
 
「とんでもありません・・・。でも・・・またこうして父上と話が出来るのがうれしくて・・・。」
 
 リアン卿は声を詰まらせた。
 
「お待ちなさいドラロス。」
 
 毅然とした声に振り向くと、こっそり立ち去ろうとしたらしいドラロスさんの腕を、リュミス夫人がつかんでいる。ドラロスさんはがたがたと震え、真っ青だ。ユジン卿がドラロスさんに歩み寄った。
 
「ドラロス、そんなに怯えなくていい。今までのことは、私がお前の不安や寂しさをきちんとわかってやれなかったことが原因でもあるのだ・・・。」
 
「旦那様・・・。」
 
「ねえユジン、私、少しドラロスと話をしたいわ。今後のこともあることですしね。」
 
「そうだな・・・。その前に、今までのことについて皆に説明しなければならんだろう。ちょうど昼時だ。食事をしながらでも少し話したいな・・・。」
 
「あら、それはいい提案ですわね。では食事の用意をいたしましょう。ドラロス、あなたも手伝ってちょうだい。」
 
 リュミス夫人は楽しそうに、青ざめたままのドラロスさんの手を引っ張って屋敷に入っていった。
 
「ふふふ・・・お義姉様がやっと元気になられてよかったわ。お兄様、わたくしにも聞かせていただけるのですよね?」
 
「当たり前だ。お前には一番苦労も迷惑もかけた。きちんと謝らねばな。謝って済むことばかりではないと思うが・・・。」
 
 つらそうに俯いたユジン卿の肩に、ファルミア様がそっと手をかけた。
 
「謝罪は受け入れます。それでもう以前のことは、水に流しましょう。わたくしは、お兄様とまたこうしてお話が出来ることの方がとてもうれしいですわ。」
 
「ありがとう、ファルミア・・・。」
 
 ユジン卿は少しだけ笑顔になって屋敷に入っていった。ファルミア様がその後ろ姿を見て
 
「本当に・・・よかったわ・・・。」
 
 小さく言った。
 
 それにしても・・・この展開の速さというか・・・いきなり事態が動き出したのはどういうわけだろう・・・。ユジン卿に炸裂したあの稲妻が、何かしらの影響を及ぼしたと言うことだろうか。あれは剣の警告だったのではないかと思っていたのだが・・・。
 
(まったく・・・剣にこれだけのことが出来るなら、先に言っておいてくれと言いたいよ・・・。)
 
「なんだか知らんが、状況は改善されたようですね、ファルミア様。」
 
 素知らぬ顔で"マーケスさん"が言った。
 
「そのようですね・・・。この家には未来永劫縁がないと思っていたファルシオンの剣に助けられるなんてね・・・。。」
 
「しかし驚きですねぇ。クロービスの剣がそんなすごいものだったなんて。」
 
 "マーケスさん"は大げさに肩をすくめて見せた。
 
「中に入りましょう。兄がいろいろと説明してくれるはずですが、まずはお腹を満たさないとね。それにしても・・・"マーケス"、あなたという人は、こんな時に居合わせるなんて、運がいいのかしら、悪いのかしら。」
 
 呆れたように言うファルミア様を横目で見て、"マーケスさん"はにやりと笑って言った。
 
「いやぁ、強運の持ち主と言ってもいいでしょう。これもまた神々のお導きなんですよ、きっと。」
 
 エル・バールが私達にここを訪ねろと言った時点で、精霊の長達は直接現場に来て事態を見極めることを考えていたのかもしれない。姿を隠して陰からこっそり覗くくらいなら、彼らにとっては朝飯前なのかもしれないが、こうして話をしていく中でないとわからないこともあると思う。となれば来れる人物は自ずと限られてくる。以前リアン卿の剣の師匠としてしばらくここに滞在していたらしい"マーケスさん"に扮したアクアさんが、一番問題なく訪ねることが出来る。もっとも、さすがにここまで事態が動くとは思っていなかったような気がするが・・・。
 
 
 家の中に入り、メイドの案内で私達は昼食が用意された部屋へと入った。席の数から察するに、家族全員の分と私達の分らしい。部屋の奥、主人の座る席にはリアン卿がいる。リアン卿の隣の席がいくつか空いているところを見ると、本来そこにはリアン卿の夫人と子供達が座るのだろう。今日は出かけているという話だった。空いている席の反対隣にユジン卿とリュミス夫人が座り、その隣にはドラロスさんが座っている。青ざめた顔で震えているのだが、リュミス夫人が有無を言わさずそこに座らせている、そんなところのようだ。
 
−−ああ・・・旦那様・・・旦那様・・・−−
 
−−私は・・・私はどうすれば・・・−−
 
 ドラロスさんの心からは怯えたような声がずっと聞こえている。
 
「クロービス殿、ウィロー殿、どうぞおかけください。まずは昼食をとりましょう。その後、父から話があるとのことなのですが、その時にはこの家の使用人を全員呼びますので。」
 
 リアン卿が言った。なんとなくほっとしたようには見えるのだが、どうもその心中は複雑なようだ。今回のことは、本当ならすごくうれしいことなんだと思う。おそらくはずっと長い間断絶状態だった父君と、やっと和やかに話すことが出来るのだから。だが、その父君の口からどんな話が語られるか、それを考えると手放しで喜べない、それに今回の件に荷担させられた使用人達の気持ちにしても納得出来ない人達は多いだろうし、ユジン卿がこの状態になってだいぶ経つらしいから、使用人達との間に溝が出来ていてもおかしくない。となると、その辺りの関係修復も当主の仕事になるのだろう。
 
(1人だけ手放しで喜んでいるわけにも行かないってところか・・・。)
 
 
 やがて出された食事はとてもおいしかった。食事の間中リアン卿とユジン卿、そしてリュミス夫人は比較的和やかに会話を交わしていたように見えた。最もユジン卿は、今まで自分がしてきたことを思ってか、いささか歯切れの悪い返事を時折返していたくらいだが、リュミス夫人は終始上機嫌で、隣に座るドラロスさんが席を立とうとするたび『あなたは座っていなさい。食事をしっかりとるのよ。』そう声をかけては座り直させていた。ドラロスさんが意図的にユジン卿を家族から切り離そうとしていたのだとしたら、リュミス夫人はドラロスさんを恨んでいるのかもしれないと思ったのだが、そういう怒りや恨みは感じられない。
 
(ユジン卿の話がどういう内容であれ、なんとか穏やかに収ってほしいものなんだけどな・・・。)
 
 私の剣がこの家の家族を仲直りさせてくれる、などと楽観的なことは言えないが、きっかけにはなったんじゃないだろうか。その先は家族の問題だ。うまく収まるかどうかまで私が気を揉んでも仕方ない。もちろん何か協力出来ることがあるなら、何でもしたいとは思っている。
 
 
 やがて食事が終わり、私達は隣の部屋に案内された。そこにこの家の使用人達がぞろぞろと入ってきた。全員が入って扉が閉じられようとした頃、突然
 
「待って!何があったの!?」
 
 女性の声がして、閉じかけられた扉が、再び大きく開けられた。
 
「奥様!お戻りでしたか!」
 
 オーゼメイド長が驚いて部屋の入り口に走っていった。
 
「帰ってきたら誰もいないんだもの。どうしたの?みんな集まって・・・あら、お客様ですか?」
 
奥様と言うことはこの女性はリアン卿の奥さんか・・・。
 
「ティリア、こちらは叔母上のお知り合いなんだ。クロービス殿、ウィロー殿、私の妻です。」
 
 私達は挨拶をして、久しぶりにファルミア様を訪ねたのだと言っておいた。ティリア夫人は"マーケスさん"の顔は知っているらしく、ご無沙汰しておりますと挨拶を交わしている。そのあとでリアン卿がティリア夫人に簡単なことの次第を説明しているようだ。しかし・・・
 
(ウィロー、私達はやっぱりこの席にいない方がいいね・・・。別室で待たせてもらおうか。)
 
(そうね・・・。ここはこの家のご家族と使用人の皆さんが話し合うべき場所だわ。私達はあとで話を聞かせてもらいましょう。)
 
 私はリアン卿に、ここには部外者がいない方がいいと伝えた。剣についてはユジン卿、リアン卿、そしてファルミア様の判断で話してくれてかまわない、しかし、この場で話し合われることは、おそらくハスクロード家の人達にとっても、この家で働く人達にとっても重要なことになるだろう。部外者がいては使用人の人達が言いたいことも言えないかもしれない、どうかこの家の皆さんで話し合われてくださいと言った。
 
「それじゃ俺もそうさせてもらうよ、リアン卿。」
 
 そう言ったのは"マーケスさん"だ。
 
「し、しかし先生はもはや家族同然ですから・・・。」
 
 リアン卿は戸惑っている。多分リアン卿は"マーケスさん"に、ここにいてほしいのかもしれない。
 
「そう言ってくれるのはうれしいけどな、クロービス達と同様、俺もこの家の人間じゃない。俺達がいたら使用人達はなかなか言いたいことも言えないだろう。その代わり、さっきお前さんとクロービスが立合をした庭を貸してくれ。あそこは寝転んでも気持ちよさそうだからな。のんびりとしたところでウィローと知り合った経緯でもいろいろと聞かせてもらうよ。」
 
「え!?」
 
 いきなり名前が出て、ウィローが驚いている。
 
「何でまたいきなりそんな話に・・・。」
 
「はっはっは!奥手のお前さんがどうやって口説いたのかに興味があるだけさ。そういうわけだからリアン卿、こっちのことは気にせず、お互い言いたいことを言い合った方がいいんじゃないか?」
 
「わかりました・・・。」
 
「俺達は庭以外に行かないから、使用人を付ける必要はないよ。この家で働く人達にとっちゃ、ユジン卿の話は聞き逃したくないだろうからな。」
 
「"マーケス殿"申し訳ない・・・。」
 
 ユジン卿が頭を下げた。
 
「いや、お気になさらないでください。せっかくの機会ですから、俺達のことはかまわず、じっくりと話し合いをなさってください。」
 
「そうか・・・。では"マーケス殿"、クロービス殿達も、さいわい今日はいい天気だ。中庭でゆっくりされてください。」
 
 リアン卿もユジン卿も残念そうではあったが、私達は3人で外に出て、中庭にまだ張られていたテントの中にある椅子に座った。
 
「クロービス、助かったよ。お前さんがああ言ってくれたから、席を外す口実ができた。」
 
 "マーケスさん"が言った。
 
「あそこに私達がいるのはよくないような気がしたんですよ。私の剣が関わっているとは言え、ユジン卿のことはあくまでもこの家の問題ですからね。」
 
「そうなんだよな・・・。リアン卿はもうこの家の当主となってそれなりに長いんだから、こんな時はちゃんと場を仕切って話し合いをしてもらわないとな。」
 
ふと、『先生は家族同然ですから』と言った時の、リアン卿の自信なさげな表情を思い出した。
 
「彼は"マーケスさん"を頼りにしているんですね。」
 
「ははは、ま、リアン卿は"おいら"の姿は知らないからな。」
 
 "マーケスさん"はにやりと笑って片目をつぶって見せた。クリスタルミアで私達が会った時の子供の姿は知らないと言うことか。
 
(そうだろうなあ・・・。この家の人達は"マーケスさん"をあくまでも普通の人間だと思ってるんだから・・・。)
 
 普通の人間が大人になったり子供になったりしたら、大変なことになる。
 
「クリスタルミアで私と立合をした時の姿でここに来られたんですよね。」
 
「そうだよ。ファルミアの甥っ子が剣に興味を持っているって聞いて、顔を見に来たのさ。あの頃は・・・そうだなあ・・・ファルミアがこっちに戻ってきて、ダンナが死んじまって・・・。」
 
 "マーケスさん"は少し考えるような仕草をした。
 
「ファルミアが父親の看病のためにこっちに戻ってきた頃には、ユジン卿はもうおかしくなっていたからな。その後ファルミアが『死んだ』事になってしばらくして・・・兄貴がおかしくなったまま息子の相手をあまりしなくなったから、息子が寂しそうだって言うのを聞いて、来てみたのさ。試しに相手をしてみたらなかなか筋がいいようだから、しばらくの間いろいろと手ほどきをしたんだ。」
 
「ユジン卿がおかしくなった原因をご存じだったんですよね?」
 
「変な『気』に取り憑かれているみたいだってのはファルミアから聞いてた。でも元は真面目で聡明な人物だし、ファルミアとしても深刻に考えているわけではなかったんだ。俺も見てみたけど、少なくとも"俺達"が何かすべきことではない、そう判断したわけさ。」
 
「そうですね・・・。」
 
 人間のことは人間が解決すべきだと、エル・バールも言っていた。この家のことはこの家の中で解決する、そのためには精霊が手を貸してはいけないのだ。
 
「ま、ここまで時間がかかるとは思っていなかったけどな。」
 
「と言うことは、遠からず抜け出せるだろうと皆さんは考えていたわけですか。」
 
「そういうことさ。」
 
「それがここまでかかってしまうなんて、何かユジン卿の心に影響を及ぼすようなことがあったと言うことなんでしょうか。」
 
「あの、いつもひっついてる執事さ。まあ、どうやら今は『元執事』らしいけどな。」
 
「でもあの方は普通の方に見えましたけど・・・。」
 
 初めて会ったとき、彼は不安な『気』をまとっていた。ユジン卿がこれからしようとしていることに対して、どうしてこんなことになってしまったのか、恐怖に震えてもいた。少なくとも積極的に企みに荷担していたわけではないと思うのだが・・・。
 
「ああ、全く普通の人間だよ。だが・・・どうやらこの家に自分の居場所を確保するために、ちょいとやり過ぎちまったみたいだな。」
 
「・・・やり過ぎた?」
 
「ああ。その辺りについては、ユジン卿かリアン卿が説明してくれるだろう。」
 
 それはもしかしたらこの家の内部的な事情かも知れない。どこまで私達が聞いていいのかはなんとも言えないが、説明してもらえるならば聞いておくべきだろう。
 
「それと、お前さんの剣が果たした役割についてもな。それについてはもしかしたらファルミアの方がよく理解してるかもな。」
 
「やっぱり私の剣が何かのきっかけになっているんでしょうか。」
 
「だと思うよ。何でもユジン卿が無理矢理お前さんから剣を奪おうとした時、体が紫色になるほど剣が光ったって言うじゃないか。」
 
「ええ、私はもうてっきりユジン卿が死んでしまったかと思いましたよ。」
 
「うーん・・・俺達も半分推測だが、剣は確かにお前さんの敵と見なした相手には容赦なく攻撃するだろう。だが、むやみに人の命を奪うようなことはしないと思うんだよな。」
 
「ええ、だからある程度痛い目に遭わせて警告したのかと思ってました。」
 
「なるほどな。その見立てが正しいとすると、ユジン卿が正気に戻ったのはその副産物ってとこか・・・。」
 
「副産物ですか・・・。」
 
「おまけって言うよりはいいだろ?」
 
「まあそれはそうなんですけど・・・。」
 
 つまり・・・剣は別にユジン卿を正気に戻そうとしたわけじゃない、だがあの、かなり強力な『警告』が、ユジン卿の中の何かを壊した・・・と言うことなんだろうか。
 
「もしかして・・。」
 
 不意にウィローが口を開いた。
 
「何か見たの?」
 
 あの時ウィローは私の後ろにいたから、私よりは離れた場所からユジン卿を見ていたはずだ。
 
「ええ・・・。ユジン卿の体が紫色に光った時、なんて言うか・・・うーん・・・何かの覆いみたいなものがはじけたような気がしたのよ。」
 
「覆い?」
 
「そうねぇ・・・。」
 
 自分の見た光景に合う言葉を探すように、ウィローはしばらく考え込んでいたが、不意に両手をパン!と叩いて笑顔になった。
 
「そうそう!『サクリフィアの錫杖』にシルバ長老がかけてくれた覆いが、サクリフィアの村長のところでぱっと消えた時みたいな感じ。」
 
 ウィローの話を聞いていた"マーケスさん"は、小さい声で『なるほどね。そういうことか。』と言った。
 
「心当たりがあるんですか?」
 
「まあね。と言っても、あの男は案外やっかいな奴なんだなと思っただけだよ。」
 
「あの男?もしかしてさっき話に出たドラロスさんのことですか?」
 
「そうだ。本人は自覚していないみたいだが、今回のことは、奴の執念が引き起こしたようなもんだ。」
 
「・・・・・・・・・。」
 
 執念か・・・。あの、ユジン卿に対する異常なまでの忠誠心と言うことだろうか・・・。確かに執念めいたものは感じていたが・・・。
 
「自覚していないと言うことは、自分でも知らないうちにこれだけの事態を引き起こしたと言うことですか?いくら何でもそれは・・・。」
 
 あの人がハスクロード家の家族を分断し、リアン卿に子供の頃から寂しい思いをさせて、それに父君を心配してこの家に戻ってきたファルミア様も、優しかった兄君のあまりの変わりように大きなショックを受けて・・・。
 
「だけど・・・なんとなく、"マーケスさん"のおっしゃるとおり、そんな大それた事をしているという自覚は、あのドラロスさんという人には感じられなかったわ・・・。」
 
 ウィローも考え込んでいる。
 
「確かにそうなんだけど・・・。」
 
 確かにドラロスさんからは悪意も何も感じられなかった。"マーケスさん"がさっき言っていたような『変な気』も、自分のしたことが元でユジン卿がとんでもない計画を思いついたことに対して、恐怖と不安を感じていたようにしか見えなかった。
 
「うーん・・・この話の説明は難しいんだよなあ。自覚はしていない、でも理解はしている・・・そんなところかなあ。」
 
 "マーケスさん"は首をかしげながらそう言った。
 
「自覚はしていない、理解はしている・・・。」
 
 なんだかとても難しい話になったしまったようだ。さっぱりわからない。
 
「ま、そのあたりはユジン卿が説明してくれるだろう。あの方はもう大丈夫だよ。」
 
「ユジン卿は、すべて理解していたと言うことですか?」
 
「そういうことだな。だが、さっきウィローが言った『覆い』のようなもののせいで、自分の置かれている状況からなかなか抜け出ることが出来なかった、そんなところだろう。だからお前さんの剣は、『敵』を威嚇するつもりが、なかなかのお手柄を立ててしまったと言うことさ。」
 
 そう説明されても首をかしげている私を見て、"マーケスさん"はくすりと笑った。
 
「まあすぐにわかるさ。そろそろ話し合いも終わる頃合いだろう。」
 
 その時、私達のいたテントにメイドの1人が近づいてくるのが見えた。あれはファルミア様付きのサーラさんだ。
 
「皆様、お待たせして申し訳ございませんでした。先代が改めて皆様とお話ししたいと申しております。ご案内いたしますのでこちらへどうぞ。」
 
 私達は先ほど食事をした場所ではなく、何と最初にユジン卿に会ったあの応接室へと通された。そこには朝とは違って、ユジン卿、リュミス夫人、そしてリアン卿夫妻とファルミア様が待っていた。
 
「・・・またこの部屋に来ていただくことになった。お2人には気分が悪いだろうが、この人数で話をするのにここが一番いいのでな。剣士殿はお気がつかれたと思うが、今朝は私の後ろの壁の向こうに、使用人を1人潜ませていた。言うまでもなくあなたの心を読ませようと試みた。我が身の卑劣さが嘆かわしいが、今は誰もいない。二度とあんなことはしない。本当に申し訳なかった。」
 
 ユジン卿が頭を下げた。
 
「お顔をあげてください。気分が悪いなんて事はありませんし、今朝のことも気にしていませんよ。今回のことについてご説明いただけると言うことで伺ったのです。何が起きていたのかがわかれば、私達は満足です。」
 
「さっきクロービスからちらっとは聞きましたよ。しかし今のユジン卿のお顔は、とても穏やかです。いいお話が聞けそうですね。」
 
 "マーケスさん"の言葉に、ユジン卿は困ったような顔で少しだけ笑った。
 
「"マーケス殿"、私が家族を顧みなかった間、息子の剣の相手をしてくれたこと、とても感謝している。あの頃あなたとは、顔を合わせてもろくに話もしなかったものだ。今更ではあるが、大変申し訳なかった。」
 
 ユジン卿が"マーケスさん"に向かって頭を下げた。
 
「ははは、それこそ今更ですよ。お気になさらないでください。それより、先ほどのお話を聞かせていただけますか。」
 
「うむ・・・実に情けない話ではあるのだが、聞いていただこう。だが、実はその前に、剣士殿、お嬢さん、お二人に会っていただきたい者達がいる。」
 
 その言葉にリュミス夫人が立ち上がり、部屋の扉を開いた。そこにいたのは、この家の使用人達だった。
 
「さあ、お入りなさい。」
 
 リュミス夫人に促されて入ってきた人達は、そろって私達の前に並んだ。私達がここに来た時に話をした門番、中に案内してくれた使用人の男性、私達のお茶に毒草を入れたメイドさん、ドラロスさんとそのほか・・・
 
(一人だけ顔を見たことがない人がいるけど、もしかしたらあの壁の向こうに待機していた人なのかな・・・。)
 
 まだ若い女性で、メイドの制服を着ている。この人からだけは、不安と恐怖が伝わってくる。今朝、おそらくは私の心を読み取ろうとしたものの、全く読めなかったことで恐怖を感じているのかもしれない。相手が何を考えているのかわからないのが当たり前なのだが、もしかしたらこのメイドは「わかるのが当たり前」なのだろうか。
 
(まあ・・・それを私が考えても仕方ないか・・・。)
 
 ここはもう、素知らぬふりをしているしかない。
 
「先ほどのご無礼、大変申し訳ございませんでした。いかに使用人とは言え、主の言うがままにあなた方を傷つけようとしたこと、どうかお許しください。」
 
 一番年かさらしい門番が前に進み出て、頭を下げ、後ろにいた使用人達も一斉に頭を下げた。
 
 そのあとドラロスさんが進み出た。
 
「元を辿れば、私が不用意にお二人のご訪問を先代様に話してしまったことが原因でございます。他のみんなは巻き込まれただけでございます。私のことは許していただけなくても仕方ありませんが、他のみんなのことは、なにとぞお許しくださいませ。」
 
「許すも何も私達は全く怒っていませんからね。ドラロスさん、あなたに対してももちろん同じ気持ちです。でも気にしないでくれと言っても皆さんとしては困ってしまうでしょうから、謝罪を受け入れましょう。今後はもう、お気に病まれることのないようにしてください。」
 
 この中の誰1人、私達の死を願ったりしていない。それどころか心配してくれていたことは、みんな聞こえていた。でもそれを言うわけにも行かない。私に出来ることは、精一杯の笑顔ですべてを水に流しましょうと言うくらいのものだ。
 
「剣士殿、お嬢さん、そう言ってくれて感謝する。そして改めて私からも謝罪しよう。元を辿れば私がとんでもない命令を出したことが原因だ。すべての責は私にある。寛大なお二人の言葉に感謝する。」
 
 ユジン卿がそう言い、頭を下げた。
 
「ユジン卿、私達が別に怒っていないのは、ユジン卿に対してもですよ。何があったのか教えてください。それをすべて聞かせていただいたら、もうこの話はおしまいにしましょう。」
 
 ユジン卿が顔を上げてうなずいた。
 
「そうだな・・・。剣士殿、座ってくれ。ドラロス、お前はどうしてもこのお二人に話を聞いてほしいと言うことだったな。今回の件も含めて、すべてお話しして聞かせなさい。他の者達はご苦労だった。持ち場に戻ってくれ。これからも、ハスクロード家をよろしく頼むぞ。」
 
 ユジン卿が笑顔で言い、さっき進み出ていた年かさの門番が笑顔を返した。
 
「もちろんでございます。こちらこそ、これからもよろしくお願いいたします。」
 
 門番の笑顔とは裏腹に、後ろに控えていた人達の中からは、不満や怒りの感情が感じられた。長年のユジン卿のなさりようは、『元に戻ったから水に流せる』ものではないと、考えている人もいるのだろう。
 
(でもそれは差し出口だ。余計なことは考えないようにしなくちゃな・・・。)
 
 自分の心が誰かに読まれるかどうかと言うことではなく、それは私が考えるべきことではない。
 
 
 他の使用人達が去って行き、扉が閉められた。
 
 
 
 そして、ユジン卿はドラロスさんとの出会いから話し始めた。
 
 それはファルミア様の元にライネス王太子殿下の結婚相手を選ぶパーティの知らせが届くより、少し前のことだったようだ。町でたちの悪い風邪が流行り始めた。
 
『奇妙な風邪が流行っており、死人も出ているので薬草を多めに用意してほしい』
 
 町の世話役や診療所の医師達からそんな話を聞き、当時の伯爵、つまりユジン卿とファルミア様の父君である先々代の伯爵閣下が、たくさんの薬草を取り寄せて地元の医師達に無料で治療するよう通達を出したのだという。
 
 だが風邪の猛威はなかなか収まらず、結果としてかなりの数の死人が出てしまった。
 
「診療所まで来ることが出来ない者の家には、町の世話役達に回ってもらうように言い置いたのだが、私達は風邪の猛威を甘く見ていた。その世話役の家で家族全員が風邪に倒れた時にどうするか、そこまで考えていなかったのだ。無料で治療してもらえるという話の伝達が間に合わず、貧しさから家で寝ているしかなかった人々もいた。もっと・・・私達が動くべきだったのだ。」
 
 ユジン卿が悔しそうに唇を噛みしめた。
 
「・・・ドラロス殿はそう言う、家族を亡くした家の方だったのですか?」
 
 "マーケスさん"が尋ねた。ユジン卿がうなずいた。
 
「町の見回りの帰り、船着き場から海に入ろうとしていたところを止めたのだ。家族を亡くし、1人になってしまったと泣いていた。私はその時彼に、私達が家族になる、だから死なないでくれと言った。これ以上誰も死なせたくない、あの時の私はその一心でドラロスを説得したのだ・・・。」
 
 ユジン卿の説得に心を動かされたドラロスさんは誰もいなくなった家を引き払い、この屋敷の下男として住み込みで働くことになったそうだ。やがて引退を考えていたという前の執事さんが彼の才能を見抜き、ぜひ自分の後任には彼をと推挙した。
 
「ドラロスの事務処理能力、人を見る目は確かなものだった。とっさの判断も的確で、執事にふさわしい実力を持っていたのは間違いない。ただ・・・」
 
 ユジン卿が黙り込んだ。
 
「わたくしがね、兄に言ったの。ドラロスは確かに執事としての力はあると思いますが、少しお兄様の世話を焼きすぎるのではないかって。」
 
 ファルミア様が言った。
 
 その言葉に、ドラロスさんの周りの『気』が怯えるように震えた。
 
「お前の言いたいことはわかっていたが・・・ドラロスは何かにつけて私の喜びそうなものを手に入れたり、私が興味を持ちそうな話ばかりをしたがった。ドラロスなりに命を助けた私に報いようとしてくれているのだと、あの時私はお前の意見をあまりちゃんと聞いていなかったと思う。でも今ならわかる。お前には・・・見えていたのだな・・・。」
 
 ファルミア様がうなずいた。
 
「もちろん何もかもすべてわかっていたと言うわけではありません。ドラロス自身がおそらくは気づかずに発していた、奇妙な『気』のようなものを感じて、慎重に対処されてはどうかと申し上げただけですから・・・。それにそのあとわたくしは舞踏会に出かけたり、王宮からの招待を受けたりと忙しくなってしまいましたから、ドラロスのことを気にかける余裕もなくなってしまいました。」
 
 その後ファルミア様がライネス様に嫁ぐことが決まった頃、ドラロスさんは正式に『ハスクロード家の執事の後継者』となった。当時の執事さんの引退はまだしばらく先の話だったらしいのだが、前の執事さんのたっての希望でファルミア様が輿入れをされるまでの間、彼は当時の執事さんと一緒に引き継ぎを兼ねてファルミア様の花嫁支度を調えることになったのだという。
 
「ドラロス、あなたは本当にいろいろと頑張ってくれましたね。華美に走らず、でもどの品も本当にいいものを揃えてくれました。」
 
 ファルミア様が笑顔でドラロスさんに話しかけた。
 
「私は・・・ただ、お嬢様に胸を張ってお輿入れしていただきたくて・・・。」
 
 この部屋に入ってきたときよりは少し落ち着いた声で、ドラロスさんが答えた。
 
「お前のその気持ちはとてもうれしかったよ。あの時、これでお前もこの家の一員として胸を張って執事の職に就けるだろうと考えていたものだ。」
 
 ユジン卿の言葉に、ドラロスさんの目からは涙があふれた。
 
「ええ、あの時はわたくしも、あまりドラロスのことを気にしすぎないようにしなければと、反省したものです。彼の執事としての実力は本物だと確信しましたから。」
 
 そしてその後、ファルミア様は安心して王家へと嫁がれた。異変が起きたのはそのあとだったらしい。だからユジン卿から父君の病のことで手紙をもらうまで、ご実家で何が起きていたかを、何も知らなかった・・・。
 
「お嬢様・・・ありがとうございます。今ならばわかります。皆さんが私を信頼してくださっていることが・・・。でもあの頃、私はいつまでここにいられるのか、不安で不安で仕方なかったのです。」
 
「では『今なら』そのことについて説明できると言うことですか?どうしてそんなに不安だったのかを。」
 
 "マーケスさん"が尋ねた。ドラロスさんは震えながらも、小さくうなずいた。
 
「私が・・・ここに残ったのは、その話をするためです。」
 
 ドラロスさんは流行病で家族を失い、死のうとしていたところをユジン卿が助けた。だがそのあと、すぐにハスクロード家で働くことになったわけではなかったのだという。ユジン卿は『自分が家族になる』と言った約束を果たすためにドラロスさんをハスクロード家で雇おうと、当時の伯爵であった父君に頼んだそうなのだが、父君は最初いい顔をしなかったのだそうだ。
 
 

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