あのあと、私は夜中にカインに起こされ、二人で向かったフロリア様のお住まいである乙夜の塔で思いがけない出会いを果たすのだが、そのことを子供達に話す気には何となくなれなかった。
私の前でカインとフローラ、それに妻が黙ったまま聞いている。話している間中、ずっと冷や汗が流れ続けていた。動悸も激しくなっていたし、軽いめまいもしていた。でも・・・何とか話すことが出来た。カインとの出会いのことを話す時、涙が滲みそうなのを必死でこらえた。
「・・・そうか・・・。いろんなことがあったんだね。でもライザーおじさんて・・・ほんとにそんなに強かったの?いつもにこにこしてて優しいからさぁ・・・。あの笑顔と強い王国剣士ってのがどうにも結びつかないな・・・。剣士団長が『迅雷』ってのはわかる気がするけど・・・。でも、ライザーおじさんが『疾風』かぁ・・・。」
「希望か・・・。確かに、希望を持つことは大事だな・・・。正直に言うと・・・、そのあとしばらくして王宮内で色々あったからね。あまり思い出したくないこともあることはあるんだよ。」
読み終わったあと、私はただ黙って手紙を見つめていた。
私の見た夢の中に出て来た声の主は・・・やはりフロリア様なのだろうか。カインを王国へ行かせたことが間違いだったというのか。カインという名を持つ王国剣士に出会ったことが、これほどフロリア様を動揺させることになろうとは私は夢にも思わなかった。
私にとって『カイン』は、自分の息子の名前だ。だからあの夢を初めて見た日、息子の身に何か起きたのかと青くなったほどだった。だが・・・フロリア様にとっては・・・『カイン』とは、純粋で、ひたむきで、ひたすらに自分を慕い続けていたあの『カイン』のことでしかないのだろう・・・。
「どうしたの・・・?クロービス・・・。」
台所から戻ってきた妻が、手紙を握りしめたままぼんやりとしている私の顔を心配そうに覗き込む。私は無言で妻に手紙を差し出した。私の言葉で説明するよりも読んでもらったほうが話が早い。
「・・・読んでいいの・・・?」
不安そうに見つめる妻に、私は黙ったまま頷いた。私の隣に座り手紙を読むうちに、妻の眉間にしわが寄り、唇を噛みしめていくのがわかった。
「こんなことになるなんて・・・。カインが王国剣士になったことが・・・いけなかったって言うの・・・!?」
「まさか・・・。そんなはずないじゃないか・・・。」
「でもフロリア様にとっては・・・カインて言うのは・・・あのカインなのね・・・。そうよね・・・私達が自分の子供に同じ名前をつけたなんて・・・フロリア様はご存じないんですものね・・・。」
「・・・きっと・・・そうなんだろうね・・・。」
「ねぇ・・・どうすればいいの・・・?あなたが見た夢は・・・きっと本当にフロリア様の夢なんだわ・・・。だとしたら・・・フロリア様の目の前から、カインという名前の王国剣士がいなくなれば・・。」
「ばかなこと言わないでよ。そんなことが出来るわけないじゃないか。それに・・・フロリア様はもう・・・思い出してしまったんだ・・・。カインが剣士団を辞めたりしたって・・・元になんて戻れないんだよ・・・。」
「それじゃあ!あなたはどうしたら夢から逃れられるの!?私達は・・・どうしたら・・・前のように・・・穏やかな日々に戻ることが出来るの・・・?」
「私がどれほど夢で苦しもうと・・・カインの夢を壊していいことになんてならないよ・・・。あんなに必死で頑張っているのに・・・。自分の子供の枷になる親なんて・・・最低じゃないか・・・。」
「そうよね・・・。ごめんなさい・・・。私どうかしてた・・・。」
妻は涙を滲ませながら私の肩に顔を乗せた。
どうしたら・・・あの夢を見ないで済ませることが出来る・・・?
どうしたら・・・脳裏に焼きついたカインの姿を消すことが出来る・・・?
その答は・・・エルバール王国にあるのかも知れない・・・。王国へと出向き、オシニスさんに会い、今のフロリア様の様子を聞くことが出来れば・・・解決の糸口が見つかるのかも知れない・・・。
「オシニスさんは・・・あれからずっとフロリア様のそばにいるのね・・・。」
妻がちいさな声でつぶやいた。
「そうだね・・・。」
「20年以上も・・・ずっと・・・。」
「うん・・・。」
「そんなに長い間そばにいる人がいるのに・・・どうしてフロリア様の夢を見るのはあなたなのかしら・・・。」
「私の夢は・・・見たいと思ってみているわけではないし、フロリア様だって私に向かって思念を送っているわけではないと思うよ。ただ・・・私のほうがそう言う強い思念を受け取りやすいと言うだけで・・・。」
「そうよね・・・。でも何だか・・・オシニスさんがかわいそうだわ・・・。」
「仕方ないよ・・・。私達にはどうにも出来ない・・・。」
「フロリア様は・・・このまま女性としての幸せを知らずに生きていくのかしら・・・。」
「君が考える女性としての幸せって言うのは・・・何・・・?」
「そうね・・・。愛する人と結ばれることかな・・・。そしてその人の子供が産めれば・・・とても幸せだわ・・・。」
言いながら妻が私を見上げて微笑んだ。
「そうか・・・。でも人それぞれだよ・・・。フロリア様の背負うものは・・・私達が想像もつかないような大きなものなんだから・・・。」
「そうね・・・。エルバール王国をあの肩に一人で背負っているんですものね・・・。でもどうなるのかしら。このままではエルバール王家の血筋は途絶えてしまうわ。フロリア様って私よりも確か二つくらい上よね。子供を産むにはもうあんまり時間がないかも知れないわよ。」
「それはそうかも知れないけど・・・。でも女王陛下だよ。そう簡単に誰でもいいってわけじゃないんだから・・・。それに親戚筋から養子をもらうってことも出来るじゃないか。先代の国王陛下の直系はフロリア様一人でも、王家の血筋というなら、たくさん候補者はいるんじゃないのかな・・・。」
「それはそうだけど・・・。でもお世継ぎ候補がそんなにいたら、王位継承の争いが起きてしまうわよ。それも困るわ。また国が乱れるじゃないの。せっかく安定しているというのに。」
「安定か・・・。しているならいいんだけどね・・・。」
「してもらわなければ・・・困るわ・・。私達の息子は、エルバール王国でこれからも生きていくのよ・・・。」
「そうだね・・・。」
「フロリア様がカインのことに囚われているかぎり・・・これからもこんなことが起きるのかしらね・・・。」
「囚われている・・・か。」
「そうよ・・・。そしてあなたもよ・・・。」
「・・・・・・・。」
答えられない・・・。確かに、私はあの夢に囚われ、今はカインの死に囚われている・・・。どうすれば・・・そこから抜け出せるのだろう・・・。
「終わっていないのね・・・。」
妻が唇を震わせながらつぶやいた。
「終わっていない・・・?」
「そうよ・・・。あなたはフロリア様の夢を見て、昨日はカインの死顔を思い出した。私も父さんの死を思いだしてしまったわ・・・。そして・・・フロリア様はカインの影に怯えている・・・。これじゃ・・・まるで20年前に戻ってしまったようだわ・・・。あの時の出来事は・・・きっと何一つ終わっていないんだわ・・・。」
妻の瞳から涙が落ちる。
「終わっていない・・・。そうかも知れない・・・。」
答えながら私の視界も滲んでくる。終わっていない・・・。何もかもが・・・。もう昔のことなのに・・・何一つ終わってはいないのか・・・。
「・・・行くの?」
妻が私を見上げる。そのすがるような瞳。私に王国へ行ってほしいのか・・・行かないでほしいのか・・・。
「・・・・・・。」
そして私自身も答えられない・・・。私は迷っていた。
すべき事は明白だ。王国へ行き、オシニスさんに会う。そうすれば、私の見ている夢の謎も不安も、すべてに解決の糸口が見つかるかも知れない。それなのに決心がつかない。今さら私が行ってどうなるのだ。20年も前に王国を出た人間など、何の役にも立ちはしないのではないのか。このまま、黙って事の成り行きを見守り、今までどおりにこの島で穏やかに暮らしていけるなら・・・。
その時また頭の中に声が響く・・・。
−−臆病者・・・−−
「臆病者だと・・・?」
私はまた、頭の中に響く声に向かって返事をした。妻が隣で青ざめて私を見る。
−−思い出せ・・・−−
「・・・何を思い出すんだ・・・。これ以上・・・何を・・・。」
妻は何も言わない。ただ黙ったまま私の腕をしっかりとつかんで離さない。だがその手が震えている。私はその手を握り返して妻を見つめた。
「・・・考えてみるよ・・・。」
「・・・そう・・・。」
妻はそう言うと私の手に手紙を返した。
臆病者・・・確かにそうかも知れない。今回ばかりはあの不気味な声が真実を語っているような気がした。
「ねえ・・・。さっきの話の続き、聞かせてよ。」
「続き?」
「そう。あなたが剣士団に合格して、歓迎会をしてもらった後の話。」
あのあと・・・。
剣士団合格の興奮さめやらぬまま、夜中に向かった乙夜の塔。
フロリア様との出会い。漁り火の岬への『ナイトハイキング』・・・。
細い肩にエルバール王国の命運を背負い、孤独な舵取りを続けるフロリア様・・・。
あの時、本当に『この方のためならば何でもしてあげたい』そう思った。
「フロリア様と漁り火の岬に行ったのって、その日の夜のことよね。あなたが昔見ていた夢と同じ景色だったって・・・。」
「うん・・・。」
「あなたが昔のこと話すたびにすごくつらそうにしてるから、聞いたらいけないのかもしれないけど・・・。でも聞きたいわ。」
「いや、大丈夫だよ・・・。ほんと言うと・・・そのことはこの間、一度思い出したんだ。・・・あの夢を初めて見た時・・・。夜中にカインに起こされて、半分寝ぼけたまま乙夜の塔に向かったことをね・・・。」
「・・・そう・・・。でもあの時、あなたそんな話しなかったわよね・・・。」
「うん・・・。」
「・・・どうして・・?」
「・・・意味はないよ・・・。」
本当に・・・意味はないのだろうか・・・。あの時・・・久しぶりに見た夢がただの夢だと思いたかった。だが自分でもそうではないと心のどこかで思っていた。それを妻に言い当てられ、夢から覚めたあと考えていたことを全部妻に話して聞かせたはずなのに・・・。その時思い出したあの出来事を、どうして私は妻に話さなかったのだろう・・・。
「・・・そう・・・。」
妻はそれ以上追求しようとはせず、黙っている。
20年前・・・フロリア様の伴をして、夜中に漁り火の岬へと向かった・・・。あれはカインとフロリア様とのたった一度のふれあいの記憶・・・。カインの大きな手が、しっかりとフロリア様の小さな手を握っていたことを、今もしっかりと憶えている・・・。そして別れ際にかわされた熱い視線・・・。帰る場所を失っても、放浪を余儀なくされても、カインはフロリア様をひたすらに信じ続けていた・・・。
「・・・ねぇ、そのあとはどうなったの?」
「そのあと?」
「そう。フロリア様を部屋まで送っていって、その時に『Lost Memory』の曲を聞いたところまでは前に聞かせてもらったけど、そのあとの話。」
「うん・・・。そのあと私達は、今度は自分達の部屋に戻るわけだったんだけど・・・。」
「その言い方だと、何かあったみたいね?」
妻がクスリと笑う。
「あったよ・・・。体中の水分が冷や汗になって出てしまうんじゃないかって言うようなことがね。」
「へぇ。どんなことがあったの?・・・でも聞いたら・・・ダメかしら?話すのつらい?」
妻がいたわるように私を見上げる。
「大丈夫・・・話すよ。正直きついけど・・・さっきからカイン達にいろいろ話していたら、少しずつ、いろんなこと思い出してきたんだ。聞いてくれる?」
「聞くわ。話して聞かせて。」
妻が微笑んだ。
昔話をしている間中私を苦しめていた動悸や冷や汗に、負けてしまいたくはない、そんな気持ちが頭をもたげてきていた。私は・・・臆病者なんかじゃない・・・。
再び遠い記憶を辿る・・・。私の脳裏にあの夜の出来事が甦ってきた・・・。
フロリア様の部屋の前から静かに階段を降りた私達は、一階まで来て扉の外を窺った。見張りの剣士が立っている気配がする。
「まだ交替じゃないのかな。」
「そろそろのはずだから少し待とう。」
私の問いにカインが答える。やけに時間の経つのが遅いような気がした。冷や汗が流れる。万一こんなところにいるはずのない新米剣士がいるのがばれたりしたら・・・。しかも私はつい先ほどまで、みんなに歓迎会をしてもらっていた身だ。
その時、外で足音がした。見張りの剣士が動いたらしい。カインは注意深く、ほんの少しだけ扉を開けた。人の気配がない。私達は素早く外に飛び出すと、塔の陰に隠れ、なおも入口を伺った。入口には誰もいない。
「よし、今のうちだ!」
月は煌々とあたりを照らしている。人がいれば必ず私達の姿は目につくだろう。脱兎のごとく駆け出して、乙夜の塔の入口からちょうど死角になるところまで走って、私達は振り返った。その時、
「ハリー!キャラハン!お前ら何やってんだ!また入口が空っぽだぞ!」
中庭に響く声。それほど大きな声を出しているわけではないだろうが、あたりが静かな分だけやたらと響き渡る。その声は・・・!!
「すみませぇ〜ん、オシニスさん!」
ハリーさん達の声。
「ゲッ!!オシニスさん!?」
カインが小さく声を上げる。
「まったく・・・お前らと一緒だとおちおち仮眠もとれんぞ・・・。」
言いながらオシニスさんの声が遠ざかる。私達は服がびしょびしょになるんじゃないかと思うくらい冷や汗をかきながら、王宮本館へと続く非常階段口のところまで辿り着いた。抜き足差し足で階段を登る。中に入って扉を閉めた瞬間、二人ともその場に座り込んでしまった。
「と、とにかく難関は突破かな。」
カインがやっと声を出すようにつぶやく。
「・・・でも早く戻ろうよ、部屋に。」
私達は、焦る気持ちを抑えながら再びそっと宿舎への階段を上がった。部屋に戻り、扉を閉めた途端体中の力が抜ける。
「そういえば・・・オシニスさん達今夜、夜勤だって言ってたっけ・・・。」
「ハリーさん達もだよね。」
「ああ・・・とにかくよかった。オシニスさん達に見つからなくて。俺たちが塔にはいる時も見張りはハリーさん達だったんだな。おかげで助かった・・・。」
カインは心からほっとしているように見える。
「でも・・・最後の最後でこんなに焦ると思わなかった・・・。」
私は鎧と剣をはずし、ベッドにどさっと寝転がりながらつぶやいた。
「まったくだなあ・・・。」
カインもベッドに腰を下ろし、ため息をついている。
「ねぇカイン、夜勤はあんな風にふた組でやるの?」
「そうだ。何時間かおきに交替して、別な組が立っている間に休んでいる組は仮眠をとるらしい。それで朝までさ。」
「ふぅん。そう言えばさっきフロリア様が、ここは3年以上の経験を積んだ剣士しか見張りはしないって言ってたよね。」
「そうだな。」
「それじゃ、3年後には私達もあの場所を警備できるようになるんだね。」
「・・・そうだな・・・。」
カインの返事が少しだけ歯切れが悪くなる。
「じゃ、それまでにうんと経験を積んでがんばらないとね。警備を任されたはいいけど、役に立たないんじゃ困るしね。」
「・・・お前やけに楽しそうだな・・・。」
カインが怪訝そうに私を見た。
「だってあそこはフロリア様のお住まいなんだから、この国で一番重要な場所だよ。そこの警備を任されるなんてすごいじゃないか。」
思えば、この時の私は少し饒舌だったかもしれない。明日会うはずのエルバール国王フロリア様に思いがけず間近で会えた驚き。気高く気品に満ち、慈愛をたたえた微笑み。美しい髪。優しい声・・・。そのどれもが今まで出会ったことのない新鮮な驚きに満ちていた。あの王女さまのためなら、なんでもしてあげたい。そんな風に思っていた。
もっとも、カインも私も、ついにこの場所の警備をすることはなかったのだが・・・。
「・・・そうだな・・・。」
カインが何となく元気がなさそうに答える。
「どうしたの?元気ないよ?」
ローランからの戻り道で、不寝番をしながら考え込んでいたカインの後ろ姿。あの時と同じように、何となくカインの元気がない。さっきまであんなに嬉しそうだったのに・・・。
カインは、黙ったまましばらく天井を見つめていたが、やがてぽつりぽつりと話し始めた。
「クロービス・・・俺・・・貧民の生まれで、小さい頃いつもいじめられていたんだ・・・。自分ではどうにもならない生まれのせいで、なんでこんな目に合わないといけないのか・・・!いつも恨めしく思っていたよ・・・。そんなある日、俺の転機となる忘れられない出来事があったんだ・・。」
そう言って話してくれたカインの幼いころの出来事。それは、私が初めてカインと同じ部屋で眠った時に見た夢そのものだった。すると私の夢に出てくるのとそっくりのあの少女はやはり・・・。
「・・・その時の少女が、お忍びで城下町に来ていたフロリア様だと後から判った。」
やっぱりそうか・・・。
「その時、フロリア様の凛とした物言いに、いじめっ子達は退散した。だけどあの時、よく見るとフロリア様の体は小刻みに震えていたんだ。怖かったんだろうな、きっと・・・。普段滅多に外に出ず、町人となんて話したこともない人が、初めて会ったいじめっ子に意見をするなんて・・・。フロリア様にとって、どれほど勇気のいることだったか・・・。それでも・・・フロリア様は来てくれた・・。あの時・・・あの時『ありがとう』って一言でもいいから言えればよかったのに・・。あの後、心から後悔したよ・・。そして町の噂で、俺は自分を助けてくれた女の子が、実はお忍びで町の中を視察していた、エルバール国王のフロリア様であると知った。フロリア様が、幼い頃に病気で両親を亡くし、それ以来、国王としての重責を一身に背負っているってこともその時聞いた。つくづく・・・自分を情けないと思ったよ・・・。何て俺は小さいんだ・・・ってな・・・。そして俺は変わった・・・。剣の腕を磨き、王国剣士となって、人々のため、そしてフロリア様のために働きたいって思ったんだ。そしてそのために努力する過程で、生まれがどうとか、貧しいからどうだとか、そんなこと、生きていくためには何の障害にもならないって言うことも学んだよ・・・。そして俺は王国剣士になれたんだ。いつかここで大きな仕事を成し遂げた時、初めてフロリア様に、あの時のお礼を言おうと思っている。俺がここまで来れたのはフロリア様のおかげだ。俺の人生はフロリア様のためにあるんだ。」
迷いなく言い切るその声には、カインの強い決意が込められていた。
「カインのお父さんとお母さんは?」
「お袋は俺を産んですぐに死んだらしい。親父は盗みの罪で捕まって、しばらくは牢獄暮らしだった。そのあと出てきてから何度か職を変えて、がんばって俺を食わせようとしてくれたけど、結局『元泥棒』のレッテルを貼られてろくな仕事はなかったみたいだ。その親父も俺が10歳の時に死んでしまった。」
「カインていくつだっけ?」
「22だよ。前にも言ったじゃないか。なんでそんなことを聞く?」
「ん・・・。もっと前にどうして試験を受けに来なかったのかと思ってさ。」
何となく思いついた疑問を私はそのまま口にした。
「ははは。そのことか。答は簡単さ。剣や防具を買う金がなかったからだ。」
しまった!と思った。貧民の生まれだと聞いたばかりなのに、なんと無遠慮なことを聞いてしまったのか。剣士団の試験を受けるためには、武器防具は自前で用意しなければならない。ここに来る前に、武器屋でレザーアーマーの値段を聞いたが、それだって280Gもしたのだから、そのほかに剣も買うとなれば相当のお金が必要だったことだろう。
「あ・・ご、ごめん。失礼なこと聞いて・・・。」
真っ赤になってしまった私を、カインは優しい瞳で見つめている。
「いいよ。気にするな。剣の腕を磨こうと決心したはよかったが、そのころの俺には模造刀一本満足に買えやしなかった。何しろ明日の飯のあてもろくになかったからな。俺は金を稼ぐために表通りの店屋の裏口に行って、使いっ走りに使ってくれるように頼み込んだんだ。最初はなかなか雇ってもらえなかったけど、商業地区の大通りにある『我が故郷亭』の親父さんがたまに使ってくれるようになってな。そのうち他からも頼み事をしてくれる店屋が増えてきて、少しずつ金を稼ぐことが出来るようになったんだ。ある程度の歳になってからは、力仕事の現場に行って働かせてもらったり、いろいろだ。その合間を見ては剣の修行に励んだ。修行と言っても、金もない奴を弟子入りさせてくれるような奇特な剣士はいないからな。その時の俺にでも買うことが出来た一番安い剣を携え、門の見張りの隙をついて城壁の外に出ていって、その辺のモンスターとやり合ったんだ。おかげで生傷は絶えなかったな。そしてやっと、剣士団で主流を占めていると言われるアイアンソードと鎧を買うだけの金が貯まったのが、1ヶ月ほど前というわけだ。」
「ご両親が亡くなった時に、孤児院に引き取られるという話はなかったの?」
「あったよ。貧民街をまわっていた親切な人達が、連れていこうと言ってくれた。だが孤児院へ行くというのは、結局は誰かの庇護の元で生活するということだ。もちろん、孤児院にいる子供達だって色々と事情があるんだから、それを否定する気はないよ。でも俺は、一日も早く独り立ちしたかった。それだけだ。」
「『我が故郷亭』ならここに出てきた時に泊まったよ。あそこのマスターいい人だよね。」
「へぇ、そうか。城下町も広いからな。出てきて最初にあそこに泊まったのは正解だな。へたなところに泊まると、朝起きた時にはパンツ以外はきれいさっぱり消えてなくなっていたりするからな。」
「パ、パンツ以外って・・・でもパンツはおいていくんだね。」
「そりゃ男のパンツなんて脱がせたくないからさ。つまり、女だったら本人ごと消えちまったりもするってことだ。」
そんなところもあるのか・・・。城下町に出てきて一度もスリやかっぱらいに遭わなかった私は、きっと運がいい方なのだろう。あの時は何も考えずに歩いていたが、いまさらながら都会の恐ろしさを垣間見たような気がした。
「・・・それで晴れて王国剣士になったんだね。フロリア様のために?」
「ああ、そうだ。」
誇らしげな返事。
「・・・フロリア様が好きなの?」
さっき、乙夜の塔の前でフロリア様に向けられていた、カインの熱い視線。それに応えるかのようなフロリア様の優しい視線・・・。
「ば、ばか!!そんな恐れ多いこと・・・。」
私の言葉に、カインは赤くなっている。
「どうせ誰も聞いていないよ。ここは私達の部屋の中なんだから。フロリア様のこと好きなんだね。」
「お、おい・・・クロービス・・・。」
カインはなんと答えていいのか判らないように、困惑したつらそうな視線を私に向ける。
「・・・もう言うな・・・。頼む。・・・たとえそうだとしても、俺にはフロリア様に自分の人生を捧げて忠誠を尽くすことしかできないんだ・・・。」
しばしの沈黙の後そう言うと、カインはどさりとベッドに仰向けに寝転がって天井を見つめた。苦しそうな横顔・・・。カインもまた、十数年をかけて一人の女性を想い続けている。決して実らぬ恋、届かない愛情・・・。
それほどまでの強く深い愛情を、私もいつか誰かに注ぐことが出来るのだろうか・・・。
「ところで、クロービス・・。」
カインが天井を見たまま私に尋ねる。
「お前の方は、どんな生い立ちなんだ?どこで生まれ、なんでエルバールで来た?良かったら教えてくれないか?」
私は、世捨て人の島で育ったことや父の死の謎、そして島を出て王国に出てくるまでの話や、父の遺した楽譜のことなどをすべてカインに聞かせた。さっきフロリア様のことでカインにつらい思いをさせた償いと言うつもりではなかったが、イノージェンのこと、ライザーさんのことも全部話した。だが・・・私がいつも見る不思議な夢が、フロリア様の夢であったらしいということだけは、なんとなく口にすることが出来なかった。
「そうか・・名もない世捨て人の島で育って、親父さんの死とともに王国に出てきたってわけか。この前お前に親父さんのことを聞いた時、何となく言いたくなさそうだったのが不思議だったけど・・・そんなことがあったんじゃ、仕方ないよな・・・。お前も普通の若者とは異なる道のりを歩んできてるってわけか・・。なんだかお前とは、これから先もうまくやっていけそうな気がするよ。しかし、ライザーさんがなぁ。お前の初恋の人の王子様か・・・。」
『王子様』と言う言葉がカインの口から出るのは何となく似合わない気がしたが、島の岬で王国の島影を見つめながら、ひたすらにライザーさんを待ち続けるイノージェンには、ぴったりの言葉かもしれない。
「ここでライザーさんと出会って、かなわないと思ったよ・・・。彼女への思いも、剣の腕も、何もかもね・・・。」
「・・・そうか・・・。でもお前にもそのうち誰かが現れるさ。一生かけても悔いがないと思えるような相手がな。」
カインにとってはそれがフロリア様なのだろう。私にも・・・本当にそんな女性が現れるのだろうか・・・。
「ところでその楽譜ってのはなんだ?へんな話だよな。でもそれほど何か複雑な事情があるってことなのかな。」
「・・・うん。いまのところなにも判らないけど・・・。」
「そうか・・・。ま、知るべきことならいずれ知る時が来るよ。さあて、もう寝るぞ。すっかり遅くなっちまったな。夜明けまでいくらもない。謁見に遅れたりしたらエライことだからな。」
「そうだね。お休み、カイン。」
「お休み。」
妻は目を伏せたまま黙って聞いていた。
イノージェンについてのことは、最初に昔話を始めた時に隠してしまったために、さっきも今もあちこち省きながら話すことになってしまった。辻褄が合わなかったかもしれない。へたな隠し方をしたりして、かえって何もないのに勘ぐられるかもしれない。少しヒヤヒヤしていた。だが妻はそんな私に気付いた風もなく、ちいさな声でぽつりとつぶやいた。
「カインにとって・・・フロリア様は人生のすべてだったのね・・・。」
言いながら妻の瞳が潤んでくる・・・。
「そうだね・・・。」
「なのにあんなことになるなんて・・・。」
「そのことで・・・フロリア様も苦しんでいるのかもしれないね・・・。」
カインの名を呼びながらすすり泣くあの声・・・。フロリア様も私のように過去に囚われてしまったのだろうか・・・。
「・・・そうね・・・。ごめんなさい。辛いことまで思い出させてしまったわ。」
「そんなことはないよ。楽しいこともたくさんあったって、思い出すことが出来た。」
「私達のカインも、剣士団で成長していってくれるといいわね。」
「そうだね・・・。」
その日の夜、夢を見た。
漆黒の闇・・・。
『カイン』に詫びながらすすり泣く女性の声・・・。
いつもと同じ夢・・・のはずだった。
なのに、突然足下が崩れるような感覚。
私はいつの間にか闇の中をどこまでも落ちていた。
恐怖で心臓が締めつけられる。
やがて彼方から何かが聞こえたような気がした。
−−つかまって・・・−−
声と共に目の前に差し出された手に思わず私はつかまった。
ぬらりと表面が滑る。
それは・・・!!
血にまみれた手・・・。
−−これがお前の手だ・・・−−
不気味な声・・・。
「うわぁぁぁ!!」
叫んだところで目が覚め、私は飛び起きた。思わず両手を見るがもちろん何もついていない。体中から冷や汗が、まるで滝のように流れ落ちているような気がした。
私の手が・・・血にまみれていると・・・それを思い出せと言うのか・・・。そんなことは判っている。忘れてなどいない・・・。でも今さらどうにも出来ないのに・・・。胸をかきむしられる思いで、そのあと私はとうとう朝まで眠ることが出来なかった。