カインはステラを連れて、祠の奥の浜辺へ出た。ステラはカインの話の内容を察してか、ずっと顔をこわばらせている。せめて、しっかりと目を見て、はっきり言わなければ。カインはそう自分に言い聞かせ、ステラに振り向いた。
「ステラ、ごめん・・・。」
頭を下げるカインから目をそらしたまま、ステラは妙な作り笑いをしている。
「な、なによ・・・。気味が悪いわね、あんたがそんな風に頭下げたら・・・。」
「下げなきゃならないからさ。」
「やだ・・・もう、別にいいわよ。そんなたいしたことじゃないし・・・。」
ステラは笑おうとした。そして『たいしたことじゃないのよ。あたしは平気よ。』そう言葉を続けて笑い飛ばすはずだったのに、言葉は喉にからみつき、顔はゆがむだけで全然笑顔にならない。
「ステラ、俺の眼を見てくれよ。」
たまりかねてカインは言った。ステラにちゃんと現実と向き合ってほしい。自分の答を、逃げずに正面から受け止めてほしい。
「何で見なきゃならないの?声は聞こえてるんだからいいじゃないの。別に・・・そんな」
「見てくれよ!」
カインはステラの肩をつかんで自分に向かせた。ステラはカインを睨み返して・・・そして涙をぽろぽろとこぼした。
「あたしにはあんたの答えがわかってるのよ!だからいいじゃないの!どうしてわざわざ言わなきゃならないの!?これ以上惨めにさせないでよ!」
ステラの拳がカインの胸を叩く。
「それでも言わなきゃならないんだ!俺は・・・。」
「いやよ!聞きたくない!」
ステラが叫ぶ。
「聞くんだ!俺には・・好きな人がいるんだ・・・!だから君の気持ちにはこたえられない・・・。」
予想していたはずなのに、その言葉はステラの心を奥まで刺し貫いた。『好きな人』・・・。カインが自分を見ていないことはわかっていたけれど、では彼の心を占めているのはいったい・・・。
「・・・誰なの・・・?」
ステラはカインをにらんだまま聞き返した。
「・・・それは言えない・・・。」
カインはつらそうにうつむき、唇をかんだ。
「・・・結婚するつもりなの・・・?」
「それはないだろうな。」
「・・・どうして・・・・?」
「相手は・・・俺の気持ちを知らない・・・。俺には手の届かない人なんだ・・・。」
「どういうこと・・・?」
「どうもこうもないさ。そういうことなんだ。」
「な・・・なによそれ!?手が届かなくて、気持ちも通じなくて、結婚も出来ないのに、あんたはその人を思い続けるってわけ?」
ステラの顔に皮肉めいた笑みが浮かんだ。抑えようのない嫉妬がステラの中にあふれ出てくる。
「そういうことになるな・・・。」
「ば・・・ばっかじゃないの!?」
カインは寂しげに微笑んでうなずいた。
「そうだな・・・。かも知れないじゃなくて、本当にばかなんだと思うよ。でも・・・」
「ほんとにばかよ!なんでそんな女が好きなのよ!それじゃどこかの男がその女と結婚するかも知れないってことよ!あんたはそれを、指をくわえて黙って見てるってわけ!?」
さすがにこの言葉はカインの心に突き刺さった。いずれフロリア様が女王としてどこかの誰かと結婚することになるということは、覚悟しているつもりだった。カインが剣士団に入る前から、年頃になったフロリア姫の『お相手』が誰なのか、町の中でも噂が飛び交うようになっていたのだ。まずは家柄だ、いや、あのライネス様のお子ならばまずは人柄で選ぶだろう、いやいや、やはり国王としては財力のある家との縁組みが望ましいのではないか、等々・・・。そんな噂を聞くたびに、それが当たり前だと思う心のどこかで、その噂を否定したがっている自分がいた。
「そ・・・そう・・・かも・・しれない・・・な・・・。」
カインの顔色が変わり、声が震えだした。ステラは、今自分が言った言葉が、カインにとって一番聞きたくないことだったのだと気づいた。
(ばか・・・!なんであたしはこんなひどいことを・・・・。)
なのにステラの口は止まらない。
「そんなバカな話はないじゃないの!好きな相手が誰かにとられるのを・・・黙ってみているなんてそんなバカな・・・。」
また涙が溢れる。
「でもしかたないんだ。どんなにつらくても我慢する以外に道はないんだよ・・・。」
「だって・・・一番好きな人と結婚できないなら・・・どうするの・・・?」
「・・・どうもしないよ。俺には結婚なんて縁がないさ。」
「そんなこと言わないでよ・・・。それじゃ・・・それじゃあたしと結婚して!」
ステラは自分の口から出た言葉に自分で驚いた。なんでこんなことを言い出したんだろう。そしてその言葉を聞いたカインはもっと驚いていた。
「・・・バ・・・・バカなこと言うなよ!?そんなことが出来るわけないじゃないか!」
「なんでよ!?一番好きな人と結婚できないからって一生独り身だなんて寂しすぎるじゃないの!?あたしだっていいじゃないの!あなたにとっては一番じゃなくても、あたしにとっては一番なんだから!」
「な、何を言ってるんだ!?それじゃ君は、俺が一番好きな相手に手が届かないからってだけで代わりに君を選んだとして、それでいいのか!?」
「それだっていいわよ!あなたが・・・振り向いてくれるなら・・・。」
「そんな・・・。」
カインはステラを見つめた。これ以上なんと言えばいいんだろう。フロリア様の名前を出すことなど絶対に出来ない。でもどうすればステラがあきらめてくれるのか、もう何も考えつかなかった。だけどこのままではいけない。これではステラは自分の人生を捨てるようなものだ。
「そんな悲しいこと言わないでくれよ・・・。君には君の人生があるんだ。いずれ俺みたいなやつより、もっと君にぴったりの誰かに一番に愛されて、幸せな人生を送れるはずなんだ。一時の感情でそんなことを言わないでくれよ。」
「悲しいのはあなたのほうだわ・・・。悲しすぎるわよ。あなたのことなんてなんとも思ってやしない相手をずっと思い続けるなんて・・・。」
そんなつらい人生をカインがこれからずっと送るなんて、それだけでもステラには耐えられないことだった。カインの支えになれるのなら、そして一生を共に過ごしていけるのなら、たとえ一番に愛されなくてもかまわない。カインが受け入れてくれるのなら・・・。
「だけど、俺にはその人以外の誰かなんて考えられないんだ。だから・・・。」
カインは悲しげに首を横に振った。
「まさか・・・」
突然ステラは思い当たった。カインの手が届かない相手・・・カインの身近にいて、カインが惹かれそうな女の子と言えば・・・・
「それって・・・ウィローのことじゃないの・・・?」
「え?」
この質問にカインは不意をつかれた。ウィローのことは、今では大事な友達だと思っている。一時は彼女との『もう一つの人生』を考えたこともあったが、それはもうとうの昔にけりをつけたことだった。
「だって・・・ウィローはとてもいい子だわ。でも彼女はクロービスの恋人で・・・だとしたらそりゃ手が届かないし、あなたのことだから親友の恋人をとろうなんて思いもしないだろうし・・・。」
「ちょ、ちょっと待ってくれよ。それは違うよ。」
カインは慌てて否定した。これだけはしっかりと言っておかなければならない。
「だってそれしか考えられないじゃないの。南大陸へ行く前にあなたのそばにそれらしい女の子なんていた気配もないし・・・。」
「つきあってたわけじゃないからな。元々そばになんていないよ・・・。ウィローじゃない。それは誓ってもいい。」
カインは出来るだけきっぱりと言い切ってみせたが、ステラの瞳から疑惑の色は消えなかった。ここでカインが認めればクロービスとの信頼関係が壊れるかも知れない。たとえそれが真実でもカインは絶対に認めようとはしないだろうと、ステラは考えたのだ。
「・・・教えてはくれないのね・・・。」
「ごめん・・・。」
ステラの瞳から、涙が一つ、また一つこぼれ落ちた。
「どうして・・・。」
「・・・・・・・・。」
「どうしてあたしじゃだめなの・・・?」
カインの胸にしがみついて、涙に濡れた瞳で自分を見つめるステラの顔は、とてもはかなげで、いつものからかうような笑みはみじんも見えない。ごく普通の女の子の顔だ。
「ずっとあなたのこと見てきたわ。相方が見つからなくてイライラしてた時も、クロービスとコンビを組んでやる気満々だった時も、謹慎になって落ち込んでいた時も、どんな時も・・・ずっとあなたのこと見てたのに・・・。あたしは・・・あなたの気持ちも知らない、あなたと結婚する気もない、どこの誰ともわからない女の人よりも劣るの・・・?」
「・・・劣るとか劣らないとかじゃないんだ。俺は・・・自分の気持ちに嘘はつけない・・・。」
カインの手が遠慮がちにステラの肩に置かれた。これほどまでに打ちのめされているステラを、せめて抱きしめて慰めてやりたいとも思った。でもそれをしてはいけないのだ。それはカイン以外の誰かの役目だ。自分にいま出来ることは、何度同じことを聞かれても、そのたびに同じ答を繰り返すことだけだ。
(ごめんな、ステラ・・・。)
(ばかみたいだわ・・・。何度も同じことばかり聞いて・・・・。)
何度聞いても答が同じなのはわかっている。なのに何度も同じことを聞かずにいられない。どうして自分ではだめなのか、どうして、どうして、どうして、どうして・・・。ステラの頭の中には、今はその言葉しか思い浮かばない。そしてどうしてのあと必ず行き着く一つの結論がある。
(やっぱりカインはウィローを好きなんじゃないのかしら・・・。)
どうやらウィローとクロービスは喧嘩中らしい。クロービスがしっかりウィローをつかまえておいてくれないから、カインの心が揺れるのではないか・・・。
(まったくもう・・・クロービスがもっとしっかりしてれば・・・・。)
そう考えてふと思う。ではクロービスがもっとしっかりしていたとして、ウィローの目がカインなど見向きもしなかったとしたら、カインはウィローをあきらめて自分を見てくれるのだろうか。
(そうとは・・・限らないのよね・・・・。)
「つまり・・・あたしじゃどうしてもだめってことね・・・。」
あきらめたような声でつぶやくようにそう言うと、ステラはカインの胸にしがみついていた手を離した。
「だめとかそう言うことじゃなくて・・・」
「わかったわ・・・。もう行ってよ・・・。」
「ステラ・・・・。」
「早く行って・・・。」
「君はどうするんだ?」
「少しここにいるわ。頭を冷やしたいから。」
「でも・・・・。」
目の前は海だ。ここにステラを一人で残していっていいものかどうか、カインは決めかねていた。
「心配しなくても、このまま海に入ったりしないわよ・・・。頼むから・・・一人にしてよ・・・!」
最後の言葉が震えていた。
「わかったよ・・・。俺は先に戻る。ステラ・・・ごめん・・・。」
「何度も聞いたわ・・・。もういいから行って!」
遠ざかるカインの足音を背中に聞きながら、ステラは浜辺に座り、顔を膝に埋めて泣いた。カインと出会ってから一年近く、ずっとずっと秘めてきた思いが全部、涙と一緒に流れていってしまえばいいのにと思いながら、ステラは泣き続けた。
洞窟の入口で、カインは立ち止まった。ステラの思いが切なくて、その思いを受け入れてやれない自分が腹立たしくて、涙が出た。謝ってすむものならいくらでも謝りたいが、それさえもステラを傷つけるだけだ。こんなことは別に初めてじゃない。なのに、今は泣きたいほどにつらい。そしてつらいのは・・・さっきのステラの言葉がカインの心に重くのしかかっているからだ。
『どこかの男がその女と結婚するかも知れないってことよ』
いずれその時はやってくる。この先剣士団が復活したとして、みんなで無事王宮に戻ることが出来ても、カインの立場が変わるわけじゃない。カインはいつまでも一介の王国剣士であり、フロリア様はいずれこの国のために夫を迎え、世継ぎを産まなければならない。もしも剣士団に入る前にフロリア様が結婚していたとしたら・・・・、まだあきらめきれたかも知れない。でも今はどうなんだろう。フロリア様の花嫁姿なんて見ていられるんだろうか・・・・。笑っておめでとうございますなんて・・・・。
「・・・・欲張りになったもんだな・・・・。」
カインは小さくつぶやいた。そばにいられればいいだけのはずだったのに、いつの間にこんな身の程知らずなことを考えるようになったのか・・・・。
南大陸へ行く前、クロービスにフロリア様を自分のものにしたいと思ったことはないのかと聞かれたことがあった。その時カインはそれを一笑に付した。
『俺にとってあの方は不可触の女神だ』
そう言ったことを覚えている。今だってそう思っているはずなのに・・・。カインの脳裏に、フロリア様と共に漁り火の岬に向かった時のことが浮かんだ。フロリア様の慈愛に満ちたまなざしと優しい声・・・。白い柔らかな手・・・。あの手をもう一度取ることが出来るなら・・・・この腕にあの細い肩を抱きしめることが出来るのなら・・・何もかも・・・命だって、投げ出してもかまわないのに・・・。
突然背中に寒気のようなものを感じて、カインは身震いした。
「・・・俺は今・・・なにを考えていたんだ・・・?」
ステラの気持ちを受け入れられないと、たった今話してきたばかりだ。それによってステラは打ちのめされ、今もカインの背後の浜辺で泣き続けている。なのに、今自分が考えていたことと言えばフロリア様のことばかりだ・・・。
「俺って奴は・・・こんな冷たい人間だったのか・・・?」
自分に聞いてみる。でも答えはない。少し疲れているのかも知れない。早くクロービスのところへ戻ろう。カインはもやもやした気分を振り払おうと頭を強く振った。
「クロービスの奴も・・・うまくいってるといいんだけどな・・・。」
そうつぶやきながら、ため息と共にカインは歩き出した。
|
続きは本編でどうぞ