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  西の森にて

 
 クロービスの頭から血が飛び散り、ウィローが悲鳴を上げた。クロービスはそのまま声も立てずに地面にどさりと倒れた。カインはモンスターの前に躍り出ると思いきり斬りつけた。ナイトブレードの鋭い刃はモンスターの硬い皮膚をばっさりと切り裂き、モンスターは鳴き声ともうめき声ともつかない奇声を上げながら、地中深く潜っていった。この時カインは何も考えていなかった。ただ、クロービスに大けがを負わせたこのモンスターが許せなかった。こんな風に感情にまかせて剣を振るってはならないと頭ではわかっていたが、もし自分のせいであのモンスターが命を落とすことになっても、今日だけはきっと後悔しないだろうと、カインは思った。
 
「ウィロー!早く治療してやってくれ!」
 
 カインは必死で叫んだ。ウィローがクロービスの頭をひざの上に乗せて呪文を唱え始める。が、クロービスの頭から流れる血は止まる気配をみせず、傷も塞がらない。ウィローのズボンはみるみるうちに真っ赤に染まった。
 
「どうしたんだよ?そんなにひどいのか!?」
 
 ウィローは泣きながらカインを見上げた。
 
「傷がふさがらないのよ!血も止まらないの・・・。どうしよう・・・。」
 
 ウィローはすっかり取り乱し、呪文を唱える声も震えている。カインはとりあえず、自分の気功を使ってみた。落ち着いている分だけ、今はウィローの呪文よりもよく効く。だが、なんとか血を止めることはできたが、傷がどうしてもふさがらないのだった。
 
「おかしいな・・・。」
 
 カインはクロービスの傷を覗き込もうと、彼の額に触った。傷のまわりにジャリジャリとざらついた妙な感触がある。よく見ると傷の内側も・・・。
 
「砂か・・・。」
 
 クロービスが倒れたのは砂の上だった。仰向けに倒れたので傷は直接砂に触れてはいないものの、倒れた時に舞い上がった細かい砂粒や、そのあとの戦闘でまきおこった風のせいで吹き上げられた砂がたっぷりとこびりついている。傷の中に異物があると、いくら強力な呪文を唱えてもかすり傷一つふさぐことが出来ない。それは気功についても同じことが言える。カインは空を見上げた。太陽はちょうど真上にかかろうとするところだ。これからの時間帯が一番陽射しが強い。このままでは傷が化膿してしまう。一刻も早く治療しなくてはならない。が、傷を洗って砂を落とそうにも、手持ちの水は飲むための分しかない。これを使って傷をきれいに洗おうとすれば、おそらく水を使いきってしまうことになる。それでも洗いきれるかどうかわからない。それにここはまだ砂漠のど真ん中だ。次のオアシスまではだいぶある。今ここで水を失えば、自分達まで倒れてしまう可能性もあるのだ。カインの決断は早かった。
 
「ウィロー、西の森に戻ろう。」
 
「これから・・・?でもあそこまでもだいぶあるわ・・・。その間にクロービスに何かあったら・・・。」
 
 ウィローはまだ青ざめて震えている。彼女を落ち着かせなければならない。これだけの傷を気功だけで治すのは、カインに負担がかかりすぎる。自分まで倒れるわけにはいかない。
 
「だから戻るんだ。こいつに何かあってほしくないなら、出来るだけ早く西の森にたどり着いて傷をきれいに洗うんだ。それから君は傷の治療をしてくれ。君の呪文が頼りなんだ!行くぞ!」
 
 カインはクロービスの頭に巻かれたターバンを一度はずした。このターバンも額のすぐ上の部分が切り裂かれている。もしもこれを巻いていなかったら、クロービスの頭皮も、いや、頭皮どころか頭蓋骨までも削り取られていたかも知れない。カインはターバンを巻くのが苦手だった。クロービスは根気よく教えてくれたが、それでも半分は彼に頼って巻いていた。いつも煩わしいと思っていたものが、これほどありがたく感じられたのは初めてだ。カインは荷物の中から薄手のタオルを取りだし、クロービスの額の傷をきつく縛った。そしてターバンの血の付いた部分を切り裂いて、また巻き直した。へたくそなまき方だが仕方がない。クロービスの傷と頭を、この強い陽射しから守ることが先決だ。カインはクロービスを背中に担ぎ、二人分の荷物と剣とを両肩に担いで立ち上がった。
 
「ウィロー、クロービスの弓と矢筒は君が持ってくれないか。」
 
 ウィローはまだ少し震えながら、立ち上がって自分の荷物を持つと、言われたとおりにクロービスの弓を取り、弦を外して荷物に入れた。矢筒の中の矢はみんな自分の矢筒に移し、からになった矢筒をたたんでそれも荷物に入れた。そしてカインに近づくと、彼の持っているクロービスの剣をつかんだ。
 
「私が持つわ・・・。こんなにたくさん荷物があったら、あなたのほうが参っちゃうわよ。」
 
「大丈夫か?俺のことなら心配しなくていいよ。この程度の荷物でへばったりしないから。」
 
「・・・大丈夫。クロービスの剣はあなたのほど重くないから、私でも持てるわ。腰に下げておけば邪魔にもならないし。」
 
「そうか。それじゃ、頼むよ。」
 
 ウィローがクロービスの剣を腰に下げ、二人は今来た道を戻り始めた。









 西の森を出てくる時は、3人とも足取りは軽やかだった。夢の正体がわかって、クロービスの顔色はすっかりよくなっていた。歩きながらの話題と言えば、カナに戻ったらどうしようと言うことばかりだった。ウィローはまずお風呂に入りたいと言った。これについてはカインとクロービスも異存はなかった。あの泉のオアシスから西の森まで2週間近くかけた。そして帰りもカナの村までは一週間以上かかる。汗はかかなくても、服の隙間から入り込む砂のおかげで体中がじゃりじゃりした。
 
「それから砂の入っていない食事がしたいな。毎日細かい砂ばかり噛んでいると、歯がすり切れそうだよ。」
 
 カインが笑う。
 
「まずはよく冷えたハチミツ水よ。レモンをぎゅっと絞って、一気飲みしたいわぁ。」
 
 ウィローがうっとりと答える。
 
「聞いてるだけで喉が渇きそうだよ。」
 
 そんな他愛のない話をしながら、3人ともまるで旅行でもしているような気分だった。









(くそっ・・・・!クロービス、お前は一体・・・何を隠しているんだ・・・!)
 
 ゆうべクロービスがしてくれた話は、どことなくおかしかった。とりあえず辻褄は合っているものの、話と話の間に隙間があるような、妙な歯がゆさがあった。そしてそれが自分にと言うより、ウィローに知られたくないことがあって取り繕っているのだと、カインは何となく感じていた。それでも彼の顔は明るかったので、それほど心配することはないのかも知れないと思っていたのだ。
 
(待ってろよ、クロービス!必ず助けてやる!そしたら・・・今度こそ全部話してくれよ!)
 
 涙が滲みそうになるのを、カインは歯を食いしばってこらえた。隣を歩くウィローはまだ青ざめたままで、時折涙が頬を伝っている。自分までが涙をみせてしまったら、もう一歩も先に進めなくなってしまうかもしれない。
 
 しばらく歩いた頃、カインは肩になまぬるいものを感じて足を止めた。クロービスの傷からまた血が流れ始めている。
 
「どうしたの?」
 
 ウィローが、不安と言うより恐怖に近い色を滲ませた瞳でカインを見あげた。
 
「・・・傷がまた開いたらしい・・・。このままの状態で何とか血だけでも止められないか?」
 
 ウィローは震えながら小さく頷いて呪文を唱え始めた。
 
「焦らなくていい。深呼吸して、落ち着いて、ゆっくりから始めるんだ。確実に唱えられなければ意味がないんだからな。」
 
 ウィローのつぶやくような呪文詠唱は、少しずつ速さを増しながら何度も繰り返された。そしてカインの肩に落ちてくる雫が止まった。肩越しにクロービスの顔を覗き込むと、さっきより一層血の気が失せている。
 
「・・・ありがとう、ウィロー。血は止まったよ。さあ、行こう。夜になる前に森に着かないとな。」
 
 クロービスの顔がウィローから見えないようにして、カインはまた歩き出した。ウィローはホッとしたようにため息をつき、足許の荷物を拾い上げるとカインのあとからついてきた。それほど難しい呪文でなくても、何度も唱えればかなり疲れるはずだ。それに今ウィローは、クロービスの分まで矢を背負い、腰には彼の剣を下げている。いくら軽い剣だと言っても、それは男の力なら、の話だ。なのにウィローは何も言わず、ただうなだれてトボトボと歩き続けている。額に汗が滲んでいた。それが暑いのではなく、怯えて脂汗をかいているのだとカインにはわかった。
 
 やがて陽射しが和らぎ、西日がカイン達の顔を照らし出す。西の森に近づくにつれて風がさわやかになってきた。このくらいの気温なら傷口が化膿する心配は少ない。
 
 そしてやっと西の森に着いた。確かここから遠くない場所に小さな川が流れていたはずだ。そこまで行けばこの傷をきれいに洗ってやれる。カインはキャンプ場所をその小川の近くに決め、クロービスの体を川のほとりまで運んだ。
 
「ウィロー、手伝ってくれ。傷を洗うぞ!」
 
 カインはクロービスを寝かせると頭に巻いて置いたターバンとタオルを外した。傷口は相変わらずバックリと開いていて、また少し血が出始めていた。
 
「まずいな・・・。また血が出てる・・・。ウィロー、早く!」
 
「・・・う・・・ん・・・・。」
 
 ウィローは青い顔のまま、荷物から深めの鍋を取りだし、川の水をすくった。そこにタオルを浸し、クロービスの額に少しずつかけていく。でもなかなか砂が流れない。
 
「くそっ!」
 
 カインは苛立ち、クロービスの体を小川のすぐ近くまで引きずっていった。
 
「カイン!何するつもり!?」
 
「君も手伝ってくれ!こんなことをしていたんじゃ傷が腐っちまう!傷の上から水をぶっかけるんだ!」
 
 幸い小川のほとりにはそれほどの段差はない。クロービスの体を川岸ギリギリまで動かし、頭を川に向けて寝かせた。
 
「その鍋を貸してくれ!それから君はクロービスの体を押さえてて!」
 
 怒鳴りながらウィローから鍋を受け取ると、カインは川の水をすくってクロービスの傷口に直接かけ始めた。流れる血が川の水にとけていく。そして砂も一緒に流れていった。やがて陽はすっかり沈み、その残照も眼に見えて色あせていく。傷がよく見えない。
 
「ウィロー、クロービスの荷物からランプを出して、俺の手許を照らしてくれ!」
 
 火を熾している余裕はない。とにかく傷さえきれいに洗えれば何とかなる。カインは必死だった。何度も何度も水をかけて、傷の奥まで覗き込みながら砂をすべて洗い流した頃には、空には星が瞬いていた。傷を受けてからもうかなりの時間が過ぎている。もはや一刻の猶予もない。
 
「ウィロー、少しは落ち着いたか?」
 
 ウィローのランプを持つ手はまだ少し震えている。
 
「・・・大丈夫よ。ごめんなさい・・・取り乱したりして・・・。」
 
「いいかウィロー?クロービスが助かるかどうかは、君が落ち着いていつものように呪文を唱えることが出来るかどうかにかかっているんだ。俺の気功だけでこの傷を治せないわけじゃないけど、そんなことをしたら傷がきれいになる頃には俺は倒れちまってるかも知れない。こいつがこんな状態の時に、俺までのびてるわけにはいかないんだ。だから君がまず呪文を唱えてくれ。その合間に俺が気功で手伝うから。・・・大丈夫か?」
 
 ウィローはゆっくりと頷いた。
 
「大丈夫よ・・・。必ず・・・クロービスは助けるわ・・・!」
 
「よし!始めるぞ!」
 
 ウィローはちいさな声で呪文を唱え始める。焦らず丁寧にまず1度目。クロービスの傷から滲み出ていた血の量が少なくなった。カインか気功で補い、血は完全に止まった。念のためもう一度傷を覗き込む。砂粒たったひとつでも見逃すまいと、カインは目を皿のように見開き、しっかりと確認した。
 
「よし、次だ。」
 
 ウィローが2度目の呪文を唱える。ほんの少し傷が乾いてきた。もう一度気功を使おうとしたカインをウィローが止めた。
 
「・・・カインは休んでいて。あとは私がやってみる。」
 
「大丈夫か?時間はかけられないぞ。怪我したのが昼前だったから、半日近く手当が出来なかったことになるんだ。とにかく一刻も早く傷を塞がないと・・・。」
 
「・・・わかってるわ。でもカインはあそこからずっとクロービスを背負って、荷物も持って、その上モンスターの相手をしながらここまで来たんじゃないの。顔色がよくないわよ。休んでいて。大丈夫、絶対にクロービスを助けるから。私の呪文がどうしても効かなかったら、その時はまた手伝ってね。」
 
「わかった・・・。頼むよ。」
 
 ウィローは頷き、また呪文を唱え始めた。声はまだ少し震えていたが、躓かず、しっかりと何度も唱え続ける。やがて少しずつクロービスの傷が塞がり始めた。ウィローの息が切れ、声がかすれる頃には傷はきれいに塞がり、あれほどの大けがの痕跡はもう微塵も見あたらなかった。
 
「・・・やったな・・・。」
 
「塞がった・・・?」
 
「ああ・・・きれいになったよ。よかった・・・。」
 
 カインの目から涙がこぼれる。ウィローはほっと一息ついて、肩の力を抜いた。その途端ウィローの目からも涙がこぼれた。
 
「ウィロー・・・ありがとう・・・君のおかげだ・・・!」
 
 突然カインが両腕を伸ばし、ウィローをぎゅっと抱きしめた。
 
「・・・カイン・・・!?」
 
 突然のカインの行動に、ウィローは驚いて体を引こうとした。が、カインの腕が震えていることに気づいて動くのをやめた。首筋に生温かい雫が落ちる。それがカインの涙なのだとすぐにわかった。
 
「こいつが死んじまったりしたら、どうしようかと思ったんだ。やっとここまで来たのに、ハース城に行ける望みが出てきたって言うのに・・・。だから・・・ありがとう・・・。君には、いくら感謝してもしたりないくらいだ・・・。」
 
 その言葉を聞いて、彼が本当は自分よりもはるかに動揺していたのだと、ウィローは気づいた。なのにそんな素振りはまったく見せず、自分を励ましてくれた。彼の励ましがなければ、クロービスの傷をちゃんと治せたかどうか、自信がない。
 
「あなたがずっと励ましてくれたからよ。私一人だったら・・・どうなっていたかわからないわ・・・。」
 
 ウィローはさっき感じた恐怖を思い出した。もっと強くならなくちゃ。クロービスの傷が塞がらなかった時、あまりの恐ろしさにただ震えていることしか出来なかった。これでは彼らの足手まといになってしまう。
 
「・・・そんなことないよ。君がいてくれてよかった・・・。ありがとう、ウィロー。」
 
 カインはそこで初めて、自分がずっとウィローを抱きしめていたことに気づいた。
 
「あ、ご、ごめん!俺、うれしくてつい・・・。」
 
 カインは慌ててウィローから体を離した。顔が真っ赤だ。
 
「いいのよ・・・。私・・・カインのほうが私より遙かに不安だったんだってこと、そんな当たり前のことに気づかなかったわ。これじゃ仲間失格ね・・・。」
 
 カインに抱きしめられて、ウィローはうれしかった。なのになぜか心の奥底がちりちりと痛んでいた。そしてすぐ隣に寝ているクロービスに対して、何となく後ろめたさを感じる。
 
(・・・変だわ、私・・・。疲れているのかな・・・。)
 
「そんなことないよ。君は俺達の大事な仲間だよ。」
 
「ありがとう、そう言ってくれてうれしいわ。ねぇ、今のうちに着替えない?あなたの制服の肩のところ、血で真っ赤よ。私もズボンが汚れたから、クロービスが起きる前にまとめて洗っちゃうわ。」
 
「そうだな・・・。それじゃ、お願いしようかな。俺はここで着替えるから、君はテントで・・・あ・・・。」
 
 カインはここで初めて気がついた。まだテントも張っていない。火も熾していない。ここに着いてすぐにクロービスの傷の手当てを始めたので、キャンプのための準備を何もしていなかったのだ。
 
「とりあえず・・・テントを張るか。」
 
「火も熾さなきゃね。」
 
 二人は顔を見合わせて笑い出した。
 
 やがてテントを張って火も熾し、ウィローはテントの中に入っていった。その間にカインは鎧をはずして制服を脱いだ。クロービスの傷から流れ出た血は、制服の下に着ていたシャツまでも真っ赤に染めている。カインは着替えをすませると、鎧についた血を川の水で洗った。
 
「川を汚しちまうけど・・・今回だけは勘弁してもらうか・・・。」
 
 きれいになった鎧を拭いているところに、ウィローがテントから出てきた。
 
「クロービスは・・・まだ目を覚まさないの?」
 
「まだみたいだな・・・。大丈夫だよ。傷はもう治ったんだから、そのうち目を覚ますさ。」
 
「・・・あの時・・・どうしてクロービスはよけなかったのかしら・・・。呪文を、って言ったきり真っ青になってモンスターを見ていたみたいだったけど・・・。」
 
 クロービスの顔を覗き込みながら、ウィローがつぶやいた言葉に、カインはドキッとした。
 
「・・・疲れていたのかも知れないよ。あの塔に行く前の晩まで、夢に悩まされていたんだからな。」
 
「・・・そう・・・。そうかも知れないわね・・・。」
 
 ウィローはカインから血のついたシャツと制服を受け取ると、川のほとりにしゃがみ込んで洗濯を始めた。ウィローが今の話を追求しなかったことに、カインはホッとして川面に視線を移した。まだ乾いていなかった血は冷たい川の水にとけて流れて行き、それほど苦労もせずに洗濯は終わったようだ。洗い上がった洗濯物を木の枝に引っかけて干すと、ウィローはクロービスの傍らに駆け寄った。
 
「ねぇ、目を覚ました?」
 
「まだだよ。大丈夫だから、そんなに心配しなくていいよ。」
 
 そう言ったものの、カインも実は心配だった。怪我をしてからここに着くまで、クロービスは一度も意識を取り戻さなかった。そして傷が治ってしばらく過ぎているはずなのにまだ目を覚まさない。一度は笑顔になったウィローだが、また不安な表情になり、瞳にはまた涙が滲み始めていた。
 
「気付の呪文を使いたいけど・・・でもきっと休ませてあげたほうがいいのよね・・・。」
 
「そうだなぁ・・・。顔色は悪くないし、呼吸も普通だし・・・。悪い夢を見ているようでもなさそうだからな。少し寒くなってきたから、毛布でも掛けておいたほうがいいかな。」
 
「そうね、取ってくるわ。」
 
 ウィローがテントの中に飛び込むように入り、クロービスの寝袋を出してきた。中の毛布を引っ張り出してクロービスの体を覆う。
 
「ウィロー、食事の準備を始めておいてくれないか。こいつが目を覚ましたら何か温かいものを食べさせてやりたいからな。」
 
「あ・・・そうよね・・・。すぐに始めるわ・・・。」
 
 その時クロービスが動いた。
 
「う・・・・ん・・・・・・。」
 
「気がついたか!?」
 
 カインもウィローもすぐにクロービスのそばに移動し、顔を覗き込んだ。その途端クロービスがぱちっと眼を開けた。
 
「俺達がわかるか?」
 
 クロービスはぼんやりとカイン達の顔を見つめたまま返事をしない。その虚ろな瞳にカインはぞっとして、思わずクロービスの肩を揺さぶった。
 
「お・・・おい・・・。しっかりしろよ!俺達が誰なのかもわからないのか!?」
 
 クロービスはまだぼんやりとしたまま、それでもゆっくりと口を開いた。
 
「わかるよ・・・。カインとウィローだ・・・。」
 
 よかった・・・。まだこいつは正気だ・・・。カインは心からほっとした。
 
「おどかすなよ、まったく・・・。頭の中身までおかしくなっちまったのかと思ったぞ・・・。」
 
 クロービスは無言のまま片頬をあげて笑った。カインでなければ笑ったとは気づかないほどの、本当に微かな笑みだった。
 
「よかった・・・。心配したんだから・・・。」
 
 ウィローは両手でごしごしと涙を拭っている。クロービスがもう目を覚まさないのじゃないかと、ウィローはずっと不安だったのだ。そんなウィローを見つめながら、クロービスは自分の額に手を当てた。そこはちょうど、さっきモンスターに殴りつけられたところだった。きれいになっている額をさすりながら、クロービスは不思議そうな顔をしている。
 
「ウィローが治療してくれたよ。たいしたもんだよな。すっかりきれいになってるよ。」
 
 クロービスはカインの言葉を聞いて感心したように頷いた。
 
「本当だね。ありがとう、ウィロー。」
 
 さっきよりは『笑っている』とわかる笑顔で、クロービスはウィローに礼を言った。クロービスに見つめられて、ウィローは照れたように笑っている。どうやらクロービスの頭の中は、やっとはっきりしてきたらしい。
 
「ここは・・・?」
 
「西の森の入口だよ。お前の傷の中に砂がこびりついて、手持ちの水だけじゃきれいに出来なかったんだ。そのままじゃ傷がふさがらないからな。だからここに戻ってきたのさ。なかなか血が止まらなくて冷や汗かいたよ。」
 
「そうか・・・。ありがとう・・・。せっかくあそこまで行ったのに・・・ごめん・・・私のせいでまた振り出しに戻っちゃったね・・・。」
 
「そんな言い方するなよ。明日また進めばいいさ。それより、気分はどうだ?」
 
「大丈夫だよ。」
 
 そう言ってクロービスは起き上がろうとしたが、まだ体に力が入らないようだった。カインはクロービスの額に手を当て、気功を使った。気功は体の傷だけでなく、疲れもある程度取り去ってくれる。もちろんそれは自在に操れるようになってからの話だ。でも南大陸に来てから、カインの気功は格段に進歩した。今の自分の気功は、手ほどきをしてくれた先輩剣士オシニスにも匹敵するほどの威力があると、カインは自負している。でもクロービスの体はなかなか動かない。自分の体が思うようにならず、本人も焦っているようだった。
 
「これで少しは違うと思うけど、無理しないのが一番だよ。お前は寝てろ。今日はここに泊まりだ。飯の支度はウィローに任せておけばいいさ。」
 
 クロービスは不安げにウィローのほうを見た。そんなわけにはいかないと言いたいんだろうなと、カインは思ったがクロービスは何も言わなかった。遠慮してと言うより、言うだけの気力もわいてこないと言った感じだ。
 
「そうだね・・・頼むよ・・。」
 
 弱々しい声でクロービスはウィローに向かって告げると、小さく深呼吸した。さっきよりは楽になってきたらしく、ゆっくりと起き上がりはじめた。
 
「無理するなよ。」
 
「うん・・・。」
 
 クロービスは何とか起きあがり、もう一度深呼吸した。額をトントンと叩きながら何か念じているように見えたが、何をしているのかカインにはよくわからなかった。
 
「任せといて。」
 
 ウィローはクロービスに向かって精一杯の笑顔を返すと、食事の用意に取りかかりはじめた。その背中に向かって、クロービスが声をかける。
 
「二人分でいいよ。私はいらないから。」
 
 ウィローが振り向いた。瞳にはまた不安が滲んでいる。
 
「だめよ!ちゃんと食べなくちゃ・・・。カナまではまだだいぶあるのよ。」
 
「わかってるけど・・・。作ってもらっても多分食べられないと思うんだ。カナまで食料を持たせなくちゃならないんだから、無駄は出来るだけ省かないとね。」
 
「でも・・・。」
 
「ウィロー、クロービスの言うとおりにしてやってくれよ。大丈夫、こいつはこれで結構体力あるんだから。それに、あとで腹が減るようならパンも干し肉もあるし、何とかなるよ。」
 
 そう言うカインも不安だった。でも今はとにかく、クロービスの言う通りにしてやろうと思った。ウィローが眠ったら、きっとクロービスは全部話してくれる、カインはそう信じていた。
 
「それはそうだけど・・・。」
 
 ウィローはまだ心配そうにクロービスを見ている。多分、彼がたとえあとから空腹になっても、何か食べたいと言い出すことはないとわかっているのかも知れない。
 
「食べたくなったらその時に何とかするから、大丈夫だよ。」
 
「ほんと?お腹がすいたら言ってね。きっとよ?」
 
 クロービスが頷いたのを確認して、ウィローはやっと食事の用意に取りかかりはじめた。
 
「カイン、ちょっと散歩してくるよ。」
 
「ああ、でもあんまり遠くへは行くなよ。」
 
「大丈夫、広めに結界を張って、その端っこあたりにいるから。」
 
 クロービスはゆっくりと立ち上がると、まだ少しふらつく足取りで、今いる場所を中心に、かなり広い範囲に結界を張った。この森の中にはもともとモンスターは入ってこない。森自体に結界があるわけではないのだが、何か神秘的な雰囲気がある。地元の人々がこの森を恐れる理由がなんとなくわかるような気がした。でもだからといって気は抜けない。おとなしいとはいえ、鹿などの大型動物もかなり生息している。
 
(呪文の途中で倒れたりしないだろうな・・・。)
 
 カインはあとを追おうかと腰を浮かしかけたが、クロービスはひとつ呪文を唱えるごとに深呼吸しながら、3つ目までを唱え、結界を閉じるための最後の呪文を唱えるべく森の中へと分け入って行った。
 
(大丈夫みたいだな・・・。)
 
 カインは浮かしかけた腰をまた下ろし、クロービスの消えた森の中へと注意を集中していた。
 
「ねぇ・・・クロービス・・・やっぱり食べないのかな・・・。」
 
 見るとウィローもクロービスの消えた森の奥を不安げに見つめている。
 
「あんなことがあったすぐあとだからな。これが俺なら多分いつもの倍は食うだろうけど、あいつの場合は元々そんなにたくさん食う方じゃないし・・・。大丈夫だよ。本当にあれでけっこう体力はあるんだから。」
 
 謹慎の最終日、昼に真っ青になって倒れたというのに、クロービスは夜になってけろりとして訓練場に現れた。しっかり食事もして、立合いまでしてハディを負かしてしまった。体は細くて一見頼りなく見えるが、彼は弱いのではない。しなやかで強靱なのだ。クロービスはいつもカインの体格や食欲を羨ましいと言うが、カインのほうがクロービスのあのはかりしれない底力を羨ましく思っていた。
 
「いらないって言ってたけど・・・スープだけでもクロービスの分まで作ったら・・・怒るかしら・・・。」
 
 ウィローが不安げにつぶやく。
 
「そんなことで怒るような奴じゃないよ。君がどうしても気になるなら、あいつの分も作ればいいじゃないか。あれば食うんじゃないかな。」
 
「・・・そ・・・そうかな・・・。」
 
 ウィローはどうやらクロービスの分までスープを作るつもりらしい。スープくらいなら胃にそれほど負担はかからない。
 
(ウィローの作ったものなら、絶対にいらないなんて言わないだろうな、あいつは・・・。)
 
 クロービスがウィローを好きなのはわかっている。本人さえ気づいていなかっただろうけれど、多分初めて会った時から。ではウィローは・・・どうなんだろう・・・。『彷徨の迷い路』の入口で、ウィローはとても不安そうだった。アッシュに身内か恋人かと思われるほど、今にも『行かないで』と叫んで飛び出しそうにさえ見えた。なかなか戻らないクロービスの身を案じて泣いていたこともカインは気づいていた。これだけなら、ウィローもクロービスのことが好きなんだろうと、簡単に結論づけることが出来る。だが、カインには少し引っかかることがあった。
 
 それは、カナを出てからすぐに、ウィローがモンスターに襲われた時のことだ。あの時カインは迷わずウィローを助けるために飛び出した。自分のほうが力がある。恐怖で足がすくんでしまったウィローを確実に助け出してくることが出来る。その間にクロービスがモンスターを追い払ったのだが、ほとんど一撃で撃退したその手並みに見とれて、カインはしばらくの間ウィローを抱きかかえたままだった。クロービスの気付の呪文でウィローが目を覚ました時、自分がどこにいるかに気づいて赤くなっていたことは憶えている。それからだ。ウィローが時々カインを見つめていることに気づいたのは・・・。
 
 その視線にカインは覚えがあった。あの目は・・・以前ステラがカインを見ていたときの、あの視線だ・・・。その時はなぜ彼女がそんな眼で自分を見ているのか気づかなかった。南大陸へと向かうあの日までは・・・。
 
(でもまさか・・・ウィローが俺のことをそんなふうに思ってるなんて・・・。)
 
 一生懸命食事を作るウィローの背中を見つめて、カインはため息をついた。と、不意にウィローが振り返った。
 
(・・・まさか今考えていたことがわかったとか・・・?)
 
 心臓がドキンと音をたてた。
 
「ねえカイン、私、クロービスにスープを届けてくるわ。」
 
 そういうウィローの腕には袋がぶら下がっていて、中からパンが頭を覗かせている。カインはほっとした。他人の考えていることがわかるなんてそんなことがあるわけがない。クロービス以外は・・・。
 
「そのパンも?」
 
「・・・スープをすくうのに、少しくらいはと思ったんだけど・・・。」
 
 ウィローはまだ迷っている。
 
「大丈夫だよ。クロービスは怒ったりしないから、持って行ってやればいいじゃないか。」
 
 カインの笑顔につられるようにウィローも笑った。
 
「じゃ、ちょっと行ってくるね。」
 
 出来たてのスープを入れた器をこぼさないように両手で大事そうに抱えて、ウィローは森の奥へと歩いていった。
 
(すくなくとも・・・今のウィローは多分クロービスのことが気になりだしてる・・・。)
 
 でもなんとなく、それを自分で気づいてないようにみえる。もしも今、カインがウィローに自分を見てほしいと言ったら、ウィローはまた自分を見てくれるだろうか。そうしたら、こんな中途半端な状態から抜け出して、人並みの幸せを掴むことが出来るんだろうか・・・。
 
「ばかな・・・。何考えてんだよまったく・・・!」
 
 カインはさっきウィローを抱きしめたことを思い出した。クロービスの傷が治ったのがうれしくて、その感謝の気持ちをどう表現していいかわからずに思わず抱きしめてしまった・・・。
 
「ほんとうにそうか・・・?」
 
 自分自身に問いかけてみる。ただ、抱きしめたかったからじゃないのか?ウィローに・・・惹かれているから・・・。
 
「まさか・・・!」
 
 思わず声に出して否定した。俺にはフロリア様しかいない・・・。あの方のためにこの人生を捧げ尽くす覚悟でいるんだ。なのに・・・どうして今、こんなに心が揺れるんだろう・・・。
 
                    
 
 ウィローはゆっくりと森の奥へと歩いていった。さわやかな風が吹きすぎていき、空気もいい。これならクロービスの気分もよくなるだろう。そのクロービスはと言うと、結界の呪文は唱え終えたらしく、座り込んでこちらに背中を向けている。その背中がなんだかとても寂しそうに見えて、ウィローは声をかけるのをためらっていた。そっと近づいてスープだけおいてこようか、そう思ってウィローは一歩を踏み出した。が、
 
 パキッ!
 
足許の小枝が大きな音をたてて折れた。しまったと思った時にはもうクロービスが振り向いていた。
 
「あ・・・あの・・・スープをね・・・少し作り過ぎちゃったの・・・だから・・・もし食べられそうなら・・・食べてもらおうかと思って・・・。」
 
 クロービスは黙ったままウィローをじっと見つめている。
 
「ねぇ・・・食べられそう?」
 
 返事をしないクロービスに、ウィローは不安そうに声をかけた。怒り出したらどうしよう。いらないと言ったのによけいなことをしてといわれたら・・・。
 
「大丈夫だよ。せっかくわざわざ作ってくれたんだものね。」
 
 背中をドンと叩かれたような衝撃を受けた。
 
「わ・・・わかっちゃったの・・・?」
 
 クロービスには、全部わかるんだわ、スープを多めに作ったことも、怒るかも知れないと思ってることも全部・・・。ウィローは真っ赤になって後ずさった。出来るなら今すぐにここから逃げ出したいくらいだった。
 
「あ、いや・・・その・・・だって君が分量を間違えるなんて今までなかったじゃないか。」
 
 クロービスは慌ててそう言ったが、それはたぶんウィローを安心させるための言い訳でしかない。でもとにかくスープを渡さなければ。怪我を呪文で治せば、怪我をしたほうにもそれなりの負担がかかる。あんな大けがを呪文で一気に治したのだから、クロービスだって相当消耗しているはずだ。
 
(それでなくても細いんだから・・・食べなくちゃ体力なんてつかないわよね・・・。)
 
「あ・・・そうよね・・・。あ、あのね、パンも持ってきたの。でもね、スープをすくい取れるだけの、ほんの少しなのよ。だから・・・。」
 
「それじゃ、パンももらっておくよ。食べたら自分で洗うから、君はもう寝たほうがいいよ。ずいぶん呪文を使ったんじゃない?」
 
「だって・・・私の呪文では、一度で傷を塞ぐことが出来なかったんだもの。まだまだね。もっと頑張らなくちゃ。」
 
「でもカインの話だとかなりひどい傷だったみたいじゃないか。それがこんなにきれいになったんだから、君の腕もかなり上がったと思うよ。もっと自信を持っていいんだよ。」
 
 クロービスはどこまでも優しい。もっと自分に呪文が使えれば、もっと早く傷を治せたはずだ。結果的にきれいになったとは言え、ウィローは自分の未熟さを痛感していたのだ。でもこんなふうに彼に言われると、ほんとうにそんな気がしてくるのだから不思議だ。
 
「そうなのかな・・・。あなたに言われると何だかそんな気がしてくるから不思議ね。ねぇ、少し傷を見せてくれる?」
 
 ウィローはクロービスの前に膝立ちになり、前髪をあげて額を見ながら、傷のあったところをさわってみた。
 
(でこぼこになっていたりしないかしら・・・。)
 
 少し顔を近づけて見ようとした時、自分の胸の辺りがクロービスの目の前にあることに気づいた。目線だけ移してクロービスの顔を見ると、彼が目のやり場に困っているのがわかる。顔を逸らそうにも額をつかまれているので、動かすことが出来ないらしい。必死で目だけそらしている。ウィローは急に恥ずかしくなったが、いきなり離れるわけにもいかない。そのままウィローは傷を眺め続け、出来るだけさりげなくクロービスの頭から手を離した。自分の心臓の音が彼に聞こえないことを祈りながら・・・。
 
「・・・大丈夫みたいね。」
 
 頭から手を離してクロービスの前に座ると、クロービスはホッとした顔を見せた。
 
「きれいになってるよ。大丈夫だよ。」
 
「それじゃ、後かたづけをしたら私は先に休ませてもらうわ。・・・カインも心配しているみたいよ。」
 
「もう少ししたら戻るよ。ありがとう。」
 
 クロービスの笑顔に、ウィローはうれしくなった。焚き火のそばに戻ってくると、カインが立ち上がって素振りをしている。
 
「カイン、それじゃ私はお先に休ませてもらうわ。」
 
「ああ、クロービスの奴どうだった?」
 
 額の汗を拭いながら、カインが焚き火のそばに戻ってきた。
 
「大丈夫みたい。傷も見せてもらったけど、もうきれいになってるし、パンとスープも受け取ってくれたから。」
 
「そうか。それならもう大丈夫だな。それじゃ君はもう寝たほうがいいよ。」
 
「でも不寝番はどうするの?」
 
「この森はモンスターが入ってこないみたいだから、大丈夫なんじゃないかな。君は気にしないで明日に備えて寝てくれよ。」
 
「そう・・・。それじゃ、お休みなさい。」
 
 ウィローは笑顔でテントに入っていった。ウィローがどうしても不寝番をすると言い出さないでくれて、カインはほっとしていた。クロービスが森の奥から戻ってきたら、今度こそ本当のことを話してもらわなくてはならない。でもきっとそのことを、クロービスはウィローに聞かれたくないはずだ。
 
 
 やがてからになったスープ皿を入れた袋をぶら下げて、クロービスが焚き火のところに戻ってきた。
 
「食べられたみたいだな。」
 
 カインはクロービスに声をかけながらにやりと笑った。思ったよりもクロービスの顔色はよくなっていたし、表情も穏やかだったからだ。
 
「そうだね。ウィローのスープはおいしいからね。」
 
「ははは、そうだな。ウィローがにこにこして戻ってきたよ。スープを持っていく時はすごい悲壮な顔してたのにな。」
 
「来た時は・・・私が怒るんじゃないかって心配してたみたいだよ。」
 
「ウィローがそう言ったのか?」
 
「いや・・・。」
 
「そうか・・・・わかるんだな・・・。」
 
「・・・・わかるよ・・・。」
 
 クロービスが焚き火を挟んでカインの向かい側に腰を下ろした。カインはクロービスをまっすぐに見つめた。
 
「それじゃほんとのことを話してくれよ。何を隠してる?俺は人の心なんて感じたり出来ないけど、お前が何か隠してることくらいはわかるぞ。」
 
「君に隠し通せるとは思ってないよ。ウィローに・・・聞かれたくなかったんだ・・・。」
 
 やっぱりそうか・・・。
 
「そうだな・・・。昨日の話だけでもけっこう引いてたもんな・・・。」
 
 そしてそれを表に出すまいとしていた・・・。クロービスを気遣って・・・。
 
「うん・・・。」
 
 クロービスの顔にはまた不安な表情が戻ってきていた。
 
「それじゃ、話してくれ。」
 
 クロービスが立ち上がり、カインの隣に場所を移した。そしてテントの中まで声が聞こえないように、顔を寄せて小声で、クロービスは夢見る人の塔で起きた出来事を今度こそ本当に全て話してくれた。フロリアとクロービスの思念波の『波長が合う』らしいことを話す時、クロービスがとても気まずそうにしているのがわかった。
 
「なるほどな・・・。」
 
 カインは何とも言いようがなく、複雑な心境だっだ。
 
「するとさっきお前が呪文を唱えられなかったのは・・・その『防壁』がうまく出来ていなかったせいだと言うことになるのか・・・。」
 
「うん・・・。今こうして正気を保っていられるのが不思議なくらいだよ。それほど・・・強烈だったんだ・・・。私達にとってモンスターは恐ろしい存在だけど、モンスターにとっても、私達人間は恐ろしい存在なんだなって・・・改めて思ったよ。だからあんなに怯えて・・・向かってきたんだろうな・・・。セスタンさんが悩んでいたのが何となくわかったような気がしたよ・・・。」
 
 クロービスの瞳に涙がにじんだ。
 
「そうか・・・。あの時俺が、見に行こうとしなけりゃよかったのかな。あのままあそこを離れていれば、もしかしたらお前がこんな目に遭うこともなかったのかも知れないな・・・。」
 
「そんなのは結果論だよ。君のせいなんかじゃないよ。私の作った防壁が隙間だらけだった、それが一番の原因なんだから。」
 
「なあクロービス・・・こんなこと言うとお前は怒ると思うけどさ・・・。」
 
「なに・・・?」
 
「俺が南大陸に行きたいなんて言い出さなければ・・・。」
 
「まだそんなこと言ってるの?私は自分で決めたんだよ!だから・・・」
 
「わかってるよ!」
 
 カインはクロービスの言葉を遮った。思わず大きな声が出て、二人とも慌てて声をおとした。
 
(大きな声出さないでよ・・・。ウィローが起きちゃうじゃないか・・・。)
 
(ご・・・ごめん・・・。でもお前だって大声出したじゃないか・・・。)
 
(そ・・・そりゃそうだけど・・・。)
 
 そしてお互い顔を見合わせ、揃ってため息をついた。
 
 ずっと考えていたことだ。クロービスは南大陸に来てからろくな目にあっていない。自分が一人で来ていれば、クロービスを巻き込まなければ・・・。でも今は、そんなことをいくら言ってみても始まらない。クロービスが今自分の助けを必要としているのだ。こいつのためならなんだってやってやる。
 
「わかってるよ・・・。別にお前に負い目を感じているってわけじゃないんだ。でもこっちに来てから、お前にばかり負担がかかっているじゃないか・・・。それなのに俺だけのほほんとしているみたいで・・・悔しいんだ・・・。だから、お前のためなら何でもするよ。俺はどうすればいいんだ?どうすればその・・・『防壁』を作る役に立てるんだよ?」
 
「君が気功を使う時にいつもやっているやり方で、精神統一してみてよ。こう・・・手のひらを合わせて・・・。」
 
 クロービスは、カインの手を取り自分の手のひらに重ね合わせた。
 
「男と手を握り合うとは思わなかったな。」
 
 カインは思わずがやりと笑った。
 
「ははは・・・。知らない人が見たら変に思うかもね。」
 
「ま、いいさ。別に怪しい関係じゃないしな。」
 
「当たり前だよ、そっちの趣味はないからね。」
 
「お互い様だ。」
 
 そんな話をしながら、カインは自分の気の流れを手のひらに向けてすっとひとつに集めた。これがカインのやり方だ。剣を振るいながら、話をしながら、そのほうが精神を集中しやすい。
 
『お前も『ながら族』って奴だな。』
 
 気功の訓練の時、先輩剣士オシニスに言われた言葉だ。
 
『ながら族?』
 
『そう、何か他のことをしながら勉強したりする奴のことなんだが、気功の場合、特に王国剣士はその『ながら族』のほうがいいんだ。剣で相手を蹴散らしながらでも気功を難なく使えるからな。』
 
 気功は元々、適性には関係なく訓練を積めば誰でも憶えられる。でも適性がある者はそれだけ力を伸ばすことが出来る。その適性がカインにはあったらしく、最初こそ苦労したものの一つ憶えてからはすごい速さで気功の技を習得していった。
 
「次は?」
 
 精神統一が出来たところでカインは尋ねた。
 
「そのままでいてよ。あとは私が自分でやらなくちゃならないんだ。」
 
「わかった。」
 
 カインは精神統一によって作り上げた自分の気の流れを、まっすぐに自分の心の一番奥にある一点に向かって集中させた。その流れが何かに引っ張られるような感じはしたものの、クロービスが何をしているのかまではわからなかった。
 
 やがてクロービスがほぅっとため息をつくのが聞こえた。
 
「どうだ・・・?」
 
 カインは不安げな視線をクロービスに向けた。今のため息は、うまくいって安心したため息なのか、うまくいかなくて落胆したため息なのか・・・。
 
「うまくいったよ。ありがとう。」
 
「そうか・・・よかったな・・・。」
 
 クロービスの笑顔に、カインは心の底からホッとした。
 
「どうやったのかはわからないけど、これが一人で出来るようにならなくちゃならないんだな?」
 
「そうだよ。説明出来ないことはないけど、言っても多分ピンとこないんじゃないかな。私自身もイメージとして頭の中で捉えているだけで、具体的に何がどう動くのかってことになると、よくわからないんだよ。」
 
「なるほどな。それでもこれが出来なければ気が変になる・・・か・・・。」
 
 カインがぶるっと身を震わせた。気が変になる・・・。クロービスが・・・。
 
(そんなことさせるもんか!)
 
「出来れば出来たでまた別な問題が起きるけどね。」
 
 クロービスが顔をこわばらせた。
 
「どんな問題だ?」
 
 カインはまた不安になった。
 
「人の心を・・・覗きたくなるんだ・・・。」
 
 クロービスがそう言った時、彼の顔が苦しげにゆがんだ。人の心が覗きたくなる・・・。それは多分ウィローの・・・。でもきっとクロービスはそんなことはしない。だからこんなに苦しんでいるんだ。
 
「・・・知りたい相手の心を、知りたい時だけわかるようにも出来るってことか・・・。」
 
「その気になればね・・・。」
 
「でもお前はそんなことしないじゃないか。」
 
「したくなるかも知れないよ。」
 
「しないよ。お前はそんな誘惑に負けるような奴じゃないよ。」
 
「そう・・・かな・・・。ありがとう・・・信じてくれて・・・。」
 
 クロービスの顔に笑みが浮かぶ。そうだ、こいつはそんなことはしないし出来ない。どんなに苦しくても、自分で道を切り開いていける奴だ。俺は信じよう。何があっても絶対に・・・。
 
「とにかく、これでとりあえずお前がおかしくなるのは防げるわけだな?」
 
「そうだね。いつまでも君の手を煩わせなくてもいいように、早く操り方を覚えるよ。」
 
「でも俺でも役に立つんだな。正直言って不安だったんだ。俺は呪文が使えるわけじゃないからな。」
 
 実はカインは、それが一番不安だった。でもクロービスが自分を必要としているのに、弱腰なところを見せたりするなんて出来なかった。
 
「別に呪文が使えなくちゃだめだってことじゃないって言ってたよ。シェルノさんも使えないみたいだし。」
 
「へぇ・・・。催眠術とか言うのは呪文とはまた別なのか?」
 
「多分違うと思う。」
 
「そうか・・・。でも嬉しいよ。気功を教わっている時に流した脂汗は、無駄じゃなかったってことだな。」
 
「ははは。あの時は大変だったものね。」
 
 先輩剣士オシニスから初めて気功の精神統一の仕方を教わっていた時、カインはなかなかうまく集中することが出来なかった。精神統一のための訓練には、ゲンコツも怒鳴り声も効果がないどころかかえってマイナスになる。口より先に手がでるあの短気なオシニスが、辛抱強く気が遠くなるくらい繰り返し教え込んでくれた。二人とも脂汗を流しながら、一日の訓練を終えるとくたくたになっていた。でもあの時の苦労が今こそ報われたような気がする。
 
「その『防壁』って言うのは・・・そんなにしょっちゅう作り直さなくちゃならないもんなのか?」
 
「そう言うわけでもないんだ。でも、眠ったりしたあとは弱まることがあるらしいし、それに・・・さっきみたいに強い思念を受け取ってしまったりしたあとは、うまく精神統一出来なくなったりするから、その都度作り直さなくちゃならないって言ってたな・・・。」
 
「そうか・・・。自在に操れるようになれば、そんなの朝飯前になれるんだろうけどな。」
 
「そうなんだと思うよ。」
 
「早くそうなれるといいな・・・ところで・・・不寝番は・・・出来そうか?無理そうなら、俺がこのままずっとここにいるよ。この森にはモンスターは来ないし、鹿なんかは火があれば寄ってこないだろうしな。」
 
 本当ならやらせたくはない。あの怪我を治してからまだそれほど時間も経っていないし、そのあとクロービスが食べたものと言えばスープと少しのパンだけだ。でもカインは『やるな』とは言わなかった。クロービスにも王国剣士としてのプライドがある。彼の意志に任せて、必要ならば自分が一晩でも不寝番に立つつもりだった。
 
「大丈夫、出来るよ。それに、一人でいて眠っちゃったら火が消えちゃうかも知れないしね。そうしたらやっぱり心配だよ。」
 
「そうか・・・。それじゃ、俺がこのままここにいるから、目が覚めたら交替してくれよ。」
 
「そうだね。お休み。」
 
「お休み。」
 
 クロービスはテントに入っていった。一人になってあらためて、クロービスが無事だったことを天に感謝した。ハース城への道も開けた。今度こそ任務を遂行出来る。そして大手を振って北大陸へと帰ることが出来るんだ・・・。
 
 カインの胸の奥がちくりと痛んだ。北大陸へ帰れば、ウィローとももう顔を合わせなくなる。
 
「そのほうがいいんだろうな・・・。」
 
 でもクロービスは・・・。あいつは多分本気だ・・・。そしてクロービスのほうが絶対ウィローを幸せに出来る・・・。今日のあの雰囲気なら、きっとあの二人はうまくいく・・・。そう思うカインの心に言いようのない寂しさが広がっていた。こんな気持ちになるなんて思ってもみなかった。ずっと昔、まだ自分の本当の気持ちに気づかなかった頃、何人かの女とつきあったことはある。でもいつも、何かのめり込めないものを感じていた。そのことで幼なじみのモルクに言われたことがある。
 
『好きな女が出来たら、最初は触れたくなって、キスしたくなって、最後は抱きたくなる、それが普通じゃないか。つまりお前はその女がほんとうに好きなわけじゃないってことさ。』
 
「触れたくなって・・・か・・・。」
 
 さっきウィローを抱きしめた時の感触が今も腕の中に残っている。
 
 とりあえず手順だけでも踏んでみれば情が移るかも知れないなどと言われて、それなりに深いつきあいをした相手もいたのだが、いつも最後にはこう言われた。
 
『あなたはあたしを見てないじゃないの。あたしはいったい誰の代わりなの?』
 
 だから自分の本当の気持ちに気づいた時、もう誰ともつきあわないと決めた・・・。
 
 ウィローに触れたいと思っていたわけじゃない。なのにあの時、ごく自然に腕が伸びた。それは・・・やっぱり心のどこかでウィローに惹かれていたからなのだろうか・・・。ウィローとなら、もう一つの人生が開けるかも知れない。手の届くところにいつもいてくれて、いずれは二人であたたかい家庭を築いて・・・。
 
「だとしても・・・ここまでだな・・・。」
 
 脳裏に一瞬だけ浮かんだその光景を、カインは即座に頭の中から追い出した。
 
「俺の心は・・・フロリア様のものだ・・・。俺に今の人生をくれたフロリア様の・・・。」
 
 ついさっきまでウィローを抱きしめていた自分の両腕を見つめながら、カインはひとりつぶやいた。
 

続くんだかなんだか・・・

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