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 オシニスとフロリアがクロービス達と再会したのは、フロリアのネックレスを買った店の近くだった。そこにたどり着くまでの間に、いったい何人の知り合いに会っただろう。相手が気づいていなければそのまま通り過ぎたが、目が合えば気軽に挨拶した。明日は騒動になるだろうが、それよりも今フロリアと一緒にいる時間を守るのが最優先だ。
 
 クロービス達は、はぐれる前までのぎこちなさはどこへやら、すっかり仲むつまじく寄り添って戻ってきた2人を見て驚いている。買っておいた焼き菓子をクロービスが進呈し、当然のように受け取ろうとした『ファミール』を、オシニスが窘める一幕もあった。
 
 
 その後王宮に戻ることになり、オシニスがフロリアをあの雑貨屋まで送っていく途中、フロリアが突然立ち止まった。
 
「どうしたんだ?早く行かないと、じいさんが心配しているんじゃないか。心配しすぎて具合が悪くなったりしないうちにちゃんと送り届けないとな。」
 
「・・・・・・・・・・・・。」
 
 あの店の入り口をくぐったら、魔法が解ける。そんな子供じみた考えにとらわれてしまうほど、フロリアは今この時を手放したくなかった。それが無理なことだとわかっていても。せめてオシニスにお礼を言わなければ・・・。
 
「さっきのことなんだけど・・・。あの、クロービスが買ってくれたこの焼き菓子の・・・。」
 
 笑顔でありがとうと言うはずが、フロリアの口から出たのはさっきの焼き菓子をめぐるやり取りのことだった。
 
(もう!何でわたくしはこんな時に・・・。)
 
 話を出してしまったものは仕方ない。疑問に思っていたことも確かなので、フロリアはさっきのような時にどう対応すればいいのかわからないと、正直に話した。
 
「まあ一般的には、くれると言われてはいそうですかと手を出すってのはしないなあ。まずは遠慮して、それでもどうぞって言われたら受け取る・・・うーん・・・それも『必ずこうしていれば間違いない』ってものじゃないからなあ・・・。」
 
 他人との付き合いの中で身につく習慣や礼儀は、口で説明するのが難しい。フロリアのような立場にいれば、遠慮などと言う言葉とは無縁なので仕方ないことではあるのだが・・・。
 
「私はそういうことがぜんぜんわからないわ。だから、クロービスが買っておいたからって差し出してくれた時に、もう自分のもののような気がしてたのよ。・・・。」
 
「そりゃ仕方ないさ。帰ったらじいさんにいろいろ教えてもらうといいよ。俺でも教えられないことはないけど、じいさんのほうが歳を食ってる分だけ人生経験は豊富だろうからな。」
 
 オシニスはフロリアをそっと抱き寄せて髪をなでた。もうこんなしぐさが当たり前のように出来るほど、二人の距離は縮まっている。
 
「わかったわ。でもあなたも教えてね。」
 
「言ってくれればいつでもいいよ。」
 
 オシニスが微笑んだ。その笑顔を見て、フロリアの口からはさっき言えなかった言葉が自然に出てきた。
 
「オシニス、今日は本当に楽しかったわ。だから、さっきの質問に答えなきゃね。あの盗賊達のおかげで話が途中になってしまったわ。」
 
 オシニスはそんなことすっかり忘れていた。確かに盗賊達のおかげで話が途切れた時には苛立ったが、その後ライザーと再会し、思いがけずフロリアと心を通わせることが出来たことで、答えはもらっていたつもりでいたのだ。
 
「もういいよ。君の笑顔が一番の答えだと思うんだが、どうなんだい?」
 
 フロリアがくすりと笑った。
 
「そうね・・・。今日私のために動いてくれたたくさんの人達に対して、今の私は申し訳ないという気持ちより、感謝の気持ちで一杯なの。不思議ね・・・。」
 
「俺に限って言うなら感謝されるほどのことはしていないつもりだけど、そう言ってくれるのはうれしいな。筋の通らないわがままを言うわけじゃなし、これからは少し、自分のしたいことを口に出してみたほうがいいんじゃないか?俺も協力するよ。」
 
「ふふふ・・・そうね。ありがとう、その時はお願いするわ。それに、あなただって今日は大変だったじゃないの。さっきの人混みであんなに大声で私を捜してくれて、うれしかったわ。」
 
「ははは、あそこで置いてくるわけには行かないじゃないか。せっかく一緒に出掛けたのに。」
 
『護衛は俺の仕事だから』
 
 てっきりそう言われるかと思っていたフロリアは、オシニスの言葉にどきりとした。彼は自分と2人で出掛けたことを、この時間を大事にしてくれている・・・。それが素直にうれしいと思う。オシニスだけでなく、この提案をしてくれたクロービス、『変装』に協力してくれたウィローとリーザ、笑顔で送り出してくれたレイナックや、秘密の出入り口で店を構える密偵。以前の自分なら、ただひたすら申し訳なくて、自分を責めていただろう。
 
 そしてオシニスのほうも『仕事なんだから』と言うはずが思わず口をついて出た本音に、自分が驚いていた。それでも、今の言葉を否定しようという気は起きなかった。
 
「ありがとうオシニス。今日クロービスが何でお祭りに行こうなんて言い出したのか、わかったような気がする・・・。」
 
「どうしてだと思う?」
 
「そうね・・・。私は今まで、なんでも自分ひとりでがんばらなきゃって思ってた。みんなにたくさん迷惑をかけた分、何もかもひとりでって・・・でもそれじゃだめなんだなって。そうやって意地ばかり張って、結局みんなに迷惑をかけてしまったわ。」
 
「俺達のことは気にしなくていいけど、侍女達には気の毒だったかもしれないな。ずいぶん心配していたみたいだし。」
 
「そうなのよね・・・。今までだって自分ひとりで何もかも出来ていたわけじゃないのに、誰の手も煩わせちゃいけない、なんて気持ちばかりが先に立ってしまって・・・。」
 
「少しずつ切り替えていけばいいさ。」
 
「そうね・・・。確かに、今いきなり切り替えるのは無理かもしれないけど、もう少し、誰かを頼ったほうがいいのかなって、今は少しだけそう思える。お財布を持っちゃだめって言われた時はちょっといやだったけど、あなたのおかげでもう少し人に頼れそうな気がしてきたわ。」
 
 フロリアはすっとオシニスに近づき、背中に腕を回してぎゅっと抱きしめた。
 
「ありがとう・・・。今日のことは絶対に忘れない。」
 
「俺も忘れないよ。絶対に・・・。」
 
 まるで長年の恋人同士のように別れの口づけを交わし、二人はまた歩き出した。雑貨屋の入り口を開けて中に入ると、老婆の姿をした店主の女が驚いた顔をしている。
 
「どうした?何かあったのか?」
 
「い、いえ・・・失礼いたしました。お出かけになる時よりずいぶんとお二人が打ち解けていらっしゃるものですから。」
 
「ああ、散々引っ張りまわされて、緊張してる間もなかったからな。」
 
「あ、あら、そんなに引っ張りまわして・・・いないとは言えないかもね・・・。」
 
 フロリアが肩をすくめて笑い出した。その声に、奥の部屋でそわそわと落ち着かない思いでフロリアの帰りを待っていたレイナックが驚いて顔を出した。
 
「これはこれは・・・・。ずいぶんとお元気になられましたな。」
 
 レイナックには、フロリアを包む『気』が、光り輝いているのがはっきりと見えた。出かける前よりもはるかに強く、そしてやさしい光を放っている。
 
「ただいま、これ、お土産よ。クロービスが買ってくれたの。帰ったらみんなでお祭りの話をしたいわ。少しならいいわよね?」
 
「もちろん、よろしゅうございますぞ。ではその土産を持って帰りましょう。リーザが待っております。オシニス、ご苦労だったな。フロリア様はすっかりお元気になられた。礼を言うぞ。」
 
「礼ならこの祭り見物を提案したクロービスに言ってくれよ。俺も久しぶりに祭りを見られて、楽しかったよ。それじゃファミール、またな。」
 
 オシニスが笑顔で手を上げた。
 
「今日はありがとう。またね。」
 
 フロリアも笑顔で手を振った。
 
 二人の間に何か通じるものがあることに、レイナックは気づいた。おそらくはいい方向に向かっている。これならば二人の結婚話も進められるかもしれない。
 
(わしが元気なうちに、なんとしてでもな・・・。)
 
 いずれ自分の命が尽きる時、せめて2人の子供の顔でも見られればと思うのだが・・・
 
(さすがにそこまでは無理かのぉ・・・)
 
 レイナックは心の中でだけ、ため息をついた。
 
「レイナック。」
 
「は・・・はい?」
 
 今心の中でついたため息が聞こえたような気がして、レイナックは慌てて返事をした。そんなことがあるはずがないのに。
 
「さっきはごめんなさいね。あなた達がわたくしのことを煩わしいと思ってる、なんて言って・・・。」
 
「フロリア様・・・。」
 
「昔散々あなた達に迷惑をかけたのだから、せめてこれからは何でも自分ひとりで何とかしなきゃ、なんて、力が入りすぎてたみたい。そもそも今のわたくしがあるのだって、あなた達のおかげだと言うのに・・・。」
 
「今のお言葉で充分でございます。このレイナック、命尽きる最後の時までフロリア様のおそばで世話を焼かせていただきとうございます。それがわしにとって一番の喜びなのでございますよ。」
 
「ふふふ、そうね。あなたのことはとても頼りにしています。これからも長生きして、ずっとそばにいてくださいね。」
 
「フロリア様・・・。」
 
 何よりもうれしい言葉だ。
 
「リーザにも謝らなきゃね。今日こうして楽しい時間を過ごせたのも、リーザが後押ししてくれたおかげだというのに、煩わしいと思っているんだろうなんてひどいことを言ってしまったわ・・・。」
 
「先ほど2人で茶を飲んでいる時、申しておりましたぞ。リーザはフロリア様に幸せになっていただきたいのだと。」
 
「・・・幸せに・・・。」
 
「はい。幸せと一口に言いましても、人それぞれでございます。ですがフロリア様は今までずっと、ご自分の幸せを後回しにして国民のために尽くしてこられたのだから、せめてご自分の始められた祭りでくらい、楽しんでいただきたいと。私達はフロリア様に幸せにしていただくのではなく、フロリア様と一緒に幸せになりたいのだと、そう申しておりました。」
 
「一緒に・・・ですか・・・。」
 
「そうでございます。フロリア様、国民はフロリア様と一緒にみんなで幸せになりたいのでございます。いきなり考え方を変えると言うのはなかなか難しいかもしれませんが、これからはもう少し我らにもわがままを言うて下さりませ。」
 
「そうですね・・・。わたくしは独りではないのですものね・・・。」
 
「はい、仰せの通りでございます。」
 
『独りではない』
 
 この言葉の意味をレイナックは考えた。フロリアとオシニスの先ほどの様子からして、2人の間に何か結びつきが出来たのは間違いないだろう。あの話を言うならば今かもしれない・・・。
 
「フロリア様。」
 
 レイナックは立ち止まった。フロリアも立ち止まりレイナックに向き直った。
 
「どうしたのですか?」
 
「フロリア様は、オシニスをどう思うておられますか?」
 
 どういう意味で聞いているか、それはフロリアにも理解出来た。おそらく次にレイナックの口から出てくる言葉は、オシニスとの結婚の話だろう。レイナックが自分とオシニスとの結婚を未だにあきらめていないことには前から気づいていた。以前ならばはぐらかしてしまったことだが、そろそろ答えを出すべき時にきているのかもしれない。だが、今はまだだめだ。まずは今日のクロービス達とのお茶会、そしてそのあと、フロリアはきちんとオシニスと向き合って話さなければならないことがある。今日のように『ファミール』と言う別人ではなく、フロリアという1人の人間として・・・。
 
「オシニスにも感謝しています。さっきちゃんと謝りました。煩わしいなんて言ってごめんなさいって。」
 
 だから今はまだ、いつもと同じ答えしか返せない。でも・・・答えを出す準備をしていることくらいは、このやさしい父代わりの老人に言っておくべきだろう。
 
「そうでございますか・・・。先ほどの様子からして、ずいぶんと打ち解けられたようだと思うたのでございますが、違いますかな?」
 
 フロリアは笑顔でうなずいた。
 
「ええ、以前より、ずいぶんと打ち解けられたと思います。レイナック、はっきり言ってくれていいのですよ。あなたが次に言いたいのは、オシニスと結婚してはどうかと言うことでしょう?」
 
「ふむ・・・フロリア様に隠し事は出来ませぬな。その通りでございます。ただ、今では横槍が入る危険性もございます。ユーリクが王家に入り、譲位してからであれば文句も出ますまい。実はオシニスめに、フロリア様が退位されてから、結婚しておそばについていてくれぬかと言う話をしてあるのでございます。」
 
「まあ、そうだったのですか・・・。オシニスはなんと?」
 
 だが、先ほどのオシニスからは特に何も感じ取ることが出来なかった。ということは、まだ返事をしていないということか・・・。
 
「返事はまだもろうておりませぬ。まあ、フロリア様が自分でもいいと仰せならば、とのことでございましたが。」
 
 実際には『フロリア様がうんと言うわけがない』としか言わなかったのだが、逆に言うならばうんと言えばオシニスが断る理由はなくなる。ほんのちょっとの脚色だ。
 
「そう・・・。」
 
 さっきのオシニスの様子からして、彼がそこまで心を決めているとは思えない。レイナックが多少の脚色をしているのかも知れない。
 
(でもまずは、きちんと話さなきゃね。)
 
 クロービスから話を聞いたら・・・オシニスはなんと思うだろう・・・。
 
「今ここで返事をとは申しませぬ。一生の問題でございますからの。ただ、考えておいていただければと思いましてな。」
 
「・・・そうね・・・。あなたに心配をかけたくはないのだけど、レイナック、その返事はもうしばらく待ってほしいの。でも必ずきちんと答えを出すわ。それは約束します。」
 
「はい。よい返事を期待しておりますぞ。では参りましょう。その扮装を解かねばなりませんな。」
 
「ええ、そうね。」
 
 レイナックは少し驚いていた。フロリアは答えを出すと言った。もちろん、それが必ずしも『色よい返事』ではないかもしれない。だが今までならば考えられないことだ。この話を出すといつもフロリアは笑ってごまかしてしまっていたのだから・・・。
 
 
 
「フロリア様。お帰りなさいませ。」
 
 リーザは笑顔で迎えてくれた。
 
「さ、クロービス達が来る前に着替えをすませましょうか。」
 
 いつもならフロリアの着替えは侍女達の仕事なので、リーザは手を出さない。だが今、リーザはまるで長年フロリアの着替えを手伝っていたかのようによどみなく作業をしている。
 
(いつもいつも・・・リーザはこうして私のそばにいてくれたのね・・・。)
 
「リーザ、今日はありがとう。おかげで祭りを楽しんでくることが出来ました。あなたの協力のおかげね。」
 
「提案をしてくれたのはクロービスですよ。私はそれに乗っただけです。外に出て思い切り羽を伸ばすことも時には必要ですもの。でもなかなかそんな話を出す機会がなくてずっと気になっていたんです。そしてフロリア様は笑顔で戻ってきてくださって・・・とてもうれしかったです。きっかけをくれたクロービスには感謝してます。・・・あら、フロリア様、これは・・・。」
 
 リーザはフロリアが足元に置いた袋に目を留めた。
 
「それはクロービスが買ってくれたの。」
 
「クロービスが?」
 
「ええ、実はね・・・。」
 
 フロリアは、人波に流されてクロービス達とはぐれたことと、そのせいで西側を見に行く時間がなくなってしまったので、そのお詫びにとクロービスが焼き菓子を買ってくれたことを話した。だが、はぐれていたときに出会ったライザーのことは言わないでおいた。リーザに話すか話さないか、その判断はオシニスに任せようと考えたのだ。
 
「・・・それで、そこまで言ってくれるんだからもらっておけばって、オシニスは言ったんだけど・・・わたくしはそういうときの礼儀なんて何もわからなくて・・・。」
 
 それでオシニスに教えてくれと言ったところ、オシニスはレイナックに教えてもらえばいいのではないかと言ったと言う。
 
(何も自分で教えてあげればいいのにねぇ・・・。)
 
 リーザはレイナックが今でもオシニスとフロリアを結婚させたいと考えていることは知らない。だがリーザはリーザで、この2人がお似合いではないかと考えている。オシニスが剣士団長になった時、なぜ縁談を断ったのか、リーザは理解出来なかった。巷の噂では、『さすがにあの男も大公の座には怖気づいたのではないか』などと言われていたが、その程度のことで怖気づくような人物ではないことを、付き合いの長いリーザは知っている。
 
(私がやきもきしても仕方ないか・・・。)
 
 さすがにそこまで世話を焼くわけにも行かない。フロリアが脱いだブラウスを洗濯かごに入れようとして、ポケットに何か袋が入っているのに気づいた。
 
「あら、何かお買い物をされたのですか?」
 
「それはオシニスが買ってくれたのよ。もう値切って値切って、こっちが心配になるほどだったわ。」
 
 手に持った感じでは、中に入っているのはアクセサリーだろうか。
 
「これは・・・ネックレスですか?」
 
「ええそうよ、よくわかったわねぇ。」
 
 フロリアが驚いている。
 
「ふふふ、長年の勘です。それじゃさっそくつけましょうよ。せっかく買ってもらったんですものね。」
 
 袋の中に入っていたのは淡いブルーの、アクアマリンのネックレスだ。つけてみるとフロリアによく似合う。かつらをはずし、化粧を落としている間、そのネックレスを買った時の話を、フロリアはリーザに簡単に話して聞かせた。
 
「これはいい細工ですねぇ・・・。石も本物だし、バザールに出すにしては高級すぎる気もしますね。」
 
「そうなのよね・・・。でも、お店のおばあさんも特に変わったところがあるわけじゃなかったし、ずいぶん安くしてくれたわ。」
 
 きっとオシニスは頑張ったのだろうなとリーザは思った。ぱっと見てすぐに、このネックレスはフロリアにとても似合いそうだとリーザは思ったのだが、オシニスだって同じことを考えたんじゃないだろうか。
 
(昔のことを気にしているんでしょうけど・・・今こうしているんだからもういいんじゃないのかしら・・・。)
 
 20年前、海鳴りの祠から王宮奪還のために向かった王国剣士達の中に、オシニスもリーザもいた。決起を決めてから準備を整えるまでの間、オシニスの『気』は張り詰めて、触れただけで切れそうなほどだった。相方のライザーを失ったことに対するショックなのかとも思っていたが、その後のオシニスの行動を見る限り、どうにも奇妙だと思うことがある。あの時リーザはハディと共に当時のフロリアの配下であるリーデンという男と戦い、瀕死の重傷を負った。リーザ達をかばってリーデンに戦いを挑んだ当時の副団長グラディスは、リーデンの背後に潜んでいた新手の王国軍兵士達に動きを封じられ、最後はリーデンの刃に斃れた。そこに戻ってきたのが別な場所の制圧を完了したオシニスとセルーネ達だ。オシニスはリーデンに斬りかかり、セルーネとティールの助けを借りてリーデンを倒した。そう・・・『殺した』のだ。
 
 
『くそっ!殺せ!俺は負けたんだ!ひと思いに殺せ!』
 
 重傷を負ったリーデンが、床に倒れたまま叫んだ。
 
『ああ、望み通り殺してやる!副団長の仇だ!』
 
『オシニス、やめろ!副団長はそんなことを望んでないぞ!』
 
 セルーネが叫んだ。
 
『こいつは害悪です!生かしておけば禍根になる!』
 
 言うが早いかオシニスは、剣をリーデンの心臓に向かって渾身の力で突き刺した。
 
『ぐぅっ!』
 
 声にならないうめき声をあげて、リーデンは絶命した。
 
 リーザが自分の目で見ることが出来たのはここまでだった。目の前が暗くなり、意識がすうっと遠のく。
 
『リーザ!しっかりしろ!』
 
 リーザの頬を叩いてティールが怒鳴った。
 
『馬鹿野郎!お前は自分のしたことがわかっているのか!?』
 
 セルーネの声だ。
 
『セルーネ、こっちが先だ!俺の呪文だけじゃ間に合わないぞ!手伝え!おいお前ら!泣くのはあとだ!気功でも呪文でもいい!リーザとハディまで死んじまうぞ!』
 
 ティールの怒鳴り声が響く。朦朧とした意識の中で、リーザは自分達が今まさに死にかけているのだと言うことだけは理解出来た。そして、自分達を助けに来てくれた副団長が死んでしまったことも・・・。
 
『おいハディ!しっかりしろ!目をつぶるな!意地でも開けていろ!』
 
 誰かが叫んでいる。ハディは・・・ハディまでも死んでしまったのだろうか・・・。暗闇の中でリーザは叫ぼうとした。ハディの名前を呼ぼうとしたのに、声は出ず、呼吸が荒くなっていく。苦しい・・・。もうこれまでなんだろうか・・・。
 
『ここはお願いします。』
 
 次に聞こえたのは、ぞっとするほど静かなオシニスの声・・・。
 
『オシニス!どこへ行く!?治療を手伝え!』
 
 セルーネの声が響いたが、オシニスの気配は遠ざかっていった。
 
『キャラハン!ハディの『気』を掴んでくれ!俺が傷を治す!おいみんな、こっちも手伝ってくれ!』
 
 いつの間にかハリーとキャラハンが戻ってきたらしい。周りにたくさんの気配を感じる。王宮内部を全て制圧した王国剣士達が、副団長グラディスの遺体を前に泣いていたらしいのだが、リーザはそれさえもはっきりと覚えていない。
 
 その後、みんなが治療してくれた甲斐があって、リーザとハディはなんとか一命を取り留めることが出来た。そしてしばらくして起き上がれるようになった時、その時起きていたことを聞いた。
 
 オシニスがリーデンを殺したこと、セルーネがオシニスの胸ぐらを掴んで殴ろうとしたのだが、人を1人殺したというのにあまりにも迷いのないオシニスの目を見て、殴ることも出来ずに手を離したこと・・・。そしてオシニスは剣と鎧の血を拭い、その剣を鞘に戻そうともせずに執政館の中へと入っていった・・・。
 
『オシニスさんは・・・どこに行ったんですか・・・?』
 
『わからん・・・。くそっ!奴を止めることが出来なかった・・・。』
 
 セルーネは泣いていた。不殺の誓いをみすみす目の前で破らせてしまったことを、悔いているのだろう・・・。
 
『セルーネ、そのことはもう考えるな。奴は最初からそのつもりだったと思うぞ。』
 
 ティールが言った。
 
『しかし・・・。』
 
『とにかく、副団長の遺体は一度宿舎のロビーに運ぼう。送るなら、あそこから送ってやろう。』
 
『こいつはどうする?牢獄に連れて行くしかないかな。』
 
 セルーネが目でリーデンの遺体を指し示した。
 
『そうだな・・・。遺体の検分は必要だからな・・・。』
 
 
 オシニスはどこへ向かったのか。
 
 執政館の中は全て王国剣士が制圧済みだ。そこに用はないはず。だとしたらあとは・・・
 
(執政館の中から向かうことが出来るのは、乙夜の塔くらいよね・・・。)
 
 まさかオシニスはフロリアを殺しに行ったのではないかと、リーザはぞっとしたのだが、とてもそんなことは言えなかった。今から追いかけたくとも、リーザにはそれだけの体力が残っていない。ついさっきまで死の淵をさまよっていたのだから。
 
 その後もリーザはそのことを誰にも話したことはない。でもあの時あの場所にいた他の剣士達はみんな同じ事を考えていたかも知れない。なのにそのことが話題にならなかったのは、その後の護衛剣士ユノの死と、クロービス達との再会でみんながそっちに気をとられていたからだ。それに、フロリアは無事だった。傷一つ無く以前と同じ笑顔で王国剣士達の前に姿を現した・・・。
 
 あの時オシニスが何を考えていたとしても、もう過去のことだ。起きてしまったことをあれこれ考えるより、未来について考えたほうがいいんじゃないか。
 
(フロリア様には、出来るならご自分で子供を産んで、その子供に跡を継いでいただきたいわ。セルーネさんのところのユーリクは賢い子だけど、本人が嫌がっているという話だし・・・。)
 
 オシニスとフロリアはどうやらかなり親密な時間を過ごせたらしい。そのおかげかどうか、今のフロリアは出かける前とは比べものにならないくらい強い『気』を発している。これだけ元気になったのなら、クロービスの『治療』は大成功だと思っていいだろう。
 
(本当にオシニスさんとフロリア様の結婚が実現しないかしら・・・。)
 
 出来ることなら何でも協力しよう、リーザはそう心に決めている。
 
「さあフロリア様、終わりましたよ。」
 
 フロリアの髪をきれいにとかして三つ編みにし、肩から垂らした。『昔なじみが訪ねてくる』のなら、こんなラフな雰囲気もいいのじゃないか。
 
「あら、これはいいわね。邪魔にならないし、楽だわ。」
 
 フロリアが言った。
 
「ありがとうございます。今お召しのドレスもあまりウエストを締め付けないスタイルですし、たまにはいいですよね。」
 
 フロリアが客を迎える部屋に移動し、リーザはクロービスが買ってくれたという焼き菓子をテーブルに並べた。お茶の用意も出来ている。
 
「これで準備完了ですね。」
 
「そうね、楽しみだわ。」
 
 そこに扉がノックされた。
 
「失礼します。剣士団長とクロービス先生ご夫妻がお見えになりました。」
 
 リーザは返事をして扉を開けた。
 
「いらっしゃい。フロリア様がお待ちかねよ。」
 

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