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「いやあ、参った参った。10年前よりかなり人が増えてるなこりゃ。」
 
 人混みを何とか掻き分けながら、オシニス達は東側の人通りの少ない場所まで来ていた。祭りの店は南門の外側から西門の外側に向かって出ているが、南門の外でも、ある程度東側まで来ると店はほとんどない。東門周辺に出店が禁じられているため、この辺りまで来ると人通りはほとんどなくなる。そんな場所には誰も店を出そうとはしないからだ。
 
「びっくりしたわ・・・。でも、あんな人混みの中をみんな一生懸命警備してくれているのね。」
 
「ははは、仕事だから仕方ないさ。この祭りのおかげでこの国に活気が戻ってきたんだから、大変でもみんな文句は言わないよ。」
 
「祭りのおかげってわけでもないのじゃない?この国の人達はみんな働き者だと思うわ。」
 
「働くためには希望がなけりゃならない。ただ日々の糧を得るためだけなら、そんなにがんばれないと俺は思うよ。年に一度の祭りで大騒ぎするのを楽しみに、地道な労働に励んでるって奴もいるんだよ。だからこの祭りを始められたフロリア様には、感謝したいところだな。」
 
「・・・そうなの?」
 
 急に自分のことを言われて、フロリアはどきりとした。そう、今の自分は『ファミール』なのだから、『国王のフロリア様』は別な人物なのだ。
 
「そうだよ。それより、楽しかったかい?」
 
 フロリアがぱっと笑顔になった。
 
「楽しかったわ。こんなに楽しくていいのかと思うくらい!」
 
「そりゃよかったよ。それに、ずいぶん元気になったみたいだな。」
 
 フロリアの頬には赤みがさし、フロリアから発せられる『気』は昼間とは比べ物にならないくらい大きく強くなっている。
 
「それじゃ、さっきの答えを聞かせてもらえるかい。」
 
 はっとしてフロリアはオシニスを見た。
 
「いい返事が聞けるんじゃないかと、俺としては期待してるんだが、どうかな?」
 
 オシニスは自分を笑顔で見つめている。
 
「念のため言っておくけど、俺に気を使わないでほしい。君が思った通りの答えを、俺は聞きたいんだ。」
 
「思った通りの・・・。」
 
 フロリアが独り言のようにつぶやいた。
 
「そう、思った通りのさ。さっきも言ったように、楽しいことの1つや2つですべてが解決するなんて、俺だって思っちゃいないよ。だけど、今日のこの祭り見物が何かしらのきっかけにでもなってくれたらいいなとは思ってる。だからせめて、俺達が君のことで煩わしいなんて思ってないって、信じるためのきっかけくらいにはなったのかなと、それを聞きたいんだ。」
 
「それじゃ、その前に聞いていい?」
 
「ああ、気になることがあるなら何でも聞いてくれていいよ。」
 
「あなたは・・・どう思ってるの?」
 
「どうって、何を?」
 
「私は今日とても楽しかったわ。今も楽しいと思ってる。私がこんな風に楽しいことをしていて、いいと思うの・・・?」
 
「今日は君に楽しんでほしいから、俺はクロービスの提案に乗ったんだよ。そして君はたった今、満面の笑顔で楽しいと言ってくれた。これ以上うれしいことなんてないよ。」
 
「本当にそう思う?あなたのほうこそ、私に気を使っているのではないの?」
 
「いや、全然。君はどうしてそう思うんだい?」
 
 もちろんその理由はわかっている。だが、わかったつもりで話をさえぎってはいけないと思った。『もういい』とか、『気にするな』とか、言われてしまうとそれ以上何も話せなくなってしまう。
 
「ずっと考えてた・・・。私がしたことを・・・。たくさんの人の命を奪ってたくさんの人を不幸にして・・・。私がみんなにかけた迷惑は、もう償いようのないほど、ひどいことばかりよ。」
 
(やっぱりそうか・・・。)
 
 クロービスの言ったとおりだ。そう考えてふと不安になる。クロービスがそう言ったのは、彼の勘によるものなのか、彼の『力』によるものなのか・・・。そんなことを考えてはいけないと思うのに、クロービスが彼のもつ『力』をいつだって煩わしいと感じているのはずっと前から知っているはずなのに、こんな時になるとどうしてもそのことを考えてしまう。クロービスとフロリアにあって自分にないものがある。・・・そんな考えが頭にこびりついて離れない。つまりこれは嫉妬なのだ。そう思うとますます自分がいやになる。
 
(まったく・・・情けない話だ・・・。)
 
「だからこれからの人生を、全部使って償わなきゃって思ったわ。でもそれでも償いきれないかも知れない。だから、せめてこれからは誰にも迷惑をかけず、誰の手も煩わせず、自分のことは自分で何でもしなきゃって・・・自分の楽しいことなんて何も考えずに、みんなのためだけを思って生きて行かなきゃって・・・」
 
 フロリアの言葉は途中で小さくなり、黙り込んでしまった。
 
「ところが今日の祭り見物はとても楽しかったから、果たしてこれでいいのかと、疑問に思ってしまった、ということなのかな。」
 
「そうよ・・・。たくさんの人が不幸になったのに、その元凶がのうのうと自分の楽しみを追求するなんて許されることじゃないわ。」
 
「そんなに気にするほどのことかなあ。少なくとも、君はこの20年自分の楽しみに背を向けて生きてきたんだろう?俺としては、もうそろそろいいんじゃないかと思うけどな。」
 
「・・・クロービスもそう言ってたわ・・・。」
 
「つまり、誰でもそう言うんじゃないかってことか?だから実は、それは俺の、あるいはクロービスの本心ではなくて、君に気を使ってそう言っているのではないかと?」
 
「・・・違う?」
 
 フロリアはオシニスを上目遣いで見ている。
 
「違う。」
 
 オシニスは即座にきっぱりと答えた。
 
「俺は口先だけで言ってるわけじゃない。他人の頭の中はわからないとしても、クロービスだって口先だけでそんなことを言うような調子のいい奴じゃないじゃないか。」
 
「・・・・・・・・・。」
 
 オシニスは黙り込んだフロリアの頭をぽんぽんと撫でた。さっきは『思わず』やってしまったので焦って謝ったが、ここにいるのは『ファミール』なのだから、気にするほうがおかしい。
 
(・・・いや、もしかしたら俺は、ずっとこうしたかったのかもしれないな・・・。)
 
 20年前乙夜の塔で、恐怖に震えるフロリアを抱きしめた時から、こうしてそばにいて、いつだって守ってやりたいと思っていたはずなのに。だからこそ『ずっとそばにいるから』と約束したはずだったのに・・・。
 
「君のしたことが大したことじゃないなんて言う気はない。確かに大変なことだったと思うよ。でも、それでも君は以前と同じ立場にいる。なぜか?誰もが君がいなくなることなんて望んでいなかったからだ。君の笑顔は以前と変わらず、たくさんの人を勇気づけてきた。君が笑ってくれるなら、君が心から楽しいと思うことをするのに、反対する人はいないと思うけどな。」
 
「でも・・・許してくれなかった人もいるわ・・・。」
 
 剣士団が復活した後、以前と同じようにフロリアに仕えることは出来ないと言って、戻ってこなかった者もいれば、一度は戻ってきたものの、結局辞めていった者達もいる。
 
「それは仕方ないさ。人それぞれ考え方は違うんだ。何もかも、全てにおいて同じ方向を向けというほうが無理な話じゃないか。剣士団だって一枚岩じゃない。考え方は人それぞれだ。それでも王国剣士全てに共通しているのはたった1つ、この国を守りたいって言う気持ちだ。その気持ちがあれば、たいていのことは乗り越えていけるのさ。それでもどうしても自分の考えと相容れないと思った者は、確かにこの20年の間に何人かいたよ。でもそれは別に君のせいじゃないんだ。」
 
 オシニスはフロリアをそっと抱き寄せた。もっと早く、こんなふうに気軽に話をすればよかった。そうすればもっと早く、フロリアの背負う重荷を軽くしてやることが出来たかも知れないのに・・・。
 
(・・・後悔ってのは、先に出来ないから後悔って言うんだよな・・・。)
 
 20年間、オシニスはずっと自分のこだわりの中に逃げ込んでいた。自分がフロリアに何をしようとしたのか、そのことばかりに囚われてずっとフロリアと距離を置いていた。自分の愚かさがどうしようもなく情けない。
 
「・・・こんな話を、もっと早くすればよかったよ。そばにいるなんて言っておいて、ぜんぜん役に立たなかった、俺は・・・。」
 
「そんなことないわ・・・。私は・・・あなたにたくさん助けてもらったわよ・・・。」
 
 こうして寄り添っていると、オシニスの温かな心がフロリアを包んでくれる。オシニスが自分をどれほど大事に思ってくれているか、今まで気づいていなかったわけじゃない。でもその心に、ずっとフロリアは背を向けてきた。自分は幸せになってはいけない。楽しいこともうれしいことも、何もかも自分に近づけてはいけないと頑なに心を閉ざしてきた。でも今日は、今日だけはなぜかそんなふうに考えることが出来ない。オシニスの温かい心はフロリアの心に染みこみ、隅々まで染み渡っていった。そして・・・フロリアの心の中にも変化が起きていた。
 
(やっとわかった・・・。ずっとずっと不安で仕方なかったけれど・・・これで・・・やっと・・・。)
 
 ・・・記憶の片隅にずっといた面影が、不確かな感情と共にゆらゆらと揺れてかすみ、ゆっくりと消えていった。フロリアの心に、痛みだけを残して・・・。
 
 
「助けになれていたら、いいんだけどな・・・ん?」
 
 ほんのわずか辺りの空気の流れが変わったことに、オシニスの剣士としての本能が気づいた。
 
「・・・誰かいるわ・・・。」
 
 祭りの喧騒から遠く離れたこの場所には、観光客などいない。暗がりが多いのでたまに若いカップルがいたりすることもあるのだが、そういったものではない。その異様な気配はオシニス達の前方と、背後にも感じられる。殺気を感じるわけではないが、こんな暗がりに潜んでいるのだから、ろくでもないことを企んでいるのは間違いなさそうだ。
 
「出てきたらどうだ?それで隠れているつもりか!」
 
 オシニスが怒鳴った。その声に応えて闇の中から舌打ちが聞こえ、何人かの人影が立ち上がった。
 
「ふん、なかなかやるじゃねぇか。こっちの気配に気づいたことだけはほめてやるぜ。」
 
 声は年配の男の声だが、オシニスにはかすかに聞き覚えがあった。人影はこの男を含めて4人ほどだ。もっともまだ隠れているかも知れないし、背後に何人いるかまではわからない。自分達の気配を消せるということは、それなりの訓練を積んでいるのだろう。以前から剣士団が追いかけている盗賊団の1つと見て間違いなさそうだ。
 
(もう少し明るい場所にいればよかったかな・・・。)
 
 オシニス達がいた場所は、街道や城壁の近くに設えられた篝火と篝火の間だ。店も少なく人通りがほとんどないこの辺りに来ると、篝火のおかれている間隔もかなり広くなる。真っ暗と言うほどではないので顔の判別が出来ないわけではないのだが、それほどはっきりと見分けられるほどではない。ただ、今日は幸い月が出ている。かすかな篝火の明かりと月明かりで、何とか声の正体を突き止められないものかとオシニスは目を凝らした。
 
「せっかくいいところが見られるかと思っていたんだがなあ。遠慮しなくていいぜ?見ててやるから続きを始めてくれていいぞ。」
 
 年配の男はどうやらこの集団の頭らしい。男の言葉に、後ろにいた人影が下品な笑い声をたてた。
 
「残念ながらお前らに見せられるようなものはないな。とっとと立ち去れ。今なら大目にみてやってもいいぞ。」
 
「ぁあ?囲まれているってのに何偉そうにほざいてやがる?ま、俺としても鬼じゃねぇ。その女を置いてお前がおとなしく立ち去るなら、大目にみてやってもいいぜ?」
 
 男はあくまでも強気だ。
 
「今の言葉を聞いたら鬼が気を悪くするな。しかしその声・・・」
 
 ふと、思い当たることがあった。昔、オシニスがまだライザーとコンビを組んでいた頃の話だ。南地方に現れた盗賊の一団に、剣士団の誰もが手こずらされていた。盗賊というものは一人一人を見れば、それほど腕の経つ者はいない。彼らにとって一番大事なのは『お宝』なので、それ以外のことには興味のない連中が多い。だから盗賊団などと言っても、根城を急襲してかき回してやるとすぐに逃げ出して散り散りになってしまう。だが、とある盗賊の率いる盗賊団はなかなか結束が固く、何度やり合っても壊滅させることが出来なかったのだ。それでも1度はかなり追い詰めることが出来たのだが、なんとその頭の男が、手下を置き去りにして1人逃げてしまった。頭がいなくなったことでさすがに結束が崩れ、部下達は散り散りになった。中には自分から牢獄に出向いて捕まえてくださいと言う者までいた。盗賊なので同情の余地はないのだが、それでも置き去りにされた手下達が憐れになったほどだ。間違いない。この声は奴のものだ。
 
「お前もしかして、・・『蠍のガールク』か?」
 
「な、なんだと?」
 
 男の声があきらかに動揺している。
 
「あ、その声だ。思い出したぞ。ほぉ、あの時手下の命を盾に逃げおおせた奴が、また新しい盗賊団を立ち上げていたとはな。なるほどうちの連中が手こずるわけだ。おいお前ら、ガールクになんぞくっついていると、いつ置き去りにされるかわからんぞ。こいつは自分を守るためなら手下の命なんぞ何とも思っちゃいないんだからな。」
 
「てめぇ、何もんだ・・・?」
 
 ガールクの声に慎重さが加わった。侮れる相手ではないと考えたらしい。
 
「声をかけた相手が悪かったな。俺は王国剣士だ。」
 
「・・・俺もてめぇの声に聞き覚えがあるぞ・・・。あ、ま、まさか・・・迅雷か!?」
 
「そう呼ばれるのは久しぶりだな。わかったなら立ち去れ。今の俺は剣士団長だ。今ここでやり合おうって言うなら、それなりの覚悟で来るんだな。」
 
「けっ、口の達者なのは相変わらずだな。鼻の下ビローンと延ばしやがった間抜け面だったから気づかなかったぜ!ずいぶんと自信があるようだが、てめぇが迅雷なら、周りを囲んでいるのが俺達だけじゃねぇことくらいは気づいているだろう。一斉に俺達がかかれば、おめぇ1人なんぞ屁でもねぇ!」
 
 声には動揺が残っていたが、それでもここまでの啖呵を切れると言うことは、オシニス達の後ろにもそれなりの人数がいると思っていいだろう。さてどうする?フロリアの手はおそらく当てに出来るが、まさか彼らを攻撃させるようなことは出来ない。では足止めを頼むか。そのくらいのことは、フロリアにとって造作もないことだろう。王家の秘法など使わなくても、フロリアは呪文の使い手としては第一級の腕を持っている。
 
「屁でもないのはこちらも同じだよ。お前の手下はもう誰もいない。」
 
 突然背後に誰かが立つ気配がした。この声は・・・まさか!?
 
「な・・・なんだてめぇは!?こいつらは俺の獲物だ!とっとと消え失せろ!」
 
「消え失せるのはお前のほうだ。後ろにいたお前の手下はみんな逃げていったよ。足には傷をつけなかったからね。」
 
「な・・・なんだと・・・・あ!?てめぇ・・・」
 
 ガールクはそこで言葉を切り、舌打ちをした。
 
「引き上げだ!くそっ!俺は疾風まで相手にする気はねぇ!」
 
 そう言うなり、ガールクは真っ先に走り出した。あの逃げ足の速さは未だ健在らしい。奴の手下達はこれからも振り回されることだろう。
 
「相変わらずだなあ。よくあの男についてくる手下がいるもんだね。」
 
 声の主のあまりにのんきな口ぶりに、オシニスは苛立ってくるりと振り向き怒鳴った。
 
「おいライザー!今まで・・・・!?」
 
 だがその声の主の姿を見て、思わず口をつぐんでしまった。
 
「・・・お前なんてかっこしてるんだ。」
 
 なんとライザーは、全身山賊の出で立ちだったのだ。さっきガールクが『俺の獲物だ』と叫んだ意味がわかった。彼はライザーの姿を見て、最初同業者と勘違いしたのだろう。それも無理からぬことだと納得するのに十分なほど、そこに立っているのは山賊にしか見えない。だが、この装束にオシニスは見覚えがある。オシニスの部屋にあるタンスの中に、これと同じものがあるからだ。
 
「久しぶりに着てみたけど、あんまり違和感ないね。」
 
 ライザーはけろりとしてそう言いながら、覆面の口元を下げた。オシニスがずっと昔から見知っている、懐かしい顔がそこにあった。
 
「確かに違和感はないな。助けてくれたことには礼を言うよ。俺一人なら何とでもなったかもしれないが、彼女を危険に巻き込むわけには行かなかったからな。」
 
 ライザーはフロリアに視線を移した。
 
「何事もなくてよかったです。今は、なんとお呼びすればいいんでしょうか。」
 
(こいつの目もごまかせなかったか・・・。年をとっても感覚は鈍ってないようだな・・・。)
 
 いや、鈍っていないどころか以前より腕は上がっているんじゃないだろうか。前にいたガールクに気を取られていたとは言え、オシニスはライザーが背後の盗賊達を一掃するのに気づかなかった。それほど完璧に彼は気配を消して、同じように気配を消していた盗賊達を、一人残らず追い払うことに成功した。
 
「今日はファミールと呼ばれているわ。」
 
「わかりました。ファミールさん、ご無沙汰しています。ご無事で何よりでした。」
 
「久しぶりね、ライザー。助けてくれてありがとう。」
 
 ライザーは笑顔だ。そして声もとても穏やかだ。この声を信じたいところだが、それでも今のオシニスにはきちんと確かめておかなければならないことがある。
 
「助けてくれたのはありがたいが、お前はそんな格好で何をしていたんだ?」
 
「その前に、君に礼を言わせてくれないか。」
 
「礼?今会ったばかりじゃないか。」
 
「僕は会ったばかりだけど、君には子供達が世話になっているじゃないか。特に息子のほうはずいぶんと君に世話になっている。今の君の立場もあるだろうに、いろいろと力になってくれて感謝しているよ。ありがとう。」
 
 ライザーが頭を下げた。
 
「お前に頭を下げられたりすると落ち着かないからやめてくれよ。俺はたいしたことはしちゃいない。そもそもお前の息子が、熱意でロイの心を動かしたんだ。」
 
「管理官にも迷惑をかけたんだろうな。何か聞いていないかい?」
 
「何かって何を?」
 
「ハース鉱山に行ったときのことさ。ナイト輝石の話なんて持ち出したら、叩き出されるのが落ちじゃないか。なのに息子から来た手紙には、無事に鉱夫として雇ってもらうことが出来たとしか書いてなかったんだ。」
 
 そう言えば、ライラとライザーももう3年以上会ってないはずだ。
 
「・・・ああ、そうだな・・・。その辺りの話は、クロービスの奴に聞いたほうがいいぞ。あいつはお前の息子から直接話を聞いたようだからな。」
 
「・・・つまり、聞いておいたほうがいいようなことがあったというわけか・・・。」
 
 ライザーがため息をついた。
 
「まあいいじゃないか。今ではロイだけじゃなく、鉱山のみんなにもすっかり気に入られてるよ。剣のほうもずいぶんと上達したしな。」
 
「君は忙しいんじゃないのか。無理に付き合ってくれなくていいよ。」
 
「そういうわけじゃないよ。今のあいつの仕事を考えれば、もう十分すぎるほどの腕だ。だが、あれだけの腕が埋もれてしまうのがどうにももったいなくてなあ・・・。だから、あいつの訓練は言うなれば俺のわがままでやってるようなもんだ。気にすることはないさ。」
 
 ライザーがくすりと笑った。
 
「君は変わらないな。」
 
「人間なんてそう変われるもんじゃないぞ?俺は昔から変わりませんねと言われたことは数知れないが、変わりましたねと言われたことはほとんどないんだ。まあ・・・多少は丸くなったと言われることがある程度だがな。」
 
 その言葉に隣にいたフロリアがくすくすと笑い出した。
 
「確かにあなたは変わらないわ。身近にいると気がつかないだけかと思うけど、ずっと会ってなかった人が変わらないと言うんだから、本当に変わらないのよね。」
 
「・・・初めて会う人には、必ず『ずいぶんお若い団長ですね』と言われるしな・・・。」
 
「そうだね。君の見た目も相変わらず若くていいね。」
 
「お前だって変わらないじゃないか。」
 
「こんなうす暗がりで見ているからだよ。」
 
「それじゃそんなうす暗がりにいる理由を、今度こそ教えてくれるんだろうな。」
 
「・・・・・・・・。」
 
 ライザーは黙っている。
 
「気配を消している盗賊連中を音も立てずに一掃出来るということは、今でもそれだけの訓練を積んでいると言うことだ。今では薬草園の切り盛りをしているはずのお前が、何でそんなに訓練を積まなきゃならない?それに今お前は女房と二人で祭り見物に来ているはずだろう?同じ島に住むクロービス達もこっちに来ていることを知っているのに会いに来ようともせず、こんなところで山賊の装束を着て動き回っているその理由は、いったい何なんだ!」
 
「この格好をしているのは今日からだよ。というよりはついさっきからかな。それまでは普通の格好をしていたし、妻と一緒に祭り見物もしていた。後はあいさつ回りだね。ずいぶんとご無沙汰している知り合いが多くて、思ったよりも時間がかかってしまったよ。」
 
 ライザーは動じる様子もない。最もオシニスの怒鳴り声なんて、ライザーにとっては日常の一部だったはずだ。
 
(・・・今更こいつに怒鳴っても効果はないよな・・・)
 
 それがうれしくもある。なんとも複雑な気分だ。
 
「それじゃ聞き方を変えるぞ。何で今日はそんな格好をして、こんなところにいるんだ?」
 
「約束を果たすためさ。」
 
 今度はライザーははっきりと答えた。
 
「・・・約束?」
 
「そう、約束を果たすためだ。今更それを果たしたところで何か変わるわけじゃないけど、それでも人として果たさなきゃならないと思ったから、僕は今ここにこうしているんだよ。」
 
「・・・・・・・!?」
 
「それは、オシニスとの約束なの?」
 
 尋ねたフロリアに、ライザーがうなずいた。
 
「言いだしっぺは忘れているようですけどね。」
 
「・・・まさか・・・あの時の・・・。」
 
「思い出してくれたかい?」
 
 それはライザーが海鳴りの祠を去る日のことだった。ライザーの後ろ姿に向かってオシニスは叫んだ。
 
『いつか、いつか必ず会いに来てくれ!俺は待ってるからな!』
 
 あの時ライザーは振り向かなかった。だから返事をもらったわけではない。でも彼はちゃんとそのことを『約束』として捉えてくれていた。うれしいのは確かなのだが・・・。
 
「ちょっと待て。俺は確かにあの時会いに来てくれと言ったが、2次試験の衣装を着て来いなんて言った覚えはないぞ。」
 
 ライザーが笑い出した。
 
「僕もそこまでは聞いてないなあ。こんな格好をしてこの辺りをうろうろしていたのは、君にもらった手紙の中の話さ。そして今ここで君に会ったのもまったくの偶然だよ。本当なら今更顔を出せた義理じゃないけど、それでも約束を果たすと言うなら、手ぶらと言うのもどうかと思ってね。」
 
「・・・・!?」
 
 オシニスは、ライザーが剣士団を去ってからずっと手紙を送り続けていた。最初の手紙は、ライザーの住む島へと帰るクロービスに託した。返事は来なかったが、それでもオシニスは出し続けた。きっと読んでいてくれると信じて。そして一番最近手紙を出したのは、祭りが始まる前のことだ。あの時は、なかなか進まないとある調査の突破口になるかもしれない場所について、レイナックから情報をもらったときのことだった。だが自分では動けない。どうすればいいのか、そんな話を思わず手紙に書いてしまった。ライザーはまさかそのことについて調べていたのだろうか・・・。
 
「僕はもう王国剣士じゃない。君の言うとおり、今の僕の仕事は島での薬草栽培の責任者だ。それでも、今は僕が動かなければならない、そう思ったからこんなところにこんな格好でいるんだよ。」
 
「・・・それじゃお前を信じていいんだな?」
 
「・・・今更君に信じてくれなんて言える立場じゃないけど、僕がここにいる理由がよからぬことではないと言うことだけは信じてくれていいよ。」
 
「あの場所がかなり物騒な連中と関係しているかもしれないと、知っていて言ってるのか。」
 
「もちろんだよ。その物騒な連中が、うちの娘を襲ったことも聞いてる。」
 
「・・・聞いてる?誰に・・・あ、クロービスの奴か・・・。」
 
「一週間くらい前かな。僕のいそうなところを何箇所か探しに来てくれたんだ。詳しい話を聞いたのは教会だよ。話の内容を考えれば、宿屋や僕の叔父夫婦には言えないことだろうしね。」
 
「なるほどな・・・一週間前と言うと、あのコーヒーショップを調べに行って、その足でか・・・。」
 
「コーヒーショップ?」
 
 オシニスはクロービスが、『ライラの安心出来る場所を作ってやりたい』と言って、ライラがいつも行くと言うコーヒーショップに出かけたことを話した。
 
「そんなことまでしてくれたのか・・・。クロービスにもちゃんとお礼を言わなくちゃいけないな・・・。」
 
「そうだな。ちゃんと会いに行けよ。ウィローがお前のかみさんのことをずいぶん心配してたぞ。俺としては、出来るならこのまま宿に戻って、明日にでもクロービス達に会いに行ってほしいと思ってるよ。俺のためにお前が危険を冒す理由は何もないんだからな。」
 
 そのコーヒーショップの店主が『ザハム』という人物であることもクロービスからは聞いていたが、その話はしないほうがいいような気がした。あとでクロービスに会った時にでも彼が説明してくれるだろう。
 
「君が心配してくれるのはありがたいけど、僕としても子供達が危険な目に遭っているのに黙って見ている気はないよ。」
 
「・・・そうか・・・そこまで言うなら、俺はお前を止められない。だが子供達のためとは言え、親父が死んじまったら何にもならないんだ。危ないと思ったら迷わず引いてくれ。何があっても、俺はお前の死体と対面するなんてごめんだからな。」
 
「わかってるよ。それと、信じてくれるなら一つ忠告しておく。乙夜の塔周辺の警戒を怠らないようにしてくれ。」
 
「・・・なんだと?」
 
「王宮の北側は岩山だけど、だからって安全とは限らない。確かなことはまだわからないけど、警戒しておくに越したことはないよ。ずっと昔、僕らの隙をついて塔に入り込んだ無鉄砲な新人剣士もいたことだしね。」
 
「あ・・・。」
 
 フロリアがちいさく声を上げた。
 
「・・・無鉄砲な新人剣士達はどうやら何も考えていなかったらしいが、今同じことをする奴がいたとして、そいつが悪意を持っていないとは限らないと言うことか・・・。」
 
「可能性の問題だけどね。そろそろ僕は行くよ。君達は?もう戻らないと、いつまでも部屋を空けておけないんじゃないのかい?」
 
 ライザーはそう言って、覆面を鼻の上まで引きあげた。
 
「ライザー、リーザが待っているわ。近いうちに顔を出してあげてね。」
 
 フロリアが言った。リーザはずっとライザー達が現れるのを待ち続けている。
 
「・・・はい。近いうちに必ずと伝えてください。」
 
「そのことについては俺からも頼むよ。お前にもお前のかみさんにも複雑なものはあるだろうが、リーザの気持ちも考えてやってくれ。」
 
「わかってるよ。」
 
「それじゃ俺達も戻るよ。次に会えるときは普通の格好で来るんだろうな。」
 
「多分ね。」
 
「次はまた20年後なんて言うなよ。」
 
「そんなにはかからないと思うよ。それじゃ。」
 
 ライザーはすっと篝火の光の及ぶ範囲の外に出た。とたんに彼の姿は闇に紛れ、余程目を凝らさないと見えなくなってしまった。気配が遠ざかる。ライザーは持ち前のすばやさでおそらく城壁の上に上がり、緑地帯の中にまぎれたのだろう。
 
「まったく、相変わらずだな、あいつは・・・でもまあ、あいつ・・らし・・・い・・・・」
 
 それ以上、言葉が出てこなかった。涙が後から後から流れ出て、視界がぼやけている。やっと会えた。会ってみて初めて、自分がどれほど強くライザーに会いたいと思っていたか、判ったような気がした。
 
 
                                        
 
 
 
「参ったな・・・。これじゃ動けやしない。」
 
 オシニスが立ち尽くしていた同じころ、ライザーもまた涙で視界がぼやけ、しばらく緑地帯の城壁から動くことが出来なかった。もう一生合わせる顔なんてないと思っていた。それでもオシニスがいつもくれる手紙を読むたびに、彼が必死でこの国を守ろうとする姿が浮かんで、せめてオシニスの役に立ちたいと思った。まさかこんなところで出会うとは思っていなかったが、黙って立ち去らなかったことを後悔はしていない。次こそは堂々と会いに行こう、ライザーはそう心に決めて、再び夜の闇の中に踏み出した。
 
 
                                        
 
 
 
「ははは・・・情けないな・・・。いい年をして・・・。」
 
 涙が止まらないオシニスの背中を、ふわりと包む暖かい腕があった。
 
「ファミール・・・。」
 
「あなたは私が一番つらい時にそばにいてくれたわ。だから今は私がこうしていてあげる。」
 
「ありがとう・・・。」
 
 鎧とマントの上からでさえ、フロリアの温もりが伝わるようだった。少しずつ心のさざ波が凪いできて、オシニスはやっと顔を上げて大きくため息をついた。
 
「落ち着いた?」
 
 背中から顔をのぞき込んだフロリアに振り向き、しっかりと抱きしめた。この時のオシニスの頭の中からは、フロリアが国王で自分は臣下だからとか、今までいろいろとこだわってきたはずのことがきれいさっぱり消え去っていた。
 
「落ち着いたよ。ありがとう。」
 
「よかったわ・・・。ライザーは大丈夫よ。彼の心は澄み切っていたわ。信じても大丈夫。」
 
「そうか・・・わかるんだな・・・。」
 
「ええ、私にはクロービスほど強い力はないし、クイントのように心を読むことも出来ないけれど・・・そうね、心の輝きを感じ取れる、とでも言えばいいのかしら。」
 
「心の・・・輝きか・・・。」
 
「そう、彼の心は澄んで、輝きを放っていた。だから、近いうちにきっと堂々と会いに来てくれるはずよ。」
 
「だといいな・・・。」
 
 腕の力を少し緩めて、オシニスはフロリアを見つめた。フロリアはそっとオシニスの頬に触れ、小さな声で何か唱えた。ふわりと暖かな『気』に包まれ、涙でヒリヒリしていたオシニスの頬から痛みが消えた。
 
「これで大丈夫ね。」
 
「俺が君を守るはずなのに、助けられてばかりだな。」
 
「ふふふ、そんなことはないわよ。」
 
 2人は見つめ合い、どちらからともなく顔が近づき、唇が重なった。20年の時を経て、2人にとっては2度目の口づけだった。あの日の燃えるように熱い唇とは違い、今日のオシニスの唇は温かい。触れあった唇を通して、オシニスからあふれ出る自分への優しい思いが伝わってくる・・・。そして自分も同じ気持ちであることに、さっきやっと『気づいた』ばかりだ。
 
(でもこれは夢、今日だけの・・・。)
 
 クロービスはオシニスに、自分がカインとクロービスに何をしたか話すだろう。その時、オシニスが今と同じ気持ちを自分に向けてくれるとは思えない。それでも今日だけは夢を見たままでいたかった。
 
 オシニスはフロリアと口づけをかわしながら、己の愚かしさを今さらながら後悔していた。自分のフロリアへの思いは、あの猫を間におしゃべりをしていた頃と何一つ変わっていないというのに、20年前のあの日、なぜ自分があんなことをしようとしたのか・・・。
 
(俺はどうしようもないバカだ。自分の薄汚い欲望に囚われて、フロリア様を殺そうとした・・・。)
 
 そんなことを本気で考えていた、そして実行しようとした、そんな自分がどうしても許せない。今日のことは夢だ。この温もりも唇の温かさも、何もかも・・・今日だけの夢・・・。
 
 それぞれが苦しい胸の内を押し隠して、2人はもう一度見つめ合った。
 
「そろそろ戻りましょう。クロービスがハインツのところに行く時間がなくなってしまうわ。」
 
「そうだな。東門を抜ければそれほど人通りはないだろうが、時間がかかりすぎる。この人混みをもう一度突っ切るか。」
 
「その方がいいわね。」
 
「よし、それじゃ俺のマントに入ってくれ。離れないようにしてくれよ。」
 
「はい。大丈夫よ。」
 
 フロリアはオシニスのマントにすっぽりと収まり、オシニスはマントの上からフロリアの肩をしっかりと抱き寄せた。この人混みを突っ切れば、顔見知りに会うかも知れない。夜勤の剣士達も大勢歩いている。そうなれば多分明日はいろんな人達から質問攻めだろう。でもそれでもいい。この確かなぬくもりを、今は何があっても手放す気はなかった。再びあの店の入り口をくぐり、フロリアをレイナックに引き渡すまでは・・・。
 
「よーし、気合いを入れて、行くか!」
 
 笑顔を交わし合い、2人は人混みに向かって歩き出した。
 

続きはあるけど思案中

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