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「で、何の用だ。」
 
「これこれ、そう邪険にするものではない。最近お前とじっくり話す機会がなかったからな。どうだ?久しぶりにのんびりと話をせんか。最近また茶の淹れ方をいろいろと覚えてな。それも教えてやろうと思うての。」
 
 今日はどうも調子がおかしい。さっきもクロービスと話していて、いつもなら絶対に話さないようなことをいろいろと話してしまった。そして、何となく今日はレイナックにも怒鳴り返す気にならない。
 
「そうだな。今朝もらったお茶の葉が、なかなかうまく淹れられなくていたところだ。」
 
「おお、あれは本当によい香りのお茶だ。味もいいが、うまく淹れるには湯の加減や蒸らし方なども気をつけなければならん。どれ、1つ淹れてみようではないか。」
 
 レイナックは楽しそうにお茶を淹れ始めた。
 
「ほれ、こうして、お茶の葉はこのくらいにして・・・湯はそんなに熱くなくてもよいぞ。」
 
 レイナックは上機嫌でお茶の淹れ方を教えてくれる。そして気づけば、オシニスも笑顔で熱心に話を聞いていた。
 
「へぇ、なるほど、さっき俺が自分で淹れたお茶より遙かにうまいな。」
 
「じゃろう?ふふふ、ちょっとした手間を惜しまなければ、けっこう簡単にうまい茶が飲めるというわけだ。」
 
「しかしじいさんもよくやるなあ。今でも掃除洗濯は自分でやってるんだろう?」
 
「それはそうだ。わしには当てに出来る妻も子もいないのだからな。出来ることはやらねば生活して行けん。いかに王宮内に住んでいるとは言え、何でもかんでも人任せではあっという間にぼけてしまいそうだからの。」
 
「そうだなあ・・・。俺も一人で暮らしていけるようにいろいろ覚えておくか・・・。」
 
 レイナックが結婚しなかった理由は、以前聞いて知っている。レイナックとは状況が違うが、結婚する気がないのはオシニスも同じだ。
 
「ふむ・・・お前は結婚しないつもりなのか?」
 
「この歳まで1人で来たんだから、この先も1人だろうな。前にも言ったじゃないか。」
 
「今1人だからと言って、いくつになっても結婚くらい出来るわい。お前の気持ちとしては、結婚する気はないのか。」
 
「ああ、ないね。」
 
「結婚はいいものだと言うぞ。ま、わしはしないと決めて生きてきたが、お前はわしとは違う。いくらでも子孫を残せるのだ。今からでも考えてみればいいのではないか。」
 
「なんだよ、また俺に結婚を勧めるために来たのか?」
 
 実はオシニスは、このところずっとレイナックと話すことを避けてきた。理由のひとつがその話の内容だ。最初は他愛のない話をしているのに、途中からどうしても『お前は嫁をもらわんのか』という話になる。いくらフロリアを好きでも相手は国王陛下だ。しかも自分は一度縁談を蹴ってしまったのだから、いまさらフロリアと結婚出来るとは思っていない。とは言え、他の女との結婚など考えたこともないので、縁談が来ても断るだけのことだ。だが、スサーナとの縁談が持ち上がったとき、オシニスは迷った。承諾するかどうかではなく『いつ断るべきか』と。スサーナはオシニスの部下だ。オシニスとしても気まずくなりたくはない。それに、話が来てすぐに断ったのでは相手の面目も潰すことになる。だからこちらがある程度熟考したと、相手が納得出来そうな時間をおいてから断りに行くつもりだったのだが、この縁談にレイナックが乗り気になった。その理由はわかる。レンディール伯爵は好人物だ。家柄も申し分ないどころか、オシニスが爵位も何もない一般市民であることを考えれば、『願ってもない家柄』ということになる。スサーナと結婚してレンディール家の後押しが得られれば、オシニスの剣士団長としての政治力は一段と増し、結果として、フロリアの治世を磐石なものにすることに一役買うことは出来る。
 
『女は多少わがままなくらいがかわいいという者もおるし、本気で考えてみてはどうだ?』
 
 レイナックにそう詰め寄られ、考えていたよりも断りに行くのが遅くなってしまった。たとえばフロリアという存在がなかったとしても、それでもオシニスはこの縁談を受けようとは思わなかっただろう。スサーナとは20も歳が離れている。しかもこの国では男よりも女のほうが寿命が長い。自分が死んだあと、スサーナが一人取り残されるのは目に見えている。今は愛情だけで盛り上がっていても、頭が冷えてくれば後悔することになるのではないか、そう考えると、やはりこの縁談を承諾しなくてよかったのだと思う。
 
(心配してくれるのは、ありがたいんだがな・・・。)
 
 レイナックの気持ちがわからないわけではないし、そこまで気にかけてくれることをありがたいとも思うが、こればかりは譲れない。
 
「そう言うわけではないが・・・なあオシニスよ、この間のレンディール家の縁談を断ったということは、お前は別に結婚そのものをしないと言うことではなく、したい相手とは出来ないからしない、ということではないのか?」
 
「・・・・・・・・・・・・。」
 
 『余計なお世話だ』とでも怒鳴られるかと思ったが、オシニスは黙っている。
 
(ふむ・・・今日はだいぶ素直なようじゃな・・・・。)
 
 こんな話を持ち出すと、決まってオシニスは不機嫌になり、とげとげしい気があふれ出す。そして『関係ないだろうくそじじい!』と怒鳴るのがいつものことだ。だが今日は違う。どうやら自分を怒鳴る気はなさそうだ。レイナックは今日こそずっと考えていた話をオシニスにしてみようと考えた。
 
「ま、人の心の問題にまで口を出す気はない。だが、特に好いた相手もいず、今のところ結婚したいという相手がいないのならば、お前に頼みたいことがある。」
 
「どこかの女と結婚しろとでも言う話以外なら、聞いてもいいぞ。」
 
「ふん、わしの頼みとは、まさしくそのことだ。ただし、相手はどこかの女ではないぞ。フロリア様だ。」
 
「・・・は?」
 
 あまりにも意外な答えに、オシニスはぽかんとして聞き返した。
 
「その歳でもう耳が遠くなったか?わしが言うておるのは、お前にフロリア様を娶ってくれんかという話だ。」
 
「・・・・・・・・・・。」
 
 あんまり驚いて、空けたままだった口をオシニスはあわてて閉じた。このじいさんは何を言っているんだ?そんな話は10年も前に断った話だ。レイナックがオシニスに結婚を勧めたことは今までにも何度かあるが、レンディール家以外の話では『誰かいい人はおらんのか』とか、『女の1人くらいお前ならばいくらでも・・・』などという話ばかりだった。このじいさんは、まさかずっとそんなことを考えていたのか・・・。
 
「ふん、耳はじいさんよりはるかによく聞こえてるぞ。大昔に断った話をいまさら蒸し返すとは何を考えているのかと思ったのさ。ぼけて時間の感覚もわからなくなったのなら、医師会に連れて行かなきゃならんからな。」
 
(ふほほ、そろそろ減らず口が戻ってきたかのぉ・・・)
 
 素直なオシニスもなかなか可愛いものだが、やはりこのくらい言い返してくれないと調子が出ない。レイナックにとってオシニスは息子のようなものだが、遠慮なく軽口を叩き合える友人同士のような存在でもある。
 
「残念ながらぼけてはおらん。それに、わしは別に、お前に今フロリア様と結婚して大公の座に座れなどと言うておるわけではない。もっと先の、フロリア様が退位なされてからの話だ。」
 
「ずいぶんと遙か先の話だな。まだ世継ぎも決まっていないって言うのに。まさか後はエリスティ公に任せろなんて与太話するとは思えんが、なにを考えているんだよまったく。」
 
「遙か先だが、そのときは必ずやって来る。わしがお前に頼みたいというのは、そのときにフロリア様のおそばにいてやってくれんかということだ。フロリア様とて女性だ。肩の荷を降ろして身軽になられたら、やはり女性の幸せを求められてもよいとは思わんか。」
 
「女性の幸せを求めるなら別に退位してからでなくてもいいじゃないか。」
 
「その場合、フロリア様の夫になる男には、大公としての器も求められる。それはなかなか厳しいものだ。」
 
「ふん、そんな厳しいところに俺を据えようとしたのはどこのどいつだ。」
 
「だからフロリア様が退位なされてからと言うておろうが。」
 
「大公になる必要がないなら、もっと若くて活きのいい男でも見つけてくればいいだろう。俺みたいな親父を引っ張り出す理由はないんじゃないか。」
 
「だが、いかに譲位された後とは言え、誰でもいいというわけにはいかん。」
 
「誰でもいいというわけではなくとも、俺でなければならないという理由もないだろう。」
 
「・・・まったく、ああいえばこういう。・・・なあオシニスよ、お前はフロリア様をどう思っているのだ?多少なりとも大事に思っていてくれるのなら、このくらいの頼みを聞いてくれてもよさそうなものだが。それとも、どうしてもいやだというほど、フロリア様を嫌っておるのか。」
 
「・・・それじゃ聞くが、今のじいさんの話は、フロリア様もご承知のことなのか?退位したら俺と一緒になるなんて話、フロリア様は本当に納得しているのか?」
 
 レイナックが黙り込んだ。
 
「・・・やっぱりな。そんなことだろうと思ったよ。フロリア様が俺と結婚したいなんて言うはずがないんだからな。」
 
「いやにはっきりと言い切るな。お前はそういうだけの根拠を持っているというのか。」
 
「10年前の話を考えればわかるだろう。本気で結婚したいと思うなら、何で俺がわざわざ断りやすいようなお膳立てをしたのか、それにあんたが気づいてないとは言わせないぞ。」
 
「・・・あの時はわしも妙だと思うた。だが、そのことではぐらかされはせんぞ。お前はフロリア様をどう思うておる?」
 
「ちぇっ、ごまかされなかったか・・・。」
 
「あったりまえじゃい!さあ答えろ!」
 
「・・・はぁ・・・仕方ないな。なんだか今日は怒鳴る気も沸いてこない・・・。俺はフロリア様を好きだ。悪いか?」
 
 この言葉を待っていたレイナックは、表向きは重々しくうなずいて見せたが、内心はにんまりとしていた。こやつめ、やっと本音を言いおったか。だが、『待ってました』という態度を見せるわけには行かない。
 
「悪くはない。では、お前に怒鳴る気が起きないうちにいろいろと聞いてしまうか。フロリア様を好いておったのなら、なぜ10年前に断ったのだ。確かにわしを私的に使者として立てるなど、お前が断りやすい環境を作ってやったとしか思えん。だが、せっかく好いた相手と一緒になれる機会だったのだぞ?あの時受けておれば、今頃は子供もある程度大きくなっていただろう。世継ぎの問題など気にせずともよかったわけだ。」
 
 オシニスは黙ってレイナックの話を聞いていたが、ため息をひとつついて持っていたカップの中に残ったお茶を飲み干した。
 
「確かに、あのときに受けていればそうだっただろう。だが、だからって今世継ぎの問題で頭を抱えているのを俺のせいにするなよ。」
 
「そんなつもりはない。ただわしは、あのときなんでお前が断ったのか、それを知りたいだけだ。あの時お前はわしの話を笑い飛ばして、その後はもうその話を持ち出すたびに怒って怒鳴ってはぐらかしていた。それはなぜだ?そしてさっき、お前はフロリア様がお前と結婚したいなんて言うはずがないと言うた。その根拠は何だ?ここまで話したのなら、お前の腹のうちを見せてくれてもいいだろう。」
 
 オシニスはフンと鼻を鳴らし、レイナックに向き直った。実を言うと、この話はレイナックには話したくない。フロリアを我が子のように慈しんでいるレイナックにとって、こんな話はつらいだけだと思うからだ。だがそういうわけには行かないらしい。
 
(仕方ないな・・・)
 
「昔、フロリア様が猫を飼っていたことがあったよな。」
 
「うむ、キャスリーンに殺されるところだった猫を救ったのはお前だっただろう。わしも何度か抱かせてもらったことがあるが、かわいらしい猫だったの。」
 
「そうだな・・・。あの猫が何で死んだか、あんたは知っているのか?」
 
「・・・キャスリーンに聞いた。塀に飛び移ろうとしてぶつかって死んだのではないかと。」
 
「・・・なるほど、あんたはそれを今までずっと信じていたわけか・・・。」
 
「・・・どういうことだ?キャスリーンが嘘をついていたとでも言うのか?」
 
「いや、おそらくキャスリーンさんは本当のことは知らんだろう。知らなくて幸せだっただろうな。」
 
 レイナックはしばらくオシニスを見つめていたが、突如かっと目を見開いた。
 
「・・・ま、まさか・・・!?」
 
「そのまさかだ。もちろん、俺だって実際に見たわけじゃない。だが猫の死を悲しんでいる振りをして、せいせいした顔でほくそ笑んでいたあのぞっとするような笑顔を、冷たい瞳を、俺は今でも覚えている。あの顔を見たとき、俺は確信したんだ。猫を殺したのは、フロリア様本人だとな。」
 
 レイナックは顔をこわばらせたまま、次に言うべき言葉が見つからなかった。
 
「王宮に突入したとき、俺は乙夜の塔のフロリア様の部屋でクロービスとウィローに会った。そしてフロリア様に何が起きていたのか、聞いた。フロリア様の中にいた、もう一人の人格って奴は、おそらくフロリア様を完全に乗っ取るまでは完璧に取り繕っていただろう。だがあの時・・・振り向いた俺と目が合った時、そいつは油断していたんだろうな。俺は見てしまった。そして、俺があのときのフロリア様の本性を知っていると、今ではフロリア様だってご自分の記憶として持っておられるんだ。思い出したくもないような自分の姿を、俺が知っているとな・・・。」
 
「・・・・・・・・・・・。」
 
「あんたにだってクロービスのような力はあるんだろう。フロリア様の様子くらいそれで何とかならないのか?」
 
「・・・それは思念感知の能力のことを言っておるのか?」
 
「ああ、そんな名前だったかな・・・。」
 
 内心オシニスは『まずいことを言った』と後悔した。フロリアとレイナック、そしてクロービスに共通する力、もしかしたらエリスティ公の書記官クイントも持っている可能性があるという・・・そんな力のことなんて、自分が口にするべきことじゃなかったんだ・・・。
 
「残念ながら、わしにはそんなに強い力はない。フロリア様とて同じだ。フロリア様がはっきりとわしに向けてなにかを考えてくださるならばともかく、隠したいと思うておることを探り出せるような力はない。そんなことを望むのならば、クロービスに頼むしかないだろうな。思念感知の能力が一番強い者は、ファルシオンの使い手をおいて他にないのだ。」
 
「・・・そうなのか?」
 
「そうだ。クロービスはその力を疎ましく思うておるようだから、おそらくその力の何分の一程度しか使えるようにはなっておらぬだろう。もっとも奴の普段の生活の中ではまったく必要のないものだ。だがどうやら、フロリア様とクロービスの力の波長はとてもよく合うようだ。クロービスならば、その気になればフロリア様の心の奥底まで覗くことが出来るだろう。ま、奴がそんなことを承諾するとは思えぬが。」
 
「俺だってそんなことを頼む気はない。つまらないことを言っちまった。悪かったな・・・。」
 
 どうやらオシニスが今言ったことを後悔しているらしいと、レイナックも気づいた。ここは話題を変えるべきだろう。
 
「なあオシニスよ、お前は、フロリア様がお前と結婚などしたくないと思っているのではないかと言う、そしてその理由が何であるかもわしは聞いた。だが、お前が今でもフロリア様を好いておるならば、わしはもう一度お前に頼みたい。フロリア様を娶ってくれ。」
 
「フロリア様がいやだと言ったらどうするんだ?俺は道化になる気はないぜ。」
 
「女1人振り向かせる自信もないのか。」
 
「挑発しようったってそうはいかないぞ。」
 
「わしとて今のお前を挑発しようなどと考えているのではない。では、フロリア様がいやだと言わなければよいのだな?」
 
 オシニスはグッと言葉に詰まり、舌打ちをしてそっぽを向いた。
 
(ふん・・・墓穴を掘りおって・・・。)
 
 オシニスがフロリアとの結婚を渋る理由がフロリアの意志だけなら、フロリアがうんと言えばもう断る理由はなくなる。
 
「どのみち今すぐの話ではない。お前の承諾の条件がフロリア様の色よい返事だというなら、わしはなんとしてもその答を引きだしてみせるぞ。ではそれで異存はないな?」
 
「・・・考えておくよ。まだしばらく時間はありそうだからな・・・。」
 
「うむ、それでよい。では失礼するぞ。」
 
 とうとう思い通りの返事をオシニスから引きだし、レイナックは剣士団長室を出ていった。
 
「・・・フロリア様がうんと言うわけがないじゃないか・・・。あのくそじじい!」
 
 今になってレイナックがこんな話を持ちだしてくるとは思わなかった。しかも退位してから、とは・・・。ここで受ければ、大公の座の重みを嫌って逃げだしておいて、そこに座る必要がなくなったからと言うそしりは免れないだろう。自分のことはどうでもいい。何と言われようと気にすることはない。だが、フロリアが任命した剣士団長という肩書きが自分についている以上、自分の醜聞はフロリアの評判も落とす。そしてそれは、フロリアの世継ぎにもいい影響を及ぼさない・・・。
 
「くそ・・・今すぐ結婚しろって言うより難題じゃないか・・・。」
 
 最近レイナックがフロリアや自分の結婚についていろいろと言うのは、おそらく自分がいなくなったあとのことを心配してのことだろう。レイナックももう80を過ぎるところだ。どんなにいてほしいと願ってもいずれはいなくなる・・・。自分を息子のように思ってくれているレイナックの望みを叶えてやりたいのはやまやまだが・・・。
 
「どうすりゃいいんだよ・・・。」
 
 大きなため息をついて、オシニスはベッドにごろんと横になった。考えることが多すぎる。少しだけ・・・眠ってから考えよう・・・。
 

続きは多分本編のどっか