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 クロービス達と別れたオシニスは、牢獄へと続く道を歩いていった。だがまっすぐは進まず、途中で右に曲がる。そこから先は商業地区の一番奥にある区画だ。このあたりには店もあるが、商業地区に店のある店主達が住む家も少しある。昔、商業地区と住宅地区に分けられた当初は、住宅は全部撤去する予定だったらしいが、商業地区に店を構える店主達にとって、家と店を別々の場所に持たなければならないと言うのは大きな負担になる。それで結局は商業地区にも住宅が残ることになったらしい。
 
 そんな家々の並ぶ通りをしばらく歩いて、オシニスはとある一軒の雑貨屋に入った。
 
「いらっしゃいまし。お待ち申し上げておりました。」
 
 店主らしい老婆が丁寧に頭を下げた。
 
「世話になるな。来てるのか?」
 
「はい、先ほど到着なさいましたよ。」
 
 オシニスは店の奥へと入っていった。奥には店主の住居らしい部屋がある。そのひとつの扉を開けると、そこにいたのはレイナックと『ファミール』に扮したフロリアだった。実はこの家の主は、レイナックの密偵だ。そして見た目どおりの老婆ではなく、オシニスと同じくらいの年齢らしい。王宮から外へと繋がる隠し通路はいくつかあるが、どの通路も屋外へと通じているわけではない。もしも、本当に冒険小説のように町中の道端に出るような通路を作ったりしたら、外に出たとたんに敵と鉢合わせ、などと言うことにもなりかねないので、通路の出口はさまざまな建物の中に繋がっているのだ。そしてそこでは、こうして密偵達がなにかしらの扮装をして毎日を過ごし、そこが秘密の通路の出口であることを外に知られないようにしている。
 
「おお、来たか。存外早かったの。」
 
「今の時間だと、混んでいるのはロビーのほうだからな。玄関前はそれほどでもなかったし、ここに来るまでの道には露店のひとつもないから、そんなに苦労はしなかったよ。」
 
「ふむ、今の時期は王宮見学にやってきた地方からの観光客であふれておるようだ。受付の娘達もご苦労なことだな。」
 
「まったくだ。さてと・・・そろそろ出掛けま・・・出掛け・・・」
 
 『ファミール』に話かけようとしたのに、うまく言葉が出てこなくてオシニスは思わず咳払いした。さっきはさらりと『ファミール』という名前を口に出せたのに、本人を前にするとなかなか難しい。
 
「オシニスよ。」
 
「ん?」
 
「ちょいと座れ。少し落ち着いてから出掛けたほうがよいのではないか。」
 
「・・・そうだな・・・。」
 
 自分でもとても落ち着いているとは思えない。オシニスはレイナックの言葉に素直に従い、空いている椅子に腰掛けた。ちらりとフロリアを見ると、やはり緊張している様子だ。オシニスは不安になった。こんな調子で本当に祭りを楽しむことが出来るだろうか。
 
「さてと、フロリア様、少しお話をさせていただきますぞ。オシニス、お前も聞け。」
 
「ああ、なんだよ。長くかかるんじゃないだろうな。俺はクロービス達を待たせているんだ。」
 
「そんなことは承知の上だ。だが今のお前の調子では、歩いている最中にもぼろを出してしまいかねん。」
 
「・・・・・・・・・・・。」
 
 否定出来ない。たった今だって、敬語を使わずに『出掛けようか』と言いにくくて、言葉を飲み込んだばかりだ。レイナックはそんなオシニスを見てため息をついた。いつも威勢がいいが、流石にフロリアを外に連れ出す役目と言うことで緊張しているのだろう。
 
(こやつが緊張しておったのでは、フロリア様はますます緊張してしまう。さてどうしたものか・・・。)
 
 クロービスがフロリアを外に連れ出すと言い出した理由は、彼の言葉どおりだろう。何も考えずに外で思い切り遊んで気を晴らす。だがその護衛にオシニスを選んだのは、また別の考えもあってのことではないだろうか。おそらくはこの二人の間にある壁を少しでも取り払おうと言う考えもあるのではないかとは思うが、何よりも今回のことは『フロリア様の治療』の一環なのだ。とすれば・・・
 
(フロリア様はおそらくお一人だって問題なく祭りを楽しむことが出来るだろう。だがそれでは何の解決にもならぬ・・・。)
 
 国王として、フロリアにはまだまだやらなければならないことがある。そのために必要なことは何か、そしてクロービスはそれをフロリアにわかってほしいのではないか・・・。
 
「フロリア様。今一度そう呼ばせいただきますぞ。今回はせっかくのクロービスの提案でございます。存分に楽しんで来られませ。オシニスめは丈夫に出来ておりますからな、どんな人混みの中を連れ回しても、きちんとフロリア様の御身を守ってくれることでございましょう。」
 
「大丈夫よ。オシニスの手を煩わせることなんてないようにするわ。」
 
 『手を煩わせる』
 
 オシニスの胸がちくりと痛む。さっきもそう言っていた。フロリアは周りの者が自分のために動くことを『その者達を煩わせている』と考えている・・・。
 
『そう思っているというより、そう思いたいのかもしれませんよ』
 
 クロービスの言葉が思い出される。そう考える理由が20年前のことに起因しているのではないかとクロービスは言っていた。つまりフロリアは自分の思い込みの中に閉じこもっているということだろうか。そして、その思い込みを通してしか回りを見ることが出来なくなっているのだとしたら・・・。
 
(やっぱりそれはよくないことだよな・・・。)
 
 今日の祭り見物で、少しでもそんな考え方から抜け出てくれればいいのだが、どうするのが一番いいのか・・・。
 
「いや、ぜひ煩わせて下さりませ。」
 
 妙にきっぱりとした口調で、レイナックが言った。
 
「フロリア様、フロリア様は、われらがフロリア様のために何かしようとすることが、われらにとって煩わしいことだと、そうお考えなのでございますか?」
 
「・・・・・・・・・。」
 
 フロリアは黙っている。
 
「だとしたら、それはとても悲しいことでございますな・・・。われらにとって、フロリア様にお仕えすることはこの上もない喜びだと思うておりますのに・・・。」
 
 レイナックは悲しげだ。いつだって一番にフロリアのことを考えているのに、その気持ちがちっとも伝わっていないことになる。それはオシニスも同じで、そんな風に思われて遠慮されていたのかと思うと情けなくなる。
 
「フロリア様。俺も今だけフロリア様と呼ばせていただきます。」
 
「は・・・はい・・。」
 
 フロリアはどきりとしてオシニスを見た。怒っているのかと思ったがそうではないらしい。フロリアは少しホッとした。レイナックもオシニスも、自分をとても大事に思ってくれていることはわかる。でも彼らが差し伸べてくれる手を、そう簡単に握り返してしまったら、それは自分を甘やかすことになるだけではないのか・・・。たくさんの人を不幸にしておいて、自分だけそうやってぬくぬくと生きていていいのか・・・そう考えると、どうしても素直に彼らを頼ることが出来ずにいる。
 
「俺もじいさんも、煩わしいなんて思ったことは1度もないんです。でも、フロリア様はそう思っていた・・・俺だってじいさんと同じように悲しいですよ。だけど、フロリア様がなんでそんな風に考えてしまうのか、俺には何となくだけどわかるような気がします。でもこのままでいいはずがない。だからフロリア様、俺と1つ約束してくれませんか?」
 
「約束・・・ですか・・・。」
 
「そうです。俺はこれから、フロリア様を祭りに連れて行って、なんの心配もなく祭りを楽しめるよう、護衛をします。だから、もし祭り見物を楽しいと思えたら、もう俺やじいさんがフロリア様のことで煩わしい思いをしているなんて考えは捨ててほしいんです。」
 
「それは・・・。」
 
 フロリアが言いよどんだ。すぐに答えがでなければ、オシニスは待つつもりでいる。クロービス達を待たせてしまうが、話せばわかってくれるだろう。
 
「ううむ・・・オシニスよ、そんなことを申し上げたら、フロリア様が余計に悩まれるのではないか・・・。」
 
「なあじいさん。あんただって、フロリア様に対しても、おそらくはクロービスに対しても、負い目を持っているよな。」
 
「う・・・。」
 
 レイナックが言葉につまった。
 
「フロリア様だって、いや、俺だって未だに忘れきれずにいるつらい記憶はある。だがいつまでもそれに囚われていては、前に進めないじゃないか。」
 
「つまりお前は、前に進むために努力をする気になったと言うことか?」
 
「そういうことだ。この間クロービス達とメシを食ったとき、ライラとイルサも一緒だったんだ。その時にクロービスが、ライラ達に昔の俺達の話をし始めた。それで俺も思い出したんだよ。確かに昔はつらいことがたくさんあったが、楽しいこともたくさんあったってな。」
 
 そしてクロービスは、つらい記憶を乗り越えて前に進もうとしている。なのに自分がいつまでも古い傷にしがみついて立ち止まっていていいのだろうか。せめて楽しいことを思い出して、祭りを楽しんで、つらい記憶と一緒に、楽しい記憶も呼び起こしてもらえたら、そうしたら少しは変われるのではないか・・・。話している間、フロリアもレイナックも黙って聞いていた。
 
(俺に出来るのは・・・せいぜいこのくらいだ。でもそれがきっかけにでもなってくれたら・・・)
 
 オシニスの願いはただ一つ、フロリアが元気になってくれることだ。
 
「・・・そうじゃなあ・・・。確かにお前の言うとおり、わしはフロリア様に対して負い目がある。今さら隠し立てしても仕方ないから言うてしまうがの。そしてクロービスに対してもな・・・。あの出来事を忘れろと言われても忘れることは叶わぬし、忘れてはならぬことだとも思う。だが・・・お前の言うとおり、楽しいこともたくさんあった。わしらはライネス様が大好きだった。ライネス様にお仕えすることは我らの喜びであったのだ。そしてライネス様も、我らのことをとても大事にしてくだされた・・・。ふむ・・・苦しいことを思い出すと、楽しいことなど頭の中に浮かばんようになってしまうものだが、無理やりにでも思い出してみれば、先へと進む道も見えてくるのではないかと、そういうことか。」
 
「まあそういうことだな。もちろん俺だって、楽しいことの1つや2つ思い出したところで全てが解決するなんて思うほど、脳天気には出来ちゃいないさ。でもな、前に進むための一歩を踏み出そうと、そう考える程度の助けにはなるんじゃないか?」
 
「一歩を踏み出す気になるかも知れないというところか。気の長い話だが、確かにそこから始めるのがいいのであろうな。いきなり一足飛びに全てのことにけりをつけるなど、出来るはずもないのだしな。」
 
「そういうことさ。それじゃフロリア様、あらためてお聞きします。今俺が言ったように、昔のことを全部忘れてくださいなんて、俺は言えない。言えるはずもない。だけど、せめて楽しく祭り見物が出来たなら、俺達がフロリア様のことで煩わしいなんて思うことは絶対にないと、フロリア様のために何かをすることが俺達にとっては喜びなんだと言うことを信じてくれますか。」
 
「・・・・・・・・。」
 
 オシニスの言葉が心からのものだと、それはわかる。それでもフロリアはまだ迷っていた。信じきれないからじゃない。約束してしまったら、彼らを頼り切ってしまいそうだから、そんな風に自分を甘やかしてはいけないから・・・。でも、いやだとは言いたくない。どうすればいいのだろう・・・。
 
「・・・少しだけ、考える時間をください。お祭りを見ている間には、必ず返事をするわ。」
 
「わかりました。」
 
 とりあえずいやだとは言われなかった。それだけでオシニスはほっとして、思わずフロリアの頭をぽんぽんとなでてしまった。
 
「あ・・・。」
 
 気づいてから慌てて手を離し、『す、すみません』と頭を下げた。その照れくさそうな笑顔を見て、こんなことが以前もあったと、フロリアは思い出した。あれは・・・あの小さな猫を連れて、中庭に出掛けた時だっただろうか・・・。
 
「それじゃ、そろそろ出かけます。外に出たら、ちゃんとファミールって呼びますからね。」
 
 少し焦り気味にオシニスはそう言ったが、先ほどよりはずいぶんと落ち着いている。レイナックはオシニスの横顔を見て、少し安心した。少なくとも、ぼろを出さない程度には緊張が解けたらしい。
 
「その調子ならば大丈夫じゃな。ではフロリア様、この家を出たら、あなた様はファミールさんでございますぞ。オシニスの古い知り合いで、祭り見物のために南大陸からはるばるやってきた、というところでしょうか。これからオシニスの知り合いと待ち合わせをして祭りに出かけるのでございますから、初対面の相手にはさん付けくらいはされたほうがよろしいでしょうな。」
 
「あ、そうか。それもそうだな。」
 
「そうね。わたくし・・・私って言ってみようかな。うん、きっと大丈夫。」
 
 フロリアが笑った。
 
「それじゃ出かけましょう。クロービス達があくびをしているかもしれない。」
 
 フロリアが立ち上がった。見ると手に何か持っている。
 
「荷物は持たないほうがいいと思うんですが、それは何ですか?」
 
「お財布よ。さっきレイナックが持たせてくれたの。」
 
「それはだめです。置いていってください。」
 
「どうして?お金がなければ何も買えないことくらい、私だって知ってるわ。」
 
 フロリアは少しむっとした顔になった。だがオシニスは動じる様子もない。
 
「ほしいものがあるなら言ってくれれば俺が買います。あの人ごみの中でそんな風にして財布を持っていたら、狙ってくださいと宣言しているようなもんですからね。」
 
(吹っ切れたと思ったら、辛辣じゃのぉ。まったく・・・。)
 
 レイナックは心の中でため息をついた。だがオシニスのいう通りなのだ。祭りの後半、午後から夜にかけてどれほど混むか、レイナックはよく知っている。そして人ごみの中には『獲物』を求めてスリ達がやってくることも。もっとも、スリならばまだ安全かも知れない。彼らは財布のみをねらう。もっと手の悪いのになると、いきなり刃物で刺し、金目のものをすばやく持っていくなどという連中もいるのだから。
 
「フロリア様、オシニスの言うことを聞けとクロービスも言っておったことだし、それは置いていかれたほうがよいかもしれませんな。オシニスよ、お前の財布の中はどうなのだ?ほしいと言われたものを買って差し上げられるくらいの金は持ち合わせておるのか。なければ少しなら援助してもよいぞ。」
 
「やめておくよ。後で何を要求されるかわかったもんじゃない。それに、俺だってそれなりの給料はもらってるんだ。バザール丸ごと買い締めろなんて言われない限り、たいていのものは買ってやれるよ。」
 
「そんなこと言いません!」
 
 フロリアがふくれっ面になった。
 
「だそうだ。そろそろ出かけるよ。クロービス達をあんまり待たせて置けないからな。」
 
 オシニスが笑った。なんだかさっきまでと勝手が違う。オシニスは堂々としていて、出掛けようかの一言がなかなか出てこなかった時とは別人のようだ。仕方ないとフロリアは持っていた財布をレイナックに返した。自分の持ち物を自分で管理するくらいのことは、人混みの中でだって造作もなく出来る。でもここで意地を通せば、オシニスとの間に溝が出来そうな気がする。これから一緒に出かけるというのにそれはいやだ。
 
 一方のオシニスは、少し意地が悪かったかなと少しだけ胸が痛んでいた。だがレイナックと話しているうちに、クロービスが祭りに出かけようと言い出したもうひとつの意図が、なんとなく見えてきたような気がしたのだ。それをフロリアにわかってもらうためにも、財布なんて持たないほうがいい。
 
 
「あれならば何とかなりそうだのぉ。」
 
 二人を見送って、レイナックがつぶやいた。
 
「お似合いでございますねぇ。」
 
 この店の店主である女がそう言った。
 
「そう思うか?」
 
「はい、ご結婚なさらないのがもったいないくらいでございますよ。」
 
「ふむ・・・そうだのぉ・・・。」
 
 本当にあの二人なら似合いの夫婦になれるというのに・・・。
 
(なんの、まだこれからだ。わしが生きてるうちには・・・。)
 
 レイナックはオシニスとフロリアの結婚をまだあきらめていない。
 
「それでは、二人が戻ってきたら連絡を頼むぞ。」
 
「かしこまりました。お任せください。」
 
 フロリアの部屋ではリーザが待っている。レイナックも一緒にフロリアを待つことになっている。フロリアが戻ってくるまで、部屋の主がいないことを誰にも悟られては行けない。
 
 
 レイナックに見送られ、オシニスとフロリアは家の外に出た。まだ陽は高い。オシニスは大きく深呼吸をした。このあとは、もう緊張などしていられない。フロリアが祭りを楽しめるかどうかは、エスコートする自分にかかっていると思っていいだろう。そしてクロービスの意図をわかってもらえるかどうかも。
 
「ファミール。」
 
 呼んでみた。思ったほど緊張しない。
 
「は、はい。」
 
 突然名前を呼ばれ、フロリアはかろうじて返事をした。そう、ここではもうフロリアではなくファミールなのだ。遠い昔、自分の妹の名前になるはずだった名前を自分が名乗るなんて、考えてもみなかった。
 
「クロービス達とは商業地区の雑貨屋の前で待ち合わせをしているんだ。前にいなければ中に入っているって話だったから、そこに行くよ。」
 
「はい・・・。」
 
 なんだか不思議だ。ついさっきまで気分が悪くて、王宮の中のベッドに寝ていたと言うのに、今こうして外に出ているなんて・・・。そして隣にいるオシニスは、いつものように跪いてもいなければ、敬語も使わない。ふと、クロービスはどうしてこんなことを言い出したのだろうと、フロリアは改めて考えた。クロービスがこの提案をしたとき、フロリアはてっきりクロービスとウィローが護衛をするからという話になるのだと思っていた。オシニスもそのつもりで賛成したのだろうと思うが、クロービスはオシニスに自分の護衛を任せた。彼が言ったように、オシニスは剣士団長としてフロリアの護衛についても最終的な責任を負う。だからそれは筋の通ったことなのだけれど・・・。
 
(まさかレイナックから頼まれたわけではないわよね・・・。)
 
 レイナックがフロリアとオシニスの結婚についてまだあきらめていないことには気づいている。でもクロービスの話を聞いたとき、レイナックはとても驚いていた。あれが演技だとすれば、フロリアにはなんとなく感じることが出来るはずなのだが、そういうことは何もなかった。ということは、身分を隠して祭り見物に出掛けるという話も、フロリアの護衛にオシニスをつける話も、全部クロービスの独断と言うことになる。ウィローだって知らされていなかったようだ。フロリアがその気になれば、たとえ身分を明かしていたとしても一人で行動することなんて造作もない。そのために多少なりとも魔法を使わなければならないかもしれないが、それを周りに悟られないようにするくらいのことだって問題なく出来る。クロービスは王家の秘法について何も知らないから、『人前で魔法を使う』ことを心配しているのかとも思ったが、そうでもないらしい。どちらかというと、フロリアが一人で出かけること自体を避けようとしている、そんな風にも思える。
 
(・・・・・・・・・・・。)
 
 今日の夜のお茶会で、聞いてみよう。それまでに考えておかなければならない。
 
 
「ファミール?」
 
「あ、は、はい!」
 
「まだ調子が悪いのか?」
 
 オシニスが心配そうにフロリアの顔を覗きこんだ。
 
「い・・・いいえ、大丈夫!大丈夫よ!さ、あなたのお友達が待っているのでしょう。早く行きましょう!」
 
 フロリアは慌てて元気に返事をして見せた。危ない危ない。まだ調子が悪いなんて思われたら、祭り見物どころか今日の夜のお茶会までなくなってしまうかも知れない。本当ならもっと早く、クロービスとウィローと話をしたかったのだが、なかなか日程を組めずにいたのだ。フロリアには、二人にきちんと話しておかなければならないことがあった。今日を逃すことは出来ない。
 
(今日こそ、きちんと二人に謝らなきゃ。そのためにも元気でいなきゃらないんだわ。)
 
 
「そ、そうか・・・。本当に元気になったなあ。それじゃ行こう。」
 
 オシニスは驚いた顔をしたが、笑っている。フロリアはこれから向かう雑貨屋と言うのはどういう店なのかを聞いてみた。
 
「ああ、あの店は剣士団の出入り業者なんだ。元々はクロービス・・・の知り合いだったんだけどな。なんでも、城下町に出てきたばかりのころ、剣士団の団員募集のことを教えてくれた恩人なんだそうだ。あいつに勧められて何度か入ったことがあるんだが、誠実な商売をしていて値段も良心的だった。それで、剣士団が再結成された後、モンスター対策に充てていた金が少し回せるって話になった時に、その店を出入り業者として推薦したんだよ。」
 
 本当は、クロービスもカインも、二人ともあの店の店主に世話になっていたと、クロービスからは聞いている。でも、カインの名前だけはどうしてもフロリアの前で口に出せない。いい年をしてなんとも情けないとオシニスは思ったが、感情と言うものはなかなか言うことを聞いてくれないのだった。
 
「そうなの・・・。」
 
 王国剣士としてクロービスが活動していた時、彼の隣には必ずカインがいたはずだ。遠い日の小さな赤っ毛の少年。そして・・・フロリアが死出の旅に送り出した王国剣士・・・。フロリアもまた、カインの名前を口に出せずにいた。
 
「だから多分中で話しこんでいるかもしれないな。」
 
 オシニスの言ったとおり、雑貨屋の店の前には誰もいない。祭りに向かう人々がぞろぞろと歩いているだけだ。
 
「入ってみるか。」
 
 オシニスはそう言って店の扉を開けた。
 
 
 中にはこの店の主の娘であるシャロンがいた。シャロンの父であるセディンはもうずいぶんと前から病の床に臥せっていて、店はシャロンとその妹のフローラが切り盛りしている。そしてシャロンと話をしていたのはクロービスとその妻のウィローだ。オシニスはさりげなく二人を『ファミール』に紹介した。『ファミール』もまた、とても自然にクロービス達と挨拶を交わした。二人の態度があまりにも自然なので、クロービスが驚いている。その後、4人で南門から城下町の外に出たのだが、南門を守る王国剣士はめったに外で見かけることなどない剣士団長がふいに現れたことで相当動揺したらしい。大声を出されてオシニスが慌てる場面もあった。フロリアにとっては見るもの聞くもの楽しいことばかりだった。誰も自分を国王だと知らない。国王としての振る舞いを要求されることもない。普通の旅行者として、屋台の食べ物を食べ、生まれて初めて飲むビールの味に驚き、ウィローとおしゃべりをしながら、何度フロリアは大きな声で笑っただろう。今日の昼までの体調の悪さはどこへやら、夜通し遊んでいても大丈夫じゃないかと思えるくらいだ。それでも時折、胸の奥が痛む。自分はこんな風に楽しんではいけないと声がする。でも、今だけは・・・今だけは気づかないふりをしていよう・・・。
 
「このテントですよ。」
 
 クロービスが案内してくれたのは、城下町の劇団が運営する演劇学校の興業テントだ。祭りの間の公演は、まだ正団員になる前の若手が中心となっている。演目はエルバール王国の初代国王であるベルロッドの英雄譚だ。劇団の運営する劇場で正団員による公演は何度か見たが、さて今日はどんな演出になっているのだろうか。
 
 物語の内容は、今から約220年前、聖戦で疲弊したサクリフィアの人々を、英雄ベルロッドが『西の彼方』へと導きエルバール王国が建国されるまでの話だ。元々の物語は実話を基にしている、と言うことになっているので、かなり長い。今回の芝居は聖戦の直後、『次の国王』へと推挙されたベルロッドと、巫女姫シャンティアの恋物語を軸に話が進んでいくらしい。幕が上がるとそこはどうやら宮殿の一室。会議の真っ最中らしく、大きなテーブルを囲んで何人かの老人達が座っている。
 
『ふざけるな!』
 
『ふざけてなどおらぬ!』
 
 いきなり怒号が飛び交う始まり方だ。
 
『いやなものはいやだ!大体なんで俺なんだ?!他にも適任者はいくらでもいるじゃないか!』
 
 叫びながらテーブルを思い切り叩いたベルロッド役の役者はなかなかのハンサムだ。そしてベルロッドに『頼み事』をしている老人が、この老人達の集団である、サクリフィア王国元老院の長らしい。
 
『そなたでなければ務まらぬと思うから頼んでおるのだ!この国の男として最高の地位だというに、何が不満だ!』
 
 元老院の長の頼みは、ベルロッドにこの国の王となってくれないかというものだ。頼んでいるというわりに、ずいぶんと居丈高だ。
 
『最高だろうがなんだろうが、誰が国王なんぞになるか!俺はごめんだ!』
 
 国王として即位することを頑なに拒むベルロッドは会議室を飛び出していく。元老達は彼を説得してくれとベルロッドの仲間達である、イーガン、ディード、アニータに頼むが、3人とも彼が自分達の説得など受け入れるはずがないことを知っている。そこで、元老達は最後の望みとしてサクリフィアの巫女姫シャンティアに、彼の説得を願い出る。部屋を訪れたシャンティアに、実は身ひとつで西へと向かうつもりでいることを打ち明けるベルロッド。そして一緒に来てくれとシャンティアにプロポーズする。
 
『根なし草みたいな冒険者の女房なんて、苦労するだけかもしれないけどな・・・。』
 
 そう言って手を差し出したベルロッドを見つめる巫女姫シャンティア。その答えは・・・。
 
(若手の演出だけあって、大胆に話を作ってるわね・・・)
 
 正団員達のこなれた演技とはまた違った、生き生きとした若者達の芝居が胸をうつ。やがて場面は変わり、小さな家の一室、若者とその恋人である巫女姫の侍女のシーン。二人は近々結婚の予定だったが、聖戦ですべてが変わってしまった。若者の母親は焼き払われた町の姿にショックを受けて臥せっている。母親のために一日も早く身を固めて安心させたいと願う若者だが、恋人の侍女はこの町を出て、巫女姫についていこうとしている。
 
『明日のことなんて分からない・・・。そう、わからないのよ!何もかも!』
 
 侍女は絶望に打ちひしがれ、何もかも捨ててこの町を逃げだそうとしている。愛する人の言葉も信じきれない。そんなわが身を憎む侍女。恋人を抱き締めながら、自分の無力さに苛まれる若者。この役者はどうやらクロービスとオシニスの知り合いらしい。町の宿酒場の息子だと言う話だ。
 
『それでも・・・僕は君を失いたくない・・・。』
 
 若者は恋人の心を思いやり、行かせようとするが、どうしても彼女を抱きしめる腕を緩められない。若者は自分の度量の狭さを責め、嘆き悲しむ。その悲哀が胸にせまり、フロリアはいつの間にか泣いていた。この物語は、確か文書館の本でも読んだことがある。当時の巫女姫はとても慈愛に満ちた女性で、彼女が巫女ではなく王だったならと嘆く国民までいたそうだ。聖戦の折には巫女としての力を失っていたとも伝えられているが、真相はわからない。それでも巫女姫の人気は絶大だったが、彼女は国にとどまらず、ベルロッドと共に西の彼方へと旅立った。それほど慕われていた巫女姫ならば、侍女達の間ではこんな物語がいくつもあったかもしれない。
 
 侍女は恋人の元を去る決意をして巫女姫の元を訪れるが、彼の手を離してはいけないと諭される。
 
『いいえ、私はあなた様について行きます。もう、決めたのです。』
 
『あなたに、本当に後悔しないと言い切れるだけの覚悟はあるのですか?西の彼方がどんなところなのか想像もつかないのですよ。彼と二度と会えないまま、もしかしたら西の大陸にたどり着く前に命を落とすかもしれない。もしもそうなっても、今の自分の選択が正しいと、言い切れますか?』
 
 やさしい、けれど毅然とした巫女姫の言葉に、声を詰まらせる侍女。その肩をやさしく包み、巫女姫は諭すように言った。
 
『一度決めたことを変えるのは勇気がいることです。でも、正しい選択をするのにためらう必要はありません。人生は一度きりです。最期の時に後悔しないよう、自分の心に正直に生きなさい。』
 
 その言葉が、まるで自分に向けられたかのように感じて、フロリアはどきりとした。これは芝居の中の台詞だ。巫女姫を演じている女優もまだ若い。20代後半と言うところだろうか。だが、その演技はまさしく巫女姫のように優しく慈愛に満ち、そして凛とした強さを持っていた。
 
(どうして・・・こんなに動揺するのだろう・・・。)
 
 自分の心に正直に生きる、そのつもりでいた。そう信じて今まで・・・
 
(でも・・・最期の時に、後悔しないように生きるなんて、きっとわたくしには出来ない・・・。)
 
 隣に座っているオシニスをちらりと見ると、何となく複雑な表情で芝居に見入っている。
 
『あなた達を煩わせたくない』
 
 あんな言葉を不用意に使うべきではなかったと、フロリアはすでに後悔している。なのにさっきのオシニスとの約束には、すぐに返事が出来なかった。
 
『ごめんなさい、そんなことを考えていない。あなた達を信じるてわ。』
 
 そう言えばいいことなのに、信じて頼ってしまってはいけないと、心のどこかで声がする。それが自分の心なのか、『他の誰か』なのか、それすらフロリアには判断出来ずにいた。そんなフロリアの思いをよそに、舞台の上では物語が進んで行く。巫女姫に諭されてなお、自分の気持ちに正直になれない侍女に、巫女姫は自分の力がすでに失われていることを打ち明ける。力を失い絶望の淵にいる時に、ベルロッドの言葉で救われ、彼についていく決心をしたと言う巫女姫。その笑顔を見て、巫女姫がすでにもっと未来を見つめていること、そして自分に必要なのは巫女姫と共にある未来ではないことを悟る侍女。
 
『私はただここから逃げたかっただけだったのかもしれません。逃げても何も変わらないと言うのに。私は彼の元に戻ります。最期の時に後悔しない選択をするために。』
 
 侍女はついに決心し、自分の心に正直に生きると巫女姫に告げて、恋人の胸に飛び込むために家路につくのだった。
 
 最後の場面は船で旅立つ巫女姫とベルロッドが、侍女と若者に別れを告げるシーンで終わる。涙の別れではあったが、どちらの顔も晴れやかだ。自分の信じた道をそれぞれが進むことで、きっと未来は拓ける、そう信じられる、希望に満ちた終り方だった。
 
 
 オシニスは自分の知り合いの若者の演技に感心したらしい。クロービスとその話をしている。帰り際、切符切りの男性に呼び止められ、感想を聞かれた。この顔には見覚えがある。確か演劇学校の先生だったはずだ。ということは、この切符切りも自分の顔を知っている。フロリアはさりげなくオシニスの後ろを歩き、直接顔が見えないようにした。切符切りはオシニスに気づき、挨拶を交わしている。
 
『いずれ本公演の舞台に立つ者もおりましょう。』
 
 切符切りのこの言葉に、巫女姫役の女優と、オシニスの知り合いだと言う若者役の俳優は、きっと近いうちに本公演でのデビューを果たすだろうと、フロリアは思った。
 
 一方のオシニスも、複雑な思いで芝居を見ていた。
 
『人生は一度きりです。最期の時に後悔しないよう、自分の心に正直に生きなさい。』
 
 巫女姫役の女優の言葉は、それが演技だとわかっているはずなのに胸を打った。あの女優は遠くない将来、本公演でのデビューを果たすだろう。そして『ちびすけ』だったはずの宿屋の息子も。
 
 20年前、オシニスは『自分でも絶対後悔するだろう』と思える選択をしようとした。だが過ぎてみれば、後悔したのは『その選択をしようとした自分』に対してだった。今この瞬間自分に最期の時が訪れたとして、いい人生だったと笑って死ねるだろうか。
 
 
 テントを出ると、外はもう夕暮れだった。昼間より人出が増えている。クロービスの提案でバザーを見に行くことになった。屋台もたくさんあるのだが、遅めの昼食のおかげかまだ空腹にはならない。せっかくだから買い物を楽しんでくださいとの話だったのだが、フロリアは自分の財布を持っていない。
 
「いらっしゃい!おしゃれなスカーフはいかがかな!南大陸で流行中の美しいスカーフだ!」
 
「素敵なアクセサリーはいかがかね!恋人へのお土産に!旅の記念に!今なら高価なアクセサリーが大幅値引きだよ!」
 
「南大陸でとれた新鮮な野菜はどうだ!この辺じゃ見かけない珍しい野菜だよ!」
 
 露店の店主達が声を張り上げる。こうなったら見たいもの全部見ようと、フロリアは目に付いたもの何でも見に行くことにした。
 
「わあ、かわいい!」「あれを見たい!」「あっちのお店も面白そう!」
 
「おい、ちょっと待ってくれ!」
 
 あちこちの店を指さして、フロリアがオシニスの袖を引っ張ると、オシニスが慌ててついて来る。
 
(このくらいいいわよね・・・お財布を持たせてくれなかったんだから。)
 
 いささか意地の悪い気持ちでオシニスを振り回していたフロリアだったが、ふと惹かれるものがあって目を留めた。そこはアクセサリーを並べて売っている店だったが、ここの品揃えは他の店とは違う。こうして離れた場所から見ただけでも、それらの商品が『本物』とわかるほど、洗練されているのだ。フロリアは店に近づき、品物をのぞき込んだ。
 
「うわぁ、これは素敵ね!」
 
 どれもこれも、どう見ても本物の宝石だ。細工もすばらしい。
 
「おやおや、別嬪さんだね。さあ、どれでも手にとって見ておくれ。」
 
 店主の老婆は愛想がいい。
 
「お、やっと止まったか。どれ、ここは・・・アクセサリーか。」
 
 ほっと一息ついて、オシニスがフロリアの手元を覗きこんだ。フロリアが思わず上げた大きな声で、クロービスとウィローもオシニスの後ろから覗きこんでいる。
 
「ずいぶん種類が豊富みたいね。」
 
 ウィローが感心したように店先を眺め渡しながら言った。
 
「どれがいいんだ?」
 
 オシニスがフロリアの手元をのぞき込んだ。たくさん並べられたアクセサリーの中でも、フロリアの目をひいたのは淡いブルーの石で出来たネックレスだった。アクアマリンと呼ばれる、自分の瞳と同じ色の石で出来たそのネックレスを手にとって眺めてみる。これは本物だ。石の輝きが美しい。細工も派手すぎず、だがシックな中にも気品を感じさせる。
 
「これ、素敵なんだけど・・・。」
 
 フロリアは恐る恐る手に持ったネックレスをオシニスに見せた。一目ですっかりこのネックレスを気に入ってしまったが、オシニスがのぞき込み、見せようとした時についている値札に気づいたのだ
 
『120G』
 
 そう書かれている。フロリアは、小さなころからレイナックがお忍びで町に連れ出してくれたおかげで、物の値段や相場についてはある程度わかるつもりだ。120Gと言う値段がどう見積もっても『安い』と言う言葉に当てはまらないくらいのことは理解出来る。このネックレスに使われている石といい、精密な細工といい、町の宝飾店でならこの値段でもおかしくはないのだが、祭りのバザールで売るような値段ではないと思う。値切られることを計算に入れてあらかじめ高い価格をつけておくのだろう。それでも、フロリアはオシニスが怒り出さないかとひやひやしていた。が・・・
 
「へえ・・・きれいだな。んー・・・アクアマリンみたいだが、ランプの明かりだとよくわからないな。おいばあさん、これは何の石で出来ているんだ?」
 
 店主の老婆にそう尋ねた。外はまだ充分に明るいのだが、店先にはランプがいくつも吊り下げられていて、品物はみんな強いランプの明かりに照らし出されている。これはバザールの店主達のいわば『作戦』のようなものだ。テントの中で充分品物を吟味出来れば、品物がよく見えないからと言ってテントから持ち出し、突然走り出してそのまま商品を持ち去るという泥棒除けにもなる。最もそういう犯罪防止のためばかりではなく、強いランプの明かりで品物の見た目をごまかし、いい加減なものを売りつけようと言うずるい店もある。
 
「ああ、だんなの目は確かなようだね。アクアマリンで正解さ。ランプの明かりの下だとよくわからないんだけどねぇ。」
 
 この店の店主は後者ではないらしい。もっともこれだけのアクセサリーを店先に並べて売っているのだから、まずは持ち逃げされないように気を使うのが当たり前だろう。よく見ると店主の後ろに腕っ節の強そうな男が座っている。なるほど、万一持ち逃げにあったりした場合、あの男が泥棒を捕まえるということらしい。
 
「やっぱりそうか。この明かりじゃ確かによく見えないが、石の見分けくらいはなんとかな。これでもハース鉱山にはしばらくいたことがあるんでね。」
 
「おや、だんなは鉱夫だったのかい。それにしてはえらく立派な身なりだけどねぇ。」
 
「鉱夫じゃないよ。採掘もやったことがあるけどな。浅い場所だったから鉱石はあんまり出なかったが、この手の原石は結構あったもんだ。その時にいろいろ教えてもらったから、種類が何かってことと、本物か偽物かくらいはわかるよ。」
 
「へぇ、懐かしいねぇ。昔はハース鉱山と言えば鎧や武器の材料ばかりがもてはやされたもんだけど、こう言うきれいな石も結構掘り出されてるんだよ。」
 
 フロリアの胸がずきんと痛んだ。なぜオシニスがハース鉱山へ行くことになったのか、その原因が自分にあるからだ。でも、オシニスはけろりとしてその話をしているし、店主の老婆もうんうんと話に聞き入っている。自分が1人で眉間に皺を寄せたりすれば、せっかくの和やかな雰囲気を台無しにしてしまう。
 
(後で考えよう。今は・・・今だけは、この楽しい時間を大事にしたい・・・。)
 
 気持ちを切り替え、フロリアはオシニスに言った。
 
「オシニス、これは本物よ。」
 
「そういえば君は詳しいんだったな。クロービス、お前はどうだ?」
 
「聞く相手を間違えてますよ。私にはさっぱりです。ウィローは詳しいですけどね。」
 
 クロービスは首をかしげている。この手の目利きはあまり得意でないらしい。
 
「そうねぇ・・・。」
 
 ウィローがフロリアの手元を覗きこんだ。祭りに出掛けるために着替えを手伝ってもらっているとき、アクセサリーを選んでくれたのはウィローだ。フロリアの宝石箱に入っているたくさんのアクセサリーの中から、ウィローは一番この服に合うものを選んでくれた。フロリアも宝飾品を見る目は確かだと自負しているが、ウィローの目があまりに確かなことに、少し驚いたほどだ。
 
「これは本物じゃないかな。ランプの光の中でここまで輝くなんて、ガラス玉ではこうはいかないと思うわ。」
 
 フロリアもそう考えている。どんなに精巧に作っても、偽物の放つ光はわざとらしくてけばけばしい。そしてランプの光の中では精彩を失う。
 
「おやおや、おかみさん方は詳しいようだねぇ。こういう目の肥えた客に祭りで出会えるとはうれしいね。で、こちらのおかみさんがお気に入りのネックレスはどうするんだい?買ってくれるなら値引きはしてあげるよ。」
 
 店主は上機嫌だ。
 
「いくらにしてくれるんだ?」
 
「うーん・・・そうだねぇ・・・。」
 
 オシニスが店主と値段の交渉を始めた。
 
「120Gとはまたぶち上げたもんだな。まあ本物なら確かにそれなりの値段にはなるだろうが、もう少し何とかならないか。」
 
「うーん、それじゃ110Gならどうだい。」
 
「うーん、もう一声だな。」
 
 フロリアは、うんうん唸りながら交渉を続ける店主とオシニスの顔を交互に見ているしかなかった。こんな高いものを、いくら値切ったとしても本当に買ってくれるのだろうか。いや、そうはいかないだろう。あとでレイナックに頼んでお金を出してもらった方がいいかもしれない。
 
(本当に『おかみさん』だったら、こんなことを気にしなくてもいいんだろうけど・・・。)
 
 たった今自分で考えたことに、フロリアは自分で驚いていた。自分は本当は、オシニスと結婚したかったのだろうか。
 
(・・・まさか・・・ね・・・。)
 
 フロリアの心の中には、自分がしあわせになってはいけないというこだわりのようなものが断固として居座っている。10年前、オシニスとの縁談に積極的な返事をしなかった理由の一つがそのことだった。
 
(今だけよ・・・。私が元気になるために、せっかくクロービスが考えてくれたことだもの。今だけは楽しい時間を大事にしなきゃ・・・。)
 
 隣でフロリアがそんなことを考えているとはつゆ知らず、オシニスは店主との交渉に集中していた。何よりも、このネックレスがフロリアに似合いそうだと、一目見て思ったからだ。財布の中にはそれなりのお金が入っている。だがこんな風に値段の交渉をしてものを買うのは久しぶりのことだったので、店主とのやりとりそのものをオシニスは楽しんでいた。
 
「よし、こうなったらあたしも腹を括ろうじゃないか。あんたの男っぷりと別嬪のおかみさんに免じて、80Gだ!」
 
「80Gか・・・。うーん・・・。」
 
 オシニスはまだ考え込むように腕を組んでいる。
 
「だんなぁ、ここら辺で勘弁しておくれよ。あたしのほうが干上がっちまうじゃないか。」
 
 店主の老婆が額の汗を拭った。実はオシニスは、もうそろそろこのあたりで手を打とうと考えていた。だがそれを相手に悟られるわけには行かない。今唸って見せたのは、はったりのようなものだ。
 
「そうだなぁ・・・よし、俺としてもバザーの店を干上がらせたなんて言われるのは困るからな。」
 
 どうやら駆け引きは終わり、値段が決まったらしい。フロリアは少しほっとした。オシニスは相当粘った。本当にこの店主が干上がってしまうのではないかと、心配になるほどだったのだ。もちろんそんなことはないだろうと頭の中ではわかっていたが・・・。
 
「まいどありがとう。さあ、品物だよ。落とさないでおくれよ。」
 
 店主が簡素な袋に入れたネックレスをフロリアに渡してくれた。
 
「ありがとう!大事にするわ!」
 
 フロリアの満面の笑顔を見て、オシニスはどきりとした。思わず抱きしめたくなるような、そんなかわいい笑顔だった。遠い昔、猫を挟んでおしゃべりをしていたころの、フロリアの笑顔そのままだった・・・。
 
 
「うん、決めた!これ買ってくるわ!」
 
 オシニスの交渉成立に刺激されたか、ウィローがネックレスを店主に見せて、『もう少しまけてよ』と交渉し始めた。クロービスも加わり、そちらも無事に交渉が成立したらしい。きれいなガーネットのネックレスだったのだが、クロービスがそれを『ルビー』と言って店主にもウィローにも呆れられている。
 
「ウィローが目利きだってのに、本当にお前はさっぱりなんだな。」
 
 オシニスも呆れ顔だ。
 
「そりゃ女性はおしゃれで興味を持つでしょうけど、男は宝石に接する機会なんてないじゃないですか。」
 
「まあなあ・・・。俺だってハース鉱山に行って採掘を手伝ったりしていたからわかるようになったんだしな。」
 
「でもそのころはまだ鉱山の再開の前ですよね。何でまた採掘なんて。」
 
「採掘と言うより試掘だな。一番深いところにあるナイト輝石の鉱脈への坑道は封鎖したが、上層部にはまだまだ豊富な鉄鉱石の鉱脈が眠っていたし、宝石もそこそこ産出できるはずだから、出来るだけ早く採掘再開出来るように少し掘ってみたいって言われたんだ。あの当時はハース鉱山自体を閉山するべきだって言う極端な意見もあったから、カナの村の人達にとっちゃ、せっかくモンスターがおとなしくなったのに宝の山をまた埋め戻すようなことはしたくなかっただろう。それに、ウィローの親父さんの遺志を継ぎたいって言う鉱夫は、ロイだけじゃなかったしな。」
 
「そうだったんですか・・・。」
 
 聞いていたフロリアの胸がまたどきりとする。昔の話が出るたびに胸が痛む。
 
(だめね・・・。こんなことじゃ・・・。)
 
 落ち込みかけた気持ちをなんとか引き上げたくて、フロリアは西側のほうも見たいと言ってみた。演劇学校のテントは南門を出てすぐの場所に建っているが、祭りのテントやバザールは、南門から西門の外側にかけて広がっている。
 
「それじゃ行きましょうか。向こう側のテントにもかなかなおもしろいものが出ていましたよ。」
 
 クロービスがそう言って、ウィローと先に立って歩き出したその時、
 
「うわ!」
 
 クロービスが叫んだ。
 
「お、なんだ?」
 
 周りの人波が急に膨れあがったような気がした。
 
「きゃあ!」
 
 人の波にぶつかられたウィローが転びそうになり悲鳴を上げた。慌ててクロービスがそれを支えようと・・・
 
 だが、その時にはオシニスもフロリアも人の心配をしている場合ではなかった。膨れ上がった人波に二人とも飲み込まれ、気づいた時にはお互いの姿さえ見えなくなっていた。
 
「オシニス!」
 
 フロリアは必死で叫んだが、声は祭りのざわめきにかき消された。どうしよう。この人混みの中ではどちらに進めばいいのかもわからない。回りに見えるのは人の頭ばかりだ。人混みの中から懐を狙ったように手が出てくる。懐にはさっきオシニスが買ってくれたネックレスが入っている。
 
(これを取られてたまるものですか!)
 
 フロリアはその手を思い切り振り払い、もう一度叫んだ。
 
「オシニス!」
 
「ファミール!」
 
 オシニスの声だ。どこから?
 
「ファミール!どこだ!」
 
 オシニスの声はよく聞こえる。その声に向かってフロリアは必死で人混みを掻き分けた。
 
「オシニス!ここよ!」
 
「ファミール!」
 
 人混みの中からオシニスの顔が見えた。
 
「オシニス!」
 
 フロリアは迷わず手をのばした。
 
 
 
 人波に押され、オシニスもまた一瞬よろめいた。気づいた時にはすぐそばにいたはずのフロリアの姿を見失っていた。
 
「ファミール!」
 
 返事がない。背中を恐怖が駆け抜けていく。
 
「ファミール!」
 
 もう一度呼んだ。やはり返事がない。オシニスは必死で冷静になろうとした。今慌てて闇雲に走り回ってもフロリアが見つかるとは思えない。こんな時こそ冷静になって、フロリアがいた方角を特定しなければ・・・。
 
(さっき、西側を見たいと言って、俺の後ろから前に・・・)
 
 はぐれる前、フロリアは自分の前にいたはずだ。オシニスはフロリアの後ろに立ち、クロービス達が西側に向かおうと歩き出したところに人の波がどっと押し寄せた。
 
(あの時俺はよろめいて一瞬人混みに注意を向けた、そして・・・。)
 
 体勢を立て直すまでの時間は本当に一瞬程度しかなかった。となるとそんなに遠くに行ってはいないはずだ。
 
(あそこから人混みに巻き込まれたとすると・・・・こっち側に流されたのか!?)
 
 当たりをつけた方角に向かってもう一度叫んだ。
 
「ファミール!どこだ!」
 
「オシニス!ここよ!」
 
 聞こえた!間違いなくフロリアの声だ。
 
「ファミール!」
 
「オシニス!」
 
 人混みの中からフロリアのスカーフが見えた。そして自分に向かってのばされた両腕を引っ張り、迷わず抱きしめていた。
 
 
 
「よかった・・・。」
 
 それ以外の言葉が出てこず、オシニスはしっかりとフロリアを抱きしめていた。
 
「ご、ごめんなさい。心配かけて・・・。」
 
「謝ることはないよ。君を見失った俺が悪いんだ。それより、怪我してないか?スリに遭ったりしなかったか?」
 
「スリが懐を狙ってきたけど、払いのけてやったわ。これを取られるわけには行かないもの。」
 
 フロリアは少し得意げに、懐から先ほどのネックレスの入った袋を取り出して見せた。オシニスは笑って、フロリアの頭をぽんぽんとなでた。
 
「そうか・・・。よかった。とにかくここを離れよう。クロービス達は・・・」
 
 さっきネックレスを買った店の辺りから、だいぶ東側に流されてしまったようだ。人の波が広がるばかりで、とてもそちら側に進むことが出来そうにない。クロービス達を心配する必要はないだろう。多分彼らは自分達を心配しているはずだが、今はとにかく、この人混みを離れて安全な場所に避難することが先決だ。
 
「いったん東側に抜けよう。ここにいたんじゃ身動きが取れやしない。」
 
 オシニスはフロリアをしっかりと抱き寄せたまま、東側に向かって人の波を掻き分けはじめた。
 
 
                                         
 
 
 そんな二人の姿を、見つめる人影があった。それも複数。そのうちの二人は、どっと出てきた人の波に押され、何とか体勢を立て直そうとしていた王国剣士、クロムとフィリスだった。こんな風に人が急に増えると、必ずあちこちで悲鳴が上がったり、『泥棒!』と叫ぶ声が聞こえてくる。そんな時に備えて、王国剣士達はすぐに動けるよう体勢を整えておかなければならない。人混みに押されて転んでいる場合ではないのだ。だが、体勢を立て直して悲鳴に備えようとしていた二人の耳に聞こえてきたのは、剣士団長が誰かを探す叫ぶような声だった。団長の声は大きい。そして迫力がある。あの声で怒鳴られると生きた心地がしないものだが、その声が今日は必死に誰かを探している。
 
「団長・・・だよな?」
 
「誰かを探しているのかな・・・。なんだかすごく慌てているみたいだ。」
 
 そろそろ薄暗くなって、バザールの店先につるされたランプが明るくなってきたところだ。そのランプの明かりを背にしているので顔色まではわからなかったが、その様子から団長が『血相を変えて』誰かを探していると言うことはわかった。
 
「もしかしてさっき南門の奴らが言ってた人を探しているのかな。」
 
 二人が夜勤に出てきた時、勤務を終えた南門の門番の剣士に会った。その二人から『団長が今日の夜まで休暇をとり、クロービス先生夫婦と一緒に祭り見物に出かけた。しかもすごい美人と一緒に』と言う話を聞いていたのだ。その美人と団長とは、かなり親しげに名前を呼びあっていたと言う。
 
「ああ、そうだな。この人混みではぐれたのかも知れない。行ってみるか?」
 
「そうだね。」
 
 二人は団長のいる場所に向かって、人混みを掻き分けはじめた。が・・・
 
「あ、いたみたいだよ。」
 
 叫んでいた団長はぱっと笑顔になり、人混みからにゅっと突き出た腕を引っ張った。人混みの中から現れたのは、南大陸風のスカーフをかぶった女性だった。団長は迷わずその女性をぎゅっと抱き締め、笑顔で会話を交わしている。あんなにやさしい団長の顔なんて見たことがない。
 
「・・・・・・・・。」
 
 あまりのことに二人ともびっくりしてしまい、しばらくぽかんとしたままそこに立っていた。団長とその女性は、やがて連れ立って人混みの中に消えた。団長は女性の肩をずっと抱き寄せたままだった。
 
「・・・見間違いじゃなく、団長だったよな・・・。」
 
「二人して同じ幻覚を見たのでなければね・・・。」
 
「・・・なんていうかその・・・。」
 
「すごい美人だったね。南大陸から来た人みたいだったな。」
 
「そうだな・・・。」
 
 スカーフをかぶっていたし、2人のいる場所からは横顔しか見えなかったが、美しい女性だと言うことはすぐにわかった。
 
 実のところ、南門の門番の剣士の話を二人とも『話半分』で聞いていたのだが、団長と一緒にいた女性が本当に『すごい美人』であり、しかも人目もはばからず抱き合うほどの仲だと知って、二人ともすっかり驚いていた。
 
(・・・スサーナの奴、その辺にいたりしないよな・・・。あいつがあんなところ見たらどうなるか・・・。)
 
 それにしても、今まで団長の浮いた噂なんて聞いたこともない。10年ほど前にフロリアとの結婚話が出たらしいが、それもだめになってしまったらしい。
 
(まさか不倫とか・・・)
 
 そんな人に言えない事情があるのなら、隠しておくのもうなずけるが・・・。
 
「クロム、行くぞ。」
 
 背中を叩かれてクロムは我に返った。
 
「いつまでそこに突っ立っているつもりだ?僕らの仕事はこの人混みの警備だぞ。」
 
「お前は気にならないのか?」
 
「僕らが気にしたって仕方ないじゃないか。それともスサーナに教えてやるつもりか?団長が美人と一緒に歩いていたなんて。」
 
「バカを言うな!ただ俺は・・・」
 
 俺は・・・クロムはその後になんと言いたかったのか自分でもわからなかった。団長に恋人がいるのなら、スサーナとの縁談を断ったわけもわかる。そして今後団長がスサーナに目を向けることがないのなら、自分にもまだチャンスはあるのかもしれないが・・・。
 
 そんなクロムを見つめ、フィリスはため息をついた。クロムの思いが実るよう祈っているが、スサーナにとってはクロムもフィリスと同じように『単なる同期の仲間』でしかない。そのスサーナは相方のシェリンと一緒に昨日から突然休暇をとった。その理由に、団長のことが絡んでいるのではないかとフィリスはなんとなく考えている。もちろん根拠があるわけではないが、2人の休暇の理由がどうにも奇妙だとは思う。一昨日の二人の『らしからぬ行動』については一応の説明がなされているが、疲れがたまっているのは別にあの2人だけじゃない。何より、同期として6年も一緒に鍛錬して来た仲間の行動としては、どうしても納得が行かないのだ。スサーナが単独行動したとか、シェリンがスサーナの行動を誤解したなんて、あの二人に限ってありえるのか?6年もコンビを組んでいるとは言え、長く仕事をしていれば誰でも評価されるわけじゃない。あの二人が精鋭として評価されている一番の理由は、剣の腕もさることながら、抜群のチームワークのよさだ。どんなことがあっても二人で解決に当たり、冷静な分析と大胆な行動力で着実に成果をあげてきたはずだ。
 
(さすがに直接どうなんだと聞くわけにも行かないし、二人が出てきてから様子に気をつけておくくらいしか出来ないんだけど・・・。)
 
 ここであれこれ考えてみても仕方ない。フィリスはクロムの肩をもう一度叩き、二人で人混みの警備に戻っていった。二人とは別の場所から、オシニスを見つめる人影があることに気づかないまま・・・。
 
 
                                         
 
 
 この日は『休暇』の二日目だ。気分転換にどうだと父親から誘われて、スサーナは両親と一緒に芝居見物に来ていた。最近はやりの小説をモチーフにした人間ドラマで、なかなか楽しめるものだった。芝居が終わって外に出ると、ものすごい人の波だ。どうやら周辺の芝居小屋や見世物小屋がいっせいに入れ替わる時間帯だったらしい。一昨日まで、スサーナも相方のシェリンと一緒にこの人混みの中を警備していた。今日も仲間達は必死で任務をこなしているのだろう。それなのに自分はこんなところでのんびり芝居を見ている。
 
(やっぱりシェリンと話し合っておいてよかったわ・・・。)
 
 今日の朝、スサーナの家にシェリンがやってきた。そして二人で話し合い、休暇を縮めてもらって明日から仕事に戻ろうと決めたのだ。シェリンはスサーナの気持ちを知っていたが、スサーナはシェリンのことを何も知らなかった。そのことでスサーナはシェリンに詫び、これからもコンビとしてがんばって行こうと約束した。明日の朝はシェリンと一緒に出勤して、2人で改めて剣士団長に謝ろうと言うことになっている。自分の家もいいが、やはり剣士団の宿舎でシェリンとおしゃべりしているほうが楽しい。その時・・・・
 
「ファミール!」
 
 突然聞こえた声は、間違いなく剣士団長のものだった。愛する男性の声を、スサーナが聞き間違えるはずがない。声のしたほうを見ると、人混みの中で団長が必死で叫んでいた。
 
(団長?どなたかお探しなのかしら・・・。)
 
「ファミール!」
 
 夕暮れの中では顔色まではわからないが、ただならぬ様子であることはわかる。
 
(ファミールって誰・・・?女性の名前みたいだけど・・・)
 
 ズキンと胸が痛む。まさか、団長の恋人・・・。いいえ、そんなはずはない。自分との縁談を断った時、団長は『自分に特別な相手はいない』と言っていたと、父親から聞いた。
 
「ファミール!どこだ!」
 
 団長がまた叫んだ。そして人混みの中から現れた誰かをしっかりと抱き締めた。それは、間違いなく女性だった。南大陸の女性達がよくかぶるようなスカーフをかぶっている。横顔しか見えなかったが、かなり美しい女性だということは、こんな夕暮れの中でさえわかるほどだった。スサーナの心臓はもう張り裂けそうだった。団長は抱き締めた女性に優しい笑顔で話しかけ、そしてしっかりと肩を抱き寄せて人混みの中に消えていった。
 
「・・・・・・・・・・・。」
 
 何が起きたのか、スサーナにはしばらく理解が出来なかった。
 
(あの女は・・・誰なの・・・・?!)
 
 その時背後で聞き覚えのある声が聞こえた。同僚の王国剣士だろうか。
 
「あれが噂の、団長の元彼女か・・・。」
 
「昨日来てたって言うあれか?でも本当かなあ。」
 
「だってついこの間まで団長に女の影なんてなかったぜ。昨日そんな噂が立って、今日いきなり休暇を取って祭り見物、しかも飛びきりの美人を連れてとなれば、その女としか考えられないだろう。」
 
 スサーナは振り向けなかった。さりげなく噂について聞いてみたかったが、聞けば取り乱してしまいそうだった。たとえ団長が自分との縁談を断ったとしても、団長に決まった相手がいないのならまだ自分に望みはあると思っていた。でも、もしも団長が選ぶ相手がシェリンだったとしたら、どんなにつらくても祝福するつもりでいる。けれど・・・
 
(それ以外の女なんて許さないわ・・・・。)
 
 スサーナの頭はもう冷静な考えなど出来なくなっていた。そして今朝のシェリンとの約束も、きれいに頭の中から消え去っていた。
 

続きはそのうち