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 その日カインは非番だった。宿舎を出てロビーへと向かい、さてこれからどこに行こうかと考えていた。本当は、研修の時に知り合った雑貨屋の娘フローラに会いに行きたかった。でも今のところ二人の仲は『おつきあい』をしていると言うほど親しい仲ではない。2、3度一緒にお茶を飲んだ程度だ。それに店番をしているフローラを、そうそうこっちの都合でばかり連れ出すのも気が引ける。
 
(まあシャロンに頼めば・・・何とかしてくれるとは思うんだけどな・・・。)
 
 シャロンとはフローラの姉で、赤みがかった金髪と蒼い瞳を持つかなりの美人だ。フローラよりはだいぶ年上で、もう30近いはずだが未だに独身である。恋人はいるのだが、具体的な結婚の話までは出ていないらしい。シャロンはカインとフローラのことを応援してくれているから、カインがフローラを誘いに行けば、きっと『ゆっくりしていらっしゃい』と笑顔で送り出してくれることはわかっている。
 
「でも毎度毎度シャロンに頼ってばかりいても、フローラが気を使うんだよな。」
 
 カインはため息をついた。とりあえず図書室にでも行こうか。そして午後にでもさりげなく雑貨屋に出向いて、フローラの顔を眺めてこよう。買い物に行くのならこちらは客なのだから、少なくとも罪悪感を感じることなくフローラと話が出来る。その時ぽんと肩を叩かれた。振り向くとそこに立っていたのは、カインより何年も前に故郷の島を出て行った幼なじみ、ライラだった。
 
「久しぶりだな、カイン。」
 
「・・・ライラ!?どうしてここに・・・。」
 
「定時報告に来たんだよ。」
 
「定時・・・報告?」
 
「そうだよ。」
 
 カインはわけがわからず首をかしげたが、ライラはにこにこしている。
 
「王宮に定時報告って・・・ライラ、今何の仕事をしてるの?」
 
 ライラは『あれ?』と首をかしげたが、すぐに『なるほどな』という顔になった。
 
「そうか・・・。君のその調子だと、僕の父さんと母さんは今でもクロービス先生達に何も話していないんだね。」
 
「話って・・・何の?」
 
「カイン、今時間はある?もしもなければ、僕は明後日までこっちにいるからその時にでも・・・。」
 
「いや、大丈夫だよ。今日は非番なんだ。」
 
「そうか、それじゃ少しつきあってくれよ。君に色々と話したいことがあったんだ。」
 
「おいライラ、君は僕が何でここにいるのか全然聞かないけど・・・。」
 
「何でって・・・君は王国剣士になったんだろう?それ以外に君がここにいる理由なんてないじゃないか。僕もイルサも、君が王国剣士になるんだってずっと聞かされてきたんだ。今さら聞く必要なんてないさ。」
 
 確かにカインはずっと昔から王国剣士になるんだと言い続けてきた。そのつもりで父親にも剣を教えてもらっていたし、幼なじみのライラとその双子の妹イルサにも、会うたびにそう言っていた。でも自分がここにいるだけですぐに『王国剣士になったんだろう』と言ってくれるライラは、きっとずっと自分を信じていてくれたのだ。カインはうれしくなった。
 
「それもそうか・・・。でももうずいぶん会ってないのに、よく僕だってわかったなあ。」
 
「だって全然変わっていなかったよ。」
 
 ライラはさらりと答えた。
 
「そうかぁ・・・。うーん・・・変わってないのかなあ・・・。」
 
 見た目が変わっていないと言うつもりで言ったのに、カインはなぜか落胆したようだ。どうしたのだろうと考えて、ふとライラには思い当たることがあった。
 
(そうか・・・。念願の王国剣士になれたんだから、前とおんなじって言われたら、ちょっとがっかりするのかもね・・・。)
 
 多分ライラだって、やっとのことで小さなころからの夢に向かって踏み出せたのに、以前と何も変わらないと言われたらがっかりするかも知れない。ここはちゃんと訂正しておこう。
 
「だって会ってないのはせいぜい3年だよ。3年程度でそんなに見た目が変わるわけないじゃないか。」
 
「あ・・・あ、そうか・・・。ははは、そうだよね。」
 
 カインが少し赤くなってぎこちなく笑った。訂正したのはいいほうに働いたらしい。ライラはカインを変わっていないと言ったが、実はカインのほうは、突然再会した幼なじみのまとう雰囲気がかなり変わっていることに驚いていた。
 
(ライラは・・・なんだか島にいたときより堂々として見えるなあ・・・。)
 
 穏やかで落ち着いた性格のライラは、いつもいたずらをしすぎて暴走するカインやイルサのストッパー的な役割を果たしていた。カインの家にはしょっちゅう来ていたが、カイン達と遊ぶためなのが半分、あとの半分はカインの父親の書斎で本を読むためだ。カインの父親は故郷の島で唯一の診療所を開いている医者だ。父親の書斎には、難しい医学書とならんで様々な分野の本がたくさん置かれていた。物心ついたときから一緒に育ったはずなのに、もしもこのロビーで先にライラに気づいたのが自分だったなら、迷わず声を掛けることは出来ただろうか。本当にライラ本人なのか、声を掛けるまでずっと迷いそうなほど、ライラがとても大人びて見えた。
 
「確かに、3年ぶりなんだよね。でも君は何となく変わった気がするよ。見た目って言うより、雰囲気がすごく落ち着いて見えたな。君の仕事って言うのは、そんなに落ち着きが出るような仕事なの?」
 
 ライラが島を出るときどこに行くのかを聞いたのだが、『いい仕事が見つかったから』としか言わなかった。ライラの両親にも聞いたけど、同じ答しか返ってこなかった。でもその時カインは、また会う機会もあるだろうからその時にでも聞いてみようと、それほど深く考えなかった。でもさっきのライラの態度は、なぜそれを言わなかったのか、ちゃんと理由があるような口ぶりだった。特に、自分の両親に対して。
 
「落ち着きが出たかどうかはわからないけど、頭も体も使う仕事だからね。体格が変わったせいかもしれないな。」
 
 言われてみれば、以前はカインとライラは似たような体格だった。背の高さもそんなに変わらなかった。だが、今ではライラはカインより背が高い。肩幅も広くなったようだし、腕も太くなっているんじゃないだろうか。そして腰に下げられた剣は、とてもよく使い込まれている。
 
「頭も体もか・・・。その剣もずいぶん使い込まれてるね。前に使ってたのと同じみたいだけど、何か剣を使うような仕事なの?」
 
「そんなに変わったのかなあ。こっちに来るときにクロンファンラでイルサに会ってきたんだけど、やっぱり君と同じようなことを言ってたんだ。」
 
「へえ・・・。イルサは・・・元気?」
 
 カインが遠慮がちに聞いた。その理由をライラは知っているが、あえてさりげなく、明るく答えた。
 
「元気だよ。あいつは相変わらずさ。なんだかけっこう重要な仕事を任されるかも知れないって張り切ってたよ。僕もイルサもそれぞれ夢に向かって一歩を踏みだしたけど、君はどうなんだろうって話してたんだ。今度会うことがあったら教えてやろうかな・・・。あ、それとも向こうに任務で行った時にでも、君の口から言ったほうがいいかな。」
 
 この言葉に、カインは少し悔しかった。彼はまだ下っ端中の下っ端で、南地方どころか、やっと城下町の中の警備をさせてもらえるようになったばかりだったからだ。
 
「それは無理だよ。僕はまだ入ったばかりで、城壁の外にも出られない状態なんだ。」
 
 悔しかったが正直に言うしかない。
 
「そうか・・・。でも君の腕ならきっとすぐだよ。」
 
「だといいけどね・・・。あ、そうだ、君の話って?」
 
「少し町に出ないか?僕も久しぶりなんだ。おいしいコーヒーを飲ませてくれる店があるんだよ。」
 
「へぇ・・・。それじゃ案内してもらおうかな。僕はまだ城下町の中も全部歩いたわけじゃないから、知らない場所はたくさんあるんだ。」
 
「そうなのか。こっちに来たのはいつ?」
 
「1ヶ月前かな・・・。入って一週間くらい過ぎてから、城下町の警備をさせてもらえるようになったんだ。でも裏通りの奥とか、あとは人が多い通りなんかはまだ近づくなよって言われてる。」
 
「なるほどね。それなら僕のほうが道は知っているな。それじゃ案内するよ。」
 
 カインとライラが一緒にロビーを出ようとした時、宿舎の階段を下りてくる人影があった。
 
「おいカイン、お前どこ行くんだ?」
 
 カインの相方のアスランだった。
 
「あ、アスランか。友達と久しぶりに会ったんだ。だからお茶でも飲もうかなと思ってさ。」
 
「お前の・・・?へぇ、それじゃ自己紹介しておくか。俺はアスラン、カインの相方だ。君は?」
 
「僕はライラ。カインとは幼馴染みなんだ。今はハース鉱山で働いている。」
 
「ハース鉱山?」
 
 ライラがハース鉱山にいるなどという話は、カインにとっては初耳だった。
 
「へぇ、ハース鉱山か。鉱夫なのかい?かなり大変な仕事だって言うじゃないか。若いのにすごいな。」
 
 アスランは素直に感心している。
 
「いや、僕の本業は研究さ。」
 
「研究・・・?」
 
 またまた初耳だ。ライラはハース鉱山でいったい何の研究をしているのだろう。アスランも驚いたような顔をしたが、カインが驚いたのとは少し違う意味で驚いたようだ。
 
「研究って言うと・・・確かに君は鉱夫には見えないな・・・。もしかして鉱山の調査をしている地質学者かい?」
 
「そうだよ。でも鉱夫として働いたこともあったよ。あそこの統括者は厳しい人でね、食堂勤めの女性以外は、ハース鉱山で働くならまずは鉱夫の仕事を覚えろって人だからな。僕もしごかれたよ。おかげで今は本来の仕事が出来ているんだけどね。」
 
「なるほどな・・・。聞いたことがあるよ。君が有名な学者剣士だな?」
 
 ライラは笑い出した。
 
「別に有名なんかじゃないよ。そんな名前で僕を呼ぶ人がいるのは聞いたことがあるけど、からかってるだけさ。」
 
「いや、そんなことはないぞ。君の剣の腕は相当なものだと聞いているよ。君が剣士団に入ってくれたら、間違いなく将来の幹部候補になっているだろうってね。」
 
「買いかぶりすぎだよ。南大陸に行くのに、まるっきり剣が扱えないんじゃ困るからって身につけただけなんだからね。」
 
「ライラ、それじゃ君は、ずっとそのつもりでライザーおじさんから剣を習ってたの?」
 
「ライザーおじさん?」
 
 今度はアスランが首を傾げた。
 
「ライラのお父さんだよ。僕の父さんの幼馴染みなんだ。昔は剣士団にいたみたいだよ。」
 
「へぇ・・・。お前の親父さんもそうだよな?」
 
「そうだよ。でもおじさんは父さんよりも早い時期に辞めたみたいだけどね。」
 
「そうか。ライラ、今度ぜひ一度、手合せしてほしいな。」
 
「やめておくよ。本職の王国剣士に叶うとは思えないからね。」
 
「そんなことはないさ。まあ縁があればだな。それじゃ、俺は失礼するか。」
 
「あれ?アスラン、一緒に行かない?」
 
 アスランは少しあきれたようにカインを見て、大げさにため息をついて見せた。
 
「行きたいのはやまやまだけどな。俺達の部屋には大きな山になっている洗濯物があるんだぜ?カイン、その中にはお前の汚れたシャツの山から崩れた分も入ってるんだぞ。」
 
「あ・・・ごめん。」
 
 アスランは洗濯でも掃除でも一通りの家事をこなす。料理も得意だそうだから、今後二人が城下町の外へ仕事に出かけられるようになった時も困らないな、などとカインは一人都合のいいことを考えていた。
 
「いいよ。誰にだって苦手な分野はあるさ。」
 
 アスランは大声で笑って、宿舎に戻っていった。本当はアスランは、洗濯物が崩れたことを教えてくれるつもりで来たのだろう。でもカインがライラと食事に出掛けると聞いて、今日は洗濯物は自分が片付けてやろうと思ったに違いない。あとで何かおみやげでも買ってこようか・・・。
 
「アスランか。いい人みたいだね。」
 
 アスランの後ろ姿を見送って、ライラがつぶやいた。
 
「いい奴だよ。僕は世話のかけっぱなしさ。」
 
「王国剣士は最低一人は回復の呪文や気功が使えないとコンビを組めないって聞いたけど、君達は?どっちも使えそうだね。」
 
「やっぱりそう思うか・・・。実はアスランの奴は呪文に関しての適性は全然ないんだ。今気功を教わってるよ。」
 
「へぇ。僕はてっきりアスランも呪文を使えると思ったよ。すごく落ち着いて見えるしね。」
 
 ライラは意外そうな顔をカインに向けた。
 
「僕は?」
 
「君の呪文は天下一品じゃないか。いずれはクロービス先生をしのぐんじゃないかって、島のみんながよく言っていたよ。」
 
「いや、その・・・落ち着いて見えるかなと・・・。」
 
「うーん・・・。君のことはよくわかってるからなぁ。」
 
「まあね・・・。」
 
 つまりとても落ち着いては見えないということらしい。そう思われても仕方ない、確かにライラはカインのことを、生まれた時から知っているのだから。
 
「アスランと手合わせしてみればいいのに。」
 
「そうはいかないよ。あんな呼び方をされるようになってしまったのも、僕が軽い気持ちで王国剣士さんの申し出を受けてしまったからなんだ。相手は本職だから勝つのは無理だとしても、あんまり無様な負け方はしたくないなと思って全力でぶつかったんだよ。そうしたら、いつの間にか相手の剣を跳ね上げてしまったというわけさ。」
 
「そんなことがあったのか・・・。相手は誰なんだ?」
 
 ライラは少し困ったような顔で首を振った。
 
「ごめん。その話は外でするなってロイさんに言われてるんだ。ロイさんていうのは鉱山の統括者なんだけどね、よけいな興味を持たれて仕事に身が入らなくなるのはまずいから、黙っていたほうがいいって。」
 
「ふぅん・・・。君は素早いからなぁ・・・。」
 
 うらやましいよ、カインは心の中でだけつぶやいた。今の剣士団の中で、カインが打ち負かせる先輩などいったい何人いるだろうか。もしかしたら一人もいないかも知れない。なのにライラはたとえそれが『たまたま』であったにせよ、ハース鉱山勤務の王国剣士との立合に勝利し、剣士の称号で呼ばれている。
 
「まあフットワークには自信があるよ。父さん直伝だからね。でもそれだけさ。あの時は運が良かったんだよ。」
 
「ふぅん・・・。」
 
 ライラは父親のライザーを尊敬している。でもカインにとっては『優しい近所のおじさん』で、とてもそんなに強そうには見えない。剣士団をやめたのだってきっと向かないからやめたんだろうと、カインは密かに思っていた。でもそんなことをライラの前で口に出す気はない。
 
(うちの父さんのほうが素早いんじゃないかなぁ・・・。)
 
 カインの父親も昔王国剣士だった。ずっと剣を教えてもらっていたが、父親のフットワークは天下一品だとカインは思っている。
 
 
 王宮を出た二人は、商業地区の中でも女性向けのおしゃれな店がある通りのはずれまで来ていた。
 
「この辺りにおいしいコーヒーの店なんてあるの?」
 
 このあたりは警備で何度か歩いたことはある。一度フローラを連れてきたいと思っているのだが、きらびやかな装飾の施されたブティックや、かわいらしいディスプレイのカフェなどを見るとどうにも気後れして、なかなか誘うことが出来ずにいるのだった。
 
「こっちだよ。」
 
 ライラはその通りをさらに奥に入っていった。そしてどう見ても普通の家にしか見えないような扉の前まで来て立ち止まった。だがよく見ると、扉の真ん中には分厚いカットガラスがはめ込まれ、確かに普通の家とは違う。扉の脇には小さな看板があって、コーヒーカップの絵が描いてあり、コルク板を切り抜いた文字が貼り付けてある。店の名前は『セーラズカフェ』というらしい。
 
「こんにちは。」
 
 ライラは先頭に立って中に入っていった。
 
「あらいらっしゃい。しばらくね。忙しかったの?」
 
 出迎えてくれたのはその店の・・・こういうところはママさんとでも言うのだろうか、カインの母親よりは少し年上かなと思える美しい女性だった。
 
「うん。今回は3日くらいこっちにいるよ。」
 
「ふうん・・。昔はナイト輝石の武器や防具が町中に溢れていたけど、聖戦騒ぎ以来とんと見かけなくなったものね。何でも最近になってナイト輝石の武器防具にすごい値段がついてるらしいけど、あなたの仕事がうまくいけば、そんなこともなくなるのかしらね。」
 
 その言葉にライラの顔が暗くなった。
 
「僕は・・・武器や防具を作りたくてナイト輝石のことを調べていたわけじゃないよ。今の時代にあんな強い武器や丈夫な防具なんていらないじゃないか。」
 
「だがそんなわけにはいかないかも知れないぞ?」
 
 ママさんの隣でコーヒーを淹れていた、店のマスターらしい男性が口を挟んだ。
 
「いつの時代も、人間て言うのは力をほしがるんだ。お前さんがどんなつもりでいようと、そんなことは重要じゃない。掘り出されたものにどんな価値があるかさ。」
 
「僕がナイト輝石の採掘を再開させたいってフロリア様に願い出た時、同じ事を心配していた大臣の方達がいたよ。でもフロリア様は僕の気持ちをわかってくれて、そんなことにはならないって約束してくれたんだ。」
 
「ちょっとザハム、せっかくライラの夢が叶うかどうかの瀬戸際まで来ているのに、そんな言い方しなくたっていいじゃないの。ライラが今までどんな思いでこの仕事にかけてきたのか、あなただってわからないわけじゃないでしょう?」
 
「そう怒るなよ、セーラ。俺だってわかってるよ。ただ、ライラの気持ちがどうだろうと、まわりに利用される可能性はあるってことさ。」
 
「ザハムさんが心配してくれる気持ちはわかるよ。でも僕はそう易々と利用されるつもりはないんだ。必ずこの仕事を成功させるよ。でなきゃ、両親を泣かせてまで一人でハース鉱山に行った意味がなくなっちゃうからね。」
 
「そうよね・・・。ところでライラ、今日はまたハンサムなお友達を連れてるわね。紹介してもらっていい?」
 
 ハンサムと言われて悪い気はしなかったが、カインは少し照れくさくて顔を赤らめた。
 
「ああ、そうだね。カインだよ。僕の幼馴染みなんだ。」
 
「あの・・・カインです。よろしくお願いします。」
 
 カインは妙にかしこまって頭を下げた。なんだか自分がとても子供っぽく思えた。なぜそう思ったのだろう。ライラは自分より年上だが、別にそれが理由じゃない。こんな落ち着いた雰囲気の店のマスター達と、すっかり顔なじみになっているらしいライラの物腰がとても大人びて見えたからかも知れない。
 
「あらそんなに硬くならないで。それじゃもしかして、王国剣士目指して剣の稽古をしているっていうお友達?」
 
「そうだよ。そしてついにその夢を叶えてここにいるんだよ。さっき王宮に出かけた時に偶然会ったんだ。」
 
「へぇ・・・すごいじゃないの。ライラの妹さんも去年からクロンファンラに司書として赴任しているのよね?幼馴染みがみんな夢を叶えつつあるのね。素敵だわ。」
 
 ライラはどうやらこのママさんに自分のことを話していたらしい。カインはなんだか恥ずかしくなった。
 
「セーラママもこの店が夢だったんだよね。」
 
 ライラの言葉にママさん・・・どうやらセーラママと呼ばれているらしい・・・は微笑んだ。
 
「そうね、あんなところで一生を終えるのだけは絶対にいやだって思ってたけど、あそこから抜け出せておまけに店まで持てるようになるなんて思わなかったわ・・・。」
 
「あんなところって?」
 
 カインは何気なく聞いた。だがライラは困ったような顔をして黙り込んでいる。
 
「ふふ・・・。べつに誰にも隠していないんだから、あなたがそんな顔をしなくてもいいのよ。カインだったわね、あたしはね、昔・・・もう10年以上前になるけど、歓楽街で働いていたのよ。」
 
「歓楽街って・・・あの・・・。」
 
 カインは言葉を失った。歓楽街で働く女性と言えば、そのほとんどが娼婦だ。肌もあらわな服を着て道を行く男達の目を引きつけ、『客』として自分の店に誘い込む・・・。
 
「そう、あの歓楽街よ。夜になると通りに煌々と明かりがともって、娼婦が客をひくために道端に立つ・・・。あの街の女はね、大抵あの街にいるうちに死んでしまうのよ。でもあたしはどうしてもあそこから生きて抜け出したかった。運良く病気にもならなかったし、あたしのいた店はおかしな客はお断りの店だったから、今ここにこうしていられるけど、あの時一緒に働いていた仲間は大半がもうこの世にいないわ。」
 
 そこまで言うとセーラママは小さくため息をついた。そして淹れたてのコーヒーを持ってカウンターから出てくるとライラとカインの前にそれぞれ置いて、にっこりと笑った。
 
「つまらない話してごめんなさいね。さあ、当店特製のブレンドコーヒーよ。召し上がれ。」
 
「いただきます。」
 
 ライラは笑顔でコーヒーを口に運んで、微笑んだ。
 
「うまい。やっぱりザハムさんのコーヒーが一番うまいな。鉱山の食堂のコーヒーもなかなかうまいんだけどね、ここにはかなわないよ。」
 
「あったり前だ。俺の特製コーヒーを上回るものなんぞ、そうそうありゃしないぞ。」
 
 ザハムというらしいマスターは胸を反らしてみせる。
 
「そうよねぇ。この店が今までやってこれたのも、あなたのおかげよ。感謝してるわ。」
 
「そんなこと言うなよ。俺だってそうだ。まさかこんな生き方があるとは思わなかったよ。それはお前のおかげさ。」
 
 二人の会話を聞きながら、ライラが僕に耳打ちした。
 
(ザハムさんはね、昔セーラママが働いていた店の用心棒だったんだよ・・・。)
 
 この言葉にカインは少なからずぎょっとした。セーラママのいた店と言うことは、つまり娼館だ。そこの用心棒をしていたとは・・・どうりで顔にすごみがある。怖いという印象はなかったが、それは笑っているからだ。もしも怒ったりしたら飛び上がるほど怖いにちがいない、カインはそんなことを考えていた。
 
「ライラ、食事は?まだランチの時間だから、食べていく?」
 
 セーラがライラに声をかけた。
 
「そうだなぁ・・・。カイン、君はどうする?」
 
「そうだね、せっかくおいしいコーヒーを飲んでいるんだから、食事もしたいな。」
 
「じゃ、お願いします。」
 
 ライラの言葉にセーラが笑顔で頷いた。
 
「それじゃ今日のおすすめね。あとは二人でゆっくりしていて。積もる話もあるんでしょうしね。」
 
 セーラとザハムが厨房に入ったあと、カインはライラに聞きたいことが山ほどあった。でもどこから聞いていいか判らないうちに、ライラのほうから話し始めた。
 
「僕はね・・・島を出てから一人でハース鉱山に向かったんだ。あの山には、未だに豊富なナイト輝石の鉱脈が眠っている。昔は武器防具の材料として珍重された鉱石さ。僕の父さんもナイト輝石製の剣と鎧を持ってるよ。君は剣士団にいるのなら、ずっと古くからいる団員の人達が持っているのを見たことがあるんじゃないか?」
 
「あるよ。剣士団長が着ている鎧はナイト輝石製だし、ナイトブレードも見せてもらったことがある。」
 
 剣士団長はオシニスという。団長となってからもう10年くらいは過ぎるらしい。彼の身につけている鎧と剣は、20年以上も前に作られたとは思えないほど、きちんと手入れされていた。鉄鉱石でコーティングされて青みがかった光を放っている。
 
『こんなバカみたいに強い武器も防具も、もういらないんだけどな。この鎧は身につけているのを忘れそうなくらい体に合ってるし、この剣は一番俺の手になじむんだ。使い慣れた武器や防具ってのは、なかなか手放せないもんだよ。』
 
 剣士団長がそんなことを言っていたのを、カインは聞いたことがあった。
 
「ナイト輝石は素晴らしい鉱石だよ。鉄より軽く、しかも鉄よりはるかに硬い。」
 
「モンスター達が狂暴だった昔は、ナイト輝石の武器防具がなければ南大陸どころか南地方だってとても歩けたものじゃなかったって、前に先輩達が話してくれたことがあるよ。」
 
「うん・・・。確かに今はもうそんなことはないけど、でもだからといってあの鉱石を眠らせたままにしておくのはもったいない、僕は父さんの剣や鎧を見るたびにいつもそう思っていたんだ。」
 
「それじゃ・・・君の夢って言うのは・・・ナイト輝石を復活させること?」
 
「ただの復活じゃないよ。復活させて平和のために利用することだよ。でもそのためにはとてつもない難関を乗り越えなくちゃならないんだけどね。」
 
「・・・難関・・・?もしかして・・・廃液のこと?」
 
 ナイト輝石という鉱石は、発掘しただけでは何の害もない。たとえばそのまま石を加工するだけでも同じことだ。だが武器防具などのように、そのままではなく精錬して加工するとなると話はまったく違ってくる。ナイト輝石の精錬の時には大量の水を使う。その使用済みの廃液にはとんでもない猛毒が含まれているのだ。
 
「そうだよ。ナイト輝石の精錬の時に出る廃液は・・・すごい猛毒なんだ。廃液の匂いを吸い込んだだけで体が毒に冒されるくらいなんだ。生き物がその水を飲んだりしたら大変なことになるよ。」
 
「・・・剣士団に入ったばかりの時、団長がナイトブレードを見せてくれながら、そんな話を少しだけしてくれたよ。その廃液のために昔いろいろと大変なことが起きたから、もう今はナイト輝石は採掘していないって。だからこの剣は今となっては希少価値だけれど、もうこの剣が本当に必要になるほど危険な場所は、この世界にはないだろうってね。」
 
「・・・君はその話を団長さんから聞いたのか。」
 
「そうだよ。なんで?」
 
「いや・・・そのナイト輝石の廃液のせいで大変なことが起きたって言うのは、ちょうど君や僕の父さん達が剣士団にいたころの話なんだよ。君はクロービス先生からその話は聞いたことがないのかい?」
 
「・・・いや・・・全然・・・。」
 
「そうか・・・。」
 
 この言葉にカインは衝撃を受けた。父は何も話してくれなかった・・・。でもライラは自分の父親からその話を聞いたのだ・・・。
 
「君はライザーおじさんからその話を聞いたのか・・・。」
 
 この言葉にライラが答える前に、カウンターの中でパリンと音がした。薄いガラスの割れるような音だった。何事かと二人とも立ち上がり、ライラはカウンターの中を覗いて、少し驚いた顔をした。
 
「ザハムさん・・・めずらしいね、あなたがサーバーを割るなんて。」
 
「いやまったくだな・・・。俺も歳をとったか・・・。」
 
 そこにはいつの間にかマスターが戻ってきていた。コーヒーサーバーを取りに来て、それを割ってしまったらしい。
 
「バカなこと言わないでよ。まだまだ頑張ってもらわなくちゃ。城下町に来た時の楽しみがなくなっちゃうじゃないか。」
 
 ライラは笑いながら答えた。
 
「ははは、そうだな。どれ、もうすぐ食事が出来るだろう。持ってきてやるよ。落っことしたりしないから心配しないでくれよ。」
 
 マスターは笑いながら奥に入っていったが、なにかひどくぎこちない笑いだったようにカインには見えた。でもライラは気づいていないようだ。自分の気のせいかも知れない。
 
 
 
 
 店の奥、厨房に戻ってきたザハムはそわそわと落ち着かない。
 
「どうしたの?スープはまだちょっとかかるわよ。」
 
 セーラが怪訝そうにザハムに振り向いた。
 
「・・・ライラの親父は・・・ライザーって言うのか・・・。」
 
「・・・ライラの・・・?ああ・・・そう言えばそんな名前だったかもね。ずっと前に聞いたような気がするけど、よく覚えてないわ。まあ少なくとも・・・昔の客の中にはいなかったと思うわよ。」
 
 喋りながらもセーラは手を休めようとはしない。慎重に火加減を見ながらスープの仕上げにかかっている。
 
「ふん・・・そりゃいないだろうな・・・。」
 
「ザハム、あなたライラのお父さんを知ってるの?」
 
「・・・・・・・・・。」
 
 ザハムは答えず、大きなため息をつきながら厨房の椅子に腰を下ろした。
 
「なるほどな・・・。道理で・・・どっかで見たような顔してやがったわけだ・・・。」
 
「・・・そう言えばそんなこと言ってたわね・・・・。ライラに初めて会った時、どっかで会ってないかって・・・・。それじゃあなたが会ったことがあるのは、ライラ本人じゃなくて、ライラのお父さんなの?」
 
「ああ・・・どうやらそうらしいな・・・。お前はライザーって名前に聞き覚えがないのか?」
 
「知らないわ。」
 
 ザハムがセーラを見上げた。
 
「それじゃ聞き方を変えるか。確かライラの親父は昔王国剣士だったはずだな?」
 
「そうね。でもだいぶ前にやめちゃったっていう話よ。」
 
「そうだ。昔、俺達がまだあの店にいた頃、昔の恋人が王国剣士になって現れたって話をしていた奴がいなかったか?」
 
 セーラの手が止まった。
 
「・・・それじゃ・・・フレ・・・カレンの・・・。」
 
 ザハムが無言でうなずく。
 
「確かなの・・・?」
 
「ああ・・・。名前を聞いて思い出した。間違いないな。俺はずっと昔・・・ライラの親父の前に立ちはだかって、カレンの身の上話をしてやったんだ。お前のような金もない青二才が出る幕はない、どうしてもあの女がほしければ荷車いっぱいに黄金でも積んでくるんだなってな。もう・・・27〜8年前の話さ。」
 
「なるほどね・・・。ライラは確か20歳だから、少なくとも20年よりもっと前にカレンの思い人は幸せな結婚をしてたってことよね。ライラのお母さんもきれいで優しい人みたいよ。でもカレンにはカレンの人生があるんだから、そのことで今さらあなたが負い目を感じてもどうにもならないんじゃない?」
 
「負い目なんぞ感じていないよ。」
 
「それじゃ後悔してるの?」
 
「してるもんか。あの時はあれが俺の仕事だったんだ。仕事をするのにいちいち後悔してたら、今頃俺は生きちゃいられねぇよ。」
 
「まあそれもそうね・・・。それじゃ一体、何が不満なの?」
 
 黙り込むザハムの顔をのぞき込み、セーラが尋ねた。
 
「別に不満なんぞないさ。だが、今になっていきなり自分の過去と向き合わされるってのは、あんまり気分のいいもんじゃないぜ。」
 
「なるほどね・・・。」
 
 その気持ちはセーラにもわかる。今では昔の客が目の前に現れようと笑顔であしらうことが出来るが、それでも心中は穏やかではない。ザハムは用心棒という肩書きでセーラと同じ娼館に身を置いていたが、実際には女達を守っていたのではなく、女達が逃げ出さないように見張っていたのだ。だから女達に近づいてくる男達を追い払うのも彼の役目だった。恋人と一緒になりたくて、泣きながら必死で彼に頭を下げた者もたくさんいたが、彼はことごとく引き離してきた。冷血漢、鬼、悪魔、下衆、さてそのほかにどんな呼ばれ方をしただろう。でもそんなことはどうでもよかった。それが仕事だからと割り切ってすべて記憶の彼方に捨て去ってきたはずだった。なのになぜか、カレンの恋人だった若者のことだけは、今でも苦い思い出としてザハムの心の中に居座っているのだ。
 
「たいていの男ってのは、金の話をしてやれば逃げていったもんだ。そういう意味でなら、あの若造だって似たようなもんだったが・・・どうにもあの時のあいつの目だけは忘れられなくてな・・・。」
 
「・・・目・・・?」
 
「そうだ・・・。あいつの目だ・・・。カレンの借金の話を聞いて飛び上がって逃げていくかと思ったのに、あいつはただ黙って、俺を見つめていたよ。」
 
「あなたが憎かったんじゃないの?みんなそうだわ。あなたがいなければ何もかもうまくいったのにって、現実から目を背けてあなたを恨む人達もたくさんいたんじゃない。」
 
「そうだな・・・。だが奴の目は、俺に向いているのに俺を見ちゃいなかった。あいつが恨み、憎んだのは俺じゃない、自分自身だったんだろうと思うよ。」
 
「自分・・・自身・・・?」
 
「奴と俺が会ったのは、ちょうど歓楽街の入口だった。奴はカレンに会うつもりでそこまでやってきたんだろう。だが奴は俺の話を聞いて、カレンがなぜ自分の前から姿を消したのかを知った。本当ならすぐにでも店に飛び込んで、カレンを連れて逃げ出したいと思ったことだろう。だが奴は出来なかった。そしてそれが、自分の弱さと不甲斐なさのせいだと、思いこんじまったんだろうな・・・。自分自身が憎くて恨めしくて・・・この世のすべてに絶望したような、そんな目をしてたよ・・・。」
 
「・・・ライラの話を聞く限りでは、とてもまじめでいいお父さんらしいものね。きっと悩んだんでしょうね。」
 
「奴が死人みたいに青い顔のまま歓楽街に背を向けて去っていくのを、俺は黙って見送った。若いときの色恋なんぞ、過ぎてしまえば些細なものになるだろうと思っていたんだが・・・。」
 
「些細なものだったかどうかはともかく、二人は結局結ばれず、今はそれぞれ別な人と結婚して幸せな家庭を築いているのよ。さ、出来たわよ。サラダとパンもすぐに用意するから、置いてきてくれる?それから、ライラ達の前に出るときは、いつものようにちゃんと笑ってよ。」
 
 ザハムはため息とともに椅子から立ち上がり、
 
「わかったよ。ふう・・・ちゃんとマスターの顔に戻らないとな。」
 
 手のひらで頬をぴしゃぴしゃと叩きながら、トレイの上にスープをのせて厨房を出て行った。
 
「カレン・・・今頃どうしてるのかしら・・・。」
 
 カレンはセーラ同様、幸せを掴んで歓楽街を出た女達の一人だ。10歳の時からずっとあの街にいたというのに、すれたところもなく、とても真面目で優しい女だった。今では子供も出来て忙しい毎日を送っていると、手紙が来たことがある。今さら昔の恋人に再会したところで、何もいいことがあるとは思えない。彼女が城下町に出てくることがあるかどうかはわからないが、もしも会うことがあってもライラの父親のことは黙っていたほうがいいのだろう。
 
「過去に振り回されるのなんて、誰だってごめんよね。」
 
 小さくつぶやき、セーラは慣れた手つきでサラダを盛りつけ、ふかふかのパンを皿にのせた。
 
 
 
 
 
「あの人がコーヒーを淹れる道具を壊すなんて今までなかったのにな。何か心配事があるのかな・・・。」
 
 ライラがカウンターから戻って来て、椅子に座りながら言った。
 
「そりゃ誰だって失敗はあるよ。」
 
 失敗談ならいくらでもあるカインは、とっさにマスターを弁護してしまった。完璧な人間なんていやしないんだから、どんなベテランだって失敗することはあるに違いないというのがカインの持論なのだが、失敗ばかりしている当人が言うとどうにも説得力がない。
 
「まあそれはそうなんだけどね。」
 
 ライラはまだ少し心配そうに店の奥を振り返っている。
 
「それよりライラ、さっきの話の続きを聞かせてくれないか。」
 
 マスターのサーバーのことより、カインはライラの話の続きを聞きたかった。
 
「ああ・・・そうだね。君の言う通り、ナイト輝石の廃液のことは僕の父さんから聞いたんだ。ハース鉱山に行きたいって最初に言った時にね。ナイト輝石の廃液がどれほど危険なものか、そのためにどれほど大変なことが起きたか・・・。毎日父さんは必死でその話をしたし、母さんは毎日泣いて僕を引き留めた・・・。でも僕の決心は変わらなかったんだ。それどころか父さんの話を聞くうちに、その廃液を浄化することさえ出来れば、ナイト輝石は再び日の眼を見ることが出来ると確信したよ。」
 
「それじゃ・・・君はずっとそのために勉強してたのか・・・。」
 
「そうだよ。僕が一番最初に父さんの剣と鎧を見せてもらったのはまだ小さい頃だったけど、それからずっと考えていたんだ。だからクロービス先生にはとても感謝しているよ。僕が本を読ませてほしいって言ったら快く書斎を開放してくれたし、ブロム先生・・・いや、ブロムさんか・・・。先生って呼ぶとむすっとした顔でいつも『私は先生じゃない』って言うんだよね。でもブロムさんも尋ねればいつだって丁寧に本の内容を解説してくれたし・・・。だから今の僕があるのは、クロービス先生やブロムさん達のおかげだと思ってるよ。」
 
「うちの父さんは本好きだからな・・・。僕も本は読むほうだけど、あの書斎の本はまだ半分くらいしか読んでいないよ。あの中には僕のおじいちゃんが集めた本もかなりあるみたいなんだけど、僕には難しすぎる本が多いし、それに・・・僕はずっと剣の稽古ばかりしてたからなぁ・・・。」
 
「君は王国剣士を目指していたんだからそれが当たり前だよ。それに、君は家に帰ればいつでも読めるじゃないか。僕はいつ帰れるか全然わからないからね。」
 
「そんなに忙しいの?」
 
「うん。もう少しで・・・夢への一歩が踏み出せるかも知れないんだ・・・。まだはっきりしたことは言えないんだけどね。」
 
「そうか・・・。僕もうかうかしていられないな・・・。早く強くなって警備範囲を広げられるようにしなきゃ。イルサに会うにしても、出来れば自分の力で会いに行きたいしね。」
 
「イルサに会いたい?」
 
「会いたいよ。・・・大事な友達だからね。」
 
「今好きな女の子はいるのかい。」
 
「・・・いるよ。」
 
「・・・そうか・・・。」
 
「ライラ、僕は・・・。」
 
「気にしなくていいよ。人の心の問題だから、仕方ないじゃないか。イルサだっていつまでもうじうじしていたりしないからね。心配しないでくれよ。」
 
「・・・・うん・・・。」
 
 カインがイルサに気持ちを打ち明けられたのは、一年近く前のことだった。その時にはイルサはもう王立図書館の司書として赴任することが決まっていて、離れ離れになる前に気持ちを知りたいと言われたのだ。だがカインはどうしても、イルサをそう言う風に見ることが出来なかった。そしてカインは、その時自分に出来ることは、自分の気持ちを偽らずに相手に伝えることだと考え、正直に言った。
 
『君のことは大事な友達と思ってるけど、それ以上でもそれ以下でもないんだ・・・。』
 
 泣き出すのではないかとカインはハラハラしたが、イルサは踏ん切りがついたわと笑顔で言って、それきりその話を持ち出さなかった。カインも何も言えなかった。そのままイルサは旅立ち・・・それきり会っていない。目のふちに涙を滲ませて、無理に笑ってみせてくれたイルサの顔を思いだして、カインはしばらく黙り込んだ。ライラも少しの間目を伏せて黙っていた。その時奥からマスターが出てきて、二人の前に温かいスープの入った皿を置いてくれた。
 
「どうした?随分と静かだな。さ、まずはスープだ。しっかり味わってくれよ。」
 
「スープ?まるでコース料理みたいじゃないか。」
 
 ライラが笑顔でマスターを見あげた。
 
「ははは。フルコースとまではいかないがな。せっかく久しぶりに幼馴染みと会ったんだから、うまいもんを食わせてやろうってセーラの気持ちだ。」
 
「へえ・・・。それじゃ、いただきます。」
 
 スープはとてもうまかった。そのあと次々と運ばれてくる皿を平らげ、もう一度コーヒーが出てくる頃には二人とも満腹になっていた。食べている間中二人とも黙っていたが、腹がいっぱいになるとどちらからともなく笑い出して、
 
「イルサは・・・いつまでも昔のことになんてこだわっていないよ。」
 
「そうだね・・・。」
 
 それきりでこの話はおしまいになった。そのあと二人とも何となく他愛ない話を続けて、気がつくとかなりの時間が過ぎていた。
 
「そろそろ戻ろうか。」
 
「そうだね。ライラ、君は今日はどこに泊まるの?」
 
「王宮の別館だよ。定時報告の時はいつもそこに泊まるんだ。だいたい2〜3日かな。でも君がこっちに来てるってわかってたら、もっと早くに会えたのにな。・・・まあ仕方ないけどね。」
 
 ライラがハース鉱山に働きに行くという話を、ライラの父が自分の両親に話せなかったことは、カインも仕方ないと思っていた。カインの母方の祖父は昔ハース鉱山の統括者として赴任したまま、19年も家に帰らなかった。そして鉱山乗っ取りの陰謀に巻き込まれて殺された。母親がその事実を知ったのは、祖父が殺されてから実に三年の後のことだ。その時ハース鉱山までカインの母親を連れて行ってくれたのは、当時王国剣士だったカインの父親だった。ずっとずっと会いたかった父親が殺された場所にライラが行くなんて、きっとライラの父親はなんと言っていいかわからずにいたのだろう。
 
「そうだね・・・。でも今度こっちに来たときは、また食事に来ようよ。僕もこの店が気に入ったよ。今度フローラを連れてこようかな・・・。」
 
 言ってからしまったと思った。いつもこうだ。口に出してしまってから後悔する。でもよけいなことを言うまいとあまり思い詰めていると、今度は右手と右足が一緒に動いたり、声がひっくり返ったり、『何か隠してます』と看板を掲げているような状態になってしまう。
 
「フローラって言うのが君の恋人なのかい?」
 
「いや・・・全然・・・。」
 
「別に気を使わなくていいよ。」
 
「いや、そうじゃなくて、まだ本当にただのお友達なんだ。正直に言うと、がんばって誘っているんだけど、たま〜〜〜にお茶につきあってもらえる程度だよ。」
 
 カインはため息をついた。イルサのことでライラに気を使って、フローラのことを黙っていなければならないような、それほど親密な仲になれるのは、一体いつのことやら・・・。
 
「そうか・・・。でも何とも思ってない相手とお茶を飲んだりしないと思うよ。一度だけじゃなくて何度かは誘っているんだろう?」
 
「まあね・・・。でもガードが堅いって言うか・・・。」
 
「声をかけただけでどこまでもついてこられるよりは、いいと思うけどな。」
 
「君はそんな目にあったことがあるの?」
 
 ライラは笑い出した。
 
「まさか。聞いた話だよ。僕のほうは女の子どころじゃないよ。まずは自分の夢に少しでも近づかないとね。」
 
「そんな寂しいこと言わないの。仕事と恋は充分両立させられるわよ。」
 
 いつの間にかセーラが厨房から戻ってきていて、二人のやりとりを聞いていたらしい。
 
「そうかなぁ。僕は頭の中が全部仕事だから、とてもこの中に女の子のことを考える余裕が出来るなんて思えないけどな。」
 
 ライラは本気で首をかしげている。
 
「それは単に、あなたに好きな女の子がいないだけよ。これから出会いもあるでしょうに・・・・と言いたいところだけど、職場が鉱山じゃねぇ。女と言えば賄いのおばさん達がいる程度よねぇ・・・。」
 
「みんないい人達ばかりだよ。」
 
「いくらいい人だって、その人達と結婚するわけじゃないもの。う〜〜ん・・・誰かいい子がいれば紹介してあげられるんだけど、あなたは人に見つけてもらうより、自分で探し出すタイプだから、がんばってねとしか言えないわねぇ。」
 
 セーラは残念そうにライラを見て笑った。
 
 
 
 おいしい食事とおいしいコーヒーを飲んで、デザートのケーキを平らげたらもう2人とも満腹だ。また来るよとセーラとザハムに約束して、2人はセーラズカフェを出た。
 
「これからまた仕事?」
 
 カインがライラに尋ねた。
 
「いや、フロリア様への報告はもう終わったからね。あとは剣士団長さんと打ち合わせが少しあるんだけど、そんなにかからずに終わるよ。その後は図書室で調べ物をしなくちゃならないんだ。」
 
「そうか・・・。でもすごいなあ。フロリア様への報告と団長との打ち合わせか・・・。」
 
 思わずため息が出た。ずっとずっと夢だった王国剣士団へ入団したはいいけれど、腕のほうがおぼつかなくてまだまだ近場しか仕事で歩けない自分がどうにも情けなく思えた。
 
「そんなに落ち込まないでよ。君はまだ入って一ヶ月って言ってたじゃないか。僕だって入って一ヶ月目なんてろくな仕事が出来なかったよ。」
 
「そ、そうか・・・そうだよね。これから頑張るしかないか・・・。」
 
「そうだよ。確か王国剣士さん達は、警備場所を少しずつ広げていくって言う話じゃないか。ハース鉱山にいる剣士さん達もね、なかなか警備範囲を広げられなくて悔しかったとか、その分範囲を広げていいって言う許可が出たときにはすごくうれしかったとかって言ってたよ。」
 
「今のところ僕達のコンビは、まだ城下町の中でも比較的平和な場所の警備しかさせてもらえないんだ・・・。そうだなあ・・・。せめてローランあたりまで行けるようになりたいし、出来れば南地方にも早く行けるようになりたいし・・・。」
 
 そうだ。入って一ヶ月で落ち込んでいられない。
 
「よし、目標は南地方だ。」
 
「南地方って言うとクロンファンラのほうだね。あっちのほうはけもの達はともかく、タチの悪い盗賊は出るよ。向こうに向かう途中にある馬車の休憩所には、王国剣士さん達がたくさん配備されているね。」
 
 南地方は遠い。王国剣士達は今も昔と変わらず歩きだが、モンスターの脅威がなくなってからは馬車も通るようになった。それでもさすがに一日でクロンファンラへは着けないので、途中に宿泊施設を併設した休憩所が設置された。何ヶ所かあり、どこも王国剣士達が厳重に警備をしている。それでも盗賊の被害が全くなくなったわけじゃない。
 
「そうなんだ。昔みたいに獰猛なモンスターは出ないって言うけど、気を抜けない場所だからね。そういうところの警備を、早く任せられるようになりたいな。ライラ、君のおかげで目標が出来たよ。ありがとう。」
 
「僕は何もしていないよ。でも、クロンファンラまで行けるようになれば、南大陸だってすぐに行けるようになるじゃないか。君とハース鉱山で会えたらうれしいな。」
 
「そうだよね。でも南大陸へは入って3年過ぎないといけないんだ。だから、まずは1年で南地方に行けるよう頑張るよ。」
 
「そうか・・・。でも南地方に行けるようになったらその時は知らせてほしいな。手紙はハース鉱山あてに出してくれればそんなにかからず届くよ。その時はイルサも一緒にお祝い出来るといいね。」
 
「お祝いか・・・。ははは、楽しみだな。必ず連絡するよ。それじゃライラ、またね。」
 
「うん、またね。」
 
 2人は王宮のロビーで別れた。ライラと剣士団長オシニスとの打ち合わせは、執政館の中で行われるらしい。カインがまだ仕事では絶対に出入り出来ない執政館の入口を、ライラは当たり前のように通り抜けていく。
 
(ここは仕方ないよな・・・。3年過ぎないと警備のローテーションに入れてもらえないし・・・。)
 
 どんなに実力があっても、南大陸と執政館など国の中枢とも言うべき場所の警備だけは、入団してから3年後という厳格な決まり事がある。だが、南地方はそんなことはない。腕が上がれば行くことも可能だ。だから早く南地方に行ければ、それだけ経験を積むことが出来る。経験を積めれば、万全の体制で南大陸へと向かうことが出来る・・・。
 
「そろそろ夕方か・・・。洗濯はアスランに任せちゃったからな・・・。畳むくらいはしないと。」
 
 カインは宿舎に向かって歩き出した。
 
 
「ただいま。」
 
 宿舎の扉を開けると、思った通りアスランは大量の洗濯物の山をきちんと畳んでいるところだった。
 
「おかえり。今日は天気が良かったから気持ちよく乾いたぞ。」
 
「ありがとう。アスラン。」
 
 カインもアスランの隣に座り、洗濯物をたたみ始めた。畳んでいるうちにさっきのライラとの会話を思い出す。そして執政館の入口をこともなげに通り抜けていったライラの背中も・・・。
 
(昔はみんな一緒に遊んでいたのにな・・・。)
 
 昔からライラはカイン達よりはおとなしかったが、それでもこんなに距離を感じた事なんてなかったのに・・・。ライラはもうハース鉱山で一人前に仕事をしているのだ。なのに自分と来たら、剣士団の中で未だに半人前扱いだ。
 
 
(どうしたんだこいつ・・・。)
 
 カインの隣で洗濯物を畳むアスランは、カインのあまりに静かさに驚いていた。カインは座ってただ黙々と洗濯物を畳んでいる。いつもなら今日の出来事を聞く前からしゃべり出すのに、ありがとうと言ったあと、一言も声を発していない。
 
(熱でもあるんじゃないかなあ・・・。)
 
「アスラン!」
 
 カインのおでこに手をあててみようかとアスランが腰を浮かしかけたとき、突然カインが顔を上げ、アスランに振り向いた。
 
「な、なんだよ?」
 
 アスランは慌てて返事をしたが、カインは気づいてもいないようだった。
 
「早く南地方に行けるようにがんばろうな!」
 
「ど・・・どうしたんだよ急に。」
 
 いきなり叫ばれて、アスランは驚いてカインを見た。
 
「だって未だに城下町の中のほんの一部分でしか仕事出来ないなんて悔しいじゃないか。入団1年で南地方って言う目標を立てたいんだ。」
 
 カインが突然こんなことを言い出したのは、多分さっき出会った幼なじみの影響だろう。
 
(ハース鉱山勤務の先輩を負かしちまったっていうんだから・・・かなりのもんなんだろうなあ・・・。)
 
 しかも彼の本業は地質学者だ。小さな頃から一緒に育った幼なじみが、それほど立派になって現れれば、誰だって心中穏やかではないだろう。特にカインは周りに影響されやすい。
 
(でも、その目標は悪くないよな。)
 
 せっかく王国剣士になれたというのに、思うような仕事が出来ずに悔しい思いをしているのはアスランも同じだ。
 
「そうだな。目標は1年後の南地方行き。うん、悪くないな。頑張ろうぜ。」
 
「そうこなくちゃ!」
 
 カインは笑顔でうなずいた。
 

本編のどこかには続いているはず

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