木戸を抜けるとそこに建っているのは牢獄だ。入り口の前には牢番の王国剣士が立っている。2人は牢番の剣士に会釈をして中に入った。そこはロビーになっていて、受付もここにある。この建物の中にあるのは受付や事務室などの施設で、実際に囚人が収監されているのはほとんど地下だ。だからこの国の誰もが『牢獄』ではなく『地下牢』と呼ぶ。グラディスは検死医に会わせてくれるよう受付に頼んだ。
「お待ちください。」
受付にいるのは男性だ。ここでは受付に女性は雇用しない。囚人達が脱獄を企てたりした場合、人質に取られる危険性があるからだ。受付の任務に就く男性達は皆武術を学び、万一の時に対応できるよう訓練された者ばかりなのだ。
「検死医に会いたいという王国剣士は君達か?」
やってきたのは40代くらいかと思われる医師だ。
「モーガン先生ですか。」
グラディスが尋ねた。
「いや、モーガンの当番は先週までだ。私は今週から当番で着任したドゥルーガーだ。」
「そうでしたか。失礼しました。モーガン先生にお会いしたいのですが、今は医師会ですか?」
「モーガンなら先週ここの当番が終わった次の日から休暇をとっている。なんでも旅行に行くのだそうだが。戻ってくるのはだいたい一週間後だという話だったから、当分会うのは無理だろうな。」
「そうでしたか・・・。」
まさか会えないとは思わなかった。実際に検死をした医師からなら、もう少しいろいろと詳しいことが聞けるかと思ったのだが・・・。
「どういう用件なのか聞いてもいいかね。個人的な知り合いというなら無理にとは言わんが。」
グラディスは迷ったが、この医師に話を聞いてみることにした。アルスとセラードに出会ったことで、この件を調べていることはある意味公になっている。2人はドゥルーガー医師に、先日のガルガスの件について何か判ることはないかと尋ねてみた。
「ふむ・・・あの周旋屋の件か・・・。そういえば調書を書いた王国剣士の知り合いだったらしく、だいぶいろいろと聞かれたと言っていたな。よし、待っていてくれ。そのときの記録があるはずだ。」
ドゥルーガー医師は奥の書庫に入り、しばらくして分厚い資料を持ってきたのだが、なんだか首をかしげている。
「うーん・・・。これなのだが・・・。」
「何かあったんですか?」
グラディスはさりげなく尋ねたつもりだが、実は心臓がどきどきしていた。まさか・・・ここに団長の手が回っているなんてことは・・・・。
「いや、失礼した。資料はこれだ。・・・ガルガス殿の検死の記録がこのページから・・・ここまでなのだが・・・。」
ドゥルーガー医師はそう言ってまた『うーん』と唸って、そして『妙だな・・・』とぽつりと言った。
「何か不審な点が?」
グラディスが口を開くより早く、ガウディが尋ねた。この事件についてガウディはずっと消極的だった。グラディスが頼まれたことにへたに積極的に口を出すと、決まってグラディスは嫌な顔をする。だから今回も出来るだけ関わらないようにしていたのだ。だがどうやらそうも言っていられない。アルス達に頼まれたのはグラディスだけじゃない。そして剣士団長にも・・・。
(だが・・・俺達2人に調査をしろと団長が持ちかけたのが、俺達ならば真実に到達出来ないだろうから、うやむやに出来るかも知れないという理由だとしたら・・・。)
自分達が不甲斐ないせいでろくな結果が得られず、悪の跳梁を許すようなことになったら、それは剣士団全体が悪に屈したことになるのではないか、力不足なのは嫌になるほどわかっているが、このまま何もできずに引き下がるのはごめんだ。
「いや、検死の報告書は確かにここにあるのだが、通常は報告書が作られるまでの資料も一緒に保管されるはずなのだ。例えば・・・。」
ドゥルーガー医師はそう言って、別な検死記録をみせてくれた。確かに報告書の他に、メモのような資料が何枚も付いている。死体の状態や傷の有無など、かなり細かく記録され、報告書はそれを元に作られるのが一般的なのだそうだ。
「これはだいぶ前に私が検死を担当した時のものだが、これがモーガンの検死となると、こうなる。」
ドゥルーガー医師は別なページをめくって見せてくれた。さっき見た検死報告書についていた資料の倍くらいの資料が、報告書にひもで括り付けられている。
「モーガンは大量の資料をつけることで有名でね、資料管理の担当者からもう少し減らしてくれないかと言われるほどなのだ。それが報告書のみであとは何もないとは解せんなあ。モーガンがそんないい加減なことをするとは考えられん。」
「例えば・・・うっかり医師会に持ち帰ってしまったとかは・・・。」
「うむ、なるほど、確かにその可能性はあるな・・・。モーガンは旅行が趣味で今回もだいぶ楽しみにしていたようだから、うっかり荷物に入れてしまったのかもしれんな。休み明けにでも聞いてみよう。いやすまなかったな。今のところはこの報告書だけしかないが・・・。」
「充分です。他の資料については必要になったらモーガン先生がいらっしゃる時にでもまた伺います。」
モーガン医師の報告書は、なるほどかなり細かい。できるだけメモを取ってグラディス達は地下牢を出た。
「・・・・・・・・・・・。」
2人とも黙り込んでいた。必ずあるはずの資料が、ガルガスの報告書にだけついてなかった。これは何を意味するのか。剣士団長と副団長なら、地下牢へは頻繁に行くだろう。検死報告書を眺めていたところで誰も見咎めたりしない。見ているふりをしてさりげなく資料を外す。壁に向かっていれば懐にさっと資料を隠したところで誰も気づかない・・・。
『だが人間というものは、一つ疑いが芽生えると、何でもかんでもそれに結び付けて考えようとしてしまうんだ。』
またパーシバルの言葉が浮かぶ。だがこの状況は・・・。
「・・・仕方ない。モーガン先生が戻ってくるのを待つしかないか・・・。」
独り言のようにつぶやいたのはガウディだ。
「そんなに時間はかけられないぞ。」
とっさにグラディスが言い返した。アルス達のおかげでこの件を調べることが公になったからと言って、一度は終わった事件、しかもまだ事件と言えるかどうかも分からない案件を、いつまでも調べているわけにはいかない。いかに入ってまだ3年程度とは言え、グラディスとガウディだってそれなりに町の中で当てにされてはいるのだ。
「それじゃどうするんだ?何もわかりませんでしたとアルスさん達に報告するのか?パーシバルさんにも。これで話は終わりだ。パーシバルさんは団長に何と言えばいい?あの人が、調査がうまくいかなかったのを俺達のせいにするとは思えないぞ。全部自分の責任だと団長に報告するだろう。それを聞けば団長は俺達が・・・。」
「少し黙ってくれよ!俺だって考えてるんだ!」
くどくどと説教がましいガウディの言葉をさえぎって、ついにグラディスは怒鳴った。
「ならほかに何か方法があるのか!?」
怒鳴ってから、二人ともはっとして口を閉じた。こんな往来で喧嘩などしたら、剣士団どころか町中の噂のタネになってしまう。
「・・・とにかく、さっきの橋に戻ろう・・・。あそこから、今度はこの周旋屋が飲んでいたという店まで歩いてみよう・・・。」
気まずい雰囲気のまま、2人はガルガスが落ちて死んだ橋まで戻ってきた。
「飲んでいた店からここに来るまでの道となると・・・このあたりかな。」
グラディスが地図を見ながらうーんと唸った。
「・・・一番可能性が高いのはそこだが、こっちのルートをとっても時間はそう変わらんぞ。この人は家に帰ろうとしていたはずだ。家がこっちだから・・・一本隣のこの通りを使う可能性もある。元々この町に住んでいる人らしいから、道はよく知っているだろう。いくら酔っていてもわざわざ遠回りはしないだろうしな。」
「そうだな・・・。」
案外素直にグラディスがうなずいたので、ガウディは少し面食らったが黙っていた。
「それじゃ今度は飲んでいた店まで行ってみるか。昼間もやってるなら話が聞けるかもしれないな。」
二人は地図を見ながら、ガルガスが通った可能性のある道の中から一本の通りを選び出し、そこを通って酒場まで行くことにした。その店からこの橋に至る通りは何本かあるが、一番まっすぐで通りやすく、橋からその店がある飲み屋街までの間には住宅が立ち並び、特に何もない道だ。だが・・・
「うーん・・・。」
歩きながらグラディスが唸った。
「確かに道はまっすぐなんだが、飲み屋街に入ってからは結構道端にいろんなものが置かれてるなあ。」
「泥酔して歩いていたなら、たぶんゴミ箱の一つや二つは蹴飛ばすだろうな。」
ガウディもうなずいた。この通りは酒場が並んでいる。歓楽街の入り口にある酒場のように、娼婦達ほどではないがそこそこ器量のいい女達が給仕をしていて、たまに客の求めに応じて『別料金』で一晩相手をすることもある、そんな店ばかりだ。昼間はみんな入口が閉まっている。
「ま、入り口が開いていたとしても、俺達の制服を見るなり閉じられそうな店ばかりだよな・・・。」
グラディスがあたりを見渡してため息をついた。商売自体は別に違法ではないのだが、この手の店はそれなりに後ろ暗いところの一つや二つはある場合が多い。
「まあ、話は聞けそうにないな・・・。」
ガウディもあきらめ顔だ。が・・・
「あ、あそこにいるおっさんに話を聞けるかもしれないぞ。」
グラディスが指差した先には、一目で浮浪者とわかる格好の男が、道端に寝転んでいる。住宅地区建設工事を当て込んでやってきたはいいが仕事にあぶれ、家に帰ることもできずに浮浪者になるというのはよくある話だ。男の着ている服はぼろぼろで、服から出ている手や足は薄汚れている。背中を見ただけでは歳のころはわからないが、手足を見た限りではそれほどの歳とも思えない。
「おいおっさん、こんなところに寝てると風邪ひくぞ。」
グラディスが近づいて声をかけた。こんな時の相方の態度にはいつも無礼さを感じていたものだが、今だけは自分よりもこの男のほうが話を聞き出しやすいかもしれないと、ガウディは思った。
「ふん、余計なお世話だ。金をくれる気がないならあっちにいけ!」
男は寝転がったまま、グラディス達に振り向こうともせず言った。
「場合によっちゃやらんこともない。あんたが正直に俺の質問に答えてくれるならな。」
「・・・なんだと?」
男は起き上がってグラディス達に振り向いた。
「ほお、王国剣士の・・・ふん、ガキ共、だな。見るからに青臭い面構えをしていやがる。で、その王国剣士様が俺に何の用だ。」
「ははは、ま、青臭いのは確かだから反論する気にはならないな。あんたはいつもこのあたりにいるのか?」
「おうよ。このあたりは俺様の庭みたいなもんだ。」
「夜もいるのか?」
「お前はバカか?俺がどういう方法で食いつないでいるか、この格好を見ればわかるだろうが?夜は俺の稼ぎ時だ。店の裏口を回って、客の残り物や酒をもらってくるのに忙しいのさ。」
「だがこのあたりは店が多いじゃないか。ここだってあんたの『稼ぎ場所』なんだろう?」
「へっへっへ、まあな。」
2人のやりとりを聞きながら、ガウディはイライラしていた。この男がわざとのらりくらりと話をはぐらかしているのはわかる。だが相手をするグラディスは男に文句を言うでもなくのんきに話し相手になっている。こんなところで時間を浪費するわけには行かないというのに。
「それじゃ本題だ。この通りを、何日か前に通っていった酔っぱらいのことを聞きたいのさ。」
男はわざとらしく呆れたように肩をすくめてみせた。
「ふん、だからガキだってんだよ。この通りにある店は酒場ばかりだ。歩いているのは酔っぱらいに決まってるじゃねぇか。そんなこともわからねぇのか?」
「ははは、それもそうだな。俺の説明が悪かったよ。そいつはここから見えるあのでかい看板の店、あの店から出てきたはずなんだがな。」
「あのなあ、夜になればこの通りは人通りが一気に増えるんだ。そこの店から出てきた奴がここを通ったかだと?俺はこの通りを歩く連中を観察しているわけじゃねぇんだ。わかるわけがねぇだろうが。」
「まあそうだなあ・・・。うーん・・・。」
どうやらこの男は、この周辺の道をねぐらにあちこちの店の裏口から声をかけ、残り物をもらって食いつないでいるらしい。ガルガスがこの道を通ったなら見ている可能性は高いが、夜になればこの場所にいるとは限らないだろう。それにグラディスとしても、ガルガスが絶対にこの道を通って橋に向かったのだと確信できるわけではない。あくまでも推測だ。グラディスは質問を変えることにした。
「それじゃ、その店から出てきた奴がどこに行ったかってのはどうだ?時間としては真夜中、おそらくはあちこちの店が店じまいをし始める時間帯だ。そりゃまあ、その時間帯だともしかたら何人も一斉に出てきたかもしれないが・・・その中にいたはずの奴を探しているんだ。時期は一週間ほど前かな。かなり体格のいい男だ。相当酔っ払っていたと思う。」
グラディスはガルガスの特徴を話し、かなり足下がおぼつかない状態だったはずだから、そのあたりのゴミ箱などを蹴っ飛ばしながら歩いていたのではないかと説明した。ガルガスがこの通りから橋に向かったのかどうかはっきりとわからなくても、店を出た後どっちの方角に行ったのかだけでもわかれば、また調べようはある。何もこの道にこだわることはないのだ。
「・・・というわけだ。その男を見たかどうかを聞きたい。この店を出てからどっちの方角に行ったのかだけでいいよ。それだけでも俺達にはかなりの助けになるんだ。そしたら、あんたの望む金を渡してもいいぜ。情報料としてな。」
「そういうことなら、見たかも知れねぇが・・・。うーん・・・。」
男は真剣に考え込んでいる。金ほしさにいいかげんな話をでっち上げようという気はないらしい。
「あー・・・もしかしたらあの男かなあ・・・。いや、しかし・・・。」
「言っておくが、俺が支払う情報料は、本当の話に対してだけだ。本当に見たのか?」
「おそらくはな。もっとも間違いなくお前らの探している男かどうかは知らんが。」
「まあそれはしょうがないな。だが、同じ時間帯に同じ店からそっくりの男が2人出てきて千鳥足で帰っていったというのも不自然な話だから、あんたが見たと言うならそいつは俺達の探している男だろう。」
「いやそういうことじゃねぇよ。確かに一週間ほど前、その店からお前が言っていたような体格の男が出てくるのは見たかもしれねぇ。だが、俺の見た男は確かに酔ってはいたが、そんなに千鳥足じゃなかったんだよ。」
「つまりそれほど酔っぱらっていなかったってことか?」
「ああ、多少足元がふらついてはいたがな。だが、そんなに酔っていたとも思えねぇな。」
「なるほど・・・。それじゃそいつが俺達の探している男かどうかは置いといて、そいつがどっちの道に行ったかは覚えてないか?」
「うーん・・・。」
男はまた考え込み、『あっちの道だ』と指さした。それは、この店を出てからまっすぐ橋に向かう道、つまりグラディス達が辿ってきた道ではなく、1本隣の通りに出る道だった。
「向こうか・・・。間違いないな?」
「ああ、だんだん思い出してきたぞ。そいつはそっちの道に向かって歩き始めたんだが、ほれ、そこの道の端に置いてあるゴミ箱、歪んでいるだろう?その男がぶつかって、道に中身をぶちまけたんだ。そこの店はだらしのない店でな。そのゴミ箱はいつもゴミがてんこ盛りになってるんだよ。朝のうちに片づけたみてぇだから今は空っぽだがな。だが店が開いてる間はどんなにゴミがたまっても絶対に片づけたりしねぇんだ。その男はごみ箱があるのに気が付かなかったみたいでな。ぶつかって中身をぶちまけて、よろめいた拍子にゴミ箱に躓いて踏んづけた。いや臭かったのなんの。おかげであの日は別な場所で寝なくちゃならなくなったんだから、いい迷惑だったよ。」
「それはつまり、かなり酔ってたってことなんじゃないのか?」
「そんなこたぁ知らねぇよ。俺の目にはそれほど酔ってるように見えなかったというだけのことさ。」
「ふーん、おっさんはそいつの顔は見たのか?」
「いや、ちょうど店の明かりを背にしてたからな。顔は知らん。それにその道の先に行っちまったらあとは真っ暗だからな。」
となるとその男がガルガスかどうかは別にして、本当に泥酔していたのかいなかったのかというのはわかりにくい。
(しかし時間帯も合ってるし・・・。)
ガルガスが店を出た時間帯は、詰所で見た調書に書かれていた。この男の言葉は、調書の内容と一致している。
「わかった。助かったよ。ほら、これは約束通り情報料だ。」
考えるのはあとだ。グラディスは懐の金袋を出して、銀貨を2枚、男に握らせた。王国剣士の給料は王宮発行の紙幣で支払われるが、グラディスは普段から給料の一部を金貨や銀貨に換えて持ち歩いている。王宮発行と言っても、紙幣を信用しない店もあるからだ。男は銀貨を見た途端、ニーッと笑った。
「ほお、あんちゃんわかってるじゃねぇか。王宮発行の紙切れなんぞ出しやがったらつっ返してやろうかと思ってたが、これなら受け取ってやってもいいぜ。」
「そりゃよかった。こっちも助かったよ。それじゃ、落っことしたり賭け事に使っちまったりするなよ。」
「けっ、ガキがいっちょ前に説教なんぞするんじゃねぇよ!・・・ま、ちゃんと支払ってくれた礼に、もう一ついいことを教えてやろう。」
「今の男に関してか?」
「そうだ。今お前と話していて思い出したんだが、あの男、もしかしたら誰かと会う約束をしていたかもしれないぜ。」
「へぇ、なんでそんなことがわかるんだよ?」
内心グラディスはかなり驚いていたのだが、それをできるだけ悟られないよう、さりげなさを装って尋ねた。
「その男がごみ箱にぶつかって踏んづけたと言っただろう?その時ぶつぶつ言ってたんだよ。『今日はガツンと言ってやろうと思ってたのに』とか『これじゃ奴に文句を言われちまう。』とかな。」
「うーん、それだけだと、家に帰って女房に文句を言われるってことかもしれんしなあ。」
「ま、俺だってそこまではわからん。だが、女房のことを『奴』なんて言うかね。俺なら、『あいつ』か、名前で呼ぶか、だな。」
その口ぶりから察するに、この男にも女房はいるらしい。その女房は自分の亭主がこんなところで浮浪者になっていると知っているのだろうか。
(ま・・・そんなことは俺が言うことじゃないな。)
せっかく気分よく話をしてくれているのだ。今その話を持ち出すべきじゃないことくらいは、グラディスにだってわかる。ここは黙って話を聞くべきだろう。
「なるほど、確かにそうだな。」
「ところで、お前らなんでそんな野郎の話を聞きたがるんだ?何かやらかした奴なのか?」
男の目は好奇心に満ちている。グラディスはその男がどういう末路を辿ったかだけは教えておくことにした。
「いや、やらかしたわけじゃないよ。おそらくは、だが、ここで酒を飲んだ後、この先の橋の上から落っこちて死んじまったんだ。」
「ほぉ、ずいぶんと間抜けな・・・ん?・・・橋の上・・・。」
男の顔色が変わった。
「どうしたんだよ。」
「おい、まさか・・・お前が言ってるのは・・・ガルガスの旦那のことじゃねぇだろうな・・・?。」
「そうだが・・・知り合いなのか?」
これにはグラディスもガウディも驚いた。が・・・考えてみればこの男はおそらく人夫崩れだ。周旋屋として毎日人夫募集にあたり、、組合のまとめ役でもあるガルガスと顔見知りだったとしてもおかしくはない。
「・・・・・・・。」
薄汚れていても、男の顔色が真っ青になっていくのがはっきりとわかるほどだった。
「知り合いか・・・。ふん・・・そうだな・・・。確かに知ってるさ。さんざん世話になっておいて、借りた金も返さずに逃げちまうくらいの・・・知り合いだ・・・。」
男は大きくため息をついて、顔を覆った。『ちくしょう、大馬鹿野郎が・・・。』口の中でそう繰り返しながら、しばらく動かなかった。思いがけない展開になったが、グラディスもガウディも、男が落ち着くまで待ってみようと考えていた。この男はガルガスを知っている。何かもっと違った話が聞けるかもしれない。
「わ・・・悪かったな・・・。へへへ、いい年してみっともねぇ。」
男は顔をごしごしと拭って、ため息をついた。
「気にすんなよ。知り合いだったなら、死んだと聞けば誰だって驚くさ。」
男はうなずき、もう一度大きなため息をついた。
「・・・今度ばかりは自分に愛想が尽きたよ。ガルガスの旦那が向こう側の橋の上から落ちて死んだってのは聞いたが・・・まさかあの時のあの酔っ払いが、旦那だったとはなあ・・・。」
「なあおっさん、俺達が聞きに来たような話を、ほかの王国剣士からも聞かれなかったのか?」
「聞かれたぞ。旦那が死んだ次の日にな。お前らよりはるかにベテランの風格がある剣士が2人で聞き込みをしてたっけな。俺はその2人から、橋から落ちて死んだのがガルガスの旦那だと聞いたんだ。だがさっきも言ったように、俺はその店から出てきたのが旦那だとは全く知らなかった。『ガルガスを見かけなかったか』と聞かれたから、俺は『見ていない』と答えたのさ。・・・」
ベテランの剣士2人とはおそらくアルスとセラードだろう。2人もガルガスの辿った道を歩いて情報を集めていたのだ。この男がガルガスの顔見知りだと知り、見かけていればわかるはずだということで『ガルガスを見かけたか』と聞いたのだと思う。ところが、この男はガルガスを知ってはいたが、近くの店から出てきてごみ箱をひっくり返した男がガルガスだったとは気づいていなかった。気づいていたなら、この男はアルス達に今の話をしただろう。そうしたら、多少なりとも事件性があるということで、彼らが継続して調査にあたれたかもしれない。
男はもう一度ため息をついて、顔を上げた。
「なあ、ガルガスの旦那は飲みすぎて橋から落ちたって聞いてるんだが、なんであんたらはそんなことを調べてるんだ?あの旦那が何か事件に巻き込まれてるとか、そういうことなのか?」
「いや、そういうことじゃないよ。事故ってことで調査は終わってる。俺達はあんたの見立て通り駆け出しでね、いったん調査が終わった案件を調べなおしてみろと先輩から言い渡されたのさ。何と言ってもガルガスさんが橋から落ちたのは真夜中だ。つまり目撃者がいないんだよ。事故だからどんな死に方をしたっていいって話にはならないからな。再発防止の対策を講じるためにも、きちんと調べなくちゃならん。本当なら先輩達が調べることだが、あいにくとベテラン剣士は忙しい。対して俺達は駆け出しなので暇だ。だから俺達が調べてる。そういうことだよ。」
よくもまあすらすらと出任せが出てくるものだと、グラディスは自分の口を疑いたくなるほどだった。だが、ベテランの剣士が調べたが納得いかなかったから、そんな理由を言うわけにはいかない。ガウディが余計なことを言わなければいいがと心配になり、グラディスは隣をちらりと伺った。だがガウディが何かを言いたそうにしている気配はない。
(ガウディの奴、気味が悪いほど静かだが・・・今だけはありがたいな。)
そのガウディはと言えば、この場はグラディスに任せておこうと心に決め、ひたすら黙っていた。この浮浪者がこうして話をしてくれるのは、間違いなくグラディスのおかげだ。ガウディの目には無礼としか映らないこの態度が、この浮浪者の警戒を緩めたのは確かだ。最初に話しかけたのが自分だったら、おそらくこんなにうまくはいかなかっただろう。
「なるほどな・・・。あの日死んだのがたまたまガルガスの旦那だったというだけで、酔っ払って橋から落ちるなんて情けない死に方をするのが、旦那一人とは限らねぇ、そういうことか・・・。」
「そうだ。この町では毎日人が死んでる。死んだのが誰かなんて誰も気にしちゃいないだろうが、次に死ぬのが見も知らない他人であるとは限らないのさ。」
「しかし・・・もしも俺が見たのが間違いなくガルガスの旦那だったとしたら・・・別な店ででもまた飲んだのかね・・・。」
「その可能性はありそうだな。おっさん、いろいろ聞けて助かったよ。ありがとな。」
「いや、俺のほうこそ礼を言うよ。お前らが来なけりゃ何も知らないままだった。そういえば、お前、名前はなんていうんだ。」
「そういえば名乗っていなかったな。俺はグラディスって言うんだ。こっちが相方のガウディだ。またなんかあったら話を聞きに来るからな。」
「グラディスにガウディか、覚えておくぜ。俺はダスティンだ。」
「それじゃ今度会うことがあったらダスティンさんと呼ばなくちゃならないな。おっさんなんて言って悪かったよ。」
「はっ!気にするなよ。お前らからすりゃ間違いなくおっさんだ。」
男は最初に会った時の無愛想な顔はどこへやら、笑顔で見送ってくれた。
「よし、それじゃ今度はそっちの道か。こっちからだと、あの橋までは・・・少し遠回りだな。」
「・・・グラディス、さっきの男に渡した金、俺も半分出すよ。」
「へ?」
グラディスはぽかんとして聞き返した。
「さっきの金だ。あの浮浪者がいろいろと話してくれたのは君のおかげだよ。俺はその手の交渉ごとはうまくないからな。だから本当なら金くらい俺が出すと言いたいところなんだが、君と俺の給料には差がない。余裕がないのはお互い様だし、せめて半分は出させてくれってことさ。」
「うーん・・・なんだかよくわからん理屈だが・・・。」
浮浪者から離れた途端にガウディが文句を言い出すのではないかと思っていたグラディスは面食らった。だが、せっかくの申し出だ。ここは広い心で受け止めるべきだろう。
「そうだな・・・。まあもしかしたら他にも金を出すことがあるかもしれないから、今日一日聞き込みをしてかかった金を半分にしようぜ。」
「そうだな・・・。」
王国剣士の給料なんて『安月給』の代名詞だ。城下町の外を警備していれば、モンスターが落としたものは自分達のものにしていいことになっているが、城下町勤務が多い月は、それなりに財政状態は厳しいのだ。ガウディの申し出は実にありがたい。
(俺は・・・グラディスのこう言うところに叶わないんだ・・・。)
グラディスがガウディの申し出を断らなかったことで、ガウディはほっとしていた。ガウディがさっきの浮浪者に話しかけたとしたら、『すみません、ちょっとお話を伺いたいのですが』と話しかけていただろう。だがあの男はおそらくそんな聞き方ではうるさがって、逃げられていたかもしれない。先日のエイベックのことだってそうだ。ガウディが自分ではどうやってもうまくやれないだろうと思うようなことを、グラディスは難なくやってのける。それがグラディスに対する嫉妬なのだとわかってはいても、どうしても苛立ちばかりが先に立ってしまい、結果として喧嘩になってしまうのだ。だが、とにかく今は情報を集めることが先決だ。この後の調査によってはもしかしたら、ガルガスの死が単なる事故死ではないということになるかもしれない。
「さて行くか。こっちからだとあの橋までは遠回りになるが、もしも誰かと待ち合わせをしていたとすれば、話は変わってくるな。」
「・・・もしかしたら、橋の上にいた時も誰かと一緒だったかもしれないわけか・・・。」
「そうなんだよ。それともう一つおかしいことがあるぞ。さっきのおっさんの話では、ガルガスさんはそれほど酔っ払ってなかったみたいじゃないか。」
「ああ、まあそうだな・・・。店ではだいぶ飲んでいたって話は調書にもあったし、アルスさん達も言っていたが・・・。元々かなり飲む人だったらしいし、となると飲んだ量のわりに酔っていなかったってことになる。それなのに泥酔してそのまま橋から落ちるってのは考えにくい・・・。」
「ああ・・・もちろん絶対にないなんて言いきれないが・・・。」
「それはそうだが・・・いや、しかしこっちの道から橋に向かったなら、たどり着くまでにそこそこ時間がかかるだろう。たとえばさっきの浮浪者の見た目よりも実際には酔っていたのだとしても、橋に着くころには多少なりとも酔いが覚めていてもおかしくないじゃないか。」
「そうなると、死んでから水に浮くまでの時間だってそんなになかったはずなのに、相当臭かったってのは妙だな。酒の風呂に頭から突っ込んだっていうならともかく・・・。あのおっさんが言ってたように、どこかでもっと飲んだか、でなければ・・・。」
「もしも誰かと一緒だったら、その何者かがさらに飲ませたとか・・・。それこそ無理やりにでもな・・・。」
「そして本当に前後不覚にしてから、橋から落とした・・・。」
「・・・・・・・・・・。」
2人は顔を見合わせた。これが・・・もしかしたら『新しい事実』かもしれない。しかもとびきり物騒な・・・。
「いや・・・。」
グラディスは考え込んでいたが、ゆっくりと首を振った。
「しかし・・・かなり真実味があると思うが?」
「ああ・・いやそうなんだ、そうなんだよ!だから・・・飛びつくのは危険だ。俺達は・・・俺達はこの件について、『新しい事実』が欲しいんだ。そしてそれが今、目の前にぶら下がっている。でも本当にそうなのか?俺達が思い込みで勝手な想像で作り上げた空想なんじゃないのか?」
「それは・・・。」
そう言われるとガウディも自信がない。確かに、まだまだはっきりとしない話ばかりだ。
「よし、ここから橋まで戻ってみよう。今さら何か残っているとは思えないが、注意深くあたりを見ながら行ってみよう。」
2人とも、心臓が早鐘のように鳴っている。今日の調査によっては、ただの事故でしかなかったはずのガルガスの死が、実はとんでもない事件に発展しかねないのだ。
「・・・もしも誰かと会うつもりだったとすると、それはどこかってこともあるな・・・。」
「ガルガスさんの足取りはもっと詳しく調べなくちゃならないな。アルスさん達がどういう手順で調べたのかも知る必要がありそうだ・・・。」
「アルスさん達はさっきの浮浪者の話を聞いて、店を出たあとあの道をガルガスさんは通らなかったと判断しただろう。ということは、こっちの道も調べた可能性はある。」
アルス達はこの事件で自分達が行った調査について教えてくれたが、どことどこを調べてどこを調べていない、までは言わなかった。犯罪捜査ならそう言った引継は綿密に行われるのが当たり前のことなのだが、アルス達が今回の再調査に望んでいるのは、どちらかと言えばグラディスのガウディの仲を良くすることだ。ガルガスについては本人達も言っていたとおり『何かわかればめっけもん』くらいに考えているだろう。
「同行してもらえれば詳しいことがわかるんだがなあ。」
「俺達に同行する時間があるなら、自分達で継続して調べているさ。俺達を当てにするよりよほど確実だぞ?」
「それもそうか・・・。」
2人はダスティンから聞いた道に向かって歩き出した。自分達が橋から辿ってきた道を、ガルガスが通らなかったのは確からしい。となるとダスティンの言ったようにこっちの道を歩いて橋まで行ったのか。それとも途中でどこかに寄ったのか・・・。この町の道はかなり入り組んでいて、ほとんどの道は繋がっている。となると、最悪ガルガスの辿った道も幾通りも考えられる。
「こうなると今日1日でどの程度調べられるかわからないなあ・・・。今日の夜もパーシバルさんが来てくれるだろうから、その時に相談するか。」
「そうだなあ・・・。」
首をかしげつつ、きょろきょろと辺りを見回しながら歩く2人を、離れた場所から見つめている人影がある。
「あいつらか・・・。何をやってるのか知らんが・・・。」
人影は2人が歩いて行った方向をしばらく見つめていたが・・・
「急いだほうがよさそうだが・・・さてどうするかな。・・・やっと居場所が分かったというのにあの男には妙な連中が張り付いてるし、仕方ない、まずこちらからけりをつけるか・・・。」
そういって踵を返した。
「あら、すみません!」
歩き出そうとした人影は、ふいに飛び出してきた女性にぶつかった。
「これは失礼。私の不注意でした。」
人影は『表の顔』に戻ってにこやかに礼をした。
「失礼します。」
パーシバルは人夫募集に使われる広場の一角にある、周旋屋の事務所の扉を叩いた。
「どうぞ。おや・・・王国剣士の旦那ですか・・・。何かあったんですか?」
出てきた男の顔には見覚えがある。この広場でよく人夫募集をしていた男だ。以前グラディスが話しかけた男と一緒かどうかはわからないが、この周旋屋はパーシバルの訪問をあきらかに迷惑がっている。
「少しお話を伺いたいと思いまして。取りあえず中に入れてくれませんか。」
言葉の最後のほうにだけ力を込める。その有無を言わせぬ口調に、周旋屋の男は渋々パーシバルを中に入れた。中には4人ほどの周旋屋達が机に座って何か書き物をしていたが、全員が顔をあげてパーシバルに注目している。あきらかに迷惑そうな、そして少しだけ怯えたような『気』が建物の中に渦巻いている。パーシバルは優れた呪文の使い手だ。呪文や気功の使い手は元々『気』の流れに敏感だが、普通ならこんな風に、そこにいる誰かの考えていることがなんとなくわかるなんてことはない。だがそれが、複数の人間が同じことを考えていたりするとそれなりに感じ取ることが出来る。この部屋の中では、ここにいる全員がほとんど同じことを考えているらしい。王国剣士などさっさと帰ってほしいと。
(つまり・・・何かあると思っていいんだろうな・・・。)
「で、ご用件は?」
最初に出てきた周旋屋の男が切り口上で尋ねた。
「最近何か変わったことはありませんか。」
まずは当たり障りのない話から始めよう。
「特にありませんが・・・。なんでまた急に?」
「こちらでは毎日人夫募集をしていますよね。最近募集の数が増えたことで、城下町にはたくさんの人達が仕事を求めてやってきています。人が増えればあちこちでもめ事も起こります。人夫達から何かそんな話などを聞いてないかと思いまして。」
「うーん、そうですねぇ・・・。」
その時、机に座って仕事をしていた別な周旋屋が顔を上げた。
「浮浪者が増えてるって話は聞きますよ。我々としても毎日集まってくる人達をみんな雇ってやりたいのはやまやまですがねぇ、そんなにいっぺんに人を増やしてもかえって仕事が滞っちまうんですよ。だからあきらめず毎日来てくれればいずれは雇うことも出来るかもしれないってのに、3日も過ぎると来なくなっちまうってのがほとんどでねぇ。」
そして彼らは歓楽街やその他の飲食店が集まる繁華街の路地裏に集まり、ごみ箱を漁ってはその日の飢えをしのぐ生活になってしまうのだという。腐ったものを食べて中毒になったり、ごみを漁っているところを野犬に襲われたり、あるいはそのゴミ箱の持ち主である店の用心棒に追い立てられて逃げる途中に馬車にひかれたりと、そんな形で彼らは次々と命を落としていく。だが・・・また新たにやってきた地方からの人夫希望者が、また仕事にあぶれて路地裏にさまよいこむ・・・。
「中にはね、仕事にありつけた人夫を逆恨みして建設現場でダガーを振り回したりなんてこともありましたよ。もうずいぶん前の話ですがね。でもそんなことが起きても、あたし達にはどうしようもないことですよ。」
「そうですか・・・。一番最近ではどんなことがありましたか?」
その時
「こんにちは〜。」
明るい女性の声がして、事務所の扉が開いた。
「おやいらっしゃい。書類は出来てますよ。」
張りつめていた事務所の空気が和らいだ。入ってきた女性の顔に見覚えがある。確か彼女はエリナと言って、王宮の行政局の事務官補佐だ。
「ありがとうございまーす。あら?パーシバルさん、どうしたんですか。ここでお会いするとは思わなかったわ。」
それほど親しく言葉を交わしたことはないが、エリナは人懐っこく話しかけてきた。
「最近城下町でいろいろと事件が起きているからね、話を聞きに来ていたんだよ。」
「そうですか。ほんと治安が悪くなりましたよねぇ。でも私にとって一番悲しかった出来事は、やっぱりガルガスさんが亡くなったことです。すごくいい人だったのに・・・。」
その名前が出た途端、部屋の『気』がビリッと震えたような気がした。そこにいる周旋屋達の表情が一様にこわばっている。
「君はいつもここに来てたのかい?俺もガルガスさんとは顔見知りだったけど、そんなに話したことがあるわけではないからね、それほどよく知らないんだ。」
周旋屋達がこの話題にかなり動揺しているのはわかる。早いところ切り上げて、エリナもパーシバルもさっさと帰ってほしいだろう。だがバーバルはあえてこの話に乗ってみた。
「そうなんですか。顔はちょっと怖かったけど、優しい方でしたよ。いつもここに座って、私が来た時は笑顔で迎えてくれて・・・。」
そう言ってエリナが指し示したのは、誰も座っていない机と椅子だ。ガルガスが亡くなってからは、誰もその椅子と机を使っていないらしい。
「はぁ・・・しんみりしちゃってすみません。それじゃ今日の分の書類はいただいていきますね。何かあればまた連絡しますので。」
「はい、ご苦労様でした。」
周旋屋達は表向きは笑顔でエリナを送り出した。パーシバルも出ることにした。いつまでも居座っていると、変に思われる。
「それじゃ私も失礼します。何かあれば遠慮なく声をかけてくださいね。」
事務所の中の空気が一気に緩み、周旋屋達がほっとするのがわかった。
「はい、わざわざご苦労様でした。」
周旋屋達の事務所を出てから、パーシバルはエリナに追いついて話を始めた。
「さっきのガルガスさんのことなんだけど、亡くなる前に何か様子がおかしかったなんてことはなかったのかい?」
「・・・ずっと顔色が悪かったんです。どこかお悪いんですかって聞いたんですけど、『歳をとるといろいろとね』なんて笑っていましたから、一時的なものなのかと思っていたんですが・・・。」
「酒はよく飲む人だったから、そっちの絡みで体調が悪かったのかな。」
「かもしれませんけど・・・もしかしたら何か悩みがあったのかもしれません。」
「・・・そんな兆候があったのかい?」
「兆候ってほどじゃないんですけど、亡くなる少し前に事務所に行ったとき、たまたまガルガスさんおひとりだったんですよ。私が入っていったのに気付かない様子で、すごく怖い顔で『ちくしょう、あいつら勝手なことしやがって』ってつぶやいているのを聞いちゃったんです。だから誰かと何かもめていて、それで悩んでいたのかなあって。」
これは大きな収穫だ。もっと話を聞きたかったが、その時ちょうど王宮への道に出た。
「なるほどね・・・。ま、なんにせよ、気の毒な死に方だったね・・・。」
パーシバルはさりげなさを装って、話題を変えた。エリナはこのまま王宮に戻るらしいが、パーシバルは警備の最中だ。ついていくわけにはいかない。それに、エリナがどこまで知っているのかがわからないし、下手に突っ込んで聞けば不審に思われるかもしれない。
「そうですね・・・。パーシバルさん、ガルガスさんみたいな死に方をする人が少しでも減るように、王国剣士の皆さんで何とか対策をしてください。お願いします。」
「そうだね。俺達も考えるよ。あまり気に病まないようにね。」
「はい、それじゃ失礼します。」
エリナは王宮へ向かう道を歩いて行った。パーシバルはその道を右に曲がって、市場に行ってみることにした。
「ここからが『商業地区』ということになるのか・・・。」
今パーシバルが立っているのは、王宮の入り口から城壁の南門までを結ぶ大きな道路だ。『住宅地区』と『商業地区』を分けるために、まず最初に作られた道路で、この道の東側が『商業地区』になる予定だ。ローディという男が迷い込んだ資材置き場は、西側のほぼ真ん中にある。現在建設中の『住宅地区』の公園になる予定の場所だ。
「・・・確かあの資材置き場の周りに、エイベックという男の仕事場があるはずだな・・・。」
そのあたりは今のところ工事現場なので、いるのは周旋屋、人夫、王宮からきている監督官くらいだ。ただ、人夫達の中には血の気の多い者もいるので、できるだけ王国剣士に見回りをしてほしいという要請が来ている。確か今日も何組かが見回り先として『西側の建設現場周辺』を届け出ていたはずだ。
「ヒューイが回っているのは市場周辺の西側のはずだから、ここから市場に向かっていくと鉢合わせする可能性はあるな。そうなるとまたあいつに気を使わせることになるし・・・。少し工事現場に行ってみるか。ほかの連中もいれば俺一人で行っても目立たないだろう。」
パーシバルは市場に行くのをやめて、さっき出てきた周旋屋の事務所がある方向に戻り始めた。事務所がある広場を通らず、一本隣の道を行けばその資材置き場に出る。思った通り何組かの王国剣士が歩いている。このあたりの道はみんな『仮』の道で、きちんとした住宅地区が完成すればなくなってしまうらしい。
「こんなにきれいに舗装してあるのに、もったいないなあ・・・。」
石畳の道を歩きながら、パーシバルはつぶやいた。やがて広場の前まで来た。大勢の人夫達が資材を担ぎ上げてはあちこちに運び、また別な場所から資材を持ってきて置いていく。その人夫達の中に何人か、手元のボードで書き物をしながら指示を出している男達がいる。彼らが人夫頭なのだろうか。彼らから少し離れた場所で、指示を出すことなく手元のボードで書き物をしている人物がいるのは、行政局からきている監督官だろう。幸運なことにパーシバルがよく知っている人物だった。
「ホルムさん、こんにちは。」
「よぉ、パーシバルじゃないか。見回りかい?」
ホルムというその監督官は、行政局に勤務している。今回の住宅地区建設工事を推進するグループの一人で、時々ここで工事の進み具合を把握したり、費用について調べに来たりしているらしい。官僚としてはもうベテランで、パーシバルとヒューイは調べ物をする際によく世話になっていた。
「ええ、何か起きたりしていませんか?」
「ああ、今のところ特に問題はないよ。何日か前に人夫頭になった男が優秀でね、揉め事がぐっと減ったんだ。」
「へぇ、それは何よりですね。あの辺で指示を出しているのがその人夫頭達ですか。」
資材置き場をちらりと見て、パーシバルが尋ねた。
「ああそうだ。ほら、ここから見える、建材の置き場の前にいるだろう?彼がエイベックさんと言ってね、実に真面目なんだよ。それに仕事を円滑に進めるために、いろいろと案を出してくれる。周旋屋達に感謝だよ。いい人材を見つけてきてくれた。」
ホルムの指し示した先には、パーシバルよりは少し年上かなと思われる男が手に持ったボードと目の前にある建材を見比べながら人夫と話をしている。
(あの人がそうなのか・・・。)
誠実そうな人物に見える。根っから真面目な人物なのだろう。人夫達を雇うかどうかは周旋屋達の裁量だが、雇用が決まれば彼らは王宮からの監督官の指揮下に入る。これだけの大規模工事だと監督官は一人ではなく、現場ごとに一人ずつ、大規模な現場なら2人か3人はいるものだ。だが彼らだけで人夫を総べて束ねるのは無理なので、人夫頭という役職が必要になってくる。その一人として、エイベックは十分に役目を果たしているらしい。
(やっぱりあの日のことなんて聞けないな・・・。)
少し辺りの様子を見て、話しかけるくらいは出来ないものか、とりあえずパーシバルは周辺の見回りをしようとしたのだが・・・。
「ひぃいいいいぃぃぃ!」
突然聞こえた尋常ではない悲鳴に、誰もが振り向いた。そこは資材置き場の中でも隅のほうで、あまり人がいない場所だ。その隅のほうに、腰を抜かしたまま必死で後ずさってくる人夫がいる。こちらからは顔が見えてないが、今の悲鳴から察するにおそらく真っ青だろう。パーシバルは駆け寄って声をかけた。
「どうしました!大丈夫ですか!?」
人夫はがたがたと震え、顔色は青というより蒼白だ。
「あ、あ、あ、あれ、あれ・・・だ・・だ、だれ・・・」
人夫は前を指さし、がたがたと震えている。その指の先には建材が積み上げられているが、さっきエイベックがいた場所に置かれていた新しい建材とは違い、古くて黒ずんでいた。しかも形も不揃いでかなり雑に積み上げられている。ふとパーシバルは思い出した。この周辺は今でこそ『住宅地区建設現場』だが、その前に何もなかったというわけではない。それなりに家があり、人も住んでいた。だがみんなして好き勝手に家を建てたので、道も何も曲がりくねっていて、それらの家は全部取り壊されることになっていたはずだ。住んでいた住民は、一時的に別な場所にある家に仮住まいしている。ここに積み上げられているのはその廃材なのだろう。そして・・・その廃材の間から何かが覗いている。手・・・。まるで廃材のような色に黒ずんでいるが、明らかに人の『手』だ。どうやら右手らしい。
「パーシバル!その廃材は崩れやすいぞ!」
後を追ってきたホルムが叫んだ。
「誰か!手を貸してください!廃材をおろさないと!」
パーシバルの声で何人かの人夫達が駆け寄ってきて、手の上に積みあがっている廃材をどけてくれた。そこに現れたのは・・・
「手が・・・。」
廃材の間から見えていた『手』は、手首のところで千切れていた。そして廃材の間に押し込められたような、手を失った男の死体が現れた。周囲にいた人夫達は一斉に後ずさった。これは明らかに殺人だ。
「パーシバルさん!何かあったんですか!うわっ!?」
周辺を歩いていた王国剣士が2組ほど駆け寄ってきて、死体を見て叫んだ。
「地下牢の検死医を呼んできてくれ。あとこの周囲にはしばらく誰も近づかないようにしてくれるか。」
「わかりました!」
パーシバルより3年ほど後に入った剣士達だ。彼らはすぐに役割を決め、一組が駆け出した。一人は地下牢へ、もう一人は剣士団長への報告だ。よほどのことがない限り剣士団長が城下町での事件に出張ってくることはないが、起きた時点で必ず報告はするように義務付けられている。剣士団長と聞いて一瞬パーシバルの胸に複雑な思いがよぎったが、目の前で起きた事件を報告しないわけにはいかない。残りの一組は周囲の人夫達に動揺が広がらないよう、ホルム達に協力して動き始めている。そろそろ昼になる。ホルムは人夫頭達を集め、早めの昼をとるように人夫達に話してもらうよう頼んでいる。一般人の立ち入らない場所だったことが幸いした。こんな事件が起きると、普段はすぐに野次馬でいっぱいになる。もっとも一般人が立ち入らない場所だったからこそ、こんな事件が起きたとも考えられるわけだが・・・。
「この廃材置き場は、普段何かに使っているんですか?」
パーシバルはホルムに尋ねた。ホルムも顔が真っ青だ。
「いや・・・ここは廃材しか置いてないから普段は誰も近づかないんだ。だがたまに建設現場で使った資材を仮置きしたりすることはある。」
「最後に使ったのはいつかなんてのは・・・。」
「うーん・・・ちょっと聞いてみよう。」
ホルムが人夫頭に話を聞いてくれた。それによると先週の中ごろ、資材を仮置きして翌日また運び出した。そのあとはもう誰も使っていなかったらしい。不運にも死体を発見する羽目になったさっきの人夫は、家の基礎に使う束石の個数を間違えて現場に持ち込んでしまったので、余った石を仮置きするつもりで来たらしい。彼も自分の前にこの場所を誰がいつ使ったかは覚えていないという。
「この広場もかなり広いからね。束石などが置かれている場所がここから遠いんだよ。だから翌日すぐに別な場所で使えるようなものは、元の置き場に戻さず、ここに仮置きしているんだ。」
さっきの人夫がやっと落ち着いたので話を聞いているところに、牢獄の検死医がやってきた。
「今週はドゥルーガー先生でしたか。お世話になります。死体はこちらです。」
パーシバルはドゥルーガー医師とは顔見知りだ。
「おお、君か。死体は動かしてないかね。」
「はい、発見された時のままにしてあります。」
通常検死医が来るまでは、死体を動かしてはいけないことになっている。死体は手だけ廃材の間に挟まっていたが、体のほうは内側の廃材の上にうつぶせになっている。男であることはわかるが、どこの誰かまではわからない。
「ふむ・・・まずはこの状態から調べていかねばならんからな。」
ドゥルーガー医師は手元のノートに死体の状況を書き始めた。服をめくりあげたり、足を上げたりして、その状態を記録していく。
「なんとむごい・・・。だがどうやらこの手は、死後千切れたようだな。おそらくは、だが、ここに死体を置いて廃材で目隠しをしようとした時に手だけここに引っかかったのだろう。廃材を置いた人物はよほど急いでいたのかもしれんな。」
「急いでいた・・・ですか・・・。」
「この人物が殺されたのだとしたら、ここに死体を隠したのはその犯人だろう。死体を隠して自分の犯罪を隠蔽し、一刻も早くここから立ち去りたいと考えていたのではないかね。」
「そうですね・・・。」
「それと、どうやら致命傷はこの背中にある刺し傷だな。詳しいことはもう少し調べないとわからんが、背後から一突きだろう。まあ、できる限り詳しい状況はメモしておくから、そのあとは君達の仕事だ。私の推理など気にせんでくれ。私は医師であって王国剣士ではない。さてと、この状態での検死は終わりだ。ここから出して、こちらに寝かせてやろうじゃないか。手伝ってくれ。廃材の間にすっぽりはまり込んでいるので、私だけではうまく持ち上げられん。」
「お手伝いします。」
パーシバルはドゥルーガー医師を手伝って、廃材の間から死体を地面の上に移し、あおむけに寝かせた。
「・・・え!?」
パーシバルは思わず叫んだ。ドゥルーガー医師はぎょっとして顔をこわばらせている。
「そんな・・・まさか・・・。」
「モーガン・・・なのか・・・。」
それは、先週まで地下牢で検死医を務めていたモーガン医師の、変わり果てた姿だった。
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