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外伝1

 
 エルバール王国は、北と南、二つの広大な大陸と、それに連なる大小様々な島からなる国である。この国の歴史は、180年あまり前までさかのぼる。
 
 エルバール王国の王立図書館に保管されている文書に寄ると、遥か昔、エルバール大陸の遙か東に位置する別の大陸に、サクリフィア王国という国が存在していた。神々に愛され高い文明を誇るその国は、千年以上も栄え続けていたと言われている。だがその繁栄は突如として終わりを告げた。サクリフィアの民は神に見放され、神の使いである3匹のドラゴン率いるモンスターの群れが人々に襲いかかったのだ。人々は突然のことにどうしていいか判らなかったが、それでも必死で立ち向かった。だがモンスターの強大な力の前に人々はなす術もなく、美しい家並みはすべて押しつぶされ、あとかたもなく破壊された。ドラゴン達の吐き出す炎は作物や家畜のみならず、男も女も小さな子供でさえ容赦なく焼きつくした。だがその戦火の中を生き残った人々がいた。英雄ベルロッド率いる戦士の一団が、燃えさかる大地の中を人々を連れて大陸南部へと逃れたのだ。だが彼らは、モンスターに蹂躙され焦土と化した故国にとどまろうとはせず、新天地を求めて西へと船出した。
 
 そしてやがてたどり着いた大きな大陸に新しい国を作り、大陸中心部の温暖な気候の土地を都と定めた。エルバール王国の誕生である。建国の年をエルバール暦元年と定め、人々は忌まわしい聖戦の記憶から立ち直ろうと、新天地で生活を始めた。彼らの国を滅ぼしたモンスター達との戦争は後に「サクリフィアの聖戦」と呼ばれ、長く語り伝えられることになる。
 
 エルバール王国の王家と、サクリフィアの王家には血縁関係はない。エルバール王家の初代の王は、サクリフィア聖戦の折り、モンスター達の攻撃から多くの民を救ったとされる英雄ベルロッドだったと言われている。その末裔が現在の国王フロリア姫。4年前父親である前王ライネスの急死に伴い、若干6歳で王位に就いた女王である。
 
 建国の年から186年が過ぎ、エルバール城下町は今や過密状態になっていた。長い間に人口は増え続け、それに伴って家もどんどん建てられていく。今では無秩序に立てられた家々が道を曲げ、通りを塞ぎ、町の中は迷路のようになっていた。この事態を打開するべく、区画整理が進められている。町の西側に新たに「住宅地区」を作り、人々の住まいを全部そこに移そうという計画だった。現在の町並は、きちんと整理して「商業地区」として生まれ変わることになっている。今急ピッチで進められている住宅地区の建設工事には、近隣の町からも大勢の人々が働きに来ている。町の人口が急激に増えたことで、ただでさえ狭い町の中はごった返していた。
 
 
「泥棒だ!誰か捕まえてくれ!」
 
 叫び声を聞きつけて、一人の男が声のした方向に向かって駆け出した。町の中だというのに、この男は鎧を着込み腰には剣を下げている。彼はこの王国の「王国剣士団」に属する剣士だった。エルバール王国建国当初、国を守る目的で組織された一団だ。軍隊と言うほど統制のとれた組織ではないが、その採用基準は厳しく、家柄も富も何の意味もなさない。剣の腕と、その人となりだけが採用の可否を決める基準だった。駆け出した剣士はまだ若い。入団して3年近く過ぎて、北大陸の中ならどこへでも警備に出かけられるだけの腕を備えていたが、今日はたまたま城下町を警備していたのだった。王国剣士は二人一組で行動しなければならない。その規則どおり、彼は相方と二人で出かけてきたのだが、この迷路のような町の中を巡回するのには二人で一緒に歩いていては効率が悪い。そこで時間を決めて二手に分かれ、相方は一本隣の通りを奥に入って行ったところだった。
 
「賊はどこですか!?」
 
「あ!王国剣士の旦那!こいつです!市場のみんなが取り押さえてくれました。おらおら立てよ!まったくふてぇ野郎だ!これで二回目だぞ!」
 
 被害に遭った店の店主らしい男が、傍らでうずくまる人影の襟首をつかんで立たせた。『旦那』と呼ばれるほど歳を取っているわけではない剣士は少し苦笑いをしたが、立ち上がった『泥棒』の顔を見てハッとした。その顔に見覚えがあったからだ。何ヶ月か前のことだが、こことは別の市場で彼が一度捕まえたことのある男だった。男の懐が膨らんでいる。顔はあざだらけで、よってたかって殴られたことはすぐにわかった。
 
「この野郎!盗んだものを出しやがれ!これは俺の店の売り物なんだ!てめぇのような盗人にタダでくれてやれるようなものじゃねぇんだよ!」
 
 剣士は殴りかかろうとする店主を押しとどめた。
 
「待ってください。私がここに来たからには、この男の身柄は私が預かります。あなたがいくら被害者でも、勝手に殴られては困ります。」
 
 剣士は礼儀正しく、口調も丁寧だった。お前はカタブツ過ぎると、相方からいつもからかわれている。だが彼から見れば、その相方は少し崩れすぎだといつも思っていた。横柄というほどではないが誰とでも友達のように話す。親しみを込めているのだと本人は主張するが、この剣士の目には相方が『礼儀知らず』に映ることもしばしばだった。
 
「でもね、旦那!この野郎、盗んだものを懐に入れたまま絶対に出しやがらねぇんですぜ!?俺の店の商品なんだ。さあ、返せってんだよ!」
 
 剣士は店主にかまわず、男に話しかけた。
 
「何を盗んだんだ?」
 
 このカタブツ剣士も、さすがに泥棒相手に敬語は使わない。男はびくっとしておずおずと顔を上げたが、剣士の顔を見て少しだけほっとした表情を見せた。以前会ったことを憶えていたらしい。そして懐を開き、そこに入っていたパンとジャガイモ、それにほうれん草らしい、青い野菜をひっぱり出した。野菜は長いこと懐に入れられてすっかりしおれている。これではたぶん売り物にはならないだろう。
 
「くそ!こんなにしちまいやがって!これじゃ丸損じゃねぇか!どうしてくれんだよ!?」
 
 店主は顔を真っ赤にして怒っている。
 
「とにかく落ち着いてください。ご亭主、あなたはこの男がどうしてあなたの店の金袋ではなく食べ物を盗んだのか、そのくらいは見当がつくじゃないですか。」
 
 店主は途端にばつの悪そうな顔になり、今にも男から商品を引ったくろうとしていた手を引っ込めた。
 
「そりゃ・・・わからねぇわけじゃありませんよ・・・。でもね、俺だってそんなに金回りがいいわけじゃねぇんですよ!?毎日の売上から、次の日の仕入れ分を取って残りをその日の飯代に当てる。そうすると本当にもう手元に残る分なんぞありゃしねぇ。俺だけじゃねぇ、ここの市場の連中ほとんどがそうだ。みんなそうやってその日をやっとのことで生きているんでさぁ。」
 
 店主の言うことも最もだった。確かに今、この町では城下町の区画整理のおかげで活気がある。だが、そのわりに一般庶民の懐は暖かくなっていないのだ。その原因は、多分建築現場を牛耳っている何人かの周旋屋にあると彼は考えていた。人夫を集めて建築現場で働かせ、彼らの給金から何割かを手数料と称して自分の懐に入れる。集められた人夫達は何とか生活出来るだけの給金をもらうだけなので、生活に余裕などいつまでたっても出来るはずがない。だが、ではそれらの周旋屋を追い出してしまえばどうかというと、そうなると工事を進めている王宮が直接人夫を募集しなければならない。そうなれば今度はそのための費用がかかる。一人や二人で出来る仕事ではないから、それなりに人も派遣しなければならない。そう言った事情から王宮では、周旋屋達に受け取る手数料の上限を決めるよう指示したり、それが守られているかどうか時々人をやって様子を見させたり報告書を提出させたり、と言う程度のことしか出来ないというのが現状だった。剣士は小さくため息をついた。これでは先が思いやられる。住宅地区の工事がすめば、今度はこの迷路のような旧市街の区画を整えるための仕事がある。何もないところから作り上げるよりももっと大変な作業だろう。当然もっと多くの人夫が必要になるはずなのだが、今のやり方のままでは周旋屋達ばかり儲かって、一般市民がうるおうことなど望めそうにない。
 
「それは確かにそうですが・・・。ご亭主、この男の盗んだ分は私が支払います。それから、この男は剣士団で預かります。それで異存はないですか?」
 
「旦那が・・・?そ、そりゃあ・・・誰かが盗んだものなんぞもう売り物にならねぇから、そうしてくださるならありがてぇこってすが・・・。本当にいいんですかい?」
 
 店主は探るような目で剣士を見た。
 
「ええ、かまいませんよ。私もこの町の人達同様特別裕福なわけではありませんが、定職があってその日の食べ物に困らない程度の生活はしていられますからね。たまにはいいでしょう。いくらですか?」
 
「えーと・・・それじゃぁ・・・売り物にならねぇ物を買っていただくんですから・・・10Gでいいですよ。」
 
「・・・10G?ではこの野菜とパンがまともに売れればいくらになるんですか?」
 
「パンは少しでかいんで10G、野菜はジャガイモが二つで6Gの、えーと・・このほうれん草が葉が茂っていいところだったから8Gってとこですかね・・・。全部で24Gくらいにはなったはずですが・・・。」
 
「それじゃ14Gも値引きしたのでは、この野菜とパンを仕入れた分にもならないじゃないですか。」
 
「そ、それは・・・そうなんですが・・・。でも仕方ありませんや。この野郎から取り返して、何食わぬ顔でまた店に並べるなんて面の皮の厚いことは出来やしませんからね。」
 
「なるほど・・・。」
 
 この店主は誠実な人間なのだろう。彼が本当に怒っているのは、自分の店の品物が盗まれたからと言うより、盗むという行為に対してのことのように剣士には思えた。剣士は懐から財布を取り出し、中から24G分のコインを出して店主の手のひらに乗せた。
 
「旦那・・・これは・・・。」
 
 店主は手のひらのコインを見て驚き、剣士の顔をまじまじと見つめている。
 
「このパンと野菜は、この男に普通に売ったと思えばいいじゃないですか。さあ、泥棒騒ぎはこれでおしまいです。皆さん、それぞれの店に戻ってください。さぁ、行こうか。」
 
 剣士は野次馬を追い払うように手を振りながら、青い顔でたたずんでいた泥棒を促し歩き出したが、途中で立ち止まり戻ってきた。店主はどきりとした。剣士の気が変わったのだろうか。やっぱり14Gは返せといわれるんだろうか・・・。
 
「ご亭主、もうすぐ私の相方の剣士がこの通りの向こう側に戻ってくることになっているんです。ここから見えますよね?あの通りの端の街灯の下です。太い槍を持った剣士がそこに来たら、申し訳ないのですがひとっ走り走って、ガウディが一足先に王宮に戻ったと伝えてくれませんか?その剣士の名前はグラディスと言います。」
 
「は・・・はい。確かに承りました!」
 
 今頭の中に浮かんだ考えに赤面しながら、店主は慌てて頭を下げた。
 
 泥棒は、逃げるそぶりも見せずガウディの少し後ろを神妙な足取りで歩いている。以前捕まえた時も、この男は悪あがきをしようとはしなかった。おそらくこの男は実直な男だ。定職につかせさえすれば、間違いなく信頼できるだけの仕事をするのだろうが・・・。
 
「あんたと会うのは2度目だよな。」
 
 歩きながらガウディは男に話しかけた。
 
「そう・・ですね・・・。」
 
 男は遠慮がちに答える。歳はいくつくらいなのだろう。ガウディより10歳は上のように見える。『あんた』というのも変な呼び方だな、でも『お前』なんて言うのはいくら泥棒が相手でも失礼だし・・・。こんな時相方のグラディスなら、迷わず『おいお前』とでも言うだろうか。さすがにそこまでは言わないか・・・。
 
「何日くらい仕事にありつけていないんだ?」
 
「は・・・はい・・・。3日ほど・・・。」
 
 以前捕まえた時、この男が家に小さな息子がいると言っていたことをガウディは思いだした。その3日の間、彼は息子に何を食べさせていたのだろう・・・。
 
「あんたには確か息子が一人いたはずだが・・・。どうしているんだ?」
 
「昨日とおとといは・・・野菜くずをもらったりして・・・・それから、前に仕事にありつけたときに買った野菜を食べずに取っておいたものを食べさせたり・・・。でもそれもとうとう底をついて・・・今朝も仕事にありつけなくて・・・。」
 
 言いながら男が声を詰まらせた。
 
「そうか・・・。だが、罪は罪だからな。何日かは王宮の地下牢にいてもらわなければならないだろう。前に捕まった時のことを、あんた息子にはなんて言ったんだ?」
 
「正直に言いました。・・・。私はうそはつきたくありませんから・・・。それだけは息子にも言って聞かせているんです。盗人の親の言うことじゃ説得力はありませんでしょうがね・・・。」
 
「そうか・・・。確かあんたの家の隣には、人のいい一家がいたよな。よくあんたの息子が世話になっているとか・・・。」
 
「覚えていてくださったんですね・・・。ええ、お隣の家には世話になっていますよ・・・。でも隣だけじゃない、貧民街に暮らす連中はね、みんな助け合って毎日を精一杯生きているんですよ・・・。」
 
「そうだな・・・。ではその家のおかみさんにでもあんたのことを伝えておくよ。このパンと野菜も届けておこう。」
 
「あ・・・ありがとうございます・・・。」
 
 そのときちょうど王宮についた。ガウディは男を伴い、正面玄関の前を素通りしてぐるっと裏手に回り、そこにある小さな木戸を潜り抜けた。その先に大きな両開きの扉がある。そこが牢獄への入り口だった。この場所の番人は王国剣士が務めているのだが、若い剣士がこの任務につくことはほとんどなかった。投獄される賊に軽んじられてしまうからだ。そしてこの日も、ガウディよりもはるかに年配の剣士が二人、門番として扉の両側に立っていた。
 
「お前は確か・・・ガウディだったな。その男は?」
 
「盗みで捕まった者です。」
 
「ということは、現行犯か?」
 
「はい。」
 
「そうか・・・。それじゃ、中で審問官に手続きをしてくれ。」
 
「はい。」
 
 エルバール王国には裁判という制度があり、罪を犯した者がいきなり投獄されるということは通常ない。だが現行犯となれば話は別だ。現行犯で捕まった者は、牢獄の審問官と一対一で向かい合い、罪状確認をされる。認めればすぐに入牢の手続きを取られ、牢獄暮らしとなる。投獄されている期間が一ヶ月を越えるものについては家族との面会も許されるが、それ以外では入牢期間を終えるまで誰とも会うことは許されないのだった。
 
 男は素直だった。審問官に問われるままに罪を認めたことと、盗みの動機がまったくの利己的なものではなく、生活の為のやむにやまれぬ行為であったこと、盗んだものが小額であったことなどを考慮すれば、通常なら一日程度牢で過ごせば済むのだが、この男の場合、それらの点を充分に考慮してもなお、今まで捕まったことが一度や二度ではないことから、三日間の入牢が申し渡された。
 
「三日間ですか・・・。それ以上は何とかならないのですか・・・?この男にはまだ小さな息子がいるんです。三日間も一人で置くのは・・・。」
 
 ガウディは審問官に尋ねた。
 
「その息子のことがあればこそ三日間なのだ。再犯の場合本来ならばもっと重い刑になるのだぞ。」
 
 審問官は冷静に答えた。この審問官はロレンツと言い、ガウディよりもはるかに年配だ。この仕事に就いてからもかなりの時が過ぎており、国王フロリアのみならず、御前会議の大臣達や官僚達からも信頼されている。
 
「三日間くらいならば、この男の隣の家に何とか頼んで息子の面倒を見てもらうにしても、それほど嫌な顔をされる心配の少ない期間だろう。」
 
 ガウディはハッとした。ロレンツ審問官はこの男の境遇までちゃんと憶えていたのだ。毎日数え切れない罪人達と向き合っているというのに、彼の頭の中には、その一人一人の家族や友人の名前から、家庭環境に至るまでの様々な情報がすべて記録されているのだろうか。
 
「そうですね・・・。審問官がそこまでお考えとは、気づきませんでした。差し出口を申し上げてしまいまして失礼いたしました。」
 
 ガウディは審問官に向かって深く頭を下げた。
 
「そんなにかしこまるほどのことではない。」
 
 審問官はガウディに微笑みながら、男に向き直った。
 
「さて、お前の名前はエイベックだったな。これに懲りてもう盗みはやめることだ。もしも今度捕まるようなことがあれば、いかにわしと言えども、3日ですませることはかなわぬぞ。」
 
 男は審問官に向かって神妙に頭を下げ、ガウディに向き直ってまた頭を下げた。
 
「いろいろとありがとうございました。息子のこと・・・お願いします・・・。」
 
 エイベックは手の甲でゴシゴシと眼を擦りながら、係りの剣士に促されて奥の牢へと歩いていった。その一角は、一番刑の軽い者ばかりが入る牢だ。ひとつの牢に収容される罪人達の数はせいぜい2〜3人、大人数で一緒に置かれることはまずない。共謀して脱走を企てたりする恐れがあるからだ。
 
「お前が以前あの男をここに連れてきてから今日までの間に、二回ほど別な剣士があの男を連れてきたのだ。それがすべて市場での盗みの現行犯だ。あの男は盗みになどむいていない。本当は勤勉で真面目な男なのだろう。貧民街に住んでいるというだけで職に就けないとは・・・何とも気の毒なことだな・・・。」
 
 去っていくエイベックの背中を見送ってロレンツが小さくつぶやいた。
 
 貧民街とは、この町の一角にある貧しい人達の住む区域だ。別に収入によって住む場所が決まっているわけではないのだが、いつからともなく、その辺り一帯には貧しい人達が集まって住むようになっていた。
 
『貧民街の人間を雇った店は必ずつぶれる。貧民街の人間は貧乏神だ。』
 
 そんなうわさが商業地区にはびこっていた。普通に考えればバカバカしい話なのだが、商売人は縁起を担ぐ。貧乏神と噂されるような人々を進んで雇おうなどと考える者は誰もいなかった。そしてこの噂には根拠がないこともない。市場で盗みを働いて捕まる者達のうち、貧民街に住む人々の割合が多いことは確かなのだ。では貧民街の人間はみんな盗みをするのかというと、もちろんそんなことがあるはずはない。だが、明日食べるものもなければ、そんな方法でしか生活していくことが出来ないのもまた確かなのだった。
 
「そうですね・・・。ではあの男のことはよろしくお願いいたします。私はそろそろ任務に戻らなければなりませんので・・・。」
 
「うむ、ご苦労だったな。」
 
 審問官に向かって一礼すると、ガウディは暗い気分のまま地下牢の入口を出た。
 
 
                          
 
 
 相方と別れ、グラディスは細い通りを歩いていった。人通りがそんなにあるわけではないこんな通りは、スリ達がよく物陰に潜んでいる。ここを拠点として人混みのなかに出かけて行き、『獲物』を探すのだ。一通りは見回っておかなければならない。今、町の中は住宅地区の仕事を当て込んで城下町に入り込んでくる人々で溢れかえっている。人が増えるに連れて犯罪も増えてきているのだった。スリ、かっぱらい、強盗などは日常茶飯事だ。そして毎週人が死んでいる。一週間前は人夫同士の喧嘩で片方が命を落とした。その次の日はいかさま博打のもめ事で人夫が二人死んだ。その2日後、今度は浮浪者が裏通りで死んでいた。これはどうやら餓死らしい。そして一番新しい死人は、住宅地区の建築現場の人夫を集める周旋屋の一人だ。この男は酔っぱらって橋から落ちたらしい。ぷかぷかと川を流れていくところを通りがかった市民に発見されたのが2日前の朝のことだった。
 
「まったく・・・世の中物騒になったものだ・・・。」
 
 ぶつぶつとつぶやきながら通りを奥まで行ったところで、突然道端の店から男が飛び出してきた。グラディスはとっさによけようとしたが間に合わず、まともにぶつかられてバランスを崩し、ぶつかった男の方はしりもちをついて道を転がった。見ると男は、両腕で大事そうに酒瓶を抱えている。
 
「お、王国剣士の旦那じゃないですか。こりゃ運がいいや。」
 
 追いかけてきた男はにやりと笑って、しりもちをついたまま慌てて逃げようともがく男に近づいていく。
 
「ちょっと待てよ。こいつは何やったんだ?」
 
 グラディスは追いかけてきた男に声をかけた。
 
「この野郎、俺が仕込みをしている隙に店に入り込んで、カウンターに置いた酒を盗みやがったんですよ。まったく忌々しい野郎だ。酒が飲みたきゃ、店が開いてから金を持って来やがれってんだよ!」
 
 この店は酒場らしい。追いかけてきた男はチンピラといった風情ではないが、長いことこの商売をしている人間らしく、どことなくすごみがある。この酒場のバーテンらしかった。
 
「そう怒るなよ。金があったらわざわざ真っ昼間に盗みに入ったりしないじゃないか。」
 
「あのね旦那、盗みってなぁ悪いことじゃねぇんですかい?俺は別に善良なる市民を脅しつけようってんじゃねえんだ。この男は盗人なんだから、捕まえられても文句は言えねえじゃねえですか。」
 
「それはそうだがな。おい、この酒はいくらだ?半分近くは減ってるし、そんなに高かねぇよな?」
 
「ふん・・・、元々は高級酒ですよ。だから何だってんです!?旦那が買ってくれるってでもおっしゃるんですかい!?」
 
「まあそれはこいつ次第だな・・・。」
 
 グラディスは傍らで縮こまる盗人に目をやった。酒瓶を大事そうに抱えて座り込んでいる。だがどう見ても、金がなくても酒が飲みたくて思わず盗みを働いたという人物には見えない。
 
「あ・・・あの・・・俺は・・・その・・・。」
 
 どうやらこの男にとっては思いがけない事態になってしまったらしい。青くなって震えている。
 
「あんたがその酒をどうしても飲みたくて、でも金がないから盗んじまったってんなら、俺が貸しといてやるぜ?高級酒だろうが安酒だろうが、瓶半分の酒で地下牢に一泊したかなかろうが?」
 
「は・・・はい・・・。お願いします・・・。」
 
 男が頷いたのを確認して、グラディスはバーテンに向き直った。
 
「決まりだな。いくらだ?」
 
「そうですねぇ・・・。」
 
 あごをさすりながらニヤニヤと言葉を濁す男の瞳にずるそうな光がよぎったのを、グラディスは見逃さなかった。ここは釘を刺しておいた方がいいかも知れない。
 
「言っておくが、ここでふっかけたって無駄だぞ?町中のまっとうな酒場でちゃんと値段を調べて、もしもあんたがふっかけているのがわかったら、差額を取り返しに来るからな。それとも詐欺で地下牢行きかのどちらかだ。」
 
 バーテンはぎょっとしてグラディスを見た。にやけ笑いは消え、変わって微かな怯えの色が顔に表れている。
 
「ちょ、ちょいと旦那、それはひどいじゃありませんか。俺はね、被害者なんですよ、被害者!地下牢行きは本来こいつじゃないですか!?」
 
「だからさっきから、金を払うと言ってるんだろうが!!」
 
 グラディスの怒鳴り声に、バーテンがびくっとして肩を縮こめた。
 
「わかりましたよ・・・。ちぇっ・・・俺の店で普通にボトルキープすれば150Gくらいにはなるんですがね・・・。」
 
「150Gだとぉ!?いくら高級酒だって言っても、それは取りすぎじゃないのか?他に行けばもっと安い値段でしかもうまい酒が飲めるぞ!?」
 
「あのねぇ旦那、ここはね、高級酒場なんですよ、高級酒場。こう言っちゃなんですが、王国剣士の旦那の給料で飲める店と比べられてもねぇ・・・。」
 
 バーテンは高級のところに力を込めながら、わざとらしく眉をひそめてみせた。
 
(こんな裏通りで、高級もくそもないもんだ・・・。足元見やがって・・・。)
 
 腹は立ったが、かといってここでグラディスがかんしゃくを起こしたら、バーテンも盗みを働いた男もまとめて地下牢に送り込まなければならない。何もわざわざ罪人を増やすことはない。
 
「高級酒場ねぇ・・・。ふん、まあそう言うことにしといてやるよ。だがな、いくら高い酒と言っても、ボトルキープなら管理料も含まれるってことになるんだろうが、今回はそれはナシだ。買い取りなんだからな。しかも半分も残ってないじゃないか。」
 
 グラディスの言葉に、バーテンは肩をすくめて大げさなため息をついてみせた。どうやらここでいくら言い合いをしても勝ち目はないと判断したらしい。最も王国剣士相手にあまりずるく立ち回ろうとすると、最後には自分も地下牢に泊まり込むはめになりかねない。こんな時はさっさと譲歩するのが懸命というものだということを、ちゃんとわかっている。このバーテンは根っからの悪党というわけではなさそうだ。
 
「・・・わかりましたよ。旦那にゃ負けました。80Gでいいですよ。悪かないでしょ?その酒はね、ちゃんとした高級酒ですよ。これは詰め替えなんぞしていませんからね。スペシャルお買い得だ。」
 
『これは詰め替えをしていない』
 
 つまり普段は詰め替えをしていると言っているようなものだ。詰め替えというのは、たちのよくない安酒場でよく使う手口だ。高級酒の瓶だけを買い、中には安い酒を詰めて出すというものだ。ろくな原価がかかってないのにその瓶に見合うだけの値段を取るので、当然酒場はぼろ儲けとなる。もっとひどいところになると、本物の高い酒を仕入れている高級酒場の裏口から高い酒の空き瓶を盗んで、それをちょっと洗ったくらいで使っているところもある。病人がでないのが不思議なくらいだが、実は出ていてももみ消しているのかも知れない。まったく、まっとうな商売をしているものが儲からないわけだ。こんな話を相方が聞いたら、烈火のごとく怒るに違いない。顔を真っ赤にして怒りまくる相方ガウディの顔を想像して、グラディスは思わず肩をすくめた。
 
「詐欺師呼ばわりされたくなければ、もう一声だ。」
 
「も、もう一声・・・?旦那ぁ・・・勘弁してくださいよ。俺達だって最近は不景気なんだから・・・。」
 
 さっきまでのすごみはきれいさっぱり消え失せ、バーテンは情けない声を出した。
 
「なぁにが不景気だ!?酒一本に150Gも取りやがるくせに。不景気ならそれなりに、値段を下げればもう少し客が入るんじゃないのか?」
 
「はっ!たとえ値段を下げたって同じですよ。俺の店より遙かに安い酒場だって最近じゃピーピー言ってるんですぜ?」
 
「しかし町では今、住宅地区の新設工事で労働者がわんさかいるんだぞ?市場だって活気があるし、何でそんなに不景気なんだよ?」
 
「そんなこたぁ知りませんよ。でもね、他の町から流れ込んでいる田舎者どもが金を持ってねぇことくらいはわかりますよ。給料が安いんじゃないですかい!?」
 
「給料が安いか・・・。おかしな話だが・・・まあ仕方ないな。今そんなことで騒いでもはじまらん。ところで、その酒はいくらにするんだ?俺もいつまでもここにいるわけにはいかないんでね。」
 
 バーテンはもう一度大きなため息をついた。
 
「ちぇ・・・まったく今日はついてねぇな・・・。わかりましたよ、50G!それ以上は1Gたりともまかりませんからね!」
 
「それでも高いくらいだが、まあ仕方ないか。ほら。」
 
 口をへの字に曲げ、いかにも悔しそうなバーテンの顔がなんだかおかしかった。が、グラディスはそんなことはおくびにも出さず、財布の中から50G分の紙幣を抜き取り、バーテンに手渡した。ここで笑ったりしたら今までの交渉が水の泡になりかねない。
 
「さて、これでこの話はおしまいだぞ?この金は俺がこの男に貸して、この男はその金であんたの店から酒を買った。もうこの男を泥棒呼ばわりすることは許さんからな。」
 
 バーテンは金を受け取ると渋い顔ながらも頷いた。
 
「わかりましたよ。損した分は勉強料とでも思うことにしますからね。これからは仕込みの時は店の扉はちゃんと鍵をかけておくことにしますよ・・・はぁ・・・。」
 
 ため息をついてバーテンは店に戻っていった。グラディスは酒を盗んだ男を振り返った。男は酒瓶を抱えたまま、まだきょろきょろと辺りを窺っている。今のバーテンとグラディスとのやりとりを、この男はちゃんと聞いていなかったのだろうか。
 
「おい、バーテンはもう行っちまったぞ。」
 
 グラディスの言葉に男はびくっとして顔をあげた。まだ怯えたような表情をしている。
 
「なんて顔してるんだよ・・・?あんたはもう泥棒じゃないんだ。大手を振って表通りを歩いてもいいんだぜ?」
 
「あ・・・は、はい・・・。その・・・ありがとうございました・・・。お金は必ず・・・お返ししますから・・・。」
 
「そうだな。いつでもいいよ。俺はグラディスだ。返す気になったら、王宮に俺を訪ねてくれ。と言っても・・・大抵出かけているからな。その時は剣士団の宿舎の採用カウンターか、ロビーの案内嬢に預けていてくれればいいよ。ちゃんと俺の手元に届くからな。」
 
「は・・・はい・・・。俺・・・いや、私はローディと言います。その・・・今日は本当に・・・ありがとうございました。」
 
 男はまだ青い顔をしている。一体何をそんなに怯えているのだろう。
 
「家はこの辺りなのか?」
 
「いえ・・・その・・・。」
 
 どうにも歯切れが悪い。
 
「まあいいか、俺はこれから町の広場に戻って相方と合流するんだが、そこまで一緒に行くか。」
 
 不思議なことに、ローディはホッとしたような顔をして頷いた。
 
「は、はい、よろしくお願いします。」
 
 歩きながら、グラディスはローディに話しかけた。
 
「なあ、あんたどう見ても盗みをするほど酒好きには見えないんだが・・・何であんなところにいたんだ?」
 
「あ・・・いや、わ、私は酒が好きなんですよ・・。それでたまたまあの通りを通りかかったら、店の扉が開いていて、最近飲んでいなかったもんだから・・・つい・・・。」
 
 ローディは相変わらず辺りを窺いながら歩いている。確かに酒瓶を大事そうに抱えてはいるのだが、それはやっと手に入れた酒だからと言うより、ただ単に落とさないように気をつけているといった感じだ。
 
「・・・あんた誰かに追われてんのか?」
 
 彼のあまりにも落ち着きのない態度を不審に思って、グラディスは思いきって尋ねてみた。ローディはぎょっとしたようにグラディスの顔を見つめた。顔をひきつらせ、頬の筋肉がけいれんしている。
 
「おい・・・どうしたんだよ?俺にはどうしてもあんたが盗人を働くほどの酒好きには見えないんだ。だからといって悪党にも思えないし・・・。何か心配事があるなら、俺でよければ相談に乗るぞ?」
 
「あ・・・あの・・・いえ、大丈夫です。お金はあとで必ずお返しします。では・・・。」
 
 ローディは青い顔をしたまま、人混みの中に消えていった。そこはちょうど通りの出口だった。ガウディとの待ち合わせ場所はもうすぐそこだ。
 
「おかしな奴だったな・・・。まあ本人が何でもないって言うんだからいいか・・・。えーと・・・約束したのは確か・・・あの街灯の下か。なんだあいつ、まだ来ていないじゃないか。」
 
 通りの奥で思ったよりも時間をくってしまったので、グラディスはてっきりガウディが怒っているだろうと少し焦りながら戻ってきたのだが、それはどうやら取り越し苦労だったらしい。約束の場所でやれやれと腰を下ろそうとしたところに、一人の男が近づいてきた。
 
「あの・・・。」
 
「ん?俺に用かい?」
 
 グラディスは顔をあげた。
 
「はい、旦那は・・・グラディスさんですよね。」
 
「・・・あんたは・・・?」
 
 相手の問いには答えず、グラディスは聞き返した。そこに立っている男は、どう見ても市場の店の店主といった風情だが、その顔には見覚えがない。こんな時は一応用心しておくに限る。思いがけず鋭い視線を返され、男は少し後ずさった。
 
「俺・・・いやその、わ、私は、その・・・ここの市場で野菜を売ってる者なんですが・・・実はさっき店で泥棒に野菜を盗まれまして・・・。」
 
 男は怯えたような瞳でグラディスを見つめ、青くなっている。
 
(すこしおどかしすぎたかな・・・。)
 
 得体の知れない相手と向かい合う時、グラディスはいつも相手をギロリと睨む。ちょっとした牽制のつもりだったのだが、この程度でこれほどたじろぐところを見ると、この男はごく普通の市民のようだ。
 
「盗人か。どこにいる?」
 
「あ、そ、それでですね・・・ガウディさんという旦那が、そいつを捕まえてくれまして、グラディスって相方の旦那がここに来たら、一足先に王宮に戻るからと言っておいてくれと・・・。」
 
 ここまで聞いて、やっとこの男が近づいてきたわけがわかった。なるほどガウディの奴、盗人を捕まえたのか。では行き先はまっすぐに地下牢だろう。
 
「それはいつ頃のことだ。」
 
「えーと・・・旦那がここに来られる少し前ですから・・・。」
 
「そうか。わかった、ありがとう。王宮に戻ってみるよ。」
 
「は、はい。」
 
 男はそそくさと立ち去ろうとしたが、グラディスはふと思い立って男を呼び止めた。
 
「金袋でも取られたのか?」
 
「いや、うちの野菜ですよ。あとパンとね。」
 
「へえ・・・。随分と欲のない盗人だな。どうせならずっしり重い金袋でも担いで行けばいいものを。」
 
「だ、旦那ぁ、冗談言っちゃ困りますよ。この市場の中で、金袋を盗まれても平気で暮らしていけるほど余裕のある店なんざありゃしねぇんですから。だいたいどこの店の金袋だって、吹けば飛ぶような軽さですよ。」
 
「でも市場はいつだって賑わってるじゃないか。住宅地区の人夫達はたくさんここに来るんだろう?」
 
「来ても買ってくれなくちゃ何にもならねぇじゃございませんか。」
 
「・・・売れないのか?」
 
 男は黙って頷いた。
 
「そうか・・・。呼び止めて悪かったな。もう戻ってくれていいぞ。」
 
「はい・・・では私はこれで・・・。」
 
 男は待ってましたとばかりに、小走りに走り去った。本当なら一目散に逃げ出したかったに違いない。さっきの店のバーテンといい、今の男と言い、みんな売り上げが伸びずに苦労しているらしい。どうしてこうも町の中全体の景気が悪いのだろう。
 
「やっぱりあの周旋屋どもかなぁ・・・。」
 
 小さく声に出しては見たものの、グラディスとて確信があるわけではない。彼の脳裏に、2日前に死んだ周旋屋の顔が浮かんだ。仲間によればかなりの頑固者だが周旋屋としては腕利きで、彼に頼めばとびきりの人材を見つけてくれると評判の男だったようだ。いくら仕事があっても、ハシにもボウにもかからないような連中を何百人送り込んでみたところで、仕事は進まない。彼らも仕事を求めて集まる男達を、厳しい基準で品定めしているのかも知れない。
 
「・・・なんてことを俺が考えてみたところでどうにもならないか・・・。とにかく今は、ガウディと合流するのが先だな・・・。」
 
 ため息と共にグラディスは立ち上がると、太い槍を肩に担ぎ直して王宮への道を歩き始めた。
 
 
                          
 
 
 ローディは逃げるようにグラディスのそばを離れ、人混みに紛れた。それでも誰かが自分を見つめているようで落ち着かない。もしも誰かに尾けられているとしたら・・・。その可能性を考えてローディは身震いした。このまままっすぐ家に帰ることは出来ない。
 
(くそっ!ちょっとでも時間を稼がないと・・・!)
 
 ローディは人混みの中でも出来るだけ混んでいるところに入り込み、町の中をぐるぐると回り始めた。彼は生まれた時からこの町で生きてきた。少しずつ肥大していく町並を遊び場にして育ったのだ。ほとんどすべての通りが彼の頭の中に入っている。何本もの細い路地を通り抜け、行止りの通路の脇道をすり抜けて、足が痛くなるほど歩き回った頃になって、やっと『追手』をまけたような気がして、ローディは一息ついた。落ち着いてくると、両腕に抱え込んだ荷物の重みが腕にずっしりとのしかかる。
 
「くそっ!この俺が盗みをするなんて・・・!」
 
 ローディは誠実な男だ。確かに酒は好きだが、金がなくて飲めなければ我慢出来るし、ましてや人様のものを盗もうなどとは、今までの人生の中でただの一度も考えたことがなかったことだった。地下牢に入らなくて済んだとは言え、盗人のレッテルを貼られてしまったことに違いはない。あまりの悔しさと情けなさで酒瓶を振り上げて叩き落としかけた時、この酒の代金を肩代わりしてくれた若い王国剣士の顔が浮かび、ローディは慌てて瓶を下ろした。
 
「グラディスって言ったな・・・。俺よりは若そうだが・・・。」
 
 今の世の中で、あんな男は珍しい。あの男になら、本当のことを話しても良かっただろうか・・・。
 
「いや・・・もう少しよく考えないとな・・・。」
 
 人に話すには危険すぎる。もっとよく考えなければ・・・。ローディはもう一度あたりを見渡し、誰も自分に注意を向けていないことを確かめてから、ゆっくりとした足取りで家路についた。
 
 
 ローディが去ったあと、彼が消えた人ごみを忌々しそうに見つめている人影があった。人影は息を切らせている。ローディをずっと追いかけていたのに、広場の人混みの中で見失ってしまったのだ。
 
「ふん・・・。逃げ足の速さはたいしたものだ・・・。だが・・・早晩素性は割れるだろう・・・。災いの芽は小さなうちに摘み取らねばな・・・。」
 
 人影はにやりと笑った。
 
 
                          
 
 
 ガウディは重い足取りで王宮の玄関へと向かっていた。無意識のうちに下を向いて、自分の足許の石を蹴りながらとぼとぼと歩いていくと、視線の先に足が二本立っている。
 
「今にも死にそうな面構えだな。」
 
 顔をあげると、そこには相方のグラディスが立っている。
 
「牢から出てくる時に元気な顔をしている人間なんていないと思うけどな。」
 
 グラディスは大声で笑った。
 
「確かにそうだな。ここに罪人を連れてくる奴も、ここに入りに来る奴も、たとえ出ていく奴だってこの門をくぐる時に元気で景気のいい顔なんぞ出来ようはずもないか。」
 
「そういうことさ。」
 
「今日の奴は何だ?また盗みか?」
 
「ああ・・・。貧民街の男だよ。前にも一度別な店の前で捕まえたことがある。あの時は・・・盗もうとしていたところを俺が見つけて・・・思わず腕をつかんでしまったんだ・・・。」
 
「で、今日は?」
 
「君と別れた後、泥棒だって声が聞こえて、行ってみたらあの男が寄ってたかって取り押さえられているところだった。盗んだものを持っていたし、罪を認めたから連れてきたんだ・・・。」
 
 聞いていたグラディスは不思議そうに首を傾げた。
 
「お前のしたことは別に間違っちゃいないじゃないか。何でそんなにつらそうなんだ?まるで捕まえたことを後悔しているみたいだぞ?」
 
「汗水たらして稼ぐのが嫌だから人様の金を盗もうなんて考えるような奴なら、俺だってこんな気持ちにならないよ。」
 
「お前らしくないな。『罪は罪、どんな理由があろうと、犯した罪は償わなければならない』ってのがお前のモットーじゃないか。」
 
 グラディスの言う通りだった。ガウディはいつだってそう信じてきたし、今だってそれが間違ったことだなんて思っちゃいない。なのに心が沈む。ガウディがあの男を捕まえたおかげで、彼の息子は三日間も一人で過ごさなくてはならなくなった。いくつなのか聞き忘れたが、まだ小さいのだと男が言っていたことを憶えている。以前男が捕まった時、ガウディは彼の家の隣に住む一家を訪ねた。あの男−エイベック−の希望で、その家に息子のことを頼んでほしいと頼まれたのだ。優しそうなおかみさんが出てきて、任せてくれと笑顔で応えてくれた。今回もあのおかみさんは笑顔で引き受けてくれるだろうか・・・。
 
 突然ドンと背中を叩かれて、ガウディは我に返った。
 
「そう落ち込むな。とにかくその男の家に行ってみようじゃないか。」
 
「直接家には行かないよ。」
 
「なんで?」
 
「息子になんて言えばいいんだ?お前の父親を捕まえた王国剣士だ、なんて言うのか?いくらなんでも俺はそこまで面の皮が厚くない。」
 
「それもそうだな。それじゃどこに行くんだ?」
 
「隣の家だよ。」
 
「隣?」
 
 首を傾げるグラディスに、ガウディはエイベックの隣の家の話をして聞かせた。
 
「なるほどねぇ・・・。するとお前がさっきからぶら下げているその野菜を入れた袋は、その家に持っていくものか。」
 
「そうだよ。」
 
 グラディスはガウディがぶら下げた袋を覗き込んでいたが、ふいに眉をひそめた。
 
「手みやげにしては変な取り合わせだな。・・・おい、もしかしてそれ、そのエイベックって奴が盗んだものか?」
 
「そうだよ。」
 
「・・・何でまたそんなもの・・・。」
 
「俺が金を出して買ったんだよ。市場のあの喧噪の中で、金袋を狙わずに食べ物を盗もうとしたなんて、どれほど切羽詰まっているかと思ったら、どうにも気の毒になったんだ・・・。」
 
「へぇ・・・。めずらしいな、お前がそこまで肩入れするなんて。」
 
 グラディスの瞳に、ガウディをからかうような光がよぎった。
 
「別に肩入れなんてしてないよ。隣の家に頼むにしても、手ぶらで頼み事ってのも気が引けるじゃないか。」
 
「まあそうだな。しかし三日間となると、それだけじゃ済まないかもしれないな。」
 
「そうだなぁ・・・。」
 
「しかしロレンツ殿は厳しすぎないか?その程度の盗みで三日間もなんて・・・。あの方らしくないんじゃないかなぁ・・・。」
 
「・・・あの男を捕まえたのは・・・2度目なんだよ。俺が前に捕まえてから今日までの間にさらに二回ほど捕まってるそうだよ。」
 
「それもみんな盗みでか?」
 
「そうだ。」
 
「そういうことか。それじゃロレンツ殿だってどうしようもないかも知れないなぁ・・・。そのエイベックって奴は仕事はしてないのか?」
 
「貧民街に住んでいるというだけで、どこも雇ってくれないよ。日雇い人夫の仕事を毎日探しに行ってるらしいけど・・・。でもそうそううまく仕事があるとは限らないからな。」
 
「住宅地区の工事をあてにして来ているのは、この町の人間だけじゃないからなぁ・・・。」
 
「人手はいくらでも必要なはずなのに、なぜか毎日の仕事の数は決まってるんだよな・・・。変な話だよ、まったく・・・。」
 
「あの周旋屋どものせいだよ。何かからくりがあるのかも知れないな。奴らを締め上げれば何か吐くかも知れないぞ?」
 
 ついさっきまでグラディスは「あの周旋屋達が原因かも知れない」と思っていただけだった。なのにガウディと話していて、突然それが決定的になったような気がした。今すぐにでも二人で周旋屋達の事務所に行ってみようか、そんな気にさえなっていた。
 
「物騒なことを言うなよ。何の証拠もないのに。」
 
 ガウディはあきれたようにため息をつきながら言った。その顔を見てグラディスは内心で舌打ちをした。こいつはいつもこうだ。俺が何か言うといかにも『愚か者め』とでも言わんばかりの目つきで俺を見る。
 
「それはそうなんだが・・・。」
 
 でも思ったことをそのまま口に出すほど俺は馬鹿じゃない。こいつは俺の相方だ。とにかく仲間とは歩調を合わせておかなければならない。ここは俺が折れてやるしかないだろうな。
 
 口ごもるグラディスを横目で見て、ガウディはほっと小さくため息をついた。グラディスの意見はいつもこうだ。何でも力で押し通せると思っている。『締め上げる』だと?王国剣士が何の証拠もなしにそんなことをして見ろ、それだけでとんでもない事態になりかねない。でもそれをそのまま言うほど俺は馬鹿じゃない。グラディスは俺の相方だ。あんまり邪険にするのも悪いだろう。やんわりと彼の意見を否定して、無鉄砲なことをさせないようにしなければな・・・。
 
「とにかく急ごう。この角を曲がればすぐだよ。」
 
 ガウディは少し早足になり、グラディスが慌てて歩調を速めた。泥棒を一人捕まえて、その日の仕事が終わるわけじゃない。こんなごちゃごちゃした町の中ではいつ何が起きたっておかしくないのだ。この用事を早く済ませて町の警備に戻らなくてはならない。
 
 目の前の角を曲がると、何だか急にあたりが薄暗くなったような気がして、二人とも何となく暗い気分になり少し戸惑っていた。貧民街の空気はいつもこんな感じだ。おそらくそれは、ここに住む住人達のあきらめや、やりきれなさといった思いが凝縮しているからなのかも知れない。誰だってこんな町にいたくはない。でも出て行くにも金がいる。そして貧民街にいるうちは定職に就けず、安定した収入などないのだから、悪循環だ。
 
 ガウディはその貧民街の一角の家の前で足を止めた。
 
「ここなのか?」
 
「そうだよ。」
 
 ガウディが扉を叩こうとした瞬間突然その扉が開いて、ガウディは慌てて後ろに飛びのいた。
 
「あら!?ごめんなさい!まさか人がいるなんて思わなくて・・・。やっぱりこの扉、中に開くようにしたほうがいいのかしら。あ、でもそれだと、家に入る時に扉の内側に子供達がいたりしたら・・・。」
 
 出てきた女性はガウディ達のことなど瞬時にして頭から消え去ったようで、しきりに扉を眺めながら独り言を言っている。
 
「あの・・・すみませんが・・・。」
 
 女性がさっぱり自分達のほうを向く気配がないので、ガウディがしびれを切らして声をかけた。
 
「え・・・!?あ、そうだ、あなた達うちを訪ねてきたのよね。王国剣士さんがうちに何か・・・?」
 
「その・・・お宅の隣の家のエイベック・・・さん・・・のことで・・・。」
 
 女性は急に真顔になり、まっすぐガウディに向き直った。
 
「あなた・・・見覚えがあるわ・・・。前にもうちに来たわよね・・・。・・・もしかして・・・また・・・ですか・・・・?」
 
 ガウディは黙って頷いた。女性は眉根を寄せ、大きなため息をついた。
 
「そう・・・ですか・・・。エイベックさんも人がいいから・・・いつもいつも仕事を人に譲ってしまって・・・自分だって食べるものもロクにないっていうのに・・・。」
 
「譲る・・・?」
 
「そうです・・・。日雇いの仕事は数が決まっています。エイベックさんは体格もいいし、周旋屋の目にはけっこうとまっているんです。でも他の誰かが仕事がとれないって泣いていたり頭を抱えていたりすると、その人に譲ってしまって・・・それでいつも仕事にありつけないんですよ。」
 
「いい人と言うより、お人好しだな。」
 
 グラディスがぽつりとつぶやいた。女性が頷く。
 
「本当に・・・。自分一人なら何とかなるでしょうけど、息子さんもいるのだから、親としての責任だってあるでしょうに・・・。」
 
「それで・・・彼の息子さんのことをあなたの家にお願いできないかと思って。これは、エイベックさんが息子さんのために市場で買った食べ物です。それとお金を少し・・・。」
 
 ガウディは野菜の入った袋を女性に渡し、財布から紙幣を何枚か抜いて女性に渡そうとしたが、女性は受け取らなかった。
 
「そのお金はエイベックさんが稼いだお金ではないでしょう?どうしてあなたがお金を出すんですか?」
 
 女性の目には非難の色が映っている。
 
「あ・・・あの・・・。」
 
 ガウディは真っ赤になっている。グラディスは相方が気の毒になって助け船を出そうとしたが、その前に女性がもう一度口を開いた。
 
「あなたのお気持ちがわからないわけじゃないわ。でもね、私達はどんなに貧しくても、ちゃんと自分で稼いだお金で生活しているの。物乞いじゃないんですから、それはやめてくださいね。」
 
 女性はきっぱりと言い切った。その瞳から非難の色は消えていたが、視線は相変わらず鋭くガウディを捉えている。
 
「そ・・・それはわかっています。でも今回は・・・エイベックさんは三日間帰ってこないんです。だからその間ずっと彼の息子さんをみてもらうのに・・・。」
 
「三日間?どうしてそんなに長く・・・。」
 
「あ、あの・・・前にも・・・同じ事が・・・。」
 
 女性はため息と共に頷いた。
 
「なるほどね・・・。それで三日間ならまだ軽い方なのかも知れないですね。仕方ないわ、罪は罪ですもの。大丈夫ですよ、子供が一人くらい増えたって。この町の人間はね、みんな助け合って生きているんですもの。三日間でも一週間でも、その分うちの亭主に頑張ってもらうわ。」
 
 女性は笑顔で応えた。ガウディはどうしようもなく恥ずかしかった。エイベックはお金を持っていなかった。だが自分の財布の中には大金とはいかないがそれなりにお金は入っている。だから少しわけてあげようと、彼は単純に考えていたのだ。
 
「はい・・・すみませんでした・・・。失礼なことをしてしまって・・・。それじゃ、よろしくお願いします・・・。」
 
「わかりました。剣士さん、お名前は?」
 
 この上名乗るなんて恥の上塗りのような気がしたが、それでも尋ねられて黙って立ち去ることは出来ない。
 
「ガウディと・・・言います・・・。」
 
「そして俺は相方のグラディス。今剣士団で売り出し中のコンビさ。」
 
(グラディスのやつ・・・またよけいなことを・・・。)
 
 ガウディは苦々しい思いでグラディスの言葉を聞いていた。が、思いがけず女性は微笑み、さっきからずっとガウディをとらえていた鋭い視線がやわらいだ。
 
「おもしろい剣士さんね。私はレイラよ。それじゃ、これは預かります。」
 
 レイラは野菜の入った袋を掲げて見せた。
 
「はい・・・。あの、それから・・・エイベックさんの息子さんには、私のことは言わないでください・・・。」
 
「あらどうして?」
 
「エイベックさんを捕まえたのは私ですから・・・。」
 
 レイラは微笑んでガウディをみた。
 
「そうですか・・・。それじゃ、親切な王国剣士さんが届けてくれたとでも言っておくわ。あの子は・・・自分の父親がどうして家に帰ってこないか、ちゃんと理解できる子だから・・・。」
 
「では・・・失礼します・・・。」
 
 ガウディは逃げるように貧民街の通りを出た。恥ずかしさとやりきれなさが心の中で渦を巻いている。
 
「おい、待てよ。」
 
 必死でガウディを追いかけてきたグラディスが、やっと追いついて彼の肩をつかんだ。
 
「俺は・・・施しをしようとしたんだ・・・。物乞いでもない相手に・・・。」
 
「そうしたくなったお前の気持ちはわかるよ。」
 
「俺は・・・見下していたんだ。貧民街の人達を・・・。俺は最低だよ・・・。」
 
 ガウディは唇を噛みしめ、肩を震わせている。
 
(やれやれ・・・。このくらいのことでこんなに落ち込むことはないんだがな・・・。)
 
 グラディスは心の中でため息をついた。ガウディは本当は情にもろい男だ。善だ悪だなんてことにこだわらず、人通りのない場所にでもその男を連れて行って、金を渡して放免してやればよかったんだ。あの市場の連中は、あの男が本当に牢獄にいるのかなんて調べに行ったりしやしないんだから・・・。グラディスはさっき出会ったローディのことを思い出した。あの男は無事に家に帰れただろうか。あのローディという男が何かをしでかして誰かに追われていたのかどうかは別として、今、町の治安が悪化してきていることは確かだ。とにかく今は目の前の仕事だ。
 
「おいガウディ、過ぎたことにいつまでもこだわっていちゃ仕事にならんぞ。町の警備に戻ろう。これほど一気に人口が増えてしまっては、何度巡回しても足りないくらいだからな。」
 
「・・・そうだな、行くか・・・。」
 
 ガウディは今回は反対しなかった。顔をごしごしとぬぐい、しゃきっと背筋を伸ばして歩き始めた。
 
 
 
 町の中は相変わらずせわしなく人々が行き交っている。二人で並んで歩き始めてから少しして、グラディスが口を開いた。
 
「なあ、ガウディ、今度の剣士団長の勇退の話、どう思う?」
 
 現在の剣士団長はドレイファスといい、前国王ライネスのさらに前の国王の時代から、剣士団長を務めている。音に聞こえた剛腕の持主で、若いころは素手でモンスターと渡りあったという武勇伝まである。その真偽のほどはともかく、確かに腕っぷしは太く逞しく、胸板も分厚い。常に背筋を伸ばして前を見据えて歩くその姿には、エルバール王国の盾たる剣士団の長としての風格が十二分にあった。だが、去年あたりからその団長が勇退するという噂が流れ始めた。はじめは王宮の侍女達の単なるうわさ話でしかなかったが、それは一向におさまる気配を見せず、それどころか今では、今年の中頃には新しい剣士団長が選ばれるという話にまで発展していた。
 
「そうだなぁ・・・。正式な発表があるわけじゃないし・・・。何でこんなに噂ばかりが独り歩きしているのか、俺も不思議に思ってるんだよ・・・。まあ確かに老齢と言えばそうなんだけど・・・。」
 
 ガウディは、いつもならこんなうわさ話などしたくない。だが黙って歩いていると、どうしてもエイベックのことを考えてしまう。今のガウディは、そのことを忘れられるのならどんな話でもしていたかった。
 
「老齢ったってなぁ・・・。今だって団長と立合いをして勝てるのはほんの何人かだぞ・・・?それも毎回ってわけじゃない。歳なんて問題になるほどのことはないと思うんだが・・・。」
 
 グラディスが首を傾げる。
 
「でも確かに団長は歳をとってるよ。もう60歳を過ぎてるはずだよな?そろそろ若手と交替ってことなのかも知れないじゃないか。」
 
 そう言ったものの、ガウディも今の剣士団長が老齢のために衰えを見せているとは思えなかった。だが、見え始めてからでは遅いのかも知れない。元気なうちに若手と交替し、団長としてのノウハウを残らず教え込む、それでこそ引継がスムーズに行くというものかも知れない。
 
「若手か・・・。となると新しい剣士団長は、やっぱりパーシバルさんで決まりかな。」
 
 グラディスの言葉にガウディも頷いた。パーシバルというのは、ガウディ達より何年か先輩の剣士だ。まだまだ若手の中に入るくらいの年齢だが、既に剣士団の中では重要な役割を担っている。剣士団長というのは、単に剣士団をまとめていればいいというものではなく、この国の政治の中枢である御前会議の大臣達と同等の権限を持つ。つまり政治家としての手腕もなくてはならない。その点において、パーシバルは御前会議の大臣達、とりわけ最高神官の位を持つレイナックと、大臣達のまとめ役を担うケルナーの二人と親交が深く、彼らがバックについていれば、パーシバルの若さを十分に補ってくれるだろうと誰もが考えていた。
 
「まあ妥当なところだろうな。あの人なら、これからの剣士団を立派に引っ張っていくさ。」
 
「そうだな。となると・・・勢力分布図はまたひとつケルナー・レイナック派に傾くというわけか。」
 
「そう言うことになるけど・・・でもパーシバルさんが大臣達の椅子取りゲームに興味があるとは思えないけどな。」
 
「本人にその気があるかどうかは関係ないんじゃないか?もしも団長勇退が正式に発表されれば、レイナック殿とケルナー殿が、パーシバル団長実現に向けてフロリア様に進言をすることはまず間違いないだろう。なんせ御前会議のまとめ役は自分達なんだから、自分達の側についている大臣達に根回ししてさえおけば、エリスティ公の一派は押さえ込まれちまうだろうな。」
 
「そうだなぁ・・・。でも最近、カルディナ卿が自分の一派を作ろうと動き始めてるって聞いたけどな。」
 
「・・・最近噂になっているベルスタイン公爵家との縁談話か。自分の長男に公爵家の末の姫を嫁として迎えたいって、卿が強引に進めているって話だよ。」
 
「御前会議の大臣達は確かに切れ者揃いだが、家柄の方はそれほどのものじゃないからな。フロリア様の即位と同時に大臣の職を辞したデール卿は、全くの平民だったそうじゃないか。元々は官僚だったのを、レイナック殿が推薦して大臣の椅子に据えたって話だよ。」
 
「そして今は遥か南大陸の鉱山統括者か。せっかくの大臣の椅子を放りだして、何だってまたあんな辺鄙なところにこもっちまったのかねぇ。」
 
「さあね。だが、かたや惜しげもなく大臣の椅子を去り、かたや大臣の椅子だけでは飽きたらず、家柄を求めて公爵家に取り入ってる・・・か・・・。当時のことは、俺は剣士団に入ってから聞いた話しか知らないけど、どうせなら、カルディナ卿のような俗物よりもデール卿のような方がこっちに残ってくれたらよかったのにな。」
 
「全くだ。しかし・・・公爵家との縁組みなんてうまくいくのかね。確かベルスタイン家の末の姫ってのは、あの評判のじゃじゃ馬だよな?」
 
「ははは、確かセルーネ嬢と言ったか。噂じゃすごい美人らしいな。最も年中、男のようななりをして、剣の稽古に励んでいるらしいが。」
 
「まあカルディナ卿の子息は・・・ローランド殿だったかな。父親よりははるかに大臣の器を持っていると評判らしいから、公爵のメガネにはかなうだろうな。あとはそのじゃじゃ馬姫次第か。」
 
「姫次第ってことはないじゃないか。貴族の縁組みなんてその家の当主の鶴の一声で決まるもんだろ、普通は。」
 
「ところがそうでもないらしい。ベルスタイン公爵はかなり今風の考えの持主らしいよ。娘がお前の息子を気に入ったなら、どうぞもらってやってくれと、カルディナ卿に言ったらしいからな。」
 
「へえ、今風のねぇ・・・。つまり貴族様の間では変わり者ってことか。」
 
「そう言うことなんだろうな。だから娘が18や19になっても剣の稽古なんぞさせて自由にさせて置くんじゃないのか。」
 
「だろうな。しかし剣士団に入るってわけでもなかろうに、何でまた女の身で剣の稽古なんぞしてるのかね。一般庶民なら護身用ってこともあるが、公爵家のお姫様なら山ほど護衛をつければ済む事じゃないか。」
 
「俺に聞かれたって困るよ。それに、かりにカルディナ家とベルスタイン家の縁組みがまとまったとしても、それだけでいきなりカルディナ卿が御前会議の中心になれるわけじゃないからな。」
 
「まあそうだろうな。すると当分はやっぱりエリスティ公対ケルナー・レイナック派か。」
 
「俺はケルナー殿達の味方ってわけじゃないけど、エリスティ公が御前会議の実権を握るのだけは勘弁してもらいたいな。あの方は元々剣士団の存在自体が気に入らないんだから。」
 
「そうなんだよな・・・。まったく、剣士団を潰したりしたら、この国がどうなっちまうかあの方にはわかってないのかね。自分だって王宮に来た時は王国剣士をあごで使うっていう話だぜ?」
 
 グラディスがあきれたように肩をすくめてみせた。
 
「王国剣士がと言うより、あの方はレイナック殿とケルナー殿がなさることはすべて気に入らないんだと思うよ。4年前ライネス様が亡くなられた時は当然自分が王位に就けると思ったのに、あの二人のおかげでわずか6歳のフロリア姫に負けてしまったんだからな。」
 
「ライネス様か・・・。あの時は驚いたよな・・・。いきなりだったもんな・・・。」
 
「そうだな・・・。おまけにライネス様の死を伝え聞いた王妃陛下ファルミア様までショックのあまり亡くなられてしまうとは・・・。」
 
「フロリア様もお気の毒だよな・・・。ご両親を一度に亡くされるなんて・・・。」
 
 前王夫妻の死にまつわる話となると、二人ともいつの間にか暗い顔になっていた。前王ライネスと王妃ファルミアは、年寄りから小さな子供に至るまでの国民みんなに慕われていた。4年前の前王夫妻の葬儀の時は、二人ともまだ王国剣士になってはいなかった。一般市民として、沿道で葬列を見送ったのだ。人々が見守る中を、まず王の棺が、続いて王妃の棺が静かに通り過ぎてゆく。そのあとにはしばらくの間副葬品を納めたらしいたくさんの箱が輿に乗せられて続き、最後にフロリア姫の乗った馬車がゆっくりと進んでいく。その窓には厚いカーテンが下ろされていて、中をうかがい知ることは出来なかった。たった一人残された6歳の少女は、どんな思いで両親を見送ったのだろうか・・・。
 
「そして今は国王としての重責をたった一人で担っておられる。せめて俺達が少しでもお手伝いしなくてはな。」
 
「そうだな。だが、気になるな・・・。団長が代わると言うことは、剣士団のみならず、フロリア様の執政の方向にも影響を与える可能性があるよな。俺達もぼやっとしていないで、いろんな方向から情報を集めておいたほうがいいのかもな。」
 
「そうだなぁ・・・。確かにそのほうがいいかもな。しかし、もしパーシバルさんが団長になったら、苦労するだろうな・・・。ほとんどの団員はあの人よりもはるかに年上なんだから。」
 
「となると、副団長はデリルさんの留任で決まりかもな。やっぱり若い団長をサポートしなくちゃならないわけだから。」
 
「そうなんじゃないのかな。あの人なら温厚だし、パーシバルさんと対立するなんてことはなさそうだしな。」
 
「ははは、パーシバルさんだってそんなに短気じゃないよ。」
 
 ガウディはいつの間にか夢中で話をしていた。そしていつの間にか罪悪感が薄らいでいる。結局、エイベックに対して今自分が出来ることなど何もない。それならば、出来ることをするまでだ。貧民街など早くなくなって、国民みんなが幸せに暮らせるように、俺達ががんばるしかない。そして、まんまと自分の話に乗って明るい顔でしゃべり続けるガウディを見るグラディスも、またほっとしていた。やっと元気になったか・・・。とりあえず今日はこのまま警備を続けよう。あのローディという男のことは、ガウディが機嫌のいい時にでも話せばいいか・・・。
 
 このときの二人は、自分たちがこの後とんでもない事件に巻き込まれることなど、知るよしもなかった・・・。
 

外伝2へ続く

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