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≪そろそろその腕を見せてもらおうではないか。人間の寿命が短くとも、大地を守る心を子々孫々に伝えきれなかったのはあの男の力のなさだ。それを見抜けなかったは私の不覚・・・。そしてロコのことでは感謝しているが、私はまだそなた達を信じるとは決めかねている。どうせここに来るまでに精霊の長達にいろいろと教わってきたのだろう。特に地の精霊の長であるテラ様の魔法は私の命を絶てる唯一の魔法だ。だが、1度や2度では私の命はとれぬぞ。持てる力をすべて出し切って、かかってくるがよい!!≫
 
「私はあなたの命を取りたいなどと思っていません。もう死はたくさんなんです。ですが、力を見せろというならば、何が何でもあなたに認めてもらいます。そして人間を滅ぼすことを、思いとどまってもらいます!」
 
 舞い上がったエル・バールの口がかっと開き、真っ赤なブレスがはき出された。ものすごい熱さでめまいがしたが、突然ふわりとさわやかな風に包まれ、気がつくとやけどはしていなかった。
 
「この魔法すごいわ!さすが水の精霊の魔法ね。回復だけじゃなくて、炎からも護ってくれるみたい。」
 
 アクアさんが教えてくれた回復の魔法は、火に対してかなり強い効果を発揮するらしい。そのおかげでやけどもせず、服が燃えることもなくすんだ。だが、熱せられた鎧は少しだけ熱くなっている。
 
「君は熱くなかったの?」
 
「不思議なんだけど、全然。」
 
≪ふん・・・やはり効かぬか!我が鱗を持つ者に、竜の炎は効かぬ!≫
 
 忌々しげなエル・バールの声が聞こえた。
 
 サクリフィア神殿の屋上でセントハースと戦った時のように、ウィローにブレス攻撃は効かない。それがなぜなのか今ひとつよく判らなかったが、なるほどそういうことか。
 
「ウィロー!やけどの心配がなくても、前に出すぎないでね!エル・バールの攻撃が火だけとは限らないよ!」
 
「はい!」
 
 空に浮かんでいられたのでは、剣で斬りつけることも出来ない。私はヴェントゥスさんに教わった風の魔法を水の魔法と組み合わせて思い切り叩き込んだ。
 
≪うぬっ!≫
 
 エル・バールがバランスを崩して舞い降りてきた。すかさず剣で斬りつける。クロンファンラでセントハースと戦った時にはなかなか傷をつけられなかった『竜の鱗』だが、ファルシオンの刃は光り輝き、鋭さを増していた。エル・バールの白く輝く鱗はスパッと切り裂かれ、慌てたようにエル・バールが体を引いた。と、エル・バールが鉤爪を振りあげた。はっとする間もなく私は思い切り真横に薙ぎ払われ、吹っ飛ばされてエル・バールの翼の後ろに転がった。
 
「ぐぅ・・・!」
 
 一面雪で覆われた地面に叩きつけられたが、痛みはその時だけで骨が折れるなどの怪我はしていなそうだ。そして私の右手にはまだ剣が残されている。だが私の後ろにいたウィローが、1人でエル・バールの前に残されてしまった!
 
「ウィロー!!」
 
 エル・バールの鉤爪がウィローに向かって振り下ろされようとした時!!
 
−−ドォォォン!−−
 
 凄まじい音と共に、エル・バールの体が少し浮き上がり、鉤爪の狙いがそれた。
 
「クロービス!今のうちにこっちへ!」
 
 叫びながらウィローが唱えた回復の魔法が私を包む。私は素早く起き上がってウィローの元に走った。その間にエル・バールが再び空へと舞い上がった。
 
「テラさんの魔法は、クロービスだけが教わったわけじゃないわ!」
 
 ウィローがエル・バールに向かって叫んだ。さっきの音は、ウィローがテラさんから教わって、ちゃんと唱えられるようになるまでテラさん自身が的になってくれた、あの魔法だった。最後の最後で、テラさんを吹き飛ばすほどの威力を発揮したあの魔法を、ウィローは迷わず使ったのだ。
 
≪なるほどな。ではこれでどうだ!?≫
 
 エル・バールの口がカッと開き、再び炎が吐き出された。とっさに逃げたものの、体半分が間に合わず、私はまともに炎を浴びてしまった。私がいた場所の雪は解け、黒い土がぶすぶすと焼けこげている。ウィローの呪文のおかげで直接やけどはしなかったものの、服の上から熱せられた皮膚がズキズキと痛む。そして鎧はまた熱さを増していた。次にまともに炎を浴びれば、回復が間に合ったとしてもおそらく私はしばらく動けない。それは私達の「隙」であり、エル・バールにとっては最大の攻撃の機会と言うことになる。次にブレスを喰らったら、私達は負ける・・・。私は肚を決めた。
 
「ウィロー、少し下がるよ。あの魔法を使ってみる。」
 
「わかった。」
 
 神の僕たるエル・バールに向かって攻撃を仕掛けるなど、普通の人が聞いたら気が狂ったと思うようなことだ。だがやめるわけにはいかない。私達がここで諦めれば、この世界は消えてなくなる。私達だけでなく、故郷の島で暮らす懐かしい人達も、カナの村で暮らすウィローの母さん達も、王国を護りたくて必死で頑張っている剣士団の仲間達も、みんなみんな消えていなくなってしまう。そしてカインがあれほどまでに守りたかった、フロリア様も・・・。
 
(そんなことをさせるものか!)
 
 何が何でもエル・バールには考えを変えてもらわなくてはならない。この戦いに、私達は負けるわけに行かない!
 
(カイン・・・!力を貸してくれ!)
 
 手加減などしている余裕はない。上空で次の攻撃の機会を窺っているエル・バールに狙いを定め、テラさんから教わった『あの魔法』即ち『エル・バールを殺せる魔法』を、あらん限りの力を込めて叩き込んだ!
 
−−ドォォォン!−−
 
 地面から突き出た何本もの『槍』は、生き物のようにぐんぐん伸びてエル・バールを捉え、その体に次々に突き刺さった!!
 
≪オオオォォォ・・・・・!!≫
 
 エル・バールは再び凄まじい咆哮をあげながら、のたうち回っている。エル・バールの苦しみが、痛みが、そのまま私の心に流れ込んでくる。人間には耐えきれないほどの痛みを私も感じていることを、エル・バールに知られないようにしなければならない。隙を見せるわけにはいかないのだ。だがさっきの二度のブレス攻撃で私は自分がかなり消耗していることに気づいていた。回復魔法の効果か、大きな魔法の呪文による消耗はそれほどでもないのだが、もう1度水と風の魔法でエル・バールを降ろし、剣で戦えるだけの余裕はない。エル・バールと私達には、圧倒的な体力の差がある。焦りは禁物だが、この戦いは、早く終わらせなければならない。
 
「ウィロー・・・この位置から弓でエル・バールの顔を狙える?」
 
 ウィローはエル・バールの顔を見上げ、
 
「大丈夫よ。」
 
しっかりと頷いた。
 
「それじゃ・・・矢を二本一緒につがえて、私が呪文を唱え終わる寸前に放って。」
 
「・・判った・・・。」
 
 ウィローは矢筒から矢を二本取り出し、エル・バールの眉間に狙いを定めた。私はもう一度地の攻撃魔法を唱え、最後の言葉が唱えられようとした瞬間ウィローが矢を放った。二本の矢がエル・バールの眉間に命中し、エル・バールの注意がそれたところに私の放った攻撃魔法が炸裂した。
 
≪オオオォォォ・・・・・!!≫
 
≪グァァァァオオオォォォ・・・・・!!≫
 
 大地が揺れるかと思うほどに、凄まじい咆哮が辺りにこだました。そしてエル・バールはゆっくりと高度を下げ、私達のすぐ頭上まで降りてきた。思わず身構えようとしたが、殺気を感じない。もう戦う気はないのだろうか。
 
≪まったく・・・本当に死ぬかと思うほどの威力だったな・・・。≫
 
「・・・自分で唱えておいてなんですが・・・大丈夫なんですか?」
 
≪間髪を入れずに二度唱えられたら、私は今頃地面に落ちて動けなかったかも知れぬが・・・大丈夫だろう。時が経てば傷は癒えよう。≫
 
「すみません・・・。」
 
≪そなたが気にすることではない・・・。≫
 
 だが、エル・バールの体には見てはっきりとわかるほどの傷が無数についている。
 
「あの・・・エル・バール、アクアさんから教わった回復の魔法は、あなたにも効くんでしょう?」
 
 ウィローが尋ねた。エル・バールは驚いたように頭を上げた。
 
≪精霊の魔法は生きとし生けるものすべてに効くが・・・≫
 
「よかった。それなら、あなたの傷を治したいの。魔法をかけさせてくれませんか?」
 
≪それはありがたいが・・・今まで戦っていた相手を治すというのか?≫
 
「ええ、そうです。それじゃ・・・。」
 
 ウィローが回復魔法を唱え、エル・バールの傷がゆっくりと消えていった。鱗と鱗の間から流れ出ていた血もすべて消えた。
 
≪うむ・・・楽になった。礼を言うぞ。≫
 
「元はと言えば私達がつけた傷ですもの。よくなってよかったわ。」
 
≪しかし見事なものだ・・・。そなた達が剣に選ばれてから、まだそれほど過ぎていないと聞く。しかも導師もなく、何もわからぬままなのに剣の力を見事に引き出し、なおかつ魔法をここまで使いこなすとは・・・。人の力とは、我らが考えるよりももっと大きなものなのかも知れぬな・・・。≫
 
「だからそう言ったんじゃないの。」
 
 突然聞こえた女性の声に、思わず振り向いた。そこには、光り輝く金のドレスを纏った女性が立っていた。
 
≪ルセナ様・・・ふむ、まったく私も驚いておりますよ。あなた様の仰せられたとおりでございましたな。≫
 
 この女性が光の精霊を束ねる長か・・・。ヴェントゥスさんほどには近寄りがたい雰囲気がなく、親しみやすさを感じさせる。ルセナさんは私達に向かってにっこりと笑うと、近づいてきた。
 
「初めまして、よね。あたしはルセナ。光を司る精霊の長よ。」
 
「お名前は、テラさんとテネブラエさんから伺っています。もしかして、私達がここに来る前にエル・バールと話をしていたんですか?」
 
「ええ、少し前にね。目覚めた途端に怒り狂って人間達の町にブレスを吐いたりしないように、少し考えてみてねって言っただけだけど。」
 
 
「なんだ、ルセナじゃないか。もう来ておったのかね。」
 
「やはり一足先に来ていたのだな。どうせなら声をかけてくれてもよかったのではないか。」
 
「あらあら、どうせ来るなら彼らがここに出発する前に来てもよかったんじゃないの?」
 
「おいら達と同じさ。こいつはこれでなかなかへそ曲がりなんだぜ。」
 
「おや、そのへそ曲がりって言う括りにはあたしも入るってのかい?そりゃ納得いかないねぇ。」
 
「まあ、そう言われても仕方なかろう。だがひとまずその辺の話はあとに置いておくとしよう。どうやら、エル・バールを説得出来たようだからな。」
 
「みなさん・・・。」
 
 振り向くと、シルバ長老、テネブラエさん、ヴェントゥスさん、アクアさん、テラさん、そしてイグニスさんまでもが来てくれていた。
 
「いやはや、つい昨日教えたばかりの魔法を、2人ともよく使いこなしているねぇ。大したもんだよ。お嬢ちゃん、あんたの覚悟、しかと見せてもらったよ。」
 
 テラさんがウィローに笑顔を向けた。
 
「ありがとうございます。」
 
 ウィローは泣き出しそうな、でも笑顔でテラさんと握手していた。
 
「さてエル・バールよ、お前さんとしてはどうだね?納得出来たのか?」
 
 シルバ長老がエル・バールに尋ねた。
 
≪人の心とは・・・不思議なものでございますな・・・。彼ら2人には、剣や魔法の力だけではなく、数々の困難や悲しみに打ち勝ってきた、心の力があるように思います。この2人は信じてもいいのではないかとも思うのですが・・・。≫
 
「ふむ、何か引っかかることがあるということかね?」
 
≪はい・・・。もっとも恐ろしいものも、人の心でございましょう・・・。≫
 
「ふぅむ・・・。」
 
 シルバ長老が考え込んだ。エル・バールの言わんとするところを、わかっているようだ。
 
「確かにお前さんの言うこともわかるのだが、この2人を信じてもいいのではないかと思えるのなら、まずはこの2人を認めて、昔の約束を改めて果たしてもらうと言うことでどうだね?」
 
 エル・バールはしばらく考えているようだったが・・・。
 
≪約束は改めて果たしてもらいましょう。どうやらこの2人はその当時のことを伝え聞いているようです。そして時代が違うからと知らぬ振りをする気はないようだ≫
 
「知らぬ振りなどする気はありません。取りあえず廃液の流出は止めましたが、二度とこんなことがないよう、必ずフロリア様を説得します。」
 
≪説得か・・・。出来ると思うか?≫
 
「・・・え・・・?」
 
≪今回の事態を引き起こしたのは、そなた達の住む大陸を治める女王だ。明確な悪意と緻密な計算によって、この大地の混乱は女王の思うとおりに進んでいると言ってもいいだろう。その女王をどうやって説得する?≫
 
「それは・・・。」
 
 思わず言葉につまった。『今のフロリア様』を説得出来るのか。カインを唆して、私と戦わせた、そしておそらくは共倒れを目論んでいたような、卑劣な策略を立てる『今のフロリア様』を・・・。
 
≪今の女王に宿る悪の心、それは実在のものだ・・・。そしてその女王は、唯一思い通りに動かぬそなた達を忌々しく思っている。ムーンシェイの森を配下に襲わせたのも、そなた達とムーンシェイの森と、どちらも葬り去って私の怒りを引き出そうというのが狙いだろう。≫
 
「そんな・・・。」
 
 ウィローが悲しげに呟いた。
 
 そう・・・。何もかもが、『今のフロリア様』の策略だ。人の命など何とも思わず、ただひたすらに滅びへの道をひた走る・・・。
 
「人の心が恐ろしいものだと言うことは、私達も身に染みています。でも、以前はとてもお優しい方でした。あのような悪意を持つに至った、何かしらの理由があるはずです。それを突き止められれば、説得の道が開けるのではないかと思うんです。お願いします、エル・バール、もう一度チャンスをください。フロリア様を、必ず説得します。今日ここまで来られなかった私の親友のためにも・・・。」
 
≪では聞こう、選ばれし者よ。説得出来なかった場合はどうする?≫
 
「説得します。何が何でも・・・。」
 
 強く言い切るつもりだったのに、私の声は弱々しく消えた。
 
≪迷っているのだろう。女王はどうやら、何が何でもこの世のすべてを滅ぼしたいようだ。万一説得出来なかったら、女王を殺さねばなるまい。でなければこの大地に平和は訪れないだろう。≫
 
「ちょっとエル・バール。結論を急ぎすぎよ。この2人はやっとのことでここまで辿り着いたのよ。着くなりあなたと戦って、やっと一息ついたところじゃないの。しかも傷まで治してもらったんでしょう?人間の思考は、疲れていると鈍くなって正確な判断が出来なくなるって、あなただって知らないわけじゃないでしょうに。」
 
 ルセナさんが怒ったように話に割り込んできた。腕を組み、仁王立ちになっている。
 
「うむ、そうじゃのぉ。エル・バールよ、一息つかんかね。お前さん達のように立派な大きい体も、強い翼も、この2人は持っておらんのじゃ。少しだけ、ゆっくり考えてもらおうじゃないか。」
 
 シルバ長老も取りなしてくれた。
 
≪仕方ありませぬな・・・。選ばれし者よ、少し考えてみるがよい。≫
 
「わかりました。ありがとうございます・・・。」
 
 ほっとした。とにかく頭を冷やして考えをまとめなければ・・・。
 
「さてと、2人ともそのあたりに腰を下ろして、何か腹に入れたらどうかね。腹が減っていたのでは考えもまとまるまい。」
 
「はい、ではお言葉に甘えて・・・。」
 
「それなら腰掛ける場所をつくってあげるよ。」
 
 テラさんが言って、昨日話を聞かせてもらった時のように、腰掛けられる岩棚を作ってくれた。私達は礼を言ってそこに座り、荷物の中からシルバ長老にもらった食べ物を出して食べることにした。
 
「はぁ・・・おいしい・・・。どんな時にでも、おいしいものはおいしいって思えるのねぇ。」
 
 ウィローが言った。本当にその通りだ。今朝も食べた食事なのだが、今ここで生きているのだと思うと、とてもおいしく感じる。精霊達は思い思いに他の精霊やエル・バールと話をしている。考えをまとめるためにも、彼らの話を少し聞いておくことにした。
 
「ところでルセナよ。お前さんはこの2人に会ってもいないのに、何でまた今回は先回って動いたりしていたのかね。お前さんとテネブラエは中立の立場を崩しておらんじゃろうに。」
 
 シルバ長老が、ルセナさんに尋ねた。
 
「確かに中立よ。だけど、それは人間達が死んでいくのを黙って見ていてもいいと言うことではないわ。光と闇が中立でいるのは、あたし達が関わるものは生き物だけとは限らないからよ。この世にあるすべてのものは、光と影の影響を受けてしまう。そしてそこには必ずあたし達の眷属が存在する。1つの種族に肩入れすると言うことは、他の種族を、いいえ、他のすべてのものを知らないうちに蔑ろにしているかもしれないということなの。ちょっとシルバ、そんな事はあなたに限らずここにいる全員がわかってくれていることだと思っていたけど?」
 
「そりゃそうだが、それだけのことなのかどうか、はっきりと聞いておらんかったからな。普段はどんなことでも連絡を取り合って情報交換だけはしておったお前さん方が、今回に限って黙って動くというのはいささか解せんかったもんでのぉ。」
 
「シルバ、それは申し訳なかった。私も中立の立場で果たして顔を出すべきかどうすべきか、長いこと考えていたのだ。アクアのところで、遠い昔の戦いの話をこの2人が聞いたようだと眷属達から聞いてな。『闇とは悪いものだ』と思われても困ると思い、テラのところに参上したと言うことだ。私とて人間の滅亡など望まぬ。中立なればなおさらな。それでまあ、神竜の中でもとびきりの頑固者と名高いエル・バールの説得に力を貸す程度ならば、問題なかろうと思ったわけさ。」
 
 テネブラエさんが大げさに肩をすくめてみせ、『とびきりの頑固者』のところで、エル・バールが納得いかなそうに眉をひそめたような気がした。
 
≪私は私の務めを果たしているだけでございます。とびきりの頑固者とは心外でございますな・・・。≫
 
「はっはっは、実際そうなのだから仕方あるまい。」
 
 精霊達の会話は和やかだ。こうして笑い合っている姿を見ていると、人間とどこも変わりなく見える。この大地が滅ぶなどと言うことになったら、この精霊達も悲しむだろう。それにしても・・・。
 
(なぜ・・・フロリア様はこの世界を滅ぼしたいのだろう・・・。)
 
 そこがわからない。イシュトラが言っていたような『新しき秩序を作る』気はまずないだろう。エル・バールが言ったように『明確な悪意と緻密な計算によって』フロリア様はこの世界に混乱をまき散らしてきた。南大陸から剣士団を引き揚げさせ、ハース鉱山を『配下の者』の手に委ねたのも、ガウディさんが除名されたのも、すべてはフロリア様自身の意思だ。だが、フロリア様が元々悪意を持って王国を統治してきたとは思えない。私達が知っている慈愛に満ちた笑顔がすべて嘘だったとは思えない。そう、思いたくないのではなく、思えないのだ。かといってロイが言っていたような、フロリア様に偽物がいるという説も少し現実離れしている。どんなに姿形が似ていても、一発勝負で騙すならともかく、ずっと同じ相手を騙し続けるというのは実に難しい。普段顔を合わせることがそれほどない私達を騙せたとしても、例えば常におそばにいる侍女達、大臣達、特にレイナック殿あたりは、必ず異変に気づくだろう。ということは、お優しい慈愛に満ちたフロリア様も、冷たい瞳で私達を厄介払いするかのごとく南大陸に送り出したフロリア様も、剣士団を王宮から追い出したフロリア様も、すべて同一人物と言うことになる・・・。それはつまり、どこかでフロリア様に異変が起きたと言うことになるのだろうか。本当にそうなのか、そうならばそれはいつなのか、どういう理由でか。そこがわからなければ説得の道は拓けない。
 
 
≪さて、そろそろ答を聞かせてもらおうか。選ばれし者よ。≫
 
「・・・はい・・・。」
 
 私達は立ち上がった。
 
≪ではもう一度聞こう、選ばれし者よ。女王を説得出来なかった場合はどうする?殺す以外に平和を取り戻す方法がないと思い至った時には。≫
 
「それは・・・。」
 
 フロリア様を殺すしかない・・・?だが・・・。
 
「フロリア様は独身で、お身内もいらっしゃいません。それではエルバール王家が途絶えてしまいます。そうなったら王国を統治出来る人材は誰もいないのです。」
 
 まかり間違ってもエリスティ公などに政権を渡してはいけない。それこそ誰も統治者がいないほうがまだマシなような事態になるだろう。
 
≪それならば心配はいらぬ。そなたがいよう。≫
 
「え?」
 
 一瞬言葉の意味が飲み込めなかった。
 
≪選ばれし者よ。剣を制する者はこの大地を統治する者だ。望むと望まざるとに関わらず、それがそなたらの使命なのだ。もしも女王を説得出来ずに殺す以外の方法がとれなかったら、女王には死んでもらおう。そなたが手を下したくないなら、そのくらいはこちらで取り計らってもよい。そして、そのあとの統治者としてそなたが立つのだ。≫
 
「い、いやそんな!?」
 
≪私は以前あの女王の先祖たる男の言葉を信じ、人間を助けることにした。だがその子孫は約束を破り、世界に混乱をまき散らそうとしている。今はまだ西の大地だけの問題でも、いずれ世界に飛び火するだろう。だがそなた達はその女王を助けて説得したいという。そのための覚悟も見せてくれた。なれば、私はそなた達を信じてこの場は引くことにしよう。だが今回は、信じて手を引く、だけではなく、説得が叶わなかった場合のことも考えておかねばならぬ。以前と同じ間違いを犯したくないのは私とて同じだ。もしもそうなった場合、女王には死んでもらう。そしてこの大地の統治はそなたが引き継ぐのだ。そうなったらなったで、こちらにおられる精霊の長達が助けてくれよう。宮殿の導師も力を取り戻すだろう。いずれ新たな導師も選ばれ、この世は再び剣に選ばれし者によって統治されるのだ。私がこの場で手を引く条件としては、至極妥当ではないかと思うが。≫
 
 私が統治・・・?昔の「選ばれし者」のように王となってこの大地を統べる・・・?
 
(ばかばかしい!私はただの医者の息子だ!こんなばかげた話があるものか・・・!)
 
 でも・・・断れるか?フロリア様を説得する。何が何でも。だが私達がいくらそう思っていても、エル・バールは、精霊の長達はそれで納得してくれるだろうか・・・。
 
(ばかげているとは言っても、万に一つ、失敗の可能性があるのに何一つ手を打とうとしないと思われたら、私も信じてもらえないかもしれない・・・。)
 
 仮に、必ず説得するとだけ言ってここからエルバール王国に戻ったとしても、王宮に直接行けばまた以前と同じことだ。まずは手がかりを探して、王宮に潜り込む手立てを考えて・・・。
 
(どう考えても時間がかかりすぎる。期限のない話とは言え、いつまでも時間をかけることは出来ない。でも私が統治するなんて・・・。)
 
 私はウィローと、この先ずっと一緒にいたいと思ってる。だが二人して苦労を背負い込むなんて冗談じゃない。でもここで嫌だと言えば、もしかしたらエル・バールは独自に動いて、フロリア様を殺してしまうかも知れない。それではカインとの約束が果たせない・・・。
 
『フロリア様を頼む』
 
 命尽きる最後の瞬間まで、カインが思っていたのはフロリア様のこと・・・。何としてもその約束を果たしたい。フロリア様を『元に戻す』か、でなければ何とかこの大地を滅ぼすなどという考えを改めてもらうだけでも・・・。
 
「クロービス・・・。」
 
 ウィローが私を不安げに見つめている。どうすればいい。どうすればこの事態を突破出来る!?
 
(・・・いや、待てよ?)
 
 こんな時こそ冷静にならなければ。そうだ。別に私が統治することなんて考えなくていいんじゃないか。それは私達が『フロリア様を説得出来なかった場合』の話だ。むろん『失敗した場合の策』は考えておく必要があるが、それはもう少し後でもいいんじゃないか。
 
 あぶないあぶない。『自分が統治する』ことにばかり気をとられて、現状はどうなのか、そこを忘れるところだった。私達はまだ、説得を試みるところまでさえ辿り着いていないのだ。
 
 
(とにかく今は手がかりを探してチャンスを掴むことだ・・・!)
 
 私は深呼吸して周りを見回した。この場にいる精霊の長達も、エル・バールも、おそらくは私達より遥かにいろいろなことを知っている。彼らから何かしらの情報が得られないだろうか。遠い昔の神話の話ではなく、今、この先にある危機を乗り越えるための具体的な何かを!
 
「・・・わかりました。もしも、どうしてもフロリア様を説得出来なかったら、それは言うなれば私の負けです。その時は肚を括りましょう。」
 
「クロービス、本気なの!?」
 
 ウィローが驚いて私の腕を掴んだ。
 
「どうしても説得出来なかったら、エルバール王国の人達は今のまま悪政に苦しむことになるよ。そうなれば海鳴りの祠にいる剣士団のみんなが王宮奪還に動くかも知れない。でもね、首尾よく王宮を奪い返しても、その時にフロリア様が剣士団の側にいてくれなかったら、みんな反逆者として重罪になる可能性もある。そうなったら国民も黙っていないと思う。場合によってはフロリア様こそが反逆者となるかも知れないんだ。それじゃフロリア様が王位を降りたら、誰が王になる?何があってもエリスティ公になんて絶対に玉座に座らせるわけにはいかないよ。」
 
「それはそうなんだけど・・・。」
 
 ウィローも考え込んでしまった。
 
「エル・バール、精霊の皆さん。私はあくまでもフロリア様を説得するために動きます。でもいつまでも時間はかけられません。とは言っても、この条件に対して、私達は分が悪すぎます。私達は、この先どこへ進むべきかさえわからないんです。せめてどこへ行けばいいのか、くらいの情報をくれませんか。」
 
≪ほぉ、情報とな。なるほど確かに、この先何の手がかりもなしに先に進めというのは意地が悪いかも知れぬな。では、そなた達に情報を授けようではないか。≫
 
「ほっほっほ、クロービス殿、お前さん、なかなか交渉上手じゃな。」
 
 シルバ長老が笑った。
 
「何の手がかりもなしに飛び出してみたところで、時間ばかりかかって成果が上げられないのでは意味がありません。それに、肚を括ったとは言っても、それは最後の最後、窮余の一策でしょう。本音を言うなら私は統治なんてしたくないし、エルバール王国を治めるのはフロリア様をおいてほかにないと思っています。だから何が何でも説得したい。でもそのためには、情報が圧倒的に足りないんです。だからエル・バール、どんなことでもいいんです。あなたが知っていることを教えてくれませんか。」
 
≪ふむ、そうだな・・・。≫
 
 エル・バールは少し思案しているようだったが・・・。
 
≪ではそなた達が次に行くべき場所を教えよう。精霊の長達よ。北の離島群の中にある、セレブラス島という島の場所を、この2人に教えてやってくれませぬか。私では地図に印をつけられませぬゆえ。≫
 
「ん?その島の名はどこかで・・・。」
 
 シルバ長老が少し考えていたが・・・
 
「おお!クロービス殿、お前さんの母上の血筋の家がある場所じゃよ。どれ、印をつけてやろう。」
 
 私はシルバ長老に地図を渡した。印がつけられたその場所は、北大陸のさらにずっと北側の離島群の中だった。私の故郷の島は北大陸の北西にあるが、この場所は北大陸を挟んで反対の東側と言うことになる。
 
≪ふむ・・・そう言うことでございましたか。選ばれし者よ、そなた達はその島を治めるハスクロード伯爵家の門を叩くのだ。そこでそなた達の名を名乗り『奥方様にお会いしたい』と言えば、家の者が取り次いでくれるだろう。≫
 
「で、でも・・・初対面なのに大丈夫なんですか?」
 
 ウィローが尋ねた。
 
≪その『奥方様』は神殿の巫女姫にも匹敵するほどの力を持つ。私が夢でそなた達の来訪を知らせておこう。≫
 
「その方のお名前は何というのですか?奥方様、と言うだけでは・・・。」
 
 ハスクロード伯爵家に住んでいるのなら、もちろんその家の方なのだろうけど、いかに力を持つ人物とは言え、私達のような見ず知らずの人間が訪ねて行って、門を開けてもらえるのだろうか・・・。
 
≪心配はいるまい。私のほうから事情を話しておこう。まあもちろん、夢の中でだが。しかし名前くらいは言っておいたほうがいいのだろうな。その奥方の名前はファルミアという。そなた達が説得したいと願っている女王の母親だ。≫
 
「え!?」
 
 ウィローと私が、同時に声をあげた。
 

第98章へ続く

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