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「まだまだ汚染の度合いは低い。もちろん、その水を飲んで体を蝕まれた動物達はたくさんいるのだから、それを見過ごすことは出来ぬが・・・早い段階で汚染に気づき、汚水の垂れ流しを食い止めたあなた達の功績は、認めてくれてもいいのではないか、人間にはまだまだ可能性が残されている、しかも前回の戦いでエル・バールと約束を交わした人間達はすべて死に、今の時代を生きる人達はほとんどがその約束のことを知らぬ。もう少し長い目で見てもいいのではないか、そういうことだ。」
 
「そう言っていただけるのはありがたいですが・・・私達がその言葉を自分の口から言うのでは、ちょっと説得力がない気がするのですが・・・。」
 
「まあそうかも知れぬな。そのあたりの説得は、もしかしたらルセナが動いているかも知れぬ。」
 
「光の精霊の方がですか?」
 
「うむ・・・無論、中立という範囲を出ない域でだが、さっき私が言ったように、中立だから人間が死に絶えても関係ないと言うことではない。だがルセナはいささか気紛れでね。おそらくは、だが、どこかで自分が首を突っ込む機会を窺っているかも知れんな。」
 
「あのお嬢ちゃんはほんと、動きの予測がつかないんだよねぇ。まあ、敵対しないならいいさ。人間という1つの種族の存亡がかかってるんだ。妙なチャチャ入れられちゃ困るからね。」
 
「テラ、どうもあなたはルセナと私によくない感情を持っているようだな。遠い昔とは言え一度は敵対した私はともかく、ルセナはあの時あなた達と共に戦ったのではないのか。もう少し仲間として信じてくれてもいいような気がするのだが・・・。」
 
「それはそうなんだけどねぇ・・・あたしには、今じゃあんたのほうが裏表がなくて信用出来る気がするよ。」
 
「まあそう言ってもらえるのはありがたいのだがな・・・。」
 
 精霊達の世界にもいろいろとあるらしい。
 
「ま、ルセナのことはいいさ。随分と話が逸れちまったね。さっきの続きを話そうじゃないか。あたし達がそれぞれ神竜達を殺せる魔法を持っていると言うこと、そして"ヒト"が人間と呼ばれるようになり、最初の人間達の長となった男に剣が授けられ、その時神々が人間に頼んだ。『神竜達が心からその命に終わりを告げたいと願ったとき、その願いを叶えてやってくれないか』とね。そして神々からの頼みで、あたし達は人間達に自分達の持つ魔法の呪文を書いた本を作って渡した。海竜ロコを殺せるのはイグニスの魔法、地竜セントハースを殺せるのはアクアとヴェントゥスの魔法、そして飛竜エル・バールを殺せるのはあたしの魔法、と言う風に、担当を決めてね。」
 
「はい、そこまではわかりました。つまりロコの願いを叶えるために、皆さんは私達をあの温泉の地下に呼び寄せるよう、いろいろと策を講じたと言うことなんですね。」
 
「そうだよ。ただ、思ったより時間がかかってしまった。それは、さっきも話が出た、あんたが剣に選ばれたあともロコの思念をきちんと受け取れなかったことが原因なんだよねぇ。そこはどうにもわからないんだが・・・。」
 
「うーん・・・私にもそれはわかりませんが・・・実は私は、小さい頃何か大きな病気をして、頭の手術をしてるんですけど・・・そう言うことも関係があるんでしょうか。」
 
「・・・何かって・・・何の病気だったんだい?」
 
「それがわからないんです。父も父の助手をしていた人も、聞いても教えてくれなかったので・・・。」
 
 
『私は何の病気だったの?』
 
『あの病気か・・・。まあもう治ったんだからいいじゃないか・・・。』
 
 自分の頭の後ろ側に残る傷跡について、何度か父に聞いたことがある。そして返ってくる答はいつも同じものだった。確かに今まで生きてきた中で、あの夢以外におかしな事は何もなかったし、ひどい頭痛がするなどの症状が出たこともない。ブロムおじさんにも聞いたことがあるが、『大変な病気だったが、サミルさんの言うとおり、もう治ったんだ。気にすることはないぞ。』と言われるだけだった。治ったならば教えてくれてもいいのではないかと思えるのだが、確かに今何も具合が悪いわけでもないので、まあいいかといつもそのまま会話は終わっていた。
 
「ふーん・・・。しかし気になるね。その傷ってのはどの辺りだい?」
 
「ここです。」
 
 テラさんに聞かれ、私は自分の頭の後ろ側に残る傷跡を、テラさんのほうに向けた。
 
「うーん・・・。もしかしたらこれかねぇ・・・。」
 
「これ・・・?何がですか?」
 
「あんたがロコの思念を受け取れなかった原因さ。ちょいと触らせてもらっていいかい?」
 
「どうぞ。」
 
 テラさんは私の頭の傷に少し触れた。そして、『なるほどね。』と頷いた。
 
「あんたのその傷、おそらくは頭の中までかなり深く傷がついていたんだと思うよ。どういう具合か、その病気を治す過程で、あんたの頭の中の思念を感知出来る部分が、閉じちまったようだね。」
 
「・・・閉じた?覚醒したのではなく?」
 
「そうだよ。何だいその覚醒したってのは。誰かあんたにそんなことを言ったのかい?」
 
 私は『夢見る人の塔』でシェルノさんと話した内容をテラさんに改めて話した。
 
「ああなるほど・・・その心理学者とか言う女だね。うーん・・・そうだねぇ・・・。病気の治療過程で能力が覚醒するって話は確かにあるんだけど、あんたの場合は逆に閉じちまったんだね。そのあたりの仕組みがどうなってるかってのはあたしもよくわかんないんだけどね。ただ、そのせいで剣に選ばれてからもその部分がうまく覚醒出来なかったんだと思うよ。でもまあ、その心理学者が催眠術でうまく誘導してくれたってことだね。」
 
 私がファルシオンの末裔の1人で、そのせいで昔から奇妙な夢を見たりすることがあったのだろうと聞いたのは、ムーンシェイの長老の家でのことだ。そして剣に選ばれたことで、夢を介することなくはっきりと人の思念を受け取れるようになった。だが本当なら、その時に人に限らず様々な知性を持った生き物の思念も受け取れるようになるはずだったらしい。ところが小さい頃の病気の治療の過程で、どういうわけかその部分の能力が閉じてしまったので、人の心の声がはっきりと聞こえるのに、ロコやセントハースの声はぼんやりとしか聞き取れず、しかも受け取るたびに強烈な吐き気を催すという拒否反応まで出てしまっていたということか・・・。
 
「ま、今は大丈夫なんだから、気にすることはないさ。とにかく、あんたにはエル・バールを殺せる・・・ま、いささか物騒な言い方だからね、倒せる、とでも言っておこうか。その呪文を覚えてもらうよ。」
 
 テラさんが本をめくって指し示してくれた呪文は、やはりすぐに覚えることが出来た。
 
「じゃ、そのあたりの地面に向かって唱えてごらん。まあここからは少し遠い場所のほうがいいかね。」
 
 言われるまま、私は立ち上がり、少し遠くの地面に向かって呪文を唱えた。その瞬間・・・!
 
−−ドォォォォン!−−
 
 足下が大きく揺れたかと思うと、その地面から巨大な槍のようなものが飛び出し、真っ直ぐに空に向かって伸びた!
 
「な・・・!?」
 
 槍のようなもの、というより、それはまるで、地面から空に向かって突き出された槍そのものだ。
 
「こ・・・んなものが・・・。」
 
「飛竜といえど、戦いながらではそれほど高く飛べるわけじゃない。奴があんたに背中を見せるってことはなさそうだから、危なくなったらエル・バールに向かってこの呪文を唱えてごらん。奴のまっすぐ下の地面からこの槍が突き出て、ブッスリと奴を串刺しにしてくれるって寸法さ。」
 
「・・・そこまで険悪にならなくてすむといいとは思います。」
 
 テラさんはくすりと笑って
 
「ま、それはそうだ。奴が死んじまったりしたらそれはそれでえらいことになるからね。あくまでも、これは脅しだよ。少なくとも一回や二回唱えただけで奴の命は奪えないし、力をうまく加減すれば、ちょっと痛い目に遭わせる程度ですむはずだよ。」
 
「・・・わかりました・・・。でも使わずにすませたいですね。」
 
「そりゃそれが一番さ。イグニスが言ったようにそれがエル・バールを見くびっているわけでないことは、奴だって理解するはずだよ。神々も精霊も、そして神竜達も、みんなが人間達を好きで、ずっとうまくやって来たんだ。それは奴だって同じさ。」
 
 
 そろそろ夕方になる。私達はテラさんとテネブラエさんに礼を言い、今日の宿となる木のうろに向かった。そこは昨日と同じような場所だったが、地面に突き出ている根っこがそれほど太くない。昨夜よりは手足を伸ばして眠ることが出来そうだった。
 
「それじゃ火を熾そうか。食事は昨日と同じように簡単な物にして、早く寝ないとね。」
 
「そうね。それじゃ私は寝袋の準備をしておくわ。」
 
 笑顔で話しながら、私はさっきのウィローのことが気になっていた。泣きながら呪文を唱える姿をただ見ていることしか出来なかった。だが・・・
 
『必要だと思った時は、ためらいません。私の迷いが、私だけではなくクロービスを危険に晒すことになる可能性がある限りは・・・。』
 
 あの時、ウィローの中に生まれた強い決意、それを私に話してくれるだろうか。
 
「ねえ、今夜は少し外に出ても大丈夫って言ってたわよね。」
 
「・・・あ、ああ、そうだね。」
 
 食後のお茶を飲んでいる時、ふいにウィローに尋ねられて、夕方のテラさん達との会話を思い出した。
 
『今夜はうろのまわり程度なら外に出ても大丈夫だよ。テネブラエ、そのあたりはうまく取りはからってくれるだろう?』
 
『うむ、我が眷属達はみなあなた達をからかったり危害を加えたりせぬ。眠る前に少し外に出て、空を眺めてから寝るというのもいいかもしれぬな。』
 
 別れ際、2人がそう言っていたのを思い出したのだ。
 
「出てみようか。寒いと思うけど。」
 
「そうね。暖かくして出てみましょ。」
 
 私はマントを、ウィローはスカーフをかぶって外に出た。
 
「・・・あら?」
 
 不思議なことに、昼間の強い風が止んでいる。
 
「へぇ・・・こんな感じに静かな時もあるんだね。」
 
 常に強い風が吹いていると聞いていたので、こんなに静かな時間がこの場所にもあるのだと、少し不思議な気持ちになった。
 
「ふふふ、それじゃ少しだけ空を眺めて・・・え?」
 
 ウィローがぽかんとして空を見あげている。
 
「どうしたの?・・・あ!」
 
 空一面に、光のカーテンがゆらゆらと踊っていた。オーロラだ。
 
「き・・・きれい・・・。これが・・・オーロラなの?」
 
「これは・・・。」
 
 あとの言葉が出て来なかった。フロリア様を連れて、漁り火の岬に向かったあの日見たオーロラよりも遥かに規模が大きい。考えてみればこの場所は北大陸の漁り火の岬よりずっと北側にある。気温も相当低い。寒いほどオーロラは美しくなるのだという話を、聞いたのは誰からだっただろうか。もしかしたらあの時フロリア様から聞いたのかも知れない。色とりどりに美しく光り輝くカーテンは、ゆらゆらと揺れながら空一面を彩っている。
 
「・・・見た人が幸せになれるって話は昔カナに来た商人さんから聞いたことがあるけど・・・そんな言い伝えが出来るのもわかるわ。本当に・・・きれいね・・・。」
 
「もしかしたら、今夜はオーロラが見えるから外に出ても大丈夫なようにしてくれたのかな。」
 
「ふふふ、そうかもしれないわね。次に会えることがあったら、お礼を言わなくちゃ。」
 
「そうだね。」
 
 そのまま2人でしばらく空を見あげていたが、さすがに寒くなったのでうろの中に戻った。
 
「はぁ・・・すっかり冷えちゃったわ。お茶を飲んで、温まってから寝ましょう。」
 
 ウィローはそう言ってお茶を淹れなおしてくれた。
 
「あんなにすごい規模のオーロラは初めて見たなあ。」
 
「そうねぇ・・・まさか自分の目で見られるなんて思っても見なかったわ。カナにずっといたら、まず見ることの出来ない景色よね。」
 
「そうだね。でも私の故郷でもめったに見られないと思うよ。」
 
 故郷の島は漁り火の岬より北にあるが、オーロラはめったに現れない。父が昔、見たことがあると教えてくれたくらいだ。だから漁り火の岬でオーロラを見た時は、本当に驚いた。
 
「ねえ、何かいいことあるかしらね。」
 
「そうだなあ・・・。明日のエル・バールとの話し合いがすごくうまく行くとか・・・。」
 
 『いいこと』が必ずしも自分の願望と一致するとは限らないものだが、本当にその願いが叶うならこれほどうれしいことはない。
 
「ふふ・・・そうね。きっとうまく行くわ。精霊の長達がみんな力を貸してくれたし。」
 
 ウィローはそう言って、少しだけ目を伏せた。
 
「・・・ねえクロービス、ごめんなさいね。」
 
「何が?」
 
「さっきのことよ。テラさんのところで、攻撃魔法を覚えたくないなんて・・・。」
 
「そのことか。君は何も謝るようなことしてないじゃないか。相手を傷つけるとわかっている力を、手に入れることをためらうのは自然な感情だと思うよ。」
 
「それはそうかもしれないけど・・今日のことだけじゃなく、テラさんと会って、いろいろと思うところがあったのよ。少し話がしたいわ。それから寝てもそんなに遅い時間ではないわよね。」
 
「たぶんね。少なくとも寝過ごすほどではないと思うよ。話をして、お茶であったまってから寝よう。」
 
「そうね。」
 
 ウィローが笑顔になった。
 
 
「・・・海鳴りの祠でね・・・王国軍の襲撃であなたを守れたって、あの時はとても誇らしかったわ・・・。」
 
「あの時は本当に助かったよ。」
 
 これは本当に正直な気持ちだ。ウィローは顔をあげ、うれしそうに微笑んだ。
 
「だから、もう私はあなたの後ろに隠れていなくていいんだ、あなたと肩を並べて戦えるんだって、そう信じてた。そのあと、海鳴りの祠を出てからも、私はあなたの『仲間』としてちゃんと役に立ってるって、そう信じていた。だけどね・・・。」
 
 ウィローの口から溜息が漏れた。
 
「カインがいなくなってしまって、あなたを支えられるのは私しかいなくなって、だから頑張ろうと思ってたのに、私は心のどこかでずっと、『自分はあなたの後ろにいていいんだ』と思っていたような気がする。」
 
「・・・そう思うようなことが、さっきの魔法だったってこと?」
 
 ウィローが頷いた。
 
「あなたが風水術を使うところはいつも見ていたけど、私はそれを自分が使うなんて考えたこともなかったのよ。あなたは風水術、私は治療術、それでいいんだって・・・。」
 
「・・・・・・・・・。」
 
 私もそれでいいと思っていた。それを口に出そうとしたが、思いとどまった。それはつまり、私がいつまでもウィローを自分の後ろにいてほしいとずっと思っていたというようなものだ。実際、あの海鳴りの祠での戦闘のあとも、ずっと私は心のどこかでウィローは自分の後ろにいるべきだと、頑固に思いこんでいたような気がする。
 
「だけど、そんな風に役割分担が出来たのは、カインがいたおかげよね。でもカインはもういない。なのに、私は心のどこかで、カインがいなくなったことで私達の役割分担を見直さなくちゃならないんだってことから、目を背けていたような気がするわ。カインがいなくなったからって、私があんなに剣を使えるようになるわけじゃない。あなたが剣を使うとしたら、あなたの背中を守るためには攻撃の呪文だっていずれ覚えなければならないと考えるのは自然なことなのに・・・。」
 
 またウィローの溜息。
 
「アクアさんに呪文のことを言われた時、私は・・・本当は攻撃の呪文なんて覚えたくないんだ、いやだ、って自分がそう思っていることに気づいてしまったのよ。テラさんが言ったことはほんとだわ。あなたに危険が迫っても、私はあなたの背中に隠れてただ回復さえしていれば、あなたがみんな敵を追い払ってくれると思っていたのかも知れない。なんだか、情けない話よねぇ・・・。」
 
「それで、心境の変化があったってことか。」
 
 ウィローは私を見て、頷いた。
 
「それにね、テラさんに向かって呪文を唱えながら、私は恐ろしくて泣いていたわ。その時、ロコに向かってあなたが泣きながら呪文を唱えていた姿を思い出したのよ。ああ、あの時あなたもこんなにつらかったんだなって。でもあの時、あなたはロコの願いを叶えてあげなければならないって思ったのよね。そうしなければロコはあそこにずっといて、ずっと苦しみ続けるんだってわかっていたから、どんなにつらくても、ロコの体が吹き飛ぶまで呪文を唱え続けたのよね・・・。あの時あなたを止めたのは、ロコがかわいそうだからとか、殺しちゃ行けないからとか、そんな事より何より、私はロコが呪文に耐え続けて死んでいくところを、まっすぐ見ることが出来なかったからよ。だから目を背けたかった。でも背けられないからあなたを罵って止めようとした・・・。」
 
 ウィローがにじみ出た涙を拭った。
 
「この先立ち向かわなければならないものが神竜でもフロリア様でも、命の危険はあなたも私も同じ。あなたが私をいつも守ってくれていたように、私があなたを守りたいと思うなら、あなたに近づけるところは近づかないとね。あなたが迷えば私が危険になるように、私が迷えばあなたが危険になる。私達が迷った時にいつも道を示してくれたカインに、せめて報いることが出来るよう、私は私で全力を尽くす。そう決めたの。今度こそ本当に、あれが嫌だこれは出来ないなんて言わない。だけど剣の腕についてはさすがにあなたには追いつけないから、弓も鉄扇も、そして攻撃魔法も、全部頑張るわ。」
 
 決意のこもった瞳で、ウィローが私を見つめた。
 
「私も自分のできることには全力を尽くすよ。明日は必ず、エル・バールを説得しよう。」
 
「ええ、もちろんよ!」
 
 そのあと、ウィローが先に眠ることになった。ここは昨日のうろよりは、多少平らな地面が多い。昨夜よりは足を伸ばして眠れるわね、そんなことを言って笑っていた。ウィローの中に生まれた強い決意は、揺らぐことなくウィローの心にとどまっている。でも気負いは感じられない。これならば、きっと明日はエル・バールを説得出来る。そう信じて、私もしっかり体を休めておこう。
 
 
 翌朝、私達は簡単な食事をとって、うろの中を片付けた。そして昨日と同じように一晩泊めてくれた礼を言い、その場をあとにした。昨日の朝のように声は聞こえてこなかったが、ずっと温かい優しい空気に包まれているような気がする。これもまた、自然の恩恵なのだろう。たくさんの人達、精霊達、そしてセントハースも私達がエル・バールを説得出来るよう心を砕いてくれた。何が何でも説得しなければ、とは思う。でも昨日のウィローと同じように、私の心の中にも、気負いがまったく生まれない。こんなに穏やかな気持ちでエル・バールの元に向かうことが出来るなんて、思ってもみなかった。
 
 
 しばらく歩くと、脇道がなくなった。私達の前には一本の道がまっすぐに伸びている。この先はクリスタルミアのおそらく最奥、そしてそこに飛竜エル・バールがいる・・・。
 
「おそらくこの道の先がエル・バールの居場所だね。行く前に、少しだけここで休もう。」
 
「そうね。多分、戦闘は避けられないんでしょうね・・・。」
 
「そうだね・・・。少し私の話を聞いてくれる?」
 
「なぁに?」
 
 ウィローは不思議そうに小首を傾げて私を見た。
 
「ここまで一緒に来てくれてありがとう。」
 
 ウィローは私をじっと見つめていたが、優しく微笑んだ。
 
「・・・私はカナを出た時から・・絶対にあなたについて行こうって決めてたから・・・。だからいいのよ。私のほうこそ、ここまであなたと一緒に来れて、嬉しいわ。いろいろと迷惑もかけちゃったけど、私の心はもう決まってるの。昨夜話したとおり、あなたと一緒に、必ずエル・バールを説得するわ。」
 
「私のほうこそ、随分危険な目にも遭わせちゃったね。つらい思いもさせたし・・・。でも君がそばにいてくれたから、私はここまで辿り着くことが出来たんだ。もしも私一人だったら、カインが亡くなった時、きっと怒りで我を忘れて、王宮に駆け戻っていたと思うよ。フロリア様を殺すためにね・・・。」
 
 あの時・・・ウィローが必死で唱え続ける呪文の声で私は我に返った。でなければ私はあのどす黒い憎しみの心に飲み込まれ、怒りのままに王宮へと向かっていただろう。そして、おそらく今頃私は、とっくにこの世にいなかったと思う。
 
「ねぇ、クロービス・・・一つだけ聞いていい?」
 
「なに?」
 
「この事態を招いたのは、フロリア様よね。」
 
 ずばり言われて言葉につまった。そんな私を、ウィローは優しく見つめている。
 
「あなたがそんな顔をするのは仕方ないわ。以前はとても優しい方だったようだし、カナに来ていた王国剣士さん達の話を聞いても、とてもあんなひどいことをする方だとは思えない。だけど、これはどうやら事実ってことよね。カインはフロリア様を『元に戻したい』と言っていたけど、結局それは叶わなかった。『サクリフィアの錫杖』は、結果として役には立たなかった・・・。つまりそれは、フロリア様が心底悪に染まっているってことなのかな。フロリア様が元々邪悪な心の持主で、以前の優しさは全て偽りだった、今はその本性を現したに過ぎない・・・。これで納得出来るの?」
 
「出来ないよ・・・。出来るはずがない・・・。それで納得しているのなら、私は今頃ここにいないよ。それこそ王宮にまっすぐ向かっているさ。」
 
「そうよね・・・。私もそう思うわ。カインがあれほどまでに必死で『元に戻したかった』んだものね。優しい、慈愛に満ちたフロリア様に戻ってくれたら、何もかも解決するって、普段はすごく冷静なカインが、サクリフィアの村ではあんなに取り乱すほど信じたかった方だものね・・・。」
 
「そう・・・だね・・・。」
 
 あの時カインを何が何でも引き留められたら・・・私は今でもあの時のことをどうしようもないくらい後悔している。
 
「ただ、今ここでエル・バールを説得出来たとしても、フロリア様のことについては解決出来ないんだよね。あとは何とか王宮に入り込んでフロリア様を説得出来れば・・・。」
 
「出来なかったら?」
 
「・・・・・・・・。」
 
 その可能性がゼロではない。もしかしたら、エル・バールよりも遥かに手強い相手なのかも知れないのだ。少なくとも、私が夢の中で見た『フロリア様』は、私の知っているお優しいフロリア様じゃない。
 
「・・・殺すしか・・・ない・・・のかな・・・。」
 
 遠慮がちなウィローの声。そんな事はしたくない。でもそれしか方法がなかったとしたら・・・。でも・・・!
 
「そんなことは出来ないよ。それではカインとの約束が果たせないじゃないか・・・。」
 
『フロリア様を頼む』
 
 いまわの際のカインの言葉は、私の胸の奥にしっかりと刻み込まれている。それは何があっても『死』を以て償ってもらうという意味ではないはずだ。
 
「私だってそう思うわ。でも・・・他に方法があるのかしら・・・。サクリフィアの錫杖でも元に戻らなかったということは、フロリア様の変わり様は魔法ではないと言うことだわ。」
 
「そうだね・・・。サクリフィアの錫杖は、すべての魔法を霧散させるはずだ。そしてそれは単なる言い伝えなんかじゃなく、現代の巫女姫が放った魔法をいとも簡単に霧散させてしまった。でもそれでもフロリア様は元に戻らなかったんだ。だからきっと・・・フロリア様は魔法にかかっているわけじゃないと思う・・・。」
 
「だとすると、どう言うことなのかしらね・・・。あなたやカインが話してくれる、とてもお優しいフロリア様と・・・カインを・・・カインをあなたと戦わせて抹殺しようなんて・・・卑劣極まりないことを考えつくフロリア様が結びつかない・・・。」
 
「うん・・・。きっと何か訳があると思うんだけど・・・。」
 
 精霊の長達も、フロリア様のことについてはあまり多くを語らなかった。だが気になるのはシルバ長老が眷属から聞いて見てみたというカインの姿だ。何かに覆われていたような感じがしたと・・・。それは何なのだろう。フロリア様がカインに何かしたというのは間違いないのだろうが・・・。
 
 いくら言っても仕方ないとわかっていても、やはりあの時カインを1人で行かせなければよかったと思う・・・。
 
「・・・レイナック様はとても強い法力があるのでしょう?その方ももうおそばにいないのかしらね。」
 
「いたらなんとかしてくれるのかも知れないけど、なんと言ってもフロリア様は国王陛下だからね。臣下であるレイナック殿の話をどこまで聞いてくれるか・・・。」
 
「あなたは怒るかも知れないけど、私ね、フロリア様が魔法にかけられているかも知れないとしたら、それをかけたのはレイナック様かも知れないと思ったこともあったのよ。」
 
「まさか・・・!もしもレイナック殿がフロリア様に魔法をかけたとして、王国の滅亡を謀っているのなら、わざわざ城下町に結界を張ったりしなくてもいいじゃないか。ほっとけばモンスターが町の中まで入り込んできて、黙っていても城下町はめちゃくちゃになる。そして剣士団だってそうだ。海鳴りの祠にみんないるのが判っているのなら、魔法を使って皆殺しにすれば手っ取り早いからね。」
 
「つまり、本気を出せばそこまで出来るかも知れない方だってことよね。」
 
 痛いところを突いてくる。確かにそれはそうなのだが・・・。
 
「そんなことをする意味はないと思うけど、出来ると言えば出来るのかも知れない。」
 
『レイナック殿の法力は、風水術とはまた別のものだよ』
 
 ライザーさんの言葉をふいに思い出した。そしてなんの力かはわからないという。それはつまり、私達が知っている範囲の呪文よりも、遥かに強力な力を扱える可能性があると言うことだが・・・。
 
 ウィローは私の顔を見て、小さくため息をついた。
 
「ごめんなさい・・・。そうね、そんなはずないわよね。それに・・・オシニスさんもレイナック様とは親しいみたいだし・・・。」
 
「うん・・・。ごめん・・・。ちょっときつい言い方しちゃって・・・。」
 
「いえ・・・いいのよ。それに、『サクリフィアの錫杖』でも何も変わらなかったということが、フロリア様は魔法になんてかかっていないということの何よりの証明よね。」
 
「そうだね。考えたくはないけど・・・カインを唆して私と戦うように仕向けたのは、間違いなくフロリア様自身の意思だと思う・・・。」
 
「そういうことになるのよね・・・。」
 
 ウィローは私の顔を見て、少し言いにくそうにしていたが・・・
 
「ねえ、それじゃ、ユノさんはどうなのかしら。」
 
「どうって?」
 
「以前ステラが、ユノさんは剣士団を裏切ったかも知れないって言っていたでしょう?本当にその可能性がないのかって言う話よ。」
 
「そんな事はないと思うよ。」
 
「断言出来るの?」
 
「・・・君は疑ってるわけか・・・。」
 
 確かにウィローはユノに会ったことがないし、第一あの冷たい瞳で見つめられたら、それこそ信用出来ないと思うかも知れない。
 
「そうね・・・。もちろん、ユノさんがカインに何かしたとか思ってるわけじゃないわ。ロゼさんを助けてくれたみたいだし、いい人なんだとは思うけど、主義主張はまた別のものだし、剣士団を裏切った罪滅ぼしのつもりでロゼさんを助けたと言うことも考えられるじゃない?」
 
「・・・・・・・・・・。」
 
 罪滅ぼし・・・。本当にそんな理由で・・・。
 
「あなたはユノさんと仲がよかったみたいだから、私がこんなことを言ったら怒るでしょうけど、剣士団が解散される時、ユノさんには何も命令が出なかったんでしょう?でももしかしたら、グラディスさんの前ではそう言っただけで、実は何かフロリア様との約束があるのかも知れないわ。」
 
「例えばそれが当たってるとしても、カインのこととは別問題だよ。」
 
「それはそうよ。だけど、もしもこの推測が当たってるとしたら、フロリア様がカインに何かするところをユノさんは黙って見ていたことになるのよ。それはどう考えているの?それが裏切りではないと断言出来るの?」
 
「それは・・・。」
 
 ユノのことを信じているから、そんな事はないと思っていたつもりだったが、冷静に考えれば確かにそうなのだ。フロリア様がカインと一緒にいた時間がどの程度かはわからないが、ユノが護衛として常にそばにいたなら、カインの姿も、フロリア様がカインになにをしたのかも、知っているはずだ・・・。そして・・・
 
(それを黙って見ていた・・・ということになるのか・・・。)
 
「もしもそうだとしたら、私達がいずれ決着をつけなければならないのは、フロリア様だけじゃないわ。ユノさんとも敵対することになるかも知れないのよ。」
 
「・・・そうか・・・。確かにそうだね・・・。」
 
 エル・バールを説得して、それですべてが解決するわけじゃない。問題はそのあとだ。そうわかっていたつもりだったが・・・フロリア様と、ユノと、本当に『決着をつける』ことが私に出来るのだろうか・・・。
 
 ユノと敵対・・・。考えたくはないが、そうなる可能性は確かに高いのだ。では、私達はユノと戦わなければならないのか。戦って彼女を無力化するか、あるいは・・・。
 
 いや、もう2度と、誰かの命を奪うようなことにはなりたくない。
 
 落ち着こう。何もかも一度に考えようとすると混乱する。まずはエル・バールの説得。次にフロリア様のこと。そしてその時に、ユノのことも改めて考えよう。そう心に決めて、私は深呼吸した。
 
 
「ウィロー、これから私の言うことを、よく聞いて。」
 
「なぁに?」
 
「エル・バールを説得出来た時、必ず2人とも生き残っていよう。」
 
「・・・・・・・・。」
 
「正直言うとね、どちらかの命は差し出さなければならないんじゃないか、そんな事を考えていたこともあったんだよ。だけど、そんな事にはなりたくない。」
 
 そうだ、必ず生き残る。2人で。そしてその時、私はウィローに言いたいことがある。
 
「私もなりたくないわ。絶対に、2人とも生き残るの。」
 
「無謀なことをしようとしてるなって言うのは、もうずっと前から考えているんだ。私達はどこにでもいるごく普通の人間で、せいぜい100年も生きないで一生を終える。そんな私達が神竜に戦いを挑もうって言うんだからね。もっとも、戦いにならないならそれに越したことはないけど、腕を見せろくらいのことは言われそうだよね。」
 
 ウィローがふいに笑い出した。
 
「あれ?何かおかしいこと言ったかな。」
 
「ご、ごめんなさい。だってあなたのその言い方が・・・内容はすごく深刻なのにものすごく暢気なんだもの・・・。」
 
 ウィローはまだ笑っている。
 
「ははは・・・。」
 
 ウィローの笑う姿を見ているうちに、私も笑い出してしまった。
 
「あ〜あ、深刻になっても仕方ないね。戻る気はないんだから。今まで助けてくれたたくさんの人達や、精霊の長達に感謝して、先に進もうか。」
 
「ええ、深刻になることはないわ。私はいつもあなたと一緒よ。」
 
 どちらからともなくしっかりと抱き合い、唇を重ねた。このキスがこれで最後なんて冗談じゃない。絶対に、エル・バールを説得して生き残る。2人とも無事で!!
 
(カイン・・・君がいてくれたらって、今でも思うよ。君の命を奪った私を許してはくれないだろうけど・・・今は2人とも無事で生き残らせてくれ・・・。フロリア様のことをなんとかするチャンスがほしい。そのためにも!)
 
 
 しばらく歩くと、それほどかからず広い場所に出た。まわりには木々が立ち並び、行止りのように見えた。ここが本当に行止りなのか、それともやはり何かの仕掛けがあって、もっと奥まで続いているのだろうか。
 
「行止り・・・?ここがエル・バールのいる場所なのかしら・・・。」
 
 ウィローが辺りを見回して言った。
 
「どうなのかな・・・。奥に続く道があるのかも知れないし・・・。」
 
 少なくとも、それらしい『何か』がいる気配は感じられない。
 
「あら・・・?」
 
「あれ・・・?」
 
 
 ふいに辺りが暗くなった。突然雷鳴がとどろき、低くたれ込めた雲の間から何かが近づいてくる。邪悪ではないが、強い思念を感じた。
 
「・・・来るよ・・・。」
 
 思念を感じた方向に向かって、戦闘態勢を取る。程なくして雲間から現れたのは・・・純白の鱗に覆われた大きな竜・・・。
 
「エル・バールは・・・ホワイトドラゴンだったのか・・・。」
 
「海鳴りの祠にあるハース聖石より、ずっときれいね・・・。」
 
 そのあまりの美しさに、思わず見とれそうになった。ハース聖石と同じ、美しい白い姿・・・。
 
≪ほお・・・選ばれし者がついにたどり着いたというわけか・・・。≫
 
「・・・え?」
 
 ウィローが驚いて空を見あげた。
 
「どうしたの?」
 
「聞こえる・・・。」
 
「・・・聞こえるって・・・え!?エル・バールの声が!?」
 
「そうよ!どうして・・・。」
 
≪そなたの指に私の鱗があるだろう・・・。そして首にも・・・。そのせいではないのか?≫
 
「鱗・・・あ!?」
 
 ハース聖石とは飛竜エル・バールの鱗だと、教えてくれたのはセントハースだったっけ・・・。
 
≪私の鱗を身につけた者には、私の声が聞こえる。そなた達の言葉で話すことも出来なくはないが、私の声は遙か彼方まで響くのだ。ムーンシェイの村人達の中には耳がよい者もいる。聞こえるのならばこのまま話をしようではないか。≫
 
「わかりました。」
 
 飛竜エル・バールは、ゆっくりと舞い降りてきた。セントハースよりも少し大きいのではないかと思えるほどなのに、着地の時にほとんど音がしなかった。
 
≪ファルシオンか・・・。またその剣に会えるとはな。そして・・・その剣に選ばれし者にも・・・。≫
 
「あなたは・・・もっと前に目覚めていたのですか?」
 
≪いや・・・少し前だ。目覚めと同時に汚された海の、大地の悲鳴が聞こえた・・・。人間達が約束を破ったのだと思ったが・・・実際は、いささか複雑な事情があったようだな・・・。≫
 
「眠りについていた間の出来事はすべてご存じなのですね。」
 
≪知っている・・・。かけがえのない盟友を、愚かな人間のせいで失ったことも・・・。≫
 
「それは・・・。」
 
 ナイト輝石の廃液が流れ出たりしなければ・・・ロコは死なずにすんだのだ・・・。
 
≪選ばれし者よ。そなたが俯くことはない。ロコを襲った災厄は愚かな人間のせいだが、それを救ってくれたのもまた人間だ。礼を言っておこう。嫌な役目であったろうに、よくやり遂げてくれた・・・。≫
 
「・・・・・・・・・。」
 
 ロコの命が消えゆく瞬間の胸の痛みが、またよみがえる・・・。
 
≪だが、それはそれとして、選ばれし者よ。そなた達は何のためにここに来たのだ?≫
 
「あなたが人間を滅ぼすと言うことを思いとどまってもらうためです。」
 
≪率直だな。なるほど、確かに人間達は約束を破った。私達の前で剣を抜き、2度と大地を汚させないと誓ったあの男の言葉を信じるべきではなかったのだ。≫
 
「その方は私達が住むエルバール王国の始祖となった方です。でも人間はいずれ死を迎えます。その言葉は、平和な時代が続き、国王陛下の代を重ねるうちに、忘れられてしまいました。」
 
≪あの時、私が心配したのもそのことだ。人間の寿命は短い。あの男がどれほど強く大地を守ろうとしていたとしても、その子に孫に受け継がれていくうちに忘れ去られてしまうのではないか。ならばここで禍根を断ち、大地に真の平和をもたらすべきではないかと・・・。≫
 
 サクリフィアのランスおじいさんが言っていたように、エルバール王国へと旅立つ人々がサクリフィアの本を持ち出したのは、200年前何が起きたか、そしてサクリフィアという故郷はどんなところだったか、それを子々孫々に伝えていくためだったということだ。だが、それは叶わなかった。そのあたりはサクリフィアの人々は何も知らないようだったし、精霊の長達とも話す機会がなかった。
 
≪ほぉ・・・西の彼方に旅だった人々には、その気はあったと言うことなのか・・・。≫
 
「私は今何も言っていませんが・・・わかるんですね。」
 
≪そなたは今私に意識を向けているだろう。だからそなたの考えていることがわかる、それだけのことだ。そうでなければ、私とてそなたの心を読み取ることなど出来ぬのだ。≫
 
(・・・・・・・・・・?)
 
 どう言う意味だろう。だがそれを考えている時間はなさそうだった。エル・バールがゆっくりと翼を広げ、空に浮かんだのだ。
 

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