「さてと、お前、ちゃんと旅支度はしたんだろうな?」
「あ、さっき君に言われて着替えを何枚か詰め込んだから、多分大丈夫じゃないかな。」
「なるほどな。よし、行こう。」
玄関へ向かう途中、昨日の受付の娘が明るく声をかけてくる。
「おはよう!カイン。あら、そちらの方は昨日試験を受けに来られた方ね。今ここにいるってことは・・・合格したのね!?おめでとう。私はパティよ。あなたの名前は?」
「クロービスです。よろしく。」
「おはよう。こいつは俺の相方になるのさ。よろしくな。」
「へぇ、これから研修に行くのね?」
「そうだよ。俺は付き添いだ。」
カインはそう言って笑った。
「それじゃ、クロービス、必ず合格してね。カインはずっと一人だったの。あなたとコンビを組めればきっとうまく行くわよ。」
「ありがとう。頑張るよ。」
相変わらず早口で喋る受付嬢パティにいささか押され気味ではあったが、励ましてくれるその気持ちは嬉しかった。
「さてと、そろそろ行くか。」
カインに促され受付を離れようとした時、後ろから女の子の声が聞こえた。
「お姉ちゃん!」
「あら、エミー!」
パティの顔がパッと明るくなる。
「お姉ちゃん、ほら、忘れ物よ。」
エミーと呼ばれた娘はくすくすと笑いながら、パティに何か封筒を渡している。
「え・・・?あら、私ったらこれを忘れるなんて・・・。そう言えば、今日が返却期限なの忘れてたわ・・・。」
パティは封筒の中を覗き込み、赤くなっている。
「パティ、妹さんなの?」
私の問いにパティは顔をあげると、
「あ、そうなの。妹のエミーよ。エミー、こちらはね、王国剣士さんよ。」
挨拶をしようと振り向いた私は、驚いて黙ってしまった。その娘は、私が城下町に出てきたばかりの時、王国のことを色々と教えてくれた娘だった。そして・・・私が詐欺師かも知れないと疑ってしまった娘だった。
「あら!?あなた・・・。へぇ・・・王国剣士さんになられたのね・・・。」
エミーは意外そうに私を見つめている。
「エミー、あなたなんでクロービスを知っているの?」
「クロービスさんていうのね。ふふ・・・。お姉ちゃん、私前に言ったことあったじゃない。私のことを詐欺師と間違えた男の人がいたって。」
「ああ、あの・・・。え!?それじゃ、このクロービスがその・・・あなたを詐欺師呼ばわりしたのね!?」
パティは私をギロリと睨んだ。
「ちょっとお姉ちゃん!!違うの!!どうしてそう早とちりなのよ、まったくもう・・・。この人は何も言ってないわ。私が言ったのよ。私のことを詐欺師と間違えたの?って。それにね、仕方ないでしょ?この町には実際とんでもない詐欺師も泥棒もたくさんいるんだから。」
「そ・・・それはそうだけど・・・。」
「だからね、いいの。クロービスさん、改めて自己紹介します。パティの妹のエミーです。今年で18歳よ。」
エミーはにこにこと人なつっこく笑って頭を下げた。
「あ、はい。クロービスです。よろしく・・・。」
「そして俺はこいつの付き添いのカインだよ。一ヶ月前に正式入団したばかりさ。」
「カインさんね、よろしくお願いします。姉はこの通り早とちりだけど、私には大事な家族なの。どうか見捨てないでやってくださいね。」
「エミー!あなたもう帰りなさいよ!まったく・・・。」
くすくすと笑うエミーを横目で睨みながら、パティがため息をついた。
「はぁい。言われなくても行くわよ。私、今日は王宮の図書室で本を読もうと思ってきたのよ。だからお姉ちゃん、特別にさっきの本、図書室に返してきてあげるわ。カインさん、クロービスさん、それじゃね。」
エミーはパティから本を受け取ると、にこにこと手を振りながら去っていった。
「へぇ・・・。お前も隅に置けないな・・・。」
カインがにやりと笑う。
「カイン、どういう意味!?クロービス、私の妹に手を出さないでね。」
パティが私を睨んで見せた。
「手を出すなんて・・・そんなことしないよ。これから研修に行く身なんだから、他のこと考える余裕なんてないよ。」
「あの子の目標はね、王立図書館の司書になることなのよ。そして一生本に囲まれて暮らしたいんですって。」
「司書かぁ。でも今、空きがあるのか?」
「今はまだないわ。それに、あの子はまだ18歳だもの。司書になるには、もう少し勉強しないとね。」
「そうだよな。それに王立図書館て・・・クロンファンラだよな?」
「そうよ。あっちのほうは最近モンスターが狂暴になってきたから危ないって、剣士団の方がこぼしていたわ。だからその辺も心配なのよね・・・。でもあの子言いだしたら聞かないから・・・。」
パティがため息をつく。
「でも目標を持つのはいいことじゃないか。」
「それはそうなんだけどね・・・。私としては、あっちじゃなくて、ここの図書室のほうにいてくれるとありがたいんだけど・・・。」
「どうしてもあっちじゃなきゃだめなのか?」
「蔵書の数が桁違いなのよ。ここの図書室だってかなりのものだと思うけど、向こうにはすごくめずらしい本がたくさんあるんですって。」
「ここの図書室って・・・どこにあるの?」
「今エミーが歩いていった先の・・・ほら、あの扉の向こうよ。」
パティはロビーの東側にある扉を指さした。
「クロンファンラに行くのは無理だけど・・・ここの図書室は見てみたいな・・・。」
「お前本が好きなのか?」
「好きだよ。読んでいると時間の経つのも忘れちゃうくらいだよ。もしも合格出来なくても・・・ここの図書室には一度入ってみたいな。」
その途端頭の上で『ゴン』と音がした。
「痛!」
それはカインのゲンコツが私の頭を叩いた音だった。見るとカインは口をへの字に曲げている。どうやら怒っているらしい。
「今なんて言った・・・?」
「え・・・?」
「もしも合格出来なくても・・・だと?」
「あ・・・それは・・・。」
自信のなさが無意識のうちにこんな言葉を言わせたのだろう。
「ばか言うな!俺がついて行くんだ!絶対にお前を合格させるぞ!今度そんなこと言って見ろ!叩きのめすからな!」
「わ・・わかったよ・・・。カイン、ごめん・・・。」
昨日ライザーさんとも約束したのに・・・必ず合格すると。そしてこの国を一緒に護っていこうと。これから研修に向かうというのに、今からこんな弱気では・・・自分でも先が思いやられる。これではこの世界を変えるどころの話ではない・・・。
「こんなところで大声出さないでよ。さあ、もう出かけないとね。行ってらっしゃい。気をつけてね。」
パティはもう受付嬢の優しい微笑みに戻っている。
「それじゃ行ってきます。」
玄関を出ようとした時、外からライザーさんが入ってきた。
「おはようございます。」
「おはよう。これから研修だね?」
「はい。」
「たとえ簡単な任務だと思っても気を抜かないことだよ。一番の敵は自分の心の中にあるものだからね。」
さきほど団長の前で演じた失態を、見ていたかのようなライザーさんの言葉に私は戸惑った。
「は、はい。がんばります。」
ライザーさんはくすっと笑うと、
「期待しているよ。」
そう言って2階への階段へと歩いていった。ライザーさんの後ろ姿を見送って、カインがぽつりとつぶやいた。
「ライザーさんは今日も一人か・・・。」
「昨日、相方のオシニスさんて人が出掛けたって言ってたみたいだけどね。」
「へぇ、コンビの片割れだけが出掛けたままなんて、普通は考えられないけどな・・・。まあいいか。人の心配している場合じゃないよな。しかしお前・・・ライザーさんに気にいられたのか?」
カインが不思議そうに尋ねる。
「え、そんなんじゃないよ。昔から知ってたから・・・。」
「知ってた?何で?」
「ライザーさんは同郷なんだ。」
「へぇ。あれ?お前ってここの出身じゃないんだろ?ライザーさんは城下町の孤児院で育ったって聞いてたけどな。」
「そこに来る前だよ。だから私はあの人のことを全然憶えてないんだけどね。」
「それって昔から知ってることにならないような気がするけど・・・。」
「あ、そうか・・・。でもライザーさんは憶えててくれたんだ。だから昨日いろいろ話してたんだよ。優しい人だよね。エルバールに出てきたばかりでちょっと心細かったから、すごく嬉しかったんだ。」
「ふぅん、確かにな。あの人は誰にでも優しいからな。訓練の時以外は。」
「訓練だと厳しいの?」
「・・・怖いよ、はっきり言って。ま、合格したら一度手合わせをしてもらえ。そのほうがよくわかるさ。さてと、行くぞ。」
私達は王宮の外に出た。住宅地区を抜けて、西門からローランを目指して歩き始めた。
「クロービス、武器はちゃんと装備したか?」
「大丈夫だよ。剣と弓と・・・そのくらいだもの。」
「お前は風水術を使えるんだったな。どんなのなんだ?それは。」
「うーん、私が使えるのは、今のところ『炎樹』『慈雨』『百雷』の三つかな。それぞれ、火、水、雷の基本となるものなんだ。もっと修行を積めば、だんだん上位の呪文を使えるようになるんだよ。」
「へぇ、それってどうやって憶えるんだ?」
カインは、自分に適性がないと言われた『呪文』に興味津々である。
「呪文自体はね、書いてある本を持っているから、それを読んで憶えるんだよ。でも呼び出した火とか水をうまく操れないうちには、不思議と上位の呪文を唱えることが出来ないんだ。」
「そんな制約があるのか。」
「制約って言うんじゃないと思う。私はさっき言った3つの呪文を唱えて操ることが出来るけど、今憶えられる上位呪文はそれぞれの一つ上の呪文だけ。今使える呪文を完全に使いこなすことが出来るようになった時に、その上位呪文を唱えられるようになって、またさらに一つ上の呪文を憶えられる。でも、それだけ上の呪文を唱えれば精神力も使うから、それなりのレベルに自分を引き上げていかないといつまでも進歩しないんだよ。逆に言うと、無理に上の呪文を唱えても、力が足りなければとんでもない事になるんだ。」
「たとえば?」
「たとえば、今この空間に火を呼び出したとして、その火をうまくモンスターにあてられずに暴走させたらどうなると思う?」
「そこいら中、火の海になっちまうな・・・。」
カインが身震いする。
「そういうことだよ。呼び出した火も水も、パッと現れるけどパッと消えてはくれないんだ。一度呼び出してしまえば、それはもう本物の火であり水なんだ。だから屋内で風水の術を使ったりすると大変なことになるんだよ。もっとも、かなり修練を積めば屋内だろうとどこだろうと、自由自在に操れるようになるらしいけどね。私はまだまだだよ。」
「なるほどな。それは剣も同じだよな。分不相応な武器や技を使おうとしても、自分を傷つけるのが関の山だからな。」
「そうだね。」
「そうすると、『治療術』ってのも同じようなものか。」
「基本的に呪文はみんな同じだよ。それに治療術は万能じゃない。」
「へぇ、そうなのか。剣士団の中でも治療術を使える人はそんなにいないんだよな。でも使っているところを見たことがあるけど、傷なんてあっという間に消えてしまうじゃないか。万能じゃないってのは具体的にどういう事なんだ?」
「使える人がそんなにたくさんいないってのは、昨日ランドさんから聞いたよ。治療術って言うのは、人間の精神力を利用するんだ。呪文によって相手の精神力に働きかけて、それで傷の治りを驚異的に早めたり、出血を止めたり、痛みを取り除いたりね。言うなれば『対処療法』なわけ。だから病気は治せないし、出血が多すぎたりすると、いくら治療術をかけても助けられないこともあるって。昔父が言ってたっけ。」
「なるほどな。精神力か・・・。すると当人が怪我を治したいとか、痛みを取り除いてほしいと強く念じていればいるほど効くとか・・・?」
「そうだね。それは大事だよ。ただ、呪文を唱えるほうが未熟だと、うまく相手の精神力を利用しきれずに、傷がちゃんと治らなかったりすることもあるみたいだけどね。」
「ふぅん・・・。治療術と似たようなので『気功』ってのがある。昨日話したハディとリーザだが、リーザは気功で回復させることができるらしい。気功を使える人は剣士団の中にもけっこうたくさんいるんだよな。『気』と『精神力』ってのは違うのかな。」
「うーん・・・。気功については私はよく判らないけど・・・でも基本的には同じなんじゃないのかなぁ。」
「そうか・・・。もしかしたら、やり方が違うだけでもとは同じなのかもな。基本的に剣士団のコンビは最低一人が、何かしらの回復術を使えないといけないんだ。二人でやられちまったらシャレにならないからな。」
「そうか・・・それじゃ私は責任重大なんだね。」
「そんなに気にすることはないさ。ここからローランまでの道にはそんなに強いモンスターはいないしな。」
「だといいけどね。」
そんな話をしているうちに、私達は城下町の西門から遠く離れ、草原を抜けて鬱蒼とした森の入口に来ていた。
「さてと・・・ここから先に出てくるモンスターには気をつけないとな。今まで出てきたような奴らとはちょっと違うぞ。」
カインが緊張した面持ちでつぶやく。西門を出てからここに来るまでの間、モンスターが出てこなかったわけではないが、見通しのよい草原地帯では、遠くに見つけた時点で矢を一本放ってやれば、あっという間に逃げていった。おかげでほとんど戦闘らしい戦闘もなくここまで来れたのだ。
「いかにも何か出そうだね・・・。」
「何だ、怖いのか?クロービス。」
「そうじゃないよ。でも正直、あんまりいい気分じゃないけど、ここを抜けないとローランにいけないんだよね?」
「そうだな。行くとするか。」
私達は、気配をモンスターに悟られないように黙ってゆっくりと進んでいった。
−ズル、ズル・・・−
何かを引きずるような妙な音がする。カインの足が止まる。私も立ち止まり辺りを窺う。道端の繁みからその音は聞こえてくる。
「モンスターか・・・・?」
カインがつぶやくと同時に、奇妙なものが私達の前に飛び出してきた。
「これは・・・!?」
それは紛れもなく『木』だった。だが動いている。そして花・・・毒々しい色のバカでかい花のお化け・・・。
「でやがったな!!」
カインが叫ぶ。私はすかさず弓に矢をつがえ、木に向かって放つ。当たったのに木はけろりとしている。表面が堅くて跳ね返されたらしい。次に花のお化けに放った矢は効いたらしく、分厚い花びらが裂け、苦しそうにもがいている。その間にカインは木のお化けに斬りかかるが、やはり傷をつけられないらしい。
「カイン、どいて!花のほうを頼むよ!」
私はそう叫ぶと、カインが横に飛びすさると同時に、木に向かって風水術『炎樹』を唱えた。木の真ん前からパッと炎が上がり、あっという間に枝を燃やし始める。思った通りだ。木なんだから火には弱いはずだ。その時カインの剣が花のお化けの最後の花びらを引き裂き、木も花も慌てて森の奥に逃げていく。出来るだけ小さい火をと、力を絞って術をかけたのがよかったらしく、木はもう燃えていなかった。枝が焦げているだけらしい。あれなら、火の粉をまき散らして他の木を燃やすことにはならないだろう。
「ふぅ・・。お前に助けられたな。」
カインがやれやれと言った顔で戻ってきた。
「あんなモンスターもいるんだね・・・。」
「ああ・・・。元々は普通の花や木だったのかも知れないけどな・・・。いわゆる突然変異なのかもな・・・。知能はあんまり高くないみたいだから、この程度で済んだのかもしれないな・・・。」
「そうか・・・。あれならもう人を襲ったりしないよね。」
「そうだな。しかし・・・風水術ってのはすごいなぁ・・・。」
カインはすっかり感心している。
「でも焦ったんだよ。あんまり大きな火を呼び出してしまうと、この森全体が燃えてしまいかねなかったからね。」
「そんな調整も出来るのか?」
「うん。さっきも言ったけど、そこまで調整できるくらいにならないと、次の呪文は唱えられないんだよ。」
「へぇ・・・。お前がちょっとうらやましいよ。でもまあ、俺は適性がないってんだから、剣の道で進む以外にないな。」
「人それぞれだもの。私だって、カインの食堂での食べっぷりがうらやましいよ。」
「うーん・・・あんまり誉められてる気がしないが・・・まあいいか。さてと、そろそろ森の中ほどだ。このあたりにちょっと大きめの洞窟があるはずなんだが・・・。」
カインはきょろきょろと辺りを見回しはじめた。
「あ、あれだ。」
木立がとぎれ、少し広めの場所に出た。その洞窟は、ちょうどキャンプをはるのに適している大きさだ。
「うまい具合にいいところがあるものだね。」
「まあな。少しだけまわりの木を切って、火を熾したりするのにちょうどいいようにしてあるんだ。この森を通る人達は、剣士団に限らずここでキャンプをはっていく。いくらがんばっても一日ではぬけられないし、夜はへたに動かない方がいいしな。さてと、ここで火をたけばモンスター達も寄っては来ないし。今回はそんなに遠くまで行くわけじゃないから、食堂のおばさんに干し肉とパンをもらってきたんだ。食べようぜ。」
私達はあたりの薪を拾い集めて火を熾すと、二人で干し肉をかじりパンを食べながら、いろいろと話し込んだ。
「なあクロービス、お前、王国剣士になれるといいな。出来る限りの協力はするよ。がんばろうぜ。」
「ありがとう、カイン。私も・・・ここに居場所を見つけたような気がするんだ。」
「そうか・・・。俺もお前とこうして旅していると、昨日知り合ったばかりとは思えなくてな。なんだかもうずっと前からこうしてコンビを組んでいるみたいで・・・。」
その言葉を聞きながら、なぜか私の脳裏には、昨夜見た夢が甦っていた。
カインの夢・・・。『泥棒の子供』と言われて嘲られていた・・・。
「ねぇ、カイン。カインはどこの生まれなの?」
カインに生まれ故郷のことを訊けば、自分も尋ねられるだろう。そうなれば島のこと、ひいては父のことにも質問が及ぶ危険はあったが、昨夜の夢を解明したいという欲求のほうが強かった。
「俺か・・・。俺は・・・エルバールだ・・・。」
その言葉の奥に何となく『そのことは聞かないでくれ』と言ったニュアンスを感じ取り、
「ふぅん。」
私はそのまま口をつぐんだ。
「なあ、クロービス、お前剣士団長のことどう思う?」
突然カインが話題を変えた。自分の生返事で口をつぐんでしまった私に気を使っているのだろうか。
「え、えーと。なんて言うかなあ。かっこいいよね。包容力があるって言うか・・・。」
「お前もそう思うか。俺の夢の一つはあの人の腕を越えることでもあるんだ。」
『俺の夢の一つ』・・・他にも夢があるのだろうか。
「でもすごい腕なんじゃないの?」
「そりゃそうだよ。昨夜、俺がライザーさんに吹っ飛ばされた話はしたろ?そのライザーさんだって団長が相手じゃかなわないんだからな。」
「へぇ・・・。じゃ、まずは、打倒ライザーさん?」
「うん、まだまだライザーさんだけじゃなくて、ランドさんだって一度くらいは負かしてみたいしな。そのほかにセスタンさんや副団長も、かなわない人はたくさんいるよ。そしてその副団長だって、ユノ殿には負かされるんだからな。」
「ユノ殿?」
「ああ、フロリア様の専任護衛剣士だ。槍の名手だよ。素晴らしい腕前だぞ。リーザの憧れの人なのさ。リーザはフロリア様が外に出た時にユノ殿が槍を携えて付き添うのを見て、槍使いになったそうだから。」
「でも何でユノ『殿』なの?他の人達はみんな『さん』付けで呼んでいるのに。」
それが不思議だった。カインは私の質問に困ったように腕を組むとしばらく考え込んでいたが、
「うーん・・・お前はまだユノ殿に会ったことがないから、あんまり言いたくないんだけど・・・先入観を持ってしまうからなぁ。でもまあいいか。俺から聞いたことは内緒だぞ。」
そう言うと、森の中の洞窟で誰も聞き耳などたてていようはずもないのに、声を落として話し出した。
「ユノ殿はな、ライザーさん達よりも一年遅く入団したんだ。でも歳はランドさんと同じくらいらしいよ。」
「ランドさんていくつなの?」
「えーと・・・ライザーさんとオシニスさんが25歳で、それより確か二つくらい上だったかなぁ。何でも以前、何か別の仕事に就くつもりでいたらしくて、入団した時には確か22歳くらいだって聞いたことがあるからな。ま、剣士団の中ではあんまり歳は関係ないから、ユノ殿と同期から上の人達は、みんな『ユノ』って呼び捨てだ。でもそれよりもあとの入団組にとって、あの人は別格なんだよ。会うとわかるが・・・美人なんだけど、なんていうかこう冷たい感じがしてな。冗談も言わないみたいだし、他の女性剣士達とも滅多に話したりしないらしい。とにかくいつも自分の任務第一で、それが悪いことのはずはないけど、ちょっと浮いた存在なんだな、これが。だからみんな気安く『さん』付けでなんて呼べないんだよ。若手の女性剣士達は陰で『アイスドール・ユノ』って呼んでるぜ。」
人形にたとえられるほどの美人なのか、それともそれほど冷たい雰囲気の人なのだろうか。
「でも、その、ユノ・・・殿って言うのは、入団して4年なら、入ってすぐにフロリア様の護衛剣士になったの?」
通常なら考えにくい。何か訳でもあるのかと不思議に思い、私はカインに尋ねた。
「俺もちらっと聞いただけだけど、ユノ殿の前は別な女性剣士が護衛をしていたらしいが、ユノ殿が入団した時に剣士団長が、護衛剣士にするために直接色々教え込んで、2年目くらいからもうフロリア様のお側についているらしい。特別扱いだよな。普通ならみんなに反発されるんだろうけど、ユノ殿の場合はその腕を買われてのことだから、文句を言う人はいないみたいだぜ。」
「なるほどねぇ。いろいろあるんだね。」
「そうだなぁ。剣士団の面々てのは、ほんと個性派揃いだよ。そしてみんなすばらしく腕が立つ。」
カインが楽しそうに言う。
「あとはちょっと異色のコンビってのがいてな。ハリーさんとキャラハンさんて言うんだが、入団4年で腕のほうはかなりのものなんだけど、揃っておっちょこちょいなんだ。昨日も東門の警備中に持ち場を離れたことがばれて、ティールさんとセルーネさんにどやされたそうだ。」
昨日、酔っぱらい相手に悪戦苦闘していた剣士達は、ハリーさんとキャラハンさんというのか。
「持ち場を離れてどやされるくらいですむの?」
素知らぬ振りをして私は訊いてみた。
「普通は大変だよ。でもどうも昨日のことは喧嘩の仲裁をしていたって言うのがわかって、処分は免れたそうだぜ。」
私はほっとした。私の証言は無駄にはならなかったらしい。
「でもセルーネさんがカンカンでなあ。どうやら東門が無人になった時に、たまたま外に出た母子連れがいたらしくて、モンスターに襲われたらしいんだよ。通りがかりの旅人が助けてくれたけど、門番が役立たずだからそんなことになるんだって。しかし通りがかりにモンスターを倒す旅人なんてすごいよな。どんな人だったのかな。」
カインはその旅人に興味を持ったらしい。まさか目の前にその『通りがかりの旅人』がいるとは思うまい。それが自分だと言ったら、カインはどんな顔をするだろう。
「そのティールさんとセルーネさんというのは?」
私はその旅人のことに話が及ばないうちに、話題を逸らそうとした。別に隠すほどのことではないのだが、カインの口振りから察するに、何だかすごく腕が立つ旅人と思われているらしい。がっかりさせてしまいそうで、何となく言い出せなかった。
「ああ、あのふたりはもうベテランだ。入団して10年過ぎるそうだ。セルーネさんは女性剣士第一号らしいぞ。今では女性剣士達の総元締めさ。見た目はきれいに化粧もしてるし元々美人なんだけど、カンペキ男言葉でな。怒らせたら剣士団長より怖いかも知れないな。」
なるほど、確かにそうだろう。東門が無人だったと聞いた時のあの怒りようは、傍で見ていても凄まじかった。
「ティールさんというのは、誠実な人だよ。普段から穏やかだしな。熱血タイプのセルーネさんと抑え役のティールさんで、あのコンビはうまく成り立ってるんだろうな。二人とも俺と同じ、大剣の使い手だ。まあ無事正式入団と言うことになれば、おいおいみんなとも顔を合わせることになるさ。さてと、明日も早くから歩かないといけないからそろそろ寝るか。念のため不寝番を立てよう。俺が先にやるよ。お前は寝ろ。あとで交替するからな。」
「わかった。お休み。」
私はカインに不寝番を任せ寝袋に潜り込んだ。
カインが起こしに来るまでに少しでも眠らなければ。だが眠りとともに夢もやってくる。
煌々と照る月・・・。
またあの夢だ・・。
やがて少女の悲鳴・・・。
−−おい!!
誰かが、私を・・・呼んでる・・・。
「おい!!クロービス、起きろ!!」
カインに揺さぶられ、ぼんやりと目を開ける。
「どうしたんだよ。すごいうなされようだったぞ。」
「あ・・・ごめん。交替の時間?」
「あ、ああ・・・だが・・・大丈夫か?」
カインは心配そうに私の顔を覗き込んでいる。
「大丈夫だよ。じゃ交替するからカインは寝てよ。」
私はそう言うと、洞窟の入口に出て外を見た。
空には月が出ている。夢の中のような美しい月。エルバールに出てきてから、頻繁にあの夢を見る。あの夢の中の少女・・・。カインの夢の中の少女・・・。歳は違うようだが、同じ少女としか思えないほど似ている。でもなぜ・・・?カインと出会ったのは間違いなく昨日が初めてだ。ライザーさんのように、憶えてないけど昔会ったことがある人ではないはずだ。それなのに夢の中には同じ少女が出てくる。
カインの夢・・・。あれは、カインの見ていた夢なのか、それともカインの身に起こった出来事なのか・・・。いずれわかる日が来るのだろうか。私は焚き火に薪を投げ込みながら、その疑問の答えに届きそうで届かないもどかしさに苛立っていた。
やがて少しずつあたりが明るくなっていき、朝日が昇る。東の空を金色に染めて昇る太陽の光が木立から降りそそぎ、私の心の中の苛立ちが少しだけふっ切れたような気がした。
(とにかく研修だ。必ず合格しなければ・・・。)
自分で前に踏み出そうとしなければ何も始まらない。
「カイン、おはよう!朝日が昇ったよ!」
私はカインを出来るだけ元気いっぱいに起こすと、食事を手早くすませ、荷物を担いだ。
「お、おい、すごい勢いだな。大丈夫なのか。」
カインはまだ心配顔だ。
「大丈夫だよ。さあ、早く出発しよう。」
「よし、今日中にローランに辿り着くぞ!」
私達は西に向かって再び歩き始めた。森の中を進む間中、何度か昨日と同じような木のお化けや花のお化け、さらに毒々しい胞子をまき散らすキノコのお化け、バカでかいウサギやチョウチョなど、とにかくモンスターには嫌と言うほど遭遇した。その度に私は矢を射かけたり、時には剣でなぎ払い、カインはカインで幅広の大剣をぶんぶん振り回して、モンスター達を蹴散らしていった。やがて遥か前方に、森の出口が見えてきた。
「やっと出口かなあ。」
私はほっとしてカインに声をかけた。
「ああ、そうだな。でも油断はするな。繁みには何が潜んでいるかわからないんだから。出口に辿り着いて実際に出てみるまでは気を抜けないんだ。」
カインは相変わらず油断なく辺りを見回しながら答える。
−ガサ・・・!
道の右側を歩いていた私の横で何か音がした。
「ほぉら、おいでなすったぞ!」
カインと私が体制を整える間もなく、繁みの中から飛び出してきたのは先ほどまでに何度か追い払ってきたバカでかいウサギだった。ウサギはまっすぐに私に向かって突進すると、いきなり足を思い切り蹴り上げた。
「うわ!!」
私は不意をつかれてひっくり返り、その拍子に剣が私の手から離れ、道の反対側に落ちてしまった。こんな至近距離では弓も使えない。第一矢筒から矢をとろうにもその矢筒を押しつぶす形で転んでしまったので、一度起きあがらなければとることができない。私はほぼ丸腰の状態でお化けウサギに組み伏せられてしまったのだ。
「クロービス!!」
飛び出したカインが思いきりウサギの背中めがけて斬りつける。
「ギャッ!」
ウサギは驚いてのけぞり、私の上から飛び退くと繁みの中に消えていった。
「あいたたた・・・。ありがとう、カイン。」
剣を拾おうと立ち上がろうとした瞬間、『バシッ!』という音と共にカインの平手が私の頬に飛んだ。みるとカインは真っ赤になって、わなわなと体を震わせている。
「ばっかやろう!!どんな状態になっても武器だけは手放すな!!今俺がいなかったらどうなってたと思うんだ!!」
言葉もなかった。いかに不意をつかれたとはいえ、武器は自分の命綱だ。それを手放してしまっては剣士失格だ・・・。森の出口が見えたことで私の気がゆるんでいたことは確かだ。王宮を出る時のライザーさんの言葉が甦る。
『・・・一番の敵は自分の心の中にあるものだからね。』
今の危機は、間違いなく私の心の中にいつの間にか生まれていた『気のゆるみ』が招いたものだ。カインの平手は痛かったが、この痛みはカインが私を心配してくれていることの証だ、そう思うと嬉しくて涙が出た。
「ごめん・・・。助けてくれてありがとう。」
私はもう一度カインに礼を言って剣を拾い、弓と矢筒を装備し直した。
「いや、俺のほうこそ・・・怒鳴って悪かったな。でも俺たちは、常に死と隣り合わせのところにいるんだ。それだけは覚えておいてくれ。」
カインはばつが悪そうにそう言うと、また歩き出した。昨日、仮入団の手続きの時、ランドさんが言っていた言葉を思いだした。
『万一のことがあった時に遺体の引き取り手がいないのでは困りますからね。まあ遺体が残ればの話なのですが・・・。』
昨日思いがけず城壁の外で親子連れを助け、さらに剣技の試験にうまく合格できたことで、私は少し浮かれていたのかもしれない。
(いつ死ぬかなんてわからないってことだよな・・・。)
私は気を引き締め直してカインの後を追いかけた。やがて本当に森の出口を抜けた。また広々とした草原が広がる。草原の先で道は二つに分かれ、まっすぐの道の彼方に城壁が見えた。
「あれがローランだ。」
カインが指さす。
「こっちの道は?」
私は右側に折れている道の先が気になって尋ねてみた。
「その先は『海鳴りの祠』に続いている。海が見渡せてきれいなところらしいぞ。今回こっちに来たのが任務でなかったら、少しくらい寄り道してもいいんだけどな。」
「へぇ・・・そのうち行ってみたいね。」
「そうだな。さぁて、もう一踏ん張りだぞ。」
そして私達はまた歩き出した。
ローランの村に着いたのは夕方だった。着いてみると、遠くから城壁のように見えたのが、じつはそれほど高い柵ではないことに気づいた。
「城下町ほど高い城壁じゃないんだね。」
私は不思議に思ってカインに尋ねた。
「城下町の城壁はかなり古いんだ。きれいに手入れはされているから、そんな風には見えないと思うけど。あれは昔、もっとモンスターの被害がひどかった頃からのものだからな。それにこのあたりはそんなに強いモンスターもいないし、町の中までは入り込まない。このくらいの高さの柵でも充分というわけさ。」
「そっか。今はあんなに高い城壁は要らないんだね。」
「まあな。でもだからと言って取り壊すわけにも行かないしな。」
逆に南大陸あたりでは、高い城壁に囲まれた安全な場所が必要なのだろう。
「とにかく行くぞ。ここには常駐剣士がいるはずだから、詰所に挨拶に行こう。」
私達は村の中に入ると、まっすぐ剣士団の詰所へと向かった。
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