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第73章 未知なる大地へ

 
 カフィールは静かにうなずいた。
 
「その名も『サクリフィアの錫杖』というものでございます。」
 
「サクリフィアの・・・錫杖・・・」
 
「はい。小さな杖のような形をしており、以前は国王陛下の玉座の近くに置かれていたと言うことでございますが、聖戦の折に燃えさかる町から国王陛下が脱出されたとき、宮殿に置き去りにされて以来そのままだと言うことでございます。」
 
「杖?あの、年寄りがついているような、あんな感じのか?」
 
「杖と申しましても、それほど長いものではありません。そうでございますね・・・。皆さま方の荷物の中に入る程度の、小さなものでございます。万一魔法で攻撃された場合、それをかざせばたちどころに魔法の力は消え去ると言い伝えられております。」
 
「宮殿ということは、村の中にあるんじゃないの?」
 
 ウィローが尋ねた。
 
「宮殿は、サクリフィア大陸の北側にあるのでございますが、宮殿を中心とした城下町は聖戦の折に焼き払われ、多くの人々が亡くなりました。そしてエルバール王国初代国王陛下であらせられるベルロッド様率いる冒険者達によって、生き残りの人々はやっとのことで難を逃れ、現在のサクリフィアの村の場所にたどり着いたと言うことでございます。」
 
「ということは、宮殿は今では誰もいないんだね?」
 
「実は、元々宮殿に隣接していた神殿が焼け落ちてしまい、聖戦のあとは宮殿を神殿として使っていたのでございます。ところが100年前のシャスティンの一件以来、巫女姫だけが持つことの出来る強大な力が失われたことで、中のガーディアンを制御することが出来なくなってしまいました。それで今では、神殿が立ち入り禁止になっているのです。わたくしが皆さま方にサクリフィアの錫杖のことを申し上げにくかったのには、そういう事情があるのでございます。」
 
「ガーディアン?」
 
 カフィールはすまなそうにうなずいた。
 
「はい・・・。神殿の中には様々な宝物が置かれておりました。神殿を頻繁に使用していた当時は、どんなに警備を増やしても、盗賊の被害が後を絶たなかったのでございます。そこでサクリフィア王家が巫女姫を通して神にお伺いを立てたところ、ガーディアンを中に放って巫女姫に制御させよとのお告げを得たのでございます。」
 
「つまり、そいつらは俺達が村長の許しをもらっていようがどうしようが襲ってくるだろうってことか・・・。」
 
「そもそも今のサクリフィアでは、ガーディアンどもを制御するための呪文なんて伝わってないからな。しかもめっぽう強いって噂だから、誰も近づかないのさ。」
 
 クラトが言った。
 
「そのガーディアンて言うのは、いったいどういう奴らなんだ?そのあたりのモンスターを連れてきて飼い慣らしているとか・・・?」
 
「まさか。そんな奴らを連れてきたって言うことなんぞ聞くもんか。ガーディアンはみな人造のモンスターだよ。」
 
「じ・・・人造!?まさか、モンスターを作ったのか?!」
 
 本当ならぞっとする話だが・・・。
 
「まあ作ったと言えば作ったんだろうな。だが、それは古代のサクリフィアでの話だ。神様がいちいち人の面倒を見ていた頃の事だからな。何が起きてもおかしくない時代だぜ。」
 
「クラト、もう少しきちんと説明なさい。皆様、確かにガーディアンは人造のモンスターでございます。ですから、血や肉がついているわけではないと伝えられております。何と申しましょうか・・・たとえば、そうでございますね・・・時計の中のような、歯車やゼンマイで動く、ああいった機械をもっと進化させたような、そう言うもので出来ていると言うことでございますわ。」
 
「そうか・・・。機械で・・・。」
 
「ただし、俺達だって、いや、村長だって話に聞いているだけで、本当にそのガーディアンを見たことがあるわけではないんだ。どんなのが出てくるかなんて、誰にもわからないと思うぜ。だから、村長が神殿への立ち入り許可を出すかどうかは何とも言えないな。」
 
「でもわたくしの紹介状があれば、村長は会ってくれるはずよ。とにかく村の中に入れてもらえさえすれば、村長は外からのお客様を無視したりはなさらないでしょう。」
 
「村長って言うのは気さくな人なの?」
 
 村長の話になると、カフィールは笑顔になっていろいろと話してくれた。怒ると怖いが、いつもは優しくて村人すべての父親のような存在だという。もしもその村長が100年前に国王陛下であったなら、シャスティンの悲劇は起きなかったかも知れないとまで言っていた。
 
「そしてもう一つ、申し上げておくことがございます。」
 
 カフィールの声の調子があらたまったので、私達は思わず背筋を伸ばして椅子に座り直した。
 
「わたくし達がファルシオンについて知っていることは、それほど多くはありません。先ほど申し上げました以上のことについて、まったく知らないとは申しませんが、ほとんど聞きかじった程度のものでございます。中途半端なことを申し上げてしまうと、それが剣士様を迷わせてしまうことになるかも知れないのでございます。ですが、サクリフィアの村長ならば、もう少し詳しい話をご存じのことと思います。そして、もしもそれ以上の秘密を知るためにはどこへ行けばいいのか、そのくらいのことは、おそらく教えてくれるはずです。」
 
「なるほど・・・。つまり、サクリフィアの村長に会うことが出来れば、俺達が探している情報について何らかの進展は必ずあると考えて間違いないってことなのか。」
 
「そういうことでございます。」
 
「わかったよ。ありがとう。」
 
「もう夜も遅うございます。今日はもうお休みになってはいかがでございますか?サクリフィア大陸までは遠い道のりでございます。そして先ほどクラトが申し上げた、本の作者の家がある場所は、サクリフィアを横断する運河を越えたところでございます。この先は長い旅路が待っているとお考えになったほうがよろしいでしょう。」
 
 カフィールの言葉に甘えて、私達は休ませてもらうことにした。今日はウィローも一緒だ。クラトは2階に3人分のベッドを用意してくれていた。船での雑魚寝のことを考えれば、一緒の部屋で寝ることをそれほど気にする必要はないと思えた。寝る間際ウィローが
 
「ねえ、寝言言ったりしたらごめんね。」
 
 そう言って笑った。
 
「ははは、俺のイビキは我慢してくれよ。」
 
 そんな他愛ない会話を交わして、私達は眠りについた。今日一日、いろんなことを聞き過ぎて頭の中が混乱していたが、やはり疲れていたのか、あっという間に眠りに落ちてしまった。
 
 翌朝、朝食をごちそうになったあと、カフィールが白い封筒を手渡してくれた。
 
「中をおあらためくださいませ。」
 
 言われるままに中の便せんを取り出してみた。そこには、これを持っている私達が自分の友人であるから、ぜひ村長に目通りさせてほしいという内容のことが書かれていた。
 
「皆様方が村長に会われるまで、この手紙が誰の目に触れるかわかりません。必要なこと以外は一切書かないでおきました。それからこちらが、サクリフィア大陸の地図と、昨日申し上げました本の作者の家の鍵でございます。」
 
 鍵は真鍮で出来ているのか、鈍い光を放っていた。
 
「それで家の鍵が開くはずでございます。ただ、中をご覧になったあとは必ず鍵を閉めて、その鍵をお返しくださいますようお願いいたします。」
 
「わかったよ。その家の中にある本が万一外に出たりしたら、大変なことになるかも知れないんだよね。」
 
「はい。もちろんすべてとは申しませんが、中には文書館に収蔵されている閲覧禁止の本に匹敵する内容のものもあると聞いております。ですから剣士様、くれぐれもあの家の本を持ち出したりなさらないように、これも重ねてお願いいたします。」
 
「それは約束するよ。それに俺達も、荷物は少ないほうがいいからな。本はかさばるから、もっともどうしても必要な情報があったら、メモしておくことにするよ。それくらいはいいよな?」
 
「はい、そのメモを他の方に見せたりしないとお約束いただけるのであれば・・・。」
 
 私達は本の作者の家の中のものを一切持ち出さないこと、手に入れた情報を迂闊に誰かに見せたりしないことをカフィールに固く約束した。そして、カフィールに手渡された地図を、カインがリニスさんからもらって来た地図と比べてみた。エルバール大陸の遙か東に大陸があるのは同じだが、私達が持っている地図では何もない場所に島の地図があり、そして驚いたことにサクリフィアのさらに東の海の彼方にもう一つ大陸が描かれていた。
 
「こ・・・これは!?」
 
 クラトが覗き込んで説明してくれた。
 
「ここが、サクリフィア大陸だ。そしてここのちょうど真ん中あたりに通っているのが運河さ。その運河から左側に分岐点が現れたらそちら側が神殿へと向かう道だ。そしてその分岐点を通り過ぎて・・・ここまで来ると運河はほぼ渡りきったことになるんだ。で、前方に島が見えてくる。その島にあるのが、例の神話の作者の家さ。ここを島に向かわずに右側の陸地に沿って南下すると、桟橋が見えてくるよ。そこがサクリフィアの村の連中が外に出るときに使っている港さ。まあ港と言っても別に賑わっているわけではないけどな。」
 
「わかった。で、こっち側の、なんかエラく大雑把な描かれ方をしている大陸は何なんだ?」
 
 カインが、サクリフィア大陸の東側に広がる大陸を指さした。カインの言うとおり、地図にしては書き方が大雑把で、これではどこに何があるかよくわからないような地図だ。
 
「そこか・・・。」
 
 クラトは少し眉根を寄せて小さく唸っていたが・・・
 
「ま、いいか。行き着けるかどうかはなんとも言えないしな。ここは、クリスタルミアと呼ばれる前人未踏の地さ。大陸の形や大きさだけは海側から測量することで何とかなったが、大陸内部となると何があるかわからない。噂では神様の住んでいる場所だって言うがな。ただ、その大陸の南側にある半島みたいな場所は、ムーンシェイと言って太古から続く原生林が広がるのどかな村だ。そこの連中はみんな気さくでいい奴ばかりなんだが、俺は好きじゃないね。どうにも得体が知れない。」
 
 ムーンシェイという地名は、城下町に出て来たばかりの頃にエミーが教えてくれたので知っているが、クリスタルミアという地名は初めて聞く。もっとも王国ではサクリフィア大陸さえ載っていない地図が普通に使われているのだ。その先にある神話の地など、訪れた人でもなければ知りようもないことか・・・。
 
「へえ・・・この大地には、まだまだ俺達の知らないことがたくさんあるんだなあ。ま、クリスタルミアにもしも行くことになったとしたら、その気さくなムーンシェイの村の人達に話を聞かせてもらえばいいか。いくら得体が知れなくても感じが悪くないならいいさ。」
 
 カインはクラトの話をそれほど気にしてはいないらしいが、実は私は気になっていた。感じが悪くないのに得体が知れなくて好きになれないと言うのは、クラトが本能的に何かの危険を感じ取っているからではないのだろうか。そんな場所に行くことになるとは思えないが、万一・・・そう、万一私の剣のことでそこに行けば何かわかると言われた場合を考えて、気に止めておいたほうがいいだろう。クラトが私達に地図の説明をしてくれている間、カフィールが席を立って奥へと姿を消し、程なくして何か荷物を抱えて戻ってきた。
 
「少しですが食材を用意しておきました。それと、こちらは皆さんのお昼ご飯にと思いまして・・・。」
 
 カフィールは、何と私達の弁当と、食材まで用意してくれていたのだ。
 
「日持ちのするものばかりですから、サクリフィアの村に着くまで充分間に合いますわ。」
 
「ありがとうございます。ここまでしていただいて・・・。」
 
「お気になさらないでください。わたくし達がファルシオンの使い手と出会ったのも何かの縁でございます。もしかしたら、神の思し召しかも知れません。」
 
「神の思し召し・・・ですか・・・。」
 
 今ひとつピンとこない。神の思し召しなんてものが、なぜ自分の持っているものに降りかかって来るものか。私には、思し召しと言うより、何かの災厄のようにすら思えたほどだ。
 
「剣士様、神様が本当にいらっしゃるのかどうか、ただ人のわたくしにはわかりません。ですが、その剣が千年以上もの長きにわたって失われずにあると言うことは、もしかしたらその剣が役割をまだ終えていないと言うことかも知れません。そして、その剣に選ばれた剣士様は、否応なくその剣の行く末を見定めなければならない、そんな気がいたします。」
 
「つまり、今さら剣から逃げようなんて考えないほうがいいってことなんですね。」
 
「ふふふ・・・そうでございますわね。でも、その剣は必ずやあなた様を守ってくれるはずでございますわ。何があっても手放しませんように。」
 
「・・・わかりました。」
 
「つまりあんたは神様に選ばれたってことなんだぜ?そんな情けない顔するなよ。そんなことじゃ海のモンスターにもつけ込まれるぜ。ここからサクリフィアまでの海域には手強いやつがうようよ出るからな。」
 
「海のモンスターか・・・。ハース城から東の港に来るまでにもけっこう妙な奴らがいたが、それ以上なのかな。」
 
 カインが尋ねた。
 
「サクリフィアに近づくほどに手強いのが増えていくよ。ま、覚悟するんだな。船の場所までは送るぜ。どうせそろそろ観光客もやってくる時間だしな。」
 
 5人で家を出た。クラトの言ったとおり、船着場には観光客らしい人達が何人か集まって、島の農夫と何か話しているところだ。農夫は私達に気づき、不安そうな一瞥を私にだけくれると、クラトに観光客達が語り部の話を聞きたいと言っていることを伝えた。クラトはすでに自分の顔のまわりにあの『気の流れ』を組み上げており、老練な語り部の風情を作り出している。そして重々しい口調で、今は客人を送っていくところだから、もう少し待っていてくれと観光客達に言い、そのまま私達の船の近くまでやって来た。私達の船は船着場の奥の方に係留してあったので、観光客達は特に気に止める様子はない。
 
「いろいろお世話になりました。」
 
「お気をつけて。先ほど弟が申し上げましたように、海のモンスターは手強いものばかりですが、サクリフィアの大地にも、奇妙なモンスターが数多く棲息しております。運河を抜けて村へ向かうまでの道は安全ですが、もしも神殿に向かうことがあるようなら、どんなに気をつけてもつけすぎると言うことはございません。どうかお命を大事になさってくださいませ。」
 
 
 
 2人に何度も礼を言い、島を出た私達は外海に出た。陽はもうだいぶ高くなり、東の港の向こうには、陽をはじいてキラキラと光り輝く王宮の屋根が見える。あの中で、フロリア様はどうなさっているのか・・・。王宮を見るたびに、フロリア様のことが思い出される。そしてそれはカインも同じだったようだ。
 
「しばらく見納めか・・・。」
 
 カインが大きな溜息をついた。
 
「すぐに戻ってこれるよ。」
 
 カインは黙って頷くと、今にも涙が出そうなほどに切なそうな瞳で王宮を見つめていた。この時のカインの横顔を、私はこの後ずっと忘れることが出来なかった・・・。
 
 カフィール達が言っていたとおり、海のモンスター達は手強かった。それも、エルバール近海ではまずお目にかかることはないと思われるような、異形のモンスターばかりだ。このモンスター達がナイト輝石の廃液によって奇形を起こしたものなのか、元々こういう種類の生物なのかまでは、私達には判別出来なかった。カインも私も操船には慣れたが、突然甲板に躍り上がってくるモンスター達と戦いながら船を進めることは容易ではなかった。航路をはずれればどこに着くかわからない。どちらかは必ず舵を取っていなければならなかったため、結局ウィローも船の守りにつくことになった。あまり歓迎したくないこの状況に、ため息をついて渋い顔でいる私と、にこにこ顔で鉄扇を構えてみせるウィローの顔を交互に見て、カインが笑い出してしまった。
 
「まったく・・・なんて顔してるんだよ、クロービス。」
 
「そんな顔しないでよ。大丈夫。ちゃんと役目を果たしてみせるから。」
 
 ウィローはそう言うと、シャランと鉄扇を広げ、ひらひらと煽いで見せた。
 
「君の腕を疑ってるわけじゃないよ。ただ、無茶だけはしないでよ。」
 
「わかってるわよ。」
 
 実際、ウィローの守りは申し分ないほどだった。突如として現れるモンスターをひらりとかわしながら、素早く懐に入り込んで一撃を浴びせる。相手がひるんだ隙に後ろに下がり、すぐさま構えなおして相手の出方を待つ。その一連の動きは流れるように美しく、こんな時でなければ見とれてしまうほどだった。でもそれでも、ウィローに向かってモンスターが襲いかかってくると心臓が締めつけられるような気がする。多分これだけはいつまでたっても変わらないのだろうと思う。夜だけは碇を降ろして結界を張ることにした。こうすればモンスター達は寄ってこないが、海賊がいないとは限らない。やはり不審番は必要だと言うことになり、陸にいた時と同じように、カインと私が交代で立つことにした。だが、最近の不穏な世情を察知してか、怪しい船影は見あたらない。それはそれであまりいいことではないのだが、今だけはこの状況を歓迎したかった。
 
 やがて5日目ほど過ぎた頃だろうか、朝、遙か彼方に島影が見えた。
 
「あれが・・・サクリフィアの大地なのかな。」
 
 カインが地図を見ながらつぶやく。
 
「あの本の作者がいる島は、確かこの大陸の向こう側よね?」
 
「ああ。運河を通って大陸を横断出来るって言ってたから、運河の入口を見つけなくちゃならないな。」
 
「それじゃもう少し近づいてみよう。きっともうひと踏ん張りだよ。」
 
 目的地が近づいたことで、私達も少し元気が出てきた。船の速度を速めながら私達は運河の入口に向かって進んでいった。それはすぐにわかった。カフィール達が教えてくれた航路は、まっすぐに船を進めていけば迷わずに運河の入口につける航路だったのだ。
 
「運河から村に向かうまでは安全だって言ってたな。」
 
「そうみたいだね。ついでに、運河の途中にあるって言う神殿に向かう分岐点も見つけておこうよ。」
 
 カフィール達からもらった地図も、リニスさんからもらった地図も、サクリフィアの大陸についてはかなり詳細に描いてある。どちらもかなり正確だったが、リニスさん達の使っていた地図には、神殿に至る運河の分岐点が大きな「×」で消されている。そしてそのマークから矢印が引いてあり『絶対にここに入らないこと』と、朱書きしてあった。
 
「迷い込んだら大変なことになるって言うことなんだろうな・・・。」
 
 カインが険しい顔で言った。
 
「きっとすごいのがいるんだろうね。」
 
「どんなのがいようと、必要ならば俺は神殿に行くぞ。」
 
「私だって行くよ。もちろんウィローもね。」
 
「当然でしょ?私だけ置いてきぼりなんて絶対に承知しないわよ。」
 
「ま、入れるかどうかはサクリフィアの村長との交渉次第だな。とにかく進んでみよう。まずはあの本の作者の家に行かないとな。」
 
 カフィール達の言っていたとおり、海のモンスター達は運河に入った途端に出てこなくなった。そしてしばらく進むと、地図の通り、北側へと延びる運河の分岐点が姿を現した。
 
「ここか・・・。」
 
「まわりの景色も覚えておいたほうが良さそうだね。」
 
「そうだな。迷ったりしたら大変なことになるってことだったし。」
 
 少し大きめの紙に、だいたいの風景を描いてみた。船から見えるものは出来るだけ見落とさないように何度も確かめ、戻ってきたときに迷わずこの分岐点に入れるよう、記憶にもしっかりと刻みつけた。
 
「よし、これだけ描いておけば、そうそう迷ったりしないだろう。行くか。多分もう一息だ。」
 
 船は滑るように運河を抜けて、私達はサクリフィア大陸の東側に出た。左手に島影が見える。
 
「あの島かな・・・。」
 
「たぶんね。とにかく上がってみよう。」
 
 注意深く船を島に近づけた。人影は見えない。モンスターの気配もない。浜辺に船を乗り上げようかと思ったが、近づいていくと何と小さな桟橋が見えてきた。
 
「サクリフィアの村でこの島を管理してるって話だから、桟橋くらいは備えてあるってことか。これは助かったな。」
 
「そうだね。浜辺に乗り上げると、次に海に出すときに大変だからね。」
 
 桟橋に船をつけて船を下り、私達は島の内部に向かって歩き出した。やがて前方に家が見える。いや、家というより小屋と言ったほうが正確かも知れない。それほど小さな家だった。
 
「よし、鍵を開けてみるか。」
 
 扉にかかっているいかにも頑丈そうな錠前の鍵穴に、カフィールから預かった鍵を差し込むと、カチャリと音がして錠が外れた。扉を開いて中に入った。中は暗い。外はまだ昼間だというのに、この暗さはどうしたことだろう。私は荷物の中からランプを出して火をつけた。パッと明るくなった室内にあったのは、床に無造作に積まれた、夥しい数の本の山、壁一面の本棚。そこにもびっしりと本が詰め込まれている。外から見たときにはいくつかの窓があったと思っていたが、その窓もすべて本棚で塞がれている。これでは真っ暗なのもうなずける。
 
「すごいというか、凄まじいまでの量だな・・・。クロンファンラの図書館にも匹敵しそうな数だぞ、この本は。」
 
 カインは大きな溜息をついた。一個人で収集した本の数がこれほどまでだったとは、私にも予想外だったが、もっと驚いたのは、魔法に関する何かしらが絶対見つかりそうなこれほどの数の本を前にして、カインがなぜか黙ったまま腕を組んで部屋の中を見渡していることだった。てっきり片っ端から本をめくっていくと思っていたのに。
 
「なあクロービス。」
 
「なに?」
 
「ここの鍵をカフィールさんが持っていたってのは、何でなんだろうな。」
 
 カインは腕を組んだ姿勢のまま、私に話しかけてきた。声も落ち着いている。
 
「そう言えば何も言ってなかったね。」
 
 神話の本の話が出たとき、カフィール達は作者の家を知っていると言った。この島の近くに彼らの故郷であるサクリフィアがあるなら、確かにこの場所にある神話の作者の家を知っていてもおかしくはないのだが、そう言われれば、なぜ彼らは鍵など持っていたのだろう。私達にとっては都合がよかったが、そこに何か意味があるのだろうか。カインから漂ってくる漠然とした不安・・・。あまりにも都合よく事が進んで、少し気味悪く思っているのかも知れない。
 
「とりあえず、ここには手をつけないで先にサクリフィアに向かおうかなと思うんだが、どうだ?」
 
 私も、このあまりに都合のよすぎる展開に、何か引っかかるものを感じていた。
 
「何かの罠かも知れないとか?」
 
 ウィローがカインに尋ねた。
 
「いや、そこまでは疑ってないけど、カフィールさん達から鍵を預かったからって、俺達が勝手にこの家の中をかき回していいものかどうか、ちょっと考えちまったのさ。」
 
「そう言うことなら、まずはサクリフィアに行って村長から話を聞きたいね。」
 
「ああ。いったんここは引こう。一度サクリフィアに行って、村長から話を聞いて、ここの中を見せてもらうのはそれからでも遅くはなさそうだ。」
 
 カインが暴走しないでくれたのはありがたかった。正直なところ、この部屋の中の本を一目見たとき、うっかり『読まなければよかったと思えるような本』に出会ってしまいそうな、そんな漠然とした不安を感じていたのだ。それがなぜなのかと問われても答えようがないが、もしかしたらその答をサクリフィアで見つけることが出来るかも知れない。私達は船に戻り、今度は大陸の岸に沿って南下した。カフィールとクラトが言っていたとおり、船着場が見えてきた。何隻かの船が係留されているが、人影はほとんど見当たらない。誰もいないというのに船がモンスターに蹂躙されずにすんでいるのは・・・・
 
「やっぱりそうか・・・。」
 
 辺り一帯に、かなり強力な結界が張ってある。ハース鉱山でイシュトラがかけたような、生体エネルギーを媒体とするものではなさそうだ。どちらかというと・・・
 
「南大陸から城下町に戻ったときに、町の入口にかけられていたものと同じだね。」
 
「ということは、サクリフィアにはレイナック殿みたいな凄腕の呪文使いがいるって事なのか?」
 
「クラトが使っていたみたいな、神術って言うのが残っているんだから、現代の巫女姫辺りなら、この程度の呪文はかけられるんじゃないのかな。」
 
「と言うことはこれも魔法ってことか?」
 
「そういうことになるけど・・・。」
 
 だが、そう結論づけてしまうと、レイナック殿の使っている呪文も魔法だと言うことになってしまう。レイナック殿が呪文をかけているところを何度か見たことはあるが、私にも普通に理解出来る呪文がほとんどだ。今まで出会った呪文使い達の中で、私にはどうしても理解出来ない不思議な言葉で呪文を唱えたのは・・・
 
(フロリア様だけだな・・・。)
 
 漁り火の岬に向かう途中、モンスター達の戦意を喪失させたあの手際は見事だった。だがフロリア様が使う呪文はあくまでも王家の秘法だ。
 
(・・・・・・・・。)
 
 ここまで考えて、私の中にある疑問が湧いてきた。それは、『王家の秘法とはそもそも何なのか』ということだ。まさかそれも魔法の一端なのだろうか。
 
(まさか!バカなことを考えるのはよそう!)
 
 頭の中にわき上がった疑問をむりやり押さえ込んで、私は歩いて行った。カフィールが言っていたとおり、モンスターは現れない。つまり船着場からずっと、私達は結界の中を歩いていることになる。
 
「こんなすごい結界を城下町のまわりに張ることが出来れば、みんな安心して城壁の外に出られるのになあ。」
 
 カインは感心したように呟いている。
 
「そうだね。レイナック殿あたりなら多分このくらいの結界は張れるだろうけど、私達が結界の中に閉じこもっていたのでは、モンスターと人間との共生を目指すって言うフロリア様の方針に合わないじゃないか。」
 
「それもそうか・・。同じ場所で共に生きてこその共生だもんな・・・。」
 
 私達はひたすら歩き続けた。もう夕方になる。やがて太陽が沈んでその残照も消え失せようとする頃、やっと小さな洞窟にたどり着いた。
 
「ここの奥なのかな・・・。でも洞窟はありがたいな。もしも村を見つけられなくても、ここで眠れる。」
 
「そうだね・・・。でも出来るだけ歩いていってみよう。」
 
 洞窟はどこまでも続いている。そして壁には松明がかけられ、通路の奥まで明るく照らし出している。人が住んでいる証拠だ。この洞窟は通路として常に使われているらしい。やがて階段が見えてきた。上がるとまた階段。何度かのぼり続け、ついに外に出た。空にはすでに煌々と照る月が昇っている。その月明かりに照らされて、小さな村が佇んでいた。
 
「ここが・・・サクリフィアの末裔達が住む村なのか・・・。」
 
「多分ね・・・。でももう夜だよ。ここに宿屋があるとは思えないな・・・。一度戻ろうか?」
 
 こんな夜に村に入っては怪しまれそうだ。私は何となく気乗りがしなくてそう言ったのだが・・・。
 
「いや・・・。まずは村に入ってみよう。夜は入れないとでも言われたら戻ればいいさ。少しだけつきあってくれないか。」
 
「判った。それじゃ行こう。」
 
 カインは何となくそう言うだろうと思っていた。村には特に門や囲いはない。村全体が高台にあるので、それほど外からの攻撃などを気にしなくてもすむのかも知れない。それに、この村にもかなり強力な結界が張ってある。村の中に足を踏み入れた。通りはそれほど広い道ではないが、松明が明々と灯され、人通りもそこそこある。思っていたより活気のある村のようだ。だが・・・歩いている人達は、私達に気づいても気づかぬふりをしている。この調子では話を聞く前に逃げられてしまいそうだ。
 
「どうするかな・・・。驚かせたくはないしなあ・・・。」
 
 カインは考えあぐねている。下手に声をかけて逃げ出されたりしたら、大騒ぎになってしまいそうだ。
 
「ねえ、誰か近づいてくるわよ。」
 
 ウィローが言った。見ると若い女性だ。松明が灯されていても、夜であることに変わりはない。こんな時間に村の中を女性が一人で歩いていることが、少し意外だった。だが、女性は私達のそんな戸惑いなど気にもしないかのようににっこりと笑うと、私達の前で優雅に一礼した。
 
「ようこそ、サクリフィアの村へ。」
 
 ここがサクリフィアの村であると言うことを、隠す気はないらしい。
 
「ここは200年前に聖戦で滅びた、サクリフィアの末裔達が住む村ってことでいいのかい?」
 
 カインの問いに、女性は笑顔を崩さないままうなずいた。
 
「そうね。少しだけ訂正させてもらえるなら、サクリフィアは滅びてはいないわ。英雄ベルロッドが民を率いて西の彼方に旅立ってからも、この国は規模を縮小しながらずっとずっと続いているの。」
 
「そうか。滅びたって言うのは失礼だったな。申し訳ない。」
 
 カインが頭を下げた。
 
「ふふ、仕方ないわ。あなた達はエルバール王国の方々ね?王国ではそう教えられているのでしょう。ベルロッドがそんな教えを広めたとは思えないけれど、当時彼に従ったサクリフィアの人々にとって、モンスターに蹂躙され、聖戦竜に焼き尽くされてもなお、この国は故郷であり続けたの。でもここには戻れない。だから、もうサクリフィアは滅びたのだと、もうどこにも故郷はないのだと、そう自分に言い聞かせていたのかも知れないわね。」
 
「なるほどな・・・。」
 
 この女性はベルロッド陛下を様付けはしない。この国の人々にとって、ベルロッド陛下はモンスターから自分達を救い出してくれた救世主であると同時に、故郷から多くの民を連れ去り国を滅亡寸前まで追いやった憎い相手なのかも知れない。
 
「お疲れでしょう。村の奥に旅人を泊めてくれる家がありますから、今夜はそこでお休みください。」
 
「村に滞在してもいいのかい?」
 
 カインの問いにも、女性は笑顔を崩さない。
 
「サクリフィアの人間は、人の心の内に敏感なの。あなた達がよくないことを考えているような人達でないことくらいはわかりますからね。」
 
 そう言って一度言葉を切り、私をじっと見つめて・・・。
 
「あなたも・・・似たような力をお持ちのようね・・・。」
 
 そう言った。
 
「そこまでわかるんですね。」
 
 おそらく、口先だけで何をどう言いつくろってもこの村の人達には通用しない。そんな気がした。
 
「ええ、わかるのよ。でもあなたの力は・・・とても・・・私達よりもずっと強い力を持っている・・・。」
 
 女性の顔が一瞬だけこわばり、そしてもう一度私達にむかって微笑んだ。
 
「さぁ、もう夜だわ。まずは村長の家に案内するわ。いらっしゃい。」
 
 私達は女性の後について、村の奥に歩いていった。やがて小高い丘の上にぽつりと建つ大きな家の前に着いた。
 
「こんばんは、村長。お客様をお連れしたわ。」
 
「おお、メイアラか。お客・・・?」
 
「ええ、エルバール王国の方よ。」
 
「ほぉ・・・。随分とまた遠くから来られたものだ・・・。よく来なすった・・・。何もないところだが、まあ、ゆっくりとしていきなされ。今日の宿は、メイアラよ、お前が案内してやってくれるか?」
 
「ええ、それじゃ行きましょうか。」
 
 カインは身を乗り出し村長に何か話しかけようとしたが、メイアラと呼ばれた女性の、穏やかだが有無を言わさぬ口調に押されたように口をつぐんだ。そのまま黙って、私達はメイアラのあとをついて行った。村長の家から東に向かい、村の東の端にある、やはり小高い丘の上に建つ家につくと、メイアラは『こんばんは』と声はかけたが、返事も待たずに扉を開けて中に入っていった。中には老人と、私よりも少し若いくらいの娘がいた。
 
「こんばんは。ランスじいさん、リーネ、お客様よ。」
 
「あらいらっしゃい、メイアラ姉様。お客様?まぁ、嬉しいわ。最近は交易船の数も減って、外からのお客様はそんなにいらっしゃらないの。うちに来ていただくのも久しぶりだわ。ゆっくりしてらしてくださいね。」
 
 リーネと呼ばれた娘は愛想がいい。勝手に玄関を開けて中に入ったメイアラに、怪訝そうなそぶりさえ見せない。そして私達に対しても、屈託のない笑顔を向けている。メイアラはこの村の人間だから別としても、見たこともない『客』である私達に対して、あまりにも無防備に思えるのだが・・・。
 
「ほお、お客様とはまた・・・。うむ、何もない家だが、ゆっくりして行きなされ。明日は少し村の中を歩いてみるがよかろう。」
 
 おじいさんも優しい瞳で私達を見つめている。この村ではこんなことが普通に起きることなのだろうか。いや、違う。たった今リーネが言ったではないか。『お客様は久しぶり』だと。
 
「ありがとうございます。」
 
 とは言え、せっかく笑顔で招き入れてくれたのだ。ここはやはり感謝して世話になるべきだろう。この2人の笑顔が表面だけでないなら、この村のことを多少なりとも聞き出すことが出来るかも知れない。
 
「それじゃよろしくね。」
 
 メイアラが出ていくのを待って、私はおじいさんにメイアラのことを尋ねた。
 
「あの娘か。あれはこの村の娘だ。最も少しばかり「とう」がたっとるがな。何だ、あんたあの娘を気に入ったのか?」
 
「い、いえ、とても親切な方だったので、どんな方かと・・・。」
 
「ああ、なるほどな。なんだ残念じゃの。やっとあの娘にも春がめぐってくるかと思うたに。」
 
 おじいさんは愉快そうに笑い声を上げた。
 
「おじいちゃん、初対面の人をからかったりしないの。ごめんなさいね。うちのおじいちゃんはいつもこうなのよ。」
 
「まあいいじゃないかリーネ。今日は実に歴史的な日だからな。」
 
「歴史的な日?」
 
 おじいさんは私達をみてニッと笑った。なんとなく、実はいたずらを仕掛けていて、それに私達が引っかかるのを楽しみにしているような、そんな表情だった。
 
「ああ、歴史的な日だ。幻のルーンブレードが、千年の時を越えてサクリフィアにやって来た日だからな。」
 
「そ、それは!?」
 
 先ほどとまったく変わらない穏やかな口調で、おじいさんはさらりと言ってのけた。リーネは『仕方ないわね』とでも言いたげに、小さくため息をついている。この村に入ってこの家にやってくるまでの間、もちろん私は剣など抜いていないし、第一腰の剣はマントで隠れている。旅をしているのだから剣を持っているだろうというところまでは推測出来たとしても、それがまさかルーンブレードだなんて、この人達はどうして知っているのだろう。
 
「ふむ・・・そこまでうろたえるところを見ると、本当の話のようじゃな。」
 
「・・・え・・・?」
 
 まさかカマをかけられたのだろうか。

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