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第62章 果てなき孤独

 
 通路を出て乙夜の塔に入ると、侍女が待っていた。
 
「レイナック様、クロービス先生、お待ちしておりました。フロリア様のお部屋まではわたくしがご案内いたします。」
 
「うむ、待たせてすまんかったの。リーザはまだフロリア様のお部屋におるのか?」
 
「クロービス先生と会われてから退出されるとのことだったのですが、実はその・・・ちょっと人手が足りなくてお買い物にでていただいているのです。」
 
「買物?」
 
「はい・・・。でも先生とはお会いしたいとのことでしたから、そろそろ戻ってこられると思います。」
 
「そうか。」
 
 侍女の先導で階段を上がる。この塔の中は何も変わっていない。20年前、夜中にこの階段を恐る恐る上がっていったときのこと思い出す。何度か階段を上がり、やがてフロリア様の部屋の前についた。
 
「少しお待ちくださいませ。」
 
 侍女は扉をノックして、中に向かって大きな声で言った。
 
「レイナック様とクロービス先生がお見えにございます。」
 
「入ってもらいなさい。」
 
 侍女の声に応えて、奥からフロリア様の声がした。
 
「・・どうぞ・・・。」
 
 侍女が扉を開けた途端、『きゃー、もうお見えなの!?』『まだお湯がぁ!』『あーん!お菓子の盛りつけがまだ・・・』という若い娘達の叫びが聞こえてきた。
 
 扉を開けてくれた侍女が赤くなって
 
「あ、あの、どうぞ。」
 
そう言って私達を中に招き入れてくれたあと、慌てて部屋の奥に駆けていった。程なくして『ちょっと!?まだ出来ていないの?何やってるのよもう!』と大きな声が聞こえてきた。
 
「失礼いたしますぞ。」
 
「失礼します。」
 
 レイナック殿も私も、笑いをこらえながら中に入った。部屋の中では何か香ばしい香りが漂っていた。これは焼き菓子の香りだ。
 
「ようこそ。まだ侍女達の準備が終わらないのです。こちらで少し待っていてください。」
 
 フロリア様が笑顔で現れた。
 
「ほお、お茶会の準備でございますかな。どうやらまだまだ用意が調わぬようでございますな。」
 
 レイナック殿が目を細めた。奥の部屋では何人かの足音がひっきりなしに聞こえてくる。『ちょっと気をつけてよ』『わかってるわよ!』なかなか進まない仕事にイライラしてか、侍女達はケンカしそうな勢いだ。
 
「賑やかでいいですね。いつもこうなのですか?」
 
 フロリア様は私の問いに声をあげて笑った。
 
「ええ、そうですね。もっとも今日は、お客様のためにちょっと力を入れすぎてしまったようです。いつもはみんな、もっと仲がいいのですよ。」
 
「なるほど。それは何よりですね。賑やかなほうが気も晴れますから。」
 
「ええ、まったくです。さあ、2人ともかけてくださいな。実を言うと、準備の邪魔になるからとわたくしも追い出されてしまったのです。」
 
 フロリア様は本当に楽しそうだ。
 
「おお、それはそれは。ではフロリア様も、ここでしばしわしらと話をしようではありませぬか。」
 
「ええ、そうですね。わたくしもここで待つことにします。」
 
 私達は、フロリア様の部屋の中でも比較的小さく、待合室的な役割を果たすらしい部屋のソファに座った。
 
「クロービス、怪我をしたと聞きましたが、もう大丈夫なのですか?」
 
 フロリア様が心配そうに私の顔をのぞき込んだ。
 
「ええ、クロムとフィリスのおかげであっという間に治りました。もう何ともありませんのでご安心ください。」
 
「そうですか・・・。あなたまでもが刺されたと聞いたときは心臓が止まりそうでしたけど・・・よかった。」
 
 フロリア様がほっとしたように微笑んだ。
 
「ご心配をおかけして申し訳ありませんでした。」
 
「いいえ、謝るのはわたくしのほうです。あなたには本当に申し訳なく思っています。せっかくのんびりとお祭りの見物に来たはずなのに、騒動ばかり起きて・・・・。それもすべてはわたくしの、統治者としての至らなさのせい・・・。本当にごめんなさいね。」
 
「そんなことはありません。この国がここまでの発展を遂げたのは、間違いなくフロリア様の功績ではありませんか。もっと自信をお持ちになってください。」
 
「クロービスの申すとおりですぞ。フロリア様あってのエルバール王国です。自信をお持ちなされませ。国民はみんなフロリア様を慕っておりまする。」
 
「ふふふ・・・そうですね・・・。だといいのですけど・・・。」
 
「ほれほれまたそのような弱気な・・・」
 
「まあまあ、仕方ないと思いますよ。最近は特にいろいろ起きていますからね。」
 
「うむ・・・それはそうなのだがのぉ・・・こんなときであればこそ、国王陛下が自信に満ちた態度でデンと構えていてくださらなければ、国民の不安はいや増すばかりだ。わしとてフロリア様に負担をおかけするのは心苦しいのだが・・・。」
 
「あなたの気持ちはわかってるつもりですよ、レイナック。いつも負担をかけて、ごめんなさいね。」
 
「フ、フロリア様・・・わしはそんなつもりで申し上げたのでは・・・。」
 
「レイナック殿、今日だけは肩の力を抜いてのんびりなさいませんか?なんなら、3人でお話ししてもかまいませんよ。」
 
「うむ・・・そうしたいのはやまやまだが、わしも今日はちょいと予定を入れてしまっての。久しぶりに弟の家に顔を出さねばならん。お前に任せるよ。」
 
 その時部屋の扉が開く音がして、『ただいま帰りました』という声が聞こえた。リーザの声だ。買物から帰ってきたらしい。
 
「あ、リーザさんお帰りなさい。ありました?」
 
 侍女の一人がリーザに話しかけている。
 
「ええ、あったわよ。でも若い子ばっかりで、なんだか恥ずかしかったわ。はい、これ。」
 
「あらそんなことないですよぉ。マダム・ジーナのお店は、別に若い子御用達ってわけじゃないんですから。それに、リーザさんだって独身女性なんだから、ああ言うお店にもっと通わないと。」
 
「確かにかわいい小物がいろいろあったけど、小物を買ったくらいで幸せが来るなんて、ちょっと安易すぎない?」
 
「小物を買うと幸運が来るような気がしてがんばるんです!だから幸せになるんですよ。」
 
「それなら別に小物を買わなくてもがんばればいいじゃないの?」
 
 ここで私がこらえきれずに笑い出してしまった。声を殺したつもりだったがリーザと侍女には聞こえたらしい。
 
「あら?まあフロリア様こんなところに。クロービス、来てたのね。もう!言ってくれればよかったのに。」
 
「微笑ましい会話を聞かせてもらってたよ。」
 
「いやねぇ。さっきまで若い女の子ばかりいるお店に買物に行ってきたのよ。自分が浮いてるのがはっきりわかって、何だか複雑な気分だったわ。」
 
 その気持ちはわかる。城下町に出てきたばかりの頃、商業地区のバザーで若い男女ばかりが集まる店を覗いて、どうにも落ち着かなくなったことがあった。きっと今のリーザの気分もそんなものなのだろう。
 
「何を買ってきたの?」
 
「テーブルクロスよ。今日のために、あの子達がどうしてもほしいって。でもみんなお茶の支度で忙しいから、私がお使いに出たってわけ。」
 
「へえ。何その『幸せを呼ぶ』とかなんとか。」
 
「ええ!?先生ご存じないのですか!?」
 
 リーザと話していた侍女が驚いた声をあげた。
 
「あー、クロービスにそんな話をしても無駄よ。ファッションとか、流行とか、そう言うものとは対極にいるような人だから。」
 
「なんだかすごい言われようだなあ。ま、否定できないんだけどね。」
 
「でしょ?」
 
 リーザが私を横目で見て、笑い出した。
 
「素敵なテーブルクロスなんですよ。商業地区に新しくできた、マダム・ジーナのお店で売っていたんです。私、とても気にいったので、今日のために買わせてくださいってフロリア様にお願いしたのです。」
 
「マダム・ジーナのお店?」
 
「元々はファッションデザイナーよ。ウェディングドレスでは有名でね、マダム・ジーナのドレスを着て結婚式を挙げると、一生幸せに添い遂げられるって言われてるの。そのマダム・ジーナが、新しくお店を出したのよ。ドレスじゃなくて、スカーフとかハンカチとか、あとはテーブルクロスみたいに家に飾るものとか、いわゆる「小物」を売るお店ね。ドレスには手が出なくても、その程度のものならそんなに高額ではないでしょ?お小遣い程度の出費でマダム・ジーナの幸運にあやかれるなら安いものだから、若い女の子が大挙して押し寄せてるってわけ。」
 
「へえ・・・それじゃ今度行ってみようかな。」
 
「あなたが?」
 
 リーザが本気で驚いた顔をした。
 
「そんなに驚かなくても・・・。私よりもウィローが行きたがるかなあと思って。」
 
「あ、なるほどね。そうねぇ、確かに女なら一度は手に取ってみたいと思うような、きれいなレースのハンカチとかたくさんおいてあったわよ。プレゼントっていうのもいいんじゃない?」
 
「そうだね。」
 
「うわあ、優しいご主人なんですねぇ。それでは私は、このテーブルクロスを飾ってきます。あとはお茶の道具を持ってくれば準備は終わりですから、今少しお待ち下さいね。」
 
 侍女が笑顔で奥に戻っていった。
 
「今日のためにって・・・まさかと思うけど私が来るから?」
 
「そうよ。レイナック様から、今日はフロリア様の診察にアスランを助けたお医者様が来るって聞いて、みんなもう張り切ったのなんの。」
 
「うーん・・・つまりそれは、アスランがあの子達に人気があるってことなのかな。」
 
「あら正解。さすがに年の功かしら。昔よりは勘がよくなったみたいね。」
 
「そりゃそのくらいはね。アスランはもてるみたいだね。」
 
「そうねぇ。あなたの息子さんのカインとアスランのコンビはね、王宮勤めの女の子達に受けがいいのよ。だからアスランが女の子と出かけていて賊に襲われたって聞いたときは、みんな顔面蒼白でねぇ。怪我のことよりも、女の子と一緒だったことのほうにショックを受けてたみたい。もっとも、アスランが実は瀕死の重傷だったって聞いて、また青くなったんだけどね。」
 
「へぇ・・・・。」
 
 確かにアスランはなかなかの好青年だ。落ち着いて見えるので年よりも少し上に見られがちなようだが、同世代の女の子達にはそれもまた魅力なのだろうか。
 
「でも相手の女の子がライザーさんの娘さんだったなんて、すごい偶然よね。」
 
「そうだね。」
 
「ねえ、ライラってライザーさんにそっくりで驚いたけど、あのイルサって子は?ライザーさんの奥さんに似てる?」
 
「そっくりだよ。髪の色も目の色も同じだしね。」
 
「へぇ、そうなんだ・・・。ねえ、家を出てくるときに、ライザーさん達とこっちで落ち合うとか約束はしていなかったの?」
 
「そんな時間なかったよ。私が祭りに行くつもりで留守を頼みに行ったら、実はうちもって話になってね。私達はその時まだ準備も何もしていない状態だったから、いつ出発できるかも決められなかったんだ。」
 
「そっかあ・・・。まあ仕方ないわね。今ではあなたはお医者様だし、患者さんを放り出して来るわけにはいかないわよね。」
 
「そういうことさ。結局ライザーさん達に留守を頼めなくなったから、別な友達に頼み事をしたり、必要なものを買ったりなんてことをしていたら、かなり時間がかかってしまったんだ。」
 
「それじゃ、ライザーさん達よりだいぶ遅れてこっちに来たのね。」
 
「そうだよ。こっちに着いたのは、アスランが襲われた日の前の日だよ。」
 
「てことは、ライザーさん達もあの時城下町にいたのかしら。」
 
「そこまではわからないな。教会の神父様に会いに行ったそうだから、この町に一度は来てるはずだけどね。」
 
「そうよねぇ・・・。王宮には・・・来てくれないかしらねぇ・・・。もうこっちにいないのかな・・・。」
 
「子供達の職場見学をするって言ってたから、クロンファンラあたりに行ってしまったかもね。イルサはライザーさん達から手紙を受け取る前にこっちに来てたみたいだから、すれ違いになってる可能性もありそうだよ。」
 
「そっかぁ・・・。」
 
 リーザは残念そうだ。
 
「ふむ、そのうち顔を出すかもしれんぞ。オシニスに会いに来るくらいはするじゃろうて。なんと言っても長いことコンビを組んでおったのだ。喧嘩別れしたわけでもあるまいに。」
 
 レイナック殿がリーザをいたわるように言った。
 
「ふふふ・・・そうですよね。ぜひ顔を出してほしいわ。ねえクロービス、カインから聞いたわよ。ライザーさんは今でも訓練してるみたいね。凄く強かったって言ってたわ。」
 
「うちの息子はね、ライザーさんが剣士団を辞めた理由が『優しすぎて向いてないから』だと思ってたんだ。まさかあんなに強いなんて夢にも思わなかったみたいだよ。」
 
 リーザが笑い出した。
 
「『優しすぎて向いてない』から?それじゃ相当驚いたでしょうねぇ。」
 
「あっさり打ち込まれて、その日は相当落ち込んでいたっけな。」
 
「休み明けに訓練場で見かけたときは、あのへんな構えがだいぶ抜けてたみたいね。」
 
「『攻撃は最大の防御』を地でいこうとしたらしいんだけどね。基本が出来ていないのにそんなことをしてもうまくいくはずがないって、やっと気づいてくれたよ。もしも機会があったら相手をしてやってくれるかい?槍との立合ではかなり得るものが多いからね。」
 
 剣とは射程も違う、捌き方も違う槍との立合は、剣同士の立合とはまるで勝手が違う。剣ならば完璧によけられる位置に立っていても槍の穂先は簡単に追いついてくるのだ。そしてリーザが使う細身の槍のほかに、昔ポーラさんが使っていた一般的な槍、グラディスさんが使っていた太く長い槍など、剣より遙かに種類も多い。
 
「お安い御用よ。アスランとカインのコンビは、私達も注目しているのよ。先が楽しみだわ。」
 
「そう言ってくれるとうれしいな。これからは私よりも、剣士団の人達にびしびし鍛えてもらわないとね。」
 
「でも言ってたわよ。『父があんなに強いことも実は初めて知ったんです』だって。ライザーさんとの立合は凄い迫力だったそうね。あ〜あ、私も見たかったなあ。」
 
「息子の実力にあわせて相手していたからね。そんなことにも気づかなかったみたいだよ。」
 
「疑うことを知らないんじゃない?素直にのびのび育った子だなあってすぐわかったもの。でもそれが、必ずしもいい方向に行くとは限らないのがつらいところよね。」
 
「そうだね・・・。」
 
「だが素直に人を信じる心自体は、王国剣士に必要な資質ではないのか?素直な心がなければ、どんなに潜在的な力があってもなかなかのびないものだ。その心を否定するようなことを言うてはいかんぞ。まずは臨機応変に考えられるようにすることを教えんとな。」
 
「そうですね。でも最近の子って、右と言ったら右しか向かないような子が多くて・・・ハディがだいぶ苦労してるみたいです。」
 
「ふむ・・・なるほどのぉ・・・。」
 
「リーザ、人は成長するにつれて少しずつ疑うことを覚えて行くものだと思うんだよ。いつまでも子供のころの純粋な気持ちでいるっていうのは、なかなか難しいんじゃないのかな。仕事を通じて、信じるだけでは解決しないような事にぶつかったときに、まわりの大人が声をかけていい方向に向くように道をつけてやれれば、それでいいと思うけどな。」
 
「うむ、クロービス、いいことを言うではないか。リーザよ、クロービスの言うとおりだ。我らとて、若かりしころはいろいろと失敗もしておるはずだからな。」
 
「そうですね・・・。私達だって信じてだまされたり、疑って相手を傷つけたりなんてよくあったし・・・。今度ハディに会ったらそう言ってあげよっと。」
 
「たまには会ってるの?」
 
 私の問いに、リーザはハッとして顔を上げ、ばつが悪そうにうなずいた。
 
「食堂で顔を合わせたりする時もあるから。」
 
「そうか・・・。」
 
「でも同じ王宮の中だもの。顔を合わせる機会はあるわ。それよりめったに会えないウィローに会いたいんだけど、今どこにいるの?」
 
「ライラの病室にいるよ。でも遅くなるようならレストランでお茶でもって言ってたから、子供達を連れて東翼のレストランに行ってるかも知れないな。」
 
「子供達?カインの他に・・・あ、ライラとイルサ?」
 
「うん。ウィローも君と話したがってたから、顔を出してくれるとありがたいよ。」
 
「そうね。行ってみるわ。」
 
「お待たせいたしましたぁ!」
 
 侍女が駆け込んできた。やっとの事で支度が調ったらしい。
 
「さあどうぞどうぞ。レイナック様もちょっとだけ、セッティングをご覧になって下さいませ。以前お茶を上手に淹れるにはどうしたらいいか、なんてお訊きになってたくらいですし、参考になれば・・・。」
 
「おお、そうかそうか。ではわしも、どんなあんばいなのか見せてもらおうかのぉ。」
 
 レイナック殿が目を細めて立ち上がった。
 
「はい、ぜひ!」
 
 侍女が笑顔でうなずく。レイナック殿は侍女達にも慕われているようだ。
 
「へぇ、このテーブルクロス、買ってきたときはちょっと浮きそうなくらい派手だと思ったけど、こうして見るとしっくり来るわねぇ。」
 
 かなり大きなテーブルにかけられているたっぷりとしたテーブルクロスは、先ほどリーザが買ってきたものらしい。ぱっと見たところかなり華やかなピンク色をしているが、生地自体は透けそうに薄い。よく見ると総レースだ。これほど薄くしなやかに仕上げるには、熟練の職人の技が必要なことだろう。一般家庭のテーブルには分不相応と思えるが、国王陛下たるフロリア様の私室にならば、このくらいのものは置かれていてもいいはずだ。でももしかすると、マダム・ジーナの店というのは、なかなかに高級なものを扱っているのかも知れない。さて私の懐具合でも、妻にプレゼント出来るようなものは売っているだろうか。高くて買えなければ見せてあげるだけと言うことになりそうだ。
 
「でしょう?初めて見たときにこれだっ!って思ったんです。」
 
 このテーブルクロスを見初めた侍女は得意そうだ。
 
「素敵なテーブルクロスね。わたくしも気に入りましたよ。何だかこの部屋が急に華やかになったようですね。」
 
 フロリア様がテーブルクロスを手に取り、微笑んだ。
 
「あ、ありがとうございます!」
 
 侍女が真っ赤になってうれしそうに頭を下げた。
 
「でもこのお医者様にそんなに気を使っても、さっきも言ったようにこの人は流行とかファッションにはとんと無頓着でねぇ。」
 
「リーザさんはこちらのお医者様とお知り合いなんですね。えーと・・・確か剣士団のカインさんのお父様ですよね?」
 
 侍女が不思議そうに私とリーザの顔を交互に見ている。
 
「ええ、よく知ってるわよ。こちらの先生はね、今でこそ偉いお医者様だけど、昔は私と同じように王国剣士だったんだから。」
 
「え?そ、そうだったのですか・・・。」
 
「そうよ。だから気を使うことはないのよ。」
 
「はあ・・・昔は王国剣士さんで、今は偉いお医者様ですか・・・。カインさんのお父様って凄い方なんですねぇ。」
 
 こんなに素直に感心されてしまうと照れくさい。
 
「別に偉くはないよ。息子が世話になってるようだね。おっちょこちょいで早とちりだけど、よろしく頼むよ。」
 
「そんなことはありませんわ。カインさんてとても楽しい方ですし。」
 
「あなた達、カインとどこで会うの?」
 
 リーザが首をかしげた。
 
「図書室でよく見かけます。最初に見たときはちょっと驚きました。」
 
「どうして?」
 
「ふふふ・・・あまり本を読むタイプには見えませんでしたので。でも、呪文をたくさん使えるって聞いてもっとびっくりです。絶対剣一筋な方だと思っていましたもの。」
 
「呪文についてはねぇ、両親とも呪文の才能に恵まれているんだもの、使えない方がおかしいと思うくらいよ。」
 
「ところが必ずしもそうでもないんだよ。」
 
「あらそうなの?」
 
 リーザは意外そうだ。
 
「うちは2人とも呪文を使えるから確率としては高いんだけど、それでも絶対子供も呪文を使えるってわけではないんだよ。」
 
「ふぅん、難しいのね。その点では気功のほうが単純かしらね。」
 
「気功だって極めようと思えばそれなりの鍛錬が必要じゃないか。」
 
「まあそれはそうなんだけど。」
 
「それでは今お茶の道具を運んできますね。」
 
 侍女が奥に消えて、すぐに何人かの侍女達と一緒に戻ってきた。それぞれがポットや茶器、焼き菓子の乗った皿などを抱え上げている。それがすべてテーブルに並べられた。
 
「さあこれで準備は終わりです。お待たせして申し訳ございませんでした。」
 
 侍女達が揃って頭を下げた。
 
「それじゃ、そろそろ引き上げましょうか。私達が帰らないと、先生が診察できないわ。」
 
「リーザさんも今日は帰るんですね。でも大丈夫ですよね、こちらの先生は剣の腕も立つようですし。」
 
「私はあてになるかどうかわからないけど、外には間違いなく腕の立つ剣士が見張りしてるんだから、大丈夫だよ。」
 
「あらご謙遜。団長とも互角にやり合えるって噂のリックを負かしておいて、あてにしないでくれなんて言っても聞かないわよ。」
 
「え?あ、あのリックさんを!?」
 
 侍女達が驚いて私を一斉に見た。若い娘達に一斉に見つめられると、実に落ち着かない。
 
「腕は全然鈍ってないみたいだから、その調子なら団長にも勝てるかもね。」
 
「バカ言わないでよ。あんな重い一撃を受けたら、今の私じゃ吹っ飛ばされるよ。」
 
 リーザは大声で笑った。
 
「昔よりはがっしりしたみたいだし、そう簡単に飛んだりしないでしょ。そのうち私とも手合わせ願いたいわ。」
 
「明日はライラと手合わせする予定なんだ。手が空くようなら見に来たら?」
 
「あらそうなの?ライラの容態はもう大丈夫?」
 
「大丈夫だよ。本当は今日退院手続きをしてもらう予定だったんだけど、残念ながら私のほうがいろいろ手間取ってしまってね。」
 
「ああ・・・そうよね・・・。それじゃ、明日は私も見学に行こうかな。」
 
「まあ、ライラのストレス解消のための訓練だから、見るほどのことでもないんだけどね。」
 
「あら、それはわからないわよ。」
 
「リーザ、わたくしに気を使う必要はありません。昼間はほかの王国剣士達もたくさんいることですし、いつでも行ってかまいませんよ。」
 
 フロリア様が微笑んだ。
 
「はい、ありがとうございます。その時はお言葉に甘えさせていただきますね。さ、それでは邪魔者は退散しましょうか。フロリア様、今日はゆっくりと休まれてくださいね。」
 
「ええ、あなたも久しぶりの休みですから、おもいきり羽を伸ばしてきてくださいね。」
 
「はい。さ、それじゃいきましょ。クロービス、フロリア様をよろしくね。」
 
「うん。またあとで。」
 
「ええ。」
 
(・・・・・・・・・・。)
 
 リーザはだいぶライザーさん達のことを気にしていた。どうしてだろう。確かに久しぶりだから、それで会いたいのだろうとは思うのだが・・・。
 
「では先生、フロリア様をよろしくお願いいたします。」
 
「わかったよ。安心してくれていいよ。」
 
 島で患者の家族にいつも言うように、私は侍女達に微笑んでみせた。でももしかしたら、私はフロリア様を苦しめに来たのかも知れない。リーザが侍女達を連れて部屋を出て行ったのを見届けて、レイナック殿が腰を上げた。
 
「さて、わしも失礼しますぞ。フロリア様、せっかく古い友人とゆっくり話が出来る機会ですからのぉ、今日は日頃の政務のことは忘れて、どうかおくつろぎくだされ。」
 
「ありがとうレイナック。あなたにはいつも世話をかけますね。」
 
「なんのなんの。フロリア様のお世話をするのはわしの生き甲斐でございますからな。ではクロービス、後は頼んだぞ。」
 
「わかりました。」
 
 レイナック殿が出て行って、本当にフロリア様と2人きりになった。
 
「さ、お茶にしましょうね。せっかくあの子達が腕によりをかけて準備してくれたのですもの。よく味わっていただかなきゃ。クロービス、どうぞ、かけてくださいな。」
 
 私は促されるまま椅子に座った。テーブルの上には焼きたての香ばしいお菓子が並び、サイドテーブルにはお茶の道具一式とポットが二本乗っている。少し開けられた窓からは優しい風が吹いてきて、総レースのテーブルクロスがさやさやと風になびいている。
 
「・・・もうずっと昔・・・こうやってお茶を淹れる母の後ろ姿を見ていた記憶があります・・・。本当にかすかな記憶だけれど・・・・。母が淹れてくれたお茶がとてもおいしかったのだけは覚えているんですよ。でも自分でやってみると、なかなかうまく行きませんね。わたくしよりも、レイナックのほうが上手なくらいです。」
 
 フロリア様は笑顔を崩さないまま、慣れた手つきでお茶を淹れてくれた。私がやりましょうかと言いそうになった口を、閉じておいてよかったようだ。フロリア様はとても楽しそうに見える。こんなふうに誰かとおしゃべりするためにお茶を淹れるなんて、フロリア様にとってはとても珍しいことなのかも知れない。
 
「さあどうぞ。」
 
 フロリア様が淹れてくれたお茶が私の前に置かれた。ふわりと鼻をついたのはジャスミンの香りだ。
 
「いただきます。」
 
 お茶を一口飲んだ。その私を、フロリア様はじっと見ている。
 
「レイナック殿の淹れてくださったお茶はおいしかったですが、フロリア様が淹れてくださったお茶もおいしいですよ。どちらが上とは言えませんね。」
 
「あら、うれしいことを言ってくれるのですね。ふふふ・・・。」
 
 フロリア様は自分もお茶を一口飲んで、少しだけ首をかしげた。
 
「うーん・・・思ったようには出来ないものですね・・・。まだまだ勉強しなければならないようです。」
 
 そういってカップをテーブルに戻し、小さくため息をついた。
 
「すると先生はあの侍女達ですか?」
 
「ええ、わたくしが頼むと、本当にうれしそうにいろいろと教えてくれます。若い頃はなかなか侍女達と話が出来なかったものですが、今では親子ほども年が離れているせいか無邪気に慕ってくれて、本当にあの子達には感謝しているんですよ。」
 
「それは何よりですね。」
 
「さあ、このお菓子もどうぞ。あの子達が張り切って焼いたものです。男性は甘いものが苦手かも知れないから、砂糖をあまり入れないようにしようとか、いややっぱりゆっくりとくつろいでいただきたいからお砂糖は多めにとか、まあ賑やかだったこと。」
 
「いただきます。」
 
 ひとつつまんで口に入れた。甘いものが苦手なわけではないが、歳をとったのか最近はあっさりとした甘みのものをよく食べるようになった。この焼き菓子もほんのりとした甘みで、私にはちょうど良い味だ。私が食べたのを見届けて、フロリア様も一つつまんで口に入れ、うなずいてみせた。
 
「わたくしにはちょうどいい味に仕上がっていますが、クロービス、どうですか?」
 
「おいしいですよ。私は別に甘いものが苦手なわけではありませんし、でも薄味に仕上がっていて、たくさん食べられそうですね。」
 
「よかった。ではあなたが気に入ったようだと、あとであの子達に教えてあげましょう。きっと喜びます。」
 
「・・・・・・・・・。」
 
 侍女達は確かに賑やかで、フロリア様を本当に慕ってくれているようだった。それはリーザも同様で、多分毎日この部屋では、リーザと侍女達、それにフロリア様がさっきのように賑やかにおしゃべりをしながら過ごしているのだろう。さっきからフロリア様はとてもはしゃいでいて、楽しそうには見える。見えるが・・・・どこかで無理をしているような、そんな気がするのは私が気を回しすぎなのだろうか・・・。
 
「フロリア様。」
 
「はい?」
 
「レイナック殿が心配されていましたよ。最近フロリア様がご多忙で、元気をなくされていると。実を言いますと、今日はレイナック殿とドゥルーガー会長の命を受けてここに伺っております。もしも心配事などあれば話していただけるとありがたいのですが。私でよければですが・・・。」
 
「まあ・・・。あの2人はあなたになんと・・・?」
 
 フロリア様が少し心配そうに眉をひそめた。私は、レイナック殿からフロリア様が最近忙しくて元気を無くされているので、ぜひ昔なじみとして話をしに来てくれと頼まれたこと、そしてドゥルーガー会長が医師としての観点からも、フロリア様の容態を分析してくれるようにとレイナック殿に頼んでいたことを話した。
 
「そうだったのですか・・・。でもわたくしは別に病気というわけでは・・・。」
 
「病気と申しましても、体のどこかが悪いことばかりが病気ではありません。最近になって研究されるようになってきた、言わば心の病とでも申しましょうか、何かそう言う兆候が出ていないかどうかを、心配されているのでしょう。」
 
「心の病ですか・・・。」
 
「はい。これが実にやっかいなんですよ。ほとんどの場合、患者本人が病気であることにまったく気づいていないのです。」
 
「つまり、わたくしが心の病にかかっているから、あなたが診察に来たと?」
 
「かかっているのかどうかはわかりません。それは、これからの話で判断させていただくことになります。」
 
「そうですか・・・。なんだか話が大げさになってしまっているようですね・・・。確かに最近はいろいろと事件が起きて、心が安まらないこともありました。侍女達からも顔色がよくないと心配されていましたから、レイナック達はそれで気を回してくれたのでしょう。ドゥルーガーは医師会の長として、わたくしの様子には常に気を配らなければならない立場にありますから、その判断は正しいことだと思うのですが・・・でもわたくしは大丈夫ですよ。今までも忙しいことはたくさんありましたし、トラブルが相次いだこともありましたが、何とか切り抜けてきました。せっかくあなたが来てくれたのですもの。楽しい話をしましょう。」
 
 フロリア様が私に心配をかけまいとしてくれる気持ちはうれしいのだが、こうして向かい合っていると漠然とした不安が伝わってくる。それが本当に『心の病』からくるものなのか、それとも何か別なことで悩んでいるのかまではさすがに判断できない。もしかしたら、何か話したいことがあるのかもしれない。
 
「もちろん、私もフロリア様とお話しできるのを楽しみにして伺ったのです。ここで目を光らせて、心の病の診察をしたりなどとは考えておりませんので、ご安心ください。」
 
「ふふふ、そうですね。わたくしも今日の日を楽しみにしていたのです。」
 
 何か言いたいことがあるのに言えずにいるのなら、しつこく聞くよりも、話しやすいように話を持って行くほうが良さそうだ。それに、楽しい会話は心を元気づけてくれる。フロリア様は先ほど取り替えられたばかりのテーブルクロスを手に取り、
 
「このテーブルクロスも、多分あの子達がわたくしを元気づけるためにわざわざ明るい色を選んだのでしょう。ジーナが新しい店を出したという話は聞いていましたが、こういう物を売るお店だったのですね。」
 
そう言って微笑んだ。
 
「フロリア様はそのマダム・ジーナをご存じなのですか?」
 
 ふと、フロリア様の表情に影が差した。
 
「あ、何かお気に障ることを申し上げたのなら・・・。」
 
「いいえ、そうではないのです。確かにわたくしはジーナを知っています。昔一度だけ、ここで会ったことがあるのです。」
 
「ここで・・・・?」
 
「ええ。王宮でです。あれは・・・わたくしがまだ10歳くらいの頃です。とある事件が起きて、1人の王国剣士が殉職しました。彼女はその剣士の婚約者だったのです。その剣士には他に身内がいなかったので遺品などを引き取りに来てもらい、わたくしが直接会って剣士の死について謝罪しました。」
 
「フロリア様が直接ですか・・・。」
 
「ええ、当時の剣士団長ドレイファスは、剣士団を束ねる身として当然自分に責任がある、だから自分が彼女に会うと言ってくれたのですが、10歳の子供だったとは言え、わたくしはこの国の王です。ドレイファスに任せきりにして、隠れているようなことはしたくなかったのです。」
 
「そうだったのですか・・・。」
 
「ジーナは当時、流行の最先端を行くデザイナーの元で仕事をしていて、近々店を一つ任される事になっていたそうです。それでなかなか結婚に踏み切れずにいるうちに婚約者が亡くなってしまって、どんなにか悲しかったでしょうに、それでも気丈に振る舞っていました。・・・亡くなった剣士の名はヒューイと言います。20年前剣士団長を務めていたパーシバルの相方だった剣士です。」
 
「・・・・・・・。」
 
 
『あんたの相方の・・・なんと言ったか、あの男は亡くなったと聞いたが・・・。』
 
『ヒューイのことですか・・・。ええ・・・もう15年近く前になりますが・・・。』
 
 不意に遠い昔の、ハース鉱山での会話がよみがえった。そうか・・・。あの時テロスさんとパーシバルさんの話の中に出てきたヒューイさんという人が、その『マダム・ジーナ』の・・・。
 
 
「あれから彼女はひたすらに努力を重ねて、今では押しも押されもせぬトップデザイナーです。ふふふ・・・その評判を聞きつけて、レイナックがわたくしの結婚式にもぜひマダム・ジーナのドレスを、なんて話をしていたこともあったほどでしたよ。」
 
「レイナック殿のお耳にまで届くとは、かなり有名な方のようですね。それほどのデザイナーのドレスなら、フロリア様がご結婚なさるときにお召しになるにはふさわしいものでしょう。」
 
「実を言うと、わたくしが結婚するときはジーナのドレスを身につけると、その時に約束したのです。けれど残念ながらわたくしも歳ですもの、今さらウェディングドレスを着ることはないでしょう。約束を果たせなかったのは心残りではありますが・・・。」
 
 フロリア様がくすりと笑った。
 
「ははは、歳だなんておっしゃらないでください。結婚に年齢制限なんてありませんよ。でもどうしてまたそんな約束を・・・?」
 
「わたくしが直接ジーナに謝罪したことで、彼女はとても感激していました。そして『今はまだ修行中の身でございますが、私は必ず一流のデザイナーになるつもりでおります。その頃にはフロリア様もお美しく成長されていることでございましょう。フロリア様がご結婚される暁には、ぜひ私にウェディングドレスを作らせてください。』そう言ってくれました。その頃わたくしはまだ子供でしたが、女の身で王となった以上は、自分にもいずれはそういう日が来るのだと信じて疑いませんでしたから、快く約束したのです。必ず、一流のデザイナーになってくださいね。と。」
 
「そうだったのですか・・・。でもまだ約束を果たす機会は充分におありですよ。」
 
「あなたまでそんなことを言うなんて・・・。もっともあなたにとっては、わたくしはそれほど歳も違わないですけれど・・・。でも、世間一般ではとっくにおばさんではありませんか?そろそろ老後のことを考えなければならないくらいです。」
 
「フロリア様が老後の話などをされては、レイナック殿が怒りますよ。いや、泣くかも知れませんね。」
 
 フロリア様が笑い出した。
 

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