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42章 過去の呪縛

 心配そうなグレイと川向こうの長老に別れを告げ、私は家路を急いだ。ラスティはもう来ているかも知れない。応接室に入ればいやでもティートと顔を合わせることになる。いきなり喧嘩になったりすることはないだろうが、やはり気にかかる。 家に着いてみると、妻が外で待っていた。なぜかティートも一緒にいる。
 
「お帰りなさい。ラスティが来てるわよ。」
 
「アローラは一緒?」
 
「ええ、もちろん一緒よ。二人とも応接室にいるわ。」
 
「ティート、もうラスティに会ったのかい?」
 
「はい。応接室でお会いして挨拶をしたんですが・・・うなずいただけでなにもおっしゃっていただけなくて・・・。」
 
「なるほど・・・それで向かい合ってるのはつらいから、君はここにいたと言うわけか。」
 
「はい、あ、いえ・・・その、それもあるんですけど・・・向かい合っていると、アローラがなにか言いたそうにしてるんです・・・。多分、こう言って欲しいとか、これは言っちゃいけないとか言いたくていると思うんですけど・・・でも僕は自分の言葉でアローラのお父さんを説得したいから、今はアローラと話したくないんです。それでウィローさんにお願いしてここで先生をお待ちしていたんです。」
 
 アローラのことだ。父親をうまく説得出来そうな『策』をいくつかは考えてきているのだろう。でもここまできたら下手な小細工などせず、正面からぶつかるのが一番いいと思う。第一ラスティがその手の小細工を一番嫌う。口裏を合わせていたことがばれたら、たぶんなにがあっても二人の結婚を許してはくれなくなるだろう。
 
「それじゃティート、私も応接室に行くけど、まずは診療室に顔を出さなくちゃならないんだ。ウィロー、ラヴィはもう来てる?」
 
「さっき来たわよ。そうね・・・ブロムさんを援護してあげたほうがいいわ。ラヴィも相当ストレスがたまっているみたいだから。」
 
「そうか・・・。それじゃ私が応接室に顔を出すまで、君はラスティ達と一緒にいてくれ。」
 
「は・・・はい・・・。」
 
 ティートはすっかり肩を落としている。黙ったままラスティと向かい合っているなんて、きっと針のむしろに座っているようなものなんだろう。
 
「アローラもラスティの前で君に話しかけることは出来ないだろうし、ウィロー、アローラがティートを連れ出そうとしたら、外に出ないで私を待つように言ってくれないか。そのくらいは援護してあげないとね。」
 
 せっかくティートが決心しているのだ。できる限りの応援はしてやりたい。
 
「了解。ふふっ、あなたも大変な役目を引き受けたわね。」
 
「自分でもそう思うよ。でもほっておけないからね。私としては君の助けをあてにしたいんだけどな。」
 
「私で役に立つかしら。」
 
「君のほうが適任だと思うくらいだよ。どうしようもない鈍感男よりはね。」
 
 妻が笑い出した。
 
「カーナとステラにはさんざん言われたものね。」
 
「・・・まあ、あのころより多少は成長したと思うけど、君の勘の良さにはとうてい叶わないよ。」
 
「ふふふ・・・。あなたは全然鈍感なんかじゃないわよ。でも、もちろん私も出来る限りのお手伝いはするわ。さあティート、行きましょうか。」
 
 
 妻とティートが中に戻っていき、私は診療室へと向かった。廊下にさしかかるとラヴィの声が聞こえてくる。
 
「なあ先生、もう大丈夫だよな?」
 
「いや・・・もう少しかかるな。」
 
「大丈夫だって。だから先生からもクロービス先生に言ってくれよ。そうすればすぐにでも仕事に戻れるんだ。」
 
「そう簡単にはいかんぞ。」
 
 ブロムおじさんの声は少しあきれているような、うんざりしているような、そんなふうに聞こえる。多分渋い顔であいまいに返事をしているのだろう。
 
「ただいま帰りました。ラヴィ、調子はどうだい?」
 
 診療室の扉を開けると、中にはラヴィの母親ミレルもいた。
 
「クロービス、こんにちは。息子がもう仕事に出られるってきかないの。あなたからもなんとか言ってやってくれないかしら?まったく親に心配ばかりかけて・・。」
 
「母ちゃんは黙っててくれよ。なあクロービス先生、ダンさんに言ってくれよ。もう大丈夫だって。いつまでも家にいたら体がなまっちまうよ。」
 
「本当に治ったと思うかい?」
 
「あったり前さ。もうバリバリ仕事が出来るぜ。」
 
 ラヴィは骨折をしたほうの腕を高く掲げて振り回してみせた。
 
「それじゃ手を出して。」
 
 ラヴィは素直に手を差し出した。骨折したのは肩と上腕だが、骨だけ折れて表面が無傷だったわけではもちろんない。特に肘のあたりの外傷がひどく、腱が何ヶ所か切れたはずだ。指を一本ずつ折り曲げたり開かせたり、何度かしているうちに少しだけラヴィの顔がゆがんだ。まだちゃんと動かない指がある。今のまま無理をすれば障害が残りかねない。力の入らない手で斧を持ったりすれば、自分だけでなくまわりの人まで巻き込むような事故に繋がることだってある。だが、それをそのまま言ったところでラヴィが納得するとは思えない。その程度のことなら多分ブロムおじさんは何十回も説明しているはずだ。
 
「そうだね・・・。それじゃ試してみようか。」
 
「試す?」
 
「そうだよ。今うちで薪割りに使っている鉈を使って、君が薪を10本割れたら治ってると認めてやってもいいよ。」
 
「へ!そんなの簡単さ。俺はいつもダンさんみたいな大きな斧を使ってるんだぜ?鉈で薪を割るなんて朝飯前に決まってるじゃないか。しかも10本なんてさ。」
 
 ラヴィがおかしそうに笑いだした。これなら確実に完治したと私に認めさせることが出来ると思っているのだろう。
 
「ク、クロービス・・・。」
 
 ミレルが不安げに私を見た。
 
「大丈夫だよ。ちょっと試すだけだから。」
 
 私はラヴィを連れて庭に出た。鉈と薪が置かれている場所に来て、私はまず割るための薪を持ってくることと、鉈を準備するようにラヴィに言った。ラヴィは木にさわれることに喜んで、薪置き場から太めの薪を10本と、隣に置かれている鉈を持ってきたが、笑顔が少しずつつらそうな顔に変わってきている。指だけでなく腕の曲げ伸ばしも、まだ思ったようには出来ないはずだ。ミレルが外に出てきて、心配そうに息子を見つめている。
 
「さあラヴィ、遠慮なく薪割りをしてくれ。」
 
 言いながら私は、あらかじめ手元に置いておいた長めの薪をそっと構えた。
 
「よし!こんなのさっさと片づけて、今日から現場復帰だぜ!」
 
 ラヴィは元の笑顔に戻って鉈を振りあげた。あっという間に薪は割られていく。鮮やかな手並みだ。3本目までは順調だったが、4本目を割るあたりから額に脂汗が滲んできた。思い通りに動かない腕と指・・・。いつもの倍くらい力を入れないと、ちゃんと動かすことは出来ないはずだ。
 
(そろそろかな・・・。)
 
 6本目を割ろうと振りあげた鉈が、手元の薪に振り下ろされることはなかった。
 
「ぐぅ・・・・。」
 
 ラヴィの顔が苦痛にゆがみ、鉈がカランと音をたてて地面に落ちた。
 
「ちくしょう・・・。なんで動かないんだよ・・・。こんなんじゃ斧なんていつまでたっても持てないじゃないか・・・。ちくしょう・・・。」
 
 右手を押さえてラヴィが涙をぼろぼろとこぼした。そして私の手に握られている薪を見て、
 
「・・・こうなることを知ってたんだな、先生・・・。」
 
「おそらく薪を全部割ることは出来ないだろうなとは思ったよ。」
 
「力が抜けて鉈が飛んだりしたら、それで止めるつもりだったのかい?」
 
「・・・もしも君が、力の入らなくなった手を無理矢理動かしてでも私に『治っている』事を認めさせようとするつもりだったら、使うことになっていたかも知れないね。」
 
「そうしたかったよ。だけど・・・もしも鉈が飛んだりしたら大変だって一瞬思って・・・そうしたらもう振り下ろせなかったんだ。俺・・・臆病になっちまったのかなぁ・・・。」
 
「臆病になったんじゃなくて、危険を察知して回避する能力が身についたってことさ。どうやら今回の怪我は、君の心にはいいほうに働いたようだね。」
 
「・・・いいほうに・・・?」
 
「ダンさんから聞いたよ。今回の事故は、君がもう少し慎重に行動していれば、こんな怪我をしなくてすんだそうじゃないか。」
 
「・・・そ・・・それは・・・。」
 
 ラヴィが口ごもった。実はダンさんから、この若者に少し命の大事さを教えてやってくれと頼まれていた。ラヴィはとても仕事熱心で、どんな仕事でも必ずやり遂げようとする。特にダンさんから何か頼まれようものなら、危険なことにでも平気で飛び込んでいく。若い時には誰でも多少は無鉄砲なところがあるが、それで命を落としてしまっては元も子もない。
 
「君がダンさんの役に立ちたいとがんばっているのはわかるよ。でも今までの君には前しか見えていなかった。ダンさんも心配していたんだよ。若さに任せて無鉄砲なことばかりしていたら、命なんていくつあっても足りないって。」
 
「うん・・・でも俺・・・少しでも早く一人前になりたくて・・・。」
 
「無茶すれば一人前になれるわけじゃないよ。ダンさんみたいになりたいと思うのなら、今みたいに常にまわりに気を配って、無理をしないことを心がけないとね。完治が遅れている一番の理由は、君の心の中にあるんだよ。いい機会だから、もう少し家でゆっくりして、いろいろ考えてみるといいよ。それとリハビリは絶対にさぼっちゃいけない。さぼってばかりいると、いつまでも治らないどころか障害が残りかねないんだから。そんなことになったらもう斧なんて一生握れなくなってしまうよ。」
 
「し、障害・・・。」
 
 ラヴィの後ろで話を聞いていたミレルが青ざめて絶句した。
 
「せ、先生、本当かい!?いやだよ!そんなことになったらもう絶対木こりになんてなれないじゃないか!先生頼むよ!治してくれよ!俺何でもするから!」
 
 ラヴィは大きな声で泣き出した。ミレルが息子の肩を抱きしめて『大丈夫よ、きっとよくなるから』と耳元で囁いている。
 
「クロービス、私が必ずリハビリをさせるわ。だからできるだけ早く治るようにしてあげて。うちの息子は頭のほうはさっぱりだけど、でもダンさんのことが好きで、役に立ちたいっていつも言ってるの。だから・・・。」
 
 ミレルも涙で声をつまらせた。ミレルは私とそんなに歳が違わないらしいが、私は彼女をよく知らない。ミレルが島にやってきたのは、私が剣士団を辞してここに帰ってきたあとのことだ。母親と二人で東の村に住みついたのだが、噂では父親はハース鉱山で鉱夫をしていたらしい。事故で亡くなったという話だが、それがカナのジェドさんやドーラさんのだんなさんが巻き込まれたあの落盤事故のことなのか、それともそのあとの事件のことを指すのか、興味本位で聞けるようなことではないので確かめたことはない。その後島で知り合った男性と結婚し、ラヴィともう一人男の子を産んだ。その弟エディは時々兄と一緒にダンさんの仕事を手伝っているが、力仕事はあまり好きではないらしい。どういう経緯かライラとは知り合いで、ライラが島を出る前はよく二人でうちの書斎に本を読みにやってきていろいろと話をしていたが、今ではめったにこなくなった。
 
「ダンさんはラヴィを大事に思ってるからこそ、ちゃんと完治するまで仕事をさせないんだよ。でも治ってからまた今までみたいに無鉄砲に突っ走るのなら、考えなくちゃならないとも言ってたよ。どんな仕事だって健康な体が一番大事なんだ。これだけは絶対に替えがきかないんだからね。」
 
「はい・・・。」
 
 
 結局仕事復帰のめどが立たないまま、ラヴィは肩を落として帰っていった。かわいそうだが仕方がない。ダンさんはラヴィを自分の後継者にと考えている。頭がさっぱりだなんてとんでもない、確かに読み書きや計算はあまり得意ではなかったが、ダンさんから教わる技術を誰よりも早く習得して、しっかりと自分のものにする。ラヴィは先が楽しみだといつもダンさんが言っている。でもそのことは今日は言わないでおいた。ラヴィのことだ、舞い上がって無茶する可能性が高くなるからだ。せっかく落ち着いてリハビリに取り組む気になっているのだから、もう少しこのまま様子を見るべきだろう。
 
「ふぅ・・・助かったよ。どうしても納得してくれなくて、どうやって説得しようか困ってたんだ。」
 
 ラヴィが出ていったあと、ブロムおじさんがほっとしたようにつぶやいた。
 
「ダンさんの役に立ちたくて必死なんだよ。」
 
「そうだな・・・。ダンもあの若者には特に目をかけているが、今のところそれが裏目に出ているようだな・・・。」
 
「あの無鉄砲を直さないとね。今のままじゃいくつ命があっても足りやしないよ。」
 
「まあまだ若いからな・・・。確かカインと同い年だよな?」
 
「そうだよ。カインより何ヶ月か遅いくらいかな。」
 
「そうか・・・。これに懲りてもう少し慎重になってくれるといいんだがな・・・。ところで今日の予定はこれで終わりだな?」
 
「うん。あとは薬が切れて慌てて駆け込んでくる人がいるかも知れないって言うくらいかな。あ、それからさっき届いた荷物なんだけど、もうチェックしてくれた?」
 
「いや、まだなんだよ。途中までチェックしたところでラヴィが来てしまったからな。だが、包帯などの消耗品は全部あったぞ。あとは薬類と金だな。それもやっておくから、お前は早くラスティとティートのところに行ってやれ。」
 
「うん。それじゃお願いします。ちょっと行ってくるよ。」
 
「ああ。がんばれよ。」
 
 おじさんがにやりと笑った。
 
 
 応接室には異様なまでの静けさがただよっていた。口をへの字に曲げて腕を組み、ソファに座るラスティと、隣には怒ったような顔のアローラ。その向かい側には、唇を噛み締めて少しうつむき加減のティートが体中をこわばらせて座っている。そして三人を見渡せる場所に妻がいて、涼しい顔でお茶を飲んでいる。おそらく私の予想通り、アローラはティートを連れ出そうとしたのだろう。でも妻に止められて父親を説得するための、と言うかおそらくは丸め込むための策を講じることが出来ずに苛立っているようだ。
 
「ラスティ、店のほうはいいの?」
 
「ああ。キルシェに任せてきたよ。店は大事だが、俺にとっては娘のほうがもっと大事だからな。」
 
 アローラがちらりと父親をみたが、ますますムスッとしてぷいとそっぽを向いた。
 
「確かにね・・・。さてと、どうしようかな・・・。」
 
 私としてはティートがうまくラスティを説得してくれたらいいのにと思っている。ティートはいい青年だ。いきなり結婚は無理としても、せめて交際だけでも認めてくれれば二人はもうこそこそと隠れて会う必要などなくなるのだ。そのほうがラスティも安心できると思うのだが・・・娘を持つ父親の心理を完全に理解できるとも思えないので、とりあえず黙っておいた。
 
「そうねぇ・・・。話す順番くらいは決めたほうがいいのかしらねぇ・・。三人ともそれぞれ言いたいことがたくさんありそうだし、一度に話し始めたら大変なことになりそうだものね。」
 
 妻もどうしたものかと考え込んでいる。
 
「そうか・・・。それがいいかもしれないね。順番を決めるとなると・・・やっぱり一番はティートかな。」
 
「おいクロービス、なんでだよ?」
 
「ちょ、ちょっと待ってよ先生!」
 
 ラスティが不満げに口を挟むのはわかるとしても、なぜかアローラまでがこの取り決めに異議があるようだ。まあその理由については想像がつかないこともないのだが、とりあえず私はラスティの問いに答えることにした。
 
「だって考えてもみてよ。ティートとアローラは、君に二人のことを認めてほしいっていう話をするんだよ?ティート、アローラ、そうだね?」
 
「はい。」
 
「もちろんよ。」
 
 神妙な顔でティートが、いかにも納得のいかなそうなふくれっ面でアローラが、それぞれきっぱりと返事をした。
 
「頼みごとをするほうが最初に話すのが筋かなと思ったんだけどね。」
 
「待って!待ってよ先生!その前に私にティートと話をさせて!」
 
 アローラが必死で叫ぶ。
 
「アローラ、今は君の一生の問題について話をしようとしているんだよ。それを後回しにしても話さなくちゃならない事なんてないはずだよ。」
 
「そ、それはそうだけど・・・。だけど、どうしても今話さなくちゃならないことがあるのよ!」
 
「それじゃ今のうち話して。」
 
 アローラは笑顔になって立ち上がった。
 
「ティート、行きましょう。」
 
「ちょっと待ってアローラ。どうして外に出るんだい?」
 
「ちょっとだけよ。ちょっとだけ外で話をしてくるから。」
 
「だめだよ。君の父さんは店を留守にして来ているし、私も診療所をブロムさんに任せてここにいるんだよ。だからそんなに時間は取れないんだ。話すならここで話しなさい。」
 
「だ、だめよ!ここでは話せないことなの!」
 
「どうして話せないの?」
 
「ど、どうしてって・・・。その・・・。」
 
 アローラが言葉を詰まらせた。私はティートに振り向いて尋ねた。
 
「ティート、君はアローラと話さなくちゃならないことがあるのかい?」
 
「いえ、ありません。」
 
 あまりにもさらりとしたティートの答えに、ぎょっとしたのはアローラだった。アローラはティートをにらみつけると、ぷいと視線をはずして私に向かって叫んだ。
 
「そ、それじゃ、ティートじゃなくて私が父さんに話すわ!」
 
「それはだめだよ。」
 
「どうしてよ!?私もティートも願いは一緒なのよ。私が話たっていいでしょう!?」
 
 アローラは引き下がりそうにない。
 
「どうしてだめかって言うとね、君が今からもうけんか腰だからだよ。私が今朝君の家に行ったとき、君はお父さんと大げんかしたあとだったじゃないか。わざわざうちに来てもらったのは、けんかの続きをここでさせるためじゃないんだ。本当なら今日の午後、ティートが君の家に行って話すはずだったことを話してもらうためなんだよ。話す内容くらいはもう考えてあるんだろう、ティート?」
 
 私はティートに振り向いた。ティートはうなずき
 
「はい。もう本当はずっと前から考えていたんです。だから僕はいつでも話を始められます。」
 
微笑んでそう答えた。体の緊張も取れてきているようだし、これならスムーズに話が出来そうだ。問題はラスティとアローラか・・・。でもラスティは大人だ。さっきグレイの家で『ちゃんとティートと話す』と言っていたのだから、そのつもりで来ているはずだ。残るはアローラ・・・。明るくて元気な娘なのだが、少々わがままなところがあり、何でも自分の思い通りに事を運ぼうとする。それが出来ないと泣いたり怒ったり、いささか扱いにくいところがある。だがこれはアローラの一生がかかっている問題だ。それに結婚して家庭を築いていくつもりなら、我慢することも覚えなければならない。ティートの答を受け、私は素知らぬふりでアローラに言った。
 
「・・・だそうだよ。だからアローラ、君はまずティートの話を聞かなきゃならないよ。言いたいことがあるならそれからにしてくれないか。」
 
「そんな・・・。ひどいわ!先生は父さんの味方なのね・・・!?」
 
「そんなことはないよ。」
 
「いいえ!きっと父さんが頼んだのよ!私とティートを引き離すように・・・だからわざとここで話し合うようになんて言ったのよ!」
 
「おいアローラ!」
 
 ラスティが怒って立ち上がったが、私は片手でラスティを制した。ラスティの怒りはわかるが、ここで手をあげられたりしたらますます話がこじれるだけだ。
 
「アローラ、本当にそう思ってるの?」
 
「だってそうじゃないの!みんなして私とティートを引き離そうとしてるのよ!でなきゃそんな意地悪しないわ!先生もおばさまもいつも私達に協力してくれていたのに・・・。」
 
 言ってしまってから、アローラは慌てて口を押さえた。
 
「ばぁか・・・自分でばらしちまいやがって・・・。」
 
 ラスティは驚いた様子も見せず、アローラを横目で見ながらあきれたようにつぶやいた。さっきグレイの家で話した時に、多分ラスティは気づいていたのだろう。私も妻も、アローラとティートのことを知っていたのだと言うことを。
 
「おいアローラ、ここでティートと会ってることを俺に黙っててくれって、お前がクロービス達に頼んだんんだろう?」
 
「な・・・なんで父さんがそんなこと知ってるのよ!?」
 
 引っ込みがつかなくなったアローラはますます大声になる。
 
「でかい声を出すな!ここは診療所なんだぞ?診療室まで筒抜けじゃないか。お前の怒鳴り声なんぞ聞いていたら、よくなる病気も悪くなっちまう。」
 
「な・・・何よ・・・何よ・・・・!父さんのバカ!石頭!ティートの話を聞いてもくれないで・・・。」
 
 アローラが泣き出した。ラスティはゆっくりと立ち上がり、アローラの前に立った。アローラはぎょっとして、飛んでくるかも知れないゲンコツを回避するように身構えたが、私は黙っていた。ラスティは落ち着いている。少なくともグレイの家で会った時のように、頭に血がのぼっているような気配はない。
 
「間違えるな。俺が聞かないんじゃない。お前がティートをしゃべらせないんだ。」
 
「ど、どういうことよ・・・。何言ってるの父さん?私は・・・。」
 
「ふん・・・!俺をごまかせると思うな。お前はティートを信用してないんだ。ティートに任せておいたら、俺に押し切られて結局は結婚話もご破算になっちまうとでも思ってるんだろう。だからさっきからティートとしゃべらせろと言ってるんだよな?俺と話す前に、お前がティートに台本を提供して演技指導までしようってわけだ。」
 
「・・・・・・・・。」
 
 アローラはうつむいて黙り込んだ。核心をついているだけに反論の余地はないのだろう。黙ったままのアローラから視線をはずし、ラスティはティートに振り向いた。
 
「で、演技指導は必要なのか?おまえら二人がまず口裏を合わせたいってんなら好きにしていいぞ。」
 
「いえ・・・必要ありません。」
 
 ティートはもうすっかり落ち着いて、余裕の表情でラスティの問いに答えた。ラスティはつまらなそうにフンと鼻を鳴らし、
 
「ならいいさ。さあ話を始めようじゃないか。」
 
さっきまで座っていたソファにドスンと音をたてて腰を下ろした。ティートは話を始めようとしたが、唇を噛みしめてうつむくアローラが気にかかる様子だ。
 
「アローラ・・・今日は僕に任せてくれないか・・・?」
 
 ティートは笑顔でアローラを見つめた。アローラは泣きはらした顔をこわばらせてティートを見つめ返した。
 
「・・・怒ってるんじゃないの・・・?」
 
「どうして?」
 
 ティートは不思議そうに尋ねた。
 
「・・・父さんの言うとおりよ・・・。私・・・あなたを信じていなかった・・・。あなたに任せておいたらきっと父さんに押しきられてしまうから、だから私ががんばらなきゃ結婚なんてきっと出来ないって・・・。私が父さんをうまく納得させられそうな話をいろいろ考えてきたのよ・・・。・・・。なのにどうして笑ってるの・・・?」
 
 ティートがくすりと笑って立ち上がり、アローラの前にしゃがみ込んだ。
 
「君が僕を頼りなく思うのはわかるからね。僕は争いごとは嫌いだし、話もうまいほうじゃない。だから君は僕のためにいろいろと考えてくれたんだろう?そんな君の気持ちに対して怒ったりなんて出来るはずがないじゃないか。そこまで僕とのことを真剣に考えてくれていることに感謝したいくらいだよ。」
 
「ティート・・・。」
 
 一度は止まった涙が、アローラの瞳から再び溢れ出した。
 
「ごめんなさい・・・。」
 
「君が謝ることないよ。」
 
 アローラは首を激しく左右に振り、ティートの首に両腕を巻き付けてまた泣き出した。
 
「ごめんなさい・・・ごめんなさいティート・・・。ずっと一緒に生きていきたいと思ったはずの人を信じられないなんて・・・私、最低だわ・・・。あなたの奥さんになる資格なんてないかもしれない・・・。」
 
 ティートはアローラの隣に座るラスティを気にするようにちらりと見たが、ラスティが表情も変えず動こうともしないのを見ると、ほんの少しだけほっとしたような表情を見せて、アローラの背中をなだめるように撫でた。
 
「僕は・・最初に会ったときから、明るく笑う君が大好きだったんだ。快活で行動的な君には、僕なんかふさわしくないかもしれないって・・・悩んだこともあったんだよ。でも決めたんじゃないか。結婚しようって。二人でこの島で生きていこうって。だから僕は、君にふさわしい男になれるようにもっと努力しなくちゃならない。その一歩が今日なんだよ。僕を信じて、見ていてほしいんだ。大丈夫だよ、君はいつも言ってるだろう?父さんとはついけんかしちゃうけど、本当は大好きなのって。君が大好きなお父さんに嫌われたくないからね。」
 
 この言葉を聞いたときの、ラスティとアローラの顔はまったく見ものだった。二人とも必死で怒った顔を維持しようとしているのだが、口元から照れ笑いが広がってなんとも複雑な表情になっている。妻と私は笑いをかみ殺すのが大変だった。
 
「ねえティート・・・あなたが父さんと話す前に、私も父さんに一言言っていい?」
 
 ティートが笑顔でうなずいて、アローラは立ち上がり、ラスティの前に立って頭を下げた。
 
「父さん、ごめんなさい。ティートとのこと内緒にしてて・・・。今ごろ遅いけど、謝るわ・・・。それから・・その・・・。」
 
 アローラは少しもじもじしていたが、小さくため息をついて言葉を続けた。
 
「・・・頑固おやじとか、石頭とか、大っ嫌いとか・・・いっぱい悪口言ってごめんなさい・・・。」
 
 ラスティは顔をあげ、照れ笑いをかみ殺しながら大げさに肩をすくめてみせた。
 
「いいよ・・・。俺も短気過ぎたからな・・・。だが、謝らなくちゃならないのは俺だけか?」
 
 それを聞いてアローラが小さく『あ!』と叫んで慌てて妻と私に向き直った。
 
「先生、ウィローおばさま、ごめんなさい!父さんの味方だとかひどいこと言って・・・。」
 
「いいよ。君の一生がかかっていることなんだから、必死になる気持ちはわかるからね。」
 
「そうよ。私達のことなら気にしなくていいわ。さ、あなたはここに座って。ティート、話を続けましょう。あなたの決意を私達も見せてもらうわ。」
 
 妻の言葉にアローラは素直にうなずいてソファに座り直し、ティートもラスティの向かい側の席に戻って腰を下ろした。
 
「さてと、ちょっと調子が狂っちまったが、仕切り直しだな。ティート、俺を納得させたいなら自分の気持ちをちゃんと話せ。」
 
 やっとの事で照れ笑いを隠しおおせたラスティは、精一杯の威厳を保っている。
 
「はい。」
 
 ティートは居住まいを正し、目を閉じて深呼吸を一つしたあと、ラスティを正面から見つめて口を開いた。
 
「僕はアローラが好きです。」
 
「・・・・・・・・・・。」
 
 ラスティはなにも答えない。でも少しだけ表情が険しくなったかもしれない。
 
「いずれは結婚したいとも思っています・・・。でも、今日いきなり現れて娘さんをくださいと言うお願いのほうが無礼なことだと思います。ですから今日は、まずアローラと僕が交際することだけでも認めてほしいんです。お願いします。」
 
 頭を下げるティートを見つめたまま、ラスティは思案するように腕を組んで少し何か考えていた。
 
「交際を認めてくれってことは、そのまま結婚まで認めてくれってことと同じだ。ただ、どんなに好きあっていたって、うまくいかなくなって別れることはあるってだけのことさ。」
 
「はい・・・。」
 
「ところで、アローラにはもう手を出したのか?」
 
「え!?」
 
 ティートは驚いて顔をあげたが、すぐに元の表情に戻って静かに首を横に振った。
 
「いえ・・・。」
 
「別に隠さなくたっていいんだぞ?男と女が一緒にいればいずれそういうことになるのは当たり前だからな。」
 
「いえ、本当にそんなことはありません。」
 
「ふぅ〜ん・・・。」
 
 ラスティはしばらくティートを見つめていたが、ふふんと笑った。
 
「俺よりはまじめなようだな・・・。」
 
 この言葉に思わず吹き出しそうになるのをやっとのとこでこらえた。妻を見ると口元がゆるまないようにきっと引き結んで、肩をすくめている。ティートはと言えばそんな私達には気づくはずもなく、黙ったままラスティの次の言葉を待っていた。
 
「・・・アローラはわがままだぞ?自分の思い通りにならないとすぐへそを曲げて泣くわ怒るわ、扱いにくいったらありゃしない。お前も今までだいぶ痛い目に遭ってるんじゃないか?」
 
「・・・そんなことはないです。アローラはいつも明るくて元気で・・・話しているだけで僕も楽しくなるんです。」
 
「はは・・・。物は言いようだな・・・。」
 
 ラスティは大きく深呼吸をして、ソファに体を預け、天井を見上げた。
 
「おいアローラ。」
 
「は、はい!」
 
 いきなり名前を呼ばれて、アローラが椅子から飛び上がりそうになった。
 
「お前は本気なのか?」
 
「そ、そんなの決まって・・・!」
 
 叫びかけてアローラはハッとして言葉を飲み込んだ。そして深呼吸してもう一度ゆっくりと口を開いた。
 
「本気よ・・・。ずっと・・・ティートと一緒に生きていきたい・・・。だから父さん、お願い。私達のことを認めて・・・。」
 
 絞り出すような切ないアローラの声・・・。その必死の思いが痛いほどに伝わってくる。
 
「本気かぁ・・・。あ〜ぁ・・・。まったく・・・娘なんて持つもんじゃないな・・・。一生懸命育てた挙げ句にどこかの馬のホネにさらわれちまうんだから・・・。」
 
 それきりラスティは黙り込んだ。また異様な静けさが漂う。どのくらい過ぎたのか、沈黙に耐えかねてアローラがそわそわし出した頃、ラスティが大儀そうにソファから体を起こし、ティートに向き直った。
 
「とりあえず、お前の気持ちはわかった。アローラを大事にしてくれているようだし、つきあうことは認めてやるよ。だからもう陰でこそこそ会ったり嘘をついたりしないと約束してくれ。」
 
 ラスティはあきらめたような、ほっとしたような、複雑な顔をしている。対するティートはこわばっていた顔から緊張が解け、ほっとした笑顔をみせた。
 
「はい・・・ありがとうございます。今まで黙っていてすみませんでした・・・。」
 
 ティートが立ち上がって深々と頭を下げた。アローラは立ち上がり、父親に飛びつくようにして泣き出した。
 
「父さん!ありがとう・・・。ティートのことは好きだけど、父さんのことはもっと前から大好きよ!これからもずっとよ!」
 
「ちぇっ・・・。都合のいい時ばっかりだ、そんなこと言うのは・・・。」
 
 ラスティは照れ笑いを浮かべながらアローラの髪を撫でた。
 
「とりあえずつきあうことだけだ。結婚についてはこれからお前達の様子を見て決める。それでいいな?」
 
「わかりました。」
 
「いいわよ。絶対認めさせてみせるんだから!」
 
 ティートは笑顔できっぱりと返事をし、アローラはますますラスティにしがみついて泣きながら笑っていた。
 
 
 話が無事に決まって、ティートはグレイの家に祖父を迎えに行くことになった。この知らせをずっと心配してくれていた伯父夫婦に知らせたいと、アローラも一緒に行くことになって、二人は部屋を出て行った。二人の後ろ姿を見送って、ソファに座ったままのラスティがまた大きくため息をついた。
 
「クロービス、今日は助かったよ。」
 
「私達は何もしてないよ。あんまり役に立たなかったね。」
 
「そんなことはないさ。話をするのがここでよかったよ。もしもうちで話してたら、キルシェが口出しして俺が怒って、それでこの話はおしまいってことになっていたかもな。」
 
「でも最初から君は認めるつもりだったんじゃないか。」
 
「ここに来て、ティートの顔を見ているうちにな・・・。最初は本当にぶちこわしてやろうとしか考えていなかったんだ・・・。でもさっきここでティートと向かい合っている時、アローラが何度もティートを外に連れ出そうとしたんだよ。でもあいつは応じなかった・・・。見た目は頼りないやさおとこって感じだけど、あんがい骨のある奴なのかなと思ったのさ。だから話くらいはちゃんと聞いてやろうと思ったんだ・・・。それに、お前とウィローが後押しする奴なら、きっといいやつなんだろうしな。」
 
「信用してくれてうれしいよ。自分に人を見る目がそんなにあるとは思えないけど、ティートはいい青年だと思ってるよ。だからアローラがティートのことが好きだから協力してくれって言ってきた時に、協力する気になったんだよ。君に黙ってたのは悪かったと思ってるよ。」
 
「・・・それは仕方ないさ・・・。お前が悪いわけじゃないよ。さてと・・・店も気になるし、そろそろ戻るか。」
 
「キルシェも心配してたよ。仲直りしてくれるよね。」
 
「ああ・・・。俺ももう限界だ。早くあいつの笑った顔が見たいよ。」
 
 ラスティは立ち上がり、大きくのびをしてまた一つため息をついた。
 
「まったく・・・父親なんてのは割に合わない役目だな・・・。それじゃ、クロービス、ウィロー、今日は助かったよ。ありがとう。これからもあいつらが迷惑をかけるかも知れないけど、その時は遠慮無くガツンとやってくれていいよ。結婚しようってんなら、もう少し大人になってもらわないとな。」
 
「わかったよ。それじゃ。」
 
「ああ、またな。」
 
 ラスティが応接室を出ようとした時、扉が開いてカインが顔を出した。
 
「父さん、話は終わったの?」
 
「ああ、終わったよ。」
 
「ティートとアローラは?おじさん、二人のことは許してくれたの?」
 
「おぅ、ちゃんと認めてやったぞ。ティートの奴もおかしな奴じゃないみたいだしな。ただし、結婚はまだ先の話だ。陰でこそこそ会われるのはいやだから、交際だけは認めてやったのさ。」
 
「そっかぁ。よかった。気になってたんだ。」
 
 カインはほっとした顔をした。カインにとってアローラは幼なじみだし、ティートも仲のいい友達だ。二人に幸せになってほしいと思う気持ちはカインも同じだろう。
 
「お前のほうはどうなんだ?もう支度は出来たのか?」
 
「うん。あのね、荷物を運ぶのにちょっと一人では無理みたいだから・・・。手伝ってくれたらうれしいなと・・・。」
 
「そんなことだろうと思ったよ・・・。いくつに分けたんだ?」
 
「3つで精一杯・・・。」
 
 帰ってきた時の洗濯物の山は、きれいに洗ってたたんだことで多少は量が減ったものの、とても一人で運べるような大きさにはならなかった。仕方がないので、手分けして持っていけるように分割してまとめるよう言っておいたのだ。
 
「ん?荷物運びなら手伝おうか?」
 
「いや、大丈夫だよ。君は早く店に戻ったほうがいいんじゃない?キルシェも気にしてるだろうし。」
 
「そうか?それじゃ俺は帰るよ。またな。」
 
 ラスティが部屋を出て、妻が見送りに出て行った。玄関でラスティが何か言っていたようだが、なんと言っていたかまではわからない。程なくして戻ってきた妻はくすくすと笑っている。
 
「どうしたの?」
 
「あの荷物・・・。夜逃げでもするのかって。」
 
「夜逃げね・・・。まあそう思われても仕方ないような大きさだものね・・・。」
 
「またあれを担いで帰らなくちゃならないのよね・・・。」
 
「あれでも無理矢理まとめたんだ。でもあれ以上多くなると持てなくなっちゃうからさ・・・。何とか持って帰るよ。」
 
 そう言うカインはあきらめ顔だ。
 
「そろそろ出たほうがいいな。ファーガスさんを待たせては申し訳ないぞ。」
 
「うん。もう用意は出来てるんだ。」
 
「カイン、私があなたの荷物を背負うから、あなたはあの洗濯物を持ったら?」
 
 フローラがカインの足許にある荷物を拾い上げた。
 
「え、いいよ。何とかするよ。」
 
 カインが慌ててフローラの手元から自分の荷物を受け取ろうとしたが、フローラは片手でカインを制した。
 
「大丈夫よ。私だっていつも商品を入れた重い箱を持っているんだから、けっこう力はあるのよ。」
 
 フローラはその言葉通り、カインの荷物を難なく背負ってみせた。足許がふらつく様子もない。見た目はとても華奢ではかなげに見えるのだが、さすが雑貨屋の看板娘だ。
 
「カイン、私達が手伝えるのは船着場までなんだ。そのあとは二人で手分けして持つようにするしかないだろう。フローラ、世話をかけるけど、カインを助けてやってくれないか。」
 
「はい。」
 
 フローラが笑顔でうなずいた。
 
「それじゃ船着場まではみんなで行きましょう。一つずつ持てば何とかなるわよね。」
 
「それじゃ、ブロムおじさんに船着場まで行ってくるって伝えてくるよ。」
 
 私は診療室に行き、おじさんに出かけることを伝えて自宅に戻ってきた。カインとフローラ、それに妻と私の4人で荷物を手分けして持ち、外に出ようとしたところで
 
「おぉっす!こんちはぁ!」
 
聞き覚えのある野太い声がした。
 
「・・・ファーガス船長じゃない?」
 
「え!?もうそんな時間!?」
 
 さっき時計を見た時には、まだ時間があったはずだ。
 
「とにかく出てみよう。」
 
 玄関を開けると、ファーガス船長が船員を二人ほど従えて立っていた。
 
「もう出航ですか?」
 
「いや、まだだ。さっき雑貨屋のだんなが船着場に顔を出してな。カイン坊の荷物がえらい量だって聞いたから、手伝いに来たのさ。」
 
「まあ・・・わざわざすみません・・・。船長だってお忙しいのに・・・。」
 
 妻が深く頭を下げた。
 
「大きいと言っても中身はみんな着替えなんですよ。手分けして持って行こうかと思ったんですが・・・。」
 
「いやいや、そのくらいの手伝いはさせてくれよ。重い荷物を無理して持ったりして怪我でもしたら大変だ。先生方の手は人を助けるための手なんだからな。そして俺達の手は荷物を運んだり船を動かしたりするためにあるのさ。役割がちゃんと決まってるんだから任せてもらうぜ。おぅ!野郎ども、この荷物を船着場まで運ぶぞ!」
 
「おっしゃあ!」
 
「任せとけ!」
 
 船員達が荷物をつかんで担ぎ上げた。カインや私が持てばそれなりに大きくて重い荷物も、長年の潮風に鍛え上げられた屈強な海の男達の肩に担がれてみると、なんだかとても小さく軽く見えてしまう。
 
「よし、これは一足先に預かっておいてやるよ。どうせ王宮まで運ぶんだろう?」
 
「そうだけど・・・ローランからは馬車に積んで運ぼうかと思ってたんだ。」
 
「それなら荷物だけ別に送ったほうが早いし安上がりだぞ?剣士団の宿舎に宛てておけば間違えっこないからな。せっかくかわいい彼女と一緒なんだから、帰りも身軽なほうがゆっくり旅を楽しめるってもんだ。」
 
「そ、そうか・・・。どうしようかな・・・。」
 
 自分で持って帰ると言ってしまった手前、船長の申し出を受けかねているらしい。見かねて私が船長に返事をした。
 
「それじゃお願いします。カイン、それでいいな?」
 
「あ・・・う、うん。馬車乗り場まで担がなくていいならありがたいよ。」
 
 カインがほっとした顔をみせた。
 
「これに懲りて、あんなに大量の洗濯物を溜め込むのはやめることね。もっとこまめに洗濯くらいしなさい。」
 
「はぁい・・・。」
 
 妻にしっかりとクギを刺され、カインが肩をすくめた。でもどこまでわかっているものやら・・・。
 
「決まりだな。それじゃもうそろそろ出航の準備に入るから、船着場まで来ていてくれよ。」
 
「よろしくお願いします。すぐに行かせますから。」
 
 ファーガス船長達は船着場へ戻っていった。
 
 カインはフローラから自分の荷物を受け取って担ぎなおした。フローラは元々小さなバッグ一つだけだったので、二人ともすっかり身軽になってしまった。フローラは少しだけ残念そうだ。役に立つところを見せたかったのかも知れない。
 
「ブロムおじさんには挨拶してきたのか?」
 
「うん。さびしそうだったけど・・・。」
 
「仕方ないさ。仕事だからな。」
 
「そうだね・・・。」
 
「荷物はなくなったけど、船着場まで送るよ。ウィロー、一緒に行くよね?」
 
「そうね。見送りはしたいわね。」
 
 
 4人で船着場へと歩き出した。日差しは暖かく、空は蒼く澄み渡っている。風も穏やかで絶好の航海日和だ。船着場ではカインと同じ船に乗る人達が待っていた。やはりみんな祭見物に行くらしい。やがて太陽が真上にかかろうとするころ、船から足場が下ろされた。待っていた客が次々に乗り込み、最後にカインとフローラが乗り込んだ。
 
「父さん母さん、またすぐに来るんだよね?」
 
 カインは名残惜しそうだ。
 
「2〜3日中にこっちを出るつもりだよ。オシニスさんにはそう伝えておいてくれ。」
 
「わかったよ。」
 
「あの・・・いろいろお世話になりました。あんまりお役に立てなくて・・・。」
 
 フローラが申し訳なさそうに頭を下げる。
 
「気にしないで。また次があるわよ。セディンさんとシャロンによろしくね。」
 
「はい。お待ちしています。」
 
「父さん、母さん、待ってるからね。気をつけて来てね。」
 
「ああ、お前こそ気をつけてな。」
 
「お弁当、悪くならないように早めに食べてね。」
 
 その時カーンカーンと正午の鐘が鳴った。
 
「船が出るぞぉ〜!」
 
 鐘の音よりも遙かに大きいファーガス船長の怒鳴り声を合図に、足場がはずされた。舫い綱をはずしていた船員が、ゆっくりと動き出した船に軽々と飛び移る。少しずつ遠ざかる船の甲板で、カインとフローラは見えなくなるまで手を振り続けていた。
 

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