話し終えて、私は小さくため息をついた。
「・・・疲れた?」
妻が私の肩から頭を離し、心配そうに私の顔を覗き込んだ。
「いや・・・大丈夫だよ。いろんなことがあったなって、思ったのさ・・・。」
「そうね・・・。本当に・・・いろんなことがあったのね・・・。」
「うん・・・。父が亡くなってから、剣士団の試験を受ける前までの話はこれで全部だよ。以前君に話した時は、もう少しあちこち省いてたかも知れないね。」
「そうよね・・・。低い声でぼそぼそ喋ってたの憶えてるけど・・・もっと短かったような気がする・・・。」
私は、島を出る前のイノージェンとの別れの会話や、グレイとの話などは、思い出したけれど話さなかった。私自身はいまさら、イノージェンに対してやましい気持ちなど何一つないが、だからといって若い頃の初恋の話など、妻の前でする気にはなれなかった。でも、もしかしたら妻は・・・気づいているかも知れない・・・。
「そしてその後あなたは、採用試験でランドさんと試合をしたのよね?」
「そうだよ。」
「そして、ライザーさんに出会って・・・それから?」
妻は、久しぶりに聞く私の昔話に興味津々だ。
「なんだか今日はやけに聞きたがるね。」
苦笑いする私に妻は、
「だってあなたがこんなに色々話してくれるなんて・・なかなかないことだもの。前に聞いたのなんてもう20年・・・いえ、それ以上も前のことだわ・・・。」
そう言ってクスリと笑う。
「・・・その話って・・・カインが言いだしたんだよね?みんなお互いのことよく知らないからって、それぞれ自分の生い立ちとか話そうって。ハース鉱山に向かって出掛けてからしばらくして・・・。」
「カインが?違うわよ、私よ。それに、出掛けてすぐのオアシスで聞いたのよ。歳の話をしているうちに、私があなたのしゃべり方が変わってるって言い始めて、あなたがお父さんのこと話してくれたじゃないの。その時に私が聞いたのよ。あなた達のこと教えてって。」
「あれ・・・?そうだっけ・・・?私はずっとカインが言いだしたんだと思ってた。君だったっけか・・・。それに・・・そうか、カナを出てすぐの時か・・・。」
「そうよ。いやぁね、忘れちゃったの?」
なぜ忘れていたんだろう・・・。そんな単純なこと・・・。
そんなことを考えた私の頭の中に、また何かがよぎった。今度はほんの少しゆっくりと・・・。
あれは・・・誰かの・・・顔・・・。誰の・・・。頭の奥がズキンと痛み、また背中がぞくりとする。
−−思い出せ・・・−−
頭に響く声・・・。脂汗が額から流れる。全身が粟立つような恐怖が襲ってくる。
「・・・どうしたの?そんなにつらいことだったの?今の話が・・・。」
私の顔を覗き込んでいた妻の顔に、不安がよぎる。
「・・・何を・・思い出すんだ・・・。」
私はいつの間にか、頭の中に響く声に向かって話しかけていた。
「クロービス・・・?何を言ってるの・・・?どうしたの!?」
妻が私の両肩に手を掛け、揺さぶっている。
−−お前の忘れていること・・・−−
「私は・・・何も忘れてなどいない・・・。」
−−嘘つきめ・・・−−
「嘘などついていない・・・。」
−−忘れるな・・・−−
「何を忘れてると言うんだ・・!何も忘れていない・・・。お前は誰だ・・・!?」
−−・・・・−−
「お前は一体誰なんだ!?なぜ私に話しかけてくるんだ!」
宙を見つめながら狂ったように一人で喋り続ける私を、妻は恐怖におののいた表情で見上げている。
−−私は・・・・お前だ・・・−−
「私・・・?」
−−私は・・お前だ・・・憶えている・・お前・・・忘れていない・・お前だ・・・−−
「憶えている・・・?忘れていない・・・?一体何を・・・・!?」
そこまで叫んだ瞬間、目の前に突如一面の血の海が現れた。あれは・・・!!その中に倒れているのは・・・!どれほど会いたくても・・・二度と会うことが叶わない・・・懐かしい・・・カインの姿だった・・・。
「カイン・・・・・!!」
突然現れた目の前の光景に、私は思わず駆け寄ろうとした。何かに足許をとられ、転びそうになる。それでもなお這うようにして、私は目の前に横たわるカインに触れようとした。その瞬間『バシッ!』という音と共に頬に痛みが走り、カインの姿は消えた・・・。
そして顔をあげた私の目の前にいたのは、恐怖にこわばった顔で私を見つめる妻の姿だった。私は呆然として座り込んだまま、動くことが出来なかった。
「クロービス・・・私がわかる・・・?」
妻の声は震えている。私は無言で頷いた。妻はほっと一息ついて、両の掌で私の頬を包んでくれた。妻の掌の暖かさを感じた途端、涙が流れた。
「何を・・・・見たの・・・?」
「・・・カインがいたんだ・・・。」
「カインて・・・カインならもう寝たじゃないの・・・。」
「・・・寝てる・・・?」
「そうよ・・・。さっきまであなたと話をしてて、自分の部屋に行って寝たでしょう?」
そうだ・・・。ここは私の家で・・・今日は息子が帰省してきて・・・さっきまで話をしていて・・・。それじゃさっき見えたのは・・・あれは一体何だったんだ・・・。
「・・・ここにいたんだ・・・。」
「クロービス・・・?」
「カインがいたんだ・・・!ここで・・・一面の血の海の中で・・・倒れていたんだ・・・。どうしてなんだ・・!どうして思い出させるんだ・・・!!?カインは・・・カインは私を許してはくれないのか・・・!?」
妻が恐怖に顔をひきつらせる。その妻の肩を、私はいつの間にか、指が食い込むほどに強く掴みながら叫んでいた。
「思い出せと・・・忘れるなと・・・!!自分を殺したのはお前だと・・・それを言うために私に語りかけてきたのか!!?」
「クロービス・・・!!落ち着いて!!カインは・・・あのカインはもういないの・・・。どこにもいないのよ!!だから・・・あなたに語りかけてきたりしないの!!」
「なのに・・いたんだ・・・。声が聞こえたんだ・・・。どうして今になって・・思い出させるんだ・・・。」
妻は肩に食い込んだ私の手をそっと外しながら立ち上がると、私の頭を自分の胸に押しつけるように抱きしめてくれた。そして小さな子供をなだめるかのように、私の髪をなでながら耳元で囁き続ける。
「大丈夫よ・・・落ち着いて・・・。ここにはあなたと私しかいないの・・・。他の誰の声も聞こえないの・・・。」
妻の声にほっと一息ついて眼を閉じた途端、今度はまぶたの裏にカインの姿が現れた。血の海の中に倒れたまま、私を責め続けるかのように、死の微笑みを浮かべて・・・。
「カイン・・・。」
「クロービス・・・。お願いよ、落ち着いて。私の声を聞いて・・・。」
妻のすがるような涙声も、右から左にすり抜けていく。
「忘れていたわけじゃない・・・。」
「クロービス・・・!」
「忘れられるわけがないじゃないか・・・!でも・・・でももう、終わったことだ!終わったことなんだ!!今さら私にどうしろと言うんだ!!」
私は妻の腕を振りほどき、思いきり床を叩いていた。
「今さら思い出させて・・・私に・・・どうしろと言うんだ・・・。」
あの時の悲しみが、苦しみが、20年の時を超えて、まるでたった今目の前で起こった出来事のように胸を締めつける。妻はもう一度私の肩をつかんで、まるで子供に言い聞かせるように、一言ずつ力を込めて話し出した。
「クロービス、私の話を聞いて。カインは・・・私達の息子の名前なの。あの子が生まれた時に決めたでしょう?思い出してよ・・・。お産が終わったばかりで、まだ寝ていた私のところにあなたが来て、『子供の名前を考えたんだけど』って。」
そうだ・・・。あれは18年前・・・。いつものように診療を終えて、自宅に戻ろうとする途中・・・。
「痛・・・・。」
私の後ろを歩いていた妻が、不意にしゃがみ込んだ。妻のお腹はもう大分大きくなっていて、歩く時も少しバランスを崩すと危ないように見えて、妻本人よりも私のほうが不安で仕方なかった。
「どうしたの!?」
まさか転びでもしたかと、私は慌てて振り向いた。以前流産をしてから一年あまり・・・何としても無事に生まれてきてほしい。妻の妊娠が判ってからと言うもの、いつも私は気を使いすぎて、その度に妻からは怒られ、ブロムおじさんからは呆れられていた。
「あ・・・うん、大丈夫よ。ちょっとお腹が・・・痛いかな・・・なんて思って・・・。」
「予定日って・・・いつだっけ・・・?」
「まだ先よ。2週間もあるわ。」
「でも早くなる時もあるってサンドラさんが言っていたじゃないか。イノージェンだって確か3週間近く早かったよ。」
「イノージェンは双子だったんだもの。予定日ぴったりまでおいたら難産になるかも知れないから、たくさん歩きなさいって、サンドラさんから言われていたのよ。だから早かったんだわ。最もそれでもかなりの難産だったけどね・・・。普通は遅くなることが多いみたいよ・・・・いたた・・・・。」
喋りながら、妻はお腹を押さえている。
「でも・・・サンドラさんを呼んでくるよ。もう夕方だ。もしも呼んできて何事もなかったら、泊まってもらってもいいし、でなければまた送っていけばいいんだから。」
「でも・・・。」
なおも妻は躊躇している。そこに診療室の整理を終えたブロムおじさんがやって来た。
「ウィロー、どうしたんだ!?」
おじさんは、しゃがみ込んで苦しそうにお腹を押さえている妻に驚き、駆け寄ってきた。
「お腹が痛いって言うんだ。だからサンドラさんを呼んでこようって言ったんだけど。予定日までまだあるからいいって言うし・・・どうしようかと思って。」
「痛みは一度だけか?」
「いえ・・・。さっきから何度か・・・。」
「そうか・・・。どうだ、歩けそうか?」
「大丈夫です。ほら。」
妻は立ち上がって見せた。痛みが遠のいている間は本当に何ともなさそうだった。
「よし、君は診療室の一番奥の部屋に行って、安静にして寝ていなさい。すぐにだ。あ、だが走ってはいかんぞ。それからクロービス、さっさとサンドラさんを呼んでこい。いいな!?お前は走って行けよ!!今すぐにだ!!さあ、行け!!」
今までに聞いたことすらないようなブロムおじさんの怒鳴り声に私は驚き、慌てて家を飛び出した。サンドラさんの家は村はずれにある。エルバール北大陸へと続く井戸があるところだ。私はサンドラさんの家に半ば飛び込むようにして入った。
「おやクロービス!?えらい勢いだね。どうしたんだい!?ウィローがどうかしたのかい?」
「どうしたのよ、クロービス。そんなに慌てて・・・。あ、もしかして・・・ウィローが破水したとか!?」
サンドラさんの家にはイノージェンがいた。イノージェンは自分の子供が生まれてから、育児の合間を縫ってサンドラさんの仕事を手伝っている。
「ウィローが、お腹が痛いって言うんだ!!だから早く!・・・破水って何?」
勢いをそがれてきょとんとした私に、イノージェンはぷっと吹き出すと、
「後で教えてあげるわ。それよりも、痛いって・・・すごく痛がってるの!?」
「あ、そうそう!!痛いって言ってしゃがみ込んだりしているから、だから早く!!来てください!!」
「落ち着きな!!まったく・・・どうしてお産となると男は、こう情けなくなるんだろうねぇ・・・。痛いって言うのは一度だけかい?」
サンドラさんは呆れ顔で私を見つめている。
「ちがうよ!さっき急に痛いって言って・・・すぐにおさまったんだけど、話している内にまた痛くなって・・・。」
「おや、それじゃそろそろかねぇ。今はどうしているんだい?ちゃんとおとなしくしているんだろうね?」
「診療室の一番奥にある個室に行くようにブロムおじさんから言われたから、そこに寝ていると思う。」
「なるほどね。よし、イノージェン、行けるかい?」
「大丈夫よ。途中で家に寄っていくわ。ライザーも呼んでこようっと。子供達も私がいないと寂しがるし。クロービス、いいかしら?」
「いいよ。とにかく早く!!」
息を切らせながら焦りまくる私とは対照的に、サンドラさんもイノージェンも落ち着き払っている。二人はお産の時に使うらしい荷物を担ぐと、夕闇の迫る中3人で私の家へと向かった。イノージェンは途中で自分の家により、ライザーさんが子供達を連れて出てきた。
「ライザー!早く!生まれちゃう前に行かないとね。ライラ、イルサ、おりこうにしていてね。クロービス先生の家で騒いだりしちゃだめよ!」
張り切るイノージェンとは対照的に、ライザーさんは困ったような顔をしている。
「そんないきなり言われても・・・。クロービス、僕や子供達まで行っていいのかな・・・。手伝いが出来るわけじゃないし、かえって邪魔になるような気がするんだけど・・・。」
「大丈夫です。出来れば・・・来ていただけると・・・。」
子供が無事生まれるまで、一人で待つのはつらい。ライザーさんがいてくれれば心強かったし、子供達も一緒なら少しは気が紛れるかも知れない。私は余程不安そうな顔をしていたらしく、ライザーさんはふっと微笑むと、
「そうだね・・・。一人で待つって言うのは・・・つらいからね・・・。」
そう言うと、子供達を両腕で一人ずつ抱き上げた。子供達は大好きな父さんに抱っこしてもらったことが嬉しいらしい。きゃっきゃっと、声をあげてはしゃいでいる。妻のお腹の中にいるのはどうやら一人らしいが、その子が無事に生まれて成長すれば、こんな風に私に抱き上げられて喜んでくれるのだろうか・・・。
「さ、行くよ。」
サンドラさんの声で再び私達は歩き出した。家に戻った時には、既にたくさんのお湯が沸かされていて、たくさんの清潔な布が診療室に山積にされていた。
「おや、ブロムさん、用意がいいねぇ。これなら今すぐ生まれてきてくれても大丈夫だよ。」
「ああ、私だってお産の時に必要なものくらい判るからな。ウィローは奥の部屋だ。よろしく頼むよ。」
「任せておくれ。」
サンドラさんはにこにこしている。イノージェンは、診療室の奥の扉を開けた。
「イノージェン!!来てくれたのね!?・・・いたたたた・・・・・。」
「もちろんよ。さあ、準備をしなくちゃね。」
扉の外でうろうろと中を窺っていた私は、サンドラさんに突き飛ばされた。
「ほら!!邪魔だよ!!どうせ役に立ちゃしないんだから、男は外に出ていておくれ!!」
私を怒鳴りつけると、サンドラさんはぴしゃりと扉を閉めた。私はそれでも落ち着かず、なおもその場に立ちつくしていた。
「クロービス、とにかく座ったら?そこで君が気をもんでいてもどうにもならないよ。」
ライザーさんの言葉に私は頷き、近くにあった椅子に腰を下ろした。
「でも・・・落ち着かないですね・・・。こんなに緊張するものだと思わなかった・・・。」
ため息をつく私にライザーさんは
「どうしても気になるなら、中に入れてもらったら?自分の眼で見ていれば少しは気分的に違うと思うよ。もっとも・・・サンドラさんの言うとおり、役に立つわけではないんだけどね・・・。」
そう言ってくすっと微笑んだ。
「そういえば・・・ライザーさんは、お産の間中ずっと・・・イノージェンの手を握ってたんでしたよね・・・。」
「そう。あの時は難産だったからね。でも代わってやれるわけじゃないし・・・。手を握って励ましてあげるくらいのことしか出来なかったんだ・・・。男は無力だね・・・。」
その時のことを思い出したのか、ライザーさんがため息をつく。そういえばあの時は、ライザーさんがサンドラさんに怒鳴りつけられて焦りまくっていたっけ・・・。イノージェンのお産の時、サンドラさんを手伝ったのは妻だった。当時診療所はブロムおじさんが切り盛りしていた。私は治療術が必要な時だけ手伝っていたが、まだまだ勉強中の身だった。お産が始まったのは午後のまだ明るいうちだったが、私が一日の予定を終えて、夕方暗くなってから様子を見に行った時にも、まだ子供は産まれてはいなかった。
「まだ産まれないんですか?」
心配になった私は、部屋の外で不安そうに座り込んでいるライザーさんに声を掛けた。
「・・・ああ・・・。二人だからね・・・。一人ずつは小さくても、二人あわせればすごく大きな子供を抱えているのと同じようなものだって、以前サンドラさんが言っていたんだ。だから・・・まだかかるかも知れない・・・。」
ライザーさんは両手を組み、その手の上に額を乗せて、祈るように眼を閉じていた。よく見ると手が震えている。イノージェンがどれほど苦しんでいても、こればかりは助けてやることが出来ない。ライザーさんの心に渦巻く不安と・・・これは恐怖・・・。もしかしたら・・・イノージェンも子供も失うかも知れないという・・・。
その時部屋の扉が開き、妻が出てきた。ちらりと私を見ると、
「あら、クロービス、どうしたの?」
驚いたように見つめている。
「どうしたのって・・・イノージェンのお産が心配だから様子を見に来たんだよ。もう夜だって言うのに、まだ生まれないんだね。」
妻はハッとして窓の外を見た。
「・・・もう夜なのね・・・。気づかなかったわ・・・。」
ため息と共にそうつぶやき、ライザーさんに向き直った。
「ライザーさん、イノージェンのそばにいてあげて。すごくつらそうなの。だから、早く!」
ライザーさんは驚いて顔をあげたが、
「い、いや・・・でも・・・。」
さすがに躊躇している。夫とは言え、お産の現場に足を踏み入れるのは、きっと勇気がいることに違いない。
「ライザー!!さっさとお入り!!いつまでも戸を開けておいたら寒いじゃないか!!」
「は、はいっ!!」
中から飛んできたサンドラさんの怒鳴り声に、ライザーさんははじかれたように立ち上がると、慌てて中に入っていった。ほっとしたようにため息をついて中に入ろうとする妻を呼び止め、私はイノージェンのお産がどうなっているのか聞いてみた。
「何とも言えないわ。でも大丈夫よ。必ず無事に産まれるわよ。」
妻は微笑んで部屋の中へと姿を消し、私は部屋の外に一人残された。それからどのくらい経ったのか・・・。ウトウトしていた私は、突然響き渡った赤ん坊の泣き声に驚いて目を覚ました。慌てて立ち上がった私の耳に、
「やったぁ!!頑張って!!あと一人よ!!」
嬉しそうな妻の声が聞こえてきた。少ししてもう一度泣き声が響き渡り、私はライザーさん夫婦の子供達が無事に誕生したことを知った。
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