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第26章 ハース城潜入 前編

 
「カイン!気をつけてね!!」
 
 遠ざかるカインの背中に向かって、ウィローが叫んだ。その瞳からは涙がぽろぽろとこぼれている。今の声はカインに届いただろうか・・・。
 私はウィローの横顔をしばらく見つめていた。きっと彼女は今すぐにでも荷物をまとめて、ハース城に向かうつもりでいるに違いない。何とかうまく訓練のことを切り出さなくてはならない。さて何と言うべきか・・・。そんなことを考えているうちに、ウィローは涙をゴシゴシと手の甲で拭うと、
 
「さ、かたづけなくちゃならないわね。早く出発しなきゃ。クロービス、テントをたたんでくれる?私は荷物をまとめるから。」
 
そう言いながらテントの中に入ろうとした。ウィローの気持ちを傷つけないように、うまく納得させる言葉はないものかと思っていたけれど仕方がない。脳裏に、ゆうべのカインの言葉がよみがえった。
 
『必要な時には鬼にもなれる心の強さも必要だってことさ。』
 
 私はウィローに気づかれないように、小さく深呼吸した。
 
「ウィロー、その前に訓練するよ。」
 
「・・・訓練・・・?」
 
 ウィローはきょとんとしている。
 
「そう。いつも明け方や夕方にしていたあの訓練だよ。今はまだ食べたばかりだから、そうだな・・・少し休んでそれから・・・」
 
「ちょ、ちょっと待ってよ。どういうこと?訓練なんてしている場合じゃないわ。もう陽は昇っているのよ。早くハース城に行かなくちゃ。」
 
「陽が昇っていようがいまいが、とにかくこれからしばらく訓練するよ。」
 
「・・・しばらくって・・・いつまで・・・?」
 
「君の腕が上がるまで。」
 
「・・・どういう意味・・・?」
 
 ウィローは少しむっとしたように私を睨んだ。
 
「言葉どおりの意味だよ。今の君の腕では、ハース城になんて連れて行けないよ。」
 
「あなたが何と言おうと、私は行かなくちゃならないのよ。訓練ならずっとカインにしてもらってたから、ずいぶん腕は上がってるはずだわ。治療術はあなたにたくさん教えてもらったから、怪我したってすぐに治せるもの。前ほどあなた達の足手まといになったりしていないじゃないの。それでも連れて行けないって言うなら、あなたはここにいればいいわ。私一人でも行く!」
 
「一人では行かせない。私は、今さらこんなことで言い合いをするためにここに残ったわけじゃないよ。」
 
「それならどうしてそんなことを言うの!?」
 
「・・・わからない・・・?」
 
「わからないわよ!一緒に行ってくれるって言ったのに・・・どうして急にそんな意地悪するの!?」
 
 ウィローの瞳から、また涙がぽろりとこぼれた。その涙が心臓に突き刺さったかと思うほどに胸が痛んだ。
 
「仕方ないね・・・。それじゃ、君と立合いでもしようか。」
 
「・・・わ、私と!?」
 
 ウィローは、ますますわけがわからないと言うように私を見つめている。
 
「クロービス!あなた何を考えているの!?あなたと立合いなんて・・・出来るわけがないじゃないの!?」
 
「どうしてそう思うの?君が私に勝てるはずがない?」
 
「そ・・・そんなことないとおもうわ・・・!」
 
「なるほど、君にも負けそうなほど弱そうに見えるから、攻撃をかけにくいってことかな?」
 
「・・・そ・・・そう言うわけじゃないけど・・・。」
 
 どうやら図星らしい。カインと私が並べば、どうしても私のほうが弱そうに見える。体格のいいカインに向かう勢いで私に攻撃をかけたら、大けがをするのではないかと不安に思ってでもいるのかも知れない。確かにあの鉄扇が当たれば痛そうだ。そう、『当たれば』・・・。
 
「それじゃ、いいじゃないか。試しに私に攻撃かけてみてよ。」
 
「でも・・・。」
 
「そうだね・・・。君が私に一度でも攻撃を命中させたら、すぐにでも荷物をまとめてハース城に行くよ。もちろん城の中にね。」
 
「本当に?」
 
「嘘は言わないよ。」
 
「中に入る方法があるのね?昨日カインが言っていた、時間がかかる方法のこと?」
 
「そうだよ。時間がかかるって言っても、それじゃ何日かかるかって言われると、そこまではわからないけどね。」
 
「時間がかかるのは仕方ないわ。でもどうやって入るの?・・・まさか門番を挑発して中の衛兵を外におびき出すとか!?そして全部追い払ってから入るなら、たしかに時間はかかりそうよね・・・。」
 
 真顔で言うウィローに、私は思わず笑い出した。
 
「まさか。そんなことをしたら、命がいくつあっても足りないよ。昨日の衛兵がなんて言っていたか君だって聞いたじゃないか。あの連中はね、多分自分から仕掛けて私達に手を出すのは止められていたんだろうと思うよ。だからあんな言い方をして挑発したんだよ。こっちが先に手を出せば、例え殺しても面目が立つからね。そんなところにもう一度のこのこ出かけていったら、それこそあいつらの思うつぼじゃないか。」
 
「それじゃどうやって中に入るの?」
 
 あまり教えたくはなかったが、多少は説明しないと納得しそうにない。
 
「ハース城の脇から北側に抜ける道があったの憶えてる?」
 
「憶えてるわ。あの黒い水が流れていた小川に架かっていた橋をまっすぐ行ったところよね?」
 
「そう。あの道の先がハース鉱山に続いているんだ。以前剣士団で聞いたんだよ。ハース鉱山の地下はハース城に繋がっているんだ。鉱山の中に入り込むことが出来れば、ハース城にも行けるよ。最も今はどうなっているのか解らないそうだから、簡単にいかないことはもちろんだけどね。どうする?」
 
 私は少しウィローを挑発するように笑ってみせた。
 
「・・・解った。それじゃ遠慮はしないわよ!!」
 
 ウィローの瞳がきらりと光る。どうやら、のせることには成功したようだ。私は立ち上がり、今朝カインが素振りをしていた辺りに歩いていった。
 
「ここがいいな。ぶつかるような障害物もないし。私は攻撃はしないけど、剣で防御だけはさせてもらうよ。さ、遠慮なくかかってきてくれていいよ。」
 
「いいわよ。では行くわ!!」
 
 ウィローが鉄扇を振りかざし、突進してきた。勢いはたいしたものだが、思った通りまだまだ動きが遅い。右に左によけ続ける。一応剣を抜いてはおいたが、ほとんど使うことがないまま、私はフットワークだけでウィローの攻撃をよけ続けた。ウィローの顔に少しずつ不安が滲み出てくる。始めてからかなりの時間が経っているのに、ウィローの攻撃は私の体にかすりもしない。やがて足許がふらつき始めた。その分攻撃のスピードも鈍くなっていく。それでも自分から休もうとは、多分彼女は絶対に言わないだろう。息を切らせながら、半泣きの顔で必死に向かってくる。本当ならすぐにでもこんなことはやめたかった。そして荷物をまとめてウィローの望みどおりにハース城に連れて行けたら、これほど胸は痛まずにすむ。でもここで私が折れてしまっては、それこそウィローの命を危険にさらすことになる。そんなことになるくらいなら、自分が嫌われた方がまだましだ。
 
「きゃあっ!」
 
 突然ウィローが悲鳴を上げて転んだ。疲れて足がもつれたらしい。すぐにでも駆け寄りたい衝動をやっとのことでこらえて、私はその場に立ったままウィローに声をかけた。
 
「どうしたの?もう終わり?」
 
 私の言葉には応えず、ウィローは肩で息をしている。どれほど悔しがっているのかわかる。そして小さくつぶやいた。
 
「どうして・・・当たらないの・・・?カインには・・・何度も当たってたのに・・・。」
 
 そしてきっと顔をあげて私を見つめた。
 
「ねぇ!?どうしてなの!?」
 
「今までカインが君につけていた訓練はね、あくまでもカインと私の二人が前衛にいることが大前提になっていたんだよ。だからそんなに急ぐ必要はなかったんだ。少しずつ力をつけてもらえば、私達二人でサポートすることが出来るわけだからね。でも今日からはそうはいかないよ。君の今の力では、一人でこの辺りのモンスターと対等には戦えない。私もカインがいなければ、今までと同じように君をフォローすることは出来ない。早く父さんに会いたいと思うのなら、今日からしばらく私との訓練につきあってもらうよ。それが嫌だというのなら、力ずくでも君をカナに帰す。どっちがいい?」
 
 ウィローが私を睨んだ。嫌みな言い方をした私に怒っているのかも知れない・・・。いや、きっと怒っている。唇を噛みしめ、涙が出そうなのをやっとのことでこらえている、そんな顔だった。この時、自分の力をどうしても解放したくなった。ウィローの心を覗きたくなった。それはほんの一瞬だったが、私は自分の心の中に生まれたその暗い欲望と必死で戦わなければならなかった。たった一度でもそんなことをすれば、きっともう歯止めがきかなくなる。それに、今『防壁』を取り去ってしまったら、また完璧に作れるかどうかわからない。昨日までは一人でもほとんど失敗することがなかったはずの『防壁』作りが、カインがそばにいないと思うだけで、一人で出来る自信はどこかへ行ってしまった。そうなれば、あとはウィローに事情を話して手伝ってもらう以外に方法がない。でも今の私には、ウィローにすべてを話すだけの勇気はなかった。
 
「・・・私は・・・絶対に父さんに会うのよ!そして母さんの言葉を伝えたい!解ったわ。私にもっと色々と教えて!絶対にあなたを納得させてみせるから!」
 
「わかった。それじゃ少し休もう。無理は禁物。それはいつだって同じだからね。」
 
 そう言って私もその場に腰を下ろした。ハース渓谷の中は涼しい風が吹いている。入口の怪物が退治されたという噂はまだ南大陸全土に広がっているわけではないらしく、旅人がこの渓谷の中まで入ってきている様子はなかった。私は空を見上げた。私がロコを倒した時、燃え尽きたロコの体は風に乗って空高く舞い上がり、そして消えた。あの空の彼方には、本当に神々が住まう国があるのだろうか。そして亡くなった人達はみんなそこに住んでいるのだろうか。それならば、聖戦竜とて生き物なのだから、死ねばその国に行くことが出来るのだろうか・・・。
 
 せめてロコがその国で平安を見つけることが出来るように、苦しみから解放されて穏やかに暮らすことが出来るように・・・。私は心から神に祈った。
 
「ねぇ、クロービス・・・。」
 
 しばしの沈黙のあと、不意にウィローが口を開いた。もういつもの顔に戻っている。先ほど感じた悔しさも今は感じられない。ウィローの心を覗かなくてよかった・・・。もしさっきそんなことをしていたら、私は彼女の顔をまっすぐに見つめ返すことが出来なかっただろう。
 
「なに?」
 
「私・・・あなたに謝ることがいっぱいあるわ・・・。」
 
「私がここに残ったことなら、もう気にしなくていいんだよ。」
 
「そうじゃないの。他のことよ。この間は・・・ごめんなさい・・・。叩いたりして・・。」
 
「ああ・・・そのことか。いいよ、仕方ないよ。言ってることとやってることが違うんだものね。不殺の誓いを立てたって言いながらモンスターを殺してみせたら、誰だって変だと思うよ。それも・・・何の抵抗もしてない相手を・・・。」
 
 脳裏に、爆音と共にあとかたもなく吹き飛ぶロコの姿が甦り、私は言葉に詰まった。どきんと心臓が波打つ。あの時の引き裂かれるような心の痛みは、多分生涯消えることがない。
 
「私・・・あのあと眠れなくて、あなた達の話を聞いてしまったの。あの怪物がロコだったことも、あなたに何か使命があるって言うことも・・・聞いてしまったわ。ごめんなさい。」
 
「そうか・・・。別にいいよ。君に聞かれて困るようなことじゃないから。それに・・・こんなこと言うと気味が悪いかも知れないけど、私は君がもう怒ってないって何となく解ってたから、いいんだ。」
 
「そっか・・・。クロービスには解っちゃうんだね・・・。でもよかった・・・。あなたと仲直り出来て・・・。」
 
「私もだよ。」
 
 心からの言葉だった。怒っていないとわかっていても、口もきけないのではやはり悲しい。そして、ウィローが私の力を気味悪がらないでくれてホッとした。
 
「それからね・・・。」
 
「まだあるの?」
 
「あるのよ。さっきのことだけど・・・ここにいたければいればいいとか、意地悪だとか・・・言いたい放題しちゃったわ。ごめんなさい・・・。あなたがカインと別行動を取ることになっても、ここに残るって言ってくれたのに・・・。」
 
「いいよ。たしかに意地悪な言い方したしね。」
 
「私ね・・・。すごく嬉しかったの・・・。あなたがここに残るって言ってくれた時・・・。カインが王宮に戻ったのは当然だわ。あなた達にとって、王国剣士としての任務こそが何よりも大切なもののはずだもの。でも・・・でもあなたは・・・こうして私と一緒にここにいてくれる。私のわがままにつきあってくれている。突き放されて、ひとりぼっちになって、当然と思っていたのに・・・。」
 
 ウィローの瞳から涙が落ちる。
 
「君をこのままここに置いて王宮に戻ったとしても、きっと心配で任務どころじゃないよ。カインだって、私がここに残るから安心して王宮に戻れたんだ。とにかくもっと訓練して、君の力が充分だと思ったら、ちゃんとハース城に連れていくよ。だから、頑張って訓練しよう。」
 
 君のことが好きだからと・・・喉元まで出かかった言葉を私は無理やり飲み込んだ。この状況でそんなことを言うのは、何だか弱みにつけ込むみたいで何となくいやだった。
 
「ありがとう・・・。でもあなたの訓練相手がいないわね・・・。私では役不足だって今わかっちゃったし・・・。」
 
「君の攻撃をよけたりすることも私にとっては訓練になるんだよ。フットワークのね。」
 
「そうか・・・。でもすごいのね。あなたの足さばき・・・。さっきのは・・・本気?それとも手を抜いてた?」
 
「正直言うと手を抜いてた。君の動きに合わせて、それよりも少し速いくらいのスピードで動いていたんだ。」
 
「もっと速いの!?」
 
「そうだね。もう少し。」
 
「そう・・・。私・・・戦闘の時はいつも自分のことで手一杯で、あなた達の動きを見る余裕なんてなかったから・・・。」
 
「私もあんまり前に出なかったしね。カインの剣技がメインで、私はだいたい風水か、あとは後ろからの敵の相手をしたりしていたから。」
 
 それはつまりウィローを守るためだったのだが、そのことは言わずにおいた。
 
「そのフットワークは・・・えーと、そのライザーさんて人に教わったの?」
 
「そうだよ。あの人は私よりももっと速いよ。私もこっちに来てから以前よりもかなり速く動けるようになったけど、でもきっとライザーさんのほうもちゃんと訓練しているはずだから、やっぱりもっと速くなっているんだろうな。」
 
「そう・・・。昔カナに来ていた剣士さん達もみんな強い人ばかりだった。今も同じなのね・・・。」
 
「そうだね・・・。みんなすごく強い人達ばかりだよ。」
 
 ふとみんなの顔が浮かんだ。今頃どうしているのだろう・・・。
 
「・・・そろそろ始めようか。」
 
 ホームシックにかかりそうな心に喝を入れて、私は立ち上がった。今ここでめそめそしているわけにはいかない。
 
「そうね。よろしくお願いします。」
 
 ウィローはにっこりと笑うと、ぺこりと私に向かって頭を下げた。
 
 この日は一日訓練をして、やがて夜になると、そのまま同じ場所でキャンプを張った。念のため結界を張る。以前憶えた初歩の呪文よりも、一段上の呪文を唱えられるようになっていた私は、せめて盗賊以外のモンスターに悩まされずにすむようにと、いくつかの呪文を掛け合わせてテントのまわりに結界を張った。最も盗賊がここまで来るとは思えない。ハース城からの荷馬車が通らなくなった今、この道は盗賊達にとって何の魅力もない道なのじゃないだろうか。
 
「私も不寝番するわよ。」
 
「君はいいよ。ちゃんと寝てよ。」
 
「特別扱いしないで。カインがいないんだもの。そのくらいはしなくちゃ。」
 
「大丈夫だよ。」
 
「でもあなたが一人で夜通し起きているわけにはいかないでしょ?いつ眠るの?」
 
「そうだね・・・。それじゃ、結界の中なら安全だから、私は眠くなったら焚き火の隣で眠るよ。君はちゃんとテントの中で寝るんだよ。女の子なんだから。」
 
「解ったわ・・・。へへへ・・・女の子なんだから・・か。何だか久しぶりだわ、そんなこと言われたの・・・。それじゃお休みなさい。」
 
 ウィローは照れたように肩をすくめてみせると、テントの中に入っていった。『女の子なんだから』・・・つい口をついて出た言葉だった。年上のウィローを子供扱いしてしまったが、思ったほどウィローは気にしていないらしい。私も一晩中起きているわけにもいかないので、少し眠ることにした。自分の寝袋を引っ張り出すと、焚き火から少し離れたところに敷いた。中に入ってしまうと、何かが起きた時に素早く起きあがれないかも知れない。寝返りを打った拍子に焚き火に突っ込んだりすると危ないが、それほど寝相が悪いと言われたことはないので多分大丈夫だろう。私は寝袋の中の毛布を引っ張り出し、体にかけた。空を見上げると満月だった。もしかしたら・・・今夜はフロリア様の夢を見るのかも知れない・・・。
 
 その予感は当たり、私はうなされてぼんやりと目覚めることになった。テレパシーを受け取る力を得たあとでも、この夢の謎だけは解けてはいない。北大陸に戻れば・・・何かしら解ることがあるのだろうか・・・。眼を開けてみるともう夜明けが近いらしく、東の空は白み始めている。そっとテントの中を窺うと、ウィローは静かに寝息をたてている。私はほっと一息つくと、既に消えていた焚き火にもう一度火をつけた。その炎を見つめながら、あらためて・・・ウィローのそばにいることを選んでよかったと思った。
 
 その日から毎日、私達は訓練をして過ごした。ウィローは私の動きに必死でついてこようとする。驚くほど上達が早い。父親に会いたい一心なのだろう・・・。そしてそれから一週間が過ぎようとするある日の夜、私は奇妙な夢を見た。
 
 
 荒涼とした平原・・・。あちこちに岩がごろごろしている。草もそこここに生えているものの、とても寂しい、殺伐とした風景だ。その中を誰かが歩いている。急いでいるらしくかなりの早足だ。どこへ行くのだろう。いや、それよりもここはどこなのだろう。こんな場所は見たことがない。もう夜になろうとするところらしく、辺りは既に薄暗くなり始めている。それでもその人影は足を止めようとしない。やがてすっかり辺りが暗くなり、空にかかる満月がかなり高く上がったころ、人影がやっと足を止めた。
 
「そろそろ限界かな・・・。1日目で倒れていたらバカみたいだしな・・・。」
 
(カイン・・・?)
 
 人影は何とカインだった。カインはやっと立ち止まり、辺りを注意深く見回すとちょうど人一人が隠れられるくらいの大きさの岩陰に身を寄せた。
 
「さすがにこの時間まで歩きづめだと疲れるな・・・。」
 
 カインは荷物から水の入った皮袋を取りだし一口飲んだ。そしてパンとリンゴを取りだして食べながらなにやらぶつぶつ言っている。
 
「・・・クロービスの奴どうしたかな・・・。押し倒せなんて言ったけど・・・あいつのことだからな・・・。何も言えずにいるんだろうなぁ・・・。」
 
(だっていきなりそんなことしたら、ただの変質者みたいじゃないか・・・。)
 
 思わずカインに向かって話しかけそうになった。もちろん話しかけたところで彼の耳に届くはずもない。カインはパンとリンゴを食べ終えるともう一口水を飲み、ホッとため息をついた。
 
「食い物はともかく、水だけは大事にしないとな。・・・やっぱり橋を渡る前にあの休憩所に寄ったほうがいいのかな・・・。」
 
 カインは少し考え込んでいた。あの休憩所には多分ディレンさんがいる。彼はどうやらあの場所を拠点にしてあちこち歩いているらしい。フロリア様を公然と非難したディレンさんに対して、カインはあの時かなり怒っていた。いや、怒っていたと言うより、何も反論出来なかったことが悔しかったのかも知れない。そんな相手と、もう一度顔を合わせたいとは思わないだろう。
 
「ま、いいか。着いてから考えよう。しかしここまで北部地方が荒れているとは思わなかったな・・・。」
 
 カインは目の前に広がる荒れ地に視線を移した。どこまで行ってもオアシスなんてあるとは思えない。となれば、橋に辿り着くまでの約3日間、皮袋ひとつ分の水だけで過ごさなくてはならないことになる。
 
「・・・オアシスがありそうなら平地を行ったほうが距離が稼げるかと思ったけど・・・。これじゃ水はあてに出来そうにないから、やっぱり山越えしかないか。」
 
 カインは言いながら地図を広げた。
 
「えーと・・・ここが多分このあたりで・・・このまま北に行くと、この荒れ地のど真ん中に出ちまうのか・・・。それじゃ橋の手前で渇死体になりそうだし・・・。骨と皮だけになってクロービスに見つけられるのだけはいやだしなぁ・・・。となるとこっちの山を・・・。」
 
(冗談が出るくらいなら、それほど苛立っているわけでもなさそうだな・・・。)
 
 山の中を行けばたしかに距離は短いし、水がある可能性は高い。でも一口に北部山脈と言ってもかなり広い。どのルートを辿るかでかかる時間もまったく変わってくるし、足場の悪いところでモンスターに出くわす危険性もある。でもきっとカインはそんなことはお構いなしなのだろう。口の中で何事かつぶやきながら、慎重にルートを確かめている。やがて顔をあげ、カインがため息をついた。どうやら進行ルートは決まったらしい。岩にもたれて空を眺めながら、
 
「満月か・・・。クロービスの奴、またフロリア様の夢でも見てるのかな・・・。」
 
少し寂しそうに微笑んだ。
 
「たまには俺の夢に出てきてほしいもんだけど・・・仕方ないか・・・。あいつだって見たくて見てるわけじゃないんだし・・・。」
 
 フロリア様の夢を見たと言うたび、カインは複雑な表情をする。でもそのことで気を使ったりしたら、よけいにカインを傷つける、そう思って今までは、夢を見た時のことを出来るだけ気軽に話すようにしていた。
 
(あんまり言わないほうがよかったのかな・・・。でも黙っていてもどうせばれちゃうんだよな・・・。)
 
「・・・もう一つの人生ってのも悪くなかったかな・・・。」
 
 突然カインがつぶやいたのでどきんとした。
 
「ははは・・・こんなこと言っちゃいけないな・・・。それに、ほしいものが手に入らないから手の届く範囲で手を打とうなんて、そんなずるいことを考える奴がクロービスに勝てるはずがないしな・・・。」
 
 カインはそこまで言うと、少しの間黙って月を眺めていた。
 
「まったく・・・一人だとろくなこと考えないな・・・。さてと、もう寝るか。明日は山越えだもんな・・・。」
 
 カインは一度立ち上がり、大きく深呼吸して荷物を降ろした。その隣に腰を下ろし、マントを荷物の上からかぶせるようにして包み込む。そして背中を丸めてフードを深くかぶると、そこに人がいるようには見えない。
 
(うまく考えたもんだなぁ・・・。参考にさせてもらおう。)
 
「これでよし、と。・・・クロービス・・・待ってろよ・・・。俺が・・・必ずみんなを・・・連れて・・・戻る・・・」
 
 もうカインは眠ってしまった。いつ見ても気持ちがいいほど、あっという間に眠ってしまう。そして起きる時もパッと目が覚める。健康そのものだ。私は疲れている時はともかく、あまり寝つきはよくないし、夢を見たりすればそれだけで目覚めもよくない。いつもカインが羨ましかった。
 
 
 −−クロービス・・・−−
 
 遠くで誰かが呼ぶ声がする。この声は・・・。
 
「クロービス、朝よ。もう陽が昇ってるわよ。」
 
 眼を開けるとウィローの顔がそこにあった。
 
「・・・ああ・・・おはよう・・・。」
 
 もう焚き火は燃えていて、食事の支度を始めているらしい。おいしそうな匂いが漂っている。
 
「おはよう。どうしたの・・・?顔色が悪いわ。やっぱり一人で不寝番するのは無理なんじゃないの?今夜から私も・・・」
 
「大丈夫だよ。夢を見た日の朝はいつもこんなものだから。」
 
「・・・夢・・・?何の夢・・・?まだあの怖い夢を見るの・・・?」
 
 ウィローの顔に不安が滲む。ぼんやりしてうっかり夢のことを口に出してしまった・・・。
 
「あの夢じゃないよ・・・カインが歩いてた夢・・・。」
 
「カインが・・・。そうよね・・・やっぱり気になるわよね。」
 
 もっと突っ込んで聞かれるかとヒヤヒヤした。でもウィローが気になるのは、どうやら夢の内容よりも私がそんな夢を見たという事実らしい。
 
「気にはなるけど、ここで私が気にしてもしょうがないよ。あれからもう一週間過ぎるから、あの無茶な計画通りなら、今頃はもう王宮に着いているはずだしね。きっと食堂のゴハンでも食べてるよ。」
 
「一週間か・・・。もうそんなに過ぎるのね・・・。」
 
「カインも頑張ってるんだから、私達も頑張って訓練しないとね。食事の支度は?」
 
「・・・・・・。」
 
「ウィロー?」
 
 ウィローはぼんやりと考え込んでいたが、私の声でハッと顔をあげた。
 
「あ・・・ごめんなさい。なに・・・?」
 
「食事の支度だよ。どれを手伝えばいい?」
 
「・・・あ、あの・・・えーと・・・そうね、これと・・・。」
 
 少し嫌な予感がした。あれから一週間と聞いてウィローが動揺している。それでもこの日はいつもどおり訓練をして過ごした。ただ、ウィローの真剣さがいつもよりも強く感じられて、陽が落ちても少しの間訓練を続けた。いつものように夕食を食べて、眠るためにウィローがテントに入ったあと、焚き火を見つめながら私はゆうべの夢のことを考えていた。夢の中でカインは『1日目』と言っていた。あれは私達と別れたその日の出来事だ。それを何で今頃夢に見るのだろう。まったく私の夢は厄介だ。今起きていることを見ることもあるのに、フロリア様の夢のようにあんなに昔のことを繰り返し見たりする。
 
(でもあの調子で歩いているのなら・・・きっと大丈夫だよな・・・。)
 
 ホッとすると、今度はカインがつぶやいていた言葉が気になってきた。
 
『・・・もう一つの人生ってのも悪くなかったかな・・・。』
 
 カインにとってウィローは、本当に単なる妹のような存在だったのだろうか。もしもそうなら、好きな相手の代わりにその女性と結婚する道もあるなんて考えるだろうか・・・。ウィローが私に振り向いてくれなかったとしても、それじゃエミーと結婚しようかなどと私は考えようとも思わない。カインが戻ったら、もう一度だけ話してみようと思った。ウィローを譲るとか譲らないとかそんなことじゃなく、カインの本当の気持ちを、どうしても知りたい。
 
 そんなことを考えているうちにウトウトしてきた。寝袋に横になると一気に眠気が押し寄せてくる。私にしてはめずらしく、あっという間に眠ってしまった。
 
 ・・・・どれくらい経ったのだろう・・・・。小さな物音で目を覚ました。音はテントのほうから聞こえてくる。何の音だろう。まさか盗賊でも来たのだろうか。だとすればへたに動かないで出方を窺ったほうがいい。薄く眼を開けてみたが、焚き火は消えている。東の空は白み始めているようだが、渓谷はまだ濃い藍色の闇の中に沈んでいる。そのうち私の枕元に人の気配がした。私は眠ったふりをしながら相手の動きに注意を集中していた。少しでも殺気を感じたら、すぐに飛び起きることが出来るように準備をしながら・・・。
 
 人影は私の耳元で、ちいさな声で囁いた。
 
「今までありがとう・・・さようなら、クロービス・・・。」
 
(ウィロー!?)
 
 その瞬間、私は素早く体を起こし、ウィローの体をしっかりと抱きすくめた。
 
「どこへ行くつもり!?」
 
「離して!行かせて、クロービス!」
 
「離さないよ。君を一人にする気はないからね。」
 
「お願い・・・離して・・・。私・・・私、父さんに会いたいの!」
 
「そのために今まで訓練していたんじゃないか。君の力が充分だと思ったら・・・」
 
「それはわかってるわ・・・!でももう・・・これ以上待てないの・・・。本当は・・・訓練を理由に、私をここに引き留めようとしていたんでしょう・・・?おかげで私もずいぶん力がついたと思う。だからもう大丈夫よ。ハース城へは私が一人で行くわ。あなたは王国剣士としての仕事に戻って・・・。お願い・・・離して・・・。これ以上あなたを巻き込めない・・・。」
 
 −−ごめんなさい・・・−−
 
 話すうちにウィローの声が涙声になり、言葉がとぎれた。
 
「何と言われても離さないよ。君が一人で行ってしまわないって約束してくれるまで。」
 
「でも・・・あなたには王国剣士としての任務があるじゃないの・・・。これは私の問題なのよ。あなたにはずっと迷惑のかけどおしだったわ。なのに嫌な顔ひとつしないでずっとつきあってくれて・・・どんなに感謝してもしたりないくらいよ。だからもう・・・。」
 
 −−これ以上一緒にいたら・・・−−
 
「迷惑だなんて思うなら、最初からここには残らないよ。とにかく、落ち着いて。少し寒いから火を熾そう。もうすぐ夜明けだから、何か食べて少し話そう。」
 
 −−どうしていいかわからなくなる・・・−−
 
 ウィローが無言で頷いたのを確かめて、私はウィローを抱いていた腕をほどいた。離したくはなかったが、いつまでも抱きしめているわけにはいかない。火を熾して食事を取り、ウィローはやっと落ち着いたらしく、ぼんやりと焚き火を眺めている。
 
「落ち着いたみたいだね・・・。」
 
 ウィローは顔をあげ、かすかに微笑んだ。さっき聞こえてきた、ウィローの声・・・。
 
『コレイジョウイッショニイタラ・・・ドウシテイイカワカラナクナル・・・』
 
 あれはどういう意味だったのだろう・・・。ウィローは私と一緒にいることが気詰まりなのだろうか・・・。だとしても、今はウィローを一人にすることは出来ない。何とかデールさんに会わせてやりたい。たとえそれが、幸せな対面でなかったとしても・・・。
 
「ごめんなさい・・・。でも・・・ハース城にはやっぱり私一人で行くわ。あなたはここにいてカインが戻るのを待っていれば、きっと剣士団の人達が戻ってきてくれるわよ。そしたらみんなでハース城に乗り込めばいいじゃないの。」
 
「それじゃ君はその間どうしているつもり?」
 
「私は・・・父さんに会えれば大丈夫よ。統括者の娘に危害を加える人はいないでしょうし。」
 
「でもデールさんの元に辿り着けるかどうかも判らないじゃないか。城の正面から入れるならともかく、あの衛兵の調子ではまず無理だろうしね。鉱山経由で行くとなると、何が出てくるかわからないような場所も通らなくちゃならなくなるかも知れないよ?」
 
「だって鉱山には鉱夫の人達がいるでしょう?」
 
「鉱夫達が君に好意的だとは限らないじゃないか。相手がモンスターなら、避けて通れば通れるかも知れないけど、人間はそうはいかないよ。」
 
「・・・そんな・・・。」
 
「例え鉱夫達が君に好意的だったとしても、ハース城の門番みたいな連中が坑道の警備でもしていたらどうするつもり?」
 
 ウィローは黙り込んで下を向いた。おそらく、具体的な計画など何もないのだろう。ただこの間私に聞いたとおりに鉱山の入口まで行って、そこから中に入り込めば何とかなる、くらいの気持ちでいたのかも知れない。
 
(カインが戻るまでウィローをここに足止めしておきたかったけど・・・。限界だな・・・。)
 
 どだい無理なことだと判ってはいた。あれから一週間。ウィローは驚くほどの速さで実力をつけてきた。今なら、私が前衛に立てば、何とかハース城の内部に入り込むことは可能かも知れない。
 
「ハース城に行こう、私も一緒に行くよ。」
 
「・・・え・・・?」
 
 ウィローは、私の言葉が呑み込めなかったらしく、きょとんとして私の顔を見つめている。その時、ざわっと私の内側が揺らいだような気がした。さっきから、ウィローのあまりにも強い思念が心の中に入り込んできて、『防壁』が揺らいでいるのだった。こんな感覚の時は、いつもならすぐにもう一度作り直していた。出来なければカインに手伝ってもらえばよかった。でも今はカインがいない。自分で何とかするしかない。
 
「君を一人でなんて行かせるわけにいかないよ。君は充分に力をつけたよ。一週間前とは別人みたいにね。だから、二人なら何とかなると思うよ。」
 
「でも・・・。あなたまで危険な目に遭わせてしまうわ・・・。」
 
「でも私が行かなければ、君が危険な目に遭うじゃないか。」
 
「私は・・・仕方ないわ。だって父さんに会うためだもの。自分で決めたことなんだから頑張れるわよ。」
 
「私だって頑張れるさ。君を守るためにここに残ろうって、自分で決めたんだからね。」
 
「クロービス・・・。」
 
 ウィローの心の中に、私への感謝の気持ちが溢れ、それが一気に私の心の中に流れ込んできた。その瞬間、胸の奥がまたざわつき、『防壁』がきれいさっぱりほどけていくのをはっきりと感じた。どうしてももう一度、完璧に作り直さなければならない。このままの状態でハース城に向かえば、最悪この間の二の舞になる。
 
「ありがとう。それじゃ、もう荷物をまとめなくちゃね。クロービスはテントをお願いね。他の荷物は私がやるから。」
 
「ウィロー、少しだけ・・・待っててくれる?」
 
「なあに?何か必要なことがあるならお手伝いするわよ。」
 
「大丈夫・・・少しだけ一人にしてくれるかな・・・。」
 
「どうしたの?・・・顔色が悪いわ・・・。あの・・・もしも行きたくないなら無理しなくても・・・。」
 
「そうじゃないんだ。それは絶対に違うよ。とにかく・・・少し待ってて・・・。テント以外の荷物をまとめててくれていいよ。すぐ戻るから。」
 
「うん・・・。」
 
 不安そうだ・・・。私が本当は行きたくないのを無理しているのではないかと疑っている。早く安心させてやりたい。私はいつもウィローと手合せをしていた場所まで歩いていき、そこにあぐらをかいた。深呼吸して自分の内側に意識を集中する。気の流れを作って・・・いつものように・・・・・。
 
「・・・・・・・・。」
 
 うまくいかない・・・。ついこの間までちゃんと一人で出来たことなのに、どうしてもうまくいかない。夢見る人の塔へ行ったばかりの頃は、うまくいっているのかそうでないのかの区別もろくについていなかった。だからとにかく言われたとおりの手順を踏めば、それで済んだような気がしていた。でも今は違う。モンスターに襲われて大けがをしたあの日から、とにかく毎日カインと一緒に訓練を積んできたのだ。作りだした気の流れを思い通りに自分の内側に取り込めれば、あとは壁を作り上げるだけだ。カインの気をつかむことが出来なかったことなど一度もないのに、自分で作った気の流れをうまく取り込むことがどうしても出来ない。また冷や汗が流れる。早く出発しなければならないと思うとよけいに心が乱れて、精神統一までうまくいかなくなってきた。
 
「・・・クロービス・・・何してるの・・・?」
 
 振り向くとウィローが心配そうに覗き込んでいる。
 
「あ・・・あの・・・。」
 
 うまい言葉が見つからず口ごもる私に、ウィローは悲しげな瞳を向けた。
 
「・・・無理しなくていいのよ。やっぱり、自分のわがままに他の人を巻き込んじゃいけないわよね。だから鉱山の入口まで送ってくれればいいわ。そこから先は鉱夫の人達に道でも聞きながら、何とか進んでいけると思うから・・・。」
 
「そうじゃないんだ・・・!」
 
 苛立ちと焦りで思いがけず大きな声が出てしまった。ウィローはびくっとして黙り込んだ。もうこれ以上無駄な時間は過ごせない。私は腹を決めた。ウィローに手伝ってもらう以外の手だてがない以上、どんなに嫌われても本当のことを話すしか道はない。
 
「ごめん・・・。行きたくないなんてことじゃないよ。そんなことなら最初からここに残ったりしないじゃないか・・・。それより、君に聞いてほしいことがあるんだ。」
 
「・・・何・・・?」
 
 ウィローはまだ不安そうだ。私はとりあえず、自分の力で『防壁』を作った。隙間だらけでも仕方がない。これでも一応、誰かが普通に頭の中で考えていることなどが入ってくるのを防ぐだけの力はある。
 
「この間、夢見る人の塔に行った時のことなんだけど・・・。」
 
 深呼吸して、私はウィローに本当のことを話した。私の持つ不思議な力が、人の心を『何となく感じる』どころか、心の声まで聞こえてしまうほどのものであることから、夢の正体を知るために、その力を完全に目覚めさせる必要があったこと。でも普段の生活では、力を常に押さえ込んでおかなければ大変なことになること。それはこの間の怪我で実証済みだ。あのあとカインに手伝ってもらって、ずっと力を押さえ込む練習をしていたことも、全部話した。
 
「・・・だから・・・ハース城に行く前に、その『防壁』作りを手伝ってほしいんだ・・・。君にとっては気味が悪いことだと思うけど・・・今のままの状態でハース城に行けば、またこの間のようなことが起きないとも限らないからね・・・。」
 
 ウィローはずっと黙って聞いていた。隙間だらけの防壁でも、ウィローの心の声が聞こえてくることはなかった。ホッとした反面、それはそれで不安になる。ウィローは私の今の話を聞いて、どう思っているのか・・・。
 
「・・・ひとつ聞いていい?」
 
「・・・なに?」
 
「どうしてあなたは・・・私のことにこんなに一生懸命になってくれるの?」
 
「・・・それは・・・。」
 
 この質問には不意をつかれ、私は思わず言葉を詰まらせた。
 
「あなたが私と一緒にここに残ってくれるって聞いた時、うれしかった反面不思議だなって思ったのよ・・・。あなた達にとって何よりも大事なはずの任務を後回しにしても、どうしてって。それに・・・今だってそんな状態になっていても、それでも一緒に来てくれるって言うし。どうして・・・?」
 
「・・・知りたかったんだ・・・。」
 
「・・・何を・・・?」
 
「ハース城に行った時に、言ったよね?父さんを信じてるって。」
 
「・・・信じてるわ・・・。父さんが王国に対して反逆を企てているなんて、私は絶対に信じない。でもカインの言ったとおり、それを証明するものがないのよ。それなら本人に会って直接話を聞くわ。そうすればきっと誤解もとける。」
 
 あの時、衛兵の言葉にウィローは取り乱していた。『本当に私達を捨てたの?』という声も聞こえた。ウィローは本当は『信じている』というより『信じたい』のかもしれない。
 
「そうだね。私は、君と君のお母さんを見ていて、デールさんが反逆を企てているかもしれないってことがどうしても納得がいかなくなったんだ。だから私は君を約束どおりハース城に連れて行って、どうしてもお父さんに会わせたい。そして君のお父さんの口から、真実を聞きたい。そう思ったんだよ。」
 
「そう・・・。」
 
 ウィローは納得してくれただろうか。今言ったことは嘘ではない。あの門番の話やカナの人達のうわさ話だけで、デールさんを反逆者と決めつけるのは早計というものだ。でも一番の理由は、ウィローと一緒にいたかったから。離れたくなかったから。でもそれは言えない。ウィローの心が誰にあろうと、カインが剣士団のみんなと一緒に戻ってくれば、そこで私の任務は終わる。そして今度こそ本当に、北大陸へ帰らなくてはならない。
 
 ウィローは少しの間、視線を地面に落として黙っていた。
 
「・・・・・ねぇ・・・。」
 
「・・・何・・・?」
 
 ウィローが顔をあげて私を見つめた。優しい・・・とても優しい瞳で・・・。
 
「私はどうすればいいの?あなたのその不思議な力を押さえ込むために、どうやってお手伝いすればいいの?」
 
「・・・手伝ってくれるの・・・?」
 
「当たり前よ。」
 
「・・・気味が悪くない・・・?」
 
「そんなことないわ。最初に聞いた時は驚いたけど。それにあなたは、その力を自分の意志で使ったことは一度もないって言ったわよね?」
 
「それはないよ。誓ってもいい。」
 
 ウィローはくすっと笑った。
 
「いいわよ、誓わなくたって。私はあなたを信じるわ。その・・えーと・・・『防壁』作りはすぐ始められるの?何か準備が必要?」
 
「何もないよ。ただ、君がいつも呪文を唱える時みたいに、精神統一をしてくれれば。」
 
「それじゃ、始めていいのね?」
 
「いいけど・・・本当にいいの?シェルノさんが言っていたみたいに、相手の心の中がわかってしまうかも知れないって・・・。」
 
「だってそれはお互い様なんでしょう?あなたに私の心がわかってしまうかも知れないけど、その逆もあるってことよね?」
 
「それはそうだけど・・・。」
 
「それじゃお互い、さっき食べたご飯のことでも考えてましょ。始めるわよ。」
 
 ウィローが笑顔で手を差しだした。その手に向かって、ウィローの意識がすっとひとつに集まる。この精神統一の仕方を教えたのは私だ。
 
『何かひとつのものに視点を合わせるとやりやすいよ。』
 
 カナを出たばかりの頃、呪文詠唱のための精神統一がうまく出来ないと相談されて、それで教えたことだった。ウィローは、呪文をカナの村長から教わったらしい。だが、村長の教えてくれた精神統一の仕方はウィローに合わなかったらしく、素早く詠唱に入ることがなかなか出来ないでいた。
 
(このやり方がウィローに合ってたってことだよな・・・。)
 
 そんなことを考えながら、差し出された手のひらに自分の手を重ね合わせて、私はいつもカインとしていたようにウィローの作りだした気の流れを取り込もうとした。その時、こちらが手を伸ばそうとしたかしないかのうちに、ウィローの気の流れがするりと私の中に入り込み、あっという間に大きな流れとなって、私の内側に満ちあふれてくる。とても暖かい、優しい流れだ。

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