少し疲れた私は、一度言葉を切り、ソファにもたれかかった。ずいぶん長いこと話をしたような気がしていたが、そんなに時間は過ぎていないらしい。
「南大陸か・・・。」
カインは感慨深げにそうつぶやくと、ソファに深くもたれかかった。
「早く行きたいけど・・・本当に大変なところなんだね・・・。」
「気候は昔も今も変わらないだろうからね。」
「気候だけかな。モンスターとかは・・・。」
「それは・・・どうなのかな・・・。」
「今はモンスターって言われるほど凶暴な獣はいないみたいよ。」
妻が答えた。妻のところには、故郷のカナの村から月に一度か二度手紙が届く。今月はまだ届いていない。北大陸と南大陸の交流は、昔よりははるかに頻繁になったが、それでもこの北の果ての島まで手紙が届くまでには、どんなに早くても一週間はかかる。多分次回届く手紙の中には、ナイト輝石採掘再開のニュースが書かれているだろう。南大陸の人々は、このことをどう受け止めているのだろうか。
「いないというより、おとなしくなったんじゃないかな。」
「たぶんそうね。でも人間にとっては、いないのと同じよ。でも本当にいなくなったわけじゃないんだってことは、憶えておいてほしいと思うけどね。」
「そうだね。忘れてはいけないんだ・・・。」
「モンスターがおとなしくなったのに、どうしてあっちはまだまだ危険だって言われているのかな・・・。」
カインが首を傾げる。
「旅人が増えれば盗賊だって増えるさ。」
「そうか・・・。盗賊か・・・。」
「北大陸の南地方だってそうだよ。獣なら剣でおどかせば逃げていくかも知れないけど、人間は向かってくるからね。獣よりたちが悪いよ。おまけに人質まで取ろうとしたりするんだから。」
「でも母さんをつかまえた盗賊は運が悪かったよね。もっとおしとやかな女の子を連れた、ただの旅人を襲えばよかったのにな。」
「ただの旅人はともかく、もっとおしとやかなってのが引っかかるんだけど。」
妻がカインを睨んでみせた。
「だっておしとやかな女の子は盗賊に捕まっても向かっていったりしないよ。」
「母さんだって怖かったんだよ。あのあとで震えて泣いていたんだから。」
「クロービス!そこまで言わなくていいわよ!もう・・・恥ずかしいじゃないの・・・。」
妻は赤くなっている。
「いいじゃないか。君がおしとやかな時もあったんだってことをわかってもらわなくちゃね。」
「おしとやかな時もあった・・・!?」
・・・どうやらよけいなことまで言ってしまったらしい・・・。思わず『しまった』という顔をしたであろう私を見て、カインはニッと笑った。
「ねえ父さん、それよりその夢見る人の塔って言うのは、南大陸のもっと南にあるんだよね?」
カインは私に助け船を出したつもりらしい。でも本当に助かった。あとでからかわれるかも知れないが、とにかく今は感謝しておくべきなのだろう。
「そうだよ。でも不思議だったな・・・。どう見ても北大陸に向かっているとしか思えないような入口だったからね。」
「中で通路が曲がってただけなんじゃないの?」
「でも行く時と帰ってくる時の階段や曲がり角の数が全然違ってたんだよ。」
「・・・それも暗示だったってこと・・・?」
「そう言うことになるんだろうな・・・。」
「ふぅん・・・。僕がもしもそこに行ったら、どんな声を聞くのかな・・・。」
「声を聞く前に逃げ出したくなるかも知れないよ。」
怒るかと思ったが、以外にもカインは真顔で頷いた。
「そうかもね。僕ってさ、今までそんなに死ぬほど怖いことに出会ったことってなかったからな。」
「過去形だと言うことは、今は出会ったことがあるのか?」
「あるなんてものじゃないよ。剣士団長のゲンコツと怒鳴り声はほんとに怖いよ。」
「なんだ・・・。」
思わず私は吹き出した。確かにあれは怖い。でも昔は、オシニスさんよりセルーネさんのほうがもっと怖かった。女性としては背が高い方だったけれど、そんなに筋骨逞しい体格をしているわけでは全くない。なのにひとたび怒ると、誰もが縮み上がって口をきけなくなるほどだった。彼女は今どうしているのだろう。カインに尋ねようとも思ったが、何となく聞きそびれていた。あれから結婚はしたのだろうか。それとも・・・。
「笑い事じゃないよ。ほんとに怖いんだからね。」
「そんなにムキにならなくていいよ。確かにオシニスさんが怒ると怖いからね。」
剣士団長という存在は、若い剣士達にとっては怖いものなんだろう。私はパーシバルさんを怖いと意識したことはなかったが、それでも団長の前に出ると、ひとりでに直立不動の姿勢になった。
「ねえ母さん。」
カインが妻に向き直る。
「なに?」
「どうして父さん達について行こうと思ったの?」
「そうねぇ・・・。」
妻は考え込んでいる。どうして私達についてこようと思ったのか・・・そう言えばその理由を聞いたことがない。あの時出会ったのは偶然だったのだろうけど・・・。
「だってさ、相手は男二人だよ?村を出た途端にオオカミに変身する可能性だってあったじゃないか。」
「お・・・オオカミ・・・って・・・。」
妻は笑い出した。
「ま、オオカミに見えなかったことは確かね。あの時はそんなこと何にも考えていなかったのよ。とにかくハース鉱山に連れて行ってくれる人を捜していたの。」
「お父さんに会いたかったの?」
「そうよ。会って・・・確かめたかったの。」
「何を?」
「そうね・・・。どうしてずっと家に戻ってこないのか・・・かな・・・。」
「忙しいからだったんでしょ?嘘だと思ってたの?」
疑問に思うことがあると、どんどん相手を質問攻めにする・・・この癖はしっかりカインにも遺伝しているらしい。妻は困ったように目を伏せた。
「嘘だと思いたくはなかったけど・・・。子供の頃ならともかく、忙しいって言うだけで19年も家に戻らないなんて、おかしいと思ったことがないわけじゃなかったもの・・・。だから父さん達がカナに来る半年くらい前に、一度行こうとしてたのよ。母に内緒で荷物も用意して、ハース鉱山から帰ってくる人達に頼んで、鉱山に戻る時に連れて行ってもらおうと思ってたの。でも・・・。」
「その時は誰も帰ってこなかったわけか・・・。それっきりテロスさんやロイ達からも連絡がなくなっちゃったんだね。」
「そうよ。だからあなた達を見た時は本当にうれしかったわ。ハース鉱山がエルバール王国の生命線なら、王宮があの事態を傍観するとは思えなかったもの。必ず王国剣士さんがハース鉱山に調査に来るって信じてたの。」
「でも、海から直接ハース城まで行ってしまうってこともあったかも知れないよ。そうなったらどうするつもりだったの?」
「そうね。その可能性も考えなかったわけじゃないわ。でもね、それはないような気がしてたのよ。」
「どうして?」
いつの間にか、私までが妻を質問攻めにしていた。妻はカインと私の顔を交互に見て、くすりと笑って言葉を続けた。
「剣士団が南大陸から撤収したあと、北大陸の噂はよく聞いたわ。フロリア様と剣士団がうまくいってないみたいだとか、フロリア様と剣士団長が大喧嘩をしたとか、そんな話がカナでも飛び交っていたのよ。それが本当かどうかは私には判らなかったけど、でもあの時のディレンさんやキリーさんの泣きそうな顔を思い出したら、それが単なる噂じゃないかも知れないって思ったの。そりゃ、国王陛下と大喧嘩出来る人なんて誰もいないでしょうけどね。」
「なるほどね。東の港からハース城までの船はフロリア様の配下の者が牛耳っているわけだから、そこに王国剣士を乗せてくれるとは思えなかったというわけか。」
「そういうことよ。そして私の勘は大当たりしたというわけ。だからあの時は必死だったわ。うまく話を持ちかけて、あなた達にとって私が役に立つ存在だと言うことを印象づけなくちゃならなかったから。・・・でも嘘ついたのは悪かったわ・・・。」
「別に嘘なんてついていないじゃないか。」
「だっていかにも治療術が得意だみたいなこと言っちゃったもの。」
「でもあの時君は『使える』とは言ったけど、『得意だ』とは言わなかったじゃないか。『自然の恩恵』はちゃんと使えたんだから、別に嘘じゃないよ。それに、君があの時どれほど必死だったかは何となく感じていたしね。」
「あなた、あの時もそう言ってくれたわね。カインも怒ったりしなかったし・・・。私すごくうれしかったのよ。『やっぱり連れて行けない』なんて言われたらどうしようかと思ってたんだもの。」
「それじゃ、母さんは父さん達について行ってよかった?」
「当たり前でしょ?あの時父さん達に連れて行ってもらえなかったら、多分父さんと母さんは結婚していないわよ。そうしたらあなたも生まれてこなかったのよ。」
「そうかぁ・・・。ということは、僕の歴史はその時父さんが母さんに『連れて行くよ』って言ったところから始まってるんだね。」
「おもしろいことを言うね・・・。でも確かにその通りかも知れないな・・・。」
カインは時々、とんでもなく深い洞察力をかいま見せる。以前は、まさかカインにも私と同じような力があるのではないかと疑ったことがあった。でもそういうわけではないらしいとわかった時、私は心の底からホッとした。こんな力など、ない方がいいに決まっている。
「でもカナを出た時は、まさか南大陸の西の果てまで行くことになるなんて思わなかったんじゃない?」
カインの問いに妻は頷いた。
「そりゃそうよ。あの時は、ハース城に行って父に会って、母と私のことをどう思っているのか聞きたいって、それしか考えていなかったもの。ハース渓谷の怪物だって、きっと何とかなる、くらいにしか思っていなかったわ。」
「そうだよね・・・ねえ父さん。」
「ん?」
「父さんはさ、そのあとカナでその、えーと・・・何だっけ・・・・。」
「たった今話したことを忘れないでほしいんだけどな・・・。お前が言いたいのはもしかして、『泉の底の要素の力』について何かわかったのかって言うことか?」
「あ、そうそう!だって聞いたこともないような言葉ばっかりでてくるんだもの。仕方ないじゃないか。」
「・・・まあいいけどね・・・。」
思わずため息が出た。
「でもすぐにはカナまで戻れなかったのよね。」
妻が口を挟む。
「そうだね・・・。塔の入口を出た時は、まさかあんなことになるとは思わなかったな・・・。」
「・・・何があったの・・・?」
「『思念感知の能力』というのはね・・・両刃の剣だったと言うことさ・・・。」
私達はカナを目指して歩き始めた。西の森を出てしばらく経った頃、何となく背後から引っ張られるような感覚で、思わず私は足を止めた。
「どうした?」
「何かあったの?」
カインとウィローが、怪訝そうに尋ねながら立ち止まる。
「う・・・うん・・・。何か・・・。」
それが何なのかうまく説明出来なくて、私は後ろを振り向いた。砂の中に何かいる・・・。
「多分・・・その辺の砂の中に何かいるよ・・・。」
「・・・あの砂の中に巣があるやつか?」
「そこまではわからないけど・・・。」
「・・・向かってくるかな・・・。」
「どうかな・・・。」
気配を感じただけではそこまでは判断がつかない。
「見てくるか・・・。」
カインは私が指さした辺りに歩いていこうとした。その途端、いきなり強い思念が流れ込んできた。昨日と同じように防壁を作っておいたつもりだったが、うまくいかなかったらしい。まるで心臓を直接拳で叩かれたようで、あまりの痛みに思わず後ずさった。怯えている・・・。
「カイン!いいから、ここを離れよう・・・」
だが一瞬遅く、砂の中からひときわ大きなモンスターが飛び出し、私達に向かってきた。カインの推測どおり、それは南大陸に来てからよく見かける、砂の中に巣を持つあのモンスターだった。こいつなら『飛花落葉』ひとつで追い払える。
「カイン、離れて!今・・・呪・・文・・・を・・・。」
流れ込んできた思念が心の中で暴れている。いつもほとんど意識せずにやっている精神統一がまったく出来なかった。それどころか、自分の意識がどこにあるのかさえ判らなくなって、私は思わずよろめいた。
「クロービス、危ない、よけろ!!」
カインの必死の叫びに顔をあげると、モンスターの前足が目の前にあった。その瞬間頭に物凄い衝撃を感じて、それっきり目の前が真っ暗になった。意識を失う直前、シェルノさんの言葉がよみがえった。
『さまざまな思念に蹂躙され、あなたの精神が崩壊してしまうかもしれない・・・』
あれは・・・こういうことだったのか・・・。
ここは・・・どこなんだろう・・・。
暖かいものが額に触れている・・・。
ちいさな声が聞こえる・・・。なんて言っているんだろう・・・。
−−わ・・・た・・し・・・・を・・・・・・・
−−殺・・・し・・・・て・・・・く・・・ださ・・・い・・・・
突然耳元で囁かれたような気がして、私は眼を開けた。その時視界に飛び込んできたのは、真っ青なカインの顔とウィローの泣き顔だった。起きようとしたが体は動かなかった。
「俺達がわかるか?」
わかるって・・・何がわかるんだろう・・・。カインの質問の意図が呑み込めず、ぼんやりと彼の顔を見つめたまま返事をしない私の肩を、カインは慌てて揺さぶった。
「お・・・おい・・・。しっかりしろよ!俺達が誰なのかもわからないのか!?」
何だ・・・そんなことか・・・。
「わかるよ・・・。カインとウィローだ・・・。」
カインはほっとしたように溜め息をついた。
「おどかすなよ、まったく・・・。頭の中身までおかしくなっちまったのかと思ったぞ・・・。」
本当におかしくなりかけているのかも知れない。今こうして自分の意識を取り戻せたのが不思議だと思えるほど、さっきのモンスターの思念は強烈だった。
「よかった・・・。心配したんだから・・・。」
ウィローは両手でごしごしと涙を拭っている。二人がどれほど心配してくれていたか、今の私にはすぐにわかる。私は自分の額に触れてみた。あれだけの衝撃を受けたのだからかなりひどい傷だったはずだが、なにもない。
「ウィローが治療してくれたよ。たいしたもんだよな。すっかりきれいになってるよ。」
「本当だね。ありがとう、ウィロー。」
ウィローは照れたように笑ってみせた。ではさっき、夢の中で額に触れていたように感じた暖かいものは、ウィローの手だったのか・・・。『自然の恩恵』も『大地の恩恵』も、回復しようとする相手に手を触れなければ効かない。そして触れる場所は、出来るだけ怪我に近い方が効果がある。その時さわやかな風が頬をなでて、私は辺りを見回した。
「ここは・・・?」
「西の森の入口だよ。お前の傷の中に砂がこびりついて、手持ちの水だけじゃきれいに出来なかったんだ。そのままじゃ傷がふさがらないからな。だからここに戻ってきたのさ。なかなか血が止まらなくて冷や汗かいたよ。」
「そうか・・・。ありがとう・・・。せっかくあそこまで行ったのに・・・ごめん・・・私のせいでまた振り出しに戻っちゃったね・・・。」
「そんな言い方するなよ。明日また進めばいいさ。それより、気分はどうだ?」
「大丈夫だよ。」
そう言って起き上がろうとしたが、まだ体に力が入らない。カインは私の額に手を当て、気功を使った。気功は体の傷だけでなく、疲れもある程度取り去ってくれる。もちろんそれは自在に操れるようになってからの話だ。でも今のカインの気功は、オシニスさんに匹敵するほどの威力があるはずなのに、私の体はまるで重りをつけられたようにずっしりと重く、自分のものではないかのようだった。
「これで少しは違うと思うけど、無理しないのが一番だよ。お前は寝てろ。今日はここに泊まりだ。飯の支度はウィローに任せておけばいいさ。」
そんなわけにはいかないと言いたかったが、反論する気力もわいてこなかった。さっきの胸の痛みがまだ残っている。その上カインとウィローが感じているのであろう不安が、じわりじわりと流れ込んできていた。
「そうだね・・・頼むよ・・。」
私は横になったまま深呼吸してみた。さっきよりは楽になってきた。ゆっくりとなら起き上がれそうだ。
「無理するなよ。」
「うん・・・。」
何とか起きあがり、もう一度深呼吸した。頭の中はぼんやりしているが、今のうちにもう一度『防壁』を作っておかなければ、またどんな思念が飛んでくるかわからない。成功するかどうか自信はなかったが、とにかく教えられたとおりのやり方で、私は自分の力を抑え込んだ。
「任せといて。」
笑顔で食事の用意に取りかかろうとするウィローの背中に向かって、私は声をかけた。
「二人分でいいよ。私はいらないから。」
ウィローが振り向いた。不安そうな瞳で私を見ている。
「だめよ!ちゃんと食べなくちゃ・・・。カナまではまだだいぶあるのよ。」
「わかってるけど・・・。作ってもらっても多分食べられないと思うんだ。カナまで食料を持たせなくちゃならないんだから、無駄は出来るだけ省かないとね。」
「でも・・・。」
「ウィロー、クロービスの言うとおりにしてやってくれよ。大丈夫、こいつはこれで結構体力あるんだから。それに、あとで腹が減るようならパンも干し肉もあるし、何とかなるよ。」
そう言うカインも不安そうだ・・・。
「それはそうだけど・・・。」
ウィローはまだ心配そうに私を見ている。多分、私がたとえあとから空腹になっても、何か食べたいと言い出すことはないとわかっているのかも知れない。
「食べたくなったらその時に何とかするから、大丈夫だよ。」
「ほんと?お腹がすいたら言ってね。きっとよ?」
私が頷いたのを確認して、ウィローはやっと食事の用意に取りかかりはじめた。
「カイン、ちょっと散歩してくるよ。」
「ああ、でもあんまり遠くへは行くなよ。」
「大丈夫、広めに結界を張って、その端っこあたりにいるから。」
私は自分達が今いる場所を中心に、かなり広い範囲に結界を張った。この森の中にはもともとモンスターは入ってこない。森自体に結界があるわけではないのだが、何か神秘的な雰囲気がある。地元の人々がこの森を恐れる理由がなんとなくわかるような気がした。でもだからといって気は抜けない。おとなしいとはいえ、鹿などの大型動物もかなり生息している。
森の中へと分け入り、最後の呪文を唱えた。これで人間以外のモンスターに襲われる心配はない。今の状態で、4度連続で呪文を唱えるのはかなりきつかった。軽いめまいを覚えて、私はその場所に腰を下ろしてため息をついた。シェルノさんの言葉が、私の心に改めて重くのしかかってきていた。
『あなたは自分の意志でその力をコントロールできるようにならなければなりません。それが出来なければ、様々な思念に蹂躙され、あなたの精神が崩壊してしまうかも知れないのです。』
まずは精神統一、そして心のまわりに防壁を作る・・・。シェルノさんかリータさんが手伝ってくれた時は、スムーズに『防壁』をつくることができた。あのときの感覚を思い出しながらもう一度同じ事をしようとしているのに、なかなかうまくいかない。
『慣れるまでは誰かに手伝ってもらうといいでしょう。ただ、お互いの心の中までわかってしまう時がありますから、あなたと心から信頼し会える相手で・・・出来れば呪文を仕える方のほうが・・・。』
心から信頼しあえるというならカインだが、呪文は使えない。でも呪文が使えないと絶対に無理だということではないらしい。実際シェルノさんも呪文は使えないと言った。
(カインに頼んでみようか・・・。)
でもそれを頼むためには、私が今どんな状態にあるのかも、全て話さなくてはならない。既にカインは、私が何かを隠していると言うことには気づいているだろう。ライザーさんの心の声が聞こえたと打ち明けた時と同じように、カインは笑顔でこのことを受け入れてくれるだろうか・・・。
パキッ!
小枝の折れる音で振り向いた。そこにはウィローが立っていて、手には湯気の立つスープ皿を持っている。腕に下げた袋の中からのぞいているのはパンだった。
「あ・・・あの・・・スープをね・・・少し作り過ぎちゃったの・・・だから・・・もし食べられそうなら・・・食べてもらおうかと思って・・・。」
ウィローの眼はまだ赤い。もしかしたらまだ泣いていたのかも知れない。彼女が持っているスープが、『作りすぎた』ものではなく私のために作られたものであることはすぐにわかった。私が『いらないと言ったのに』と怒るのではないかと不安に思っていることも。私一人で作った『防壁』は、どうやら隙間だらけらしい。
「ねぇ・・・食べられそう?」
返事をしない私を、ウィローはますます不安そうに見つめている。
「大丈夫だよ。せっかくわざわざ作ってくれたんだものね。」
しまったと思ったが遅かった。私はうっかり口を滑らせてしまった。
「わ・・・わかっちゃったの・・・?」
ウィローは真っ赤になって後ずさった。私は慌てて付け加えた。
「あ、いや・・・その・・・だって君が分量を間違えるなんて今までなかったじゃないか。」
「あ・・・そうよね・・・。あ、あのね、パンも持ってきたの。でもね、スープをすくい取れるだけの、ほんの少しなのよ。だから・・・。」
「それじゃ、パンももらっておくよ。食べたら自分で洗うから、君はもう寝たほうがいいよ。ずいぶん呪文を使ったんじゃない?」
「だって・・・私の呪文では、一度で傷を塞ぐことが出来なかったんだもの。まだまだね。もっと頑張らなくちゃ。」
「でもカインの話だとかなりひどい傷だったみたいじゃないか。それがこんなにきれいになったんだから、君の腕もかなり上がったと思うよ。もっと自信を持っていいんだよ。」
「そうなのかな・・・。あなたに言われると何だかそんな気がしてくるから不思議ね。ねぇ、少し傷を見せてくれる?」
ウィローは私に近づき、前髪をあげて額をなでながら、じっと見ている。膝立ちになったウィローの、ちょうど胸の辺りが私の目の前にあった。顔を逸らそうにも額をつかまれているので、動かすことが出来ない。なんとか目だけでも逸らしていたが、どうにも落ち着かない気分だった。
「・・・大丈夫みたいね。」
ウィローが手を離して、私の前に座った。ホッとした反面少し残念な気もした。
「きれいになってるよ。大丈夫だよ。」
「それじゃ、後かたづけをしたら私は先に休ませてもらうわ。・・・カインも心配しているみたいよ。」
「もう少ししたら戻るよ。ありがとう。」
ウィローはうれしそうに頷いて、焚き火のそばに戻っていった。スープは相変わらずおいしかった。食欲がなかったはずなのに、パンをちぎって器の中についたスープをきれいにすくい取ってしまうと、食べ終わったのが何だか残念に思うくらいだった。そろそろ戻ろう。カインに話さなくてはならない。ウィローはもう寝ただろうか。出来れば彼女には聞かれたくない。いずれ知られてしまうかも知れないけれど・・・。
からになったスープ皿を洗い終わると、私は焚き火のところに戻った。
「食べられたみたいだな。」
カインが私を見てにやりと笑った。そしてカインの心の中から不安がふっと消えたのも感じた。
「そうだね。ウィローのスープはおいしいからね。」
「ははは、そうだな。ウィローがにこにこして戻ってきたよ。スープを持っていく時はすごい悲壮な顔してたのにな。」
「来た時は・・・私が怒るんじゃないかって心配してたみたいだよ。」
「ウィローがそう言ったのか?」
「いや・・・。」
「そうか・・・・わかるんだな・・・。」
「・・・・わかるよ・・・。」
私は焚き火を挟んでカインの向かい側に腰を下ろした。カインは私をまっすぐに見つめている。
「それじゃほんとのことを話してくれよ。何を隠してる?俺は人の心なんて感じたり出来ないけど、お前が何か隠してることくらいはわかるぞ。」
「君に隠し通せるとは思ってないよ。ウィローに・・・聞かれたくなかったんだ・・・。」
「そうだな・・・。昨日の話だけでもけっこう引いてたもんな・・・。」
「うん・・・。」
さっきだってそうだ。ウィローは、私が彼女の心を読んで、スープをわざわざ作ったと気づいたのだと思ったのだろう。別に読もうと思ったわけではないし、『読む』力は私にはない。でもウィローにとっては同じ事だ。あの時ウィローは真っ赤になってほんの少しだけ後ずさった。彼女の目に、私はいったいどんな風に映っているのだろう。そしてカインは・・・私の話を聞いて、どんな目で私を見るようになるのだろう・・・。
「それじゃ、話してくれ。」
でももう隠しておけない。私はカインの隣に場所を移した。テントの中まで声が聞こえないように、顔を寄せて小声で、私はカインに夢見る人の塔で起きた出来事を今度こそ本当に全て話した。言いたくはなかったが、フロリア様と私の思念波の『波長が合う』らしいことまで・・・。
「なるほどな・・・。」
思った通り、カインは複雑な表情をしている。
「するとさっきお前が呪文を唱えられなかったのは・・・その『防壁』がうまく出来ていなかったせいだと言うことになるのか・・・。」
「うん・・・。今こうして正気を保っていられるのが不思議なくらいだよ。それほど・・・強烈だったんだ・・・。私達にとってモンスターは恐ろしい存在だけど、モンスターにとっても、私達人間は恐ろしい存在なんだなって・・・改めて思ったよ。だからあんなに怯えて・・・向かってきたんだろうな・・・。セスタンさんが悩んでいたのが何となくわかったような気がしたよ・・・。」
「そうか・・・。あの時俺が、見に行こうとしなけりゃよかったのかな。あのままあそこを離れていれば、もしかしたらお前がこんな目に遭うこともなかったのかも知れないな・・・。」
「そんなのは結果論だよ。君のせいなんかじゃないよ。私の作った防壁が隙間だらけだった、それが一番の原因なんだから。」
「なあクロービス・・・こんなこと言うとお前は怒ると思うけどさ・・・。」
「なに・・・?」
「俺が南大陸に行きたいなんて言い出さなければ・・・。」
「まだそんなこと言ってるの?私は自分で決めたんだよ!だから・・・」
「わかってるよ!」
カインが私の言葉を遮った。思わず大きな声が出て、二人とも慌てて声をおとした。
(大きな声出さないでよ・・・。ウィローが起きちゃうじゃないか・・・。)
(ご・・・ごめん・・・。でもお前だって大声出したじゃないか・・・。)
(そ・・・そりゃそうだけど・・・。)
そしてお互い顔を見合わせ、揃ってため息をついた。
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