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第23章 夢見る人の塔

 
(ここが・・・彷徨の迷い路か・・・。)
 
 ひんやりとした空気が、故郷と大陸を結ぶ海底洞窟を思い起こさせた。薄暗いが、ランプを必要とするほどではない。足許だけは歩ける程度に照らされている。どうやら光苔の一種が壁に植えられているらしい。通路はまっすぐに続いているようだが先はまったく見えない。私は念のため弓を構えて、慎重に歩いていった。
 
(どこまで続いているんだろう・・・。)
 
 このまま歩いていったら、北大陸の南地方の地下に着いてしまうんじゃないだろうか、そんな突飛なことを考えてしまうほど、目の前の道は果てしなく長く感じられた。物音ひとつしない。他にこの通路を歩いている人は誰もいないのだろうか。それとも一度に一人ずつしか入れないのか・・・。でも、先に入った人が塔に着いたかどうかなんて、あの入口にずっといる若者にどうやってわかるんだろう・・・。
 その時通路の先で何かが動いた。白っぽいものがひゅんと通路を横切ったように見えた。
 
(なんだ!?)
 
 一瞬矢を放とうと弓を上げたが、すんでのところで思いとどまった。もしも私より先にこの中に入った人間だったりしたら、大変なことになる。とにかくまず正体を見極めようと私は走り出した。もしも人間なら、この場所について何か聞き出すことが出来るかも知れない。その何者かは右から左へと移動した。そこに曲がり角があるはずだ。
 
「うわっ!!」
 
 いきなり現れた壁に激突しそうになって、私は慌てて立ち止まった。さっきの白い影は、確かに通路のもっと先で動いた。なのにその場所にたどり着く前に突然壁が現れ、通路は二つに分かれていた。闇の中で距離感が狂ったのだろうか。それにしても先ほど動いたように見えたものは一体何だったのだろう・・・。
 
 ここは普通の場所じゃない。私の心に少しずつ不安が広がってきた。でもとにかく進まなければならない。どちらに行けばいいのだろう。何か道しるべのようなものはないのだろうかと壁に手を触れた時、突然頭の中に声が響いてきた。
 
 −−お前が王国剣士になってかなりの時が経ったな・・・。
 
 ぎょっとした私は思わず後ろに飛びのいた。心臓がドクンと大きな音をたて、体中に鳥肌が立つ。
 
「な・・・なに・・・?今の声は・・・・・・・・。」
 
 辺りを見回したが誰もいない。空耳だろうか。私の不安な心が作り出した声・・・。勇気を奮い起こして、私はもう一度壁に触れた。
 
 −−立派なことだと・・人々は皆ほめたたえる・・・。
 
 またドクンと心臓が波打ち、慌てて壁に触れた手を引っ込めた。
 
「誰だ!?」
 
 叫んでみたが答はない。もしかしたらさっきの白い影が、どこかに隠れて話しかけているのだろうか。
 
「誰かいるんですか!」
 
 私の声はむなしく闇の中に吸い込まれ、あとには静寂だけが残った。
 
(誰なんだ・・・いったい・・・・。)
 
 そしていきなり気づいた。この声は耳から聞こえてくるのではなく、頭の中に直接響いてくるのだ。まるで誰かの心の声のように・・・。
 
 私はさっきこの洞窟の入口で出会った青年ドランの言葉を思いだした。
 
『風の噂だと、この世界のどんなダンジョンよりも恐ろしいものだと言われている。』
 
 『ダンジョン』などというものは、冒険家やトレジャーハンターと呼ばれる財宝さがし専門家達の領域だ。城下町でいつか出会った冒険家も、『未踏のダンジョンがどこかにないかなあ』などとのんきに話していたっけ。彼がもしもここにいたら、きっと大喜びするに違いない。『夢見る人の塔』へ行くために、どうしてそれほど恐ろしいところを通らなければならないのだろう。でもさっき門番の若者ははっきりと言っていた
 
『あなたが一人でここを通らなければならない』
 
 私一人で・・・。つまり一人でこの場所の恐怖に打ち勝つことが出来る人のみが、シェルノという『魔法使い』に悩みを解決してもらえると言うことか・・・。何だか自分がいいように操られているみたいで、何となくスッキリしなかった。だが門番の若者の言葉は正しい。悩み事を解決するのに楽な道なんてない。
 
「行くしかないか・・・。」
 
 気乗りはしなかったが、それでも私はもう一度前に出て壁に触れた。そしてまた、その不気味な声は聞こえてきたのだった。頭の奥に・・・。
 
 −−だが、お前はどう思っているのだ?
 −−お前は誰のために剣を振るっているのだ・・・?
 
 最初に聞こえてきた言葉はなんだっただろう・・・。私が王国剣士となって、かなりの時が経ったと・・・。そして立派なことだと褒め称えられている・・・。そんな言葉だったような気がする。それに対してどう思っているかと言うことなら、何が立派なのかよくわからない。カインと私のコンビが「剣士団の精鋭の中の一組」とまで言われるようになれたのは、私達だけの力ではない。失敗ばかりしてその度に先輩達に支えられながら、なんとかここまでになれたのだ。では私が剣を振るうのは・・・誰のためなのだろう。その答によって右に行くか左に行くか決まるのだろうか。でもどうすればその『進むべき道』が判るのだろう・・・。
 
 とりあえず右の道へと進んでみた。やはり道しるべらしきものは見あたらない。その代わり、壁に触れてもいないのに頭の奥に『声』が聞こえてきた。
 
 −−自分のため・・・か・・?
 −−お前は・・自分のために・・
 −−王国剣士として戦っているのだな・・?
 
 またぞわりと鳥肌が立ち、私の歩みは止まった。これまでに頭の中に聞こえてきたどの声よりも、不気味にその声は響いてくる。私は一度来た道を戻った。弓を持つ手が震えている。とにかく気を落ち着かせなければ、何も考えられない。分かれ道の手前まで戻り、何度か深呼吸をしているうちに心臓の音が静まってきた。そして改めて先ほどの『声』の問いかけについて考えてみた。
 
『私は誰のために剣を振るうのか』・・・・。
 
 誰のために・・・。自分のためだろうか・・・。私自身のために・・・そうではないような気がする。では他の人々のため・・・?どっちなのだろう・・・。
 
 他人のためにひたすらに剣を振るっていると言い切れるほど、私は義人ではない。王国剣士となって、たくさんの人達に鍛えてもらって、自分の腕が上がっていくのはとても楽しみだった。それを考えれば、私が剣を振るうのは自分のためといえるかも知れない。王国剣士の試験を受けようと思った時だって、最初はセディンさんに聞いて、住む場所と食事に困らないかも知れない、程度のことしか考えてなかった。でもそのつもりで王宮の前まで行き、決心がつかずに城壁の外まで出て・・・思いがけず親子連れを助け、ティールさんとセルーネさんに出会って・・・。国民の盾となって危険に身をさらすことになっても悔いはないと思えたのは・・・ライザーさんが父を信じてくれると、きっぱりと言ってくれた時だったような気がする。そして少しでも、この世界をいい方向に変えていけたらと、思った・・・。
 
 そう考えるとやはり他人のためなのだろうか・・・。自分の考えに今ひとつ自信が持てない。少しずるい手段かとは思ったが、私は思いきって左側の道に進んでみた。きっとここでも『声』は聞こえてくるはずだ。
 
 −−自分以外の人々のため・・・?
 −−お前は・・大地や人々のために剣を振るっている・・・。
 −−・・そう言い切れるのだな・・?
 
 思った通り、右の道とはまた別の声が聞こえた。背中に冷水を浴びせられるような寒気に耐えながら、私はもう一度分かれ道の手前まで戻った。声が聞こえた場所にそのまま立っていたのでは、恐怖が先に立ち頭が働かないのだった。
 
(自分のため・・・他人のため・・・)
 
 頭の中で同じ言葉がぐるぐると回る。その輪の中に、今までに出会った人達の顔が次々と浮かんでは消えていく・・・。
 
 私は腹を決めた。
 
 深呼吸して左側へと歩を進める。不思議なことに声はもう聞こえてこない。チャンスは一度、聞き漏らしてしまえばそれまでだ。こちらの真剣さの度合いまでチェックされていると言うことか。目の前の道は、またまっすぐに続いていた。それなのに、やはりいきなり道が途切れ、今度は階段が現れた。
 
(ここを昇れって事なのかな・・・。)
 
 さっきの分かれ道で随分と時間がかかってしまった。私は早足で階段を昇った。またまっすぐに道が延びている。そういえばさっきの白い影はどうしたのだろう。『声』の恐怖に気を取られ今まで忘れていたが、あの影もここに来ているのだろうか。それとも私が行かなかった反対側の道に行ってしまったのだろうか。
 私は歩き出した。するとまた遥か前方で白い影が動いた。やはりここにいたのか・・・。今度こそ逃すまいと、私は必死で走った。だが、またしてもいきなり現れた壁に阻まれた。
 
「なんでまたこんな壁が・・・。」
 
 いくら闇の中で距離感が狂ったとは言っても、同じようなミスを二度もおかすような訓練は受けていない。私は試しに壁を思いきり叩いてみた。間違いなく本物の壁だ。手が痛い。その時また頭の奥に声が響いてきた。
 
 −−お前の父サミルは・・働いてもいないのに大金を持っていた・・。
 −−しかもサミルは王国に追われた挙げ句・・・
 −−名も無き辺境の島での暮らしを余儀なくされた・・・。
 −−お前の父親は罪人なのか・・?
 −−あるいは・・お前が守るエルバール王国に悪が潜んでいるのか・・?
 
 父の持っていたお金・・・。あの島で20年近く私を育て、島の人達の医療の一切をまかない、さらに500Gもの大金を遺した。一体父はどれだけのお金を持っていたのだろう・・・。そして手紙の中にあった『昔の大きな罪』・・・。私は父が罪人であるなど信じない。では・・・。私は右の道をとった。また声が響く。
 
 −−やはり・・サミルは・・
 −−サミルは、過去に何らかの罪を犯している・・。
 −−そう考えているのだな・・?
 
「違う!父さんがそんなことをするはずがない!」
 
 私は思わず叫んでいた。そして踏み出しかけた道を引き返した。これだけは譲れない。たとえ王国の全ての人が父を罪人と認めたとしても、私は父を信じる、何があっても・・・絶対に信じる!心の中で何度もその言葉を繰り返しながら、左への道に足を踏み入れた。その途端、また声が響いてきた。
 
 −−幸せに包まれた王国・・・
 −−だが・・その陰には・・
 −−かつて何らかの形でサミルを陥れた者が・・!?
 −−パーシバルは・・・
 −−パーシバルは何かを知っているのか・・?
 
「どうして父さんが・・・誰かに陥れられなくちゃならないんだ・・・。」
 
 息子の欲目抜きにしても、父はとても誠実な人だったと思う。実際、島の人達みんなにとても信頼されていた。病気や怪我ばかりでなく、島の人達は様々な相談事を父に持ちかけてきたし、長老でさえ島の重要な問題について、父の考えを聞きに来たりするほどだった。陥れられ『世捨て人の島』に隠棲しなければならないほどの、いったいどんな罪が父にあるというのだ!?
 
 剣士団長は間違いなく何かを知っている。きっとブロムおじさんも・・・。そして多分・・・レイナック殿も・・・。南大陸の講義を受けていた時、私を見つめたあの瞳・・・。戸惑い、悲しみ、苦しみ・・・彼らはいったい、何を知っているのだろう・・・。
 
 道の先にはまた階段がある。今度はいきなりではなく、少し手前からでもその存在を確認することが出来た。そしてここまで来てようやく、自分が恐怖を忘れて『声』に聞き入っていたことに気づいた。父に関する話が出たことで、恐怖などどこかに飛んでしまったようだった。最初にドランさんのあんな話を聞いて、ここに足を踏み入れた当初から腰が引けていた。そしてあの声が、まるで誰かの心の声が聞こえたように頭の中に響いてきたことが、さらに私の恐怖心を煽ったのだろうか。
 
(怖い怖いと思ってるから・・・まったく情けないな・・・。)
 
 ため息をついて、私は階段を昇った。さっきの白い影は現れない。どこかに行ってしまったのだろうか・・・。
 
 次の階は思った通り、また似たような階だった。道はまっすぐに伸びている。歩いていくと白い影が遥か先を横切り、追いかけていくと途中でいきなり壁が現れ、道は二つに分かれていた。
 
(また声が聞こえるんだろうな・・・。)
 
 恐怖心は薄れていたが、それでも下の階で聞いた声を思い出すと背筋がぞくりとした。もう二度と聞かずにすむのなら、それに越したことはない。でもきっとそううまくはいかないんだろう。半ばあきらめの境地で、私は分かれ道に進み、壁に向かって手を伸ばした。あとほんの少しで壁に触れるというのに、なかなか手が動いてくれなかった。どうやら恐怖は完全に去ったわけではないらしい。心の中で『エイ!』とかけ声をかけて手を伸ばした。壁に指先が触れた瞬間、その『声』は聞こえてきたのだった。
 
 −−夢で見たこと・・覚えているだろう・・?
 −−船が・・・船が沈んでいったよ・・・。
 −−お前に別れを言う声・・・あれは・・・!?
 
 あれは・・・誰だったのだろう・・・。あの夢を見たのは、剣士団長と故郷の島へ行く日の明け方だった。そして島に着いた時、ブロムおじさんが嵐の中を船出したと聞いた・・・。左への道を行こうとすると、またも声が響いてきた。
 
 −−ブロムは・・
 −−ブロムは・・お前を守るため・・
 −−城下町附近まで付いていき・・
 −−そして王国の手の者に見つかった・・。
 −−沈没する船から別れを言う声は・・ブロムなんだよ・・。
 −−お前さえいなければ・・ブロムも死なずにすんだのになぁ・・。
 
 おじさんが死んだ?あの夢の中で沈んでいった船の中には・・・おじさんが乗っていたと・・・。あの時・・・夢の中で聞こえてきた声・・・。
 
 −−アア・・・モウイチドオマエニアイタカッタ・・・−−
 
 −−サヨナラ・・・サヨナラ、くろーびす・・・!−−
 
 あれがブロムおじさんの・・・・それではおじさんは私のせいで・・・・。私がおじさんを追いつめた!?私がおじさんを死に追いやった!?・・・・・・・いや・・・・違う!!
 
「嘘だ!そんなことがあるもんか!」
 
 思いきり頭を振って不吉な考えを振り払った。そんなはずはない。私の夢が全て正夢ではないはずだ。全てが他人の追体験ではないはずだ。きっとおじさんは生きている。そう信じよう・・・。心を決めて左への道に背を向ける。右側の道に入ると、また声が響く。
 
 −−夢なんか・・
 −−夢なんか・・信じないのだな・・・?
 
「ああ信じない!おじさんは死んだりしない!!絶対に生きているんだ!!」
 
 声に出して叫びながら、同時に心の中でも叫んでいた。信じるものか・・・!おじさんは絶対に生きている。きっとどこかの地で元気に暮らしている。そう自分に言い聞かせながら、道の先にある階段を駆け上がると、やはりここも似たような階だった。この道はいつまで続くのだろう。
 
「いったい何なんだここは!」
 
 昇って昇っても現れる分かれ道。聞こえてくる不気味な声。苛立ちに任せて怒鳴りながら、私は思わず膝をついた。本当にこのままここから出られないような気がしてきた。頭の中が真っ白になり、しばらくの間そこにしゃがみ込んでいた。
 
 どのくらい時が過ぎたのか、寒気を覚えて我に返った。辺りは物音一つしない。自分の心臓の音までがはっきりと聞こえそうなほどだった。頭にのぼっていた血がひいてくると、今度は自分が情けなくなった。ここでいくら苛立ってわめいてみたところで、何の解決にもならない。
 
(こんなところで時間を無駄にするなんて・・・ばかだな・・・。)
 
 我が身の愚かさにため息をつきながら、私は立ち上がった。ここに来ることを選んだのは、他ならぬ私自身なのだ。この迷路を通らなければ『夢見る人の塔』へは行き着けない。そこに行けなければあの夢の意味も判らない。あの闇の中で、自分を殺せと呼びかけるものの正体も・・・。
 
 私の脳裏に、あの不気味な夢が甦った。
 
 −−わ・・・た・・し・・・・を・・・・・・・
 −−殺・・・し・・・・て・・・・
 
 『私を殺して』
 
 あの夢の中で唯一、やっとのことで聞き取れる言葉・・・。この場所に足を踏み入れてから、私はずっと恐怖にとらわれている。このままここから出られないのではないかという恐怖。このままここで死んでいくのではないかと思える恐怖。父のことで頭に血が上り、一度は薄らいだその恐怖は、ブロムおじさんが私のせいで死んでしまったかも知れないという思いで、またふくれあがった。いやになってイライラしてわめいて・・・。それでも恐怖は消えてはくれない。
 
 ではあの声は・・・。私に自分を殺せと懇願する声の主は・・・怖くないのだろうか・・・。喜んで私に殺されるのを待っているのだろうか・・・。そんなはずはない。どんな生き物だって死ぬのは怖い。それなのにあの声は、私に自分の命を絶ってほしいと願っているのだ、自分から・・・。それはいったい、どれほどの恐怖なのだろう・・・。
 
 私はもう一度深呼吸した。そして闇の中へと延びる、目の前の通路に視線を戻した。この先どんな質問が聞こえても、自分の心に正直に答えよう、もう二度と苛立ったり逃げだそうとしたりしない、そう心に決めて再び歩き出した。前方の暗闇に目を凝らし、一歩一歩慎重に歩を進めた。またあの白い影が現れるかも知れない。
 
 しばらく歩いた頃、いきなり壁が現れた。今度は通路の先に白いものは現れなかった。ずっと暗いところにいて感覚が鈍ったのだろうか。それとも、私が選ばなかった通路の先に行ってしまったのだろうか。でも、もしまた現れても、もう追いかけようとは思わなかった。私は矢を矢筒に戻し、弓を担ぎなおした。そしてゆっくりと壁に近づき手を触れた。『声』を聞くために・・・。
 
 −−まだ若く、十分に元気だったのに・・
 −−お前の父親サミルは・・病気で唐突に死んだ・・。
 −−結果的に・・・
 −−お前は単調な世捨て人の島での暮らしにピリオドを打ち・・
 −−王国剣士としての人生を開いた・・。
 
 確かに・・・父が亡くなったことで、私の人生は大きく変わった。今の私は、王国剣士として生きていく以外の人生など考えられない。そういえば、島を出る前、長老も言っていた。
 
『あるいは、サミルの死はお前にとってちょうどいい人生の岐路になったのかもしれんな・・・。』
 
 だがそれはあくまでも結果論ではないのか。だからといって父の死がいい方向に働いたなどと考えたくはない、絶対に・・・。
 
「あのまま・・・死ぬまで島から出られなくたって・・・父さんが生きてたほうがよかったんだ・・・。もっともっと・・・一緒にいたかったんだ・・・。」
 
 父が生きていたって、私は島を出ることになったかも知れない。父は元気だった時からずっと、私に王国で暮らさせてやりたいと言っていたと、ブロムおじさんが話してくれた。王宮の中でも誰にも父のことを隠す必要がなく、休暇をもらって故郷に帰って、王国で見聞きしたことをいろいろと父に話して聞かせることが出来たら・・・コンビを組んだカインのこと、オシニスさんやライザーさんのこと・・・。ライザーさんの話をしたら、きっと父は喜んだに違いない。そうしたらどんなにかよかっただろう・・・。
 
 頬を涙が伝って落ちた。こらえようとしたのにあとからあとから流れ落ちてくる。私は少しの間だけその場に立ち止まり、父を思って泣いた。
 
 ひとしきり流れ続けた涙が止まった時、私はなぜか右の道に強く引きつけられた。見えない何かに導かれるように、私は右へと歩き出した。
 
 −−何か・・奇妙な夢を見た気がする・・・?
 −−サミルとブロムが言い争っていた・・・?
 −−そう言えば・・サミルは・・・
 −−死の一年前・・・長いこと家を空けていた・・・。
 −−いったい・・・サミルは、どこで何をしてきたというのか・・?
 −−サミルの死は自然死ではない・・・!?
 −−そんな・・・バカな・・・!?
 −−だが・・何か隠していたことは確かだ・・・。
 
 父の死が自然死ではないと、私はずっと疑っていた。いや、今もそう信じている。私は迷わずこの道を歩き出した。何となく、反対側の道でどんな声が聞こえるのか解るような気がした。私をこの道に導いたあの不思議な力は、いったい何だったのだろう。父が導いてくれたのだろうか。それとも、彷徨の迷い路の入口を夢で探り当てたように、父の死に疑念を抱く私自身の心がこちらの道に引き寄せられたのだろうか・・・。
 
 道の先にあった階段を上がると、風景が少し変わった。壁や床の色が下の階と少し違っている。それでもいきなり壁が現れることや、聞こえてくる声があるのは同じだった。
 
 −−南大陸に来てから・・いつも恐ろしい夢を見る・・。
 −−今まで人の記憶が垣間見えることはあった・・
 −−だが、あの夢は違う!!
 −−何者かがお前に頼んでいるのだ・・
 −−「私を殺せ!!」・・と。
 −−そして・・大地の竜セントハースとの戦い・・。
 −−あの竜は・・まるでお前を狙っていたかのようだった・・。
 −−そして・・十分に余力を残して去っていった・・。
 −−いったいなぜなのだ・・!?
 
 私を殺せと叫ぶ謎の思念・・・。クロンファンラで襲ってきたセントハース・・・。泉のオアシスにいた語り部が言っていたように、まったく関係ないと思えるこの二つの出来事は、繋がっているのだろうか・・・。そしてセントハースは・・・なぜクロンファンラにやって来たのだろう・・・。私があの時あそこにいたから・・・?まさか・・・そんなことが・・・。
 私は必死で不吉な考えを頭から追い出そうとした。そして左への道を踏み出そうとした私の頭にまた声が響いてきた。
 
 −−何もかもに関わりたくない・・・。
 −−何も考えずに平凡に生きよう・・。
 −−何かに巻き込まれるのは御免だ・・・。
 
「何も考えずに・・・平凡に・・・か・・・。いまさら・・・」
 
 何も考えず平凡に生きていけるのなら、私は最初から王国剣士になどならなかった。どこかの道具屋か雑貨屋にでも住み込みで雇ってもらって、荷物運びなどをしながら少しずつ商売を教えてもらって・・・そうして生きていけばよかったのだ。今さらそんなことは考えていない。私は今踏みだしかけた道に背を向け、右への道を歩き出した。
 
 −−自分には・・
 −−自分には何か他人には無い力がある・・?
 −−あるいは・・それ以上の・・
 −−重い宿命を背負っているのか・・・?
 
 私は普通の人間だ、どこにでもいる・・・。そんな不思議な力など持っているはずがない、ましてや重い宿命など・・・。そう思う心の一方で、今までに見た数々の不思議な夢がちらちらと踊っている。あの夢がみんな、偶然見ただけのただの夢だったとは思わない。今ここにいるのだってあの不気味な夢のせいだ。でもだからと言って、生まれてから21年間ごく普通の人間として暮らしてきた自分が、特別な力を持っているなどとは信じられない。そのことも、『夢見る人の塔』へ行き着ければ判るのだろうか・・・。
 
 考え込みながら歩いていた私の目の前に階段が現れた。そしてその階段の先には大きな扉がある。
 
(これで質問事項は終わりってことか・・・。)
 
 どうやらここが『彷徨の迷い路』の終点らしい。ここに辿り着くまでに、どれくらいの時間がかかっているのだろう。カインとウィローはどうしているだろう。きっと心配しているに違いない。もしかしたらカインは『遅いぞ!何やってんだ、あいつ!』なんて言いながら、怒っているかも知れない。そしてウィローは・・・心配してくれているだろうか・・・。早く二人のいる場所に帰りたかった。それも逃げ帰るのではなく、夢の原因を突きとめて、胸を張って『ただいま』と帰りたかった。目の前の階段を昇れば、その希望はかなえられるはずだ。
 
「よし!」
 
 かけ声をかけて階段を上がり、勢いよく扉を開けた。その途端、目の前がぱっと明るくひらけ、暗闇になれてしまっていた私は目が眩み、あやうく階段から落ちるところだった。眼をつぶったまま一度手で眼を覆い、手のひらの中でゆっくりと開けた。指の隙間から辺りを窺い、目が慣れてくるのを待って扉から出た。改めてまわりを見渡すと、そこはどうやら建物の中らしかった。王宮ほどではないが、柱や床や壁は全て装飾が施され、美しく磨き上げられている。そして部屋の中央に立っているかわいらしい娘がぺこりと頭を下げた。
 
「『夢見る人の塔』へようこそ。」
 
「ここが・・・?夢見る人の塔なんですか?」
 
「はい。シェルノ様はこの塔の最上階におられます。」
 
「そうですか。ここに来るまでに聞こえてきた声は・・・あれはシェルノさんという方の声なのですか・・・?」
 
「あの声のことは・・・最上階へ行くまでに塔の者に聞いてごらんなさい。教えてくれるでしょう。さあ、あちらの階段からどうぞ。」
 
 娘はそう言って階段を指し示し、にっこりと笑った。階段の手前に佇む女性がいる。私よりはかなり年上に見える。その女性はゆったりと振り向き私にむかって微笑んだ。
 
「夢見る人の塔へようこそ・・・。」
 
「こんにちは。」
 
「夢の解明に来られたのですか・・・?」
 
「は、はい・・・。」
 
 どうして知っているのかと不思議に思った。それが顔に出たらしい。女性は微笑むと、
 
「ここに来られる方は皆そうですよ。不気味な夢に悩まされ、自分が何者なのか判らないとおっしゃられます。自分は何で自分なのだろう・・・自分は一体どこからきたのだろう・・・。誰だって一度は、そう考えることがあるものです。心、気持ち、意識、思い・・・様々な呼ばれかたをしますが・・それらがいったい何なのか、いまだ解明されていないのです。」
 
「思い・・・ですか・・・。」
 
「そう、とても不思議なものです。」
 
 人が人を好きになると言う感情も、やはりその正体は解らないものなのだろうか・・・。ふと、ウィローの顔が浮かんだ。カナに戻らずに、私のためにこんな西の果てまで来てくれた。私が帰るまで待っていると言ってくれた。ウィローの心が私になくても、そんなことはどうでもいい。ただ彼女が愛しかった。
 
 階段を上がると、そこにも人がいる。振り向くと挨拶も無しにいきなり話しかけてきた。
 
「生死の狭間をさまよい、奇跡的に回復した後、不思議な力に目覚めるという例は数多いのです。人間が極限状態を体験したとき、普段は眠っている能力が覚醒するということなのでしょうか。」
 
 まるで自分のことのようだと、思いながら私は聞いていた。昔私がかかったという重い病気・・・。それがなんなのか、どんな病気だったのか、私は知らない。女性は言うだけ言うと、また持っていた本に視線を戻し、読み始めた。その後ろ姿に父の面影が重なった。父もよく、本を読んでいて突然大きな声で話し始めることがあった。家の中には父と私しかいないのだから、当然自分が話しかけられているのだろうと慌てて返事をしても、父は喋るだけ喋るとまた本に視線を戻す。あとで聞いても自分が喋ったことも憶えていないなんてことはしょっちゅうだった。父は医者と言うより『学者』的な面を持っているなあと思ったことを憶えている。この女性もそう言うタイプなんだろうな、そんなことを考えながらまた階段を上がろうとすると、その近くにも人がいることに気づいた。まだ若い女の子だが、一心に本を読んでいる。せっかく集中しているのに声をかけるのも悪いかと、そっと階段を上がろうとしたが、女の子のほうが私に気づいた。
 
「こんにちは。シェルノ先生に会いに来られた方ですね?」
 
「先生・・・?」
 
「そうですよ。あなたは・・・夢の解明に来られたのよね?」
 
「は、はい・・・。」
 
「そう・・・。その圧倒的な治癒力ゆえに、世間ではシェルノ先生のことを魔法使いだなどと言っているわ。でもね、そもそもこの世界には自然の力を利用した『風水術』はあっても、おとぎ話にでてくるような『魔法』なんて存在しないもの。シェルノ先生は『心理学者』という職業なの。そしてここはそのための研究所なのよ。」
 
「心理学者・・・?」
 
「そうよ。ここは『夢見る人の塔』と呼ばれているけど、本当の名前は、『シェルノ心理学究所』というの。でも誰もそう呼んでくれないわ。だから塔の者達も最近では自分から、『夢見る人の塔へようこそ』なんて言うのよ。でも魔法使いだなんて言われるほどの力があるなんてすごいことよね。私はシェルノ先生に憧れて、あの方のような心理学者になろうとここに住み込みで勉強を始めたの。」
 
「力・・・?シェルノ先生というのは何か変わった『力』を持っているの?」
 
 私の問いかけに女の子は『しまった』というような顔をした。
 
「ごめんなさい。私いつもこんな言い方して叱られるの。『力』と言うんじゃないんだけど・・・うーん・・・なんて説明すればいいのかなぁ・・・。」
 
 女の子は考え込んでしまった。何だか気の毒になって、私はその場を離れることにした。
 
「会えばきっと判るよ。君も勉強がんばってね。」
 
「ええ、ごめんなさいね、ちゃんと説明できなくて。それから、ありがとう。あなたの夢が解明されて、心の重荷がなくなるように祈っているわ。」
 
 女の子はにっこりと笑うと、また本に視線を戻し読み始めた。心理学者・・・。私も魔法などは信じていなかったが、そんな職業の人がいることもよくは知らなかった。『学者』とつくところを見ると、シェルノさんという人もまた父のようなタイプなんだろうか。
 
 次の階に行くと今度は青年がいた。歳は私より少し上くらいだろうか。
 
「こんにちは。」
 
 にこにこと愛想よく声をかけてくれる。
 
「こんにちは。あなたも・・・心理学者を目指しているのですか?」
 
「ああ・・・下の階の娘に聞いたのですね。僕は違います。以前シェルノ様に心の病を治していただいてから、ここで少しでも皆さんのお役に立てればと思いまして、研究のお手伝いをさせていただいております。」
 
「そうですか・・・。」
 
「あなたは・・・未来の出来事を夢で見ていたことはありますか?」
 
 青年の問いに、私はあの船の夢を思いだしていた。あれは・・・未来の夢・・・?それとも起こった出来事・・・。いや、違う。あの夢にはきっと意味などない・・・。
 
「いいえ。」
 
「そうですか・・・。文明の発達とともに、人々の予知能力は、薄れていったといわれますからね。」
 
 青年は残念そうに首を振った。
 
「予知能力も心理学の分野なんですか?」
 
「少し違いますが・・・心理学とはつまり、人の心についての学問ですからね、人が頭の中で考えることは、どんなことでも関係があるものだと僕は考えているのです。でも・・・もしも未来の出来事が見えたとしても、何かいいことがあるとも思えないんですけどね。明るく楽しい未来ばかりとは限らないでしょうからね。」
 
「そうですね・・・。」
 
「未来の出来事なんて、わからないから楽しいんですよ。さあ、元気を出して上の階へどうぞ。」
 
 青年に別れを告げてまた階段を上がった。そこにも若い女性がいて、何か調べものをしていた。私に気づくとやはり愛想よく声をかけてくれた。
 
「こんにちは。夢の解明に来られたのですね。」
 
「・・・はい・・・。」
 
「あなたは『テレパシー』という力をご存じですか?」
 
「聞いたことはあります。」
 
 私の答は女性が期待していたものだったらしい。うれしそうに、にっこりと笑った。
 
「いくつかの動物にはテレパシーの力があります。これは高周波の波動をやりとりするものですが、人間にも時々『虫の知らせ』のようなことが起こりますよね。これは、なんらかの『思い』が、『思念波』となって届き、感知されるためだといわれます。」
 
 思念波・・・。私が見ていた夢は、もしかしたらみんな、その思念波が届いていたものなのだろうか・・・。でもどうして私に届けられたのか・・・。どうして・・・私でなければならなかったのだろう・・・。
 
「でも嬉しいわ。ここにはそんなにお客様がいらっしゃるわけではないし、テレパシーと言っても全然ご存じない方のほうが多いの。聞いてくださってありがとう。」
 
「あなたは・・・その思念波について研究されているのですか・・・?」
 
「そうです。こういった精神的なものは、形として見えないものだから、なかなか理解してはもらえないの。でも生きているうちに色々と考えたり思ったりしたことが、死んでしまったら何も残らないなんてことはおかしいって思ったことがあって・・・。下の階で『思い』とか『心』の話をしている人がいませんでした?」
 
「一階にいた方ですか?」
 
「そうそう。私は彼女と協力して、テレパシーや人の心についていろいろと研究しているの。でもシェルノ先生に比べたらまだまだだから、もっと勉強しなくちゃならないわ。」
 
 女性は笑顔でそう言うと、また本を読み始めた。
 
 次の階に行くと、そこは大きなひとつのフロアだった。壁には本棚が立ち並び、そこで若い女性と老人が座って本を読んでいた。この人達もこの塔の研究者なのだろうか・・・。女性が立ち上がって私に近づいてきた。
 
「こんにちは。彷徨の迷い路を通ってこられた方ね。あの中で聞いた声の正体は解りましたか?」

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