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第20章 別れ 後編

 カインと私の南大陸行きが決まった時、剣士団長が私達を鍛えるために選んでくれた先輩達を『剣士団の中でも精鋭中の精鋭』だと言っていた。その中にはユノの名前はなかったが、国王専任護衛剣士の腕は誰もが認めるところだ。その人達が今ここに一堂に会して、私達二人のために訓練をしてくれる。おそらくは普段なら願っても叶わないようなチャンスだ。もう今日しかない。何としても彼らから学べるだけ学ばなくてはならない。
 
 やがて立合いが始まった。一昨日、オシニスさん達のコンビにランドさんが加わっただけでかなりきついと思ったが、今日はそれどころではない。副団長にティールさんセルーネさんの組がいきなり同時に突進してきたり、その防戦にまわっている間に後ろからオシニスさん達が斬りつけてくる。それをかわせばポーラさんの槍が突き出され、セスタンさんの剣が振り下ろされる。それでも、カインも私もいつの間にか、ほんの少しの気配だけでどこから攻撃が飛んでくるか、わかるようになっていた。以前南地方に迷い込んでオシニスさん達に助けられた時、歩きながら二人がモンスターを蹴散らしていくさまを見ていると、まるで前だけでなく背中にも眼があるんじゃなかろうかと真剣に疑いたくなったことがあった。だが自分達もそうなりつつあるらしい。昼近くになって剣士団長が訓練場に姿を現した。
 
「今日は早めに上がれ。夕食後、俺の部屋に全員で報告に来るように。」
 
「わかりました。」
 
 副団長が返事をしたとき、ちょうどお昼になった。以前立合いのあと食欲がなくなって倒れたりしたが、今日はかなり腹が減っている。食べる元気があるなら午後も大丈夫だ。食堂に着くなり、カインは大盛りをもらって猛然と食べ始める。あっという間に平らげてまた大盛りのおかわり。さすがに私にはそこまで食べることは出来ない。
 
「いやぁ、食った食った。」
 
 カインは満足そうに自分の腹の辺りをさすっている。
 
「私の3倍くらいは食べたみたいだね。」
 
 私はカインをからかうように見た。
 
「あれだけ動けば腹も減るさ。お前は?この間みたいに顔色は悪くないし、結構食ってるな。これなら午後も大丈夫だな。」
 
 カインは心配してくれていたらしい。
 
「そりゃそうだよ。南大陸に行ったら誰の助けもあてに出来ないんだから。自力で頑張らなくちゃ。倒れてる暇なんてないよ。」
 
「そうだな・・・。」
 
 そんな話をしている横のテーブルで、ユノが一人で食事をしている。彼女がここで食事をしているところなど初めて見た。いつもフロリア様のそばに常駐しているのだから、別にそちらで食べてもよかったのだろうが、なぜか今日は食堂に来ていた。食堂のおばさんはユノを見るとにっこり笑って、
 
「おやまあ、久しぶりだね。またここであんたが食べてくれて嬉しいよ。」
 
 そう言って食事を乗せたトレイを手渡していた。ユノの瞳からは、あの冷たい光はすっかり消えていた。今はまだ、彼女に話しかけようとする人はほとんどいなかったが、いずれはみんなと打ち解けて話をしてくれるようになるのではないか、そんな期待を抱かせるほど、その眼は穏やかだった。本当なら、そんなことは私が心配することじゃない。ユノにとってはよけいなお世話もいいところだろう。でも私は彼女の優しさを知っている。カインが以前言っていたように、他の人達はそれを知らないのだ。私はみんなに、ユノのことをもっと知ってほしかった。
 
 午後の訓練が始まった。私達は食事をして体を休めて、すっかり疲れは取れていたが、それは他のみんなも同じだった。一斉に繰り出される剣や槍を避けながら、相手の懐に飛び込んだり、背中にまわって蹴飛ばしたりと、私達はとにかく思いつくかぎりの戦法で立合いを続けた。
 
「よーし、そろそろ飯の時間だから、このくらいであがるか。」
 
 オシニスさんの声で皆武器を降ろした。誰一人口を開こうとしない。これほどたくさんの人達がいるのに、訓練場の中は静まりかえっていた。
 
「カイン、クロービス、どうだ・・・?大丈夫だな・・・?」
 
 沈黙を破ってオシニスさんが口を開いた。
 
「はい。」
 
 意識して、出来るだけきっぱりと返事をした。彼らが私達に手を貸してくれることが出来るのはここまでだ。不安な顔を見せたくはなかった。
 
「大丈夫です・・・。3日間・・・ありがとうございました。必ず・・・任務を遂行して戻ってきます。」
 
 カインも私も、お礼を言いながら涙が滲んだ。
 
「では私は失礼する。」
 
「待て、ユノ。」
 
 私の後ろにいたユノが、入口に向かって歩き出しかけたが、セルーネさんに呼び止められ、立ち止まって振り向いた。セルーネさんはゆっくりとユノの前に歩み寄り、肩に手をかけた。
 
「ご苦労だったな。お前が加わってくれたことで、この二人もかなり勉強になったと思うよ。」
 
「・・・フロリア様のご命令だから私は来たのです。それだけです。」
 
 口調は素っ気なかったが、冷たい雰囲気は全くなかった。セルーネさんはユノの顔をじっと見つめ、微笑んで言葉を続けた。
 
「そうだとしても、お前が嫌々ここに来ていたのなら、適当にこいつらをあしらって終わらせることも出来ただろう。だがお前は力の限り、この二人の相手をしてくれた。正直言うと、フロリア様の護衛剣士になってからのお前は、何となく私達から遠ざかってしまったような気がしていたんだ。ずっと乙夜の塔から出てこないし、訓練場にだって滅多に顔を出さなくなったしな。でも、そんなことを考えていた自分が恥ずかしくなったよ。やっばりお前は私達の仲間だ。」
 
 セルーネさんはすっと右手を差しだした。
 
「お前にとっても私にとっても、この二人は大事な後輩だ。こいつらは明日は出掛けてしまうが、これからはもっとここにも顔を出してくれ。入団したばかりの頃みたいにな。」
 
 ユノは少しだけ微笑んで、セルーネさんの手を握り返した。ユノが手を離して立ち去ってしまう前に、カインと私は慌ててセルーネさんの後ろからユノに声をかけた。今を逃したら、もう話す機会などないかも知れない。
 
「あ、あの・・・ありがとうございました。ずっと相手してくれて・・・嬉しかったです。」
 
「あの・・・ユノ殿・・・。俺にもお礼を言わせてください。ありがとうございました。今までずっと・・・ユノ殿のこと苦手だったけど・・・あ、あの、すみません。でも、今回のことはすごく勉強になりました。」
 
 ユノは黙って私達の言葉を聞いていたが、少しだけ微笑んだ。私にはそう見えた。セルーネさんが私達の後ろに下がり、ユノは私達の前に一歩踏みだしてきた。
 
「明日は南大陸だな・・・。」
 
「はい・・・。もうしばらく話す機会もないですね。」
 
「帰ってくればあるさ・・・。帰ってくるつもりがないのなら話は別だが・・・。」
 
「帰って来ます。必ず、ここに・・・!」
 
「そうだな・・・。」
 
「お世話に・・・なりました。」
 
 私達は右手を差し出した。そのまま無視されるかも知れなくても、ただ手を差し出したまま黙っていた。ユノはゆっくりと手を差し出し、カインと私の手をかわるがわる握り返してくれた。
 
「ありがとうございました・・・。」
 
 ユノがやっとみんなに心を開いてくれたような気がして、嬉しくて涙が滲んだ。そんな私を見つめるユノの顔が一瞬だけこわばり、瞳の奥が揺れたような気がした。だがすぐに元の表情に戻った。この時の彼女の表情の変化にどんな意味が含まれていたのか、この時の私は知る由もなかった。
 
「ユノ、俺からも礼を言うよ。3日間ありがとう。」
 
「カインとクロービスの訓練は今日までだけど、また顔を出してくれないか。君は僕達の仲間なんだからね。」
 
「君の腕前をもっと披露してくれよ。乙夜の塔に隠しておくなんてずるいよ。」
 
「そうそう。君は槍使い達の師匠みたいなものなんだからね。」
 
 オシニスさん達やキャラハンさん達がかわるがわるユノに声をかけた。ユノはみんなを見渡し、眩しそうに眼を細めると、
 
「機会があれば来るさ。」
 
言いながら微笑み、くるりと背を向けて訓練場を出ていった。ここにいた誰もが、今ユノを仲間として認めていた。けむたい存在の護衛剣士としてではなく。ユノは明日から、またここに来るだろうか。みんなと打ち解けてくれるのだろうか・・・。
 
「・・・ユノは変わったな・・・。いい顔をするようになったよ・・・。」
 
 セルーネさんが小さくつぶやいた。
 
「クロービス、お前のおかげかも知れないな。」
 
「私は・・・何もしてないです。」
 
「いや、お前のおかげなんだろうと思うよ・・・。あいつには、そばにいてくれる人間が必要だったんだ。でもみんなあいつをけむたがって近寄ろうともしなかった。お前が時々、中庭でユノの手伝いをしていたことは知ってるよ。お前とユノとの妙な噂のこともな。」
 
「でも私は・・・。」
 
「勘違いするな。お前にその気がないのは見ればわかるさ。ユノにとっても、お前なんて弟みたいなもんだろうな。別に男と女でなくたっていいんだ。友人として、帰ってきたらまたユノの話し相手になってやってくれ。」
 
「わかりました。」
 
「さてと、話が決まったところで、そろそろ夕飯だな。」
 
 副団長の声で、皆ぞろぞろと食堂への移動を始めた。カインと肩を並べて歩きながら、背中に刺すような視線を感じて思わず振り向いた。その先にいたのはステラだった。さっき訓練場で、カーナとステラは一言も口をきかなかった。彼女達だけは、ユノに対する警戒心を解いていないらしい。夕食後、私達は剣士団長の部屋にいた。ユノを除く全員が集まっていた。
 
「・・・では報告を聞こう。オシニス、カインとクロービスの仕上がりはどうだ?」
 
「大丈夫です。これなら、南大陸に行っても充分やっていけます。」
 
「・・・ふむ、グラディス、お前はどう思う?オシニスのやり方は手ぬるくはなかったか?」
 
「ははは、厳しすぎるくらいでしたよ。あの訓練でも倒せないモンスターなんて、南大陸にはいないんじゃないですか。私達が南大陸に行かなくなってから3年が過ぎますが、その間に向こうのモンスターがいくら狂暴になっていたとて、今のこの二人なら乗り越えていけるはずです。」
 
「そうか・・・。では皆ご苦労だった。カイン、クロービス、明日は南大陸へ旅立つわけだが、ここからロコの橋までもかなりある。そうだな・・・一度クロンファンラによって、南大陸で必要な食料などはそこで調達しろ。こっちから持っていくのは、ロコの橋のところに辿り着くまでの分でいいだろう。」
 
「わかりました。」
 
「・・・それから、お前達の中から一組に、この二人をロコの橋まで送り届けてもらう役目を申しつける。」
 
 一瞬部屋の中に緊張が走る。
 
「・・・セスタン・ポーラ組、お前達二人に、この二人の随行を申しつける。王宮からロコの橋まで、クロンファンラを経由して最短距離で送り届けろ。橋を渡る前にバテてしまったらなんにもならないからな。」
 
「わかりました。」
 
 セスタンさんは返事をしたが、ポーラさんはまた青ざめた顔で黙っている。
 
「ポーラ、お前は不服か?」
 
 ポーラさんが何か言う前に、オシニスさんが剣士団長の前に出た。
 
「剣士団長、俺達では駄目なんですか?俺達は、この二人とは何度か一緒に歩いたことがあります。だから俺達を行かせてください。」
 
「いや、私達が行こう。私達ならロコの橋付近はオシニス達やセスタン達よりも何度も歩いている。道もよく知っているから、私達の方が適任だと思いますが。」
 
 そう言ったのはセルーネさんだった。剣士団長は、オシニスさんとセルーネさんを交互に見ていたが、やがてくすくすと笑いだした。
 
「いや、お前達では駄目だ。」
 
「なぜです!?」
 
オシニスさんとセルーネさんが同時に声を上げる。
 
「お前達何を企んでいる?この二人を送っていって、いきなり灯台守を殴り倒してロコの橋を越えてしまおうなんて、考えているんじゃないだろうな?」
 
「い、いや、そんなつもりは・・・。」
 
 また二人で同時に口ごもる。昨日の夜、オシニスさんがそんなことを言っていたことを思いだした。まるで剣士団長はその時の話を聞いていたようだ。
 
「お言葉ですが剣士団長、セルーネが暴走しても私がいますし、オシニスが暴走すればライザーが止めるでしょう。そんなに心配するには当たらないと思いますが。」
 
 ティールさんが進み出た。剣士団長はティールさんのほうを向くと、またにやりと笑った。
 
「今回の件に限っては、そのストッパーは役目を果たさんと俺は思うがな。たとえばティールとセルーネ、お前達はクロービスが試験を受ける前に城壁の外で出会ったと言っていたな?」
 
「は、はい、それが何か?」
 
 二人ともきょとんとして剣士団長を見ている。
 
「その時の若者が剣士団に入団してくれて、二人とも嬉しかったんじゃないのか?」
 
「それは確かに・・・。私はクロービスに剣士団に入らないかとまで言ってしまいましたから。セルーネに文句を言われましたがね。」
 
「ふむ・・・。そのセルーネとて、クロービスの入団は嬉しかっただろう?」
 
「はい・・・。確かに、あれだけの腕を持つ若者がきちんと覚悟を決めて来てくれたのなら、これほど嬉しいことはありませんでしたから。」
 
「そうだな。お前達にとって、そのクロービスが、有望な新人の一人だったカインとコンビを組んで成長していく様は楽しみだったんじゃないのか?」
 
「それはもちろん。」
 
 間髪を入れず、二人は同時に返事をした。城壁の外で偶然出会った彼らが、自分をこれほどまでに高く評価し、また成長を見守っていてくれたことに、胸の奥が熱くなった。
 
「そしてオシニス、ライザー、お前達は、自分達と同じ研修を経て入団したこの二人がかわいかったんじゃないのか?」
 
「当然ですよ。俺はカインとは二度も研修で立合いをすることになったし、クロービスは俺達と同じ研修を見事にクリアして見せたし。何より、あれだけの腕を持つ新人が入ってきたのが嬉しくて仕方ありませんでしたよ。」
 
 言いながら、オシニスさんは私達をちらりと横目で見て、ニッと笑ってみせた。ライザーさんはいつもと変わらない穏やかな瞳を私達に向け、
 
「私は・・・充分な素質を持ちながら、それを伸ばす機会を与えられずにいたカインのことが気がかりで、一人の時によく訓練場で相手したりしていましたし・・・クロービスは・・・昔からよく見知っていて、自分のあとをついて歩いていたあの小さな子供がこんなに立派になって、しかも自分と同じ研修を受けて、それを見事にクリアして見せてくれましたから・・・。二人とも・・・何だか自分の弟のような気持ちでした・・・。」
 
言い終わると微笑んだ。この時私は、以前グレイが、ライザーさんは島を出るまで、私を弟のようにかわいがってくれていたと言っていたことを思いだした。そして剣士団に入ってからも、彼はいつもカインと私を気にかけていてくれた。何度も助けられた。彼らの暖かい言葉に涙が滲むほど嬉しかったが、それと同時に、これほど自分をかわいがってくれた人を、自分の独りよがりな思いで傷つけてしまったことが悔やまれてならなかった。
 
「・・・そうだな。お前達がこの二人をここまで育て上げたようなものだ。他の者達よりもこの二人に対する思い入れは強いと思うぞ。もしもセルーネやオシニスが暴走すれば、きっとティールもライザーも止めるどころか、迷わず加勢にまわると俺は踏んでいる。違うか?」
 
 剣士団長の言葉に、ティールさんとライザーさんは赤くなって顔を見合わせてしまった。この二人は本当にそんなつもりでいたのだろうか。赤くなった二人を見ながら、剣士団長は言葉を続けた。
 
「ま、ロコの橋の灯台守は、レイナック殿直属の部下だ。剣士団とはまた別枠で採用しているが、腕のほうはお前達にひけは取らん。そう簡単に殴り倒されたりはしないだろうがな。」
 
 剣士団長はまたにやりと笑ってみせた。その時、ずっと青い顔で黙っていたポーラさんが口を開いた。
 
「・・・つまり・・・彼らよりは私を信用してくださると言うことなのかしら・・・。」
 
「この中で、南地方の地理に精通して、なおかつ冷静に任務を遂行してくれるのはセスタン・ポーラ組だと俺は考えた。それが理由だ。」
 
 何となく皮肉めいたポーラさんの口調に、剣士団長は一瞬いたわるような表情を見せたが、すぐに元の顔に戻って冷静に言葉を返した。
 
「・・・そうですね・・・。私には、灯台守を殴り倒してでも南大陸へ行く勇気がないことは・・・実証済みですものね・・・。」
 
「ポーラ、そんな言い方をするな。剣士団長だってつらいんだ・・・。」
 
 セスタンさんが心配そうにポーラさんの肩に手をかけた。
 
「・・・大丈夫よ。わかりました。その任務・・・必ず遂行して見せますわ。」
 
 ポーラさんの挑むような視線に、剣士団長が目を逸らした。ほんの一瞬、二人の間に火花が散ったような気がした。
 
「ところで・・・南大陸に行くにあたって、必要なものがある。ティール、持ってきてくれたか?」
 
 副団長の言葉に、ティールさんが頷いた。
 
「はい。これは私のですが・・・セルーネのはクロービスには小さいかと・・・。」
 
 そう言ってティールさんが取り出したのは、落ち着いたベージュ色のマントだった。だがマントなら私達も持っている。肌寒い時や雨の時など、一枚あれば重宝した。
 
「それなら俺のを持ってきましょうか?俺なら、クロービスとはそれほど背丈は違いませんからね。」
 
 セスタンさんが言いながら立ち上がりかけた。
 
「いや、それにはおよばん。クロービスには、俺が持ってきた。」
 
 副団長はそう言うと、同じ色のマントを取りだした。並べてみると、ティールさんの持ってきたものより少し小さめだ。
 
「あの・・・俺達もマントなら持っています。」
 
 カインがテーブルの上に置かれたマントを手に取りながら言った。
 
「お前達のマントはこの辺りで買ったものだろう?」
 
「はい。町の雑貨屋で。」
 
 セディンさんの店で、一番いいマントを格安で譲ってもらったものだ。縫製もしっかりしていて、そう簡単にほつれたりしない。布も丈夫で、北大陸なら、たとえ南地方まで行く時でもこのマントが一枚あれば充分役に立った。ティールさんはカインに向かって、マントをもっとよく見えるように広げてみせた。
 
「よく見てみろ。お前達の持っているものとは生地が違うぞ。」
 
 カインと私は、よく見えるようにマントに顔を近づけた。なるほど確かに違う。ぴっちりと織り上げられた丈夫な厚手の布で出来ており、ゆったり目のフードがついている。前をぴたりとあわせられるように、前たての部分には革ひもが通されていた。
 
「これは・・・?」
 
 初めて見るマントにカインも私も少し驚いていた。
 
「これは王国剣士団のマントだ。砂漠を横断するのには必需品だ。暑い太陽の光を遮り、体から水分が流れ出るのを防ぐ。南大陸に剣士団が派遣されていた頃には、みんな制服と一緒に支給されていたんだ。俺はあと1枚持っているからな。カイン、これはお前にやるよ。」
 
「あ、はい。ありがとうございます。でも・・・かえって暑くなりそうだけどな・・・。」
 
 カインがつぶやく。
 
「北大陸ならばそうだな。だが南大陸の空気は、こっちとは比べものにならないくらい乾燥している。これをかぶっていないと干からびるぞ。ある意味、どんなモンスターよりも恐ろしいのが暑さと渇きだ。」
 
 セルーネさんはそう言うと、厳しい表情になって腕を組んだ。
 
「とにかく着てみろ。」
 
 副団長に促され、私達はそれぞれマントを着込んだ。ティールさんのマントはカインにぴったりだった。そして私が着たマントも、ちょうどいい丈だった。
 
「これは副団長のですか?」
 
 私は尋ねた。
 
「いや・・・これはガウディのものだ。あいつがいなくなったあと、これ一枚だけが部屋に置いてあったんだ。お前の今の背丈ならちょうどいいかと思って持ってきてみたが、やはりぴったりだったな。」
 
「ガウディさんの・・・。」
 
「そうだ。それからもう一つ、陽射しが強い時に風がないとは限らない。それにフードは視界を狭める。背後に忍び寄るモンスターに気づかないでいるうちに押さえ込まれたりしたら一巻の終わりだ。だから・・・ほら、これも持っていけ。」
 
 そう言って副団長が出して見せたのは、厚手の布だった。広げてみるとかなり大きい。
 
「これはターバンと言うんだ。南大陸の人達は、砂漠に出る時必ずこれをかぶる。女は厚手のスカーフを巻いたりするみたいだがな。普段はこれを頭にかぶれ。」
 
「かぶれったって・・・こうですか・・・?」
 
 カインは大きな布をそのままかぶってみせた。これではまるで子供がシーツをかぶってオバケの扮装をしているようにしか見えない。
 
「カイン・・・遊んでいるみたいにしか見えないよ。」
 
 カインは布の下からひょいと顔を出し、
 
「でも、こんなでかい布きれをかぶるって言えば、これしかないじゃないか。」
 
首を傾げて頭をかいている。
 
 ティールさん達はカインのその姿にくすくすと笑いながら、
 
「ほら、手本を見せてやるよ。」
 
そう言ってカインの頭に布を巻いてくれた。
 
「・・・こうやって縦長にたたんで、必ず頭全体を覆うように巻いていくんだ。太陽が出ているうちはその格好でいろ。」
 
 布を巻かれたカインを見ると、思っていたほど不格好には見えない。
 
「な、何か落ち着かないな・・・。」
 
 カインが頭をかいた。ティールさんはその布を私に手渡すと、
 
「今俺がやったのを見ていただろう?お前はカインよりは手先が器用そうだし、自分でやって見ろ。出来ないようなら手伝ってやる。」
 
 さっきのティールさんのやり方を思い出しながら、私は慎重に布を頭に巻いていった。最後に後ろから布の端を引っ張り出してたらすと、ターバンはしっかりと私の頭にはまったようだった。ティールさんはしばらく私の頭をあちこちの角度から見ていたが、ニッと笑って頷いた。
 
「よし、お前のほうは大丈夫だ。カインのほうはお前が面倒見てやれ。カイン、お前は、クロービスをあてにしないで、早くまき方を憶えろよ。」
 
「あ、は、はい。」
 
 カインはまだ落ち着かなげに頭に手をやっていた。
 
「ヘルメットだってかぶったことないのに、何だか頭が蒸れそうだなあ・・・。」
 
「ははは。頭が蒸れると毛が抜けるかもな。」
 
 ティールさんは人ごとのように笑っている。カインはぎょっとしたようにティールさんを見た。
 
「え・・・そ、それはちょっと・・・。」
 
 真剣に不安がっているように見える。
 
「毛が抜けるくらいなんだ!?ミイラになって死ぬよりはましだろう。クロービス、お前はどうだ?」
 
「は・・・はい。私も落ち着かないです・・・。あの・・・本当に毛が抜けたりするんですか・・・?」
 
「お前は髪の毛が多いみたいだから、ちょっとくらい抜けたってどうってことはなさそうだな。」
 
 笑いを押し殺しながら話すティールさんの横腹をセルーネさんが突っついた。
 
「つまらんことで不安がらせるな。カイン、クロービス、心配するな。あっちはさっきも言ったように空気が乾燥しているんだ。蒸れる心配なんてしなくても大丈夫だよ。もっとも、頭皮が乾きすぎても毛は抜けるそうだから、そっちを心配したほうがいいかもな。」
 
「何だよ、セルーネ、お前だってからかって面白がってるじゃないか。」
 
「からかっているわけじゃない。事実を言っているだけさ。」
 
「まあ、お前達は俺達同様ヘルメットとは無縁だからな。慣れるまではしかたないだろうな。」
 
 セスタンさんが間に入ってくれて、やっとティールさん達は笑うのをやめ、元の厳しい顔に戻った。
 
「向こうについたら、すぐにそれをかぶれ。死にたくなかったらな。砂漠の太陽を甘く見るな。」
 
「わかりました。」
 
 私達が頷くのを待って、剣士団長が立ち上がった。
 
「カイン・クロービス組、セスタン・ポーラ組、明日の朝、発つ前にフロリア様に謁見する。寝坊はするな。それから、この二組を除く者全員、今この時までで今回の件の任を解く。明日からは通常勤務に戻れ・・・と言いたいところだが、おそらく明日はお前達仕事になるまい。うわの空で任務についてトラブルでも起こされたらかなわん。そこで、明日一日、全員自由警備とする。ただし外泊は許さん。夕方までに戻れるところまでなら、好きなところに行って来い。以上だ。解散!!」
 
 そう言うと、剣士団長はにやりと笑って全員を見渡した。
 
「ありがとうございます!!」
 
 ほとんど全員が口をそろえて、剣士団長への感謝の言葉を述べた。
 
 部屋に戻り、カインと私は旅支度を始めていた。
 
「・・・予備の制服も持っていくか・・・。」
 
 カインが独り言を言いながら荷物を詰め込んでいる。
 
「この間ライザーさんに言われたから?」
 
 クロンファンラの宿で、遠出の時は制服の予備は持ってくるものだと聞いたことを結構気にしていたらしい。
 
「ま、まあな。それに今回はどのくらいの日程になるかもよくわからないしな。」
 
「そうだね。」
 
 だが、二人ともまだこの部屋で暮らしはじめて1年にもなっていない。荷物袋に着替えを詰め込むと、部屋の中はほとんど何もなくなってしまった。
 
「・・・俺達の荷物って、服だけか・・・。」
 
 カインが部屋の中を見渡しながら、あきれたようにつぶやいた。
 
「でも別になんにもないからね。」
 
「そうだよな・・・。さてと、風呂にでも行くか。ここの風呂場もしばらくは見納めだ。」
 
 そんな話をしながら、私達は旅支度を整え、当分入れないであろう風呂へと行った。部屋に戻ってみると、扉の前にハディがいる。
 
「なんだ風呂だったのか。もう寝ちまったのかと思ってた。」
 
「どうしたの?何か用事?」
 
 私の問いにハディは、
 
「いや・・・もうしばらくは話す機会もないかと思ってな。」
 
「そうか。とにかく中に入れよ。」
 
 カインに促され、ハディは部屋に入ってきた。
 
「なんだよ。これじゃ引っ越しみたいだな。こんなに何にもなくなるほど、荷物担いで行かなくたっていいじゃないか。」
 
 ハディはがらんとした部屋を見渡して、呆れたようにため息をついている。
 
「いや、それが・・・着替え詰め込んだらこうなっちまったんだ。」
 
 カインは頭をかいている。
 
「へえ・・・。最も俺だってそんなに荷物はないけどな。でもこれじゃ、何だか引き払うみたいじゃないか。」
 
「いいじゃないか。ちゃんと戻ってくるんだから。」
 
「まあそれはそうだが・・・。」
 
「とにかく座れよ。」
 
「ああ・・・。」
 
 ハディは椅子に座ると、大きなため息をついた。
 
「明日はいよいよ出発だな。」
 
「そうだな。お前にも世話になったよ。ありがとう。」
 
「気味が悪いな・・・。お前がそんなに素直だと。実はさ・・・来週から南地方の東部巡回に入ることになったんだ。」
 
「へぇ・・・。お前達もか。それじゃ、里帰り出来るな。」
 
「そうだな。やっと自分の力で家に帰れる。」
 
「今まで帰らなかったのはそのためか?」
 
「そうさ。先輩達に守られて帰ってきましたなんて、恥ずかしくて親父に合わせる顔がないよ。」
 
「ははは。そんなことはないだろうけど。」
 
「とにかく一歩前進だ。お前達も明日から頑張れよ。」
 
「そうだな・・・。何としても任務を遂行して戻ってくるよ。」
 
「当然だ。そのためにみんなで訓練したんだ。・・・今回のことは俺にはいい勉強になったよ。剣士団長は、今回の訓練のためのメンバーを『精鋭中の精鋭』って言ったけど、俺達の組だけはまだそう言ってもらえるほどの実力はない。つまり団長は俺達を勉強させるつもりで今回のプロジェクトに加えてくれたんだよな・・・。だから他の先輩達だって、今回のメンバーの中にペーペーの俺達が入っていても文句を言わなかったんだろうな。」
 
「そうかな・・・。お前達だってかなりの実力をつけてきてると思ったからじゃないのか?」
 
「そう言ってくれるのはありがたいが・・・自分のことは自分が一番わかっているよ。正直なところ俺は未だに暗中模索だ。自分の力をつけるためのやり方ってのが、今ひとつはっきりと見えてこないんだ。」
 
「まだ納得出来ていないってことか。」
 
「そう言うことだ。そりゃ、成果は間違いなく上がっているんだから、疑問なんて持たずにおとなしく言われたとおりにしていれば伸びていけるのかも知れない。でも心の奥底でいつも声がする『お前はこれでいいのか』ってな・・・。」
 
「リーザはなんて言ってるんだ?」
 
「あいつは素直だよ。言われたことをしっかりと心にとめて、わき目もふらずに頑張っているさ。あの素直さを俺も見習いたいとは思うんだけど・・・なかなかうまくいかなくてな・・・。」
 
「思ったことを口に出せばいいじゃないか。お前らしくないな。」
 
「それが出来れば苦労はしないさ。一生懸命俺の弱点を見つけて、どんな小さなことでも教えてくれるんだ。そしてそれを俺が克服していくたびに、自分のことのように喜んでくれる・・・。あの笑顔を見ていると、とてもそんなことは言えないよ。」
 
「素直に腹を割って話せないってわけか・・・。」
 
「そうだな・・・。こんなことじゃいけないとは思うんだが・・・。」
 
「男と女のコンビって難しいのかな・・・。」
 
「でも、ティールさんとセルーネさんだってうまくいってるみたいだよ。セスタンさんとポーラさんもさ。」
 
 私は思わず口を挟んだ。あの人達は、本当にお互いをパートナーとして信頼し合っているように見える。
 
「うーん、確かにな。セスタンさん達って・・・恋人同士じゃないのかな。」
 
 ハディが首を傾げる。
 
「どうかなあ。仲良さそうだけどそう言う雰囲気じゃないような気もするし。」
 
 私にはそうは思えなかった。根拠はないのだが、何となくあの二人の間にそう言う雰囲気はない、そんな気がした。
 
「そうかなあ。俺はそうなんじゃないかと思ってたけど。」
 
 カインも首を傾げる。
 
「セルーネさん達が違うってのはわかるけどな。ティールさんは妻帯者だしな。」
 
「そうだね。私も最初聞いた時は驚いたけど。」
 
「あの人は夜勤の時以外は朝早く来てるし夜も遅くまでいるしな。最も奥さんは元王国剣士だそうだから、そのあたりのことはわかってるんだろうな。」
 
「噂話してる場合か。おいハディ、お前達のコンビの話だぞ。」
 
 カインがあきれたようにハディと私の会話に割って入った。ハディはカインをちらりと見ると、椅子を立ち、隣にある私のベッドに腰を下ろしてごろんと寝ころんだ。
 
「・・・俺もお前達について行きたいくらいだよ。少し・・・リーザから離れてみた方がいいのかも知れない・・・。」
 
「お前達・・・何かあったのか?」
 
 カインと私は思いがけないハディの言葉に驚いた。
 
「・・・何もないよ。俺が・・・一方的にいろいろ考えているだけだ・・・。・・・あいつのそばにいると・・・いや、それは俺の問題だな。」
 
「ハディってさ、リーザが好きなの?」
 
「お、おい、いきなりなんだよ、クロービス。」
 
 カインがあきれたように私を見ている。ハディは答えず、黙ったまま天井を見つめていた。
 
「どうなんだろうな・・・。最もあっちはお嬢様だからな。いずれ然るべきお家柄のお坊っちゃまとでも結婚するんだろうな。」
 
「でもリーザは確か勘当同然で家を出たって言ってたぞ。」
 
「勘当だなんて言ったって、親にとってはかわいい娘だからな。いずれ仲直りってことになるだろうな。それに、ガーランドのお嬢様が、いつまでも独身ってわけにもいかないだろう。」
 
「ガーランド?」
 
 私は思わず聞き返した。
 
「なんだ、お前リーザの家って知らなかったのか?」
 
 カインが意外そうに私に振り向いた。
 
「聞いたことなかったな。それに入ったばかりの頃に聞いてもわからなかったと思うよ。私は元々ここの出身じゃないし。」
 
「ああ、そうか。そう言われればそうだな。住宅地区の奥にある御屋敷群の中でもひときわでかい屋敷だよ。」
 
「今はわかるよ。あそこがガーランドの御屋敷だって言うのは知ってるけど、リーザってあそこの娘さんだったのか。」
 
「そうさ。何でそんなところの娘が王国剣士になんてなったのか知らないけど、あいつの仕事に対する姿勢が本物だって言うことはわかる。でもいずれはやめていくだろうな・・・。それまで俺が持ちこたえられればいいんだが・・・。」
 
「持ちこたえられればって・・・物騒だな。いくらなんでも・・・いきなり手を出したりするなよ。」
 
 カインが不安げに眉をひそめながらハディを見た。
 
「ばか!・・・そんなことするか!俺はあいつを大事に思ってるよ。仕事上のパートナーとして。女としては・・・俺がどう思っていようと、あいつの方は関係無しだろうなぁ。けろっとしてるしな。・・・南地方に出掛けていたりすると、結構つらい時もあるんだが・・・。」
 
「ずっと二人きりだしな・・・。」
 
「そうだ。夜は交替で不寝番だから気にしなくてもいいけど・・・。なんとなくな・・・。」
 
 そのまましばらく沈黙が続いた。やがてハディは立ち上がると、
 
「ごめんな。明日は大任を背負って出掛けるって言う時につまらない話聞かせちまって。もう部屋に戻るよ。明日は『自由警備』だからな。朝早いし。」
 
「自由警備で何でそんなに朝早いんだよ。」
 
 カインが笑った。
 
「明日は早いのさ。それじゃお休み。聞いてくれてありがとな。何となく気が軽くなったよ。」
 
「よかったな。また帰ってきたら聞いてやるよ。いくらでもな。」
 
「ああ、そうだな。いくらでも聞いてもらうさ。」
 
「里帰り出来るなら、訓練のことは親父さんにも相談したらどうだ?お前の師匠なんだろ?」
 
「ああ、そのつもりだよ。リーザのことは・・・親父じゃ役に立たないだろうなぁ・・・。」
 
 ハディも笑った。
 
「それならお袋さんだ。それとも妹のほうがいいか。」
 
「お袋はともかく、妹たちになんて知れて見ろ、とんでもない騒ぎになっちまう。」
 
 ハディが笑顔のまま肩をすくめ、私もつられて笑い出してしまった。
 
「お休み。」
 
「ああ、お休み。」
 
 ハディが部屋を出たあと、カインは少し考え込んでいる。
 
「どうしたの?」
 
「いや・・・あいつも苦労してるなって思ってさ。」
 
「そうだね・・・。リーザもいい子だしね・・・。でもほんとにリーザのほうはハディのこと何とも思ってないのかな。」
 
「おまえから見てどうだ?」
 
「うーん・・・。まるっきり感心がないようには見えないけど、でも好きかどうかってことになると、やっぱり何とも言えないなぁ。でも大変なんだね。男と女のコンビってさ。」
 
「そうだなぁ。俺はお前でよかったな。お前って結構お坊ちゃん的なイメージあるんだけど、不思議と気を使わなくていいしな。」
 
「お坊ちゃん?」
 
「そう。わりとそんなイメージあるぜ。」
 
「そうかなぁ・・・。」
 
 今度は私が少し考え込んでしまった。家は特別裕福だったわけではない。どこから出たかはわからないにしても、暮らしていくのに困らないお金はあったというだけのことだ。小さい頃から、炊事も洗濯も何でもやらなければならなかったし、わがままを言ったり出来ない環境で育ってきた。それがどうしてそんなイメージがついたのか・・・。
 
「考え込むなよ。とにかく寝ようぜ。この部屋でお前と枕を並べて眠るのもあとしばらくはないしな。」
 
「そうだね。」
 
 この部屋にも、もうしばらくは戻れない。でも・・・カインと私がこの部屋で枕を並べて眠るのがこれで最後になるなんて、この時の私は思いもしなかった。
 
 
 次の日の朝私達は、剣士団長と、セスタンさんポーラさんと共に執政館に向かった。フロリア様の執務室で別れの挨拶をするためだ。部屋に入ると、正面にフロリア様の姿が見える。今日のこの部屋の空気は暖かい。そしてフロリア様の瞳は、以前と同じように暖かく慈愛に満ちていた。その瞳が心配そうに私達を見つめている。
 
「おはようございます。本日、ハース城調査の任務のため南大陸に向けて旅立ちます、カイン・クロービス組と、ロコの橋までの随行をいたします、セスタン・ポーラ組でございます。」
 
 剣士団長の説明を聞きながら、フロリア様は青ざめている。そしてその隣の少し奥まったところに、ユノが立っていた。私達を見つめるその瞳は穏やかに凪いでいる。もう当分会えないだろう。私は少しだけ微笑んでみせた。ユノはじっと私を見ている。そしてその瞳が、ほんの少しだけ、微笑み返したように見えた。でも気のせいかも知れない。
 その時突然、フロリア様が椅子から立ち上がり、私達の前に歩み寄るといきなり膝を折った。
 
「フ、フロリア様、どうかお立ち下さい。」
 
 カインが慌ててフロリア様の手を取る。フロリア様はかまわず、カインと私の手をとり、自分の手のひらで包むと、涙を滲ませた瞳で私達を見た。
 
「カイン・・・クロービス・・・必ず、必ず戻ってきてください。必ずです・・・。」
 
「フロリア様・・・。」
 
 カインはフロリア様の手を握り返し、
 
「必ず、戻って参ります。」
 
きっぱりと言うと、フロリア様の顔を優しい瞳で見つめ返した。何かが・・・通い合っていたような・・・そんな気がした。気のせい・・・?いや、違う・・・。
 
 きのうのように声こそ聞こえてこなかったが、フロリア様の心の中が、カインの心の中が、何となくわかる。カインの言うように、本当にセントハースとの一戦以来、私の中で何か変化が起こったのだろうか。それとも全部私の思いこみで、聞こえたと思っていた声はすべて空耳だったのだろうか。でもそうじゃないと、心の奥でもうひとりの自分が叫んでいる・・・。
 
 フロリア様は立ち上がり、玉座に戻ると背筋を伸ばした。
 
「セスタン、ポーラ、二人をよろしくお願いします。間違いなくロコの橋の灯台まで送り届けてください。」
 
 もうフロリア様の声は落ち着いている。いつものように暖かい笑顔で私達を見つめていた。
 
「お任せ下さい。」
 
 セスタンさん達が頭を下げた。
 
「カイン、クロービス、あなた達が元気な姿でここに戻るのを、わたくしは待っています。」
 
 立ち上がり、礼をする時私はちらりとカインを見た。カインはフロリア様を見つめている。とても優しい、穏やかな瞳で。でもその中には強い決意が溢れていた。『必ず戻ってくる』と・・・。
 私達は王宮のロビーに出た。パティが青い顔で私達を見ている。
 
「カイン、クロービス、絶対・・・絶対戻ってくるのよ!」
 
「心配するなよ。行ってくるよ。」
 
 カインは笑顔を作ってみせた。パティはほっとしたようにカインに笑みを返したが、私のほうに顔を向けると、真顔になっていきなり頭を下げた。
 
「クロービス、ごめんなさい!エミーから聞いたわ。あの時、あなたがエミーと一緒に玄関を出ていくのを見ていたけど、あんなことになってるなんて思わなかったの。私が迂闊だったわ。本当にごめんなさい。」
 
「いいよ。君やエミーが悪いわけじゃないよ。私がはっきりさせなかったのが悪かったんだ。エミーのことは今でも妹みたいに思ってるよ。その関係を壊すのが嫌で、彼女ときちんと向き合うのを避けていたんだ。私のほうこそ・・・ごめん・・・。エミーはどうしてる?」
 
「昨日は家で泣いてたけど、今日はここには来ないって言ってたわ。あなたの後ろ姿を見るのがつらいんですって。でも、必ず帰ってくるって約束したんだからって言ってたわ。」
 
「約束したよ。絶対向こうで死んだりしないよ。必ず帰ってくる。ただ・・・帰ってきても、前みたいには話が出来ないかも知れないけどね・・・。」
 
「それは仕方ないわ。時が解決してくれるわよ。そんなことは気にしないで。エミーや私だけじゃなく、みんなあなた達が無事に帰ってくるのを待ってるわ。気をつけて行ってらっしゃい。」
 
「それじゃ、行ってきます。」
 
 寂しそうに微笑むパティに見送られ、私達は玄関を出た。そこには昨日の夜、既にこの件に関する任を解かれたはずの先輩達がみんないた。ハディとリーザもいる。
 
「おお、勢揃いだ。みなさんこれから『自由警備』かな?」
 
 セスタンさんがにやにやしながら、一同を見渡す。
 
「ああ、そうだ。いやぁ、偶然だなあ、同じ方向に行くらしいな。」
 
 セルーネさんがわざとらしく大きな声を上げる。
 
「ほぉ、なるほど。では、カイン、クロービス、ポーラ、俺達は出掛けよう。」
 
 私達は王宮を出て、まっすぐに南門に向かった。住宅地区と商業地区を結ぶ大通りまで来た時、偶然セディンさんに出会った。
 
「おや、どうした。これから遠出かい?また南地方か?」
 
 何も知らずにセディンさんはにこにこと声をかけてくる。
 
「そうです。今回はちょっと長いんだ。その・・・南大陸まで行くからね。だからしばらく顔は出せないと思います。」
 
 私の言葉にセディンさんの顔色が変わった。
 

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