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第19章 別れ 前編

 
 2日目の訓練は、夕食の時間で終わりを告げた。次の日まで疲れが残っているようでは逆効果だ。食事のあと、カインと私は副団長の部屋にいた。
 
「どうだ?何とか行けそうか?」
 
「何がなんでも行きます。そして必ず結果を持ち帰ります。」
 
 カインは迷わず答える。
 
「そうだな。おまえ達は剣士団の希望なんだ。必ず戻ってきてくれなければ困る。お前達の報告次第では剣士団の遠征もあり得る。いや、そうなる確率はかなり高い。ハース鉱山との連絡が取れていないのと言うのは、もう大分前からのことなんだ。なぜ今さら斥候など送り込まねばならないのか、そっちのほうが不思議なくらいだ。・・・ここだけの話だがな。」
 
 副団長は最後の言葉だけ、声を落とした。
 
「それに・・・ガウディの安否も気になる・・・。今さら剣士団に戻ってきてくれとは言えないが・・・せめて無事を確認したいからな・・・。」
 
 暗い表情で、副団長は低くつぶやいた。長年組んでいた相方がある日突然姿を消す・・・。どれほどつらいことか・・・。
 
「・・・まあその話はやめよう・・・。クロービス、オシニスとライザーを呼んできてくれ。多分宿舎の部屋に戻ってると思う。明日は最終日だからな。少し打ち合わせをしたいんだ。」
 
「わかりました。」
 
 副団長の部屋を出て、私は宿舎への階段を上がった。オシニスさん達の部屋の前まで来ると、扉が少し開いている。やはりここにいるらしい。ノックしようと扉に近づくと、中から話し声が聞こえてきた。
 
「・・・不安だな。本当にこれで大丈夫なんだろうかって、ずっと落ち着かないよ・・・。」
 
「あの二人なら大丈夫だよ。必ず任務を遂行して戻ってくるさ。僕達が信じてやらなくてどうするんだ?」
 
「くそっ!!ロコの橋までついていって、一緒に行っちまおうかと思うくらいだ!」
 
「灯台守に止められるよ。」
 
「そんなもん・・・!殴り倒してやるさ!!」
 
「そんなことをしたら二度と北大陸まで戻って来れなくなってしまうよ。それでは意味がないじゃないか。」
 
「それはそうだが・・・。」
 
「それに・・・君だって気づいているんだろう?」
 
「何を?」
 
「フロリア様の様子がおかしいことさ。」
 
「・・・お前もそう思うのか・・・。」
 
「この前の御前会議の時・・・南大陸行きを志願した僕達に、ここを離れることを許さないとおっしゃった時のフロリア様の瞳は・・・とても冷たかった・・・。あの冷たさに比べたら、ユノの瞳のほうがまだ暖かく感じられるほどだったよ・・・。君は気づかなかったのか・・・・?」
 
「・・・フロリア様の表情が冷たかったのは気づいてたよ。大分熱心にカインとクロービスを南大陸へ行かせたがっていたようだしな。」
 
「・・・そうだ。僕達がここを離れてはいけないというなら、もっと経験豊富な剣士を派遣するのが筋というものだ。それもたった二人なんだ。へたをすれば二人とも死んでしまうかも知れないのに・・・。」
 
「出発を3日遅らせたのも、剣士団長が頑張ったかららしいしな。」
 
「うん。それも変な話だと思わないか?行くならば確実に結果を持ち帰らなければ意味がない。経験不足の者を派遣するからには、それなりの準備だって必要なはずだ。」
 
「フロリア様はすぐにでもあの二人を出発させようとしたらしい。剣士団長が準備期間を願い出た時だって、最初は1日しか許さないと頑張っていたらしいが・・・レイナックじいさんがとりなして、なんとか3日間に引き延ばしてもらったって話だ。」
 
「何か理由があるのかな・・・。」
 
「理由?」
 
「そう・・・。カインとクロービスをどうしても南大陸に行かせたくなるような理由がね・・・。」
 
「どんな理由だよ?」
 
「知るもんか、そんなこと。僕にわかるのは、あの二人がフロリア様から疎まれるようなことなど、何一つないってことだけだよ。」
 
「当然だ!そんなことがあってたまるか!フロリア様が、王国剣士としてあれほど必死に精進しているあの二人を疎ましく思うような方であるはずがない!」
 
「そんなに興奮しないでくれ。確かにそれはそうなんだが・・・ではどうしてなんだろう。もしもあの時カインが志願しなかったら・・・あのままハース鉱山をほっとくつもりだったとしか思えないし・・・。」
 
「ハース鉱山をこのまま放置するってことは、わざわざ自分の首を絞めるようなものだからな。」
 
「・・・ハース鉱山を失うってことは、南大陸を失うようなものだ。そんなことになれば、北大陸だけで王国を存続させるってのは難しいからね。聖戦など待たなくても王国が滅びる可能性もある。」
 
「そうだな・・・。なあ、ライザー、お前カインのことどう思う?」
 
「どうって・・・いい奴じゃないか。いつも一生懸命で、面倒見もいいし、クロービスともうまくやっているようだしね。実力については申し分ないと思うけどな。君だってそう思ってたんじゃなかったのか?」
 
「それはそうなんだが・・・。実を言うとな、俺は時々あいつの眼が怖くなる・・・。」
 
「どうして?」
 
「・・・なんて言うか、純粋すぎるんだ。」
 
「悪いことじゃないじゃないか。」
 
「普通ならな。だがあいつが南大陸に行くと言いだした時、俺は背中がぞくりとするほど寒くなったんだ。あいつは自分がこうと決めたことのためには・・・喜んで命まで投げ出しかねない・・・。あの瞳にはそんな危なっかしさがある。」
 
「カインがどうしてあれほど南大陸へ行きたがったのか・・・。僕は何となくわかるような気がするけどね。」
 
「ははは、丸わかりだ。この間の御前会議の時、あいつは部屋に入るなりフロリア様しか見てなかったからな。」
 
「・・・カインがフロリア様のために命まで投げ出しかねないと、それが心配だって言うのか?そんなことを考えているのはカインだけじゃないよ。剣士団にはたくさんいるさ。」
 
「ああ、いるさ。いくらでもな。だがあいつの場合・・・なんか他の奴らとは違う・・・。そんな気がしてな・・・。最も今のところ、クロービスと一緒だから、俺も幾分安心していられるんだが・・・。」
 
「そうだね。クロービスは・・・ひたむきで・・・いつも前向きで、僕にはうらやましいくらいだ。」
 
「あの二人を組ませたのは正解だよ。ランドの目は確かだよな。正直なところ、あいつの腕をこの王宮の中だけでくすぶらせておくのはもったいないんだが、採用担当官としては確かに他に得難い存在だ。エリオンさん達の言っていたとおりだよ。」
 
「そうだね・・・。ランドがあのポストにいてくれるから、みんな安心していられる部分は大きいからね。カインとクロービスのことは・・・二人が一緒にいるかぎり、それほどの心配はいらないと思う・・・。それより僕はフロリア様のほうが心配だな。カインとクロービスの準備期間を渋々承諾したというのに、どうしてユノを手伝いによこしたりするのか・・・。今ひとつ真意が理解出来ない。」
 
「全くだ。おかしなことばかりだよ・・・。フロリア様は・・・一体どうしちまったのかな・・・。」
 
「それを考えると、やはり僕達はここを離れるべきではないのかも知れないな。」
 
「俺達がここにとどまることでカイン達を守ってやれるのなら、ここにいるさ。あの二人もこの王国も、必ず俺達が守る・・・。ライザー・・・フロリア様の舵取りがもしも王国の滅亡へ向かうのなら・・・俺は・・・王国をとるぞ・・・。」
 
「・・・それでいいのか・・・君は・・・。」
 
「・・・俺がさっきカインを怖いと言ったのはその辺だ。あいつなら・・・フロリア様についてこの国の滅亡にさえ手を貸しかねない・・・。あいつの眼を見ているとそんな恐ろしさを感じる時がある。」
 
「まさかそんな・・・。」
 
「あいつの眼にはフロリア様しか映っていないんだ。王国剣士としての使命も人々を守りたいと思う心も、全ての元はフロリア様にある。その元になる部分が方向転換しちまえば、あいつは迷わずついていくか・・・それとも進む道を失ってキレちまうか・・・。」
 
「・・・物騒なことを言わないでくれ。」
 
「俺だって言いたくはないさ。カインは・・・いや、カインもクロービスも、俺達には大事な後輩だ。弟分みたいなもんだからな。」
 
「僕達に出来ることは・・・彼らを信じて送り出してやることだけだよ・・・。」
 
「そうだな・・・。そういえば・・・3年前もこんな話をしてたっけな・・・。」
 
「うん・・・。みんなでこんな話をしてて・・・次の日いきなりガウディさんは姿を消した・・・。」
 
「ライザー・・・もしも・・・もしもカインとクロービスに何かあったりしたら、俺は迷わずロコの橋を越えるぞ。許可などなくてもだ。」
 
「君一人に行かせる気はないぞ。ガウディさんのように黙って姿を消さないでくれ。行くなら必ず一緒だ。」
 
「もし本当にそうなったとして、お前はそれでいいのか?」
 
「当たり前じゃないか。なぜそんなことを聞く?」
 
「お前を待っている彼女のことはどうするつもりなんだ?」
 
「・・・今はそんな話をしているんじゃないだろう。」
 
「南大陸に行ったりしたら、また遠ざかるぞ。いずれは彼女の元に戻るつもりなんだろう?」
 
「・・・それじゃ君はどうなんだ?」
 
「俺の気持ちはさっき言ったとおりさ。」
 
「もう一度聞くぞ。本当に・・・君はそれでいいのか・・・?」
 
「俺は王国剣士なんだ。良かろうが悪かろうが、本当にそうなったとしたら選択の余地などないさ。だが話をはぐらかすな。俺の質問に答えてないぞ。お前の場合は俺とは違うじゃないか。その気になればすぐにでも彼女をさらってくることだって出来るんだ。さっさと島に戻って、ここに連れてこいよ。この町で一緒に暮らせばいいさ。」
 
「そんな簡単にはいかないよ。僕達がいったい何年の間会っていないと思っているんだ?僕は彼女が今どういう顔をしているのかさえ知らないんだよ。彼女だって同じ事さ。」
 
「入団したばかりの頃、お前が便せんを前にして頭を抱えていたことを憶えているよ。毎日夜になると同じ姿勢で考え込んでばかりいて、そのくせ便せんには一文字も書いてなかった。あの時何をしてるんだって俺が聞いたじゃないか。その時教えてくれたよな?故郷の島にいる幼馴染みの女の子の話を。その女の子に手紙を書こうと思ってるけど、なんて書いていいのか判らないって。そしてその女の子がお前にとってどれほど大事な存在だったか、その子との約束を果たすために必ずもう一度島に帰るんだって、話してくれたじゃないか。彼女と一緒になるつもりがないのなら、何のために島に帰るつもりなんだ?」
 
「イノージェンとの約束を果たすためだ。」
 
「それだけか。」
 
「そうだよ。必ず帰るって約束したんだ。それは何があろうと絶対に果たす。それだけだ。」
 
「それから先はどうするんだ?」
 
「先なんてないよ。それだけだ。」
 
「ほぉ、すると帰って顔をあわせて、はいさようならか?そんなばかな話があるか!クロービスに聞いたんだろう?その彼女は、お前と別れてからもう15年以上もお前を待ち続けているんじゃないか。その気持ちに応えてやろうって言う気はないのか?」
 
「・・・僕にはそんな資格はないよ。」
 
「資格もくそもあるか!お前は難しく考えすぎだ。男と女なんて好きか嫌いか、それだけだ。・・・・ま、手が届かないような相手だとでも言うのなら、また話は別だがな。」
 
「手が届かない・・・か・・・。なるほど、それはぴったりの言い方だな・・・。」
 
「ばかを言うな。そんなことがあるもんか。クロービスの話だと極北の地にある洞窟を抜けていけば、すぐに島に着けるらしいじゃないか。」
 
「そんなことじゃない。」
 
「それじゃどんなことだ。」
 
「いいじゃないか。もうその話はよそう。」
 
「いったい何をためらっているんだ?・・・いや、恐れているようにさえ見えるな。」
 
「別にためらっても恐れてもいないよ。君の考えすぎだ。」
 
「もう少し気楽に構えたらどうだ?お前、今自分がどんな顔してるかわかってるか?とても俺の考え過ぎとは思えないほど、苦しそうな顔してるぞ。」
 
「気楽に構えていられるくらいなら、とっくに島に帰ってるよ。僕のことより、君はどうなんだ。気が楽だって言うのか?」
 
「あぁ、おかげさんでね。俺はとっくに覚悟を決めてるんだ。今はすっかり気楽に構えてるよ。」
 
「なるほどね。だから歓楽街にも出掛けなくなったのか。」
 
「ふん・・・古い話を持ち出したもんだな。ああ、そうだよ。別に行きたくて行っていたわけじゃないしな。」
 
「それなら最初から行かなければよかったじゃないか。あんな場所で自分をごまかして騒いでみたところで、何の解決にもならないことくらい、君がわかっていなかったとは思えない。僕だって君のあんな姿は見たくなかった。」
 
「ついてきたのはお前の勝手だ。お前がついてこなければ、一番いい女にでも声かけて、一晩気分良く過ごせたかも知れないのにな。」
 
「どうせそんなことは出来ないくせに。」
 
「出来たかも知れないよ。あの時ならな・・・。」
 
「所詮その場しのぎじゃないか。」
 
「その場しのぎの救いでもないよりゃまし、あの時の俺はそう言う気分だったんだよ。・・・まったく、あんな昔のことで今さらお前と言い合いをすることになろうとはな。よく憶えていたもんだ。・・・もしかしてあの時会った女のせいか・・・。」
 
「違う!」
 
「・・・なるほどな・・・。いくら否定しても、お前の顔に書いてあるよ。あの時、あの娼婦に会ったせいだな。何と言ったっけ・・・そう、フレイヤだ。」
 
「違うと言っているだろう!それに・・・その名前で呼ぶな。その名前は彼女の本名じゃないんだ・・・。」
 
「否定すればするほどその通りだと言ってるようなもんだぞ。それに、俺はあの女の本名なんて知らないんだ。フレイヤと言えば歓楽街ではかなり名の知れた高級娼婦だよな。最も俺は買ったことはないが。」
 
「当たり前だ。それに・・・その名前で呼ぶなと言ったはずだ。」
 
「だったら本名を教えろよ。」
 
「・・・カレンだよ・・・。」
 
「カレンか。お前があんな仕事をしている女と知り合いだったとは意外だったが・・・なるほど、あの女か。あの女がいるから、お前は島に帰ることはあってもその幼馴染みと一緒になる気はないってことなのか?」
 
「どうだっていいだろう、そんなこと。」
 
「また逃げるのか?」
 
「僕は逃げてなんかいない。」
 
「いや、逃げてるさ。あの時と同じようにな。だがな、今日ばかりは俺も引き下がらんぞ。必ずお前の口を割らせてやる。」
 
「彼女のことは僕の個人的なことだ。君にとやかく言われる筋合いはない。どうしていきなりそんな話を持ち出すんだ!?」
 
「最初に歓楽街のことを言い出したのはお前だ。」
 
「ああ、わかったよ。それじゃもうこの話はやめよう。それでいいだろう!」
 
「そうはいかないな。言ったはずだぞ?必ずお前の口を割らせてやるってな。」
 
「僕は話したくないんだ。」
 
「お前がそうやって逃げている限り、俺は何度でも同じ質問をするぞ。あの女はお前の何だ?いや・・・何だったかはもうわかってるがな。」
 
「それならいいじゃないか。わざわざ僕に話をさせる必要なんてない。」
 
「お前がどんな女と関係があろうと、気になんてしないさ。そんなのはお互い様だ。子供じゃないんだからな。だがな、俺が知りたいのはそんなことじゃない。あの時、歓楽街の大通りで、お前はあの女と顔をあわせるなり、幽霊にでも会ったみたいに真っ青になったんだ。それは女のほうも同じだった。そして次の瞬間、女は駆け出して、お前は迷わず彼女のあとを追って路地裏に消えていっちまった。俺はお前を追おうかと思ったんだ。だがやめた。お前のプライバシーなんて覗かないほうがいいと思ったし、お前はきっとあとで話してくれると思ったからだ。」
 
 少しの間沈黙があった。さっきまでは断固として話すつもりがないと言い切っていたライザーさんが、迷っているのが何となくわかった。そしてこのあと彼が話し出すかも知れないことを聞くのが怖かった。しかもその相手が、夜の歓楽街で道端に立ち客をひく娼婦らしいとは・・・。
 
 いったんここから立ち去らなければならない。私はもう、すっかり声をかけるタイミングを外してしまっている。これでは立派な盗み聞きだ。そっと戻って廊下の反対側まで行ってから、わざと足音でもたてて戻ってこようか・・・。
 その考えを、私は実行に移そうとした。それなのに私の足は動かない。立ち去らなければならないと思う心と、ライザーさんがお金で女性を買うなどとはとても考えられない、何か事情があるはずだ、それを知りたいと思う心が私の中でぶつかり合って、結局私はその場に立ちつくしていた。オシニスさんもライザーさんも話に夢中で、扉の外で身をこわばらせ、ただ聞こえてくる話し声に耳を傾けている私の存在には気づいていないようだった。
 
「だがお前は何も言わなかった。戻ってくるなり俺の腕を掴んで、俺を引きずるようにして宿舎に戻ると、いきなり八つ当たりみたいに俺に怒鳴りつけたよな。そのあとはもう何を聞いてもろくに返事もせず、そのまま布団をかぶって寝ちまったじゃないか。布団をかぶる間際、お前の顔が濡れているのが見えたんだ。泣くほどつらいことがあったのなら、どうして何も言ってくれないのか、あの時俺がどれほど悔しかったかわかるか?」
 
「・・・言おうと思ったんだ・・・。言おうと思ったんだ!何度も・・・。でも・・・どうしても口に出すことが出来なかったんだ。そして・・・そのことで僕が思い悩んでいるうちに、ガウディさんは姿を消してしまった・・・。」
 
「そうか・・・。あれはガウディさんが姿を消す、少し前のことだったな・・・。」
 
「そうだよ。あの時僕は自分のことしか考えてなかった。その間に、ガウディさんがどれほどつらい決断を下していたかと思うと・・・。」
 
 ライザーさんの声が震えた。
 
「でもお前がガウディさんのことを考えていたとしたって、あの人が下す決断は変わりなかったんじゃないか。相方の副団長だって寝耳に水だったんだからな。」
 
「だから平気な顔をしていろって言うのか?」
 
「そんなことは言ってないじゃないか。俺はただ、お前がそのことで負い目を感じても仕方ないと言いたいだけだ。」
 
「君にとっては仕方ないと言うだけのことでも、僕にとってはどうしようもないくらいつらいことだったんだ。それを君に話してみたところで、それこそ仕方ないじゃないか。君にだってどうしようもないことなんだからな!せいぜい君の好奇心を満足させるだけだろう!」
 
「ああ、そうだよ!聞いたところでどうにも出来ないよ!俺があの女のことを知りたいのも、お前のためなんかじゃない、俺のためだ!俺はお前が苦しんでいるのを見ているのがいやなんだ!死人みたいに青い顔で、布団をかぶって一人で泣いているところなんて見たくないんだ!だから口に出してしまえば、お前が少しでも楽になるかも知れないと思ったんだよ!お前が楽になれれば俺もほっとする。みんなみんな俺自身のためだ!お前のためなんかじゃない!」
 
 オシニスさんの声が涙声になっていた。そして少しの沈黙のあと、ライザーさんの絞り出すような声とため息が聞こえた。
 
「ごめん・・・。ひどい言い方して・・・悪かったよ・・・。」
 
「・・・謝るくらいなら・・・最初からあんな言い方は、しないでくれ・・・。」
 
「ごめん・・・どうかしてたよ・・・。話すよ・・・。いい機会かも知れないけど・・・聞いたら君が僕に愛想を尽かすかもしれないよ。それはいやだな・・・。」
 
「何を聞いたって俺達の関係は変わらないよ。お前は俺のかけがえのない親友なんだ。この先進む道が分かれることが来ても、それだけは一生変わらない。そんな心配はするな。」
 
「・・・そうだと・・・いいけどね・・・。」
 
「あの女とつきあっていたのは・・・剣士団に入る前か?」
 
「そうだよ・・・。」
 
「しかし、あんな仕事をしている女と、どうやって知りあったんだ?」
 
「知りあった時は仕事なんてしてなかったよ。まだ下働きだったんだ。僕が神父様の使いで商業地区にある道具屋に行く途中、酔っぱらいにからまれていたところを助けたんだ。」
 
「なるほどな。それでつきあうようになったわけか。だが・・・娼館の下働きなんてしている女だぞ?いずれそう言う仕事をすることになることくらい、知らなかったわけじゃないだろう。」
 
「初めて会った時は、宿屋の下働きだって言ってたんだ。でも、本当のことを聞くのが早かろうと遅かろうと、きっと変わらなかったと思うよ。最初に会った時から、惹かれ始めていたんだ・・・。」
 
「・・・その時お前いくつだったんだ?」
 
「18だったかな・・・。カレンは17だった。」
 
「17で下働きか。随分と余裕のある店だな。俺はちらっとしか見なかったが、化粧なんてしていなくても充分美人だったと思うぞ。あれだけの器量なら、15くらいでもう道に立たされるのが普通じゃないのか?」
 
「そうだね・・・本来ならとっくに仕事をしていてもおかしくない歳だったけど・・・その娼館の主が、彼女をどこかの金持の愛人として売りつけようとしていたらしい。あれだけの美貌なら、道に立たせて客を取らせるよりも、はるかに効率よく金が手に入るってことだったんだろうな・・・。」
 
「なるほどな・・・。それで17になっても下働きをさせていたって訳か・・・。だが・・・だからってその女は、お前が最初ってわけじゃなかったんだろう?」
 
「・・・だからどうだって言うんだ?」
 
「そんなに睨むなよ。あういう店の女ってのはな、たいていの場合、店に出るようになる前からもう誰かの手がついているものなのさ。言っとくがな、あの手の女に関しては、お前よりも俺のほうが多少は知識があるぞ。ま、エリオンさん達には負けるけどな。」
 
「・・・君の言うとおりだよ。でも、そんなことはどうでもよかったんだ・・・。カレンがそばにいてくれるだけで、この腕の中に抱けるだけで、もう何もいらないと思えるくらい・・・愛してたんだ・・・。」
 
「・・・それじゃ何で別れたんだ?」
 
「別れるも何も、彼女のほうから姿を消したんだ。ある日いつものように会って、別れ際にいつもなら『またね』って言うのに・・・『さよなら』って言ったんだ・・・。それで終わりだよ。そして次の日から姿を見せなくなった。」
 
「その時、追いかけようとは思わなかったのか?」
 
「思ったよ。当たり前じゃないか。彼女に会えないまま何日か過ぎて、どうしても不安になった僕は、昼間の歓楽街に足を踏み入れようとしたんだ。その時呼び止められた。」
 
「誰に?」
 
「あの店の用心棒の頭だよ。そしてこう言ったんだ。『本気で彼女のことを思っているのなら、追わないでやれ』ってね。」
 
「うまい言い方だな。それでお前はその言葉にしたがって諦めたってわけか?お前らしくもないな。お前なら、惚れた女のためには地獄までだって行きかねないと思っていたんだがな。」
 
「・・・地獄に行けば彼女が取り戻せるのなら、そうしてたさ・・・。君は、自分が育った集落のすべての人達の命が自分の肩にかかっていると知っていて、それでもなお自分のことだけを考えて生きていけるか?」
 
「どういう意味だ・・・?」
 
「カレンはそう言う立場にいたってことさ・・。」
 
「つまり・・・それほどの大金と引き換えに売られてきたってことか・・・。」
 
「そうだよ。人買いに目をつけられた時、彼女はまだ10歳だった。彼女の村がひどい飢饉に見舞われている時、その人買いが彼女を売ってくれるならそれだけのお金を用意すると彼女の父親に持ちかけたそうだ。当然彼女の両親は断った。そしてそのために村人の非難の的になった。自分達さえよければいいのかってね。毎日みんなから責められ続ける両親を見かねて、カレンは自分から売られていくと申し出たんだ・・・。それからあとのことは君のほうが知っているだろう。僕よりも歓楽街には詳しいようだからね。」
 
「誰だって知ってるだろうさ。あの街に来た女の辿る道なんて、一つだけだ。しかし勝手なもんだな。他人の娘がどうなろうと知ったこっちゃないってわけか。自分達さえよければいいのはどっちだよって言いたくなるような話だな。本当の話ならば、だがな。・・・その話は、その用心棒が教えてくれたのか?」
 
「そうだよ。ザハムが・・・あの用心棒の名前だ・・・教えてくれた。」
 
「嘘かも知れなかったじゃないか。」
 
「そうだね・・・。嘘だったのかもしれない。でもその時の僕には、なぜか彼が嘘をついていないと思えたんだ。そして・・・それがよけいに悔しかった。彼が嘘をついているって信じられたらよかったんだ。そうしたら、迷わずカレンをさらってこれた。でも僕には出来なかった。カレンは自分の故郷の人達と両親に対して責任があるんだ。そしてそこから逃げ出すことは出来ないんだ。だから僕の前から姿を消したんだ。僕が彼女を追いかけていけば、カレンをもっと苦しめることになる・・・。そう思ったら僕の足は動かなくなった。あと何歩か踏み出せば彼女のいる店にたどり着けるのに、もうそこから一歩も踏み出すことが出来なくなってしまったんだ。自分の意気地のなさと無力さを、あの時ほど感じたことはなかったよ・・・。」
 
「そして彼女は仕事をするようになったと言うことか・・・あれ・・・?そういえば、何であの女は道端で客引きなんてしていたんだ?今頃はどっかの金持ちのスケベ親父に囲われているはずじゃなかったのか?」」
 
「簡単なことさ。そのどっかの金持ちの奥方に、愛人を囲おうとしていることがばれたらしいよ。」
 
「はっ!なるほどな。それで店の主も慌てて、元を取るために彼女を道に立たせることにしたってわけか・・・。しかし・・・そんな女に手を出して、お前よく無事だったな。店の用心棒がお前を知っていたってことは、当然前から目をつけられていたってことだったんだろう?」
 
「神父様のおかげだよ。」
 
「あの教会のか?」
 
「そう・・・。彼女が誰かと会ってるらしいってことは娼館の主も気がついていたみたいだ。尾けられたことも何度もあったよ。・・・カレンの尾行のまき方は見事だった。慣れていたのかも知れない・・・。でも最初のうちならともかく、何度も同じ場所に来ていればいずれはわかってしまうものだ。神父様は、彼女の素性も、僕達の関係も全部知っていて・・・カレンを追いかけてきた店の用心棒達を追い払ってくれていたんだ・・・。優しそうに見えるけど、神父様の剣の腕は確かだからね。」
 
「そうか・・・。もしも神父様がいなかったら、お前、腕の一本も失くしていたかもな。」
 
「腕一本でなんてすまなかっただろうな。でも時々思うよ・・・。あの時見つかって殺されていた方が、余程楽だったかも知れない・・・。」
 
「・・・バカなことを言うな。」
 
「君は・・・ああいう仕事をしている女性が・・・あまり長生きをしないって話を聞いたことはないか・・・?」
 
「・・・知ってるよ。たいていの場合、体を酷使して弱ったところで病気になるっていうのが多いらしいな。普通なら難なく直せるような病気でも、抵抗力が落ちているからあっという間にひどくなるって話だ。あとは・・・おかしな客にあたって殺されたり・・・。殺されないまでも暴力を振るわれて、その傷が元で死んだり・・・。とにかく、天寿を全うした娼婦なんて聞いたことがないよ。ま、全然いないってわけじゃないんだろうがな。」
 
「カレンはもしかしたら、自分の大事な人達を守りきる前に死ぬかも知れない。そうなる確率は決して低いとは言えない。それならいっそ、あの街から連れ出して、たとえ逃げ続けることになっても幸せな人生を送らせてやることが出来たかも知れない・・・。あのあと何度もそう思って、その度に歓楽街に足を向けかけたんだ。でも結局会いに行くことは出来なかった。自分の意気地のなさが情けなかった。ザハムに呼び止められた時、向かっていって殺されていればよかったのにと何度思ったことか・・・。そうやって僕は自分を責め続けて、気がついたら一年が過ぎていたんだ。」
 
「その間は何をしていたんだ?」
 
「何も。この町に来てからずっと続けていた剣の稽古も、治療術の勉強も、何一つ手につかないままだった。神父様の使いをしたり、孤児院の子供達の面倒を見たりはしていたけどね。それ以外の時間は、ほとんど自分の部屋でぼんやりしていたよ。」
 
「それが何で立ち直ったんだ?そこまでどん底に落ちていたのに、何がお前を這い上がらせたんだ?」
 
「・・・イノージェンだよ・・・。」
 
 突然イノージェンの名前が出てドキリとした。私の仮入団の日、ライザーさんは城下町に来てからもずっと彼女のことが忘れられなかったと言っていた。どうしようもなく寂しい時、いつも思いだしていたと・・・。立ち去ろうとしていたことなどすっかり忘れ、私はその場に釘付けになっていた。
 
−−ア・・・イ・・・タイ・・・−−
 
 声が聞こえたような気がして、私は思わず辺りを見まわした。だが誰もいるはずがない。今確かに・・・「会いたい」と聞こえたような気がしたのに・・・。
 
「ある日神父様が僕の部屋に来た。そしてぼんやりしていた僕に向かってこう言ったんだ。『ライザー、少し話をしませんか。』ってね。その時、僕には神父様の言葉の意味さえ、よく理解出来なかった。多分呆けたような顔をしていたんだと思うよ。黙っている僕を見て、神父様は微笑んでこう付け加えたんだ。『君がここに来た時のことでも話しましょう。』」
 
「そういや、お前は確か、自分から孤児院においてくれって頼みに行ったんだったよな。」
 
「そうだよ。神父様に言われて、僕は必死でその時のことを思い出そうとした。本当に久しぶりに頭を使って何かを考えようとしたんだ。それまで僕がしていたことと言えば、ただ自分を非難することだけだった。自分自身を痛めつける言葉を、毎日毎日捜し続けていたんだ。その時の僕には、それが何のためだったのかさえ、よく思い出せないくらいだったよ。」
 
「・・・で・・・?思い出すことは出来たのか・・・。孤児院に来た時のことを。」
 
「ああ・・・。しばらくの間必死で頭を使って、ほとんど記憶を絞り出すようにしてね。僕が孤児院で暮らすことになった日の夜、神父様に好きなものは何かと訊かれて、『治療術と剣術です』って言ったんだよ。そしてどちらもずっと続けていきたいから教えてくれってね。」
 
「10歳の子供とは思えない答だな。まあお前らしいと言えば言えるが。するとそれが王国剣士としてのお前の原点てわけか。」
 
「そうだね・・・。でも・・・原点というならサミル先生かも知れないな。サミル先生は、剣を憶えれば自分の身を守れると言った。そして自分が剣を教えることで、僕達を守ってあげることが出来ると思うと言った。サミル先生が僕に剣を教えてくれたのは体を鍛えるためだったけど、それだって結局は僕の身を守ってくれることに繋がる。僕はその考えを受け継ぎたかったんだ。サミル先生にはクロービスという息子さんがいて、どんなにそうありたいと願っても僕は先生の息子ではない。そして遠く離れてしまっては彼にはもう何も教えてもらえない。でも、彼の考え方を受け継いでいくことで、僕はサミル先生との繋がりを保ちたかったんだ。」
 
 ライザーさんの言葉を聞きながら、私は父を思いだしていた。剣は人を守るためのものであって傷つけるためのものではない。怒りや憎しみにとらわれて剣を振るってはいけないと、いつも言っていた・・・。
 
「なるほどな。それでその話が、イノージェンとどう繋がるんだ?」
 
「僕が剣術を続けたかったわけはもう一つある。島を出てから、僕は叔父夫婦と一緒にローランまで来た。叔父達はそこでお金を出せば護衛をしてくれるという戦士を雇って、城下町までの道を護衛させたんだ。町の中以外はとても危険だからってね。と言うことは、僕があの島にもう一度戻るためには、モンスターのうようよいる場所を通らなくちゃならない。それならばもっと強くならなければ、僕はイノージェンの元には戻れない。だから剣を習ってもっと強くなろうと、そう思ったんだ。神父様と話をしているうちに、そのことを思い出した。そして、カレンに出会ってから、イノージェンのことも彼女との約束もずっと忘れていたことも・・・思い出したんだ・・・。」
 
「それでもう一度やる気を起こしたというわけか。」
 
「僕はイノージェンと離れたくなかった。でもどうしても離れなくてはならないのなら、いつか必ず戻ってこようと思って約束したのに、カレンと出会ってから、僕の頭の中には彼女のことしかなかった。そして結局カレンのことを守ってやることも出来なかった。このうえ、イノージェンとの約束も破るつもりなのかって・・・そう思ったら、あまりに自分が惨めに思えたんだ。その約束さえ果たせないのなら、僕の生きている意味なんてないんじゃないかって・・・。」
 
「そんなことはないさ・・・。」
 
「そして僕はもう一度剣を取り、改めて治療術の勉強も始めた。過ぎたことにいつまでもこだわっていても、もう取り戻せないんだ。それなら、この先出来る可能性のあることを考えて生きていこうってね・・・。」
 
「それでその後、お前は王国剣士になって、相方の俺がふらふらと歓楽街をうろついているところを連れ戻そうとして、彼女と再会したというわけか。」
 
「そうだよ。君があの通りに足を踏み入れたのを見た時、あのまま君を追いかければ、もしかしたらカレンと顔をあわせることになるかも知れないって思った。でもあの通りは広いし、あんなにたくさん人が歩いているんだからそんなに簡単に会えるはずがないっても思ってた・・・。どっちがよかったんだなんて聞かないでくれ。僕にだってどうしていいか判らなかったんだ・・・。」
 
「でも結局お前はカレンと再会して、後を追っかけていった、そう言うことだな。」
 
「あの時は・・・何も考えられなかったんだ。頭の中が真っ白になって、走っていくカレンの背中だけしか見えなくて・・・。気がついたら走り出していた・・・。追いかけて、つかまえて、抱き寄せたのに・・・結局は、僕では彼女に何もしてやれないってことを、改めて思い知らされただけだったんだ・・・。」
 
「何があったんだ・・・。」
 
「抱き寄せた途端突き飛ばされて怒鳴られたよ。何のためにわざわざ追いかけてきたんだってね・・・。こんな姿を見られたくないから、僕の前から姿を消したのにって・・・。」
 
「・・・つまり、あの女もお前のことは本気だったってことか・・・。だいたい娼婦の服なんぞ、服としては役に立ってないようなもんだ。胸の谷間は丸見えだし、スカートには太ももまでスリットが入ってるし。でも最初から騙したつもりなら、その格好で迫ってまたお前が引っかかれば上客になるわけだしな。」
 
「追いかけたりしなければよかったんだ・・・。あの時知らぬふりしてやり過ごしていれば・・・わざわざもう一度彼女を傷つけなくても済んだのに・・・。」
 
「今さら言ってみても始まらないさ。」
 
「ああそうだ!今さら何を言っても・・・もう遅い・・・!」
 
 怒鳴るようなライザーさんの声で私は我に返った。もっと前にここを離れるつもりだったのに、聞きたくなんてなかったのに、どうして聞いてしまったのだろう。ライザーさんが島を出てから今までの間に、イノージェン以外の女性とつきあうことがあったかも知れないと思ったことはあった。いや、むしろそのほうが自然かも知れないとさえ考えたこともある。でも・・・その一方で、きっとそんなことがあるはずがないと思っていた。私の仮入団の日に、島を出てからずっとイノージェンが心の支えだったと言っていたあの言葉を、彼女を幸せにしてくれると言っていたあの言葉を信じたかった。イノージェンはひたすらにライザーさんだけを思って生きているのに、ライザーさんが他の女性に心を移していたなんて・・・どうしても思いたくなかった。いつの間にか涙が流れていた。島の岬に立ち、王国の島影を見つめ続けるイノージェンの背中。ライザーさんの話をしながら、寂しげに微笑む横顔。次々と脳裏に浮かんでは消えていった。今の私にとって、イノージェンは既に『愛しい女性』ではない。でも大事な友人であることに変わりはない。部屋に飛び込んでライザーさんに詰め寄りたいのをやっとのことでこらえて、私はそっと体の向きを変えた。今度は足も動いた。とにかく一度ここから立ち去らなければならない。そして改めて戻ってこよう。今度ははっきりと足音が聞こえるように・・・。
 
 私はそっと歩き出した。足音を立てないように一歩踏みだし、もう一歩進もうとした時、靴のかかとが床にあたり、小さくこつんと音をたてた。
 
「誰だ!!」
 
 鋭い声と共に扉がバンと開き、オシニスさんが顔を出した。もっと早く立ち去るべきだった・・・でも・・・もう遅い。
 
「・・・お前か・・・。まさか・・・聞いていたのか・・・。」
 
「す、すみません。扉が開いてて、あの・・・聞くつもりじゃなかったんですけど・・・。」
 
「こう言うところで聞いていたやつは大抵そう言うんだ・・・。とにかく入れ。」
 
「すみません・・・。」
 
 私は仕方なく部屋に入った。ライザーさんは床にぺたんと腰を下ろし、壁にもたれかかっていた。私を見る瞳は虚ろで、その頬には涙が流れた跡が幾筋もついていた。
 
「どこから聞いていたんだ。」
 
 オシニスさんが険しい顔で尋ねる。彼の眼もまだ赤く腫れたままだった。
 
「あの・・・私達のことが大丈夫かどうか落ち着かないってオシニスさんが言ってたところから・・・です・・・。」
 
「ほとんど全部聞かれていたってことか・・・。」
 
 ばか正直に答えた私に、オシニスさんがため息をついた。
 
「ここは通路のどん詰まりだからな。向かい側の部屋は物置だし・・・うっかりしてたな。まさか聞き耳を立てていた奴がいたとは・・・。」
 
「すみません・・・。」
 
 何だかさっきから、私は謝ってばかりいる。でも仕方ない。結果的に盗み聞きをしていた私が悪いのだ。
 
「で、お前は何でここに来た?」
 
 オシニスさんの鋭い視線に、身の縮む思いだった。
 
「あの、副団長がお呼びです。それを・・・言いに来たわけだったんですけど・・・。」
 
「聞いてしまったと言うことか・・・。」
 
「はい・・・。」
 
「・・・がっかりしたか?」
 
「え?」
 
 オシニスさんの言葉の意味が呑み込めず、私は思わず顔をあげた。
 
「いや・・・俺達のことさ。俺達はお前が思ってるほどわき目もふらず剣一筋ってわけじゃないってことだ。これでも一応健康な男だからな。人並みに女にも興味はあるというわけさ。ま、エリオンさん達ほどじゃないがな。」
 
「いえ・・・そんなことは・・・ないです。だってお二人ともあんなに強いじゃないですか・・・。」
 
 オシニスさんに好きな女性がいるらしいこと、そしてそのことでやりきれない気持ちをごまかすために歓楽街をうろついていたらしいことはわかったが、それはどうやら3年も前のことらしい。それに、何があろうとあれだけの腕を維持しているのだから、やはり彼らは剣一筋に精進していると言って差し支えないような気がした。
 
「強さだけなら、今のお前だって俺達にひけはとらんさ。」
 
「まさか・・・私なんて・・・まだまだです・・・。」
 
 返事をしながら、私はライザーさんをちらりと見た。ぼんやりとしたまま、虚空を見つめている。この人がこれほどまでに打ちひしがれている姿を見たのは初めてだった。そしてふと、初任務で南地方に行った時のリーザの言葉が甦った。
 
『でも・・・一人の人をずっと想い続けるって難しいのかな・・・。いずれは心変わりしてしまうものなのかしら・・・。』
 
 15年・・・いや、もうもっと過ぎるかも知れない。そんなに長い間にはきっといろんなことがある・・・。カレンという女性を、ライザーさんがどれほど愛していたか、その女性を失った時の衝撃がどれほどのものであったか、さっきの話を聞けばわかる。でも納得したくない。いや、別に私が納得しようがしまいがそれは事実であり、私は彼に文句を言う権利など持ち合わせてはいない。心の中で二人の自分が戦っているような気がした。冷静にこの事実を受け止めようとする自分と、だだをこねて耳を塞ぐ自分・・・。
 
「ところで・・・何でお前泣いてるんだ?」
 
「あ・・・あの・・・。」
 
 ライザーさんに恋人がいたのがショックだったなんて言えない。うまい言葉が見つからず、私は思わず唇を噛みしめた。そしてまた涙がこぼれた。
 
「ライザーが他の女を好きになったのがショックだったのか。」
 
 ズバリ言い当てられてぎょっとした私は思わず顔をあげた。オシニスさんは私を見つめ、くすっと小さく笑った。
 
「顔に書いてあるよ。お前って、笑っちゃうくらい素直な奴だな。最もそのくらいだから短期間でここまでになったんだろうしな・・・。」
 
「クロービス・・・。」
 
「あ・・・は、はい・・・。」
 
 不意にライザーさんに呼ばれて、私は彼に視線を移した。
 
「君にはこんな話、聞かれたくなかったな・・・。」
 
 私だって聞きたくなかったと、喉元まで出かかった言葉を、やっとの事で押さえ込んだ。彼らが私に聞かせたわけじゃない。私が勝手に聞いたのだ。扉の陰に隠れて盗み聞きをした・・・。今さらながら、自分の行動が恥ずかしかった。
 
「島を出てから、イノージェンがずっと僕の心の支えだったことは本当だよ。でも・・・カレンと出会って、彼女を愛して、彼女さえいてくれればもう何もいらないとさえ思ったときがあったことを、僕は君に言えなかった。それだけじゃない。15年間イノージェンのことだけを想っていたような言い方をして・・・僕は君に嘘をついたんだ・・・。」
 
 ライザーさんは虚空を見つめたまま独り言のように話していたが、私に視線を向け寂しげに微笑んだ。
 
「軽蔑するかい?・・・されても仕方ないけどね・・・。」
 
「それじゃどうしてイノージェンに手紙を書いたんですか?約束を忘れてないって、どうしてわざわざ知らせたんですか?」
 
 イノージェンの姿が脳裏に浮かんだ。手紙をもらったと話してくれた時の嬉しそうな顔。その返事を出せなかったと言った時の悲しそうな顔・・・。いっそ手紙など来なかったら、もしかしたらイノージェンのほうもライザーさんを忘れられたかも知れない。すぐそばであんなに彼女を想ってくれているグレイの気持ちに、応えることが出来たかも知れない。
 
 そんなことはあり得ないとわかっているのに・・・。
 
「試験に合格した時、どうしてもそのことを最初にイノージェンに知らせたかったんだ。島を出てからずっと心の支えになってくれていた彼女を、僕は一度忘れた。でもどん底に落ちた僕を立ち直らせてくれたのも、やっぱりイノージェンだった。その時の僕にとってイノージェンはやっぱり大事な存在だったんだ。だから手紙を書こうと思ったんだ。僕が約束を憶えていることを、そして必ず果たすと言うことを彼女に知っていてほしかったから。でもいざ書き始めて迷った。一度は忘れてしまっていたのに、今さら何をムシのいいことをって思ったら、何となく後ろめたくて、しばらくの間書くのをためらっていた・・・。そしてやっと決心して出した手紙の返事が来なかったことで、もうイノージェンは僕を忘れてしまったんだと思った時、そのことを悲しんでいる自分とほっとしている自分がいたんだ・・・。でもそれでも、約束だけは果たさなければならない、そう心に決めていた。その気持ちだけは今も変わらないよ・・・。」
 
「約束を果たして・・・それからはどうするんですか・・・?」
 
 私はオシニスさんと同じことを尋ねた。仮入団の日に聞いた言葉を、もう一度はっきりとライザーさんの口から言ってほしかった。
 
「僕達の話を聞いていたのなら、僕の答はさっきと同じだよ。その先をどうするかなんて、そんなことを考える資格は僕にはない。」
 
「でも、イノージェンは待っているんです。」
 
 ライザーさんは答えず、しばらくの間眼を閉じて何かを考えているようだった。そしてゆっくりと目を開くと、虚空を見つめたまま、口を開いた。
 
「・・・君の仮入団の日・・・イノージェンの話が聞けて、うれしかったんだ。彼女が僕を忘れてないどころか待っていてくれると聞いて、本当にうれしかったんだ。でも・・・僕がカレンを愛していたと言うことも事実だ。誰に何を言われようと、胸を張って言えるはずだったんだ。なのに・・・僕はそのことを君に言えなかった。カレンのことを隠して、自分に都合のいいことばかり話していたんだ。君は僕のことを憶えていなかったのに、僕を信じてサミル先生のことをみんな包み隠さず話してくれたっていうのにね・・・。僕はいい加減な男だよ。こんな大馬鹿者が、イノージェンを幸せにする資格なんてあるはずがないじゃないか・・・。」
 
 ライザーさんの頬を、涙が一筋流れ落ちた。
 
「・・・でも・・約束してくれたじゃないですか・・・。」
 
 ライザーさんがどれほど打ちのめされているかわかっているはずなのに、なおも私は言い募った。だだをこねているほうの自分が、どうしても黙って引き下がってはくれなかった。
 
「君にイノージェンを幸せにしてくれと言われた時、もしそう出来るならどんなにいいだろうと思ったんだ。あの島に帰って、また昔のようにみんなと楽しく暮らせたら、どれほど素晴らしいだろうと・・・。でも僕には、出来ない・・・。」
 
「どうして!?資格なんていらないじゃないですか!本当に好きなら・・・相手の過去なんてどうでもいいじゃないですか・・・。ライザーさんだってそうだったんじゃないんですか?カレンさんて言う人が娼館の人だって、ライザーさんが最初じゃなくたって、そんなことどうでもよかったんじゃないんですか?イノージェンのことを大事に想ってるのならどうして・・・!」
 
 涙で声が詰まった。
 
「クロービス、僕は王国剣士なんだ。僕の仕事はこのエルバール王国とここに住む人々を守ることだ。この仕事を続ける限り、あの島に帰ることは出来てもそこにとどまることは出来ないんだ。果たせないかも知れない約束なんて、するべきじゃなかったんだ・・・。ごめん・・・。今さらこんなことを言うのが、どれほど君を傷つけるのかわかってるけど・・・。今の僕にはこういう言い方しか出来ないんだ・・・。」
 
「イノージェンは待っているんです。ライザーさんが自分の元に帰って来てくれることだけを、ずっと待っているんです。帰って顔を合わせて終わりだなんて、ひどすぎます!・・・そんなつもりでいたなら、最初からそう言ってくれたらよかったじゃないですか!・・・無理して約束なんて、してくれなくたってよかったのに・・・!」
 
「クロービス!もうよせ!」
 
 オシニスさんに肩を掴まれ、我に返った。自分がどれほどひどい言葉をライザーさんに投げつけたか気づいて、顔から血の気が引く思いだった。
 
「いいんだよ、オシニス・・・。悪いのは僕なんだ・・・。」
 
「・・・そんなに自分を責めるなよ。」
 
 オシニスさんがいたわるような視線をライザーさんに向けた。
 
「君と僕の立場が逆だとしたらどうする?僕にそう言われて、君は「はいそうですか」と受け入れられるか?」
 
「・・・痛いところをついてきやがるな・・・。」
 
「君が僕を心配してくれるのは嬉しいよ。でもこれは・・・僕の問題だ・・・。僕は必ずあの島に帰る。そしてイノージェンにすべて話すつもりだ。そうすれば・・・彼女だって僕に愛想を尽かすさ。こんな男を何年もの間待っていたなんて、きっと悲しむだろうけどね・・・。」
 
 言いながらライザーさんが立ち上がり、私に背を向けた。言いたいことはたくさんあるはずなのに、口を開こうとすると何も出てこないもどかしさで、また涙が流れた。悔しいのか悲しいのか、自分でもわからなかった。
 
「・・・おいライザー、思い出したぞ。」
 
 ふいにオシニスさんが口を開いた。
 
「何を?」
 
 ゆっくりとライザーさんがオシニスさんに振り向く。
 
「俺達の殴り合いの原因さ・・・。あの日カレンと会ったあと、宿舎に戻ってからお前とそのことで口げんかをしたじゃないか・・・。お前は部屋に入るなり、あんなところに行くなって俺を怒鳴りつけたんだ。その言いぐさがどうにも八つ当たりみたいに思えて気に入らなくてな、俺も怒ってしばらく言い合いしたんだよ。そして次の日の朝、お互い気まずくて口も聞かずにいた時に、ランドにからかわれたんだ。『女の取り合いでもしたのか』って。俺が『こいつにそんな度胸はない』って言ったら、お前が『昨日の続きか』ってまた怒って・・・。そうだ、それで俺がカッとしてお前に殴りかかったんだ。ははは・・・思い出したよ。」
 
「そうか・・・そういえばそうだね・・・。」
 
 その時、廊下で足音が聞こえ、扉がノックされた。
 
「どうぞ。」
 
 オシニスさんの声に応えて顔を出したのはカインだった。
 
「失礼します。クロービスが来て・・・あ!お前何やってんだよ!?副団長が待っているんだぞ!?」
 
 カインは私に向かって怒鳴りつけたあと、青い顔で黙り込むオシニスさんとライザーさんの顔を見て、ハッと息をのんだ。
 
「あ・・・あの・・・どうかしたんですか?」
 
「あ、いや何でもないよ。それより副団長は怒ってたか?」
 
「い、いえ。眠そうであくびしてましたけど。」
 
「よし、それじゃ行くか。お前達はどうなんだ?一緒に来るようにってか?」
 
「いえ、俺達はもう休めって。」
 
「そうか。たぶんお前達の訓練のことだろう。明日は最終日だからな。きっちり仕上げてやるよ。お前達はもう部屋にもどれ。」
 
「わかりました。おい、クロービス、いくぞ。・・・どうしたんだよお前・・・?」
 
 カインは泣き腫らして真っ赤になった私の目を覗き込んだ。
 
「何でもないよ。行こう。オシニスさん、ライザーさん、失礼します。」
 
 私は二人と目を合わせないようにして、半分逃げるように部屋をでた。カインがあわててあとを追ってくる。廊下を歩きだした時、
 
−−クロービス・・・すまない・・・−−
 
突然聞こえてきた声に私は立ち止まり、振り向いた。カインも立ち止まり、ぎょっとした顔で私を見ている。
 

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