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「今の季節は過ごしやすくていいよ。ま、冬場に来てもらうのが、島のことを一番よくわかってもらえるんだけどね。」
 
「寒いのよね?」
 
「すごくね。でも極北の地の巡回よりはまだマシなんじゃないかな。」
 
 リーザの二次試験は、確かハディがサポートについて極北の地を巡回するというものだったと、大分昔聞いた記憶がある。
 
「へえ・・・。私の二次試験の時は極北の地だったって話は前にしたわよね。」
 
「聞いたよ。」
 
「え!?あそこの巡回?」
 
 妻が驚いた声を上げた。
 
「あら、そう言えばウィローには話したことなかったわね。私の二次試験は極北の地だったのよ。確かに寒かったんだけど、それよりもハディの愚痴がすごくてねぇ。どうせこんなところを巡回したって誰も見ていないのにどうやって評価するんだとか、聞いてるだけでもうんざりするほどだったのよ。」
 
 リーザが笑った。
 
「でも誰も見ていないって事はないはずだよね。」
 
「もちろんよ。セルーネさんとティールさんには会ったわ。吹雪の中でいきなり出てこられたものだから、ハディが赤くなったり青くなったり忙しいったら。」
 
 妻も私も思わず笑い出してしまった。
 
「しかもあの2人に出会う前にハディが悪態をついていたこととか、全部剣士団長に報告されていてねぇ。『ハディのお守りをさせたようですまなかったな』なんて言われたのよ。」
 
 そしてその後、リーザはもう一度確認されたという。
 
『ガーランド男爵家の家督相続の権利を放棄するかどうか』
 
「今ならまだ引き返せる。だがここで放棄すると言えば、もう後戻りは出来ないんだ。ここで入団辞退をすることは少しも恥ではない。どうだろう?ってね。」
 
 リーザは気持ちが変わらないときっぱりと言ったらしい。
 
「・・・自分の意思で家との関係を断ち切ったつもりだったんだけど、やっぱり私はずっと『ガーランド男爵家の嫡子』であることにこだわっていたんだなあって、今になって思うわ。」
 
「でももう、その位置に君がいる必要はないんだ。今その位置に立つのは、ラッセル卿の嫡子だからね。」
 
「そうよね・・・。こだわりは執着を生むって、わかっていたつもりだったんだけど・・・。」
 
「それは仕方ないよ。君はずっと家督相続をするつもりでいたんだろう?いきなりそれをやめたからって考え方まできれいに切り替えられるもんじゃない。」
 
「その考え方を切り替えるために、一番いいのは結婚することなのよね。」
 
「それだって今すぐに決めなければならないってものでもないさ。君が今すべきは、頭を空っぽにしてぼーっと過ごすことだよ。あれもやらなければこれもやらなければなんて考えていたら、ちっとも心が安まらないからね。」
 
 リーザは曖昧に笑ったが、何も言わなかった。自分の中で結論が出ているわけではないのだろう。焦りは禁物だ。ゆっくりと心をほぐして、先のことを考えるのはそれからだ。
 
 
「失礼します。引継の時間です。」
 
 扉がノックされて、夜勤の医師と看護婦がやってきた。この2人は夕食と夜の薬を持って来てくれる。簡単な引継をして、私達は病室を出た。どうやら今日は、2人とも弁当を持参したらしい。1人で食べるというのも味気ないものだから、一緒に食事をしませんかと言われ、リーザは嬉しそうだった。こう言う気遣いはありがたい。
 
 
「あの2人はいい人みたいね。」
 
 妻も心配していたので、先ほどの弁当の件を思い出したのか、ぽつりと言った。
 
「いい人達だと思うよ。口も固そうだしね。」
 
 リーザについて、或いはガーランド男爵家について、出回っているいい加減な噂の出所は、ほとんどが御前会議の大臣達から漏れたものらしいと、オシニスさんが言っていた。
 
『ガーランド男爵家の周囲を嗅ぎ廻っているのはホルテック卿だけじゃない。ま、ホルテック卿よりは遙かにうまくやっているようだがな。だが自分のところの密偵のみを使っていてさえ情報は漏れるんだ。じいさんが今洗い出している最中らしいぞ。まだ前男爵の件が片付いていないから公表は控えているらしいが、さて大臣達の何人が残るか、賭けでもしたいくらいだ。』
 
(前男爵か・・・。)
 
 目が覚めたのがリーザより早かったんだから、一日か二日過ぎたくらいだろうか。ラッセル卿達は何も言ってないだろうから、イノージェンを相続人に加えることが出来たと思い込んでいると思う。その件についてはもう少し会話が成立するくらいまで回復してから、話をすることになっているらしい。大騒ぎになりそうな気がするが、私に出来ることはない。
 
 
 宿に戻ったところ、今日はカウンターに空きがあるからここで食事はどうだと聞かれたので、2人分の席を用意してもらうことにした。珍しくバカ騒ぎをする客がいないそうで、ラドも老マスターも笑顔だ。『こんな日もあってもいいよなあ』ラドがそう言って笑っていた。
 
 
「ねえ、本当は、オシニスさんから何か聞いてるんじゃないの?」
 
 妻からそう尋ねられたのは、食事が終わって部屋に戻ったあと、風呂に入ってさっぱりして戻って来た時のことだった。
 
「何かって何を?」
 
「リーザのことよ。復帰後は未定ってことだけど、実は何か決まってるって事はないの?」
 
「決まっているのかどうかはわからないな。私は何も聞いてないよ。」
 
「本当に・・・?」
 
 妻の口調は私を疑っているようだ。
 
「本当に何も知らない。でもどうしてそんなことを聞くの?」
 
 この質問に、急に妻の歯切れが悪くなった。
 
「それは・・・その、本当は何かあるのかなって・・・。」
 
「それじゃ聞くけど、そういうことがあるよって私が言ったら、君はどうするつもり?それをリーザに伝える?」
 
「それは・・・。」
 
 妻が言葉を濁した。リーザが心配な気持ちはわかるが、そんなことをリーザに言うのは全くの余計なお世話だ。それに私だって何か知っているというわけじゃない。そんなに悪いことにはならない、私が聞いているのはその程度だ。そんな不確かな情報を私は誰にも言うつもりはない。迂闊に口に出せばリーザに伝わる可能性があるとなればなおさらだ。
 
「何も聞いてないよ。それに、何か聞いているとしても、リーザにそれを言ってはいけないって事くらい、君だってわかると思うけどな。」
 
「それは・・・そうなんだけど・・・。」
 
「フロリア様、レイナック殿、それに御前会議と剣士団の決定なんだから、私達が口を出すべき事ではないよ。リーザは受け入れて前に進もうとしているんだ。無理はさせられないけど、それは間違いなく余計なことだよ。」
 
「・・・・・・・・。」
 
 妻が黙り込んだ。オシニスさんから詳しい話を聞いておかなくてよかった。本当に知らないのだから、何も言いようがない。
 
 
 翌日は早めに宿を出た。今日の午前中はラッセル卿夫妻とチルダさん夫妻が病室を訪ねてくる日だ。妻がもやもやした気持ちを抱えているのは気づいているが、今回ばかりは私も何も言ってやれないので、気持ちが静まるのを待つしかなさそうだった。
 
 
 王宮のロビーはまだそれほど混んではいないが、玄関前には人が集まり始めている。見学の人達だろう。人混みをすり抜けて中に入ると、受付嬢が準備をしているところだった。また変な誰かに声をかけられないうちにと医師会への通路に向かう。途中で朝食を運んできてくれたセーラと一緒になった。
 
「おはよう。いつもありがとうセーラ。」
 
「おはようございます。ローランではもっと早いんですよ。だからかえってゆっくり出来ています。」
 
 そのあとローランでの仕事のことで少し話をしながら一緒に歩いた。リーザの部屋では夜勤の医師と看護婦が待っていてくれて、簡単な引継のあと引き上げていった。昨夜はリーザがうなされたりもせず、穏やかな夜だったらしい。
 
「リーザさん、お食事です。お薬も用意しておきますからね。」
 
「ありがとう、セラフィさん。」
 
 リーザの食事は昨日よりも少し量が多めになっている。全体的に柔らかめに煮込んだものなので、食べにくくはないようだ。そして妻はと言うと、セーラとの会話も半分上の空、ずっと苛立っているようだ。何かしてあげたいのに何も出来ない、そういうことなんだろうなと思うが、いつまでもリーザの処遇のことにこだわっていられたのでは困る。いつもは冷静なのだが、こう言う時には感情に流されやすい。
 
(医者だって生きた人間なんだから、そういうこともあるけど・・・感情に流されて重要な判断を見誤るようなことになったらと思うと、やっぱり医師になるのはやめたほうがいいかもと思っちゃうんだよな・・・。)
 
 リーザが食事を終えて薬を飲み始めた時、妻が言い出した。
 
「ねえリーザ、あなたこのままでいいの?」
 
「え?何?」
 
 リーザはきょとんとしている。
 
「あなたの処分のことよ。戻って来た時の所属が未定なんて不安じゃないの?」
 
 リーザがくすりと笑った。
 
「心配してくれるのね。ありがとうウィロー。でも大丈夫。この手の処分というのはね、いつだってこう言うものなのよ。自分が悪くて処分されるわけだから、復帰出来るだけでもありがたいことなの。だから復帰したあとどこに配属されても、それを受け入れるつもりよ。」
 
「だけど何もわからないなんて・・・。何かしら聞いた方がいいんじゃない?私が聞きに行けば・・・。」
 
「それはやめてね。」
 
 妻が言い終わらないうちに、リーザがきっぱりと言った。
 
「で、でも何かしらわかることがあるかもしれないわ。そうすれば・・・。」
 
「ウィロー、あなたが心配してくれるのはわかる。そして私が母の影から抜け出すためにあなたが手を貸してくれることはとても嬉しいわ。でもね、こう言った処分が出た時、王国剣士はそれに従わなければならないの。それなのに誰かに頼んでその後のことを聞きだしてもらおうなんて、ズルもいいところなのよ。だからウィロー、ここではっきり言っておくわ。もしもあなたの言う『手を貸してくれる』ことがそんなずるいことをしてくれるって事なら、私はあなたが差し伸べてくれる手を取ることは出来ないわ。」
 
 言い終えて、リーザはまた薬を飲み始め、ゆっくりと飲み終えた。妻は悔しげに唇を噛んで黙り込んでいる。
 
「ウィロー、リーザの言うとおりだよ。君や私がこっそりオシニスさんやセルーネさん辺りに詳しい処分の内容や復帰後の部署について聞きに行ったりしたら、リーザの立場を悪くすることになるんだよ。だからこの話はおしまい。君が納得行こうが行くまいが、ここまでにしてもらうよ。」
 
 妻は私を睨みつけ、黙ったまま病室を出て行ってしまった。
 
「リーザ、ごめんね。大事な友達のこととなると、どうしても感情に流されやすいんだよな・・・。」
 
「いいわよ。私のことを思って言ってくれたんだもの。それはありがたいと思ってるの。でも私は王国剣士団に所属する王国剣士で、しかも今回のことは私自身の弱さが招いたことなの。私はまだまだ王国剣士としてこの国のために働きたいのよ。だからどんなことが待ち受けていても、必ず乗り越えるわ。無理はしない。だからってズルは絶対にしないわよ。謹慎期間明けには、胸を張って堂々と職場復帰したいもの。」
 
「そうだね。その謹慎期間は、実家でのんびりしてるといいよ。」
 
「そうよね・・・。出来るだけいい方に捉えて、どんな部署に配属されたとしても、その職務を全うしたいと思ってる。ウィローが分かってくれるといいんだけど・・・。」
 
「頭が冷えれば大丈夫だと思うよ。君のことで何かしてあげたいけど何も出来ないことが、もどかしいだけだと思うから。」
 
 リーザが寂しげに笑った。さてその妻はどこに行ったのか。子供じゃないんだし、ほっとくしかなさそうだ。もしもオシニスさんのところや、ランドさんのところに話を聞きにでも行けば、自分が考えていることがどういう結果を招くか、しっかりと言い聞かせてもらえるだろうが、以前オシニスさんにはきっぱりと言われていることだし、剣士団には行かないんじゃないかと思う。だとすると、セルーネさん辺りか・・・。
 
(ウィローはどこかの組織に属して働いたことがないからなあ・・・。)
 
 剣士団に限らず、どんな組織であれそこで働いていれば、理不尽な思いをすることはいくらでもある。今回のことにしたって、リーザに非がないなら戦うという選択肢もあるが、そうではないのだ。あくまでも『非があって処分される』のだから、その先に何が待ち受けていようと従うしかない。その組織に所属し続ける限りは。
 
 
「失礼します。入ってもいいでしょうか。」
 
 ノックと共に聞こえた声は、ラッセル卿のものだ。
 
「リーザ、そのままでいる?ベッドに入ったほうがいいなら入ってもらってもいいよ。」
 
「それは別にいいわよ。もう着替えもしているしね。このまま会うわ。」
 
「わかった。それじゃ開けるよ。」
 
 私は扉を開け「どうぞお入りください。」と言った。入ってきたのは、ラッセル卿夫妻とチルダさん夫妻だ。
 
「おはようございます。あ、姉上・・・。」
 
 ラッセル卿はリーザを見るなり泣きそうになった。隣のリンガー夫人は既に泣いている。そのあとから入ってきたチルダさんは、涙を隠そうともせずリーザに向かって突進し、抱きついた。
 
「お姉様!よかった・・・よかった・・・。」
 
 リーザは『心配してくれてありがとう』と言いながらチルダさんの頭を撫でている。
 
「義姉上、お元気そうで安心しました。チルダ、君が離れてくれないと、私達が挨拶出来ないよ。」
 
 最後に入ってきたロゼル卿はそう言って、チルダさんの肩に手をかけた。
 
「あ、あの・・・ごめんなさい、お姉様・・・。お元気そうな顔を見たら・・・。」
 
「ふふ、ありがとうチルダ。ラッセルもリンガーさんもロゼル卿も、本当に心配をかけてしまってごめんなさい。」
 
 その後全員がテーブルに着き、今回の件の説明をすることになった。
 
「ねえクロービス、私のことだから、私が話していいわよね。」
 
「もちろん。もしも曖昧になりそうになったら、私が捕捉するよ。」
 
「ええ、わかった。」
 
 そして、リーザは自分の身に起きたことを話し始めた。リーザが目覚める前に私が『あくまで推測』として話した内容より、実際はもっとひどいものだった。ラッセル卿は顔を強ばらせ、膝の上で握りしめられた拳が震えている。リンガー夫人とチルダさんは涙をハンカチで抑えている。ロゼル卿は、結婚前にチルダさんが置かれていた状況が、聞いていた話よりも大変な状態だったのだと知って、青ざめていた。
 
「・・・勘違いしないでほしいのはね、父様と仲違いする前の母様は、普通に優しい人だったということよ。私には支配的な事を言っていたけど、でもそれも、母様が意識していたとは思えない。すべては私のため、ひいてはガーランド男爵家のためになると信じていたんでしょうね。」
 
 リーザとしても、母親との楽しかった思い出はあるので、今回の自分の行動がすべて母親のせい、母親がすべて悪いとは思いたくないと、目覚めた後話した時に言っていた。
 
『全部母のせいにして憎んでしまったら、私は自分の心を縛り続けることになるんじゃないかっていう気がするの。だから憎みたくはないわ。優しい母の記憶がないわけではないんだもの。』
 
 
「今回のことは、あくまでも私の心の弱さが招いたこと。そのせいでみんなに迷惑をかけてしまったことはとても申し訳なく思ってるの。でも私は、母様の支配から抜け出さなくてはならない。だからみんなに力を貸してほしい。どうかお願いします。」
 
 リーザが立ち上がって頭を下げた。
 
「お姉様、頼むなんて仰らないで。わたくし達は姉妹なんですから、わたくしに出来ることなら何でもいたします。」
 
「チルダさんの仰るとおりですわ。お義姉様は、わたくしが結婚したあとずっとよくしてくださいました。お義母様はわたくしとは口も聞いてくださらなかったけど・・・お義姉様は帰ってこられるたびにわたくしの話を聞いてくださいました。少しでも恩返しが出来るなら、わたくしも何でも致しますわ。」
 
「姉上、申し訳ありません・・・。私が不甲斐ないばかりに・・・。」
 
 ラッセル卿はどうしても自分のせいだとしか思えないようだ。ここは少し話しておくべきだろう。
 
「ラッセル卿、今回の件について、確かに君の責任というものはあるだろう。だがすべて君のせいではない。そして、これが一番重要なんだけどね、リーザがお母さんの影から抜け出すために必要なのは君を含む家族の力であって、誰が悪いかを言い合うことではないんだよ。反省することが悪いなんて言わないよ。でもリーザのためには、一度その考えを捨てて・・・いや、それは難しいね。せめて少しの間だけでも、脇に置いておいてくれるとありがたいんだけど、どうかな。」
 
「・・・・・・・・・。」
 
 ラッセル卿が黙り込んだ。少しの間考えているようだったので、私も黙っていた。彼の気持ちはよくわかる。だが今回のことでラッセル卿には全面的に協力してもらわなければならない。
 
「・・・そうですね・・・。確かに仰るとおりです・・・。でもクロービスさん、脇に置いておく前に、せめて姉に謝罪する機会をいただけませんか。私は、一度ここでけじめをつけたいんです。それでないと私が前に進めないような気がして・・・。」
 
「それもそうだね・・・。いや私の配慮が足りなかったよ。君が今回のことでどれだけ辛い思いをしたのか、見ていたはずなのにね・・・。」
 
「いえ、クロービスさんには感謝しています。病室で目が覚めたあともふてくされたような態度を取る私に、優しい言葉をかけてくださったことは忘れません。あの時私は、自分の愚かさに気づかされました。これから先、姉を助けていけるよう、ここで一度謝罪したいと思います。よろしいでしょうか。」
 
「わかったよ。リーザ、ラッセル卿の話をまず聞いてくれるかい?」
 
 話をここでやめてしまっては、今度はラッセル卿がやりきれない思いを抱えたままになるか・・・。ラッセル卿だって今回の一連の騒動の被害者の1人でもある。リーザのために協力してもらうには、まず彼の心が穏やかで安定していないと難しい・・・。あまりいつまでも頭を下げられ続けることがないように、どこかで一度吐き出すと言うのも大事なことだ。
 
(私もまだまだだなあ・・・。)
 
 傷ついているのはどちらも同じなのだから、もっと配慮すべきだった。反省しよう。
 
「ええ、話を聞くわ。」
 
 リーザが笑顔で頷き、ラッセル卿はリーザを見つめて深く頭を下げた。
 
「姉上、此度のこと、本当に申し訳ありませんでした。クロービスさんの仰るとおり、誰が悪いかを言い合ったところで何も始まらないと言うことは重々承知しております。ですが、私がもっと心を強く持っていれば、すべてとは行かなくても、ここまで騒ぎを大きくしなくてすんだのではないか、ずっとそのことばかり考えていました。今ここでけじめをつけるために、姉上に謝罪させていただきたいのです。私の謝罪を、受け入れてくださるでしょうか・・・。」
 
 リーザはずっと黙って聞いていた。その心の内はとても静かだと思った。
 
「ねえラッセル、私もね、あなたに謝らなくちゃならないとずっと思ってたのよ。」
 
「姉上が私にですか・・・?」
 
 ラッセル卿は驚いた顔でリーザを見ている。
 
「そうよ。あなたの謝罪の話を先延ばしにして申し訳ないんだけど、少し私の話を聞いてもらっていい?」
 
「伺います。」
 
 ラッセル卿の答えは早かった。リーザは微笑んで口を開いた。
 
「今回のことよりずっと前、そうね・・・イノージェンさんを相続人に加えると父様が言い出したころからかな・・・。あの時、私はそんなこと飛んでもないと思った。うちが裕福でないことは、外に出た私にだってわかるのに父様は何を考えているんだろうって、とにかく腹が立っていたわ。私達が会ったこともないような人を相続人に加えるなんて、財産を乗っ取ってくださいと言ってるようなものだって・・・。私はその考えに凝り固まって、あなたをずいぶん煽ってしまった・・・。冷えた頭で考えれば、一度話し合うって事も出来たはずなのにね。あなたの危機感を煽って募らせて、そのこともあなたが追い詰められる一因になったんじゃないかって、ずっと考えていたのよ・・・。」
 
「・・・そうだとしても、私は姉上のお考えに賛同しました。イノージェンさんは我が家を乗っ取るつもりでいる危険な人物だと、私も思ってしまったのです・・・。」
 
 なるほど・・・。ドーンズ医師の讒言ばかりが原因ではなかったのか・・・。もっとも前男爵が自分と夫人の仲違いの原因になった女性との間に出来た子供を、相続人に加えようなんて言い出さなければ、こんなことにはならなかったかも知れないのに・・・。
 
「あなたの賛同を得たことで、私はイノージェンさんを排除することに考えが行ってしまったわ。チルダはずっと、一度話し合ってはどうかと言ってくれていたのに、さっさと家を出た人間は黙っていろなんて、あんなひどい言葉を自分が妹にぶつけたなんて、信じられないくらい・・・。」
 
 リンガー夫人が驚いたようにリーザを見たのがわかった。そして同時に『声』が聞こえた。
 
 −−≪・・・まさか・・・お義姉様までそんな・・・。≫−−
 
 はっきりと『落胆している』とわかる『声』だった。
 
 お義姉様まで、ということは・・・もしかしたらラッセル卿がそんな話をしていたのを聞いていたのだろうか・・・。
 
(リンガー夫人は優しい人のようだし、そんな話を聞いたとしたら夫のラッセル卿を窘めるくらいのことはするかも知れない・・・。)
 
 リーザは一呼吸おいて、また話し始めた。
 
「でもあの時私はそれが正しいことだと信じて疑わなかった。それがあなたを追い詰め、チルダを遠ざけ、そのうち私は、自分だけがガーランド男爵家の未来を憂えているのだと思うようになっていった・・・。それももしかしたら、母様の影にはまり込んでいたせいなのかも知れないけど、でもそれは間違いなく私が選んでしまったことよ・・・。母様から逃げ出したくて、勝手に家を飛び出して、相続放棄までしたのに、私は・・・『ガーランド男爵家の嫡子』であることにずっとこだわっていた。それは母様によって縛り付けられていたわけじゃなくて、私自身が手放したくなかったのよ・・・。それをすべて手放す覚悟があったなら、こんなに面倒なことにならなくて済んだのかも知れないのにね・・・。」
 
「姉上はいつも家のことを気にかけてくださいました。それが私にとっては心のよりどころだったのです。でも姉上に頼ってばかりでは情けない、私がもっと強くあらねばと・・・この家を背負って立てるよう強くと思いすぎるうちに、かえって私はまわりの言葉が聞こえなくなっていったのかも知れないと、今ならわかります・・・。」
 
「でも、あなたが家を継いで、これからガーランド男爵家は安泰だって、今は素直に信じられる。『ガーランド男爵家の嫡子』の立ち位置も、もう私がこだわる必要はない。ふふふ、大分すっきりしてきたわ。」
 
 リーザは微笑んで一呼吸おいた。
 
「ラッセル、リンガーさん、今回のこともそうだけど、自分の考えだけが正しいようなつもりで2人を振り回してしまってごめんなさい。それにチルダ、ロゼル卿、あなた達にもひどい言葉をぶつけてしまった・・・。許してくれるかしら・・・。」
 
「お姉様、わたくしはあの言葉がお姉様の本当の気持ちでないって信じてましたから。でもそうは思っても辛くて、夫にはずいぶんと話を聞いてもらいました。今お姉様の本当の気持ちを知って、とても嬉しいです。」
 
 チルダさんは笑顔で言った。
 
「リーザ義姉上、私のことはお気になさらず。若い頃からランサル子爵家のバカ息子と散々陰口をたたかれてましたからね。何を言われても全く気にしていませんよ。妻も私を頼ってくれて嬉しかったですしね。」
 
 ロゼル卿は肩をすくめて、大げさにため息をついて見せながらそう言った。
 
「お義姉様、わたくしは嫁いできてからずっと、お義姉様によくしていただきました。チルダさんと同じく、わたくしも、お義姉様の言葉が本当のお気持ちでないと信じていましたから、大丈夫ですわ。」
 
 みんな晴れやかな顔でリーザを見ている。
 
「ありがとう・・・。大分迷惑をかけてしまったのに・・・。ラッセル、あなたの謝罪はもちろん受け入れるわ。これからはまた昔のように、兄弟力を合わせていかなければね。」
 
「ありがとうございます。私も姉上を頼りにしています。家督を継いだというのに情けない言葉かも知れませんが・・・まだまだ当主としてはひよっこです。姉上、リンガー、そしてチルダもロゼル卿も、これからも力をお貸しください。」
 
 名前を呼ばれた全員が、もちろんですと声を揃えた。これで、すべてうまく行くように思えたのだが・・・。
 
(チルダさんの話はまだだな・・・。)
 
 ここでイノージェンとの話が出るだろうか。いつまでもしないわけにはいかない。それに・・・信じていたとは言っても、チルダさんはさっさと家を出た人間だと言われて深く傷ついていた。そのことを、さっきの会話だけで終わらせてしまっていいのだろうか。それに、リーザからは謝罪の言葉が聞けたが、ラッセル卿は自分が妹に何を言ったのか、まだそこまで考えが行ってないような気がする・・・。
 
「それでは・・・わたくしもきちんとお話ししなければなりませんわね・・・。」
 
 遠慮がちなチルダさんの声で、リーザもラッセル卿夫妻も、チルダさんと、となりにいるロゼル卿を見た。
 
「この間の話をするんだね。」
 
「ええ、いつまでも黙っているわけにはいかないわ。」
 
 ロゼル卿の問いにチルダさんが答えた。この間の話と言うことは、イノージェンとの交流についてか・・・。私はまず黙っていた方が良さそうだ。話を振られたところで答えればいいだろう。
 
「何か話したいことがあるのね。」
 
 リーザがチルダさんに尋ねた。
 
「はい。」
 
 チルダさんの表情には迷いはなかった。
 
「では聞くわ。あなたの話をちゃんと聞かないまま私は暴走してしまったし、もっと姉妹同士話をしないとね。」
 
「私も聞くよ。お前を冷たく突き放していたのは私の方だ。しかも相続についてもお前を抜きで進めようとしたりして、本当に・・・あの時の私はどうかしていた・・・。チルダ、嫁いでもお前は私の大事な家族の1人だ。どんな話でもちゃんと聞くよ。話してくれるか?」
 
 リーザもラッセル卿も、とても心は穏やかだ。今さらイノージェンとチルダさんの交流のことを聞いたとしても、いきなり怒り出すなんてことはないだろう。
 
「わたくし・・・イノージェンさんを家に招いてお茶会を開きましたの。」
 
 リーザだけでなく、ラッセル卿もリンガー夫人もギョッとしてチルダさんを見た。
 
「お茶会って・・・いつの話?」
 
 リーザが尋ねた。声が少し震えている。
 
「異議申し立てが終わってからですわ。イノージェンさんとガーランド男爵家の縁が法的にはっきりと切れたあとのことです。」
 
「しかし・・・イノージェンさんにどうやってお茶会の話を・・・。」
 
 ラッセル卿が不思議そうに尋ねた。
 
「それは私が頼まれて持っていったんだよ。」
 
 ここはきちんと話しておくべきだ。
 
「クロービスさんが・・・。」
 
 ラッセル卿が呟くように言った。
 
「そうだよ。異議申し立てが終わって、君が倒れて、担架で運ばれていったあとさ。」
 
「・・・あのあと?」
 
 リーザが尋ねた。ラッセル卿は黙り込んでいる。
 
「そうだよ。ラッセル卿の胃の中からあの「ハーブティ」をすべて吐き出させて、やっと顔色が少しだけよくなってきたんだよ。病室に寝ているラッセル卿のベッドの脇で、チルダさんが泣きながらイノージェンに一目会いたいと私に頼んできたんだ。」
 
「泣きながらって、どうして・・・。」
 
 そう呟いたのはリンガー夫人だ。
 
「あ、それは・・・その・・・。」
 
 チルダさんの歯切れが悪くなった。だがこれはいい機会だ。きちんと気持ちを話したほうがいい。
 
「チルダさん、あの時私に話してくれたように、あなたの気持ちをここで話してみませんか。リーザもラッセル卿も今は落ち着いています。あなたの気持ちを、ちゃんと受け止めてくれると思いますよ。」
 
「チルダ、君が話しづらいなら私が話してもいい。だけど、君のことだからね、君の口から話すのが一番だと思うよ。無理はしてほしくないけど、どうだろう。」
 
 ロゼル卿はチルダさんの辛い気持ちをずっと知っていたのだろう。チルダさんはロゼル卿を見て、笑顔になった。腹は決まった、と言うところだろうか。
 
「お話しします。」
 
 そしてチルダさんは、泣いていた理由について話してくれた。お茶会で私達に話してくれた内容と同じだ。
 
「そんな・・・。」
 
 リンガー夫人は真っ青になって涙を流している。
 
「あなた・・・本当にチルダさんにそんな話をされたんですの・・・?」
 
「それは・・・。」
 
 ラッセル卿が言葉を濁した。
 
「あれほど申し上げましたのに・・・。そのようなことを口に出してはいけないと・・・。」
 
 やはりそうか・・・。リンガー夫人はラッセル卿がチルダさんのことを「もう家を出たのだから関係ない」と言った話を聞いた、その上でそんなことは言ってはいけないと、ラッセル卿を諭したのだろう。ところが実際にチルダさんがそんな言葉をぶつけられていたなんて、驚いたし、悲しかったのではないだろうか。
 
(まだまだ大団円とは行かないみたいだな・・・。)
 
 この家族に決定的に足りていないのは、お互いが顔を合わせて語り合うことではないだろうか・・・。
 
(チルダさんの話が終わったら、提案してみた方が良さそうだな・・・。)
 
「先ほどのお義姉様のお話で、お義姉様がチルダさんにそのような言葉をぶつけてしまったという話は伺いました。でもお義姉様はそのことを心から後悔されて、チルダさんと和解されましたから、安心しておりましたのに・・・。あなたまでもそのようなことを・・・。」
 
「リンガー、私は本当にチルダにひどいことを言った。冷静でなかったとは言え、妹にひどい言葉をぶつけてしまった・・・。君に止められていたのに・・・。自分の口から言葉を発するのは自分の意思だ。いつだって思い留まることは出来たのに、本当に・・・ひどい言葉だった。チルダ、改めてお前に謝罪したい。そしてお前とはこれからも仲のいい兄妹でいたい。許してくれるか?」
 
「もちろんですわ、お兄様。お兄様の言葉だって本心からのものではなかったと信じていましたし、そう言っていただけて安心しております。でもあの時、眠ってらっしゃるお兄様の顔を見ているうちに涙が出てきて・・・。」
 
 どんなに「本心ではないはずだ」と思っても、ぶつけられた言葉は胸の奥深くに刺さり、ずっと痛み続けていたと、思い返すたびに涙が出るほど辛かったのだと、チルダさんは言った。
 
「・・・当たり前よね。私はなんてバカだったのか・・・。」
 
 リーザがため息とともに言った。
 
「私もです・・・。なぜあんなひどいことを言って平気でいられたのか・・・。」
 
「2人とも、冷静ではなかったという事じゃないかな。イノージェンのことで前男爵がそこまで言い出すこともあるかも知れないと、君達は考えていたんだよね。でもそれが現実になってしまった、そうなったらもう、どうすればそれを阻止出来るか、考えはそこに行ってしまうだろう。それ以外の選択肢を考えるのは、その時は難しかったと思うよ。」
 
 今さら言っても詮無いが、リロイ卿がもう少し思慮深い人物だったなら、ここまで話がこじれてしまうこともなかっただろうに・・・。
 
「それに、わたくしもお姉様とお兄様に謝らなければなりませんわ。相続の話について、イノージェンさんにいろいろと話してしまいましたから。それとイノージェンさんに、その話を剣士団長様とレイナック様にもお話ししてくださってかまわないと、そこまで申し上げてしまいました。」
 
「その話については私からも捕捉させてもらうよ。」
 
 チルダさんからのお茶会の招待は、異議申し立てが終わった直後のことであったことから、一度オシニスさんに話を通したほうがいいと思うと、私がイノージェンに助言したことを話した。そして話をするために剣士団長室を訪れたところ、レイナック殿も一緒にいて、話の内容を、全部でなくてもいいから教えてくれないかと頼まれたことも。
 
「あの時は異議申し立てのあと、ガーランド男爵家の相続についてどう進めていくべきか、そのヒントを探るという意味もあったのかも知れない。それに、チルダさんからの申し出を、イノージェンが1人で抱え込んで頭を悩ませるようなことにはなってほしくなかったからね。それに相談だけしておいてオシニスさんとレイナック殿の頼みを断るという選択肢は、なかったと思う。」
 
 リーザとラッセル卿にイノージェンとのことを話すとなれば、当然ながらその話も出るのではないかとあの時思ったが、それもチルダさんは既に自分の中で決めていたのかも知れない。リーザもラッセル卿も、それにリンガー夫人も驚いた顔でチルダさんを見ていたが、ふいにリーザが笑い出した。
 
「団長のことだから、うまく裏事情を聞き出すチャンスだとでも思ったでしょうね。でも団長もレイナック様も、多分慎重に動いてくださるでしょうから、そこは信頼するわ。いまさらあれを知られたくないこれは隠したいなんて言ってみたところで、あの2人を騙せるとは思えないものね。チルダ、いいのよ気にしなくて。」
 
「あのお2人が絡んでこられたとなれば、隠すとか騙すとか、まあ無理ですね。」
 
 ラッセル卿も苦笑いをしている。
 
「チルダ、今回のことを話すかどうか、それはお前の自由だよ。私達とイノージェンさんの縁は法的に切れている。でもイノージェンさんとお前は、友人として仲良く話が出来たのだろう?姉上も私も、イノージェンさんに対しても失礼な態度も取ったしひどい言葉もぶつけてしまった・・・。それを団長殿達に知られたとしても、批判は甘んじて受け入れるよ。ただ・・・イノージェンさんに直接謝罪する機会がないことは心残りだけどね・・・。」
 
 ラッセル卿は『肚は括った』とでも言いたげにうなずいたが、本心はやはりイノージェンに直接会って謝りたいのだろうと思った。だがそればかりはイノージェン次第だ。それでも今のラッセル卿は、医師会の病室で目覚めた時のように、何もかもを諦めたような、厭世的な雰囲気は感じられない。
 
「でもイノージェンはチルダさんとはわだかまりなく話が出来たんだ。時間をかけて雪解けを待つことは出来るかも知れないよ。」
 
 私は、イノージェンが『ガーランド男爵家の相続人達は全員自分に敵意を持っていると思い込んでいた』と言っていたことを話した。だから異議申し立ての席で、子供達に悪い影響が出ないようにきつい言葉で釘を刺したのだと。
 
「そう思われるのは仕方ないわよね。ひどい態度を取ったのも事実だし・・・。法的に切れたとは言え縁は縁・・・。今となっては手遅れだけど、チルダの話をちゃんと聞いて顔を合わせていれば、こんなことにはならなかったかも知れないと思うわ・・・。」
 
 冷静になってみれば、リーザもラッセル卿もそう考えているだろう。リンガー夫人はおそらく2人の決定に異を唱えられる立場にはなかったと思う。
 
(リンガー夫人もいい人みたいだし、イノージェンとは話が合いそうだけどな・・・。)
 
 とは言え、夫を差し置いて自分だけイノージェンと仲良くなりましょうとは言えないだろうし、それは彼らから何か申し出があった時に考えよう。私が気を回しても仕方ない。
 
 話が落ち着いた頃合いに、思い切って「もう少し皆さんで話し合える機会を持ってはどうか」と提案してみた。これはリーザの治療にも繋がる。無理矢理顔を合わせて話しましょうと言うことではなく、お茶の時間に少し話すくらいでもかまわないが、もう少しいろいろと交流したほうがいいと思うと、私の意見も付け加えた。
 
「そうよね・・・。元をたどれば私達の間に会話がなかったことが原因だもの・・・。」
 
 リーザがため息とともに言った。
 
「わたくしも・・・もっとお姉様とお話ししたいです。」
 
 チルダさんが言った。
 
「クロービスさんの仰るとおりです・・・。私達に欠けていたもの、それは家族としてもっと交流することだったんですよね・・・。」
 
 ラッセル卿もうなずいている。
 
「お義姉様、退院されたら家に戻ってこられるのでしょう?そうしたら、お茶の時間にもお食事の時間にも、たくさんお話ししましょうよ。」
 
 リンガー夫人の提案に、全員がうなずいた。
 
 
 その後、改めてセーラを紹介し、リーザの薬を今日だけセーラが担当することを伝え、簡単な打ち合わせをした。
 
「デンゼル先生と言えば、名医と謳われていますわね。そこで働いていらっしゃる看護婦さんなら、安心して任せられますわ。」
 
「わたくしも伺ったことがあります。ローランのデンゼル先生と言えば名医と誉れ高いのに、ご本人はちっともそんな風には見えないと。とても楽しい方だという話も聞いてますわ。」
 
 リンガー夫人もチルダさんも、デンゼル先生の事は知っているらしい。少なくともこの2人は「看護婦」という仕事に対して低く見るようなことはないようだ。
 
「それじゃ私は医師会の会長室に向かいます。妻がもしもこちらに来たら、会長室に来るように伝えてください。」
 
 病室を出た。妻が階段を上ってくる気配はない。誰のところに話を聞きに行ったとしても、その相手は妻の独断だと思うだろうか。リーザから頼まれたと思われるんじゃないか、そう言う心配のほうが大きいのだが、頭に血が上っている妻にはそこまで考えが至らないかもしれない。
 
『私が聞きに行けば』
 
(ウィローは・・・自分が未だにセルーネさんにとって特別な存在だと思ってるのか・・・。)
 
『私はもう、カナの子供じゃない』
 
 この間オシニスさんと話したあとそう言っていたので、城下町での自分の立場を理解していると思っていたのだが・・・。
 
 もちろんセルーネさんにとって、妻は私よりもずっと昔からの知り合いで、子供の頃から見知っているからその意味では特別な存在ではあるのだと思うが、だからといって何もかも特別に扱ってもらえるわけじゃない。
 
 それに今回の件は、妻が行ったところで気安く教えてくれるはずがない。御前会議できちんと決定された処分の内容、たとえその裏にリーザへの救済とも取れる措置が隠れていたとしても、それはリーザが謹慎期間を終えて、王宮に戻った時に聞かされるべきものであって、処分が下った今この時にリーザに聞かせていいものじゃない。昨日妻に話した時にはわかってくれたかと思ったのだが、今朝リーザにあんな話をしたと言うことは、もしもリーザがその先を知りたいと言えば『ほらやっぱり教えてもらったほうがいいわよ』なんて言い出すつもりだったのだろう。ところが案に相違してリーザは妻の好意を受け取ろうとしなかった。多分それで意地になってしまったのだと思う。
 
「でもなあ・・・。リーザに迷惑がかかるんだけどな・・・。」
 
 リーザは覚悟を決めている。なのに妻がそのことを聞き出そうと知っていそうな人達のまわりでうろうろしていたら、その人にも迷惑がかかる。セルーネさんだってそうだ。立会人として処分の言い渡しの場にいたはずなのに、裏でそのあとの話をこっそりリーザに教えていたなんてことになれば、御前会議でももちろん問題になるはずだ。そもそも今の妻の行動は、リーザのためになんて全然なっていない。妻がそうだと思い込んでいるだけで、妻が今動いているのは『自分の気が済まない』からだ。リーザの処分に『自分が納得出来ない』からだ。
 
「まあ・・・セルーネさんは絶対に教えないし、ウィローを怒ってくれるよな・・・。」
 
 リーザが言ったようにそれは『ズル』なのだ。でも私がいくら言ったところで、今の妻は聞く耳を持たない。セルーネさんに期待するしかなさそうだ。今はセルーネさんを信じることにして、私は私のすべき事をする。医師会の会長室に向かおう・・・。
 

第114章へ続く

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