リーザの部屋についた。オシニスさんは状態を確認したらすぐに戻るという。
「心配なのは同じだが、別件で少し気になることがあってな。まったく、仲間が大変な目に遭っていても、こっちは休む暇もないよ。」
病室にはハディがベッドの隣に、部屋の隅にある小さなテーブルには本が積み上げられ、オーリスとライロフが勉強をしていた。ハディの横顔は疲れていて、気の毒になるほどだが、もう少し話を聞かなければならない。
オシニスさんがオーリスとライロフにリーザの状態を聞いている。
「正直なところ・・・生きているのが不思議なくらいですね。護衛剣士さんですから今まで研鑽を積んでこられて、体力はあるのだと思います。ただ、それにしては『気』が弱いというか・・・。」
オーリスは首を傾げながらそう説明した。私はリーザが倒れたのは『気』を制御出来ず暴走させてしまったことが原因なので、そのせいではないかと話した。
「ろくな説明もしないで頼んでしまって悪かったね。『気』の流れが弱いのはそのせいもあると思う。」
「でも確か護衛剣士のリーザさんと言えば、かなりの気功の使い手だって伺ってます。暴走させてそのせいで一時的に弱っているにしては・・・戻りが遅いと言いますか・・・。」
実際、リーザの様子は先ほどここに運び込んだ時とたいして変わらない。オーリスが言いたいのは、すぐれた気功の使い手だとしても『気』を暴走させることはあるだろう。でも一時的に弱っても、すぐにまた流れが大きくなるのではないか、それがさっきここに運び込まれた時とほぼ変わらないというのは、何かおかしいのではないかと言うことだった。
「君はどう思う?」
「え?いや僕の見解なんて・・・。」
オーリスは多分何か思うところはあるはずだが、口にするのを躊躇っているようだ。
(自信がないのと・・・言った言葉が私に否定されるのを恐れていると言うことかなあ・・・。)
「見解があるならぜひ聞きたいな。リーザの診察は、本人から話が聞けない以上、ある程度の仮説を立てて、それを家族の人達に説明をしなければならないんだ。だから、気になったことは何でも言ってほしいよ。当たってるかどうかなんて、本人に聞かないとわからないことだしね。」
「そ・・・そうですね・・・。」
オーリスがなおも躊躇いながら話してくれたところに寄ると、『あとは心の問題』ではないかということだった。
「リーザさん自身が何と言いますか・・・どうしていいかわからないというような、戸惑いみたいなものを感じるんです。僕は気功なんて全く縁がないし、呪文だって簡単なものしか使えませんが、ある程度『気』を診ることは出来ます。なんだかリーザさんの『気』が、元に戻ろうとしているのを押しとどめているような・・・。」
うまい言葉が見つからないらしく、またオーリスが首を傾げた。
(確かに・・・リーザの『気』が戸惑うようにゆらゆらしているな・・・。)
「何か心配事があって、目覚めることに躊躇いがあるんじゃないかってことだよな。」
オーリスの後ろにいたライロフが言った。
「そうか、そんな感じかも知れないな・・・。うーん・・・でも情けないなあ。こんな時にうまい言葉が見つからないってのは・・・。」
オーリスが頭をとんとんと叩いてため息をついた。
「仕方ないさ。そんなに患者の診察をしていないだろう?」
「そうなんだよな。もっと頑張らないと・・・。」
「ははは、そんなに焦らなくてもいいよ。たくさんの患者を診たからっていきなりベテランになれるわけじゃないからね。でも参考になったよ。ありがとう。」
2人はまた勉強に戻った。次はハディだ。私はイノージェンの異議申し立ての日から、リーザと話したことを教えてもらった。
「・・・え、それを言ったの?」
「言ったよ。悪いのか?」
異議申し立てが終わったあと、リーザは家が取りつぶされてしまったらどうしようと、泣いていたらしい。その時ハディはこう言ったのだそうだ。
『俺が守ってやるよ。お前のことは必ず俺が守る。心配すんな。』
まだ異議申し立ての会場内だったのでさすがに抱きしめるというわけには行かなかったが、リーザの肩を抱いて、そう言って励ましたのだと。
「そのあとは?」
「俺とリーザが話したのはその時までだ。リーザはフロリア様とレイナック殿にラッセルの無礼を詫びたり、新しく護衛剣士の候補になった連中と話したりしていたからな。」
そして、次の日からリーザはハディとあまり話さなくなった・・・。
ハディはそれがなぜなのかわからずにいたらしい。そしてドゥルーガー会長の話を聞いて、リーザはハディが醜聞のタネになることを防ぐためにハディを遠ざけたのだという結論に納得したようだが、何となくすっきりしない。
(守ってやるなんて言われて、はいそうですかってリーザが思うかなあ・・・。)
リーザはガーランド男爵家の嫡子だ。家督相続の権利を放棄していても、家を思う気持ちは人一倍だろう。だから自分に出来ることを探していたのではないだろうか。守ってもらって安穏としているなんて、リーザには無理な話なんじゃないかと思う。
『俺が守ってやる』
その言葉を聞いた時、リーザはおそらくハディを頼れないと思ったんじゃないか。頼ってしまえばハディは醜聞のタネになる。そして何より自分の家のことなのに、ハディの陰に隠れている事なんて出来ない。
ハディを遠ざけて、リーザは自分がどうすればいいのか考えただろう。その時、ずっと嫌っていたはずの、でもどうしても嫌いになりきれなかった母親のことが頭に浮かんだのだとしたら・・・。
リーザが母親を嫌いながら、嫌いになりきれずにいたのは、イノージェンとの話し合いの中で母親が父親から愛されなかった理由を探そうとしていたことからもわかる。父親が昔の恋人にお金を送っていたことが発覚するまでは、とても優しい母親だったらしいのだから、完全に嫌ったり憎んだりと言うことはなかなか出来ないと思う。
(でも母親は既にいない。もしかしたらその時、母親の部屋に入って日記とかいろいろ見つけたとしたら、母親が自分に願っていた孝行娘の幻を、見てしまったとしたら・・・。)
ここから先は明日、話をする前にラッセル卿とチルダさんに聞いてみたほうがいいかも知れない。ハディはリーザが母親の葬儀の時に家に戻ったから、その時に母親の部屋でお金の記録なども見たのではないかと言っていたが、異議申し立ての付添人となるために家に戻った時も、母親の部屋に入る機会はあったと思う。
(あとはウィローの意見も聞きたいな・・・。)
ハディの言ったことには怒り出しそうだけど・・・。
オシニスさんはリーザの状況を聞いて、病室を出た。私はハインツ先生のところに行くからとオーリスとライロフに頼み、病室を出てハインツ先生の部屋に向かった。
「おお、お待ちしていましたよ。今日はオーリスとライロフが別な用事を頼まれたとかで動けないそうなので、この間出してみた薬草についてもう少し踏み込んで分析してみましょう。」
やっぱりハインツ先生はリーザのことを知っている。オーリス達の頼まれごとも、それが誰から頼まれたのかも、一言も口にしていない。
「そうですね・・・。それじゃまずこちらから・・・。」
私はハインツ先生と共に、先日の打ち合わせで名前が出た薬草の効能を一つずつ確認し、これならばと言う薬湯のレシピを作った。
「明日はこれで試してみましょう。今日の午後はラッセル卿と会われる約束はないですよね。」
「午後の予定は聞いてなかったですね。すぐにフロリア様との謁見に行かれてしまったので。」
出来れば昨日と同じようにマッサージを試みたかったのだが、さてどうしたものか。
「失礼します。こちらにクロービス先生はいらっしゃいますでしょうか。」
扉がノックされた。
「どうぞ。」
ハインツ先生の声に応えて入ってきたのは医師会の助手だ。
「君か。どうしたんだ?」
「はい、実はガーランド男・・・・あ、前男爵の病室に、新男爵ご夫妻がお見舞いに来られまして、クロービス先生とハインツ先生にお会いしたいと仰るので、クロービス先生がこちらにいらっしゃれば、ハインツ先生にも話が出来るかと思いまして。」
ここに私がいれば、一度で伝言がすむということか。なかなかちゃっかり者らしい。
「ははは、君は鼻がいいな。それじゃ私達がそちらに向かうと伝えてくれるか。」
若い助手は心なしか楽しそうに一礼すると、部屋を出て行った。
「ちょうどよかったですね。行ってみましょうか。」
「はい。」
2人でガーランド前男爵の病室にやってきた。リロイ卿の顔色は、以前とは比べものにならないくらいよくなっている。確かにこれなら一両日中に目を覚ますだろう。もっとも体のほうはぼろぼろだ。話が出来るようになるまでにはしばらくかかるだろうが。
「お呼びだてして申し訳ありません。」
部屋にいたラッセル卿が頭を下げた。
「飛んでもない。ラッセル卿、いや、新男爵閣下ですね。おめでとうございます。」
ハインツ先生が頭を下げた。
「ラッセル卿、おめでとうございます。」
私もハインツ先生のあとから頭を下げた。男爵家の跡取り候補と当主では、同じように接するのもどうかと思ったのだが、ラッセル卿はいささか居心地悪そうにしている。
「ありがとうございます。ですがお2人とも、今までと同じように接していただけるとありがたいです。肩書きは変わりましたが、まだまだ若輩者ですから。今後もいろいろとご指導いただくことがあるかと思います。どうかよろしくお願いします。」
「わたくしからもお願いいたします。お2人にも医師会の皆さんにも本当にお世話になっております。どうか今までと同じように接してくださいませ。」
ラッセル卿と一緒にリンガー新男爵夫人も頭を下げた。ハインツ先生も私も了承し、ことさらに『男爵』とか『男爵夫人』とかではなく、今まで通り、ラッセル卿、リンガー夫人と呼ぶことになった。
「では早速お父上の状態について説明しましょう、」
ハインツ先生は、リロイ卿が最初にここに運び込まれた時からの話を順を追ってしていった。飲んだ薬の量がわからず治療開始が遅れたことで、リロイ卿は一時期死の淵をさまようことになったが、このままそう簡単に死なせてなるものかというレイナック殿の怒りによって、命をつなぎ止めるための呪文が使われたこと、そのおかげで何とか持ち直すことが出来、その後本格的な治療が始まって今に至ること、そして大分顔色がよくなってきて、今日明日中に目覚めることが出来るのではないかと言うことまでだ。
「本当にありがとうございました・・・。」
ラッセル卿夫妻は揃って私達に頭を下げた。
−−≪・・・よかった・・・。ドーンズ先生を使って私を騙し、イノージェンさんを強制的に相続人にしてしまおうとした事は今でも許せないが・・・それでも父上を本気で憎むなんて出来ない・・・。≫−−
ラッセル卿の心の内も複雑らしい。それにしても、そんな形で無理矢理相続人になった婚外子を、リーザ達相続人がそう簡単に歓迎することが出来ると本気で思っていたなら、やはりリロイ卿は愚かだと言わざるを得ない。
「ただし、目が覚めてもすぐに食事をしたり話をしたりと言うことは難しいと思います。ずっと絶食状態でしたので、食事は内臓の検査をしてから、少しずつ出すようにしたいと思います。」
「充分です。よろしくお願いします。」
ハインツ先生の説明に、ラッセル卿が頭を下げた。
「今回の家督相続の顛末は、君からお父上に話すのかい?」
「そのつもりです。でも目が覚めたばかりでぼんやりした状態で聞いても、父がきちんと理解出来るかどうかはなんとも言えないので、医師会の皆さんに治療していただいて、頭がはっきりしたところで話す予定です。出来れば姉と妹も揃って、相続人全員で話したいと思います。」
「それがいいね。」
ラッセル卿はすっかり落ち着いている。これで体の方も何事もなく健康を取り戻せれば言うことはないのだが、「ハーブティ」と「アキジオン」が突然悪さをすることも考えておかなければならない。リロイ卿の話が一区切りついたところで、私はラッセル卿にマッサージをした。
「マッサージは一度今日までで一区切りとしたいんだ。ただし、まだ薬は飲んでもらわなければならない。詳しい話はハインツ先生に聞いてもらえるかな。」
「それじゃ場所を移しましょうか。」
ハインツ先生はタネス先生に後を頼み、いつも使う3階の部屋までやってきた。今日はベルウッド先生がいないので、ハインツ先生がいつものように問診をして記録していく。そしてさっきハインツ先生と私で考えたレシピで薬湯を作った。
「冷ます間に今回の薬の説明をしましょう。まずこの中に入っている薬の種類ですが・・・。」
ハインツ先生の丁寧な説明を、ラッセル卿もリンガー夫人も真剣に聞いている。
「・・・ということで、明日からもここまでご足労いただくことになります。お忙しいとは思うのですが、薬湯は一日一回でいいので、申し訳ありませんがしばらく通っていただくことは出来ますか?」
「わかりました。毎日伺います。」
ラッセル卿は迷いのない口調で返事をした。やはり新男爵となって希望に満ちているような気がした。リンガー夫人も必ず伺いますと言っている。レシピが定まれば薬を渡して家で作ってもらうことも出来るのだが、今のところそれが難しい。腕の痺れについてもマッサージを一度やめることにはしてみたが、この後の状況でまた必要になる可能性もある。
一番は早くきちんとしたレシピを出せるといいのだが、アキジオンの件が片付かないうちは、それも出来ない。本人はもちろん知らないが、今のラッセル卿は、いつ牙をむくかわからないモンスターをその体内に抱えているようなものだ。
ハインツ先生の方の話が終わったと言うことなので、明日ここの病棟の最上階に、午前中来てもらえるかどうか確認した。チルダさんからも詳しい時間を聞いてきてほしいという話を頼まれているので、使者を出しておきますと言うことだった。
「それじゃ午後からは、あの書類の山が家に戻ってくるんだね。」
病室を出て、ラッセル卿夫妻と私は医師会の廊下をロビーに向かって歩いていた。
「ええ、そうなんです。でも行政局の職員の方がかなりきれいにまとめてくださったので、私達はそのまとめた書類の分類方法などを教えてもらうことになっているんです。」
家督相続の手続きの中で王宮に持ち出されたガーランド男爵家の財務資料が、午後から返還されるという。行政局の職員が何人かで運んでくれて、まとめてある内容も説明してくれるらしい。
「あとは姉のことです。元気になってくだされば言うことはないのですが・・・。」
「そうだね。でもそんなに気に病むようなことは特にないと思うよ。」
記憶がなかなか戻らないのは、リーザの『気』の強さによるものだが、それも少しずつ弱まってきている。戻らなかったらどうしようと最初は心配だったが、落ち着いて考えればそこまで心配するほどのことでもない。それよりも問題は体のほうか・・・。あの真っ黒い澱んだ『気』を周囲にまき散らしていたのだ。体のほうが大分弱っているんじゃないだろうか。
(と言っても、元々鍛えてるからなあ。)
リーザの体力に頼りすぎるのもどうかと思うが、何日も目覚めないというような危険はないと思っていい。心配なのは、自分が何をしたかをすべて思い出したリーザが、平気な顔をしてこの後生活していけるかどうか、その心配をした方が良さそうだ。でも今は、その話はするべきではないだろう。それは明日、リーザの部屋で話せばいいことだ。
「それではお世話になりました。明日はよろしくお願いします。」
「あまり心配しすぎないようにね。」
医師会からロビーに出る通路の出口について、ラッセル卿夫妻とは別れた。
(ハディともう少し話してみるか・・・。)
『俺が守ってやる』
リーザがその言葉をどう思ったか。あの時リーザは、ガーランド男爵家の嫡子として、自分が出来ることを必死で模索していたはずだ。ハディがそばに来てくれた時、ほっとしただろう。お家取りつぶしの危機について、思わずどうしようと言ってしまうくらいに。
(守ってやるって言われて安心はしただろうな・・・。)
そしてその言葉がはらむ危険性にも気づいてしまったとしたら・・・。
(ハディとリーザって、何というかかみ合わないことが多かったよな・・・。)
ハディは今回結婚するつもりでリーザと話し合いをしたようだが、リーザは結婚するかどうかまだはっきりと自分の気持ちを決め切れてないようだった。今回はいい機会なので、お互いをきちんと理解し直してほしいものだが、そう簡単にはいかないかもしれない。その辺りは妻にも話しておこう。
「さてどうするかな。」
もう一度リーザの部屋に戻るか、オシニスさんのところに顔を出してみるか。と言っても多分御前会議の決定は明日だし、そう言えばさっき気になることがあるから出掛けると言っていたから、まだ戻ってないかも知れない。そう考え、私はリーザの部屋に戻ることにした。夕方にもまだ少し早い。妻の方もまだ忙しいだろう。
リーザの部屋についた。中は実に静かだ。ノックするとハディの声で返事があった。
「お前か。リーザは相変わらずだよ。」
そう言われて覗き込んでみたが、少し顔色がよくなっている。そしてリーザの記憶らしき光景がゆらゆらと漂うように見えてきた。王国剣士リーザとしての記憶だ。リーザ本人が意識して記憶を押さえ込んでいなければ、少しずつ記憶は戻ってくる。その考えは正しかったらしい。
「でも顔色はよくなっているよ。この調子なら、明日には目が覚めるかも知れないな。」
「明日はラッセル達が来るんだよな。」
「さっきラッセル卿の薬のことで会ったんだ。その時話はしておいたよ。午前中に来ますって言うことだったよ。そこで、リーザの今の状態は説明出来ると思う。それまでに目が覚めてくれればいいんだけど、体力はあると言っても大分よくない『気』を発していたから、体のほうは少し弱っていると思う。しばらくはここで療養してもらうことになりそうだよ。」
「そうか・・・。」
「ハディ、ちょっと外で話をしない?」
「外?」
「今君がここにいても特に何か出来るわけじゃないし、オーリス達に任せて、少し付き合ってよ。」
私はオーリスとライロフに後を頼み、少し出てくるからと言って病室を出た。やってきたのは研究棟の屋上だ。
「うはぁ、見晴らしがいいなあ。」
ハディは驚いてあちこち見渡している。
「こんなところがあったとはなあ。気分転換にはちょうどいいんじゃないか?」
「気持ちいい風が吹いてるからね。頭の中がすっきりするよ。ハディ、ちょっと聞きたいんだけどね・・・。」
私は、リーザとハディが自分達のことを改めて話し合った時、結婚しようって話をしたのかどうか尋ねた。
「俺は言ったよ。今度こそ結婚しようって。」
「うーん・・・。リーザは意地を張らないようにしようって言う話になっただけのようなことを言ってたけどなあ。」
『もう一度きちんと向かい合って、やり直せるとお互いが思ったら結婚しようって・・・だからまだ、何も決めてないんです。』
それを聞いたハディがため息をついた。
「何も決めてない・・・か・・・。やっぱりな・・・。」
「つまり、はっきりとした返事をもらったわけではなかったんだね。」
「ああ・・・。あいつのほうは・・・何だか迷っているような感じだった。でも前向きに考えてくれていると思ってたのに・・・。」
「家督相続の騒動がなければ、リーザも気持ちを決められたかも知れないね。」
「家督相続ってのがそんなに大事なのかよ。あいつは別に相続するわけでもないってのに・・・。」
「その考えは改めたほうがいいよ。家督を継ぐという権利を放棄しただけで、リーザはずっとガーランド男爵家の嫡子なんだよ。前男爵の事があっても、ラッセル卿がいたからリーザは安心していたんだと思う。でもそのラッセル卿の暴挙で家督の行方が不透明になってきた。下手をすれば家がなくなってしまうかもしれない。君だって自分の帰る場所がなくなってしまう悲しさは知らないわけじゃないよね?だから故郷の村を再建するために頑張ったんだろう?」
「・・・まあな・・・。」
認めたくはないが否定出来ない。ハディの横顔がそう言っている。
「それに、貴族はみんな領地を持っていて、そこからの収益で家の運営を賄っているんだから、領地に住む人達、家の使用人達、そう言うすべての人に責任があるんだ。それは家督を継ぐ継がないで変わるものじゃない。リーザは家を出て剣士団に入るまでは、嫡子として家を継ぐことを自分でも考えていたと思うよ。領地についての勉強もしていただろうし。そちらの心配も大きかったと思う。」
ハディはむすっとしたまま顔を背けた。
「リーザが家を継がないから、君が後ろに隠して守ってやればいいなんて考えていたとしたら、そりゃリーザだって怒るさ。」
と言ってはみても、貴族の考え方なんてハディには理解出来ないことも多いだろう。ハディとリーザの間にある溝は、案外深いのかも知れない。
「俺はどうすればいいんだろうなあ・・・。」
「リーザが目覚めて落ち着いたら、ちゃんと話し合ったほうがいいと思うよ。結婚ありきの話し合いじゃなくて、お互いがどうしたいのかをね。それに、どちらも自分がこうしたいって言ってるだけでは平行線じゃないか。相手がどうしてほしいのか、自分の考えとどこまで擦り合わせが出来るのか、そう言う話し合いが君達には決定的に足りない気がするなあ。」
「・・・まったく・・・さっきから痛いところばかり突いてくるな・・・。」
ハディは横目で私を見、顔を歪めた。
「私も昔ウィローと随分話し合いをしたからね。私も同じなんだよ。ウィローには私の後ろにいてほしかった。でもウィローは私と肩を並べて戦うことを望んでいた。そしてオシニスさん達の訓練に必死で食らいついて、その望み通りに私を守ってくれたのが、君とリーザが海鳴りの祠に帰ってきたあの時だよ。」
「そういやそんな話を聞いたな。王国剣士でもないのにオシニスさん達に訓練してくれって頼むなんて、見かけによらず大胆だなあと思ったもんだよ。」
「ホントにね。私もウィローがそんなことを言い出すとは思ってなかったから驚いたよ。しかもずっと前から考えていたなんて、全然知らなかった。」
「それで言うなら俺だって同じだよ。俺には、貴族の考え方なんてわからない。俺は由緒正しきど平民だからな。」
「最初から理解出来ないと耳を塞いでいたら、そりゃいつまで経っても理解なんて出来っこないよ。明日ラッセル卿達が来るから、話を聞いてみたら?」
「そのほうがいいのかもな・・・。」
あまり追い詰めてはいけない。ハディは今まで、リーザとの考え方の違いについて何となく見ない振りをしてきたような気がする。一度はきちんと話し合いをしなければ、いつまでも考え方がずれたまま、結婚まで漕ぎ着けたところでいずれぶつかるだろう。
「そろそろ戻ろうか。」
「・・・そうだな・・・。」
私達はリーザの病室に戻った。
「変わりないかい?」
「うーん・・・さっき少しうわごとみたいなのを言ってましたよ。以前よりは発せられる『気』も大分大きくなってますし、今日明日には目が覚めるんじゃないでしょうか。」
オーリスが言った。
「うわごと?どんな?」
「えーと・・・『どうして、こんなことに』ですね。」
オーリスはメモを見ながら答えた。
「弱々しい声ではありましたけど、口調ははっきりしていましたよ。うわごとですから、目が覚めたあと、そのことについて問いただしたりはなさらないでくださいね。」
オーリスはハディに言った。リーザの心を測りかねているハディには、どんなことでも尋ねたいし話の端緒にしたいと思っているんじゃないかと思う。
「あ、ああ・・・そうだな・・・。」
ここでもまた痛いところを突かれたのか、ハディは一瞬言葉を詰まらせた。しばらく沈黙が流れていた病室の扉がノックされ、入ってきたのはドゥルーガー会長だ。
「そろそろ夕方になる。夜勤の看護婦と医師を連れてきた。交代してもらおう。それとハディ殿、剣士団長殿からの伝言だ。夜勤の医師と看護婦が来たら、その部屋を出て団長室に来い、とな。」
「わかりました。くそっ、団長には見透かされてるな・・・。」
「そりゃわかるさ。それじゃ私達も腰を上げよう。では皆さん、よろしくお願いします。」
医師と看護婦は感じの良さそうな人だ。変な声も聞こえないし、普通の人だと思っていいだろう。オーリス達は本を抱えて部屋を出て行った。研究棟の部屋に戻して鍵もかけておきますと言うことだ。ドゥルーガー会長は2人に、また声をかけることがあるかも知れないから準備はしておいてくれといい、医師と看護婦には指示を出しておくからと言ってくれたので、私は後を任せることにした。
「なあクロービス。」
「なに?」
「付き合ってくれよ、団長室まで。」
「呼ばれているのは君だけじゃないか。」
「そんなこと言わないでくれよ・・・。何かこう・・・オシニスさんには見透かされているみたいで・・・。」
「まあそれはそうだろうけど・・・。それじゃ、とりあえず一緒に行こう。オシニスさんの話が極秘の話なら私が聞くわけには行かないから、まずはいてもいいかどうかを聞かないとね。」
妻のほうが気になったが、こんなに弱気になっているハディを放り出していくわけにも行かない。私達は2人で剣士団長室にやってきた。
「おお、何だクロービスも一緒か。」
「一緒に来たかったわけではないんですが、ハディがどうしてもと言うものですから。」
「お、おい!?」
ハディが慌てた様子で私の言葉を遮ろうとする。
「ははは、なるほどな。俺にどやされるかも知れないと思って、盾を連れてきたわけか。」
「私がいてはまずいなら、いつでも出て行きますので仰ってください。遠慮は要りません。」
オシニスさんがブハッと吹き出した。
「お前にも話しておいたほうがいい話だから、一緒に聞いてくれよ。」
お茶を淹れてもらって、ハディと私は椅子に座った。
「リーザの処分がおおかた決まった。それを伝えておこうと思ったのさ。」
ハディを包む『気』がぴりっと音を立てたような気がした。
「まずリーザは、王国剣士としては今後もやっていける。ただし、護衛剣士は解任だ。今後は引き継いだ剣士が交代で任務に当たることになる。明日になればその話は彼女達にも届くだろうから、動揺しないようにしてやらないとな。」
「本当はガーランド男爵家の家督相続が終わるまでと言うことだったんですよね。」
「そうなんだ。だから明日か明後日には復帰の予定だった。出来れば今後も護衛剣士として働いてほしいというのがフロリア様とじいさんの考えだが、あの状態を見られちまっている以上、お咎めなしってわけには行かないだろう。」
「フロリア様はこうなる危険性を予測されて私に依頼されたんですよね・・・。ご期待に添えず申し訳ないです。」
もっと何か出来ることはなかったのか、自分が不甲斐ない。
「それは気にしないでくれと、フロリア様から言伝かっている。話も何も出来なくなってしまってからではどうしようもないと。もう少し早くお前に話をすればよかったともな・・・。」
「そうでしたか・・・。」
「ま、処分という形で考えれば、護衛剣士という栄誉あるお役目を解任されるというのは重い罰だ。だからって別に、リーザが乙夜の塔に出入り禁止となるわけじゃない。後任の剣士に助言をするのは問題ないからな。今後もフロリア様との交流も、新任護衛剣士達との交流も出来るように取り計らうと言うことだ。だが、問題がある。」
「・・・御前会議ですか?」
ハディが言った。オシニスさんがうなずいた。
「そうだ。明日報告を出せば、リーザを徹底的にフロリア様から遠ざけようとする連中がいるはずだ。そいつらをどう押さえるかが問題だな。ま、明日はガーランド男爵家の家督相続についての報告もあるから、大臣達は全員が揃うことになる。セルーネさんがどこまで押さえてくれるかが鍵だな。」
「でも20年の功績を、たった一度の失敗ですべてなかったことにされるのは納得行きませんよね。」
オシニスさんが私の言葉ににやりと笑った。
「ふふふ、そういうことだ。あの役立たずの大臣どもをしっかりねじ伏せてやるさ。どうせ俺の監督不行き届きとか言い出す奴もいるだろうが、他家の家督相続に口を出せるわけがないし、俺が立会人としてどう振る舞っていたかは、あの場にいた誰もが知っている。」
明日はノイマン行政局長も会議に出席するらしい。あの人は誠実な人だと思う。頭が多少固いとしても、ありもしないことを言ったり、言ってもないことを言ったなどというようないい加減な人ではないはずだ。男爵家の財務資料作成に携わった行政局の職員達にも聞き取りはしてあるだろうから、起きたままをきちんと話してもらえると思っていいだろう。
「リーザは実家の家督相続について心労が重なって、それで精神的に参ってしまっている状態です。リーザをフロリア様から遠ざけようと考えている大臣達は、それを盾にいろいろと言ってくると思います。」
「そのことについて、あの連中がどう出るかだな。お前を引きずり出そうと考える奴らもいるかも知れん。」
「リーザを最初に診察して、ある程度の状況を掴むきっかけをくださったのはドゥルーガー会長ですよ。医師としての見解を尋ねるというのなら、まずはドゥルーガー会長に話を持っていくのが筋だと思いますが。」
どうしてもお前が出てこいと言われれば出ていくしかないが、ドゥルーガー会長を差し置いて私に話を持ってくると言うのは、どう考えても筋の通らない話だ。そもそも私は今旅行者で、医師会の医師でさえない。
「ふむ、それもそうだな。それじゃそんな話になったら、じいさんからドゥルーガー会長に話を通してもらうよ。そいつらが、ドゥルーガー会長が出張ってくると聞いて態度を変えずにいられたらたいしたものだがな。」
どうせそんな人達の狙いは、私を御前会議の場に引っ張り出して、セルーネさんやオシニスさんも巻き込み、昔の誼でリーザをかばっている、公正ではない、なんて話に持っていくつもりだろう。だが20年以上もフロリア様を護衛し、陰日向なく支えてきたリーザが今回の件だけで断罪されるのは納得のいかない話だ。
「私は明日の午前中、リーザの部屋で診察と説明があります。その時にラッセル卿達にも事情を聞きたいので、その話の結果がわかったら、あとで教えてください。」
「ああ、わかった。リーザはどうだ?目を覚ましそうか?」
「明日辺りは目を覚ますと思います。元々体力はありますからね。ただ一日ほとんど食事をしていないので、温かいスープと柔らかい蒸しパン辺りから食べるようにしないと、胃を壊してしまいますよ。」
「内臓のほうはまだなんとも言えないんだよな。」
「目が覚めてからでないと検査も出来ませんからね。」
「そうか・・・。それじゃ明日だな。」
「そうですね。それじゃ私は失礼します。ウィローが待ってますから。」
「明日からはよろしく頼むと言っておいてくれ。」
「わかりました。失礼します。」
恨めしげに私を見ているハディを残して、私は剣士団長室を出た。
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