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外伝13

 
 剣士団長ドレイファスは実は驚いていた。まさかパーシバルがここに来ているとは思わなかった。彼やグラディス達が自分のところに来るのは、もう少し後ではないかと考えていたのだ。
 
(彼らが掴んでいることについてはこちらである程度調べるつもりでいたが・・・さて、どこまで教えてくれるかな・・・。)
 
 もちろん、彼らが掴んだ事実があるなら、それは彼らの口から語られるのが一番だ。だが3人とも、自分と副団長のデリルに対して不信感を持っている。その不信感がなくなったのかと一瞬だけ思ったが、パーシバルの不安げな表情でそうではないことを知った。
 
「何か報告か?」
 
 出来る限りさりげなく尋ねた。
 
「はい、あとはお聞きしたいこともありまして。」
 
 パーシバルはパーシバルで、ドレイファスの表情をさりげなく伺っている。アルスとセラードから何か聞いているとしたら、ドレイファスのほうも、パーシバルを観察しているだろう。
 
(当たり障りのない話題となると、やはり『E』の目的について聞いてみるのがいいか・・・。)
 
 剣士団長が彼に荷担しているなら、多少なりとも揺さぶりをかけることが出来るかもしれないし、荷担していないなら役に立つ助言をもらえる可能性もある。無論、その言葉が信じるに足るかどうかは慎重に判断しなければならないが。
 
「まあここで立ち話も何だな。入りなさい。中で話を聞こう。」
 
「失礼します。」
 
 パーシバルは一礼して剣士団長室の中に入った。その様子を見る限りでは特に変わったことはないが、彼が纏う『気』はどこか不安げで、今の彼の精神状態を表しているようだ。
 
(ふむ・・・まずは話を聞いてみるか。)
 
 ドレイファスとしては、パーシバル達に自分を信頼してほしい。だがそうしてもらえないような態度をとり続けたのは自分だ。彼が何を考えているのか、探りを入れるのもいいが、まずは正面から向かい合って彼の話を聞くべきだろう。
 
「さて、話とは何だ?」
 
 剣士団長室に入り、ドレイファスは扉をぴたりと閉めた。そしてパーシバルを部屋の奥へと促した。
 
「団長は、あの黒い封筒の中にあった手紙の主『E』についてはご存じですよね。」
 
「これはまたいきなり返答に困る質問だな。」
 
 ドレイファスは思わず苦笑いをした。正面からあの『E』の正体について聞かれるとは思っていなかったからだ。
 
「口に出せないのは理解します。『あのお方』と考えて間違いないと思いますが、いかがですか。」
 
 ドレイファスはパーシバルを正面から見た。もちろんドレイファスも同じ考えだ、というより、彼しかいない。全く関係ない記号でも使えばいいものを、『あのお方』は昔から、陰謀のたびに『E』というイニシャルを使う。まるでわざと証拠を残しているとしか思えないようだ。だがそれを口に出すのは危険だ。
 
「なぜそれを聞く?」
 
 ドレイファスはもう少しパーシバルの真意を探ろうと、尋ねた。
 
「質問に質問で返さないでください。ここには俺と団長しかいません。それなのにそんなもってまわった言い方をするのはどうしてです?」
 
 パーシバルはさっきから自分の目を見つめ続けている。ごまかしは許さんとでも言いたげな目だ。はぐらかすことは出来そうにない。どうやらこの質問に答えない限り、パーシバルは先を話すつもりはないようだ。
 
(まあ確かに・・・ここでそうだと思うと答えたところで、何か変わるわけではなさそうだ・・・。)
 
 それよりもパーシバルが、グラディスとガウディが、何を考えているのかを知ることの方が重要だ。
 
「お前の言うとおりだと私も思う。それで、『あのお方』だとしたら、お前は何を私に聞きたいのだ?」
 
 あなたは彼の味方ですかと聞くわけにも行かない。だが『あのお方』の目的くらいは聞いてみよう。さてどんな答えが返ってくるか・・・。
 
「俺が気になるのは、『あのお方』の目的と、周旋屋達の動きです。」
 
「ふむ・・・お前のことだ、ある程度の当たりをつけてはあるのだろう?」
 
「はい。目的はもちろん金だと思います。あのローディさんが夜中に聞いた周旋屋達の話では、彼らまで干上がってしまいそうなほど、かなりの額を納め続けているようなんですが、その金を使っていったい何をしようとしているのか、俺が気になる『目的』はそっちの方なんです。それともう一つ、そこまでされて、なぜ周旋屋達は唯々諾々と従っているのか、そこもおかしいと思いませんか?」
 
「しかしモーガン先生が殺されたのがもしも周旋屋達の一件と絡んでいるとしたら、人殺しの片棒を担がされて脅されていると言うことではないのか?」
 
「今はそうでしょう。ガルガスさんが亡くなり、モーガン先生が殺され、周旋屋達はもう後戻り出来なくなっていると思われます。ですが、最初から人殺しの片棒を担がされるとわかっていたらどうですか?誰だって相手の言うことを聞こうなんて思わないでしょう。何が何でも断ったはずです。ですが、実際には周旋屋達のかなりの数が『黒マントの男』の言いなりに手数料を上げ続けているんです。一番最初、いったい彼らはどうして『あのお方』の誘いに乗ったのか、そこがわからないんです。」
 
「なるほど・・・金を集めて何をするかの目的、そして周旋屋達はいったい何のために彼らに従ったのか・・・。確かにそれがわからないと、敵のしっぽを掴むことも出来ないな・・・。」
 
 考え込むように腕を組んだドレイファスを、パーシバルはずっと見つめている。彼の一挙手一投足、目の動き1つ漏らさず見極めるつもりだ。
 
「うーむ・・・果たしてこの話が周旋屋達の行動の裏付けになるかどうかはわからないが、以前、御前会議で出た話をしよう。」
 
「教えてください。」
 
「町の区画整理が始まって間もない頃、あちこちの町から工事の人夫募集の仕事を当て込んで周旋屋達が集まってきた話は知っているな?」
 
「はい。ばらばらで足の引っ張り合いばかりしていた周旋屋達を、一件ずつ説得して組合を作ったのがガルガスさんでしたよね。」
 
「うむ。でまあ、当時は組合員達の仲も良くて、和気藹々と組合が運営されていたわけだが、その頃・・・あれは誰だったかなあ、工事が終わったらその組合はどうなるのかという質問をした大臣がいたのだよ。ほとんどの大臣達は、工事が始まったばかりだというのに、いったいいつの心配をしているんだと笑っていたものだが、その大臣は怯まず、どんなに先だとしてもいずれ必ずその日はやってくる、その頃には最初に作った道路や建物だって経年の傷みが出ている頃だ、今度はそう言った修理の問題が出てくるはずだが、それはその都度人夫を雇うのか、雇うとしたらそれは王宮で直接募集するのか、それとも周旋屋達に引き続き依頼するのか、考えておくべきではないかとね。」
 
(これは・・・ホルムさんが話していたあの話と似ている・・・。)
 
 出来る限り表情を崩さないよう努めながら、パーシバルは続きを促した。
 
「その意見に賛同したのがケルナーだ。今すぐ決まり事を作るわけではないとしても、考えておくべき事柄ではないかと。その場合ケルナーとしては、周旋屋達の組合を維持していてもらって、何かあれば組合に依頼するという方法が一番簡単でいいのではないかと言う意見だったのだが、組合のほうも果たして工事が終わった時、全ての周旋屋達が城下町に残るとは考えにくい。組合が維持出来ればいいが、城下町の周旋屋達だけが残ると、組合員はかなり少なくなるはずだ。だからその時残った組合員を『王宮直属』という形で雇い入れ、引き続き人夫の募集を頼むという考えもあると、まあそんな話だ。」
 
「それはあくまでもケルナー殿の個人的意見と言うことですか?」
 
「うむ、何と言っても当時は住宅地区の住民がやっと全員仮住まいに引っ越しして、古い家屋を取り壊し始めた頃のことだ。壊された住宅の跡地は一時的に廃材の仮置き場になり、全ての家を取り壊して更地に出来るのはいつ頃か、『住宅地区』を建設出来るのがいつの日なのか想像もつかない頃の話だからな、ケルナーとしても、こんな考えはあるがまだ何一つ決まっていないので、迂闊に外でこの話をしないようにということになったのだ。」
 
 先日のホルムの話は、この話をあちこち聞いた結果に出来上がった噂なのだろう。大臣達は自分達が外でこの話をするつもりはなかっただろうが、自分達の執務室で助手相手に話をしたかもしれない。それが行政局の官僚達に中途半端に伝わったのか・・・。
 
「まさかと思いますが・・・その、ただの話でしかない『王宮直属』の話をエサにしたとか・・・。」
 
「・・・・・・・・。」
 
 ドレイファスもパーシバルも黙り込んだ。それは充分にあり得る話だ。
 
「どうしても金がほしいとなれば、確かにそのくらいのいい加減な嘘をつきかねない・・・。しかしそこまでして、手先を使って人殺しをさせてまで金を集めて・・・その金をいったい何に使うつもりなのだ、『あのお方』は・・・。」
 
 ドレイファスが青ざめた。もうパーシバルを探るような目はしていない。『E』の目的について、真剣に考えていると思える。
 
(取り繕っていないことを祈りたいな・・・。)
 
 パーシバルとしても、剣士団長を信頼出来るのなら今回の仕事だって遙かに楽に動くことが出来るはずだ。
 
「もう一つ伺います。『あのお方』は、今までにもあの手この手で金集めをしていたのですか?それとも今回が初めてですか?」
 
 今まで王国剣士として仕事をしてきて、確かにあちこちで怪しげな動きをしているのではないかと思われることは何度もあったのだが、そこまではっきりとわかるほどの証拠はなく、たいていの場合実行犯が捕まってそれで終わり、と言うことがほとんどだった。
 
「私もはっきりと聞いたことがあるわけではないが、以前から自分が管轄する部署で賃金の額を勝手に変えたりして揉め事になったことはあった。会計係が間違えたんだと主張して、それで終わってしまったがな。もしかすると・・・いや・・・。」
 
「団長、何かあるなら教えてください。今回の件に関係があるかどうかはともかく、裏で糸を引いているのが『あのお方』なら、我々は彼についてもっとよく知る必要があるのではありませんか。煙たい相手ではありますが、それで敬遠ばかりしていたら、相手の思う壺だと思います。」
 
 パーシバルの言うことは全くの正論だ。ここで言いよどんでは、ますますパーシバルに不信の目を向けられてしまう。
 
「うむ・・・。そういうことは今までにもたびたびあった。だからその時にごまかした金はそれなりに『あのお方』の懐に入ったと思われる。そのたびに会計係をクビにして、新しい人物を雇い、また同じ事を繰り返す。しかし『あのお方』が裏で糸を引いているという確固たる証拠がどうしても見つからず、今に至っているというわけだ。クビになった会計係達は、どうやらそれなりの『退職金』を『あのお方』から直接もらっているという話も伝わってきているから、表だって文句を言ったりはしないのだろう。下手なことを言えば、せっかく貰った金を失ったあげく、命の危険にまでさらされるわけだからな。」
 
 トカゲのしっぽ切りも、文句が出ないような形でうまく幕引きをしていると言うことか・・・。
 
「それともう一つ、この話は、多分お前はケルナー辺りから聞いただろう。ベルスタイン公爵家からエリスティ公に譲渡された西の島で、長老が亡くなった話だ。」
 
「・・・そうですね・・・。今の時点で俺が聞く必要はないかと思うんですが、聞かされましたよ・・・。」
 
 パーシバルがうんざりしたように言った。自分が次期団長として推挙されていることに彼が納得していないのは明らかだが、既にこの件は既定路線だ。ドレイファスとしてもパーシバルが後任ならば安心して勇退出来ると考えている。無論苦労はするだろうが、彼の若さと経験の足りなさを補えるだけの策はある程度考えてある。だが本人が未だにこの調子では、今回の件が一段落したら団長の座を譲ろうという計画を進めることが出来そうにない。ケルナーなどはさっさと譲って勇退しろと言わんばかりに、ドレイファスの顔を見るたびに苛立たしげに睨んでくる。別にケルナーの視線が気になるからという理由ではないが、パーシバルにはもう少し本格的に団長となることを考えてほしいものだが・・・。
 
(まあ、今は目の前の問題をどうするかだな・・・。)
 
 少し考えを切り替えようと、ドレイファスは今の考えをとりあえず頭の中から追い出した。
 
「これももしかしたら根が深い問題なのかもしれぬ。フロリア様の即位に頑強に抵抗して見せたのも、ベルスタイン家の温暖な領地の中から島を1つか2つ手に入れるつもりだったからではないのかと、私は考えたことがある。」
 
「・・・その根拠は教えていただけるんですか?」
 
「私の妄想かもしれないとう一言付きでよければだがな。」
 
「何でもかまいません。俺達はまだまだ情報集めの段階なんです。どんなことでも教えていただけるなら聞きたいです。」
 
「今回の騒動は、譲渡された島の1つの中にある神聖な森に『あのお方』一行が居座り、木を切り倒しあちこちの地面を穴だらけにして、しかも島の長老が亡くなったという話だ。あの島を手に入れて『あのお方』はいったい何をしたかったのかと、ケルナーが烈火のごとく怒っておった。」
 
「その神聖な森というのは、何か宗教的な意味合いのある場所なんですか?」
 
「いや、特に土着の宗教などがあるわけではないらしい。だが島に真水を供給してくれる森なので、出来る限り汚さずに大事にしようと島民みんなで守り育てているという話だ。」
 
「長老の死因というのは?」
 
「その辺りがはっきりしないのだ。遺体は森の中から村まで流れている川に浮いていたところを村の者が見つけたらしいのだが、溺死なのか、たとえば殺されたり、或いは事故などで亡くなってから川に落ちたのか、そこまではっきりした報告があがってこないのだよ。だが貴族の領地で起きた揉め事に、基本的に剣士団は関わることが出来ない。ベルスタイン公爵閣下が動いているからケルナーとレイナックの都合のいいように隠されてしまう心配はないだろうが、なかなか情報がこちらに流れてこないので、私としても歯がゆい思いをしているところだ。この話が今回の件に結びついているかどうかについてはなんとも言えぬ。あまりにもかけ離れた話同士だからな。だが私の勘は、何かあると告げている。ところがその根拠となるべきものは何もない。私の勘など、年寄りの妄想だと言われてしまえば確かにその通りなのかもしれぬ・・・。」
 
 豊かな経験に裏打ちされたドレイファスの勘は、滅多に外れることがない。それはパーシバルもよく知っている。この話が、ドレイファスが自分達を煙に巻くためのほら話だとは思えない。しかしそうなると、『あのお方』は何かとんでもない壮大な悪だくみを考えていると言うことになる・・・。
 
「まったく・・・『あのお方』の頭の中身がどうなっているのか知りたいものだ・・・。神聖な森の木を切り倒したり穴を掘ったり、かと思えば怪しげなやり方で金を集めようとしてみたり・・・。」
 
「その金の流れを探ることは出来ないんでしょうか。」
 
 パーシバルは思い切って尋ねてみた。ドレイファスが『あのお方』の手先でないなら、それなりに調べてはいるはずだが・・・。
 
「調べてはいる。こんな話は今に始まったことではないからな。だが今は、その金の流れを調べるよりも、仲間内にいるかもしれない『黒マントの男』を探し出すのが先ではないか?」
 
「・・・・・・・・。」
 
「我々に出来ることは、出来る限り『あのお方』の手と足を切り捨てて、『あのお方』本人に手が届くようにすることだ。今回の件も、このままではその『黒マントの男』に翻弄されるだけで終わってしまう。その者が何者であっても、必ずやこの手で捕まえて『あのお方』の関与を示すような証拠を掴まねばならん。」
 
 ドレイファスの言っていることは全くの正論だ。今は『あのお方』の金の流れを詮索するよりも大事なことがある。ドレイファスの言うことは正しい。だがそれを信じるべきか・・・。
 
「しかし・・・そうなるとその神聖な森に居座ったあげくに木を切り倒したり、穴を掘ったりした誰かがいるはずですよね。『あのお方』がご自分でそんなことをなさるはずがないでしょうし。」
 
 パーシバルは話題を変えることにした。確かに今エリスティ公に流れた金の行方を詮索してみたところで、そう簡単に真相がわかるとは思えない。
 
「どうやら、案内人として同行した島の若者が1人、それきり行方がわからなくなったそうだ。おそらく公と共に島を出たのだろうと言う報告を公爵閣下が受けたらしい。その他にも公は何人か従者を連れて行ったらしいから、実際に木を切ったり穴を掘ったりというのは、その者達が行ったのだろう。」
 
「島の若者が・・・。ではその若者は長老の死に関わっている可能性が高いですよね。」
 
「だろうな。島の村長殿は、その者が長老を殺したのではないかと疑っているらしい。村長殿にとって長老は実の父親だ。その悔しさは計り知れないことだろう・・・。」
 
「・・・・・・・・。」
 
 パーシバルは幼い頃に両親を亡くしている。それもモンスターの群れに襲われて。遺体は戻ってきたのだが、パーシバルが見たのは顔の一部だけだ。その部分以外は無残な有様だったらしく、全て布で覆われていた。愛する家族が亡くなる、それだけでも耐えがたい悲しみだというのに、それが誰かに殺され、しかも犯人と目される人物は島の住民だった・・・。その村長の心中はいかばかりだろうか・・・。
 
「確かに今回の件とその島の話の関連性ははっきりしませんね。ですが、何か続報がわかったら教えていただくことは出来ますか?」
 
 どうせ剣士団長にならなければならないのなら、こう言った出来事についてもっと興味を持っておいてもいいだろう。
 
「無論だ。貴族の領地での出来事とは言え、『あのお方』が関わっているのがわかっているのに黙っているわけには行かぬ。」
 
 思ったよりもはっきりとした返事が聞けた。ドレイファスは『あのお方』に与しているわけではなさそうな気がするが、では団長と副団長の不審な動きはいったい何のためだろう。
 
(まだ油断は出来ないな・・・。)
 
 信じるに足る情報がまだ少なすぎる。
 
「ところでパーシバル、先ほどアルスとセラードから報告を受けたのだが、牢獄に置かれている検死報告書の中で、ガルガス殿の報告書からモーガン先生が書いて付けてあったはずのメモがなくなっているという話だった。そのことでドゥルーガー先生に話を聞きに行ったのだが、今朝見つかったそうだな。」
 
 やはりアルス達はそのことを知っていた。いや、おそらくはその『先ほど』検死報告書を見に牢獄に出向いたのだろう。午前中はグラディスとガウディがあの2人に話を聞きに行ったはずだから・・・。
 
(あれ・・・もしかして・・・。)
 
 アルス達はグラディス達に引継書を出していないような気がする。グラディス達は引継書の事なんてろくに知らないはずだから、もしもそんなものを渡されれば、不思議に思って自分に聞きに来たはずだ。
 
(そうか・・・。グラディス達にもっとアドバイスしてやれることがあるかと思って見に行ったのかもな。)
 
 パーシバルは、その報告書の話をしてみることにした。
 
「なくなっていたというのはグラディスとガウディから報告を受けました。ですがあの2人がその事実を知ったのが、ちょうどモーガン先生の遺体が発見された日の朝だったんです。俺のところに話が来たのはその日の夜でしたよ。」
 
「なるほど。で、そのメモが出てきたのが今朝か。どういう状況で見つかったのかを教えてくれるか?」
 
「はい、実は・・・。」
 
 ゴミを燃やすためにやってきた焼却炉の中に押し込まれていた話と、その前にヒューイがゴミを燃やしに行って、あまりにも燃えかすが詰まっていたので掻き出したがキリがなかったので途中でやめたという話をしていたことも話した。その時一緒だったのはやはりゴミを燃やしに来ていたグラディスで、実際に燃えかすの山の中からメモの束を見つけたのは彼だったことも。
 
「・・・そういうことか・・・。」
 
 ドレイファスは難しい顔で考え込んでいる。
 
「報告が遅くなったのは申し訳ありませんでした。あと、先ほどドゥルーガー先生がモーガン先生の遺品を整理するというので立ち会わせてもらったんですが、遺品の中でも仕事に関するものの中に、あのメモの内容を補完出来るかもしれないというノートがあったので、それを借りることが出来ました。メモの方も出来る限り内容を教えてもらったので、そのノートと合わせて、今日の夜グラディス達と打ち合わせする予定でいます。」
 
「そうか・・・。それでは打ち合わせが終わってからでいいのだが、その燃え残りのメモとノートを預からせてはくれないか?」
 
「それは出来ません。」
 
 パーシバルの答えは早く、きっぱりとしていた。
 
「このノートは俺達がこれから調べるための資料です。一度の打ち合わせで全てわかるほど、今回の件は単純な話ではないと思います。そしてノートもメモも、ドゥルーガー先生に許可をいただいてお借りしてきたのです。又貸しのようなことは出来ません。それに、このメモとノートを団長に預けるだけの理由もありません。」
 
「そ・・・そうか・・・。そうだな・・・。」
 
 あまりにもきっぱりと拒絶され、ドレイファスはやっと気がついた。パーシバル達は、今回の件の黒幕、つまり『あのお方』、或いは『黒マントの男』と自分達が通じているのではないかと疑っているのだ。
 
(だから・・・メモの件も伏せておいたのか・・・。それを知られてしまったからメモとノートの件は話してくれたが・・・。)
 
 実際の燃え残りのメモとノートを、パーシバルは持っていない。おそらくは彼が背負っている荷物袋の中にあるのだろう。出してみせるつもりはないらしい。そのメモとノートを預かることが出来れば、もしかしたら『黒マントの男』の正体に近づくことが出来るかもしれないとドレイファスは考えたのだが、自分達がその人物にどんな疑いを抱いているのかをパーシバル達に知られるわけにはいかない。
 
 それに、疑われるような言動を取ったのは自分達の方だ。アルスとセラードは自分とデリルを信頼してくれているが、彼らがもしも今回のパーシバル達とのやりとりを最初から聞いていたなら、やはり自分達を疑ったかもしれない。
 
 パーシバルとグラディス達が自分に対して持っている不信感の正体を知ってしまっては、今後彼らに対する言動について、もう少し慎重に考えなければならないだろう。この先また疑われるようなことを言ったりしたら、彼らはもう何も自分に話してくれなくなってしまう。
 
(参ったな・・・。ここまではっきりと疑われていたとは・・・。)
 
 この信頼を回復するためには全て話すのが一番だが、今回の場合、それはどうしても出来ない。どうすればいいのか・・・。
 
 
 パーシバルは少し言い過ぎたかなと思ったが、剣士団長が腕を組んで考え込んでいるのを見て、このくらい言ってもいいよなと思い直した。はっきりとした目的を言わずに、剣士団長がいささか無謀とも思えるような仕事を頼んでくるなんてことは、別に珍しいことじゃない。だから今回の件もパーシバルとヒューイは、不審に思いながらもその仕事を引き受けて別行動を取っているのだ。だが今回の件は、あまりにもわからないことが多すぎる。
 
(団長になったら、俺も他の剣士達にこんなわけのわからない仕事をやらせる必要が出てくるのかな・・・。)
 
 そんなことにはなってほしくないものだ。
 
(それはともかく・・・このメモの燃え残りとモーガン先生のノートは、何が何でも守らなければ・・・。)
 
 ここまではっきりと『預からせてくれ』と言われるとは思っていなかったが、今回ばかりは『はいそうですか』とは言えない。ドゥルーガー医師は自分を信頼してこのノートを貸してくれた。メモの中身もかなり詳しく教えてもらった。この事件は、自分達の手で解決するべきものだ。それに剣士団長に対する疑いはまだ晴れたわけじゃない、というより今の言葉でますます疑念が募った。
 
(預からせろなどと言われて預けたら、消えてしまって知らぬ存ぜぬなどになったのじゃたまったもんじゃないからな・・・。)
 
 ここにいるのはパーシバルと団長の2人のみ。後になって問いただしたら『そんなものは知らない』と言われても、確かに預けたという証拠がない。
 
 パーシバルは団長を伺ったが、ずっと腕を組んだまま考え込んでいる。これ以上話を引き出せそうにない。では今回借りたノートとメモの分析をしたほうがいいだろう。
 
(ロビーに誰かいるようなら、そこでやっていたほうがいいのかもな。)
 
 そのメモとノートをパーシバルが持っているということを、誰でも知っていると言うことになれば、闇から闇に葬られることはなくなるだろう。
 
「団長、お時間をいただいてありがとうございました。俺はもう少し調べてみます。」
 
「あ、ああ、ご苦労だったな・・・。」
 
 明らかに団長はパーシバルに出ていってほしくなさそうだったが、それに気づかないふりをして、パーシバルは団長室を出た。宿舎のロビーには思った通り人がいる。そろそろ夕方だ。早めに夜勤の組と引継をして戻ってきた組が何組かいるらしい。
 
 
「あ、おいパーシバル。」
 
 採用カウンターにいた当番の剣士に声をかけられた。パーシバルの先輩剣士だ。
 
「はい、何ですか?」
 
「さっきグラディスとガウディが、アルスとセラードに連れられて出掛けたんだ。グラディスが、今日の打ち合わせを延期してくれって言ってたぞ。」
 
「そうですか・・・。わかりました。あの2人はどこに出掛けたんですか?」
 
「例の周旋屋が通っていた飲み屋らしいぜ。改めて話を聞きに行くのに、あの2人だけじゃ不安だからな。それにアルス達に紹介してもらえれば、店のマスター達も奴らにいろいろと話をしてくれるだろうってことじゃないかな。」
 
「なるほど・・・。わかりました。ありがとうございます。」
 
 そしてパーシバルは、自分が今まで剣士団長室にいたことと、これからの時間にグラディス達と打ち合わせをする予定だったのが今の話でなくなったので、ロビーでしばらく資料の調査をしたいと申し出た。当分の間ヒューイとは別行動なので、彼がいつ頃戻ってくるのかはわからないと言うことも付け加えた。
 
「ああ、了解だ。あんまり根を詰めすぎるなよ。」
 
 採用担当当番の先輩剣士は、笑顔でそう言ってくれた。
 
 
「さて始めるか。」
 
 パーシバルはロビーの一角にあるテーブルで、荷物の中からあのメモとノートを取り出した。
 
(ここでこうして読んでいれば、団長も無理に取り上げたりは出来ないだろうしな・・・。)
 
 こんなことを考える自分が嫌になる。だがこの資料が手元からなくなってしまったら、もっと大変なことになるのは確かなのだ。
 
(ドゥルーガー先生に教えてもらったメモも一緒に見比べてみるか・・・。)
 
 パーシバルは荷物の中から自分のノートを取り出した。そこにはドゥルーガー医師から教えてもらったメモの内容が書かれている。
 
(グラディス達が何かしらの情報を掴んでくるといいんだが・・・。)
 
 今は自分に出来ることをしよう。パーシバルは資料を全部テーブルの上に並べて、見比べながら読み始めた。
 
 
                          
 
 
「今思い出しても悔しくて仕方ないですよ・・・。」
 
 店のマスターは誠実な人物のようだ。アルスとセラードに、『おやっさんの思い出話でもしたいな。』と言われ、ガルガスが亡くなったあの日の話を始めたのだ。彼の話によると、ガルガスが店に現れたのは外がまだ薄暗くなり始めた時刻だったらしい。店の中はガウディが予想していたとおり、それほど混んでいなかったそうだ。こんな日にはガルガスはいつもカウンターに陣取り、マスターと話をしながら酒を飲むのだが、その日は違っていた。
 
 
 
『あの隅っこのテーブルに酒を運んでくれないか。』
 
 ガルガスはそう言って店の奥にあるテーブルを指さした。
 
『おや珍しいね。今日は手酌かい?』
 
 マスターとガルガスの間で、こんな軽口はいつものことだ。
 
『ああ、ちょっと今日はね。』
 
 曖昧な返事をしながら、ガルガスは酒を注文した。つまみもいくつか頼み、テーブルに歩いて行ったのだが、何となく元気がないような気がしたそうだ。
 
 
「元気がない・・・?」
 
 アルスが尋ねた。そんな話は以前は聞けなかったことだ。
 
「ええ・・・ただねぇ、私がそう感じただけかもしれませんしね。」
 
「そうだなあ。組合のことでは大分苦労していたようだから、疲れていたのかもな。」
 
 アルスはそれ以上その話を突っ込んで聞く気はなさそうだった。
 
(ここで元気がなかったなんて話は、以前は聞いてないよな・・・。でもアルスさんは流してしまったし、セラードさんも特に気にしている風もないし・・・。なんでだろう。これはあとで聞いておかないとな・・・。)
 
 ガウディはおかしいなと思ったが、口には出さなかった。この店のマスターは、グラディス達が改めてガルガスの死について調べているという話は知らない。今のグラディスとガウディは、あくまでもアルス達に連れられて飲みに来た後輩という立場だし、マスターとアルス達との会話は『おやっさんの思い出を語り合いたい』というアルスの希望でマスターが話してくれているだけだ。だからここでメモを取るわけにも行かない。あとは忘れないようにするしかなさそうだ。
 
 
「だからどうしたのかなと気になって、しばらくは注意してたんですけどねぇ・・・。」
 
 その後どっと客が押し寄せ、店の中はかなり混んできた。注文はひっきりなしに飛んでくるし、ウェイターも人混みをかき分けて酒を届けに行くほどになってくると、もうガルガス1人を気にしていることは出来なかった・・・。
 
「あの時もう少し注意していたら・・・もっと何かわかったかもしれないのに・・・。」
 
「そりゃ仕方ないさ。マスターはこの店の中全体に気配りをしなくちゃならない立場だろう?ガルガスさんだけを気にしているってわけにも行かないと思うよ。」
 
 セラードが慰めるように言った。グラディスもガウディも、マスターの気持ちはわかる。まさかそのあと死んでしまうなんて誰だって考えなかっただろう。マスターもウェイターも、すぐ隣で飲んでいた客だって・・・。
 
 
「いらっしゃい!テーブルが空いてますよ!」
 
 店の扉が開き、入ってきた客にマスターが声をかけた。少ししんみりしかけた空気がいっきに吹き飛んだ。親しい人が亡くなった時でも、客は笑顔で迎えなければならない。
 
「あれ、あんたら久しぶりだな。忙しかったのかい?」
 
 その客は3人ほどで入ってきたのだが、アルスとセラードに目をとめて、声をかけてきた。
 
「ああ、忙しくてなかなか来れなくてな。」
 
「へえ、こっちのあんちゃん達は初めましてだな。あんたらの連れか?」
 
「そうだよ。今日は後輩に奢って先輩らしいところを見せてやろうと連れてきたんだ。」
 
「へぇ、そりゃたいしたもんだ。あんたら、どうせだから一番高い奴を飲ませてもらうといいぜ。」
 
「入れ知恵しないでくれよ。そういうことにならないよう、マスターの後ろに並んでいる高級酒はだめだと先に言ってあるんだ。値段が時価のつまみもな。」
 
 その言葉に入ってきた客達が大笑いした。
 
「なるほどな、そりゃ賢いな。」
 
「俺達の安月給でそんな高いものは払えないんだからな。」
 
「ははは、ま、そうだろうな。」
 
 客達は酒とつまみを注文し、すぐ近くのテーブルに座った。程なくして注文した酒とつまみが運ばれて『カンパーイ!』と声が聞こえ、飲み始めたようだ。彼らもアルス達も『王国剣士』とは口に出さなかったが、安月給という話が出ていたところを見るとこちらの職業は知っているらしい。今の会話からして彼らとアルス達はそれなりに親しいようだ。彼らを横目で見ながらグラディスが手元のジョッキを持ち上げると、中身ははもうほとんどない。
 
「あのぉ・・・。」
 
 グラディスは隣にいたセラードにおかわりを頼んでいいかどうか聞いた。
 
「何だよお前がそんな顔で遠慮するとはな。さっきも言ったろ?時価と高級酒以外は何でも頼めよ。」
 
 セラードはグラディスの遠慮がちな様子に笑いながら答えた。そこでグラディスはガウディにも声をかけて、どちらもほとんど空になっていたジョッキをカウンターに載せて、次の酒を頼んだ。
 
「はい、こちらがウィスキー、こちらがジン、どちらもロックですね。」
 
 マスターが笑顔で2杯目を2人の前に置いてくれた。
 
「つまみの方はもう少しお待ちください。今奥で作ってますので。」
 
 グラディスとガウディは、つまみと言うより食事といったほうが妥当なほどの食べ物を頼んである。
 
(感じのいい人だなあ・・・。)
 
 この店に入った時から、マスターもウェイターの男性も、ずっと笑顔で愛想良く対応してくれている。この辺りの店は女給を置いて別料金で客の相手をさせたりする店が多いので、以前この店の前を通った時、どうせここも同じだろう、話なんてしてくれないだろうと決めつけてしまったことを、グラディスは今更ながら後悔していた。ここは至って真っ当なバーだ。
 
(先入観で物事を決めつけるってのは一番悪いやり方だな・・・。)
 
 今後の仕事のためにも、これは反省しなければならない。
 
 その後も客が数人ずつ来店し、さっきまで見渡せた奥の方のテーブルは見えなくなった。立ち飲みの客達が増えてきたからだ。
 
「そう言えばあの日もこんな感じで混み始めたんでしたよ・・・。」
 
 マスターが店の中を見渡してため息をついた。
 
 
 一方ガウディはと言えば、マスターの話を聞きながら、自分の説が正しいのか、ほかに何か、ガルガスが席を立つきっかけになりそうなことはなかったのか、客の流れを見ながら考えていた。ここまで混んでくれば、店の扉が少し開いて小さな子供が入ってきても誰も気づかないだろう。だがこうひっきりなしに客が入ってきたのでは、出ていく時に見咎められる可能性はありそうだ。では客の1人がガルガスにメモなどを渡したという可能性はどうだろう。
 
(そんな奴が店の中にいるとガルガスさんが知っていたら、それこそ警戒しただろうし、知らなかったとしたらメモなどを渡されても信じなかったかもしれないよな・・・。)
 
 もしも通りすがりの人物にそんな頼み事をしたとしたら、子供に小遣いを渡して頼むよりも遙かにリスクは高くなる。
 
(となると、やはりグラディスの説が一番ありそうに思えるな・・・。)
 
 予めガルガスと相手の人物との間で決めごとをしておき、時間までに誰も来なければ別な場所で待ち合わせをするというものだ。最初にその話をグラディスから聞いた時は、その場合ガルガスがどのくらいのペースで酒を飲んでどのくらいの時間に店を出るのかを把握するのは大変じゃないかと思ったものだが、最初から殺すつもりでいたなら、ある程度の時間を見計らって待ち合わせの場所に待機していることは出来るだろう。それが黒マントの男だとしても、別にいつでもマントを着込んでいるわけではないのじゃないか。その人物にも『表の顔』があって、いつもは普通の格好をしているのかもしれない。
 
(しかし・・・もしも待ち合わせの相手が黒マントの男だとしたら、こんなところにマントを着込んでフードを被ったまま入ってきたりしたら、私は怪しい者ですと宣伝して歩いているようなものだ。)
 
 にもかかわらず、ガルガスがここで相手の人物と待ち合わせをしたとしたら、その人物がマントを取って『表の顔』で現れるか、もしかしたら誰か代理の者が来るかもしれないと考えただろうか。それともそこまでの話も打ち合わせの中に入っていて、ガルガスは誰が来るのかを知っていたのか。もっとも、相手は端からガルガスを殺そうとしていたのだから、打ち合わせなどしたとしても、いい加減なことを言ってごまかしていたかもしれない。
 
(でもガルガスさんの方は、もしかしたら黒マントの男が来るかもしれないと思っていたかもしれない・・・。)
 
 だがそれは今のところガウディの推測でしかない。それにもう事件は起きてしまった。仕事の話し合いをするつもりでいたのに、まさか殺されるなんてガルガスだって思わなかったんじゃないだろうか・・・。
 
 
「・・・まあ、今思い返してみれば、なんですがね、そんなに混んでいなかったのにあんな隅っこのテーブルに座ったのは、誰かがあとから来る予定だったのかもしれないな、なんて思うんですよ。もちろん私の推測だし、何の根拠もないんですけどね。」
 
 マスターが言いながらため息をついた。
 
「でも頼んだ酒の量はそんなに多くなかったんじゃないのかい?」
 
 アルスが尋ねた。
 
「そうですねぇ。あの時の勘定書きは今も残ってますけど、注文されて私も特に驚いた記憶がないので、ガルガスさんにとっては普通の量だったと思いますよ。ただ・・・。」
 
 マスターが思案気に黙り込んだ。
 
「何か気になることでも?」
 
 アルスはさり気なさを装いながら、マスターから話を引き出していく。
 
「いえ、アルスさん達は何度かガルガスさんと一緒に飲んでますよね。」
 
「あ、ああ、そうだな。この店でも何度か一緒に飲んだし、ほかの行きつけの店に連れて行ってもらったこともあるよ。」
 
「それじゃ、ガルガスさんの好みの酒はご存じですよね。」
 
「ああ、知ってる。高級酒って言われてるブランデーとか、あとしゃれた感じのワインなんかは飲まない人だったよな。ビール、ウィスキー、ラム、スピリット、変わったところではミードなんかも飲んでたなあ。あ、そう言えばジンはあんまり好きじゃないなんて話を聞いた気がするぞ。」
 
「私もそうですよ。今こちらのお客様にジンのロックをお作りした時に思い出したんです。あの時の注文の中に、ジンが3本ほど入っていたことにね。」
 
 アルスもセラードも、その日のガルガスの注文した酒については勘定書きを見せてもらったが、この国でジンを造っている醸造所はけっこうな数がある。ガルガスが酔って橋から落ちるほど飲んだと言うことで調べていたので、瓶の大きさや本数、酒自体の強さなどについては細かくチェックしたが、酒の種類や銘柄まではそこまで気にしていなかった。
 
 マスターもそのことはすっかり忘れていたらしい。ガウディの注文に応じてジンのボトルを出した時に、ふとあの日ガルガスがジンを小ぶりのボトルで注文し、おかしいなと思ったことを思い出したというのだ。
 
「ジンか・・・。俺達はどちらかというと、酒の本数や瓶のでかさを調べていたからそこまでは気づかなかったな・・・。何か聞いたかい?」
 
 表向きは平静を装って、セラードが尋ねた。
 
「ええ、珍しいね、好みが変わったのかい、なんて聞いたんですが、たまには変わったのもいいだろう?と言って笑ってましたよ。だから本当に、たまたまいつもは飲まない酒を飲んでみたくなったのかと思ったんですが、それにしても3本は多いですよね・・・。もしも何か悩んでいて、変わった酒でも飲んで気分転換でもしたかったのか・・・。もう少しちゃんと話を聞けば良かったですよ・・・。」
 
 マスターが残念そうにため息をついた。心の中ではアルスもセラードも悔しくて仕方なかった。
 
(くそっ!俺達はいったい何を調べていたんだ!あの時もしもジンのことに気づいていたら・・・。)
 
 だが冷静に考えれば、ジンのことに気づいたとしても、それがすなわち事件性を疑う理由にはならないだろう。好きではなかった飲み物なり食べ物を、たまたま口にしてみたら思いの外うまかった、だから最近はそればかり飲んでる、或いは食べている、なんて話はよく聞くものだ。
 
 そのジンのロックを頼んだガウディは、手元のグラスをのぞき込み、ジンはけっこう好みが分かれる事を思い出した。グラディスはあまり好きではないらしい。
 
「ジンて飲まない人は本当に全く飲まないんですよね。もらい物とかなら多少は付き合うって事もあるかもしれませんが、好きでもない酒を3本というのは妙ですね。」
 
 自分にとってはこの上なくうまい酒なのだが・・・。
 
「俺はジンてやつは苦手なんだよなあ。苦手な酒をわざわざ頼むなんてことは、俺ならしないね。」
 
 ウィスキーのロックのグラスを傾けながら、グラディスも首をかしげている。
 
「そうなんですよね。まあ、3本と言ってもそんなに大きな瓶ではないんですがね。」
 
 こう言った店で出す酒は、店舗用、業務用ということで大きな瓶に入っているものが多いのだが、ジンの場合はたくさんの醸造所のものを仕入れるために、大きな瓶よりは小さな瓶を中心に仕入れる店が多いのだと言う。
 
「こんな瓶ですよ。お好きな方は瓶で頼まれる事も多いですからね。」
 
 マスターが見せてくれたジンの瓶はなるほどウィスキーなどの酒よりは小さな瓶に入っているが、それでも3本ともなればけっこうな量になるだろう。ガウディはロックで飲むことがほとんどだが、ガルガスくらいの酒豪になると、ストレートで飲む事が多いらしい。強い酒をストレートで飲む場合は、チェイサーと言って水やソーダ水などを入れた小さなグラスが酒と一緒に出される。それを酒を飲んだすぐ後に続けて飲むのだが、チェイサーは要らないという酒飲みは多い。
 
「チェイサーに水じゃなくて違う酒を入れてくれというお客様もいらっしゃいますよ。」
 
 マスターが笑った。
 
「それなら別に注文したほうがいいと思うけどなあ。」
 
 アルス達も笑い出した。その時カウンターの奥の厨房の扉が開き、『あがったよ!』と声がした。同時にいい匂いが漂ってくる。
 
「はい、こちらのお客様のご注文分です。」
 
 マスターが厨房から皿を受け取り、グラディスとガウディの前に並べたそれは、つまみではなく間違いなく『食事』と呼ぶべきほどの量の食べ物だった。
 
「すごい量だなあ・・・。やっぱりお前らは若いんだな・・・。俺達はいくら腹が減っていたってこんな量はメシだとしても食えないぜ。」
 
 アルスが大げさに嘆く素振りをして見せた。
 
「ま、食えるうちが花だ。しっかり食ってくれよ。これからますます仕事が忙しくなるんだからな。」
 
 セラードも笑いながらそう言った。
 
「いただきます!」
 
 グラディスとガウディが食べ始めた横で、アルス達は自分達の前にも置かれた『つまみらしいつまみ』を食べながら、ガルガスと飲んだ時のことをマスターと話している。
 
「ジンかぁ・・・。今まで苦手だったものを好きになるなんて話もなくはないが、実際はどうだったのかなあ・・・。」
 
「あの頃は俺達も忙しくて、なかなかおやっさんと飲む機会もなかったからなあ。」
 
 アルスもセラードも悔しそうだ。
 
『ガルガスが好きではなかったはずのジン』
 
 それが小さめの瓶とは言え3本も注文されていた、それは何を意味するのだろう。手元のグラスにもう半分ほどしか残っていないジンを眺めながら、ガウディは考えた。
 
(普通に考えれば・・・誰かと待ち合わせしていて、その相手がジン好きだったということだが・・・。)
 
 それはあくまでも『ガルガスが誰かと待ち合わせしていた場合』だ。
 
(やっぱりその相手と待ち合わせしていて、頼んだ酒が全部なくなっても来なかったら別な場所に来てくれと言う話になっていたんじゃないのかなあ。)
 
 グラディスはと言えば、案外自分の説が一番真相に近いんじゃないのかな、などと考えていた。
 
(ジン好きの黒マント野郎か・・・。そいつが本当に王宮内部の人間だったとしたら・・・。)
 
 ジン好きな王国剣士は誰だっただろうか。と言っても一緒に飲んだことがある先輩や同期の中となると、かなり限られてくる。後輩達は何人か入ってきているが、まだ酒が飲めない年齢の者もいるし、そんなに頻繁に飲む機会もない。
 
(となると・・・。)
 
 ぱっと思いつくのは何人かいる。しかしここでも疑問が残る。それは、ガルガスは黒マントの男の正体を知っていたのかどうかと言うことだ。黒マントの男は『E』の手先として、組合に加入している周旋屋達との連絡役をしているはずだ。あのローディという男の話では、資材置き場での会話の間中、その男は黒マントもフードも被ったままだったという。おそらく周旋屋達はその男の正体を知らないのだろう。ではガルガスのところにだけ素顔を晒して話をしに言ったのか?
 
(それも考えにくいんだよなあ・・・。)
 
 となると、あんな姿でしか会ったことがないというのに、好きな酒まで知っているというほうがおかしい。
 
(ではやはり偶然か・・・。)
 
 たまたまジンを飲んでみたらうまかった、程度のことなんだろうか・・・。
 
 考え込みながらもグラディスは食べる手も飲む手も止めない。一方ガウディも、実はグラディスと同じ事を考えていた。では、ガルガスがジンを頼んだ意味はないのか?たまたまなのか?
 
(いや、それも不自然だ・・・。)
 
 
「へぇ、意外だな。ガルガスさんは本も読むんですね。」
 
 マスターの声で、グラディスもガウディも我に返った。アルスとセラードが、ガルガスは実は推理小説や冒険小説が好きで、よく読んでいたという話をマスターにしたらしい。
 
「見た目はごついし大酒飲みだったから、とても本を読むようには見えなかったからなあ。」
 
 アルス達が笑い出した。
 
「いやぁ、ここでは本の話なんてされたことがなかったですから。」
 
 たまたまアルス達とガルガスが飲んだ時に、その頃流行っていた推理小説を読んだという話をアルスがしたらしい。ここの店ではなかったそうだ。するとガルガスがその話に食いつき、いろいろとおすすめの本を紹介してくれたらしい。
 
「結構前の話だよ。あの頃はまだこの町も平和だったんだがなあ。」
 
 そのまま平和だったなら、ガルガスが命を落とすことなどなかったのに・・・。
 
「どんな話なんです?その推理小説というのは。」
 
 マスターがアルスに尋ねた。
 
「えーと・・・確か自分の妻を殺した犯人を追い詰めた男が、その正体を暴こうとするんだが、あと一歩追い詰めることが出来ないって話だったような・・・。」
 
 アルスの言葉は今ひとつ要領を得ない。
 
「確かそれで相手を罠にかけるんだよな。そいつは名前も偽名を使ってるんだが、後ろからふいに、そいつの本名で呼びかけて、その犯人はうっかり返事をして振り向いちまう、それでそいつが犯人だと言うことがバレて、無事に捕まえることが出来るとか、そんな話だったような気がするぞ。」
 
 セラードが言った。彼もその本を読んだことがあるらしい。
 
「ああ、そうだそうだ。トリックとしては特に目新しいことがあるわけじゃないし、本名で呼びかけるというのも言っちまえばよくある話だが、そこに至るまでの流れがなあ、年甲斐もなくハラハラドキドキしちまったよ。」
 
 よくある推理小説だな、グラディスもガウディもマスターとアルス達の話を聞きながらそんなことを考えていた。その本が面白いと言われるのは、おそらくトリックなどではなく、物語の流れなのだろう。
 
(本名で呼びかけるなんて、前に俺もそんな話を読んだことがある気がするぞ。)
 
 ガウディは記憶の中で、そんな本を読んだのはいつだったかなと思い出そうとしていた。相手の正体を暴くために、本名を調べ上げて呼ぶ、好物を出して反応を見る、そんな話は何度か読んだことがある・・・。待てよ、好物?
 
(相手の正体を暴くために・・・好物を出して・・・!?まさか、ジンはそのための!?)
 
 黒マントの男がガルガスにだけ顔をさらして会いに来ていたとは思えない。だからおそらくはガルガスも、その人物が誰なのかはわからなかったはずだ。だが、もしかしたらある程度当たりがついていたのではないか。それをはっきりとさせるためにどうすべきか考えていたところに、この店で待ち合わせをしようと連絡が来た。相手がどんな姿で会いに来たとしても、それはおそらく変装だ。そこでガルガスは自分が当たりをつけた人物の好物であるジンを頼み、ここで飲みながら待っていたのではないか。
 
 だとしたら、さっき自分が考えた『ジン好きの王国剣士』達の中に、あの黒マントの男がいるのだろうか・・・。
 
 ガウディはぞっとした。その人物はガルガスを殺し、モーガン医師を殺し、モーガン医師が書いたガルガスの検死報告書のメモを焼却炉に放り込んだ・・・。そして何食わぬ顔で、王国剣士として仕事をしているということになる。・・・。
 
(剣士団長は・・・どうだったかな・・・。)
 
 何度か一緒に飲んだことはあるが、好みの酒となると果たしてどうだっただろう・・・。ジンが特別好きだという話は聞いたことがない。
 
 
 一方グラディスも同じ考えに至っていた。マスターとアルス達が話している小説のように、本名を呼んで相手の正体を暴くなんて話はけっこうある話だが、確か彼らが話している小説の中で、犯人を追い詰める男が相手の正体を暴くためにあれこれ考えていたシーンがあったはずだ。
 
(あれは・・・確か最初は名前よりも食事に招待して、そいつの好物を出して反応を見るとか、そんな話を考えていたんだよな。ところがその好物が手に入らなくて・・・。)
 
 犯人が、自分が思い描いた通りの人物ならば、好物の食べ物があったはずだから、それで相手の正体を暴こうとしていたのではなかったか。だがその好物はなかなか手に入らず、結局気を緩めているところに本名で呼びかけるという事を思いついた・・・。
 
(ガルガスさんが考えた黒マントの男の好物がジンだとしたら、ジン好きの王国剣士はみんな容疑者になるって事か・・・。)
 
 平気で人を殺し、周旋屋達を脅して死体を隠蔽させて、その殺しがバレないようにまた人を殺す。そして検死報告書を焼いて、そのまま何食わぬ顔で王国剣士として仕事をしている・・・。
 
 グラディスもガウディも、お互い同じ事を考えていると気づかないまま、それぞれが食事を終えた。グラスの中の酒はもうないが、さてどのくらい飲んでもいいものか。ジンにしろウィスキーにしろ、特に高い酒ではないのでおかわりを頼んでも大丈夫だろう。だがあまり調子に乗って飲んでしまうと、アルス達とマスターの話が頭に入ってこなくなってしまう。とは言え、変に遠慮するのも、『先輩に奢ってもらう後輩』としては不自然だ。
 
 どちらもそう考え、また同じようなタイミングで酒のおかわりを頼んだ。
 
「同じものでよろしいですか?」
 
 マスターが柔らかな笑顔で尋ねる。
 
「お願いします。」
 
 グラディスはそう答えたが、ガウディは少し考え込むようにしてから
 
「あ、いや、今度は違う銘柄のジンをお願いします。どの酒造所のが置いてありますか?」
 
 そう尋ねた。
 
(こいつは銘柄もこだわるんだよなあ・・・。俺はウィスキーならどこのでも飲むんだが・・・。)
 
 グラディスはため息をつきかけたが、慌てて飲み込んだ。ガウディはジン好きだ。それなりにこだわりもあるらしい。とにかく今日はこいつのやることにいちいち苛立たず、落ち着いていようと決めた。銘柄の違いで何かわかることがあるかもしれない。それに、ガルガスと黒マントの男が予め打ち合わせをしていて、ここに来なかったら次の待ち合わせ場所も決められていたのではないかという説だって、ガウディが『小さな子供に何かしら頼んだのかもしれない』という話を聞いたからだ。
 
「今のはロックガーデン酒造所のジンでしたよね。グランドヒル酒造所のジンは置いてますか?」
 
「はい、ございますよ。お客さんはかなりの通なんですね。ロックガーデン酒造所のジンは一般受けする味ですから、ジンのご注文には通常こちらをお出ししていますが、銘柄を当てられる方はそうそういらっしゃいませんよ。グランドヒル酒造所のジンは少しくせがあるので、これが飲みたいと銘柄を指定される方にだけお出ししているんですよ。あ、そう言えば・・・。」
 
「何かあるんですか?」
 
 ガウディが尋ねた。
 
「いえ、ガルガスさんが頼んだジンの銘柄が・・・。すみません、ちょっとお待ちください。」
 
 マスターはカウンターの奥の方でしゃがみ込み何かを探していたようだが、やがて立ち上がって一枚の紙をガウディとアルス達に見えるように差し出した。
 
「これ、あの時ガルガスさんが注文した酒の伝票ですよ。ほらここ、グランドヒル醸造所のジンが2本と書かれています。そうだ・・・それで聞いたんですよ。『このジンはクセが強いですよ』って・・・。」
 
『たまにはクセの強いのも試してみたいと思ってね。』
 
 ガルガスはそう答えたそうだが、マスターの指摘に一瞬だけ顔をこわばらせたような気がしたという。
 
「・・・ま、今思い返してみれば、ですからね、私もガルガスさんが亡くなって悔しい思いをしているから、そんな気がするだけなのかもしれませんけどね・・・。」
 
「確かにこんなことになっていなければ、思い出しもしないような事ってけっこうあるもんだからなあ。マスター、あんまり考え込まないでくれよ。それよりさっきの話の続きを聞きたいな。ガルガスさんにも酔っ払ってひっくり返った思い出があるとか言う話。」
 
「ああ、そうでしたね。大分若い頃の話だったようですねぇ・・・。」
 
 マスターはまたアルス達とガルガスの思い出話に戻った。グラディスとガウディは、おかわりの酒を飲みながらまた考え始める。
 
 
 黒マントの男は、城下町に事務所を開いている周旋屋達のほとんどに直接会いに行っていたと聞いた。周旋屋達の中で、ガルガスはおそらく一番肚が座っている人物だから、他の周旋屋達のように怯えてろくに相手を見ないまま話すようなことは、しなかったはずだ。
 
 黒マントの男も、顔を隠していても話をしているうちに口元は見えるだろうし、声だっていくら変えても地声が出てしまうことだってあったのじゃないだろうか。そしてガルガスがもしかしたら自分の正体に気づいているかもしれないと考えていたかもしれない。だがガルガスだってバカじゃない。万一2人で話している時に当たりをつけたその人物の名前を呼んだりしたら、おそらくは殺されるとわかっていただろう。そこで、いつ聞いたのかはわからないが、その人物の好物であると聞いたジンを注文してガルガスはその男が来るのを待った・・・。
 
(・・・だとしても、やっぱりガルガスさんは殺されちまったんだよな・・・。)
 
 ジンで罠にかけようとしたがそれは果たせず、おそらくは『次の待ち合わせ場所』でその男に会ったガルガスは、無理矢理酒を飲まされて、橋から突き落とされた・・・。
 
(ここまではおそらく、真実からそう遠くないはずだ。となるとあとは、その黒マントの男が何者かと言うことになるが・・・。)
 
 さっきぱっと思いついた『ジン好きの王国剣士』達の他に、王宮勤めであの焼却炉にゴミを放り込める人物はいるだろうか。だが王国剣士以外となると、知り合いはたくさんいるが、好きな酒まで知っている人物なんていない。それに・・・。
 
(だいたいあの焼却炉を使うのはほとんどが王国剣士だ。)
 
 そう、あの焼却炉を利用するのは、ほとんどが王国剣士なのだ。部屋のゴミを溜めずに捨てられるよう、宿舎の裏側に設置されている非常階段を通って、それほどかからず歩いて行ける場所に置かれているのだから。しかも王宮内の他の場所に置かれている焼却炉に比べて、あの焼却炉は少し小さい。だからしょっちゅうゴミが詰まったりする。焼却炉の掃除もこまめにやらないと、先日のように大量のゴミが詰まってしまうことになる。
 
(あの時・・・パーシバルさんが言ってたな。ヒューイさんがゴミを掻き出していたけど、途中で嫌になったって。それほど詰まらせたのは、あのメモが確実に燃えるよう、ゴミの中に詰めて燃やしたって事か・・・。)
 
 だが実際には燃え残りがあった。そもそも確実にゴミを燃やしたければ、そんなにぎゅうぎゅうに詰め込んだら逆効果になる。そう言えばグラディスが言っていた。
 
『きれいさっぱり燃やしたければ、あんなに詰め込まずにあのメモだけ放り込んで燃えるまで見てりゃいいのにな。あれだけならそんなにかからず燃えちまうだろうし、まず燃え残りなんぞ出ないと思うけどなあ。』
 
『でも詰め込んでくれたおかげで燃え残りが見つかったんだから、何が幸いするかわからないものだよな。』
 
『まあそうなんだけどな・・・。』
 
 グラディスは理解しがたいというような顔で、首をかしげていた・・・。
 
(燃やすためと言うならグラディスの言うように単独で放り込むのが一番確実だ。燃えるのを待って焼却炉の前にいる奴は良くいるしな・・・。)
 
 そしてメモがきれいに灰になったところで掻き出せば、誰が見てももうあのメモであるなどと言う痕跡は見つからないはずなのに・・・。
 
 では何故、あのメモは大量のゴミと共に詰め込まれて、結果として焼け残ってしまったのか。ガウディにはそこがどうしても引っかかる。まるで『完全に燃やすつもりがなかった』かのように。
 
(そしてその燃え残りはパーシバルさんとグラディスによって発見され、おそらく今頃はもう、パーシバルさんがドゥルーガー先生に話を聞きに行って中身を把握したはずだ。)
 
 あのメモを持ち去ったのがガルガスやモーガン医師を殺したのと同じ人物なら、どうして完全に燃やしてしまわなかったのか。
 
(まさか・・・わざと燃え残りのメモを発見させるため・・・とか?。)
 
 だとしたらそれは何故だ。そんなことをすることに何の意味がある?
 
(あの燃え残り部分だけでは、かろうじてモーガン先生の筆跡だとわかる程度で、ガルガスさんの検死報告書のメモだなんてわかるはずがないよな・・・。パーシバルさんだって一度燃える前のメモを見たことがあるのに、即座に確定は出来なかったんだし・・・。)
 
 あのメモを見つけたのはパーシバルとグラディスだが、その前にゴミを掻き出していたヒューイが見つける可能性だってあったわけだ。彼がゴミの掻き出しを途中でやめなければ、あのメモはヒューイの手に渡っていただろう。
 
(ヒューイさんがそれを見つけたとしても、せいぜい本を燃やしたバカがいる、程度で終わっちまっていた可能性が高いよな・・・。)
 
 モーガン医師の書いたメモがなくなっているという事実を知っていて、その筆跡を知っていたからこそ、パーシバルはあのメモがなんなのかに気づいた。グラディスだって気づかなかった。
 
 だんだんわからなくなってきた。ちょっと考えすぎかもしれない。ガウディは考えるのをやめた。手元のグラスはもう何杯目のジンだろうか。次々と違う酒造所のジンを頼むので、この店のジンの銘柄を完全制覇するんじゃないか、なんてアルス達が笑っていたのは覚えている。
 
「このウィスキー、うまいなあ・・・。」
 
 隣のグラディスが感心したように言った。
 
「どこの酒造所の奴だ?」
 
「えーと、確かタッセルホート酒造とか聞いた気が・・・。」
 
 グラディスはどの酒でも銘柄にはあまりこだわらない。だがうまいと思った酒はちゃんと覚えている。
 
「お前の方はどうなんだよ。何だかこの店に置いてあるジンの銘柄を片っ端から飲んでたみたいだが。」
 
「いろんな銘柄があると聞いたら、片っ端から飲んでみたくなるじゃないか。」
 
「お前はホント、ジンが好きだなあ。」
 
「面白いもんだぞ。酒造所によって特徴は違うし、同じ酒造所で出している違う銘柄なんてのもたまにあるから、それはそれでまた違う味わいがあるしな。」
 
「なるほどな。俺もこだわってみるかな・・・。」
 
 手元のグラスの中できらめく琥珀色の酒を眺めながら、グラディスがつぶやいた。
 
「ウィスキーだっていろいろあるからな。酒造所も銘柄もいろいろだ。こだわる気になればなかなか面白いと思うけどな。」
 
「そうだなあ。」
 
 珍しく、グラディスが素直に返事をした。
 
 
「・・・そろそろ腰を上げるか。おいお前ら、充分飲み食い出来たか?」
 
 アルスの声に、グラディスとガウディが振り向いた。
 
「いやもう充分飲み食いさせてもらいました。本当に全部アルスさん達の奢りでいいんですか?」
 
「ははは、そんなに高いものは頼んでないみたいだし、奢ると言ったんだから奢るよ。心配すんな。」
 
 アルスとセラードが勘定を済ませ、4人で外に出た。今日は新月らしく、足下はあまり明るくない。だがこの周辺は篝火があちこちに設置されているので、特に歩きづらいと言うことはなかった。
 
「今日はいろんな話が出来たな・・・。」
 
「ああ、当時よりもずっと詳しくいろんな事がわかったよ。皮肉なもんだな。」
 
「つまり俺達の調査の仕方がまずかったってことさ。」
 
 マスターとの話は、どうやらかなり中身が濃いものだったようだ。そしてガルガスが亡くなった当時は聞けなかった話も聞けたらしい。その頃その話を聞けていたとして、果たしてガルガスの死に事件性を認めることが出来たかどうかはなんとも言えないようだが、アルスとセラードにとっては悔いの残る案件となってしまったようだ。
 
「しかし随分人通りが多いなあ。」
 
 セラードが辺りを見渡した。
 
「ま、夜はこれからだからな。だが俺達は帰らなきゃいかん。明日も仕事だ。」
 
「ははは、そういうことだな。明日が休みならもう一軒くらい連れて行ってもいいんだが、グラディス、ガウディ、悪いが今日はおとなしく宿舎に帰ってくれ。」
 
「とんでもない。ごちそうさまでした。しかしあの店はいい店ですね。」
 
「ああ、あの辺りの店は女給を置いている店が多いんだが、あそこは本当に落ち着いて飲めるいい店だよ。もっとも混んでくるとうるさくなるけどな。」
 
 グラディスは、あの辺りは見回りでよく通るが入ったことはなかったので、中の様子はよく知らなかったという話をした。それもガルガスの件で調べていたことなのだが、その頃その話は公になっていなかったので、迂闊に漏らすわけにはいかない。
 
「そうだなあ。あそこも女給を置いて別料金で客の相手をさせる店だと思われていたって話は、マスターから聞いたことがあるよ。」
 
「まわりがそう言う店ばかりだから、ここも同じだろうって思われるのは納得行かないって言ってたよな。そもそもあの場所に店を構えたのはマスターが先だったんだもんな。」
 
 あの辺りの店は、アルスやセラードが剣士団に入る前のことだから大分昔らしいが、以前は小さなバーなどが集まっていたらしい。だがその中の1つが改装をして女給を置き、『副業』を始めたところこれが人気を呼んだ。歓楽街の女達ほどの美人はいないが、そちらよりは安い料金で一晩楽しめると言うことが人気の理由らしい。
 
「その話を教えてくれたのがおやっさんさ。昔は落ち着いて飲める店がほとんどだったのに、すっかりスケベ野郎の巣窟になっちまったぜ、ってな。」
 
「落ち着いて飲める店を探すのはけっこう大変ですからね。あんまり高級でも落ち着かないし、大衆酒場では騒がしいし。お気に入りの店が次々となくなって行くってのは悲しかったんだと思いますよ。」
 
 ガウディにも『落ち着いて飲める店』はいくつかある。どの店も今のところなくなってはいないが、ある日行ってみたらいきなり女給が出てきて、一晩いかが?なんて言われたらがっかりすると思う。
 
(まあ・・・女は女でいいもんだがな・・・。)
 
 グラディスもガウディも、女もそれなりに嗜む方だが、たまに歓楽街のそんなに高くない店で、のんびりと話が出来る娼婦と一緒に一杯やりながら夜を過ごす方が好みだ。
 
(い、いやいや、いかんいかん。そんなことを考えている場合じゃないんだ!)
 
 少し前に出会った歓楽街の女がなかなかの美人だったことを思い出してしまい、ガウディは慌てて頭の中から彼女の姿を追い出した。王国剣士の安月給じゃ歓楽街の女と遊ぶなんて滅多に出来ないことだが、まあそのくらいがいいんだろうなと思っている。女にのめり込んで仕事に支障を来すわけにはいかない。入団して3年とは言え、まだまだひよっこ同然だというのに。だから当然、決まった女などいない。さてグラディスの方はどうだかわからないが。
 
(まずは事件の解決だ。今日店の中でマスターとアルスさん達がしていた話を元に、俺も考えをまとめなくちゃならない。)
 
 
 王宮に戻ったのはかなり遅い時間だった。宿舎の階段を上がり、アルスとセラードに改めて礼を言った。
 
「けっこう飲んだから、今日はもう寝るか。」
 
「そうだな・・・。そろそろ頭が回らなくなってきたぞ。」
 
 明日は明日で仕事がある。こんな時は眠って体力と頭の回転を回復させておくことが優先だ。
 
 
                          
 
 
 一方アルスとセラードも今日はもう眠るつもりで自分達の部屋に戻ったのだが、部屋に入って鍵をかけた途端に揃ってため息をついた。
 
「まったく・・・俺達はいったい何をやっていたのかな・・・。」
 
「今思うと、俺達は最初から『殺人』の証拠を探していたような気がする。」
 
「まったくだ。冷静なつもりでいたが、おやっさんが亡くなったことが、思ったより堪えていたんだな・・・。」
 
「いい人だったもんな・・・。」
 
 2人とも、ガルガスの仇を討ちたかったのだと思う。そう認識していたわけではなくとも。だから殺人の証拠が何かないかと血眼になっていた。もっと落ち着いて、冷静に調査すればあの時わかった事はたくさんあったはずなのに『殺人の証拠になりそうもないこと』については自分の中で勝手に判断して目を瞑ってしまっていたのかもしれない。
 
「とにかく、今日聞いた話を明日中にはまとめておこう。それに今更だが引継書を作ってグラディス達に渡さないとな。」
 
「ああ、まずはそこからだ。今日はもう寝よう。酒臭い息で仕事をするわけにも行かないからな。」
 
「ああ、お休み。」
 
「お休み。」
 
 それぞれ着替えもそこそこにベッドに潜り込んだ。今日の悔しさをバネに、明日はもっといい仕事をしようと、それぞれが心に思いながら。
 
 
                          
 
 
 パーシバルはしばらくの間ロビーで調査書のまとめをしていた。焼け残ったメモ、それを補完しうる情報が書かれたモーガン医師のノート、そして焼け残りのメモを見ながら丁寧に解説してくれたドゥルーガー医師の聞き取り調査の結果。
 
「ふぅ・・・こんなところかな。それじゃ今日はもう寝るか。」
 
 念のため、ノートやメモなどの関係書類は丈夫な油紙の袋に入れて、ベッドのシーツの下に隠した。万一夜中に剣士団長が忍んできて、この書類を持ち去ろうとしても探し出されないように。
 
「こんなことはしたくないが、この事件が解決するまではやり過ぎなくらい書類を守らないとな・・・。」
 
 夜半・・・
 
 忍んできたわけではないが、部屋の扉が開いて入ってきたのは相方のヒューイだ。
 
「パーシバルはもう寝たか・・・。そうだよな、もう夜中だ。」
 
 ため息をつき、鎧と制服を脱いで寝間着に着替えた。これから風呂に入る気力はない。明日の朝にしよう。
 
「・・・しかし・・・どうするのがいいか、だな・・・。」
 
 何をどうすべきか、まだはっきりとした道筋は見えない。だが、1つだけ確かなことがある。
 
「なおいっそう慎重に動かなくちゃならないってわけか・・・。」
 
 明日もまたパーシバルとは別行動だ。こんなことがいつまで続くのか見当もつかないが、やり遂げなければ自分の未来も危うくなることだけは確かだ・・・。
 
「寝るか・・・。ちゃんと寝ておかないと頭が働かん。」
 
 ヒューイは自分のベッドに潜り込んだ。もう随分と恋人ジーナの顔を見ていない。あともう少しで休暇が取れる。それまでにある程度の調査を終えて、この先どうすべきか、それを真剣に考えなければならない・・・。

外伝14へ続く

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